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フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ内側からの切り返し表。題名にはYouTubeで検索しやすいように原題を書いておきます。数字はすべておおよそです。
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正面(人物が映画内でキャメラを正面から見据えたショットの数 |
内側からの切り返しによる分断 | |
1920 | 夜への歩み(Der Gang in die Nacht | 15ショット。クローズアップではっきり見てもすぐ目を逸らす。医師のオラフ・フェンスだけが頻繁にちらちら見ている。 | 1箇所 ①海辺で元盲人のコンラート・ファイトと浮気をしている妻グドルン・ステフェンセンの2人と、それを見つけた医師の夫とのあいだは、7ショット目で『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。 サスペンスが生じるときに内側から切り返している。 ■評 「内側からの切り返し」とは関係ないが、ラストシーンの手紙の内容がこれほどのエモーションを醸し出す作品も珍しい。 |
1921 | フォーゲレット城 SCHLOB VOGELOED |
24ショット。ほとんどがサイレント短編風のちらちら。はっきり キャメラを正面から見据えているショットは ①オープニングで城主アルノルト・コルフがキャメラをはっきり見ながら歩いて来る。 ②広間で招待客に囲まれて座っている伯爵ロータル・メーネルトが「弾丸は一発発射される」と話す時のクローズアップでちらりと。その直後のクローズアップではっきりキャメラを正面から見据えている。 ③振り向きざまに「私は人殺しではない」と叫ぶ男爵パウル・ビルトのバスト・ショットで。 ④変装をはずしてゆく伯爵に男爵が振り向きざまのクローズアップで2ショット。 |
なし。 そもそも切り返しと評価できるシーンは終盤、うなだれる夫の部屋に妻エルガ・チェホヴァが入って来た時、妻→夫→妻→夫、と切り返されるくらいなので、切り返しを前提とした『内側からの切り返しによる分断』は撮られる前提を欠いている。 |
吸血鬼ノスフェラトゥNOSFERATU: EINE SYMPHONIE DES GRAUENS | 14ショット。 吸血鬼マックス・シュレックが不動産屋の妻グレタ・シュレーダーを襲うシーンからキャメラを正面から見据えるショットが増え始めるが、それまではオープニングで夫グスタフ・フォン・ヴァンゲンハイムがドアを開けて入ってくるシーンがはっきりキャメラを正面から見据えているくらいであとはサイレント短編映画にありがちなちらちらとキャメラの正面を少し見ているショットが多い。俳優にはキャメラを正面から見てはならないという不文律のようなものがあるように見受けられる。 |
5箇所、
1不動産屋の男(グスタフ・フォン・ヴァンゲンハイム)が吸血鬼(マックス・シュレック)の城へやってきて二日目の夜、 このシークエンスは城にやって来た男が吸血鬼に襲われるシーンと、遥か離れた場所で吸血鬼にうなされるその妻(グレタ・シュレーダー)との二つの空間をカットバックで交互に撮られているが、ここでは同一空間に存在している男と吸血鬼とのあいだについてのみ見てみると、吸血鬼が部屋の中に入ってきてベッドの中の男と内側からの切り返しがなされたあと、4ショット目と5ショット目で男と壁に映し出された吸血鬼の「影だけ」が同一画面に収まり(『奇妙な同一画面』)、吸血鬼が部屋の外へ出てゆくまでの8つのショットで2人が『正常な同一画面』に映し出されることは一度もなくそのまま終わっている。 5妻が向かいの屋敷の窓に姿を現した吸血鬼を見て恐れおののくシークエンス 終盤、妻の家の向かいの屋敷に引っ越してきた吸血鬼と、ベッドで横になっている妻とのあいだでキャメラは何度も切り返される。①吸血鬼が向かいの屋敷の窓枠に手をかけてキャメラを正面から見据えているウエスト・ショット(ないしはフルショット)が撮られ、②眠りから覚めた妻が身を起こし恐る恐る窓の方を見ると、③こちらを真っ直ぐ見ている吸血鬼のショットへと切り返される。④その瞬間、妻が苦しそうにもだえていることからしてこれは妻の見た目のショット(主観ショット)として撮られていると見るべきだが、⑤次のショットのベッドの上の妻と窓との位置関係からすると、妻が吸血鬼を真正面に見ることのできる場所にベッドは置かれておらず、イマジナリーラインがずれているというよりもむしろ、空間そのものが歪んでいて妻が吸血鬼を自分の目で見どうかすら定かでないように撮られている(イマジナリーラインの破壊、空間的不明確性)。そのまま妻は夢遊病者のように窓へと歩いてゆき⑥窓を開けようとすると、⑦再びキャメラを正面から見据えている吸血鬼のショットへと切り返され、⑧妻はもうろうとして⑨眠っている夫が映し出され⑩再び妻のショットが撮られたあと⑪また吸血鬼のショットが挿入され、⑫意を決したように妻が窓を開けると、⑬再びキャメラを正面から見据えている吸血鬼のショットへと切り返され、吸血鬼はここで窓から離れてゆく。⑭窓枠にもたれかかり倒れそうになる妻のショットが撮られ⑮眠っている夫が撮られた後⑯向かいの屋敷の一階のドアが開いて吸血鬼が中から出て来る。⑰それを見た妻は(実際見ているかは確実ではないように撮られている)恐怖に顔を覆い、⑱再び吸血鬼へと画面は切り返され⑲妻が眠っている夫を起こすとそのまま倒れこみ⑳夫によってベッドに寝かされる、、、ここまで20ショット。切り返しはすべて内側からなされていて妻と吸血鬼が同一画面に収まるショットは一つも撮られていない。さらにこの内側からの切り返しはキャメラを正面から見据えている吸血鬼と、妻の後ろ姿との切り返しであり、吸血鬼からの見た目のショットが1ショットも撮られていないことからしてこの一連の内側からの切り返しによって撮られているのは妻の主観であり、体裁上、③⑦⑪⑬⑯は妻の見た目のショットとして撮られている。だが最初の③において既にベッドと向かいの屋敷の窓との位置関係のずれが露呈しているように、向かいの屋敷のどの窓に吸血鬼がいるかの全景が一度も撮られていないことからしても、位置の喪失、位置関係のずれが生じており、妻の「見ること」それ自体が不確かなこととして撮られている。 6吸血鬼がこちらの屋敷にやってきて妻を襲うシークエンス
妻の屋敷に入ってきて階段を上って来る吸血鬼の影。驚いたように窓辺で振り返る妻。扉を開けようとする吸血鬼の影。凍り付いて後ずさりしキャメラを正面から見据えながらベッドにへたり込む妻(直後のショットで妻は大きく左へ視線を向けていることから直前のショットとはつながっていない)→そこへ吸血鬼の「手の影だけ」が妻の体に映り悶える妻(『奇妙な同一画面』)。そこから他の空間が幾つかカットバックされるが、妻と吸血鬼の空間に限定して見てゆくと、次に吸血鬼がおそらく妻の首元に噛みついているシーンだろうか、ロングショットで吸血鬼の顔しか確認できず(『奇妙な同一画面』)、それがもう1ショット挿入された後、キャメラはさらに寄って吸血鬼の近景まで近寄るのだが、ベッドに寝そべっているらしい人間が妻なのかはまったく判別できず(『奇妙な同一画面』)、さらに一番鶏が鳴いて朝になり吸血鬼が窓の前で苦しみ消え去るショットまで、妻と吸血鬼の二人の空間に限れば13ショットにおいて二人は一度も『正常な同一画面』に収まることはなく内側からの切り返しか『奇妙な同一画面』によって分断され続けている。 |
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1922 | 燃ゆる大地 Der brennende Acker |
8ショット程度。●父の死後、食卓についた弟のウラディミール・ガイダロフがウエスト・ショットではっきりと。あとはちらちら。 |
9箇所。これ以上見出すことも可能。 ①伯爵夫人ステラ・アルベンティーナが夫の伯爵エドゥアルト・フォン・ヴィンターシュタインの部屋に入って来て知人が死の床にあると告げる時の2人のあいだは、8ショット目に同一画面に収められるまですべて内側から切り返され、その8ショット目では夫人が後ろ姿のロングショットで「その人」と特定することはできない(『奇妙な同一画面』)。 ②伯爵の娘の婚約者アルフレート・アーベルと伯爵夫人が話しているところへ娘リア・デ・プティが入って来た時の娘と母親とのあいだは、『正常な同一画面』に挟まれて5ショット内側から切り返されている。席をはずそうとした母親を睨みつける娘との心理的コミュニケーションを内側からの切り返しによって主観的に実現したものであり、フリッツ・ラング「仕組まれた罠」(1954)の②のように、客観的な『正常な同一画面』に挟まれることで主観的なコミュニケーションが際立っている(娘はほかに好きな男がいて婚約者と2人きりになりたくなかった)。 ③馬に乗って帰って来た娘と秘書ウラディミール・ガイダロフの2人と、彼らを二階の窓から見ている夫人とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。主観ショットとして撮られている。窓の内と外との切り返しにおける内側からの切り返しの歴史を踏襲している。 ④その直後、階段ですれ違った母と娘とのあいだは、『正常な同一画面』に収められたあと4ショット内側から切り返されそのまま終わっている。これも②と同じく主観的コミュニケーションを内側からの切り返しにより撮っている。 ⑤石油埋蔵の話を盗み聞きしている秘書と伯爵とのあいだは、8ショット内側から切り返されているが、画質が悪くてそこから先は不明。 ⑥抱き合っている母親と秘書の2人とそれを遠くから見つけた娘とのあいだは、3ショット内側から切り返されそのまま終わっている。 ⑦雪の道を埋蔵場所まで歩いてゆく秘書と部屋の中からそれを見ている夫人とのあいだは2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。これは窓を通して見ているのかいないのか、主観ショットとして撮られているはずの画面一杯に撮られた秘書のロングショットとそれを見ている夫人との場所的不明確性が際立っている。 ⑧その後、帰って来た秘書とそれを盗み見している夫人とのあいだは、7ショット目で『正常な同一画面』に収められるまで内側から切り返されている。これだけ見るとそれほど強い分断の性向によるものではないが一連の分断の積み重ねがサスペンスを積み重ねている。 ⑨農家の娘グレーテ・ディルクスが兄弟に夫人の死を告げに来た時の3人のあいだは、5ショット内側から切り返されそのまま終わっている。 ■評 キャメラを正面から見据えながらの奇形的な分断は存在しない。しかし「同じ写真」の切り返しでもない。分断による隔離性と心理的な密室性という内側からの切り返しによる分断のもたらす効果が複雑に絡み合っている。 |
ファントムPHANTOM | 8ショット。 質屋の女から「金返せ」と迫られるときのバスト・ショットだけがはっきりと正面を見据えたショットだが、そのほかはやや遠景からのものでおとなしい。俳優はキャメラを正面から見てはならないという不文律のようなものがある。 |
3箇所。
ゲルハルト・ハウプトマンの原作の映画化で「罪と罰」的な世界を展開してゆくこの作品は夢想家の主人公アルフレート・アーベルが善悪に生きる夢想家で、罪の意識、改心、といった「初犯」的な出来事によって運動が阻害されている。この作品における内側からの切り返しは ①お茶を飲んでいる男爵夫人イルカ・グリューニングの部屋にカーテンを広げて入って来る娘リア・デ・プティとのあいだとは、字幕を抜きにして12ショットすべて内側から切り返されそのままシークエンスは終わっている。 ③回想が終わった後、庭からアルフレート・アーベルを呼ぶリル・ダーゴヴァーと二階のアルフレート・アーベルのあいだとは7ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。 |
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1923 | 大公の財政Die Finanzen des Großherzogs | 5ショット程度。どれもちらちら。 | 2箇所。切り返しは非常に多いが分断の性向は強くはない。 ①国を乗っ取ろうとしている男(グイド・ヘルツフェルト)とライオンの着ぐるみをかぶった男とのあいだは、7ショット目に『正常な同一画面』に収められるまで内側から切り返されている。 ②船に乗り込んだ王様(ハリー・リートケ)と財務大臣(アドルフ・エンガース)の2人と、陸から彼らに電報の入った袋を投げたメイドとのあいだは、6ショット内側から切り返されそのまま終わっている。非力なメイドの下手投げで距離的に届くはずのない袋が切り返しの力によって見事に船の中に投げ込まれている。 |
1924 |
最後の人DER LETZTE MANN) | 8~9ショット。 結婚式の翌朝、二日酔いのヤニングスの主観ショットで二重に見える女がキャメラを見ている。 ②ホテルにやって来た女がドア越しにヤニングスを見て叫んでいるところへキャメラが急接近したクローズアップ。窓が女の息で白く曇る。 ③その直後、仰天したヤニングスのクローズアップ。 ④その後、トイレの客に呼ばれてもうろうと振り向くヤニングスがウエスト・ショットで。 ⑤その後、出て行った客のドアが開閉する奥のヤニングスがフルショットで。 ⑥その後、同じ体制のヤニングスが少し近づいて。 ⑦ヤニングスがトイレ係になったとアパートで噂を伝える女のクローズアップで。しかしよく見ると正面は見ていない。 ⑧ヤニングスが制服を着て帰宅している時、オーヴァー・ラップで笑っている女のクローズアップ ⑨帰って来たヤニングスを冷たく見つめる娘婿と女のフルショット。 |
3箇所 1仕事を休んで椅子に座り飲み物を飲んでいるヤニングスとそれを見てメモをする支配人ハンス・ウンター・キルヒヤーとのあいだが切り返されているが、8ショットすべて内側から切り返されそのままシークエンスは終わっている。 2ヤニングスと後任のドアマンが回転ドアですれ違った時、最初のショットで2人は同一画面に収められているが後任の男は後ろ姿で「その男」とは特定できず(『奇妙な同一画面』)、その後3つのショットで内側から切り返され、最後に同一画面に収まるが後任の男は後ろ姿で「その男」とは特定できない(『奇妙な同一画面』)。このシーンは男によって仕事を奪われたのではと驚くヤニングスのサスペンスが内側からの切り返しと『奇妙な同一画面』の5ショットによって撮られている。 3ホテルにやって来た娘婿の叔母エミーリエ・クルツにトイレ係に左遷されたことがばれるシーン。 ①まずトイレへと続くドアを開けて中から恐る恐る顔を出すヤニングスのクローズアップが撮られた後、②キャメラはガラス戸越しにキャメラを真っ直ぐに見据えた叔母へと切り返され、急接近し、ヤニングスがトイレ係になっていることに驚き絶叫した彼女の吐いた息でガラスを真っ白に曇らせ、③さらにキャメラを見据えて驚愕するヤニングスのクローズアップへと切り返され、④逃げるように去ってゆく叔母へと切り返され⑤うなだれるヤニングスのクローズアップへ切り返されている。ここまでの5つのショットはすべて内側からの切り返しによって分断されそのままこのシーンは終わっている。わずか5つのショットによってつながれたシーンだが、猿がキーキー叫んだようなエミーリエ・クルツのキャメラを真っ直ぐに見据えた動物的なクローズアップへの急接近と彼女の息で真っ白に曇ったガラスはこのためにエミーリエ・クルツはキャスティングされたのだと確信すべき驚愕のショットであり、それが同一画面などまったく存在しない内側からの切りしによって分断されたまま終わることで救いようのない両者の関係を暴露させている。分断の観点からするならばこのシーンこそが最大の見せ場であり、ムルナウは分断を「一発」に集中させて撮っている。ラングほどではないにしても、ムルナウもまた内側からの切り返しによる分断の映画史に名を連ねている。 |
1925 |
タルチュフTARTUFF |
18ショット。
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1箇所。 ①映画内映画において、ハンモックで眠っているエミール・ヤニングスのところへリル・ダーゴヴァーがやって来たシークエンス。 妻のリル・ダーゴヴァーが夫の財産を狙っているタルチュフ(エミール・ヤニングス)と初めて同一の空間に入ったシークエンスは、夫(ヴェルナー・クラウス)と彼を呼びに来たダーゴヴァー、そしてハンモックで寝ているヤニングストとのあいだでキャメラは切り返されるが、ダーゴヴァーとヴェルナー・クラウス、またヴェルナー・クラウスとヤニングスとは何度も正常な同一画面に入って来るが、ダーゴヴァーとヤニングスとのあいだだけは(字幕抜きで)5、6、8ショット目でヤニングスの「足だけ」がダーゴヴァーと同一画面に収まるという奇形的なショットが撮られ(『奇妙な同一画面』)、それ以外の35ショットはすべて内側からの切り返しで分断され続けそのままダーゴヴァーは出て行ってシークエンスは終わっている。ここまで奇形的な同一画面をわざわざ何度も撮るということは。逆に同一画面を撮らないという強い意志の現れであり、『奇妙な同一画面』が奇妙であればあるほど、その同一性は分断へと導かれることになる。 |
1926 | ファウストFAUST | 15ショット。 カミラ・ホルンが首飾りを付けた姿を鏡で見るとき。バスト・ショット。●赤ん坊殺しで捕まったホルンがキャメラに向かってすり寄り『ファウスト!』と叫ぶ。キャメラを正面から見つめて。ややピンボケ。 |
なし 内側の性向は基本的には存在しない。メフィスト(エミール・ヤニングス)から逃げ回ったファウスト(ゲスタ・エクマン)が研究室に帰ってきて座っているメフィストと向きあったとき、6ショットほど内側から切り返されているが最初と最後には同一画面に収まっており、最初のショットが『奇妙な同一画面』だとしても、余りにも素直な切り返しが続くこのシークエンスに分断の意志を見出すことは困難である。 |
1927 | サンライズSUNRISE アメリカ作品 |
6ショットほど。 ①メイドのボディル・ロージングが序盤、2回の回想を終えた後、横を向いていた彼女がゆっくりとこちらを向いてキャメラを見つめる。 ②結婚式を挙げている教会へ入って来た夫婦が後ろ姿でゆっくりとベンチに座った後、キャメラが切り返されると、2人ともキャメラの正面を見つめている。 ③小舟で遭難した妻を捜索している夫が妻の名を叫んでいる時にキャメが接近しショット内モンタージュでクローズアップとなったショット。 ④その直後、流れて来たパピルスを見つけて驚愕する夫のクローズアップ。 ⑤都会の女の首を絞めている夫を遠くから叫んで呼ぶメイドのクローズアップ⑥妻を救助した男にキスをしたメイドのクローズアップ。 この中で、③~⑥は、よく見るとキャメラのやや脇を見ていて厳密に正面を見ているショットは①と②しかない。その両者ともやや遠景のウエスト・ショットくらいであり、キャメラの正面を見据えた奇形的なクローズアップはこの作品には存在しない。 |
2箇所。 ①ボートで街へ向けて出発する時、夫ジョージ・オブライエンと妻ジャネット・ゲイナーとのあいだは、最初のショットで船に乗り込む夫と妻が『正常な同一画面』に収められてからキャメラはボートの上に移行する。まず2人は同一画面に収められているが手前の妻が後ろ姿で「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)、その後、カモメを見つめる妻の主観ショットなどを交えながら2人のあいだはずっと内側から切り返され、21ショット目で夫の恐ろしいクローズアップが入り、次のショットで妻を海へ突き落とそうと立ち上がる夫と妻とが同一画面に収められているが夫は後ろ姿で「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)、さらにその次のショットでは妻に接近した夫が同一画面に収められているが夫は「後ろ姿と耳だけ」で「その人」と特定することはできず(『奇妙な同一画面』)、27ショット目で我に返って再びボートを漕ぎ始める夫と妻が同一画面に収められているが、夫は相変わらず後ろ姿であるもののかろうじて「その人」と特定することが可能なショットとして撮られており(奇妙な『正常な同一画面』)、37ショット目でもまた2人は同一画面に収められているが、手前の妻が後ろ姿で「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)、さらに39ショット目でボートの上から逃げ出す妻と夫とが同一画面に収められているが妻は後ろ姿で「その人」と特定できず、そのままこのシークエンスは終わっている。ボートを漕ぎ出してから39ショットの内、『奇妙な同一画面』が5ショット、『奇妙だが正常な同一画面』が1ショット、それ以外のカモメやオールのショットを含めて33ショットはすべて内側から切り返されて分断されている。映画史に残るとされているこのシーンをこれまでさり気なく見て来たが、実はこんな構成で撮られていたのである。 ②夫婦が「和解」したあと、街の床屋で2人が焼きもちを焼き合うシーンは、夫が椅子に座ってから41ショット目に妻と同一画面に収められるまですべて内側から切り返されている。 |
1930 | 都会の女 CITY GIRL アメリカ |
7ショット。はっきりと正面を見据えるためのショットは無し。レストランの厨房からの初めての出会いのシーンにおけるメアリー・ダンカンとマージョリー・ビーブのキャメラを正面から見据えるショットが一番強いくらい。 | 8箇所。サスペンスが高揚する時には基本的に内側から切り返されている。 ①初めての出会いの時、厨房の中のメアリー・ダンカンと彼女のウェイトレス仲間マージョリー・ビーブが、カウンターで食事をしているチャールズ・ファレルを見て笑うシーンにおける両者のあいだは、9ショット目に『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。2人のウェイトレスのキャメラを正面から見据えたクローズアップが何度も入るこの切り返しは出会いのサスペンスとしての分断の性向を見出すことができる。 ②汽車に乗るのを引き返したチャールズ・ファレルがレストランの前でメアリー・ダンカンと再会した時、『正常な同一画面』に挟まれた3つのショットが内側から切り返されている。僅か3ショットの切り返しだが、失神しそうになっているメアリー・ダンカンのクローズアップは前後のショットから明らかにずれた=分断された、ショットの連鎖無き連鎖であり、これこそが内側からの切り返しであるという分断のエモーションを生じさせている。 ③チャールズ・ファレルと結婚して農家の実家にやって来たメアリー・ダンカンが、初めて義父デヴィッド・トレンスと出会うときの2人のあいだは、13ショット目で『正常な同一画面』に収められるまで内側からの切り返しによって分断されている。 ④一度部屋を出て行った義父が戻って来て「話がある」とメアリー・ダンカンと向き合った時の2人のあいだは、8ショット目で『正常な同一画面』におさめられるまで内側からの切り返しによって分断されている。 ⑤メアリー・ダンカンが農場で農夫たちに昼食をよそっている時に荷馬車でやって来た夫チャールズ・ファレルとのあいだは、27ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。 ⑥下着姿の妻メアリー・ダンカンと夫チャールズ・ファレルがドアを開けて部屋から出て来た時、外に立っていた農夫リチャード・アレクサンダーとのあいだは、9ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。 ⑦農夫たちの寝ている馬小屋の二階へやって来たチャールズ・ファレルと< 彼をからかう農夫たちのあいだは、11ショット目で一部の農夫と『正常な同一画面』に収まるまですべて内側から切り返されそのまま終わっている。 ⑧農夫ジャック・ペニックが農場(馬小屋)を出て行くとき、布団の上に座っているチャールズ・ファレルとのあいだは、8ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。 |
1931 | タブウ TABU アメリカ |
14ショット。殆どはちらちら。右の⑦にしても遠景から撮られている。 | 9箇所。 ①船によじ登って来たマタヒと船の上のレリとのあいだは、18ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。ただ、他の者たちのショットも撮られていることから分断の性向としては弱い。 ②母親の膝に泣き崩れているレニとその家族たちと、彼女を見守っている者たちとのあいだは、13ショット内側から切り返されそのまま終わっている。 ③レニの生贄の祭りの時、レニの頭に花輪をかぶせるマタヒとレニとのあいだは、最初のショットで同一画面に収められるがレニは後ろ姿で「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)、次のショットではレニとマタヒの「手だけ」が同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)、次のショットではマタヒとレニの後頭部だけが一瞬同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)、2人の関係はそこで終わっている。2人のあいだが『奇妙な同一画面』3ショットによって撮られている。 ④生贄の儀式のダンスに乱入してレニと踊るマタヒとそれを見ている老人ヒツとのあいだは、他の者たちのショットも含めて22ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。 ⑤2人が駆け落ちした後、村で代わりの娘を老人ヒツにお目通しするシーンでの老人と他の者たちとのあいだは、14ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。 ⑥警官がマタヒとレニの2人を逮捕しに来た時の両者のあいだは、13ショット目で『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。 ⑦窓の向こうから銛(もり)を持って近づいて来る老人とレニとのあいだは、9、11、13ショット目で同一画面に収められているがレナが後ろ姿で「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)、それ以外は14ショット目で老人が去ってゆくまで内側から切り返されそのままわっている。■評 2人が同一画面に収められるのは娘が小屋を出てからであり、小屋の中にいる娘と窓の外の老人を切り返して撮られたショットはすべて内側から切り返されている。窓を挟んで銛を構えキャメラを正面から見据えて接近して来る老人とそれを見ている小屋の中の娘をどちらも正面から捉えたこの内側からの切り返しは別々に撮られることで大きな「ずれ」を生じており強い分断の傾向を見ることができる。 ⑧その後、目を覚まして立ち上がったマタヒと眠ったふりをしているレニとのあいだは、最初のショットで『正常な同一画面』におさめられたあと、6ショット目でマタヒが出て行くまで内側から切り返されそのまま終わっている。 ⑨レナを追いかけ海に飛び込んで泳いでいるマタヒと船の上の老人とのあいだは、7ショット目でマタヒと老人の「手だけ」が同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)、それ以外の8ショットはすべて内側から切り返されそのまま終わっている。■評 娘の乗せられた船を泳いで追いかけてゆく青年と船の上の老人とのあいだは『分断』され続けており、7ショット目の『奇妙な同一画面』によってさらに『分断』を強めゆくこのラストシーンはタブウの掟を冷徹なまでの『分断』によって締めくくりそのまま終わっている。作品を通じて内側からの切り返しが非常に多く、分断の性向もまた強く撮られている。ドキュメンタリータッチの作品だが実際は劇映画であり演出に依って撮られている。 |