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D・W・グリフィス(D.W. Griffith)視覚的細部表1908年~1909年     2025年9月藤村隆史

         


 

すべてYouTubeで視聴可能。公開順でなく製作順。題名。日本で公開されている作品はその公開名を先に記し未公開作品は原題を先に書き邦題は筆者による。封切日。(1910/1911.1.1)とあれば、製作は1910年、封切は翌年の1月1日、ということ)。封切日の()は製作国以外で封切られた都市。
★YouTubeでの検索は原題の次に製作年(1908)などを入れるとヒットしやすい。

正面(人物が映画内でキャメラを正面から見据えたショットの数。ちらちらとはキャメラを正面からではなくそれとなくちらちら見ていること。ここで紹介されている映画はYouTubeで見られない作品もある

左から→1ショットの秒数  1時間のショット数  総ショット数  上映時間 

時系列か、1シーン1ショットか 

あらすじ

視覚的細部

グリフィス初の~、ないし、グリフィスの「起源」とは、私の見ている範囲でのこと。

撮影は指摘のない限りG・W・ビッツァー。
内側からの切り返し・外側からの切り返し・クローズアップの数・平行モンタージュあるなし
(原)は原初的
  1908年の出来事    
1908 ドリーの冒険
The Adventures of Dollie
 7.18
撮影場所 コネチカット州、ニューヨーク州サウンドビーチ
なし
★リンダ・アーヴィドソン(Linda Arvidson)
スウェーデン人の両親のもとに生まれる。舞台で出会ったグリフィスと1906年に結婚しているがバイオグラフ社には内緒にされていた。グリフィス初期の短編に多数出演している。グリフィスとは1912年に別居し36年に離婚。1949年7月26日死去。
アーサー・ジョンソン(Arthur V. Johnson)。シンシナティ出身。1905年エジソンスタジオで俳優としてデビュー、1908年バイオグラフ入社、グリフィス監督デビュー作「ドリーの冒険(The Adventures of Dollie)」(1908.7.18)の父親役以来グリフィス短編を支える。1911年フィラデルフィアのルービン社へ移籍。1916年1月、結核により40歳で亡くなる★チャールズ・インスリー(Charles Inslee)。ニューヨーク生まれ。1908年から1909年の中頃までグリフィス映画に出演、この作品のような悪役、インディアン(「THE ZULU’S HEART(ズールーの心)」(1908.10.10)、「THE CALL OF THE WILD(野生の叫び声)」(1908.10.31))など幅広い役をこなす。「At The Alter(祭壇にて)」(1909.2.20)では比較的鮮明な状態で彼を見ることができる。1921年まで男優として活動。グリフィス作品出演のほかチャップリン、ロイドとも共演。22年死去。
脚本スタナー・E・V・テイラー(Stanner E.V. Taylor)。マリオン・レナードと結婚する。
グラディス・イーガン(Gladys Egan)。マンハッタン生まれ。1908年バイオグラフの子役として出演、子役として1914年まで舞台と映画で活躍。1985年3月8日死去。84歳。
55   65  13  12 1シーン1ショット。時系列。女(リンダ・アーヴィドソン)に押し売りを断られたジプシー(チャールズ・インスリー)が彼女のバッグを盗もうとし駆けつけた夫(アーサー・ジョンソン)に殴られて逃げ帰り、怒ったジプシーは夫婦の娘(グラディス・イーガン)を誘拐して馬車で逃げる時に娘を隠した樽が川に転げ落ちて漂流する。
D・W・グリフィスの処女作。
■字幕なし 字幕についてはあとからなされる回顧上映版などを作る時にカットしたり挿入したりされる可能性もあることからここではひとまずYouTubeで見られる版についての言及に留める。
■第一ショット
★ショット内モンタージュ 陰影に包み込まれた森の中の小さな階段を少女(グラディス・イーガン)が駆け下りて走って来る。奥から手前へ走って来る運動(ショット内モンタージュ)によってD・W・グリフィスは始まっている→「ラ・シオタ駅への列車の到着(L'arrivée d'un train en gare de La Ciotat)」(1895)
★落とすこと 娘を抱き上げる時、夫は持っていた包みを不意に落としている。落とすために持たれているこの包みこそD・W・グリフィスのマクガフィン第一号となる。ほかのことに夢中で持っているものを不意に落とすことにより「常習犯」における衝動的運動が撮られることになる。その「起源」が撮られている。
★キャメラの横を通り過ぎること  母と娘がゆっくりとキャメラの横を通り過ぎてこの第一ショットは終わっている。キャメラの横を通り過ぎることは現在においてもあらゆる映画の基本として撮られ続けている。
■評 記念すべき第一ショットにおいてショット内モンタージュとキャメラの横を通り過ぎることという、映画史上極めて重要な出来事が撮られている。
▲平行モンタージュなし。すべてのショットが時系列で撮られている。
グラデーション・ヌケ  基本的に白と黑しか出ない初期映画は事物をはっきり見せるため(ヌケ)、衣装、装置、動物(ここでは白い馬)などスタッフの創るもろもろの出来事や役者の大きな演技などの他に、土、水、炎、煙、木々などの自然現象を人間の目に見えない光、風と関係させることで人間が創り出すことの出来ない明暗、濃淡、揺れ、起伏などの運動を現わすようになる。白と黑しか出ないフィルム的限界が運動を導いている。樽がひたすら流れる運動はキラキラ光ってはその都度消えてゆく水面の波紋と波しぶきにより「ヌケ」ることで現わされている。撮られているのは『美しい風景』ではなくひたすらの運動である。以下、このような自然現象による「ヌケ」が目指された出来事をまとめて「煙」として検討する。
■煙 ジプシーのたばこ。疾走する馬車が地面の埃を撒き散らす。波紋(馬車が川を横切る時)。ここに、たばこ(馬車)は煙を撒き散らすため、というマクガフィン的回路が初期映画の限界から生まれることになる。
★マクガフィン 樽は人を入れて川を流れてゆくため、というマクガフィンを大胆に使っている。
■ひたすら流れること  樽が馬車から落下して川を流れ滝を転げ落ち、さらに流れ流れて釣り人に拾われるまでに全13ショットの短編の6ショットを費やしている。ただひたすら「水の上で流されること」をサスペンスとして撮っている。この時期、こういう撮り方をする作品は珍しい。
■省略されていること ジプシーの逮捕が撮られていない。その代わりに河を流れる樽を6ショット撮ることを優先させている。短編の限られた時間においては何が撮られているかと同じように何が撮られていないかが重要になる。
■1シーン1ショットか 樽が川を流れるすべてを1シーンとした場合、1シーン6ショットで撮られていることになるが、1シーンとは同一のコミュニケーション空間におけるシーンとすることとし、例えば瀧から樽が落下するシーンであればその同じ空間をアングルを変えて数ショットで撮るならば1シーン数ショットとなる。ここでは同一空間はすべて1ショットで撮られているので1シーン1ショットとする。
■同じ場所は同じ構図で撮られている。川べり、ジプシーの馬車。オープニングとラストシーンが同じ場所の同じ構図で撮られている。グリフィスの初期映画は中抜きで撮られているため同じ場所は同じ構図で撮られるのは当然のこととしてある。詳しくは「AN AEFUL MOMENT(ひどい瞬間)」(1908.12.19)。
■気づかないことにする 娘が誘拐される時、娘の真後ろのジプシーに娘は気づいてしかるべきところを気づかない。初期映画は固定されたキャメラで正面から1シーン1ショットのロングショットで撮られているためにキャメラのアングル等によって隠れる場所を空間的に創出することができず、その代わりに人物の視界を限定させ『気づかないことにする』ことで人が隠れる場所を創り出している。以降、こうしした約束事は長きにわたって受け継がれることになる。
■隠れること 樽の中に誘拐された娘が隠されている。人が隠れる時、『気づかないことにする』か、そうでなければ樽のように物理的に中に入って隠れることになる。
■追っかけ 斜面を子供を抱いてキャメラの横を通り過ぎて逃げるジプシーとそれを追いかける父親たちが1ショットで撮られている。父親には加勢が加わりみんなで追いかけている。追っかけについては「BALKED AT THE ALTER(祭壇に吠えた)」(1908)を参照。
■ショット内モンタージュと落下
樽が川へ落ちた後、3ショット、遠くから樽が接近してくるまでをショット内モンタージュで撮っている。もう1ショットは樽が滝を落下するショットが撮られている。
■泥棒はナイフを逆手に握っている 機能的な順手の握りではなく反機能的な逆手によってナイフを握るのは順手で垂直に刺すよりもヒッチコック「サイコ(PSYCHO)」(1960)のバスルームの殺人のように逆手に握って上から振りかざす方が運動感がありアクションが分かりやすい。特にグラデーションの乏しい初期映画においてアクションの大きさはフィルムの「ヌケ」を実現するためにも重要となる。
■ラストシーンで流れついた樽の中にほんとうに女の子が入っているという「スタント」を実行している。
■幌馬車が川に樽を落として行くショットはジョン・フォード「駅馬車(STAGECOACH)」(1939)で馬車が川を渡る時の構図とよく似ている。
■善と悪 物売りのジプシーは確かにしつこく壺を売ろうとしているが断る女もそれなりにジプシーを邪険に扱っている。父親もジプシーを殴り倒しており、必ずしも善悪をはっきりと区別しているようには見えない。
■巻き込まれ運動  少女にとっては巻き込まれ運動、父親にとっては人間的「常習犯」が撮られている。
■帰郷 少女が帰って来ること
■キャメラの横を通り過ぎる 4ショット。
0-0-0-なし
ショット内モンタージュ
落とすこと
キャメラの横を通り過ぎる
1シーン1ショットとは何か
同じ場所は同じ構図で撮られている。
追っかけ 
みんなで追いかける
落下
グラデーション
「駅馬車」(1939)
気づかないことにする。
隠れること
ナイフを逆手に握っている

善と悪
省略
1908 The Black Viper
黒い毒蛇
ウォレス・マカッチョン・ジュニア・DW・グリフィス共同監督
 7.21
なし
ジョージ・ゲブハート(George Gebhardt)。スイス生まれ。1908年からヴァイタグラフ作品に出演しグリフィス映画の常連となる。1922年まで120本以上の映画に出演。1919年5月2日死去。
28  126  21 10 時系列。女を襲った男(ジョージ・ゲブハート)は女を助けて邪魔をした男(エドワード・ディロン)を逆恨みして誘拐するが女が助けを呼んでみんなで救助に向かう。
■字幕なし
★この作品については共同監督であることからもしばらく先を読んでから読み返すこと。
▲平行モンタージュ
①序盤、誘拐犯たちのあじと→路地を歩いている2人(ジョージ・ゲブハートと女)へとつながれている。時系列的であり、また1回しかカットバックされていないので平行モンタージュではない
②その後、誘拐現場→助けを呼びに行く女へとつながれている。これも時系列的であり、1回しか平行モンタージュされていないので平行モンタージュではない。
●切り返し
①崖の上から石を投げ落とす凶悪犯たちとその下で石をよけている救出チームとのあいだは、7ショット内側から切り返されそのまま終わっている。物の落下=上下空間の切り返し。上下空間を交互に撮ることは視線が交差することで空間につながりがある限り平行モンタージュではなく切り返しとなる。崖の上から石を投げている者たちは崖の下の者たちを視線で確認していることから隣接関係にありコミュニケーション範囲における交互のショットなので平行モンタージュではなく切り返しとなる。この時期、上の者が下の者に石を投げ落とすような時、同一空間の1ショットの内部で同時に撮るしかなくカットを変換するという発想がなかった。一見何の変哲もない出来事だが、上と下とに2つにカットを割って撮られたこのシーンは重力は別としても形式としては同じ地上に存在するAからBへ石を投げるのと同じことが撮られているのであり、それがグリフィスの作品で最初に撮られるのは「WHEN A MAN LOVES(男が愛する時)」(1910/1911.1.7)まで待たなければならず、また上下の切り返しについては「THE GIRLS AND DADDY(姉妹とパパ)」(1909.1.30)で初めて撮られていることからすれば、ウォレス・マカッチョン・ジュニアとの共同監督で撮られたと言われるこの作品における上下空間における切り返しは極めて洗練されていて画期的である。
ただし上から下へ石を投げ落とすこの撮影は同一画面に収めて撮ることは危険であり別々に撮らざるを得ない状況であることからすればこの切り返しは結果として生まれたものであるかも知れない。
②山小屋に火をつけている者たちと屋根の上で格闘している者たちとのあいだは、1ショット内側から切り返されそのまま終わっている。これも上下の切り返し。 
■グリフィス単独監督ではないことからひとまずこの作品はグリフィスの時系列における検討としては番外編に留めておく。それくらいこの上下の切り返しはこの時期のグリフィスとして少々出来すぎている。
▲平行モンタージュなし。「追っかけ」は1シーン1ショットで撮られている。
■路地は斜めの構図
■ナイフを逆手に握っている。
■犬が出て来る 誘拐する現場で
■煙 たばこ、落下する石の砂埃、火事
■キャメラの横を通り過ぎる 4ショット
8-0-0-なし
上下の切り返し
火事
1908 Deceived Slumming Party
騙されたスラム街のパーティ7.31
撮影場所ニューヨーク市
エドワード・ディロン(Edward Dillon)。ニューヨークに生まれる。舞台出身。1905年ウォレス・マカッチョン・シニア「ニヒリスト」に出演しているが1908年に舞台から映画に専念、ウォレス・マカッチョン・シニア、グリフィスの作品などに出演。監督にも進出し140本前後の作品を撮る。グリフィスでは
「A CALAMITOUS ELOPEMENT(悲惨な駆け落ち)」(1908.8.8)の猟師役、「THE FUGITIVE(逃亡者)」(1910.11.5)の北軍兵役などが大きな役。1933年7月11日ハリウッドで死去。60歳。
84  43  5  7  チャイナタウンに観光にやって来た観光客(お上りさん)たちを詐欺師(エドワード・ディロン)が案内し予め待ち構えていた詐欺師集団が行く先々で偽りの演技をして観光客たちから金を巻き上げる。ジョージ・ロイ・ヒル「スティング(THE STING)」(1973.12.25)の「起源」のような作品。
■字幕なし
■飛び入りの「起源」。観光客がバスに乗るシーンは通行人たちが見ている。
■リメイク 機械の中に犬を入れてソーセージになって出て来る(この作品では出て来るシーンは撮られていない)という作品はルイ・リュミエール「La Charcuterie mécanique(機械的な肉屋)」(1895)、アリス・ガイ「Chapellerie et charcuterie mécaniques(機械的な帽子と肉屋)」(1900)、エドゥイン・S・ポーター「Dog Factory(犬の工場)」(1904.5)などによって撮られている。
■煙 排気ガス、銃、
■逆手 女が自分の胸を刺す時、ナイフを逆手に握っている
■人間運動 詐欺師たちの。
■キャメラの横を通り過ぎる なし
0-0-0-なし
飛び入りの「起源」
1908 A CALAMITOUS ELOPEMENT
悲惨な駆け落ち8.8
ちらちら
ハリー・ソルター(Harry Solter)
ボルチモア出身。1920年に亡くなるまでフローレンス・ロレンスと結婚している。1920年3月2日死去。
68.5  52.5  7  8 1シーン1ショット。時系列。父親(チャールズ・インスリー)に交際を禁じられた娘(リンダ・アーヴィドソン)は恋人(ハリー・ソルター)と駆け落ちをするため荷物を持って梯子で2階から降りてきたところを警官に泥棒と間違われて逮捕されその隙に本物の泥棒(ジョージ・ゲブハート)に持ち物を盗まれる。警官D・W・グリフィス。
■字幕なし
■斜めの構図 路地は斜めから撮られている。この時期のロケーションで斜めの構図は基本となる。逆に室内は固定されたキャメラで正面から撮られその代わりに壁が斜めに造られている。キャメラが部屋の中に入り込むことができずロングショットで正面から撮ることしかできない初期映画の室内撮影では家の中の壁を斜めに造ることでドア、窓などの出入り口が正面から見えるように撮られている。しかしロケーションにおいてはキャメラを置く場所は室内に比べて自由なのでより多くのものを見ることができる斜めの構図によって撮られている。キャメラが室内に入り込むことができないという限界はあとあとまで初期映画の進化に立ち塞がる壁となる。
■煙 たばこの煙、パウダー。
■隠れること 泥棒がトランクの中に隠れている。
■マクガフィン 駆け落ちという恋愛運動を『梯子を掛けて二階から降りて来て泥棒と間違われ警官に捕まること』という運動のマクガフィンとして利用している。
■鏡 ホテルの部屋で泥棒が鏡で自分を見て驚いているが映ってはいない。初期映画においてはキャメラが室内に入り込むことができないことから鏡の角度を調整することはできず物語に合わせて鏡に人を反射させることはできない。
■省略されていること カップルと父親とのその後の関係、結婚。泥棒の逮捕。
■巻き込まれ運動 駆け落ちカップルは自らの意志で駆け落ちをしていながら知らない内に巻き込まれている。スラップスティックコメディは巻き込まれ運動となるケースが多い。
■スラップスティックコメディ。泥棒が隠れて中に入っている大きな鞄を廷吏のロバート・ハーロンが階段で転んで転げ落とすなど。
■キャメラの横を通り過ぎる 2ショット。
0-0-0-なし
スラップスティックコメディ
斜めの構図
たばこの煙
鏡に驚く
1908 THE FATAL HOUR
運命の時
8.22

撮影場所 ニュージャージー州フォートリー
マリオン・レナード(Marion Leonard) シンシナティ生まれ。ライブシアターでキャリアを始める。1908年バイオグラフに入社しウォレス・マカッチョン・ジュニア「At the Crossroads of Life(人生の岐路に立つ)」(1908.7.3)で映画デビュー。その後グリフィス短編の常連となりフローレンス・アウアー、フローレンス・ロレンスと共に『バイオグラフ・ガール』として売り出される。1911年夫のスタナー・E・V・テイラーとともにジェム・モーション・ピクチャー・カンパニー(Gem Motion Picture Company) 設立。1915年映画界から引退。1956年1月9日死去。55歳。 15  240  8  2  YouTubeで2分弱見ることが出来る。白人女性奴隷売買の一味の男(ジョージ・ゲブハート)に時計の文字盤を使った拳銃の時限装置を仕掛けられたまま柱に縛られた女刑事(マリオン・レナード)を救出するために警官たちが馬車で現場へ向かう。
1シーン1ショットだが時系列ではない。
救出のクロス・カッティング(平行モンタージュの一種)の「起源」家の中で縛られて猿ぐつわをかまされた女刑事を警官二人が白馬の馬車に乗って救出に向かう。ここで画面は馬車→女刑事→馬車(同じ時間にある離れた空間をクロスさせているのでこの時点でクロス・カッティング成立)→女刑事→馬車→警官たちが女刑事の家に窓から突入し救出、とショット転換されてゆく。デビュー後まもなくグリフィスは洗練されたクロス・カッティングを撮っている。しかしこれによって即クロス・カッティングが根付くことはなく次にクロス・カッティングが撮られるのは翌年「THE CORD OF LIFE(命綱)」(1909.1.23)まで待たなければならない。
■路面電車 遥か遠くから続く線路でこちらに向けて走って来る
■煙 路面電車の蒸気、爆発
■キャメラの横を通り過ぎる 4ショット。僅か2分弱のフィルムで馬車が4回猛スピードでキャメラの横を通り過ぎている。
0-0-0-あり
クロス・カッティングの「起源」
平行モンタージュと初期映画
キャメラの横を通り過ぎる
1908 BALKED AT THE ALTER
祭壇で思い止まる
8.29

撮影場所 ニュージャージー州フォートリー
ちらちら 49  73  11  9   1シーン1ショット。時系列。結婚適齢期を逃した女(メイビル・ストートン)の父親に銃で娘と結婚しろと脅かされた男が結婚式で逃げ出しみんなで追いかける。
■字幕なし
「追っかけ」。映画初期のサイレント映画では、逃げた者はみんなで追いかける、という現象がよく撮られている。遠くからキャメラへ向かって人が走って逃げて来てキャメラの横を通り過ぎてゆくと、しばらくして遠くから彼を追いかける人々が画面の中に入って来てキャメラへ向かって走って来てキャメラの横を通り過ぎてゆく、、というのを延々と1ショットで撮るのが映画初期における「追っかけ」の撮り方。1シーン1ショットの精神であり逃げる者と追う者とをカットを割って撮る『追っかけ平行モンタージュ』(「SWEET AND TWENTY(美しい二十歳)」(1909.7.17)参照)とは異なる。
■みんなで追いかけること 追っかけは多くの場合、1人ではなく多人数で追いかけることを常としている。
■キャメラの横を通り過ぎる 4ショット。追っかけはキャメラの横を通り過ぎる運動と直結している。この作品では追っかけの最中、4回キャメラの横を通り過ぎ、その内3回は走ってキャメラの横を通り過ぎている。
■ショット内モンタージュ さらにキャメラの横を通り過ぎる運動は遠くから人が逃げて来てキャメラへと接近してその横を通り過ぎまた遠くから人が追いかけて来てキャメラへ接近しその横を通り過ぎるというショット内モンタージュとも直結している。
追っかけ=キャメラの横を通り過ぎる=ショット内モンタージュは融合し、追っかけでなくともキャメラの横を通り過ぎる運動とショット内モンタージュとは融合している。
■クローズアップ ショット内モンタージュはキャメラの前で静止ないしそれに近い状況になるとクローズアップへと発展することになる。ゴダール「アワーミュージック(Notre musique)」(2004)におけるオルガのショット内モンタージュからクローズアップへの接近はゴダールの遺作(ではなかった)「ジャン=リュック・ゴダール/遺言 奇妙な戦争 奇妙な戦争」(2023)にも引用されている。
■障害物競走 ここでの追っかけは、窓から飛び出る、柵を乗り越える、、斜面を駆け下りる(転げ落ちる)、木によじ登る、といった「障害物競走」と融合し、また人にぶつかったり転んだりすることでスラップスティックコメディと融合している。
■職業運動と巻き込まれ運動
「追っかけ」は「追いかけること」と「逃げること」とをその主要な運動とするが、追っかけは刑事が犯人を追いかける、というスキル型職業運動と、この作品のような結婚式の参列者が新郎を追いかける、という職業的スキルを有しない者たちがひたすら「逃げること」と「追いかけること」をする巻き込まれ運動へと枝分かれしてゆく(これについては次回の論文で検討)。職業運動は「捕まえること」が目的となり巻き込まれ運動は「追いかけること」「逃げること」が目的となる。職業運動は逃げる方は本職の泥棒などであり追いかける方も熟練した警官たちとなるが、巻き込まれ運動は逃げる方は子供とか馬とか犬になり、追いかける方も警官、保安官などは除外され、この作品のように結婚式の参列者たち、犬、などとなり、仮に警官であっても「捕まえること」を放棄した滑稽な警官たちとなる。その「起源」に近いのはウォレス・マカッチョン・シニア「PERSONAL(交際欄)」(1904.8.8)であり今後の論文で検討する。
■マクガフィン 職業運動における「追いかけること」=「逃げること」を起動させるマクガフィンは「泥棒すること」であり、それによって「泥棒した」→「よって刑事が追いかける」という常識的因果関係によって運動が起動するが巻き込まれ運動の場合、この作品のように「逃げること」を起動させるマクガフィンは「結婚すること」などとなり、「結婚」→「逃げること」という因果的連関から逸脱した荒唐無稽の流れとなりそれがばかばかしさとなって笑いをもたらす。→「キートンのセブン・チャンス(SEVEN CHANCES)」(1925)
■犬 犬も一緒に追いかけている
■ラストシーンだけ異質のショット ウエスト・ショットの「起源」 ラストシーンが背景を暗くした女のウエスト・ショットで撮られている。当時、「大列車強盗(The Great Train Robbery)」(1903.12.7)のようにラストシーンだけ近景から異質のショットが撮られる傾向が見られている。
■フェイドアウトの「起源」 ラストシーンがフェイドアウトして終わっている。
■書き割り セットの背景が
■土煙 斜面を駆け下りる時に地面から
■巻き込まれ運動 スラップスティックコメディの典型的な巻き込まれ運動が撮られている。
■キャメラの横を通り過ぎる 4ショット
0-0-0-なし
「追っかけ」
キャメラの横を通り過ぎる。
ショット内モンタージュ
みんなで追いかけること
職業運動と巻き込まれ運動
追っかけとマクガフィン
フェイドアウト
ウエスト・ショットの「起源」
フェイドアウトの「起源」
ラストシーンだけ異質のショットの「起源」
1908 BETRAYED BY A HANDPOINT
手形に裏切られた 9.5
ちらちら
フローレンス・ロレンス(Florence Lawrence、カナダ系アメリカ人)、母親と共に舞台に出る。1906年映画デビュー、同年12月、エジソン社で「Daniel Boone(ダニエルブーン)」に娘役で出演、1907年ヴァイタグラフ入社、一時的に舞台に戻ってから1908年ヴァイタグラフへ復帰、同年、ジェームズ・スチュアート・ブラックトン「Romeo and Juliet(ロミオとジュリエット)」(1908.6.6)でハリー・ソルターと知り合い結婚、バイオグラフへ移籍、グリフィス「THE GIRL AND THE OWTLAW(少女と無法者)」(1908.9.12)で初出演(未確認)。1909年、カール・レムリのIMPに引き抜かれる(8月か9月頃。解雇されたという説もあり))。レムリは彼女が市電にひかれて死亡したと偽の記事を流してから再登場させてメディアを沸かし映画スター第一号に仕立て上げる。ロレンスは「千の顔を持つ少女」で知られるようになる。1912年夫のハリー・ソルターと共に独立、ニュージャージー州フォートリーにヴィクタースタジオ設立。1915年撮影中に火傷を負いその後は再発に苦しむ。1938年12月28日死去。52歳。
39  93  17  11 時系列。パーティのカードゲームで大負けした女(フローレンス・ロレンス)が手相占い師(ジーン・ゴーンティア?)の部屋に忍び込みネックレスを盗んだところ、占いのために押した手形が現場に残した手形と一致したため占い師に見破られるが占い師は女に金をやり解放する。
■字幕なし
■1シーン2ショット クローズアップがあるので1シーン1ショットではないが時系列ではある。
■1シーン2ショットか フローレンス・ロレンスが窓から侵入するシーンとまた戻るシーンが窓の外からと内から撮られているが、外と中との別空間なので窓の外で1シーン1ショット、家の中で1シーン1ショットとなり、結局1シーン1ショットとなる。これについては初期短編映画におけるジェームス・ウィリアムソン「Fire! (火事!)」(1901)、エドゥイン・S・ポーター「アメリカ消防夫の生活」(1902)において同じようなカッティングがなされている。
グリフィス初のクローズアップが石鹼とその中にネックレスを隠す手のクローズアップで生々しく撮られている。もう一つは手形のクローズアップ。
原初的寄る・引くとは
この2つのクローズアップは背景が暗くその前のショットと画調が違うことから現場でキャメラが寄って撮られたものではなく別の場所で撮られたクローズアップをあとから挿入ししているように見える。今後、別の場所で撮られていながら現場で事物に寄ったり引いたりして撮られた体裁のクローズアップを『原初的寄る・引く』として検討する。「原初的」とは固定されたキャメラで正面から1シーン1ショットのロングショットで撮ることしかできない初期映画の限界から、キャメラを寄る、引くことがシステムとして根付いていないこの時期に、キャメラを寄った、引いた、ような体裁で撮られている、という意味合いにおいてである(明らかに別に撮られている手紙のクローズアップなどは除く)。
■分離 手形は占いのためではなくフローレンス・ロレンスという人間の犯行を証拠立てるマクガフィンとしてあり、その分離物がクローズアップで撮られている。分離の「起源」
■気づかないことにする ベッドの中の占い師の女は隣で泥棒をしているフローレンス・ロレンスの存在に気づいて然るべきところを気づいていない。
■フローレンス・ロレンスが寝間着姿で壁を伝って隣の部屋に忍び込む。
■大きな演技 キャメラの方を見ながら身振り手振りで見ている観客たちにすべてを教えながら演じている。これもまた字幕なしのサイレントのモノクロ画面を同一空間で1シーン1ショットのロングショットの正面から短時間で撮る初期映画に内包する映画のルールの一つ。
■ちらちら 人物たちがちらちらキャメラを見ているのは音声がなく正面からロングショットの1シーン1ショットのモノクロの短時間で撮っている初期映画から来る必然。
■室内劇 ロケーションなし
■人間運動と改心 フローレンス・ロレンスはみずからの意志で宝石を盗んでいるので巻き込まれ運動ではなく人間運動となる。ここで占い師の女はフローレンス・ロレンスを捕まえておきながらその後、金をやり解放している。これは占い師の改心でありグリフィス初の改心がここで撮られているが、フローレンス・ロレンスを捕まえ糾弾している強硬な占い師と彼女を許すしおらしい占い師とは人格に齟齬を生じるほどの落差がある。これは「悪人」から「善人」への突然の変貌であり「初犯」的な改心となる。
■キャメラの横を通り過ぎる なし
0-0-2(石鹸と手形)-なし
初のクローズアップ(事物)
原初的寄る・引くの「起源」
分離の「起源」
1シーン1ショット
気づかないことにする
身振り手振り
改心の「起源」
1908 WHERE BREAKERS ROAR
砕ける波の轟くところ
9.26

撮影場所 ニューヨーク州マンハッタン・セントラルパーク
ちらちら 22.5  160  16  6  切り返しと平行モンタージュがあるので1シーン1ショットでも時系列でもない。海水浴場で強盗(チャールズ・インスリー)に人質に取られた娘(リンダ・アーヴィドソン)を仲間たち(アーサー・ジョンソン等)が助ける。
■字幕なし
●切り返し
①強盗が浜辺で娘をさらって小舟で海へ逃げそれを追う友達集団→②小舟の中で娘にナイフを(逆手に握って)振りかざす強盗→③浜辺で小舟をくりだし追いかける友達集団、という順に撮られている。これがDW・グリフィス単独監督で初の切り返しが撮られたシーンであり、①は同一画面、②は切り返しのように見えるが実際は①の空間から②の空間への
移動行為であり、さらに③へと転換されて初めて切り返しが成立する。さらに②の強盗は浜辺の方を見て驚いて逃げるように舟をこぎ出し③の友達集団もその船を指差し視線を向けている。以下、このようにして切り返しの双方の視線が絡み合っている場合を『見つめ合う視線の切り返し』として検討する。切り返しとは視線の通じている1つの空間を分断し交互に撮る1シーン2ショットのコミュニケーションであるが見つめ合う視線の切り返しは一方的視線によって始まった切り返しに双方の視線を絡ませる発展段階であり一見何の変哲もない切り返しに見えるもののその後のグリフィスは見つめ合う視線の切り返しを撮ることのできない時期が長く続くことからするとこの時期にいきなり撮られた見つめ合う視線の切り返しは単に時系列で撮られたショットが結果として見つめ合う視線の切り返しとなった可能性を否定できない。「THE FATAL HOUR(運命の時)」(1908.8.22)の見事なクロス・カッティングにしても、その後しばらく出来ないことが突然デビュー初期の段階で撮られてしまっている。「起源」なり進化とはそういうものかも知れない
切り返しとは
切り返しとは視線の通じている1つの空間を分断し交互に撮る1シーン2ショットのコミュニケーションをいう。この定義もまた固定されたキャメラで正面から1シーン1ショットのロングショットで撮ることしかできない初期映画の限界から来ているが、ここから初期映画は『1つの空間を2つに分断する』という切り返しの条件を基本的に欠くことになる。一見切り返しのように見えても空間が2つだったり、視線が通じ合う空間ではなかったりすることが多く、この時期の切り返しにはこの定義のどれか一つを必ず欠くという現象が起きている。だからこそここでいきなり『見つめ合う視線の切り返し』という発展段階の切り返しが撮られていることに驚きを隠せない、ということになる。
切り返しと1シーン1ショット
切り返しは同一空間を2つ以上のショットで撮るので1シーン2ショット以上となる。
切り返しと時系列
ここまで初期映画の限界として固定されたキャメラで正面から1シーン1ショットのロングショットで撮られることを挙げられているが時系列という観念もまた初期映画を縛り付ける大きな障壁として立ち塞がっている。切り返しとは基本的には構図→逆構図という時系列によって撮られる方法であり結果として時系列となって当然ではあるものの切り返しには時系列を超え『敢えて1つの空間を分断し』それによって『空間を拡げること』という意志と効果が包摂されており、そうしたことを抜きにして撮られる切り返しは初期映画における時系列という限界をそのまま背負った偶然であり未だ進化の前夜にある出来事として捉えられる。多くのデータを寄せ集めることによりそれが初期映画の限界から偶然撮られていることかそうではないかを見極めなければならない。
平行モンタージュ 
映画が始まってから①友達集団→②強盗→③友達集団と遠距離の空間同士が交互に編集されている。救出のクロス・カッティング以外ではこれがグリフィス初の平行モンタージュとなる(「起源」)。平行モンタージュとは
離れた場所同士を時系列ではなく同時間(あるいは時間の前後なくして)で平行させて編集する方法であり仮に場所的に離れていても時系列として編集されているものは平行モンタージュではない。例えば遠く離れた者同士の電話の会話を交互に編集してもそれは時系列の因果に支配された会話であり平行モンタージュではない。
平行モンタージュと時系列
初期映画における『時系列』という限界は切り返しのみならず平行モンタージュにも降りかかっている。未だ平行モンタージュの根付いていないこの時期に撮られている平行モンタージュには時系列という初期映画の限界と隣り合わせの原初性が常に付きまとっている
平行モンタージュとは
このように平行モンタージュを『離れた場所同士を時系列ではなく同時間(あるいは時間の前後なくして)で平行させて編集する方法』として時系列から区別して定義しているのもまた初期映画における時系列という限界から区別させるためであり、切り返し同様、多くのデータを寄せ集めることによりそれが初期映画の限界から偶然撮られていることかそうではないかを見極めなければならない。
平行モンタージュと1シーン1ショット
初期映画の限界として1シーン1ショット
があるが、平行モンタージュのそれぞれのショット自体は1シーン1ショットであり1シーン1ショットで撮られたショットを編集でつなげてゆけば平行モンタージュとなることから平行モンタージュは1シーン1ショットの延長(応用)であり、だからこそ1シーン1ショットしか撮ることのできない初期映画において平行モンタージュは切り返しよりもずっと早く使用されるようになり切り返しが根付き始める1911年の後半まで平行モンタージュはモーションピクチャーの時空を広げる役割を引き受けることになる
■1シーン数ショット この作品では平行モンタージュと切り返しが撮られていることで1シーン1ショット、時系列の壁が破られている。ウォレス・マカッチョン・ジュニアとの共同監督
The Black Viper(黒い毒蛇)(1908)でも切り返しが撮られているが、少なくともグリフィス単独監督として切り返しが初めて撮られたのはこの作品であり、平行モンタージュと切り返しによって1シーン1ショット、時系列からの決別という「起源」を垣間見ることができる。
■強盗はナイフを逆手に握っている

■煙 波しぶき
■省略されていること 強盗の逮捕
■強盗と友達は「常習犯」、娘は巻き込まれ運動。
■キャメラの横を通り過ぎる 小舟の二回を含めて8回、人々や舟がキャメラの横を通り過ぎていてその内4回は走って通り過ぎている。静止してはいないものの強盗が通りで強盗を働いた後、ショット内モンタージュでかなりキャメラに接近している。これが静止しているとクローズアップとなる。
1-0-0-あり。
移動行為と切り返し
平行モンタージュの「起源」
切り返しの「起源」
見つめ合う視線の切り返しの「起源」
時系列
ショット内モンタージュ
1908 A SMOKED HUSBAND
燻製にされた夫9.25

撮影場所 ニューヨーク州マンハッタン西12番街
ちらちら
ジョン・R・カンプソン(John R. Cumpson)。舞台出身。1905「The White Caps」(1905エジソンスタジオ、ウォレス・マカッチョン・シニア、エドゥイン・S・ポーター共同監督YouTubeで視聴可能)に出演している記録があるがグリフィス作品では1908年に立て続けにコメディ作品に主役として出演している。1910年頃にはエジソンへ移籍し「バンプシャス」という役名でコメディに出演、その後、IMPへ移籍したようである。1913年死去。46歳。
25  146  17  7 贅沢な妻(フローレンス・ロレンス)に手を焼いている夫(ジョン・R・カンプソン)は、泥棒(ハリー・ソルター)と結託したメイド(リンダ・アーヴィドソン)が泥棒から受け取った手紙を妻へのラブレターと勘違いして煙突の中に隠れて妻の浮気の現場を押えようとするが暖炉の煙で「燻製」にされ真っ黒になって煙突から出てきたところを泥棒と間違われる。
■字幕あり 字幕の「起源」。ただ余りにも綺麗に入っているので後年挿入されたものかも知れない。
■手紙のクローズアップがあるので1シーン1ショットではない。
原初的音声空間の切り返し
居間の妻たちと暖炉の煙突の中に隠れている夫とのあいだがA居間から→B煙突の中で聞き耳を立てる夫→C居間で暖炉に火をくべる→D煙突の中ですすだらけになり煙に巻かれる夫→E居間、と交互に編集されている。まずこれは平行モンタージュではない。平行モンタージュとは2つ以上の空間を同時間ないし無時間によって交互に編集してつなげることであるが、ここでは特にC→Dで明らかなように時系列が撮られているからである。さらに「切り返し」とは視線の通じている1つの空間を2つに分断しその空間を交互に撮る1シーン2ショットのコミュニケーションであるところここでは視線の通じていない区切られた2つの空間がそれぞれ1シーン1ショットで撮られていることからそれを交互に編集しても切り返しではない。ただ夫は暖炉の中で聞き耳を立てており居間で暖炉に火をくべているメイドは煙突の中に誰かいるとの気配を感じている。音声・気配というコミュニケーション通路によって居間と煙突は通底していることから本来の切り返しではないものの「切り返し」へと発展する過程のコミュニケーションツールとして重要であり今後こうした、視線は通じていないが音声・気配によってコミュニケーション可能な空間同士の交互編集のされた場合『原初的音声空間の切り返し』として平行モンタージュとは区別して検討する。『原初的』とは視線ではなく音声と気配によるものであること、1つの空間を分断するものではないこと、などによる。
●原初的音声空間の切り返しと1シーン1ショット
原初的音声空間の切り返しは空間が仕切られているので1シーン1ショットの枠を出ていない。従って1シーン1ショットとなる。
▲平行モンタージュとは
煙突の中の夫と隣りのビルの屋上の紳士たち(マック・セネットとジョージ・ゲブハート)とのあいだが、A煙突の中の夫→B隣のビルの屋上の2人の紳士→C2人の紳士の上に夫が落下して同一画面、、という流れで撮られている。コミュニケーションは通じていないので質的には平行モンタージュであり、Cで双方が同一画面に収められているのでA→Bのみで平行モンタージュは成立するかという問題がある空間AとBとが交互に編集された場合、それが同時間であるならばこの作品のようにA→Bで平行モンタージュが成立しそうであるが、その場合ただの時系列による場面転換である可能性が高くそれだけで平行モンタージュとすることはできない。この作品の平行モンタージュはA→Bで終わっていて未だ平行モンタージュが意識されていない状況にあると見ることができ、平行モンタージュとすることはできない。A→B→Aとカットバックされた場合、数え方としてはAを原ショットとし、Bで1回、ここで終われば平行モンタージュではなく時系列の場面転換、もう一度Aに帰れば2回となり平行モンタージュとする。この定義もまた、時系列の場面転換に過ぎない編集がたまたま平行モンタージュのように見える場合を平行モンタージュから区別して定義することに意義がある。
■隠れること 夫は暖炉の中に物理的なすっぽり隠れている。
★クローズアップ 手紙のクローズアップの「起源」が撮られている。字幕を入れる代わりに手紙を観客に読ませることで物語を進めてゆく方法として手紙のクローズアップが撮られているが、キャメラを寄る・引く・ということのなされたクローズアップではなく原初的寄る・引くではない。
■書き割り 窓の外が
■煙 暖炉の煙。
■巻き込まれ運動。スラップスティックコメディであり夫の意志(妻の浮気を突き止める)と現実の行動(煙突に隠れる)が乖離している。動物的。
■キャメラの横を通り過ぎる 1ショット。警官たちが。
4(原4)-0-1(手紙)→なし
字幕の「起源」
切り返しと平行モンタージュとの違い
原初的音声空間の切り返しの「起源」
手紙のクローズアップの「起源」
1908 THE ZULU’S HEART
ズールーの心
10.10
 
撮影場所 ニュージャージー州クリフサイド
見えない 34  105  14  8 1シーン1ショット。時系列。娘を亡くしたばかりのズールー族の酋長(チャールズ・インスリー)は仲間の誘拐した白人の少女(グラディス・イーガン)を解放し母親(フローレンス・ロレンス)の元へ返す。
■字幕なし
▲平行モンタージュなし 場所的に離れた人物AとBがいるとして、まずAを撮り、次にBを撮る。初期映画の場合、Bを撮ったショットにそのままそのままAが入って来ることが極めて多い。Bを撮っている時点で既にAはBの場所まで移動しているのであり(時系列)、同時間を平行させるという環境は未だ現れていない
■分離 娘の持っている人形を手にしたインディアンは、それによって自分の亡き娘を思い出し、逆手に握っていたナイフを落とし(落とすこと)、娘を解放している。人間が化身した小道具にはっと人が反応するという『分離』が撮られている。この何の変哲もないロングショットで撮られた人形にはすべてを変えさせる力が宿っている。
■悪いインディアンと良いインディアンが撮られている。
■ナイフを逆手に握っている インディアンが
■大木 インディアンは大木の下に娘を隠し置く。
■煙 馬車の土煙はなし。
■ストップトリックあり。御者が矢を撃たれる時。
■省略されていること インディアンの娘と人形とのつながりが省略されている。
■落とすこと インディアンは人形を見てナイフを不意に落としている。
■人間運動と改心 
インディアンは少女が目の前に差し出した人形をじっと見つめたあとナイフを不意に落とし(落とすこと)、人形を手に取り改心している。改心はインディアンの知的な意志でなく人形という亡き娘の分離した物をじっと見つめること、触れることという五感の作用によってなされており、通常それは人をして因果的に改心させる出来事ではなく、因果から逸脱した衝動として現れている。だからこそインディアンは不意にナイフを落とすことという意志によらない衝動を惹き起こしているのであり、このインディアンの改心は「初犯」的なものではなく「常習犯」的な衝動による改心として現れている。分離というマクガフィンが1クッション入ることによって改心から心理的なものが排除されている。
■キャメラの横を通り過ぎる インディアンたちや馬車が10回キャメラの横を通り過ぎてその内6回は走っている。
0-0-0-なし
善悪、改心の撮られたグリフィス初のメロドラマ
分離
落とすこと
ナイフを逆手に握っている
ストップトリック
改心と分離
1908  FATHER GETS IN THE GAME
父はゲームに参加する
10.10

撮影場所 ニューヨーク州マンハッタン・セントラルパーク
ちらちら
マック・セネット(Mack Sennett。カナダ生まれ、17歳でアメリカコネチカット州へ。1908年グリフィスに採用されてバイオグラフに入社。1911年バイオグラフの喜劇専門部門の主任監督になる(1910年とも)。1912年メイベル・ノーマンドを引き連れキーストン社設立、チャップリン、アーバックルをスカウトする。1915年トライアングル社に合流、17年トライアングル社解散に伴いマック・セネット・コメディーズ設立。35年引退。1960年11月5日死去。80歳。
34  105  14  8 1シーン1ショット。時系列。マック・セネット主演によるスラップスティックコメディ。年老いた父親(マック・セネット)は家族に相手にされず若者に変装して妻に付きまとって追い払われ娘(リンダ・アーヴィドソンまたはジーニー・マクファーソン)に言い寄り撃退されるが息子(ハリー・ソルター)の恋人(マリオン・レナード)を奪い取る。
■字幕なし
■同じ場所は同じ構図で撮られている 家の前が4回同じ構図で。その4回とも人がキャメラの横を通り過ぎている。
■日傘 女たちが
■人間運動 父親は意図的に変装し場を支配している。家族から無視されたという衝動(マクガフィン)がきっかけとして撮られている。
■キャメラの横を通り過ぎる 6ショット。
0-0-0-なし
日傘
1908 ROMANCE OF JEWESS
ユダヤ人のロマンス
10.24
ちらちら 52  69  15  13 1シーン1ショット。時系列。
■半生記 質屋のユダヤ人の妻が死にそのネックレスを授けられた娘ルース(フローレンス・ロレンス)は質草を取りに来た本屋の男(ジョージ・ゲブハート)と恋に落ちるが父親に反対され勘当される。男と結婚し娘(グラディス・イーガン)が生まれたあと夫が事故死して店は売りに出され、貧困の中、病に侵されたルースは娘にあのペンダントを父親の質屋へ持って行かせる。質屋の客マック・セネット。
グリフィス初の半生記
■字幕なし
■落とすこと 娘のことを考えている本屋の男は持っている本を落としている。その後、気づかないうちに本を落としていた、という仕草がなされている。ことさらこの仕草がなされていることで「落とすこと」から意志的な要素を除外している。「常習犯」を現すための細部が殊更撮られている。
■ロケーション 娘が質屋へ向かう時、ニューヨークの貧民街の生々しいロケーションが斜めの構図で撮られている。質屋、本屋の中も斜めから撮られている。
■飛び入り そのロケーションでは通行人が役者を見ているのでおそらく飛び入りで撮られている。
■分離 ペンダント ユダヤ人の父親が妻の臨終の際に娘に授けたペンダントが時を経て父親の元へ帰って来る。そのペンダントを見た父親が目の前にいる少女が自分の孫であると直感する。言葉ではなく分離のエモーションによって物語の因果が破られている。
■母親の不在の「起源」  母親が死ぬところから映画は始まる。これは後に検討する非言及型ではなく母親の死が撮られていることから言及型となる。
■人間運動と改心 父親は孫が持ってきたペンダントを見て触った後、孫の頭を撫でたその手で自分の頭に当て、ふらついている(その後のニューヨークの路地では小走りに走っているので老齢からくるふらつきではない)。ペンダントという娘の分離を見て触ること、その反応として不意に頭に手をやりふらつくこと、という衝動が撮られることで父親の改心は知的なものではないことが現わされている。見ること、触ること、分離という知的な因果の流れから逸脱した過剰(マクガフィン)を1クッション入れることで心理的な出来事を排除している。
■キャメラの横を通り過ぎる 2ショット。ロケーションで。
0-0-0-なし
初の半生記
ペンダント
落とすこと
分離と改心
ロケーション
飛び入り
母親の不在の「起源」
1908 THE CALL OF THE WILD
野生の叫び声
10.31

撮影場所 ニュージャージー州コイツビル
ちらちら 40  90  21  14 1シーン1ショット。時系列。インディアンの男(チャールズ・インスリー)は社交界のパーティで娘(フローレンス・ロレンス)に結婚を申し込んだところ嘲笑われて侮辱され礼服を脱ぎ捨て酒を飲みインディアンとなって娘を誘拐するが天の声を聴いたインディアンは改心し娘を解放する。
■字幕なし
■ショット内モンタージュ 馬に乗ったインディアンが遠くからショット内モンタージュでキャメラに接近し、また遠くまで走って行き、再びショット内モンタージュでキャメラまで接近し、再び遠くまで走って行く、ということを繰り返している。その最後に馬が稜線の向こうへ消えて行っている。「線」を使った演出の「起源」が撮られている。その後、馬から降りたインディアンの男がバスト・ショットくらいまでの近景までショット内モンタージュで接近している。さらに馬に乗った娘が道の彼方へ消えてゆくというショットも撮られている。遠くから近くへ、近くから遠くへという運動が反復されている。技術的限界だけではなく、人々が遠景から近景まで接近して来る1ショットの持続運動になにかしら魅入られていたようにも見える。
■追っかけ 馬で逃げるフローレンス・ロレンスと彼女を馬で追いかけるインディアンとが「追っかけ」で7回、ショット内モンタージュでキャメラの横を通り過ぎている。その内6回は遥か遠方からずっと走って来てキャメラの横を通り過ぎている。ラストシーンもキャメラの横を通り過ぎて終わっている。
■トラッキングとパン 7分過ぎ、女の家へ向かうインディアンをキャメラが右への横移動とパンを交えて捉えながら、そのまま家の中から出て来た娘と彼女を迎えに来た男をパンで捉え、今度は左へ歩き始めた娘と男、そして柵の向こうのインディアンを左へのパンと横移動で捉えている。トラッキングの「起源」は横移動
■「悪いインディアン」が改心するメロドラマ インディアンは白人に侮辱されて「悪いインディアン」になるという原因も撮られている。
■ハンカチを落とすこと ラストシーンでインディアンは娘の落としたハンカチを口に当てた後、ひらりと舞い落す。
■分離 ハンカチがフローレンス・ロレンスから分離している。
■煙 馬の土煙
■ナイフを逆手に握っている
人間運動と改心 インディアンは改心してフローレンス・ロレンスを解放している。ここでインディアンはフローレンス・ロレンスが指差した天を見上げたあとしゃがみ込み頭を抱えふらついている。この「天」は神の分離であり、神の意志には理由がないから神でありこの天のお告げにしてもその内容は抽象的でフローレンス・ロレンスを解放させる因果的理由を有してはおらず、さらにその後しゃがみ込み頭を抱えてふらつくという細部によってインディアンの改心は心理的なものが排除された衝動的運動として撮られている。ここでも天を見ること、しゃがむこと、頭を抱えてふらつくこと、という五感における過剰な1クッションが置かれることで改心が衝動として撮られている。
■キャメラの横を通り過ぎる 12ショット。ラストシーンでキャメラの横を通り過ぎる
「起源」
0-0-0-なし
ショット内モンタージュ
線の「起源」
「追っかけ」
ラストシーンでキャメラの横を通り過ぎる「起源」
トラッキングの「起源」は横移動
パン
ハンカチを口に当て舞い落す
分離
改心
1908 Mr.JONES AT THE BALL
舞踏会のジョーンズ氏12.25
 ちらちら見ている。 20  180  24  8 1シーン1ショット。時系列。舞踏会で太った亭主(ジョン・R・カンプソン)がお辞儀をするとズボンのお尻が破けてしまい妻(フローレンス・ロレンス)と2人で大慌てするスラップスティックコメディ。ラストシーンの警官マック・セネット。
■字幕なし
▲平行モンタージュか切り返しか
舞踏会の会場となっている屋敷の部屋の間取りは左から①男性控室→②玄関へと通じる廊下→③女性控室→④ダンスフロア、という順になっている。ここで②に招待客がやって来たあと、③①④③②③②③④②③④③②③④②③④③の順序で撮られている。基本的にすべて時系列で流れているが、仕切られた隣の部屋の音、気配を感じて切り返されるショットが9回撮られている(原初的音声空間の切り返し)。

■壁が斜めになっていてドアが見えるようになっている。
■女の脚 女がスカートをまくってガーターをずり上げるシーンが撮られている。脚の「起源」

■鏡 部屋に鏡が置いてある。反射はしていない(映っている姿が見えない)が舞踏会の客たちが鏡の前で身繕いしている。
■書き割り ラストシーンの道路の背景
■巻き込まれ運動 スラップスティックコメディの巻き込まれ運動。動物的。
■キャメラの横を通り過ぎる 1ショット。ラストシーンが。
9(原9)-0-0-なし。
原初的音声空間の切り返し
脚の「起源」
ラストシーンでキャメラの横を通り過ぎる
1908 TAMING OF THR SHREW
じゃじゃ馬馴らし 10.10

撮影場所 ニュージャージー州コイツビル
ちらちら 72  50  15  18 1シーン1ショット、時系列。2人の求婚者がビアンカ(リンダ・アーヴィドソン)に求婚している所へやって来た気性の荒い姉カタリーナ(フローレンス・ロレンス)は2人を追い出し音楽教師(チャールズ・エイブリー)の脳天をキャンバスで叩きつける。しばらくするとペトルーチオ(アーサー・ジョンソン)がやって来てカタリーナに求婚し結婚するが結婚式でペトルーチオは指輪を投げ棄てたカタリーナの前で召使い(マック・セネット)を鞭打ってカタリーナを怖がらせて指輪を拾わせ、新婚の城においても反抗するカタリーナの前で召使いやコック(ジョン・R・カンプソン)を鞭で叩き、出てきたローストチキンでコックたちの頭を殴りつけ、カタリーナお気に入りの帽子を床に叩き付けて洋服屋を叩き出し、台所でつまみ食いをしていたカタリーナの前でコックたちを叩きのめして手を上げることなくカタリーナを「調教」する。恐怖に怯えたカタリーナは男と逃げようとするが両手を広げたペトルーチオの胸に飛び込む。原作シェークスピア。
■字幕あり
■屋敷の右側の壁をやや斜めにしている。
■殴ること 絵のキャンパスで人の頭を殴る。
■階段 グリフィス初の階段。上り下りあり。
■ロケーション ラストシーンだけ。
■ラストシーンだけ異質のショットが撮られている→「BALKED AT THE ALTER(祭壇で思い止まる)」(1908.8.29)
■人間運動と改心 ラストシーンでは他の男と逃げようとしているカタリーナに向かってペトルーチオが大きく手を広げるとまるで何かに引きつけられるようにカタリーナは彼の顔をまじまじと見つめたあと彼の胸に飛び込んでいる。ここではカタリーナがおよそ10秒ものあいだペトルーチオの顔をまじまじと見つめるという過剰な視覚的細部が撮られそれによってカタリーナの改心は知的な因果から逸脱した衝動によることが現わされている。『まじまじと見つめること』とは知的な了解作用から逸脱した過剰な細部でありグリフィスはこうした改心に衝動的細部を1クッション置くことを常としている。
■キャメラの横を通り過ぎる 2ショット歩いて。
0-0-0-なし
字幕の「起源」
壁を斜めに
階段の「起源」
ラストシーンだけ異質のショット
まじまじと見つめること
過剰な視覚的細部
1908  THE SONG OF THE SHIRT
シャツの歌11.17
ちらちら 23  176  21  8 1シーン1ショット。病気の妹(リンダ・アーヴィドソン)のために姉(フローレンス・ロレンス)は仕事を探しに出る。トーマス・フッドの詩より。
■字幕なし
▲平行モンタージュあり。
①A仕事を探し会社のオフィスの外で待つ姉→B病床の妹→C会社のオフィスへと編集されている。CはAの隣の空間であることから正確にABAと2つの空間が交互に編集されているわけではないが、妹はベッドで苦しんでいるだけで時系列としては意味が希薄であり「同じ時間のショットを交互にカットバックさせる」という平行モンタージュへ接近している。
A会社でミシン縫いの布地をもらった姉→Bレストランで女たちと贅沢をしている男→C帰宅して妹の横でミシン仕事をしている姉→Dオフィス、と編集されている。ここでは貧困と贅沢の対比という時系列からは離れた出来事が撮られ、さらにレストランで贅沢をしている男たちに時系列的意味はない。しかし空間がABABと交互に編集されるのではなくADとすべて違う場所が編集されている。人物を基準とした場合ここでは姉→レストラン→姉となり平行モンタージュが成立しているように見えるが場所を基準にした場合①会社②レストラン③家、となり、会社の姉が家に帰った、、という移動行為としての時系列を見ることもできる。ただ平行モンタージュとは離れた空間同士の時間の前後関係を無化して時系列を打破するシステムであるところ、離れた空間としての姉とレストランとの関係は時間の前後関係が不明でありCの時点で平行モンタージュが成立していると見ることもできる。ABふたつの離れた空間があるとして、A1B1A2B2と交互に編集される場合、A!A2B1B2は映画が現在のメディアである以上当然時系列となるが平行モンタージュにおいて重要な「無時間性=時間の前後が不明」とは、ABとのあいだの無時間性であることからするならば、A同士、B同士の時系列性は当然の出来事でありさして重要ではないかも知れない。だがこの時期、未だ時系列から抜け出せてはいないグリフィス映画におけるこうした「移動行為」を伴う編集は時系列の感覚でなされる傾向があり、そのひとつの手がかりとして「同一空間における場所が異なる移動行為」を目安にしそこからの脱却の時期を見極めることを含めて、以降、このように場所の移動を伴うカットバックもまた『原初的平行モンタージュ』として検討する。③その後もAオフィスから追い出される姉→Bレストラン→Cもう一つのレストラン→家の姉妹、、とつながれている。ここでも姉の場所がオフィス→家と異なっているので移動行為として見ることもでき原初的平行モンタージュが成立している。
■姉妹の家の横の壁が斜めになっている。
■妹は目を閉じて死んでいる。
■人間運動のメロドラマ。
■キャメラの横を通り過ぎる なし
0-0-0-あり(原)。
原初的平行モンタージュ
時系列からの逸脱
1908 The Curtain Pole
カーテンポール 1909.2.13

撮影場所 ニュージャージー州フォートリー
ちらちら
脚本にはマック・セネットも関係している。
192  18.8  25  8 1908年製作との説あり。 1シーン1ショット。パーティでカーテンのポールが壊れたので買いに出たマック・セネットが帰り道、そのポールで通行人をなぎ倒しみんなに追いかけられる。
■字幕なし
■マクガフィンと平行モンタージュ
この作品の「カーテンポールが壊れる」というマクガフィンはポールを買いに行ったマック・セネットが長いポールを持て余し人々をなぎ倒し馬車で商店街をぶち壊したあげく、ポールは他の男が買って来て必要なくなったという「おち」があり、こうした「マクガフィンに意味はない=ポールは必要ない」ことを、他の男がポールを買って来て備え付けるショットを平行モンタージュとして挿入することで映画的にマクガフィンの無化を露呈させている。
■クローズアップ・カッティング・イン・アクション・寄り 
ラストシーンでマック・セネットのバスト・ショットに近いクローズアップへカッティング・イン・アクションに近いアクションの重複(ポールを噛むこと)によってキャメラが寄っている。「寄る」は「AN AEFUL MOMENT(ひどい瞬間)」(1908)のラストシーンで見られるがそれはカッティング・イン・アクションではない。ここではグリフィスによる人物のクローズアップ(に近いバスト・ショット)の「起源」と「寄ること」によるカッティング・イン・アクションの「起源」が撮られている。「寄ること」はキャメラを寄ることにより1シーン2ショットとなり1シーン1ショットからの逸脱ともなる。
★ラストシーンだけ異質のショット このクローズアップへのカッティング・イン・アクションはラストシーンにだけ異質なショットとして撮られている。
■追っかけ 典型的な「追っかけ」が撮られている。
■キャメラの横を通り過ぎる 17ショット人々がキャメラの横を通り過ぎている。その内追っかけで10ショット、さらにその中で馬車が8ショット撮られている。追っかけとキャメラの横を通り過ぎることはミックスになっている。
■みんなで追いかけること マック・セネットをみんなで追いかけているが、老若男女、大人も子供もみんなで追いかけること、というアクションはウォレス・マカッチョン・シニア「「PERSONAL(交際欄)」(1904.8.8)などによって既に撮られているが、その道すがら被害を被った者たちが加勢して追いかける者がどんどん増えてゆくアクションはアリス・ガイ「Course à la saucisse(ソーセージレース)」(1907)の逃げる犬、ルイス・J・ガスニエ「Le Cheval emballé(逃げた馬)」(1908.2.8)の逃げる馬などによって撮られている。
■笑って追いかけること ここで女や子どもたちは逃げるセネットを追いかけてキャメラの横を通り過ぎる時、笑いながら通り過ぎている。これは「捕まえること」という結果を目的とする職業運動ではあり得ない「逃げること」「追いかけること」を自己目的とした巻き込まれ運動だからこそ起こりうる動物的で過剰な細部としてある。「追っかけ」を撮ったグリフィス「BALKED AT THE ALTER(祭壇で思い止まる)」(1908.8.29)はフィルムの状態が悪いため表情が見えないが追いかけている者たちは笑っていると推測される。
■障害物競走 セネットが逃げるとき、通行人をなぎ倒し、バーの中を通り抜け、階段を滑り落ち、馬車に乗った後は、乳母車、商品を乗せた手押し車、鉄塔、露店の屋台、ポールにぶるさがった人々、をなぎ倒し、ふるい落しながら走っている。「追っかけ」とは基本的に障害物競走であり、西部劇でガンマンが馬に乗って小川を横切るのは「追っかけ障害物競走」の名残りにほかならない。
★巻き込まれ運動とマクガフィン
パーティでカーテンのポールが折れたことがマクガフィンとなりマック・セネットの運動を起動しているがそのマクガフィンは他の男がポールを持って来ることで無意味と化している。マクガフィンに意味はないとヒッチコックは語るが『カーテンのポールが折れること』とマック・セネットが『逃げること』とは因果的に何の関係もない。ここに撮られているのは『泥棒』→『逃げること(追いかけること)』等の職業運動における追っかけに見られるスムーズな機能的因果関係の持続性ではなく『カーテンポールが折れる』→『人をなぎ倒して逃げる』という、前者よりも後者に重きが置かれた動物的逆因果関係であり、職業運動における『泥棒』というマクガフィンに比べて巻き込まれ運動の『カーテンポールが折れる』というマクガフィンは「逃げること」を起動させることのみに意味がありそれ自体にはまったく意味がないことからそれによって起動した『逃げること』という運動は意味を失って因果関係を逆流し過剰で荒唐無稽なばかばかしさとして宙吊りとなる。だからこそこのバカバカしいマクガフィンは「消される」必要がありここでは他の者が代わりにカーテンポールを買ってきたことが平行モンタージュによって示されることでマクガフィンは無化されている。マクガフィンは無意味であればあるほど=荒唐無稽であればあるほど=巻き込まれ運動は露呈するのでありヒッチコックの『マクガフィン』も職業運動ではなく巻き込まれ運動の消えてなくなるマクガフィンを意味していると見るべきである。この作品の脚本にはマック・セネットが関係しているがこうした極限のバカバカしさの発想はグリフィスではなくセネットによるものと推測される。
■逆回し 馬車が逆走する逆回しはルイス・J・ガスニエによる「追っかけ」巻き込まれ運動「Le Cheval emballé(逃げた馬)」(1908.2.8)にも見られるが動物的逆因果関係による巻き込まれ運動に逆回しは違和感なく挿入されている。
■パン 素早いパンあり
■煙 粉が舞い落ちる。駆ける馬車の砂埃。たばこ。
0-0-1(顏)-あり
顔のクローズアップの「起源」
カッティング・イン・アクションの「起源」
寄ることによる1シーン1ショットからの離脱。
ラストシーンだけ異質のショット
追っかけ
マクガフィンと平行モンタージュ
みんなで追いかけること
笑って追いかけること
巻き込まれ運動
逆回し
1908 MONEY MAD
金の亡者

12/5
守銭奴(チャールズ・インスリー)が路地でショット内モンタージュでバスト・ショットになるまでキャメラに接近し、その時、ほんの1秒ほどだかキャメラをはっきりと正面から見据えている(「起源)」FOR HIS SON(彼の息子のために)(1911)のようにキャメラを正面から見据えるために撮られたショットではない。 42  87  13  9  1シーン1ショット、時系列。物乞いをしている守銭奴の男(チャールズ・インスリー)は路地で女から金を強奪し銀行に金を預けたところを2人組の強盗(ハリー・ソルターとジョージ・ゲブハート)にあとをつけられ殺されて金を奪われ、強盗たちも殺し合って2人とも死に、残った一味の女が金を独り占めしようとしてローソクを倒し火事になり煙に包まれる。
■字幕なし
■ショット内モンタージュにおけるクローズアップへの接近
守銭奴のチャールズ・インスリーが路地でショット内モンタージュでバスト・ショットになるまでキャメラに接近してキャメラを正面から見据えそのままクローズアップになりキャメラの横を通り過ぎている。これは人物がはっきりとキャメラを正面から見据える
「起源」でありバスト・ショットの「起源」でもある。だがクローズアップは静止しておらずキャメラの横を通り過ぎる過程において一瞬撮られているに過ぎずこれを「クローズアップ」とすることはできない。そのままキャメラの横を通り過ぎることでクローズアップを無化させているからである。ここまでの作品でクローズアップが撮られているのは「The Curtain Pole(カーテンポール)(1908/1909.2.13)のラストシーンだけでありそれも『ラストシーンだけ異質のショット』として撮られている。
■煙 グリフィス初の火事。凄まじい煙に包まれる。
■照明 ローソクに火を点けたり消したりしているが光の効果はない。
■隠れること 路地の壁の裏に隠れている。
■強盗はナイフを逆手に握っている
■路地はすべて斜めの構図で撮られている。
■人間運動 金の亡者、強盗、という人間運動。
■キャメラの横を通り過ぎる 4ショット。歩いて。
0-0-0-なし
ショット内モンタージュからのバスト・ショット
バスト・ショットの「起源」
キャメラを正面から見据える「起源」

斜めの構図
1908 AN AEFUL MOMENT
ひどい瞬間12.19
ちらちら
判事夫婦のフローレンス・ロレンスハリー・ソルターは実際の夫婦でもある(1920年にハリー・ソルターが亡くなるまで)。
40  90  12  8  時系列。1シーン2ショット。現存版はどれも編集の順序が間違っている。裁判で夫(ジョージ・ゲブハート)を有罪にした判事(ハリー・ソルター)を逆恨みしたジプシーの妻(マリオン・レナード)がクリスマスの夜に判事の家に忍び込み、判事の妻(フローレンス・ロレンス)を椅子に縛り付け銃の引き金とドアを紐で結び付けてドアを開けた判事に妻を殺させようと企てる。メイド→リンダ・アーヴィドソン
■中抜き YouTubeで見ることのできるバージョンは物語の順序ではなく同じ場所で撮られたシーンが順番に提示されている。「THE GIRLS AND DADDY(姉妹とパパ)」(1909)には『SCENES IN ORDER AS PHOTOGRAPHED(撮影順)』と『SCENES AS EDITED(編集済み)』の2つのバージョンがYouTubeにアップロードされているが『撮影順』では同じ場所で撮られているシーンが順番に提示されているのでこれが中抜きで撮られていることが分かる。この「AN AEFUL MOMENT(ひどい瞬間)」もYouTubeのバージョンが『撮影順』のものであるならばこれもまた中抜きで撮られていることになる。週に数本撮らなければならない初期映画の監督は中抜きの技術を身につけていたと推測される。
■同じ場所は同じ構図で撮られている グリフィスについてはよく同じ場所は同じ構図で撮られていると指摘されるが中抜きで撮られているなら同じ場所が同じ構図で撮られていて当然ということになる。
カッティング・イン・アクションと寄り ~ラストシーンだけ異質のショット
ラストシーンで家族のロングショットのあとそのまま同じシーンでキャメラがフルショットくらいまで寄っている。軸がずれているので同軸の寄りではないが同じシーン(空間)でキャメラを寄ることは1シーンを2つに分断して撮ることで「寄ること」による1シーン1ショットからの離脱である。
■パン・アップの「起源」 妻が壁をよじ登る時
■路地が斜めの構図で撮られている。
■女はナイフを逆手に握っている。
■気づかないことにする・隠れていることにする 女が真後ろにいるのに判事はしばらく気づかない。
■「常習犯」 マリオン・レナードは復讐の人間運動。判事も人間運動。
■キャメラの横を通り過ぎる なし
0-0-0-なし
中抜き
同じ場所は同じ構図で撮られている
寄ることによる1シーン1ショットからの離脱。
ラストシーンだけ異質のショット
気づかないことにする
パン・アップの「起源」
1908 Mr. Jones Has a Card Party
ジョーンズ氏はカードパーティを主催する 1909.1.21
撮影場所 ニューヨーク州マンハッタン、グランドセントラル駅
ちらちら 24  152  22  840秒 妻(フローレンス・ロレンス)たちが旅行に行くのをいいことに男たちがジョーンズ氏(ジョン・R・カンプソン)の家に集まり酒盛りを始めるが妻たちは列車に乗り遅れ帰宅すると泥酔し女装した夫を変態と勘違いして逃げまどい、男たちは彼を窓から放り出したことにして女たちの賞賛を浴びるがすぐに酒を飲んでいたことがばれる。メッセンジャーロバート・ハーロン。メイド→リンダ・アーヴィドソン、客→マック・セネット、アーサー・ジョンソン、チャールズ・インスリーなど(以上男)、ジーニー・マクファーソン、アニタ・ヘンドリー、フローラ・フィンチなど(以上女)、
■字幕あり インサートされているのは字幕の痕跡だけだがおそらく字幕あり。
●切り返し
①帰って来た妻たちとそれをカーテンを開けて窓から見ている男たちとのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。窓空間の「起源」であり窓空間における切り返しの「起源」ともなる。また、カーテンを開けて「見ること」が撮られていることから主観ショットのようにも見えるが「見たこと」は撮られていない。「THE VOICE OF THE VIOLIN(バイオリンの声)」(1909.3.13)で検討するが主観ショットとは「見ること」→「見られる対象」→「見たこと(見たことの反応)」が順に撮られている場合を指すがここでは「見たこと」が撮られていないので主観ショットではない。
②夫の変装を解いている男たちと隣の部屋で聞き耳を立てている女たちとのあいだは、3ショット目で同一画面に収められるまで内側から切り返されている。原初的音声空間の切り返し
★窓空間は切り返しか
切り返し①で窓空間のおける切り返しが撮られている。切り返しとは視線の通じている1つの空間を分断し交互に撮る1シーン2ショットのコミュニケーションであるが窓空間の場合、室内と室内が仕切られていることから『1つの空間を分断し』と言えないのではと問題なる。確かに窓空間は壁や窓によって外部と仕切られていることから室内と外部とは『1つの空間』ではないものの窓空間を通した撮り方は初期映画のみならず現代映画においてもなされており原初的音声空間の切り返しのように映画の進化により撮られなくなる出来事ではない。切り返しの定義である『視線の通じている1つの空間を分断し交互に撮る1シーン2ショットのコミュニケーション』は初期映画における固定されたキャメラで正面から1シーン1ショットのロングショットで撮られること、という限界から逆に導き出された定義であり窓空間のように仮に映画が進化しても窓によって仕切られた中と外という2つの空間で撮る以外にはあり得ない出来事はここに含まれていない。よって窓空間は定義上の切り返しではないものの以降、それ以外にはあり得ない、という意味において切り返しとして検討する。では覗き穴からの切り返しはどうか。これについては「LONELY VILLA(淋しい別荘)(1909.6.5)で検討する。
▲平行モンタージュ
①ジョーンズ氏の家では妻たちが旅行に行くことをいいことに夫と男たちが酒盛りをしている。そこへ場面が転換されて②妻たちがホームで発車した列車を追いかけているショットへ転換され③さらに家では調子に乗って酔っぱらっている男たちへと転換される。
■平行モンタージュによるマクガフィンの無化とサスペンス
男たちが妻たちのいない間に羽目を外すという運動は妻たちが旅行に行くことというマクガフィンによって起動する。だが平行モンタージュによって妻たちは汽車に乗り遅れているので起動因が無効化されている。妻たちが旅行に行くことは男たちが妻たちのいない間に羽目を外すこととは因果的には何の関係もないことから後者を起動させてしまえばその後に無化されても不都合はない。これが逆因果関係であり、巻き込まれ運動におけるマクガフィンは多くの場合逆流する性質を有しているゆえにあとから来る運動を起動させてしまえば先行するマクガフィンは消えてなくなっても構わない。そのマクガフィンが『女たちが列車に乗り遅れる』という、それだけでは意味をなさない平行モンタージュによって無化されることにより、離れた場所で動き出してしまった男たちの運動が起動因を失い宙吊りとなって哀愁を帯びてくる。
★平行モンタージュの進化
遠距離間で時間的な前後関係もなく、ただ平行(対比)されることでマクガフィンを無効化するこの平行モンタージュは、その時間的感覚が無化されているゆえに見ている観客に「いつ妻たちが帰って来るかわからない」という切迫した時間の感覚(サスペンス)をもたらしている。
■鏡 女が鏡の前で着替える時にそれなりに映っている。夫は鏡で自分の顔を見て驚いている。
■揺り椅子が置いてある 
■巻き込まれ運動 
■キャメラの横を通り過ぎる 1ショット。
4(原4)-0-0-あり
平行モンタージュの進化
窓空間の切り返しの「起源」
窓空間の「起源」
『分断の映画史・第二部』で窓空間の「起源」は「WHEN A MAN LOVES(男が愛する時)」(1910/1911.1.7)であると書いたがここに訂正する。
平行モンタージュとマクガフィン
鏡に反射する「起源」
1908 The Salvation Army lass
救世軍の娘
1909.3.6
  38  94  22  14 1シーン1ショット。一人暮らしの貧しい娘(フローレンス・ロレンス)は、彼女にちょっかいを出した男を乱暴者の恋人(ハリー・ソルター)が殺して刑務所に入ってしまい、犯罪者の女として酒場の主人(ジョン・R・カンプソン)から締め出され大家からもアパートから追い出され、工場でも雇ってもらえず。スリ集団の女(マリオン・レナード)の一味に引き込まれそうになったところを救世軍に助けられてそのまま一員となる。5年後、寄付を募りに来た酒場で出所した恋人と再会した娘は悪の一味に入った彼を神の導きによって改心させようとする。
■字幕あり YouTubeでは新しく挿入された字幕版がアップロードされているがそれ以外の版でも字幕の痕跡が挿入されている。
■切り返しか平行モンタージュか
娘を殴り倒したあと昔の恋人が仲間たちと犯行に及ぼうとしている時、倒れている娘へとカットがつながれ再び元恋人へとつながれている。娘が倒れている空間が男から視認できる隣接空間ならば切り返し、離れている空間ならば平行モンタージュとなる(男の視線と走り出す方向からして後者かも知れない)。初期映画のロケーションにはこのような『エスタブリッシング・ショットの不在』ともいうべき場所的不明確性が日常的につきまとい切り返しなのかそうでないのか判断しかねる場合が多く見られる。それはカール・ドライヤー論文で検討したエスタブリッシング・ショットの不在とは異質の初期映画に内包する特有の出来事としてある。
■帽子を脱ぐ 娘が神について書かれたボードを指差した瞬間、元恋人は咄嗟に帽子を脱ぐという身に染みついた運動が撮られている。グリフィスの映画は基本的に「常習犯」の映画であり身に染みついた衝動が撮られているがその典型として帽子を脱ぐこと、退出すること、などの衝動的運動がヒッチコック論文で検討されている。
■パンあり。
■人間運動と改心 男は救世軍の支部で娘によって指差された『神は私の光』と書かれたボード見て不意に帽子を脱いでいるものの未だ改心はできないでいる時、救世軍の行進を見て不意に何かに突き上げられるようにしてその行進を追いかけている。ここで字幕に『ボブは信念と魅力に圧倒され再び救世軍の女を追いかける』と入る。帽子を脱ぐことという「常習犯」的衝動と『圧倒され』というもうひとつの衝動によって男は『行進を追いかける』という運動をしている。ボードは神の言葉の分離なのでそれだけなら2-A。『行進を見て追いかける』という運動が改心の主と見れば2-Bとなる。
■キャメラの横を通り過ぎる ラストシーン含めて5ショット かなりの近景で通り過ぎる。
 
0-0-0-あり(原)
切り返しか平行モンタージュか
エスタブリッシング・ショットの不在
帽子を脱ぐ・身に染みついた。
ラストシーンでキャメラの横を通り過ぎる
パン
  1908年に起きていること   ■総評 
1908年に新しく始まったこと
カッティング・イン・アクション
「The Curtain Pole(カーテンポール)」(1909.2.13)、室内
「AN AEFUL MOMENT(ひどい瞬間)」(1908.12.19) 室内
寄る 
「The Curtain Pole(カーテンポール)」(1908/1909.2.13)室内・カッティング・イン・アクション
「AN AEFUL MOMENT(ひどい瞬間)」(1908)のラストシーン、室内。軸はずれている。
原初的寄る・引く(寄る・引くのクローズアップ型) 
「BETRAYED BY A HANDPOINT(手形に裏切られた)」(19089.5)
切り返し
「WHERE BREAKERS ROAR(砕ける波の轟くところ)」(1908.9.26) ロケーション
「Mr. Jones Has a Card Party(ジョーンズ氏はカードパーティを主催する)」(1908/1909.1.21)、『窓空間』、
見つめ合う視線の切り返し
「WHERE BREAKERS ROAR(砕ける波の轟くところ)」(1908.9.26)
原初的音声空間の切り返し
「A SMOKED HUSBAND(燻製にされた夫)(1908.9.25)、
「Mr.JONES AT THE BALL(舞踏会のジョーンズ氏)」(1908.12.25)、
「Mr. Jones Has a Card Party(ジョーンズ氏はカードパーティを主催する)」
ウエスト・ショット
「BALKED AT THE ALTER(祭壇で思い止まる)」(1908.8.29)ラストシーンだけ。
バスト・ショット
「MONEY MAD(金の亡者)」(1908.12.5)ショット内モンタージュで
クローズアップ 
「The Curtain Pole(カーテンポール)」(1909.2.13)
「追っかけ」 
「BALKED AT THE ALTER(祭壇で思い止まる)」(1908.8.29)、
「The Curtain Pole(カーテンポール)」(1909.2.13)
クロス・カッティング 
「THE FATAL HOUR(運命の時)」(1908.8.22)
平行モンタージュ
「WHERE BREAKERS ROAR(砕ける波の轟くところ)」(1908.9.26)
「THE SONG OF THE SHIRT(シャツの歌)」(1908.11.17)
平行モンタージュとマクガフィンの無化
 「The Curtain Pole(カーテンポール)」(1908/1909.2.13)「Mr. Jones Has a Card Party(ジョーンズ氏はカードパーティを主催する)」(1908 .1909.1.21)
トラッキング
 「THE CALL OF THE WILD(野生の叫び声)」(1908.10.31)横移動
パン・アップ  
「AN AEFUL MOMENT(ひどい瞬間)」(1908.12.19)
フェイドアウト
「BALKED AT THE ALTER(祭壇で思い止まる)」(1908.8.29)ラストシーン
キャメラを正面から見据える 
「MONEY MAD(金の亡者)」(1908.12.5)
ラストシーンでキャメラの横を通り過ぎる

「THE CALL OF THE WILD(野生の叫び声)」(1908.10.31)、
「Mr.JONES AT THE BALL(舞踏会のジョーンズ氏)」(1908.12.25)、
「The Salvation Army lass(救世軍の娘)」(1908.3.6)、
ラストシーンだけ異質のショット
「BALKED AT THE ALTER(祭壇で思い止まる)」(1908.8.29)ウエスト・ショットの「起源」
「TAMING OF THR SHREW(じゃじゃ馬馴らし)」(1908.10.10)、
「The Curtain Pole(カーテンポール)」(1908/1909.2.13)クローズアップ、カッティング・イン・アクション
「AN AEFUL MOMENT(ひどい瞬間)」(1908)寄り・軸はズレている。
分離
「BETRAYED BY A HANDPOINT(手形に裏切られた)」(19089.5)の手形のクローズアップ「THE ZULU’S HEART(ズールーの心)」(1908.10.10)の人形、
「ROMANCE OF JEWESS(ユダヤ人のロマンス)」(1908.10.24)ペンダント、
「THE CALL OF THE WILD(野生の叫び声)」(1908.10.31)のハンカチ
退出の映画史
 「THE CORD OF LIFE(命綱)」(1909.1.23)
帽子を脱ぐ
 「The Salvation Army lass(救世軍の娘)」(1908.3.6)
落とすこと
「ドリーの冒険(The Adventures of Dollie)」(1908.7.18) 包み
「THE ZULU’S HEART(ズールーの心)」(1908.10.10) ナイフ
「ROMANCE OF JEWESS(ユダヤ人のロマンス)」(1908.10.24) 本
帰郷
「ドリーの冒険(The Adventures of Dollie)」(1908.7.18)
母親の不在 
「ROMANCE OF JEWESS(ユダヤ人のロマンス)」(1908.10.24)言及型。
階段
「ドリーの冒険(The Adventures of Dollie)」(1908.7.18)ロケーション
「TAMING OF THR SHREW(じゃじゃ馬馴らし)」(1908.10.10)

「Mr.JONES AT THE BALL(舞踏会のジョーンズ氏)」(1908.12.25)鏡を使う
「Mr. Jones Has a Card Party(ジョーンズ氏はカードパーティを主催する)」→映る
 「THE CALL OF THE WILD(野生の叫び声)」(1908.10.31)
飛び入り
「Deceived Slumming Party(騙されたスラム街のパーティ) (1908.7.31)
「ROMANCE OF JEWESS(ユダヤ人のロマンス)」(1908.10.24)
 「Mr.JONES AT THE BALL(舞踏会のジョーンズ氏)」(1908.12.25)
1908年に根付いたこと
キャメラの横を通り過ぎる 
既に根付いている。よってショット内モンタージュも根付いている。
斜めの構図 
初期映画は斜めの構図を多用している。路地、ドアなどは斜めから撮られている。
同じ場所は同じ構図で撮られている
「AN AEFUL MOMENT(ひどい瞬間)」(1908)の中抜きで撮られているフィルムを見ると基本的に同じ場所は同じ構図で撮られていると見られる。
ナイフは逆手に握られている
その他
クローズアップ
 人間のクローズアップはもとより小道具のクローズアップも未だ根付いてはいない。
トラッキング キャメラの軸は「THE CALL OF THE WILD(野生の叫び声)」(1908.10.31)以外では動いておらずパンも数えるほどしか撮られていない
字幕 基本的に不在。見ることが重要となっている。
細い グリフィスの主演女優は一貫して細身。
 
  1909年の出来事   ■バイオグラフガールのフローレンス・ロレンス(Florence Lawrence)はカール・レムリのIMPに引き抜かれる(8月か9月頃)。レムリは彼女が市電にひかれて死亡したと偽の記事を流してから再登場させてメディアを沸かし映画スター第一号に仕立て上げる。ロレンスは「千の顔を持つ少女」で知られるようになる。
■メイベル・ノーマンド(Mabel Normand。アイルランド人の母とフランス人の父の下でロードアイランドに生まれる)1909年頃からバイオグラフ社に侍女のエキストラとして出演、バイオグラフで端役の役者をしていたマック・セネットの目に留まる(以来セネットは生涯ノーマンドを愛し続ける)
 
1909 THE GIRLS AND DADDY
姉妹とパパ 1.16

撮影場所 ニュージャージー州フォートリー
ちらちら
ドロシー・ウエスト(Dorothy West) アラバマ州ハンツビル出身。バイオグラフ入社の経緯は不明だが、1908年、D・W・グリフィス「THE GIRL AND THE OWTLAW(少女と無法者)」(1908.9.12)に出演、舞台でも活躍しながらグリフィス短編の常連となる。「THE HOUSE WITH CLOSED SHUTTERS(シャッターの閉ざされた家)」(1910.8.13)「SWORDS AND HEARTS(剣と心」(1911.9.2)では見事な手綱さばきを見ることが出来る。1980年12月11日死去。89歳。
テビッド・マイルズ(David Miles)。コネチカット州出身の俳優、監督。THE HELPING HAND(救いの手)(1908.12.29)あたりからグリフィス映画に出演。その後1912年まで多くのグリフィス作品に出演1915年10月28日死去。44歳。
29  124  29  14 お金に困っている父親を残して仲のいい姉妹(フローレンス・ロレンス姉とドロシー・ウエスト妹)は2人で郵便局へ行くと何かの懸賞でも当たったらしく大喜びして家に帰り、ちょうど仕事(?)で家を出て行く父親(テビッド・マイルズ)を見送ってから2人仲良く眠りにつくと、郵便局で2人を盗み見していた男(チャールズ・インスリー・以下泥棒)が2人の寝静まった寝室に拳銃を持って忍び込んで物品を盗み姉妹に手をかけようとしたところで仲のいい姉妹を見て思い直しそのまま屋上へと逃げてゆく。一方、姉妹の家の軒下で休んでいた浮浪者(以下強盗)もまた姉妹の会話を聞きつけ黒人バーへ行って女に犯行を告げてから姉妹の家に押し込み姉妹を襲うが姉によって屋上へ逃がされた妹がそこで出くわした泥棒に助けを乞い、泥棒は格闘の末強盗を倒し姉妹はやってきた警官から泥棒を逃がし帰って来た父親にお金を渡して2人で抱き合う。メッセンジャー・ロバート・ハーロン。
■字幕なし
★字幕と マクガフィン 父親が外出するのは姉妹を2人きりにするマクガフィン。また姉妹が郵便局で何かの懸賞?に当たったその「何か」はそれを強盗に狙われるためのマクガフィン。マクガフィンに意味はない。よって何故父親が外出するのか、姉妹は何が当たったのかの説明はいらない。仮にこの作品が字幕なしで上映されていたとすると当時の観客の「見ること」は相当に熟練されていることになる。
■中抜き YouTubeには『SCENES IN ORDER AS PHOTOGRAPHED(撮影順)』と『SCENES AS EDITED(編集済み)』の2つのバージョンがYアップロードされているが『撮影順』では同じ場所で撮られているシーンが順番に提示されているのでこれが中抜きで撮られていることが分かる。当然ながら同じ場所は同じ構図で撮られている。
■同じ構図 姉妹が郵便局まで行って帰って来る路地はすべて同じ構図で撮られている。中抜きで撮られているとすれば同じ場所は同じ構図で撮られて当然ということになる。
▲平行モンタージュ 忍び込んできた泥棒→軒下の浮浪者→黒人バーの浮浪者→ベッドの姉妹、、という編集はすべて違う場所なので時系列的でもあり原初的平行モンタージュとなる。
●原初的音声空間の切り返しと上下の切り返し
①ドアに椅子を積み重ねてドアを塞ぐ姉妹(切り返しの原ショット)→ドアの向こうの強盗→姉妹→強盗と3回交互に編集されている(4回目に二階へ逃げる姉妹へと編集されているがそこに強盗が入って来るので切り返しには数えない。この同一画面は『持続による同一存在の錯覚』となっている)。ドアで仕切られている空間同士で相手の気配、存在を承知の者同士が編集されているので原初的音声空間の切り返しとなる。
②屋上へ逃げた妹が泥棒と鉢合わせする、そこから→二階で強盗の侵入を防ぐ姉→屋上→二階で強盗がドアを破り姉に襲い掛かる→屋上、、と4回カットバックされている。屋上の強盗は下を覗き込みそのまま飛び降りているので空間が通じていることからこれは上下の切り返しとなる。→「The Black Viper(黒い毒蛇)」(1908.7.21)以来の上下の切り返し。ただこの上下の空間は仕切られた2つの空間であり『視線の通じている1つの空間を分断し交互に撮る1シーン2ショットのコミュニケーション』という切り返しの定義の内『1つの空間』という要件を欠いていることから実質的には上下における原初的二間続きの切り返しとなる。原初的二間続きの切り返しについては「The Cricket on the Hearth(暖炉のコオロギ)」(1909.5.27)において検討するが、横における二間続きの部屋における切り返しの限界を前提とした概念でありまた上下の切り返しは横の限界を縦に拡げる画期的な出来事なのでここではひとまず「切り返し」としておく
■評 ①も②も時系列の感覚で撮られているかもしれない。ただ、①のあと②において屋上という二階からは質的に離れた空間をもう一つの空間として設定していることは注目に値する。
■気づかないことにする ベッドの横で泥棒が盗みを働いているのにベッドの中の姉妹は気づかない。『気づかないことにする』の中でもレヴェルが高い。
■「見えざる敵(AN UNSEEN ENEMY)」(1912)「嵐の孤児(ORPHANS OF THE STORM)」(1921)へ姉妹のテーマは受け継がれている。
■路地、姉妹のベッドなどを斜めの構図で撮っている。
■書き割り 屋上の背景の町は書き割り。
■階段 あり
■分離 父親の置いて行った帽子に姉妹がキスをする。これは父親の不在を観客に印象付けるためかも知れない。
■母親の不在 姉妹には母親がいないがそれについての言及はされていない。姉妹同士だけでなく姉妹と父親との仲も過剰なまでに良好に撮られているのは『母親の不在』による男親と娘たちとの絆からくることかも知れない。
■仲のいい姉妹という細部がこの作品の主題としてあり、それを見た最初の泥棒が改心して姉妹に手をかけることなく退散する。だからこそこの姉妹はあられもなく仲がいいように撮られている。
■人間運動と改心 ベッドの陰に隠れた泥棒(チャールズ・インスリー)はベッドの中の仲のいい姉妹を30秒強ずっと見続けたあと『だめだ、、俺にはできない、、』といえ感じで脱力し姉妹を攻撃することを断念している。改心に『仲のいい姉妹を過剰に見続けること』という1クッション入っている。2-B
■姉妹は巻き込まれ運動。2人の仲の良さはそのマクガフィン性の強さから人間的というより動物的ですらある。
■キャメラの横を通り過ぎる 4ショット。姉妹が2ショット。
7(原3)-0-0-あり(原)。
仲のいい姉妹
字幕とマクガフィン
中抜き 同じ構図
平行モンタージュ
上下の切り返し
母親の不在の「起源」
改心
巻き込まれ運動
1909  THE CORD OF LIFE
命綱 1.23

撮影場所 ニューヨーク市
ちらちら 24  148.5  26  1030 1シーン1ショット。男(ジョージ・ゲブハート)は従兄弟(チャールズ・インスリー)の住んでいる高層アパートに金の無心にやって来たものの殴られ追い返されて逆恨みし従兄弟の妻(マリオン・レナード)が外出した隙を見計らって籠に入った赤ん坊を高層アパートの窓からロープで吊るして窓枠で固定したあと、従兄弟を追いかけて殺そうとするが取り押さえられ男は笑いながら仕掛けを従兄弟に告白し、従兄弟は走ってアパートへ駈け付ける。
■字幕なし
■階段 オープニングで延々と新聞を読んでいる男と彼の前を通り過ぎる女たちを撮っているのは階段を登って来たり降りたりする者たちを撮ることでここが階上であることを観客に示そうとしている。高層アパートの高さという新しいことを撮るためにはそれ以外のことも撮らなければならない。観客とのコミュニケーションにおける苦心が見られる。
■逆恨み 処女作「ドリーの冒険(The Adventures of Dollie)」(1908.7.18)で娘が誘拐される発端(マクガフィン)となる、母親が物売りを無下に扱いかつ父親が殴り倒したという逆恨みのテーマがここで反復されている。
■「AN AEFUL MOMENT(ひどい瞬間)」(1908)では判決を下した裁判官への逆恨みとしてドアを開けた裁判官にその妻を殺させようとライフルを仕掛けているがここでもまた窓を開けることで家族によって赤ん坊を殺させようとする復讐の怨念が反復されている。方法は知的で回りくどい。
■サスペンス 妻が窓を開けるかも知れないという日常的な家事行為がサスペンスへつなげられている。ヒッチコック的。
▲クロス・カッティング
①家の窓に吊るされた赤ん坊を救うために走って帰宅しようとする夫→②家の窓の外に赤ん坊が吊るされているとは知らずに洗濯物を干そうとしている妻→③夫→④夫→⑤夫→⑥家に到着、という流れで撮られていて、クロス・カッティングが成立するのは③の時点だが、未だ拙いながら遠距離間の空間におけるクロス・カッティング(平行モンタージュ)が撮られている。デビュー間もない時期に撮られた「THE FATAL HOUR(運命の時)」(1908)の方が僅か2分弱のフィルムしか現存していないにも拘わらずクロス・カッティングとしては洗練されているがこの作品では物語を含めた長尺で救出のクロス・カッティングを見ることができる。
▲マクガフィンとクロス・カッティング
夫が外出するのは家との距離を開けてクロス・カッティングを撮るためのマクガフィンであり、だからこそ夫は無意味に訳の分からない森の中まで出かけて行き場所的間隔を広げるという荒唐無稽な出来事が惹き起こされている。
■1シーン2ショットか、切り返しか
男が窓から赤ん坊を吊るす時、窓の外からロングショットで窓から顔を出している男を撮り、次のショットでは部屋の中から窓際の男の背中から撮られたショットへと切り替わっている。父親が赤ん坊を救出する時にも同様のカッティングがなされているが、これは「BETRAYED BY A HANDPOINT(手形に裏切られた)」(19089.5)でも検討したように別空間のショットなので1シーン1ショット×2であり、また同一人物同士のカットなので切り返しでもない。
■ロングショット アパートの外からのローアングルのロングショットで父親が逆さになって赤ん坊を救出するシーンが撮られている。
■退出の映画史 ラストシーンで警官たちが気を利かせて夫婦の部屋から出て行っているようにも見える。退出の映画史の「起源」
■煙 たばこを何度もつけて吹かしている。オーブン。
■男はアパートではナイフを順手に握っているが従兄弟を殺そうとする時にはナイフを逆手に握っている。
■人間運動 復讐という人間運動。
■キャメラの横を通り過ぎる 7ショット。
0-0-0-あり
高層アパートと階段
逆恨み
サスペンス
クロス・カッティング
ロングショット
たばこ
退出の映画史の「起源」
1909 これらのいやな帽子
Those Awful Hats
1.23
なし
撮影はアーサー・マーヴィン(Arthur Marvin)が関わったという説あり。
180  20  1  3  1シーン1ショット、時系列。映画館で前に座った女の大きな帽子でスクリーンが見えなくなり抗議する男(マック・セネット)。「女性は帽子を脱いでください」と字幕が入って終わる。
■字幕あり ラストシーンに「御婦人のみなさま、帽子をお取り願います」と入る
■当時ニッケルオデオンの館内で「御婦人のみなさま、帽子をお取り願います」というアナウンスが入った(リリアン・ギッシュ自伝70)ことをコメディにしている
■縦の構図の「起源」 手前と奥とで別々の演技が縦の構図で撮られている。スクリーンの映像は館内とは別々に撮影されている。
■1シーン1ショット 合成その他によってカットは割れているが趣旨としては1シーン1ショットとして撮られている。
■山高帽・ステッキ・ひげ・水玉の背広の男がマック・セネット。

■巻き込まれ運動 スラップスティックコメディ。
■キャメラの横を通り過ぎる なし
0-0-0-なし
合成
縦の構図の「起源」
巻き込まれ運動
1909 The Curtain Pole
カーテンポール 2.13

1908年製作との説あり
撮影場所 ニュージャージー州フォートリー
1909 POLITICIAN’S LOVE STORY
政治家のラブストーリー2.20

撮影場所ニューヨーク市マンハッタン・セントラルパーク
ちらちら 28  129  15  7  1シーン1ショット、時系列。自分を風刺した漫画に怒った政治家(マック・セネット)が出版社にピストルを持って怒鳴り込んだところ風刺画を描いた美人の漫画家(マリオン・レナード)に恋をする。公園で男に絡まれている彼女を助けたセネットは彼女にキスをしてから2人でキャメラの横を通り過ぎる。
■字幕なし
■クローズアップ 風刺画のクローズアップにそれを持つ指も撮られていることから原初的寄る・引く
■雪に覆われた真っ白な公園のベンチを斜めから撮ったロケーション。雪の「起源」。
■煙 たばこ
■気づかないことにする 後ろでセネットが銃で人を脅かしているのにマリオン・レナード等は気づかない。
■欲望の対比 雪の公園のベンチに座っているセネットの前を恋人たちが何組も通り過ぎる。
■人間のラブストーリー。
■キャメラの横を通り過ぎる 4回人々がショット内モンタージュでキャメラの横を通り過ぎている。 ラストシーンはセネットがマリオン・レナードとキスをしてからショット内モンタージュで2人でキャメラの横を通り過ぎで終わる。
0-0-1(風刺画)-なし
クローズアップ指あり・
原初的寄る・引く
雪の「起源」
ラストシーンでキャメラの横を通り過ぎる
1909 The Joneses Have Amateur Theatricals
ジョーンズはアマチュア演劇をやっている 2.13
ちらちら 19  192  16  5 1シーン1ショット。退屈そうな夫婦(夫ジョン・R・カンプソン妻フローレンス・ロレンス)はアマチュア演劇の仲間たちが家にやって来て稽古をするとの手紙に喜び彼らを迎えるが、夫がトラブル夫人(マリオン・レナード)とラブシーンを演じているのを見た妻は夫人に笑顔を繕いながら夫を張り倒して夫人の役を強奪し、別室で酒盛りをして帰って来た夫は妻がラブシーンを演じているのを見て招待客を叩き出したあと、夫婦には再び退屈な時間が訪れる。
■字幕あり
■倦怠期の夫婦がオープニングとラストシーンの枠物語として撮られている。なんとなくヒッチコックの「裏窓(Rear Window)」(1954)。
▲平行モンタージュあり
部屋(場所的関係が不明)で酒盛りをしている夫たちから→別の部屋で稽古をしている妻たち→酒盛りをしている夫たちと、並行する前後関係を欠いた同時間のショットとショットが2回カットバックされている。平行モンタージュが1908年の時期とは変わって来ている。
★手紙のクローズアップが入る。字幕のように入るので寄る・引くはカウントしない。
■鏡 姿は映っていないがフローレンス・ロレンスが見ている。
■女の戦い フローレンス・ロレンスとマリオン・レナードとの親密さを装った女の戦いが見られる。
■人間運動 内から湧き出るジェラシーの惹き起こす夫婦の人間的運動。
■キャメラの横を通り過ぎる なし。
0-0-1(手紙)-あり
枠物語
平行モンタージュの進化
1909 EDGER ALLAN POE
エドガー・アラン・ポー
2.6
ちらちら
アニタ・ヘンドリー(anita hendrie)。フィラデルフィア生まれ。1908年からグリフィス作品に端役で出演、この時期、脇役として「THE VOICE OF THE VIOLIN(バイオリンの声)」(1909.3.13)のメイド役など続けて出演している。女優活動は1912年まで。1940年4月14日死去。73歳。
84  43  5  7  時系列、1シーン2ショット ポーの自伝的作品。貧困の中、妻(リンダ・アーヴィドソン)の看病をしているポー(バリー・オムーア)はふと部屋に飾ってあった彫像に留まったカラスをヒントに作品を執筆し出版社へ出向き2つ目の出版社の編集者(テビッド・マイルズ)にようやく原稿が売れて帰宅すると既に妻は息を引き取っている。最初の出版社・アーサー・ジョンソン、二度目の出版社の女アニタ・ヘンドリー
■字幕なし
■引く 妻が息を引き取る時、それまでよりも寄りの画面から始まり、息を引き取る瞬間、キャメラを引いている。カッティング・イン・アクションではないがD・W・グリフィスがキャメラを引いた「起源」が撮られている。1シーンの中でキャメラが引かれる前のショットと引かれたあとのショットが撮られているので1シーン2ショットとなる。
■照明の「起源」 暗い部屋の中に窓の外から光が差し込む設定になっている。それによって暗い空間に「黑」が出て陰影が現れている。照明とは狭義には全体ではなく部分における光の在り方であり、強弱、陰影、点滅、方向、などによって部分を物語の因果から逸脱させて撮ることの総称である。
■目を開けて死ぬ 妻は目を開けたまま死んでいる。
■ストップトリック カラスが。
■人間運動。
■キャメラの横を通り過ぎる なし
0-0-0-なし
引くの「起源」
照明の起源
ストップトリック
1909 The Golden louis
黄金のルイ 2.20

撮影場所 ニューヨーク市マンハッタン・ブリーカーストリート
ちらちら

脚本エドワード・アッカー(Edward Acker)。
アデル・デカルト(Adele DeGarde)。
1908年からバイオグラフで子役として出演、後にヴァイタグラフへ移籍してスターになり1918年まで活躍。1972年11月死去。73歳。
オーウェン・ムーア(Owen Moore)。アイルランド生まれ。1911年11月7日、グラディス・スミス(メアリー・ピックフォード)と結婚(20年離婚)、1912年、ハリー・ソルターとフローレンス・ロレンス夫婦の設立したヴィクター・スタジオに移籍、フローレンス・ロレンスと多くの映画で共演する。その後ルイス・J・セルズニックの映画に出演。1939年6月9日死去。
18.7  193  20  613 クローズアップが2ショットあるので1シーン1ショットではない。『ルイ』とはフランスのルイドール金貨のこと。クリスマスの夜、母親(アニタ・ヘンドリー)に脱がされた靴を差し出し道行く人に物乞いをする少女(アデル・デカルト)が疲れ果て雪の降り積もる石の階段に横たえているとそこへカジノで勝ったギャンブラー(オーウェン・ムーア)が通りかかりルイドール金貨を眠っている少女の靴の中に入れて去ってゆく。しばらくしてカジノで負けたギャンブラー(チャールズ・インスリー)が眠っている少女の靴の中から金貨を持ち去りその金でカジノで勝った彼は金貨を返すために少女を探すが既に少女の体は冷たくなっていた。
■字幕なし
▲平行モンタージュあり
①カジノにいる2人目のギャンブラー→路地の階段に横たわる少女(アデル・デカルト)→カジノのギャンブラー、と交互にカットバックされている。場所的に間隔が開いている。
■クローズアップへ寄る→引く 原初的寄る・引く
①1人目のギャンブラーの掌に乗せたルイドール金貨。別々に撮られているので原初的寄る・引く。
②少女の小さな靴の中に入った金貨のクローズアップ。画質が違うので原初的寄る・引く。事物のクローズアップが剥き出しの現在を露呈させている。このクローズアップはギャンブラーの主観ショットの体裁で撮られている。ただ、通常主観ショットとは切り返しによって撮られるものであるが、ここでは「寄り」によって撮られている。これを主観ショットの「起源」とすることも可能だが、ひとまずここでは参考記録にとどめておく。2人目のギャンブラーがカジノで勝つことによって得たものとそれによって失われたこととがあの金貨の入った小さな靴のクローズアップの1ショットによって二度と戻らない出来事として語られている。
■雪が降っている セットの中の雪。グリフィス降雪の「起源」。
■立体的装置 人が裏を通れるような作りになっている。
■フェイドアウト ラストシーンに入っているが綺麗に入りすぎているのであとから加えられたように見える。
■人間運動と改心 2-Aと2-B
■キャメラの横を通り過ぎる 2ショット。
0-0-2(靴)-あり
平行モンタージュあり
金貨と金貨の入った靴のクローズアップ。
原初的寄る・引く。
主観ショット
降雪の「起源」
1909 At The Alter
祭壇にて 2.20

撮影場所ニュージャージー州エッジウォーター
ちらちら 26  138  29 12.35 1シーン1ショット。イタリアの下宿の人気者の女(マリオン・レナード)を音楽家(バリー・オムーア)に奪われた男(チャールズ・インスリー)が腹いせに女の結婚式の行われる教会の祭壇に自動発射拳銃装置を仕掛けた後、自宅に帰り、遺書を書いて自殺する。それを読んだ警官(アーサー・ジョンソン)が教会へ走る。下宿人夫婦テビッド・マイルズとアニタ・ヘンドリー。警官を呼びに行く下宿人の娘ドロシー・ウエスト。
■字幕あり
▲平行モンタージュ
①控室で結婚の準備をしている花嫁たち→教会で銃を仕掛ける男→控室、と撮られていて平行モンタージュが成立している。
②その直後、A教会の祭壇に自動拳銃の装置を仕掛けて帰宅する男→B控室の花嫁C自宅に帰り遺書を書き服毒自殺する男→D教会の花嫁たち という順序で編集されている。
 道路→控室→自宅→教会、と場所が統一されていないことから時系列に近く原初的平行モンタージュとなる。
▲クロス・カッティング
祭壇に自動拳銃を仕掛けたとの男の遺書を駆け付けた警官が読み教会へ走る→②教会→③路地を走る警官→④教会→⑤警官、洗濯物が風に揺れている路地を走り、ニワトリにつまずき転び足を引きずる→⑥教会→⑦警官力尽きて倒れ、通行人(ロバート・ハーロン)が引き継いで教会へ走る→⑦教会に通行人が間一髪で到着、抱き合う新郎新婦、、というクロス・カッティングが撮られている。「THE FATAL HOUR(運命の時)」(1908)、そして「THE CORD OF LIFE(命綱)」(1909)をさらに進めた完成系のクロス・カッティングを見ることができる。平行モンタージュ、
▲平行モンタージュよりもクロス・カッティングが、、、
クロス・カッティングは平行モンタージュの一種だが平行モンタージュに比べて「救出すること」という時系列的要素の強い編集であることから初期映画において平行モンタージュよりも先に根付くことが出来るのかも知れない
■クローズアップ 仕掛けられる銃に寄る・引くあり。爆弾を仕掛ける手の運動が撮られているが引きのショットと画質が違うので原初的寄る・引く
■引く 1ショット目のテーブルのショットで(字幕を挟んで)キャメラが引かれている。
■寄る 警官が走れなくなって倒れた時、キャメラが寄っている。ひとつの作品で事物のクローズアップ以外で「引く」と「寄る」が撮られた「起源」
■路地の家の二階で洗濯物が風に揺れている。風に揺れる洗濯物の「起源」
■鏡 あり。映ってはいない。
■自殺することの「起源」
■人間運動 ジェラシーによる人間の復讐運動。動物は自殺しない。
■キャメラの横を通り過ぎる 5ショット。
0-0-1(銃)-あり。
平行モンタージュの進化
クロス・カッティングの進展。
原初的寄る・引く
クローズアップ以外の「引く」と「寄る」の「起源」
風に揺れる洗濯物の「起源」
自殺することの「起源」。
1909
THE LURE OF THE GOWN
ガウンの魅力 3.13

撮影場所ニュージャージー州フォートリー
ちらちら 70  51  6  7 1シーン1ショット、時系列。 素敵なガウンを身にまとった女(マリオン・レナード)に恋人(ハリー・ソルター)を奪われた踊り子(フローレンス・ロレンス)はパートナー(アニタ・ヘンドリー)と連れ添って街頭で歌を歌っていたところあるレディ(リンダ・アーヴィドソン)からもっと素敵なガウンをもらって身にまとい浮気した恋人に復讐し別の男(チャールズ・インスリー)と結ばれる。
■字幕なし
■煙 たばこ
■逆手 男はナイフを逆手に握っている
■人間運動 ジェラシーによる人間の復讐運動。
■キャメラの横を通り過ぎる 3ショット。
0-0-0-なし
1909 LADY HELEN’S ESCAPADE
レディ・ヘレンの冒険 4.17
撮影場所ニュージャージー州フォートリー
ちらちら
脚スタナー・E・V・テイラー
42  86  12  8.20 裕福な女性(フローレンス・ロレンス)は退屈まぎれに新聞広告で募集されていた下宿の家政婦として身分を隠して働き始め下宿の男たち(アーサー・ジョンソン、マック・セネット)に言い寄られては軽くあしらっていたところ、みなに退屈されているバイオリニスト(テビッド・マイルズ)の才能を見出すが、家の女たちの嫉妬からバイオリン泥棒で捕まりそうになったところをバイオリニストに助けられる。しかし家政婦を首になり泣いている(ふりをしている)とバイオリニストはなけなしのお金を彼女に渡して慰める。その後彼女は身分を明かしてバイオリニストにお金を返し家に招待する。フローレンス・ロレンスのメイド→ドロシー・ウエスト。ボーイフレンド→オーウェン・ムーア。下宿先の家政婦→アニタ・ヘンドリー。
■字幕なし
■エプロン 白いエプロンは初期映画の女たちの普段着となる。
■気づかないことにする 椅子に座ってハンカチで涙をふいているバイオリニストの後ろでフローレンス・ロレンスが何度もちょっかいを出しているのに気づかない。レヴェルの高い『気づかないことにする』。
■人間運動。
■キャメラの横を通り過ぎる なし
0-0-1(新聞)-なし
エプロン
気づかないことにする
1909 THE VOICE OF THE VIOLIN
バイオリンの声 3.13

撮影場所 ニューヨーク州マンハッタン西12番街
ちらちら
フランク・パウエル(Frank Powell)。カナダ生まれ。舞台監督から1909年バイオグラフと俳優兼脚本家として契約、「彼の義務)」(1909.5.29)の弟の警官、「(田舎の医者)」(1909.7.3)の医者、「枢機卿の陰謀」(1909.7.10)ではグリフィスと共同監督で監督にも進出、90本近くの映画を撮る。1915年フォックスでセダ・バラ主演「愚者ありき(A FOOL THERE WAS)」を監督、セダ・バラを発見し彼女はヴァンプとして世界的スターとなる。1946年死去。69歳。
44  82.5  22  16 バイオリンを教えて生計を立てている男(アーサー・ジョンソン)は無政府主義者の誘いに自分はバイオリンだけだと軽くあしらうが、思いを寄せている裕福な家の生徒(マリオン・レナード)に身分違いと拒絶されその父親(フランク・パウエル)にも侮辱されて悲嘆にくれているとき無政府主義者の指導者(テビッド・マイルズ)に紹介されて組織に入り、くじを引いて爆弾を仕掛けるチームに選ばれ金持ちの家に忍び込んで爆弾を仕掛けしようとしたところ、バイオリンの音色から教え子の家と分かり中止しようと仲間と格闘し縛られるが頭で導火線を切り離して阻止し、家の者たちに捕えられるが娘の父親によって解放され娘と結ばれる。娘の家のメイド→アニタ・ヘンドリー。
■字幕あり
■切り返し 主観ショットの「起源」
①外でバイオリンの音を聞いた教師と中でバイオリンを弾いている娘とが2ショット内側から切り返されている。原初的音声空間の切り返し
②その直後、中でバイオリンを弾いている娘とそれを窓の外から見ている教師とのあいだは、2ショット内側から切り返されている。窓空間。主観ショット。ここではA窓の外から中を見ている教師→B家の中でバイオリンを弾いている娘→Cそれを見て驚きのけぞる教師、、が撮られている。Aが「見ること」、Bが「見られた対象」、Cが「見たこと」、として今後主観ショットとは「見ること」→「見られる対象」→「見たこと(見たことの反応)」が順に撮られている場合を指すこととして検討する。この主観ショットは角度的にも洗練されているがそれが偶然であることは後に検討することになる。
■カッティング・イン・アクションの「起源」  家の中でバイオリンを弾いている娘を主観ショットで覗いた後、教師が階段を降りる時にカッティング・イン・アクションで大きくキャメラが引かれている。『ラストシーンだけ異質のショット』以外でのカッティング・イン・アクションの「起源」が撮られている。
■音声の分離 分離されたバイオリンの音に反応した教師が家の中を主観ショットで盗み見する、という流れで撮られている。
■視線を遮る カーテンを閉めて向こうの空間にいるメイドの視線を遮っている。
■メイド(アニタ・ヘンドリー)がバイオリンを主人に渡す、という同じ行為を最初とラストシーンに二度繰り返すことでコメディとしている。
■共産主義者たちの何人かは顔を黒い布で隠している。
■パン あり
■煙 たばこ、爆弾
■人間運動と改心 男はバイオリンの音()を聞き驚いて窓へ駆け寄り家の中でバイオリンを弾いている(弾き終わっている)教え子を確認したあと驚いて大きくのけぞり何度も拳を振り上げ慌てて地下室へと走り爆弾の設置を阻止しようとしている。バイオリンの音はこの作品の題名が示すように音色でなく「声(VOICE)」=バイオリンの振動による分離=でありそれを聞いて窓へ駆け寄り覗いたところ教え子だと分かって驚き大きく後へのけぞっている彼の改心は考えることではなく衝動として撮られている。
■キャメラの横を通り過ぎる なし
4(原2)-0-0-なし
カッティング・イン・アクションの「起源」
主観ショットの「起源」
窓空間。
分離
視線を遮る カーテンを閉める
1909 A DRUNKERS REFORMATION
酔っぱらいの改心 3.27
ちらちら
観客たちはキャメラを正面から見据えている。
26  137 32 14 酒癖の悪い夫(アーサー・ジョンソン)が娘(アデル・デカルト)と『酒癖の悪い夫が家庭を崩壊させる舞台劇』を見に行き改心する。妻リンダ・アーヴィドソン。以下は舞台劇の出演者→夫テビッド・マイルズ、妻フローレンス・ロレンス、娘グラディス・イーガン、看護師アニタ・ヘンドリー、酒を持ってくる女マリオン・レナード、酒飲み友達マック・セネット
■字幕なし
室内の切り返し
①酒癖の悪い夫アーサー・ジョンソンが娘と2人で舞台を見に行ったときの観客席の観客たちと舞台の上の劇とのあいだは、19ショット内側から切り返されそのまま終わっている。これは1つの室内を二つに分断して切り返されているので「FIGHTING BLOOD(戦う血)」(1911.7.1)で検討される
近代的切り返しのようにも見えるが近代的切り返しとは1室内空間の一角にキャメラが入り込みそれによって余った空間へキャメラを切り返すことであるところ、この切り返し①は通常の室内空間ではなく特別に作られた舞台と観客席という広い空間であり、(いつも撮られている)1つの空間にキャメラが入り込む、という近代的切り返しの趣旨を逸脱している。だが『視線の通じている1つの空間を分断し交互に撮る1シーン2ショットのコミュニケーション』という切り返しの定義には合致していることから「切り返し」として検討を進める(室内における切り返しの「起源」)。酒癖の悪い男が家庭で暴力をふるったあと死ぬという舞台劇を見ていた夫が改心するという物語なので少々舞台のショットが長くはあるものの、ほぼ正面から撮られた観客席と舞台とが交互に切り返され、かつ多くの観客たちがキャメラを正面から見据えているこの切り返しは、斜めではなく真正面から切り返されていることから観客は舞台ではなくキャメラを見ているのであり、その逆に舞台の者たちも観客席ではなくキャメラの前で演技をしていることになり、おそらく両者のショットは別々に撮られているように見える。
▲平行モンタージュ 家と酒場とが家→酒場→家→酒場、と無時間的に交互編集されている。
▲平行モンタージュと主観ショットの関係について 2024.10.19
序盤、夫の帰りを待っている妻が窓から外を見ると、酒場で飲んでいる夫のショットへと転換されている。酒場は離れた場所にあることからこれは主観ショットではなく平行モンタージュだが、見たところでは主観ショットに接近していて平行モンタージュと切り返しとの混同が見られている。
■分離 妻が揺り椅子に夫のガウンを掛けて撫でている。
■揺り椅子 リンダ・アーヴィドソンが殊更揺らしている。
■ラストシーンだけ異質のショット ラストシーンで暗くなった暖炉の部屋
■照明 ラストシーンは暖炉の光に照らされたという設定の暗く暖かい空間の照明がなされている
→「EDGER ALLAN POE(エドガー・アラン・ポー)」(1909.2.6)
■人間運動と改心 夫の改心はみずからの生き写し(分離)である舞台劇を見るという1クッション置かれている。これは通常、改心を因果的に生じさせる出来事ではなく、またその舞台劇を夫は19ショットの切り返しという過剰な「見ること」をしたあと娘を抱き寄せ胸に手を当てている。2-B。
■キャメラの横を通り過ぎる なし
19-0-0-あり。
平行モンタージュスムーズ
室内の切り返しの「起源」
主観ショットと平行モンタージュの混同
主観ショットのようで主観ショットではないことが撮られている。
分離
揺り椅子
照明
ラストシーンだけ異質のショット
1909 CONFIDENCE
信頼  4.1
ちらちら 30  120  24  12 1シーン1ショット。西部の小さな町の孤児として生まれた文無しの娘(フローレンス・ロレンス)は恋人のギャンブラー(チャールズ・インスリー)たちから逃れて街を出る。2年後、ニューヨークで懸命に働いて看護師になった彼女はそこで出会った医師(アーサー・ジョンソン)と結婚したところ、たまたま彼女を街で見かけた昔の恋人に過去の手紙をネタにゆすられ続けるが男が机の上に残した葉巻を見て怪しんだ夫は妻がゆすられている現場に踏み込み男をつまみ出し妻と抱き合う。
■字幕あり
■孤児 フローレンス・ロレンス。孤児の「起源」
▲平行モンタージュあり
(ニューヨークにて)レストランで酒を飲んでいる者たち→自宅で打ちひしがれる妻→レストランの悪党たちとカットバックされている。
■過去 回想ではないが過去という主題が初めて撮られている。
■西部から東部へ
■視線を遮る アーサー・ジョンソンが衝立で奥で仕事をしている看護師の視線を遮ってフローレンス・ロレンスとキスしている→「THE VOICE OF THE VIOLIN(バイオリンの声)」(1909.3.13)→カーテンで視線を遮る。
■赦し 妻の過去を夫が赦す、という和解のメロドラマ。
■煙 たばこ
■パン あり
■人間運動。夫は妻を疑っておらず終始一貫している。
■キャメラの横を通り過ぎる 1ショット。
0-0-0-あり。
平行モンタージュ
孤児の「起源」
初めての過去
視線を遮る
西部から東部へ
1909

LUCKY JIM
ラッキージム 4.24
撮影場所 ニュージャージー州フォートリー

ちらちら
脚本スタナー・E・V・テイラー
35  104  11 6.20秒 ジャック(マック・セネット)はうら若き乙女ガートルード(マリオン・レナード)に愛を告白するが彼女はやさ男のジム(バリー・オムーア)を選び2人は結婚する。だかその新婚家庭で肉が固いと異議を唱えたジムはガートルードに髪の毛を鷲掴みにされて椅子から引きずり降ろされ床に頭を叩きつけられ新聞で頭を叩きのめされ首根っこを掴まれて椅子に引きずり戻される。ガートルードの肖像画を描きながら傷心の日々を過ごしているジャックの元へ『ジム死す』の報が届けられる。すかさずジャックは喪服姿のガートルードに求婚し2人は結婚するが、ある朝食、お茶がまずいとガートルードに異議を唱えたジャックはガートルードに頭を鷲掴みにされて床に叩きつけられ無理矢理そのお茶を飲まされてから引きずられテーブルの下に避難したものの追撃の皿攻撃で脳天をカチ割られる。ジャックは壁に掛けられていたジムの肖像画を手にして『なんて君はラッキーなんだ、、』とつぶやいた。ガートルードの父親テビッド・マイルズ、母親アニタ・ヘンドリー。
■字幕なし。手紙はある。
■ガートルードとジム という名前に何かしら映画史の因縁があるかのかも知れない→カール・ドライヤー「ガートルード(GERTRUD」(1964)、フランソワ・トリュフォー「突然炎のごとく(JULES ET JIM)」(1961)。→「THE LAST DROP OF WATER(最後の一滴)」(1911.7.22)
■巻き込まれ運動→2人の男。「常習犯」→ガートルード。
■キャメラの横を通り過ぎる なし
0-0-1(新聞)-なし
ガートルードとジム
巻き込まれ運動
スラップスティックコメディ
1909 RESURRECTION
復活 5.15
ちらちら 18  200  14  12 原作トルストイ。王子(アーサー・ジョンソン)は恋人(アニタ・ヘンドリー)がありながらメイドのカチューシャ(フローレンス・ロレンス)と恋に落ちるが身分違いから叶うことなく時は流れて5年後、身を持ち崩したカチューシャは場末の酒場で警察の手入れにあって逮捕され偶然再会した王子から聖書を渡され信仰を得た彼女に王子は結婚を申し込むがカチューシャはそれをありがたく断り信仰の道に生きる。
■字幕あり
★聖書のクローズアップ 指ありで原初的寄る・引く
■書き割り 雪山は書き割り。
■帽子を脱ぐ カチューシャが信仰の道に入ったことを悟った王子が帽子を脱ぐ。
■煙 たばこ
■盲目の姉。しかしテーマにしなっていない。
■人間運動と改心 カチューシャは神の分離した聖書に触れること、見ること、読むこと、指で文字を辿ること、で神の啓示に触れ「改心」している。2-A
■キャメラの横を通り過ぎる  2ショット
0-0-1(聖書)-なし
聖書のクローズアップ 指あり→原初的寄る・引く
帽子を脱ぐ
1909 The Cricket on the Hearth
暖炉のコオロギ
5.27

撮影場所 ニュージャージー州フォートリー
ちらちら
ハーバート・プライアー(Herbert Prior)。オックスフォード生まれ。1908年から34年までに260本以上の映画に出演。1954年10月3日死去。87歳。
30  120  25  1230秒 1シーン1ショット。
青年エドワード(オーウェン・ムーア)は父親(テビッド・マイルズ)と妹(リンダ・アーヴィドソン)そして盲目の姉(ドロシー・ウエスト)を残し、恋人メアリー(バイオレット・マーセロー)にも別れを告げて航海へ旅立ってからしばらくすると、妹はフィアンセ(ハーバート・プライアー)と結婚し恋人のメアリーは母親(アニタ・ヘンドリー)の借金の肩代わりに裕福な男(ハリー・ソルター)と婚約させられる。出先の宿屋の主人(ジョン・R・カンプソン)からその噂を聞きつけたエドワードはメアリーのあとをつけて婚約者がいることを確認するとメアリーが本当に自分を忘れてしまったのか確かめようと旅芸人(マック・セネット)から変装道具を借りて老人に変装し、まず妹(リンダ・アーヴィドソン)に会いに行き正体を明かし変装を解いて妹と抱擁するが、それを盗み見た妹の夫が妻が浮気していると誤解し銃でエドワードを殺そうとするが暖炉の上のコオロギの泣き声を聞いて思い止まり、妹は結婚式を控えたメアリーの家へ行って兄を引き合わせそのまま2人はメアリーの婚約者を無視して路上でみつけた牧師(アーサー・ジョンソン)に結婚式を挙げてもらい、妹の夫の誤解も解け青年の父親と盲目の姉も駆け付け、さらにメアリーの婚約者までもが2人を祝福し彼は盲目の姉と結ばれる。原作ディケンズ。
■字幕なし
■評 文芸的な原作を忠実に12分で再現するとなにがなんだかわからなくなる。姉の盲目も無意味になっている。
●切り返し~原初的主観ショット原初的二間続きの切り返し
①変装した兄と2人で隣の部屋に入って行った妹と、それを隣室からドアを少し開けて見ているメアリーの婚約者とのあいだは、1ショット内側から切り返されている。
②さらにそこへやって来た妹の夫と隣室の兄妹とのあいだは、2ショット目に同一画面に収められるまで内側から切り返されている。切り返し②はドアを開けて視界が通じており夫は「見ること」と「見たこと」をしているので主観ショットとなる。しかし隣室の兄妹は夫の見た目の角度ではなく正面から撮られている。初期映画においては1つの部屋を正面からのロングショットで1シーン1ショットで撮ることが基本とされているので仮に主観ショットの趣旨で撮られていても基本的に見られた対象は正面からのショットとなり見ているものの見た目からは大きくずれることになる。今後そのような正面から撮られている主観ショットを『原初的主観ショット』として検討する。さらに切り返し②は視界は通じているものの見つめ合ってはおらず、またドアによって仕切られた二つの隣接する部屋同士が正面から交互に撮られている。1つの空間を自由に分断して撮られる「切り返し」ではなく1シーン1ショットで正面から別々に撮られた二つの空間を編集でつなげているだけであり、方法としては1シーン1ショットの平行モンタージュと接近している。二間続きの空間ABを1シーン1ショットで別々に正面から撮ることしか出来ないこの時代にはAとBとを同一画面に収めることができず(不可能ではないが仕切られているため同一画面に収めてしまうとドアなり仕切りを無化してしまうことになる)、『視線の通じている1つの空間を分断し交互に撮る1シーン2ショットのコミュニケーション』という切り返しの『1つの空間』という要件を欠いている。以降、このような扉の開かれた二間続きの部屋同士の切り返しを『原初的二間続きの切り返し』として検討する。二間続きの部屋を1つの空間として撮るためにはキャメラが部屋の中に入り込みドアを挟んで二間続きの部屋を縦断(横断)させて撮る必要があるがこの時期にキャメラは部屋の中に入り込めないことから二間続きの部屋を同一画面に収めることはできず正面から1シーン1ショットで交互に撮るしかない、という意味合いにおいて「原初的」である。これが『近代的切り返し』へと発展するには「THE HOUSE OF DARKNESS(暗黒の家)」(1913.5.3)まで待たなければならない。
●原初的二間続きの切り返しは1シーン1ショットか
YES。
▲平行モンタージュ 
①序盤、青年が恋人と別れのキスをして旅立つ→青年の実家→恋人の家→青年、へとカットバックされている。場所がすべて違うことから時系列で撮られているようにも見える。原初的平行モンタージュ
②路地でうなだれる妹の夫→エドワードが恋人と再会する→身支度をして家を出ようとしている妹の夫→青年と恋人とが路地で牧師に結婚式を挙げてもらうシーン、へと転換されている。これもすべて場所が違い移動という時系列から抜け切れていない原初的平行モンタージュ
■照明 妹の夫がローソクの火を指で消した瞬間、部屋が暗くなる。カットを割って撮っているのかと何度も見直したが持続している。消した瞬間、照明を暗くしている。暗くすることで暖炉の光を光源として際立たせ「暖炉のコオロギ」を表現したかったのかもしれないが小さすぎて無理がある。
■縦の構図~前と奥とで別々の演技の「起源」
宿屋で青年が変装する時、奥の道化師と縦の構図で別々の運動が撮られている。
■煙 たばこ
■エプロン 姉妹の。
■人間運動と改心 妹の夫は誤解が解けて和解しているがこの和解は妹が浮気をしていなかったという、それによって通常人は改心するであろうという因果的な出来事からもたらされており夫は驚いてはいるもののやや衝動が弱いかも知れない。ラストシーンでメアリーの婚約者が改心して祝福に駆け付けているがここにはなんの1クッションも挟まれておらずそれまで怒り狂っていた男がいきなり2人を祝福し「悪人」から「善人」へと変貌している。1-B。その後男は盲目の姉を抱き寄せているがおそらくこの2人の関係を撮る時間がなかったのだろう。高名な文芸作をそのまま映画化するとこうなるのかも知れない。
■キャメラの横を通り過ぎる 6ショット
2(原2)-0-0-あり(原)。
切り返し
照明 ローソクを消すと照明が暗くなる。
原初的主観ショットの起源
原初的二間続きの切り返しの起源
縦の構図~前と奥とで別々の演技の「起源」
盲人
1909 WHAT DRINK DID
飲酒は何をもたらしたか
5.29

撮影場所 ニュージャージー州フォートリー
ちらちら 16.7  215  43  12  1シーン1ショット。妻(フローレンス・ロレンス)と2人の娘(グラディス・イーガン、アデル・デカルト)に囲まれ幸せに過ごしている夫(テビッド・マイルズ)は同僚に勧められて職場とその帰り道の酒場で酒を飲み泥酔して帰宅して家族を驚かせる。翌朝、人が変わったように乱暴になった夫は職場の帰りに酒場へ寄って酒を飲み、彼を探しにやって来た娘を突き飛ばしそれをたしなめたバーテンを殴るとバーテンは銃を取り出し父親を撃とうとして誤って娘を撃ってしまう。数日後、娘を失くした彼は同僚の酒の誘いを断って帰宅すると喪に服している妻に許しを乞い残された娘を抱きしめる。「THE DRUNKER‘S REFORMATION(酔っぱらいの改心)」(1909)と同じテーマで、酒を飲む夫が家庭を崩壊させる物語。
■字幕あり 丁寧に何度も入っている。
▲平行モンタージュ 
①職場で働く夫→家でくつろいでいる妻と2人の娘→職場で酒を飲んだあと職場から酒場へ移動し酒場で酒を飲む夫→家で夫の帰りを待つ妻たち→酒場→家で窓の外を見ている妻→酒場→家で妻が窓の外を見ている所へ夫が逆方向から帰宅、と編集されている。夫は場所的に移動しているが妻はずっと同じ場所であり時系列から抜け出てはいないものの同時間性が現れている。
②仕事場から出て来る夫と同僚→家の妻たち→酒場へ入って酒を飲む夫→家で窓の外を見ている妻→酒場の夫→家を出て父親を捜す娘→家の母と娘→迷った末に父親の酒場へたどり着く娘、とカットバックされている。娘の移動行為は時系列的であるものの家の妻は同じ場所であり平行モンタージュが成立していると見ることができる。
■平行モンタージュと主観ショットの関係について
①②では「THE DRUNKER‘S REFORMATION(酔っぱらいの改心)」と同じように家で窓の外を見ている妻から酒場の夫へとカットバックされている。場所的には平行モンタージュでありながら主観ショットのように撮られていて主観ショットと平行モンタージュとの混同が見られている
■スプーンを逆手に握っている。
■煙 たばこ、銃
■パン あり
■帽子を脱ぐ 娘の死を前に酒場の客たちが帽子を脱いでいる。
■人間運動と改心 娘の死という1クッション置かれて父親は改心している。娘の死は通常飲酒をやめることを因果的に生ずることもあれば生じないこともある。父親は娘の死を見ること、娘を抱きしめること、取り乱すことにより改心しておりそこに「考える」「思い直す」という知的な余裕は混入していないことから衝動による改心と見ることができる。2-B
■キャメラの横を通り過ぎる 8ョット
0-0-0-あり
平行モンタージュ2箇所あり
主観ショットと平行モンタージュの混同
パン
照明
1909 HER FIRST BISCUITS
彼女の最初のビスケット

6.12
撮影場所 ニュージャージー州フォートリー
ちらちら 12.5  288  32  640 1シーン1ショット。
妻(フローレンス・ロレンス)が作ったまずいビスケットを食べた夫(ジョン・R・カンプソン)は妻のいない間にビスケットを窓から捨てると食べたと勘違いした妻は会社へビスケットを差入れに行き、会社でそれを食べた同僚たち(アーサー・ジョンソン、アニタ・ヘンドリー等)とその隙に家に入った泥棒と泥棒を捕まえに来た警官はみんなビスケットを食べて異変をおこす。
■字幕なし
▲平行モンタージュ
①台所でビスケットを作っている妻→居間のテーブルの夫→台所でビスケットを完成させた妻、とカットバックされている。隣室同士で時系列、音声、気配を感じる仕草もないので切り返しでも平行モンタージュでもない。
②会社にビスケットを置いて来た妻→家の台所の泥棒→会社でビスケットを食べる社員たち→家でビスケットを食べておかしくなる泥棒→会社で異変を起こす社員→台所でさらにビスケットを食べる泥棒→会社でビスケットを食べて異変を感じる新たな社員たち→台所で苦しむ泥棒→会社でビスケットを食べる大勢の社員→台所でビスケットを食べる警官→会社で異変を感じる多くの社員たち→台所で異変を感じる警官→会社でビスケットを食べて異変を起こす新たな社員→家の居間で倒れる警官と泥棒→会社の妻、、とカットバックされている。やや時系列が混入しているものの家と会社の二つの場所に固定してカットバックされていることに進化が見られている。これまでにない14のショットで交互に撮られているのは、このビスケットが平行モンタージュを撮るために考案されたマクガフィンであることを示唆している。
■煙 やかんの湯気の「起源」
■人間運動(妻)と巻き込まれ運動のミックス
■キャメラの横を通り過ぎる 2ショット
0-0-0-あり。
平行モンタージュ14ショットとショット数が大幅に増加している。マクガフィンとの融合。
巻き込まれ運動
1909 THE VIOLIN MAKER OF CREMONA
クレモナのバイオリン製作者 6.5
ちらちら
メアリー・ピックフォード(Mary Pickford)、トロント生まれ。グリフィスにスカウトされこの作品で映画初出演。1911年オーウェン・ムーアと結婚(家庭内暴力などにより20年離婚)。1911年初頭(あるいは1910年末)IMPに引き抜かれその後1912年初頭から(契約は11年末かも知れない)バイオグラフに復帰するが同年フェイマス・プレイヤーズへ移籍、『アメリカの恋人(ベン・P・シュルバーグによって命名)』として大スターとなる。ロティ・ピックフォード、ジャック・ピックフォードは妹と弟。1979年5月29日死去。85歳。
31.5   114  19  10  1シーン1ショット、時系列。クレモナはバイオリンの聖地。バイオリン製作コンテストで勝った者がバイオリン職人(ハーバート・プライアー)の娘ジャンニーナ(メアリー・ピックフォード)と結婚することになる。職人の2人の弟子はどちらもその娘を愛していたが、最高の製作者である脚の悪い弟子フィリッポ(テビッド・マイルズ)は、娘が愛しているのは自分ではなくもう一人の兄弟弟子サンドロ(オーウェン・ムーア)と知り彼に勝たせるためにバイオリンを入れ替えたところそれを知らずにサンドロもまたバイオリンを入れ替える。
■字幕あり
■出のショット メアリー・ピックフォード初主演映画の出のショットは窓から顔を出して足の不自由なフィリッポに白い花を投げ渡すというシーンが撮られている。「窓から人が顔を出す」というのもグリフィス初めての出来事ならば「物を投げ渡す」という行為も初めて撮られたショットであり、映画初の大スター、メアリー・ピックフォードの出のショットはまるで映画の神様が仕組んだようにして撮られている。そしてこの白い花をフィリッポに投げ渡すという運動がその後フィリッポをして娘に幸せをもたらす運動=バイオリンの交換、破壊=へとつながれている。
■窓から顔を出す
 グリフィス初の「窓から人が顔を出す」ショット。
■物を投げ渡す グリフィス初の「物を投げ渡す」ショット。ピックフォードは斜に構え右手の下手投げで、まるでカルメンのような妖艶さで投げ渡している。
■壁を斜めに作る 窓から人が顔を出すのが見えるように壁は斜めに作られ斜めから撮っている。
■照明 ラストシーンで部屋の照明が少しずつ暗くなり窓の外からフッリッポに光が差し込める。照明がエモーショナルに撮られた「起源」でもある。みずから身を引き愛する娘に幸せをもたらした男を称賛するかのようにラストシーンで光が当てられている。
■脚が不自由 (「復活(Regeneration)」(1915)では盲目の姉が撮られているがテーマにはなりえていない)
■分離 エプロン、ハンカチ ピックフォードのエプロンに顔をこすりつけるテビッド・マイルズ。また彼はピックフォードの落としたハンカチに顔をこすりつけている。
■落とすこと フィリッポがピックフォードの手を握ろうとする時に帽子を落とす
■アイリス 周囲にうっすらとアイリスがかかっているようにも見える。→「THE COUNTRY DOCTOR(田舎の医者)」(1909.7.3)。
■身を引く 脚の不自由な男がみずからバイオリンを壊して身を引く。身を引くことという改心は娘が自分ではなくほかの男を愛していることを知ったからであり、通常それは「身を引くこと」を因果的に惹き起こすことのある知的な出来事としてあるかも知れないが娘がサンドロを愛していると知った男は絶望しながらも、その瞬間、まるで内から何かに突き上げられるようにバイオリンを指差しその交換を決めている。ここには「ヒート(HEAT)」(1995)で衝動的に車線変更をしたあのロバート・デニーロさながらの「常習犯」の典型的な衝動が撮られている。さらにいざバイオリンを交換しようとしたときにふたたび逡巡するがそこで娘から投げ渡された白い花に気づいて手に取りまじまじと見つめながらバイオリンを交換している。2-A、ないしは2-B
■キャメラの横を通り過ぎる なし
0-0-0-なし
メアリー・ピックフォード映画初主演。
出のショット。
窓から顔を出す
花を投げ渡す
照明がエモーショナルに撮られた「起源」
脚が不自由
分離
身を引くこと
衝動的改心
白い花
1909 TWO MEMORIES
二つの思い出
5.22
ちらちら 45  80  8  6  死に瀕した男(テビッド・マイルズ)が昔の恋人(マリオン・レナード)に手紙を書く。
■字幕なし
▲平行モンタージュあり
自宅で昔の恋人に手紙を書く男→パーティで手紙を受け取り読む女→自宅で女を待つ男→パーティの女→自宅で発作で倒れる男→パーティでみんなを引き連れ男の家へ向かう女、と6回カットバックされている。時系列を色濃く残しながらもここでも「HER FIRST BISCUITS(彼女の最初のビスケット)」(1909.6.12)同様に2つの場所に固定されてカットバックされている。平行モンタージュがリズミカルになりかつショット数が多くなっている。また遠距離間同士の設定が貫かれ主観ショットとの混同も無くなっている。
▲マクガフィンと平行モンタージュ
「彼女の最初のビスケット」と同じく2つの空間の距離を置くために撮られた=平行モンタージュを撮るために考案された物語のようにも見える。
■目を開けて死ぬ 男は目を開けて死んでいる。
■椅子の上で死ぬ 男は椅子の上で死んでいる。その後何度もグリフィス作品で反復される『椅子の上で死ぬこと』の「起源」が撮られている。
■落とすこと 死んでいる男を見たフローレンス・ロレンスが酒のボトルを落とす
■煙 たばこ
■人間運動と改心 死ぬとは思っていなかったという誤解のメロドラマ。これもひとつの改心であり、人が死ぬという出来事は通常因果的に改心を惹き起こすか否かは微妙だが、女は男の死を知った後、酒のボトルを不意に落とし即座に客たちを追い払い男の手にしていた自分の写真(分離)を見て驚き男に白い花を添えて跪き神に祈りうなだれている。ここには知的に何かを考えるという時間的余裕が一切撮られておらずひたすら衝動的な行動が撮られている。2-Aないし2-B
■キャメラの横を通り過ぎる 1ショット
0-0-0-あり
平行モンタージュが円滑になり始めている
椅子の上で死ぬことの「起源」
分離
1909 LONELY VILLA
淋しい別荘 6.5

撮影場所 ニュージャージー州
ちらちら 14 260  54 12 強盗たち(オーウェン・ムーア、アンソニー・オサリバン、ハーバート・プライアー)が家の主人(テビッド・マイルズ)をおびき出しその隙に残された妻(マリオン・レナード)と娘たち(メアリー・ピックフォード、アデル・デカルト等)を襲い、電話で危機を知らされた夫は馬車で救出に向かう。
■字幕なし
「Le médecin du château(城の医者)」(1908.3.28.パテ 監督不明) と似通っている。夫を偽の手紙でおびき出すこと、車で家を出る夫を強盗団が身をかがめて見ていること、そこで切り返されること、屋敷の妻たちが机や椅子をバリケードにして立て籠もること、妻が夫に電話で助けを求めること、など、ほとんど剽窃している。違うのはこちらにはクロス・カッティングがありあちらにはないこと。著作権の確立していない初期映画は剽窃の歴史でもあり有名なエドゥイン・S・ポーター「アメリカ消防夫の生活(Life of an American Fireman)(1902.1)は前年に撮られたジェームス・ウィリアムソンFire! (火事!)(1901.10.15) の剽窃であるように枚挙にいとまがなくまた前者が起源であるという保証もどこにもない。これについては次回の初期映画の論文で検討することになる。
●切り返し
①メッセンジャーを装った強盗が家から出て来て木陰に隠れた後、車に乗る時の主人へと切り返され、その次のショットで同一画面に収められている。強盗達の視線から主観ショットに近いが「見ること」しか撮られていないので主観ショットではない。
②家に忍び込もうとして玄関のドアの前までやって来た強盗たちと家の中で不審な気配を感じた娘たちとのあいだは、1ショット内側から切り返されている。原初的音声空間の切り返し
③その直後、家のドアをこじ開けて中へ入ろうとしている強盗団とそれを鍵穴から見ている妻とのあいだは、2ショット目に同一画面に収められるまで1ショット内側から切り返されている。鍵穴によって視界が通じていて妻の「見ること」と「見たこと」が撮られているので主観ショット。しかし強盗達は妻からの見た目とは別の角度から撮られているので原初的主観ショット
鍵穴からの覗き見は「切り返し」か
窓空間と切り返しについては「Mr. Jones Has a Card Party(ジョーンズ氏はカードパーティを主催する)」(1908/1909.1.21)において「切り返し」であるとしたが、鍵穴からの覗き見もまた仕切られたドアを挟んで撮るしかなく「これしかない」という撮り方なのでこれについても「切り返し」として検討しそれがこの切り返し③のように主観ショットなら「主観ショット」として検討する。
④強盗たちが家に押し込んできた直後、ドアを開けようとする強盗たちとドアを塞いで立て籠もる妻たちとのあいだは、2ショット内側から切り返されている。原初的音声空間の切り返し
⑤そのあとさらに強盗と家族たちとがドアを挟んで2ショット内側から切り返されている。:原初的音声空間の切り返し
⑥さらに家族たちが右の部屋へ逃げてから強盗と家族たちとが1ショット内側から切り返されている。原初的音声空間の切り返し
▲電話と平行モンタージュ
家の妻たち(原ショット)→外出した車の夫が家に電話をかける→家の妻が電話を受ける→夫の通話→家の妻の通話→夫の通話→家の強盗たち→夫の通話→家の妻の通話→夫の通話→家の妻の通話→夫の通話→家の妻の通話→夫の通話→家の電話線を切る強盗→切れた電話への夫の呼びかけ→家の妻の電話への呼びかけ→夫の電話への呼びかけ、と18回交互にカットバックされている。
■遠距離での電話は平行モンタージュか このカットバックでは夫がかけてきた電話を妻が受けて通話する姿が交互に編集されているが電話の場合、時系列がはっきりしているので同時進行が原則である平行モンタージュではない。確かに平行モンタージュであれクロス・カッティングであれ時間の観念を完全に無化することは不可能だが、平行モンタージュは時間を分節化させないことに意義があり明らかに時系列とわかる電話は時間が「読める」ことから平行モンタージュではなく時系列に撮られたショットの連続に過ぎない
▲クロス・カッティング
ジプシーたちのテントへ走り出す夫と警官→家→馬車に乗り込む夫→家で強盗に襲われる家族→馬車→家→馬車→家に夫到着、、となっていてクロス・カッティングとして成立している。
■これもまた「HER FIRST BISCUITS(彼女の最初のビスケット)」(1909)、「TWO MEMORIES(二つの思い出)」(1909)のように『2つの空間の距離を置く」という平行モンタージュ、クロス・カッティングを撮るために考案された物語であり、そのために夫を誘い出すという明瞭なマクガフィンが設定されている。初期の時系列的、隣接的な交互編集が結果として平行モンタージュとなっているのとは違い、明瞭な(露骨)なマクガフィンと連動することでクロス・カッティングとして意識されて撮られている
■気づかないことにする 強盗がメッセンジャーを装って被害者宅にやって来てドアにもたれて寝たふりをして待っている時、気づかないことにするの究極形が撮られている。
■縦の構図~前と奥とで別々の演技
出先で電話をしている夫と奥のバーのバーテンや客たちとがまったく違った演技をしている→「The Cricket on the Hearth(暖炉のコオロギ)」(1909.5.27)
■部屋から部屋へ移動する人の動作とカッティングがスムーズになってきている。
■パンあり
■巻き込まれ運動 妻たち。
■キャメラの横を通り過ぎる 6ショット。
8(原6)-0-0-あり(クロス・カッティング)。
切り返し2箇所。
原初的音声空間の切り返し
原初的主観ショット
多ショットに亘る平行モンタージュ、クロス・カッティングあり。
電話と平行モンタージュ
気づかないことにする
巻き込まれ運動
1909 THE PEACHBASKET HAT
ピーチバスケットハット6.18

撮影場所 ニュージャージー州フォートリー
ちらちら 19  189  33  1030 ジプシー嫌いの夫(ジョン・R・カンプソン)が外出し、妻(フローレンス・ロレンス)も赤ん坊を残して友人たちと帽子を買いに出かけたあと、彼らのメイド(アニタ・ヘンドリー)は赤ん坊を抱いたジプシー夫婦(マリオン・レナードとハーバート・プライアー)を家に招き入れるが妻が帰って来たので彼らをカーテンの裏に隠し隙を見て彼らを逃がしてやると、妻が買ってきた大きな帽子(ビーチバスケットハット)の箱が風でテーブルから落下して下にいた赤ん坊をすっぽり覆い隠してしまい、違う赤ん坊を抱いたジプシーが誘拐したと勘違いしてみんなで追いかける。
■字幕なし
■巻き込まれ運動が追っかけ、平行モンタージュと融合している。
▲平行モンタージュあり。外でジプシーを追いかける集団→家の赤ん坊の入った箱→集団→箱→集団→箱→集団→箱→集団、と8回カットバックされている。
■追っかけ 5ショット「追っかけ」が撮られすべて人々はキャメラの横を走って通り過ぎている。また追いかける集団も警官、出前持ち、知らない子供に女たちと、どんどん多くなり(みんなで追いかける型)、さらに追いかけている警官は滑稽な警官たちでありまた何人かの男と女は走りながらキャメラの横を通り過ぎる時に笑っていることからこれは「捕まえること」ではなく「逃げること」を目的とした巻き込まれ型の追っかけとなる。
■マクガフィン 大きな帽子(ビーチバスケットハット)は帽子箱が赤ん坊を隠すためのマクガフィンであり、ジプシーたちは「追っかけ」をするためのマクガフィンとして存在している。そうして始まった追っかけもまた、家の中の帽子箱と、距離的に離れた追っかけっこを平行モンタージュで撮るためのマクガフィンとして設定されている(さらにメイドがジプシーたちを風に揺れているカーテンの裏に隠すのはカーテンと風を意識させるためというマクガフィンも加わっている)。ここにきて平行モンタージュは原初的で結果的なものからそれを撮るために脚本が練られる意識的で新しい段階に入っている
■風に揺れるカーテン カーテンが風に揺れその風が帽子箱を落下させて赤ん坊の上にかぶさってしまう。風に揺れるカーテンの「起源」
■パン あり 家の前の路地と家の玄関とのあいだをパンで追う。この時期のパンは基本的にこの形式が多い。
■鏡 カーテンの裏に隠れているジプシー夫婦をメイドが逃がすとき、少しだけ鏡に映っている。少しだけ鏡に映る「起源」
■煙 たばこ
■巻き込まれ運動 追っかけとの融合。動物的。
■キャメラの横を通り過ぎる  10ショット。
0-0-0-あり。
追っかけ。みんなで追いかけること、巻き込まれ運動
マクガフィンによって平行モンタージュを起動させている。
風に揺れるカーテンの「起源」
鏡に運動が映る「起源」
1909 THE SON’S RETURN
息子の帰還 6.12
 
撮影場所 ニュージャージー州コイツビル
ちらちら
チャールズ・ウェスト(Charles West)。ピッツバーグ生まれ。グリフィスTHE CHRISTMAS BURGLARS(クリスマスの泥棒)(1908.12.26)で映画デビューか。この作品あたりから優男(やさおとこ)役で大きな役が付き始めグリフィス映画を支える。ホークス「バーバリ・コースト(Barbary Coast)」(1935.10.13)、ジョン・フォード「怒りの葡萄(THE GRAPES of WRATH)」(1940.3.15)にもノンクレジットで出演しているらしい(未確認)。1943年10月10日死去。57歳。
20  180  34  1120 原作モーパッサン。1シーン1ショット、
男(チャールズ・ウェスト)は恋人メアリー(メアリー・ピックフォード)と宿屋を経営している両親(ハーバート・プライアーとアニタ・ヘンドリー)を残して都会へ出る。5年後、都会で成功した彼は恋人からの手紙で両親が立ち退きの苦境に立たされていることを知り帰郷するが都会で髭を生やした彼は両親を驚かそうと息子であることを隠して宿をとったところ、両親は息子と分からず金に困っていたので息子を殺して財布を奪い死体を森の中に遺棄するが財布の中から母親の写真の入ったペンダントを見て息子だと気づく。その頃、恋人のメアリーは森の中で息を吹き返した息子を発見して家に連れて行きそこへ両親がやって来て父親はみずからの犯行を告白する。
■字幕あり
▲平行モンタージュ あり
①A森に息子の死体を遺棄する両親(原ショット)→B森の中の娘(メアリー・ピックフォード→C家で殺した相手が息子だったと知る両親→D森で娘が青年を発見する→D家の両親、とカットバックされる。AからDはすべて場所を移動しておりまた、死体を遺棄する、息子だと知る、という因果性の極めて強い出来事が続いてゆき時系列から抜け出せておらず原初的平行モンタージュ
②①のあと、帰宅した両親→恋人の家に連れてこられる息子→家の両親、とカットバックされている。
■クローズアップ 手紙、ペンダントの中の母の写真には指が映っている→原初的寄る・引く
★分離 ペンダントの母の写真は母を思い出すという機能ではなくそれを持っている者が息子だと特定されるマクガフィン(分離)としてある。それがクローズアップによって撮られることでマクガフィンとクローズアップが連動している。
■視界を遮る カーテンを閉めて奥の空間を遮断している。
■気づかないことにする 場所的に気づかないことにするのではなく人間に気づかない。髭をはやしたので息子だと気づかない。
■階段あり
■人間運動と改心 欲に基づく人間運動。 両親はペンダントの母親の写真という分離を見ることで殺した相手が息子だと分かり、母親は手にしていたペンダントを不意に落とすと(忌み嫌って故意に落としたようにも見える)立ち上がり父親はテーブルクロスを握りしめ天を仰ぎ机にひれ伏しその机を投げ落としている。考える間もなく悲嘆に暮れうろたえる両親は知的というにはほど遠い衝動を露呈させている。 2-A
■キャメラの横を通り過ぎる 5ショット。
 0-0-3(手紙1、写真2)-あり(原)
クローズアップ→手紙、ペンダントの写真・クローズアップとマクガフィンが連動している。
原初的寄る・引く
1909 HIR DUTY
彼の義務 5.29

撮影場所 ニュージャージー州エッジウォーター
ちらちら 38  94  11  7 1シーン1ショット、時系列。誕生日に母(ケート・ブルース)と警官の弟(フランク・パウエル)から帽子をプレゼントされた兄(オーウェン・ムーア)は、盗みを働いた現場にその帽子を落としたまま逃走し捜査に当たった弟にその帽子を証拠に逮捕される。
■字幕なし
▲切り返し 終盤、自室に帰ってきた兄から隣室の弟へ転換されているが時系列なので平行モンタージュではなく原初的音声空間の切り返しとなる。その他、序盤にも離れた場所の兄と弟が交互に撮られているが時系列に見え2回にも満たない。平行モンタージュを撮るために顕著なマクガフィンが設定された「LONELY VILLA(淋しい別荘)」(1909.6.5)、「THE PEACHBASKET HAT(ピーチバスケットハット)」(1909.6.18)「THE PEACHBASKET HAT(ピーチバスケットハット)」(1909)とは違い未だ時系列的に撮られている。
■鏡 家の寝室の鏡に兄の姿が映っている。人の姿が鏡に映る「起源」
■分離 帽子が兄の存在から分離している。帽子はかぶるためであると同時に落として持ち主を特定させるためにある。分離とマクガフィンは融合している
■たばこの煙 靴でマッチをつけてたばこを吸っている。
■気づかないことにする 事務所でキスをしている2人(マリオン・レナードとアーサー・ジョンソン)は泥棒に入った男に気づかない。
■揺り椅子に座ってうなだれる母親がラストシーンで撮られている。
■父親の不在 兄弟には父親がいないが言及されていない。父親の不在の「起源」。これまでの作品の中で、母親不在の男親の場合、「ROMANCE OF JEWESS(ユダヤ人のロマンス)」(1908.10.24)、「THE GIRLS AND DADDY(姉妹とパパ)」(1909.1.30)のように子供は女性であり、この作品のように父親不在の女親の場合、子供は男性となっている(その逆の作品もある)。父親が母親代わりをして娘を育て、母親が父親代わりをして息子を育てる。そこには両親の揃った親子とは異質の歴史と絆がある。だからこそ「ユダヤ人のロマンス」では娘を失い悲嘆にくれる父親をラストシーンで撮り、「姉妹とパパ」では父親が娘たちの救援に駆けつけ、この作品では悲しみに打ちひしがれる母親のラストシーンで終わっている。
■人間運動 動物に義務はない。
■キャメラの横を通り過ぎる  3ショット
1(原)-0-0-なし
鏡 人の姿が映る「起源」
父親の不在の「起源」
1909 THE NECKLACE
ネックレス 6.26
ちらちら
脚本フランク・E・ウッズ。彼はグリフィス組のフランク・パウエル監督「A gold necklace(金のネックレス)」(1910.10.6 バイオグラフ)の脚本も書いている。こちらは人から借りたネックレスが人から人へと移動してゆく山中貞雄「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」(1935)的なコメディ。
21  175  51  17.30  1シーン1ショット、時系列。原作モーパッサン。上流階級の一員になりたい妻(ローズ・キング)は夫(ハーバート・プライアー)からレセプションへの招待状が届いたと聞いて大喜びするものの着ていく服がなく、夫は時計を質屋に入れてドレスを買いネックレスも隣人(キャロライン・ハリス)から借りて参加したレセプションで2人組の男女(オーウェン・ムーアと?)にネックレスを盗まれ、世間に恥をさらせないという夫の提案で貸主には内緒で同じのネックレスを買って返すことにする。同じころ、泥棒は質屋に盗品のネックレスを持ち込むがイミテーションであると分かる。そうとは知らずに借金をしてイミテーションではないネックレスを買って持ち主に内緒で返した夫婦は生涯その借金返済のために人生を費やし窮状を手紙で知って駆け付けた貸主にネックレスを返してもらうが夫は既に息絶え妻はネックレスを首に巻いたまま息を引き取る。2人は虚栄心の報いを受けたと字幕が入る。
★リメイク
モーパッサン原作のこの悲痛な作品はグリフィス組の俳優で監督でもあるフランク・パウエルと同じ脚本家のフランク・E・ウッズによって翌年「A gold necklace(金のネックレス)(1910.10.6)としてバイオグラフで撮られている。メアリー・ピックフォードから借りたネックレスをロティ・ピックフォードが失くしてしまいそれを拾ったメイドによってピックフォードの元に帰っているとは知らずにその「代用品」をロティの恋人のマック・セネットがピックフォードから買ってロティに渡してピックフォードに返し、、という山中貞雄「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」(1935)のようなスラップスティックコメディとして「リメイク」されている。
■字幕あり 多い。
★見ること 
パーティで妻がネックレスを2人組に奪われるシーンはロングショットで撮られていてクローズアップやカッティングによって物語が説明されることはなく観客の「見ること」に委ねられている。

■接近 キャメラが人物に少しだけ接近し始めている
■照明 『10年が過ぎて、』という字幕にあと、夜のオフィスでの照明が暗くなっている。
■椅子の上で死ぬ。
■目を開けて死ぬ
■17分と長尺になってきている(ここまでは平均10分前後)。
■細い D・W・グリフィスの主演女優の胴回りはカール・ドライヤーの主演女優の胴回りの半分くらいしかない。特にこの妻役のローズ・キングの胴は棒みたいに細い。
■人間運動 動物に虚栄心はない。
■キャメラの横を通り過ぎる 1ショット。
0-0-0-なし
椅子の上で死ぬ。
照明
長尺
細い
1909 THE WAY OF MAN
人の道 6.26

撮影場所 ニュージャージー州エッジウォーター
ちらちら 34  105  21  12  爆発したランプで顔に火傷をした娘メイベル(フローレンス・ロレンス)が婚約者トム(アーサー・ジョンソン)の愛が自分から従妹のウィニー(メアリー・ピックフォード)へと移ったのを見て身を引き、入水自殺しようとしたが果たせず、自殺したと勘違いした婚約者と従妹は結婚し、娘は孤児院で子供たちの世話をする道を選ぶ。
■字幕なし
●切り返し
①手鏡を見てうなだれる娘メイベル→隣室の恋人とピックフォード→娘、というカットバックがなされている。隣室でありドアは開いているので原初的二間続きの切り返し
▲平行モンタージュ なし
■鏡 映ってはいない。
■自殺未遂
■煙 爆発したランプ
■落とすこと アーサー・ジョンソンに顔のやけどの跡を見られたフローレンス・ロレンスが手紙を落とす。こうした細部によって人物を「常習犯」として撮る傾向は常にグリフィスの細部に込められている。
■気づかないことにする 婚約者とピックフォードがやって来たフローレンス・ロレンスに気づかず手を握り合っている。
■ジャンプ・カット この頃、カットのつなぎがジャンプ・カット的に飛ぶことが多い。
■人間運動と改心 娘は身を引くという改心をしている。ここで彼女は従弟が自分の恋人と手を握り合っているのを見て驚いてふらつき隣の部屋までふらふらと歩いてゆくと机に突っ伏してうなだれている。見ること、ふらつくこと、突っ伏してうなだれることにより衝動が撮られている。2-B
■キャメラの横を通り過ぎる 2ショット。
2(原2)-0-0-なし。
顔に火傷
自殺未遂
落とすこと
1909 FADED LILLIES
色褪せたゆり
6.12
ちらちら 48  75  10  8 1シーン1ショット。時系列。演奏のあと女(リンダ・アーヴィドソン)からゆりの花をもらったバイオリニスト(テビッド・マイルズ)は自分に恋していると勘違いして女にふられて発作を起こし、彼を見舞いにやって来た女は医者(ジェームズ・カークウッド)から彼を助けるために愛を装うよう説得されてバイオリニストからプレゼントされた指輪を受け取るが彼女がその指輪を指につけていないことに気づいたバイオリニストはみずから薬を飲むことをやめ発作を起こして死ぬ。バイオリニストの執事チャールズ・ヒル・メイルズ。
■字幕なし
★見ること あらすじので塗られたシーンを字幕なくして「見ること」が可能だろうか。
■落とすこと 発作をおこすとき、手にしている花を落とす(2回)。
■椅子の上で死ぬ 「TWO MEMORIES(二つの思い出)」(1909.5.22)以来の椅子の上で死ぬこと。
■ジャンプ・カット つなぎが飛んでいる。
■自殺すること。薬を飲まないという消極的方法。迂遠で知的でもある。「THE WAY OF MAN(人の道)」(1909.6.26)に続いて「自殺」のテーマ。
■人間運動 動物は自殺しない。
■キャメラの横を通り過ぎる なし
0-0-0-なし
見ること
落とすこと
椅子の上で死ぬ
自殺する(薬を飲まないという消極的方法)。
1909 THE COUNTRY DOCTOR
田舎の医者 7.3

撮影場所 ニューヨーク市マンハッタン
 撮影G・W・ビッツァー 19  189  44  14 1シーン1ショット。医者のハーコート(フランク・パウエル)は静かな水と自然に囲まれた谷で妻(フローレンス・ロレンス)と娘(グラディス・イーガン)と暮らしているが、突然重病となった娘を看病しているところへ同じく娘(アデル・デカルト)が重病の母親(ケート・ブルース)がやって来て診療を頼まれる。医者の家のメイド→ローズ・キング、ケート・ブルースの娘→メアリー・ピックフォード。
■字幕あり
■パン オープニングで奥に川を見た小高い丘の小路からキャメラはゆっくりと右へパンして医者の家の前で止まり医者の家族たちがショット内モンタージュでキャメラの横を通り過ぎる。ラストシーンはその医者の家の前からキャメラは逆にパンして最初の小路のところで停まる。ウォレス・マカッチョン・シニア「The Lost Child(ロストチャイルド)」(1904.10)でキャメラマンのG・W・ビッツァーは5年前にまったく同じようなパンニングをオープニングとラストシーンで撮っている。
■平行モンタージュ
①メイドが帰って来た家→往診の家→医者の家と編集されている。時系列は薄いので平行モンタージュ。
②その後、往診先→医者の家→患者が回復した往診先、と編集されている。やや時系列でもあるが、①②を通じて二つの場所をマクガフィンとして設定していることからスムーズに平行モンタージュさせることができている
■風に揺れる草花 ロケーションはこれまでも撮られているが風に揺れる草木などの自然が瑞々しく撮られ始めるのはこの頃が「起源」。物語が自然を撮るためのマクガフィンにすら見えるほど自然を意識して撮っている。
■フィルムが鮮明でフローレンス・ロレンスの顔が初めてはっきり見ることができる。
■この時期キャメラが被写体に少しずつ近づき始めている。
■目を開けて死ぬ 子供が。
■父親の不在 ピックフォードの父親がいない。
■人間運動 動物に義務はない。
■キャメラの横を通り過ぎる 9ショット。
0-0-0-あり。
パンで始まりパンで終わる。
平行モンタージュとマクガフィン
風に揺れる草花 ロケーション野山
キャメラの接近
父親の不在
1909 THE RENUNCIATION
放棄 7.17

撮影場所 ニュージャージー州シェイディサイド
ちらちら
ジェームズ・カークウッド(James Kirkwood)。1909年からグリフィス作品に出演する。12年監督を始め14年までメアリー・ピックフォードの映画を撮り不倫関係にあったとも言われている。ガートルード・ロビンソン(「PIPPA PASSES OR THE SONG OF CONSCIENCE(ピッパが通る、または良心の歌)」(1909.10.9)参照)と最初の結婚をしたあとメアリー・マイルズ・ミンターとの二度目の結婚で生まれた息子は戯曲「コーラスライン」の脚本を書いたジェームズ・カークウッド・ジュニア。1963年8月24日死去。88歳。
30  120  24  12 時系列。少年時代からの親友で鉱山労働者の2人の男(ジェームズ・カークウッド=白い帽子の男とハリー・ソルター=黒い帽子の男)が1人の娘(メアリー・ピックフォード)を争い殺し合いをしている所へ娘がやさ男の婚約者(ビリー・クィルク)を連れてやって来る。
■字幕あり 多い。
■黑 ややローキイ気味にして黑を出しているようにも見える
★2人の男の帽子を白と黑に分けている。
■風 壁に貼り付けた紙を銃で撃つと銃の煙が吹いて紙が風圧で揺れる
■煙 たばこ、銃、靴でマッチに火を点ける。
■山岳地帯のロケーション 川で水をくむ。
■ナイフを逆手に握っている
■窓から顔を出す ピックフォードが。
■セットの作りがより精密になる
★クローズアップ 手紙が二個所。
■人間運動 嫉妬と殺し合い
■キャメラの横を通り過ぎる 6ショット。
0-0-2(手紙)-なし
ロケーション 山岳地帯
風 壁に貼った紙を銃で撃つ
1909 THE CARDINAL’S CONSPIRACY
枢機卿の陰謀 7.10

フランク・パウエルとの共同監督
撮影場所 コネチカット州グリニッジ
ちらちら 40  90  18  12 王子(フランク・パウエル)との結婚を拒絶する気の強い王女(フローレンス・ロレンス)に手を焼いている枢機卿(ジェームズ・カークウッド)と彼の参謀(オーウェン・ムーア)は策をめぐらし、王子のあごひげを剃り衣装も代えて変装させ、王子の部下に散歩をしている王女を襲わせて王子に救出させ王女の気を引かせてから枢機卿は王子を追放して王女をやきもきさせる。
■字幕あり、かも知れない。「TITLE」という文字が入っているので。
■寄る 寄っているように見えるところもあるが、保留。
■コスチューム・プレイになると細部が乏しくなる。共同監督の影響もあるかも知れない。
■人間運動と改心 王女の心変わりは嘘の芝居を見たという1クッション置かれている。その1クッションが知的な策略なので因果的であり王女の衝動もショックでふらついているだけで今一つ撮られておらず「初犯」的改心。2-C
■キャメラの横を通り過ぎる 7ショット。
0-0-1(手紙)-なし
共同監督
1909

TENDER HEARTS
優しい心 7.10
撮影場所 ニュージャージー州フォートリー

ちらちら 42  86  5  3.30  残っているのは3分30秒版。娘(メアリー・ピックフォード)は素朴な農家の男(ジェームズ・カークウッド)をふってハンサムで洗練された都会の男(フランク・パウエル)を選ぶが、ある日、森の中でハンターに撃たれて道ばたに落ちている鳩を都会の男が蹴飛ばして脇へどかしたのを見たあと、やって来た田舎の男がその鳩を拾い上げ麦藁帽子の中に入れて介抱しながら家へ連れて行ったのを見た娘は田舎の男に決める。娘は鳩にキスをし、元気に羽を羽ばたかせる鳩を肩に乗せながら青年とキスをする。
■字幕あり。「TITLE」と入る。
■ウエスト・ショット 鳩を保護した後の草むらの中のピックフォードがショット内モンタージュで静止した時。
■鳩 その後、「東への道(WAY DOWN EAST)」(1920.9.3)などでグリフィス作品に登場する鳩の「起源」が撮られている。
■風に揺れる草木、自然。
■気づかないことにする 農家の男は後ろにいるピックフォードに気づかない。高レヴェルの「気づかないことにする」。
■人間運動 ピックフォードは農家の男が鳩を助けて介抱し自宅へ連れてゆくまでの3ショット50秒強ものあいだ青年を見続けている。確かにここには成瀬己喜男の「裸の窃視」に相当する物語を超越する「盗み見」は撮られていない。だがそもそも欧米の映画に「「裸の窃視」は存在せず、重要なのは過剰な視覚的細部が撮られているか否かであるが、ここで3ショット50秒にも亘る「見ること」を撮るグリフィスの過剰な傾向は多くの作品において反復されている。2-B
■キャメラの横を通り過ぎる 3ショット
0-0-0-なし
ウエスト・ショット
鳩の「起源」
1909 A STRSNGE MEETING
奇妙な出会い
7.31
ちらちら
ヘンリー・B・ウォルソール(Henry B. Walthall)、ジェームズ・カークウッドによってグリフィスに紹介されグリフィスTHE CONVICT’S SACRIFICE(囚人の犠牲)(1909.7.24)で映画デビューその後グリフィスの常連となる。1936年6月17日死去。58歳。
ステファニー・ロングフェロー(Stephanie Longfellow)。ボストン生まれ。1909年まで舞台に出ている記録がある。その後バイオグラフに入ったか。
脚本スタナー・E・V・テイラー
28  130  26  12 1シーン1ショット、時系列。
悪い仲間たちとダンスホールで飲んだくれている息子(ビリー・クィルク)を見かねた母親(ケート・ブルース)は牧師(アーサー・ジョンソン)に息子を救い出してもらうがそこに居合わせた不良娘メアリー(ステファニー・ロングフェロー)は牧師から詩編の書かれたカードを渡され教会へ行く。その後メアリーは父(ヘンリー・B・ウォルソール)と兄(フランク・パウエル)と共にアパートに侵入してネックレスを盗むが現れた住人を撃とうとした父親の拳銃をメアリーが叩き落してふと見ると住人が牧師だとわかりみなは退散する。家に帰ったメアリーはネックレスを出せという兄に拳銃を突きつけて家を出て牧師に盗んだネックレスを返してからひとり教会へ行き神に祈っていると牧師が現れ2人は空を見上げる。
■字幕あり
■牧師はメアリーにほのかな恋心を抱いている。

■鏡 人物が映っている。
■分離 牧師はメアリーの残していったハンカチを握りしめる。
■メアリーが父親の銃を叩き落すという細部にさり気なく彼女の性向が示されている。ロングショットで素早いので「見ること」が要求されている。
■母親の不在 ステファニー・ロングフェローには母親がいない。
■人間運動 改心する。メアリーは牧師の家に盗みに入った後、牧師に説教されて泣き崩れ盗品を牧師に返しているが未だ迷いがあり字幕で『主よ、あなたの道を教えてください』と入った後、教会で牧師と2人で天という分離を見上げることによって改心している。2-B
■照明が暗くなる ラストシーンの教会で娘が改心する時、照明が暗くなって神父と娘を外から差し込む光が照らすと2人は天を見上げる。2人で同じ方向を見つめる「起源」が撮られたこのラストシーンは、照明が暗くなること、2人で同じ方向を見つめること、外から光が差し込むこと、という物語的因果から逸脱しあらすじに書かれることのない視覚的細部(過剰)によって重畳的に撮られている。
■キャメラの横を通り過ぎる 4ショット
0-0-0-なし
見ること
照明が暗くなる。
2人で同じ方向を見上げる「起源」
母親の不在
1909 SWEET AND TWENTY
美しい二十歳 7.17

撮影場所 コネチカット州グリニッジ
ちらちら
ビリー・クィルク(Billy Quirk)。ニュージャージー州出身。1909年からグリフィスの作品に出始め「THE RENUNCIATION(放棄)」(1909.7.17)あたりから大きな役が付き始める。グリフィス作品では「THEY WOULD ELOPE(彼らは駆け落ちするだろう)」(1909.8.14)「MUGGSY‘S FIRST SWEETHERT(マグシーの最初の恋人)」(1910.7.2)、などによって主役を演じている。1910年頃に米パテ・フレールに移籍し(?)その後、アリス・ガイがアメリカで設立したソラックス社でも出演している。1926年4月20日死去。53歳。
14.5  248  29  7  恋人のアリス(メアリー・ピックフォード)と間違えてその妹(フローレンス・ロレンス)とキスをして誤解された青年フランク(ビリー・クィルク)はアリスの読んでいた『冷たい水の中に』という本の題名を見て、もし僕を信じないならその本の通りに実行すると宣言して池に飛び込もうとするが駆けつけたピックフォードに阻止され仲直り。
■字幕なし
■オープニング 風に揺れる花畑の中をピックフォードとビリー・クィルクがショット内モンタージュで歩いて来てキャメラの横を通り過ぎる。
■カッティング・イン・アクション 青年を追って家を飛び出したピックフォードの近景のショットから一気にキャメラが大きくロングショットに引かれている。ピックフォードの僅かな動作の重複が撮られているようにも見えるのでここではカッティング・イン・アクションとしておく。
■切り返し 
①揺り椅子に座っているピックフォードと玄関のドアを開けようとしている恋人ビリー・クィルクとのあいだは、8ショット目に同一画面に収められるまで7ショット内側から切り返されている。原初的音声空間の切り返し
②『池に飛び込んでやる』と宣言して家を出て行った青年とそれを窓のカーテンをずらして見ているピックフォードとのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。窓空間。ピックフォードは「見ること」をしたあと驚いているので「見たこと」もしている。角度が違っているので原初的主観ショット
③その後、池のほとりにやって来た彼とやって来たピックフォードとのあいだが、2ショット目に同一画面に収められるまで1ショット内側から切り返されている。ピックフォードは彼のいる方向を指差して喜んでいるので視認しており「切り返し」となる。
追っかけ平行モンタージュ 池へと向かう青年と青年を追いかけるピックフォードとがピックフォード→青年→ピックフォード→青年、と交互に編集されている。逃げる者と追いかける者が持続している1ショットで撮られていれば「追っかけ」であり視認できる空間同士であれば「切り返し」、そうでなければ平行モンタージュであり、以降、こうした平行モンタージュを『追っかけ平行モンタージュ』として検討してゆく。この場合、2人のあいだは視認できる範囲外のように見えるので追っかけ平行モンタージュとする。追っかけ平行モンタージュは追っかけの進化系であり追っかけが追われる者と追う者との距離と時間が分かるのに対して追っかけ平行モンタージュは両者の距離と時間がわからずハラハラのサスペンスを醸し出すことになる。(追っかけ)平行モンタージュが追っかけや切り返しと異なるのはこうした距離と時間の不明確性であり明確な時系列を超えたところにその意義がある
■クローズアップと寄る・引く  本と手のクローズアップが生々しく撮られている。別々に撮られているように見えるので原初的寄る・引く
■落とすこと 去ってゆく青年をカーテンの陰から見たピックフォードが持っていた本を不意に落とし、彼のあとを追いかけている。不意に落とすことという、意図的ではないこと、ほかのことに気を取られていること、心理的ではないことがエモーションを惹き起こす
■揺り椅子の上で眠る フローレンス・ロレンス
■蹴飛ばすこと ピックフォードは床のフットレスト(足置き台)を思い切り蹴飛ばしている。蹴飛ばすことの「起源」
■キャメラが被写体に少しずつ接近し始めている
■人間運動 嫉妬、誤解、、改心、が撮られている。走り去る青年をピックフォードがカーテンを開けて見たあと不意に本を落とす、という出来事が撮られており、見ること、落とすことによって衝動的に「改心」が生じている。2-B
■キャメラの横を通り過ぎる 7ショット。
10(原9)-0-1(本)-あり(追っかけ平行モンタージュ)
カッティング・イン・アクション
窓空間。原初的主観ショット
追っかけ平行モンタージュの起源
揺り椅子の上で眠る
風に揺れる木々
蹴飛ばすことの「起源」
原初的寄る・引く→クローズアップと寄る・引く
改心と落とすこと
キャメラの接近
1909  THE SLAVE
奴隷 7.21
ちらちら 62  58  16 16.30 ローマの女(フローレンス・ロレンス)は裕福な貴族(ハリー・ソルター)からの求婚を断り貧しい彫刻家(ジェームズ・カークウッド)と結婚するが、病気の娘(グラディス・イーガン)を抱え夫も寝込んでしまうと彼女はみずから奴隷となって先の貴族の元へ売られてゆく。そのあいだに娘は死に、貴族の男は彼女が自分の愛を受け容れないと分かると解放して夫の元へ返す。娘の死を知らされ打ちひしがれる彼女を夫は不貞を働いたと殺そうとするが彼女の手に握られた純潔の白いバラを見て改心し妻の手を夫が握りひざまずくと、突然部屋は暗くなり外から差し込んできた光が2人を包み込む。夫婦の召使い→ヘンリー・B・ウォルソール。母ケート・ブルース。
■字幕なし
■照明 ラストシーンで真っ暗になり外からの光が2人を照らす。
■同じ方向を2人で見上げる。「A STRSNGE MEETING(奇妙な出会い)」(1909.7.31)に続いてラストシーンで暗くなった部屋に外から光が差し込み2人がその光の方を見つめている。
▲平行モンタージュ 序盤、彫刻家の家(原ショット)→貴族の屋敷→彫刻家の家→貴族の屋敷と平行モンタージュされている。
■人間運動と改心
①貴族 解放という改心。貴族は自分の愛を受け容れない頑なな女の差し出した白いバラを驚くようにまじまじと見つめた後、女を解放して改心している。バラそのものではなくバラから分離した「純潔=白」という(バラの花言葉)をまじまじと見つめることという衝動が1クッション置かれることで彼の改心は知的な因果から解き放たれている。2-A、B
②夫 妻を殺そうとするが白いバラをまじまじと見て跪(ひざまず)き妻のスカートにすがりついて改心し2人で外から差し込む光を見つめている。2-A、B。
帰郷 「The Cricket on the Hearth(暖炉のコオロギ)」(1909.5.27)、「THE SON’S RETURN(息子の帰還)」(1909.6.12)と人物が故郷に帰ることが撮られているが、子供を失くした夫婦の愛情と同じ方向を見つめる2人に差し込む光によって帰郷の物語が初めてエモーショナルに撮られている。
■キャメラの横を通り過ぎる 6ショット。
0-0-0-あり
照明 暗くなる。
同じ方向を2人で見上げる
平行モンタージュ
帰郷
白い花
1909 HEY WOULD ELOPE
彼らは駆け落ちするだろう
8.14

撮影場所 ニュージャージー州リトルフォールズ
ちらちらが鮮明に見える
脚本スタナー・E・V・テイラー
22  161  22  8.10 スラップスティックコメディ。両親(ジェームズ・カークウッドとケート・ブルース)が娘たち(メアリー・ピックフォードとビリー・クィルク)を駆落ちさせようとわざと結婚に反対し、逃避行に出た恋人たちの馬車が壊れ、車が故障し、手押し車で娘を運びながらたどり着いた海で小舟が沈没してびしょ濡れになり仕方なく家に帰ると牧師(アーサー・ジョンソン)と参列者たちが待っていて2人は式を挙げる。
■字幕なし
▲平行モンタージュ 逃げる2人と家で婚約パーティの準備をする父親たちとのあいだがほぼ時間の前後なくして8回スムーズにカットバックされている。これもまた平行モンタージュを撮るために編み出された物語(マクガフィン)のように見える。
■フィルムが鮮明に、グラデーションの出方も鮮明、ピックフォードがキャメラをちらちら見ているのもはっきり見える。ただ、これはフィルムの保存状態等で異なるので客観的な事実かどうかは不明。
■鏡の活用 2人が駆け落ちするため家を出る時、鏡に2人の姿が映っている。鏡に何かが映るシーンはこれまでも「THE PEACHBASKET HAT(ピーチバスケットハット)」(1909.6.18)「HIR DUTY(彼の義務)」(1909.5.29)によって撮られていたが構図を意識して撮られた鏡は初めて(「起源」)。だがキャメラが部屋に入り込んで構図を作るのではなく鏡台が斜めに置かれている
■ロケーション 2人が逃げるシーンはすべてロケーション。
■この小舟は沈没するだろうと見ていると見事に沈没する。これがマクガフィンによって起動するスラップスティックコメディの醍醐味。
■煙 車の爆発
■巻き込まれ運動 恋人たちは動物的スラップスティックコメディへと巻き込まれている。
■キャメラの横を通り過ぎる 11ショット。駆け抜けている。
0-0-1(手紙)-あり
平行モンタージュ 8回交互に撮られスムーズ
構図を意識した鏡の「起源」。
ロケーション
巻き込まれ運動
1909

THE MENDED LUTE
繕われたリュート
 7.31

撮影場所 ニューヨーク州カドバックビル

ちらちら
脚本スタナー・E・V・テイラー
17  211  27 7.40 終盤のフィルムが消失している。酋長(フランク・パウエル)の娘ライジング・ムーン(フローレンス・ロレンス)は貧しいリトル・ベア(オーウェン・ムーア)と恋仲だが酋長は豪華な贈呈品をよこしたスタンディング・ロック(ジェームズ・カークウッド)の元へ娘を行かせる。隙を見て逃げ出した娘は恋人とカヌーで逃げる。フィルムはここまでしか残っていないが資料によると2人は捕まり恋人は拷問を受けたが耐え抜きそれに感心した恋敵によって勇者の証として鷲の羽を授けられて解放されるとのこと。
■字幕なし
■引く フローレンス・ロレンスが滝で水を汲んだ後、滝の前の2人からロングショットへ大きく引かれている。
■平行モンタージュ 逃げた娘と彼女を追うインディアンたちとのあいだで6回ほど平行モンタージュされている。時系列的でもあるがスムーズにカットバックされている。
■切り返し 
①カヌーを川に入れて逃げる2人と追って来たインディアンたちとのあいだは、1ショット内側から切り返されそのまま終わっている。
■追っかけ 川でのカヌーの逃走と追跡は「追っかけ」によって5ショット撮られている。これもある種の障害物競走
■風に揺れる草木
■煙 たばこ
■ナイフを逆手に握っている
■人間運動
■キャメラの横を通り過ぎる 14ショット
1-0-0-あり
引く ロングショットへ大きく引く
平行モンタージュ6回
追っかけ
切り返し
1909 The Indian Runner's Romance 
インディアンランナーの
ロマンス 8.28

撮影場所 ニューヨーク州カドバックビル
ちらちら
脚本スタナー・E・V・テイラー
20  180  31  10.20 1シーン1ショット YouTubeのプリントは娘が連れ去られる時の編集が前後しているように見える。インディアン(オーウェン・ムーア)は瀕死の白人の炭鉱夫が息を引き取る間際に彼から鉱山の場所を教わる。その後、彼は恋人(メアリー・ピックフォード)の父親のテントの前に贈呈品を置いて彼女を妻にすることを許され2人は結婚するが、鉱山の情報を奪おうとする白人のカウボーイたちに妻(メアリー・ピックフォード)を誘拐される。
■字幕なし。鉱山の場所の話は見ているだけでは読み取れない。マクガフィンであり字幕がなくとも問題はない、ということか。それとも何らかの情報が観客に与えられていたか。→次作「OH、UNCLE!(ああ、おじさん!)」(1909.8.28)参照。
▲平行モンタージュ→クロス・カッティング 連れ去られた妻と彼女を追いかけるインディアンとが平行モンタージュから救出のクロス・カッティングとなりながらスムーズに13回ほどカットバックされている。追いかけること、走ること、泳ぐこと、という主題がひたすら反復され、そのために平行モンタージュが活かされている。「連れ去られること」という距離を作るマクガフィンが平行モンタージュを撮りやすくさせている。また平行モンタージュのショット数が多くなることで時系列性が弱くなり意味からリズムへと平行モンタージュの画面が変化している。その分場所の移動も伴い時系列的ではあるもののそれは追跡運動において必須の出来事であり並行される場所同士の時間関係は希薄であることからも平行モンタージュとして成立している。
■風に揺れる草木
■分離 テントに残されたテンガロンハットからカウボーイたちの仕業と分かる。
■川を泳ぐ インディアンが。
■砂埃 馬、走っている人の足によって何度も舞い上がっている。
■善悪 インディアンが善、白人が悪。
■2人で同じ方向を見つめる ラストシーンの後ろ姿で2人は山の方を見上げている。
■ラストシーンが後ろ姿の「起源」
ラストシーンで2人は後ろ姿で山の方を見つめている。成瀬己喜男論文では背中でラストシーンが撮られる傾向について検討しているが「後ろ姿」とは限りなく物語性の削ぎ落された過剰な細部であり2人で同じ方向を見つめる過剰と相まってラストシーンをエモーショナルなものにさせている。
■人間運動
■キャメラの横を通り過ぎる 18ショット。
0-0-0-あり。
平行モンタージュとクロス・カッティングの融合13回。 スムーズ
風に揺れる草木
分離
川を泳ぐ
土煙
ラストシーンが後ろ姿の「起源」
2人で同じ方向を見つめる
1909 OHUNCLE
ああ、おじさん!
8.28
ちらちら。遠くから観客に「私は知っている」という感じでしっかり見ている。 24  152  11  4.20 1シーン1ショット、時系列。
叔父(ジェームズ・カークウッド)に内緒で結婚した男(ビリー・クィルク)はお前が独身なら遺産をやると叔父からの手紙を見て驚き、妻(メアリー・ピックフォード)を家政婦に変装させてやって来た叔父を騙そうとするが叔父はその「家政婦」を口説き始め「家政婦」のスリーサイズを計り手を握りキスまでしたので夫は遂に真実を告白すると叔父は何もかも知っていた。
■字幕なし 字幕なしでこの物語がわかるかは甚だおぼつかない。いくら当時の観客が「見ること」に長けていたとはいえ、パンフレットなり何かの外部的要素なりがない限り「叔父の遺産」までは読めないだろう。だが遺産は巻き込まれ運動のマクガフィンであり意味のない出来事なのだから最後に嘘だとわかりマクガフィンは消されている。
メアリー・ピックフォード 彼女は途中で笑いをこらえているシーンが撮られているが、リリアン・ギッシュはもとよりフローレンス・ロレンス等の女優はこういう顔は見せることはない。彼女はよくこういうように、劇とは関係のない内部の顔(素の顔)を見せることがあり、それまでの演技の常識を逸脱している。
●切り返し 呼び鈴を馴らした叔父とそれを聞いている夫婦とのあいだは、2ショット目に同一画面に収められるまで内側から切り返されている。原初的音声空間の切り返し
■エプロンを交換して家政婦になる。
■遺産が結婚と関連付けられている「起源」
「キートンのセブン・チャンス(SEVEN CHANCES)」(1925)のように結婚の有無と遺産とが関連付けられている。
■巻き込まれ運動 動物的。
■キャメラの横を通り過ぎる なし
1(原)-0-0-なし
メアリー・ピックフォード
遺産と結婚の「起源」
字幕なし
1909 The Sealed room
封印された部屋
9.4
 
ちらちら 21  175  32  11 王様(アーサー・ジョンソン)は兵士たちに命じて小さな部屋の窓をコンクリーで密封させ愛人(マリオン・レナードん)との愛の巣を作らせるが彼女がその部屋で吟遊詩人(ヘンリー・B・ウォルソール)と浮気していることを知った王様はコンクリートでドアを封印して2人を閉じ込め窒息死させる。原作エドガー・アラン・ポーの短編『アモンティリャアドの酒樽』は2人で入った洞窟の奥深くに男を鎖でつないで閉じ込め壁を塞ぐということになっている。
■字幕あり
●切り返し 
①個室で密会している2人とその扉をコンクリーで封印してやろうとする王様とのあいだは、最初は王様はカーテンの隙間から隣室を見ているので視線が通じていることになり、王から→①2人→②王→③2人→④王→⑤2人→⑥王→2人、と7ショット内側から切り返されている。これは隣同士の部屋の切り返しなので原初的二間続きの切り返しとなる。その後は封印されて視界が遮られているので平行モンタージュとなる。また⑤では個室の2人とカーテンをまくっている王様の「手だけ」が同一画面に収められていることからこれはグリフィス初の奇妙な同一画面となる。
原初的二間続きの平行モンタージュの「起源」
 切り返し⑥以降は密室の2人と外の王様とが交互にカットバックされているが、セメントで固めて音も聞こえない設定のように見えるので隣室同士の平行モンタージュとなり以降これを『原初的二間続きの平行モンタージュ』として検討する。
★二間続きと原初的 原初的二間続きの切り返し、原初的二間続きの平行モンタージュといった二間続きの部屋同士での交互編集が初期映画における切り返しの「起源」(不自由さ)であることからここに敢えてこのような定義をして書き残している
■椅子の上で死ぬ マリオン・レナードは椅子の上で仰向けになって死んでいる。
■落とすこと 王の妾と向き合った時、吟遊詩人が不意にギターを落とす。
■書き割り  広間の装置が。
■演技 コスチューム・プレイになると演技がより大袈裟になる。
■気づかないことにする 隣でコンクリー工事が行われているのに気づかないことにする。これもまた室内においては二間続きの部屋同士でしかコミュニケーションをとることができない限界としてある。本作品で「音がするのに聞こえない」という状況を撮るためには距離を伸ばして三間続きの部屋を撮らざるを得ないがそうすると1シーン1ショットで正面から3つの空間をカットバックさせる必要がある。三間続きの部屋Mr.JONES AT THE BALL(舞踏会のジョーンズ氏)(1908.12.25)で既に撮られているがそこでのコミュニケーションは二間続きの部屋同士の原初的音声空間の切り返しに限られており離れた部屋同士は平行モンタージュでしか撮られていない。だがコミュニケーションの遮断された空間同士の編集である平行モンタージュでは「音がするのに聞こえない」というコミュニケーション状況を撮ることはできない(原作では男を鎖で縛りつけて壁を塞ぐので「音がするのに聞こえない」という状況を作る必要はない)。従ってここでは二間続きの部屋を維持しながら『気づかないことにする』という映画のルールを最大限活用する以外にはない。空間的限界が『気づかないことにする(見えないことにする、聞こえないことにする)』という映画のルールを生み出しキャメラが自由になった後においても映画は二次元の限界を抜け出すことはできずある程度の視野の自由を拡げながらも『気づかないことにする』はその後の映画に受け継がれることになる。「キートンの探偵学入門(SHERLOCK JR.)(1924)でキートンが男の真後ろにくっついて尾行しても男がまったく気づかないのはこうした映画史のパロディでもあり映画史そのものでもある。
■人間運動 恋と嫉妬と復讐の人間運動。
■キャメラの横を通り過ぎる 1ショット。
5(原5)-0-0-あり(原)。
奇妙な同一画面の「起源」
原初的二間続きの平行モンタージュの「起源」
落とすこと
椅子の上で死ぬ
気づかないことにする
1909 1776.OR THE HESSIAN RENEGADES(1776年、またはヘシアンの反逆者 9.6
撮影場所 ニューヨーク州カドバックビル
ちらちら 18  195  33  10.10秒 イギリス軍がワシントンへ攻め込むという情報をアメリカの大佐(オーウェン・ムーア)が届けようとして敵軍に追われて実家へ逃げ込み、道具箱の中に隠れているところを撃たれて死ぬが父親(ジェームズ・カークウッド)が大佐の妹(メアリー・ピックフォード)に兵士を誘惑させているあいだに近所の人々を呼び集めて反逆し大佐の任務は達成される。
■字幕あり
■切り返し 
①民家にアメリカ兵が逃げ込んだ後、外の様子を見るためにドアを開けた民家の妻(ケート・ブルース)とやって来たイギリス兵たちとのあいだが、4ショット目に同一画面に収められるまで3ショット内側から切り返されている。ケート・ブルースは「見ること」と「見たこと」をしているが角度がずれているので原初的主観ショット
②仲間を連れて家に入って来た父親たちと、その物音を聞きつけた二階のイギリス兵たちとのあいだは、2ショット目に同一画面に収められるまで内側から切り返されている。上下の切り返しであり原初的音声空間の切り返し
▲平行モンタージュ 家の中で狼藉を働くイギリス兵たちと外で兵士から銃を奪い仲間を集める父親たちとのあいだが6回平行モンタージュでされている。無時間的でありスムーズに編集されている。
■追っかけ オープニングから3ショット、大佐がイギリス兵に「追っかけ」で追いかけられる。
■斜面 アメリカ兵がロケーションの斜面を這いあがって逃げる。
■道具箱 グリフィス映画において幾度も使われることになる道具箱の「起源」。ここでは逃げてきたアメリカ兵が道具箱の中に隠れたもののイギリス兵に見破られ道具箱の外から撃たれて死ぬ。
■気づかないことにする テーブルで背を向けて話しているイギリス兵の真後ろでアメリカ兵の遺体にすがりついている父親にイギリス兵たちは気づかない。この時期の登場人物の視野は極めて狭い。
■階段あり 分割なし。
■変装する(男装) ピックフォードがイギリス兵に変装する。
■窓から侵入する アメリカ人たちが窓から侵入している。
■煙 銃。イギリス兵の軍服を叩くと埃が舞い散る。
■人間運動 愛と復讐
■キャメラの横を通り過ぎる 8ショット。
4(原1)-0-0-あり。
原初的主観ショット
平行モンタージュ6回。
追っかけ
道具箱の「起源」
変装する
窓から侵入する
斜面
1909 THE LITTLE DARLING
小さなダーリン 9.4

撮影場所 ニューヨーク州カドバックビル
ちらちら 13  283  11  2.20秒 独身者ばかりの下宿屋の女主人は友人から娘がそちらに行くからよろしくという手紙を受け取り、下宿人たちは幼女が来ると思っておもちゃを買いに行くがやって来たのは17歳の娘(メアリー・ピックフォード)だった。
■字幕 なし
▲平行モンタージュ
①おもちゃ屋(原ショット)→下宿→おもちゃ屋と、3回平行モンタージュされている。
②駅(原ショット)→下宿→駅、と3回平行モンタージュされている。
①②とも2回の最低限の平行モンタージュだが無時間的に編集されている
■パン 駅でピックフォードを出迎えた時。少し軸が動いているようにも見える。
■巻き込まれ運動 動物的。
■キャメラの横を通り過ぎる 1ショット。
0-0-1(手紙)-あり
平行モンタージュ無時間的
1909 COMATA.THE SIOUX
コマタ、スー族 9.11

撮影場所 ニューヨーク州カドバックビル
ちらちら
脚本スタナー・E・V・テイラー
46  79  21  16 1シーン1ショット、時系列。
インディアンの娘(マリオン・レナード?)はスー族の勇敢なコマタ(ジェームズ・カークウッド)に愛されているが白人のカウボーイ(アーサー・ジョンソン)に誘惑され山を下りて谷に住み子供を産む。しかし男は白人の女(リンダ・アーヴィドソン)と浮気をしそれをコマタによって暴かれると、娘は赤ん坊を抱いてコマタと共に山へ帰ってゆく。
★山=誇り高き場所、谷(町、平地)=不純な場所、という対比のテーマが撮られている。しかしその谷の家の前には花が咲き乱れている。
「THE MOUNTAINEER’S HONOR(山岳民の誇り)」(1909.11.27)などこうした対比が何度か出て来る
■字幕なし
山を下りる、再び山へ登るという主題が現れている。
■オープニング インディアンたちが山の彼方を見つめている。
■気づかないことにする インディアンの父親による尾行に気づかない。
■ロケーション 山岳地帯のロケーション。
■照明 木の影が体に投影されている(6分頃)。
■木 木陰に座り木に寄りかかって休む。
■善悪 インディアン善、白人悪、で撮られている。
■人間運動
■キャメラの横を通り過ぎる ラストシーンなど11ショット。
0-0-0-なし
照明
ロケーション
山と谷の対立
ラストシーンでキャメラの横を通り過ぎる。
1909 THE BROKEN LOCKET
壊れたロケット 9.18

撮影場所 ニュージャージー州エッジウォーター
ちらちら
メアリー・ピックフォード・序盤、恋人との別れのときの深刻な場面で笑っている。顔を伏せている時もおそらく笑っている。
23  155  31  12.30秒 母親と2人暮らしの娘(メアリー・ピックフォード)は禁酒を誓い都会へ出稼ぎに行くことにした飲んだくれの恋人(フランク・パウエル)に自分のロケットを半分にして分かち合う。だが男は都会の女(マリオン・レナード)と酒に溺れ「男は死んだ」と女の書いた偽の手紙を読んだ娘はショックで盲目になり、落ちぶれて帰ってきた男は娘に名乗ることができず去ってゆく。母親ケート・ブルース。
■字幕なし
▲平行モンタージュ 田舎で男を待つ娘と都会の男とが9回ほど交互にカットバックされている。どちらも長いスパンにおけるゆったりとした時間の流れを伴いながら交互に編集されている。長い時間を通しての平行モンタージュの「起源」が撮られている。
■マクガフィン 男が田舎を出て都会へ行くのは平行モンタージュで男と娘を対比させるため。
●切り返し 終盤、再会した娘と別れた後、手を振っている娘に対して男が手を振り返しているようにも見えるショットが撮られているが、この男の空間が娘のいる空間と通じているのか今一つ定かではない(場所的不明確性)。ただこの場合、男が手を振った空間は娘と一緒にいた空間から男が移動した空間であり、これは切り返しの「原ショット」であるのでどちらにしても切り返しにはならない
■父親の不在 ビックフォードには父親がいない。
■盲目 ピックフォードが手紙を読んだショックで盲目となる。
■煙 たばこ
■人間運動と改心 男は盲目になったピックフォードを見て胸に手を当て握手をしさらに手を握りロケットを見て胸に手を当て放心したように走り去っていく。見ること、触れること、胸に手を当てること、走り去ること、分離したペンダント、という過剰な視覚的細部によって衝動による改心が撮られている。2-A、B
■キャメラの横を通り過ぎる 6ショット。
0-0-2(手紙)-あり。
長い時間の平行モンタージュの「起源」。マクガフィンによって起動。
切り返し
父親の不在
盲人
1909 The Awakening
覚醒 9.30
撮影場所 ニュージャージー州エッジウォーター
ちらちら 26  137  19  8.20秒 結婚しなければ遺産をやらないという叔父の遺言に独身主義者の男(アーサー・ジョンソン)は渋々結婚を受け容れ、相手の娘(メアリー・ピックフォード)も相手は背の高い男だと家族に説得されてようやく受け容れて結婚するが、男は独身主義者たちと遊びに行って帰って来ず、また娘が白い花をプレゼントしても投げ出して出て行ってしまう。ある時、娘が石塀の上で花を摘んでいて足を滑らせて落下するとたまたまそこにやって来た夫に抱きとめられ、妻は白い花を夫に渡す。
■結婚することが遺産相続の条件となるのは「キートンのセブン・チャンス(SEVEN CHANCES)」(1925)が有名だが、アラン・ドワン「Three Million Dolars(300万ドル)」(1911)、エルンスト・ルビッチ「花嫁人形(Die Puppe)」(1919)などでも撮られている。
■字幕なし 「OH、UNCLE!(ああ、おじさん!)」(1909.8.28)とは逆に結婚しないと遺産はやらない、という叔父の遺言でどちらも「字幕なし」だが所謂遺言関係はみな運動を起動させるマクガフィンに過ぎずその理由を知らずともモーションピクチャーは答えてくれる。
▲平行モンタージュあり
①叔父の遺言書に署名する男から(原ショット)→家族に結婚を説得されているピックフォード→男→ピックフォードと4回平行モンタージュされている。無時間的。
②男たちのパーティで盛り上がる男→家で待つピックフォード→男たち、と3回平行モンタージュされている。男の方がやや時系列ではあるが妻との関係では無時間的。
■落とすこと 妻のくれた花を夫が不意に落とす。その花を妻が摘み直す。
■カッティング・イン・アクションで寄る 高い所で花を摘んでいるピックフォードが足を踏み外してちょうど下を歩いていた夫に抱きとめられるとき、意図的にアクションを重ねてキャメラが寄っている。典型的なカッティング・イン・アクションではない。
■照明 ラストシーンは画面の左半分が暗くピックフォードが花を摘む右半分の石垣に強い光が当てられている。
■人間運動と改心~物語からの逸脱
それまで結婚式で腕を組み手にキスをするだけだった2人の関係が落下した妻を「抱きとめること」という接触によって解き放たれ白い花によってすべてが変わる。まるで夫は初めて妻を見たように「覚醒」しキスをする。ここで照明は画面の左半分が暗く右半分の石垣に咲いた白い花に強い光が当てられている。さらに落下したピックフォードをアーサー・ジョンソンが抱きとめた時、カッティング・イン・アクションでキャメラが寄るとやや影になった空間にピックフォードが手にした白い花が輝いている。照明、抱きとめること、白い花(分離)、カッティング・イン・アクションといった、通常、人が改心する因果の流れにない過剰な出来事によって夫は改心している。モーションピクチャーにおける物語を超えた細部がグリフィスによって解き放たれた極めて重要な瞬間。 2-A、B
■机の下に隠れること ピックフォードが 気づかないことにすることと並存している。
■煙 たばこ
■階段あり 分割なし
■キャメラの横を通り過ぎる 2ショット
0-0-0-あり
平行モンタージュが2箇所。
カッティング・イン・アクションで寄る
遺産と結婚
落とすこと
照明
物語からの逸脱~抱きとめること
白い花
1909 PIPPA PASSES OR THE SONG OF CONSCIENCE
ピッパが通る、または良心の歌 10.9

撮影場所 ニュージャージー州エッジウォーター
ちらちら
ガートルード・ロビンソン(Gertrude Robinson)。ニューヨーク生まれ。1908年グリフィス「THE FEUD AND THE TURKEY(確執と七面鳥)(1908.12.12) で映画デビューか。
1911年、リアイアンス・フィルム・カンパニーへ移籍している。ウォルター・ロビンソンと結婚。ジェームズ・カークウッドと二度目の結婚。1962年3月19日死去。
ジョージ・ニコルズ(George Nichols)。イリノイ州生まれ。1908年からバイオグラフでグリフィスの作品に出演、様々な役を演じる。1913年頃マック・セネットのキーストン社へ移籍、チャップリンはニコルズと対立したと語っている。1911年から16年のあいだに103本の映画を監督している。1927年9月20日死去。63歳。
29  124  29 14 ピッパという娘(ガートルード・ロビンソン)が休日に路地を歩きながらギターを奏でて平和の歌を唄っていると、対立していた者たちがその歌を聞いて改心し和解する。
■字幕あり
■照明 朝、暗い部屋に次第に光が差してきて明るくなる。夜は逆に暗くなる。スライドパネルの向こうに強力なライトを置きパネルをスライドさせて光を差入れ、また暗くしているとのこと(リリアン・ギッシュ自伝79頁)
▲平行モンタージュ あり
①第一のエピソードで飲んだくれの夫(ジョージ・ニコルズ)と彼を家で待つ妻(クララ・T・ブレイジー)とのあいだで夫→妻→夫と平行モンタージュされている。時系列的な要素なし。
●切り返し 
①第二のエピソードでピッパの歌声が聞こえて来た時、女(リンダ・アーヴィドソン)に拳を振り上げている男(ジェームズ・カークウッド)と外のピッパとのあいだは、3ショット内側から切り返されそのまま終わっている。男は窓の外を見ている。もし窓の外にピッパがいて視線が通じているのならのこれは外のピッパから中の男への窓空間の切り返しであり、しかし「見ること」しかしておらず「見たこと」をしていないので主観ショットではない。そうでなくても音声が通じていることからコミュニケーション空間は成立しており原初的音声空間の切り返しとなる。
②第三のエピソードで夫(アーサー・ジョンソン)を殺そうとしている2人(マリオン・レナードとオーウェン・ムーア)と外で歌っているピッパとのあいだは、3ショット内側から切り返されそのまま終わっている。原初的音声空間の切り返し
■オフ空間からの音に反応する人々 
★クローズアップ 楽譜
■帽子を脱ぐこと 改心した男が泣いている妻の横でバンダナ(帽子を脱ぐようにして)を取る。
■ナイフを逆手に握っている 3つ目のエピソードで
■人間運動の改心 ここで改心している人々はみな娘のギターと歌声という分離を聞くことにより改心している。
①第一のエピソードでは酒飲みで妻に暴力をふるう男が飲んでいる酒のグラスを止めてギータ―と歌声に聞き入りグラスを投げ棄てふらついている。
②では、女を殴ろうと両手を振りかざしていた男がそのまま手を止め聞き入っている。
③では聞いていた(見ていた?)男は動揺し振りかざしたナイフを投げ棄てている。①②では動作を途中で止めるという衝動的な行動が撮られ③はやや下手糞だがこれも衝動的な運動が撮られている。2-A、B
■キャメラの横を通り過ぎる 3ショット
6(原6)-0-1(楽譜)-あり
照明 暗い部屋が明るくなる
オフ空間からの音
平行モンタージュ
切り返し 窓空間
オフ空間からの音に反応する
帽子を脱ぐ
声の分離
1909 FOOLS OF FATE
運命の犠牲者たち
10.9
ちらちら 16  221  46  12.30 妻(マリオン・レナード)と暮らしている夫(ジェームズ・カークウッド)は、川で漁をしている時に舟が沈没し、たまたま居合わせた男(フランク・パウエル)に助けられる。その後、妻は偶然出会ったその男と恋に落ち、妻の残した置き手紙を読んだ夫は銃を持ち妻のあとを辿り男の家を見つけて乗り込むが相手が命の恩人とわかると諦めて家に帰り、相手の男も言い寄る妻を跳ね付けて別れ、仕方なく妻は家に帰ると夫は自殺していた。
■字幕あり
■照明
①ポーチに木の影が「黑」を出しながら揺れている。G・W・ビッツァーはウォレス・マカッチョン・シニア「The Moonshiner( 酒の密造者)」(1904.8.19)で既にこのようなショットを撮っている。
②夫が救助されたあと、手前に木々の黒、奥に泉の光を縦の構図で撮りながら、少しずつ暗くなって夜になる。キャメラを絞っているのか。フェイドアウトの手前で止める「起源」
③7分過ぎ、森の中で妻が男に会いに行くとき、歩いている妻の体に木の影が流れるように反射している。
④ラストシーンで夫が自殺している部屋に妻が入って来た時、部屋は暗く、妻がランプを持ってくると明るくなり、夫が椅子から崩れ落ちた瞬間、妻が机の上のランプを倒して暗くなり、妻への部分照明となる(ここではカットが割れている)。「自殺すること」という「暗さ」をマクガフィンとして照明の実験をしているようにも見える。
■フェイドアウトの手前の「起源」。照明の②。
■フェイドアウト ラストシーン
■川 波紋
■風に揺れる草木
■縦の構図(パンフォーカス) 手前に木々の黒、奥に泉の光を縦の構図で撮っている。この場所は「THE MOUNTAINEER’S HONOR(山岳民の誇り)」(1909.11.27)のラストシーンでも使われている。
●切り返し
①夫がカヌーから転落した後、それを見て助けに行く男へと1ショット切り返される。「見たこと」しか撮られていないので主観ショットではない。
②夫が男の家に踏み込む時、ドアを叩く夫と中の2人(妻と男)とのあいだは、5ショット目に同一画面に収められるまで内側から切り返されている。お互い気配を感じている。原初的音声空間の切り返し
■落とすこと 
①雑貨屋から出てきた妻が男と初めて出会った時、何かを落とす。
②夫が妻の置き手紙を読んで落とす。
▲平行モンタージュ
①家の中にいる妻と、外で再会した男たちとが、妻→男たち→妻→男たち、とスムーズに平行モンタージュされている。運命の瞬間を平行モンタージュで撮っている。
②その後、密会している2人→家で妻の置き手紙を読む夫→密会している2人→妻を探しに出る夫→密会している2人→妻を探す夫→密会している2人、、と平行モンタージュされている。
③夫が男の家に踏み込んだ後、家に帰った夫→妻→自殺する夫→妻、へと平行モンタージュされている。
■同じ場所は同じ構図で撮られている。2人が出会った雑貨屋の前、小高い丘の柵の道、など。同じ場所は同じ構図で撮られることは既に根付いてはいるもののさらに場所はただの中抜きの結果としてではなく印象的な思い出の場所として同じ構図で撮られるようになる
■自殺する
■椅子 椅子に座ったまま自殺する 
■煙 銃、たき火
■人間運動と改心 
恩人は女の夫が助けた男だとわかって改心し女との交際を放棄している。銃を突き付けられて恐怖で改心したのではなく付き合っている女が助けた男の妻だと知って改心している。これが1クッションだとすると、これはみずからの強い道徳的な意志による「初犯」的な出来事のようにも見える。だが恩人は身を引く前と後とで人格的齟齬を生じているようには見えずただ「身を引く」という外形的行動が変化したに過ぎない。これまでも「身を引く」という改心は「THE VIOLIN MAKER OF CREMONA(クレモナのバイオリン製作者)(1909.6.5)、「THE WAY OF MAN(人の道)(1909.6.26)によっても撮られているが、そこで撮られているエモーショナルなメロドラマ的変化はこの作品の彼には見られていない。終始一貫し毅然とした彼の態度は改心すら生じていないように見える。この作品では2人の男の友情が強くフィルムに焼き付けられている。川に落ちて救出されたあと、奥に谷の川の見える森でキャンプをして二人で眠り、肩を叩き、フェイドアウトで画面が暗くなる。翌朝、固い握手をして別れた後、再会した時も握手をし、肩を叩き、手を振って別れている。グリフィスとGW・ビッツァーにより過剰なまでに撮られているのは2人の変わらない友情であり改心という「変わること」ではない。だからこそ恩人の男は付き合っている女が助けたあの男の妻だと知って変わることなく身を引いている。「クレモナのバイオリン製作者」と「人の道」は片思いであることから「身を引くこと」というメロドラマが露呈するのに対してここでの友情は両想いであることから「身を引くこと」は露呈せずひたすら貫かれる友情によって男は女を拒絶し夫は自殺という道を選んでいる。これもまた切ないメロドラマではあるが。3-Aであり改心という出来事がそもそも生じてケース。→「FRIENDS(フレンズ)」(1912.9.21)によっても踏襲されている。
■キャメラの横を通り過ぎる 13ショット。接近して通り過ぎている。
5(原4)-0-1(手紙)-あり
照明 影、日が暗くなる。暗い部屋が明るくなり、また暗くなる。
フェイドアウトの手前の「起源」
フェイドアウト ラストシーン
縦の構図(パンフォーカス)
深い被写界深度
同じ場所は同じ構図で撮られている。
平行モンタージュ
自殺すること
落とすこと
椅子の上で死ぬ
1909 LINES OF WHITE ON A SULLEN SEA
暗い海の白い線 10.30

撮影場所 ニュージャージー州アトランティックハイランド
ちらちら 35  102  28  16.30秒 1シーン1ショット。浜辺で網を編んでいる女エミリー(リンダ・アーヴィドソン)はジョー(ジョージ・ニコルズ)の求愛を断り、彼の恋のライバルのビル(ジェームズ・カークウッド)と婚約する。だが猟に出たビルは寄港地で別の女性(マリオン・レナード)と結婚し、そうとは知らず彼を待ち続けるエミリーはジョーからの求愛を断り続ける。6年の時が経ち、不治の病に侵されたエミリーの元へ妻と娘を連れたビルが帰って来る。ジョーはビルが結婚するために戻って来たことにさせてビルはジョーから渡された指輪を死の床のエミリーにはめる。
■字幕あり
■打ち寄せる波、風に揺れる髪、海の彼方の地平線(白い線)、そういったグラデーションにグリフィスとキャメラマンのG・W・ビッツァーは魅入られているように見える。
■照明 暗くなる。海の彼方をじっと見つめている女が、次第に暗くなる空間に包まれてゆく。おそらくはキャメラの搾りによるものだろうが1909年の10月に入って立て続けに3本、光に対するアプローチがなされ始めている
▲平行モンタージュ 
①浜辺で海の彼方を見つめて男の帰りを待つエミリー→寄港地で別の女性と出会うビル→ビルからの手紙を待つエミリー→寄港地で女性と結婚するビル→浜辺でビルの帰りを待ち続けるエミリー、と、5回カットバックされている。遠距離にある二つの空間がゆったりとした時間の流れでカットバックされている。場所的に遠く離れた2つの空間を交互にカットバックさせるために男は猟に出る、というマクガフィン的志向が強く見られている
●切り返し
①(6年後、という字幕が出たあと)病に伏したエミリーと彼女の家にやって来たジョーとのあいだは、2ショット目に同一画面に収められるまで内側から切り返されている。
■身に染みついた運動
①退出の映画史 猟師を死の床の娘と引き合わせた男は後ろを向いて帽子を脱ぐ。
②帽子を脱ぐこと ラストシーン 娘の訃報を聞いた漁師たちは全員帽子を脱いでうなだれる。ジョン・フォード的主題へと接近し始めている。
■待ち続けること 恋人からもらった腕輪を身に着け狂人と揶揄されながらも浜辺で海の彼方を見て彼の帰りを待ち続ける女が多くのショットによって撮られている。「待ち続けること」「探し続けること」という主題はジョン・フォード「馬上の二人(TWO RODE TOGETHER)(1961)、「捜索者(THE SEARCHERS)(1956)、クリント・イーストウッド「チェンジリング(CHANGELING)(2008.10.31)等でも反復されているが物語の因果とは直結しない過剰な出来事を短編の限られた時間の中で幾つものショットで撮ることのできる資質がここにも見出されている。
父親の不在 エミリーには母親(ケート・ブルース)はいても父親はいない。ひょっとして彼女は小さい頃、帰ってこない父親を浜辺でずっと待ち続けていたのかもしれない。エミリーの母親もああして夫を待っていたのかもしれない。父親の不在と待ち続けることの主題が時間の流れの中で現在を揺さぶり続けている。極めて多くの視覚的細部に満たされたエモーショナルな瞬間が撮られている。
■煙 たばこ
■人間運動 ビルは改心しているか不明
■キャメラの横を通り過ぎる 6ショット。
1-0-0-あり
平行モンタージュ長い時間
照明 暗くなる。
グラデーション 波。風、
地平線。
退出の映画史
帽子を脱ぐ
平行モンタージュ マクガフィンとの融合。スムーズ。
父親の不在
待ち続けること
1909 THE GIBSON GODDESS
ギブソンの女神 11.6

撮影場所 ニュージャージー州ハイランド
ちらちら 23  157  20  7.40秒 1シーン1ショット、時系列。海辺のリゾート地で男たちに付きまとわれるギブソン・ガールのような日傘美人(マリオン・レナード)はメイド(ドロシー・ウエスト)の助言でストッキングに綿を詰めて脚を太く見せ男たちを遠ざけるがそれでも残った男(アンソニー・オサリバン)と腕を組み脚を元に戻して歩くと男たちが悔しがる。シリアスな前作のあとのコメディ。
★ギブソン・ガールGibson girl)とは当時イラストレーターのチャールズ・ダナ・ギブソン(Charles Dana Gibson)が描いたアメリカの理想の女性像
■字幕あり
■THE ENDの「起源」  ラストシーンにバイオグラフのマークの下に「The End」。
■→
ルイ・フイヤー「Une dame vraiment bien(とっても美しい女性)」(1908.10.8)では街を歩く日傘美人に通りすがりの男たちが魅入られ追いかけてゆく。
■縦の構図 待合室(?)でずらっと並んだ椅子に座っている人々を縦の構図の深い被写界深度で撮っている。
■揺り椅子 背もたれに鏡の付いた揺り椅子が揺れている。
■海 打ち寄せる波
■追っかけ巻き込まれ運動 男たちは巻き込まれている。走ってはいないが「つきまとい」はすべて1シーン1ショットの「追っかけ」として撮られ、かつすべてキャメラの横を通り過ぎている。
■追っかけ 走ることでなく歩くことによって「追っかけ」が撮られている。
■キャメラの横を通り過ぎる 9ショット近景でキャメラの横を通り過ぎる。
0-0-0-なし
The Endの「起源」
縦の構図
揺り椅子
追っかけの終焉
THE END
1909 What's Your Hurry
何を急いでいるの? 11.6

撮影場所 ニュージャージー州フォートリー
遠景だが結構はっきり見ている。 19  190  19  6 誕生日にショットガンをプレゼントされて大喜びのパパ(ジョージ・ニコルズ)を家族で囲んでいるところへ娘(メアリー・ピックフォード)のボーイフレンドのハリー(ビリー・クィルク)がやって来て、『キスしたらパパに言いつけるからね』と娘が釘を刺したにも拘わらず何度もキスをしてくるので娘はパパに『彼にそのショットガンを見せてあげて』と何も知らないパパを連れてくるとハリーはびっくり仰天して逃げ出すが、行く先々で(ショットガンを持った)パパに出くわし、逃げて逃げて逃げ回る。
■字幕あり
■1人で逃げること 「追っかけ」ではなくただひたすら1人で逃げ続ける。
■マクガフィン 逃げるためにパパの誕生会があり、ショットガンのプレゼントがあり、逃げている途中でいきなり通りすがりの娘たちと仲良くなるというマクガフィンが配置されている。『逃げること』のコメディの場合、逃げる理由は荒唐無稽であればあるほど面白い。
■メアリー・ピックフォード また素で笑っている。
■巻き込まれ運動 動物的スラップスティックコメディ。
■キャメラの横を通り過ぎる 4ショット。
0-0-1(手紙)-なし
1人で逃げ続ける
マクガフィン
メアリー・ピックフォード
1909 NURSING VIPER
毒蛇の看護 11.6

撮影場所 ニュージャージー州イングルウッド
ちらちら 17  216  36  10  1シーン1ショット。フランス革命の暴徒に追われた貴族の男(フランク・パウエル)は、逃げ込んだ共和制支持の貴族の家で召使に変装させられて助けられたものの、家の妻(マリオン・レナード)に手を出したところを主人(アーサー・ジョンソン)に見つかり貴族の服を着せられ外へ放り出される。
■字幕あり
▲平行モンタージュ 男を匿う家族と外の暴徒たちとが家→暴徒→家→暴徒→家→暴徒、と近距離ではあるがスムーズに交互にモンタージュされている。その後も何度か家の中と外の暴徒たちとが平行モンタージュされている。この場合、家の中の者たちが外の音声に反応していれば切り返し②のように原初的音声空間の切り返しとなり聞こえていなければ平行モンタージュとなる。どちらにせよ近距離間なので原初的ではある。
●切り返し 
①暴徒たちが侵入してきた後、隣室の暴徒たちとカーテンの影からそれを見ていて主人に礼を言う貴族の男とのあいだが、1ショット内側から切り返されている。原初的二間続きの切り返し。「見たこと」しか撮られていないので主観ショットではない。
②その後、2人きりになった貴族と主人の妻と、外で火を燃やしている暴徒たちとのあいだが2ショット目に同一画面に収められるまで1ショット内側から切り返されている。原初的音声空間の切り返し
③その後、妻を襲う貴族とその音を聞きつけて妻を助けに行く主人とのあいだは、2ショット目に同一画面に収められるまで1ショット内側から切り返されている。原初的音声空間の切り返し
■追っかけ 序盤、貴族たちが暴徒に追われるシーンが2ショット「追っかけ」として撮られている。
■順手 貴族を刺し殺す時、暴徒がナイフを順手に握っている。珍しい順手。
■煙 たき火?
■鏡 無造作に置いてある。
■人間運動 裏切りと復讐
■キャメラの横を通り過ぎる 2ショット。
3(原3)-0-0-あり
平行モンタージュ スムーズ
順手
原初的二間続きの切り返し
追っかけ
1909 THE LIGHT THAT CAME
やって来た光 11.13
ちらちら
ルース・ハート(Ruth Hart)。1906年ブロードウェイで「クランズマン」に出演後、グリフィス作品には「NURSING VIPER(毒蛇の看護)」(1909.11.6)あたりから出演しすぐにこの作品で大きな役を得ているがその後は小さな役が多い。1952年夫と3人の子供に見守られながらニューヨークで65歳で亡くなる。
32  113  34  18 3姉妹(マリオン・レナード、メアリー・ピックフォード)の1人で顔にあざがあり男性から敬遠されている娘グレース(ルース・ハート)が舞踏会で盲目のバイオリニスト(オーウェン・ムーア)と出会い恋に落ちる。求婚された彼女は自分の頬のあざを彼に触らせるが彼は彼女を抱きしめ2人は婚約する。そこへたまたま居合わせた姉妹の遊び友達の若い医師(アーサー・ジョンソン)に彼の目は治るがお金がかかるといわれた彼女はもし彼の目が見えるようになれば彼を失うことになるのかも知れないにも構わず自分の物を売って手術代を捻出し著名な医師(ジョージ・ニコルズ)の手によって彼の眼は光を取り戻す。母ケート・ブルース。
■字幕あり
▲平行モンタージュ 
①ダンスをする者たちと隣室でダンスの相手がいなくて座っている娘とがカットバックされている。隣室であり原初的二間続きの平行モンタージュ
■落とすこと 盲人がバイオリンを落とすことが2人の出会いを決定づけている。
■父親の不在 三姉妹には母親(ケート・ブルース)しかいない。壁に掛けてある肖像画が父親だろうか。
■なぜ三姉妹なのか~マクガフィン的人物設定その① 
目が見えるようになったバイオリニストの前に医者がまず1人目の姉妹のピックフォードを行かせて『この娘か?』と聞くと即座に『いや、違う』、次の姉妹のマリオン・レナードも『ノー、ぜんぜん違う』、、そして3人目にあの娘が出て行くと、バイオリニストの顔が輝く、、こういう演出をするために彼女は三姉妹に設定されている。
■なぜ彼は盲目のバイオリニストなのか~マクガフィン的人物設定その②
ラストシーンで次々と姉妹たちが目の前に出てきたとき、バイオリニストは彼女たちに触れもせず即座にあの娘を探り当てている。彼は顔のあざのあるなしで判断しているのではない。初期映画の法則は、観客に見えないことは登場人物にも見えない、であり、あざのある右頬は娘がそのあざを観客に見せるように大きく左を向いた時にバイオリニストは初めて確認できていることになる。だからこそ娘は向かって右側に、バイオリニストは向かって左側に配置されている。従ってバイオリニストは頬のあざを見ずに彼女を瞬時に確認したのであり、だからこそ彼は盲目のバイオリニストであり、同時に彼が気配で人を感じることのできる稀有なアーティストであることを現わしている。1つの演出によって複数の細部を一瞬で露呈させたラストシーン。初期映画がモーションピクチャーへと進化してゆく過程をここに見ることが出来る。
■退出の映画史 ラストシーンの細部はそれだけではない。バイオリニストが目が見えるようになって初めて娘を見つめ顔のあざを見ても顔色一つ変えずに娘の頬に触れた時、医者(ジョージ・ニコルズ)と母親(ケート・ブルース)以外はみな速やかに部屋を出て行き若い医者は老医師と握手をして退出している。「常習犯」的衝動の典型としてある「退出すること」が2人のプライベートな抱擁にエモーションを授けながら映画は終わっている。
■複数のモーションの同時進行
ラストシーンは複数のモーションが同時に進行しながら終わっている。ここにきて「A STRSNGE MEETING(奇妙な出会い)(1909.7.31)「THE VIOLIN MAKER OF CREMONA(クレモナのバイオリン製作者)」(1909.6.5)「THE SLAVE(奴隷)(1909.7.21)The Awakening(覚醒)(1909.9.30)LINES OF WHITE ON A SULLEN SEA(暗い海の白い線)(1909.10.30)THE LIGHT THAT CAME(やって来た光)(1909.11.13)と立続けに過剰な細部の積み重ねによる物語からの因果的逸脱を伴うエモーショナルな作品が撮られ始めている。細部とは基本的に物語の因果的持続からの逸脱を伴う出来事でありあらすじに書かれることのない失われた衝動である。
■鏡を見ること 娘は鏡を見るたびに傷ついてゆく。
■障碍 顔にあざ
■人間運動 
■キャメラの横を通り過ぎる 1ショット。
0-0-1(手紙)-あり(原)。
マクガフィン的人物設定
平行モンタージュ 隣室
落とすこと 2人の出会い
退出の映画史 ラストシーン。
「常習犯」
1909 THE MOUNTAINEER’S HONOR山岳民の誇り 11.27
撮影場所 ニューヨーク州カドバックビル
ちらちら 23  158  44  16.40 山の娘(メアリー・ピックフォード)には彼女に思いを寄せる山の詩人(オーウェン・ムーア)からの求婚を断り、谷からやって来た旅行者(アーサー・ジョンソン)と恋に落ち指輪をもらうが弄ばれたあげくに捨てられ、かねてから2人の交際に反対していた娘の兄(ジェームズ・カークウッド)は父親(ジョージ・ニコルズ)の銃を借りて谷まで男を追跡して撃ち殺し山へ逃げ帰るが追ってきた谷の者たちに捕らえられる。リンチされるくらいならと母親(ケート・ブルース)は息子を撃ち殺し山の民の誇りを守る。娘は詩人に導かれて肩を組み谷をめざして山を降りてゆく。母親ケート・ブルース。
■字幕あり
▲平行モンタージュ 
①山を下りてゆく谷の男と山の娘とが3回カットバックされている。
②その直後、谷の男と彼を追いかけてゆく兄とのあいだで3ショット、追っかけ平行モンタージュされている。
③街の男を撃ち殺して山へ逃げてゆく兄と彼を追う谷の者たちとが6回平行モンタージュされている(追っかけ平行モンタージュ)逃げる者と追う者とがお互いの視界に入る空間同士のカットであれば平行モンタージュではなく切り返しとなる。
▲追っかけ平行モンタージュ
「SWEET AND TWENTY(美しい二十歳)」(1909.7.17)では原初的でしかなかった追っかけ平行モンタージュがここでは追われる者と追う者たちとのあいだの追跡運動において反復して現れている。
●切り返し
①平行モンタージュ③と重複し、追いかけて来る谷の者たちとそれをドアを開けて見ている母親とのあいだは、2ショット目に同一画面に収められるまで内側から切り返されている。「見たこと」しか撮られていないので主観ショットではない。室内と室外。
■2人で抱き合い緑豊かな谷へ歩き降りてゆく後ろ姿のラストシーン
「COMATA.THE SIOUX(コマタ、スー族)」(1909.9.11)のラストシーンでは谷に絶望したインディアンが山を目指し、この作品ではそれでもなおかつ谷を目指して終わっている
■誇り高き山岳民と不純な谷(街、平地)の者という主題は「COMATA.THE SIOUX(コマタ、スー族)」(1909.9.11)において撮られている。「イントレランス(INTOLERANCE)」(1916)の古代篇におけるコンスタンス・タルマッジ扮する『山の娘(The mountain girl)』というキャラクターもこのような意味合いにおいて撮られているのかも知れない。だが「コマタ、スー族」ではラストシーンでインディアンの娘が谷に絶望し山へ帰って行くのに対してここでは谷の男に弄ばれた娘が彼女を愛する詩人と2人で谷をめざして山を降りてゆくシーンで終わっている。オーウェン・ムーア扮する花を手にした詩人が谷を意味するのかもしれず、荒涼とした山、花と詩に満ちた谷、という対比もあるようにも見える。LINES OF WHITE ON A SULLEN SEA(暗い海の白い線)(1909.10.30)で見られた「それでもなおかつ待ち続けること」という「それでもなおかつ」という主題がここでは「それでもなおかつ谷へ降りること」という主題として反復されている。このあたりがいかにもグリフィスらしい主題の転換として現れている。
■照明 森の中を歩いている人物の体に木の影が流れるように反射している。
■風に揺れる草木
■木 家の前に一本の木が生えている。
■お祭り 山の上のロケーションで山岳民のお祭りのダンスパーティ
■ロケーション 全編山岳地帯のロケーション
■ロングショット 崖をバックにした大きなロングショット。
■煙 たばこ、銃
■フェイドアウト ラストシーンにフェイドアウトが使われている。
■縦の構図 「FOOLS OF FATE(運命の犠牲者たち)」(1909.10.9)と同じ場所の同じ縦の構図でラストシーンが撮られている。
■人間運動
■キャメラの横を通り過ぎる 8ショット。
1-0-0-あり。
追っかけ平行モンタージュ
フェイドアウト ラストシーンで。
縦の構図・パンフォーカス
山と谷の対立と止揚
1909 Through the Breakers
困難を乗り越えて12.11

撮影場所 ニュージャージー州エッジウォーター
ちらちら 26  138  39  17 恋愛結婚して8年後、夫婦(ジェームズ・カークウッドとマリオン・レナード)は娘(アデル・デカルト)を看護師に任せて外で遊びほうけていると娘が病気になる。看病する夫は遊びに出て行く妻を非難するが喧嘩となり、妻が外出している時、娘は死ぬ。看護師ケート・ブルース、医者ジョージ・ニコルズ。
■字幕あり
▲平行モンタージュ 
①パーティでカードをして遊ぶ妻→クラブの夫→家で病気になる娘→クラブ、と平行モンタージュされている。時系列性が希薄にモンタージュされている。
②その後、家で娘をベッドに連れてゆく夫→パーティの妻→家→パーティと3回平行モンタージュされている。時系列性は希薄。
③その後、パーティ→家で医者がやって来る→パーティ→家→パーティに使いが妻を呼びに来る、と5回平行モンタージュされている。
■倦怠期の夫婦 
①単純な二項対立の善悪では撮られていない。
最初、妻は娘を看病しているがそこにパーティの誘いが来る。だが娘の容態を見て家に残ろうとしている所へ『またパーティに行くのか!』と夫に非難されたことで売り言葉に買い言葉、ではパーティへ行ってやる、という演出がなされている。妻の一方的悪ではなく、夫婦間の不仲が妻の不在を招いたことが繊細に撮られている。
②人間運動と改心 
ラストシーンで娘の墓にすがりついて泣いている妻をやって来た夫が陰で見ている。15秒ほどじっと見続けたあと夫は不意に帽子を脱ぎ妻の肩に手を添え妻と共に墓にすがって泣き始める。過剰に見続けること、不意に帽子を脱ぐこと、すがりついて泣き崩れることという出来事には「妻を許す」という上から目線の知的な態度は微塵も露呈していない。ここには許すこと、和解することを超えた2人だけの時間が流れ始めている。2-B
■帽子を脱ぐ 夫が2回、脱いでいる。一度目は産まれた娘と対面した時、二度目はラストシーンのお墓で妻を見た時。
■退出の映画史 赤ん坊と初めて対面した夫が妻と抱擁する時、看護師(ケート・ブルース)は後ろを向いてじっとしている。
■風 墓地で妻の帽子の日よけのスカーフが。
■ラストシーンでキャメラの横を通り過ぎる
■キャメラの横を通り過ぎる 1ショット
0-0-1(手紙)-あり。
退出の映画史
倦怠期の夫婦の「起源」
見続けること
帽子を脱ぐ
平行モンタージュ 多用
ラストシーンでキャメラの横を通り過ぎる
1909 小麦の買占め
A Corner of Wheat 12.18

撮影場所 ニューヨーク州マンハッタンバイオグラフスタジオ
ちらちら
★W・クリスティー・ミラー(W. Chrystie Miller) 1908年からグリフィスの作品に出ているおじいちゃん。人よりもひとつふたつ多く演技をしたがる目立ちたがりのおじいちゃん。「Over Silent Paths(静かな道を超えて)」(1910.5.21)鬼(あたりから次第に大きな役を演じるようになりグリフィス初期映画を支える。グリフィスがバイオグラフを離れると引退。1914年まで139本の映画に出演。1922年ニューヨークのスタテンアイランドで亡くなる。79歳。
25  141  33  14 貧しい農民の父子(W・クリスティー・ミラーとジェームズ・カークウッド)は妻と娘(リンダ・アーヴィドソンとグラディス・イーガン)を養いながら小麦の種をまいている。だが大富豪(フランク・パウエル)は小麦を買い占めてパンの価格を高騰させパンは品切れとなり庶民を苦しめるが彼は小麦工場の精製器の中に落ち小麦に埋もれて死ぬ。カール・ドライヤー「吸血鬼(VAMPYR)」(1931)。富豪の部下ヘンリー・B・ウォルソール。
■字幕あり
■長回しとショット内モンタージュ 種をまいている農民たち(ジェームズ・カークウッドとその父親W・クリスティー・ミラー)が遠景からショット内モンタージュでずっと歩いて来てキャメラの横を通り過ぎて画面から消えてゆき再び画面の中を引き返して遠景まで歩いてゆく。初期映画の限界を超えて意図的に長回しを撮ることへの「起源」が現れる。
▲平行モンタージュ 
①小麦王のパーティ→値上げしたパン屋→パーティ→パン屋→パーティ→農家→パン屋、と7回無時間的スムーズにカットバックされている。
②精製器の中に落ちた小麦王→パン屋→精製器、とカットバックされている。
室内における切り返し 
①小麦王が女たちを連れて小麦工場の見学に来た時、彼らと小麦精製器とのあいだが2ショット内側から切り返されている。女たちが「見ること」と「見たこと」を演じているので主観ショットであり角度がずれているので原初的主観ショットとなる。これは二間続きの部屋ではないので原初的二間続きの切り返しではなく「切り返し」である。室内
■フェイドアウト ラストシーンの種まきで画面は暗くなる。「THE MOUNTAINEER’S HONOR(山岳民の誇り)」(1909.11.27)に続いてラストシーンでなされている。
■ラストシーンが歩き去る後ろ姿で終わる。
ラストシーンは種を撒きながらキャメラへ向かって歩いて来てターンしまた種を撒きながら歩いてゆく農民の後ろ姿とフェイドアウトによって終わっている。物語的因果とは無関係であらすじには書かれない視覚的細部によってラストシーンが撮られる傾向が現れている。
■ロケーション 広大な小麦畑でのロケーションあり。
■手前と奥で別々の演技 パン屋で主たる手前のカウンターとは別に奥のカウンターでも店員と客が縦の構図で具体的なやり取りをしている。縦の構図はその後のグリフィスの大作路線へつながるひとつの方法となる→「RAMONA(ラモナ)」(1910.5.28)、「わがままペギー(WILFUL PEGGY)」(1910.10.23)
■書き割り 小麦工場の奥は書き割り
■煙 たばこ
■帽子を脱ぐ 富豪が死んでいることを知った者たちが
■人間運動 強欲と報い。
■キャメラの横を通り過ぎる 2ショット
2(原2)-0-1(書類)-あり。
ショット内モンタージュ
平行モンタージュ スムーズ
切り返し
フェイドアウトとラストシーン
縦の構図 
手前と奥とで別々の演技
長回しの「起源」
1909 THE REDMANS VIEW
インディアンの目の届く所12.11

撮影場所ニューヨーク州マウントビーコン
ちらちら
ロティ・ピックフォード(Lottie Pickford)。メアリー・ピックフォードの妹でジャック・ピックフォードの姉。1909年からグリフィスの短編に小さな役で出演。グリフィスの妻のリンダ・アーヴィドソンは彼女を嫌いバイオグラフから追放しようとしたとの話もある。1911年初頭、姉のメアリーと共にIMPへ移籍しているが姉が12年バイオグラフへ復帰した後もIMPに残っている。1925年引退。36年死去。43歳。
37  98 26 16 1シーン1ショット。山のキャンプを白人たちに襲われたインディアンのシルバーイーグル(オーウェン・ムーア)は恋人(ロティ・ピックフォード)か父親かの二者択一に迫られ恋人を奴隷に残したまま年老いた酋長の父親(W・クリスティー・ミラー)を助けて山の上をあてのない旅に出る。途中、父親が死ぬと、男は山へ引き返して恋人を連れ戻そうとし、改心した白人(ジョージ・ニコルズ)に解放され2人は酋長の埋葬に立ち会う。
★ロティ・ピックフォードはメアリー・ピックフォードの妹。
■字幕あり
▲平行モンタージュ 逃げる娘→山を歩いてゆくインディアン達→捕まる娘、と3回カットバックされている。無時間的。
■馬ぞり(馬に付けられたそり)  ジョン・フォード「リオ・グランデの砦(RIO GRANDE)」(1950)などに出て来る病人などを乗せて引きずるそりが撮られている。
■縦の構図 死にかけた酋長に部族の者たちが死の歌を歌って踊る時、奥で踊っているインディアンたちが縦の構図で撮られている。さり気なく撮られている縦の構図への傾向はその後のグリフィスの大作路線へとつながってゆく。
■ロケーション 全編山岳地帯のロケーション。川。
■埋葬 インディアンの埋葬
■善悪 インディアン善、白人悪、で撮られているが、最後に突然白人が改心する。
■煙 たき火、銃
■ラストシーン 父親の埋葬のやぐらの前の2人の後ろ姿で終わっている。
■人間運動と改心 白人たちは突然改心して悪人から善人となっている。これは改心表3-Bであり「初犯」的改心の典型。
■キャメラの横を通り過ぎる 11ショット。
0-0-0-あり
平行モンタージュ
そり(馬ぞり)
埋葬 インディアン式
ラストシーンが後ろ姿
縦の構図→大作路線
「初犯」的改心
1909  A TRAP OF SANTA
サンタの罠 12.25

撮影場所 ニュージャージー州フォートリー
ちらちら 20  178  45  15.10 失業中で酒におぼれた夫(ヘンリー・B・ウォルソール)は妻(マリオン・レナード)と子供たち(グラディス・イーガンとジョン・タンジー)を残して家を出るが、その後夫は、叔母の遺産を相続して豪邸に住んでいる妻の家にそうとは知らずにクリスマスイブの夜に泥棒に入り、子供たちの仕掛けたちょっとした罠にかかりながら、妻と和解しサンタとなって子供たちの前に現れる。弁護士ウィリアム・J・バトラー、使いW・クリスティー・ミラー
■字幕あり
■落とすこと 
①夫の置き手紙を妻がちぎって舞い落す。不意ではなく意図的に落としている。
②泥棒が夫だと分かった瞬間、妻が持っていたサンタの髭を落とす。不意に落としている。
▲平行モンタージュ 
①家→酒場から放り出される夫→家とカットバックされる。無時間的。
②家の中での子供たちと母親との平行モンタージュが2回ほど。原初的。
③家の中でサンタに着替える父親と子供たちとのあいだで2回カットバックされている。原初的二間続きの平行モンタージュに近い。
●切り返し ①泥棒に入って来た父親と子供たちとのあいだは、3ショット内側から切り返されている。原初的音声空間の切り返し。子供たちはロープで気配を感じている。
■マクガフィン クリスマスの子供たちの前にサンタがやってくるために父親を失業させ、酒を飲ませ、家出させ、妻に遺産を相続させて、、というマクガフィンの強い回路が見られている。サンタになった父親を撮りたいので泥棒の夫をすぐに赦して和解するという荒唐無稽な出来事がスルーされる。
■マクガフィンその2
サンタはあの水桶のような罠に引っかかってはいない。罠それ自体に意味があるのではなく罠に結びつけられたロープに子供たちが「サンタが来た!」と反応しわくわくしている子供たちを撮るために罠がある。従って罠はそれ自体としては意味はない。よって罠は作動しない。寝ている子供たちがいきなりサンタと出会うよりもわくわくして待っている子供たちを撮りたかったのかも知れない。それはあたかもカール・ドライヤー「奇跡(ORDET)」(1954)のラストシーンで母親の復活を今か今かと待っているあの娘のように。
■人間運動と改心 去ろうとする父親は妻に許され改心している。妻もまた泥棒に入って来た夫を許している。妻はサンタの髭を不意に落としていてそれは確かに衝動的だが泥棒の夫を見て驚いて落としたのであり改心するとき(許す時)に落としたのではない。夫は跪(ひざまず)き許しを乞うているように見えるがクサイ演技でどうにもなっていない(ヘンリー・B・ウォルソールはこういう演技をするとクサクなる)。だがこの和解を含めてすべてはクリスマス映画として家出した父親がサンタとなって子供たちの前に現れるというラストシーンから逆算して撮られているサービス映画だとすれば物語の因果は破綻しているとしてもさほど大きな問題にはならない。2-C
■キャメラの横を通り過ぎる 2ショット。
3(原3)-0-1(置き手紙)-あり(原)
落とすこと
平行モンタージュ 
マクガフィン
1909 TO AVE HER SOUL
彼女の魂を救うために
12/31
撮影場所 ニュージャージー州フォートリー
ちらちら 19  193  45  14 1シーン1ショット。田舎街の教会の歌手(メアリー・ピックフォード)が劇場のマネージャー(ジョージ・ニコルズ)にスカウトされて都会で歌手になり、彼女に思いを寄せる牧師(アーサー・ジョンソン)は彼女の舞台を見に行って楽しむが観客席で取り巻き(マック・セネット)の破廉恥な言動に彼女を連れ戻そうとするが断られ嫉妬から銃で彼女を殺そうとするが思い止まり2人は和解する。老牧師W・クリスティー・ミラー、ピックフォードの母・キャロライン・ハリス(?)。
■字幕あり
■オフ空間からの音に反応する(分離)
 都会から車でやって来たマネージャー(ジョージ・ニコルズ)が聞こえてくる娘の歌声に引きつけられて教会へスカウトしに行く、
▲平行モンタージュ 牧師が舞台を見に行ったあと楽屋裏の牧師とパーティの席とが3回ほど交互に編集されている。牧師はドアをノックしているがパーティの者たちには聞こえていないので平行モンタージュ。牧師が気配を感じているとするなら原初的音声空間の切り返し。どちらにしても原初的。
●切り返し
①教会でピアノを弾いて歌っている娘と車でやってきてその歌声を聞いているマネージャたちとのあいだは、2ショット目に同一画面に収められるまで内側から切り返されている。原初的音声空間の切り返し。声の分離に反応している。
室内での切り返し(近代的切り返しではない)
舞台劇の観客席に座っている牧師アーサー・ジョンソンその他観客たちと、舞台の上のメアリー・ピックフォード等とのあいだは、8ショット内側から切り返されそのまま終わっている。室内空間を二つに分断して切り返しているので
近代的切り返しのように見えるがそうではないことは「A DRUNKER’S REFORMATION(酔っぱらいの改心)」(1909.3.27)で検討している。観客と舞台のメアリー・ピックフォードがより鮮明にキャメラを正面から見据えているショットが入り「酔っぱらいの改心」と違って舞台の内容は関係ないのでよりリズミカルに切り返されている。室内での切り返し。
■フェイドアウト ラストシーンが。
■パン あり。
■落とすこと パーティに牧師がやって来た時、ピックフォードがグラスを落とす。
■人間運動と改心 銃で脅した方も脅かされた方も改心している。娘は跪いて牧師の手にキスをして改心し牧師もまた腕で目を覆い苦悶の表情を浮かべて改心している。だがどうしたところで銃の力は通常人間に渋々改心をもたらす因果性を有しており「FOOLS OF FATE(運命の犠牲者たち)」(1909.10.9)における友情のような、それを打ち壊すだけの細部は撮られていない。2-C
■キャメラの横を通り過ぎる 2ショット。
9(原1)-0-0-あり(原)
分離
切り返し 舞台と観客席との切り返しがスムーズに撮られている。
フェイドアウト ラストシーン
「初犯」的改心
1909 THE DAY AFTER
翌日 12.31
ちらちら 27  135  18  8  コメディ。大晦日のパーティを主催する酒癖の悪い夫婦(アーサー・ジョンソンとマリオン・レナード)はパンチを飲むのはお客様だけ、私たちは飲まない、と誓いを立てたものの来客たちに勧められ一杯、また一杯と飲むうちに正体を失くして大騒ぎをし、翌朝、何も覚えていない夫は果たして妻が見ていたか恐怖に震えるが妻も何も覚えていないと分かると自分は覚えているふりをして妻を叱りすがりつく妻を大きな心で許して抱擁する。夫の浮気相手→ガートルード・ロビンソン。
■字幕あり
▲平行モンタージュ 
①翌朝、応接間と妻の寝室とのあいだで2回平行モンタージュされている。
■室内映画
■鏡 あり。無造作に置いてある。
■花瓶の水を飲む
■人間運動と改心 妻は夫に許され改心しているが改心すること自体がコメディなのでさしたる意味は持たない。
■キャメラの横を通り過ぎる 2ショット。
0-0-0-あり
  1909年を振り返る   1909年に新しく始まったこと
カッティング・イン・アクション 1908年に「The Curtain Pole(カーテンポール)」(1908/1909.2.13)で『ラストシーンだけ異質のショット』として撮られているがここではそれ以外でのカッティング・イン・アクション
「THE VOICE OF THE VIOLIN(バイオリンの声)」(1909.3.13)→引く、ロケーション
「SWEET AND TWENTY(美しい二十歳)」(1909.7.17)→引く・ロケーション
「The Awakening(覚醒)」(1909)→寄る、ロケーション
寄る
「At The Alter(祭壇にて)」(1909.2.20)ロケーション、
「The Awakening(覚醒)」(1909.9.30) ロケーション
引く 
「EDGER ALLAN POE(エドガー・アラン・ポー)」(1909.2.6)、室内。
「THE MENDED LUTE(繕われたリュート)」(1909.7.31)、ロケーション
ロングショット
「THE CORD OF LIFE(命綱)」(1909.1.23)
「SWEET AND TWENTY(美しい二十歳)」(1909.7.17)
「THE MENDED LUTE(繕われたリュート)」(1909.7.31)
「THE MOUNTAINEER’S HONOR(山岳民の誇り)」(1909.11.27)
奇妙な同一画面
「The Sealed room(封印された部屋)」(1909.9.4)
上下の切り返し
「THE GIRLS AND DADDY(姉妹とパパ)」(1909.1.30)
「1776.OR THE HESSIAN RENEGADES(1776年、またはヘシアンの反逆者)」(1909.9.6)これは原初的音声空間の切り返し
主観ショット
「THE VOICE OF THE VIOLIN(バイオリンの声)」(1909.3.13)②『窓空間』、
原初的主観ショット
「The Cricket on the Hearth(暖炉のコオロギ)」(1909.5.27)②、室内二間続き
「LONELY VILLA(淋しい別荘)」(1909.6.5)③、室内と室外
「SWEET AND TWENTY(美しい二十歳)」(1909.7.17)②窓空間
「1776.OR THE HESSIAN RENEGADES(1776年、またはヘシアンの反逆者)」(1909.9.6)
切り返し①室内と室外
「小麦の買占め(A Corner of Wheat)」(1909.12.18)①、室内
原初的二間続きの切り返し
「The Cricket on the Hearth(暖炉のコオロギ)」(1909.5.27)②
「THE WAY OF MAN(人の道)」(1909.6.26)①
「The Sealed room(封印された部屋)」(1909.9.4)
「NURSING VIPER(毒蛇の看護)」(1909.11.6)①
原初的二間続きの平行モンタージュ
「The Sealed room(封印された部屋)」(1909.9.4)、
「THE LIGHT THAT CAME(やって来た光)」(1909.11.13)
「A TRAP OF SANTA(サンタの罠)」(1909.12.25)
追っかけ平行モンタージュ
「SWEET AND TWENTY(美しい二十歳)」(1909.7.17)、
「THE MOUNTAINEER’S HONOR(山岳民の誇り)」(1909.11.27)
長い時間の平行モンタージュ
「THE BROKEN LOCKET(壊れたロケット)」(1909.9.18)
「LINES OF WHITE ON A SULLEN SEA(暗い海の白い線)」(1909.10.30)
長回し 
「小麦の買占め(A Corner of Wheat)」(1909.12.18)
パン 
「THE COUNTRY DOCTOR(田舎の医者)」(1909.7.3)大きなパン
照明 
「EDGER ALLAN POE(エドガー・アラン・ポー)」(1909.2.6)→暗い照明、
「THE DRUNKER‘S REFORMATION(酔っぱらいの改心)」(1909)→暗い照明、
「The Cricket on the Hearth(暖炉のコオロギ)」(1909.5.27)→ローソクを消すと暗くなる(実際に暗くしている)。
「THE VIOLIN MAKER OF CREMONA(クレモナのバイオリン製作者)」(1909.6.5)→ラストシーンで部屋の光が暗くなり窓の外から男に光が差し込む。
「THE NECKLACE(ネックレス)」(1909.6.26)夜のオフィスが暗い。
「A STRSNGE MEETING(奇妙な出会い)」(1909.7.31)→次第に暗くなり外から光が差す。
「THE SLAVE(奴隷)」(1909.7.21)→ラストシーンで暗くなり外から光が差してくる。
「COMATA.THE SIOUX(コマタ、スー族)」(1909.9.11)木の影が歩いている者に反射する。
「The Awakening(覚醒)」(1909)ラストシーンは画面の左半分が暗くピックフォードが花を摘む右半分の石垣に強い光が当てられている。
「PIPPA PASSES OR THE SONG OF CONSCIENCE(ピッパが通る、または良心の歌)」(1909.10.9)→部屋が明るくなり、また暗くなる。
「FOOLS OF FATE(運命の犠牲者たち)」(1909.10.9)→ポーチ、体に木の影、ランプを倒して暗くなる。
「LINES OF WHITE ON A SULLEN SEA(暗い海の白い線)」(1909.10.30)→浜辺の光が少しずつ暗くなる
「THE MOUNTAINEER’S HONOR(山岳民の誇り)」(1909.11.27)森の中を歩いている人物の体に木の影が流れるように反射している。
THE END 
「GIBSON GODDES(ギブソンの女神)」(1909.11.6)
フェイドアウトの手前でとめる
「FOOLS OF FATE(運命の犠牲者たち)」(1909.10.9)
フェイドアウト
「FOOLS OF FATE(運命の犠牲者たち)」(1909.10.9)ラストシーン
「THE MOUNTAINEER’S HONOR(山岳民の誇り)」(1909.11.27)ラストシーン
「小麦の買占め(A Corner of Wheat)」(1909.12.18)ラストシーン
「TO SAVE HER SOUL(彼女の魂を救うために)」(1909.12.31)ラストシーン
ラストシーンが後ろ姿
「The Indian Runner's Romance(インディアンランナーのロマンス)」(1909.8.28)、
「THE REDMANS VIEW(インディアンの目の届く所)」(1909.12.11)
ラストシーンが歩いてゆく後ろ姿 
「THE MOUNTAINEER’S HONOR(山岳民の誇り)」(1909.11.27)→フェイドアウトで終わる
「小麦の買占め(A Corner of Wheat)」(1909.12.18)→フェイドアウトで終わる。
2人で同一方向を見上げる
「A STRSNGE MEETING(奇妙な出会い)」(1909.7.31)ラストシーンで、
「THE SLAVE(奴隷)」(1909.7.21)、
「The Indian Runner's Romance(インディアンランナーのロマンス)」(1909.8.28)
孤児
「CONFIDENCE(信頼)」(1909.4.1)
母親の不在 
「THE GIRLS AND DADDY(姉妹とパパ)」(1909.1.30) 子供は姉妹
「A STRSNGE MEETING(奇妙な出会い)」(1909.7.31) 子供は娘
父親の不在
「HIR DUTY(彼の義務)」(1909.5.29)、子供は兄弟
「THE COUNTRY DOCTOR(田舎の医者)」(1909.7.3) 子供は娘
「THE BROKEN LOCKET(壊れたロケット)」(1909.9.18) 子供は娘
「LINES OF WHITE ON A SULLEN SEA(暗い海の白い線)」(1909.10.30) 子供は娘
「THE LIGHT THAT CAME(やって来た光)」(1909.11.13)壁に父親の肖像画あり。子供は娘。
退出の映画史 
「THE CORD OF LIFE(命綱)」(1909.1.23)、 
「LINES OF WHITE ON A SULLEN SEA(暗い海の白い線)」(1909.10.30)、
「THE LIGHT THAT CAME(やって来た光)」(1909.11.13)、
「Through the Breakers(困難を乗り越えて)」(1909.12.11)
縦の構図 
「これらのいやな帽子(Those Awful Hats)」(1909.1.23)
「The Cricket on the Hearth(暖炉のコオロギ)」(1909.5.27)
「LONELY VILLA(淋しい別荘)」(1909.6.5)
「FOOLS OF FATE(運命の犠牲者たち)」(1909.10.9)
「ギブソンの女神(GIBSON GODDES)」(1909.11.6)
「THE MOUNTAINEER’S HONOR(山岳民の誇り)」(1909.11.27)
「小麦の買占め(A Corner of Wheat)」(1909.12.18)
「THE REDMANS VIEW(インディアンの目の届く所)」(1909.12.11)→大作路線
前と奥とで別々の演技 
「The Cricket on the Hearth(暖炉のコオロギ)」(1909.5.27)
「LONELY VILLA(淋しい別荘)」(1909.6.5)
「小麦の買占め(A Corner of Wheat)」(1909.12.18)
視線を遮る 「THE VOICE OF THE VIOLIN(バイオリンの声)」(1909.3.13)=カーテン、「CONFIDENCE(信頼)」(1909.4.1)→衝立、「THE SON’S RETURN(息子の帰還)」(1909)カーテン、
抱きとめること 「The Awakening(覚醒)」(1909)
自殺すること 「At The Alter(祭壇にて)」(1909.2.20)、「FADEDLILLIES(色褪せたゆり)」(1909.6.12)
自然 
瑞々しい自然
「THE COUNTRY DOCTOR(田舎の医者)」(1909.7.3)
「THE RENUNCIATION(放棄)」(1909.7.17)
 
湯気→「HER FIRST BISCUITS(彼女の最初のビスケット)」(1909.6.12)
 
「THE PEACHBASKET HAT(ピーチバスケットハット)」(1909.6.18)→カーテン
「THE COUNTRY DOCTOR(田舎の医者)」(1909.7.3)→草木が。
「THE RENUNCIATION(放棄)」(1909.7.17)→銃の的が銃口からの風で揺れる。
「TENDER HEARTS(優しい心)」(1909.7.10)→草木、
「SWEET AND TWENTY(美しい二十歳)」(1909.7.17)→草木
「THE MENDED LUTE(繕われたリュート)」(1909.7.31)→草木、
「The Indian Runner's Romance(インディアンランナーのロマンス)」(1909.8.28)→草木
「FOOLS OF FATE(運命の犠牲者たち)」(1909.10.9)草木
「Through the Breakers(困難を乗り越えて)」(1909.12.11)→帽子の日よけのスカーフ
 
「THE MENDED LUTE(繕われたリュート)」(1909.7.31)→川での追っかけ、
「The Indian Runner's Romance(インディアンランナーのロマンス)」(1909.8.28)川を泳ぐ

「LINES OF WHITE ON A SULLEN SEA(暗い海の白い線)」(1909.10.30)
斜面
「1776.OR THE HESSIAN RENEGADES(1776年、またはヘシアンの反逆者)」(1909.9.6)
 
「TENDER HEARTS(優しい心)」(1909.7.10)
目を開けて死ぬ 
「EDGER ALLAN POE(エドガー・アラン・ポー)」(1909.2.6)、
「THE NECKLACE(ネックレス)」(1909.6.26)
「LINES OF WHITE ON A SULLEN SEA(暗い海の白い線)」(1909.10.30)
揺り椅子 「THE DRUNKER‘S REFORMATION(酔っぱらいの改心)」(1909)、
「SWEET AND TWENTY(美しい二十歳)」(1909.7.17)、
「ギブソンの女神(GIBSON GODDES)」(1909.11.6)
椅子の上で死ぬ
「TWO MEMORIES(二つの思い出)」(1909.5.22)、
「THE NECKLACE(ネックレス)」(1909.6.26)、
「The Sealed room(封印された部屋)」(1909.9.4)、
「FOOLS OF FATE(運命の犠牲者たち)」(1909.10.9)
揺り椅子の上で眠る 
「SWEET AND TWENTY(美しい二十歳)」(1909.7.17)
鏡に運動が映ること 
「THE PEACHBASKET HAT(ピーチバスケットハット)」、
「HIR DUTY(彼の義務)」(1909.5.29)、(1909.6.18)
「THEY WOULD ELOPE(彼らは駆け落ちするだろう)」(1909.8.14)
体が不自由
「RESURRECTION(復活)」(1909.5.15)→盲目、
「THE VIOLIN MAKER OF CREMONA(クレモナのバイオリン製作者)」(1909.6.5)→脚
「THE WAY OF MAN(人の道)」(1909.6.26)→火傷、
「THE BROKEN LOCKET(壊れたロケット)」(1909.9.18)→盲目、
「THE LIGHT THAT CAME(やって来た光)」(1909.11.13)→盲目、顔にあざ。
遺産と結婚 
「OH、UNCLE!(ああ、おじさん!)」(1909.8.28)、
「The Awakening(覚醒)」(1909)
変装する
「1776.OR THE HESSIAN RENEGADES(1776年、またはヘシアンの反逆者)」(1909.9.6)→ピックフォードが兵士に
埋葬
「THE REDMANS VIEW(インディアンの目の届く所)」(1909.12.11)→インディアン式埋葬
道具箱 
「1776.OR THE HESSIAN RENEGADES(1776年、またはヘシアンの反逆者)」(1909.9.6)
投げ渡す
「THE VIOLIN MAKER OF CREMONA(クレモナのバイオリン製作者)」(1909.6.5)花を
木の陰で木に寄りかかって休む 
「COMATA.THE SIOUX(コマタ、スー族)」(1909.9.11)
山の民と谷の民
「COMATA.THE SIOUX(コマタ、スー族)」(1909.9.11)、
「THE MOUNTAINEER’S HONOR(山岳民の誇り)」(1909.11.27)
思い出の場所
「FOOLS OF FATE(運命の犠牲者たち)」(1909.10.9)
1909年に重ねて撮られていること
ウエスト・ショット 「TENDER HEARTS(優しい心)」(1909.7.10)
階段
「THE GIRLS AND DADDY(姉妹とパパ)」(1909.1.30)
「THE CORD OF LIFE(命綱)」(1909.1.23)
「THE SON’S RETURN(息子の帰還)」(1909.6.12)
「1776.OR THE HESSIAN RENEGADES(1776年、またはヘシアンの反逆者)」(1909.9.6)
「The Awakening(覚醒)」(1909.9.30)
追っかけ
「THE PEACHBASKET HAT(ピーチバスケットハット)」(1909.6.18)
「THE MENDED LUTE(繕われたリュート)」(1909.7.31)
「1776.OR THE HESSIAN RENEGADES(1776年、またはヘシアンの反逆者)」(1909.9.6)
「GIBSON GODDES(ギブソンの女神)」(1909.11.6)
「NURSING VIPER(毒蛇の看護)」(1909.11.6)
切り返し
「A DRUNKER’S REFORMATION(酔っぱらいの改心)」(1909.3.27)切り返し①室内(舞台と観客席)
「THE GIRLS AND DADDY(姉妹とパパ)」(1909.1.30)②室内・上下の切り返し
「THE VOICE OF THE VIOLIN(バイオリンの声)」(1909.3.13)②『窓空間』
「LONELY VILLA(淋しい別荘)」(1909.6.5)①ロケーション、③鍵穴からの原初的主観ショット、室内と室外
「SWEET AND TWENTY(美しい二十歳)」(1909.7.17)②窓空間、原初的主観ショット③ロケーション
「THE MENDED LUTE(繕われたリュート)」(1909.7.31)①ロケーション
「1776.OR THE HESSIAN RENEGADES(1776年、またはヘシアンの反逆者)」(1909.9.6)
①室内と室外
「PIPPA PASSES(ピッパが通る)」(1909.10.9)①『窓空間』
「FOOLS OF FATE(運命の犠牲者たち)」(1909.10.9)①ロケーション
「THE MOUNTAINEER’S HONOR(山岳民の誇り)」(1909.11.27)①室内と室外
「小麦の買占め(A Corner of Wheat)」(1909.12.18)①室内。原初的主観ショット
「TO SAVE HER SOUL(彼女の魂を救うために)」(1909.12.31)②、室内(舞台と観客席)
見つめ合う視線の切り返し なし
ラストシーンでキャメラの横を通り過ぎる
 「POLITICIAN’S LOVE STORY(政治家のラブストーリー)」(1909.2.20)
ラストシーンだけ異質のショット
「THE DRUNKER‘S REFORMATION(酔っぱらいの改心)」(1909.3.27)
帰郷
「The Cricket on the Hearth(暖炉のコオロギ)」(1909.5.27)
「THE SON’S RETURN(息子の帰還)」(1909.6.12)
「THE SLAVE(奴隷)」(1909.7.21)
「1776.OR THE HESSIAN RENEGADES(1776年、またはヘシアンの反逆者)」(1909.9.6)
「COMATA.THE SIOUX(コマタ、スー族)」(1909.9.11)
「LINES OF WHITE ON A SULLEN SEA(暗い海の白い線)」(1909.10.30)
「AS IT IS LIFE(人生であるように)」(1910 4.9) 
帽子を脱ぐ 
「RESURRECTION(復活)」(1909.5.15)、
「LINES OF WHITE ON A SULLEN SEA(暗い海の白い線)」(1909.10.30)、
「Through the Breakers(困難を乗り越えて)」(1909.12.11)
「小麦の買占め(A Corner of Wheat)」(1909.12.18)
落とすこと
「THE VIOLIN MAKER OF CREMONA(クレモナのバイオリン製作者)」(1909.6.5)
「TWO MEMORIES(二つの思い出)」(1909.5.22)
「THE WAY OF MAN(人の道)」(1909.6.26)
「FADEDLILLIES(色褪せたゆり)」(1909.6.12)
「SWEET AND TWENTY(美しい二十歳)」(1909.7.17)
「The Sealed room(封印された部屋)」(1909.9.4)
「The Awakening(覚醒)」(1909.9.30)
「FOOLS OF FATE(運命の犠牲者たち)」(1909.10.9)
「THE LIGHT THAT CAME(やって来た光)」(1909.11.13)
「A TRAP OF SANTA(サンタの罠)」(1909.12.25)
進化したこと
クロス・カッティング
「THE CORD OF LIFE(命綱)」(1909.1.23)、
「At The Alter(祭壇にて)」(1909.2.20)
「LONELY VILLA(淋しい別荘)」(1909.6.5)
「THE MENDED LUTE(繕われたリュート)」(1909.7.31)
同じ場所は同じ構図で撮られている 
「FOOLS OF FATE(運命の犠牲者たち)」(1909.10.9)
1909年に根付いたこと根付いたことは1910年以降、基本的に簡略な言及に留める
平行モンタージュ
平行モンタージュは根付き始める入り口の領域へと到達している。
字幕 1909年の中盤あたりからちょくちょく入り始め終盤には根付いている。
自然・ロケーション・風、、、
たばこの煙 
その他について
切り返し 撮られてはいるが原初的でその次の段階へは至っていない。おそらく未だ切り返しというイメージはないように見える。
ロケーションが多くなる。この時期のロケーションはニューヨーク撮られている。
演技 コスチューム・プレイになるとより大袈裟さになる。キャメラ(観客)を見て大きな身振り手振りで今何が起きているのか教えてくれる。
1909年で終わること