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エイゼンシュテイン内側からの切り返しによる分断表
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正面(人物が映画内でキャメラを正面から見据えたショットの数 |
内側からの切り返しによる分断 | |
1924 | ストライキSTACHKA | 47ショット。 ラストシーンの労働者の目のクローズアップでキャメラを正面から見据えるショットなど、クローズアップではっきりとキャメラを正面から見据えるショットも多い。 | 5箇所。極めて分断性の強い傾向を示している。 ①序盤、ブルジョアの工場長のオフィスに2人の労働者が入って来たシークエンス~キャメラを正面から見据えることと空間的不明確性 タバコをふかしてふんぞり返るブルジョアの工場長と2人の労働者たち、そして物を投げる工場長に驚く秘書たちとのあいだは、最初と最後に工場長と労働者たちが『正常な同一画面』に収まる以外の17ショットはすべて内側からの切り返しによって分断されている。エイゼンシュテインの処女作であるこの作品における最初の「分断」は、工場長と労働者がキャメラを正面から見据えているクローズアップがその分断性を強めているのみならず、驚いて逃げ出したり卒倒したりしている秘書たちと工場長たちとの空間的関係が無化されていることもまたショットの分断性を際立たせている。前後の物語から独立したショットの連なりによって切り返されたエイゼンシュテイン初の「分断」は極めて奇形的、動物的なショットの連鎖によって成り立っている。 ストライキが長期化したあとの二組目の労働者の家で、ベッドの上の父親と床に座っている赤ん坊とのあいだは、全部で27ショット撮られたうち赤ん坊と父親の「足だけ」)が4ショット同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』、さらに赤ん坊と父親の「首から下だけ」が2ショット同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)、それ以外はすべて内側からの切り返しによって分断されそのまま終わっている。それにしても、なぜここまでしてこの二人を奇妙に同居させる必要があるのだろう。『奇妙な同一画面』は、その同一性が奇妙であればあるほど分断性が強化されるのであり、エイゼンシュテインはその処女作における内側からの切り返しによる分断において、1ではキャメラを正面から見据えるショット、空間的不明確性、2では『奇妙な同一画面』を奇妙すぎる関係で撮ることでショットとショットのあいだの分断性をより強化させている。 走って来たスパイが立ち止まって振り向くと黒塗りの画面が左へワイプして二人の労働者が出現し三人は同一の画面に収まる(『奇妙な同一画面』)。そこからキャメラはスパイ→2人の労働者へと切り返され、2人の労働者はキャメラに触れそうになるまでキャメラに突進しそのままスパイを捕まえて画面の中へ引きずり込み向こうへ投げ飛ばすのだが、ここで画面の中へ引きずり込まれたスパイは後ろ姿だけしか見えず「あのスパイ」と断定することはできず(『奇妙な同一画面』)、さらにスパイ→労働者たちへと2回切り返され、全部で8ショット、このシーンは2つの『奇妙な同一画面』と6つの内側からの切り返しによって成り立っている。まず黒塗りの画面が左にワイプすることによって労働者が出現してスパイと同一画面に収まるシーンの奇妙さはもとより、キャメラに接近して来る2人の労働者たちがスパイを投げ飛ばすシーンの奇形さは際立っている。ここで2人はキャメラを真っ直ぐ正面に見据えながら突進して来るのだが、その直後に2人は視線を捕まえたスパイに移している。キャメラを正面から見据えるショットがスパイからの見た目のショットであるとしても、そうではないとしても、視線のつながりとしては完全に破綻している。これは物語をつないでゆくイマジナリーラインなど存在しないかのごとき視線の分断でありエイゼンシュテインは処女作からイマジナリーラインについてもまた分断性を際立たせている。 評 ラストシーンでキャメラを正面から見据える労働者の目をクローズアップで撮っているこの作品は、キャメラを正面から見据えるショットが50近くあり、人物の場所的不明確性、奇妙すぎる同一画面の存在、イマジナリーラインの放棄など、極めて強固な分断性によって撮られている。 |
1925 | 戦艦ポチョムキンBRONENOSETS POTEMKIN | 42ショット。クローズアップも↓以外にまだあり、それ以外に遠景でちょろちょろ見ている。
■クローズアップ●船医が肉のシラミを調べるとき医者の眼鏡を通しての右目だけが●敬礼する水兵のクローズアップで2度。●士官のクローズアップで2ショット。●命令を聞かない兵士たちに「撃てぇ!」と大声を張り上げる上官の大きなクローズアップが二度。しかし潜在意識のショットのように一瞬●その後、マストに立っている水兵を上官がライフルで撃つ瞬間の一瞬、右目だけの大きなクローズアップで。●ブルジョアらしき太った男が「ユダヤ人なんか殺してしまえ」と言ったのに対して群衆の一人の男が振り向いて怒鳴りかかる大きなクローズアップが3つ、すべて一瞬。●オデッサの階段で撃たれて倒れている息子に気づいた女が振り向いて叫ぶときのクローズアップが数ショット一瞬●その後女は髪をかき上げキャメラを正面から見据えながらショット内モンタージュで大きなクローズアップになるまでキャメラに向かって突進してくる●乳母車の母親が兵隊たちに撃たれそうになった時●戦艦と対峙し、いざ戦闘か、というときの水兵の目のクローズアップ。 |
5箇所。
①射撃隊が白い布をかぶせられた水兵たちをいざ撃ち殺さん、というシーンにおける射撃隊と水兵たちとのあいだは、射撃隊が銃を構えたあと、33ショット目に俯瞰気味のロングショットで同一画面に収められ(ロングショットでみな「その人」と特定できず『奇妙な同一画面』)、さらに42ショット目で射撃隊が銃を降ろして射撃を断念して再び俯瞰からの『奇妙な同一画面』が撮られた以外はすべて内側からの切り返しによって分断されている。 |
1927 | 十月 | 33ショット。最初はちらちらのみだが革命が始まると次第に多くなりキャメラをしっかり見据えたクローズアップの奇形的なものが多くなる。 | 4箇所 ①士官候補生に向かって臨時政府の高官が「ボリシェ ヴィキに政権を渡すな」と演説している時の高官と候補生とのあいだは、13ショットすべて内側から切り返されそのままシークエンスは1ショットの同一画面もなく終わっている。 ②その後、軍の高官が集会で「ボリシェヴィキには合流しない」と演説している時の高官とボリシェヴィキの聴衆のあいだは、次の演説者が登場するまでの24ショットすべて内側から切り返されて分断されている。 ③メンシェヴィキの男が演説している時、彼と聴衆とのあいだは、眠りを誘うハープの演奏を含めて16ショットすべて内側から切り返されそのまま次のシークエンスへつながれている。ハープはもとより、聴衆のショットも同一空間に居合わせて撮られたようには見えない分断の性向が露呈している。 ④直後にもう一人の男が演説を始めると彼と聴衆とのあいだは、聴衆を高揚させるギターの演奏を含めて演説者が押しのけられるまでの24ショットすべて内側からの切り返しによって分断されていて、ここにも聴衆が同一空間に居合わせたかは甚だ疑わしいような分断の性向が現れている。 |
1929 | 全線 | 76ショット。大きなクローズアップでしっかり正面を見ているショットは23ショットと非常に多い、●牛乳分離機を試すシーンなど大きなクローズアップでキャメラを正面から見据えるショットを多用 | 4箇所。 ①マルファと名前の付いた農夫の女が富農の男に会いに行った時にふたりのあいだは、最初のショットで横たわる男と女が同一画面に収められているが女は殆ど首から下しか画面に収まっておらず(『奇妙な同一画面』)、3ショット目で2人は『正常な同一画面』に収まった後、5ショット目でも2人は同一画面に収まっているように見えるが、最初に画面奥に女が映っているものの身を起こした男の後頭部が重なって女の姿は消されてしまい(『持続による同一存在の錯覚』)、11ショット目と14ショット目と24ショット目では女の「手だけ」に切り返され(奇妙な切り返し)、その後富農の妻も登場し29ショット目で牛のショットが挿入されてシークエンスが終わるまですべて内側からの切り返しによって分断されている。女の「手だけ」に切り返される奇妙な切り返しが本論文で初めて登場し、キャメラを正面から見据える男の目のクローズアップなど、実に殺伐とした画面が続くこのシーンは極めて強固な分断の性向に包まれている。 ②貧農の女マルファと党の者たちが小高い場所から農民に対して集団農場を組織するように演説するシーンでの彼らと下で聞いている農民たちのあいだは、2、15、33、48ショット目で一同が同一画面に収められているが後ろ姿のロングショットで「その人たち」と特定することはできず(『奇妙な同一画面』)、16ショット目で俯瞰からの縦の構図のパンフォーカス気味に撮られたショットで一同が初めて『正常な同一画面』に収められた以外の43ショットはすべて内側から切り返され集会は解散している。多くの聴衆たちはまるで別の場所で撮られたような大きなクローズアップに映し出され(空間的不明確性)、その多くの者たちがキャメラを正面から見据えているこのシーンは、党の方針に農民たちが理解を示さないコミュニケーションの分断が内側からの切り返しによって撮られている。 ③貧農の女と男が2人連れ立って役所の立ち入り禁止の部屋に入って行ってレーニンの彫像の前に立ち役人たちを怒鳴り上げるシーンで2人と役人たちのあいだは、あまりに早くて正確にショットを計ることはできなかったが、50ショット前後すべて内側から切り返されそのまま終わっている。農民と役人のあいだのコミュニケーションの分断がここに見られている。 ④模擬運転をしていた男がエンストしたトラクターの下へもぐりこみ貧農の女のスカートをちぎって修理に使うシーンで男と女のあいだは、最初に丘を降りて来た女と『正常な同一画面』が撮られた後、11ショット目と13ショット目で2人の「手だけ」が同一画面に収められ(ダブルで『奇妙な同一画面』)、22、26、31、37、38ショット目で男の「手だけ」と女の「下半身だけ」が同一画面に収められ(これまたダブルで『奇妙な同一画面』)、39と41ショット目で男と女の「下半身だけ」が同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)、それ以外はすべて内側から切り返されそのままシークエンスは終わっている。41ショットの内、『正常な同一画面』1、『奇妙な同一画面』9、内側からの切り返し31という、極めて奇妙な分断によってこのシーンは撮られている。 ■評 「母」(1926)「裁かるるジャンヌ」(1927)のように極めて多くのクローズアップによって撮られているこの作品にはこれ以外にも厳密に見ればさらに多くの分断の性向が見られるだろう。 |
1932 | メキシコ万歳 | 34ショット ラストシーンは少年がキャメラを正面から見据えるクローズアップのストップモーションかせ撮られているが、それ以外はすべて素人俳優がキャメラをちょろちょろ見ては目を逸らすというショットであり、サイレント時代のエイゼンシュテイン作品の、キャメラをクローズアップで睨みつけるようなショットは存在していない。 | 3箇所 ①闘牛士が身支度をしているシークエンスでは、闘牛士とギターを弾いている男、そして他の闘牛士とのあいだは、19ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。 ②サボテン園での銃撃戦における農奴たちと農園主たちのあいだは、農園側の男が銃を撃ってから8ショット目で手前の農奴と馬で逃げてゆく農園側の男たちとが縦の構図に収められているが手前も奥も後ろ姿で「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)、そこからずっと内側からの切り返しが続き45ショット目に農奴の少年が農園側の男に捕まるまですべて内側から切り返されている。 ③エピローグの祭りにしても全体が撮られたショットは存在せず分断されている。 |
1938 | アレクサンドル・ネフスキー ALEXANDER NEVSKY |
23ショット程度。クローズアップは数えるほどしかなくそのすべてはおとなしい。多くは遠景でキャメラを正面から見据えているか否か微妙なものが殆どで周囲の明るさも相まって非常におとなしい。
■クローズアップ 劣勢のドイツ軍に将校がクローズアップで。 ●最後にネフスキーが民衆の前で演説するシーンのクローズアップで。ただ非常におとなしく、またバスト・ショットに近い。背景は明るい。 |
2箇所。 ①序盤、店にやってきた女ヴァレンティーナ・イヴァショワと2人の男ニコライ・オフロプコフ・アンドレイ・アブリコソフとのあいだは、16ショット目で『正常な同一画面』に収められるまで内側からの切り返しによって分断されている。 ②ドイツと戦争をするか否か小高い塔から演説する者たちと聴衆とのあいだは、最初『正常な同一画面』に収められた後そこから6ショット目(これは『奇妙な同一画面』にもなり得るが意図的に「奇妙」にしたわけではなさそう)と22ショット目で同一画面に収まり26ショット目でシークエンスを終わるまでの24ショットはすべて内側から切り返されて分断されそのまま終わっている。会話に主導された「同じ写真」による切り返しであり、分断の性向における『奇妙な同一画面』、キャメラを正面から見据えることやグリフィス的クローズアップにおける「ずれ」る傾向、場所的不明確性等は失われている。 ■評 多くは斜めからの切り返しでキャメラを正面から見据えての切り返しは存在しない。内側からの切り返しは多く撮られているが「内側からの切り返しによる分断」は撮られていない。極めておとなしく、異質な時空を形成していない。エイゼンシュテインはこの時点で反物語映画から物語映画へと移行している。 |
1944 | イワン雷帝・第一部 | 23ショット。 遠景のちらちらもあるがクローズアップも多い。
■クローズアップ ●序盤、ミハイル・ナズヴァノフが。●民衆の男が皇帝に向かってキャメラにクローズアップになるまでショット内モンタージュで突進してくる。その直後に大きなクローズアップで。●民衆の男がみずからの瞼をこじ開けた右目でキャメラを正面から見据えたクローズアップ。●妻が知らずに毒を飲む時キャメラを正面から見据えている。 |
2箇所 ①イワンが戴冠したあとの演説においてイワンと彼の演説を聞いている貴族、僧侶、その他の者たちとのあいだは、最初に『正常な同一画面』が撮られた後、33ショット続けて内側から切り返されそのままシークエンスは終わっている。多くのクローズアップによって切り返されているこのシーンは空間喪失による分断の性向を見出すことも可能だが、イワンの言葉に心理的に反応する聴衆たちの明るいクローズアップは前後の物語からちっとも「ずれ」ておらず、分断の性向における奇妙さはここに現れてはいない。 ②キャメラを正面から見据えて突進してきた民衆の男が取り押さえられて目の前のイワンと対峙した時、イワンと彼の周囲の者たちとのあいだは、4ショット目でイワンの後ろ姿と同一画面に収まっているものの(『奇妙な同一画面』)、25ショット目で『正常な同一画面』に収まるまですべて内側からの切り返しによって分断されている。幾つかの切り返しが背景を暗くしたクローズアップによってなされているものの、イマジナリーラインが終始きれいに合ったまま会話の中身に主導されて切り返されてゆくこのシーンに分断の性向は希薄である。 |
1946 | イワン雷帝・第二部 | 32ショット。正面は奇形的ではっきりしたショットが多い。 ■クローズアップ 幼少時のイワンが皇帝になる、と決意した時、キャメ ラを正面から見据えるイワンにクローズアップになるまでキャメラがゆっくりトラック・アップする。120/12/17秒●教会の侯爵が皇帝への制裁を誓う時、キャメラを正面から見据えながらクローズアップになるまでキャメラに接近。逆光の顔に暗い影。ただ、すぐ目を逸らす。●皇帝の叔母がショット内モンタージュでキャメラに接近しながらキャメラを正面から見据えているがクローズアップになるとすぐ目を逸らす。●その直後、皇帝を殺す決意をした叔母がクローズアップでキャメラを正面から見据えている。しかしすぐ目の玉をきょろきょろ左右に動かす。●皇帝の叔母が自分の息子にお前を生む苦しみなら100回でも耐える、というシーンでやや逆光でキャメラを正面から見据えるクローズアップ。●その後も叔母にキャメラを正面から見据えながらショット内モンタージュでクローズアップになるまで接近して来るシーンが撮られているがすぐ目を逸らす。●その直後、親衛隊の男がショット内モンタージュでキャメラを正面から見据えながら接近し、さらに直後のショットではキャメラを直視する目がクローズアップになるまで接近している。 |
2箇所。 ①序盤ポーランド王が立ち上がり演説を始めたあと、王と諸侯とのあいだが1 5ショットほど内側から切り返されている。分断の性向は希薄。 ②親衛隊の男が皇帝の叔母とその息子を皇帝の酒宴に招待することを告げるシーンで男と母息子とのあいだは、2ショット目で男がキャメラを正面から見据えながらショット内モンタージュで接近して来るが手前の二人は後ろ姿で「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』。さらに2人は持続したショットで画面の外へ消えて行ったにもかかわらず男はキャメラの正面を見据えたままでイマジナリーラインが完全にずれている)、次のショットでは二人の前に男が接近して行くがお辞儀をする男は後ろ姿で「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)、10ショット目で3人は同一画面に収められているが奥の男は後ろ姿で「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)、そのままこのシーンは終わっている。7ショットの内側からの切り返しと3ショットの『奇妙な同一画面』、そしてキャメラを正面からはっきり見据える男の姿が3ショット撮られた結果としてイマジナリーラインも「ずれ」ているこのシーンは「イワン雷帝」における唯一の分断の性向が露呈している。 |