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ペドロ・コスタ「何も変えてはならない」~再出に当たって、、2023年7月30日

モーションピクチャーにおける「内部」と「外部」の関係は、ヒッチコック論文では主人公の運動の観点から前者を「すること」、後者を「であること」とし、運動とは「すること」の領域におけるエモーションであることを検討した。ヒッチコック論文より以前に書かれたこの「何も変えてはならない」の批評においてその関係はフレームの「内部」と「外部」の関係として検討され、ペドロ・コスタの作品は「外部」から聞こえてくる音声がフレームの「内部」ではその発生源から「分離」され「音だけ」として聞こえてくること等について検討している。それが人間の会話ならば「内部」ではその「声だけ」が聞こえるだけでその声を発している源の人間については何も撮られていない。ヒッチコック論文に置き直すと、ここにおける「外部」とは「であること」を、「内部」とは「すること」の領域を指示している。想像力によって補われる「外部」から「すること」だけを「分離」させ、それによって「内部」のフレームを「すること」によって充満させる。これはヒッチコック論文で検討した「機能から運動を取り出す」というマクガフィンの性質とよく似ている。フレームの「内部」には「外部」からの人の「声だけ」が聞こえてくる。その声は、その「内容(意味)」の重視される「物語(外部)」ではなく内容から切り離された、「振動」、「うごめき」として撮られて(録られて)いるのであり、その「振動」が「すること」の領域における運動そのものを指し示している。こうした「外部」から「内部」を「分離」することを「空間」に引き直した時、「全体の中から部分を取り出す」という、フレーム、構図それ自体が「分離」の機能を有することになるのであり、それは論文『分断の映画史・第一部』によって検討した「内側からの切り返し」においても妥当するだろう。「内側からの切り返し」は「外側からの切り返し」のように親切に「物語」を説明することを拒絶し「内部」だけを「物語」から「分離」させる方法だからである。こうして見てゆくと「フレーム」なり「構図」といった慣れ親しんだ出来事において重要なのは「全体から部分を切り取る意志」であり、装置、美術、照明、音声、衣装、、、等の人間的出来事も「内部」を「内部」たらしめるために何がなされているか、そうした趣向不在の「フレーム」なり「構図」といったものは「外部」と似ていることを目指した「内部無き内部」、「構図を装った構図」であり、ヒッチコック論文的には「ありもしないであること」をそのこことして目指すことによる凡庸さである。

また、サイレント映画の場合、こうした「分離」の方法についても格別の考察が必要となる。サイレント映画は音声が不在なので「内部」において「音だけ」を「分離」させることはできず、「内部」に聞こえてくる音声をさらに他の出来事に「分離」させ直さなければならない。それが「嵐の孤児」におけるリリアン・ギッシュの「表情」であり、ここでは音源としてのドロシー・ギッシュの歌声が「内部」においては「声」から「表情」へと二段階に「分離」されている。「音がないこと」「色がないこと」「グラデーションに乏しいこと」といったサイレント映画の特質が、トーキー映画に比べてさらなる「分離」を惹き起こしているのであり、サイレント映画における亀裂した振動の数々を説くためにこの「分離」の方法は一つのカギになるかもしれない。ちなみにリリアン・ギッシュのサイレント映画特有の「大袈裟な」演技が「心理的」ではないのか、という疑問には、心理的な演技とはしかめっ面によって心理(外部)を「読ませる」演技であり、そもそも「外部」から「声だけ」→「表情だけ」というように二段階に「分離」されてなされているリリアン・ギッシュの演技(表情)が心理的(外部的)であることはあり得ない。

この201012月当時の「何も変えてはならない」の批評の書き方として、「外部」へと拡がりを見せる「想像力」を肯定的に捉えているところがあり、2014年に出されたヒッチコックの論文でそれは「であること」への接近として否定的に捉えられていることから、一度全面的に「何も変えてはならない」の批評を書き直してみたものの、やはりこれは私のモーションピクチャーに対する捉え方の変遷としてそのまま提示することにする。「内部」とは「閉じられた」世界であり「外部」へと「開かれて」はいない。ただ、満たされるのみである。 2023730 藤村隆史。


「何も変えてはならない」
(2009)ペドロ・コスタ~閉じられることと開かれること2010.12.1
初出

■オープニング

中央に一人の女が歌い、両脇に男が二人、伴奏をしている。まるでプラネタリウムのように点在する光を大きく包み込む闇を、ややローアングルから広角系の大きなレンズで捉えられたこの空間は、その音源において「閉じられて」いる。だが女が歌い終わった瞬間、どこからか人々の大きな拍手の音が、画面の中へと押し寄せてきて、この空間がコンサートの舞台であったことを遡及的に露呈させてしまう。この空間は、実は最初から「開かれて」いたのだ。

■「ヴァンダの部屋」(2000)

ペドロ・コスタが2000年に撮った「ドキュメンタリー映画」である「ヴァンダの部屋」は、

「何も変えてはならない」と同様、一瞬たりともキャメラが動かない。リスボンの薄汚れた石造りのスラム街に生きる貧民たちの生活を「決断」によってフレーミングし続ける一台のキャメラは、すべてのショットにおいて静止しており、キャメラの軸を動かすトラッキングどころか、軸を据えたまま方向を転換させるパンすら存在しない、まったくもって「動かない」キャメラである。ところが「ヴァンダの部屋」においてはもうひとつ「すべてのショットにおいて」という言説が当てはまる出来事が生じている。すべてのショットにおいて、あらゆるすべてのショットにおいて「ヴァンダの部屋」は、外部から音が聞こえてくるのである。スラムの建物を取り壊すハンマーやブルドーザーの音、犬、子供や女たちの話し声、テレビ、ラジオ、あらゆる生活の音たちが「静止した画面」の中へと外部から飛び込んできては、内部の人間たちと重ねられてゆく。すべてのショットにおいて。どんな映画でもいい。今、自分の家にあるビデオを手に取ってレコーダーに挿入し、再生のボタンを押してみよう。そうすれば「すべてのショットにおいて外部から音が入る」という現象が、どれだけ稀有な出来事であるかを即座に体験できるはずである。その映画の音声が仮にアフレコであれ、否、仮にそれがアフレコであるならあるほど、それは「意図的」な性向としてコスタの画面を決定付けている。

同じように港のスラムでのアヴァンダたちの生き様を撮った「ドキュメンタリー」である「コロッサル・ユース」(2006)や、「フィクション」である「骨」(1997)においても同様の性向が見受けられはするものの、やや動的にキャメラが動くそれらの作品とは違って、決してキャメラの動かない「ヴァンダの部屋」を、ここでは検討していきたい。

■外部から音が聞こえてくること

そもそも「外部から音が聞こえてくること」とはいったいどういうことなのか。どうして内部ではなく、外部から聞こえてこなければならないのか。すべてのショットにおいて外部から音が聞こえてくるなどという突拍子もない「ヴァンダの部屋」という作品を撮った作家の性向とは何か。

●「嵐の孤児」(1921)

DW・グリフィスのサイレント映画「嵐の孤児」において中盤、それまで生き別れになっていた姉妹が再会するシーンがある。路地に面したアパートの二階の部屋で椅子に座っている姉、リリアン・ギッシュ。そこへ妹であるドロシー・ギッシュの歌声が「外部」から聞こえてくる。もちろんこの作品はサイレントであるからして、実際ドロシー・ギッシュの歌声が聞こえてくるわけではない。従ってDW・グリフィスとしては、フレームの「外部」からドロシー・ギッシュの声が聞こえてくる、という演出をことさらしなければならない。そのためにDW・グリフィスは、「内部」のリリアン・ギッシュと「外部」のドロシー・ギッシュの二人を幾度も相互にカットバックさせながら、妹の声を聴いて表情を変化させてゆくリリアン・ギッシュをフレームの内部に捉えつつ、「妹の声が聞こえたわ、、」「夢を見たのかしら、、」という二カ所の字幕を加えることで『フレームの「外部」からドロシー・ギッシュの声が聞こえてくるという演出』を実現させている。サイレントという技術的制約に支配されながらも、ここでDW・グリフィスが実現させたかった運動とは紛れもなく「分離」である。それについては第一回の論文DW・グリフィスフレームと分離の法則」において検討している(後日投稿の可能性あり)。そこでは「分離」について書かれた後、こう書かれている。

 

『では何故、実体と魂とを「分離」させるのであろうか。ここでまたもうひとつ例を挙げよう。実体と声との分離である。「嵐の孤児」でのあの有名なアパート脇の路地での姉妹の再会シーンだ。アパートの二階でリリアン・ギッシュが椅子に座っていると、外から聞きなれた声の歌が「聞こえてくる」。しかしこの作品はサイレントなので正確には「聞こえてくる」のではなく、リリアン・ギッシュの顔色が変化し、高潮し、スクリーンの外から聞こえる音源を探し求める彼女の姿を見ることで「聞こえてくる」ことが我々に分かるのである。ここではフレームの外のドロシーと、中のドロシーの声とが「分離」されている。この場面の感動の一端がこの「分離」の手法にあることは間違いないだろう。

では何故こうして「分離」されると「感動的」なのであろうか。人間というものは、目の前にいられると煩わしいものだが、いなくなられてみると愛しくなる、そんなメロドラマ的感傷が、不在の悲しみが、分離された道具や声に触れる人物を通じて我々の胸を打つのかもしれない。だがそれ以前に、そもそも映画とは、フレームの中で影が運動する極めて限界のある二次元のメディアである以上、人と物、人と声とを「分離」させ、本体をフレームの外に置いてその存在を我々に想像させるという手法自体、小さなフレームを想像力によって無限に横へ縦へと押し広げる極めて豊かな映画的手法であると言えるのである。同時にそれは我々の想像力を刺激し、働かせ、分離された対象への郷愁をこみ上げさせる。「音源を捜すと特別の緊張した瞬間が生まれる」(映画の精神203)と、ベラ・バラージュがすでに70年前に指摘しているように、「嵐の孤児」のあのシーンでは、ドロシーの歌声が、ドロシーその人から「分離」されていたからこそ、逆に我々をしてドロシーを「探す」サスペンスと郷愁が生まれ、同時にドロシーを懸命に「探し求める」リリアン・ギッシュの健気な姿に胸を揺すぶられるのである。愛する者を「探す」という行為が如何に美しいことか、映画というメディアが「探す」という行為の感動をよく我々に伝えてくれるのは、我々人間に「肉体」という限界があることが人間をして人間への発見へと駆り立てるのと同様に、映画というメディアそのものに「フレーム」という限界があることと無関係ではないだろう。「額縁は求心的、スクリーンは遠心的である」とアンドレ・バザンが語っているのも(映画とは何かⅣ175)、また「映像は部分であるから、それを含む全体の支持の上にのみ存在可能であり、また、それを含む全体を予想させる」と浅沼圭司が書いているのも(映画学165)、フレームという限界そのものが、逆に映画というメディアの芸術性と大きく関係していることを示唆するものだろう。メディアそのものの持つ限界を限界として真摯に向き合った作家のみがその限界を想像力によって拡大して行くための技術を編み出して行くのである。そうした中でこの「分離」という技法は、映画の限界そのものを感動へと転化させてしまう極めて映画的な想像力の泉なのだ。』

 

ここで私は「フレームの外部への想像力」について書いている。当時の私の主たる関心は映画の小さな画面を外部へと拡げてゆく想像力にあり、それは第二回目の論文においても「線」という出来事について書きながら、それが「フレームの外部への想像力に対する検討であったのはそのためである。想像力は、外部から「分離」された音声なり物体などをフレームの内部において見ること、聞くことによって触発された表象によって、再びフレームの外部への想像を巡らすことである。だが、こうした検討は、「外部」への想像力は語っていても「内部」の露呈についてはそれほど語っていない。「外部」への想像力が生ずる原因はあくまで「内部」にあり、従って映画のフレームを「分離」によって「外部」へと想像的に拡げられることを検討する時、「外部」への想いを語る前にまず「内部」について語らなければならない。「分離」による外部」への想像力は、あくまでも「内部」の露呈そのものを見て、聞いた結果として「あと」から生じるものだからである。

想像力の問題が、主として「中から外へ」の流れで検討されているのに対して、実際のドロシー・ギッシュの声は、「外から内へ」と留まっている。はじめに「外から内へ」の音の流れが、その次に「内から外へ」という想像力が逆流して働くのである。そうして現在の私の関心は前者=「外から内へ」の流れへと移行してきている。昨今の論文や批評における「マクガフィン」「なまもの」といった言説なり検討は、すべてこの「内部」=露呈=振動に関するものである。「内から外へ」の流れとは想像力の出来事であり、それは「音の主=音源」を想像することで「音」を「源」と一致させる。それによって「なまもの」としてフレームの「内部」にある「音」という剥き出しの振動は、第一に「意味」によって「物語」へと収斂され、第二に「内から外へ」の「想像」によってその「源」と合流することで「物語的活動」として完結する。想像力における「内から外へ」の運動とはここでは「物語的運動」として始動するのだ。我々は、内部における「音そのもの」を、まずもって言語としての意味として分節化し、次に外部の「音源」と一致させることで「物語」を完成させ、一安心するのである。ここにあるのは「そのもの」を「そのもの」として見て聞き感じようとする態度ではなく、「そのもの」を我々の慣れ親しんだ概念としての「物語」へと変形させようとする知的な態度である。

対して「外から内」へと流れてきた現象は、「外部の源」から「分離」されているがゆえに「反物語的」に露呈する。画面の内へ聞こえてくる(ようにDW・グリフィスのよって演出された)ドロシー・ギッシュの歌声は、それがドロシー・ギッシュという「音源=物語」から「分離」されているが故に、通常の物語的な感動とはまったく異質で過剰なエモーションを引き起こすのだ。さらにまたサイレントであるがために、ドロシー・ギッシュの声それ自体を聞くことはできない。ドロシー・ギッシュの声は、リリアン・ギッシュの表情の変化によって露呈する。トーキー映画であるならば、「内部の声」→「外部の音源」という流れで外部へと向かって流れが、サイレント映画の「嵐の孤児」においては「表情」→「内部の声」→「外部の音源」という流れへと変化している。ここではドロシー・ギッシュの声さえもがそのままでは露呈せず、リリアン・ギッシュの「表情」という、第二の出来事へとさらなる「分離」を遂げているのだ。ここにサイレント映画の一つの答えを見ることができる。トーキーの場合、「分離」されるのは「声」という音声だが、サイレント映画の「嵐の孤児」の場合、音声が不在ゆえさらにその声をさらにリリアン・ギッシュの「表情」に「分離」して撮られている。トーキー映画に比してサイレント映画は「分離」の度合いが強いのである。そのために出来事はトーキー映画のそれを遥かに凌駕した振動=なまものを獲得し、それ自体がより大きな振動として露呈するのだ。「ナイト&デイ」(2010)の批評(後日投稿の可能性あり)で書いたように、映画におけるフレーム選択とは「決断」であり、実際フレームの「外部」が映し出されることは決してない。映画はあくまでフレームの「内部」において振動し、「外部」への想像力もまた「内部」における振動として内部的に露呈するのである。だからこそ想像力は飛躍的な強度で持って我々を打ちのめすのだ。対してフレームの「内部」における「なまもの」を「外部」の「源」へと即座に結び付けようとする凡庸な「想像力」は、我々を常に「外部」の種明かしへと導いて止まない辻褄合わせであり、それは目の前にある具体から目を逸らすことでのみ達成させる不可視の夢物語である。「想像力」とは「外部」という物語とは切り離された「内部」における振動そのものによって飛躍するのである。

■音源=物語からの分離

「ヴァンダの部屋」において、「外部」からフレームという「内部」に入ってくる音声とは、ブルドーザーの振動であったりハンマーでコンクリーを叩く音、あるいは犬の鳴き声やスラム街の人々の鬱蒼としたざわめきであって、そこには限りなく「意味」が存在していない。こうした「音源=物語」から「分離」された「なまもの」としての振動が延々とフレームの中を揺れ続け、殆どの場合においてその「音源」が明かされることはない。さらにまた、「意味」の存在する人と人との会話においても、多くの場合、話している人物がわざわざフレームの「外部」へと立ち去ることによって「内部」にはその「音源=物語」から「分離」された「声だけ」が残るという運動を幾度も反覆している。明らかに意図的に人々はフレームの「外部」へと消えてゆき、音源という物語(意味)から「分離」された「声」という音のみが「内部」で振動する状態へと進んで去ってゆくのである。意味から分離された出来事が「なまもの」であり、だからこそ画面は「振動」する。こうして運動を何度も目撃した時に、「ヴァンダの部屋」をして「ドキュメンタリー映画である」と語ることがどれだけ的外れなことかは一目瞭然だろう。「ヴァンダの部屋」は意図的に創られた「フィクション」であり、そうであるからこそまた「ドキュメンタリー」なのである。「ヴァンダの部屋」全体を包み込む運動が「源=物語」からの「分離」であるという事実は、強い確信において語ることができる。すべてのショットにおいて「外部」から「分離」した音がフレームの「内部」に降りかかってくる映画の性向を、偶然などという一言で片づけること=批評の死を意味する。「ヴァンダの部屋」のラストシーンでは、わざわざフレームの「内部」にいた黒人を立ち去らせしめ、フレームの「外部」から聞こえてくるスラムの女たちの無意味なおしゃべり「なまもの」の揺れによって終わっているのは決定的な性向である。

ペドロ・コスタの画面には、映画を創設したといわれるDW・グリフィスの記憶が強く流れている。初期の短編「不変の海」(1910)において、見えざる水平線の彼方へと消えた夫の帰りをひたすら信じ、水平線という「線」を見つめ続けた妻を見事なエモーションにおいて撮ってしまったDW・グリフィスにおいて、リリアンとドロシーのギッシュ姉妹がデビューした作品が「見えざる敵=An Unseen Enemy(1912)であったのは、まったくもって偶然ではない。現代ホラー映画のルーツこそまさにこの「立て籠もり型」の源流である「見えざる敵」なのである。さらにまたDW・グリフィスは「国民の創生」(1915)における稜「線」を駆け抜けてゆく馬たちや、「イントレランス」(1916)におけるアップダウンの道路=「線」を通じて消えては出てくる車を描くことで「線」に執着し続けた。彼の手法は常に「決断」としての「内部」へと向けられ、その結果としてフレームを大きく振動させながら、弟子であるジョン・フォードの「西部劇」へと受け継がれていったのである。山の稜線の向こうから突如インディアンが出現し、さらにまた、河や線路、そして電線という「線」が遥か彼方の大地を「内部的に」想像させる(想像は内部の振動のあとにやって来る)ところの「西部劇」こそ、まさにフレームにおける「決断」という要素を決定的に包み込んだ映画の記憶である。

小山の稜線の向こうから、拉致されていたナタリーウッドがいきなり画面の中に現れ、ジョン・ウェインへと駆け寄ってきたあの「捜索者」(1956)の運動は、映画の揺れそのものが映画史を包み込んでいる。

■カーテンは揺れる

ヒッチコック「三十九夜」(1935)において序盤、ロバート・ドーナットのアパートで女が殺された時、やってきたドーナットが廊下を見ると、窓が開いていて、白いカーテンが外からの風に吹かれて揺れている。ここで我々は「誰かが侵入し、女を殺して窓から逃げた」という外部的物語を想像するのであるが、それだけならカーテンは風に揺れている必要はない。開いている窓だけを撮ってしまえば我々はそれによって侵入者の存在を想像しうるはずである。どうしてヒッチコックはわざわざカーテンを揺らす必要があったのだろうか。

■「何も変えてはならない」(2009)

「何も変えてはならない」において中盤、おそらくオペラ会場の舞台なのだろう、その袖の方で、ピアニストと男と女(ジャンヌ・バリバール)が画面の中に写し取られるシーンがある。ワンショットの長回しで、キャメラは動かず、ややローアングル気味に舞台の袖を「決断」によって切り取ったフレームには、手前にピアノとピアニストが、その横に小さな階段があり、その上の床に男と女が出番を待っている。その構図の見事な感じを言葉で表すのは無理なのでひとまずおいて、画面の左には縦長に切り取られた大きな出口があり、そこにビーズのような数珠暖簾が掛けられている。それを見た瞬間私は、このビーズが揺れるに違いない、ということを即座に直観するのである。それはまずもってこの飄々として掴みどころのない風采のピアニストの存在そのものが、何かを期待させるに十分なところの映画的記憶を喚起するだけの振動を周囲にまき散らしていることと無関係ではない。ピアノにもたれかかりながら舞台を見つめているジャンヌ・バリバールが、ふとそのピアニストへと振り向いたとき、待っていましたとばかりにピアニストがジャンヌ・バリバールへと頷(うなず)き返し、微笑みでもってそれに返したジャンヌ・バリバールのその一連の運動の記憶こそ、ハーモニカを吹いていたウォルター・ブレナンと、コーヒーカップを手に部屋に入ってきたジョン・ウェインとが頷き、そして微笑み返した「リオ・ブラボー」(1959)のあの振動にそっくり重なることからするならば、「何も変えてはならない」におけるこの暖簾のビーズは、同じくハワード・ホークスの「三つ数えろ」(1946)の殺人現場で揺れたあのビーズ同様、揺れないはずがないと直感するのが映画史における体験の単純無比な「映画的」記憶にほかならない。このビーズが揺れないことは絶対にあり得ない、それは映画的な直感である。するとそのシークエンスの終盤に、歌い終えたジャンヌ・バリバールがさり気なくその出口から出て行ってビーズを揺らすではないか。ビーズは、ジャンヌ・バリバールが去った後も様々な角度の光線を身に纏いながらゆらゆらと乱反射しながら揺れ続けている。映画の終盤にはもう一度、まったく同じ構図のシークエンスがある。左手で頬杖をつき、右手一本で鍵盤を叩いているピアニストのこれまた飄々とした運動が既に二度目のビーズの揺れを予告しているではないかと言わんばかりに、ここでもしばらくすると出口のあのビーズに影が落ち、その瞬間男が入ってきてそのビーズをものの見事に揺らして去ってゆくのである。どうしてこのビーズなり暖簾なりは揺れなければ「ならない」のだろう。事実この二つのシークエンスにおいてビーズは、揺れるべくして揺れているのであり、それは間違っても偶然に揺れているのではない。それはあたかもホウ・シャオシエン「ミレニアム・マンボ」(2001)のアパートの暖簾が勝ち誇ったように揺れたのと根本的には同じ出来事として感じ得るのであり、そこに暖簾があり、洗濯物が乾されていたとき、それが成瀬映画や小津映画であるならば間違いなくそれらは風に揺れるであろうことをみんなが知っているのである。どうして揺れるのだろう。おそらく映画というものは「記号」ではなく「振動」によってもたらされるある種の運動だからである。視覚的なものであれ、聴覚的なものであれ、映画とは「揺れ」であり「読み」ではない。「誰かが今部屋の中から出て行った」ことを我々に想像させるだけならわざわざカーテンやビーズを揺らす必要はないのである。外から誰かが入ってきて「今、誰かがここから出てきました」と言葉で伝えればそれで事足りるのであり、また、開いた出口を見た目のショットか何かで撮ってしまえばそれでいい。それをわざわざ揺らしてしまう性向とは基本的に「分離」的なるものへの傾倒であり、「物語=揺らした本人=人源」から解き放たれた「振動」そのものをフレームに収めてしまおうとする衝動である。

■「ワン・プラス・ワン」(1968)

ペドロ・コスタの切り取るフレームは総じて狭い。仮に一つの部屋がそこに存在すると、コスタは決して「部屋全体」を撮ることはしない。「部分」を撮るのである。

ここに「ワン・プラス・ワン」という、ゴダールが1968年に撮った作品がある。そこには、「何も変えてはならない」と同じように、ローリング・ストーンズのレコーディングの過程が延々と撮られている。このレコーディングの現場をゴダールは、殆どすべてのシークエンスをワンシーン・ワンカットの長回しで撮っているのであるが、決して全景をひとつのフレームの中に収めることをしていない。大きなスタジオの中をキャメラは移動を繰り返しながら、決して「全体」を撮らない。「部分」だけを撮り続けているのである。「全体」の中の「部分」だけを撮り続けている以上、「分離」された「部分」は「外部」という物語から自由になる。「ワン・プラス・ワン」の場合、「ヴァンダの部屋」と異なり、すべての瞬間に「外部」から音が聞こえてくるという演出はなされていない。ミック・ジャガーをはじめとした音源すべてが、ひとつのフレームの中に収められる瞬間が幾度かあるからである。ここでゴダールは「音」ではなく「場所と人」を「分離」している。数十平米のやや広いレコーディングの空間には多くのスタッフや機械、空間がひしめき合っているのだが、キャメラがある一定の場所だけを「部分」としてフレームの中に入れるとき、必ずやそこからはみ出た「外部」が必ず存在することになる。「接近すること」とは逆に「外部を広げること」という趣旨がここには現れている「外部」を広げれば広げるほど「内部」は全体からの「分離」の度合いを強めてゆく。これは「近くで見ることへの誘惑」といったクローズアップの趣旨とは違い、「内部」を「外部(全体)」から「分離」することによる「内部」の充実からくることである。「閉じられること」とは「開かれること」である。冒頭『ペドロ・コスタの切り取るフレームは総じて狭い。仮に一つの部屋がそこに存在すると、コスタは決して「部屋全体」を撮ることはしない。「部分」を撮るのである。』と私は書いたのは、まさにこうしたゴダールの性向をペドロ・コスタは忠実に受け継いでいるということから来ている。「内部」とは「外部」から切り取られた(分離)反心理的な領域であり、想像力によって「外部」へと拡散することのない閉じられた世界だからこそ、「内部」において自由に開かれている。

■「救命艇」(1944)

ヒッチコックの「救命艇」という作品を考えてみたい。第二次大戦中、ドイツ軍に誤って砲撃されて転覆した商船の乗客たちが一隻の救命ボートの中で繰り広げる「密室劇」である。おそらくゴダールが「ワン・プラス・ワン」を撮るとき、こうした映画が頭の中にあったのではないかと推測するのだが、ヒッチコックはこの狭い「密室劇」を、徹底した「寄りのショット」によって撮り続けている。全景を俯瞰から撮るなどということは極力せずに、ボートの中を、人々の目線から水平に寄りながら撮っている。「救命艇」→「ワン・プラス・ワン」→「何も変えてはならない」の性向は極めて似通っている。「何も変えてはならない」の中盤、ジャンヌ・バリバールが女性の教師から歌のレッスンを受けるシーンがある。ジャンヌ・バリバールは、教師の弾くピアノに合わせて歌っている。中途、幾度も教師によって歌は訂正され、中断し、再び始められる。しかしである。この空間にジャンヌ・バリバールと女教師とピアノが存在する証拠はどこにもない。何故ならば、教師とピアノがただの一度たりともフレームの内部へ入って来てはいないからである。教師は映っていないのだ。普通ならどう考えてもこれは「おかしい」のである。しかしながら、ペドロ・コスタの性向を検討してきた我々にしてみれば、こうした「決断」はちっともおかしくない。ここにおけるペドロ・コスタにおける「決断」とは、決して物語と結びついた「合理的=主知主義的」なるものではなく、「振動」という無意味な出来事を選択するところのただひたすらの「意志」なのだ。

■「右側に気をつけろ」(1987)

「右側に気をつけろ」は「ワン・プラス・ワン」からほぼ20年後にゴダールが撮った作品であり、ここでもまたリタ・ミツコのレコーディングの過程が撮られている。「ワン・プラス・ワン」と違うのは、レコーディングの部屋が狭くなっていることと、キャメラが動かなくなっていること、そして照明がややローキィに接近していることである。ここでゴダール論を始めることはできないので両者の具体的な違いの検討は別の機会に譲るとして、ここで検討するのはリタ・ミツコがヘッドホンをつけて歌っているシーンである。ヘッドホンをしたリタ・ミツコが歌い始めると、それまで聞こえていた伴奏が聞こえなくなり、ミツコの声だけが、ゴダール氏の乗っている飛行機の機内からの雲を介した俯瞰に被せられ、またミツコに戻って、伴奏が聞こえなくなったり聞こえてきたりするという演出である。聞いての通り、ゴダールは伴奏の音を付けたり消したりを意図的に演出している。

■「何も変えてはならない」

「何も変えてはならない」においてもまた、ジャンヌ・バリバールがヘッドホンをつけて歌うシーンがある。ヘッドホンの中からは、おそらく伴奏が聞こえてきているのだが、それは見ている我々には聞こえず、フレームの中には、ジャンヌ・バリバールとその歌声だけが聞こえてきている。ここで「音源」のジャンヌ・バリバールはフレームの内部に映し出されていることからして、ジャンヌ・バリバールの声と音源とが「分離」されているわけではない。しばらくすると画面は録音室の男たちを映し出すのだが、そこでは伴奏が聞こえている。だが再びジャンヌ・バリバールへとキャメラが切り返されると、今度は伴奏の音は消えていて、ジャンヌ・バリバールの声だけが聞こえてくる。このシーンは非常に複雑である。争点をジャンヌ・バリバールの空間に絞って検討してみたい。まず隣の録音室という「外部」では聞こえている伴奏は、ジャンヌ・バリバールにはヘッドホンを通じて聞こえているが、我々には聞こえてこない。伴奏の「音源」はここでは録音テープなり機械なりであることを前提として、我々からすると、伴奏はそもそも聞こえないのだから「伴奏」は「分離」していない。ここで「分離」しているのはジャンヌ・バリバールの「声」である。本来伴奏と一体化して聞こえてくるべきジャンヌ・バリバールの「声」が、ここでは「伴奏」から「分離」し「声だけ」として我々に聞こえてくるのである。ジャンヌ・バリバールからするならば、その声と伴奏とは「分離」していないが、我々からすると、ジャンヌ・バリバールの声と伴奏とが「分離」しているのである。伴奏を聞きながら歌っているにも拘わらず、我々に聞こえてくるのはジャンヌ・バリバールの「声」だけであるという奇妙な体験は、声と音源の「分離」と同等か、あるいはそれ以上に私をして「振動」させる。奇妙なのだ。滑稽と書いてもよい。このショットは、見ている我々に対する関係についてのみ相対的に揺れている。ジャンヌ・バリバールの声が、本来合体している伴奏という「物語」から「分離」させられ、「なまもの」として「相対的に」揺れているのである。これは「ご縁玉・パリから大分へ」(2008)というドキュメンタリー映画においてエリック=マリア・クテュリエというパリのチェロリストが日本の孤児院へやって来て「天空の城ラピュタ」をたどたどしい日本語で歌いながらチェロで演奏し始めると、子供たちが泣き始めたという、あの体験と似通っている。そこで私はこう書いた。

子供たちが泣いたのは、「天空の城ラピュタ」の「歌詞の中身」に理性的に感動したからではない。エリック=マリア・クテュリエの演奏するチェロのナマモノとしての振動と、彼の発する日本語の「たどたどしさの振動」そのものが子供たちを揺らしたのである。』

これはあくまで推測だが、おそらくエリック=マリア・クテュリエは、歌詞の意味(「外部」)を知らなかったのではないか。仮に知って歌っていたならおそらく、子供たちは泣いていなかったような気がするのである。日本語を理解しえないエリック=マリア・クテュリエの歌声は、日本語を理解しうる子供たちとの関係のみにおいてのみ「相対的に」揺れたのである。

■「何も変えてはならない」をもう一度

ここで「何も変えてはならない」をもう一度よく見て、聞いてみよう。まずもってその大部分のフレームには、「外部」からギターなり声なりの音が聞こえてきている。「ヴァンダの部屋」(2000)とまったく同じ性向でもって撮られているのである。

中でも冒頭とりあげたオープニングの演出などはその点を極めて強く意識して撮られていると言わざるを得ない。ここでフレームの中には、マイクに向かって歌っているジャンヌ・バリバールと、脇に腰かけてギターを弾いている二人の男が映し出されている。音源はジャンヌ・バリバールの声と伴奏であり、それらはすべてフレームの「内部」に入ってきている。するとこのショットは「閉じられて」いることになる。「外部」へと開かれていないのだ。そう思って見ていると、ジャンヌ・バリバールが歌い終わったその空間の「外部」から、大きな拍手が聞こえてくるのである。この演出は意図的である。意図的に、最後の最後に「種明かし=フレームは外部へと開かれていたこと」を暴露しているのだ。こうまでしてペドロ・コスタは「開かれていること」を誇示しているのである。「ヴァンダの部屋」と同様に、一瞬たりともキャメラの動かないこの作品は、そのフレームにおいてもまた「ヴァンダの部屋」と同様に、「外部」から聞こえてくる拍手は「決断」によって切り取られた「内部」において「拍手」という「外部」から「分離」をして振動する。

■ローキイ

ペドロ・コスタの多くの映画はローキイで撮られている。人物の背景や周囲は暗闇に包まれており、人物の顔にすら十分な光は当たっておらず、「何も変えてはならない」においても多くの場合、ジャンヌ・バリバールの顔には右だけ、あるいは左だけといったように、半分の側にしか光が当てられていない。従って我々は、光の当たっていない空間を見ることをできない。それを想像するのでもない。「見ること」のできる「部分」を「見ること」しかない。そうすることでペドロ・コスタは、フレームの「内部」の中に、さらなる「内部」を切り取り、「分離」させている。それを可能にするのは「光」である。ペドロ・コスタの映画に「映画」を直感するのは、あらゆる「決断」が映画的に満たされているからだ。

■「ヴァンダの部屋」と違うところ

「何も変えてはならない」は、9年前に撮られた「ヴァンダの部屋」とは少しだけ異なっている。それは、音と音源とが終始同一のフレームの「内部」において交わっているショットが存在するという点である。それは、日本でのライブの舞台を撮った二つのショットである。一つ目は、椅子に座ってタバコをふかしている二人の初老の女性が映し出された次のショットとして登場する。ここが日本であるという証拠は、せいぜい左の女性が立ち上がったテーブルの上に「予約席」とかすかに読み取れる白いプレートと、のちに控室に座っているジャンヌ・バリバールに重ねられたライブの「サヨナラ」という音声だけに限られており、また、それらのショットがライブの舞台との同一の空間を裏付ける証拠は何処にもなく、従ってこのライブが日本でのものであるという証拠は、物語的にも場所的にもまったく存在しない。二人の女性の背後に掛かっている額縁に反射した路上を行き交う車たちの「分離」の構図は、何かしらホウ・シャオシエン「珈琲時光」(2003)の古本屋の奥からの構図を反射させたようにも見えなくもないのだが、それはそれ以上の何ものでもない。こうした摩訶不思議な空間に突如現れたライブにおいては、ジャンヌ・バリバールの声と男たちの楽器という「音源」がすべて同一のフレームに収められている。ここではオープニングのコンサートと違って「外部」から拍手が聞こえてくるということもない。

だが「ワン・プラス・ワン」で検討したように、「源」を「音声」に限らなければ、この二つのライブのフレームもまた「開かれて」いる。ライブに当然存在するべき「観客」が、フレームの「外部」へと排除されているからである。見ている我々は、存在すべき観客を「外部」において内的に想像することになるからだ。この場合、「分離」による振動は「音の分離」という「分離」現象と比すると弱まるにしても、ペドロ・コスタのフレームが「外部」へと開かれている点において、いささかも矛盾するものではない。「何も変えてはならない」のフレームは、「閉じられること」によって徹頭徹尾「開かれて」いるのである。たったひとつのショットを除いては。

■何も変えてはならない、

ラストシーンでジャンヌ・バリバールと二人の男たちは、おそらく楽屋だと思われる狭く白い空間でギターを伴奏にしながら、ジャンヌ・バリバールが歌っている。そもそもこの空間は、場所的に極めて不特定な空間であり、映画の中では二度、登場している。一度目は、日本でのライブ演奏の少し後のショッであり、そこでは一人楽屋に佇むジャンヌ・バリバールがいて、日本のライブでのものと思われる録音の音声がそこに被さって聞こえてくる。最後に「サヨナラ」という、おそらくこれもまたジャンヌ・バリバールの声であると推測するしかない不確かな音声が聞こえてくるのだが、それ自体、この空間の不確か性を増長させている。すなわちこの空間は「特定できない」のである。「特定できない」ということは、その「外部」に、例えば観客のような何かが存在すると仮定される場所ではないことを意味している。それはすなわち、「ワン・プラス・ワン」のスタジオにおいて撮られたあらゆるショットや、「何も変えてはならない」や「ヴァンダの部屋」において撮られたあらゆるショットとも違っている。それらの空間は、常に「音」や「人」によって、ある「音源」がフレームの「外部」に存在することが前提とされていた。「外部」へと開かれていたのである。ところが「何も変えてはならない」のラストシーンのこの狭く閉じられた空間は、特定の場所ではないために「外部」に「音源」なり「人物」なりが存在するという前提はどこにもない。ただそのものとして「閉じられて」いるのである。その「閉じられた」空間の中においてフレームは、三人の人物すべての「音源」を同一のフレームの内部に映し出している。「外部」からはなんらの音も聞こえてきてはいない。それまで徹底して「開かれて」いたショットが、最後の最後に突如「閉じられ」る。これは果たして偶然なのか。

■エピローグ

ペドロ・コスタのフレームには、DW・グリフィスからジョン・フォード、ヒッチコック、そしてゴダール、ホウ・シャオシエンへと綿々と続いてゆく映画史の揺れが込められている。それぞれの映画は異質でありながら、彼らの内部はひたすら外部へ拡がることで内的に振動し続けてゆく。

何も変えてはならない、すべてが異なるために~

映画研究塾.藤村隆史~2010.10.31