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映画批評

「硫黄島からの手紙」(2006)クリント・イーストウッド 時代は今、エルンスト・ルビッチを見つめて 2006.12.14

★人間の映画

この「硫黄島からの手紙」は「人間」を描いている。見た者ほとんどが、この映画は「人間」を描いた映画であるという。私もまったく同感である。
だがそもそも視覚的に「人間」を描かない映画はなく、したがって「人間を描く」とは余りにも漠然としていて視覚的には今一つはっきりしない。

クリント・イーストウッドは、視覚的に何をもって「人間」を描いたのだろうか。
「人間」を描いた映画とは何か。
何故クリント・イーストウッドは、わざわざ二本の映画を撮ったのか。

まず、「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」の全体に流れる趣旨としては以下のようなものだろう。

クリント・イーストウッドは「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」という、日米両面から映画を撮り、特にまたこの「硫黄島からの手紙」においては、頑なまでにどちらか一方の国に対する感情移入を避ける演出に固執しており、そうすることで「戦争の勝ち負けドラマ」の部分を捨て去ることで、自然と「人間」を炙り出そうとしている、、、、、

だが、これはあくまで言葉の問題であり、我々がこの映画に「人間」を感じたとするならば、それはあくまで「視覚的」に感じたはずである。では、いかなる視覚が我々をして「人間」を感じさせたのだろう。

公平な描写

捕虜虐待などあらゆる行為を視覚的に均等に配分している。
それにより、善と悪との単純な二元論から映画は解放され、それまでの「戦争映画」としてではなく「人間映画」へと近付いてゆく。

★二宮和也

二宮和也の人間臭さ、生への執着についてはあらゆる批評家の指摘するところなので私は敢えてこれを省略する。
但し、この二宮和也には、あとでもう一度登場してもらうことになる。

★戦い疲れた者たちへの賞賛

最後、戦い終わった兵士たちが海岸に寝そべっている。

イーストウッドの一つの主題として「ダーティハリー4」「センチメンタルアドベンチャー」「目撃」「ミスティックリバー」(ここでは少女の死体という究極の戦士が死体置き場に寝そべっている)「ミリオンダラーベイビー」「父親たちの星条旗」、これ等の作品では例外なく、戦い終わった名も無き戦士たちがベッドなり担架なりに寝そべっていて、そこに決まって美しい光が当てられている。

この「硫黄島からの手紙」においてもその例に漏れず、戦い終わった兵士たちは上下の隔てなく担架の上に「横並びに」寝そべっている。その担架の上に寝そべっている戦士、二宮が次のショットで美しい「夕陽」を見つめている。

「寝そべる戦士」から「夕陽」へ、、この連なるモンタージュに何を想うか。

「ご覧、夕陽が沈もうとしている。戦いは終わった。君たちはよくやった。もうお休み。これ以上君たちが傷つく理由などどこにもないのだから。あとは、、、、、」

すべからく良い映画とは、常にこの「あとは、、」の物語を観客に放り投げる映画でもある。あとは我々が、僕が、彼女が、そして貴方が。「父親たちの星条旗」においても、バトンは父親から息子へと確かに受け継がれている。

こうして「個」の素晴らしさを描いたからこそ、我々は知らず知らずのうちに次の何かをイメージする。映画の中であらゆるものが闘争を続けている。

★これでいいのか

だが、これだけで良いのだろうか。こうした一連の「個」を描いた視覚でこの「硫黄島からの手紙」は、視覚的に「人間」を描いた映画だと言い切ってしまってよいのだろうか。

仮にこれだけでこの映画が「人間」を描けたのだとしよう。

だがそうすると、この二つの映画は「平地戦」でも構わないことになる。

確かにこの二つの映画の題名は「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」であり、一見すると「旗」と「島」の映画のようにも思えるし、事実「旗」と「島」の映画ではある。

だがこのクリント・イーストウッドの二本の映画をもう一度良く「視覚的に」想起してみよう。明らかにこの二本の映画は、硫黄島の戦いにおける「摺鉢山」という「山」の攻防を中心に描かれてはいまいか。米兵はまず摺鉢山を目指し、日本兵は摺鉢山を守る。穴を掘り「山」そのものの中に立てこもり、抵抗する。これは「山」の映画ではないだろうか。

★山

「山」とはなんだろう。

外から見た「山」と、内から見た「山」とで、「山」はその顔を異にする。マキノ映画で遠くから見た「山」は美景の極みだが、「山」の「内」は過酷な斜面となって人々を襲う。「山」とは「二面性」の局地であり、象徴ではないだろうか。

★「シン・レッド・ライン」

ここに「シン・レッド・ライン」という一本の傑作がある。

クリント・イーストウッドと何らかの形で心理的キャッチボールを演じ続けているであろうところの太陽の作家、テレンス・マリックが1998年に撮った、ガダルカナル島戦線を題材にした戦争映画である。米兵たちは船からボートに乗り換え、上陸し、「山」を目指してひたすら登り続ける。

さて、ここからが問題である。

「山」の上方では徹底的に抽象化され、顔の出て来ない日本兵たちが不気味に待ち受けている。彼等はトーチカの黒い影の中から上陸する米兵を狙い撃ちにする。米兵たちは混乱し、戸惑い、狼狽する。日本兵の顔は見えない。ここでは未だ「山」は「外」から描かれている。

だが米兵たちは命を削りながらも少しずつ山を登り続け、遂に「山」を征服する。するとこの辺りから突如日本兵たちの顔が具体化されて描写され始める。彼らの顔が白日の下にさらされ、泣き、叫び、命乞いをする彼等の姿が画面を覆い始める。それまでは「外」から描かれていた「山」が、突如「内」から描き始められる。

テレンス・マリックは、我々人間が社会で経験するところの「視点の二面性」というものを「山」に例えて描いてはいまいか。「山」の外側から入って来た米兵たちは、視覚的にも精神的にも次第に内へ内へと引きずり込まれ、そこに戦争の地獄を「見る」。

★二人の作家

「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」この二本は、テレンス・マリックからのバトンを引き継いだクリント・イーストウッドなりの映画的回答ではないだろうか。

「父親たちの星条旗」は「シン・レッド・ライン」の前半部分に呼応し、「硫黄島からの手紙」はその後半部分に呼応している。

「父親たちの星条旗」が「衛生兵」の映画であるとするならば、「シン・レッド・ライン」は担架係の映画である。どちらもが「癒す人」が「癒せなかったこと」について傷つき苦しむ映画でもある。

「シン・レッド・ライン」における米兵は「硫黄島からの手紙」と同じように日本兵の捕虜を虐待し、冷酷に扱っている。アメリカ側への感情移入を拒絶している。これもまた戦争ゲームでなく「人間」の映画である。

だが問題なのは、どちらもが見事に「山の映画」であるという視覚的事実である。

この時期に、二人の作家が同じように「山」を外から、そして内から描いている。まず外から「山」を描き、そこから「山」の内へ内へと、迫っている。

★「山を描く」とは

「山を描く」とは何か。
それは「山」の持つ二面性、すなわち「視点」ではないだろうか。

外から見た山と、内から見た山、そこには「二つの視点」がある。そしてそもそも「視点」とは、「見ること」という「視点」を持つところの「人間」が存在しなければまた有り得ない主観的な知覚行為である。

「山」とは極めて「視点」に左右される存在であり、「山」を描くということは、「視点」に翻弄される「人間」を描くことにも繋がってくる。「山」の「外」の人間と「山」の「内」の人間と。

「外」の人間は「内」へと入り込むに連れ、自分たちの持つ「一つの視点」と対峙し、向き合い、それを懐疑し、驚愕し、少しずつ「新たなる視点」を自覚してゆく。それを可能にするのは他ならぬ「見ること」である。「山」とは人間が「見ること」を通じて視点そのものと格闘する神聖な場所ではないだろうか。

同時にそれ自体が「見ること」という、「映画」というメディアそれ自体の主題とも戯れてはいまいか。

★見ることへの拘り

伊原剛は最後、何故わざわざ目隠しの包帯を取ったのだろう。彼は見えない目で何を見つめたのか。何故彼は傷ついた瞳を開けてまでして「見ること」に拘ったのか。

★二宮和也の涙

渡辺謙が自決する瞬間の僅か
10秒弱の持続した時間の中で、二宮和也の瞳から一気に涙が溢れ出したのは何故か。何故彼はここまで泣くのか。

ここでこの「硫黄島からの手紙」をもう一度良く思い出してみたい。すべての出来事に立ち会っているのはこの「二宮和也」ただ一人なのである。彼は紛れもなく「目撃者」なのだ。彼は「山」の内側を見た。「外」からでは決して見ることのできない、多くの見たくない「内」のものを見た。加瀬の死骸を「見た」。異様なまでに二宮は加瀬を「見つめ続けた」。渡辺の最期も「見た」、そして泣いた。敵艦隊の存在を最初に「見た」。彼は紛れも無く「見る人」なのだ。座ったまま死んでいる戦友を二宮は「見る」。どうやって「見た」か。わざわざ前に回り込んで「見た」。そして驚愕し、彼の瞳は傷ついてゆく。加瀬の死体をどうやって「見た」か。わざわざ隊列から離れ、近付いて「見た」のである。そしてまた彼の瞳は傷つきを増して行く。

クリント・イーストウッドは、あからさまに二宮和也をして「見ること」を要求している。見たくないものを「見ること」で二宮の瞳は傷つき、彼は何度も涙を流す。「見る」ということは過酷な試練でもあるのだ。彼は海辺の担架の上に横たえ、休息する。だが二宮はまだ眠らない。何をしたか。彼は寝そべったままの無理な体勢で首をこちらに向け、夕陽を「見た」のである。それが彼のラストショットだ。最初から最後までこの映画は決定的に「二宮は見た」で貫かれている。

★明日に向かって

二宮は「見た」。彼はボロボロになりながら最後まで「見た」。まるで「代表者」のごとき責任を持って最後まで見届けた。だからこそ彼は死なない。目撃者には「見たこと」を受け継いでゆく義務があるのだから。そうしてバトンは我々の世代へと手渡されてゆく。

★「見ること」の困難な時代だからこそ

これは「戦争」の問題ではない。「映画」の問題である。「映画」における、或いは人類における「見ること」の現代的問題でもある。だからこそ、それは遡って「戦争」の問題ともなるのである。

ジャン=リュック・ゴダールは言っている「人々は自分の目を、見ることではなく読むことに使っている。人々は今に見ることができなくなるだろう(映画史Ⅱ326)」。

そうした中で「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」この二本は、「見ること」を忘れた我々に対して、たとえ瞳を傷つけてでも「見ること」を要求する現代的映画なのだと、私は今、反省の意味を込めて静かに感じている。この映画は傑作である。

靄のかかった山、露出やフィルムによってボカされた画面、人間の顔の半分にしか当てないローキイの照明、こうしてクリント・イーストウッドは「見るな、見るな」「嘘だ、嘘だ」と、このフィクション映画の、夢のようにボカされた画面の虚構性について幾度も警告しておきながら、主題論的には「見ろ、見ろ」と強く「見ること」を我々に対して語りかけてくる。

このような二重性を映画に持たせること自体、驚愕の境地と言うしかない。おそらくこの「硫黄島からの手紙」は、30年後には神話になっているだろう。

クリント・イーストウッドは「父親たちの星条旗」においてもまた「写真」というものの持つあやふやさを、現代社会における「見ること」への問いかけとして描いている。

そしてその「見ること」を問いかけて止まないのは、他ならぬ「山」なのである。「山」もつ視点の多様性が我々をして「見ること」の義務へと駆り立てるのだ。「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」この二本の映画は紛れもなく「山」の映画である。

★山なくして

私はもう一度問う。仮にこの硫黄島に「摺鉢山」という「山」が存在しなかったとしたならば、クリント・イーストウッドはこれを「二本の映画」として撮っただろうか。

「NO」だ。
絶対に有り得ない。

「戦争を公平な視点から描きたかった。だからこそクリント・イーストウッドは二本の映画を撮った」。この思考回路は映画的には決定的に間違っている。そうではない。クリント・イーストウッドはこの「摺鉢山」の「山」を見た瞬間、「これは二本の映画になる」と確信したはずなのだ。「山」の持つ「視点」の多様性と、「映画」というメディアの持つ「見ること」の現代的主題とを戦わせてくれるのはこの「摺鉢山」しかない、これがクリント・イーストウッドをしてこの二本の作品を撮らせた動機であると私は確信している。

ここには「映画的政治」という素晴らしい視覚的細部への欲求が断固として存在するのだ。

「硫黄島からの手紙」と「父親たちの星条旗」は「山の映画」である。だからこそ「硫黄島からの手紙」と「父親たちの星条旗」は「見ること」の映画であり、従ってそれは「人間の映画」である。私としては、こういう思考回路で映画を見つめていたい。何よりも視覚的に画面を覆いつくしているのはほかならぬ「山」なのだから。

「硫黄島からの手紙」のラストショットが「摺鉢山の全景」なのも、それと無関係ではないはずだ。

★終わりに

最後に、クリント・イーストウッドが知らないことはまず有り得ないであろうところの、映画史における有名な格言を引用してこの批評の終わりにしたい。

「まず山を撮りたまえ。さすれば君は、人間を撮ることができるだろう」エルンスト・ルビッチ。

映画研究塾 200612月14日