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映画批評・STING大好きの部屋

「フライトプラン」ロベルト・シュベンケ(2005) 2006.10.20

この映画の素晴らしさは「98」という数字に集約されている。無駄の無い動きと見事な視点、静止すべきところで静止するキャメラ、持続すべきところで決定的に持続するショット(おそらく1時間平均600700ショット程度に抑えている)、クローズアップを最小限に抑えつつ、外面から内面へ、心理から状況へと意味ある動きを繰り返しながら、この狭い飛行機の中を縦横無尽に動き回るキャメラは、周り込み、回転したあと、そこには必ず意味のある画面が見事な構図と人物の配置によって提示されている。このような画面上の映画的素晴らしさは、私のようなバカでも見れば一発で分かるのでこれ以上は続けないが、脚本について言うなら「バルカン超特急」のかくれんぼと、「救命艇」の密室とを合わせながら、しかしピーター・サースガードが、映画半ばですべての秘密をぶちまけたとき、それはあたかもキム・ノヴァクが中途、手紙でミステリーをばらした「あの映画」のように、「ミステリー」から「サスペンス」へと画面は転換され、その二層的物語の構造にわれわれは思わず「めまい」を催すのである、というように、この脚本家は、映画界では不治の病と言われている「ヒッチコック病」に侵されている(ナンマイダ)。前作の「タトゥー」の素晴らしさが少しも損なわれず、特に選択される視点と距離との関係の透明感は天性のものと言うしかない。相変わらずの機械的な爆発音や、あの窓のハート模様への照明の当て方など、もっと劇的に出来ただろうし、他の乗客に対するフォスターの孤立のさせ方などヒッチコックの足元にも及ばないが、しかしあのアラブ人乗客の扱い方などに、このチームの悩みと同時にテーマの現在性とが露呈しているのは見ての通りだし、娘のために400人をパニックにしてやれる母の姿こそ映画として輝いている。脚本の論理的整合性なる、どうでもいい小説的見地ではなく、可視的な映画的運動に集中し、ひたすら「探す」という行為のあやふやさと、「信じること」の美しさとを画面の上に露呈させ、心理ではなく行動で楽しませてくれたこのロベルト・シュヴェンケを、私はこの段階で支持しておきたい。この人はメジャーになる。仮にドイツの香りを身に付けたならば。

映画研究塾 200610月20日