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藤村隆史・映画のはしりがき~2025.5.25

自分を疑いつつ、いかに自分を信じられるか、それが批評の興り。5.31

スポーツはキャメラを動かすと物語が撮れ動かさないと運動が撮れる。おそらく、それはスポーツに限られないだろう。5.31

批評家は作家を発掘できても成長させることはない。5.31

マクガフィンが弱いと運動は物語に絡めとられる。強いほど、荒唐無稽であるほど、バカバカしいほど、運動は自由になる。5.28

YouTubeのサッカーのダイジェストには「はしっこ」しかない。5.27

批評がなくても映画は困らない。困るのは批評家だけ。5.27

物語はちょっと語り足りないくらいがちょうどいい。語り満たされると神話になりベストテンに入れられ共感のシンボルとなる。5.26

論文を出す時はいつも夢のような感覚に支配される。決して出されることはないものが出てしまうから。5.25

ひとはアリストテレスと呼び捨てにできてもハスミとは呼び捨てにできない。テクストとコミュニケーションしていないからだ。5.18

ひとはありもしないアウラを求めて批評を書く。映画の死へ突き進む 5.17

多くの場合、主演の女優よりもエキストラや侍女たちの方が美しい。モーションピクチャーは美しさを競うメディアではないからだ。5.11

感動は批評を窒息させる。5.11

感傷的なのは大嫌い、とジャン・ルノワールが語るのは彼が感傷的な人間だからだ。2025.5.10