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D・W・グリフィス内側からの切り返し表

カッコ()付きでの邦題は藤村隆史の意訳であり邦題ではない。

         


 

題名。封切日

正面(人物が映画内でキャメラを正面から見据えたショットの数

内側からの切り返しによる分断 内側からの切り返しと外側からの切り返し、クローズアップ
1908 MONEY MAD
金の亡者

12/5
守銭奴のチャールズ・インスリーが路地でショット内モンタージュでバスト・ショットになるまでキャメラに接近し、その時、ほんの1秒ほどだかキャメラをはっきりと正面から見据えている。ただしこれは「ちらちら」の延長上であり「FOR HIS SON(彼の息子のために)(1911)のようにキャメラを正面から見据えるために撮られたショットではない。ただ「起源」のひとつにはなり得るかも知れない。そのままキャメラの横を通り過ぎているのでクローズアップが撮られたものではない。  なし  
1909 THE DRUNKERS REFORMATION
酔っぱらいの改心 3/27
ちらちら 1箇所。

酒癖の悪い夫アーサー・ジョンソンが娘と2人で舞台を見に行ったときの観客席の観客たちと舞台の上の劇とのあいだは、22ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。酒癖の悪い男が家庭で暴力をふるったあと死ぬという舞台劇を見ていた夫が改心するという物語なので少々舞台のショットが長くはあるものの、ほぼ正面から撮られた観客席と舞台とが交互に切り返され、かつ多くの観客たちがキャメラを正面から見据えているこの切り返しは、果たしてグリフィスの撮った内側からの切り返しの「起源」かは不明だが、斜めではなく真正面から切り返されるということは、観客は舞台ではなくキャメラを見ているのであり、その逆に舞台の者たちも観客席ではなくキャメラの前で演技をしていることになり、おそらく両者のショットは別々に撮られているように見える。するとそこには空間的な「ずれ(違和感)」が生じ、早くもこの切り返しには、キャメラを正面から見据えること、空間的不明確性、という、内側からの切り返しによる分断の効果の大きな二つが出現していることになる。こうした撮り方には当時の技術的限界もあったのであろうし、もっと違ったレンズがあれば違った撮り方がされていたかもしれない。従ってここで生じた「分断」も、それが目的として撮られていることはなさそうである。
 
  TO SAVE HER SOUL(彼女の魂を救うために)
12/31
ちらちら 1箇所。

舞台劇の観客席に座っている牧師アーサー・ジョンソンその他観客たちと、舞台の上のメアリー・ピックフォード等とのあいだは、8ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。観客と舞台のメアリー・ピックフォードがより鮮明にキャメラを正面から見据えているショットが入り、「THE DRUNKERS REFORMATION(酔っぱらいの改心」(1909)と違って舞台の内容は関係ないのでよりリズミカルに切り返されている。
 
1910 WHEN A MAN LOVES(男が愛する時)11年1/7 ちらちら。 2箇所

①部屋の中のメアリー・ピックフォードと窓の外から上を見上げているチャールズ・ウェストとのあいだは、ピックフォードが窓のカーテンをまくって外を見てから、6ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。角度的には部屋を正面から撮っているので側面の窓は見えず、イマジナリーラインも合っていないが、中のピックフォードの投げキッスを外のチャールズ・ウェストがキャッチしたり、アイコンタクトをしていたりするので2人は映画的には見つめ合っているように撮られている。

②さらにもう一度、外の酔っぱらいと、二階の窓から顔を出したデル・ヘンダーソンとのあいだは、5ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。今度は窓から顔を出しているので設定として違和感はない。
 
1911 女の叫び
LONEDELE OPERATOR3/25
ちらちら 2箇所。

①駅の通信室のブランチ・スウィートが出発する汽車の運転をしている恋人フランシス・J・グランドンと窓越しに手を振り合うシーンにおける2人のあいだは、5ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。女が投げキッスをし運転士もそれに呼応するように手を振っていることから2人はお互いを見ているという設定になっているが。側面の窓が画面の中に撮られておらず、汽車は出発していくのに女の視線は一定でイマジナリーラインも合っていないことから、おそらくは別々に撮影されていると推察される。

②さきほどの窓の外で中の様子をうかがう強盗2人組と彼らを見つけて驚くスウィートとの関係は、5ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。今度は二人組の側から窓が映っているものの中からは窓はさきほどと同じように映ってはおらず、外で身をかがめている2人組と中から上の方を見ている女とはイマジナリーラインは合っていない。おそらくこのシーンも別々に撮られたものと推察される。


評 どちらも内側から切り返されそのまま終わっていることから分断の性向を認めることは可能だが、果たしてグリフィスにそうした意志があったのかは疑わしい。ただ「起源」とは往々にしてそういうもので、本人がそうする意志なしに結果としてなされたことが次第にそれを目的としてなされるようになったりもする。 批評家にできるのは証拠を積み重ねていくことでしかない。
 
  最初の魅惑
THE PRIMAL CALL
 6/24
ちらちら 1箇所。

●終盤、砂浜で男たちを殴り倒して女クレア・マクドウエルを奪った漁師ウィルフレッド・ルーカスが波打ち際に走っていってから振り向き、女とのあいだで4ショット内側から切り返されている。やや斜めからの男のバスト・ショットと女のウエスト・ショットとのあいだの極めてスピーディでエモーショナル切り返しは、これ以前におけるグリフィスの短編の内側からの切り返しとは違い、同じ場所で技術上の制約もなくただ2人を別々のショットに収めんとする欲求から撮られているように見えるのであり、新たな次元への突入を予感させている。
 
  THE MAKING OF A MAN(メイキング・オブ・ア・マン)
9/30
ちらちら 2箇所

①映画が始まってすぐ、劇場の最前列の席に座ったブランチ・スウィートと恋人のガイ・ヘドランドと、舞台で演じているデル・ヘンダーソン等とのあいだは、16ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。

②終盤、①と同じように観客席と舞台とが5ショット内側から切り返されそのまま終わっている。観客たちがみなキャメラを正面から見据えているこの切り返しは、「THE DRUNKERS REFORMATION(酔っぱらいの改心)(1909)TO SAVE HER SOUL(1909)から続く、舞台と観客席における正面からの切り返しをそのまま踏襲している。
 
  THE ADVENTURES OF BILLY(ビリーの冒険)10/14 ちらちら 4箇所。

①物乞いに家を訪ねている子供(エドナ・フォスター)と陰で見ている悪党二人組(ドナルド・クリスプとジョセフ・グレイビル)とのあいだは、2回内側から切り返され3ショット目で『正常な同一画面』に収められている。平行モンタージュと違いドナルド・クリスプの視線がもう一つの空間を捉えているのでこれは切り返しである。

②木陰に隠れている2人組と金持ちの家の庭にいる子供とのあいだは、6ショット内側から切り返され7ショット目で同一画面に収められている。

③柵のところで金を財布の中に入れている老人W・クリスティー・ミラーとそれを盗み見ている2人組とのあいだは、5ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

④老人を襲っている2人組とそれを見ている少年とのあいだは、6ショット目で『正常な同一画面』に収められるまで内側から切り返されている。

■評 窓の中と外、舞台と観客席、以外で、初めて切り返しが現れたのは「最初の魅惑(THE PRIMAL CALL)(1911)であったが、そこでは1箇所だけだったのがここでは一気に4箇所もの切り返しが自然な流れでスピーディに撮られている。
①~④は基本的に「盗み見」であり、盗み見を切り返しによってモンタージュしている。
 
  THE LONG LORD
10/21
不明 1箇所。現存するのは80秒のフィルムのみ

公園を歩いている女ブランチ・スウィートが歩いて来る男チャールズ・ウェストを見つけた時、6ショット目で『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。

■評 わずか80秒しか現存しないフィルムにこの切り返しが残っていることは驚きである。
 
  THE BATTLE
11/4
ちらちら 1箇所。

ダンスパーティの庭で戯れる恋人たち(ブランチ・スウィート・チャールズ・ウェスト)と、彼らを呼ぶ兵士と女とのあいだは、2ショット内側から切り返されている。

■備考  戦場から逃げかえった兵士が気づかれることなく戦地に戻り手柄をあげている→「勇者の赤いバッヂ」(1951 米 ジョン・ヒューストン)
 
  THE MISER’S HEART(守銭奴の心)11/18 ちらちら 1箇所

強盗団に二階の窓からロープで吊るされた女の子(イネズ・シーベリー)と、彼女が落とした人形を見て驚いて上を見上げた浮浪者の泥棒(ウィルフレッド・ルーカス)とのあいだは、4ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

■評 上下の空間のあいだでの切り返しが撮られている。
 
  FOR HIS SON(彼の息子のために)1912/1/20 1ショット。

9分過ぎ。父親のチャールズ・ヒル・メイルズが立ち上がり、ウエスト・ショットになるまで身をかがめ、キャメラに向かってキャメラを正面から見据えながら身振り手振りで力説する。DW・グリフィス初の「キャメラを正面から見据える」ショットは「MONEY MAD(金の亡者)(1908)に譲るとしてもはっきりと演出としてキャメラを正面から見据えるショットが撮られたのは(私が見た限り)これが初めてとなる。サイレント映画特有の、俳優がちらちらキャメラを見つめるショットではなく、はっきりキャメラの正面を見るために撮られたショット。
 なし。  
  BILLY’S STRATAGEM(ビリーの策略)2/10 ちらちら 1箇所。

(イネズ・シーベリー)を連れて狩りに出かけた少年(エドナ・フォスター)が草原でインディアンたちと出くわしてしまった時の両者のあいだは、少年が逃げ出すまでの10ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。その後も交互にカッティングされているが、切り返しよりも追っかけの平行モンタージュに近く、両者の差異は微妙だがここでは分けておく。
 
  1911年評      
1912 THE MENDER OF NETS
(
網の修理者)
2/10
ちらちら。 2箇所。銃を発砲するシーンも含めると3箇所。

①海辺のベンチに座っているメアリー・ピックフォード・チャールズ・ウェストの2人と、海辺を歩いてやって来た娘マルグリット・マーシュとのあいだは、8ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている(次のショットで『正常な同一画面』に収められているがそれは空間を移動した後なのでここには入れない)

②坂道で格闘しているチャールズ・ウェスト・デル・ヘンダーソンの2人と、それを望遠鏡で見ているピックフォードとのあいだは、4ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。

■評 切り返しがよりスムーズになってきている。望遠鏡を使う、ということは、切り返しを強く意識していることを示唆している。
①②共に、同じ場所で撮られたのではないような「ずれ」が見て取れる。特に②は、望遠鏡を使っているので同じ場所にいないことがより強く意識されている。
 
  Lola’s Promise
ローラの約束3/9
ちらちら 3箇所。切り返しはほかにもあり。

①インディアンに木に縛られているドロシー・バーナードたちとそれを見ているメアリー・ピックフォードとのあいだは、4ショット目で『正常な同一画面』に収められるまで内側から切り返されている。

②インディアンたちと白人たちの銃撃戦は4ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。別の場所で撮られているような感覚。

③傷口を抑えて悶絶しているピックフォードと駆けつけたアルフレッド・パジェットとのあいだは、4ショット目に同一画面に収められるまで内側から切り返されている。さほどの分断性は見せていない。
 
  THR GODDES OF SAGEBRUSH GULCH(ヨモギ渓谷の女神3/23 ちらちら 2箇所。

①ブランチ・スウィートと、つるはしを持った採掘者たちのあいだは、最初に『正常な同一画面』に収められてから男たちはキャメラの左側を通過するように去っていき、そこで3ショット、男たちとブランチ・スウィートとが内側から切り返され、再びスウィートへ切り返されるとそこで彼女は蛇に襲われる。するとキャメラは今度は右方向にいるチャールズ・ウェストへと切り返され、異変に気付いたチャールズ・ウェストはそこで足元に落ちていた木の枝を拾い、次のショットで2人は『正常な同一画面』に収められチャールズ・ウェストが木の枝で蛇を退治している。ここではブランチ・スウィートを軸にして、採掘者たち、そしてチャールズ・ウェストという、二つの方向へ向けてショットが続けざまに切り返されている。

②叢に隠れたブランチ・スウィートと強盗団とのあいだは、最初のショットでブランチ・スウィートが画面左へ消えたあと強盗団が画面の右から入って来て(『持続による同一存在の錯覚』)、その後の5ショットは内側から切り返されそのまま終わっている。「THE ADVENTURES OF BILLY(ビリーの冒険)(1910)では既に「盗み見」が切り返しによって撮られていたが、ここでは「盗み聞き」を切り返しによって撮っている。

■評 これ以前の盗み見や盗み聞きは、どう見ても場所的に気づいてしかるべきところを「気づかないことにする」という約束事によって撮られていたが、切り返しを使うことによってより空間が広げられ、それに伴って行動の幅も広がっている。また『持続による同一存在の錯覚』もまたここで初登場している。
 
  少女と彼女の信頼
THE GIRL AND HER TRUST3/23
ちらちら

3箇所。

①汽車から出て来た強盗のアルフレッド・パジェットと駅員から郵便物を受け取っているウィルフレッド・ルーカスとのあいだは、3ショット目の縦の構図で同一画面に収められるまで内側から切り返されている。最初にウィルフレッド・ルーカスへと切り返されるたショットが強盗の男の主観ショットに近い。

②その後、通信室の窓の外に身をかがめた強盗と中で現金を金庫に入れているルーカスとのあいだは、3ショット内側から切り返されそのまま終わっている。このルーカスのショットは角度的に強盗の主観ショットとはなっていない。

③トロッコで逃げる強盗たちとそれを見たウィルフレッド・ルーカスとのあいだは、3ショット内側から切り返されそのまま終わっている。ルーカスは線路の左に立っているがトロッコは正面から撮られているのでルーカスの主観ショットではない。
 
  THE FAMAL OF SPECIES
人類の女性4/6
ちらちら 1箇所 これ以外にも切り返しは幾つかある。

①砂漠で一人先に行くドロシー・バーナードと姉妹(クレア・マクドウエルとメアリー・ピックフォード)とのあいだは、最初に『正常な同一画面』におさめられたあと、14ショット続けて内側から切り返されそのまま終わっている。どちらもほぼ正面から切り返されている。
 
  ONE IS BUSINESS、THE OTHEE CRIME
こちらは商売、あちらは犯罪 4/20
ちらちら 数カ所ある。その中で主観ショットと切り返しの関係について。

序盤、妻のドロシー・バーナードがカーテンを開けて外を見ると、帰宅する夫チャールズ・ウェストへと切り返される。1ショットの切り返しだが、切り返しが主観ショットと融合した瞬間である。ラストシーンでもまた同じようにドロシー・バーナードがカーテンをめくって外の夫たちに手を振ると、キャメラは切り返されて仕事へ向かう夫たちのロングショットで終わっている。視線と切り返されたショットが呼応した主観ショットとしてどちらも撮られている。
 
  A BEAST AT BAY
追いつめられた野獣 5/25
ちらちら 2箇所。

並んでいるメェ・マーシュとピックフォードの2人と荷物を詰めているウィルフレッド・ルーカスとのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。最初のウィルフレッド・ルーカスへの切り返しは、物語的には女たちの主観ショットだが、実際は角度的に主観ショットではない。

②脱獄犯を車に乗せるピックフォードと遠くからそれを見ていた恋人ウィルフレッド・ルーカスとのあいだは、10ショット内側から切り返されそのまま終わっている。途中からウィルフレッド・ルーカスが望遠鏡を使って見ているが、ピックフォードの車の後方から撮られたり今度は車の前から撮られたりしていて、内側からの切り返しによる分断の性向は顕著でも、主観ショットとして撮る意志は希薄なようである。
 
  FRIENDS
フレンズ9/21
ちらちらだがはっきりもある。

●二階から階段を降りて来たピックフォードが階段の途中でこちらを向いてキャメラを正面から見据えながら話している。フルショットだがはっきりと見ていて「ちらちら」ではなく演出としてキャメラを見ている。そこからキャメラが引かれてバーの全景を映し出し、バーのカウンターのヘンリー・B・ウォルソールが振り向いてピックフォードへ切り返されると、またピックフォードはキャメラを正面から見据えて話している。ウォルソールの見た目の主観ショットとしても成り立っているが、イマジナリーラインはピックフォードが正面を見ているので合っていない。●しばらくしてまた階段を下りて来たピックフォードがフルショットでキャメラを正面から見据えて話している。
1箇所。内側からの切り返しによる分断、というところまでは行っていないが、主観ショットの観点からここに挙げる。 

①二階の窓からピックフォードが路地で馬に乗るウォルソールを見ているが、切り返されたウォルソールのショットは右側の窓に対して正面から撮られていて主観ショットではない。さらにピックフォードへと切り返されこのシーンはそのまま終わっている。3ショット。

■評 人物を正面から撮るサイレント映画の傾向が主観ショットの誕生を遅らせているのかも知れない。
 
  THE MUSKETEERS OF PIG ALLEY
ピッグ路地の銃士たち10/26
邦題「ピッグアレイの~」ですがこれは「路地」の映画ですのでゴロは悪いですがこうしました。
グリフィス初のクローズアップはキャメラを正面から見据えている。
1ショット。エルマー・ブースがキャメラを正面から見据えながらショット内モンタージュでクローズアップになるまで接近して来る。

■評 グリフィス映画で私の見た初のクローズアップ。ショット内モンタージュでありかつキャメラを正面から見据えている脇役のショット。
 なし。  
1913 THE LITTLE TEASE
ちいさな悪戯4/19
ちらちら 6箇所。

①木の上から飛び降りて来たメェ・マーシュが熊に石を投げつけるシーンで熊とマーシュとのあいだは4ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている(当たり前だろう)

②メェ・マーシュがロバート・ハーロンに石を投げるシーンで2人のあいだは、最初のショットで『正常な同一画面』に収められてから5ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

③その直後、木に登って逃げたメェ・マーシュと下から見上げるロバート・ハーロンとのあいだは、最初に同一画面に収められているがハーロンが後ろ姿で「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)、その後6ショット内側から切り返されている。そのまま下の人物はロバート・ハーロンからヘンリー・B・ウォルソールへと入れ替わり、最初の6ショットを含めて16ショット目に2人が同一画面に収められるまですべて内側から切り返されている。主観ショットではないが、「WHEN A MAN LOVES(男が愛する時)(1910)に比べて上下のあいだの切り返しがスムーズになってきている。

④さらにその直後、ウォルソールにキスをされたマーシュがウォルソールに石を投げてかぶっている帽子を落として見せるシーンにおける2人のあいだは、『正常な同一画面』に挟まれた7ショットが内側から切り返されている。

⑤町の酒場で抱き合っているヘンリー・B・ウォルソールとクレア・マクドウエルと2人を盗み見するメェ・マーシュとのあいだは、1357ショット目では抱き合っている2人とマーシュの「手だけ」が同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)、あとの4ショットは内側から切り返されそのまま終わっている。画面の右側が切れているのでひょっとするとマーシュが同一画面に収められている可能性もあり。
ちなみにここで切り返しのカウントが始まるのはマーシュがドアを開けた次のショットからであり、ドアを開ける以前は平行モンタージュである。両者の区別は難しいが、今のところこの論文では、一方的であれ視線を始めとしたなにかしらのコミュニケーションが開始された時点で「切り返し」としている

⑥山へ帰って来たマーシュが草むらでピューマから逃げるシーンでマーシュとピューマとのあいだは、3ショット目で『正常な同一画面』に収められたマーシュが一目散に逃げだし()、それ以外は6ショット目で逃げ切るまですべて内側から切り返され『正常な同一画面』に収まることなくそのまま終わっている(収まったら食われている)

■評 もはや切り返しが自由な時代となりつつあり内側からの切り返しによる分断を撮ることのできる環境は整ってきている。
 
  THE HOUSE OF DARKNESS
暗黒の家5/5
1ショットはっきりと。●木の陰に隠れたチャールズ・ヒル・メイルズがゆっくりと左目からキャメラを正面から見据えながら顔を出してから目を逸らすウエスト・ショットが撮られている。「FOR HIS SON(彼の息子のために)(1911)以来、またしてもチャールズ・ヒル・メイルズがキャメラを正面から見据える映画史を刻んでいる。 2箇所。

①脱走した男チャールズ・ヒル・メイルズが窓の外から主婦のクレア・マクドウエルを覗き見するシーンでの2人のあいだは、5ショット目で窓から侵入した男と主婦とが『正常な同一画面』に収められるまで内側から切り返されている。切り返されて撮られた主婦の正面からの2ショットは男の動きなどから主観ショットの体裁で撮られているが、窓は主婦の背後にあることから、ここでもまた大きく視線がずれていて『主観ショットの正面性』が現れている。

②その後、椅子の陰に隠れた男と飼い猫をあやしている主婦とのあいだは、8ショット目で男の存在に気づいた主婦と『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。

■評 ②のように人が人から隠れる場合、それまではロングショットなりフルショットの持続したショットによって撮られていたことから、その存在を気づいてしかるべき距離にいながら「隠れていることにする=気づかないことにする」という事態が惹き起こされていたが、この作品はここで被写体に接近して双方に切り返すことで主婦からの「見えない空間」を映画的に作り出し「隠れること」のサスペンスを創出している。とはいうものの、サイレント映画では今後もしばらくこの『隠れていることにする問題』が頻繁に惹き起こされるのであり、それが解消されるまでにはもう少し時間を要することになる。
 
魔性の女
THE MOTHERING HEART6/14
3ショット。はっきりは以下。
●夫の上着のポケットの中から女の手袋を見つけたリリアン・ギッシュがウエスト・ショットでキャメラを正面から見据えている。恐ろしい顔。●赤ん坊が死んだあと、すがりついていたリリアン・ギッシュが顔を上げてキャメラを正面から見据えるウエスト・ショット。恐ろしい顔をしている。●その後、木々に囲まれた庭へ出て来たリリアン・ギッシュがキャメラを正面から見据えるウエスト・ショット。すぐ目を逸らす。怖い顔。■評 キャメラが被写体に近づくようになるにつれてそれまでの「ちらちら」と共にキャメラをはっきり見つめる視線も出現するようになる。リリアン・ギッシュはこれ以降の作品では見せたことのないような怖い顔をしている。
3箇所。

①大きなレストランでリリアン・ギッシュ、ウォルター・ミラー夫婦と隣のテーブルから夫に色目を使う女ヴィオラ・バリーとのあいだは、最初3人は画面の下に人物が撮られたやや奇形的な『正常な同一画面』に収められ、そこからさらに5ショット目で同じ構図の『正常な同一画面』に収められ、22ショット目で怒ったリリアン・ギッシュに促され夫と2人でテーブルを後にする時に再び同じ構図の『正常な同一画面』に収められているもののそれ以外の20ショットすべて内側からの切り返しによって分断されている。この切り返しは、ほぼキャメラに向かって正面に座っている3人のあいだをキャメラが横に移動しながら撮られているようなショットであり、向き合った者同士がキャメラを正面から見据えるショットの切り返しとは違うものの、5ショット目で引かれて全体を撮った時のヴィオラ・バリーと、次のショットでキャメラを寄って撮られたヴィオラ・バリーの空間とはまったく画質の違う空間として撮られている。さらに途中で振り向いたリリアン・ギッシュと目が合ったヴィオラ・バリーが慌てて目を逸らすというサスペンスまで撮られたこのシーンは近景に寄りながらショットを分断することによる視線の投げ合いをサスペンスにして撮られており、リズムの良い切り返しとこのシークエンスのこの切り返しには分断のサスペンスに満ち合われている。

②夫を尾行するために家から出て来たリリアン・ギッシュと車の女と話している夫とのあいだは、6ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。リリアン・ギッシュの盗み見が主観ショットとして成り立っている。

③ ①とまったく逆のシーンが撮られている。今度は夫とその浮気相手の女ヴィオラ・バリーがレストランで同じテーブルに座りそこへ色男チャールズ・ウェストが入ってきて隣のテーブルから女に色目を使うというシーンである。最初に①と同じあの構図で『正常な同一画面』に収められた後、6ショット目で再び前と同じように『正常な同一画面』に収められ、11ショット目で怒った夫に促され女と2人でテーブルを後にする時に再び同じ構図の『正常な同一画面』に収められているもののそれ以外の9ショットはすべて内側から切り返されている。

■評 内側からの切り返しには人と人、空間と空間を分断する効果をもたらすが、全景を撮った後にキャメラを近景に寄ってから内側からの切り返しで分断する時、全景のよそよそしさとは異質の近景へと時空を分断しながら、さらに切り返しによって人と人とを分断するという二重の効果が生まれることになる。
58-0-0
  エルダーブッシュ峡谷の戦い
THE BATTLE AT ELDERBUSH GULCH)3/21
7ショット。↓以外はリリアン・ギッシュがちらちらと見るだけ

●初め
てベッドのある小さな部屋に入ったメェ・マーシュが妹と抱き合いながらフルショットで。●町がインディアンに襲われた後、森の中で味方のガンマンがインディアンに撃たれて頭の皮を剥がされるのを見たリリアン・ギッシュがキャメラを真っ直ぐ見ながらクローズアップになるまでキャメラに突進しそのまま横を走りすぎる。
1箇所

①犬を助けたメェ・マーシュを救出したあとのインディアンとの銃撃戦。これは「切り返し」というよりも、平行モンタージュという感じか。

②ラストシーン、夫ロバート・ハーロンと再会し「私の赤ちゃんはどうしたの!」と夫の襟首を掴んで揺すっているリリアン・ギッシュ夫婦と、道具箱の中から顔を出したメェ・マーシュと赤ん坊たちとのあいだは、5ショット目で『正常な同一画面』に収められるまで内側から切り返されている。2ショット目で夫の驚く顔を見て「何を見ているの?」という感じで振り向くリリアン・ギッシュが撮られている。ロベール・ブレッソンはこうしたことについて『先日、私は、ノートルダム・寺院の公園を横切る途中で一人の男とすれ違ったのだが、そのとき、私の背後にあって私には見えない何ものかを捉えた彼の眼が、突然ぱっと明るくなった。彼が走り寄っていった若い女と小さな子供に、もし、私もまた彼と同時に気づいていたならば、この幸福な顔は私をこれほど強くうちはしなかっただろう。恐らく。それに注意を向けさえしなかったことだろう』(シネマトグラフ覚書139頁。この言葉は私が何度か引用した『原因は結果の後に来るべきであり、それに伴行したりそれに先んじたりするべきではない』という言葉に続いて書かれている)、と語っていて私はこれを「反射」と名付けているのだが、この2ショット目でリリアン・ギッシュは驚いている夫の顔の「反射」を見て「なんなの?」という感じで後ろを振り向き、何かを見てあっと驚いている表情が撮られている。「何かを見て」とはまだそれが何かは見ている観客にはわからないからだ。これが「結果」であり、そこからキャメラは赤ん坊たちに切り返され初めてそこで「原因」が撮られている。原因が結果のあとに来ている。加えてその「結果」の中には『夫ロバート・ハーロンの顔が驚きに変わった』という「反射」のみならず、リリアン・ギッシュの驚く顔まで撮られている。このギッシュの顔もまた、まだ我々が「原因」を見ていないので「結果」であり「反射」である。この2ショット目には「反射」が2つ込められている。まずショットがあり分断はショットの後に来る。そうした思考回路をグリフィスのショットから見出すことができる。
 
1914 ベッスリアの女王JUDITH OF BETHULIA6/13 2ショット。ブランチ・スウィートが城壁で戦略を思いついた時、観客に語りかけるようにはっきりと見ている。 なし  
  HOME,SWEET HOME(ホーム・スイート・ホーム)
5/30
第一章9ショット。リリアン・ギッシュとウォルソールがキャメラを見ているシーンがあるが、遠くからでクローズアップは無し。ちょろちょろ見ている。

二章 なし。

第三章 3ショット。クローズアップなし。兄が二回、母が一回。

四章 オープニングのブランチ・スウィートが一回。
1箇所。

第二章
「ホーム・スイート・ホーム」の民謡を聞いて「改心」したロバート・ハーロンが馬でメェ・マーシュの店に駆けつけたシークエンスでは、部屋の中に入って来たロバート・ハーロンとベッドの下から顔を出すメェ・マーシュとのあいだは、10ショット続けて内側から切り返され、11ショット目でベッドの下にメェ・マーシュが隠れた後、メェ・マーシュが消えた空間にそのままロバート・ハーロンが入って来る。これは一見2人が同一画面に収まるように見えて実は持続による錯覚であり(
『持続による同一存在の錯覚』。ただしよく見ると途中でカットを割っているのだが意志としては持続しているように見せている)、その後13ショット目でベッドの脇に顔を出したメェ・マーシュと立ち上がるロバート・ハーロンが一瞬同一画面に収められているがハーロンは「頭だけ」で「その人」と特定することはできず(『奇妙な同一画面』)15ショット目で『正常な同一画面』におさめられるまで2人は内側からの切り返しと『奇妙な同一画面』によって分断され続けている。

■評 グリフィスの切り返しの中でもこのシーンの分断は奇妙さの点で際立っている。
 
  恐ろしき一夜
THE AVENGING CONSCIENCE8
8/22
6ショット。はっきりしたものは無し。 4箇所。
パーティで踊っている女とそれを見ている観客とのあいだは、7ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。
②路地を歩いていた叔父スポッティスウッド・エイトケンと、ベンチに腰掛けているカップル・赤ん坊とのあいだは、8ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。
③ウォルソールが机の中から銃を取り出し眠っている叔父に狙いを定めた時の2人のあいだは、12ショット目で『正常な同一画面』に収まるまで内側からの切り返しによって分断されている。
④イタリア人ジョージ・シーグマンが窓の外からウォルソールの犯行を盗み見しているシーンでの2人のあいだは、12ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。『窓空間』。角度的、技術的に同一画面は無理かも知れない。
 
1915 国民の創生
The Birth of a Nation
2/8
18ショット。劇場での暗殺者(ラオール・ウォルシュ)の3ショットを除くと15ショット
黒人の裁判で、黒人の少年がキャメラを見つめているウエスト・ショット。序盤、椅子に座っている父親の横でしゃがんでいるリリアン・ギッシュがキャメラを見つめるウエスト・ショット。●FordS劇場の二階に座っているラオール・ウォルシュの234つ目のショットのアイリスで囲まれたウエスト・ショット。ただし3つ目のショットを見ると左の方を見ていたと分かるので正面ではない。●マンドリンを弾きながらヘンリー・B・ウォルソールのベッドの横に座っているリリアン・ギッシュのアイリスで周囲を暗くしたクローズアップが一瞬●のぞき穴から黒人の片目だけのクローズアップ。
7箇所。
野戦病院でマンドリンを弾いているリリアン・ギッシュとベッドに寝ているヘンリー・B・ウォルソールとのあいだは、『正常な同一画面』に挟まれた6ショットが内側から切り返さている。最初の『正常な同一画面』のあと唐突に入って来るリリアン・ギッシュのクローズアップが前後のショットから大きくずれているが、ずれているのはリリアン・ギッシュのクローズアップだけで、そこから切り返されたウォルソールのクローズアップはちっともずれていない。リリアン・ギッシュ限定の「ずれ」が撮られている。
②黒人混血議員のジョージ・シーグマンが初めてリリアン・
ギッシュと会った時、ふたりのあいだは二つの『正常な同一画面』に挟まれた6 つのショットが内側から切り返されている。クローズアップはなくウエスト・ショット同士の切り返しで『分断』としては弱いが2人のその後の関係からして分断によるサスペンスは醸し出されている。
③初めて登場したKKKが軒先で2人の黒人と対峙した時二つの『正常な同一画面』に挟まれた5つのショットはすべて内側から切り返されている。キャメラを正面から見据えるショットはなく斜めから「おとなしく」切り返されたこのシーンはただの内側からの切り返しなのか分断の意志によるものなのかは微妙だが、KKKが初めて登場し怯える黒人たちとの切り返しには分断によるサスペンスの意志が存在すると見ることも可能である。
④倒木に腰掛けて木の上のリスを見ているメェ・マーシュとリスとのあいだは、挿入される黒人の2ショットを含めて15ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。動物とのあいだは基本的に内側から切り返される。
⑤混血議員がリリアン・ギッシュに結婚を申し込む時、2つの『正常な同一画面』に挟まれた4ショットが内側から切り返されている。これもキャメラを正面から見据えるショットは不在ですべて横や斜めからの「おとなしい」切り返しであり、ただの内側からの切り返しなのか分断なのかは微妙だがサスペンスが高揚したときに内側から切り返す、ということをしようとしている意志を感じることはでき
る。
⑥その直後、混血議員が「外を見ろ、」と部屋のカーテンを開けたとき、部屋の中の2人と窓の外の街頭で反乱をおこしている黒人たちとのあいだは4ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。反乱をおこしている黒人たちの姿はギッシュの見た目のショットの体裁で挿入されているはずだが、正面から撮られていることから角度的には大きくずれていてショットとしてはまったくつながってはいない(空間的不明確性)。短編時代の『窓空間』における「ずれ」の名残である。
その直後、襲い掛かろうとする議員と恐怖に怯えるリリアン・ギッシュとのあいだは『正常な同一画面』のあと5ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。すべてウエスト・ショットで斜めから切り返されている。議員のショットは④に続いて平凡な斜めからのショットだが怯えるギッシュのショットは正面から別々に撮られているようであり、そこに「ずれ」を見ることができる。
278-3-17
■視点転換。古典的デクパージュとは程遠い。
1916 イントレランスINTOLERANCE 15ショット。

●中世篇で鳶色の娘の紹介の大きなクローズアップではキャメラを見ていない●現代篇で赤ん坊を奪われそうになったメェ・マーシュが赤ん坊を抱きながらバスト・ショットで。●古代篇でバビロンの宮殿のスクリーンのように切り取られた大窓の横から出て来た裏切り者の神官が「明日はキュロス王が報復するだろう」とキャメラを正面から見据えながら話している・ロングショット●古代篇で「明日はお前の都を作ろう」と王に言われた寵姫がキャメラを正面から見据えている・ロングショット ■クローズアップ 5ショット。
●古代篇で山の娘、コンスタン・タルマッジの紹介のアイリスに囲まれた大きなクローズアップでキャメラを正面から見据えている。●現代篇で町の浄化運動が成功した後、くしゃおじさんのようなあごのない男のクローズアップがキャメラを正面から見据えている。●古代篇の終盤、敵が城内に入ってきた後、バビロンの戦士(エルモ・リンカーン)キャメラを正面から見据えながらショット内モンタージュでクローズアップになるまで突進してくる。●現代篇の処刑台の上でロバート・ハーロンが絞首刑される直前、背景を暗くした2ショットでキャメラを正面から見据えている
6箇所。
①現代篇でストライキが始まった時のデモ隊と銃撃隊、そして小高い丘の上でデモ隊を見守る女たちと住宅の前でデモを見守る人々とのあいだは、距離的に同一画面に収まることのできない事業主とメェ・マーシュのショットも含めると、51ショット目でデモ隊を捉えていたキャメラがそのまま右へパンして銃撃隊を捉えているものの両者は時間的に同一画面に収められてはおらず(『持続による同一存在の錯覚』、それを含めて56ショットすべてにおいて内側からの切り返しによる分断されている。場所的にどの位置にあるのか不明確な空間同士が内側から切り返されている(空間的不明確性)
②古代篇で山の娘コンスタンス・タルマッジが競り市で初めて王子に会った時、『正常な同一画面』に挟まれた5ショット内側から切り返されている。135ショット目のコンスタンス・タルマッジのクローズアップがずれているようにも見えるが斜めから撮られていて別々に撮られているようには見えない。
③古代篇で戦争開始後、弓を撃っている山の娘と戦車の上の王子とは5ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。ここでもずれているのはコンスタンス・タルマッジだけで、特に正面から撮られた最後の5ショット目はキャメラを正面から見据えたタルマッジのフルショットが大きくずれている。
④現代篇で貧しい娘ミリアム・クーパーが情夫のウォルター・ロングを窓の外から銃撃するシーンは、クーパーが二階から飛び降りるまでの17ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。別々に撮られている。
⑤現代篇で裁判の証人席に座った夫ロバート・ハーロンと傍聴人席の妻メェ・マーシュとのあいだは、最初のショットで夫と法廷の全景が同一画面に収められているもののロングショットで誰一人「その人」と特定できず、その後、回想を除いて25ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。
⑥その後の判決のシーンでも2人のあいだは同じように最初に法廷全景の同一画面が撮られた後(『奇妙な同一画面』)、その後の11ショットはすべて内側から切り返されそのまま終わっている
294-1-51
古代篇で、城壁に立ちはだかる門番たちから、馬車で祭祀の一行を追いかけようとしている山の娘へと外側から切り返されている。視点転換。
1918 世界の心
HEARTS OF THE WORLD
16ショット。ただ、多くが強烈な正面。●クローズアップ ないし印象的な凄い顔 9ショット
序盤、リリアン・ギッシュがハーロンの創った愛の詩を寝そべって読んでいる時、いきなり正面を見ているギッシュのクローズアップでキャメラを見つめ、直後に目を逸らす。アイリス、背景の暗さ無し。ずれている。●戦争を告げる楽隊の太鼓の音を聞いたリリアン・ギッシュがキャメラに向かってほほ笑む。二回。アイリス。バックは明るい。バスト・ショットに近いクローズアップ。ずれている。●母の死骸にすがりついたあとそのままリリアンがすごい顔でキャメラを見る。母と同一画面でクローズアップではないが、正面そのもの。●その後、リリアンが死骸の建物のへりに座り負傷兵から状況を聞いた後、ショットが変わってキャメラを正面からはっきり見据えるギッシュのウエスト・ショット。ずれている。2ショット。●ギッシュがハーロンの写真を肩に抱きながらバスト・ショットで正面を見る。バスト・ショットだがはっきり見ている。●シュトロームにライフルでドアを破られそうになっている時のギッシュのアイリスのクローズアップ。ずれている。
2箇所。
①ギッシュがハーロンの愛の詩を寝そべって読んでいる時、それを少し遠くから盗み見しているロバート・ハーロンとのあいだは、最初と最後に『正常な同一画面』に収められている以外の6ショットはすべて内側から切り返されている。前後の時空からずれているリリアン・ギッシュのキャメラを正面から見据えるショットが挿入され、ロバート・ハーロンがギッシュの脚を盗み見しているこのシーンは、『正常な同一画面』に挟まれた僅か6ショットの分断でありながらフリッツ・ラング、カール・ドライヤーのように多くのショットにわたる奇形的な分断とは趣の違った「リリアン・ギッシュずれ」が生じている。
②宿屋の二階で横になっているロバート・ハーロンと侵入してきたドイツ兵とのあいだは、2つの『正常な同一画面』に挟まれた6ショットが内側から切り返されている。それほどの「ずれ」は生じていない。
 
1919 幸福の谷
A ROMANCE OF HAPPY VALLAY
12ショット。遠景のちらちらが多い。クローズアップはなし。 なし。  
  スージーの真心TRUE HERT SUSIE      
  悪魔絶滅の日
SCARLET DAYS
 16ショット はっきり9ショット。■ウエスト・ショット 
食事のテーブルでキャロル・デンプスターが母ユージェニー・ベッセラーと会話している一人芝居をしている時に4ショット。
■クローズアップ 
デンプスターが青年ラルフ・グレイブスと初めて会って握手する時のクローズアップ。●デンプスターが青年に聖書を読んでもらう時。●デンプスターを想像している時の酒場の主人が3ショット。
なし。  
  散り行く花
BROKEN BLOSSOMS
7ショット

●バーセルメスの店のベッドで横になっているリリアン・ギッシュが、バーセルメスから渡された鏡を見た後、大きなクローズアップでキャメラを真正面から見つめてなにかキャメラに語りかけ、髪の毛を直したりする。●その直後にもキャメラに向けて語りかけるリリアン・ギッシュ。●ボクシングの試合前コーナーに座っているドナルド・クリスプのフルショットで。●終盤のボクシングの第一ラウンドが終わった後、カットバックされたリチャード・バーセルメスの店で二階に上がって来たバーセルメスが、ベッドに横になっているギッシュのもとへバックライトを浴びた大きなクローズアップと後退移動を交えてキャメラを正面から見据えながら近づいてくる●その後、バーセルメスの店の二階でギッシュを見つけたクリスプが、怒りに震えた超クローズアップでキャメラを睨みつけ、切り返されたリリアン・ギッシュも目だけをアイリスで切り取った大クローズアップでキャメラを見つめ、さらに切り返された大クローズアップのクリスプはキャメラを睨みながらさらに接近してくる
5箇所
リリアン・ギッシュが家に帰ってきて初めて父親ドナルド・クリスプと対峙するシーンで2人のあいだは、2つの『正常な同一画面』に挟まれた4つのショットがすべて内側からの切り返しによって分断されている。僅か4つの内側からの切り返しだが乱暴な父親との初めてのシーンで恐れおののくリリアン・ギッシュの恐怖を正面から撮った2つのクローズアップによって捉えている。ずれているのはリリアン・ギッシュのクローズアップでありクリスプのショットではない。重要なのは切り返されることでなくリリアン・ギッシュを「そのひと」としてクローズアップで撮ることである。
②その直後、「たまには笑って見ろ」と脅す父親の前で無理に笑って見せるギッシュとのあいだは、2つの『正常な同一画面』に挟まれた7ショットはすべて内側から切り返されている。
③店を出て来たリチャード・バーセルメスと向かいの店で買い物をしているリリアン・ギッシュとのあいだは、『正常な同一画面』に収められた後、他の者を含めて9ショット内側から切り返されそのまま終わっている。2人とも「ずれ」ている。グリフィスの長編でリリアン・ギッシュとその相手方が同時に「ずれ」る切り返しは珍しい。
④帰宅したギッシュの帰りが遅いと父親に怒られるシーンでの2人のあいだは、2つの『正常な同一画面』に挟まれた7ショットがすべて内側から切り返されている。
⑤父親に鞭で叩かれようとしているギッシュと父親との関係は、最初に『正常な同一画面』が撮られた後7ショット内側からの切り返しが続き8ショット目で再び『正常な同一画面』に収められるものの次の9つ目と11ショット目ではしゃがんで父親の靴を磨くギッシュと父親の「足だけ」が同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)12ショット目で再び『正常な同一画面』に収まっている。
⑥父親がギッシュをバーセルメスの店から連れ戻しに来たとき、ギッシュに掴みかからんとする父親とベッドの上のギッシュとのあいだは、2つの『正常な同一画面』に挟まれた3つのショットがすべてキャメラを正面から見据えている大きなクローズアップで内側から切り返されている。
■評 このようにして、①『正常な同一画面』②幾つかの内側からの切り返し③『正常な同一画面』という流れの中で『奇妙な同一画面』も余り存在せずキャメラを正面から見据えるショットも存在せず、仮に存在したとしても多くは『正常な同一画面』に挟まれていたりショット数が少なかったりしているこうした切り返しを『分断の性向』と断定して良いかは難しい。ただ、サスペンスの生ずる瞬間に内側から切り返されるという傾向は上述のどのシーンの切り返しにも当てはまり、また②においてはAが話す時Aに切り返しBが話す時Bに切り返しというように、切り返しのポイントを会話に置くのではなく多くの場合無言のサスペンスが切り返しを主導しているのであり、「同じ写真」が「読むこと」を主導するのに対して「見ること」を主導していることにおいて大きく違っている。
92-0-27
1920 大疑問(THE GREAT QUESTION 22ショット。クローズアップではっきりが4ショット。  なし。  
  渇仰の舞姫
THE IDOL DANCER
11ショット。基本的におとなしい。

バーセルメスとクレイトン・ヘールの見ている前で踊っているクラリン・シーモアがキャメラを正面から見据えながらクローズアップになるまで接近しまた離れてゆく。それ以外はシーモアが斜に構えてキャメラを見据えているショットが幾つかあるが、正面の迫力には劣っている。あとはちらちら。
4箇所だが弱い。
①リチャード・バーセルメスとクレイトン・ヘールの2人が、島の女クラリン・シーモアと対峙した時の3人のあいだは、6ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。ただ遠景から撮られたショットは「同じ写真」として切り返されていてグリフィス的サスペンスとしてもやや弱い傾向に終わっている。
②密林で踊っているクラリン・シーモアを貿易商の男が捕まえようとするとき2人のあいだはずっと内側から切り返されそのまま終わっている。しかしどれもがおとなしいショットで趣旨もはっきりしない。
③丸太の上に座ってクレイトン・ヘールを介抱しているクラリン・シーモアをリチャード・バーセルメスが盗み見をしているシーンで3人のあいだは、9ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。
④その後、クレイトン・ヘールに首輪を掛けているクラリン・シーモアを密林からバーセルメスが盗み見しているシーンにおける3人のあいだは11ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。
■評①②③④は『正常な同一画面』不在で分断されたまま終わっているものの「同じ写真」のショットの切り返しで撮られている。
 
  愛の花
THE LOVE FLOWER
9ショット。クローズアップ5ショット。 2箇所。
密林の中でデンプスターとバーセルメスが鉢合わせして出会った時の2人のあいだは、『正常な同一画面』に挟まれたわずか3ショットの内側からのクローズアップの切り返しによって撮られているが、ふわふわの髪に強烈なバックライトを浴びたデンプスターと「東への道」(1920)を予感させるようなバーセルメスの笑顔によって撮られたこの瞬間は「分断」とは異質のグリフィス的サスペンスの紛れもない瞬間として撮られている
②父親の誕生日に探偵がやって来たとき、あとからやって来たバーセルメスとデンプスターとのあいだは、『正常な同一画面』に挟まれた6ショットが内側からの切り返しによって分断されている。デンプスターの微笑みが次第に疑念へと変化するこの切り返しもまた「同じ写真」ではないグリフィス的サスペンスとして撮られている。
 
  東への道
WAY DOWN EAST
18ショット。

この作品はキャメラを正面から見据えることよりもクローズアップそれ自体による分断に重きが置かれている。
6箇所。
分断という現象が内側からの切り返しではなくクローズアップによって生じていることから、僅かなショット数によってでも分断の効果を生じさせることができている。詳しくは論文へ譲る。
ドレスに着飾ったリリアン・ギッシュをローウェル・シャーマンと従妹の姉妹が見た時の彼らのあいだは、7ショット目で『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。すべてフルショットでインパクトには欠ける。
リチャード・バーセルメスとギッシュが初めて出会って見つめ合った時ふたりのあいだは、『正常な同一画面』に挟まれた3つのショットが内側から切り返されている。バックライトもなく周囲を軽くアイリスで縁取っただけのクローズアップの切り返しだが、ギッシュを見て驚いたようなバーセルメスの表情と、何かをぼそぼそしゃべっているようだが字幕も入らないギッシュの声を聴いたバーセルメスが「え?」と怪訝そうな顔をしたあと思わず笑いだしてしまうだけの3つのショットは、その聞き取れない会話とそこから反射した表情が2人だけの時間を形作り決定的な瞬間を映画史に刻んでいる。
③農家で働き始めたギッシュがローウェル・シャーマンと再会するシーンでの2人のあいだは、内側からの切り返し→『正常な同一画面』→内側からの切り返し→『正常な同一画面』という連鎖で撮られていて通常ならそこに分断の契機は見出せないがグリフィスの場合、夜のバックライトを浴びたギッシュの驚愕のクローズアップによって2人のあいだは物語上の「ずれ」を後発的に生じて分断を生み出している。
④ギッシュとローウェル・シャーマンが2人で話している部屋にへバーセルメスが入って来たとき3人のあいだは、5ショットクローズアップで内側から切り返されその後『正常な同一画面』に収められている。このクローズアップに映し出された3人の表情と、その後ロングショットにキャメラが引かれて撮られた3人とはまったく異質の空気の中に存在していて、ここでもまたクローズアップによる「ずれ」が生じている。
⑤椅子に座って編み物をしているギッシュにバーセルメスがプロポーズする時2人のあいだは、2つの『正常な同一画面』に挟まれた14ショットすべて内側からの切り返しによって分断されている。針に糸を通そうとして通せないギッシュの上から浴びたライトで浮き立つクローズアップの一瞬の悦びに溢れながらすぐ現実に引き戻されてひきつるその顔はその後キャメラが引かれて『正常な同一画面』に撮られたギッシュが何かに促されるように立ち上がろうとした瞬間にフェイドアウトすることで一瞬で霧散している。ギッシュはどうして立ち上がろうとしたのだろう、、、フェイドアウトとは何かが行われつつある瞬間になされたとき、詩的としか言いようのない時間を露呈させることがある。

リチャード・バーセルメスが流氷に流されているリリアン・ギッシュとのあいだは、バーセルメスがギッシュを確認したクローズアップからずっと内側からの切り返しと流氷のショットが続き45ショット目で初めて2人は同一画面に収まるがロングショットで「この二人」とは確認できず(『奇妙な同一画面』)、その後もロングショットでの『奇妙な同一画面』が続き、58ショット目で初めて2人は『正常な同一画面』に収まっている。これが『スター映画』なら45ショット目の同一画面では間違いなく『正常な同一画面』が撮られるはず。それをロングショットのまま画面を続けるその性向は、純粋な映画上の要請が物語上の要請に勝ることのできた時代の産物かも知れない。
 
1921 夢の街
DREAM STREE
T)
30ショット。 クローズアップのはっきり11ショット。 なし。切り返しは会話で主導されていることが多い。  
嵐の孤児
ORPHANS OF THE STORM
67ショット。
その中でクローーズアップ33ショット。以下はクローズアップでキャメラを正面から見据えているショット。
赤ん坊時代のリリアン・ギッシュがキャメラをクローズアップで。●物乞いの女の次男(フランク・パグリア)が紹介されるクローズアップで。●公爵モーガン・ウォーレスのパーティで目を覚ましたギッシュを見つめる公爵の周囲を暗くしたクローズアップで。明らかに前後のショットからずれていて公爵の心理的ショットとして撮られている→「ミカエル」(1924)●公爵のパーティの客たちのクローズアップで3ショット。これもまた前後のショットからずれた心理的ショットとして撮られている。●騎士ジョゼフ・シルドクラウトから指輪をもらった時ギッシュのクローズアップ。微妙だが、、●ここまでおとなしかったが、ドロシーの歌声を聞いたギッシュが次第に高揚しキャメラを正面から見据えるようになる。特に革命が始まると多くなる。
革命が成功した後、踊り狂う女がたちキャメラを見据えたりキャメラの前で視線を右左と動かしたり(トリュフォー「恋のエチュード」(1971)のラストシーンのイングリュシュガールがしたように)キャメラに向かってウインクしたりする一瞬をクローズアップで捉えたショットは前後のショットからずれている。法廷でドロシーを見つけた時のギッシュが連続で。法廷のダントンも何度も。●ギロチン台へと連れて行かれるギッシュの馬車を追いかけてゆくドロシーは盲目でありながらキャメラを正面から見据えているように見える。
 4箇所ほど

1パン屋に群がる民衆の中に騎士ジョゼフ・シルドクラウトが入って来た時それを遠巻きに見ているダントン(モンテ・ブルー)とのあいだは、11ショット目で『正常な同一画面』に収められるまで内側から切り返されている。やや分断としては弱いが2人の出会いのシーンとして撮られている

2馬車が衝突して対往生した時、公爵モーガン・ウォーレスと馬車から降りて来たリリアン・ギッシュとのあいだは、8ショット目で『正常な同一画面』に収まるまですべて内側から切り返されている。これは2人の出会いのシーンであり、前後のショットから明らかにずれたギッシュのクローズアップが公爵を誘惑するサスペンスとして撮られている。
3歌声が聞こえてくるシーン
2階のギッシュと路上の妹ドロシーの2人を同一の空間に捉えることができるのはリリアン・ギッシュが窓際に移動してからだが、その瞬間、窓から体を乗り出すリリアン・ギッシュと路上のドロシーとがロングショットではあるものの同一画面に収まっていて、その後何度か内側から切り返されるもののさらに3回『正常な同一画面』に収まっていているこのシーンは仮にロングショットの同一画面が『奇妙な同一画面』に接近しているにしても、流石にこの再会のシーンをグリフィスは分断によって終わらせることはできなかったように見える (ここでは近づいて来る歌声に次第にリリアン・ギッシュがキャメラを見据えるようになりさらに声が近づいて来ると確信したかのようにキャメラを正面から見据えている。そしてなんと盲目のドロシーまでもがウエスト・ショットながらキャメラを正面から見据えている)
4裁判所でリリアン・ギッシュが妹のドロシー・ギッシュを見つけた時の2人のあいだは、10ショット目で『正常な同一画面』におさめられるまですべて内側からの切り返しによって分断されている。キャメラを正面から見据えるギッシュのクローズアップによって切り返されるこの再会シーンは分断によるサスペンスによって撮られている。
5 その後の引き離された2人は判決を受けたギッシュが法廷を出て行くまでの長い時間、1ショットも同一画面に収められることなく終わっている。
277-4 -158
■古典的デクパージュの傾向はまったく存在しない。
1922 恐怖の一夜
ONE EXCITING NIGHT
 12ショット。★ブラインドの向こうからマスクをした男の目がクローズアップでキャメラを正面から見据えている(2ショット)。これが唯一のはっきりしたショット。 なし。ミステリーの謎解きで画面が言語化している。  
1923 ホワイト・ローズ
The White rose
7ショット。画質が悪く遠距離は視線が見づらかったので「ちらちら」はもっと多いはず。はっきりは以下。
●レジで頬杖をついたメェ・マーシュがバックライトを浴びたクローズアップで。
3箇所。
①メェ・マーシュとアイヴァ・ノヴェロが初めて会った時2人のあいだは、『正常な同一画面』に挟まれて3ショット内側から切り返されている。マーシュの周囲を真っ暗にしたクローズアップはイマジナリーラインも合っていてグリフィス的な「ずれ」を生じていない。、
②「聖書を読め」とノヴェロがマーシュに言うシーンで2人のあいだは、『正常な同一画面』に挟まれて6ショット内側から切り返されている。マーシュはバックライトを浴びた大きなクローズアップで切り返されているが、ここでもイマジナリーラインはちゃんと合っていてマーシュのクローズアップは物語の過程から逸脱していない。
③赤ん坊を抱えたマーシュがウエイトレスの職を得るため店主の女と話すシーンは、最初同一画面に収められたあと11ショット目に再び同一画面に収められるまで内側から切り返されている。マーシュの正面を向いた大きなクローズアップへ何度も切り返されているこのシーンだがここでもメェ・マーシュのクローズアップは物語の過程の中にあり分断の効果は発揮されていない。
 
1924 アメリカ
AMERICA 2/21
10ショットくらい。はっきり見ているのはライオネル・バリモアが2ショットクローズアップで。 なし。

字幕が画面を説明してゆくタイプの作品なので仮に画面が内側から切り返されたとしても分断されたショットが物語を余すことなく伝えていれば分断の性向の醸し出す奇妙さを露呈させることはない。
 
  素晴らしい哉人生
ISN’T LIFE WONDERFUL
12/5
9ショット。はっきりしたのは3ショット前後。 8箇所。
アコーディオンを弾いている兵士とそれを見ている2(キャロル・デンプスターとニール・ハミルトン)とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。主観ショット。別々に撮られているが拙い
肉屋のボードとそれを見ているデンプスター等のあいだは、1ショット内側から切り返されそのまま終わっている。主観ショットだが非常に拙い。
③ウェディングドレスを着たデンプスターとそれを見て驚くハミルトンとのあいだは、『正常な同一画面』に挟まれた2ショット内側から切り返されている。ずれていない。デンプスターは目を動かしすぎ。照明の修正がなされていない。
④荷馬車を引いてきた2(デンプスターとハミルトン)と森から出て来た賊たちとのあいだは、『正常な同一画面』に挟まれた2ショット内側から切り返されている。2人のバックランドを浴びたショットは別々に撮られている
⑤風に揺れる森の木とそれを見上げる2(デンプスターとハミルトン)とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。主観ショット。別々に撮られている

⑥森の中で荷馬車を止めて休んでいる2人とそれを見ている賊たちとのあいだは、8ショット内側から切り返されそのまま終わっている。別々に撮られている。
⑦その後、追いかけて来る賊たちとそれを見ている2人とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。主観ショット。別々に撮られている。⑧賊に襲われた後、地面に座って向かい合った2人のあいだは、『正常な同一画面』に挟まれた3ショット内側から切り返されている。斜めからの切り返しでイマジナリーラインは合っている。照明の修正もさほどなされていない。

評 『8箇所』としたが『分断』の傾向が弱い。主観と客観とのずれが少ない。クローズアップには客観的なショットにアイリスをかぶせただけのショットが多くある。照明の修正が少ない。デンプスターのクローズアップが長く、心理的。
115-0-56
■古典的デクパージュ的傾向は存在しない。
1925 曲馬団のサリーSALLY OF THE SAWDUST 8/2 6ショット。はっきり見ているのも4ショットほどある。 2箇所。内側からの切り返しはほかにもあるが、分断における奇形性を生じた切り返しはない。
見知らぬ人の墓を見て泣いているキャロル・デンプスターとその姿を遠くの木陰から見ているアルフレッド・ラントとのあいだは、ロングショットで2人とも「その人」と特定することはできない二つの『奇妙な同一画面』に挟まれた10ショットが内側から切り返されている。
②パーティで仮面をつけて出て来たキャロル・デンプスターと観客とのあいだは、31416ショット目で同一画面に収められているがデンプスターがロングショットで「その人」と特定することはできず(『奇妙な同一画面』)、それ以外の13ショットはすべて内側から切り返されている。ここでの観客たちは『論文ヒッチコックホークス主義第三章』の「うまいダンス」で書いたところの
「これはいいぞ(うまいぞ)」という「善悪の顔」をして拍手しているのであり、そういう次元において撮られたキャロル・デンプスターのクローズアップもまた神秘を装った「すました顔」であり、そうしてなされた切り返しは物語が主導する「同じ写真」にならざるを得ない。
■評 ①を見た時、これが成瀬己喜男の「窃視」ならば、果たして「「物語窃視」なのか「裸の窃視」なのかと何度も見直してみたのだが、遠くから見ている男には彼女がどうして泣いているのかわからずただ彼女の「裸の姿」を見ている、とも言えそうだが、私には『母親のいない彼女が母親への愛が墓標に書いてある墓を見て泣いている』という物語が読めてしまうのであり、切り返しにおける「同じ写真」か「違う写真」についても「物語窃視」と「裸の窃視」の違いがそのままではないにしてもそれなりにあてはまるのではないかと考えさせられるシーンである。
 
1927 サタンの嘆きTHE SORROWS OF SATAN 2/5 ちらちら。はっきりもあるが遠景。 4箇所程度。
①大きなレストランのテーブルにかけているリカルド・コルテスと離れたテーブルのリア・デ・プッティとのあいだは、6ショット内側から切り返されている。
②二階の窓から顔を出したキャロル・デンプスターと車に乗り込もうとしているリカルド・コルテスとのあいだは、2人だけのあいだに限ると11ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。
③結婚式を終え教会から出て来たリカルド・コルテスとそれを遠くから見ているデンプスターとのあいだは、7ショット内側から切り返されそのまま終わっている。
④居間で話をしているアドルフ・マンジュー、リア・デ・プッティの2人と二階からガウン姿で階段を降りてくるリカルド・コルテスとのあいだは、19ショット目で『正常な同一画面』に収められるまで内側から切り返されている。

■評 人物たちの顔が読めてしまうことから内側から切り返しても「ずれ」ることなく前後のショットに吸収される。
 
1928 男女の戦
THE BATTLE OF SEXES)
2ショット。はっきり1ショット。ジーン・ハーショルトが女のアパートで情婦に対して怒鳴る時のウエスト・ショットではっきり見ている。 4箇所。
①ナイトクラブで女(フィリス・フェイヴァー)と席についている父親(ジーン・ハーショルト)と離れたテーブルから彼らを見ている娘(サリー・オニール)とのあいだは、5ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。
②情夫が父親の横に座っている女をダンスに誘う時の3人のあいだは、『正常な同一画面』に挟まれた15ショットが内側から切り返されている。
③父親が女の部屋で情婦と再会した時の2人のあいだは、5ショット目で『正常な同一画面』に収められるまで内側から切り返されている。
④雨の中外をうろついている父親と2階の窓から彼を見ている娘とのあいだは、3ショット内側から切り返されそのまま終わっている。
 
1930 世界の英雄ABRAHAM LINCOIN) 5ショット。
リンカーンが戦争突入の決断をする時クローズアップでキャメラを正面から見据えている。兵隊たちが点呼に答えて訓練している時。男がリンカーン暗殺について決意する時にクローズアップで。
なし。 69-7 
リンカーンがグラント将軍(エドワード・アリン・ウォーレン)と会話している時、5ショット『古典的デクパージュ的外側からの切り返し』がなされている。その後、入って来た妻が出て行った後にも1ショット「古典的デクパージュ的外側からの切り返し』が2人のあいだで撮られている。
1931 苦闘
THE STRUGGLE
 2ショット。①泥酔してパーティを台無しにした夫がソファーで目を覚ました時。②狂乱した夫がやってきた娘を見つめた時のクローズアップ。 3箇所。
①踊りながら指揮をしているハル・スケリーとテーブルのジータ・ヨハンとのあいだは、5ショット目に『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。別々に撮られている。斜めからの切り返し。②開けられた窓とそれを見ている妻とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。主観ショット。別々に撮られている。③ラジオを聞いている子供たちとそれを窓を挟んで見ているハル・スケリーとのあいだは、『正常な同一画面』を挟んで4ショット内側から切り返されている。主観ショット。別々に撮られている。
32-0