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STING大好きの部屋 映画批評.映画レビュー

空中庭園(2005)豊田利晃 20069月1日

ヒッチコックが「円の作家」であることは知られている。「めまい」でキスをする二人の周りを回るキャメラ、「汚名」、「白い恐怖」での繰り返される円の動き。ヒッチコックは円運動で我々をサスペンスへと引きずり込む。「円とは混沌の象徴である」と、かの歴史的なドイツ映画の著書「カリガリからヒトラーまで」の中でクラカウアーは言っている。ドイツ映画の影響を強く受けているヒッチコックにとって、「円」とは「混沌」であり、「めまい!」なのだ。丸いランプシェードの周囲を回転して始まるこの「空中庭園」は、丸いテーブル、丸い食器、丸く切られた食材、ラブホテルの回転する丸いベッド、丸い観覧車、丸い月、そして丸いバースデーケーキを乗せた丸テーブルの周囲を回る(見事な照明による)回転移動と、まさに円の満干全席で画面を覆い尽くしている。この映画のひとつの主題が「円」であることに異論はないだろう。だが「混沌」と同時に円は「円滑」の円であり、日本では「和」として尊ばれる「融和」の円でもある。少女時代の不幸な体験から日本的な「円」(家族の和)を欲しがる小泉は、逆にキャメラと事物の円運動によって振り回され、ドイツ的「混沌」へと迷走してゆく。あの丸い食器の数々を見ただけで、小泉の「欲しがる」思いが痛ましいほど伝わって来る。小泉は紛れもなく、表面的な円運動のかもし出す見せかけの和の中へと逃避しているのだ。しかし終盤、バスの中で、キャメラが板尾創路へと接近するその時、それまで優柔不断であった板尾が、ここで初めて「愛がなくてやってられるかい!」と小泉への愛を吐露する。ここで私の体を打ち抜いたのは、その台詞の中身ではなく、その時のキャメラのその接近が、それまでの「円」運動とは似ても似つかぬ、この映画で最初で最後の、高速で力強い「直線(垂直)」運動であったという驚きであった。豊田はたった一度の「直線」運動によって「愛」という「一点」を突き刺したのだ。欲しい欲しいと円の中へ逃避する小泉に「欲しければ奪い取れ!」と直線で突き刺すキャメラの力。この瞬間、映画は混迷に終止符を打ち、円運動への逃避から解き放たれた小泉は、合鍵のない玄関のドアを、希望に賭けて自分の手で切り開くのだ。映画的な、あまりに映画的な、絵里子の愛の物語である。

映画研究塾 20069月1日