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2023年5月29日再提出 加筆、修正せずそのまま再提出します。藤村隆史
藤村隆史論文「監督成瀬巳喜男 第一部 成瀬巳喜男とは何か」2009.1.3初出
■はじめに
一1956年に製作された成瀬巳喜男の作品「妻の心」にこんなシーンがある。
終盤、自転車を引いた小林桂樹が商店街で新装開店された薬屋の看板を羨ましそうに見上げている。そこへ偶然、帰宅途中の妻、高峰秀子が通り掛る。
小林桂樹は高峰秀子の存在に気付いていない。そんな小林桂樹の姿を、10mほどの距離を確保したまま、高峰秀子がじっと見つめている。キャメラはこの二人を、小林桂樹を手前にした縦の構図で捉えている。小林桂樹が高峰秀子の存在に気付くと、画面は恥ずかしげに目を伏せる高峰秀子の近景へと切返され、再び小林桂樹の近景へと切返される。二人は歩み寄り、T字路でぶつかり、見詰め合うこともなく、そのまま路地を画面手前へ向って歩き始める。二人はチラチラと相手に視線を投げながらも見つめ合うことはない。
今回の論文は、このシーンから始まっている。
■第一章 成瀬巳喜男は、善良で良心的な物語作家である
(1)小津は二人いらない
1933年、松竹蒲田の撮影所長、城戸四郎に「小津は二人要らない、、、」と言われた成瀬は、翌年松竹に辞表を提出し、当時トーキー映画の技術に優れていたPCLへと移籍する。成瀬自身、移籍の理由の一つに「トーキーが撮りたかったから」と述べており、希望通りに成瀬は翌年PCLで成瀬初のトーキー映画「乙女ごヽろ三人姉妹」(1935)を撮っていることからして「小津は二人要らない」という城戸の言葉が即、移籍の直接の移籍の原因となったか否かは不明である。だが少なくとも松竹時代の成瀬と小津は、どちらもが小市民の生活を多く描いた作家であるという点において共通していると言われてきた。
(2)近代社会は、反理性的なものを理性の構造の内に取り込む力を持っている。そうした空間において我々の瞳の前に与えられるのは、理性的な主体の遠近法に基づいて瞳に優しい形へと引き直された理性的な風景にほかならない。風景は我々の日常生活に露呈する過剰なものを理性的に、体系的に抑圧し、制御する。近代における文化なり制度とは、ひたすら過剰に露呈したナマモノを、理性という遠近法で親しみ易いものへと転化させ覆い隠しにかかる力にほかならない。そうすることで人間は集団で生きてゆくことができるのであり、我々はそうした文化や制度の中でこそ安心して暮らして行くことが出来る。従ってあらゆる瞬間に理性をかなぐり捨て、無意識的な欲動の赴くままに生きろ、などというのは幻想に過ぎない。
だが、それはあくまでも我々の社会生活の場合の話であり、芸術や創作活動にまで制度的な思考をあてはめてしまう必然性は何処にも無い。人間は動物的な本能を超え言葉という反自然的な文明によって自然に切れ目を入れて分節化する反自然的存在であり、時として無意識の領域を彷徨い、夢と現実の区別すらつきかねる状況の中で生きることを強いられている摩訶不思議な生物である。そのような人間を捉えた「作品」とは、我々が制度的な、そして理性的な生活の中で見失っていたところの反自然的存在である生々しい人間の生の欲動や、曇った瞳によって隠されてきたナマモノそのものを露呈させ、時としてそれを我々の現前に突き出し、理性の膜によって「見ること」を恐れていた我々をして驚かせ、人間や事物の起源を想起させ、「見ること」を覚醒させ、そうすることで古い制度を壊しながら、再び新しい制度を作ってゆく、その繰り返しを可能にするものこそ「作品」なのだ。
ましてや現代という雑多で予測不可能な急速な流れの中で戸惑う我々の前には、近代の失われた物語を代替するための、さらなる規模と欺瞞に満ちた物語が台頭し、あらゆる瞬間に我々をして、テレビや企業や権力は、ありもしない物語を、あるかのように駆り立てて来る。そのような時代の中で、我々が恐怖と理性によって「見ること」を躊躇し続けてきた「なまもの」を、時として直視させ、露呈させる「作品」の持つ意義は、日に日に大きくなって来ている。
それにも拘らず、我々の接する諸芸術は制度によって犯されている。映画もまた例外ではなく、他芸術と同じように制度によってナマモノ(画面)が隠され、親しみやすさという凡庸さへの中へと閉じ込められている。制度とは、我々をして親しみやすさという盲目状態へ誘惑する論理であり、盲目への物語であり、それがもたらすものといえば「共感すること」という、我々の過去の知識や体験との辻褄合わせにほかならない。物語によって我々は「見ること」を禁じられ、見てもいない映画を見ていると勘違いさせられている。現代における善良な物語とは、ひたすら我々をして、過去の知識や道徳との整合性への思考活動へと走らせ、我々の眼を曇らすところの何かである。制度は画面を隠す。
こうして創作活動が、理性の眼差しに覆い隠され、人間や映画その物の過剰な部分を覆い隠したとき、それは創作ではなく、プロパガンダとなる。プロパガンダは過剰な部分を覆い隠し、ひたすら分かりやすい物語でもって現在のメディアである映画を理性的に、過去へ過去へと誘導するのである。「作品」というものが、プロパガンダの代替物に出した時、我々の新陳代謝は不可能になり、あとはひたすらグローバリズムの流れの中に、無意識的に身を任せてゆくことになるだろう。
(2)小津は画面を隠さない
小津は物語によって画面を隠すことは無い。小津はショットを剥き出しに露呈させることで、我々の瞳に攻撃を仕掛けてくる。小津の画面は創作活動を驚きへと発展させるところの、反理性的な、過剰な、畸形的な、逸脱したもの=「ナマモノ」で満たされているのだ。もちろんその驚きとは、露骨なセックスシーンや、キャメラを故意に揺らすなどの安直な出来事によって獲得できるものではない。獲得できると思って映画を撮っている者も確かに大勢いるが、それらは過激さをして「画面を隠す」ための物語として利用しているに過ぎず、結局の所、彼等の映画が行き着く場所と言えば、「ほんとうらしさ」なり「リアル感」なる、輪をかけて凡庸な物語に過ぎない。
小津の映画は映画というメディアそのものに攻撃を仕掛ける事で、ショットを剥き出しに露呈させる。構図を決める事で逆に構図をフレームごと打ち破り、安心の物語に慣れ親しんでいる我々に痛恨の一撃を投げ掛けてくる。音声においてもまた、小津映画の音声は、およそ言語の内容に添うことで進められてゆく物語の論理的進行を阻止しながら、表層における音声的な振動やリズムそのものによる映画的過剰を反復し続けることで、反理性的な音声として生々しく露呈している。小津は「画面を隠す」のではない。「画面を露呈させる」のである。
■(3)成瀬は画面を隠すのか
①画面を露呈させる小津に対して、成瀬映画は「ナマモノ」を露呈させているだろうか。物語という理性の枠を振り払い、ある種の過剰な「そのもの」の世界を切り開いているだろうか。
成瀬巳喜男の視覚は、構図=逆構図による切返しを決定的な場面に限定しながら、フィルムの表層における濃密な時間の持続力そのもので究極の恋愛映画を撮ってしまう溝口健二のような大作家のそれでもなければ、その音声は、リハーサルの連続でへとへとに疲れ果てた役者たちの心の芯からほとばしるカラカラに枯れ尽くした叫びにも似た溝口健二的な動物的音声でもない。
成瀬映画に映し出されるのはいつでも日常的な会話による日常的な音声と日常的な家屋を背景とした日常的生活にほかならない。成瀬巳喜男映画のフレームには、カオスや無意識の入り込む「穴」は存在せず、カメラの高さも、構図としての世界も、カッティングとしてのつなぎも、人間の運動も、あくまで理性的な人々たちによる主体的な運動に満たされている。成瀬巳喜男の演出は、映画というメディアの枠の中において善良に開始され、そして善良に完結する。そこには、およそ創作活動を驚きへと発展させる、反理性的な、過剰な、畸形的な、逸脱したあらゆるものは排除されている。
成瀬巳喜男は、善良で良心的な物語作家である。
そうすると成瀬巳喜男の映画は大方、物語という不可視の論理的辻褄の心理的連続によって進められるところのわかり易い映画である、ということになる。
■②持続すること
だが果たして成瀬の映画とは、単純に心理を追いかけるだけの善良な物語映画なのだろうか。成瀬巳喜男は溝口、小津、黒澤に次ぐ「第四の作家」なのだろうか。
そうだとすると、判らないことが一つある。成瀬巳喜男の映画はその多くの作品が見事に持続するという事実なのだ。凡庸な映画とは、不可視の物語を説明することで可視的な画面の持続(凝縮)を放棄する。だからしてまずもって時間の進み具合が極めて遅い。だが成瀬巳喜男の映画はどれもみな、絶えざる新しさを湧き出たせながら、見事に凝縮した持続を遂げている。これはあくまでも私自身の主観的体験から来る疑問である。この出発点における主観的な疑問を、何とか客観的なものへと近づけてゆけはしないか、本論文はそうした試みである。前回の論文「心理的ほんとうらしさと映画史」では、実際の映画史と、巷で思われている映画史との余りにも大きなギャップから、引用を主として書かれたものだが、今回の引用は、主要な史料のみに留め、何よりも私自身の目で見て、耳で聞いたことのみを頼りに書き進めてゆく。
■第二章
この論文の中心はあくまでも成瀬映画の視線論である。●「妻の心」から感じた不思議な視線の感覚を頼りに、成瀬映画において延々と繰り広げられてきた無数の視線の数々から、成瀬映画を解きほぐしてゆく試みである。だがそこに至る前に、外面的に露呈している成瀬映画の運動や装置や人物のあり方から成瀬映画の主題論的な構造を検討してみたい。
(1)「通風性」とは
①「太陽光線と生命の息づく太陽の流れがそのまま室内に流れ込んでいる感じが成瀬監督の要望するセットの第一条件です(成瀬巳喜男の設計156)」と、主として50年代以降の成瀬映画の美術を担当した中古智が語るように、成瀬映画の特徴の一つは、大きく外部へと開け放たれた風通しの良い装置である。大きく開け放たれた縁側や、鍵のかかっていない玄関の戸口、そして階段一本、襖一枚によって外部と通じてしまう無防備な下宿部屋の数々などが、成瀬映画を色づけるところの通風性に他ならない。外部から入って来る四季の風や、廊下の床に照り返されて中へと反射する日本建築独特の光の暖かさ、或いは冷たさが、成瀬映画の内部と外部とのあいだに、透き通った通底性をもたらしているのだ。建築家ブルーノ・タウトは、日本建築の特徴として「木と竹と紙である」と書いているが、成瀬映画の装置とは、まさに「木と竹と紙」による中古智の美術の軽やかな通風性と、同じくブルーノ・タウトが、「日本建築の中で唯一ピカピカ輝く部分出である」という廊下への、外からの光線の照り返しによって日本間の下部を浮き立たせる玉井正夫や石井長四郎のキャメラと光線とが渾然一体となって、成瀬映画の軽やかな「通風性(開放性)」を実現している。●「山の音」(1954)の、ガラス窓を通して廊下に差し込む朝露に濡れた日差しの、うそのような冷たさや●「春のめざめ」(1947)における、雨上がりの光線の暖かさが、生活に息づく室内へと差し込む時、そして●「まごゝろ」(1939)のように、夏の光線が大きく開け放たれた縁側の廊下へと直接反射する時、それは内部の人々の身体を包み込み、成瀬映画は生き生きと動き始めるのである。
だが装置における「通風性」がもたらすものは、光や風のような自然現象ばかりではない。装置における「通風性」を利用して、異質な人物たちが次々と家屋に来訪して来ては、成瀬映画の人々を翻弄してゆくのである。
●「稲妻」(1952)
成瀬自身が林芙美子の原作を選び、東宝の成瀬が大映に出張して撮られたこの「稲妻」は、戦後の下町界隈を舞台に、どろどろした兄弟姉妹の荒んだ人間模様を蜂重義の黒主体の画面に乗せた暑苦しい夏の映画である。バスガイドの高峰秀子は、母、そしてすべて父親が異なる兄弟姉妹たちと下町の老朽化した日本家屋で同居することになる。暑苦しい猛暑のなか、パン屋の小沢栄が、バイクの音をけたたませながら、鍵の開いた玄関から遠慮なしに侵入をし続けては、暑苦しい顔をして高峰秀子に言い寄ってくる。さらに家の中では兄弟喧嘩が耐えず、仕方なく高峰秀子は暑苦しい家を飛び足して、世田谷の閑静な下宿へと引っ越すことになる。そこで高峰秀子が大家の滝花久子に蕎麦をご馳走になっているとき、真っ白なブラウスを着た香川京子が、裏庭を通って直接縁側に姿を現し、雪のような笑顔を振りまいた時、それまではキャメラマン蜂重義の黒を主体とした重苦しさに支配されていた画面の不快指数が、香川京子という純な存在と、そのブラウスの「白」によって一気に急降下し、映画は急転直下の涼しさを獲得するのである。この場面の驚きは、香川京子が裏庭から直接二人の前に突如出現したことにあり、それは決して、ブザーや呼び鈴を聞きつけた住人に鍵を開けられ間接的に招かれて入って来た者ではもたらすことのできない驚きにほかならない。この「直接性」をもたらすものこそ、成瀬映画における「通風性」である。数ある成瀬映画の中でも、「通風性」が、これほど清清しい侵入を招致した例はない。
だが残念なことに、成瀬映画の人物における「通風性」が、このようなプラスのイメージで現われることは殆ど無い。その多くは、この「稲妻」で、高峰秀子一家に暑苦しさをもたらし続けた小沢栄のように招かれざる客を導き入れてしまうのが、「通風性」の現実である。その中でも50年代以降の成瀬映画において、子連れで敷居を跨ぎ続けては、成瀬映画の人々を大混乱に陥れ続けた中北千枝子の存在を、まずここで挙げなければならない。
成瀬映画の「通風性」は、子連れの中北千枝子に敷居を跨がせてはやまないある種の暴力である。それを象徴する作品が●同じく「稲妻」である。
くたびれた服に身をまとい、日傘を差し、赤ん坊を背負いながら、開け放たれた洋品店の玄関先をうろついている中北千枝子のその姿は、ひと目見ただけで通常の社会常識を持った者ならば、「決して家の中に入れてはならない」という直感が働いてしかるべき不安感を画面一杯に充満させているにも拘らず、成瀬巳喜男の「通風性」は、あっさりとした無防備さによって彼女に敷居を跨がせてしまう。中北千枝子は三浦光子の死んだ夫の愛人であり、夫との間に出来た赤ん坊の養育費を三浦光子に請求しに来たことくらい、そのくたびれた姿をひと目見れば誰でも直感で判るはずなのだが、成瀬巳喜男の「通風性」は、中北千枝子の侵入を防御する、しないの猶予を決して住人に与えることはない。気付いた時にはもう中北千枝子はちゃんと敷居を跨いでいるのである。
●「おかあさん」(1952)においてもまた、中北千枝子が敷居を跨いでいる。中北千枝子は田中絹代のクリーニング店の入り口の脇の土間から直接中へと入り込み、内部に波風を立て続ける存在として機能している。中北千枝子は美容師試験の練習のために、田中絹代の娘、チャコ(榎並啓子)の長い髪を「一度、スパーッ、スパーッと切ってみたくってしょうがなかったの!」とバッサリ切り落として泣かせ、さらには仕事中の田中家に映画へ行こうと話を持ち掛け、おしゃべりに気をとられた香川京子の失態によって染色を大失敗させて店を窮地に陥れる。「まぁ、とんたお騒がせしちゃったわね、、」と彼女は、自分のしたことの重大さを判っているようでありながら、次の瞬間、「失敗は成功のもとナリよ」と田中絹代に教訓を言ってのける。挙句の果てに、中北千枝子の子供、伊藤隆は田中絹代に預けられたまま、田中絹代の実の娘のチャコだけが里子に出されるという、過酷な運命をもたらしながら、中北千枝子は美容師として独立してゆくことになる。そんな中北千枝子を、成瀬巳喜男の内的な住人たちは、「通風性」に反抗し、拒絶するどころか、歓待すらしながら、せっせと生きてゆくのである。
●「山の音」もまた子連れの中北千枝子である。夫(金子信雄)の家を飛び出し、父、山村聡の実家に帰って来た子連れの中北千枝子は、原節子が「いらっしゃい!、」と出迎えた時、既に玄関の中へ入っている。これが「通風性」の恐怖である。成瀬映画の住人たちには、居留守を使うなり、ひそひそと家の中の者たちと話し合って様子を伺ってから、初めて「いらっしゃい!」とドアを開けるなりの猶予時間というものがまったく与えられていない。侵入者はいきなり入ってきていて、そこに立っているのだ。そこから成瀬映画は起動するのである。ここで中北千枝子は、愚痴をこぼすだけこぼして結婚生活の惨めさを嫌というほど露呈させながら、嫁の原節子への心理的重圧をかけ続ける存在として機能している。成瀬映画における「通風性」とは、異質な外部の侵入に対する防御を許さないところの通底性であり、成瀬映画の内的な人々を翻弄し、映画を起動させるところのあらゆる現象である。
●「妻の心」もまた子連れの中北千枝子である。成瀬映画では、コックや職人は加東大介でなければ務まらないのと同じように、「子連れ女」は中北千枝子でなければならない。そのような状況の中で我々は、「子連れの中北千枝子に侵入されること」にある種の快感を覚えるようになる。それほど中北千枝子の存在は、●「めし」(1951)以降の成瀬映画において、加東大介と共に欠かせないものであり、成瀬映画を起動させる達人として、中北千枝子の名は決して忘れてはならないのである。中北千枝子が成瀬映画に初めて登場するのは●「石中先生行状記」(1950)の「第三話・干草ぐるまの巻」であり、そこで中北千枝子は、若山セツ子の姉として早くもくたびれた感じを見事に出しているのだが、中北千枝子が「中北千枝子」として威力を発揮し始めたのは●「めし」において、路上で子供の手を引いているところを、家出して上京していた原節子と鉢合わせした時にほかならず、そうした意味でもこの「めし」という作品は、天下の二枚目、上原謙を成瀬が得たことと同等か、或いはそれ以上に、中北千枝子という名脇役を得たことの作品として記憶にとどめておくべき作品である。
ちなみに中北千枝子は「二代目子連れ女」であり、実はそれ以前に「初代子連れ女」がいる。千石規子である。●「薔薇合戦」(1950)で千石規子は、大坂志郎と別居結婚をした桂木洋子のアパートに大坂志郎の赤ん坊と称する赤子を背負って侵入し、手切れ金を要求して桂木洋子を恐怖のどん底に陥れている。私は●「浮雲」(1955)の高峰秀子は病死ではなく、管理人の千石規子に殺されたのではないかと密かに思っているのだが、じめじめとした雨の降り注ぐ屋久島のあばら家で、管理人として出て来た千石規子の、視線を不気味に逸らしたあの異様な眼差しは、殺しの映画的下手人として十分の視線の疑惑を醸し出しているし、●「あらくれ」(1957)で、亡き森雅之の焼香に来た高峰秀子の前に幽霊のように現われた女房っぷりといい、●「女が階段を上る時」(1960)のローソクの中での占い師役といい、この千石規子という役者は、黒澤映画にはピッタリの人ではあっても、成瀬映画の子連れ女としては、やや「濃すぎる」のである。
さて、話が大きく逸れているので元に戻したい。
とある地方都市の薬屋を舞台に展開されるこの「妻の心」で、実家を出て独立している長男(千秋実)の嫁である中北千枝子は、夫の実家である薬屋の長女、根岸明美の結婚のお手伝いに、幼い娘を連れてやって来た「応援部隊」であり、家へやって来た当初は(もちろん、第一のショットで中北千枝子と娘は既に家の中に入っている)、小林桂樹や嫁の高峰秀子に大いに歓迎される。中北千枝子が歓迎される、という、このあってはならない違和感に宙吊りにされるのも束の間、案の定、夫の千秋実の会社が倒産していて、中北千枝子夫婦は実家に居座るつもりであることが判明、実家は大パニックに襲われる。結局中北千枝子夫婦の侵入は、高峰秀子と小林桂樹の夫婦に大きな亀裂を生じさせ、そこから成瀬映画はいつものように起動することになる。「通風性」、外部の者たちを侵入させることで成瀬映画を起動させる機能を有しているのである。
だが、成瀬映画の「通風性」を謳歌する侵入者は中北千枝子だけではない。時として香川京子のような可憐な娘ですら侵入者となって襲い掛かり、成瀬映画の人々をして、波風を打ち立てることの原因にもなる。●「驟雨」(1956)において香川京子は、新婚旅行で夫婦喧嘩をし、突如、叔母の原節子と佐野周二の夫婦宅に来訪し、散々夫の愚痴をこぼしたあげくに、それがもととなって原節子と佐野周二の夫婦喧嘩を誘発させてしまう。どうやら自分が原因で夫婦喧嘩が起動したらしいことを悟った香川京子は、サッサと消えていってしまうのだが、ここでは香川京子という「通風性」が、映画を起動させる方便として機能している。
成瀬映画の「通風性」を利用する侵入者はこれに尽きない。●「杏っ子」(1958)では、疎開先の邸宅で、庭から縁側へと直接入って来て書斎の山村聡を驚かせた沢村貞子は、息子と香川京子との交際を断るというその来訪の動機以上に、その直接的な「通風性」そのものが、我々をして「何かが始まる」と身構えさせずにはいられない。●「女の座」(1962)においてもまた、荒物屋の通り庭から、女たちが糠味噌をつけている裏庭へとそのまま侵入して来た宝田明の存在は、長年別れて暮らしていた実の母である杉村春子を驚かせた以上に、この時点では見ている我々すらも何者か知らない宝田明が、三益愛子に導かれながら、裏庭という、私的な空間へ突如侵入して来る、その余りにも直接的な「通風性」が、見ている我々をして、映画の起動を感じさせ、驚かせずにはいられないのである。成瀬が初めて大映で撮った●「稲妻」においては、バイクの音をけたたませながら、玄関を勝手に開けて堂々と侵入し続ける小沢栄の暑苦しい存在は、その余りの無神経な直接性ゆえに見ている者たちをしてヤキモキさせるばかりか、小沢栄というグロテスクな「通風性」を拒絶できない下層階級の人間たちの懈怠した現実が驚きとなって襲い掛かるのである。
同じく大映で撮られたこれまた暑い夏の映画●「あにいもうと」(1953)においても、浦辺粂子の露天のおでん屋に不意に現われた学生服姿の船越英二の侵入は、その唐突で非心理的な侵入行為が、その律儀な学生服姿とおとなしそうな風貌と相まって、母の浦辺粂子をして、この男が娘の京マチ子を妊娠させた男であるという心理的な怒りよりもまず先に、まさかこんな気の弱そうな男が娘に子供を孕ませたのかという、表層的な驚きをもたらさずにはいられない。多摩川の実家の昔ながらの日本建築は、茶の間も奥の間も大きく縁側が開放され、土間からの表の入り口も裏の入り口もすべて開けはなれていて、そこで繰り広けられる兄妹喧嘩の大乱闘をまるで予期したかのごとき「通風性」を用意してあり、お陰で森雅之にぶん投げられた京マチ子は、まるでレスラーが場外へ投げ出されたかのように、勢いあまって縁側から中庭に直接放り出されるのだが、余りの広さゆえに塀にぶつかることもなく、レフリー(浦辺粂子)の制止も振り切り、そのままリング(茶の間)へ上がって戻って来ては、森雅之に反撃の罵声を飛ばし続けるのである。同じように●「あらくれ」でもまた、夫の愛人、三浦光子宅に乗り込んだ高峰秀子が、三浦光子と世紀の大乱闘を繰り広げることになるのだが、そこで高峰秀子にほうきで引っ叩かれ、足蹴にされて戦意を喪失した三浦光子は、リング(縁側)から場外(庭)へと飛び降り、そのまま裸足で逃げ去って消えてゆくという「通風性」を見事に演じている。私はこの三浦光子という女優の、ひっくり返ったような声と、語尾にアクセントを置いた、しゃくりあげるようなしゃべり方が気に入っているのだが、その三浦光子は、不良少女たちの厚生施設を舞台にした●「白い野獣」(1950)では、売春婦あがりの不良少女を演じ、ここでもまた、不良少女の北林谷栄と取っ組み合いの大乱闘を演じている。
このような通風性は同じく●「あらくれ」において、息子夫婦の家に来訪して居座り、酒を飲んでは嫁の高峰秀子を困らせて止まない高堂国典の粗暴な侵入などによって反復されるだろう。ここで高峰秀子は高堂国典に、お酒を出したりお小遣いをあげて飲み屋に行かせたり、というように、決して「追い出す」という行為をしない。成瀬映画の「通風性」とは、装置のみならず、人物の性格的な受動性も大きく絡んでの「通風性」なのである。
●「めし」(1951)
成瀬巳喜男が林芙美子の原作と初めて組み、その後の成瀬映画の路線を決定づけたこの「めし」において、「通風性」は、ヒリヒリするほどの強度でもって成瀬映画の人々に襲い掛かってくる。原節子と上原謙夫婦の住む大阪の長屋には、鍵の掛かってない格子戸をガラガラと開けながら、玄関から廊下を伝って茶の間や奥の間へ、或いは玄関から折れた土間から直接茶の間へと、闇物資の物売りだの、お隣さんだの、親類だの、次から次へと人が入って来ては、結婚五年目の倦怠期の夫婦の生活をかき乱す。鍵を閉めない無防備な「通風性」によって、上原謙は買ったばかりの靴を何者かに盗まれてしまい、さらに夫婦は、東京の実家から家出してきた上原謙の姪、島崎雪子をも無防備にも招き入れてしまう。だがそれがもとで夫と島崎雪子との関係に嫉妬をした原節子をして、東京の実家への家出という事態を引き起こしてしまう。家出娘が第二の家出を引き起こす。それを起動させるのは、決して侵入者を拒絶することのできない成瀬映画の「通風性」にほかならない。原節子が東京の実家に家出をしたあとの大阪の上原謙の長屋にもまた、次々と女たちが上がり込んでは、男やもめの上原謙を監視したり誘惑したりすることになるだろう。
●「流れる」(1956)
柳橋芸者の置屋を舞台に撮られたスター映画「流れる」では、置屋の玄関は日中大きく開け放たれ、それによって内部は粗暴なまでの「通風性」によって外部の人間たちに犯され続ける。山田五十鈴の父親違いの姉、賀原夏子が、借金の取立てに何度もずかずかと玄関の敷居を跨いで芸者たちを驚かせたかと思えば、芸者の娘の給料の件で因縁をつけ、粗暴さと大声によって恐喝まがいの要求をする宮口精二が、勝手に上り框に座り込み、果ては置屋の中を駆けずり回って内向的な置屋の女たちを恐怖させるだろう。夜になって初めて戸が閉められる玄関の戸口にもまた警官が現れ、「二階の洗濯物に白いものが乾したままですよ」と、下着泥棒という、「通風性」への注意を促しに来る。そんな侵入者たちに対して女将の山田五十鈴は、追い返したり抵抗したりするどころか、宮口精二に対してはすしや酒をふるまい、警官に対しては「まぁまぁどうぞ」と夜遅く裏の蕎麦屋に女中の田中絹代をやって五目蕎麦をとって振舞い歓待してしまうほどのお人よしなのである。
●「腰弁頑張れ」(1931)
こうした「通風性」は、成瀬の現存する最初の作品であるサイレント映画●「腰弁頑張れ」において既に現われている。郊外の小さな木造住宅に住む保険外交員の山口勇は、貧乏暮らしからか夫婦喧嘩があとを絶たない。些細なことが原因でまた怒り出した妻の浪花友子は、さっさかさっさかほうきで畳を掃き始めるのだが、その拍子でたんすの上から落っこちた結婚写真も一緒にさっさか掃いて土間へと掃き落とそうとする。見ていた夫の慌てようといったら傑作なのだが、浪花友子のリズミカルなほうきのさばきも相まって、さっさかさっさか掃かれる結婚写真の無防備な悲哀さが大爆笑のコメディになっている。そうこうしている内に、家賃を取りに来た大家の足音を聞きつけた山口勇は、子供と一緒に押入れの中に隠れるのだが、大家は勝手に玄関の戸を開けて、中に入って上がり込んできてしまう(通風性)。山口勇が「家の中」ではなく、さらに進んで「押入れの中に」隠れなければならないということが重要である。それは、大家はいつも、勝手に家の中に上り込んで来ることを前提にしての行動であり、現存する最初の作品で既に成瀬映画の「通風性」は強烈に露呈しているのだ。
この作品は、僅か30分弱の短編だが、視覚的、聴覚的細部において非常に豊かなものを持っている。既にこの頃から成瀬はロケーションで人物に当たる直射日光の強い光を逆光や帽子のひさしによって和らげているし、立つ→引くのカッティング・イン・アクション、主観ショットの多さとそれにつながる盗み見のショット、しゃがむこと、立ち上がることによる空気の転換、そして成瀬的な斜めの構図や電車待ちなども既にやっている。●「女の中にいる他人」(1966)や●「ひき逃げ」(1966)で使っていた、ネガの反転処理のようなもの、さらにアベル・ガンスのようなフラッシュ・バックや歪んだ画面、そしてラストの病院における陰影の強い照明など、極めてアヴァンギャルド的な演出を多く試みている。この作品の視線と音声については本論文で後述する。
■③商売もの
このようにして「通風性」は、成瀬映画の人々を翻弄し続けるのだが、それは成瀬映画に数多く設定される「店舗」という「通風性」豊かな空間において、より大きな効果として現われるだろう。★注①
●「噂の娘」(1935)では、酒屋という店の持つ「通風性」が、成瀬映画の人々をして外部からの視線に晒さしめ、経営の傾いた店の実情は、向かいの理髪店の店主(三島雅夫)と客との格好の噂話の肴にされることになるばかりか、店主、橘橋公が逮捕されるその瞬間は、酒屋のもつ店舗としての「通風性」によって、近所の多くの野次馬たちの視線に対して無防備に晒されることになる。●「おかあさん」では、次から次へとクリーニング屋にやって来る小倉繁などの顧客たちが無理難題を言って田中絹代を困惑させ、それが仇となって幼い次女(榎並啓子)が養子に出されることにもなるだろう。●「稲妻」においてもまた、子連れの中北千枝子に無防備に敷居を跨がせてしまった大きな要因のひとつは、三浦光子の家が洋品店という開け放たれた店舗であることにほかならない。●「乱れる」(1964)で序盤繰り広げられる嫁、高峰秀子と義弟、加山雄三との微妙な視線の投げ合いも、酒屋という外部の視線に晒され開け放たれた空間でなされるが故に、禁断のものとして余計に狂おしいエロスを露呈させている。こうした商売ものによる「通風性」は、時として露天という、四方八方を周囲にさらした状態で現れることもある。●「おかあさん」の香川京子は、家計を助けてクリーニング屋を再建するために、夏はキャンデー屋、冬は今川焼屋を露天でしながら「通風性」にもまれてゆくし、必ずしも露天ではないにしても、●「あにいもうと」の浦辺粂子は、殆ど露天ともいうべき開け放たれた小屋を使い、夏はカキ氷、冬はおでんを売って家計を支えている。店の内部の壁に取り付けられた、窓が上枠を支柱にしながら外へ開いてゆく、内倒し戸の開け放たれた空間設計が涼しげなこの開放的な空間にはいずれ、京マチ子を妊娠させた男、船越英二が不意に入ってきて、母親の浦辺粂子を驚かせることになるだろう。こうした「商売における通風性」という現象は、時として●「まごゝろ」や●「母は死なず」(1942)の入江たか子や、●「芝居道」(1944)の山田五十鈴のように、内職としての裁縫として、玄関先に「お仕立物引き受けます」という張り紙をしながら内的に営まれることもあるが、その多くは外部に対して大きく開け放たれた装置を有する店舗商売によって営まれている。やや趣の変わったところとしては、「浮雲」のあとに撮られた短編●「女同士(くちづけ第三話)」(1955)における町医者を挙げることができる。病院を兼ねる自宅には、待合室に患者(堺左千夫)が眠っていたり、お勝手から八百屋の小林桂樹が出入りして看護婦の中村メイ子と逢引したりと忙しい。そうした中でふと、住み込みの看護婦、中村メイ子の日記を見てしまった高峰秀子は、中村メイ子と夫、上原謙との仲を疑い、みずからの瞳を通して二人を盗み見しながら、物語は進行してゆく。ここでもまた、色々な人が出入りする病院という開け放たれた空間があるからこそ、夫への疑念という、極めて個人的なサスペンスが際立つような仕組みになっている。●「女の歴史」(1963)では、高峰秀子が経営する美容院に客としてやってきたバーのホステスが、高峰秀子の息子の山崎努が、バーに入り浸っていることを何気なくしゃべってしまったことが、映画を起動させる要因となっている。
ちなみに「商売もの」の流れを見て行くと、●「めし」以降、急激に増加していることが見て取れる。ここでは原節子の東京の実家が洋品店という店舗であり、大阪の夫のもとから家出をして来た原節子がその実家へ一時帰るという設定なのだが、成瀬映画の「通風性」の一つの大きな柱である「店舗」という開け放たれた空間が定着し始めた作品である、という点においてもまた「めし」という作品は、成瀬映画のフィルモグラフィーの中で特別な地位を占めている。
★使用人
「商売もの」は、主人ではなく使用人として働く事で「通風性」を露呈させることもある。港町のバーで女給をする●「夜ごとの夢」(1933)の栗島すみ子は、子供を養って自立するために船乗りたちを相手に売春をし、警察に引っ張られて帰って来てもまた、バーにやって来た船乗りたちの好奇の盗み見の視線に何度も晒され続けることになる。●「限りなき舗道」(1934)の忍節子は、既にアパートで友人の香取千代子と暮らして自立をしており、家計を支えるために喫茶店の女給として働いている彼女は、男性たちや映画のスカウト(笠知衆)たちの品定めの視線に晒され続けることになる。●「生さぬ仲」(1932)の筑波雪子は、夫が疑獄事件で服役したことで自立せざるを得ず、山の手の邸宅を引き払い、郊外の川沿いの小さな家に娘と姑(葛城文子)を連れて引っ越し、自立のためにデパートの店員として働くことになる。筑波雪子という内的な娘がデパートという「通風性」豊かでひと目に晒される空間へと放り出されることそれ自体がサスペンスとエロスを生じさせながら、デパートで筑波雪子は岡田嘉子に連れ去られた娘を目撃し、追跡する事で、映画は動き出すのである。
★旅館で働くこと
旅館は、泊り客としてではなく、雇われ主人として、あるいは女中として働く空間として使用されることもある。ここでもまた、成瀬映画の人々たちは、旅館の持つ「通風性」によって翻弄され、女中として働く女たちは●「あらくれ」の高峰秀子や●「乱れ雲(1968)の司葉子のように、不意に障子を開けて、カップルたちのラブシーンを目撃してしまうことにもなり、逆に●「秋立ちぬ」の乙羽信子のように、客(加東大介)との仲を疑われ、女中たちの噂話のさかなにされてしまうこともある。●「あらくれ」の高峰秀子は、旅館の洗面所で髪をとかしているところを旅館の主人である森雅之に盗み見され、欲情をそそられた森雅之に襲われてしまうのだが、それは旅館という公共的な空間のもつ「通風性」の仕業にほかならない。成瀬の遺作●「乱れ雲」の司葉子は、夫を交通事故で亡くし、十和田湖で旅館を切り盛りする義姉の森光子の下で女中をして自立することになる。若くて美しい未亡人の存在は、旅館を接待代わりに利用するサラリーマンたちの好奇の視線に晒されることになり、その果てには、夫を車でひき殺した男(加山雄三)の接待をもしなければならないことになる。犯されたり盗み見されたり盗み聞きしたり、成瀬映画における旅館とは恐るべきエロスの渦巻く空間なのだ。旅館を雇われ主人として経営する作品には「稲妻」の三浦光子、川島雄三との共同監督として撮られた●「夜の流れ」(1960)の山田五十鈴などがある。「稲妻」で、小沢栄に旅館の経営を任された三浦光子は、酒に酔って旅館に乱入してきた義兄、植村謙二郎が、廊下で暴れて泥酔するさまを、ただ呆然と見つめるしかない。ちなみに「夜の流れ」という作品は、川島雄三との共同監督作品として撮られていて、どちらがどこを撮ったのか、例えば料亭での山田五十鈴と三橋達也との密会シーンなどは長回しで撮られているからおそらく川島雄三が、そして、細かい視線のやり取りや、カッティング・イン・アクションで大きく引くところは成瀬が、と推測するのも可能だが、監督とは元来イタズラ好きで、事実チンドン屋が出て来るシーンは川島がイタズラして成瀬らしく撮ったなどという話もあって一筋縄ではいかない。したがってこの作品については、当論文の引用は最小限に止めることにしたい。
ここで、成瀬映画の主人公の女性が、使用人として働く映画の職種を見てみたい。
女給「夜ごとの夢」(1933)「限りなき舗道」(1934)「朝の並木道」(1936)「銀座化粧」(1951)「放浪記」(1962)「乱れ雲」(1967)司葉子、喫茶店で
芸者「君と別れて」(1933)「流れる」山田五十鈴は雇われ主人であり置屋の所有者ではない「夜の流れ」(1960)司葉子
旅館の女中「あらくれ」「秋立ちぬ」(1960)乙羽信子「乱れ雲」
雇われマダム「女が階段を上る時」「妻として女として」(1961)
店員「生さぬ仲」デパート「女人哀愁」(1937)レコード「禍福・前編」(1937洋服屋「ひき逃げ」中華料理屋
門づけ「乙女ごヽろ三人姉妹」
女優「女優と詩人」(1935)
バスガイド「秀子の車掌さん」(1941)「稲妻」
教師「舞姫」(1951)バレーの先生
事務員「妻よ薔薇のやうに」(1935)「薔薇合戦」(1950)
こうしてみて見ると、その殆どが客商売であることが分かる。成瀬映画の女性たちは、その大部分がへりくだった立場において異質な人間たちの相手をさせられる客商売という、「通風性」豊かな職業に就いているのである。逆に内に篭って仕事をする事務員や、相手よりも目上の立場でものを教える教師という職業は全部で三作品しかなく、それも●「めし」以降は一本も存在しない。小津映画の場合、●「麦秋」(1951)や●「東京物語」(1953)の原節子のように、事務員という、外との関係では閉鎖的な職種が典型的な人物の中に見出されることと対比して、成瀬映画の事務員の少なさに対する客商売の多さは圧倒的といえる。そこには、成瀬映画の人々たちを客商売の「通風性」に晒すことで、閉鎖的で内的な成瀬映画の人々を、解放された外部へと放り込み、その葛藤によって映画を撮って行こうとする成瀬の思惑が見て取れる。
■④下宿すること
「家を出て下宿すること」という出来事は、数多くの成瀬映画で反復されている。★注②
●「秀子の車掌さん」の下宿のように、夏の空気が風通しのよい広々とした日本間に吹きかけてくる静寂に支配された下宿や、●「稲妻」で高峰秀子がみつけた世田谷の下宿のように、大家や隣人たちの清清しさがそれまでの暑苦しさをいっぺんに吹き飛ばしてくれるような晴れやかな下宿もなくはない。だがほとんどの成瀬映画の下宿においては、外部から階段一つや襖一枚によって隔てられた無防備な空間としての「通風性」が、多くの成瀬的人物たちをして、外部の人間たちによる露骨な侵入や立ち聞きに遭わせることになる。
●「禍福・後編」(1937)は、肉体関係まで持った許婚の高田稔に裏切られた入江たか子の復讐劇を、高田稔の妻(竹久千恵子)や、入江たか子の友人(逢初夢子)を交えながら撮られた作品である。入江たか子は、自分が勤めていた洋裁店で、偶然にも客として来ていた高田稔のフィアンセである竹久千恵子に応対し、何も知らない二人は友達になってしまう(店員としての通風性)が、しばらくして入江たか子だけが竹久千恵子の素性を知ることになる。そんなことも重なり、また、密かに高田稔の子供を産むためにも入江たか子は、洋裁店の店員である北林谷栄と同居していたアパートを出て、かつて逢初夢子の家で女中をしていた清川虹子の今川焼き屋の二階に下宿をして姿を消すことになる。ところが出産後のある日、入江たか子の外出中、姿を消した入江たか子を心配してやって来た竹久千恵子が、入江たか子の留守中の下宿の二階に勝手に上がり込んでしまうのだ。竹久千恵子は何も知らないメロドラマ的構成とは言え、自分を棄てた男の妻が、仮に善意であれ、住まいの中へ勝手に上がり込んで来るという現象は、強烈な「通風性」と言うしかない。竹久千恵子の姿を見た入江たか子が唖然としたことはいうまでもないが、何も知らない竹久千恵子は、入江たか子の境遇に同情し、赤ん坊と一緒に自分の屋敷へ来るように説得してしまう。ここでも「通風性」は、さらなる事件を引き起こすきっかけとなっている。売春婦たちの厚生施設を描いた●「白い野獣」では、外出許可を取って出て来た中北千枝子が、恋人である岡田英次の下宿へやって来る。しばらくすると、大家の女が、階段を上って来て、お菓子を置いて、すぐに降りてゆく。その後、岡田英次は、拒絶する中北千枝子を強引に押し倒し、関係を結んでしまう。翌朝、また大家が二階にいて、なにやら荷物の整理をしている。もちろん、二人の関係の瞬間に大家は不在だが、当然その音は「筒抜け」であったであろう想像が、この二度に及ぶ大家のさり気ない侵入行為によって間接的に露呈し始める。成瀬映画の大家たちは、間違っても「中北さ~ん」などと断ってから階段を上がってくるような人種では無い。いきなり上がって来るのだ。それによって「下宿すること」の厳しさが、ひしひしと伝わってくる。当然成瀬は、そのようなものとして、あの大家を二度も二階へやらせたに違いない。
●「夫婦」(1953)の上原謙と杉葉子の夫婦は、地方からの転勤で東京にやってきたが、住宅事情の悪化から手頃な家屋が見つからず、結局の所、上原謙の会社の同僚で、妻を亡くしたばかりの男やもめ、三國連太郎の一軒家の一階を借りて下宿することになる。だがそこで上原謙は、階段一つで二階と通じてしまう下宿という空間の持つ「通風性」に翻弄され、妻の杉葉子と、家主の三國連太郎との関係を気に止み、夫婦生活をして荒んだものとさせてしまう。
また下宿とは、こうして外部へ出る運動としての「下宿すること」だけではなく、内部としての「下宿されること」においてもまた、成瀬映画の通風性として機能している。同じく「夫婦もの」として撮られた●「妻」(1953)では、倦怠期に差し掛かった高峰三枝子と上原謙の夫婦は、経済的事情から、自宅そのものを下宿として開放せざるを得ず、襖一枚によって隔てられた茶の間には三國連太郎や多くの来訪者が断りもなく勝手に出入りし、また、二階の下宿人である伊豆肇と中北千枝子の夫婦事情や、二人に代わって新しく二階に入って来たホステスとそのパトロン(谷晃)の情事に、夫婦が巻き込まれることで映画が動き始めてゆく。もう一本の「夫婦もの」であるところの●「めし」における、原節子と上原謙の住まいは下宿ではないが、長屋という「通風性」豊かな空間が用意されていて、「夫婦もの三部作」と呼ばれる「めし」「夫婦」「妻」の三本は、「通風性」豊かな空間を利用して侵入してきた外部の存在が、そのまま子供のいない倦怠期の夫婦間に反映し、波風を引き起こすという構造になっている。
●「女優と詩人」(1935)
「下宿すること」による、通風性がもたらすであろう事件については、トーキー二作目として撮られた、現存する成瀬映画最初の「夫婦もの」である「女優と詩人」において見事に現われている。
家事をしながら売れない童話を書いている夫(宇留木浩)と、外で働く社交的な女優、千葉早智子の、倦怠期に差し掛かった夫婦生活を描いたこの作品で、夫、宇留木浩は、妻の千葉早智子の芝居の本読みに付き合わされることになるのであるが、その台本の内容が「稼ぎの無い夫が勝手に下宿人を招き入れた事で巻き起こされる派手な夫婦喧嘩」なのである。そこへ煙草屋の二階の下宿を追い出された藤原釜足が、芝居ではなく現実に、居候として下宿させてくれと、友人の宇留木浩を頼ってやって来て、それを断れない夫の優柔不断さに怒った千葉早智子は、夫と芝居さながらの大喧嘩を始めてしまうのだ。この作品では、実際に藤原釜足が下宿人として同居するのは映画終盤であり、従って●「妻」のように、下宿人によって実際に人々が脅かされるというわけではなく、その前段階を描いたに過ぎないにも拘らず、下宿という現象が、成瀬映画の人々にとっていかに途方もない出来事かを、「女優と詩人」は早くも露呈させているのである。
■⑤階段
「下宿すること」という出来事は、階段という一本の装置を視覚的に露呈させる事で、より「近さ」としての「通風性」が際立つことになる。
二階から、大胆にカメラを俯瞰気味に捉えた成瀬映画の階段は、●「杏っ子」の下宿で二階の香川京子と木村功の夫婦喧嘩に聞き耳を立てている千秋実や、●「女の中にいる他人」で、夫を殺しに行くための劇薬を取りに行く新珠三千代の反転処理の画面のようにして、その大胆な俯瞰の構図が視覚的な近さとしての「通風性」の驚きを我々にもたらしている。●「乱れ雲」において、加山雄三が津軽を出て行くその日、約束もなく不意にやって来た司葉子が、加山雄三の下宿の階段を見上げながら上がってきて、二階の踊り場にいる加山雄三と目が合う。構図=逆構図による切返しが反復されながら、一歩一歩司葉子が上を見上げながら階段を上昇してくるその尋常ならざる圧縮された画面は、まさに「近さ」の驚きとして視覚的に露呈している。
同時に成瀬映画における階段は●「女が階段を上る時」における、佃島の高峰秀子の実家の階下から高峰秀子と賀原夏子の喧嘩を「盗聴」している織田政雄のように、聴覚的な近さとして露呈することもあるだろう。●「あらくれ」での階段もまた、二階で夫の加東大介がお花の先生である丹阿弥谷津子とじゃれ付いているところを階段の下から「盗み聞き」した高峰秀子が二階へ駆け上がり、「このバカが、、少し店が良くなったらヒゲなんか生やしやがって、、、」と、とても●「秀子の車掌さん」のあのデコちゃんと同一人物とは思えない剣幕でもって加東大介と大乱闘をしでかす原因ともなる。成瀬映画における階段とは何よりも「通風性」としての近さの驚きを我々に直感させる装置である。●「女優と詩人」においては、二階から「ゲップゥー」と、オフから直接聞こえる音声で妻、千葉早智子にあだ名で呼ばれた亭主、宇留木浩が慌てて階段をワンショットで駆け上がり、二階の妻の下へ用事を聞きに行くというシーンがあるが、これもまた、二階から一階へと直通する「ゲップゥー」という剥き出しの音声と、一気に駆け上がる事で露呈する階段という装置の直接的共同作用による「通風性」が見事に露呈している。
だが時として階段は、●「女が階段を上る時」において高峰秀子がバーへと上がる時の長い階段のように、「遠さ」としての空間として視覚的に現われる場合もあるだろう。「遠さ」としての長い階段は、水商売に向かない高峰秀子が、プロの顔へと変貌するためのウォーミングアップとして必要な「長さ」である。だが基本的に成瀬映画の階段は、決して小津映画の階段のように、二階との距離を不可視の暗黙のうちに想像させるものではない。
●「風の中の牝鶏」(1948)で、佐野周二に二階から突き落とされ、長い階段をズリ落ちる田中絹代を持続したショットで撮り続けた小津の恐ろしさとは裏腹に、成瀬は●「あらくれ」では、高峰秀子の階段の落下を、オフ空間における声による想像でアッサリと処理し、●「白い野獣」でもまた、三浦光子の落下を、まず三浦光子が画面から消え、そのまま持続した時間の中でキャメラを左にパンさせ、階下で失神している三浦光子を捉えるという、巧妙なカメラワークで省略して撮っている。成瀬にとって視覚的に現われた階段とは「近さ」を露呈させるための装置ではあっても、決して「落ちるためのもの」ではない。そんな発想の違いが「優しい成瀬と怖ろしい小津」という、両者の印象の差異として露呈するのかもしれない。
■⑥外部から監視されること
「通風性」は、家屋そのものを飛び越えて、外部であるところの隣家や路上にまで波及する。●「あらくれ」で缶詰屋の後妻に入った高峰秀子は冒頭、店の前の路地で働く姿を近所の人たちに「監視」されて噂話のネタにされ、●「めし」の原節子や●「流れる」の山田五十鈴は、向かいの家に住む音羽久米子の露骨な詮索に頭を悩ませることになる。●「乱れ雲」の加山雄三と司葉子は、十和田湖での雨宿りを見知らぬ労働者たちに「監視」されて旅館という密室へ逃避することを余儀なくされ、●「お國と五平」(1952)の木暮実千代と大谷友右衛門もまた、街道をゆく旅人たちの好奇の視線に晒され続けながら、人目を忍んで仇討の度を続けることになる。成瀬映画の人々は、どこへ行っても外部から「監視」の憂き目に会い、その中で生きてゆかなければならない宿命を背負っているのだ。
●「女優と詩人」(1935)
ここで50年代の成瀬映画の「夫婦もの」という、倦怠期の子供のいない夫婦を扱った映画(「めし」(1951)「夫婦」(1953)「妻」(1953))の原型とも言える「女優と詩人」について、もう一度みてゆきたい。トーキー二作目としてピーシーエル製作所で撮られた、現存する成瀬映画最初の「夫婦もの」である「女優と詩人」は、内向的で売れない童謡作家の夫(宇留木浩)がエプロンをかけて家事をし、外交的な妻(千葉早智子)が女優として外へ出て働くという、50年代の「夫婦もの」における夫と妻の関係を逆転させたような作品だが、ここでは、郊外の、粗末で低い生垣によって囲まれた夫婦の家屋が、隣家の噂好きの主婦、戸田春子の「監視」の視線によって裸にされてゆく。鍵のかかっいてない勝手口から勝手に入って来た戸田春子は勝手に家に上がりこみ、勝手に戸棚を開けて勝手に缶詰やらタマゴやらを持っていってしまうのを宇留木浩はただ呆然と見守ることしかできない。二階では妻、千葉早智子が俳優仲間たちを沢山連れ込み、芝居の稽古に明け暮れている(通風性)。夫は妻の芝居の本読みに付き合わされるのだが、その台本の物語が「稼ぎのない夫が勝手に下宿人を入れた事で巻き起こされる派手な夫婦喧嘩」であることは前述したが、そこへ煙草屋の下宿を追い出された藤原釜足が、居候として下宿させてくれと、友人の宇留木浩を頼ってやって来て、夫婦は芝居差ながらの大喧嘩を始めてしまう。大きく開け放たれた縁側から夫婦喧嘩は丸見えとなり、それを芝居と勘違いした近所の人々に「鑑賞」されてしまう。既にこの時点において、「夫婦もの」における成瀬の考えが窺い知れるだろう。それは「監視」と「対比」である。この作品では、隣に若い夫婦が越して来て心中未遂をする。さらに隣家の戸田春子と三遊亭金馬夫婦の大喧嘩が、千葉早智子夫妻の夫婦喧嘩とカットバックして撮られている。こうして成瀬は、隣家の夫婦に千葉早智子夫婦を「監視」させ、同時に「対比」させ続けているのだ。それは●「めし」において、夫を失い子供を連れて路頭に迷う中北千枝子と、家出した原節子との対比であるとか、実家に帰った原節子と、実家で暮らす妹夫婦(杉葉子と小林桂樹)との対比、●「妻」では、高峰三枝子の義姉で夫を失った坪内美子や、二階の下宿人である中北千枝子、伊豆肇夫婦と高峰三枝子、上原謙夫婦の対比、●「夫婦」においては杉葉子の実家の兄の結婚と杉葉子、上原謙夫婦との対比、●「妻の心」における千秋実と中北千枝子夫婦と高峰秀子夫婦との対比、などがそれである。のちにこの「対比」は、成瀬映画の視線の欲望の問題としてもう一度検討することになるが、結局の所この「対比」も「監視」も、すべては「通風性」へと行き着くのである。「通風性」があって初めて「対比」と「監視」が可能となる。「通風性」とは、装置から人物の性格、外部との関係、すべてひっくるめて「通風性」なのである。
ちなみにこの「女優と詩人」の舞台は、「めし」のような天神ノ森の長屋でもなく、「夫婦」や「妻」のような下宿でもなく、郊外の空き地に囲まれた簡素な住宅であり、こうした環境は、同じ「夫婦もの」でも、どちらかといえば●「驟雨」に似ている。郊外という空間を舞台にしたこの「驟雨」の夫婦の家屋は平屋であり、階段も下宿人も不在であって、「通風性」の観点から見たならば50年代の「夫婦もの三部作」から劣っているようにも思える。だが、映画が始まるとすぐ、隣に小林桂樹と根岸明美の新婚夫婦が引っ越してきて、原節子と佐野周二の夫婦は、この夫婦の目に「監視」されることになる。小林桂樹は、垣根の低く、縁側の開け放たれた原節子の家屋の中を何度も盗み見し、さらに原節子は、近所の主婦たちに「監視」されてあらぬ噂を立てられたばかりか、黒ブチ眼鏡をかけザマス調で苦情を言いに来た中北千枝子の侵入に遭うことになり、しばらくすると否応なしに町内の常会という外部に引きずり出されてしまう。序盤、原節子の家にやって来たものの不在で家の周囲をうろついている香川京子に対して小林桂樹が、「奥さんは緑色の買い物カゴを持って出て行かれました」というと、横から妻の根岸明美が顔を出し「あんた、良く見てるわね!」というように、小林桂樹の「監視」は視覚的のみならず、間接的な台詞によっても強調されている。ちなみに町の常会で議論された議題といえば「お宅の犬を放し飼いにしないでつないでおいて欲しい」とか、「あんたの鶏が勝手にうちの庭に入って来て糞をして困る」とか「うちの女房は町内の人々に陰口をたたかれ傷ついた」とか、そのすべてが「通風性」に対する苦情なのである。
■⑦カッティングにおける「通風性」
このような「通風性」は、カメラワークやカッティングにおいても連動している。成瀬映画のカメラの大きな特徴として、家の中の人物が立ち上がる瞬間、カメラを大きく縁側の外や窓の外に引く「立つ→引く」の典型的なカッティング・イン・アクションを多用する点が挙げられるが、そもそもそれを可能にしているのは、大きく開け放たれた縁側の空間であり、また、カーテンや障子によって遮断されることのない、透明な窓ガラスなどの装置における「通風性」に他ならない。装置が透き通っているからこそ、カメラを引いても外から内を見る事ができるのである。逆に言うならば、カメラを外へ引きたいから、ガラスの窓が透き通り、大きく開かれた縁側が設置される。そうした傾向は、サイレント映画の●「生さぬ仲」において早くも現われている。この作品では既に「立つ」→「引く」のカッティング・イン・アクションが大活用され、部屋の外から引く、という方法も活用されている。
成瀬映画の大きな特徴として、二間続きの部屋がある。二間続きの隣接する日本間の一方にカメラを据えて撮ることで、隣の間との仕切りである襖を画面の隅に取り込む、いわゆる「コーナーを取る」構図が出来上がり、薄っぺらな空間に立体感を付与して画面を豊かにするばかりか、人物が立ち上がった瞬間、カッティング・イン・アクションで隣の間へ引く事で、成瀬映画にリズムや開放感をもたらすことになる。こうした、部屋の外から装置の枠を取り込みながら空間を撮るという現象は、●「母は死なず」のように、奥の間にいる入江たか子を、玄関にキャメラを据えて幾つもの日本間を斜めに突っ切って撮ってみたり、或いは●「芝居道」の古川緑波の自宅のように、三間続きの日本間を配置したりというように、画面に幾重もの装置の「枠」をはめ込むことで、まるで額縁のように空間を縁取って画面を重厚に力づけることになる。こうした二間続きの部屋における「通風性」は、後に述べるように「密室性」にも利用され、さらには「断絶性」にも助力している。
トーキー以降の成瀬映画の事件の多くが、外部からの侵入者の存在を告げる格子戸の「ガラガラ」という音によって開始されるのは、音声面における「通風性」の露呈の一つであるが、サイレント期において成瀬映画は、直接的な視覚によって侵入の契機を何度も視覚的に露呈させている。それは現存する最初の作品●「腰弁頑張れ」において、近所の住人たちが息子の交通事故を知らせるショットを、玄関に侵入する足のアップで視覚的に演出していたことに既に見出されている。●「生さぬ仲」においてはドアがビシっと閉められる映像が、●「君と別れて」(1933)や●「限りなき舗道」においては、何度もドアを叩く手のクローズアップが撮られていた。それがトーキーになっての第一作の●「乙女ごヽろ三人姉妹」においては、外から帰って来た堤真佐子が玄関の戸を開ける現象(その後堤真佐子は母親と喧嘩をし、三味線を踏み潰す)を、「ばたん」というオフ空間からの音だけで想像させる音声的演出に早くも移行している。こうした試みは、その後の成瀬映画に鳴り響く「ガラガラ」と音を立てて侵入者の存在を伝え続ける格子戸の音へと洗練されてゆくことになる。「ガラガラ」という音声が聞こえてくるということは、既に人が家屋の中へと侵入したことを告げているのであり、それは、ブザーやノックによる間接的な侵入を告げる音声とは質的に異なる直接性を露呈させているのである。気付いた時にはもう人は敷居を跨いでいる、それが成瀬映画の「通風性」なのだ。
サイレント映画の時代には、その多くの家屋が「君と別れて」「夜ごとの夢」「限りなき舗道」のように、玄関と寝室とが同じ空間にある小さなアパートであったのが、トーキー以降、まるで日本家屋の近代化と逆行するように、外部との遮断物が洋式のドアから格子戸や襖へ、そして外部とのコミュニケーションの空間が玄関ひとつから階段や縁側、さらには土間やお勝手へ、そして部屋が茶の間と奥の間とに分かれて立体的になって行ったのは、トーキーによる「ガラガラ」や「足音」といった音声が、成瀬映画の空間を想像力によって大きく押し広げたからからかもしれない。そうした点から言うならば、高峰秀子の物置小屋のドアを、森雅之、アメリカ兵、山形勲といった男たちが律儀にもノックし続ける●「浮雲」は、50年代成瀬映画の中では、驚きを密かに露呈させている異色の作品ということになる。「浮雲」の装置空間は、ヤミ市の高峰秀子の物置、伊香保の温泉宿、倉庫のような空間に配置された森雅之の長屋、そして最後の屋久島のあばら家をして、まるでサイレント期の成瀬映画のように、家の中の者が入り口の物音に振り向くと、すぐ来訪者と目と目が合ってしまうくらい、狭いことで共通しているのである。
●「妻」(1953)
夫婦もの三部作の一本であるこの「妻」は、倦怠期を迎えた高峰三枝子と上原謙の夫婦が、経済事情から自宅の空いている部屋を下宿として賃貸することで、幾人もの下宿人たちに翻弄されることになる作品であるが、その無防備な「通風性」というものが音声として多く露呈した作品でもある。茶の間でせんべいをボリボリ食う高峰三枝子の露骨な音声は、奥の間で寝ている夫の上原謙への「通風性」としての騒音として襲い掛かり、深夜帰宅した下宿人の中北千枝子が家主の高峰三枝子に断ってから鍵を閉めたように、一日の最後の帰宅者が鍵を閉めるまでは開け放たれたままの玄関は、親類縁者や下宿人たちの「ガラガラ」という音声を何度も露呈させてはその突然の侵入を聴覚的に暗示させ、中の者たちを困惑させることになる。「通風性」は時として、三國連太郎の焦がしたさんまの臭いとしての「臭覚」としても襲い掛かり、階下の者たちが、天井へ向けた露骨な視線だけでもって二階の者たちを暗示する視線の動きによってもまた露呈するだろう。こうした「通風性」の中で暮らしてゆく者たちは、上原謙や三國連太郎のように、蒲団を頭からかぶってやり過ごすか、家を出て安閑とした空間へ逃避するしかない。録音技師、三上長七郎によって録られた、神経を逆なでするような毛糸編み機のガーガーという音を撒き散らす高峰三枝子の、音声における無神経で粗暴な素振りは、●「杏っ子」で毛糸編み機をガーガー言わせ、売れない作家である夫の木村功の神経を逆なでした香川京子のように、倦怠期の夫婦音として、見事に際立っている。倦怠期とは、積極的攻撃による傷付け合いではなく、消極的な無神経による想像力の鈍磨が引き起こす現象であることを、成瀬は音声でもって教えてくれている。大阪の旅館で上原謙が丹阿弥谷津子と一夜を過ごした翌朝、丹阿弥谷津子の子供がおもちゃの自動車で遊ぶ「ガーガー」という耳障りな音声もまた、この作品の剥き出しの音声という主題を露呈させている。
■⑩盗聴(盗み聞き)されること
成瀬映画の「通風性」は、下宿、階段、といった装置によって、視覚においてのみならず、聴覚においても発揮されることを見てきた。その中で、階段を通じての「盗聴(盗み聞き)」については前述したが、それ以外でも成瀬映画は、音声における「通風性」を何度も露呈させ続けている。
●「生さぬ仲」においては、生みの親である岡田嘉子が、育ての親である筑波雪子から年端も行かぬ我が子、小島寿子をさらい、取り戻しに来た筑波雪子と、引き離されまいと筑波雪子にすがりつく小島寿子の叫びを隣の部屋で「盗聴」することで、映画は一気に解決へと流れてゆくのであり、●「禍福・後編」で入江たか子は、自分を棄てた男、高田稔の謝罪の告白をドア越しに「盗聴」することで、映画は解決へと収束されることになるだろう。トーキー第二作目である●「女優と詩人」のラストシーンでは、仲直りした夫婦、千葉早智子と宇留木浩の会話を、階段に座った藤原が「盗聴」して終わっている。だが成瀬映画における「盗聴」とは、このような和解をもたらすものばかりではない。●成瀬最後の時代劇である「お國と五平」においては、武家の妻、木暮実千代は、家来である大谷友右衛門との旅館における禁断の情事を、あろうことか夫の仇、山村聡に「盗聴」されてしまうことで、映画はのっぴきならない展開を見せることになる。●「驟雨」においては、原節子と佐野周二夫婦が隣に引っ越してきた小林桂樹、根岸明美夫婦の「監視」に遭うばかりか、映画のラストでは、原節子と佐野周二とが紙風船に興じているのを隣の家から覗き見しながら小林桂樹が「夕べは喧嘩してたくせに、いい気なもんだ」と、「盗聴」をにおわせる発言をしているし、●「女の座」において、三益愛子のアパートに下宿している宝田明と、彼に想いを寄せる草笛光子との密室の会話は、「ドア」という西欧的な遮断物を通して聞き耳を立てる下宿屋の娘、北あけみによって、何度も「盗聴」されてしまうことになる。
成瀬映画において「盗聴」は、後述する「窃視」と同様に非常に重要な役割を果たしている。「盗聴」の効果とは何か、そしてなぜ、「盗聴」があった時、「生さぬ仲」や「禍福・後編」のように、物事が「解決」してしまうのか、こうした「盗聴」による音声の「分離」というものについては、第二回以降において本格的に検討することになる。
●「君と別れて」(1933)とヒッチコック
サイレント映画の「君と別れて」は、芸者の母、吉川満子と、芸者という職業を軽蔑し、母に反抗する息子、磯野秋雄、そして吉川満子を姉のように慕っている芸者、水久保澄子の関係を描いた作品である。水久保澄子は、磯野秋雄の更生を願い、一時の里帰りに磯野を同行させるのだが、そこで父、河村黎吉と、水久保澄子の対立が露呈する。飲んだくれの河村黎吉は、妹をも芸者に売ろうとし、それを止めようとする水久保澄子にオチョコを投げつけ修羅場となる。磯野秋雄は、この惨状を直接目撃するのではなく、二階から「盗み聞き」している。一階から聞こえて来る「音声のみ」を聞いているのである。水久保澄子は、芸者というものの悲劇を磯野秋雄に知らせてやり、母と息子を和解させたかったのだろう。だがこのシーンは、それが「盗聴」という間接的な手法で処理されているがゆえに、磯野秋雄をしてその後改心させ、母との和解を誘導する決定的布石となるのである。その理由については、「視線論」を検討した後のほうがより実感できると思われるのでここではひとまず合言葉は「ずれ」である、とだけ書いておきたい。ちなみにこの映画はサイレントであることを忘れてはならない。サイレント期に成瀬はすでに「盗聴」という、聴覚に関する演出を、空間術を駆使することによって実現しているのである。例えばヒッチコックは、●「マンクスマン」という1928年製作のサイレント作品で、ある男が、フィアンセの父親に「お嬢さんを下さい」というところを、自分では言えないので親友に頼み、当人はガラスで隔てられた部屋の外で待ち、中の様子を見ながらヤキモキする、という演出をしている。ガラスで隔てられているので、見ることはできるが聞くことはできない。ここでヒッチコックは、結婚の承諾の有無というサスペンスを、「聞かせない演出」によって処理している。私はこれを見たとき、つくづくヒッチコックを尊敬してしまったのだが、これはサイレント映画である。そもそも「聞こえないサイレント映画」で聞こえないことそれ自体をサスペンスにしてしまったのである。こういうのを天才というのではないだろうか。なかなか出てこない発想である。ヒッチコックの映画をどんどん見た方がよい。そうすれば、自分にも映画を撮れる、と勘違いする人間が少しは減るだろう。さて、こうした音声に対するサイレント期における兆候は、現存するもっとも最初の成瀬映画である●「腰弁頑張れ」において早くも聞かれている。近所の子にいじめられた息子を連れて、父親の山口勇は相手の家へ乗り込もうとするのだが、逆にこちらへ乗り込んできた相手の母親の剣幕に圧倒され、急いで家の陰に隠れてしまい、そこから玄関での女と妻との会話を「盗み聞き」するのである。その後、大家の足音を聞いた山口勇は、またしても押入れの中に子供と一緒に隠れしてしまう。そこで子供に「しっ!」と釘を刺しながら大家と妻との会話を息を静めて「盗み聞き」するのであるが、大好きな飛行機の音を聞きつけた息子がわっと声を出してしまい、その拍子に襖が倒れてばれてしまう、という流れである。この一連の演出の基調は「音」なのである。もちろんサイレントであるから音は出ない。そこで大家の足音は、やってくる大家のショットをまず入れてから、山口勇の「大家だ」という台詞を字幕で処理し、飛行機の音は、飛行機のショットとそれに反応する息子のショットへのつながりで処理されている。だがそれに加えて「しっ!」と手を鼻に当てる運動や、「忍び足」「息をひそめる」という視覚的運動を取り入れながら、最後は飛行機の音、という音声によってオチをつけているのであり、これはもはや音に対する執念としか言いようがない。成瀬が松竹から移籍したPCLという、のちに東宝となる会社は、音声研究所から始まったという事実は、まったくもって頷けてしまうのである。ちなみに小津もまた、サイレント時代に音声というものを大きく意識した作家の一人であるが、サイレントの●「非常線の女」(1933)では、田中絹代が岡譲二に耳打ちをするという、我々に「聞かせない」演出をしているばかりか、ボクシングジムや会社の役員室を大きな透明なガラスで仕切り、外から中が見通せるような装置を作っている。こうした発想そのものが基本的には「見せること」と「聞かせること」との分断を意識した「マンクスマン」の演出と本質的に通ずるものであり、「サイレントを経験すること」とは、こうした視覚と聴覚の葛藤の感覚を磨いてゆくことでもあるだろう。
(2)内的な人間(人的通風性)
①成瀬映画の通風性に裏から加担しているものといえば、それは好むと好まざるとにかかわらず、成瀬映画の人々たちの「内向性」にほかならない。成瀬映画の主人公たちはみな内的な人々たちであり、家の外に出るのが余り得意ではなく、他人の頼みをはっきりと断れず、義理堅いことが災いし、成瀬映画の通風性を拒絶することができない。こうした内向性というものは、初期サイレント映画における作品群において既に露呈している。
現存する最初の成瀬作品である●「腰弁頑張れ」は、内的な男が保険外交員という外部の仕事をすることで引き起こされる事件である。得意先のブルジョア家庭の庭先で、ライバル会社の関時雄が、口八丁で家の女中にうまく取り込みポイントを稼ぐのに対して、口の下手な山口勇は、子供たちの馬跳びの馬になってご機嫌をとるくらいのことしかできない内的な男として対比されている。だがそうした卑屈な態度によって息子の信頼を失い、傷ついた息子は放心したのか、電車事故で入院することになるだろう。何かしら翌年の小津●「生まれてはみたけれど」(1932)を髣髴させるこの「腰弁頑張れ」は、サラリーマンもの、小市民ものとして小津作品との類似性を見出すことができるものの、内的人間たちが外部へ晒されること、そのことによって映画を起動させてゆくことの萌芽として、家庭や人間を描くことで映画を紡いで行く小津作品とは既に質的な違いを見せている。
●「生さぬ仲」においてもまた、育ての母としてブルジョア家庭で翻弄される筑波雪子は、姑に口答えひとつできない内的な娘である。その筑波雪子は、先妻の残した娘を自動車事故から救出した時のショックで屋敷のベッドで眠ることになるのだが、その寝室は、夫の使い込みによる会社の破産によって使わされた執行官たちの土足の侵入によって脅かされることになる。それに対して筑波雪子は文句の一つも言えず、かろうじて娘の大切にしていた人形だけは、と勘弁してもらうことくらいしかできない。さらに筑波雪子は白昼堂々、娘を岡田嘉子に連れ去られてしまい、いやがうえにも外部へと引きずり出され、生みの親である岡田嘉子宅へと乗り込むことで対決を強いられることになる。「通風性」とは、内的な人物たちを翻弄するあらゆる現象であり、成瀬映画の主人公たちは内的であるが故に、逆に「通風性」に加担してしまうという構造で成瀬映画は成り立っている。
●「君と別れて」の水久保澄子は、吹けば飛んでしまいそうなか弱い娘であり、父、河村黎吉に売られて飯田蝶子の置屋に身を寄せ芸者として働く内的な娘である一方、姉と慕う芸者の吉川満子に頼まれて、吉川満子の不良の息子、磯野秋雄を精一杯励まして自立を促し、自分は身売りされる妹を救うがために静かに去って消えて行く、そんな存在である。だがそんな消えてなくなりそうなか細い娘である水久保澄子の存在が、その顔、顔に当たる光線の微妙なニュアンス、その見つめる瞳において、決して消えてはならない存在として圧倒的な画面を形作っている。序盤、小さな橋の上で水久保澄子と磯野秋雄が鉢合わせするシークエンスは、これしかないという間と距離と角度でもってひとつずつ連なりながら、ショットの力がモンタージュの力と葛藤と和解を繰り返しながら終結する見事な持続を披露している。
●「夜ごとの夢」において栗島すみ子は、かつて自分と子供を棄てて出て行った男、斎藤達雄の侵入に遭う。男は、栗島すみ子の留守中に、勝手にアパートに上がり込み、眠ってしまう。男の寝顔、求人欄の開かれた新聞、穴の開いた靴下、を盗み見た栗島すみ子は、男を許し、再び親子三人での生活を始めることになる。そんな栗島すみ子の姿を見た親友の女給の沢蘭子が「あんた、案外見掛け倒しだねぇ、、」とからかうように、その不良めいた外見に似合わず、栗島すみ子は家庭的な女であり、止むに止まれず女給という外部に引きずり込まれた、根は内向的な娘であることを、沢蘭子の言葉は聴覚的に露呈させている。だがこの斎藤達雄こそ、かつて栗島すみ子を捨てたことで、栗島すみ子をして生活のために酒場という外部に引きずりだした原因となった男であり、それにも拘らず、再び生活能力のない男の侵入を許した栗島すみ子は、女給という外部の生活に翻弄され続けることになってしまう。そうした点からも斎藤達雄の侵入という出来事は、装置的な「通風性」のみならず、侵入を拒絶できない成瀬映画の人物像そのものが「通風性」を不可抗力に補助してしまい、それによって彼らは世間様の視線の中で翻弄されてしまうという構造を露呈させた、重要な細部である。
●「限りなき舗道」における女給の忍節子は、映画女優にならないかというスカウトの誘いにも自分には女優には向かないからと辞退し、上京して就職を探している弟、磯野秋雄の心配に明け暮れているような、これまた絵に描いたような内的な存在である。そんな忍節子には、結婚を誓った結城一郎という男がありながら、ある日忍節子は街角で、不可抗力にもある男の車に轢かれ、結城一郎との大切な約束を果たせなくなってしまう。その車の運転をしていたのがブルジョアの山内光であり、忍節子は次第に山内光と懇意になってゆき、弟の生活のためにもまた、上流階級という外部へと嫁いで流されることになる。
ちなみにこの作品は、ドアの開閉を「2」として合計すると、全部で「33回」、ドアの開閉が行われるという恐るべき「通風性」の映画でもある。私は思わず「ドアの開け閉めだけで映画を撮る」といわれる天才、エルンスト・ルビッチの映画を想起してしまったのだが、その感慨にふける間もなく、映画の中では、忍節子と山内光の二人が映画館でエルンスト・ルビッチの●「陽気な中尉さん」(1931)を見るシーンが挿入される。これが偶然であるわけがない。
■②台詞としての内向性
このように、成瀬映画の人物たちは、その初期サイレント映画から既に内的な人々であるのだが、人々は成瀬映画の人物の内向性について、●「夜ごとの夢」の栗島すみ子をからかう沢蘭子の「あんた、案外見掛け倒しだねぇ、、」というさきほどの台詞のように、時として口に出し、声として露呈されている。●「雪崩」(1937)においては汐見洋が、嫁の霧立のぼるをして「無抵抗で弱虫で、決して人を疑うことを知らない女」としてその内向性を語り、それが決して霧立のぼるへの否定的言説としてなされていないにしても、成瀬映画の人物の性格を見事に分析しているし、●「女人哀愁」で入江たか子は「私には、好きになって結婚するなんてありそうもないし、(結婚相手は)誰だって同じだわ、私ははっきりしないし古い女なの」と従兄弟の佐伯秀男にその内的な性格を告白し、お見合いで、入江たか子自身が「軽薄そうな人」という感じを持った北沢彪と結婚してしまい大変な目に遭ってしまう。同じく入江たか子を主人公にして撮られた●「禍福・前編」においては、結婚を控えた入江たか子が、社交的な親友の逢初夢子に対して「あたし、うちを出るのが下手でしょ、、」と象徴的な言葉を吐露している。銀座の夜の女たちを描いた「水商売もの」である●「銀座化粧」の田中絹代は、出産時、瀕死の自分を親身になって助けてくれた男、三島雅夫について、「あの人に助けてもらった恩だけはどうしても忘れることができないの」と友人の花井蘭子に打ち明け、今では落ちぶれて、何度も無心にやってくる三島雅夫との仲を断ち切れない義理堅さを持ち合わせている。●「驟雨」の原節子は、よその人と一緒に外出することが苦手な女であり、隣に越してきた小林桂樹夫婦と映画に行くことに尻込みしながら「あたし、どうしてこう、ウキウキすることができないんでしょ、、」と自虐の弁を発している。成瀬映画の人たちは、家を出るのが下手な人たちなのである。●「流れる」では、置屋の娘である高峰秀子が、自分は「誰これかまわず機嫌をとることの出来ない性格」であり、母であり芸者の山田五十鈴もまた同じである、と告白している。山田五十鈴はそうした性格が災いしてか、最後には長年盛り立ててきた置屋を手放すことになるだろう。●「女が階段を上る時」の高峰秀子もまた同様に、バーの雇われマダムに身を任せながらも義理堅く清廉なその人柄は、マネージャーの仲代達矢の助言にも拘らず、バーのお得意客に電話して「今晩来てください、、なんて言えないのよ」と告白し、そうした不器用さが彼女の出世を阻むことになるだろう。●「娘・妻・母」(1960)の原節子もまた、「あたし、人の頼みを断ることが出来ないの」と言い、そんな性格の原節子は、死んだ夫の保険金を親類たちによって毟り取られることになる。
こうやって見て行くと、成瀬映画の内向性とは、まずもって、女性において露呈している。成瀬映画の女性の主人公の多くは内的であり、意志が弱い、引っ込み思案、家の外へ出たがらない、人の頼みをキッパリと断ることができない、義理堅い、などという性質の、一つから複数を併せ持っている。成瀬映画には、「女」と名のつく映画が全部で10本(★注Ⅲ)あるのに対して「男」とつく映画は一本も存在しないこともまた、成瀬映画の「女性性」を裏付ける間接的な指標になるだろう。
だが成瀬映画の女性性の傾向が明らかになってくるのは●「めし」(1951)以降においてであり、それ以前の作品には、男性を主人公とした作品がそれなりに多くある。「腰弁頑張れ」(1931)「桃中軒雲右衛門」(1936)「君と行く路」(1936)「雪崩」(1937)「鶴八鶴次郎」(1938)「はたらく一家」(1939)「旅役者」(1940)「母は死なず」(1942)の菅井一郎「歌行燈」(1943)「愉しき哉人生」(1944)「芝居道」(1944)「三十三間堂通し屋物語」(1945)「浦島太郎の後裔」(1946)「俺もお前も」(1946)などは、特に男性を主人公にして映画が撮られている。特に2.26事件が勃発し、内務省の検閲基準が国粋主義的になって来た1936年頃から、戦後左翼運動が盛んであった1948年頃までの時期に「男性映画」が集中している。もちろんこうした現象を特定の事件や現象に結び付けることは困難であり、性急な断定は差し控えなければならないが、一つの事実として、1936年前後から、成瀬映画に男性を主人公とする映画が増えてきたのは事実である。
逆に「めし」以降の作品では、明らかに男性が主人公であるという作品は子供(大沢健三郎)を主人公とした「秋立ちぬ」(1960)一本しかなく、それ以外は「夫婦」(1953)「妻」(1953)、「乱れる」(1964)「女の中にいる他人」(1966)「乱れ雲」(1967)といったように、仮に男性が多くの役割を果たしたとしても、男性か女性か、主人公は今ひとつ特定できない作品が多くを占めている。さらに1936年以前の作品も含めて、成瀬映画の大部分を女性が占めてきたことは事実であり、その女性の性質として、言葉の正確さは許していただいて、ひとまず「内的」という言葉で大雑把にくくってみたい。
男性についてであるが、「誰が主人公か」は、タイトルの順番だけで決められるものではなく、多かれ少なかれ、見ている者の主観に左右されるものであることは否めないが、ここではひとまず私の主観によって断定した「男性が主人公」に限定して考察してゆくこととし、それ以外の人物については、のちに検討することにする。
■④二枚目と立役
成瀬映画の主人公は基本的に女であり、彼女たちは多かれ少なかれ内的な女性たちであり、その性格が災いして「通風性」に翻弄され、流されていってしまう。そうした女たちと関わってゆく成瀬映画の男たちは、「二枚目」と言われる男たちである。
それは「妻よ薔薇のやうに」「朝の並木道」「君と行く路」等、30年代の成瀬映画を支えた大川平八郎や、「めし」「夫婦」「妻」「晩菊」「山の音」等50年代の成瀬映画を風靡した上原謙、そして「浮雲」「あらくれ」「女が階段を上る時」「妻として女として」等、50年後半から60年代前半の成瀬映画を彩った森雅之のような、弱々しく内的で、決して決闘などによって女を手に入れるところの人種ではない恋する男たちである。やさ男で声も細く、優柔不断で煮えきらず、頼りない人物が成瀬映画の「男性性」なのだ。こうした点で、成瀬映画の男性像は、その女性像と、質的に異なるものではない。
こうした二枚目に対するのが歌舞伎で言うところの「立役」であり、その特徴としては闘争に強く、意志が強く、恋愛に価値を認めない儒教的精神によって教育された、武士的人物であり、(「二枚目の研究」佐藤忠男21)その典型的人物が、尾上松之助、阪東妻三郎、片岡知恵蔵、月形龍之介、三船敏郎といった頑強なスターたちである。だがその三船敏郎ですら●「妻の心」においては「二枚目」として登場しているように、成瀬映画の男たちは、徹底して優柔不断な二枚目なのである。二枚目とは、●「夫婦」で、杉葉子の母である滝花久子が上原謙をして「起きてるんだか転んでるんだかわからないひと」と評したように、あるいは●「妻」の高峰三枝子が夫の上原謙をして「気の抜けた風船玉みたいなひと」と見事に言い当てたように、優柔不断で頼りなく、女に惚れっぽいやさ男を言うのであって、確かに骨格の問題もあるかも知れないが、決して「ハンサム」という「顔だけ」の問題ではなく、多分に性格の強弱が絡んでくるのである。
成瀬最後の時代劇である●「お國と五平」においては、通常の時代劇で採用される立役でなく、大谷友右衛門や、山村聡といった二枚目を起用したことが、いかにも成瀬らしい人物配置であり、それによって恋する男たちの優柔不断なエロスが見事に露呈し、それが木暮実千代の熱っぽい色気と交差して見事な傑作たらしめている。「お國と五平」は紛れもない傑作であり、こうした作品を安易にも「失敗作」などと断じて来た間違った映画史は修正しなければならない。
だがそんな成瀬映画に男性においても立役がいないわけではない。「桃中軒雲右衛門」の月形龍之介、「母は死なず」の菅井一郎、「三十三間堂通し屋物語」の長谷川一夫、「愉しき哉人生」の柳家金語楼などは、完全に立役の範疇に収まるかどうかは別として、意志強固で決断力に優れ、決して恋することへと流されることのない強い人物たちであることで共通している。
●「三十三間堂通し屋物語」の長谷川一夫は、二枚目というよりは立役であり、優柔不断ではなく意志強固、決して色恋に惑わされることの無い武士として描かれており、典型的な二枚目として演じられた溝口健二の●「近松物語」(1954)の茂兵衛の長谷川一夫と見比べてみれば、その差は明らかである。●「桃中軒雲右衛門」においてもまた、恋を食う事で芸の肥しにする浪曲師を立役の月形龍之介が演じている。確かに「桃中軒雲右衛門」の月形龍之介は、東京行きを不安がり、静岡で途中下車してしまうような気弱さを垣間見せる人物ではあるものの、その静岡の料亭で「ちょっとお得意さんの前で歌ってくれ」という小沢栄太郎の頼みを無下に断れてしまうあたりが、二枚目的な人物像からは大きくかけ離れている。こうした人物の多くが、「桃中軒雲右衛門」(1936)の月形龍之介、「母は死なず」(1942)の菅井一郎、「愉しき哉人生」(1944) の柳家金語楼、「三十三間堂通し屋物語」(1945)の長谷川一夫、というように、女性ではなく男性が主役の映画に多くに見られ、なおかつそれらの作品が、1936年以降において集中しているという点は、さきほどの「男性主演映画」の問題と絡んで興味深い。軍部の検閲が激化した戦時中、成瀬映画は二枚目という、およそ戦闘的とは言えない優柔不断な人物たちを主役に据えることができず、逆に「母は死なず」の菅井一郎のように、意志を曲げず、一途に人生を突き進む強い男が画面を支配せざるを得なかったのかも知れない。そうした傾向は戦後になって、「浦島太郎の後裔」(1946)における藤田進や、「お前も俺も」(1946)のエンタツ・アチャコの名コンビのように、やや異なった反動として現われてくるものの、成瀬映画が、まさに成瀬映画らしい内向的な二枚目を得るまでには、上原謙という、当代切っての二枚目を手に入れる「めし」(1951)まで待たなければならない。その後、成瀬映画の二枚目は、「浮雲」(1955)から60年代前半までは森雅之が引っ張り、その後は宝田明が数作つないで、最後は加山雄三が成瀬巳喜男の晩年に見事な花を添えている。
ちなみに、立役の俳優である三船敏郎は「石中先生行状記」(1950)の「第三話・干草ぐるまの巻」で若山セツ子と競演しているが、無口で無骨で照れ屋の農民という設定は三船敏郎と良く合い、素晴らしい短編に仕上がっている。
■⑤外交的な女性
成瀬映画の女性とは、内的であり、意志が弱い、引っ込み思案、家の外へ出たがらない、人の頼みをキッパリと断ることができない、義理堅い、といった性質を一つか複数併せ持っている人々だとすれば、そうした性質に反する「外交的な」女性もいないではない。だがそれは、男性における立役の多さに比べると非常に少なく、女性が主役の作品においては「女優と詩人」(1935)の千葉早智子、「薔薇合戦」(1950)の三宅邦子、、「晩菊」(1954)の杉村春子くらいしか存在しない。
仮に女性が主人公の作品の幅を大きく広げて、「愉しき哉人生」の主人公を山根寿子に、「鶴八鶴次郎」や「歌行燈」「芝居道」の主人公を山田五十鈴に、「三十三間堂通し屋物語」の主人公を田中絹代に、「浦島太郎の後裔」の主人公を高峰秀子に、「銀座化粧」の主人公を香川京子に、「妻として女として」の主人公を淡島千影に、と、どんどん広げて行って検討してみても、せいぜい「妻として女として」の淡島千影くらいしか外交的な人物は出てこない。そこでこれらの女性について検討すると、女優という外交的な職業に就いていながら、藤原釜足の下宿の希望を本人に向ってキッパリ断れない気弱さを持っている「女優と詩人」の千葉早智子はここで脱落し、「あらくれ」の高峰秀子は江戸っ子でキップが良く、ドレスを着て自転車でセールスをしたり、上原謙に噛み付いたり加東大介にホースで水をぶっかけたり、三浦光子を蹴飛ばしたりと、行動的な人物ではあるものの、そんな高峰秀子もまた、兄、宮口精二の借金のカタに寒村の旅館で奉公させられることになっても拒むことなく受け容れてしまい、父親に大きく反抗するでもなく、或いは義父の高堂国典の滞在を拒絶することもできず、最後には愛人の森雅之の旅館の番頭をしていた横山運平に大金をあげてしまうような義理堅い女性であり、他人の頼みをはっきりと断れない人間である点において、本質的に成瀬的人物の範疇を出るものではない。異質なのは夫の妾である高峰秀子の手切れ金の申し出をキッパリと断った「妻として女として」の淡島千影であり、確かに彼女は妾の産んだ子供を育て、なおかつその秘密を守り通してきたという内的な女性ではあるものの、成瀬的な人物像にキッチリと収まるような女性からはやや遠い硬質な女性として描かれている。
●「晩菊」(1954)
「晩菊」の杉村春子は、はっきりと異質である。彼女は容赦なく借金の取立てができてしまう外交的な人物であり、女性が主人公として描かれた成瀬映画の中でも●「薔薇合戦」の三宅邦子と双璧の異色の人物である。だが杉村春子は、満州帰りの見明凡太郎が訪れた時には思わず路地に身を隠してしまうような内的な側面を垣間見せたりもしているし、憧れの人、上原謙の来訪に、胸をときめかせたりするような純粋な様子も見せている。それでもこの作品の杉村春子は、貧乏のどん底にあえでいる細川ちか子や望月優子に対して、その貧相な長屋にずけずけと侵入を繰り返しては臆することなく借金の返済を迫るような女であり、少なくとも成瀬映画に典型である内的な人物像、その中でも一番成瀬的人物を指示すると思われる「他人の頼みをはっきりと断れない人たち」とは大きな開きがある。
★鍵を閉めることと外向性との関係
「通風性」を常とする成瀬映画においても、「鍵を閉める」という行為がないわけではない。●「女優と詩人」において、煙草屋の二階に下宿する藤原釜足は、家賃を催促する大家の来訪を防ぐため、襖につっかえ棒をして通風性を拒絶するのだが、結局、二階の屋根を伝って逃げ出さざるを得なくなる藤原釜足に、「通風性」を一般的に拒絶することは許されてはおらず、●「銀座化粧」においては、防犯ベルのセールスマンである三島雅夫の置いていった防犯装置を、家主の柳永二郎が玄関に設置するという場面が撮られているものの、結局それが作動することはなく、それとは逆に田中絹代の住む下宿は、鍵の掛かっていない玄関の戸口に付けられた鈴の音が、何度も訪れる来訪者の存在を聴覚的に露呈させ続け、さらに大家の清川玉枝や柳永二郎が、断りもなしに二階の下宿の間に上がってきてしまうような「通風性」に晒されている。
それに対して●「晩菊」の杉村春子は、成瀬映画の「通風性」を一般的に拒絶した唯一の人物である。金貸しである杉村春子は、番犬を飼い、ブローカーである加東大介の「春は物騒だから、、」という助言に従ったのか、早々に日中から玄関の戸に鍵を閉め、「通風性」を一般的に拒絶してしまう。確かに成瀬映画の中には、夜、最後に帰宅した人間たちが木戸や玄関の鍵を閉めるという光景がよく垣間見られ、それは●「妻」における下宿人の中北千枝子や●「妻の心」の小林桂樹、●「あらくれ」における缶詰屋の丁稚たち、●「娘・妻・母」における原節子、そして●「乱れる」において深夜、麻雀から帰宅した加山雄三などに課せられた役割として何度も露呈している。●「銀座化粧」においては、大家の清川玉枝が、わざわざ下宿人の田中絹代のいる二階にまで上がってきて「閉めてもいいかい」と確認をしている。だがそれは、あくまでもそれまでは鍵を閉めていないことの裏返しであり、それ以外の時間帯に、この杉村春子のように、何度も鍵をかけ「通風性」を一般的に拒絶する作品は、全成瀬映画の中でこの「晩菊」一本しか存在しない★注④。なかには●「驟雨」の香川京子のように、新婚旅行の帰りに寄った原節子宅に鍵が掛かっていて中へ入ることができず、玄関や裏庭をうろつくというケースもあるが、それは原節子が買い物に出て家が留守だったからにほかならず、原節子の帰宅によってすぐ家の中へ入れてもらえるのであり、さらにその直後、小林桂樹が引越しの挨拶に来た時に、原節子が玄関の戸の鍵を開けるという行為を露呈させてはいるものの、「晩菊」の杉村春子のように、一般的に「通風性」を拒絶するものではない。●「めし」においても事態は同様で、夜遅く、泥酔して帰って来た上原謙は、鍵の閉まっている戸口をドンドン叩くことになるのであるが、それは時刻が深夜である事実や、前の晩の島崎雪子をめぐる原節子との夫婦喧嘩の翌日の出来事として理解可能であるし、それ以外の場面における「めし」という作品の露骨な「通風性」を既に見たように、この作品が「通風性」一般を拒絶する作品ではないことは明らかである。そのような事情でもない場合、●「母は死なず」において、帰宅したが玄関の鍵が閉まって入れず、裏の勝手口に回って中に入り、入江たか子の亡骸を発見した菅井一郎のように、「鍵を閉める」という現象は、成瀬映画においては例外としての不吉な前兆でしかない。
「晩菊」の、ぴしゃりと締められた杉村春子の玄関の戸は、かつて杉村春子が満州で無理心中をさせられた招かれざる客であるところの見明凡太郎の侵入を不可能にし、見明凡太郎は、鍵の閉まった玄関の戸口を何度も叩き、その様子を家の中から息を殺して盗み見ていた杉村春子が、やっと鍵を開けてくれたものの、見明凡太郎は玄関に腰をおろすことしか許されず、無心も無下に断られ、早々に追い払われることになる。そもそも「番犬が来訪者に吠え掛かる」とか「家の中から息を押し殺して来訪者の様子を伺う」とか「さっさと追っ払う」とか「頼みを無下に拒絶する」いった光景を、いったいどの成瀬映画の住人たちに見出すことができるだろう。●「女が階段を上る時」において、胃潰瘍で倒れた高峰秀子が、しばし佃島の実家へ帰って静養している時、わざわざ見舞いにやって来たバーの常連客である加東大介を、母、賀原夏子に頼んで返してしまうというシーンが確かにあるが、それは高峰秀子の加東大介に対するほのかに芽生えた恋心と、こんな寝巻き姿は見せたくないという、バーのマダムとしての身だしなみと見てとれるものであり、その場合でも加東大介は玄関の中に入って賀原夏子と交渉しており、決して居留守という、あからさまな「通風性」の拒絶であったわけではない。「晩菊」の場合、日中から鍵を閉めたお陰で、杉村春子のお気に入りであった男、上原謙までをも締め出してしまうのであり、結局上原謙は玄関からの来訪を実現すること叶わず、勝手口に回って女中にやっと入れてもらうという憂き目にあうことになる。
このようにして、成瀬映画の中で、厳重に戸締りを点検し、「通風性」を拒絶している人物が、外交的な人物としての杉村春子であるという点が、極めて興味をそそられる現象として露呈している。内的な人物は「通風性」に翻弄され、外交的な人物は「通風性」を拒絶している。前者は「通風性」という不可抗力に翻弄されてゆき、後者は「通風性」を遮断しみずからの意志によって生きようとする。何となく、成瀬映画の本質らしきものが、こういう細部から浮かび上がってはこないだろうか。
逆にこの「晩菊」では、脇役である杉村春子の元芸者仲間である細川ちか子の住む小さな長屋こそが、「通風性」によって犯され続けている。鍵もかけない玄関の戸口から、外交的な人物である杉村春子の侵入を何度も受け続けることになる、その細川ちか子こそ、紛れもない内的な人物であることが、この「晩菊」の構造を、ややねじれたものとして露しめているのだ。杉村春子は、外交的な人物であるがゆえに、成瀬映画の装置としての「通風性」をみずからの自由意志によって拒絶することができる。だが多くの成瀬映画の主人公たちは、その内的な性向ゆえに、まさに運命に「流れる」の山田五十鈴のように、粗暴な宮口精二を家屋の中へと招き入れてしまい、また、「稲妻」の三浦光子のようにして、あの中北千枝子を無防備にも敷居を跨がせてしまうのである。いや、ことによると彼らはそれによってもたらされるある種の試練というものを、無意識裡に欲しているのかもしれない。彼らは外部に憧れているのだ。そもそも「鍵を閉める、開ける」という行為は、映画的に見ると、車の鍵をわざわざ閉めるのと同じように、絵にならない。だが、それ以上に成瀬映画において「鍵を開け、閉める」という行為は、その「通風性」を拒絶する行為として、極めて異質なのだ。そうした点で、●「ひき逃げ」の高峰秀子が、犯行の準備のために二階の寝室のサッシの鍵を前もって開けておくという光景は、ひと目見て異質なものであり、60年代成瀬映画における「通風性」の後退というものを、陰ながら露呈させている。
■第三章 密室
(1)みずからの意志で密室を
①成瀬映画の人々は、「通風性」という不可抗力によって翻弄され、みずからの意志によって人生を切り開いてゆくことのできない内的な人々である。だが時として彼らは、流されることに抵抗し、みずからの意志によって密室の空間を作り、内的な運動を志向することがある。
●「妻として女として」の高峰秀子は、愛人である森雅之の自宅への来訪に心躍らせ、同居する母の飯田蝶子を追い出し、奥の間の引き戸と襖を閉めて「密室」の薄暗い空間を意志的に作り出しているし、●「浮雲」では、眼帯をした森雅之が、イカサマ宗教をしている山形勲の邸宅に囲われている高峰秀子に、妻、中北千枝子の葬式の費用を無心に来るシーンがあるが、そこで両者は、日本間のガラス戸と襖を閉め、しばしの「密室」空間を意志的に作り上げている。この「浮雲」という作品は、成瀬映画の中でも稀に見る「篭りつづける」映画である。さらに●「山の音」において、山村聡が、息子である上原謙の愛人宅を訪れた時、丹阿弥谷津子が縁側のガラス戸を締め切った行動もまた、壁に耳アリの成瀬映画の「通風性」を、みずからの意志によって拒絶した印象的なシーンであるだろう。
●「あにいもうと」では、駆け落ちをしようとしている久我美子と堀雄二の二人が、みずからの意志で駅の前に止めてあるトラックの裏に隠れる事で「密室」を作り上げている。成瀬が通常「密室」に利用するものは、暗闇とか雨宿りとかの、後述するようにそれは瞬間性によって生まれる「密室」であり、時間が経てばすぐに霧散してしまうような儚いものであることからしてそれは密室でなく「密室」とここでは書いているのだが、一時的放置物、とでも言うべきトラックを「密室」の補助に使うという発想は、極めて成瀬らしいということになる。「あにいもうと」は、東京からちょっと離れた多摩川べりはひどい田舎であり、因習に支配され、人々は近所の人たちを監視し、噂話で中傷する、という側面を非常に強く描いた作品であって、そうした点で、トラックの陰に隠れるという運動は、成瀬映画の中ではこれ一回きりの出来事であるとしても、成瀬映画の装置のあり方という点からするならば、発想として珍しいものではない。珍しい、というならこの●「噂の娘」の、父、橘橋公の違法な酒造りを、娘の千葉早智子が、酒蔵の中で問い詰めるというシーンが珍しい。成瀬映画の人々は、仮に隠れるとしても、必ずや他人から盗み見されたり盗み聞きされたりする空間にいるのか通常であって、そうすることで逆に「密室」のサスペンスが生まれるのだが、この蔵という場所は、盗み見されるには余りにも頑丈すぎて、成瀬としては珍しい空間といえる。だが堅固な密室であっても●「銀座化粧」のように、田中絹代が倉庫という堅固な空間へ東野英次郎に連れ込まれ、乱暴されそうになるところを、倉庫の壁に耳を当てた従業員に「盗み聞き」をされるという怖ろしいシーンがあって、まったくもって成瀬映画の空間というものは厚い壁もなんのその、壁に耳あり背中に目ありの決して油断のならない空間として設定されている。だが●「めし」以降の成瀬は、倉庫や蔵といった固くて厚い空間を使うことは少なくなってゆく。密室は、常に聞き耳と紙一重、というのが成瀬の基本線であって、装置もまた、そういうことを前提に「木、竹、紙」といった薄い材質によって作られてゆく、それが「通風性」によって映画を起動させてゆく成瀬映画の装置の特徴である。
意志的に作られる密室は、男と女のどろどろした情事を予感させるものが多いが、だが基本的にそれは、彼らにとっての一瞬のくつろぎであるに過ぎず、成瀬は、彼らの逃避を罰するようにして、彼らをすぐさま通風性の力の中へ突き落とすのである。
だが中には、花井蘭子が襖を閉めて終わるところの●「芝居道」のラストシーンのように、見事な家族的抒情として現われることもある。大阪から帰って来た養子の長谷川一夫や、長谷川一夫の出世のために身を隠していた山田五十鈴との再会に沸く空間を、カメラは庭から引いて大きく捉えながら、さぁこれからその団欒風景を見て泣きましょう、というそのときに、花井蘭子が一つ、二つ、と障子を閉めて、はい、ここまで、と幕が閉じられるその感覚は、見ることのできない密室の中で繰り広げられる家族の団欒を、我々に強く想像させながらの見事な幕切れである。
②旅館
装置の中には、旅館のように、みずからの意志で「密室」として使用する事で密室性を補助する空間がある。それは決して旅行としての観光目当ての利用ではなく、「通風性」に翻弄され、「見られること」に疲れた内的な人々たちの、一時のくつろぎの時間空間として、旅館という匿名の密室空間が利用されるのである。
●「妻」の上原謙は、出張した大阪の旅館で愛人の丹阿弥谷津子と密会し、一夜を共にすることになるだろうし、●「銀座化粧」の田中絹代は、親友の花井蘭子の疎開先から上京してきた堀雄二の接待に旅館を利用し、次第に堀雄二に惹かることになるだろう。●「乱れる」の高峰秀子と加山雄三は、銀山の旅館で束の間の「密室性」の中へと逃避することになるだろうし、「浮雲」の高峰秀子、森雅之、そして岡田茉莉子の三人は、湯気の立ち込める伊香保温泉の「混浴風呂」という密室性の中へと逃避することになるだろう。不倫や身分違いの恋などに身を任した彼らはみな、世間様に「見られること」に神経質な人々であることで共通している。
●「鰯雲」(1958)では、厚木の農家の嫁であり戦争未亡人である淡島千影が、新聞社に勤める妻子ある男性、木村功と不倫の関係に流れてゆく。淡島千影は、甥である小林桂樹の嫁の身元調査のために半原という山村へ向う傍ら木村功と同行し、口うるさい姑である飯田蝶子の目を逃れ、半原の旅館の「密室性」の中へと逃避することになる。やや成瀬映画にしては大胆とも言える夕陽の影を、成瀬初のカラー映画の障子の白に反映させながら、淡島千影は日の暮れた旅館の日本間の障子を大胆にも閉めて木村功を「密室」の中へと挑発し、束の間の情事に身を任せることになる。さらに淡島千影は、女学校時代の同窓生である新珠三千代が見明凡太郎の妾として任されている料亭の一室を借り切り、障子を閉めて、再び木村功を「密室」の中へと誘い、禁断の情事を重ねることになる。●中には「雪崩」のように、ホテル、という、ドアの千錠によって隔離された密室の空間で、殺人という、恐ろしい計画が練られることもある。
しかし成瀬が撮る旅館とは、基本的に「通風性」に満ち溢れた空間としての旅館にほかならない。旅館という空間は、みずからの意志によって「密室性」を勝ち取ることのできる空間であると同時に、多くの客が宿泊する公共空間でもあり、襖一枚という「通風性」によって、不可抗力に翻弄される怖ろしい空間でもある。それが災いし、「密室性」の中へと隠れたと安心している人々たちに思わぬ不可抗力が飛び散ってくることになる。成瀬初の時代劇であり、戦前最後の作品である●「三十三間堂通し屋物語」では、市川扇升の通し矢の妨害を企む浪人たちが、旅館の一室での密談をしているところを、隣の部屋に宿泊していた長谷川一夫にすべて「盗聴」されてしまい、「立ち聞きをしおったな!」といきり立つ浪人は、「おぬしの声が大きすぎるのだ」とたしなめられることになる。旅館という空間が、まさに壁に耳ありの成瀬的威力空間であることを忘れた者たちは、雲の粉を散らすように逃げてゆくことになる。●「お國と五平」の木暮実千代と大谷友右衛門は、身分違いの禁断の情事の一部始終を、あろうことか隣室に泊まっている仇の山村聡にすべて「盗聴」されてしまい、結局二人は、仇である山村聡を討つことが「敵討ち」であると同時に「口封じ」ともなる、皮肉な結果を招いてしまう。「密室性」と「通風性」とが隣り合わせの空間ゆえに、旅館という空間はサスペンスに満ち溢れているのだ。●「妻として女として」では、熱海の旅館で密会するはずの高峰秀子と森雅之が、旅館の廊下という公共的空間で、森雅之の大学の教え子たちに目撃されてしまい、噂の種にされてしまう。
旅館は時として、家屋を持たない者たちの定住場所として使われることもある。だが●「放浪記」の高峰秀子と仲谷昇の同棲生活では、「襖一枚」という旅館の「通風性」が災いし、仲谷昇と草笛光子との密会を高峰秀子が盗聴してしまい、それが破局という結末を招くことになってしまうのであり、●「鶴八鶴次郎」では、放浪の旅に身を落とした長谷川一夫は、すきま風の吹き抜ける木賃宿で、一人部屋で孤独な夜を過ごしていると、そこにも「通風性」は容赦せず、襖を隔てた廊下から聞こえて来る宿泊客の露骨な声が、酔った長谷川一夫を興奮させ、喧嘩を引き起こすことにもなる。そうした点からするならば、司葉子と中山仁との旅館での密会が、「通風性」としての襖でも階段でもなく、小沢栄太郎の電話というテクノロジーによって妨害された●「ひき逃げ」の通風性は、異質なものとして露呈することになる。どちらにしても、「密室」へと逃避をした者たちは、いつまでも内部に安住することは許されず、嫌が上でも再び外部へと弾き出されることなる。これは、意志的な行動によって大胆不敵にも成瀬映画の通風性を拒絶できると高をくくった内的な人々に対する天罰であり、最良の成瀬映画は決まって、意志によって成された行動を打ち壊すように「通風性」という不可抗力が起動し、それによって人々が翻弄され始める時、その葛藤によって見事に輝き始めるのである。意志→不可抗力→意志→不可抗力→の無限連鎖が成瀬映画に働いてるのだ。
その中で●「歌行燈」は、旅館というものの持つ「通風性」が、災難ではなく、幸福として露呈した僅かながらの例外のひとつである。障子を大きく開け放たれた旅館の一室では山田五十鈴の舞が奏でられ、そこへ庭から花柳章太郎と柳永二郎が直接「侵入」し、まさに役者が揃った名月の夜、映画は幸福な終結を迎えることになる。「芸道もの」というジャンルはほぼ例外なく、成瀬映画の本質的な部分に何かしらの例外を仕掛けてくる異質なものになる傾向がある。それはおそらく芸道というものの親子関係が、通常の市民のそれとは違っているからであるだろう。それについては後述する。
■(2)不可抗力による密室
「通風性」に翻弄される成瀬映画の人々は、自宅や旅館においてみずからの意志で密室性を作出し、一瞬の安らぎを得ることもある。だがそれも束の間、みずからの意志で密室を得ようなどという内的な彼らの浅知恵は、●「三十三間堂通し屋物語」の浪人たちのように成瀬映画の恐るべき「通風性」の返り討ちに合うか、そうでなくとも●「妻」の上原謙のように上京後、妻の高峰三枝子に嗅ぎ付けられたり、或いは●「乱れる」の加山雄三のように、悲惨な最期となって霧散することになる。●「銀座化粧」の田中絹代と東野英次郎の関係、田中絹代と堀雄二の関係、●「あにいもうと」の久我美子と堀雄二の関係●「鰯雲」の淡島千影と木村功の関係、●「娘・妻・母」の原節子と仲代達矢の関係、●「夜の流れ」の草笛光子と宝田明の関係、●「妻として女として」の高峰秀子と森雅之の関係、●「女の座」の草笛光子と宝田明の関係、これらの、みずからの意志で密室に逃避した者たちは、どろどろとした情事として描かれるばかりか、決して強固な関係で結ばれることは無い。●「浮雲」においても、闇市の安ホテルや物置小屋、伊香保温泉での混浴風呂や客室、はたまた山形勲の邸宅において、みずからの意志によって襖やガラス戸を閉め密室へと逃避した時点での高峰秀子と森雅之の関係は、まったくもって不確かで見通しの覚束ない関係であったはずである。「通風性」に、みずからの意志で反抗する人々の一瞬は、今ひとつ成瀬的共感を呼び覚まさない。それに対して成瀬映画には「不可抗力」という、意志の及ばない現象によって人々が「密室」の中へと閉じ込められることがある。
■①雨
●「乱れ雲」は、突然振り始めた雨という自然現象が、十和田湖で小舟をこいでいた加山雄三と司葉子の二人を十和田湖周辺の旅館という空間に閉じ込め、夜半を過ぎてから激しくなる雷や、長い廊下の窓から差し込んでくる雷光や雷鳴の轟音が、熱を出しうなされている加山雄三と彼を一人で看病し続ける司葉子をして禁断の「密室」へと誘うことになる。ここで司葉子は、みずからの意志でなく、雨や発熱という不可抗力によって加山雄三の看病へと流されていくのだが、二人の関係は、それによって急激に発展することになる。
とある田舎町を舞台に、思春期の少年少女たちの瑞々しい性の訪れを捉えた●「春のめざめ」(1947)においては、突然の雷雨が近藤宏と国井綾子の若い二人を家に閉じ込め、ひと時の「密室」を作り上げることになる。二人は停電した暗闇の中で見つめ合い、ほんの一瞬、恋の予感を感じるものの、家の者の帰宅によって二人の「密室」は夢のように消えてしまう。雨や停電という不可抗力によって作られた「密室」は、その瞬間性故に、儚く消えてしまう。●「妻の心」では、突然降り出した春雨が、人妻の高峰秀子と、高峰秀子の友人の兄である三船敏郎とを、小さな小憩所の中へと閉じ込め、片時の二人の時間を作り上げることになる。こうして不可抗力によって作られた二人の密室の時間は、決して●「妻」においてみずからの意志で大阪の旅館に逃避した上原謙と丹阿弥谷津子の情事のような、どろどろした後ろめたい時間ではなく、一瞬頬を打つ風のような清清しさに包まれている。●「浮雲」においては、雨によって屋久島への船が出ず、鹿児島の旅館で足止めにされた高峰秀子は急な病に倒れ、閉じ込められた「密室」の空気が高峰秀子の身体に重くのしかかることになる。同じ「密室」でも、序盤の闇市の安ホテルや伊香保温泉等で作られた「密室」と、終盤、鹿児島の旅館で作られた「密室」とは、質が異なる。前者はみずからの意志によって作られた密室であるのに対し、後者は自然現象という不可抗力によって作られたそれである。「浮雲」の密室性は、意志から運命(不可抗力)へと、次第に流される要素を強めてゆく。高峰秀子は回復せず、そのまま森雅之と二人で屋久島へと旅立つことになる。そこでも高峰秀子は、雨という不可抗力によって密室の中へ閉じ込められることになるだろう。意志から不可抗力へ流されてゆくにつれ、映画の運動もまた、言葉ではなく、出来事の視覚的運動に託され始める。「浮雲」は意志から不可抗力へと流される運動である。
余談だが、フェリーに乗った二人を医者の大川平八郎が見送るシーンは、バックに「蛍の光」が流れていて、物語上、重要でもなんでもない大川平八郎に異常なまでに切返されるキャメラの頻度や、船室の窓から見た目のショットで大川平八郎を陰ながら見つめる高峰秀子のショットからして、大川平八郎は、見送っているのではなく、映画的には「見送られている」のではないか、この何でもないはずの見送りのシーンは、30年代の成瀬映画を支え続けた大川平八郎に対する、惜別のフィナーレ以外の何ものでもない。
●「お國と五平」(1952)
家を出た武家の妻、木暮実千代とその家来、大谷友右衛門が、人目を避けての仇討の旅を続ける時代劇「お國と五平」では、街道をゆく旅人たちの好奇の視線に何度も曝されながら、二人はある旅籠に宿泊をすることになる。だが打ち続く春の雨によって二人は旅籠という「密室」の中に閉じ込められ、春の雨が、次第に二人を禁じられたエロスの中へと誘い始める。やっと雨も止み、旅籠を出た二人を、再び雷を伴った激しい雷雨が襲い、二人は薄汚れた神社の境内へと閉じ込められ、またもやその「密室性」に翻弄されて主従の関係を踏みはずすことになるだろう。雨が止み、街道を歩く二人の脇を通り過ぎた旅人たちは、必ずといって良いほど振り向いて、武家の男と女の奇妙とも言える取り合わせに好奇の眼差しを投げかけている。敵討ちという外部へと向けられた運動と、禁断のエロスという内部へと向けられた運動が、雨や風という現象と、それによって作られた旅館という「密室性」とによって葛藤している。雨風という不可抗力によって作り上げられた密室は極上のエロスを誘い、葛藤が生まれ、エモーションへと盛り上がってゆく。彼らが少しでもみずからの意志によって情事という運動へ走り始めると、すぐに「通風性」という暴力によって情事は盗聴され、再び男と女は不可抗力の谷間へと放り投げられることになり、最後には、討ちたくもない仇を、「仇討ち」ではなく「口封じ」として討たなければならなくなるという、とんでもない不可抗力の嵐に巻き込まれることになる。いきり立って仇の山村聡に「いざ、いざいざ~、!」と調子よく刀を構えていた大谷友右衛門が、木暮実千代との情事を山村聡に「盗聴」されていたことを指摘されると、「お、、奥方様、、、」と、急にしぼんだフーセン玉のような顔になって木暮実千代に縋りつく、この「お、、奥方様、、、」という、これしかない一言を引き出した八住利雄の見事な脚本に敬服する。わたしが大谷友右衛門なら、泣くか、笑うかどちらかだろう。原作は谷崎潤一郎。
■②暗さ
●「春のめざめ」で引き起こされたように、雷雨という自然現象が停電を誘発し、暗さによる一瞬の「密室性」を作り出すこともある。●「山の音」では、暴風雨による停電によって作り出されたローソクによる暗闇の空間が、まず山村聡と長岡輝子の夫婦の「密談」を起動させ、その中で長岡輝子は、「あなたは私よりも私の姉と結婚するつもりだったのでしょう」と、明らかに通常の話題とは質的に異なる話題の数々を山村聡に切り出し始める。さらにこの停電のシーンでは、原節子がローソクを持って廊下の天井を見上げているシーンと、別の空間でローソクを持って廊下を見上げている山村聡のショットとが、まるで二人が接近した空間にいるかのようにモンタージュされていて、この映画にはそういうシーンが幾つもあって悩ましいのだが、ここでは「暗さ」という現象が、形容しがたい「不可抗力による密室性」のエロスとして艶かしく露呈しているのである。●「コタンの口笛」(1959)では、暴風雨で停電となり、ローソクによって照らされた薄暗い部屋の空間に、隣家の三好栄子が危篤との知らせが入ってくる。差別によって打ちひしがれたアイヌの女との最後の一瞬は、ローソクによって照らされた薄暗い、内輪だけの「密室」空間の中で行われることになる。このような、不可抗力による暗さによって作られる「密室性」は、時として「二間続きの部屋」という、装置と照明の関係によって作られることもある。●「妻」において、大阪の旅館で丹阿弥谷津子と一夜を共にした上原謙は、東京の自宅に帰宅後、奥の間で高峰三枝子に問い詰められる。奥の間の照明は落とされ、二間続きのお茶の間から斜めに差し込んでくる僅かな光線の中に二人はポツンと浮かぶように隔離される。この瞬間、それまでは下宿の「通風性」によって解放されていた空間が暗さによって「密室性」へと見事に転化される。空間の空気が暗さによって一気に変化する。その密室を得て、上原謙は、妻の高峰三枝子に、恐ろしい告白をすることになる。●「妻として女として」においては、同じように二間続きの部屋から差し込んでくる斜めの光線のみによる暗闇の「密室性」が、高峰秀子の母である飯田蝶子をして、恐ろしい提案を吐露させることになる。森雅之の妾である高峰秀子の産んだ子供を、本妻の淡島千影に預けろと命令した飯田蝶子が、今や掌を返したように「子供を取り返すのさ」と高峰秀子に詰め寄るのである。このおどろおどろしい、やや俗っぽいまでにおどろおどろしい密談を、二間続きの部屋を利用した光線の密室性によって成瀬は撮っている。こうした暗さによる「密室性」は、じめついた屋久島の人気のない暗い小屋の一室で、森雅之がランプで高峰秀子の顔を照らした●「浮雲」のラストシーンによって、ひとつの頂点に達するだろう。ちなみに●「三十三間堂通し屋物語」の旅館では、隣の客室と隔てている襖が倒れることで二間続きの空間が後発的に作られ、その倒れた襖の風によって長谷川一夫の部屋の行燈の火が消えて暗くなり、隣の部屋から斜めに差し込んでくる光線の中に暗闇の中の長谷川一夫がポツンと浮き立つ、というような、まさに「長谷川一夫専用」とも言うべき空間と光線との粋な饗宴がなされている。
★「女の中にいる他人」(1966)と密室性の勝利
エドワード・アタイヤの推理小説を映画化した、成瀬にとっては初めてのミステリー映画である「女の中にいる他人」は、「犯人はアタイヤ」と自首をしたがる小林桂樹の外部へと向おうとする運動と、自首を思い留まらせ、家を守ろうとする妻、新珠三千代の内部へと押し留める運動との葛藤を描いた作品である。この作品は、成瀬映画の「通風性」を真っ向から否定し「密室性」を勝利させたという点で●「浮雲」とともに極めて例外的な作品である。じめじめとした梅雨の季節から始まるこの作品は、降り続く梅雨の雨に打たれ続ける人々が、内部へと避難の運動を強要されることで映画は「不可抗力の密室性」を露呈し始める。小林桂樹の鎌倉の自宅は、昼間こそ生け花教室として開放され、近所の主婦が、玄関のドアを勝手に開けて入って来るような「通風性」を露呈させる場面もあるものの、その洋風的な建築は、夜の玄関を鍵によって固く閉ざされ、来訪者たちはブザーを鳴らし、妻である新珠三千代によって鍵を開けてもらうことによって初めて入ることのできるという、装置としての「密室性」を醸し出している。晴れた日は、庭へ面した居間のガラス戸は大きく開け放たれ、そこから遊園地帰りの小林、新玉夫婦が庭から直接家の中へ入ってくるような「通風性」を露呈させることはあるものの、それはあくまでも住居者自身による侵入行為に過ぎず、成瀬映画を起動させる招かれざる客の来訪とは一味違っている。被害者の夫である三橋達也の自宅には、刑事が来訪し三橋達也のアリバイを確認したりするのたが、小林桂樹の家に招かれざる客であるところの刑事はやって来ず、たまに三橋達也が玄関のブザーを鳴らして来訪し、小林桂樹をして罪の意識を増幅させる契機となることはあるとしても、映画はひたすら密室劇としての、内部へと向う運動によって続けられてゆく。
罪の意識に耐えかねた小林桂樹は、自宅が雷という不可抗力によって停電し、暗闇に支配された「密室性」の中で、ローソクの小さな灯りに心理を照らされながら、妻である新珠三千代に第一の告白をすることになる。それでもまた罪の意識に翻弄されて、ノイローゼになってしまった小林桂樹は、自分の意志で家を出ることによってじめじめとした「密室性」から逃れようとする。だが小林桂樹がたどり着いた先は、成瀬的逃避行の空間である旅館という「密室性」の空間にほかならない。そこで小林桂樹は自殺を考えもするが、温泉客の吊り橋からの無残な自殺死体を成瀬映画にしては極めて珍しい強烈なズームアップの見た目のショットで目撃してしまって死に切れず、孤独に耐えかねた小林桂樹は妻の新珠三千代を旅館へと呼ぶことになる。二人は束の間、晴れた日の山間の渓流の河原を散歩するものの、その明るさに耐えかねたかのようにトンネルという、暗闇の「密室」の空間へと逃避してゆく。そこで第二の告白がなされる。その晩二人は、暗闇に支配された旅館の寝室で密談をし、ひとまずの解決を得ることになるのだが、結局小林桂樹は耐え切れず、三橋達也の家の「密室」の中で第三の告白をすることになるだろう。密室性に支配されながらも、何度も告白を積み重ね、外部へと運動したがる小林桂樹を、妻である新珠三千代は内部へと引き戻して映画は終わる。鎌倉の海岸で遊んでいる子供たちを見守りながら「私は黙って生きてゆくわ、、」と呟く新珠三千代の独白は、この作品の「密室性」を見事に露呈させている。
■(3)東京と通風性
①成瀬映画の「通風性」とそれを拒絶する「密室性」についてここまで見てきたが、例えば下宿すること、それはとりもなおさず「東京で暮らすこと」にほかならない。下宿という現象の多くは●「秀子の車掌さん」の高峰秀子、●「鰯雲」の小林桂樹と司葉子の夫婦、そして●「乱れ雲」の加山雄三などを除いてすべてが東京という大都会に集中している。田舎から東京へ出て来た●「朝の並木道」の千葉早智子は、住み込みという形で清川玉枝のカフェの二階に下宿をしているし●「秋立ちぬ」では、信州で夫に先立たれ東京の叔父を頼って出て来た乙羽信子が、息子の大沢健三郎を叔父の八百屋の三階に下宿させることになる。●「夫婦」はまさに戦後の東京の住宅難が倦怠期の夫婦を困らせる映画であった。「夫婦もの三部作」と言われる中で、唯一下宿が不在なのは、大阪が舞台となっている●「めし」だけである、というのもまた、何かしらの関係性を感じずにはいられない。その「めし」にしても、東京から家出をしてきた島崎雪子が映画を起動させ、連動するように今度は原節子が東京の下町の実家へ家出をしてしまう、というように、東京をひとつの軌道装置として映画が撮られている。東京という場所が、成瀬巳喜男の映画を規定している。
②「近隣都市もの」とでも言うべき作品の中で、多摩川べりを舞台にした●「あにいもうと」は、東京から河をたった一本挟んだに過ぎない田舎町と、東京との心理的な距離感を際立たせながら、東京から帰って来た京マチ子が、映画を起動させてゆくという点では「めし」と同様であり、鎌倉が自宅の●「女の中にいる他人」もまた、事件は赤坂で発生し、人々は鎌倉と東京都を行き来することになる。●「舞姫」は、鎌倉の自宅と東京の大学や舞踏教室を行ったり来たりしているし、●「山の音」もまた、鎌倉の自宅と東京のオフィスとの往復運動によって映画が動いてゆく。東京へと夫と義父が出勤し、東京から帰って来る、その反復運動の中に、それを見送る妻、ひとりの妻、迎える妻の運動が重なって、不在と存在の運動が葛藤となってゆく。厚木の農家を舞台にした●「鰯雲」では、淡島千影と情事を重ねた木村功の東京への転勤が、淡島千影の自立を起動させている。
③地方の小都市を舞台にした作品も東京と関連することが多い。プロデューサーの金子正宜の実家がある群馬県、桐生市をイメージして撮られたとされる●「妻の心」では、東京の会社を首になった長男、千秋実と中北千枝子夫婦が実家に帰って来たことが次男夫婦を混乱に陥れ、映画を起動させているし、静岡県清水市の酒屋を舞台にした●「乱れる」は、加山雄三が東京の会社をやめて実家に帰って来たことが、映画を決定的なものとしている。青森の津軽を舞台とした遺作●「乱れ雲」もまた、東京にいられなくなった者たちが逃避先として津軽に逃げてくる映画である。中には●「まごゝろ」(1939)や、京都の亀岡近辺を舞台とした●「なつかしの顔」(1941)、そして東北の城下町を舞台とした●「石中先生行状記」などのように、東京を感じさせない作品もあり、さらには仏印という外国を回想の舞台とする●「浮雲」という珍しい作品もある。だが概して成瀬映画の舞台は東京という狭苦しい大都会であり、その狭い空間に成瀬は「通風性」という風を通す事で、映画を起動させてゆくのだ。
④だが60年代になると、高度経済成長の波に押され、東京にも昔ながらの日本建築ではなく密閉されたドアによる厚い材質によって作られた洋風の建築物が多くなり始める。さらに住宅難という現象が消え始めると、下宿という「通風性」も成瀬映画の中から姿を消し始めるだろう。そうすることで、「通風性」を基礎とする成瀬映画は新たな「通風性」を模索することになる。それは下宿に限ったことではなく、商売モノであるところの小売店もまた同じである。60年代になると商店街は大手スーパーに押され始め、昔ながらの小売業は、そのままでは成瀬映画を飾ることは少なくなる。●東京を舞台にした「秋立ちぬ」においては、八百屋の藤原釜足の息子の夏木陽介は、将来八百屋を壊してスーパーでも建てるつもりだといきまいているし、●静岡の清水を舞台にした「乱れる」においても、嫁の高峰秀子が切り盛りする酒屋は、新装開店したスーパーに押されてしまい、加山雄三の麻雀仲間である商店街の食料品店の主人である柳谷寛は、加山雄三らと麻雀をしたその夜、突如自殺をしてしまう。酒屋はスーパーに建て直す事になり、夫を亡くしている嫁の高峰秀子は居場所を失い、弾き出されることになる。こうして成瀬映画の「通風性」は、それまでのように、東京に当然のようにあるものとしてストレートに映画に反映されることは少なくなり、時として「乱れる」や「乱れ雲」のように、「通風性」を求めて映画は舞台を地方都市へと求めてみたり、●「放浪記」や●「女の歴史」のような、自伝もの、時代物の中に「通風性」を求めざるを得なくなる。さらには●「女の中にいる他人」や●「ひき逃げ」のように、「通風性」それ自体を放棄して、「密室性」を売り物としたサスペンス映画に活路を見出すことにもなる。ここに日本映画界の斜陽が重なり、成瀬映画の60年代は、「らしさ」なるものに拘泥する余裕はなく、一本一本が新しい主題との取り組みの連続であったというべきだろう。もう中北千枝子は子供の手を引いて敷居を跨いではくれない。家は少しずつ狭くなり、ドアは厚い材質で厳重に閉じられ始め、木造日本建築の一軒家は鉄筋コンクリートのアパートやマンションの時代へと移行し、二間続きの部屋も過去の遺物となるだろう。成瀬映画は窒息しそうな空間の中で、新たな「通風性」を求めて行かざるを得なくなる。そんな時代に現われた東京発の「通風性」が、「水商売もの」と言われる、銀座の雇われマダムの物語である。
⑤水商売もの
●「女が階段を上る時」(1960)や●「妻として女として」(1961)の主人公、高峰秀子は、不本意ながらも銀座のバーの雇われマダムの地位に身を寄せながら、夜のネオン街を駆け巡り、バーにやって来る酔った男たちの露骨な侵入に翻弄される事を余儀なくされる。「女が階段を上る時」の高峰秀子の自宅は、鍵の付いたドアとブザーが鳴り響く豪華なアパートであり、母、賀原夏子には身分違いの不相応な住まいであるとなじられながらも、高峰秀子にとってそれは、タクシーで帰宅する一流ホステスとしてのアクセサリーとして必要なものである。「タクシーで帰るホステスは一流、電車は二流、お客と何処かにシケ込むのは三流」という高峰秀子のナレーションが入ったあとに、高峰秀子がホステスの中北千枝子に向って「終電大丈夫?」と尋ねるのはまったくもって笑えるが、亡き夫を忘れられず、義理堅く、性質からして客商売に向いていない高峰秀子は、まるでボクサーが控え室から長い通路を歩いてリングへ向ってゆく過程で少しずつ気持ちを高めてゆくように、バーへと続く長い長い階段を上りながらママの顔を作って店の中へと入ってゆく。
「女が階段を上る時」の洋風のアパートで高峰秀子は、森雅之が一人でアパートを出て行って、未だ鍵もまだ閉めない状態のところを入って来た仲代達矢に求婚を迫られるという侵入行為を受けることもあるし、「妻として女として」においてもまた、高峰秀子が母の飯田蝶子と同居する昔ながらの日本建築の自宅は、夜まで鍵は開け放たれたままであり、森雅之の洋風の邸宅においても、多くの場合、鍵は開けられたままで、最後、対決するために森雅之邸に入って来た高峰秀子もまた、いきなりドアを開けて入って来るというように、自宅における「通風性」の名残は残されている。だが、洋風の家が自宅として使われ始めた60年代成瀬映画において、自宅における「通風性」は、50年代の開け放たれた縁側から突如入ってくる人々のような視覚的な驚きを呈するまでには至っておらず、ノックやブザーによって聴覚的に示される侵入も、トーキー以降の成瀬映画の想像力を広げた格子戸の「ガラガラ」に比べた時、断って入って来るという点で、大きく「通風性」を損ねている。だからこそ、ドアという壁に守られた「女が階段を上る時」の高峰秀子は、電話を使って中村雁治郎の誘いをやんわりと断ることができるのであり、或いは代わりにホステスの団玲子を電話に出して、客の誘いを断らせるという芸当が可能に成って来るのだが、それは洋風のドアという鍵のついた仕切の「密室性」ゆえにこそ成せる業であり、50年代の成瀬映画には決して見ることのできない光景といえる。こうした60年代の密室性を逆手に取ったのが「女の中にいる他人」(1966)や、「ひき逃げ」(1966)というサスペンスものであるだろう。
そうした60年代における自宅の「密室性」を、バーの店舗における強烈な「通風性」は補う効果を果たしている。次から次へと入ってくる客たちに、水商売をするには余りにも真面目な内的な女たちは翻弄され、裏切られ、時として「女が階段を上る時」の高峰秀子のように、胃潰瘍で血を吐いて倒れることにもなり、また「妻として女として」の高峰秀子のように、本妻の淡島千影からスパイ(水野久美)を送り込まれて監視されることもある。だが内的な彼女たちがそうした不可抗力に翻弄されることで、映画は葛藤を得て、円滑に動き始めることになる。
「水商売もの」というジャンルは、戦前、戦後の成瀬映画においては「芸者もの」や「女給もの」として、東京のカフェのバーや料亭の座敷に呼ばれて働く女たちを主人公によって数多く撮られているが、そうした東京発成瀬映画の「通風性」の記憶が、「雇われマダム」という、新しいタイプの東京の「通風性」を反復させたのかもしれない。そうでなければ映画は東京を離れ、十和田湖の旅館を利用した●「乱れ雲」(1967)や、清水の酒屋を舞台にした●「乱れる」(1964)のように、地方を舞台にした「通風性」を求めてゆくしかない。●「乱れ雲」は、若い未亡人、司葉子が、十和田湖の温泉旅館で女中として働く、という設定が、内へとこもりがちな未亡人という存在を、嫌が上でも温泉客という外部の視線に晒させる事で葛藤が生まれ、エロスが生まれている。加山雄三と司葉子は東京の人間であり、「乱れる」の加山雄三は東京の会社を退職し、というように、成瀬映画は東京との接点を失うことを頑なに拒絶しているかのような素振りを反復しているものの、逆に東京を舞台にして、大家族が「通風性」を利用して一堂に集うといった●「娘・妻・母」(1960)●「女の座」(1962)の方こそが、やや軽いまでもの「通風性」が、却って俗となって跳ね返って来ている。もはや東京発の「通風性」の映画は撮ることができない。そんな時代に、成瀬巳喜男の東京映画は、1967年、津軽を舞台にした東京人のラブストーリー「乱れ雲」に幕を閉じたのである。
⑥小津安二郎と東京
それにしては、小津安二郎には「東京」と名のつく題名の映画が「東京の合唱」「東京の女」「東京の宿」「東京物語」「東京暮色」と全部で五本あるのに対して、成瀬には「菓子のある東京風景」(1932)という、明治製菓委託の宣伝映画で、公開もされていない映画が一本あるに過ぎないのはどういうことなのだろう。メロドラマの巨匠ダグラス・サークが言うように「タイトルは、映画のテーマを告知するもの」であり「一種のプロローグであるべき」(「サーク・オン・サーク」229)とするならば、成瀬にとって東京とは、「テーマ」ではなかったことになる。もちろん、題名というものは原作との関係等、創り手の意向とは直結するものではなく、特に成瀬映画の場合、「女」や「妻」という、女性を表すタイトルが全部で22本★(注⑤)もあることからして、タイトルにおいては東京よりも女が優先されたのかもしれない
■第四章
(1)通風性から外部へ
①成瀬映画における「密室」とは、子供が規則を破ってワクワクしているような儚い遊戯であり、禁じられた遊びに過ぎなかった。禁じられているからこそ、エロスを生み、エモーションを生む。だが結局彼らは「通風性」性に押し戻され、世の中へと放り込まれることになる。成瀬巳喜男の映画とは「外へ出ること」の運動なのだ。
成瀬映画の「通風性」は、内的な人物の回りにどんどん人を送り込み、無理難題で彼らを悩ませて止まない。やってくる人物といえば、小津安二郎の●「長屋紳士録(1947)の迷子ような、大人たちに何かをもたらしてくれるような子供でもなければ、●「東京物語」の笠知衆と東山千栄子の夫婦のように、居ること自体を遠慮がちに慮ってくれるような静かな肉親でもない。「あらやだ、、、またあのひと、、」といった、そんな外形と雰囲気を携えた人たちばかりが突然敷居を跨いでは、内的な人々を翻弄しにやってくるのだ。それによって内的な人々は時に居場所を失い、弾き出されるようにして家を出ることを余儀なくされる。だがそれを契機に人々は、意識的にか無意識的にか、少しずつ自立の道を歩んでゆく、そうしたものを起動させるすべてのものが、大きな意味においての「通風性」にほかならない。成瀬映画は決して内的な人々をほうっておかず、外へ外へと誘って止まない運動である。成瀬巳喜男の多くの内的な人物たちが、●「乙女ごヽろ三人姉妹」の梅園龍子や●「朝の並木道」の千葉早智子、●「稲妻」の高峰秀子のように、二階の物干しや出窓の敷居に腰掛けて外を見ている光景は、或いは●「お國と五平」の木暮実千代のように、旅館の窓辺に立ってじっと外を見ているその姿は、内的な成瀬映画の人物たちの、外への運動への憧れを潜在的に露呈させている。彼らは、そして彼女たちは、内的でありながら、そして外へ出てしまえば必ずや試練が彼らを待ち受けていることを本能的に察知しながら、それでも成瀬映画の人々は、内的であるがその故にこそ、外へ外へと逆説的に憧れてゆくのだ。
■②瞳で外部に影響されること
成瀬映画の人々は、内的であるものの、否、内的であるが故にまた外部の出来事に敏感に反応し、欲望したり戒めとしたりする人たちである。時として彼らは、●「禍福・前編」の入江たか子のように、男に逃げられ、父なし子を宿して棄てられた娘が、乳母車を押しながら路地を行く見知らぬ母親をそっと振り向いて盗み見したり、或いは●「山の音」の山村聡と原節子のように、新宿御苑を歩いている若いカップルや子供づれの夫婦たちを盗み見したりして、みずからの欲望をそっと視線に露呈させたりする。さらには●「君と別れて」の水久保澄子や、●「お國と五平」の木暮実千代のように、道行く花嫁をそっと振り向いて盗み見することで、みずからの欲望を視線に宿らせることがある。戦後二作目で、ワンマン社長にこき使われるしがないサラリーマンコンビの奮闘を描いた●「俺もお前も」においては、社長の私用で伊豆の旅館へ行かされたエンタツ・アチャコのサラリーマンコンビが、旅館の二階から、新婚旅行のカップルの初々しい姿を盗み見することで、若き新婚時代を想起することになるだろうし、●「女の中にいる他人」でもまた、のっぴきならない状況に陥った新珠三千代と小林桂樹の夫婦が、温泉宿を出て行く新婚旅行の若いカップルを羨望の眼差しで盗み見することになる。逆に●「めし」において、子供を連れて路上で新聞売りをしている中北千枝子を盗み見した原節子や、●「あらくれ」で、公園の中を歩いてゆく浮浪者たちを盗み見した高峰秀子は、「こうなってはならない」という戒めを、瞳に露呈させている。それは●「女優と詩人」や●「驟雨」という郊外の夫婦ものにおいて、必ずや隣家にもう一組の夫婦を配置して、彼等と主人公たちと対比させることで、事件を起動させてゆく成瀬映画の人物配置にも反映されている。そもそも●「驟雨」の夫婦喧嘩は、新婚旅行の帰りに突然やって来て、夫の悪口を言うだけ言って帰って行った香川京子の話を聞いた原節子が、よそ様の夫婦と自分たち夫婦とを対比する事で、にわかに雲行きが怪しくなり、そこへまさに驟雨に見舞われ始まったのであって、成瀬映画の内的な人々は世間様を欲望し、時として反面教師として戒めながら、影響され、流され、対比しながら生きてゆくのである。「驟雨」の第一番目のショットが、名も知れぬ親子三人連れの中睦まじい後ろ姿であることは、偶然ではないだろう。
■③成瀬の言葉
成瀬は「女が階段を上る時」の製作にあたってこう語っている。『やむなく独立しなければならなくなった一人の平凡な女の、生きる道のけわしさ、さびしさ、あわれさを、じつと見つめた姿勢で描いてゆきたい。』、、、、『やむなく独立』であるとか、『けわしさ』とか、、まさにそんなところが、成瀬映画の典型なのである。
■(2)家を出ること
成瀬巳喜男の映画とは、「通風性」によって弾き出された内的な人々が「家を出ること」の映画である。成瀬巳喜男の内的な人物たちは、好むと好まざるとにかかわらず、「外部」という環境の中へと弾き出され、不得意な対人関係の中へと放り込まれることになる。
■①乗り込むこと
そうした「外部」へ向っての運動は「稲妻」で、子供の養育費を要求する中北千枝子のアパートへ乗り込むことを余儀なくされた三浦光子と高峰秀子の内的な姉妹の運動に端的に見出されるだろう。姉妹の外部への運動を導いたものこそ、三浦光子の洋品店の敷居をいきなり跨いで入って来た中北千枝子の「通風性」にほかならない。●「生さぬ仲」の筑波雪子は、ブルジョア家庭に嫁いで来たものの、夫は会社の金を使い込んだために牢獄へ入れられ頼る者はおらず、孤立無援の状況下、姑にはいびられ、家は抵当に入れられて執行官に土足で侵され、川沿いの小さな家に引越しを余儀なくされる。さらに筑波雪子は、娘を生みの親である岡田嘉子に白昼堂々さらわれてしまう(通風性)。筑波雪子は自活のためデパートガールという「通風性」の空間に身を晒すことを余儀なくされるが、そこで連れ去られた娘を目撃して追いかける。こうしたあらゆる「通風性」が、内的な筑波雪子をして、単身、娘を取り返すために、岡田嘉子の邸宅に乗り込む運動を導くことになる。同じようにして、●「妻よ薔薇のやうに」の千葉早智子は、父親を取り戻すために信州の英百合子の家へと乗り込むことになるだろうし●「妻」の高峰三枝子は、外へ出ることが得意ではない内的な妻でありながらも、着慣れない余所行きの着物に身を包み、おまわりさんに道を尋ねながら、夫の愛人である丹阿弥谷津子の高円寺の仮宅へと乗り込むことになる。同じく●「あらくれ」の高峰秀子は、夫の愛人である三浦光子の自宅へと乗り込むことで、前代未聞の大乱闘を繰り広げることになるだろうし、●「妻として女として」の高峰秀子は、今度は愛人の立場として、本妻の淡島千影の自宅へと乗り込むことになるだろう。●「ひき逃げ」に到っては、息子を自動車で轢き殺された高峰秀子が復讐するために、家政婦に成りすまし、加害者宅に「乗り込んで住むこと」という長期の滞在をすることで、さらなる悲劇が引き起こされることになる。あちこちで乗り込まなければならない高峰秀子も大変だが、乗り込まれたほうはもっと大変である。こうして内的な彼女たちをして「乗り込むこと」という過激な行動に至らせたものは、内的な女たちを翻弄せずにはやまない成瀬映画の「大きな意味での通風性」(外部の者たちと嫌でも関わらざるを得ないこと)にほかならない。●「禍福・後編」はさらに過激である。ここで入江たか子は、真実を知らない高田稔の妻、竹久千恵子の提案といえ、自分を棄てた男である高田稔の新婚の屋敷に、高田稔が自分に産ませた赤ん坊を連れて乗り込むのである。入江たか子をして「乗り込むこと」の直接の原因となったのは、下宿という空間のもつ「通風性」であることは前述したが、フランスから帰って来た外交官の高田稔が、廊下で赤ん坊を抱いて「お帰りなさいまし」とお辞儀した入江たか子の姿を見たときの驚きようは、入江たか子本人に言わせると「大声で笑ってやりたかった」くらいの見ものであり、こうしたことも含めてこの「禍福・後編」は、「復讐」とか「神のお導き」といった過激な言葉がポンポン出て来る作品であって、どうもそうした言葉がおとなしそうな入江たか子という女優の口から出てくることの違和感を拭いきれない作品でもあるのだが、「乗り込むこと」の中でもこの作品の「乗り込んで住むこと」という長期の出来事は、同じ「復讐すること」の映画である●「ひき逃げ」を撮る時の成瀬の脳裏に記憶としてよぎったのではないかと推測される。成瀬にとって「復讐すること」とは「乗り込んで住むこと」なのである。
■②家出をすることと「夫婦もの」
「家を出ること」が「乗り込むこと」よりもやや長期にわたること、それはまずもって「夫婦もの」と言われる三部作「めし」(1951)「夫婦」(1953)「妻」(1953)における、家出という、倦怠期を迎えた妻特有の運動となって画面に露呈し始める。
●「めし」の場合、長屋という「通風性」によって原節子は、向かいの家に住む芸者の音羽久米子の好奇の視線にさらされ、家出してきた姪の島崎雪子という外部の存在に夫婦の生活をかき回され、島崎雪子と連動するように家出をし、東京の実家へと身を寄せることになる。ところが実家では妹夫婦が家業の洋品店を継いでおり、実家にとっては、今度は原節子自体が外部の存在となってしまい、原節子は居づらくなるという、これまた連動を生じている。●「夫婦」で杉葉子は、階段ひとつによって隔てられた下宿という空間の「通風性」によって夫婦生活を翻弄され、大晦日、夫の上原謙と喧嘩をして実家へ帰ることになる。だが既に兄、小林桂樹の婚礼が決まって大忙しの大晦日の実家に杉葉子の居場所はなく、母、滝花久子の「大晦日にいいご身分だこと、、」という痛切な言葉に促されるようにして、深夜、杉葉子は夫の待つ下宿に帰ることになるだろう。●「妻」の高峰三枝子もまた例外ではない。夫の上原謙の浮気が露呈して家を出た高峰三枝子は、以前の下宿人である中北千枝子のアパートや、母と叔父の住む実家に家出することになる。ここでは「めし」の原節子、そして「夫婦」の杉葉子ともに、高峰三枝子が「実家に帰ること」が、必ずしも歓迎される行為ではないことを記憶に留めておきたい。「夫婦もの」といわれる作品は、一旦家を出て外部の人間となった内的な妻たちが、「家出すること」という運動によって再び実家という内部へと帰宅した時、実家にとって妻たちはもはや内部ではなく 外部であり、妻たちは外部の者として肩身の狭い思いをさせられることで、多くの妻たちはその居心地の悪さに耐え切れず、再び夫の待つ内部へと、帰ってゆくのである。そもそも夫婦ものの妻たちは、既に結婚をして家を出た者たちであり、一旦家を出て自立をしたはずの人間たちにとって実家という空間は、過去の慣れ親しんだ居心地の良い空間ではなく、新しい者たちによって築き上げられてゆくまったく別の空間に転化しているのである。成瀬はさりげない演出によって、こうした空気の違いというものを画面に露呈させ葛藤させてしまうのであるが、そうした現象が、「家を出ること」という自立の運動と連動していることを見逃してはならない。それは徳田秋声の自伝的映画である●「杏っ子」においても同様である。「杏っ子」で、木村功と結婚した香川京子は、酒癖が悪く、仕事も見つからず、愚痴ばかりこぼしている夫に嫌気が差し、何度も実家の門をくぐることになる。そこで香川京子は、父、山村聡に表面上は歓待されるものの、山村聡の実家においてもはや外部の人間である香川京子は、実家に居続けることもできず、結局は夫の待つ下宿へと帰ってはまた実家に帰りを繰り返すこととなる。
同じようなケースでも●「山の音」の原節子は、堕胎のショックから一旦は夫の家を出て実家に帰ったものの、しばらくしてまた帰って来る。だが近々、原節子は夫の上原謙と離婚して、永久的に家を出ることになるだろう。ちなみに「山の音」では、原節子の実家は一切描かれていない。離婚へと向けられた運動をしている「山の音」に実家は描かれず、倦怠期ではありながら、離婚にまでは至っていない「夫婦もの」の三本にはすべて実家が描かれている、というのも、運動を葛藤へと導く成瀬特有の逆転演出なのかも知れない。成瀬映画の「実家に帰ること」という運動は、「再び夫の元へと帰ること」という運動のためのマクガフィンなのである。
■③それ以外の「家を出ること」
●「歌行燈」や●「芝居道」のようないわゆる「芸道もの」においては、追放なり勘当という現象が、「一時的に家を出る」ことの反復であると言える。中には●「乙女ごヽろ三人姉妹」のように、浅草の街中で、門づけとして、一日中家を出ては、外部にさらされながら生きてゆく健気な少女たちもいる。
●「なつかしの顔」(1941)
短編映画として撮られた●「なつかしの顔」は、家と映画館との往復運動が生んだ素晴らしい作品である。戦時中のとある田園の農家に住む花井蘭子は、姑の馬野都留子と義弟の小高たかし、そして赤ん坊の3人で、中国戦線へ徴兵された夫の不在の家を守っている。ある日、友達から借りたヒコーキを飛ばしていたら木に引っかかりそれを取ろうとした小高たかしが木から落ちて足を怪我してしまう。そこへ、出征した夫が、亀岡で上映している中国戦線のニュース映画に出ているとの噂が流れ込む。まず姑の馬野都留子が見に行き、嫁の花井蘭子があとから見に行く。農道を歩いたり、荷馬車に乗せてもらったり、バスに乗ったりしながら隣町まで映画を見に行き、夜遅く、帰って来る。家を出て、そして帰って来る。一本の映画を見に行くという、ただそれだけの運動が、あらゆる葛藤に包まれて、農道に降り注ぐ春の陽光に照らされながら、嫁と義弟、姑、という関係を、少しずつ変化させてゆく。赤ん坊を背負った花井蘭子が、小屋(映画館)の前を、昼から夜までうろついているシーンがじっとロングショット中心に撮られている。帰って来た花井蘭子は、映画を見てきたと嘘をつき、なけなしの入場料で買ってきたヒコーキのおもちゃを義弟の小高たかしに差し出した。花井蘭子がヒコーキを買うシーン、或いは、買おうと決心するシーンなどの心理的部分はすべて省略されている。その嘘を、あくる日に友達から遠巻きに聞いた小高たかしは、怪我をした足を引きずりながら、畑仕事をしている花井蘭子の農道まで歩いて行って、「こんなのいらないやい、」とヒコーキを田んぼに投げ棄てる。そして泣くのだが、その「こんなのいらないやい、」と棄てる運動が、静まった運動でなされていて、その後に泣くという現象が、それまでの人々の葛藤を一気に弾けさせる運動となっている。この瞬間、それまでの血のつながりの不在という余所余所しい姻戚関係に、新しい関係が付け加わってゆく。戦時中の戦意高揚映画の体裁で撮られていながら、見事な家族の物語となっている。カメラを故意に揺らすショットが「リアリズム」として撮られてもいる作品でもある。そうしたカメラワークについては、今回の論文ではこれ以上言及しない。足を怪我した者たちが歩く、走る、という葛藤の運動は、●「まごゝろ」の悦ちゃん●「コタンの口笛」の久保賢、●「秋立ちぬ」の大沢健三郎らによって反復されている。
■④放浪すること
一定の場所には定住せず、次から次へと場所を移動する「放浪すること」の映画が成瀬映画には多く存在する。
■Ⅰ芸道型
男の太夫(長谷川一夫)と女の三味線(山田五十鈴)という組み合わせで人気を馳せる新内語りの芸道を撮った●「鶴八鶴次郎」の長谷川一夫は、結婚の約束までした相方の山田五十鈴と意に反した喧嘩別れをしてしまい、失意から地方へドサ回りの旅に出て落ちぶれてゆく。木賃宿や、場末のこじんまりとした小屋、殺風景な楽屋において、放浪する長谷川一夫に突き刺さってくるような風通しは、成瀬映画において、中古智と共に成瀬映画の「通風性」を支えた美術家、久保一雄による、まさに「木と竹と紙」の日本建築の醸し出す、すきま風にほかならない。地方の芝居小屋で、舞台の長谷川一夫を捉えた後、切返されて映し出される土間と二階からなる閑散とした観客席では、夏の暑さを打ち払おうと、真っ白なうちわが、ここかしこでパタパタとはたかれていて、その、閑散としたすき間の空間を、白いものがパタパタする感覚が、余計に閑散とした落ちぶれを際立たせ、たとえ人気芸人であれ、「家を出ること」の体験は過酷なものであることをまざまざと見せ付けている。●「歌行燈」の花柳章太郎は、芸に関する素行が理由で、養父であり師匠でもある当主、大矢市次郎に勘当されてしまい、門づけとして大阪、博多とあちこちを放浪して食いつなぎ、その傍ら、仇と思われても仕方の無い芸者の山田五十鈴に素性を隠し、霧立ちこめる光と影の帯に包まれた森の中で舞の手ほどきをしてその自立を助けつつ、最後は名古屋に巡業に来ていた大矢市次郎と和解し、家へ戻ることになる。
こうした「芸道もの」における放浪は、主として喧嘩や不祥事といった意志的な出来事を原因として引き起こされており、次に見る「放浪型」のような、理由なき放浪とはやや、異なっている。
■Ⅱ放浪型とショットの力
「放浪すること」の典型は、「浮雲」の高峰秀子と森雅之、「あらくれ」や「放浪記」「女の歴史」の高峰秀子のように、主人公が家を次々と世間を渡り歩きながら、ひたすら外部に流され放浪するところの「理由なき放浪」作品である。ここで放浪する人たちは、みずからの特定の行為や意志が原因というよりも、戦争や貧困、といった時代そのものに流されるか、或いはみずからの性向という、自分ではコントロールしがたい不可抗力(放浪癖)によって流されて行く。●「サーカス五人組」(1935)や●「旅役者」のように、芸人たちが地方から地方へと巡ってゆくドサ回りものこそ、程度の違いこそあれ、「放浪すること」そのものの中に人生を見出し生きている人々の作品にほかならない。放浪作品の中には時代劇の●「お國と五平」の木暮実千代と大谷友右衛門ように、夫の敵討ちをするために当てのない旅を続ける者たちもある。だがこの旅もまた、木暮実千代の意志とは無関係な、「夫が辻斬りで殺される」、という、不意の出来事が引き起こした放浪であり、決して木暮実千代の自由意志によって招いた放浪ではない。こうして不可抗力によって流されてゆく人々を成瀬が撮り始めたとき、成瀬映画はとてつもない力(エロス)を発揮することになる。成瀬巳喜男は、理由の部分を過剰に撮らないし求めない。だからこそ運動が生々しく画面の上に露呈し始め、成瀬映画はショットの力を獲得する。
■Ⅲ通風性と不可抗力
成瀬映画の「通風性」とは、回りまわって成瀬映画の出来事から理由を除去し、ショットの力を導くためのマクガフィンとして機能している。成瀬映画における「通風性」こそ、成瀬映画の人々を理由なく翻弄し、画面から理由という心理的なものを排除する事で、画面の力を増加させるところの、極めて使い勝手のよい方便なのだ。人物の性格、装置、装置と装置との関係、季節、照明、視線、、そういったものが複雑に絡み合って成瀬映画の「通風性」を作り上げ、成瀬映画の人々をして「理由なき運動」へと駆り立ててゆくのである。
■(3)永続的に家を出ること
①これまで検討した事例は、そもそも家というものの存在しない放浪型を除き、「家に帰ること」を前提とした「家を出ること」の運動であった。だが多くの成瀬映画の「家を出る」という出来事は「家族のもとへ二度と帰らないこと」を前提としての「家を出ること」として現われている。
●「稲妻」で、映画開始当初、洋品店を営む姉、三浦光子と同居している高峰秀子は、バスガイドをして働いてはいるものの、未だ自立からは程遠い中途半端な状態にあり、姉の三浦光子ともども、すぐに母、浦辺粂子の住む実家へと舞い戻ってしまう。だがそこでも高峰秀子は、暑苦しく辛気臭い肉親たちや小沢栄たちの侵入を繰り返し受け、たまらず家を飛び出し、世田谷の下宿という外部へと身を晒すことによって自立を模索することになる。暑苦しい家族たちと対比された、真っ白な服を着た下宿人の杉丘毬子や、世田谷の隣人、香川京子のブラウスのその「白」が、高峰秀子をして自立の運動へと誘いかけてくる。ここで「自立すること」とは、それまでは実家の内部であった人間が、外部の人間へと転化する独立運動にほかならない。戦争末期に撮られた●「愉しき哉人生」 の家族たちは、馬車の荷台に揺られながら日傘を差して、どこからともなくやって来ては、町は突風に包まれ、また、どこへとなく去って行く。これでダンブルウィードでも転がっていれば西部劇と見間違うようなこの「愉しき哉人生」は、冒頭から「撃ちてし止まむ」という勇ましいタイトルの入る戦意高揚映画として撮られている作品でもあるが、この映画の場合、家族全員が「意志的に家を出る」ことで晴れやかに終わっている。だがこのように「家族全員で家を捨てて出て行く」という現象は、意志的な運動として成されるばかりではない。アイヌ人差別を描き、橋本忍が「鰯雲」に続いて脚本を担当した●「コタンの口笛」では、不可抗力の運動として現われている。この作品は、前作同様120分を超える長尺であり、アイヌ人差別という社会性がより前面に押し出される事でややセリフの中身が重視され、シネマスコープ画面の中央に集中する人物たちのやや弛緩した会話や、一間から成る部落の建築物の空間が、成瀬映画の運動を飛躍させる二間続きの部屋や、窓の外からカメラを大きく引くカッティング・イン・アクションを窮屈にさせ、「通風性」よりも「密室性」がやや勝っているような作品となっている。事実この映画には、窓の外から大きく引くというカッティング・イン・アクションは一つも存在しない。そうした点からしてこの作品は、装置としての「通風性」の弱さという意味において●「浮雲」に近いかもしれない。だが街の者たちの冷たい目に晒されながら、父、森雅之を亡くしたアイヌの姉弟である幸田良子と山内賢が、強欲な叔父(山茶花究)に家を売られてしまい、住み慣れた想い出の「家を出ること」の運動は、不可抗力という原因と、それに流されつつも、足を引きずりながらあくまでも歩いてゆく山内賢と幸田良子の姉弟の意志としての運動とが、葛藤となり、自立へと向けられた強いエモーションを引き起こしている。東宝の第二次争議によってスターたちが大量に脱退して新東宝として分裂後、東宝に残った者たちによって撮られたオムニバス映画の一遍である●「別れも愉し(四つの恋の物語第二話)(1947)は、木暮実千代のアパートと、路地向かいの「バー銀河」の二箇所によって進められる密室劇であり、確かに来訪者である沼崎勲は、「ドアをノックしないで入ってくる」という習慣があるように「通風性」を感じさせたり、また、部屋の電気を消してから二人で踊ったりという、光線による「密室性」を感じさせたりする場面はあるものの、成瀬がどの程度脚本に関わったかは疑問であり、全体としては成瀬らしからぬ作品と言えなくも無い。だがそんな作品でありながら「このドアを開けて、あの階段を下って、前の往来を横切って、銀河のドアを開けて、『加世』って呼べばいいんじゃないの」という木暮実千代の「家を出ること」の誘惑でもって映画は皮肉めいた冷笑で締めくくられている。結局成瀬映画は、どう撮っても「成瀬らしく」なってしまうのである。
●「朝の並木道」(1936)
田舎から東京へ出て来たものの就職難で仕事が見つからず、仕方なく親友の勤めるカフェで女給となって身を立ててゆく22歳の娘の秋を描いた「朝の並木道」は、映画そのものが、田舎の農道で両親に見送られなから東京行きのバスに乗り「家を出る」千葉早智子の姿から開始されている。元来が女給の仕事など向かない内気な娘である千葉早智子は、東京の風に呑まれながらも、決して田舎へ帰ることはなく、また、カフェの客の援護に頼ることもなく、東京で自立して生きてゆく事を決心する。多くの作品において「家を出ること」は、自立という現象と通底している。
この作品は、千葉早智子が女給として不可抗力に翻弄される側面を多く有しながら、同時に家を出る部分、そして自立を決意する部分において、千葉早智子の意志的な要素が多分に混じっている。成瀬映画の初期の映画には、このような意志的な運動が数多く見られていて、そうした傾向は、30年代に撮られた「結婚すること」の映画にも多く見られている。
■②結婚すること
永続的に家を出ることの典型が、「結婚すること」である。結婚すること、という制度的現象は、家というゆりかごによって守られてきた内的な娘たちが家を出て嫁に行くことで、異質な世界の「通風性」に翻弄され、いやが上でも自立へと向わざるを得なくなる、そんな感じの作品が多く撮られている。「結婚すること」を主題的に扱った作品には「限りなき舗道」(1934)「女人哀愁」(1937)、「禍福・前編」(1937)「薔薇合戦」(1950)「杏っ子」(1958)などがあり、その多くは「めし」(1951)以前に集中している。
●「杏っ子」(1958)
室生犀星の自伝的原作を基に撮られた「杏っ子」においては、まずもって内的な娘である香川京子が「家」との関係において詳しく撮られている。父親に守られながら育った箱入り娘である香川京子は、実家へやって来る見合い相手の好奇の視線に幾度となく晒されなるものの、結局は、顔見知りの男である木村功のもとへ嫁いで家を出ることになる。そうして香川京子は、本郷の小さな家に新居を構えることになるのだが、そこでは夫の友人である酔っ払いの小林桂樹や、闇商品を仕入れてくる賀原夏子などの外部による無防備な侵入を幾度も甘受しながら生きてゆくことになる。箱入り娘が、体験したことも無い人間関係に翻弄されてゆく。お嬢さん育ちの香川京子は、毛糸編み機をガーガー言わせて小説家志望の夫の神経を無神経に逆撫でしたりする(この作品は、一方的に夫の木村功を「悪」として描いているように見せながら、実は香川京子も結構無神経なことを言って夫を傷付けているのであって、成瀬は決して善悪を明確には決定していない)。夫の生計のためにあちらこちらを奔走させられる香川京子は、最後は下宿生活を余儀なくされ、他の家族からは階段一つしか隔てられていない露骨な「通風性」によって、家主の千秋実に夫婦生活を盗聴される。何度も家を出て実家へ帰ることを繰り返す香川京子であったが、歓待してくれる父、山村聡の実家においてもはや外部の人間である香川京子は、実家に居続けることもできず、結局は夫の待つ下宿へと帰ってはまた実家に帰りを繰り返すこととなる。
こういう感じが、成瀬映画における「結婚すること」を描いた典型である。まず家があり、家に守られている内的な娘が丹念に描かれている。娘たちは、多くの場合、流されるようにして結婚へと進むのであり、みずからの意志によって「この人でなければ絶対にイヤです」というような、熱烈な恋愛でもって結婚することは決してない。「杏っ子」の香川京子は、あっけないほどあっけなく結婚が決まり、画面はいきなり新婚旅行の列車の中へと転換されるのであって、何度見ても明確な動機などと言うものは見出すことができないし、●「女人哀愁」の入江たか子にしても「私には、好きになって結婚するなんてありそうもないし、(結婚相手は)誰だって同じだわ、私ははっきりしないし古い女なの」と、結婚へと向けられた明確な意志などまったく感じられない。彼女はみずからも「軽薄そう」と感じた見合い相手の北沢彪の家に嫁入りし、ブルジョア家族たちに女中のようにこきつかわれてしまう。だがとうとう我慢ならず、最後は意志の力で決別宣言をして離縁し自立の道を模索することになる。●「限りなき舗道」の忍節子には、結城一郎という結婚の約束をした恋人がいるにも拘らず、交通事故という不可抗力が原因で誤解を受けて離別してしまい、結局忍節子は、事故を契機に知り合ったブルジョアの山内光と結婚してしまうのだが、その結婚の動機というものが、弟の磯野秋雄の金銭的問題を心配する姉としての心情からなのか、ほんとうに山内光を愛していたのか、はっきり描かれていない。忍節子は、嫁に行ったブルジョアの家庭で姑や小姑にいじめられ抜き、とうとう最後は意志の力によって決別の対決をし自立の道を進むことになる。●「禍福・前編」は、正確には「結婚できなかったこと」の映画ではあるものの、その構造は「結婚すること」の映画と大きく変わりはなく、「あたし、家を出るのが下手でしょ、、、」という内的な娘の家を丹念に描きながら、体を許した男、高田稔に裏切られるという不可抗力の犠牲になった入江たか子は、彼の子を密かに生むために、世間の目を避けるため、そして家の名誉を守るため、家を出ることを余儀なくされ、下宿という、階段ひとつで外部と通じる過酷な環境の中で自立を模索することになる。同時に入江たか子はみずからの意志の力によって、復讐という行為を決意するのである。●久々に松竹で撮られた●「薔薇合戦」は、やや成瀬的なるものからすると異質の部類に入る作品であるものの、初めにまず、義兄の横領によって窮地に立たされた家が描かれ、内的な娘である若山セツ子が、ここでもみずからの意志というよりは、姉の言いなりになりなって家を出ることによって結婚生活に翻弄され、最後は夫に殺されかけて帰って来ながらも、今度は自分の意志でもう一度夫との関係をしっかりと清算するために、北海道へと旅立ってゆき自立するまでを描いている。
こうした「結婚すること」の作品を見てくると、そもそも「結婚すること」という出来事それ自体が、娘たちの意志によって為されていない。殆どの作品において結婚は、不可抗力のようなものとして描かれている。ここで娘たちに起こった「結婚すること」という出来事は、内的な娘たちを「家を出ること」によって翻弄させるためのマクガフィンにすぎないのである。マクガフィンである以上、マクガフィンに「家を出ること」以上の理由はないのだから、娘たちに「何故結婚するのか」と尋ねることはそもそも無意味ということになる。だからこそ成瀬映画の娘たちは、結婚の意志があやふやなのである。成瀬はそもそも結婚に意味を認めていない。意義を認めているのは「家を出ること」である。
③それと同時に、30年代に撮られた「限りなき舗道」(1934)「女人哀愁」(1937)「禍福・前編」(1937)という作品群において「結婚すること」は、不可抗力として描かれていながら、娘たちは、最後は自分の意志で自立する、という運動を反復している。それは「朝の並木道」(1936)でも同様であった。だがそうした意志的なものが、50年代を通して少しずつ削り取られてゆき、成瀬映画が遂には不可抗力の渦の中へと放り込まれた時、「浮雲」という映画が、この世に出現することになる。
■(4)家を出た人間が帰ってくること
①今度は逆に、家を出た人間が「帰ってくること」の映画を見てみよう。成瀬巳喜男の映画において、一度家を出て自立した人間が帰ってくることをひたすら美しい情動として撮られたシーンがあっただろうか。
これまでは、成瀬巳喜男の映画の「出て行く家」を中心にして「家を出ること」についてその動機を含めて検討してきた。その中には「稲妻」の高峰秀子や「結婚もの」の娘たちのように、肉親のいる家を棄てて永続的に家を出て行く者もあれば、芸道ものの主人公たちや夫婦ものの妻たちのように、或いは多くの「乗り込む者」たちのようにして、しばらくしてまた家に帰って来る者たちもいた。中には「コタンの口笛」や「愉しき哉人生」の家族のようにして、家全体を棄て去って、家族みんなで家を出て行く者など、態様は様々であった。確かに成瀬映画の者たちは、極めて頻繁に家を出る者たちであり、内的な人間たちが、家を出ることで、成瀬映画は葛藤を始め、起動してゆくのだった。
だが家を出ることと同じくらい、成瀬映画には、家を出た者たちが、再び帰って来るという現象が極めて多く描かれている。そしてその「帰って来る」という現象の関係を見たときに、それは例えば、かつて同居をしていた友だちが帰って来るというのではなく、多くは一度肉親のいる家を出て自立した人間が、再び肉親=血のつながりが在る者のいる家=へと帰って来る現象が圧倒的に多いのである。ここで成瀬映画に「血」という要素が大きく被さってくる。
●「あにいもうと」では、東京から父母と兄の住む多摩川べりの実家へ帰って来た京マチ子は、兄、森雅之の、およそ歓待なる言葉とは対照的ないじめにも似た冷遇に耐え切れず、「弱って帰って来た私を、捨て猫のように扱って、、」と泣いてしまう。二度目に帰って来た時には、とうとう二人は映画史上に残る大乱闘をしでかすことになるのだが、どちらにしても居場所の無い京マチ子は、東京へと帰ってゆくことになるだろう。一度家を出た人間が帰って来ることに対して、成瀬映画の人物たちは、極めて冷淡な態度によって迎えているのである。●「めし」において原節子は、夫の上原謙の姪である島崎雪子という外部の突然の訪問に弾き出されるように大阪の家を飛び出し、東京の母、杉村春子の洋品店の実家へ身を寄せることになる。だが既に杉葉子と婿の小林桂樹の妹夫婦が「家」を作っている実家では、原節子は外部の人間であり、母の杉村春子にも、早く家に帰るように説教されてしまう。ある台風の晩義弟の小林桂樹に、実家に帰ることの甘えを指摘され、反論もできず、肩身の狭い思いをさせられた原節子は、結局は大阪から東京へ出張に出て来た夫と共に、汽車で大阪へ帰ることになる。原節子はピンボールのようにどちらの家の中からも弾き出されて翻弄されるマクガフィンの無限連鎖の中で、葛藤という運動を持続させてゆくことになるのである。
余談だが、原節子が、東京へ出て来た上原謙と、中古智の設計による紙のような商店街の十字路で再会するシーンの、タオル一枚持って白いシャツの袖をまくった上原謙の風呂上りの身軽な姿には、それまで二人が背負ってきた重荷のようなものが、その「白」の軽装によって一気に取り払われ、爽快な開放感に満ち溢れている。その後、二人でビールを飲むシーンは夢のようである。
同じく「夫婦もの」である「夫婦」「妻」について見て行きたい。
●「夫婦」(1953)
地方からの転勤で東京に帰って来た夫婦、上原謙と杉葉子は貸家が見つからず、先乗りの杉葉子が蒲焼屋をやっている実家へ身を寄せながらの家探しをしてはみたものの、実家では兄、小林桂樹の結婚が間近に迫り、杉葉子が臨時に使わせてもらっている二階の部屋は、新婚の寝室として使われることになる予定でせわしなく、既に家を出て自立している者が帰って来ることに対する成瀬的冷遇がまずもって描かれている。デパートから実家に帰って来た杉葉子は、店先から、兄、小林桂樹の婚礼の結納の打ち合わせに来ていた鳥羽陽之助を盗み見し、その後、食卓で次女、岡田茉莉子の結婚(家を出ること)について話している家族たちを、土間からチラッと盗み見することになる。これらの盗み見の一般的な意義についてはのちほど検討するとして、こうした盗み見は、実家へ帰って来た杉葉子をして、居場所のなさという「ほんとう(真実)」を露呈させることになるだろう。
夫婦は結局、上原謙の会社の部下で、妻を亡くしたばかりの男、三國連太郎の家の一階に下宿することになる。そこで夫婦は、二階の三國連太郎と階段一つによってしか仕切られてしかいない下宿の空間の「通風性」によって翻弄され、三國と杉葉子との関係に嫉妬する上原謙に嫌気が差した杉葉子は、大晦日、再び実家へ帰ることになる。だがそこで母、滝花久子の「大晦日にいいご身分だこと、、」という言葉が象徴するように、大晦日で大忙しの蒲焼屋に杉葉子の居場所はなく、深夜、杉葉子は仕方なく夫の待つ下宿に帰ることになる。ここでもまた杉葉子は、「めし」の原節子と同じように、どちらの家の中からも弾き出されて翻弄されるマクガフィンの無限連鎖の中に放り込まれている。
また余談だが、夫のいる家へ帰った杉葉子は、実家からの土産の蒲焼を二人にご馳走するのだが、それを突付く三國連太郎の姿を、何とも言えない微笑で見つめている上原謙の笑顔と、その瞬間「ゴーン!、、」と鳴り始める除夜の鐘と相まって、このシーンは忘れがたきシーンとなっている。あれだけ喧嘩をしておきながら、和解の言葉や儀式など何一つ成されていないにも拘らず、ほとんど無意識的であるとしか思えない上原謙の素朴な笑顔は、杉葉子に向けられた笑顔ですらなく、蒲焼を旨そうに食う家主の三國連太郎に向けられた些細なものでありながら、それだからこそ、どんな和解の言葉や謝罪の素振りよりも美しい。そこへ「ゴーン」と除夜の鐘が鳴る時、あらゆるジョン・フォードの美しい瞬間に匹敵する情動が、画面を包み込む。さて、夫婦はしばらくして三國の下宿を出ることになり、新たな住まいを探すことになる。しかし、住宅事情から手頃な一軒家も無く、夫婦はもう一度、さらに過酷な下宿生活を強いられ、人目に晒されることになる。まさにこの「夫婦」は、帰ることの冷遇と、下宿することでの「通風性」という、成瀬的主題が見事に露呈した作品である。
●「妻」においてもまた、妻の高峰三枝子は、夫の浮気に耐えかねて、母と叔父の住む実家に帰ることになる。そこで高峰三枝子を待っていたものは歓待ではなく、みずから会社に乗り込んで呼び出した上原謙の来訪を待つ叔父、石黒達也の厳しい顔であった。もちろん高峰三枝子はしばらくして、夫のいる家へと引き返すことになる。●「稲妻」では、三浦光子の夫の死により、母、浦辺粂子の実家に帰って来た高峰秀子と三浦光子の姉妹を迎えたものといえば、三浦光子の死んだ夫の保険金を目当てにする母や異父兄弟たちのお世辞や心無い陰口であり、息苦しい高峰秀子は遅かれ早かれ世田谷の下宿へ引っ越すことを余儀なくされるであろうし、●「山の音」で、夫の家を飛び出し実家に帰って来た中北千枝子は、原節子の「いらっしゃい!」という笑顔に迎えられたのも束の間、中北千枝子の財布の中身をこっそり調べる母、長岡輝子や、何気ない山村聡の態度まで、すべてを冷遇に感じてしまい、帰って来た当初から喧嘩腰の中北千枝子は、成瀬映画において実家に帰るということが、いかに厳しい出来事であることを身をもって体現しながら、そんな自分に居たたまれなくなったのか、すぐまた実家をあとにすることになるだろう。●「女が階段を上る時」においてもまた、冬、胃潰瘍を患い実家の佃島へ帰った高峰秀子を歓迎するショットはひとつもなく、映画はいきなり帰宅から四週間後の、七草も過ぎた時間へと飛ばされてしまい、そこでは辛気臭い兄の織田政雄の存在と、母、賀原夏子との大喧嘩とが、高峰秀子の異をキリキリと締め付けることになる。もちろん高峰秀子は、賀原夏子に「見送られる」などということもなく、銀座の戦場へと帰ってゆくことになる。●「流れる」においては、映画開始当時既に、夫、加東大介に捨てられた中北千枝子が幼い娘といっしょに姉、山田五十鈴の置屋に転がり込んできているのだが、ろくに仕事もせず、昼間から寝転び、娘が熱を出してもオロオロと何もできない中北千枝子は、みんなから厄介者として扱われるだろう。●「女の座」において、九州に住んでいる淡路恵子は、夫、三橋達也が会社を首になった矢先、父、笠知衆の危篤を良い事に東京の実家に夫婦揃って帰宅し、そのまま居座り続けるのだが、もちろん家で生活をしている家族から不信を買い、事情もバレて、歓待とは程遠い冷遇の中で、開き直って活路を見出さざるを得なくなる。
サイレント映画の傑作●「君と別れて」の水久保澄子は、姉と慕う吉川満子の不良の弟、磯野秋雄の更生を願い、暫しの里帰りに磯野を同行させるのだが、そこで水久保澄子が磯野秋雄に見せた(聞かせた)ものといえば、歓待される水久保澄子の姿どころか、水久保の妹までも身売りしようと企む父、河村黎吉と水久保との修羅場であった。
②出戻り
「家を出た人間が帰ること」の中でも「出戻り」ほど冷たい視線に晒される境遇はない。●「あらくれ」で、上原謙の缶詰屋を離縁され出戻って来た高峰秀子は、「帰って来ること」のショットによって歓迎されるどころか、画面はいきなり苦虫を噛み潰しながら次の奉公先を探す父、東野英次郎のショットへと移行されるのであり、●「娘・妻・母」の原節子は、夫が事故死したために兄弟家族が暮らす実家へと出戻ることになるのだが、そこで原節子が遭ったのは歓待ではなく、夫の生命保険金を当てにする兄弟たちの冷たい態度であった。結局原節子は弾き出されるようにして京都のお茶の老舗の当主、上原謙のもとへ嫁ぐことになるだろう。やや感じの違った「出戻りもの」として、乙羽信子の●「秋立ちぬ」がある。この作品では、信州で夫を亡くした乙羽信子が、息子、大沢健三郎を伴い、東京の兄、藤原釜足の八百屋に身を寄せることになるのだが、ここで乙羽信子は、二人も一度に世話になっては兄に迷惑がかかるからと、息子一人を藤原釜足の家に残し、自分はとっとと勤め先の旅館に住み込みとして行ってしまう。そこには「帰って来ること」に対する歓待の期待など微塵もなく、まさに追い出される前に出て行こう、という感じの殺伐とした人生観が露呈しているのである。そうした諦めにも似た行動は●「乙女ごヽろ三人姉妹」で、家出をしながら東京へ帰って来た長女の細川ちか子が、妹の堤真佐子とは家の外で何度も会っておきながら、母、林千歳の住む実家へは一度たりとも帰らなかったことにも露呈している。
●「妻の心」では、実家の薬屋を継いだ次男夫婦(高峰秀子・小林桂樹)のもとへ、東京から長男夫婦(千秋実・中北千枝子)が舞い込んでくる。最初は長女、根岸明美の結婚の応援部隊として歓待されていた夫婦も、実は千秋実の会社が潰れて居座るつもりであることが判明した途端、実家は途方もないパニックに包まれることになり、喫茶店開業のための資金を千秋実と中北千枝子に持っていかれた夫婦(高峰秀子と小林桂樹)の関係に、一気に亀裂が生じることになる。これもまた「中北千枝子に無防備であること(通風性)」が生んだ無邪気な悲喜劇にほかならない。中北千枝子は、高峰秀子夫婦に不可抗力の亀裂を生じさせる軌道装置として機能しているのである。朝、子供と二人で、笑いながらほうきで実家の庭を掃除する千秋実の姿は、その客観的な清々しさの影に、途方もない居座りのグロテスクを露呈させており、また、中北千枝子が快活に家事を手伝えば手伝うほど、家の中は怒涛の辛気臭さに包まれてゆく。だが中北千枝子夫婦からしても、居づらい立場に変わりはなく、結局千秋実は東京で再起の道を模索し、中北千枝子は娘を残し、家を出ることになるだろう。そこに一抹の淋しさが漂う。「中北千枝子」という境遇にも同情の涙が誘われてくる。中北千枝子にとっても、一旦出た実家に帰って来ることは、大きな試練であり、だからこそ成瀬映画の彼女はいつも、虚勢を張って生きているのだ。
やや異質なのは●「おかあさん」の片山明彦である。彼は病気で入院するために家を出た者であり、自立という要素は希薄だが、しかしここにもまた、仮に原因はどうであれ、一度家を出た人間が帰ってくることに対する成瀬の異常なまでの冷たさが露呈している。田中絹代と三島雅夫夫婦の長男である片山明彦は、病気のため療養所に入院していたのだが、母、恋しさの余りに診療所を抜け出して実家へ帰って来てしまう。これは「自立した人間が帰って来ること」に比べると、病気が原因の入院であり、現代に生きる日本人なら多くが同情という感傷でもって片山を迎えることを期待するだろう。だがそこで父親の三島雅夫は「早く病院に戻れ!」と片山を叱り飛ばし、寝込んだ片山は、すぐに息を引き取ってしまうばかりか、臨終の場面も葬式の場面もすべて省略されてしまうという冷たい扱いを受けている。この場面をよく見てみると、相当に厳しい扱いを片山はされているのであって、家に帰ることに対する成瀬の冷遇が、恐ろしいまでに露呈してしまっている。一度家を出た人間が、誰それを恋しさに家へ帰って来るというこの状況は、東京の会社を辞めてしまい、義姉である高峰秀子恋しさに、静岡の、母、三益愛子のいる酒屋の実家に帰って来る加山雄三の●「乱れる」に極めて良く似ている。東京の会社を辞めて、酒屋の実家に帰って来た加山雄三は、働きもせず、商店街の店主たちと麻雀に明け暮れ、夜は馴染みのバーで新興スーパーマーケットの従業員たちと大喧嘩をして警察に引っ張られるような放蕩者であり、家族の者たちからも怠け者として冷遇されている。実は加山雄三は、兄嫁である高峰秀子恋しさに帰って来たことが判り、映画は禁断のラブストーリーとして見事に進行してゆくのだが、良く見ると加山雄三は一度自立しておきながら実家に帰って来た人間にほかならない。これこそ成瀬が一番共感できない人種なのである。この作品は、テレビ用に書き下ろされた松山善三のオリジナル脚本を書き直したものであるが、最後、高峰秀子と加山雄三が二人で家を出て列車に乗る部分からは映画用に付け加えられたと聞く。加山雄三のあの結末は、成瀬が付け加えた可能性が大きいのである。もちろん断定することは出来ないが、●「乱れ雲」とは対照的に、「乱れる」の加山雄三に対して成瀬は、余り共感をしていなかったように思えてならない。
●「夜ごとの夢」において斎藤達雄は、栗島すみ子と息子を棄てて出て行った男であり、自立という要素は他の映画の者たちに比べてぼかされてはいるものの、ここでもまた一度家を出て帰って来た人間に対する冷遇は、いつものように過激である。職探しに疲れ果てた斎藤達雄は、無断で栗島すみ子の家へ上がりこみ(通風性)、和解を申し出るのだが、逆上した栗島すみ子の抵抗にあい、歓待どころか修羅場を迎えることになる。その後、斎藤達雄は栗島すみ子と和解することになるものの、少なくともそれは、多くのジョン・フォードの人物たちによって反復されるところの「帰って来ることの美しさ」からは程遠い試練そのものに他ならない。●「妻よ薔薇のやうに」では、家を飛び出し、妾のもとへ走った丸山定夫が、妻である伊藤智子の家へ帰って来るのだが、そこで取られた伊藤智子の態度は、不可解とも言えるほど素っ気無いものであり、そうしたこととも相まって、丸山定夫はしばらくして、妾である英百合子のもとへ帰ってしまう。
③さらに「家」という観点を抜きにしても、成瀬映画とは、基本的に「帰ってくること」に対して冷たい映画である。
●「晩菊」の上原謙は、来訪した当初は杉村春子に特大の歓迎を受けることになる。このように、家に来訪した者が積極的に歓待されるという出来事は、あらゆる条件を抜きにして、成瀬映画においては極めて稀有な出来事なのであるが、酒が入り、酔い、次第に上原謙がかつての上原謙とは違うことを盗み見によって知ってしまった杉村春子の態度は一変する。結局上原謙は、無心の願いも断られ、虚しい朝帰りで恥を晒しながら帰って行くことになってしまう。
●多くの批評家が、成瀬巳喜男の最高傑作であると、早まった断言をする事で他の成瀬映画の敷居を逆に高くしてしまった●「浮雲」にしても、仏印から帰国し、愛人の森雅之に会いに行った高峰秀子を玄関で出迎えた者と言えば、森雅之の本妻の金歯をチラつかせた中北千枝子であったし、あとから出て来た森雅之にしても、迷惑そうに高峰秀子を家の外に連れ出してしまい、決して高峰秀子を歓待するような素振りを見せてはいない。高峰秀子は仕方なく、冬の焼け野原を、スカーフを頭巾にして寒々と歩きながら、昔を想起することになる。
④歓迎されること
一度親元を離れて家を出た人間が帰って来て、それなりに歓迎された映画といえば●「雪崩」「女人哀愁」「妻の心」のような、あくまで所帯を持った女たちが家出ではなく、土産を持って行ったり、親の顔を見に行ったりするための一時帰宅として実家の敷居を跨ぐ作品くらいしかない。そこでも女たちは大歓迎などという待遇を受けることはなく、仮に受けたとしても、そのようなシーンはすべて省略され、用事を済ませては早々と引き上げ、再び夫の待つ戦場へと戻ってゆくことになるのである。●「秀子の車掌さん」では、清川玉枝の雑貨屋に下宿して自立している高峰秀子が、バスガイドの仕事中「ちょっと止めて」と運転手の藤原釜足に頼んで悠々とバスを降り、乗客たちを待たせたまま、穴の開いた靴を下駄に履きかえるために実家に寄って、母のそれなりの歓待を受けることになるのであるが、それもまた、あくまで一時帰宅を前提としたそれに過ぎない。
こうしたものを除けば、●「歌行燈」●「旅役者」などの「芸道モノ」という、戦時中に撮られた作品において、旅から帰って来た花柳章太郎や、長谷川一夫、山田五十鈴などがそれこそ極めつけの歓待を受けることになるのだが、だが「芸道もの」とは「家を継ぐこと」こそが自立である以上、芸道ものの人々が、家へ帰る事で歓迎されるのは、言わば当然といえる。この場合、「帰ること」は、自立へと向けられた運動となるのである。ちなみに、こうした「芸道もの」というジャンルが、戦争中の検閲を回避するために取られた題材であることは、ここに記しておいてよいだろう。
こうして成瀬映画の「帰ってくること」という出来事に対する過剰なまでの冷遇の数々を見たとき、成瀬映画とは「家を出て自立すること」の映画であることが視覚的に露呈し始める。成瀬の映画では、小津安二郎の●「麦秋」の笠知衆のように、親元で暮らしながら、家を出る要素をまったく垣間見せない人物が、肯定的に描かれることは基本的にないといって良いし、●「東京暮色」(1957)の原節子のように、夫(信欣三)のもとを子供と一緒に飛び出してきた娘に対して、「お前の意志に反してあんな結婚をさせて悪かった」などと詫びる父(笠知衆)は絶対にいない。この父(笠智衆)は映画の終盤、「私、帰ります」という娘に対して「どこへ?」と聞いてしまうような父親であり、成瀬からするならば、どこへもへったくれもない、夫のいる家に決まってる、ということになるのであり、まったくもって小津的な父親というものは、成瀬にとっては理解不能な父親、ということになるはずなのである。もちろんそれは、作品の価値の問題ではない。
(3)-②の、30年代の「結婚すること」の映画においてもまた、最後に自立を決意した主人公たちが家に帰って自立したことを報告するというショットはまったく撮られていない。●「限りなき舗道」のラストシーンは、決別宣言をしたあと、銀座でかつての恋人、結城一郎を目撃した忍節子のシークエンスで終わり、●「女人哀愁」では、デパートの屋上で自立の決意を従兄弟の佐伯秀男に語っている入江たか子、●「禍福・後編」でもまた、幼稚園の保母として自立した入江たか子のショットで終わっている。異質なのは●「薔薇合戦」である。ここでは大坂志郎との別居結婚が破綻し、姉、三宅邦子の住む実家へ出戻って来た桂木洋子の「帰ってきてもいい?」という問いかけに三宅邦子は「ここはチーちゃんの家よ」と優しく応じ、受け容れている。何とも成瀬らしくない瞬間である。この作品は●「限りなき舗道」以来の松竹で撮られた作品であり、成瀬はクレジット上脚本に絡んでおらず、主人公の三宅邦子の外交的性格などの人物設定、装置等、今ひとつうまくは行っていないように見えるが、それは自分の眼で確かめてみなければ判らないこともちろんである。
●「浦島太郎の後裔」(1946)
こうした点から言って、戦後第一作目として撮られた「浦島太郎の後裔」は、極めて異色の作品といわざるを得ない。フランク・キャプラの「スミス都へ行く」や「群集」を下敷きにして撮られたこの作品は、戦後民主主義を陰で利用し台頭する保守反動勢力に英雄として祭り上げられ、傀儡として利用された復員兵、藤田進を主人公に、藤田進を追う新聞記者(高峰秀子)とその叔母(杉村春子)、さらに藤田進に取り入る財界の大物の娘(山根寿子)等を絡めて撮られた作品である。ヒゲぼうぼうの復員兵「うらしま(藤田進)」が、ラジオから「あーあ、お~」と不幸の叫びを暴露する。彼を英雄に祭り上げようとする新聞記者の高峰秀子が上野公園の森で「あーあ、お~」と呼びかけると、森の中から「あーあ、お~」と呼応して「うらしま」が出て来るといった映画である。これ以上は実際に見ていただく以外に説明のしようがないのであしからず。だがこの映画が成瀬映画の中で異色なのは、この作品が社会派映画だからでもなく、藤田進の人物設定がやや滑稽だからでもない。家が存在しないからである。この映画は、私が見た成瀬映画の中で唯一、人間が寝食を行う家というものがただの一度も出てこない映画である。家が出てこない以上、「家を出ること」も描かれず、従って「通風性」も存在せず、人物は内的である必要もまたなくなる。そうした点が、この作品をして、作品の価値は別として、今ひとつ成瀬らしくないと見られる要因となっている。「成瀬の不振を印象づけるだけに終わる」と酷評されている戦後第二作目の●「俺もお前も」ですら、エンタツとアチャコのそれぞれの家が実に温かみをもって描かれていて、その二人のサラリーマンが朝、身支度をしてひとたび家を出ると、外の社会でワンマン社長にこきつかわれるという内と外の対比の構造は実に成瀬らしく、そこへ娘の結婚話が舞い込んできて自立という要素が露呈し始めるその流れは、50年代成瀬映画の原型と異なるところはない。ちなみに「俺もお前も」は原作、脚本とも成瀬である。
■(5)自立すること
■①ここまでは、「家を出ること」「家に帰ること」という出来事を見てきて、いかに成瀬映画は家を中心に運動が開始されるか、ということを検討してきた。ここでは、その中で出て来た「自立すること」という現象を、もう少し幅を広げて検討することで、成瀬映画の構造を考えてみたい。
●「夜ごとの夢」(1933)
サイレント映画の「夜ごとの夢」をもう一度見てみたい。ここで栗島すみ子は、生活苦から自殺をしてしまった斎藤達雄の遺書をなんと口で噛み千切り、「弱虫!意気地なし!」と死者を罵り、そのあとに「世の中から逃げ出すなんて!」という、極めて重要な言葉を吐いている。栗島すみ子は「世の中から逃げ出すなんて、それが男のやることか!」と叫び、寝ている息子にすがりつき「お前は強く行きなさい」と泣き崩れている。
後日我々は、成瀬映画を製作順に一本一本順番に見つめる事で、成瀬映画の変遷について詳細に検討することになるのだが、少なくとも現在の私の印象としては、成瀬映画は「意志的なもの」→「不可抗力的なもの」へと少しずつ変化する過程を辿っている。この「夜ごとの夢」は、栗島すみ子の台詞が言うように、極めて意志的な映画であり、「こう生きろ」と強く語りかけてくる映画であって、物語性が強く、ドラマチックで、判りやすい。だが少しずつ成瀬映画は、意志の部分が希薄になってゆき、次第に人々は、不可抗力によって流されるようになってゆく。戦争、世相、経済、そして時代そのものの波に流されるようになってゆく。流されながらも人々は、まさに●「流れる」の山田五十鈴や田中絹代のように、何とか生きてゆく、ひたすら生きてゆく、そういう映画に変わってゆくのである。だがその根底には必ずや、この栗島すみ子が叫んだように、「世の中から逃げ出すなんて!」という、世の中という外部へと向けた自立の運動への葛藤を秘めているのだ。
■②頼ること
同じような趣旨から成瀬は「家を出ること」という運動をさらに大きく「自立すること」という運動から捉えなおし、●「稲妻」の村田千栄子や三浦光子のように、或いは●「あらくれ」の三浦光子のように、男に頼ってしか生きて生けない女を自立していない者として否定的に捉える傾向がある。成瀬映画の女たちに「家を出ること」が際限なく反復されているのは、そうした自立運動の素直な反復と見ることができる。男に愛想が尽きて家を出る女のほうが、男を頼ってついてゆく女よりも、よほど強い共感で描かれているのである。成瀬にとって大切なのは恋して結ばれることでも愛して結ばれることでもない、愛しようが、恋しようが、まずもって自立することである。●「女の歴史」において、高峰秀子が、それまではホステス上りで不快に思っていた嫁の星由里子を、雨の中タクシーで追いかけていったのは、星由里子が、息子との手切れ金を高峰秀子に「突き返したこと」という、「頼らないこと」の運動があったからこそであり、それとは逆に、同じ「女の歴史」の山崎努が、母の高峰秀子の家を出て自立すること、という運動を志向していながらも、あっけない最期を遂げてしまうのは、母の高峰秀子の「毎月二万も三万も私からお小遣いせびっていたお前が」という言葉に現れているように、山崎努が母である高峰秀子に頼って生きてきた息子だからにほかならない。●「乱れ雲」の司葉子は、夫を車で轢き殺した加山雄三から毎月送られてくる慰謝料に対して「人に頼って生きてゆくなんて、わたしいやだわ、、」と呟いている。結局司葉子は加山雄三からの慰謝料を断り、十和田湖の義姉(森光子)の経営する旅館で自立をしている。加害者の加山雄三もまた、裁判では不可抗力により無罪となったにも拘らず、律儀なまでに慰謝料を払い続けて責任を取りながら、津軽で下宿し、自立して働いている。成瀬が、二人の切ないラブストーリーをかくも素晴らしく撮ることができたのは、この二人が自立を志した二人だったからである。その点が●「乱れる」の加山雄三とはどうしても違ったように、私には見えてしまうのだ。そして●「浮雲」の、森雅之に頼ってしか生きてゆくことのできない高峰秀子は、さらに異質な存在として成瀬映画のフィルモグラフィーに深く突き刺さるのである。
●「驟雨」(1956)
そうした点で興味深いのは「驟雨」である。
結婚四年目の倦怠期を迎えた夫婦、原節子と佐野周二は、突然の姪っ子(香川京子)の訪問や、隣家からの盗み見に遭いながら、化粧品会社のリストラも相まって険悪な関係となり、二人はある夜、大きな夫婦喧嘩をすることになる。そこで原節子は、田舎の実家に帰って家業を継ごうと考える佐野周二を極めて強い調子でたしなめている。実家は既に弟が継いでいて、長男だからという甘えでもってあなたが帰ったところでそうそう簡単に入っていけるものではない、あなたは安易である、という調子である。この映画は、原作は岸田国士の短編集を寄せ集めたもので、台本になる前には、夫婦で夫の実家に帰るシーンがあったそうである。だが結局夫婦は、実家に甘えず、夫婦で力を合わせて生きて行こうと誓い合って東京へ帰って行く、という結末であったらしいのだが、この「実家へ帰る」という部分をカットした、というのは、いかにも成瀬らしくはないだろうか。成瀬映画の中で「夫婦二人で実家に帰る」という行動は極めて珍しく、●「妻の心」の中北千枝子と千秋実、●「女の座」の淡路恵子と三橋達也などの脇役には見られるものの、主役レベルでは●「杏っ子」一本しか存在しない。そこでは山村聡の実家に帰った香川京子と木村功の夫婦は、悲惨な結末になって再び家を出て行くのである。「妻の心」の中北千枝子と千秋実の夫婦にしても、居づらくなって東京で活路を見出すべく帰ってゆくのであり、「女の座」の淡路恵子と三橋達也の夫婦にあっては、図々しくも居座ってしまうのだが、少なくとも「夫婦で実家へ帰る」などという性癖を持つ者たちをして、成瀬は自立できるような人種としてあまり肯定的に撮ってはいない。そのような「前科」を犯した夫婦が、●「驟雨」の原作のように、「夫婦で力を合わせて生きて行こうと誓い合って」などという結末は、どうあっても映画にならない、成瀬はそう考えたのではないだろうか。どちらにしても、それまでは他人と一緒に外出することすら嫌がっていた内的な女である原節子が、突如語気を荒めて夫をたしなめ大喧嘩をし、風船玉を左右に振って夫の佐野周二を動かし励ます、などという終結は、「実家へ帰る」という、成瀬映画では弱虫に等しい泣き言を言った夫に対する成瀬流の罰にしか見えないのである。
成瀬映画は家を出ることをひとつの外形的出来事としながら、その根底には自立することという主題が大きく関与している。自立することとは、「血」を中心として、血から離れて行く運動として描かれているのだが、だがそれもまた最終目的ではなく、血から離れて行く運動は、人に頼らないことへと連鎖してつながってゆくのである。
■③映画が終わった時点で、主人公が血のつながりのある肉親(尊属)と同居している作品
ここで成瀬映画の自立という側面を、血のつながりという観点からもういちど検討してみたい。成瀬映画とは、血というものから離れて行く運動であるならば、当然ながら成瀬映画は、血から離れた状態で終わるのを常とするはずである。そこで成瀬映画において映画が終わった時点で、主人公が血のつながりのある肉親(尊属)と同居している映画を探してみた。
★「乙女ごヽろ三人姉妹」(1935)「妻よ薔薇のやうに」(1935)「サーカス五人組」(1935)の堤真佐子「噂の娘」(1935) 「はたらく一家」(1939)の生方明「まごゝろ」(1939)の入江たか子と子供たち「歌行燈」(1943)「芝居道」(1944)「春のめざめ」(1947)「石中先生行状記」(1950)「おかあさん」(1952)「流れる」(1956)の高峰秀子、「娘・妻・母」(1960)の原節子、「妻として女として」(1961)「ひき逃げ」(1966)の15本である。
「主人公」について、紛らわしいものはすべて「主人公」として扱うことにする。●「芝居道」の長谷川一夫は、古川緑波の養子であるが、芸道においては血のつながりよりも芸のつながりと考えて、ここに入れておく。
●「乙女ごヽろ三人姉妹」の堤真佐子は、母と同居して暮らしている。だが彼女は母に虐待され、門づけとして外部に出されて自立をしている娘でもあり、そこには親に甘えるという要素は微塵もない。堤真佐子が家を出ないのは、親に甘えているからではなく、自分が家を出ると、妹の梅園龍子や妹分の娘たちを、母の虐待から守る者が誰もいなくなってしまうからにほかならない。そんな堤真佐子の自立への願望は、街で、中睦まじい門づけの夫婦の姿を羨ましそうに盗み見したり、また、「私は、どこか遠いところに行ってしまいたい」と、つい吐かれる言葉の中に密かに露呈している。露骨に差別され、店から放り出され冷たい浅草の夜の街中を彷徨う門づけの娘たちが、好奇心から本屋に立ち寄ってハロルド・ロイドが表紙を飾る映画の本を買ってしまったり、稼ぎを使って駄菓子屋でお菓子を買って食べてしまったり、ふとした瞬間に垣間見せる娘たちのちょっとした仕草や表情が、何かを願望すること、希望することの美しさを裸のものとして露呈させ、それが内的である娘たちと「生きること」との葛藤の中で、うそとしか言いようの無い想像力に包まれて映画は進んでゆく。
結局、堤真佐子は、以前家を飛び出した姉、細川ちか子の自立を助け、同じように妹の梅園龍子と大川平八郎の二人の自立を陰になり励ましながら、みずからは駅のベンチの上で、寒々とその存在を消してゆくことになる。その瞬間、彼女は、家を出たのかも知れない。
●「妻よ薔薇のやうに」は、母(伊藤智子)と娘(千葉早智子)を捨てて信州で愛人の英百合子と暮らす父、丸山定夫を、娘の千葉早智子が単身、連れ戻しに行く物語である。ここで主人公の千葉早智子が信州まで出向いた主たる動機は、もちろん父への会いたさ見たさに拠る気持ちが大であろうが、それと同時に、大川平八郎との結婚を控えた千葉早智子が、是非とも家長であるところの父、丸山定夫の存在を、みずからの結婚という「家を出ること」の儀式に必要としたからであり、そうした点から千葉早智子の行動は、結婚により家を出るという自立を勝ち取るための要素を多分に秘めている。既にオフィスガールとして銀座の会社に働きに出ている千葉早智子は、決して親元で甘えているだけの娘ではなく、映画の最後に「おかあさんの負けだわ」と母を見つめる千葉早智子の大人びた姿は、千葉早智子が早晩この家を出て結婚し、自立することを予感させるに十分の終結である。
●「サーカス五人組」は、地方回りの楽団の男たちと、曲馬団の娘たちの、片時の出会いと別れを撮った夏の映画である。ここで曲馬団の姉妹、堤真佐子と梅園龍子は、父親の丸山定夫と「同居」している。梅園龍子には恋人、加賀晃二がいて、加賀は梅園龍子と一緒に曲馬団を出ることを希望している。しかし梅園龍子は、母に逃げられ、酒におぼれて暴君となった父、丸山定夫を置いては行けない。そんな妹を、姉の堤真佐子は、父親のことは自分に任せて「家(曲馬団)を出ろ」と励ましている。堤真佐子は、楽団員の大川平八郎に淡い恋をし、河原での会話で大川に、「生活を抜け出して、家を持ちたい」と告白している。この姉妹たちもまた、●「乙女ごヽろ三人姉妹」の堤真佐子のように、「家を持つこと」(根無し草の旅役者ゆえ、ここでは「家を出ること」ではなく、逆に「家を持つこと」が自立への希望となっている)へと向けられた並々ならぬ意欲を持ちながら、何かを守るために自立することができない、そんな健気な心が繊細に描かれている。この作品にもまた「家を出ること」へと向けられた大いなる契機を見出すことができる。
●「噂の娘」の千葉早智子は、傾きかけた下町の造り酒屋の長女であり、店が資金的に助かるならばと、ブルジョアの家の息子、大川平八郎との見合いへとすすんで身を任すような健気な娘である。彼女にはわがままで気儘なモダンガールの妹、梅園龍子がいる。梅園龍子の実の母は、父、橘橋公の妾である酒場の女将、伊藤智子であることを知っている千葉早智子は、伊藤智子を家へ入れ、自分は家を出ることで、妹と伊藤智子との水入らずの幸せを密かに願っているのだが、人々にはあくまでも「自分の幸せのために結婚するの」と嘘をついている。この千葉早智子にもまた、親に甘えるという側面はまったく感じられず、あるのはひたすら自立へと向けられた運動である。
●「はたらく一家」の主役を長男の生方明とすると、この作品は主人公が最後まで親元を離れないまま終わる映画ということになる。だがこの映画の場合、子供たちはみな、家を出て自立したがっているにも拘らず、貧乏な大家族を養うために、親から「家を出てはならない」と言われて悩むのであり、それは●「乙女ごヽろ三人姉妹」の堤真佐子と同じように出ることの叶わない者たちの願望と葛藤の物語であって、だからこそこの作品には自立という出来事が、逆に強く主題として露呈している。
●「おかあさん」は、戦災で焼け出された家族が助け合いながら強く生きてゆくところの、とある春から夏、そして秋を経て、次の年の春までの生活を撮った物語である。「まだあの子は、とてもそんな(結婚するような)年ではありません」と、母の田中絹代をして言わしめる少女期の主人公、香川京子は、冬は今川焼、夏はキャンデーを露天で売って、貧しい家計を助けている。どんどん季節が移り変わってゆく。夏が来て、秋が来て、また春が来る。人が去り、そしてまたやって来る。ぐるぐる回って、それをひたすら娘の香川京子が、瞳で捉えてゆく。この作品で、出来事として家を出るのは香川京子ではなく幼い妹のチャコ(榎並啓子)である。母、田中絹代に「自分のことではなく、他人のことを考えなさい」と言われたチャコは、貧しい家庭を助けるために養女に出ることを決心し、家を出ることになる。満州帰りで夫を亡くした田中絹代の妹、中北千枝子は、息子を田中絹代のもとへと預けながら美容師試験を目指して自立への道をチャレンジし続けている。そういう観点からこの映画の中北千枝子を見つめてみると、そのなりふり構わぬ自立へと向けられた運動は、コメディタッチで撮られながらも、実は成瀬が一番大切に描きたかったものかも知れない。彼女の存在は非常に重要なのだ。
この作品は、未だ少年少女たちが、家を出る前の出来事を、まるで想い出のような眼差しで捉えた作品である。だがチャコが家を出て、近い将来、甥っ子の伊藤隆もまた、母、中北千枝子へのもとへと帰ってゆくことになるだろう。香川京子は結婚して家を出るか、それとも母を一人にしては行けないと家に止まるか、どちらにしてもこの香川京子は、成瀬映画における自立してゆく人間の典型として撮られている。香川京子は、家でクリーニング屋を切り盛りして働き続ける母や、母のもとで働いている職人、加東大介の姿をひたすら瞳に焼き付けてゆく。
●「流れる」の高峰秀子は、芸者という玄人の娘でありながら素人のように育てられ、自分は素人が半分、玄人が半分で、普通の家にお嫁になど行けない娘であると中谷昇に告白しており、嫁に行き親元を離れることの出来ない特別の境遇にあり、通常の意味での自立が困難な娘として描かれている。そんな高峰秀子は、みずから女子職業安定所へ足を運び、また、ミシンの下請けをしながら家計を助け、独自の自立への道を模索している。
●「娘・妻・母」において原節子は、夫が事故死したために家族が暮らす実家へと出戻ることになる。そこで原節子は、夫の生命保険金を当てにする兄弟たちの冷たい態度に我慢できず、結局は弾き出されるようにして再び家を出て、京都のお茶の老舗の当主、上原謙のもとへ嫁ぐことになるだろう。映画は結婚の手前で終わっているものの、この作品もまた、原節子を中心に見たならば、親と同居している娘が家を出て自立することの映画であることに変わりはない。
●やや毛色の違う作品が、オムニバス映画の「石中先生行状記」、そして60年代に、主に松山善三の脚本として書かれた「妻として女として」「ひき逃げ」の高峰秀子の場合である。●「石中先生行状記」は石坂洋次郎の原作を藤本真澄がプロデュースした全三話からなるオムニバスであり、そのどれもが適齢期の娘たちの初恋とも言うべき初々しい恋愛を瑞々しく描いた作品である。確かにこの作品は、三話とも主人公たちが親元を離れないまま終わっていて、その点からするならば、自立という観点から弱いかもしれない。だがこの作品は「おかあさん」と同じように家を出る一歩手前の若者たちの姿を撮った作品であり、また、彼らの人物像を見た時に、自立からまったく無縁の人物としてではなく、近い将来、必ずや結婚をして自立してゆくであろう者たちとして描かれている。是非ご覧頂きたい。
まったくもって異質なのは「●妻として女として」と「●ひき逃げ」の高峰秀子である。前者は松山善三と井出俊郎の、後者は松山善三のオリジナル脚本であるが、社会性を強く押し出す松山善三の、ややアクの強いメッセージ性は、成瀬映画の主題と噛み合っていない。
「妻として女として」の高峰秀子は、母である飯田蝶子と同居をしていながら、淡島千景との女同士の対決というドラマチックな側面ばかりが優先され、高峰秀子が家を出るという自立の要素はまったく撮られていない。最後、高峰秀子がバーを出て引っ越す時にも、母の飯田蝶子が荷造りをしているのである。逆に自立の要素は、星由里子と大沢健三郎といった、淡島千景の子供たちのほうに強く描かれていて、その点については後述するが、映画界が斜陽を迎え、映画の社会性によって商業的ヒットを勝ち取ることがより大きな足枷として成瀬映画を襲っていたこの晩年期の作品は、成瀬は俗との戦いを強いられている。その傾向が画面の上に直接現れ始めたのは、成瀬初のカラーかつワイドスクリーンで、成瀬作品最長の129分の長尺となった●「鰯雲」(1958)からだと私は思っているが、「乱れる」(1964)や「乱れ雲」(1968)のように、俗の力を映画力で跳ね返してしまった傑作もあるものの、「ひき逃げ」のように、やや社会性が勝った作品もある。「ひき逃げ」の高峰秀子は、空襲で両親を失い、夫も病気で失って、小さな子供をラーメン屋の女中をしながら育てているが、その子供もまた自動車事故で轢き殺されてしまう。この時期の成瀬映画はどんどん人が死ぬのであるが、高峰秀子は真犯人宅に単身乗り込み、復讐を試みる、という物語で、高峰秀子と同居している弟の黒沢利男は、姉のために相手方の弁護士と交渉して慰謝料をせびったり、脅迫電話をかけたり、尾行をしたりと協力的だが、高峰秀子が弟とのつながりから自立するという側面はまったく描かれていない。自首をしたがる司葉子の外部へと向けた運動と、それを阻止する小沢栄太郎との内部へと押し留める運動との葛藤は、●「女の中にいる他人」の男女を逆にしたような流れではあり、そこへ高峰秀子が乗り込むことで、司葉子宅の「密室性」は疎外されることになる。高峰秀子の想像のイメージシーンの幼稚さであるとか、メッセージをそのまま直接的に画面の上に乗せ続けてしまう露骨であるとかは、成瀬映画には今ひとつ馴染んでいかず、やや俗っぽい見世物になってしまっている面もあるが、成瀬は、サスペンス映画としての開拓を怠ってはおらず、高峰秀子が酒場で歌っているシーンではキャメラを傾けてみたり、その他様々なシーンで視覚的な冒険を試みている。さらにこの作品の場合、高峰秀子も黒沢年男も、ともに両親を亡くしているという点では既に自立していると言えるのであり、その上でのサスペンスとしての成瀬映画の新境地としてみたならば、何ら「成瀬らしくない」映画でも何でもない。私がしていることは、あくまでも一つの見地からの挑戦であって、作品の優劣の基準と作っているのではない。
●「まごゝろ」「春のめざめ」「コタンの口笛」「秋立ちぬ」のような、家を出て自立する年齢に至らない少年少女たちが主人公の作品であっても、「コタンの口笛」や「秋立ちぬ」のように、家を出ることや肉親からの離別を直接描いた作品があった。それ以外の「まごゝろ」、「春のめざめ」においては、「家を出ること」の前段階としての少年少女たちが、瑞々しく撮られている。
さて、●「まごゝろ」の主人公を、入江たか子の娘、加藤照子だとすると、加藤照子は母、入江たか子と同居しているので、この映画は、映画が終わった時点で、主人公が血のつながりのある肉親と同居している映画ということになる。だが年齢的に加藤照子のように、未だ小学生で「家を出て自立すること」の困難な人物を撮る場合、成瀬は家を出ることの前段階としての成長を、瞳との関係で描くことが多い。
「まごゝろ」の加藤照子は、母が親友の父、高田稔とかつて恋人同士の関係にあった事実を聞いて思い悩む。それ以降、加藤照子は、母の姿を何度も盗み見することで、それまで娘の知らなかった母の「ほんとう」を求めてゆく。瞳によって「ほんとう」を求めてゆくことで、少女が少しずつ成長してゆく。そういう「瞳の映画」である点でこの作品は●「おかあさん」と瞳で通じている。「おかあさん」の香川京子は、家を出る前段階の娘として、数々の「ほんとう」を見つめる事で、瞳を成長させてゆく。母、田中絹代と職人、加東大介の関係を瞳によって何度も盗み見し、恋人や、父、そして家を出て行く妹を見つめ続けている。ここで重要なことは、香川京子の「見ること」の力が、作品の序盤と後半とでは、明らかに変化している、という事実である。これは香川京子の瞳そのもの=見つめる力が成長していく映画として、詳細は「窃視」、さらに「おかあさん」の項で詳しく検討することにする。
「まごゝろ」では、入江たか子はその母、藤間房子と同居しており、入江たか子をクレジット通りに主人公と仮定してもまた、この作品は映画が終わった時点で、主人公が血のつながりのある肉親と同居している映画となる。この作品の入江たか子には、母のいる家を出て自立するという契機はまったく描かれておらず、従って入江たか子を主人公として固定すると、この作品は「例外」ということになるのだが、その点の違和感については検討する。
●「歌行燈」の花柳章太郎や●「芝居道」の長谷川一夫のような「芸道もの」における主人公たちは、勘当され、或いは家を追い出されながら芸の道を極めてゆくことになる。彼らにとっては芸道を極めることこそが自立であり、芸道とはまさに、一子相伝の秘伝によって親から子へと受け継がれてゆく特殊な世界であることからするならば、「芸道もの」にとっての自立とは、家を出る運動ではなく、逆に「家を継ぐ」ことによって露呈される。従ってこの二つの作品は、親たちと同居をしたまま終わることで、まさに「自立すること」を描いた作品として記憶に留められるべき作品である。こうした「芸道もの」の作品において、仮にある種の違和感を感じたとするならば、それは芸道ものの自立という運動が、通常の成瀬映画の自立運動とは逆方向を志向しているからではないだろうか。
■④準主役の中で、肉親と同居している者たちで、自立する意志を有する者
準主役の人物についても見てみよう。大きな感じとしては、成瀬は自立の意志を示している者たちに共感し、そうでない者たちをやや醜悪に描いている。
まず●「鰯雲」であるが、農家の家長である中村雁治郎の子供たちのうち、成人期に達した三人、小林桂樹、太刀川洋一、大塚国夫はみんな家を出てしまう。銀行員の太刀川洋一は映画開始後すぐに街へ出て倉庫跡に下宿し、小林桂樹は司葉子を嫁に貰い、「なし崩し結婚」として結婚式も挙げずに新珠三千代の料亭の裏二階に下宿してしまう。さらに大塚国夫もまた、修理工になるために、東京に出て下宿することになるだろう。さらに分家の娘、水野久美もまた、太刀川洋一と結婚し、大学へ行き、自立することになる。みんな見事に家を出てしまうのである。●「晩菊」でもまた、細川ちか子の息子である小泉博は、家を出て北海道の炭鉱に働きに出てしまうし、望月優子の娘である有馬稲子は結婚するために、母の不在中に荷物をまとめてさっさと出て行ってしまう。もちろん、結婚式など描写されていない。大切なのは「家を出ること」なのだ。●「夜の流れ」の司葉子は、母の山田五十鈴共々、料亭の住まいを追い出され、置屋での母との共同住まいを開始することを余儀なくされる。だが山田五十鈴は三橋達也を追いかけて大阪へ行ってしまい、その結果司葉子は母の元を離れ、芸者として自立することになる。母も娘も、どちらもが、肉親から離れる方向への運動を志向している。●「杏っ子」では、香川京子の弟で父親の山村聡と同居していた太刀川洋一も結婚して家を出ている。●「妻として女として」の星由里子や大沢健三郎については後述する。●「舞姫」の岡田茉莉子は、最後まで家を出ていない。しかし岡田茉莉子は、戦争に絶望し、結婚しないこと、平和になるまで子供を作らないことを決心した娘であり、少なくとも自立について、まったく後ろ向きの人物としては撮られてはいない。
●「薔薇合戦」の桂木洋子は、一度は大坂志郎との別居結婚という大胆な試みをしてわざわざ家を出ているのであって、自立の要素がまったく欠けているわけではない。だが最後は姉の三宅邦子の家に帰って来てしまい、従って●「娘・妻・母」の原節子と同じように、成瀬映画にしては非常に珍しい出戻り状態のまま終わる作品となっている。それでありながら桂木洋子は肯定的に描かれ、かつ三宅邦子に帰って来たことを歓迎されてしまう。こういうのは成瀬映画としては非常に珍しい、と、書いておきたい。●「娘・妻・母」において小泉博は、妻、草笛光子とともに母、杉村春子の家を出ることを決心したものの、それに怒った杉村春子がスネて養老院へ行ってしまうという脅しにアッサリ負けて、二人は家を出ることを断念してしまう。これもまた成瀬映画としては珍しい展開と言えるが、自立の意志は有しているものの、この程度の脅かしに屈服してしまう小泉博を成瀬は優柔不断な男として描いており、決して●「薔薇合戦」の桂木洋子のような、肯定的な眼差しで見つめてはいない。
松山善三と井出俊郎のオリジナル脚本による大家族を描いた●「女の座」では、血の繋がりのある子供たちの、金に対する執着のグロテスクさに嫌気が差した笠知衆と杉村春子の老夫婦は、誠実な嫁の高峰秀子とともに、小さな家を買って自立することを志向することになる。それまでは成人した主人公たちが家を出ることで撮られてきた成瀬映画は、60年代になると、主人公の子供たち、そして親たちの方が家を出る運動へと変化してきている。
最後に戦後第二作目として撮られたエンタツ・アチャコのサラリーマン映画●「俺もお前も」が、「自立すること」という主題論の観点から見て非常に面白いので検討したい。この作品で山根寿子は、父、エンタツと同居したまま映画は終わっている。だが山根寿子は、母亡き家庭で父や幼い兄弟たちを世話し、妹、河野糸子の結婚を陰ながら応援することで、父にとっては妻のような、妹や弟にとっては母親のような役割を果たしている。山根寿子は自立の意志がないのではなく、●「乙女ごヽろ三人姉妹」の堤真佐子や、●「はたらく一家」の生方明と同じように、自立したくてもできない人間として描かれているのである。成瀬が一番共感を寄せる人物の一類型が彼女である。だからこそこの映画は、山根寿子の見合いの相手を探してもらうシーンで始まり、そして終わっている。山根寿子の結婚のことが一番気がかりな父、エンタツは、会社へ向う道すがら、顔の広い同僚のアチャコに、山根寿子の見合い相手を探してくれるように頼むのだが、アチャコは交友手帖を何冊も取り出し、あーでもない、こーでもない、と、一向に要領を得ない。家族のために自立を遠慮してきた山根寿子の結婚が、アチャコのギャクの掌に乗せられて、あーでもない、こーでもない、と翻弄される。娘を想う父もまた、一喜一憂して踊らされる。そこに悲哀が生まれ、コメディが生まれる。この作品の構造は、その根底において成瀬映画の主題論的な性格と見事に通じている。原案、脚本とも成瀬である。
■⑤準主役の俳優で、自立する意志のない者
「帰って来た中北千枝子」を除くならば、父、山村聡と同居している●「山の音」の上原謙が自立する意志のない者の典型かもしれない。上原謙は、愛人をつくり、会社の秘書と遊びほうけ、さらに愛人に暴力を振るう非道な男として描かれていて、同じように倦怠期の子供のいない夫婦を描いた「夫婦もの三部作」である「めし」「夫婦」「妻」における亭主役としての上原謙の描かれ方とは明らかに異なっている。それは、親と同居をしながらも、喫茶店を作って家から自立しようと試みる●「妻の心」の小林桂樹などの描かれ方ともまた違っている。親元から自立している夫婦もの三部作の上原謙は、確かに「二枚目」としての優柔不断さが妻たちを苛立たせ、時として●「めし」のように、あらぬ行動から誤解を受けて、妻が実家に帰る原因を作ってしまったり、●「妻」のように、妻の無神経さに耐えられず、丹阿弥谷津子との浮気に走ってしまうこともある。だがその一方、妻である原節子や高峰三枝子にも、些細ながらも無神経な言動で夫を苛立たせてしまうようなところがあり、まさにそれが些細であるがゆえに倦怠期として、少なくとも「夫婦もの三部作」の上原謙には倦怠期という言い分が容易されているのである。そうしたものが「山の音」の上原謙には、視覚的にほとんど露呈していない。「山の音」の原節子は●「杏っ子」の香川京子のように、毛糸編み機をガーガー言わせて夫の木村功の神経を逆撫でにすることもなければ、●「妻」の高峰三枝子のように、耳掻きでかいた耳糞を手で払ったりもしない。●「めし」の原節子のように、夫以外の男性(二本柳寛)と外で二人きりで会うこともなければ●「夫婦」の杉葉子のように、クリスマスの夜に家主の三國連太郎と二人きりで食事をして夫をやきもきさせたりもしない。ただ、「山の音」の原節子は、義父(山村聡)とさり気なく視線を交わすだけである、、、、この点だけが疑惑である。ここが大問題なのだ。ここを逆に見てゆくと、この作品の上原謙には、大いなる言い分があることになる。原節子と父、山村聡との関係に対する、何とも言えない疑念なり嫉妬なり、それが上原謙をして暴挙へと走らせた原因のひとつと受け取ることも可能なのである。この「山の音」という作品は、成瀬映画には珍しく義父と嫁との関係という、成瀬映画の範疇からすれば、殆ど撮ったことのない、ある種の近親相姦的な関係が描かれている作品であり、その点では「義姉と義弟」の関係である●「乱れる」に近いのだが「山の音」の視線は、「乱れる」の視線のように単純ではない。非常に複雑な視線の投げあいによってぼかされている。今は「自立すること」の検討なので視線論についてはのちの機会に譲りたいが、この「山の音」は、視線において、ラストシーンで驚愕の展開を見せることになる。
「自立すること」に戻るが、「山の音」では、上原謙の浮気相手である角梨枝子、その友人で同居人である丹阿弥谷津子という、自立した戦争未亡人たちが描かれている。「対比の原則」からするならば、この二人は上原謙ではなく、同じ女性の原節子と対比されていなければおかしい。そして二人の自立した戦争未亡人は、上原謙と原節子の夫婦に別居=山村聡の家を出ることを勧めている。だが、それを受けて別居を切り出した山村聡に対して、原節子は病院へ行く電車の中で「私、お義父さまのもとを離れたくありません」という趣旨のことを言っている。するとこの作品は、原節子もまた自立できない人間ということになり、そしてここに書いた事実の多くはすべて原作にも存在している(但し原作のその他の多くは省略されている)。こうなってくるともう訳が判らなくなる。この作品は、ラブストーリーとしての「頼ること」の映画であり、そうした点から既に家を出ていて自立しているはずの原節子が、自立のできない頼る者としての二面性を併有することになり、それがこの作品をして極めて複雑な構造たらしめている。成瀬映画には「ラブストーリー」が非常に少ないのだが、その中でも、例えば●「乱れる」や●「乱れ雲」の場合は、頼ることを「断ち切ること」という意志の方向の運動が強く露呈しており、それとは逆に●「お國と五平」や●「浮雲」の場合は、徹底して「頼ること」の運動が不可抗力の中で繰り広げられている。「山の音」はその中間に位置するのだ。
だが少なくとも映画を視覚的に見たとき、この「山の音」において、自立の意志を持たず、親と同居をしている上原謙が、仮に表面的にではあっても、醜く撮られていることだけは事実である。余り無理に決め付けず、次回以降の課題にしたい。
●「君と別れて」の磯野秋雄は、同居している母、吉川満子の苦労も知らずに不良たちと遊びほうけ、母や、その妹分の水久保澄子に思いっきり心配を掛けて、やっと立ち直るような青年である。そんな磯野秋雄には、それなりの視線しか許されていない。これもまた後日、視線論で検討することになるのだが、一言で言えば、成瀬は、こうした「しょうもない男」からは、「見ること」という特権を剥奪するのである。●「娘・妻・母」で、母、三益愛子と同居している団玲子は、守銭奴のような描き方をされているし、同じく母と同居している森雅之は、家の長男などという優遇された扱いを受けるどころか、母と兄弟姉妹との共有財産である自宅を勝手に抵当に入れてしまうという、刑法上は背任罪という、「信頼関係を破る罪」に該当する罪を犯す人間として描かれている。●「女が階段を上る時」において、佃島の実家で母、賀原夏子と同居している織田政雄は、辛気臭さの王様のように描かれていて、小児麻痺の息子の治療費を妹の高峰秀子のアパートに無心に来たときにも「いいよ、俺はどうせだめな人間なんだ」とスネてしまいながら密かに高峰秀子の善意を期待しているような回りくどい男であり、●「稲妻」において、母、浦辺粂子と同居している兄、丸山修は定職にもつかず、パチンコ狂いの、これまた情けない男のギネスブックに載るような人物として撮られている。●「噂の娘」の梅園龍子は、酒屋を営む父、橘橋公と姉の千葉早智子と同居している。家を出はしなかったものの、姉の千葉早智子は梅園龍子のために身を引き、お見合いをして家を出る試みをしているのに対し、妹の梅園龍子はわがままな「モガ(モダンガール)」として描かれ、姉の気も知らずに姉の見合い相手である大川平八郎と恋仲になってしまうような、少しばかり軽薄な娘として描かれている。自立の意志を有する者は美しく描かれ、有しない者たちはそれなりの娘として描かれる傾向がある。●「あにいもうと」で、近親相姦的な愛情の裏返しからか、妹の京マチ子をイビリ続けた森雅之もまた、母、浦辺粂子と見事に同居している。「あにいもうと」のラストシーンが、自立の意志もなく、家の金を使い込んでは自堕落的に暮らしている森雅之ではなく、晴れ晴れと家を出て行く京マチ子と久我美子の姉妹の後ろ姿で終わっていることは決して偶然ではないだろう。家へ帰る時は、道すがら大きな土産袋を左腕に窮屈そうに抱えて帰って来た京マチ子と久我美子の姉妹が、家を出る時、小さなハンドバッグ一つの身軽な身体となって、日傘をさして夏の日差しの一本道を悠々と去って行くその後ろ姿の開放感こそ、自立をしている者たちにのみ許された成瀬映画の花道にほかならない。あそこで森雅之が歩いて行っても絵にもなんにもならないのである。ちなみにこの作品で久我美子を裏切り、うどん屋という「家」のためだと両親に説得され、アッサリと違う女と結婚してしまった堀雄二は、養子ではあるものの、親と同居している。●「コタンの口笛」で、アイヌの水野久美が密かに想いを寄せていた倭人の久保明は、父、志村喬のアイヌ差別によって結婚をご破算にされてしまう。久保明は、勝手に縁談を断った父を非難はしてはいるものの、かといって水野久美と駆け落ちするでもなく、そのせいもあってか水野は家を飛び出し姿を消してしまう。さらにアイヌ人の親戚である大塚国夫は、断固倭人と戦うと言いながら、父、山茶花究には頭が上がらず、気の良い青年ではあるものの、意志薄弱に描かれている。久保明、大塚国夫のどちらもが、父と同居している。●「母は死なず」の斎藤英雄は、母、入江たか子に先立たれ、父、菅井一郎の手で立派に育って大学を卒業することになるのだが、卒業後は父の創業した会社の副社長に納まれるものと信じていて、友人たちと街をうろつき、昼食を奢ってやるような奢侈に流れている青年である。そんな甘えきった考えの息子に対して父は懇々と説教をし、母の遺言の手紙を見せ号泣させて改心させるのだが、その斎藤英雄もまた、父、菅井一郎と同居しているのである。
■⑥次に「結婚すること」の映画において、女が嫁いだ先の、多くはブルジョア家庭に住む夫を始めとした「親と同居している者たち」を見てみよう。
●「限りなき舗道」の山内光はブルジョア的性質から自由になれず、母の葛城文子に頭が上がらず、母や姉の嫁イジメに対して忍節子を守ることができず、結局みずから浮気をしたあげくに浮気相手とのドライブで交通事故を起こして死んでしまう。小姑の若葉信子は、下層階級の娘である忍節子を事あるごとにいじめ抜いている。
●「女人哀愁」の小姑たちは、嫁の入江たか子をまるで女中のようにこきつかい、身勝手でわがままな性格として描かれているし、夫の北沢彪もまた、表面的には紳士でありながら、その実は無神経で想像力に乏しい男として撮られている。
●「雪崩」の佐伯秀男は軽薄な自由主義者であり、愛のない結婚には終止符を打つのが誠実さであるという持論を展開して父を驚かせ、挙句の果てに愛人である江戸川蘭子と結婚するために、妻、霧立のぼるを無理心中に見せかけて殺してしまおうと企んでいる。もちろん彼は親と同居している。こういう人物は必ずや親と同居しているのである。
これらの作品には当時の世相を反映した、成瀬のブルジョアに対するある種の態度があるとしても、ただそれだけでなく、自立を考えず、親元で甘えて暮らす人間たちのグロテスクさのようなものが絶えず露呈している。
同じように「結婚すること」の映画であっても、●「禍福・後編」の高田稔は、映画の最後、棄てた女である入江たか子に潔く謝罪し、妻である竹久千恵子と相談して、入江たか子に産ませた子供を夫婦で引き取り、責任を取っている。この責任感の強いブルジョアの男、高田稔が、親と同居していないという、寒気がするほどピッタリする事実は、果たして偶然なのだろうか。高田稔の実家は群馬県の桐生で織物業をやっていて、外交官の高田稔は東京で自立しているのである。まさか成瀬は、ここまで細かく計算して映画を撮っていたとは思えないが、しかし、絶対にない、と言い切れない。●「まごゝろ」の高田稔の状況を観察するとさらに面白い。この作品で高田稔は、学費を捻出してもらうために、金の無い入江たか子との結婚を諦めて、ブルジョアの娘である村瀬幸子と結婚している。いうならば卑怯な男であり、「禍福」の高田稔のようにして、少なくとも映画的には唾棄すべき人物として撮られるはずなのであるが、ここで高田稔は、厳格なる日本男性として強く描かれ、勝気で非日本的な妻である村瀬幸子を諭して改心までさせ、みずからも反省しながら、悠々と戦争へと旅立ってゆくのだが、ここでもまた高田稔は親と同居していないのである。両作品の高田稔の描かれ方はちょっとおかしい。それは、唾棄すべき男が、正々堂々と行動する男に変化してしまうという物語的なおかしさと、唾棄すべき男が「親と同居していない」おかしさとである。「禍福・後編」の直前に撮られた●「雪崩」の佐伯秀男、さらに●「女人哀愁」の北沢彪は、前述のように、醜い男として描かれていて、だからこそ、彼らは「親と同居している」のであった。
そこで成瀬映画の経歴をもう一度見て行くと、「芸道もの」はひとまず別として強い男が描かれ始めたのは●「禍福・後編」(1937)から以降だということが露呈する。それ以降は●「まごゝろ」(1939)を唯一の例外として、戦後までは唾棄すべき男は描かれることはなくなり、●「愉しき哉人生」(1944)の柳家金語楼や●「母は死なず」(1942)の菅井一郎、そして●「三十三間堂通し屋物語」(1945)の長谷川一夫のような、「意志を曲げない強い男」が成瀬映画の主役を占めることになる。そのちょうど中間地点に位置するのが「禍福・後編」と、「まごゝろ」なのだ。「雪崩」(1937)が封切られたのは1937年7月1日、「禍福・前編」(1937)は10月1日、「後編」は11月1日。盧溝橋事件が起きたのが、7月7日である。このあたりから、成瀬映画から優柔不断な「二枚目」が消えるのである。高田稔という役者は、「立役」というよりも典型的な「二枚目」でありながら、「禍福・後編」と「まごゝろ」においては、一見ヤサ男風ではあるものの、最後はしっかりと責任を取る確固たる男性の強さを見せ付けている。戦争という波によって、映画の中で「弱い男」が描けなくなった背景は理解できる。だが、非常に興味深いのは、そうした物語的な背景よりも、そうした背景が成瀬映画というものにどういう影響を及ぼし、それが成瀬映画の在り方をどう変化させたかである。そうした点からこの二つの作品の、ともすれば唾棄すべき男でもある高田稔が「親と同居していない」という事実は、極めて興味深い事実として浮かび上がってくる。そしてさらに面白いのは、「まごゝろ」では入江たか子の方が母(藤間房子)と同居している、という事実である。この映画で入江たか子は決して否定的人物とは描かれておらず、極めて好意的に撮られているにも拘らず、親と同居し、かつ家を出るという要素をまったく垣間見せていないのである。当時、周囲には戦争によって「強い男、忍ぶ女」というような、それまでとは違った映画を撮らなければならないといった空気があったと仮定するならば、それを成瀬はこの「まごゝろ」において、構造的に、或いは無意識的に、「親との同居の有無」という家族構成によって、人間の「強さ」と「弱さ」を対比させようとしたのではないだろうか。この時代、戦争に行った男を「待つ女」であるべき者たちが、「家を出る」などという自立運動に走る映画を撮ったので困ったことになるのは想像できる。だがそれだけでなく、入江たか子の側に「母」という存在を敢えて置いたことに、わたしはそれ以上の意義を見出したくなってしまうのである。成瀬映画のいったいどこに、自立の契機を見せない人物が、かくも美しく描かれたことがあるだろうか。逆に言うならば、それだけ「まごゝろ」の入江たか子は美しいのである。
さらにこの「まごゝろ」を物語的に言うならば、高田稔が、妻、村瀬幸子と差し向かいの会話の中で村瀬幸子を説き伏せ、それによって村瀬幸子が「改心した」という現象が、いかに成瀬らしくないか、この点は、いよいよ我々がこれから入ってゆく当論文の主題である「視線論」と関係して、極めて重要になって来る。
●「女の座」(1962)
ここでもう一度「女の座」を見てみたい。成瀬映画のフィルモグラフィーの中ではともすれば忘れられがちになるこの作品は、確かに大家族のスター映画として●「娘・妻・母」同様、俗っぽさは否めえず、ドラマの将棋倒しのような格好になっている。だが成瀬映画の物語構造の題材としては、なかなか示唆に富んでいるのだ。
この映画では冒頭、『父、笠知衆、危篤』の報に、家を出ていた兄弟姉妹たちがみんな帰って来る。仮にこれがジョン・フォードなりその師匠であるD・W・グリフィスの映画であるならば、素晴らしい抒情から映画は開始されることになるだろう。帰って来る子供たち、それをエプロン姿で出迎え抱擁する母、、、だが成瀬映画の場合、こんなグロテスクな映画の始まりはない。その意味について、もうここで詳しく繰り返すことはしないが、成瀬映画の構造を知っている者からすれば、これはとんでもない映画の始まり方である。既に家を出て自立している者たちが、みんな帰って来てしまうのだ。これは「小津らしい」とは言えても決して「成瀬らしい」現象ではなく、他の成瀬映画において、「危篤、帰れ」と電報で近親者を呼び出すという出来事は皆無といってよい。さらにこの「電報」というのも、●「山の音」で雨の夜の翌朝、中北千枝子が信州の実家に帰ったとの知らせが届いた時に使われたくらいで、電話や日常での会話から情報を仕入れることを常とする成瀬映画としては珍しい。成瀬映画で「実家に帰る」という現象は、帰って来た者たちが「居づらい」という空気を作り上げて初めて葛藤としての映画を起動させるのであり、「女の座」のように、「父、危篤」という、帰ることの正当化された空気の中では、映画はしっちゃかめっちゃかにならざるを得なくなる。
物語の把握が苦手な私は未だに、この映画の子供たちの誰が後妻の杉村春子と血のつながりがあって誰がないのか、4回見てもまだ判らないのだが、大雑把に指摘しておくと、杉村春子は笠知衆の後妻で荒物屋経営、長男は高峰秀子と結婚したが亡くなり、嫁の高峰秀子はそのまま義父母と同居、次男小林桂樹はラーメン屋で自立、長女三益愛子は下宿屋をして自立、次女草笛光子はお花の先生をしているが父母と同居、三女淡路恵子は自立していたが父危篤の報に九州から夫、三橋達也とともに上京、実は三橋は会社を首になっているため実家に居座りを画策、四女司葉子は会社が倒産し無職で父母と同居、五女星由里子は映画館の切符売りをしているが父母と同居。こんな感じである。卒倒しそうになるほど複雑な家族構成であるが、ここに高峰秀子の息子、大沢健三郎(同居)と妹の団玲子(自立)、杉村春子の前婚の息子、宝田明(自立)、三益愛子のグータラ亭主加東大介に娘の北あけみ(同居)、小林桂樹の妻、丹阿弥谷津子にラーメン屋の常連客夏木陽介(自立)というように、余りにも入り組んでいて何が何だか判らない。だがこの映画を見るときに「家を出ること」という主題をもう少し大きくして「頼ること・自立すること」という要素に気を付けて見て行くと、なかなか面白い。
まず兄弟姉妹であるが、三益愛子、小林桂樹、三橋達也は、実家の荒物屋の商品である煙草や草履を勝手に持って帰ったり、淡路恵子や星由里子は、小林桂樹のラーメン屋で手伝いもせずラーメンを食べたりしている。逆に会社が倒産したために無職となったためラーメン屋でバイトを始めた司葉子は、兄の小林桂樹に「夏子も食べなよ」と言われても「仕事があるからあとで、、」と断っている。こうした些細な部分が、自立心というものを分岐点としながら少しずつ人間描写としての差異を醸し出すことになる。親兄弟に依存する人たち、しない人たち。
淡路恵子は妹の星由里子が切符売りをする映画館の窓口へ行って「見ぃ~せて!」といっている。つまり「タダで見せて」である。
次女の草笛光子は男嫌いのニヒリストで、写真も見ずに見合いを断るようなインテリのオールド・ミスである。そんな彼女は宝田明に恋するものの、良く見るとそれは決して草笛光子が家を出るという自立心から来る行動ではなく、ただの身勝手な恋として描かれている。この人は自分のことしか考えていないのである。前にも書いたように、成瀬が主題として重視するのは、仮にその二人が恋人同士であれ、まずもって自立することであり、結婚もまた自立するためのマクガフィンに過ぎず、決して「恋すること」ではない。だからこそ、自立を抜きにした自分勝手な恋に溺れる草笛光子は、宝田明の不誠実さを見抜き、好意から交際に反対した高峰秀子を、嫉妬と勘違いして殴りつけてしまうような想像力の乏しい人間として描かれている。おそらく成瀬が一番毛嫌いする女性のタイプはこの草笛光子のような女性である。そして草笛光子は父と同居している。
高峰秀子の中学生の息子、大沢健三郎は受験勉強の最中、小林桂樹のラーメン屋でバイトをして自立をしている同級生を見て、自分も働いて自立せねばと母に談判するが、高校へ行きなさいという母の意志に逆らえず、そのような自立心のない人間は、すぐに電車に轢かれることになる。
加東大介は女の尻ばかりを追いかけてはすぐに妻の元へ帰ってきてしまう。確かに加東大介は三益愛子の夫であって、血のつながりは不在だが、さらに成瀬映画を自立という大きな観点からこれまで検討してきた事例が指し示すように、成瀬は、仮に浮気であれ駆け落ちであれ、最後まで自立してやり遂げる人間に対しては多かれ少なかれ共感を持って撮るのだが、この加東大介のように、女にふられてまた元の妻を頼って帰ってきてしまうような、この「頼って」という部分が決定的に許せない人であって、だからこそ加東大介は、他の多くの親類縁者たちと同じように、通夜という厳粛な席で少々不謹慎な態度を取ってしまう人間として描かれているのであり、だからこそ彼は「帰ってくる」のだという、循環現象が成り立っているのである。
三益愛子の娘であり、結婚の意志もなく親と同居している北あけみもまた、宝田明の部屋の会話を何度も盗み聞きして、真剣な会話をしている者たちを揶揄するような唾棄すべき人間として描かれているし、逆に高峰秀子の妹で、女給として自立している団玲子は、親友に対する宝田明の恥ずべき仕打ちを、義憤を持って姉の高峰秀子に告発するような、いつになくシャキっとした娘として描かれている。その宝田明は、三益愛子の下宿で自立をしているものの、母である杉村春子に密かに電話で無心をして「頼って」いるような男であって、この場合、唾棄すべき人間が「家を出て自立している」ことになるものの、さらに大きな「頼ること」という反自立的な行動を示している点において、宝田明は成瀬的人物を逸脱してはいない。
老夫婦と高峰秀子を除き、この映画の中ではっきりとした共感をもって撮られているのは司葉子ただ一人である。彼女は失業中で親と同居しているものの、やたらと自分に夏木陽介をけしかけてくる妹の星由里子が、実は夏木陽介に惚れていることを見抜いてあげるような妹思いの想像力豊かな娘であり、八方塞で義兄弟たちから冷遇される高峰秀子をたった一人で擁護してあげるような義理堅い娘でもある。そんな司葉子は、見合いをし、結婚して家を出て、ブラジルへ行くことを決意している。成瀬はこういう人物が大好きなのである。
この作品では、三橋達也が汗をかきかき、笠知衆の指図で庭石を動かしているシーンや、三橋の妻の淡路恵子が、荒物屋でせっせと働いているシーンがあって、こういうのは一見ほのぼのとした労働シーンであるはずなのだが、こと成瀬映画において「実家に帰って来た人間が家の仕事を一生懸命手伝う」という現象は「居座りの序曲」であり、●「妻の心」で、実家の庭を最高の笑顔で掃除している千秋実や、家の手伝いに精を出す中北千枝子の前例が差し示すように、労働にいそしむ彼らの表情が晴れやかであればあるほど、彼らの腰がグッっと入れば入るほど、実家は恐怖のどん底に包まれる、そういうところがなんともたまらない成瀬映画の大いなる魅力のひとつであり、多くの成瀬映画はみな、ある種のコメディである。そうした、実家へ帰って来た人間のグロテスクさというものは、一緒に連れられて来た子供たちにも波及している。●「山の音」で、実家に帰って来た中北千枝子の娘は、裏庭の洗濯物の側で縄跳びをするのであるが、「そこでしないでね、」と優しく注意する麗しの原節子に「イーっ!」と舌を出したばかりか、その娘の縄跳びの縄が一度もスムーズに脚の下を通過することなく、すべて縄が足に引っ掛かるのだ。●「妻の心」の中北千枝子の娘もまた同様である。娘は縁側で足を上げて手まりをするのだが、その鞠が、決して足の下を通過しない。足の外側を通っているのだ。その挑発するような不完全な運動は、見ている我々をしてイライラのどん底へ突き落とし、家へ帰って来た者たちのグロテスクさを痛感させて止まないのである。日本人はみな成瀬映画を見て、戸締りを厳重にし始めたに違いない。
こうして見てゆくと、成瀬映画の中で、もっとも有り得ない人物とは、「親元で暮らし、かつ、自立する意志がまったくないにも拘らず、美しく描かれている人物」ということになり、物語の展開で言うならば、「映画開始当時、主人公は親や肉親から自立して暮らしていたが、しばらくすると実家に帰って来て家業などを継ぎ、立派に生きてゆく」、という映画である。こんな感じの映画がもっとも「成瀬巳喜男らしくない映画」である。さらに抽象的に「映画開始当時、親や肉親から自立して暮らしていたが、映画終了時に家に帰って来て親と同居している映画」を探してみると、一本しかない。●「娘・妻・母」の原節子である。その原節子ですら、大坂のお茶の本家、上原謙との結婚を決め、近々家を出ることに決まっているのである。
人物の幅を脇役にまで広げてゆくと、これまでに検討した以外にも、確かに「愉しき哉人生」の山根寿子、「めし」の原節子の妹で、実家で母、杉村春子と暮らす杉葉子、「夫婦」において、杉葉子の兄で、実家で母、滝花久子と暮らす小林桂樹、「妻」の、高峰三枝子の妹で、実家で母と暮らす新珠三千代などのように、家を出る意志が希薄でありながら「美しく」描かれている人物たちはいないではない。それについて、色々とこじつけることも可能だが、論文ではここでストップしておきたい。私が書きたかったのは、成瀬映画とは、極めて多く人々が「家を出る」映画であること。そして人物たちの行動に「不可抗力」というものが関わってくると、映画が面白くなること、などである。
■⑦成瀬の経歴
成瀬は15歳で父を亡くし、家計の窮乏から進学を断念し、その年、小道具係として松竹に入社している。その二年後母を亡くし、翌年、生まれ育った四谷を離れ、長い間下宿生活をしている。
私は或る程度、成瀬映画を見たあとに、初めて成瀬のこの経歴を知って寒気がしたのだが、成瀬映画とは、まったくもって成瀬巳喜男の人生の縮図である。その縮図は、生涯独身を通し、母の死まで母と同居をし続けた小津安二郎とは異なっている。
■(5)ラストシーンについて
①ラストシーンが主人公で終わる映画
ここまで成瀬己喜男の映画とは何か、について見てきた。ラストに、成瀬映画のラストシーンの観点から、もう一度成瀬映画を検討してあとで、視線論へと進みたい。
成瀬映画のラストシーンは、そのほとんどが主人公のショットによって終わっている。●「めし」以降に限っても、高峰秀子と浦辺粂子の「稲妻」、上原謙と杉葉子の「夫婦」京マチ子と久我美子の「あにいもうと」、原節子と山村聡の「山の音」、杉村春子と加東大介の「晩菊」、森雅之の「浮雲」、高峰秀子の「あらくれ」、香川京子の「杏っ子」、大沢健三郎と幸田良子の「コタンの口笛」、司葉子の「乱れ雲」のように、主人公たちの後ろ姿で終わっている作品が数多くあるが、成瀬はラストシーンというものを非常に大切にする作家であり、必ずやラストシーンには成瀬の共感できる人物が何かしらの形で配置され、多くはその後ろ姿で終わっている。面白いのは●「夜の流れ」という作品で、この作品は川島雄三との共同監督作品で、どの部分を成瀬巳喜男が撮ったかは今ひとつ不明であり、前述のように、これをそのまま成瀬の作品として検討することは差し控えなくてはならないが、ともあれこの作品のラストシーンを見てみたい。この作品の主人公は、山田五十鈴と司葉子と、どちらとも言えるのであるが、物語は、山田五十鈴は恋人の三橋達也を追いかけて大阪へ、三橋達也にふられた司葉子は東京に残り芸者としてひとり立ちする、という状態でラストシーンを迎えている。ここでラストシーンは、男を頼って大阪へ向った山田五十鈴ではなく、男をあきらめて東京で芸者として自立した司葉子のお披露目のシーンで終わっている。ここを成瀬が撮ったと断言することはできないが、少なくとも何かしらの成瀬の意志が絡んでいたと見るべきである。成瀬巳喜男は、こういう感じで自立する者としない者との対比と選択をすることで映画を撮り続けてきた作家だからである。
■②ラストシーンシークエンス)に主人公が関わらない映画
●「流れる」のように、厳密なラストショットは隅田川をゆく蒸気船を捉えているような作品は、その直前の人物について観察することにすると、以下のようになる。
「女優と詩人」(1935)「噂の娘」(1935)「君と行く路」(1936)「雪崩」(1937)「娘・妻・母」(1960)「妻として女として」(1961)「女の座」(1962)である。
●「女優と詩人」は、脇役の藤原釜足が、主人公である千葉早智子と宇留木浩夫婦の仲睦まじい会話を盗み聞きする、というショットで終わっているが、ここでは主役たちの声がしっかりと絡んでいるし、●「噂の娘」もまた、厳密には、逮捕された橘橋公の酒屋の今後をさかなにして噂話をしている真向かいの床屋の店主である三島雅夫のショットで終わるものの、そのシーンは直前の逮捕シーンからワンセットで続いていて、そこでは主人公の千葉早智子が父の橘橋公を見送るショットが撮られている。●「君と行く路」は、そもそも主人公が死んでしまっているのでこれもまた当てはまらない。●「雪崩」は、脇役の江戸川蘭子と生方明が、海岸で犬と戯れているシーンで終わっているが、この映画は、主人公の佐伯秀男が妻の霧立のぼるを無理心中に見せかけて殺害しようとしたものの、突如改心して(この改心については後日検討する)終わる映画であり、少なくともここで佐伯秀男をラストシーンに持って来るような成瀬巳喜男ではないことは、我々が良く知っている。
問題は次の三本である。
●「妻として女として」(1961)
「妻として女として」は、大学で建築学を教える講師、森雅之を巡る、本妻の淡島千影と妾の高峰秀子の三角関係を描いた作品である。淡島千影には18歳の娘、星由里子と中学生の息子、大沢健三郎がいるが、実はこの二人は、妾の高峰秀子の産んだ子供であり、それを本人たちに隠して淡島千影が引き取り、育てたものであった。映画の主役はあくまでも高峰秀子と淡島千影であり、二人は淡路恵子の料亭や、淡島千影がスパイとして派遣したホステスである水野久美を通して常時やり合うことになる。
そうして映画は終盤、高峰秀子が本妻である淡島千影宅の、鍵もかかっていない玄関から夜、単身乗り込み、優柔不断な二枚目の森雅之を、まさに三角形の構図で囲みながら対決を迎えることになる。ここで繰り広げられる三角関係の修羅場を、子供部屋に入っていることを命ぜられた星由里子と大沢健三郎が盗み聞きしてしまう。三人の対決が終わり、子供部屋から出て来た星由里子の口から吐かれた言葉は何よりもまず「私、家を出るわ」であり、ラストシーン、言葉通りに家を出て、学生寮に入った星由里子に会いに行った弟の大沢健三郎が吐露した言葉は「僕も早く大学に入って、下宿かなんかしたいな~」である。「家を出ること」「下宿すること」という、成瀬的現象が、ここでは主人公でなく、端役とも言うべき二人の子供たちによって言われている。
この作品では、主役の高峰秀子は母の飯田蝶子と同居しており、また、最後の森雅之宅における対決についても、成瀬は、三人の大人たちを、子供のことを考えない勝手な大人たち(自立できない大人たち)として突き放した演出をしている。通常は主人公のショットで終わる成瀬映画が星由里子と大沢健三郎という脇役のショットで終わっている。「妻として女として」と同じ「水商売もの」であっても、●「女が階段を上る時」のラストシーンが、自立している高峰秀子のクローズアップで見事に終わったのとは余りにも対照的である。
●「娘・妻・母」のラストシーンでは、主役とはいえない三益愛子と笠知衆の、老人たちのショットで終わっている。確かにこの作品は、「母もの」として当時売れていた三益愛子を意識した作品であったようだが、だがしかし、原節子と高峰秀子を差し置いて、三益愛子と、近所のおじいさんに過ぎない笠知衆をラストシーンに持ってくるというのは極めて珍しい。だが「娘・妻・母」の場合、原節子は、原節子自身の口から言われたように出戻りであって、幾らなんでも「出戻りが家を出る」などという、絵にもならないショットで映画を終われる成瀬巳喜男ではないことは、これまでの検討からそれとなく感じられるだろうし、では高峰秀子はどうかというと、実は嫁の高峰秀子は夫の森雅之に相談して、生命保険金の入った原節子から借金をしてくれるように頼んでいるのであり、そのような、人に金を頼る人間を成瀬巳喜男が、ラストシーンで力強く描けるわけがないこともまた、我々はよく知っている。そうすると、もう成瀬の共感できる人物は他には存在しないのである。●「女の座」においては、実家に帰って来た淡路恵子と三橋達也の子供たちが、実家の荒物屋の周りを駆け回るという、何とも不可解なショットで終わっている。この映画では先ほど検討したように、成瀬映画の人物としてラストシーンに持って来られる人物は、司葉子と高峰秀子のどちらかしかいない。だが高峰秀子は、息子に受験勉強を強要して死なせてしまった前科があり、そうなるともう、司葉子しかいないのである。だがこの映画は「オールスター映画」であり、まさか司葉子一人をラストシーンに持ってくるわけには行かない。同じ「オールスター映画」でも、見事に終わった●「流れる」とは実に対照的である。
結局の所「娘・妻・母」「妻として女として」「女の座」の三本は、「流れる」などと違って、ラストシーンから逆算して人物が書かれていないのである。マクガフィン的な思考回路によって脚本が書かれているのではなく、物語的な思考回路によって脚本が書かれているから、このような、やや支離滅裂とも言うべきラストシーンにならざるを得なくなる。
「娘・妻・母」、「妻として女として」、「女の座」、三本どれもが、松山善三と井手俊郎のオリジナル作品である。もう一つ、松山善三のオリジナルの●「ひき逃げ」は、「昨日の交通事故件数」を表示した交番の看板のクローズアップで終わっている。時代というものが、松山善三という社会派の脚本家を要請したのであり、仮に松山善三が出てこなくても、第二の松山善三が成瀬映画に拘ることになっただろう。だが少なくとも成瀬は、こういう脚本の書き方をする脚本家とは、あまり相性が良ろしくない。橋本忍にしてもそうだが、社会的なメッセージという、物語的な思考回路で脚本を書く人と、成瀬の思考回路とはほとんど逆だからである。
●「秋立ちぬ」(1960)
夫を結核で亡くし、信州の上田から、東京で八百屋をやっている叔父、藤原釜足のもとへ身を寄せた母と子の物語であるこの「秋立ちぬ」は、旅館で住み込みをして働く母、乙羽信子が旅館の客、加東大介と逃げてしまったために、たった一人で叔父の下宿に取り残されてしまった小学生の息子、大沢健三郎と、母が住み込みをしていた旅館の一人娘、一木若葉との、ひと夏の淡い恋を描いた切ない作品であり、前年撮られたフランソワ・トリュフォー●「大人は判ってくれない」の影響を受けていると指摘され、成瀬自身は否定したそうだが、子供たちが信号も横断歩道もない大通りを渡るなどというフランス映画的映像が、どの成瀬映画で撮られていたことだろう。確かに●「銀座化粧」の冒頭に、田中絹代の息子が信号の無い大通りを走って渡るショットが断片的に挿入されていたような記憶はあるにしても、この「秋立ちぬ」のように正面から撮られてはいない。
さて、この作品もまた●「妻として女として」と同じように、ラストシーンは主人公としてタイトルにいの一番に表示される大人たちではなく、デパートの屋上で、海を見ている子供、大沢健三郎のショットで終わっている。この映画の場合、主人公は子役の二人であることは確かなのだが、それにしても、ここでも再び「自立してゆく子供たち」と対比されているのが、「妻として女として」と同じように、大沢健三郎を棄て、加東大介を頼って逃げてしまった乙羽信子や、カブトムシを取りに行くことを約束しながらすっぽかし、女たちとバイクで消えてしまう夏木陽介のような、自立できない大人たちである。乙羽信子は男に頼らなければ生きて行けない女であり、夏木陽介は未だ親の元で暮らしながら、店を放り出してはバイクで女たちと遊びに行ってしまうような自立していない息子である。対して大沢健三郎は、叔父の下宿に来た時、母、乙羽信子に、もう大人だから自立するようにと諭され、八百屋の仕事を手伝って客から褒められ、遂には親にも棄てられた自立した子供として描かれている。60年代に入って成瀬映画は、共感できる大人たちを失いつつあったのかも知れない。50年代までの成瀬映画の「自立すること」の主題と関連してしばしば取り上げられてきた就職難という現象も、●「女の座」(1962)の小林桂樹のラーメン屋がそうであるように人手不足へと変わって行く。そうすることで大人たちは、少しずつ貪欲な自立心を失って行った。そんな事態が、成瀬映画のラストシーンに露呈している。
(1)視線論
①おしゃべり
成瀬映画とは、「通風性」によって外部との接触を余儀なくされた内的な人々の「自立すること」の映画である。その「自立」とは、●「女人哀愁」の入江たか子や●「杏っ子」の香川京子のように「結婚すること」として、誰の目にも判り易く描かれることもあれば、それ以外の視覚的、聴覚的な細部によって暗示されることもある。だが結婚するにせよ、家出をするにせよ、人が生きていき、自立するためには必ずや他者とのコミュニケーションというものが必要になってくる。だが成瀬映画の人々は内的な人々であり、従って口が上手ではなく、言葉という力によってコミュニケーションを取ることが不得手な人々である。そんな成瀬映画の人々はいったいどうやってコミュニケーションをとっているのだろう。
ここに或る象徴的な演出がある。●「あらくれ」で、高峰秀子が、仕立て屋の男たちの代わりに役人たちに談判に行き、見事に着物を納入できたというシーンである。問題なのは、そのシーンが省略されていることである。取るに足らない、実に何気ない省略だが、私はここが気に掛かって仕方が無い。ここで省略されたシーンとは、おそらく、高峰秀子が言葉巧みに役人たちを言いくるめる、というシーンのはずである。このシーンは「撮らなかった」のではなく「撮れなかった」、のではないのだろうか。徳田秋声の原作には「お島(高峰秀子)のおしゃべりで、品物が何の苦もなく通過した」と、地の文だけ書かれていて、お島が実際にどう「おしゃべり」したのか、会話の部分は書かれていない。従って映画のほうは、ほとんど原作通り、と言えなくも無いが、そもそもこういうシーンを成瀬は撮ることはできないのである。イメージが湧かないはずなのだ。役人に談判に行き、おしゃべりで言いくるめることができるような人物ならば、そもそも成瀬映画にはならないのである。
●「流れる」の山田五十鈴と高峰秀子や、●「ひき逃げ」の高峰秀子のように、警察に引っ張られた成瀬映画の人物たちは、間違っても役人たちを「言いくるめる」などという器用なことのできる人々ではなかったはずであり、●「乱れ雲」で、死んだ夫の退職金を役所にもらいにいった司葉子と姉の草笛光子の姉妹は、その冷たい国家制度に対して、何一つ反論などできなかったはずである。成瀬映画の人々は、おしゃべりが苦手な人たちなのだ。
■②視線
成瀬巳喜男は視線の人であると言われる。画面の外で移動する物体を、視線を切らずに瞳で追いかけてゆく成瀬目線を始めとして、画面の外のオフの空間にいる複数の人物への視線を随時移行させてゆくもの(これを便宜上映画研究塾では、オフからオフの視線という意味で★「オフオフ」と命名して進めてゆく)、上下の人物配置によって達成される、見上げる、見下げる視線、そして見た目のショットの数々、、、、これほど視線のバリエーションにとんだ映画監督を見た事がない。
オフオフは、画面の外にいる人物を、画面の中の人物が、視線を切りながら随時見てゆくものであり、オフの人物は二人という設定が圧倒的に多いが、●「夫婦」で三國連太郎の下宿に来訪した会社の女子社員たち(木匠マユリ、田代百合子)と話す時の杉葉子の視線や、●「あらくれ」の三浦光子の屋敷で、三浦光子、上原謙等と会話する高峰秀子の視線など、3人から4人に対して断続的に視線が移行する場合もないではない。
成瀬目線とは、視線を切らずに画面の外にいる一人の人物や物体の動きを追い続ける技法であって、画面の外にいる人物が、立ち上がったり、座ったり、左右に動いたりする運動を、画面の中に映っている者の瞳の動きだけによって想像させる演出である。この成瀬目線について多くの批評家は、何故かその代表格として●「驟雨」で、夫の佐野周二を追いかける原節子の視線をあげる例が多いのだが、彼らが成瀬の最高傑作として愛好している●「浮雲」でも大活用されている成瀬目線を、何故に小品と彼らが言うところの「驟雨」に限って引用するのか、「驟雨」の成瀬目線は、成瀬の助監督をしていた廣澤榮が引用していたことなどが関係在るのかも知れないが、逆に言うならば、批評家は自分の目で画面を見ていないのではないか、こうしたところが、実に眉唾の映画批評史と言わざるを得ず、こと画面に関する映画史を、私は自分の眼で確認するまではまったく信用していない。権威を鵜呑みにしてはならない。「上下の目線」とは、二人の人間がいるとすると、二人が二人とも立っているのではなく、一人は座ったりしゃがんだりしながら、視線の上下差を獲得するものをいう。
●「夫婦」では、杉葉子が上原謙に妊娠を打ち明けるシーンで、立っている上原を見上げながら告白する杉の視線がドラマを盛り上げているし、ラストの公園で「帰ろう」とベンチから立ち上がった上原を見上げる杉の視線もまた、「上下」という空気差がドラマチックに映画を彩っている。●「稲妻」で、高峰秀子が根上淳と路地で偶然再会するシーンでは、引越しのための重い荷物を持った高峰秀子がしゃがみ込んだところへ根上が通りかかり、上下の視線による見つめ合いを作り上げている。クリント・イーストウッドは●「マディソン群の橋」(1995)で、メリル・ストリーブが花を落とし、それを拾うクリント・イーストウッドに合わせて二人はしゃがみ、それまでとはまったく違う二人の空気を瞬時に作りあげたように、成瀬は、前述の暗闇の密室のように、瞬時にして「空気を変える」という演出が実に巧みである。「稲妻」のシーンでは上下の視線を作りたいがために、成瀬は高峰にわざと重い荷物を持たせ、しゃがませたと見るのが自然な流れのように思える。こうした演出がオフオフや成瀬目線と併用された時、成瀬巳喜男の世界は、我々の想像力を乗せて大いなるオフ空間の広がりを獲得することになる。
だがこれらの目線の演出は成瀬の専売特許ではない。多くの監督たちは、オフオフや上下の視線、そして成瀬目線を使っている。
成瀬目線については、成瀬の監督デビュー(1929)前に既にエイゼンシュテインが●「戦艦ポチョムキン」(1925)のオデッサの階段で、落ちてゆく乳母車を男の視線が追いかけるシーンで使っているし、プドフキンもまた●「アジアの嵐」(1928)で使っている。小津安二郎も、その現存する最初のフィルムである●「学生ロマンス若き日」(1929)において、アパートの二階の下宿に引越しのためにやって来た松井潤子が、未だ結城一郎が居座っているのに驚いたあと、立ち上がって壁に向って歩いてゆく結城一郎の姿を成瀬目線で見事に追いかけている。成瀬目線の創始者については今のところ不明であるが、おそらくもっと遡るだろうと予想される。オフオフや上下の視線にしてもまた、映画の基本的技術として世界中の監督によって試みられ、使われているのであって、決して成瀬の発明ではない。だが、成瀬巳喜男は、その使用頻度において飛び抜けているのである。そしてそれは「目線は成瀬が決めた」というキャメラマン玉井正夫の証言や『成瀬巳喜男は「そこで目を上げてから科白を言おう」とかの注文はしていた』という助監督の須川栄三の証言からしても、成瀬自身の求めた演出であったといえるだろう。
現存する成瀬のフィルムの中では最初のフィルムである●「腰弁頑張れ」(1931)や、その次の作品である●「生さぬ仲」(1932)において上下の視線は大いに活用されているし、「腰弁頑張れ」においては、ライバル会社のセールスマン関時雄と、彼と言い合う山口勇を交互に見つめる明山静江の視線においてオフオフは既に試みられている。「生さぬ仲」においては、娘が自転車に轢かれるシークエンスでの、結城一郎の姿を追うチンピラ阿部正三郎の視線において成瀬目線の萌芽も既に見られる。そして成瀬の最後のサイレント映画である●「限りなき舗道」(1934)において、忍節子が結婚後、銀座で日守新一と再会した時、通り過ぎる小姑の乗った車を瞳で追う忍節子の目線において、既に成瀬目線は、一応の完成を見せている。同時にオフオフ、上下の目線についても、このサイレント期において、既に一応の完成を見ている。
成瀬巳喜男の映画は、こうした様々な視線のバリエーションを駆使しながら、人々は見つめ合い、視線を投げ合い、それを構図、逆構図の切返しのキャメラで見つめ合いの視線の擬制として捉えながら、人々とコミュニケーションを試みることになる。
■③しかし、、、
しかし、私をしてこの論文を書かしめるに至る動機となったのは、このような視線の交換による見つめ合いの描写の豊かさではない。見つめ合いではなく、「見つめ合わないこと」によってもたらされるところの「ずれ」についてなのだ。そのきっかけとなった作品が「妻の心」であった。
●「妻の心」(1956)
1956年に製作された「妻の心」は、薬局を経営する夫婦の日常の葛藤を描いた作品である。終盤、自転車を引いた小林桂樹が商店街で新装開店された薬屋の看板を羨ましそうに見上げている。そこへ偶然、帰宅途中の妻、高峰秀子が通り掛り、小林桂樹の姿を盗み見するのだ。ここで私が感じたのは、この瞬間、ここで高峰秀子が小林桂樹を一方的に見つめた瞬間、高峰秀子は小林桂樹の人生を「引き受けた」ような感覚である。もちろんそれは、ある種の感覚という主観的な印象に過ぎず、それをもって直ちに批評行為としての結論を導くことは慎まなければならない。だがそれまで、あれだけ話し合い、怒鳴りあい、議論しあいながら、一向に解決しなかった夫婦間の関係が、否、解決どころか、見つめ合い、話し合えばあうほど、却って悪化の一途を辿った夫婦間の関係というものが、この瞬間、一気に解決してしまったような不思議な感覚をもたらしたのが、ひょっとすると、高峰秀子のあの視線、あの、薬局の看板を仰ぎ見る小林桂樹へと向けられたあの一方的な視線ではなかったのか。二人はその後T字路で合流し、画面の手前に向ってゆっくりと歩いて来る。向き合わないのだ。二人は向き合うことによって見つめ合う姿勢を拒絶し、ひたすら画面手前方向へ向かって並んで歩き続ける。まるで見つめ合うことに何も意味はないといわんばかりのこの交じり合わない視線に私は、大きな感動を覚えたのである。
●「おかあさん」(1952)
成瀬巳喜男の作品としては一般にも馴染みが深い「おかあさん」のラストシーンを見てみたい。この映画は、戦災で焼け出された家族が助け合いながら強く生きてゆくところの、とある春から夏、そして秋を経て、次の年の春までの生活を撮った物語である。
この映画の最後で、母の田中絹代が夜、奥の居間の蒲団の上で子供と相撲を取って遊んでいるシーンがある。その母の姿を、上り框に座った娘の香川京子が雑巾で足を拭きながら、ふと見つめている。相撲に熱中している母、田中絹代の姿を、娘の香川京子がひたすら見つめているのである。田中絹代はこの香川京子の視線に気付いていない。田中絹代は香川京子の一方的視線において静かに見つめられている。子供が母を見つめる視線。ここには殆ど何の意味も込められていない。田中絹代と子供との相撲の勝敗はもちろんのこと相撲という競技それ自体が重要なものとして撮られてもいない。露呈しているのは、限りなく意味を削ぎ取られたまま香川京子の視線に無防備にさらされている「おかあさん」のナマの姿そのものなのである。
さて、この香川京子から、田中絹代へと向けられた一方的な視線は、●「妻の心」のあの高峰秀子から小林桂樹へと向けられた視線と何かしら良く似ている。まず共通するのは、見られている人間=「妻の心」の小林桂樹「おかあさん」の田中絹代は、そのどちらもが「見られている事を知らない」状態にあるということである。小林桂樹は、新装開店の薬局の看板を羨ましそうに見上げることに熱中していて高峰秀子の視線には気付いていない。田中絹代もまた、子供と相撲を取ることに夢中で、香川京子に見られている事に気付いていない。
●「まごヽろ」(1939)と「噂の娘」(1935)
かつての恋人同士であった高田稔と入江たか子のそれぞれの幼い娘たちが、父と母の過去を知って思い悩む、ある戦前の地方都市の夏を舞台に撮られた川と砂利道と風の映画である「まごゝろ」にも、似たようなシーンが幾つか出て来る。
まず序盤、入江たか子の娘、加藤照子が、縁側のある裏庭から帰宅したシーンがそれである。加藤照子はその直前に、母の入江たか子が、友達の悦ちゃんの父親である高田稔と、過去にある関係を持っていたことを悦ちゃんから聞かされて驚き、傷付いて帰って来たという状況である。帰宅した加藤照子は玄関からではなく直接裏庭へ足音を忍ばせて入って来ると「ただいま」を言う前に、大きく開け放たれた縁側を挟んで茶の間で裁縫をしている入江たか子の姿を庭からじっと盗み見するのである。①加藤照子が視線を入江たか子へと向けるショットがバストショットで撮られ、②次に裁縫をしている入江たか子のフルショットが加藤照子の主観ショットとして挿入され③もう一度画面は、母を見て微笑む加藤照子へと切返される。完璧な主観ショット(見た目のショット)としての盗み見のモンタージュである。
さて、この場面で裁縫に集中している入江たか子は、娘の帰ったことに気付いていない、見られている事を知らない状態である(少なくとも娘はそう思っている)。ほんの僅かなシーンであるものの、ここには決定的というべき成瀬巳喜男の視線に対する拘りが見受けられる。
二人はしばらくすると縁側にちゃぶ台を移して食事を始めるのだが、娘は早々と食事を切り上げると、二歩三歩と部屋の中に入って母から距離を取った場所へと移動し、わざわざ横に寝そべって母との視線をずらし、うちわで自分の右目を隠しながら、左目だけで、食事に集中していて見られている事を知らない母の姿を主観的視線において盗み見している。娘は、母に知られないようにして、母の姿を必死に見ようとしている。
盗み見とは、「のぞき」であり「窃視」である。アルフレッド・ヒッチコックの●「裏窓」(1954)において、ジェームズ・スチュワートが向かいのアパートの住人たちをキャメラのレンズを通して見つめたこと、それが「のぞき」の視線であり、「窃視」である。ジェームズ・スチュワートは、自分の部屋の照明を落としながら、向かいのアパートの住人によって行われたかもしれない殺人事件について盗み見をしながら探索している。入江たか子の娘は、どうしてわざわざ盗み見などいう行為をしたのだろう。
●「噂の娘」(1935)
経営の傾きかけた下町の造り酒屋の家族模様を撮ったこの「噂の娘」においても、同じようなシーンがある。
中盤、父、御橋公が、水で薄めた違法な酒造りをしているとの噂を祖父の汐見洋から聞かされた千葉早智子が、店の中で客の注文によって樽から酒を酌んでいるシーンである。ここで千葉早智子は酒を汲みながら、帳場で帳簿を見ている父、御橋公の姿を覗き見している。まず帳場の父へと視線を移す千葉早智子のバストショットが入り、次に仕事をしている橘橋公の姿を捉える千葉早智子の主観ショットへと画面は切返され、今度は視線を父へ向けたままの千葉早智子の意味ありげな大きなクローズアップへと切返されている。御橋公は仕事に集中しているため千葉早智子に見られている事に気付いていない。見られている事を知らないのである。
この「まごゝろ」と「噂の娘」には、共通する状況がある。それは、父や母について、思いもよらぬ噂を聞いてしまった子供たちが、父や母の顔を、遠巻きに盗み見しているという事実である。「まごヽろ」の場合、友達から「自分の知らなかった母」について聞かされてしまった加藤照子が、母を盗み見しているし、「噂の娘」においてもまた、「自分の知らなかった父」についての噂を聞いてしまった千葉早智子が、その後すぐに父を盗み見している。
見られた入江たか子や御橋公の表情に何か特別な意味が露呈した訳でもない。入江たか子はただ裁縫や食事をしているだけであり、御橋公もまた、帳場で黙々と仕事をしているだけである。それは「おかあさん」で、相撲を取っている田中絹代の姿と同様であるだろう。彼ら見られている者の姿は限りなく意味を剥ぎ取られたナマモノそのものの露呈であることで共通している。この一連の盗み見には、父や母の知らない側面=「ほんとう」を垣間見たいという子供たちの欲求が生々しく露呈している。
さらに見て行きたい。「ほんとう」が見事に結実した成瀬巳喜男戦前の傑作「妻よ薔薇のやうに」である。
●「妻よ薔薇のやうに」(1935)
日本のトーキー映画として初めて海外で公開された映画である「妻よ薔薇のやうに」においても、盗み見が大きな役割を果たしている。
この作品は、タクシーに乗っている千葉早智子がある日街角で、何年も前に母と自分を捨てて愛人の元へと走った父、丸山定夫を目撃(盗み見)することから物語は始動を始める。父は結局、千葉早智子の家には寄らず、そのまま信州へと引き返してしまうのだが、それを千葉早智子が単身、連れ戻しに行く、というスリリングな物語である。
父の住む地方都市へ到着した時点の千葉早智子にとって父、丸山定夫、そして妾の英百合子はともに、未知の存在である。千葉は、自分たちを捨てた父の気持ちを理解できず、同じく父を奪った妾の英百合子に対しても好意的な気持ちを抱いてはいない。そのような悶々とした心持ちにおいて信州の家に着いた千葉早智子は、自分たちに長い間仕送りを続けていたのは、父、丸山定夫ではなく、妾の英百合子であったことを間接的に聞かされる。しかし、ここでは未だ和解とか解決とかいった素振りは見られてはいない。映画が一気に動き始めるのはこのあとである。
その後画面には、仕事から疲れて帰って来た丸山定夫の肩を英百合子がもんでやるという、二人の仲睦まじい姿が映し出される。千葉早智子は、二間続きの日本間の縁側で障子に背中をもたれながら、ふと奥の間の二人へと視線を向ける。二人の姿が主観ショットによって映し出され、今度は見つめていた千葉早智子が目を伏せるショットへと切返される。英百合子と丸山定夫は共に、二間続きの部屋にいる千葉早智子に対して斜め背中を向けていることに加えて、肩を揉む事、揉まれる事に集中しているので、千葉早智子に見られている事を知らない状況にある。その後、千葉早智子は、英百合子の娘である堀越節子と共に、外からの夕陽の光線に包まれた湯殿に入り、さらに画面は、湯殿や、屋敷の外からの空舞台のショットによって次第に夜の世界へと移行してゆく。
そうしてキャメラは家の中へと再び入り、襖の陰を行ったり来たりしながら、英百合子に話しかけたものかともじもじしている千葉早智子の姿を映し出す。その千葉早智子が、次の瞬間、土間で仕事をしている英百合子の後ろ姿を盗み見するのだ。それは何の変哲もない英百合子のただの背中が映し出された主観ショットである。だが千葉早智子は、まるでその背中の盗み見の力を借りたかのようにして、次の瞬間「お雪さん、、」と声をかけ、光線の微妙に落とされた空間である土間へと駆け下り、英百合子と向かい合うのである。
この二つの「窃視」がもたらしたものとはなんだろう。英百合子が隠れて仕送りをしていたという事実は要因として加味されるとしても、ここで女たちをしてある種の和解へと導いたものは、決して見つめ合っている者同士による会話でもなければ、仕送りとしての金銭の供与そのものでもない。和解を直接に起動させたのはただひたすら「見られている事を知らない者たち」の仕草や体の一部を盗み見をすることなのである。千葉早智子は英百合子と丸山定夫の仲睦まじき姿を襖にもたれながら静かに盗み見し、さらに風呂から上がった後、土間にいる英百合子の背中を盗み見する。この盗み見こそが、千葉早智子をして土間の英百合子のもとへと駆け寄らせているのだ。
「噂の娘」や「まごゝろ」同様に、千葉早智子にとって父、丸山定夫、そして妾の英百合子はともに、未知の存在であった。千葉は、自分たちを捨てた父の気持ちを理解できず、同じく父を奪った妾の英百合子に対しても好意的な気持ちを抱いてはいない。そのような未知の存在をひたすら千葉早智子は盗み見することで和解へと流れている。この一連の盗み見は、娘にとって、父や母の知らない側面=「ほんとう」を垣間見たいという点において、「噂の娘」や「まごゝろ」の子供たちの視線と極めて似通っている。盗み見とは「ほんとう」を抉り出す眼差しなのだ。この「ほんとう」を抉り出すための手法として成瀬巳喜男は、見られている対象について、徹底して裏街道を走っている。
■Ⅰ部位
「噂の娘」や「まごゝろ」における盗み見と同じように、「妻よ薔薇のやうに」の土間のシーンで千葉早智子が「窃視」した対象は、英百合子の背中という何の変哲もない部位に過ぎなかった。顔という映画の大スターとは対照的に、ひたすら意味を剥ぎ取られ、ただ剥き出しの非日常的過剰として映画史において片隅に追いやられてきたこの背中という部位を、ただひたすら成瀬巳喜男は盗み見をさせることによって見事にエモーショナルな感動を実現させているのである。
■Ⅱ小さな物語=裸の顔
さらに加えてこれらの作品における見られている者たちは、例えばミステリー映画で犯人に直結するような決定的な場面(物語)を演じている者たちではない。「噂の娘」で帳簿をつけている橘橋公や、「まごゝろ」で裁縫をしたり、食事をしたりしている入江たか子、そして「おかあさん」で相撲を取っている田中絹代はみな、大きな物語を露呈させている者たちではなく、ただひたすら意味を剥ぎ取られた小さな物語であるところの「なまもの=そのもの」を露呈させている者たちなのである。私は以降、こうして物語性なり役割を極限まで削ぎ落とされて露呈した人々のナマの姿を総称して「裸の顔」なり「裸の窃視」と名づけて進めて行きたい。
■Ⅲ見詰め合わないこと=ずれ
そうした対象を「窃視」する。そもそも「窃視」とは、見つめあう者同士の視線の投げ合いによる会話ではなく見られている事を知らない者を一方的に見つめるという「ずれた」
視線によって成されている。
■④ずれること
「妻よ薔薇のやうに」のあの土間のシークエンスをもう一度見てみたい。
この瞬間は素晴らしい。その素晴らしさは、二人が土間で向かい合ったあと、二人の間に重ねられるところの和解の会話の内容に拠るものでは決して無い。農道で千葉早智子が父の丸山定夫から、実家への仕送りが父ではなく、実は英百合子によってなされていたのだと間接的に聞いたこと、千葉早智子が英百合子の何の変哲もない肩を揉む姿や背中を盗み見したこと、その盗み見が、次の瞬間「お雪さん、、」と、上の間から薄暗い光に包まれた下の土間の空間へと千葉早智子をして駆け下りさせたこと、そのすべてが「ずれていること」にあるのだ。
千葉早智子は仕送りの話を英百合子本人から直接でなく、父の丸山定夫の話を通じて間接的に聞いている。そして英百合子の顔という「表」でなく、背中という「裏」を見る。その「見る」とは、「見つめ合うこと」によって交差する視線ではなく、「盗み見すること」というずれた視線である。そして上の間から下の土間へという「段差」を駆け下りる。すべてずれている。このずれが和解を生成しているのだ。さらにここでは、二人の土間の和解の会話を隣室から「窃視」しつつ、密かに聞いていた英百合子の娘の堀越節子が、そのまま泣き崩れるというシーンが続いている。堀越節子が泣き崩れたのは、このシーンがずれているからにほかならない。二人の会話が、堀越節子の現前で、堀越節子の存在を承知の上で為されたものではなく、堀越節子の存在を知らないでなされたものだからこそ、その聞かれていることを知らないナマの声は、今度はそれを盗み聞きしていた堀越節子をして「裸の声」となり、それまでの自分の妾の娘として境遇や苦しみが一気に噴出し、泣き崩れるという美しい情動へと導いたのである。この涙は決して感傷的な涙では無い。堀越節子にはここで泣き崩れる権利があるのである。そうした前提はすべて、成瀬巳喜男の人々たちが内的な人々である、という事実と見事に調和している。彼らは決して面と向って自分の気持ちを伝えることができるような器用な人たちではない。「さぁ、話してみろ」と凄まれれば黙ってしまうような内的な人たちである。そんな人たちにとっての「ほんとう」とは、決して面と向った対決や会話によってもたらされるものではなく、ずれることによってこそ導かれる周辺的なものなのである。成瀬巳喜男の映画とは、内的な人物たちという設定と、その内的な人物たちが「ほんとう」を探してゆくための演出とが、見事に絡み合っているのだ。物語の語り方をずらすこと、それによって制度としての物語の中に隠された剥き出しのオブジェ(シュルレアル)を露呈させること、~会社の社員であるとか組員であるとかいう役割を剥がし取り、ナマの人間そのものを見つめること、それによって初めて内的な人々は、「ほんとう」を垣間見て、コミュニケーションを開始するのである。それ以降の会話はただの蛇足に過ぎない、、とまでは言わないが、言ってしまってもそう大きな過ちにはならないだろう。
この信州の和解のシークエンスは、話を終えた千葉早智子と英百合子の二人を土間の外から捉えたロングショットへとつながれ、父、丸山定夫と風呂から帰って来た息子、伊藤薫の歌う「四季の歌」が聞こえて来たところで見事に終わっている。
●「女の座」(1962)
この映画には「窃視」によってもたらされる「ほんとう」という効果について、台詞がそれを裏付けている印象的シーンがある。
それはなにかしら小津安二郎の●「東京物語」を意識したかと思われる、秋から冬にかけての物語である「女の座」の中の一挿話である。高峰秀子の夫の法事の帰り、多摩川べりで、滑稽に踊っておどけて見せる三橋達也の姿を、妻である淡路恵子と、姉の三益愛子、そして父の笠智衆の三人が小料理屋の二階から、やや俯瞰気味のロングショットで「窃視」している。三橋達也の踊りを遠巻きに「窃視」したあと、ショットは淡路恵子へと切り返され、次の台詞で、妻である淡路恵子が夫の三橋達也を評してこう言っている「頼りないけど、いいとこあるのよ」、、、、
この淡路恵子の台詞であるところの「頼りないけど」とは、「外見は」という意味が、「いいところがあるのよ」の、「いいとこ」とは、「真実(ほんとう)」の問題が、つまるところが「普段はなかなか表には出ないけれど、」とか、「普通に見ていたのではわからないけれど、」、「真実は」良いところがある、といったニュアンスが含まれている。こうした、いわば「真実」を垣間見た言葉が、「窃視」のあとに続いてストレートに出て来るということは、まさに「窃視」の効果というものがそのまま、台詞に現れたシーンと言えるだろう。内的な人々たちによって「ほんとう」が露呈する瞬間とは、こうした、実にたわいもない、些細な運動によるものなのだ。
しかし何故成瀬映画にはなぜ、「窃視」によって「ほんとう」を感じるのだろう。もう一度、この「ほんとう」について、検討してみたい。
■(2)「見られている事を知らないこと」の重要性
①●「続・夕陽のガンマン」(1966)
セルジオ・レオーネの「続・夕陽のガンマン」ではこの「盗み見」という効果を劇的に使い、クリント・イーストウッドとイーライ・ウォラックの関係を変化させている。賞金稼ぎのクリント・イーストウッドの相棒であるイーライ・ウォラックは何処から見てもごろつきであり、鼻持ちならず、油断のならない人物である。映画は中盤、金塊の情報を握ったクリント・イーストウッドがウォラックの策略にかかって砂漠で倒れて意識を失う。ここで金塊の情報欲しさにイーライ・ウォラックが、イーストウッドを修道院へ連れて行き、必死に介抱するという、それは面白いシーンがある。この修道院でウォラックは、昔、家出した兄に再会する。二人の会話の中で、兄が出て行ったあと、弟のウォラックは、残された家族の面倒を極貧の中で必死に見ていたことが明かされ、無責任に出家した兄を恨んでいるらしいことが吐露される。あの憎まれ役のウォラックにも、そんな過去があったのだ。そのやりとりを、昏睡から回復したイーストウッドが陰から「盗み見(盗み聞き)」しているのである。
以降、イーストウッドとウォラックとの間には、不思議な友情らしきものが芽生えてゆく。もちろんそれは、感傷的なものではなく、あったかなかったかという、微妙なものに過ぎない。だが、あの「盗み見」をキッカケにして、二人の関係に何かしらの変化がもたらされたことは確かなのである。ここでは、ウォラックが言葉によってイーストウッドにこのエピソードを直接話したところでイーストウッドは、そして見ている我々は決して信用はしないだろう。そのようなわざとらしい見つめ合いによる言葉ではなく、イーライ・ウォラックの言葉が、そして顔が、見られている事(聞かれていること)を知らない者のそれであったという事実が、決定的なパワーを持っているのだ。
■②見られている事を知らない者
成瀬巳喜男の「ほんとう」を紡ぎ出すのは「見られている人」が、例えば「おかあさん」において子供と相撲をとっている田中絹代が、見つめている人=香川京子に「見られている事を知らない」という事実にほかならない。この「見られている事を知らない」という状況が、成瀬巳喜男の「ほんとう」についての決定的に重要な意味を持っている。
ジョン・フォードの●「コレヒドール戦記」(1945)において、戦場の薄汚れた小屋でのパーティに招待され、何気なく訪れたドナ・リードが、その慎ましやかだが心のこもった「場」というものが自分に対して作られたものであることを瞬時に悟り、自分の鈍感さを恥じ入るように慌てて鏡に向って髪をとかすという素晴らしいシーンを例に挙げてみよう。このドナ・リードの姿は、その美しさにおいて、仮に「見られていることを知っていた」としても、偽りの美ではなく、まさにそれは心のこもった「ほんとう」の姿であるだろう。だが同時にこの所為は「身だしなみ」というものであって、であるからこそそれは、「見られている事を知っている者」による、「見られること」を前提とした作法にほかならない。「作法」とは、見られることを前提としてこそ、必要なものなのである。それに対して「盗み見」によって露呈するところの「ほんとう」とは、「見られている事を知っている者」であるドナ・リードの「社交的な行為」としての「ほんとう」とは異質なところの「なまのもの」の露呈であり、我々が日常生活において他人との関係において見せているものとは異質のところの非日常的な状態であり、理性的活動によるコミュニケーションからのある種の離脱としての過剰である。だからこそ、そうした姿は非日常的な「ほんとう」を紡ぎ出す。
■③一つの結論
ここで一つの重要なデーターを指摘してみたい。
見つめ合っている者同士による面と向った会話によって、和解なり解決なりという結果が生じた映画は、私がこれまで見た67本の成瀬映画の中で、僅か8箇所しか存在しない。8本ではない。8箇所である。「めし」(1951)以降の作品に限定すると、僅かに1箇所しか存在しない。
通常「視線の映画」と言われる成瀬映画のコミュニケーションの決定的な部分が、実は「見つめ合うこと」によっては為されていない。成瀬映画とは、見つめ合う者同士による視線の投げあいによって「ほんとう」なり真実が露呈してゆくメロドラマではないのである。
例えば●「鶴八鶴次郎」においては、山田五十鈴と長谷川一夫のコンビのあいだでの見つめ合っている者同士の話し合いの数々が、二人の関係に常に亀裂を生じているし●「妻として女として」では、妾と本妻という関係にある高峰秀子と淡島千景が、淡路恵子の旅館、そして山の手の森雅彦の自宅で二度、直接対決をしているが、見つめ合っている二人の会話によって形成されてゆく二人の関係は、感傷的な和解だの理解だのによってドラマチックに解決されることはまったくない。それよりもむしろ、彼等の「聞かれている事を知らない声」を、子供部屋において盗聴していた星由利子と大沢健三郎が、大人たちの汚さを知って別居を決意する、というように、ここでは聞かれていることを知らない声を盗み聞きする行為によってこそ、より劇的な変化が生じているのである。
●「娘・妻・母」では長男の森雅之が、兄弟姉妹たちに内緒で、父の遺産である自宅を抵当に入れて借金をしていたことが告白される。それによって終盤、家族会議が開かれることになるのだが、ここでの見つめ合っている者たちによる言動なり視線の投げ合いによって、問題は何一つ解決しない。それどころか原節子の怒りが爆発してしまうというように、却って理解や信頼を失わせる結果になっているのである。彼等はあれだけ延々としゃべり続けながら、何一つ解決しない。●「妻」においても同様である。高峰三枝子と、夫の浮気相手である丹阿弥谷津子との、ガード下のミルクホールでの見つめ合いながらの対決は、それによって丹阿弥谷津子が上原謙に以降会わないという約束を取り付けはしたものの、だからといってそれは、二人の関係に理解や信頼をもたらしたものではない。丹阿弥谷津子にとってみれば、それは決裂による苦渋の選択なのである。
見つめ合っている者同士の会話による解決の不在という現象こそが、成瀬映画における大きな特徴であって、従って、例としては、「解決しない」ものではなく「解決した」ものを挙げた方が効率的だったかも知れない。それについて我々は、後に個々の作品の検討等によって、確認することになるだろう。
■④他の作家と「窃視」
「窃視」という手法は、成瀬目線やオフオフとおなじように、成瀬巳喜男の専売特許ではない。それどころか「窃視」は映画における基本的な技法であり、成瀬巳喜男が作品の中で何度も引用したエルンスト・ルビッチやアルフレッド・ヒッチコック、そして小津安二郎など、非常に多くの作家たちが多かれ少なかれこの「窃視」という技法を使用している。D・W・グリフィスは初期の短編●「封印された部屋」(1909)で、夫が妻の情事を「窃視」し、怒って部屋の入り口をセメントで封印して男もろとも窒息死させてしまうという演出であるとか●「網の修理人」(1912)では、ヒッチコックが「裏窓」でやったように、望遠鏡を使い、主観ショットを入れながら「窃視」する、という演出を既にしている。最近ではあの黒沢清が●「トウキョウソナタ」(2008)でこの「窃視」を多用していたことは記憶に新しいはずだ。従ってただ「窃視」の存在のみによって、成瀬巳喜男の作品の特異性を導くことはもちろんできない。だが、成瀬映画の「窃視」は、質・量ともにそういった作家たちの「窃視」とは大きく異なっている。
「窃視」によってもたらさせる「ほんとう」という力は、「見られている事を知らない者」を一方的に見つめる視線によって実現される。成瀬巳喜男の演出の大きなポイントのひとつは、この「見られている事を知らない者」をいかにして作出するかにかかっているのである。
●「妻の心」において、新装開店の薬屋の看板を仰ぎ見る小林桂樹は、高峰秀子に見られている事を知らない者であった。この「見られている事を知らない」という状況が作られて初めて「窃視」という「のぞき」が成立する。「おかあさん」のあのシーンでは、田中絹代は見られていることを知らない者であるために成瀬巳喜男はいかなる演出を必要とし、「裏窓」の住人たちが「見られている事を知らない者」たちであるためにはヒッチコックはいかなる状況を設定したか。「めし」以降の多くの成瀬映画にとってこの「見られている事を知らない者」を作出する演出は、殆ど決定的とも言える場面で何度も使用されてくるのである。
●「めし」(1951)
成瀬巳喜男において、大いなる意味を有するこの「めし」は、その後、「浮雲」を始めとして「稲妻」「妻」「晩菊」といった50年代黄金時代の成瀬映画を支えることになる林芙美子の原作との初めての競演であるばかりか、上原謙という当代きっての二枚目を獲得し、中北千枝子が初めて子供の手を引いて出て来た記念すべき作品でもある。
兎にも角にもまずはこの作品の、ラストシーンの台本を見てみることにしたい。東京から大阪行きの列車の中での、原節子のナレーションのシーンである。
★脚本の段階でのナレーション
『夫がいる。わたしのそばに夫がいる。夫が私のそばにいる時、胸をひたすこのしずかな安らかさは、どこからくるのか、折り目のくずれたくたびれたズボン、幾たびか水をくぐったワイシャツ。青い静脈が浮き出した手の甲、昔の面影もなく疲れ果てた平凡な男の顔。だが幸福はこの夫のかたわらにあった。東京の町にはなかった。私は明日の日の新しいいのちを生きてゆきたい。その幸福を胸に育てながら、、、』
★作品での実際のナレーション
『私のそばに夫がいる。眼をつぶっている平凡なその横顔。生活の川に泳ぎ疲れて、漂って、しかもなお戦って、泳ぎ続けている一人の男。その男のそばに寄り添って、その男と一緒に幸福を求めながら生きてゆくことが、そのことが、私の本当の幸福なのかも知れない。幸福とは、女の幸福とは、そんなものではないのだろうか、、、』
後者には、前者には存在しない「眼をつぶっている平凡なその横顔」という文字が入っている。この「眠ること」という演出によって上原謙は、「見られている事を知らない者」となり、その上原謙の寝顔を原節子は横から「窃視」しているのである。この「めし」は林芙美子の絶筆であり、ラストシーンを書かずに林芙美子は亡くなっている。従ってラストの汽車のシーンは成瀬組の創作ということになるのだが、そこには、脚本にも原作にもない、上原謙が「眠っている」という「見られている事を知らない者」の作出があとから付け加えられている。成瀬が、第三者の書いた脚本を、自分の手で直接手直しをするようになったのは「めし」以降であるとされている。成瀬巳喜男とは「見られている事を知らない者」を作出することで「ほんとう」を紡いで行く作家であるとするならば、この修正には成瀬巳喜男の力が大きく関わっていると見るべきだろう。
ここに成瀬のこのような言葉がある
『「めし」あたりからやってきたことのいわば集大成を「浮雲」」でやってみたかった。人間を男と女の問題としてとりあげていって、その絶頂みたいなものをつきつめてみるのに興味をわかせました』
■(3)「見られている事を知らない者」を作り出すために
ここでは「見られている事を知らない者」という状況を作り出すための具体的な演出について詳しく見て生きたい。
見られている事を知らない者を作出する手段としてまず考えられるのが場所である。それは人物と人物との配置関係であり、「場所的に見られていることを知らないこと」を作り上げる演出である。その中でも場所的な隔たりは、見られている事を知らない者を作り出すための基本的な条件と言える。
例えば「おかあさん」の相撲のシーンの田中絹代と香川京子とは、茶の間の上り框と奥の間という場所的な隔たりが、田中絹代の「見られている事を知らない」という状態に寄与していたし、「妻よ薔薇のやうに」における、肩を揉むシーンにしても、縁側の千葉早智子と奥の間の二人の間には、二間続きの部屋による場所的な隔たりが配置されている。「まごゝろ」で娘が母を盗み見するシーンは裏庭と室内、「噂の娘」において千葉早智子が橘橋公を「窃視」するシーンもまた帳場と土間という場所的な隔たりが演出として作出されている。
だが成瀬巳喜男の「窃視」とは、場所的に隔たりがある者同士よりむしろ、場所的に接近するもの同士によって、より頻繁に現われている。場所的な隔たり以上に重要なのは「ずれ」である。
「妻よ薔薇のやうに」の娘と父、「まごゝろ」における娘と母、そして「噂の娘」における娘と父、「おかあさん」の娘と母、これらの「窃視」時における場所的関係もまた、確かに相当の場所的隔たりはあるとしても、それ以上に見られている者達をして「見られている事を知らない者」たらしめている要因は、見つめる者たちが見られている者達の正面ではなく、すべて斜めや後方、上下というずれた位置に配置にされていることに見出される。人と人とが正面から向かい合うのではなく、場所的にずれを生じている。小津がイマジナリーラインでずらすのなら、成瀬は人物の配置でもってずらすのだ。
■②集中
しかしそれらの作品群において見られている者たちは、ただ、場所的な関係のみから「見られている事を知らない者」足りえているのではない。相撲を取ったり、肩をもんだり、土間で台所仕事をしたりといった、積極的に何かに集中することによって、「見られている事を知らない者」たり得ているのであり、演出面からの「窃視」としては、この「集中」こそが、成瀬映画の多くの「窃視」を導いている。
●「放浪記」(1962)
「放浪記」のあるシーンを見てみたい。林芙美子の自伝を映画化した「放浪記」は、高峰秀子扮する林芙美子が、女給などをしながら男を転々とし、小説家として名をなすまでの物語を描いた作品である。
この作品で中盤、女給の住み込み部屋で、夜、暗い部屋にランプをつけて高峰秀子が、机代わりにした木の箱に向って小説を書いているシーンがある。ふと高峰秀子が顔を上げると、画面は高峰秀子を捉えていたショットから大きく切り返され、高峰秀子の正面で裁縫をしている女給が恥ずかしそうに眼を伏せるショットへとつながれる。この「目を伏せる」というショットによって、それまでその女給が高峰秀子の姿を見つめていたことが間接的に示されている。「窃視」状態がそれ以前に生じていたことが視覚的に暗示されているのである。高峰秀子は小説を書くことに集中していて、見られている事を知らない状態にあったからである。
そこで娘から、このような台詞が言われている。
「お文さん(林芙美子=高峰秀子)の顔、とてもきれい。そうやって《一生懸命書いている時の顔》、本当にきれいだわ、、、、」。
このセリフは、前述の「女の座」における淡路恵子のセリフ同様、成瀬巳喜男の「窃視」における、台詞上の証言として重要である。
《一生懸命書いている時の顔》、、つまり物事に集中している時の顔=「見られている事を知らない者の顔」=に対して、成瀬巳喜男はここではっきり「きれい」という言葉で形容している。この「放浪記」において果たして成瀬巳喜男がどれだけ脚本に関わっていたのかどうかは不明だが、こうして成瀬巳喜男の映画における「窃視」というものを見て来た時、成瀬巳喜男は、何かに集中をしている人物の姿を「ほんとう」なり「真実」を探るものとして置いている事が何かしら露呈し始めるのだ。
「おかあさん」の香川京子の「窃視」が「ほんとう」を紡ぎ出すのは、田中絹代が子供との相撲に集中していたからであり、「噂の娘」や「妻よ薔薇のやうに」における千葉早智子の視線が「窃視」たり得たのもまた、その視線の対象が、帳簿や肩たたき、土間での仕事などに集中していたからである。「まごゝろ」においてそれは入江たか子の裁縫であり、「噂の娘」でそれは橘橋公の帳場での仕事であるだろう。その「集中」という出来事によって、彼らは「見られている事を知らない者」としての「ほんとう」を露呈させ「窃視」の対象となるのだ。
■③ここでは、演出行為としての「集中」というものが、余りにも露骨に露呈した作品についてまず見て行きたい。
●「娘・妻・母」(1960)
「娘・妻・母」では、「窃視」へと向けられた「集中すること」という演出が、やや露骨なまでに成されている。問題となるのは、原節子と仲代達矢が、原節子の弟である宝田明の留守宅であるアパートへ二人で行ったシーンである。
ここで原節子は仲代達矢に背中を向け、台所で紅茶を入れ始める。しばらくすると紅茶の入れ方について語ることに熱中する原節子の背中が映し出され、続いてその背中を背後から見つめている仲代達矢の姿が映し出される。そこへ原節子が振り向くと、接近した仲代に見られていた事を知って驚き、原節子は恥ずかしそうに目を伏せる。以上のシーンについて検討してみたい。
アパートに入ってから、原節子は合計三回、仲代達矢に背中を向けながら話している。そしてしばらくしてから原節子の背中を見つめている仲代達矢に振り向くのだが、最初の二回は、振り向いた原節子は、別に驚いた様子も無く、逆に仲代達矢の視線を知っていたかのように、そのまま会話を続けている。しかし三回目に振り向いた時だけは、原節子は仲代達矢の視線が自分の背中を捉えたいたことに驚き、気恥ずかしげに目を伏せるのである。
この違いをもたらすものこそ「家事への集中」にほかならない。原節子は紅茶をいれることに集中している。その間に仲代達矢は原節子の背後へと接近してくる。原節子は敢えて大きな声で会話をすることで、仲代達矢の接近に不知であることを示している。そして振り向くと、仲代達矢が原節子のすぐ背後に接近し、じっと原節子を見つめていたことに気付き、原節子は取り乱すのである。ここでの「家事」という演出は、仲代達矢の「接近」と「窃視」という二つの現象を「知らない原節子」という人物を作出するための演出となっている。
その直後、原節子は突如アパートに置いてあった電気掃除機に興味を示し、屈みながら早速掃除機で部屋を掃除し始める。そして原節子はふと視線を上に向けると、仲代達矢が自分を見つめていた事(「窃視」)に気付き、恥ずかしそうに目を逸らすのだ。
この映画の作られた1960年代といえば三種の神器(テレビ、洗濯機、冷蔵庫)から3C(クーラー、カラーテレビ、車)の時代へと突入し、日本が高度経済成長へと突入した時期であり、熱海の女中が茶殻をまいて畳の掃除をしていた小津安二郎●「東京物語」の時代は古き昔の感を呈している。だが電気掃除機はそれでも未だ高嶺の花であり、原節子がいきなり電気掃除機に興味を示すという演出は時代的には判らないでもない。だが、映画的に見たとき、突然掃除機に興味を示し、掃除を始めてしまう、というのは余りにも露骨である。
こうした脚本の関連も含めての60年代の成瀬映画のある種の凡庸さについては、後日この論文で語る機会があるとは思うが、だがこの演出が露骨であればあるほど、成瀬巳喜男の「窃視」という演出に対する執念というものが伝わってくる。女が家事をすること、女が、使ったことのない電気掃除機を使うこと、これらはすべてが「集中すること」へと向けられた演出である。集中し見られている事を知らない状態への突入を作出するために、わざわざ成瀬は、家事、電気掃除機という方便を設置し、原節子を集中させることで見られている事を知らない状態を作り出し、それを「窃視」する行為によって「ほんとう」を露呈させているのだ。そこで築かれた信頼関係が、二人をして「キスをすること」へと導いているのである。掃除機をかけて身をかがめる、熱中する、ふと、上を見上げる、そして相手の視線に気付いて驚く、という、この無意味な運動のすべてが「窃視」へと向けられているのである。いきなり掃除に熱中してしまう原節子の奇妙な行動は、遡って「電気掃除機を使ってみたい」という物語的な意味を喪失し、それに続く「窃視」による「ほんとう」としての「ナマモノ」を露呈させるための無償の運動性を獲得する事で我々を欺くのだ。
こういう状況を作りたいがために、これははたきだとかほうきではなく、当時として珍しく、また、使用する時に「かがむこと」で、空間的な「ずれ」を生じさせるところの電気掃除機である必要があったのである。それによって成瀬巳喜男は、半ば強引に、「窃視」状態を作り出したのだ。こうして、宝田明のアパートのシークエンスで成瀬は二度の「窃視」状態を強引に作出している。ここでの掃除機は、マクガフィンに過ぎないのだ。
「妻の心」における、あの終盤の高峰秀子による「窃視」にしても、小林桂樹が「見られている事を知らない者」であったのは、彼が新装開店の薬屋の看板に「みとれる」という「集中」の演出が鍵になっていたのであり、「めし」におけるラストシーンの汽車の中における原節子の「窃視」にしても、上原謙が「眠ること」という「集中」の演出が重要になってくる。
■(4)各論
ここからは「集中」の演出について、成瀬映画でよく使われる個別的事例を挙げながら、さらに詳しく見て行きたい。
■①眠ること
眠ることとは『生物学的には休養、心理学的には現実世界への関心の中断。眠ると人は胎児のようになる(フロイト著作集①69)』ことであるとするならば、成瀬はこのような胎児のような無防備な裸性をことさら演出で作り出すことで、「見られている事を知らない者」を作り出している。
●「乱れ雲」(1968)
夫(土屋嘉男)を交通事故で亡くした妻(司葉子)が、加害者の男(加山雄三)と偶然にも青森で再会し、許されざる恋へと身を流してゆく、成瀬巳喜男の遺作であるこの作品は「眠ること」が「窃視」の鍵として演出されている。
終盤、十和田湖で司葉子と一緒にボートに乗った加山雄三は、朝からのだるさにも拘らず無理をしたことが祟ったのか不意に熱を出す。雨が降り、二人は近くの旅館で休憩をする。加山雄三は倒れ、床へ伏せてしまう。司葉子は「帰って下さい、、」とうなされる加山を看病しながら、次第に眠りに落ちてゆく加山雄三を看病する。眠ることによって加山雄三は視線の防御の力が弱体化し、見られている事に対して無防備となり、次第に見られている事を知らない者として変貌を遂げてゆく。雷が鳴り、間断的に停電を繰り返す旅館は「密室」の度合いを増してゆく。そんな加山雄三の寝顔を司葉子は深夜、加山雄三の手を握りながら「窃視」する。
それまでの、司葉子の憎しみに支配された強い視線によってひたすら描かれていた両者の視線の交叉による袋小路の関係が、熱による眠りという視線の弱体化によって「見られている事を知らない者」を作り出し、「窃視」による「ほんとう」の露呈によって解き放たれてゆく。交叉する視線の交換によっては決して解決することの無かった人間同士の関係が、この一方的な「窃視」によって一気に発展するのである。
ここで「眠る」という、胎児のような無意識的な現象を、意識的な行為としての「集中」と定義することに違和感を覚えるかも知れない。しかし映画の演出論からするならば「眠ること」は、「窃視」における「見られている事を知らない者」を作り出す方便として、「集中すること」と何ら本質的に変わるものではない。加えてここでは熱→「眠ること」という集中の演出のほかに雨という現象もまた「窃視」へと向けられた方便=マクガフィンとして利用されている。眠りも雨も方便となることで物語性が引き剥がされ、剥き出しの運動として映画の内部へと吸引されてゆく。
●「お國と五平」(1952)
成瀬巳喜男最後の時代劇となった傑作「お國と五平」は、夫の仇を討つために、配下の武士(大谷友右衛門)と共に旅に出た木暮実千代との道行きの禁断の恋の物語である。途中、旅の疲れからか木暮実千代は旅籠で熱を出してしまい、蚊帳の中の床で眠りに付くのであるが、木暮実千代のオデコに当てられた手ぬぐいがふと落ちたのを見て、大谷友右衛門は思わず蚊帳の中という禁断の空間へ足を踏み入れてしまい、手ぬぐいを木暮実千代のオデコに戻す、そのとき、その拍子に大谷友右衛門は、木暮実千代の寝顔を「窃視」してしまう。
この瞬間、木暮実千代の寝顔に当たった照明の驚くべき陰影の微妙なエロスが、それを見てしまった大谷友右衛門をして運命の泥沼へと引きずり込み、二人は禁断の関係へと堕ちてゆくことになる。発熱→眠る→「窃視」という現象によって、男と女との禁断の距離感が一気に縮まってゆく。
見られている事を知らない者を作り出すための集中の演出として、酔うことがある。酔うことで、見られている対象の視線の力が弱体化した時、それまで対等な視線として交わされて来た両者の関係が突如として一方的となり、見られている事を知らない者が発生する。
●「晩菊」(1954)
戦時中の憧れの人であった上原謙の来訪を杉村春子が歓待する。時間をかけて化粧をし、酒を出し、昔話に花を咲かせる二人だったが、酒が入るにつれ、上原謙の来訪の目的は、金貸しをしている杉村春子への無心(借金)であったことが判り始める。
酔った上原の視線が定まらなくなり、弱体化し始める。それによって上原は、杉村との構図逆構図による常態的視線の交互交換のやり取りの対等の関係から脱落し、空間は、杉村の側からの一方的視線へと、「窃視」へと変貌して行く。
杉村は、酔った上原の顔を何度も「窃視」している。酔って視線が弱体化しているために、上原謙は杉村春子に見られている事を知らない。そうした「見られている事を知らない者」としての上原謙を「窃視」することで杉村は、上原がかつての魅力を喪失していること(ほんとう)に気付き始める。戦争によってすべての人間が変わってしまった、という主題が、視覚的に露呈し始めるのだ。それを杉村春子のナレーションが後押しする。成瀬はナレーションを多用する作家であり、●「雪崩」において、画面に紗を掛けながらのナレーションを試みて以来、事あるごとに成瀬映画の画面をナレーションが賑わすことになるのだが、ここでも杉村の声がナレーション(モノローグ)として入ることで、杉村が上原を観察する側へと視点が移されていることが、視覚的のみならず聴覚的にも強調されている。ここで上原の「酔い」という現象は、上原謙をして見られている事を知らない者たらしめるための要件=集中である。こうした酔いにおける「窃視」という演出は、「めし」や「山の音」における上原謙、「杏っ子」の木村功などにも見ることができる。
成瀬は、『上原謙が酔っ払ったことをこれ幸いとして、杉村春子をして上原謙を「窃視」させようではないか』と思ったのか、それとも『杉村春子に上原謙を「窃視」させたい。そのために上原謙を酔わしてしまえ』と思ったのか、これがマクガフィン論である。
(1)マクガフィンとは何か
①マクガフィンとは、ヒッチコック的に言えば、『サスペンスを引き起こすためのきっかけ』ということになる。
例えばある男が汽車の中で、他の客のカバンを取り違えて持ってきてしまい、それがために組織から命を狙われる、というストーリーがあるとする。そうすると、その「カバン」がマクガフィンということになる。
映画を物語なりすじというものを主体に考えた時、我々はどうしてもカバンの中身が気になって仕方がない。あのカバンの中には何が入っていたのか。どうして組織はあのカバンを重要視するのか。だが映画をサスペンス主体に考えてゆく時、カバンの中身が何であるかは重要ではない。カバンはただ、男が事件に巻き込まれ、逃げるというサスペンスを引き起こすための一つのキッカケ(方便)に過ぎないからである。『マクガフィンにそれ以上の意味はない。だからヘンに理屈っぽい奴が、「マクガフィン」の真相や内容を解明しようとしたところで、なにもありはしないんだよ』、とヒッチコックはトリュフォーのインタビューに答えてそう言っている(「ヒッチコック・トリュフォー映画術126」)。
これは、映画という視覚的メディアをどう捉えるかにおける決定的な態度を示している。
■②二種類の態度
映画を物語主体に「読む」メディアであるとする人々は、マクガフィンの中身を重視することになり易い。それは映画というメディアを不可視の論理から読みほぐそうという態度とそれとなく接近している。黒沢清の「トウキョウソナタ」で、役所広司の人物像に不信感を持った人々は、役所広司がマクガフィンであることを許せない人たちであるだろう。
それとは逆に、映画を「見る」メディアであるとする人々は、マクガフィンの中身を軽視するだろう。何故ならばマクガフィンの中身は見えないからである。マクガフィンとは、サスペンスを引き起こすための方便に過ぎず、その中身など、何でも良いのであり、そのようなものの議論に過剰に熱中することほど馬鹿馬鹿しいことはない。マクガフィンの中身を軽視する態度は、映画という可視的なメディアを可視的な運動によって露呈させようとする態度に接近している。それによって不可視の読みを削ぎ落とされた運動が運動そのものとして振動し、表層としての運動そのものが瑞々しく露呈するのだ。
私がこの論文で明らかにできたらと思っている事実の一つは、成瀬巳喜男は後者の監督、すなわち「ヒッチコック派」であるという事実である。
人は即座に否定するだろう。庶民の日常生活を淡々と撮り続けてきた「日本的な監督」である成瀬巳喜男が、西欧的サスペンスの巨匠、ヒッチコック派である訳がないと。だが、こうした狭まった映画の解釈こそが、映画批評を貧しいものにしている。
成瀬は、決して善良な物語作家でもなければ心理作家でもない。成瀬映画を見る時に感じる時間の短さ、あっという間に経過する時間の根拠は、ひたすら意味という意味の神経症的活動から解放されたところの画面の力=ショット力に他ならないのである。それを裏付けるところの一つの大きな要因が「窃視」へと向けられた演出の数々に露呈するところの、成瀬巳喜男の演出におけるマクガフィン性なのだ。
その点からも非常に重要な「乱れる」の、とあるシーンをここで見て行きたい。
●「乱れる」(1964)
酒屋の嫁である高峰秀子と、亡き夫の弟である加山雄三と禁断の恋を描いた「乱れる」は、60年代以降の成瀬作品における一つの傑作だが、この「乱れる」において、成瀬巳喜男はマクガフィンを最大限に利用している。
映画の中盤、酒屋の配達の帰りに大雨に降られて帰って来た加山雄三のびしょ濡れのレインコートを高峰秀子が脱がしてやるシーンである。
ここで成瀬は、加山雄三の体に身を寄せるようにして「一生懸命」レインコートを脱がしている高峰秀子の顔を、加山雄三が近距離から「窃視」するというショットを挿入している。高峰秀子は、レインコートを脱がすことに「集中」し、加山雄三に見られている事を知らない。そしてふと加山雄三の視線が自分の顔を捉えていることに気付き、あわてて加山雄三から身を離すのである。
ここでの物語の流れ(すじの流れ)というものを順番に列挙してゆくと、以下のようになる。
①「加山雄三が大雨に遭いびしょ濡れになる」→
②「高峰秀子が帰宅した加山雄三の体に擦り寄る」→
③「レインコートを脱がしてやる」→
④「加山雄三がコートを脱がしている高峰秀子の顔を盗み見する」、
この流れで映画を読むと
「高峰秀子がびしょ濡れの加山雄三のレインコートを脱がしたところ、二人はハタと見つめ合い、慌てて恥ずかしさに高峰秀子は身を離した」という「あらすじ」的な思考となる。多くの批評は、二人の見つめ合いのみを強調し「窃視」を見落としている。だが良く見ると、加山雄三と高峰秀子は見つめ合っていただけではない。その前一瞬、加山雄三は高峰秀子を「窃視」している。高峰秀子は見られていたことに気付いてあわてて身を離したのである。
そういう観点から、つまり「窃視」を中心として、もう一度、以上の現象を置きなおしてみると、思考の流れはまったく逆の④→③→②→①という流れになる。
④加山雄三が高峰秀子を「窃視」をするショットを入れたい→③そのためには、高峰秀子をして何かに「集中」させたい→②「びしょ濡れのレインコート」なら、高峰秀子は集中して(慌てて)脱がし始めるだろう」→①「大雨」を降らせよう、、、
成瀬巳喜男の「思考の流れ」の中心は、①→②→③→④ではなく、④→③→②→①なのだ。
さらにこのシーンのマクガフィン性は大きく際立っている。
この「乱れる」という作品がラブストーリーであるとするならば、成瀬は「窃視」だけでなく、②の「二人の体の接着による窃視」という演出こそ、大きな目的として考えたに違いない。この場合、近距離からの「窃視」であるが故に、「窃視」をするためにはより「集中」という演出の比重が大きくなる。そのためには、高峰秀子を最大限、レインコートを脱がせることに「集中」させなければならない「まぁ、大変、こんなに濡れて風邪でもひいたら、、、」というように。そのためには、普通の雨であってはならない。「大雨」である必要がある。大雨でびしょ濡れになっているからこそ高峰秀子は、加山雄三と体が接着していることも忘れ、慌てて加山雄三のレインコートを脱がそうと「集中」する、だからこそこのシーンの雨は、決して普通の雨であってはならない。「大雨」でなければならないのである。
すると①の「大雨が降る」という時の「雨」は、季節感や気象を強調するものとしての「雨」からは限りなく遠ざかり、「窃視」へと向けられたマクガフィン性を強く獲得するところの「濡れるためのもの」へと接近することになる。物語的思考回路の①→②ではなく、マクガフィン的な回路である②→①へと、成瀬の演出は流れているからである。
物語的な思考回路で映画を撮っている監督は、①→②という思考で映画を撮る。彼らにとっての雨とは、ひたすら物語としての雨であり、共感としての雨であって、決して「上から下へと下降する物体そのものの運動の驚き」としての「雨」ではない。彼らの雨は、我々に記憶としての季節なり暑さなりの共感を喚起させるための物語的な雨あり、それは映画の外側の力を借りた雨でもある。
ところがマクガフィンとしての「雨」は、そうした外部から遠ざかり、その力は、ひたすら内部へと流れてゆく。「雨」は、映画内における「窃視」という演出を導くための方便としての度合いが大きくなるからである。方便とは、それが方便である以上、決して外の力に寄りかかるところの思考から出てくるものではない。映画的思考回路というべき内から出てくるものである。だからこそマクガフィン(方便)」としての「雨」は、「降ること」そのものが驚きとして露呈するところの「なまもの」へと接近して行くのだ。そうすることで画面は、物語によって犯された真実を、もう一度我々の元へと引き戻してゆく。
①の「大雨」という演出は、④の「窃視」と③の「体の接着」という、二つの演出のマクガフィンとして利用されているのである。
ここでもう一度ヒッチコックのマクガフィンの趣旨を思い出してみたい。それは『サスペンスを引き起こすためのきっかけ』であった。たが成瀬巳喜男のとってのサスペンスとは、ヒッチコックが引き起こすところの「逃走」とか「殺人」とかいう大きなサスペンスではない。「窃視」だの「体の寄せ合い」だのといった小さなサスペンスに過ぎないのだ。
成瀬巳喜男の演出とは、この「見られている事を知らない者」という小さなサスペンスを作出するための一つの方法である。
さらに「乱れる」における、有名な夜汽車の中のシーンを見てみたい。遠くの座席に座っていた加山雄三が、次第に近くの座席へと移動し、遂に高峰秀子の向かいの座席へと辿り着くというシーンである。
多くの批評は、こうして遠くの座席から次第に高峰秀子へと接近してゆく加山雄三の姿を印象的に批評している。確かにそれは、見事な視線の交錯のモンタージュであり、見つめ合うことが心理ではなく画面として露呈していた素晴らしいシーンである。だが、私が着目したいのはそこではない。いや、そこに着目するためには、他にも着目する必要がある。少しずつ席を移動しながら接近する加山雄三が、いよいよ高峰秀子の向かいの席に腰を下ろした後、引き起こされた事態である。
ここで加山雄三は「眠る」のである。
見事に眠るのだ。高峰秀子の正面の席に移動した加山雄三は、疲れて眠ってしまう。そして、その眠っている加山雄三の姿を、高峰秀子はひたすら「窃視」し、そして泣くのである。加山雄三の眠っている姿=「見られている事を知らない者」を見た高峰秀子が初めて自らの感情を吐露し泣く。成瀬にとって「ほんとう」の瞬間=「見られている事を知らない者」を「窃視」した高峰秀子が、初めて心情を吐露し、ひっそりと声を殺して泣くのである。
人前や、見られている事を知っている者同士による会話では決して見せたことのない高峰秀子のこの涙こそ、「ほんとう」としての「窃視」を紡ぐ事で、コミュニケーションを紡いで行くしかない内的な成瀬映画の人々の、慎ましやかなエモーションが露呈した瞬間なのだ。だがそのためには、「泣く」ためには、乗客が次第に少なくなってゆく感じが出せる夜行列車でなければならない。成瀬映画の内的な人々はひっそりと泣く。二人にとってこのシーンは、まさに「密室」でなければならないのである。そのためには是が非でも夜行列車である必要がある。一人減り、二人減り、時間の推移が次第に「密室」を作り上げてゆく成瀬的瞬間性のエロスの中で、初めて成瀬映画の内的な人々は、泣くことができる。●「山の音」の新宿御苑で泣き崩れる原節子の周囲には山村聡を除いてまったく人影がなかったように、●「浮雲」高峰秀子にすがりついて泣いた森雅之の空間は、わざわざ人払いをしたあとの暗闇に包まれた密室であったように、成瀬映画の内的な人々たちは「密室」で、声を殺して泣くのである。こうした点が、●「父ありき」(1942)で、同じ夜行列車の中でありながら、周囲に客がいる場所で、水戸光子が声を出して泣いた小津安二郎の演出と、成瀬のそれとは、似ているようで大きく異なっている。
この作品は、テレビ用に書き下ろされた松山善三のオリジナル脚本であり、終盤、高峰秀子と加山雄三が二人で家を出る部分からは映画用に付け加えられたと聞く。ここに「家を出ること」でしか、映画を終われない成瀬の性向が露呈し、さらにこの、眠っている加山雄三の「窃視」を入れたかった、そんな成瀬の意志が伝わってくる。このシーンは「窃視」「夜行列車」等、様々なマクガフィンがピンボールのように弾けながら、中心をその都度変化させ、循環しているのである。
■(2)動く時
●「妻よ薔薇のやうに」で、土間の英百合子の背中を「窃視」した直後に千葉早智子が和解へと土間に駆け下りたように、●「めし」において、原節子と上原謙の夫婦喧嘩を起動させたのは、二階で眠っている島崎雪子の艶かしい寝姿を、上原謙が出窓に座って「窃視」したことにほかならず、●「あにいもうと」で、京マチ子と森雅之の壮絶な兄弟喧嘩が始まったのもまた、しらばっくれておはぎを食う京マチ子の姿を、森雅之が苦々しく「窃視」した直後の出来事であったことを忘れてはならない。夫の仇を討つために、武家の妻、木暮実千代が家来の大谷友右衛門と旅に出る●「お國と五平」においては、風邪をひき、寝込んだ木暮実千代の姿を蚊帳の中から大谷友右衛門が「窃視」してから映画はエロスにまとわれ、「追跡劇」から「逃避行」へと変化し始めるのであり、●「あらくれ」において、寒村の旅館で奉公をしている高峰秀子と主人の森雅之との関係が結ばれるのは、洗面所で、髪をほどいてとかしている高峰秀子の艶かしい姿を森雅之が廊下の陰から「窃視」した直後であることもまたここに付け加えなければならない。●「おかあさん」で、年端も行かないチャコ(榎並啓子)が、みずから養子に出ることを決意したのは、クリーニング店を経営する母、田中絹代が、マフラーの染色の失敗をした弁償のため、箪笥の中から質屋へ入れるための着物を出している場面をそっと「窃視」した直後であったのであり、同じようにして、●「女の中にいる他人」において、映画が動き始めるのは、葬儀場で草笛光子が小林桂樹の後姿を「窃視」してからである。
成瀬映画が始動する要因に「盗聴」がある。「窃視」と「盗聴」、その両者に共通するのは「ずれること」にほかならない。●「妻として女として」で、星由里子と大沢健三郎という二人の子供を自立という運動へと駆り立てたのは、玄関で繰り広げられる大人たちの自分勝手な話し合いを彼らが盗み聞きしたからにほかならず、●「お國と五平」では、山村聡に二人の情事を「盗聴」されたことが、映画を一気に終息へと導いたことは言うに及ばず、●「めし」において、原節子が大阪へ帰る前の嵐の夜、隣りの部屋から聞こえて来る杉葉子と小林桂樹夫婦の「もう寝よう」というさり気ない「裸の声」を原節子が「盗み聞き」したという現象が紛れもなく存在し●「あらくれ」の二階での夫婦の大乱闘は、二階の加東大介と丹阿弥谷津子の会話を高峰秀子が階下から「盗み聞き」した直後の出来事であったことを忘れてはならない。
●「生さぬ仲」(1932)の岡田嘉子の行動を通じて検討してみたい。筑波雪子は、あるブルジョアの家庭に後妻として嫁入りをし、育ての親として娘(小島寿子)を可愛がっていたのだが、夫、奈良真養は疑獄事件で投獄され、自立を余儀なくされた筑波雪子は、ある日、産みの親である岡田嘉子に、娘を連れ去られてしまう。筑波雪子は単身岡田嘉子邸へ乗り込み、娘を取り戻そうとするのだが、岡田嘉子の弟(結城一郎)やその子分(阿部正三郎)の妨害に遭い、娘から引き離されてしまう。だが、引き離されまいと筑波雪子にしがみつき泣いている娘の叫びに耐えられなかったのか、岡田嘉子はその場を離れ、寝室へと入ってドアを閉めてしまう。岡田嘉子の耳には、引き離されまいとする母と娘の叫び声が聞こえて来る。それを聞いた岡田嘉子は遂に観念し、映画は一気に解決へと流れてゆく。この「解決」を導いたものは、決して面と向っての人間同士の対話でなければ格闘でもない。聞かれていることを知らない「ナマの声」という、「ほんとう」を盗み聞きしたこと、それだけなのである。ここでも成瀬映画は「窃視」と同じように「ずれること」によって動いているのだ。
●「君と別れて」や「禍福・前編」における「盗聴」については前述したが、そこでもまた成瀬映画は「盗み聞きすること」という「ずれ」によって、一気に解決へと収束してゆく。「君と別れて」の水久保澄子の漁村の実家における「二階」という空間は、磯野秋雄をして階下の修羅場を「直接に見る者」でなく「間接的に聞く者」たらしめるためのマクガフィンに他ならない。
こうして見てゆくと「窃視」「盗聴」という「なまもの」が成瀬映画を起動させ、さらにその「窃視」や「盗聴」を導くものは、成瀬映画の「通風性」にほかならないことが見えてくる。「通風性」という無防備で不可抗力的要因が、あらゆる出来事を循環させ、動かし続けているのだ。
「乱れる」の加山雄三は、「窃視」という「ほんとう」を導くために眠るのだとすれば、あの夜行列車のシーンにおいて見つめ合いながら座席を移動すること、そして眠ることは、「窃視」へと向けられたマクガフィンであるということになる。出来事をマクガフィンとして扱うということは、物語的思考回路による心理的、読解的思考回路から画面そのものを解放することにほかならない。
「乱れる」で、夜汽車の中で二人が何度も遠巻きに見つめ合うシーンは、加山雄三どころか、キャメラマンの安本淳すらも、「どのようにつながるのか知らずに撮った」という証言が残されているように、極めて「反心理的」に処理されている。カメラマンや演じている者たちは、今、撮っている場面がどういう場面か知らされず、従って人物の心理なるものを表現しようが無い、そういう状態を成瀬自身が、故意に作り上げたということなのだ。そういうことを可能にするものこそ、成瀬巳喜男という作家の④→③→②→①という、反心理的、反物語的な思考回路=マクガフィン的志向順序にほかならない。
こんなことを言っている人もいる。
『自分と事物のあいだに、概念、意見、過去、書籍を割り込ませる者、すなわちもっとも広い意味で、歴史に生まれついているような者は、事物を決して初めて見ることはできないであろうし、それ自身が決してそのように初めてお目にかかったものと言ったものではないであろう』ニーチェ「反時代的考察・下」368。
●「乱れ雲」(1967)
「乱れ雲」で加山雄三が眠るシーンにしても同様である。このシークエンスは①舟に乗る②熱が出る③雨が降る④雨宿りで旅館に入る⑤加山雄三眠り、司葉子看病する、から成り立っているとする。
マクガフィンとはそれ自体意味のないことであり、ここで①~④までの演出は、すべては⑤のための方便なり小道具としてのマクガフィンに過ぎない。その言い方が大胆すぎるというなであれば、こう言い換えよう。成瀬巳喜男の思考回路の中には①→②→③→④と、④→③→②→①とが、後者を主として混然と混ざり合っている。だからこそ「雨」は、我々の記憶の中の雨としては有り得ない、横殴りの線によって湖面を叩きつける、その「雨」は主として「水の落下」であって、決して我々の記憶に寄りかかるような雨からは遠いところの何かである。「雨」はひとつの装置として、エロチックに、生々しく露呈する。我々の瞳を不意打ちし、そのものの露呈としてのイメージを築き上げる。成瀬にとって重要なのは、雨ではない。加山雄三と司葉子の二人に重くのしかかり、ともすれば二人を旅館という密室へと閉じ込めるところの重力のエロスそのものなのだ。それを可能にするものこそマクガフィンという成瀬巳喜男の思考の流れに他ならない。もちろん「雨」は雨である。だが「雨」は決してただの雨ではない。
確かに成瀬巳喜男の「雨」は、鈴木清順の「雨」ほど、剥き出しに露呈してはいないし、成瀬巳喜男の「見つめること」は、小津安二郎の「見つめること」のように、映画そのものの限界に働きかけるようなどぎついものでもない。だが成瀬巳喜男の画面は、鈴木清順や小津安二郎の画面がそうであるように、決して善良な物語的な順序では構想されてはいない。
■④批評とマクガフィン
それにも関わらず多くの批評は、成瀬巳喜男やヒッチコック、ホークス、ルノワール。小津、宮崎駿といった作家の作品をして、否、そもそも映画というものすべてに対して①→②→③→④という物語的な読み(心理的順序)によって映画を読み取り、その順序に従った上で映画のメッセージなるものを理解しようと努めている。一流の作家たちの主たる思考回路は④→③→②→①であるにもかかわらず、である。往々にして彼らは①→②→③→④という「歴史」から自由になろうとはしない。彼らが反応できる映画は①→②→③→④の流れで撮られた映画であり、④→③→②→①の映画に対しても①→②→③→④の思考回路で読み解こうとする。そこで彼らはありもしないマクガフィンの中身を必死になって読み取り、ありもしない物語を必死になって読み解こうとしている。そしてどうあっても①→②→③→④の順序で映画が読み解けない時、彼らは「難解である、、」と呟くのだ。「難解な映画」という、在りもしない映画のジャンルを創設したのは彼らである。彼らは④→③→②→①の映画を、①→②→③→④の読みだけで解けない時、その映画を難解な映画であると断定し、「芸術映画で、わしには分からん」と打ちひしがれた被害者となって「被害者の会」を形成する。だが「被害者の会」の圧倒的多数意見に力づけられると、それまでは「芸術映画」であったものが、「ひとりよがりの芸術映画」へと豹変する。そして遂には④→③→②→①で「ひとりよがりの芸術映画」を撮った不届き者たちやそれを評価した者たちはみな「芸術をわかったフリをするスノッブ」にされ、圧倒的多数派を形成する①→②→③→④の「被害者たち」が完全勝訴することになる。彼らは「難解な映画」に加えて「ひとりよがりの芸術映画」という、新しい映画のジャンルを二つ創設した人々である。こうして映画史とは批評家たちの安心のためにのみ存在し、映画の安心のために存在しない。だがそのような態度は決して作品というなまものに接する態度ではない。画面とは、ただひたすら荒唐無稽で捉えどころのないナマモノの露呈である。その荒唐無稽さに翻弄されつつ真摯に向き合ってこそ、作品というものとの遭遇が可能となるのだ。
★①→②→③→④という思考回路と、「見ること」の減退
心理的映画とは「ほんとうらしさ」という映画の外部へと働きかける事で我々の記憶へと働きかける映画である。心理的映画は「ほんとうらしさ」という記憶を呈示することによって、我々をして「見ること」ではなく「思い出すこと」を要求する。「思い出すこと」とは「共感」に他ならない。だが人は思い出すとき、「見ること」をしなくなる。人は物事を考え始めると「見ること」ができなくなるのである。
映画を見ている時、前のカットと現在のカットとがどうやってつながったかをじっと観察してみるといい。我々はたちどころにして「見ること」ができない自分に気付くはずだ。その時とは、我々が映画の物語に没頭した時=「画面を見なくなるとき」にほかならない。
(1)マクガフィンの循環
①●「乱れ雲」(1968)と「浮雲」(1955)。
遺作、「乱れ雲」では、加山雄三のフィアンセであり、加山の不祥事によって別れざるを得なくなった浜美枝が、加山雄三のアパートにやって来て、引き戸とカーテンを閉め、自己の意志で「密室」を作り上げる。だがすぐさま加山雄三は引き戸とカーテンを開け放ち、自己の意志によって、作られた密室を破壊してしまう。それだけではない。加山雄三が熱を出し、十和田湖の旅館で夜通しの看病をした司葉子は、その後住み込みをしている森光子の旅館に帰宅すると、自己の意志によって自室の引き戸とカーテンをすべて開け放って解放しているのである。
この二つの運動は、意志的という点で呼応している。確かに映画の中には、十和田湖の雷雨による旅館で、雨という不可抗力による「密室」が作られた場面もあるし、そもそもこの二人のめぐり合いそのものが、加山雄三の運転する自動車のタイヤのパンクという不可抗力がもとになっている。
だがその十和田湖のバス停の近くの料理屋の前の労働者たちに姿を見られた加山雄三が「俺たちは見られてやましいことなんかしていない」と言うように、この映画はまさに「みずからの意志で堂々と外へ出る」映画であって、加山雄三と司葉子の運動は、「それでも外へ出ること」で一致している。司葉子が、夫を車で轢き殺した加山雄三から毎月送られてくる慰謝料に対して「人に頼って生きてゆくなんて、わたしいやだわ、、」と言うようにそれは自立の要素を伴った、意志による外への運動なのだ。そういう感覚は●「夜ごとの夢」(1933)で、売春で警察に逮捕された栗島すみ子がアパートに帰って来たとき、栗島すみ子の息子が、部屋の窓という窓をすべて開け放った運動と極めて酷似している。それはこの「夜ごとの夢」という作品が、「強く生きて自立する」という意志が強く打ち出された作品であることと無関係ではないだろう。そこで栗島すみ子は、生活苦から自殺した斎藤達雄の遺書を噛み切り、「弱虫!」となじり、「世の中から逃げ出すなんて!」と叫び、息子には「強く生きなさい」と諭している。そうしたことの一つの決意というものが、息子をして「すべての窓を開けさせる」という、開放的な運動へと導いたのである。
「乱れ雲」は、不可抗力によって翻弄された人たちが内から外へと向かう運動を意志的なものによって描いた映画である。キスをするという行為を成瀬映画一般について見てみると、●「鰯雲」の淡島千影と木村功にしても、●「娘・妻・母」の原節子と仲代達矢にしても、●「夜の流れ」の宝田明と草笛光子にしても、すべて外部から遮断された「密室」の中で行われている。確かに●「女の歴史」のように、高峰秀子と仲代達矢が、焼け野原の東京という明けはなれた空間でキスをしたり、星由里子と山崎努が、窓の開け放たれた朝のマンションの一室でキスをするという作品もある。この「女の歴史」は、後述するように、成瀬映画の中で唯一結婚式の撮られた作品でもあり、そういう意味で非常に特異な作品でもあるのだが、前者のキスについて言えば、それは夜の暗闇という「密室」で行われており、後者については、開け放たれた窓は主題的にはまったく強調されていない。窓の閉め忘れ、とは言わないが、開いていても閉まっていてもどっちでもいいような感じで撮られているのだ。それに対して「乱れ雲」における加山雄三と司葉子のキスは、一度目は昼間の強い光線が照りつける山菜取りのロケーションの真っ只中で、二度目は最後の日の旅館の中で成されている。その旅館でのキスは白昼、女中が部屋の窓も障子もすべて開け放ったそのままの状態で開始され、かつキスをする画面の中に、開放された窓がしっかりと取り入れられ、次の瞬間、窓の外に大きくカッティング・イン・アクションで引かれて解放されているのである。続いて加山雄三が別れ際に津軽民謡を歌うシーンでもまた、旅館の障子も窓もすべて開け放たれている。「乱れ雲」の運動は、映画開始時点から少しずつ「内から外へ」と向っている。
対して「浮雲」では、まず高峰秀子が闇市の安ホテルの粗末なガラス戸を自己の意志で閉めて「密室」を作出すると、仏印での幸せな生活が回想で入り、そこで二人は森の中に差し込む陽光の中で開放的にキスをする。次に二人は現在の薄暗い安宿の空間へと引き戻され、仏印でのキスシーンと重ねられるように唇を重ねる。回想が終わった頃には、安ホテルはすっかり暗闇の「密室性」に包まれている。仏印での、屋外における陽光のもとでの開放的な情熱が、現在の暗闇による「密室」の中での情事へと内向してゆく。外から内へのコントラストを際立てながら、「浮雲」の運動は繰り広げられてゆくのだ。
以後、「浮雲」は、ひたすら内への運動へと向ってゆく。闇市にある物置のような高峰秀子の小屋には小さな窓しかなく、日が暮れるとローソクの灯が暗闇を際立たせて「密室性」を助長させ、大きなガード沿いの倉庫を改造したような森雅之のアパートには、窓はあるものの極めて窮屈な密室性に包まれていて、どちらも開放感からは程遠いじめじめとした陰湿な薄暗さに包まれている。成瀬映画の「通風性」のひとつとして「立つ」→「引く」のカッティング・イン・アクションによって思い切りキャメラを外へ引くことがあり、それは障子や窓が開け放たれ、或いは外からも内部を見ることのできる透明なガラスがあってこそ可能となるのであるが、「浮雲」の装置の数々は、最後の屋久島のボロ小屋にしても、伊香保の加東大介の料理屋の二階にしても、「外へ引くこと」を想定して作られてはいない。美術の中古智が設計する成瀬映画の空間は、初めて成瀬映画を担当した●「まごゝろ」(1939)から始まって成瀬の遺作の「乱れ雲」まで、思い切ってキャメラを外へ引くことを前提とした設計が成されていた。「まごゝろ」では生垣の辺りまで思い切り引いて縁側を撮っていたし、「乱れ雲」にしても、加山雄三のアパートや、旅館などにおいて、外へと一気に引くショットが成瀬映画に大胆な開放感を与えていた。だが「浮雲」の場合、「立つ」の瞬間、外から引いてカッティング・イン・アクションで撮ったケースはただの一度しかない。闇市の立ち並ぶ安ホテルで高峰秀子が立ち上がった時、窓ガラスの外からキャメラを引いて撮ったショットがそれである。だがそのショットにしても、窓に接近した近景からのショットであって開放感なるものとは程遠く、薄汚れた窓を通した窮屈なショットとして撮られている。高峰秀子が山形勲の金を横領してからやって来た温泉では、外から撮ったショットは幾つか存在するが、「立つ」→「引く」で外へ引く爽快なカッティング・イン・アクションはまったく存在せず、鹿児島の旅館では、外からのショットすら一つも存在しない。そして最後の屋久島の小屋では、雷雨という自然現象によって閉じ込められた高峰秀子が風に揺れる鎧戸を「閉めよう」とする運動で終わっている。「乱れ雲」が、不可抗力によって閉じられたものを自己の意志で「開けよう」とする運動であるとするならば、「浮雲」は、自由な意志によって開かれていたものが、不可抗力によって「閉ざされてしまう」ことの運動なのだ。確かに森雅之の倉庫のアパートは近所の女たちに「監視」され、僅かながらも「通風性」を露呈させたりする空間は存在するものの、本来、成瀬映画の「通風性」とは、内的な人々たちが外部という異質なものに翻弄される事であるとするならば、この「浮雲」の場合、高峰秀子の周囲に集まってくる人々の多くは、その殆どが高峰秀子と森雅之の同類であり、そのために高峰秀子は、映画の中でほとんど敬語を使っていない。粗暴な人間たちのように見える●「あにいもうと」の山本礼三郎や森雅之ですら、京マチ子を孕ませた船越英二に対して、最初はあくまでも敬語を使っていたのとは余りに対照的である。森雅之にとって、船越英二は外部の人間であって、彼らとは質的に異なる人間である。成瀬映画とはまず、質的に異なる外部との戦いによる葛藤の運動である。その点「浮雲」は、いつもの成瀬映画のような目に見える外部に翻弄される映画ではない。目に見えない外部に翻弄される映画なのだ。
私が「乱れ雲」に感動したのは、人物たちの確固たる外へ向う意志であった。少なくとも加山雄三は、最後の選択を始め、みずからの意志によって身を処している。「通風性」という不可抗力を意志で乗り越えて行く美しさに感動し、それが成瀬の遺作であることからして、成瀬映画の集大成として、「通風性」に翻弄されつつもそれに立ち向かった映画として美しいのだと。対して「浮雲」は、成瀬映画の「通風性」に真っ向から闘いを挑んだ「密室性」の映画である。彼らはひたすら篭る。「浮雲」に「通風性」は存在しないのである。
そうしたことから私は、この論文を書き始めてしばらくのあいだ、この「浮雲」は極めて成瀬らしくない映画であると感じていた。だがこうして見てみると、「浮雲」の二人は徹頭徹尾「不可視の不可抗力」に翻弄され続けている。その不可抗力とは、余りにも大きな力であり、彼らを翻弄し続けた時代の力であるだろう。私は、「通風性」ばかりに囚われていて、実はその「通風性」自体もまたマクガフィンであることを忘れていたのだ。成瀬映画の究極的第一原因とは「不可抗力」なのである。あらゆる不可抗力の力によって人間が翻弄されてしまい、制御できなくなる。その中で、葛藤をし、流されながら、何かを露呈させてゆく映画、それが成瀬映画であり、そのために「通風性」という現象が、マクガフィンとして必要となるに過ぎない。もちろん「流される」にしても、何かしらの意志は絡んでおり、それはあくまで程度の問題ではあるにしても、視覚的運動において窓を開ける「乱れ雲」と、閉める「浮雲」とは、明らかに逆方向を向いている。「浮雲」は「通風性」に欠ける。だが、極めつけの不可抗力の映画である。彼らは、目に見えない外部の力によって、ひたすら流されてゆく。表面に現われてゆく意志なるものを削ぎ落としてゆく成瀬映画の変化の過程の一つの終着点が「浮雲」なのだ。そうすると、不可抗力に対する意志による戦いである「乱れ雲」よりも、不可抗力に流されてゆく「浮雲」のほうが「成瀬らしい映画」ということになる。「乱れ雲」の「意志的なもの」とは、実はサイレント初期の「意志の映画」である「夜ごとの夢」(1933)への逆行とも受け取れるものだからである。
もちろん、この「らしい映画」なるものは、ある映画をある視点で「らしい映画」と仮定することから来る一つの型にすぎず、絶対的な作品の価値を決める尺度ではない。ただ一つだけ言えるのは、「通風性」から「不可抗力」へと、次から次へとマクガフィンが無限連鎖し、遡及して、或いは循環してゆくところの成瀬映画の構造上の豊かさなのである。成瀬映画を「決め付けた」瞬間、実は成瀬映画は、私の掌からこぼれおちていってしまうのだ。批評とは、まさに作品がそうであるように、断定と解体との永遠の反復である。
この「浮雲」を、小津安二郎が珍しくも褒めたらしい。小津が共感したのは、「浮雲」の高峰秀子と森雅之が、ひたすら内へと流されてゆく、その運動の方向性ではなかっただろうか。不可抗力に立ち向かうのではなく、流されてゆく、それは、不可抗力を決して忘れず、力としてひれ伏すことでもある。そんな小津は、頭巾と眼帯の映画である「浮雲」の二年後に、頭巾とマスクの映画である●「東京暮色」(1957)撮ることになる★注⑥
成瀬の「浮雲」へと向けられた言葉が想起される。
『「めし」あたりからやってきたことのいわば集大成を「浮雲」」でやってみたかった。人間を男と女の問題としてとりあげていって、その絶頂みたいなものをつきつめてみるのに興味をわかせました』
■(2)マクガフィンをもう一度
ここでひとつ私も「マクガフィン的思考」を身につけて、成瀬映画の現象を解いてみたい。
成瀬映画の装置は、成瀬映画の人々に「通風性」をもたらす事で翻弄するためのマクガフィンとして多くの場合露呈している。大きく開け放たれた縁側や、鍵のかかっていない玄関のような開放的な装置の数々は、確かに時代背景であるとか美しさ、季節といった物語としての意味も備えているものの、それと同時に、直接的な侵入そのものの持つ驚きや恐怖を露呈させることで我々を不意打ちにし、それによって成瀬映画の内的な人々を不可抗力により外部へと駆り立てることで映画を起動させてゆくためのマクガフィンとしても機能しているのだ。
例えば50年代の「夫婦もの三部作」といわれる●「めし」「夫婦」「妻」の三本の、倦怠期の夫婦たちの住まいはすべて階段が備えられた二階家である、という事実もまた、マクガフィン的思考回路によって解決されなくもない。まず二階家があるのではなく、まず始めに不可抗力としての外部の者たちの侵入という「通風性」があり、そのためには外部の者たちの住む空間としての二階が設定され、そこで初めて階段という装置が現われる。だからこそ成瀬映画の階段は、小津の階段のように不可視でなく、あられもなく可視的に露呈し続けているのだ。
逆に●「驟雨」には、夫婦もの三部作のような下宿人は不在である。夫婦は香川京子の「侵入」に遭うものの、真面目で上品な香川京子の侵入だけでは今ひとつ弱い。「夫婦もの」には、もっと大きな「通風性」が必要である。そこで、夫婦の家の隣に、もう一組別の夫婦を置いて、彼らに夫婦を「監視」させよう。そうすれば「通風性」は満たされるだろう。そうなれば二階は必要ではない、という流れである。すべてがこの回路だと断定するつもりはないし、そこには原作も絡んだ複雑な思考が混ざっていることだろう。だが必ずや成瀬映画の装置には、こうした逆流の思考回路が物語的な回路と同居して存在しているのである。
●「おかあさん」について成瀬は『母の苦労を書いたつづり方なんだけど、それをうまくひとつの家庭にまとめてね・・・クリーニング屋の家庭の話に仕組んだわけ』と回想している。この「仕組んだわけ」という怪しげな発言がいかにもマクガフィン的である。「商売をすること」という出来事も、「通風性」のためのマクガフィンとして機能していることが見えてくるだろう。
成瀬映画の大半は、既に家(親もと)を出て自立をしている者たちの映画である。例えば●「浮雲」の高峰秀子は既に家を出て自立しているし、「夫婦もの三部作」の夫婦たちも、既に家を出て自立している。そしてこの「主人公が映画開始当時既に家を出ている映画」の中には、「結婚すること」を描いた作品は三本しか存在しない。
一本は初期サイレント映画であり、成瀬松竹蒲田最後の作品である●「限りなき舗道」(1934)である。前述したようにこの「限りなき舗道」は、内的な娘、忍節子が、弟の就職も考えながら、愛しているとも愛していないともいえるブルジョア青年、山内光の家へ嫁ぐことの作品なのだが、この作品において忍節子は、肉親と同居しているのではなく、友達と二人でアパート暮らしをしている。「既に家を出ている」娘なのだ。
あとの二本は●「あらくれ」と●「放浪記」である。しかしこの二本の「結婚すること」は、殆ど同棲のようなものとして描かれている。「あらくれ」で高峰秀子は、映画開始当時、上原謙と結婚していたが離婚して出戻り、再び加東大介と結婚することになるのだが、その結婚とはほとんどなし崩し婚のようなものであり、結婚式も新婚生活もまったく描かれていないし、「放浪記」においてもまた、高峰秀子は、小説家の宝田明と結婚し、世田谷の貸家で同居することになるのだが、この結婚もまた金の無い者同士の同棲以上のものとして描かれてはおらず、「あらくれ」同様、「結婚すること」が主題として撮られた作品ではない。これ以外に、紛らわしい作品として●「女の歴史」があるが、「女の歴史」の結婚式の場合、あくまで回想として描かれた結婚式であり、それは高峰秀子が「家を出ていない」時期の出来事であって、「既に家を出ている」高峰秀子が結婚したのではない。
●「朝の並木道」(1937)と結婚すること
すると正真正銘「家を出ている者」の「結婚すること」が描かれているのは「限りなき舗道」一本、ということになる。その他の「家を出ている映画」では、恋愛が主題として撮られる映画は数多くあるものの「結婚すること」が描かれた作品はまったく存在しない。
何故、多くの「既に家を出ている映画」おいて「結婚」という一大事が描かれないのだろう。それは「既に家を出ている映画」の主人公たちは、「既に家を出ているから」ではないだろうか。禅問答のようになって来たが、成瀬映画の大きな主題のひとつは「家を出ること」であって「結婚すること」ではない。従って「既に家を出て自立している者」の映画の場合、わさわざ「結婚すること」という「家を出るための儀式」を撮る必要は無い。成瀬巳喜男という作家にとって「結婚すること」という儀式は「家を出るためのもの」以上のものではないからである。マクガフィンなのだ。
そうすると、「家を出ていない映画」においても、重要なのは「家を出ること」であって「結婚すること」という儀式そのものではない、ということになりはしないか。そこで私は、「結婚することの映画」において、結婚式という儀式が描かれているかどうかを、見て行くことになる。
■④結婚式
成瀬映画の中で、「結婚すること」の撮られた映画は●「限りなき舗道」(1934)「女人哀愁」(1937)、「雪崩」(1937)回想「薔薇合戦」「禍福・後編」(1937)(1950)「お國と五平」(1952)●「あらくれ」(1957)「杏っ子」(1958)●「放浪記」(1962)●「女の歴史」(1963)の8本である。●印が「主人公が映画開始当時、既に家を出ている映画」である。
この中で結婚式の撮られた作品は「女の歴史」一本しか存在しない。
「限りなき舗道」においては、忍節子と山内光との交際が描かれたあと、いきなり「恋人同士の結婚」という字幕が入り、画面は結婚後に転換され、新婚期もとうに過ぎた山内家の台所で仕事をしている忍節子が撮られてゆく。●「朝の並木道」においては、カフェで客の大川平八郎と酒を飲んでいる千葉早智子のショットから、いきなり二人の新婚旅行の車内へと画面は転換されているし、●「女人哀愁」においてもまた、内的な女、入江たか子は見合いでブルジョア男性北沢彪と結婚するのだが、結婚の様子は、写真館でのカメラに写った凸レンズで反転した二人の映像から当人たちへのトラック・アップの動画が静止して写真となり、それが実家の母の元へ送られて来るという、コメディタッチによって軽く処理されているだけであって、結婚式は撮られてはいない。●「雪崩」では、霧立のぼるの回想によって、結婚までの過程が想起されているが、結婚式はまったく描かれておらず、●「禍福・後編」では、逢初夢子と大川平八郎との結婚式は「前編」とのあいだで行われたらしくまったく省略されていて、高田稔と竹久千恵子の結婚もまた、高田稔の桐生の実家に送られてきた記念写真を妹の堀越節子が見ているシーンによって暗示されているに過ぎない。余談だが、入江たか子の出産シーンなどというものももちろん省略されている。●「薔薇合戦」で桂木洋子が家を出て自立するために試みた別居結婚は、まさに結婚という制度に反発して為されたものであって、当然ながら結婚式など存在すらせず、姉の若山セツ子の結婚もまた、いつものように、いきなり新婚旅行の汽車の中のショットへつながれ省略されている。●「あらくれ」の高峰秀子と加東大介の結婚式もまた完全に省略され、画面は新婚期をとうに過ぎた二人をいきなり捉えることになるだろう。●「お國と五平」は、敵討ちのために既に家を出ていた木暮実千代が、回想で田崎潤との結婚を想起するのだが、ここでも結婚式の演出はまったくなく、新婚期もとう過ぎたであろう落ち着いた結婚生活へと場面は飛んでいる。成瀬は、結婚式どころか新婚生活すら撮ることはないのである。●「杏っ子」においては、疎開先で結婚についての意見をする父、山村聡と香川京子との会話から、いきなり新婚旅行の列車へと場面は転換されることで、これまた結婚式は完全に省略され、画面はまた、新婚期を飛ばして結婚から数年後へと一気に転換されてしまうし、弟の太刀川洋一の結婚についてもまた、場面はまたしても、いきなり新婚旅行の列車の中へと転換され結婚式は見事に省略されている。●「放浪記」においては、そもそも結婚という儀式的な事実は何一つ描かれていないし●「あらくれ」の場合、映画開始時は結婚状態にあり「家を出ていた」高峰秀子がその後、上原謙と離縁し「出戻り」となる映画であり、そこから高峰秀子は再び家を出て、あちこちを放浪し、その果てに加東大介と所帯を持つのであるが、それは結婚式すらあげる金の無い者たちの同棲以上のものではなく、結婚式は省略されたというよりも、そもそも存在すらしなかったかのようである。●「鰯雲」では、農家の後継ぎである小林桂樹が、司葉子を嫁に貰うことになるのだが、結婚式の金がなく、二人は家を出て街の新珠三千代の料亭の裏二階で下宿をしながらなし崩し結婚をすることになるのであり、結婚式はここでも見事に省略されている。
「結婚式」が描かれた作品はただひとつ●「女の歴史」一本である。ここでは高峰秀子と宝田明との結婚式が、高峰秀子の回想として丹念に撮られている。そればかりか、戦争への出征式、という儀式もまた撮られていて、成瀬映画としては、特殊な作品になるだろう。
成瀬が撮りたいものは、結婚という制度ではなく、「外部へ出ること」という剥き出しの出来事である。それが故に「家を出ること」さえ描いてしまえば、制度としての結婚というイベントを描く必要は無い。「結婚すること」はマクガフィンに過ぎないのである。成瀬映画における結婚式の省略という演出は、こうした成瀬映画の性質から見たならば、当然の演出と言える。逆に言うならば、成瀬映画で結婚式が儀式として撮られた作品=「女の歴史」は、成瀬映画の「後退」の問題を提示することになるかも知れない。
ちなみに●「めし」以降の30本の成瀬映画には「結婚すること」を主題として撮られた映画は「杏っ子」ただ一本しか存在しない(「女の歴史」を入れるなら二本)。「結婚すること」の映画とは、何かどうしても新派調にかかってしまい、内部から外部への移行が余りにもドラマチックに描かれてしまうため、強いドラマ性を嫌った50年代以降の成瀬は敬遠したのではないだろうか。それよりも既に家を出ている者たちが、外部との微妙な接触に耐えながら淡々と生きてゆく様を撮ることにこそ、「めし」以降の成瀬映画の変化があるのではないだろうか。変化とは、ドラマ(物語)から出来事への移行である。
●「おかあさん」(1952)
ここで「おかあさん」の、チャコ(榎並啓子)が幼くして養子に出される場面を見てみたい。この別れの場面を成瀬は、心理的なクローズアップや涙を抜きにロングショットを中心にひとつの出来事として処理している。私は始め、こうした演出を、「感傷を排した」であるとか、「省略による淡々とした人生描写」であるとか、いわば成瀬は「殊更に~な演出をした、しなかった」、という感覚で受け止めていたのだが、ここまで検討してきたように成瀬映画の本質のひとつは「家を出ること」であると考えた時、「家を出ること」という出来事において感傷を省略するという演出は、マクガフィン的思考回路によって映画を撮っている成瀬巳喜男からするならば、いわば当然ということになる。成瀬映画に感傷とか感動とかいう主題は存在しないからである。まず成瀬には撮ってみたい出来事があり、そのために装置や人物を配置し、少なくとも物語というものを中心としてみたならば、逆算的に映画を撮ってゆく。だからこそ成瀬の映画は、心理とか動機とかといった理屈っぽい描写が排除され、ひたすら主題だけが生々しく画面の上へと露呈し始めるのだ。
一度路地へと出たチャコが、駆け戻ってきた時、現代型シネコン映画に汚染された我々の感傷癖からするならば、娘は田中絹代の腕の中へと駆け込み、二人は抱き合って、というシーンを期待するのであろうが、成瀬はそんな予想を見事に裏切って見せる。娘はなんと田中絹代の横を素通りし、家の中へ駆け上がり、奥の間に貼ってあった母、田中絹代の似顔絵をそっと剥がして持ち去ったのだ。それを土間から田中絹代が「窃視」している。そしてそのまた田中絹代の横顔を、娘の香川京子が「窃視」している。成瀬が撮りたいのはこれなのだ。こうした「ずれた」瞳の運動こそが、成瀬の撮りたいものとして露呈しているのである。「おかあさん」ではそのあと、職人の加東大介もまた店を出て去ることになる。だがその動機の場面についても、成瀬はすべて省略し、あとは去って行く加東大介の背中を追う香川京子の瞳の運動に任せている。それこそ成瀬巳喜男という映画作家が、感傷でなく瞳の運動によって映画を撮っていることの紛れもない証左である。この『加東大介の後ろ姿を追いかける香川京子の瞳』については、後日、我々は徹底的に検証することになる。
■⑤「銀座化粧」(1951)と不可抗力
ちょっと気に掛かっていたシーンがあるのでここで検討したい。「銀座化粧」で、田中絹代の幼い息子が、迷子になったシーンである。ある日息子は、母の田中絹代に外へ連れてゆく約束をすっぽかされたことが原因だろうか、一人で遊びに行ってしまい、遅くなっても帰らない。母の田中絹代はちょうどその時、思いを寄せる堀雄二と、接待という名目のもと、旅館で密会していたのだが、息子の迷子を知らせに旅館までやって来た妹分の香川京子にあとを任せ、田中絹代は下宿に帰って息子を探しに行く。するとすぐ息子は帰って来て、田中絹代に叱られ、泣くのであるが、どうもこのシーンはおかしいのである。息子の「迷子になる」という出来事に、殆ど何の理由もないのである。あるとすれば、無事帰宅した母と息子の再会シーンの感動、ということにでもなるのだろうが、成瀬はそんなくだらないものを目的として撮るような作家ではない。ここには必ずやマクガフィンが潜んでいる。そうして何度かこの作品を見直してみると、これはどうやら旅館に残った香川京子と堀雄二とを、不可抗力によって結び付けるためのマクガフィンであることが見えてくる。香川京子はその後、旅館で堀雄二と気が合い、結ばれはしないにしても、結婚を誓い合うところまで行ってしまうのだが、成瀬という作家は■第三章で検討したように、みずからの意志によって密室を作った者たちを、どろどろとした関係として否定的に評価する傾向がある。だからどうしても、香川京子は不可抗力で堀雄二のいる旅館に訪れる必要があった。そのために、息子を迷子にして、香川京子を「緊急の使者」という不可抗力として、旅館へ行かせたのである。成瀬は旅館で、代わりに堀雄二を接待するように田中絹代から頼まれた香川京子をして、「嫌よ、、」と、乗り気ではないことを演出で加えることで、これが不可抗力であることを強調している。それはあたかも●「乱れ雲」の裁判で、加山雄三の引き起こした交通事故が不可抗力であったことを、長々と判決理由の中で裁判長に説明させた成瀬の演出と同じである。両者の行動が不可抗力であることが、成瀬にとっては非常に重要な事実なのである。
■⑥成瀬映画に不在のもの
こうしてマクガフィン的な思考回路で映画を見てゆくと、「在るもの」と同時に「ないもの」も見えてくる。他の映画にはあって、成瀬映画には不在なものを、マクガフィン的思考によって想像してみたい。
例えば病人という存在は、成瀬にとって寝顔を「窃視」する以上の存在ではなく、一、二度寝顔を「窃視」してしまえば、●「おかあさん」の片山明彦や三島雅夫のようにすぐお払い箱になるか、或いは●「生さぬ仲」の娘や、●「乱れ雲」の加山雄三のように、即座に回復するか、或るいは●「コタンの口笛」の森雅之のように即死するかのどちらかであり、決して「寝込み続ける病人」は存在しない。成瀬にとってそれは無意味であるばかりか、病人の存在が、義理堅い主人公たちの「家を出ること」という運動を阻害するからである。そうした点で、高峰秀子が最後まで寝込み続けた●「浮雲」という作品の、細部における特殊性がまたまた浮かび上がって来る。何度私が結論を出して決め付けたところで、「浮雲」は亡霊のように甦り、私の結論を解体しにかかって止まない。これが豊かさ、というものだろう。
最後に印象的なマクガフィンとして、「旅役者」の「雨」を見てみたい。
■⑦雨とマクガフィン
●「旅役者」(1940)
この作品の前後に実生活で千葉早智子と離婚している成瀬だが、その憂鬱を吹き払うような夏の日差しに包まれた晴れやかな作品である。
旅一座で、馬の着ぐるみの前脚(藤原釜足)と後脚(柳谷寛)を演じる二人組みを描いたこの作品では、「雨」という現象が、「雨があがること」のマクガフィンとして使われたとしか思えない抒情的なシークエンスがある。タニマチの中村是好に馬の着ぐるみを潰されてしまい、ちゃんと修理するまでは芝居に出ないと突っ張った二人組は一座から乾されてしまい、旅館に泊まることもできず、仕方なく狭い楽屋で一夜を過ごすことになる。夜、突風と雷で楽屋は停電し、二人は真っ暗な楽屋の中に落ちて来た人形の首にびっくりしたり、散々な夜を過ごすことになのだが、一夜明けると夜半過ぎから降った雨も見事にあがり、風に揺れた草花や、乾きかけた砂利道が朝の光線でキラキラと乱反射している。朝、トンカチが釘を打つ音に目覚めた二人は、うるせぇな、、とばかりに楽屋の小さな窓から顔を出す。この時、二人の顔に当たる光線が、まさに「雨上がりの光線」と言うしかない透き通った光線なのである。成瀬巳喜男は通常の光とは別に、ポケットの中に「雨上がり専用の光」というものを持っていて、その両者を使い分けているのではないか、そう勘ぐってしまいたくなるほど、成瀬映画の「雨上がり」というのは、その光線の絶妙な清清しさによって何とも言えない開放感に包まれている。●「めし」で台風の翌朝、屋根の上に上がって修理をしている小林桂樹を包み込む雨上がりの光線、●「春のめざめ」で、雨に濡れた屋根瓦に照りつけて乱反射させる雨上がりの光、●「山の音」で、暴風雨による停電の翌朝、家の前の山へと続く坂道を登ってゆく女の姿を捉えたロングショット、●「乱れ雲」で、加山雄三が熱から醒めた翌朝、旅館の中に差し込む夏の光、、、成瀬映画において雨は、「あがること」のためにのみ降り注ぐのではないか、そう思わせるマクガフィン的発想は、成瀬映画の「雨があがること」の数々が、余りにも見事であることから来る連想であって、現在の多くのシネコン映画にこうしたマクガフィン性を感じるものではない。「雨があがること」が、余りにも見事であるがゆえに、『ひょっとして成瀬にとっては、「雨が降ること」よりも「雨があがること」の方が目的で雨を降らせているのではないか』と見えてしまう、マクガフィンとは、そういう経路で感じられる映画的現象なのだ。この「旅役者」では、その雨上がりの田舎の農道を、藤原釜足と柳谷寛が、ひたすら歩いてゆく。仕事もなく、ふてくされているのだろう、藤原釜足が道しるべを引っこ抜くと、弟分の柳谷寛が慌ててそれを付け直す。ふたりはふと目の前に現われた、腰まで浸かるくらいの小さな泉の中に入って行く。藤原釜足は衣服を洗い、体を洗い、薄っぺらな石鹸を柳谷寛に手渡す。次のショットで二人は泉の脇に腰を下ろしている。彼らの前には、木の枝に乾された衣服が雨上がりの太陽光線の下で風にゆれている。ここまで一切のセリフは入らない。こうしたサイレントの叙情的なショットを撮ることができるのは、私の映画体験の範囲では、D・W・グリフィスただ一人しかいない。おそらく成瀬は、ここまでをすべて考え、イメージして、そのために「雨」を降らせたのである。このシークエンスは絶対に「雨上がりの光線のもと」でなくてはならないのだ。脚本は成瀬である。こうした作品を、半世紀の歳月を隔ててデュープネガから起こして上映用プリントに焼いて下さった人々に、感謝したい。
成瀬巳喜男の映画の人々は、内的な人々である。彼らはみずからの性向から時代の流れに逆らうこともできず、色々な人々たちと接触させられる事で、好むと好まざるとにかかわらず、家の外へ出なくてはならなくなる。そんな人々が、コミュニケーションの下手糞な人たちが、瞳を使って人々を見つめることで、ふとした瞬間に垣間見せる真実の瞬間を感じたり、感じさせたりしながら、外部の人々とある種の関係を作ってゆく。成瀬巳喜男は、彼らをして外へ出ることが、決して否定的な行動だとは捉えていない。内的な人間たちが、外へ出てこそ、そこにドラマは生まれ、葛藤が生まれ、関係が築かれ、映画が生まれる。成瀬巳喜男の映画は、そこからスタートするのである。
「マクガフィン性」なるものが、成瀬巳喜男が、サイレント映画を経験したことから来るのか、それとも彼本来の性向なのか。ただサイレント映画を経験した作家たちに「マクガフィン性」を感じる作家が多いのは事実である。もちろんこの論文は、成瀬巳喜男の演出における「マクガフィン性」に集約されるものでもない。マクガフィンはひとつのマクガフィンに過ぎず、それを含めて次回も引き続き、成瀬巳喜男の映画の力というものを解明してゆきたい。
「窃視」について言うならば、多くの「窃視」によって紡がれてゆく成瀬映画の全体像の、まだほんの入り口にたどり着いたに過ぎない。次回以降、「窃視」という瞳の運動と、「音声」という聴覚の現象によって、もう一度成瀬映画のショットの力に接近してゆくことになるだろう。そうした点を含めて、次回の論文の仮題は、今回以上の大風呂敷を広げて「成瀬巳喜男の法則」とするつもりである。視線と音声の観点から、ある一定のパターンを抽出してみたい。
と書きながらも、今回の論文は、書き始めた途端、当初の思惑とは大きく違った展開を見せ始めてしまったのであり、次回以降にこの探求が、どのような展開を見せてゆくのか、私自身、大きな楽しみである。成瀬巳喜男の法則に辿り着くのか、或いは、在ると思った法則が壊されてゆくのか、先入観を極力廃し、「決め付けること」の危険から自由になりながら、法則を見出し、それを壊してゆくことの反復が成せるならば、幸いである。そしてあの●「山の音」の原節子による、あの信じ難き「窃視」へと、いかにしてつながってゆくのか、それともつながって行かないのか、それは画面そのものから成瀬巳喜男という映画監督の人生観にまで立ち入ってゆく事への挑戦になるだろう。
映画研究塾 2009.1.1
★注①店舗を経営する作品。
「噂の娘」(1935)酒屋。「三十三間堂通し屋物語」(1945)旅館。「めし」(1951)原節子の実家が洋品店。「おかあさん」(1952)クリーニング店。香川京子は露天で今川焼とキャンデー屋。「稲妻」(1952)三浦光子の仕立て屋と喫茶店。「夫婦」(1953)杉葉子の実家の蒲焼屋。「あにいもうと」(1953)実家が夏はカキ氷、冬はおでん屋。「妻の心」(1956)薬局。加東大介の洋食屋で高峰秀子が修行。高峰秀子の実家はタバコ屋。「あらくれ」(1957)缶詰屋。仕立て屋。「夜の流れ」(1960)料亭。「秋立ちぬ」(1960)八百屋。「女の座」(1962)雑貨屋。小林桂樹はラーメン屋「女の歴史」(1963)美容院。実家は米屋「乱れる」(1964)酒屋。
●内職としての仕立て屋「まごゝろ」(1939)「母は死なず」(1942) 「芝居道」(1944)山田五十鈴
★注②「家を出て下宿すること」という出来事は以下の作品にみられている。
「朝の並木道」(1937)「禍福・後編」(1937)「秀子の車掌さん」(1941)「母は死なず」(1942)「白い野獣」(1950)の岡田英次「稲妻」(1952)「銀座化粧」(1951)「夫婦」(1953)「あらくれ」(1957)「杏っ子」(1958)「鰯雲」(1958)「秋立ちぬ」(1960)「女の座」(1962)の宝田明「放浪記」(1962)「乱れ雲」(1968)
★注③女と名がつく映画は以下の10本。「女は袂をご用心」(1932)「乙女ごヽろ三人姉妹」(1935)「女優と詩人」(1935)「女人哀愁」(1937)「女同士(くちづけ第三話)」(1955)「女が階段上る時」(1960)「妻として女として」(1961)「女の座」(1962)「女の歴史」(1963)「女の中にいる他人」(1966)
★注④私が見ることのできた成瀬映画は、現在プリントされている全映画の中から「怒りの日」を除いた67本である。「禍福」(1937)は前編、後編を別の映画として計算する。よって当論文の「全映画」とは、この67本であることを前提に話を進めている。
★注⑤「女」は注③の10本。その他は以下の通り12本。但し、「女」と重複する「乙女ごヽろ三人姉妹」(1935)と「妻として女として」(1961)は除く。
●夫婦「チャンバラ夫婦」(1930)「夫婦」(1953)●妻「妻よ薔薇のやうに」(1935)「妻」(1953)「妻の心」(1956)「娘・妻・母」(1960)●母「母は死なず」(1942)「娘・妻・母」(1960)●娘「噂の娘」(1935)「娘・妻・母」(1960)●少女「不良少女」(1949)●妹(1935)「あにいもうと」(1953)
★注⑥小津安二郎の「東京暮色」(1957)では、有馬稲子が頭巾をかぶり、原節子が大きなマスクをしている。
「成瀬巳喜男の世界へ」蓮實重彦・山根貞男編
「季刊リュミエール4・日本映画の黄金時代」蓮實重彦責任編集
「季刊リュミエール6・D・W・グリフィス」蓮實重彦責任編集
「映画読本・成瀬巳喜男」フィルムアート社
「東京人」2005年10月号
「映画狂人、小津の余白に」蓮實重彦
「ヒッチコック・トリュフォー映画術」山田宏一・蓮實重彦訳
「ヒッチコックを読む」フィルムアート社
「成瀬巳喜男・日常のひらめき」スザンネ・シェアマン
「二枚目の研究」佐藤忠男
「わたしの渡世日記・下」高峰秀子(朝日新聞社)
「成瀬巳喜男と映画の中の女たち」ぴあ
「日本映画俳優全史・女優編」猪俣勝人・田山力哉
「小津安二郎を読む」フィルムアート社
「映画監督 成瀬巳喜男レトロスペクティブ」コミュニケーションシネマ支援センター
「反時代的考察」ニーチェ(角川文庫)
「ニッポン」ブルーノ・タウト
「日本映画の時代」廣澤榮
「サーク・オン・サーク」ジョン・ハリデイ編
「めし」林芙美子
「山の音」川端康成(日本現代文学全集29)
「あらくれ」徳田秋声(日本現代文学全集11)
「フロイト著作集①」フロイト