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エルンスト・ルビッチ内側からの切り返し表


 

題名

正面(人物が映画内でキャメラを正面から見据えたショットの数

内側からの切り返しによる分断
1916 私の宝物はどこにある?
Wo ist mein Schatz?
26ショット。
ルビッチがちらちら頻繁にキャメラを見ている。はっきりは、●オープニングの人物紹介でルビッチと妻の
ルイーズ・シェンリッヒがウエスト・ショットでキャメラを正面から見据えている。●執事のルビッチがリンゴの皮を剥いてからキャメラを正面から見据えてニッコリ笑う。ぎりぎりクローズアップ。さらにもう1ショットクローズアップであり。
 なし。切り返しが存在しない。
  出世靴屋Schuhpalast Pinkus 10ショットくらい。ちらちら。 1箇所。切り返し自体が以下の11ショットしか存在しない。

①授業で棒登りをしているルビッチと下で見ている女学生や先生たちとのあいだは、最初『正常な同一画面』に収められたあと11ショット目に同一画面に収められているがルビッチは後ろ姿で「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)、そのまま終わっている。女学生たちとのあいだは最後まで同一画面に収められておらず場所的関係も撮られないまま浮遊して終わっている。
呪の眼
Die Augen der Mumie Ma
 ちらちらが基本 5箇所

①アラビアの娘ポーラ・ネグリとドイツ人の画家ハリー・リートケとの初めての出会いのシーンで2人のあいだは、8ショット目でネグリが岩陰に隠れるまですべて内側から切り返されそのまま終わっている。1ショットの同一画面も撮られていない。

②マックス・ローレンスのボックス席と舞台の上のポーラ・ネグリとのあいだは、5ショット目にボックス席へエミール・ヤニングスが入ってからもさらに内側からの切り返しが続けられ、13ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。

③屋敷で椅子に座って談笑しているポーラ・ネグリと、彼女の背後のカーテンを開けて姿を現したエミール・ヤニングスとのあいだは、最初と最後のショットで2人は同一画面に収められているが、2人は「鏡の中だけ」で同一画面に収められているのであり(『奇妙な同一画面』)、その2つの『奇妙な同一画面』に挟まれた4ショットはすべて内側から切り返されている。ヤニングスがネグリの背後にいるために2人は鏡を通して視線を絡めているこのシーンは自分の背後にいるヤニングスに気づきながらも鏡の中を凝視して呆然と立ち上がるポーラ・ネグリが失神してしまうに相応しい恐怖を鏡の中での奇妙な同一画面と内側からの切り返しによる分断が露呈させている。

④その後、ベッドで横になっているポーラ・ネグリの寝室のレースのカーテンの向こうからヤニングスが入って来るシーンで2人あいだは、3ショット内側から切り返され4ショット目に2人は同一画面に収められているが、ヤニングスはレースのカーテンを通して透けて見える状態のまま画面に収まっており(『奇妙な同一画面』)、そのままこのシーンは終わっている。ここもまた『奇妙な同一画面』が分断を際立たせている。

⑤ヤニングスがポーラ・ネグリの屋敷の二階の窓から侵入する時の2人のあいだは、ヤニングスの手が窓に見えてから25ショット目で2人が『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。窓を割って入って来るヤニングスと電話で助けを読んでいるネグリはどちらもキャメラの右方向を見ていてイマジナリーラインが合っておらず、キャメラを正面から見据えてはいないもののゆっくりと近づいて来るヤニングスのバスト・ショットを後退移動で捉えたこのシーンは、サスペンスを生ずるとき、人は内側から切り返さなければならせない、という法則があるかのごとくに撮られている。

■評 コメディの王様エルンスト・ルビッチはホラーの王様にもなり得たであろう細部の数々がここに撮られている。①~⑤の中で『正常な同一画面』の撮られたのは⑤においてだけであり、ここで2人は最期を迎えている。エミール・ヤニングスのグロテスクさによってオブラートに包まれているものの、この作品で撮られているのはヤニングスとポーラ・ネグリとのラブストーリーにほかならず、これを発展させた作品が「キング・コング」(1933)である。

  男になったら
Ich möchte kein Mann sein
12ショット。ラストシーンでヴィクトル・ヤンソンが遠景ながら何度もキャメラを正面から見据えている。 7箇所。

①外にテーブルを置いてカードゲームをしている娘(オッシ・オズワルダ)とそれを二階の窓から見ている女性家庭教師(マルガレーテ・クプファー)とのあいだは、6ショット内側から切り返されそのまま終わっている。『窓空間』。■評 地上と二階に『分断』されていた娘と母がその後、家庭教師が降りて来ることで娘と『正常な同一画面』に収められる撮り方は同年に撮られた「カルメン」(1918) の分断表②の撮り方に踏襲されている。

②酒を飲んでいる叔父(フェリー・シクラ)とドア口でそれを見ている娘とのあいだは、4ショット内側から切り返されそのまま終わっている。ずれている。

③やって来た学生たちと二階の窓枠に座ってお菓子を食べている娘とのあいだは、19ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。完全にずれている。■評 娘が二階から学生たちの口に向かって投げたお菓子は娘の手を離れるショットと学生の口に当たるショットが分断されている。「カルメン」の分断表②において髪飾りが落下する瞬間のショットは撮られていなかったが「寵姫ズムルン」で検討した落下物の分断の「起源」とも言うべきショットがここに撮られている。

④その直後、逃げてゆく学生たちとそれを二階の窓から見ている叔父とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。ずれている。

⑤ダンスホールのテーブルで女と座っている男性家庭教師(ヴィクトル・ヤンソン)とその女を口説こうと遠くからサインを送る男装した娘とのあいだは、縦の構図の同一画面に挟まれた4ショットが内側から切り返されている。■評 最初の同一画面は縦の構図で撮られたパンフォーカス気味の『正常な同一画面』であり、二つ目の同一画面は家庭教師が立ち上がった瞬間に家庭教師の真後ろから切り返された外側からの切り返しであり、ここで家庭教師は後ろ姿で「その人」と特定できないことからこれは『奇妙な同一画面』となる。近距離で撮られた4ショットの内側からの切り返しを遠距離間の縦の構図2ショットで挟んだ切り返しが撮られている。すべて正面から別々に撮られている。ちなみに最後の6ショット目の縦の構図がルビッチの外側からの切り返しの「起源」である。

⑥その直後、家庭教師のいなくなったテーブルで他の男とキスをしている女とそれを見て笑っている男装した娘とのあいだは、4ショット内側から切り返されそのまま終わっている。ずれている。

⑦ラストシーンで、鏡の前で髪をとかしている娘と部屋に入って来た家庭教師とのあいだは、11ショット目で『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。さらにそのまま2人は再度分断され、15ショット目に『正常な同一画面』に収められてキスをするまでずっと内側から切り返されている。■評 娘はキャメラの左側を、男はキャメラを正面から見据えることでイマジナリーラインのずれ切った分断と『正常な同一画面』による融合が見事にミックスされたラストシーンが撮られている。
  カルメン
Carmen
ちらちらが数ショット。はっきりは無し。 6箇所。切り返し自体非常に多い。

①馬に乗って家に帰って来るホセ(ハリー・リートケ)と彼を向かえる恋人(グレーテ・ディールクス)とホセの母(ソフィー・パゲイ)とのあいだは、6ショット目に『正常な同一画面』に収められるまで内側から切り返されている。さり気ないオープニング。

②二階のテラスから身を乗り出しているカルメン(ポーラ・ネグリ)たちと、下で手紙を読んでいるホセと男たちのあいだは、15ショット目で二階から降りて来たカルメンと男たちが『正常な同一画面』に収められ、16ショット目でホセとカルメンが初めて『正常な同一画面』に収められている。ずっと前のショットで兵士たちのパレードを見るためにアパートのテラスと屋上に一斉に女たちが出て来るのだが、テラスを地上と関係づけるショットは何も撮られておらず、いわば浮遊したテラスにカルメンが登場し、そこでカルメンがテラスから地上に落とした髪飾りを男たちが拾うことによって両者の空間が部分的に接続された後、カルメンが地上に姿を現すという、映画的というには余りも映画的な細部によってカルメン登場シーンが撮られている。

③ホセが恋人から差入れをもらったあと、店のテーブル席に座っている恋人と彼女を窓の外から見ているホセとのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。わずか2ショットだが、テーブル席に座っている恋人のショットが前後から「ずれ」ているこの切り返しは分断の性向を露呈させている。その人を「そのひと」として撮るとき、キャメラは正面がちになり、前後のショットから「ずれ」ることになる。グリフィスのサイレント短編の主観ショットが多くの場合「主観ショット」足り得ない傾向は、被写体を「正面」から撮るというサイレント映画の歴史から来る宿命かも知れない。

④ホセがカルメンとキスをしているところにやって来た上官とのあいだは、12ショット目に同一画面に収められているがホセは後ろ姿で「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)、最後の13ショット目で三人は部屋を出て階段へ移動しそこでホセは上官を殺してしまうのだが、素早い動きとロングショットによってかろうじて「その人」と特定できるかできないかくらいであり(奇妙な『正常な同一画面』)、運命を決定づけるこのシーンにおける素早い動きと分断の傾向は「見ること」の連鎖によって撮られている。

⑤酒場のテーブル席に座っているカルメンが闘牛士(レオポルド・フォン・レーデバー)と出会った時の2人のあいだは、『正常な同一画面』に挟まれた3ショットのクローズアップが内側から切り返されている。カルメンの「ずれ」たクローズアップは運命を明示しているのかも知れない。

⑥さらにその直後、カルメンの後方のテーブル席に座った闘牛士と振り向いて彼を見るカルメンとのあいだは、3ショットのウエスト・ショットによって切り返されている。振り向いたカルメンから切り返されたショットには、カルメンの方を見てグラスを掲げて乾杯のゼスチャーをしている闘牛士が撮られており、どう見てもこれはカルメンの主観ショットの体裁で撮られているのだが、カルメンから見て柱の影のテーブル席に座ったはずの闘牛士がどうして正面からの主観ショットによってカルメンから見えてしまうのか、まったくもって「ずれ」ることに対する拒絶など存在しないかの如きこの快活な「正面への切り返し」もまたサイレント短編映画における歴史的「ずれ」の名残かも知れない。

⑦カルメンに銃を突きつけたホセとカルメンとのあいだは、『正常な同一画面』に収められたあと8ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。
1919 花嫁人形
Die Puppe
ちらちら。 9箇所。

①階段を下りている相続人の男(ヘルマン・ティーミッヒ)と彼を窓から見ている娘(オッシ・オズワルダ)とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。『窓空間』。ずれている。

②猿回しを見ている子供たちとそれを窓から見ている人形屋の少年(ゲルハルト・リッターバンド・以下少年)とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。『窓空間』。

③人形屋から出てきた「人形」+相続人の男とそれを窓から見ている少年とのあいだは、4ショット内側から切り返されそのまま終わっている。『窓空間』。

④人形+少年と人形を見て驚く人形職人(ヴィクトル・ヤンソン)とのあいだは、10ショット目で『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。

⑤その後、厨房に少年を追い詰めた人形職人と少年のあいだは、『正常な同一画面』に挟まれた3ショットが内側から切り返されている。ずれている。

⑥もう耐えられない、窓から身を投げると窓枠にしがみついた少年とそれを見ている人形職人の妻とのあいだは、4ショット内側から切り返されそのまま終わっている。『窓空間』の中でも初登場の『窓から飛び降りる空間』。実際は一階の窓で少年は悠然と歩き去る。

⑦初めて寺院にやって来た『人形』と僧侶たちのあいだは、8ショット内側から切り返されそのまま終わっている。ずれている。別々に撮られている。

⑧さらに『人形』と僧侶たちとのあいだは再び分断され始め。9ショット目に『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。

⑨僧侶と彼を鍵穴からのぞく相続人の男とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。覗き穴も「ずれ」ていれば『分断』となる。

■評 結婚すれば叔父の遺産を相続できるという男が花嫁候補の女たちに追い回されるこの作品は「キートンのセブン・チャンス」(1925)へとつながる映画史の一端であり、分断表⑧のあと『人形』が自動で踊り始めるシーンはこれを撮るためにこの作品が撮られたのだと確信できるエモーションの解放された瞬間である。
  ベルリンのマイヤー
MEYER AUS BERLIN
ちらちら8ショットくらい。 なし。切り返し自体が20ショットしか存在しないルビッチにしては珍しい作品。
牡蠣の王女
A Princesa das Ostras
13ショット。オープニングの俳優紹介でヴィクトル・ヤンソン、ハリー・リートケ、ユリウス・ファルケンシュタインの3人がクローズアップでキャメラを正面から見据え、ラストシーンでも父親ヴィクトル・ヤンソンが2ショット、クローズアップでキャメラを正面から見据えている。あとはちらちら。 2箇所。

①開始直後、父親のヴィクトル・ヤンソンと彼の口述をメモしたりタイプしたりしている大勢の秘書たちとのあいだは、6ショット目で同一画面に収められているが秘書たちが後ろ姿で「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)、それ以外の10ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。すべて真正面から切り返されている。

②ハリー・リートケが酔っぱらって女たちのいる広間に入って来た時の男と女たちとのあいだは、6ショット目に『正常な同一画面』に収まるまですべて内側から切り返されている。ハリー・リートケがクローズアップでキャメラを正面から見据え、また娘のオッシ・オズヴァルダのアイリスで黒く縁取られたクローズアップの視線があさっての方向を向いているこの切り返しには分断の奇形性が見られている。
  パッションMadame DuBarry ちらちらが8ショット程度。はっきりは無し。 8箇所

①宮廷のベンチで王エミール・ヤニングスがポーラ・ネグリを見初めるシーンで2人のあいだは、10ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。アイリスに囲まれたクローズアップによって切り返されている。

②看守に促されて外の処刑シーンを見せられる囚人のハリー・リートケと外の処刑シーンとのあいだは、4ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。中と外の関係におけるサイレント短編時代からの分断はここにも現れている。

③貴族と偽装結婚した後の宮廷のポーラ・ネグリと窓の外のハリー・リートケとのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。これも窓の内と外だが主観ショットにしては空間的な「ずれ」がありそれぞれのショットが独立している。

④宮廷の門にしがみついて抗議している群衆と、それを二階から見ているポーラ・ネグリとエミール・ヤニングスとのあいだは、17ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。ここでも内と外とが分断されて撮られている。

⑤宮殿の窓から外を見ているポーラ・ネグリと遠くから走って来る外の黒人召使とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。これもまた内と外の分断である。

⑥王宮の二階の窓から外を見ている革命家たちと下で戯れている貴族たちとのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。これも窓の内と外である。

⑦法廷に連行されたポーラ・ネグリと判事、傍聴人たちとのあいだは、最初のショットで同一画面に収められているがネグリが後ろ姿で「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)、その後21ショット目に『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。特に元恋人のハリー・リートケとポーラ・ネグリとの切り返しでは共にキャメラの右方向を向いていてイマジナリーラインが破滅している。

⑧ポーラ・ネグリと彼女を逃がそうとするハリー・リートケの2人と革命軍の男たちとのあいだは、11ショット目に2人と革命軍の男の「手だけ」が同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)、次のショットで『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。
1920 白黒姉妹Kohlhiesel's Daughters 8ショット。はっきりは終盤、妻(ヘンニ・ポルテン)の淹れた紅茶の美味しさに驚いたエミール・ヤニングスがクローズアップでキャメラを正面から見据えている。  
①外の物売り(ウィリー・プレーガー)とそれを二階の窓から見ている妹(ヘンニ・ポルテン)とのあいだは、8ショット内側から切り返されそのまま終わっている。いきなりの『窓空間』から映画は始まる。

②さらに2ショット内側から切り返されている。さらに2ショット、またさらに2ショット、高速で内側から切り返されている。■その後、ヘンニ・ポルテンが下の出口から出て来る。上下を分断した後、下から出て来るという撮り方は「カルメン」(1918)分断表② 「男になったら」(1918)分断表①に見られている。

③バーに入って来た姉(ヘンニ・ポルテン二役)と客の男(エミール・ヤニングス)とのあいだは、 8ショット目に『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。別々に撮られている。

④その後、バーを出て行く姉と入れ違いに入って来た妹と2人の男(グスタフ・フォン・ヴァンゲンハイム)とのあいだは、9ショット内側から切り返されそのまま終わっている。■評 妹と2人の客はどちらもキャメラの左側を見ていてイマジナリーラインがずれている。もちろん別々に撮られている。

⑤バーティの時に妹が姉の代わりにカウンターに入って来た時の2人の客とのあいだは、18ショット目に『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。他のショットも絡むが通して同一画面に収まっていないことと正面から撮られていることなどが重要。ずれている。

⑥柵から転落した妹と彼女を見ている男とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。■評 100メートルくらい下の雪の上に滑って落ちている妹のあり得ない遠さをまったく気にしていない遠近感。

⑦姉に放り出された客と姉とのあいだは、5ショット内側から切り返されそのまま終わっている。別々に撮られている。

⑧その直後、キスをしている妹と男の2人と彼らに雪を投げつけた姉とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。別々に撮られている。

⑨そりから転げ落ちた姉と彼女を見て笑っている者たちとのあいだは、8ショット内側から切り返されそのまま終わっている。別々に撮られている。⑩雪山を歩いている男たちと彼らを口笛で呼んだ男とのあいだは、6ショット目に同一画面に収められているが男たちが影になっていて「その人」と特定することはできず(『奇妙な同一画面』)、さらに17ショット目まで内側から切り返されそのまま終わっている。

⑩高い木の上に座っている友人と彼を呼ぶ男とのあいだは、3ショット目に『正常な同一画面』に収められるまですべてから切り返されている。■評 20メールくらいの高さの木に登っている相手に対して彼を呼ぶエミール・ヤニングスの視線は並行でありイマジナリーラインが崩壊している。

■評『窓空間』が縦の構図で撮られている。中の姉と外のヤコブ・ティートケが一階の窓において縦の構図で撮られている。『窓空間』におけるルビッチ初の縦の構図。さらに終盤、ヤニングスが手紙を預けた男と窓を通して縦の構図に収められている。
寵姫ズムルンSumurun 10ショットほどちらちら。ズムルン(イエニー・ハッスキルスト)が出のショットで振り向いた時。フルショットだかはっきり見ている。 17箇所

①砂丘の稜線から降りて来たターバン姿の奴隷商人(ポール・ビーンズフェルト)と踊り子(ポーラ・ネグリ)とのあいだは、16ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。

②王宮の二階の窓から顔を出す女たちと下で座っている宦官たちとのあいだは、最初に同一画面に収められているがロングショットで「その人たち」と特定することはできず(『奇妙な同一画面』)、その後の7ショットはすべて内側から切り返されそのまま終わっている。二階の女たちが下の宦官たちの頭に果物を落とす時もショットは上と下で分断されている。■評 「カルメン(Carmen)(1918) でも見られたように二階の窓やテラスの女たちと階下の者たちとのあいだを正面から捉えた画面は分断される傾向を見出すことができる(これは内・外・ではなく外・外の場合である)

③二階の窓から下を見ているズムルン+女(アウド・エゲデ・ニッセン)と下の商人の男(ハリー・リートケ)とのあいだは、7ショット内側から切り返されそのまま終わっている。下の男たちは女たちからの主観ショットの体裁で撮られている。

④その後、ズムルンを探す族長(パウル・ヴェゲナー)と侍女たちとのあいだは、5ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。

⑤さらにその後、二階の窓から下の商人に花を投げ落とすシーンでのズムルンと商人とのあいだは、3ショット内側から切り返されそのまま終わっている。二階からの落下物は上と下に分断される。

⑥その後、ロバを引いて去ってゆく商人と二階の窓から顔を出したズムルンとのあいだは、3ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

⑦さらにその後、やって来た族長の息子(カール・クルーイング)と二階の窓から顔を出したズムルンとのあいだは、3ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

⑧さらにその後、下から投げキッスをする族長の息子と二階の窓から顔を出したズムルン(と族長)とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

⑨絹の織物を踊り子ポーラ・ネグリに見せる商人ハリー・リートケと踊り子のあいだは、最初のショットで『正常な同一画面』に収められたあと、12ショット目で『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。★評 2人が未だ相手を「その人」と気づく前の客観的空気に支配された最初の『正常な同一画面』が2ショット目で商人の顔を見て驚くネグリのクローズアップによって一気に破壊され、横にいるせむし男(ルビッチ)からもらった腕輪を落とす、落ちた腕輪のクローズアップ、それをルビッチが拾う、商人のクローズアップへ切り返される、、という一連の流れは物語的連鎖からあからさまに「ずれ」たショットの分断として露呈している。

⑩その後、踊り子が店で商人と再会した時の2人のあいだは、7ショット目で『正常な同一画面』に収められるまで内側からの切り返しによって分断されている。

⑪王座に座っている族長とズムルンの助命を懇願する息子とのあいだは、最初のショットで同一画面に収められているが族長は右手で顔を隠しているので「その人」と特定することはできず(『奇妙な同一画面』)、そこから13ショット目で『正常な同一画面』に収められるまですべて内側からの切り返しによって分断されている。

⑫舞台の上で演じているせむし男(ルビッチ)と楽屋でキスをしている踊り子とのあいだは、3ショット内側から切り返されそのまま終わっている。空間が浮遊したような場所的不明確性に包まれている。

⑬その後、舞台のテントから出て来た踊り子(とヘビ使いの女)と彼女を待っていた族長(と奴隷商人)とのあいだは、9ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。2人ともキャメラの右方向を見ていてイマジナリーラインが完全に「ずれ」ているこのシーンは別々に撮られたに違いないという分断の性向に満たされている。

⑭商人が初めて地上でズムルンと出会った時、侍女とのあいだも含めて15ショット目で『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。

⑮宮殿で階段を降りてくる王と門でポーズをとる踊り子とのあいだは、15ショット目で『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。正面から撮られた踊り子のショットは王のショットから「ずれ」ていて別々に撮られたように見える分断の性向を露呈させている。

⑯王宮の二階の窓から顔を出すズムルンと下から見上げる族長の息子とのあいだは、8ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。

⑰その後、二階の窓へよじ登って来たせむし男と寝室で抱き合っている踊り子と族長の息子らとのあいだは、15ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。

■評 きわめて多くの内側からの切り返しによって撮られているこの作品は、⑭でズムルンと商人とが初めて同一画面に収められるまで③⑤⑥ですべて分断され続けていたのであり、男と女が特定の時間まで内側からの切り返しによって分断され続けるというその構成は「めまい」(1958)「メトロポリス」(1926)と同様の極めて強い分断の性向に依るものである。

  デセプションAnna Boleyn 5ショット。ちらちら。 17箇所。

①叔父(ルードヴィヒ・ハルタウ)の屋敷の広間に入って来たアンナ・ブーリン(ヘンニ・ポルテン)と恋人(パウル・ハルトマン)とのあいだは、最初のショットで『正常な同一画面』に収められたあと、5ショット内側から切り返され、最後はロングショットの『奇妙な同一画面』で終わっている。

②王(エミール・ヤニングス)とケーキの中から出て来た女とのあいだは、4ショット目に『正常な同一画面』に収められるまで内側から切り返されている。

③女王と彼女に謁見する大臣とのあいだは、最初同一画面に収められているが大臣が後ろ姿で「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)、その後5ショット内側から切り返されそのまま終わっている。すべて正面からの切り返し。

④女と戯れている王と机の上の道化(
パウル・ビーンスフェルト)とのあいだは、5ショット目に『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。ずれている。

⑤スカートがドアに挟まったアンナ・ブーリンとドアを開けて入って来た王との初めての出会いは、最初のショットで同一画面に収められているが王は後ろ姿で「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)4ショット目で『正常な同一画面』に収められるまで3ショット内側から切り返されている。
4ショット目で引かれたショットは絵画のよう

⑥宮廷の庭で座っているポルテンと王女の横で女たちの玉遊びを見ていると見せてブーリンを見ている王とのあいだは、8ショット目に『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。ブーリンはアイリスで囲まれているがややずれの少ない切り返し。

⑦玉遊びをしている2(ブーリンとその恋人)とそのボールをキャッチした王とのあいだは、5ショット目に『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。別々に撮られている。

⑧叢の中でボールを探している時の、王、ブーリン、道化とのあいだは、最初のショットで『正常な同一画面』に収められた後、5ショット目に『正常な同一画面』に収められるまでの4ショット内側から切り返されている。『正常な同一画面』に挟まれた心理的空間。

⑨駆けてくる黒ずくめの男とそれを二階の窓から見ているブーリンとのあいだは、3ショット内側から切り返されそのまま終わっている。『窓空間』。ずれている。

⑩その直後、覆面を脱いだ王とブーリンとのあいだは、5ショット目に『正常な同一画面』に収められるまでの4ショット内側から切り返されている。さほどのずれはないが狭まりはある。

⑪その直後、やって来た恋人と窓から出て来る王やブーリンとのあいだは、8ショット目に『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。こちらの方が⑩よりもずれている。

⑫宮廷を出て行く王妃(ヘドウィグ・ポーリー・ウィンターステン)と彼女を二階の窓から見ているブーリンとのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。『窓空間』。

⑬暴れる民衆と二階の窓からそれを見ている王とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。『窓空間』

⑭侍女(アウド・エゲデ・ニッセン)と馬に乗って出かける王とそれを二階の窓から見ているブーリンとのあいだは、4ショット内側から切り返されそのまま終わっている。『窓空間』。

⑮赤ん坊を抱きながらキスをしている王と侍女をベッドから見ているブーリンとのあいだは、6ショット目で縦の構図の『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。正面から切り返された『分断』。
6ショット目はこの時期非常に珍しい外側からの切り返しが撮られている

⑯法廷シーンでアンナ・ブーリンと判事・証人たちとのあいだは、最初のショットで同一画面に収められているがブーリンが後ろ姿で「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)、その後29ショット目で『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。

⑰拷問室の宮廷詩人(フェルナンド・フォン・アルテン)と彼を小窓から見ている判事とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。『窓空間』。


■評 この時期の作品は外側からの切り返しが殆どなく、極めて多い内側からの切り返しによって『分断』されながら撮られている。
1921 山猫ルシカ
Die Bergkatze
 ちらちら 15箇所。外側からの切り返しは存在しない。

①起床ラッパを吹いている兵士とそれを二階の窓から見ている兵士とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。『窓空間』から映画は始まる。

②起床した兵士たちと彼らを怒鳴りつけるひげの司令官(ヴィクトル・ヤンソン)とのあいだは、8ショット目で同一画面に収められているが中尉が後ろ姿で「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)18ショット目で中尉が部屋を出て行くまですべて内側から切り返されそのまま終わっている。■評 遠近法破壊の切り返しの連続。

③庭の司令官たちと二階の窓から顔を出し彼らを「静かに!」と怒鳴りつける司令官の妻マルガ・ケーラーとのあいだは、司令官が二階から落下した髷を拾うまでの11ショット内側から切り返されそのまま終わっている。■
落下物 二階の妻の手から落下した髷は、妻の手から滑り落ちるショット(A)と、地面に着地するショット(B)とに分断されている。二階の妻を見ている兵士たちの視線がばらばらでイマジナリーラインが崩壊している。

④馬車で雪原を走っている中尉パウル・ハイデマンと雪山から彼を見て雪を投げつける山賊の娘(ポーラ・ネグリ)とのあいだは、9ショット目で『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。ずれている。

⑤中尉が山賊に襲われたことを報告に来た御者と食事をしている司令官とのあいだは、14ショット目に『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。ずれている。

⑥その後、休憩していた兵士たちと彼らに中尉の捜索を命ずる司令官とのあいだは、5ショット内側から切り返されそのまま終わっている。別々に撮られている。

⑦ドアから入って来てからすぐ出て行き鍵穴から中尉を盗み見する司令官の娘と中尉とのあいだは、9ショット目で『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。ずれている。

⑧岩山の上から顔を出す山賊の娘と彼女を撃とうと狙いを定める兵士とのあいだは、5ショット内側から切り返されそのまま終わっている。■評 イマジナリーラインも遠近感もずれている。娘に雪をぶつけられただけで諦めて帰っていく兵士もずれている。

⑨逃げ帰ってくる兵士たちと彼らを望遠鏡で見ている司令官と彼の家族たちとのあいだは、6ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

⑩要塞に侵入し犬小屋に銃で狙いを定める山賊の娘と犬小屋から出て来た子犬とのあいだは、5ショット内側から切り返されそのまま終わっている。別々に撮られている。ポーラ・ネグリの笑い方がいい。

⑪その直後、演奏をしている楽隊の兵士たちとその音楽に合わせて踊り始めた山賊の娘たちとのあいだは、13ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。■評 楽隊と山賊たちとの場所的関係がまったく不明確で場所が浮遊している。要塞を荒らしに来たのに踊り出し最後は楽隊に拍手するそのばかばかしさもまたずれている。

⑫司令官の部屋の寝具を窓から投げ落とす山賊の娘とそれを拾う兵士たちとのあいだは、6ショット内側から切り返されそのまま終わっている。■秒 窓も撮ろうとしない。完全にずれている。

⑬その直後、下から山賊の娘を呼ぶ山賊たちと二階の窓から袋を投げ落とす山賊の娘とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。別々に撮られている。

⑭その後、要塞で鉢合わせした司令官と山賊の娘たちとのあいだは、『正常な同一画面』に挟まれた2ショットが内側から切り返されている。■特に山賊たちのショットは別々に撮られていて、僅かなショットでも正面から「その人」として撮る傾向が作品を通じて現れている。

⑮そりに山賊たちを乗せて走り出す山賊の娘とそれを二階の窓から見ている中尉と司令官の娘(エディス・メラー)たちとのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。
1922 ファラオの恋
Das Weib Des Pharao
21ショット以上。殆どがエミール・ヤニングスのちらちら。はっきりは数ショット。オープニングでエミール・ヤニングスがキャメラを正面から見据えるウエスト・ショット。●31分頃、エミール・ヤニングスが側近に意志を伝えるときのクローズアップなどがはっきり見ている。 25箇所以上。

① 宮廷に抗議に来た女たちと王様(エミール・ヤニングス)とのあいだは、13ショット目で『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。

②奴隷の女たちに囲まれてボディケアをしてもらっている将軍の娘(リディア・サルモノア)と離れたところに座っている奴隷の女(ダグニー・セルヴィス)とのあいだは、11ショット目に『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。

③小舟に乗っている建築大臣の息子(ハリー・リートケ)と川で水を汲んでいる奴隷の女とのあいだは。10ショット目で『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。

④その直後、2人のあいだは4ショットクローズアップで内側から切り返されそのまま終わっている(斜めからの明るい切り返し)

⑤その後、丘の上の奴隷所有者と下の大臣の息子とのあいだは、9ショット目で『奇妙な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている(奴隷所有者は担がれているので「その人」と特定することはできない)

⑥宝庫の下でキスをしている男女とそれを見ている大臣の息子+奴隷の女とのあいだは。4ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

⑦その後、禁断の宝庫に入ってしまった大臣の息子+奴隷の女の2人と彼らを見つけた見張りたちとのあいだは、15ショット目で『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。

⑧その後、逮捕された2人と王様とのあいだは、最初に『正常な同一画面』に収められたあと、9ショット内側から切り返されそのまま終わっている(斜めからの切り返し)

⑨跪く奴隷の女と彼女を見おろす王様とのあいだは、10ショット目で『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている(王が女を見初めたシーンがドラマチックな切り返しで撮られている)

⑩その後、独房に入って来た王様と奴隷の女とのあいだは、6ショット目に『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。

⑪登る太陽とそれを窓から見ている王様とのあいだは、4ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

⑫処刑される寸前の大臣の息子とそれを独房の窓から見ている奴隷の女とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

⑬その後、薄暗い朝日のさす王の間に入って来た奴隷の女と王様とのあいだは。5ショット目で『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている(見事な照明)

⑭ベッドの上で奴隷の女に襲い掛かる王様とそこへ入って来た将軍とのあいだは、8ショット目で『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。

⑮奴隷労働をしている大臣の息子と彼を鞭で叩く看守とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

⑯さらにその直後、その看守と彼に鞭で打たれる奴隷や大臣の息子とのあいだは、2ショット目で奴隷と看守の「足だけ」が同一画面に収められたあと(『奇妙な同一画面』)7ショット目で『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。

⑰女王になってから初めて民衆の前に現れた奴隷の女(以下女王)と民衆(特に子供)とのあいだは、9ショット目で同一画面に収められるが女王が後ろ姿で「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)15ショット目で群衆の中の子供と女王が『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。

⑱その直後、女王と民衆とのあいだは。12ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

⑲太陽に祈っている女王と入って来た王様とのあいだは、『正常な同一画面』に挟まれた12ショットが内側から切り返されている。■評 ショット数ほど『分裂』しているわけではない。

⑳その直後、自分以外を愛してはならないと言われた王女と王様とのあいだは、『正常な同一画面』に挟まれた17ショットがすべて内側から切り返されている。

21
その直後、王様と女王とのあいだは、14ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。■評 
ここで女王が首飾りを首から引きちぎって捨てるシーンは、A女王が首飾りを引きちぎるシーンとB首飾りが床へ落下するクローズアップとに分断されていて首飾りが女王の手から落ちる瞬間は撮られていない

22幽閉される女王と彼女をテラスから見ている王様とのあいだは、7ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

23大臣の息子が幽閉されている女王を殺しに来た時2人のあいだは、8ショット目で『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。

24さらに再び2人はそこから11ショット目で『正常な同一画面』に収められるまで内側から切り返され続けている。

25
兵士たちに盃を頭にかぶせられた王様と入って来た側近(パウル・ビーンスフェルト)とのあいだは、9ショット目に『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。

■評 殆どが内側からの切り返しで撮られている。この25箇所がすべて『分断』の効果をもたらしているかは検討を要するが『分断の映画史』における「起源」の1ページにエルンスト・ルビッチの名前が刻まれることは間違いないだろう。

1923 ロジタ
Rosita
ハリウッドへ移転して撮った第一作。
 ちらちら数ショット。 12箇所。

①外で輪遊びをしている女たちと窓からそれを見ている王様(ホルブルック・ブリン)とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。主観ショット。■ルビッチ、ハリウッド第一作の分断は「窓」から始まる。

②外を歩いている王様と女たちを二階の窓から見ている女王(アイリーン・リッチ)とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。主観ショット。

③連行される歌手(メアリー・ピックフォード)と彼女を解放しろと憲兵に迫る伯爵(ジョージ・ウォルシュ)とのあいだは、7ショット目で『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。

④向かい合う独房の鉄格子から顔を出している歌手と伯爵とのあいだは、16ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。主観ショット。これも一種の「窓」である。

⑤絞首刑で吊るされる囚人とそれを鉄格子の窓から見ている伯爵とのあいだは、(他のショットを除いて)4ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。

⑥偽装結婚の後、目隠しを外した歌手と伯爵とのあいだは、6ショット目に『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。斜めからのやや物足りない切り返しだが2人だけの心理的空間を内側からの切り返しによって創り出している。

⑦馬車で王宮へやって来た歌手と彼女を窓から見ている王様とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。主観ショット。

⑧処刑された者の死体と彼を二階の窓から見た歌手とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

⑨運ばれてくる伯爵の棺と舞台の上からそれを見ている歌手とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。2ショットだが別々に撮られているように見える。

⑩王宮のテーブルで乾杯する王様と歌手とのあいだは、『正常な同一画面』に挟まれた13ショットが内側から切り返されている。

⑪起き上がった伯爵と彼を見ている歌手+王様とのあいだは、19ショット目に『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。

⑫王宮の二階のテラスから挨拶する歌手+伯爵の2人と馬車の窓から彼らを見ている王様とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま映画はTHE END

■評 内側からの切り返しが非常に多く、ここで挙げた12箇所の内、特に窓が絡む切り返しはすべて別々に撮られたような「ずれ」を生じている。
少ないショットでも「ずれ」を生じる切り返しもあれば多くのショットを費やしても決して「ずれ」ない切り返しがある。

1924 結婚哲学
The MARRIAGE CIRCLE)
6ショットくらいでクローズアップはなし。ちらちらが基本。モンテ・ブルーがベールを被ったマリー・プレヴォーの置いた自分の書いた手紙を読んだ後のウエストショット。●アドルフ・マンジューが妻のマリー・プレヴォーに友人を紹介した後去ってゆく妻を見つめる二人のフルショットが。●モンテ・ブルーが家出した後、彼を探して玄関まで出て来た妻フロレンス・ヴィダーが彼を見つけた時のフルショット。●ブルーにふられた後、入ってきたマンジューの主観ショットで薄暗いソファーから身を起こしたマリー・プレヴォーのバストショットがおそらく。●マンジューがマリー・プレヴォーに「荷物をまとめろ」という時のウエストショットが2ショット●ラストシーンのひっかけのシークエンスで部屋を出てゆく妻を見送ったブルーが。 非常にソフトでありヒッチコックやフリッツ・ラングのように、奇形的な分断ではない。

医者のモンテ・ブルーをマリー・プレヴォーが誘惑している部屋に、彼女の夫アドルフ・マンジューが入って来た時のモンテ・ブルーとのあいだは、16ショット目で2人が同一画面に収まるまですべて内側からの切り返しによって分断されている。

②二階のテラスへ出て来たモンテ・ブルーの妻(フロレンス・ヴィダー)と車でやって来た医者クレイトン・ヘイル(モンテ・ブルーの妻に恋している)とのあいだは、15ショットすべて内側からの切り返しによって分断されそのまま終わっている。

部屋に入って来たクレイトン・ヘイルと、モンテ・ブルーに抱きついているマリー・プレヴォーの「手だけ」が見えるモンテ・ブルーの後ろ姿とは、5ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている(この「手だけ」のショットは「あるじ」(1925)でカール・ドライヤーが真似ている)

家でのパーティで招待客の娘とダンスを始めた夫モンテ・ブルーとそれを見ている妻フロレンス・ヴィダーとのあいだは、夫が庭へ出るまでの14ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。

ラストシーン、歩道を歩いているクレイトン・ヘイルの横を車で通りすぎてゆくマリー・プレヴォーとのあいだは、最初のショットで2人は同一画面に収まっているが車に乗っている者が誰かはまったく判明できず(『奇妙な同一画面』)、遥か彼方で止まった車の中から振り向いて微笑むマリー・プレヴォーとクレイトン・ヘイルが内側から切り返されたあと、クレイトン・ヘイルが車まで走って行く途中で映画は終わるがロングショットなので2人とも「その人」と特定することはできない(『奇妙な同一画面』)3つの内側からの切り返しと2つの『奇妙な同一画面』で終わってしまうこのラストシーンは、余りにも離れた場所にいる2人のあいだを切り返すことで映画を終わらせることのできた時代の名残であり、「スター」よりもモーションが優先された時代にのみ許されたラストシーンである。ここでマリー・プレヴォーはそれまでの映画の中での妖艶な面影とはまったく「ずれた」ところの素朴な笑顔を見せている。このラストシーンを除いた14は、すべて恋のサスペンスを生ずるカップルかそのライバルとのあいだを切り返した分断であり、ルビッチにとってのサスペンスとは何かを指し示している。
  三人の女性THREE WOMEN 4ショットちらちら。序盤、娘からの手紙を読んでいる母親ポーリン・フレデリックがウエスト・ショットでそれなりにはっきり見ている。 14箇所。

①ダンスホールの滑り台を滑った未亡人(ポーリン・フレデリック)と男(ルー・コディ)とのあいだは、8ショット目に『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。

②未亡人が書類にサインをしている時の男と娘(メイ・マカヴォイ)とのあいだは、4ショットすべて内側から切り返されている。さり気ない切り返しだが別々に撮られている。

③その直後、戸口で男と握手をしている娘と未亡人とのあいだは、5ショット目で『正常な同一画面』に収められるまで内側から切り返されている。おそらく別々に撮られている。

④その直後、未亡人と娘とのあいだは、最初のショットで『正常な同一画面』に収められた後、4ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

⑤その後、家を出て行く男とそれを二階の窓から見ている娘とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。家を出た男が振り向くとキャメラがアパートの壁をパン・アップして二階の窓の娘を捉えるという外側から撮られた窓の切り返し。

⑥レストランのテーブルで料金を支払った債権者(ウィラード・ルイス)と離れたテーブルの娘+男とのあいだは、6ショット内側から切り返されそのまま終わっている。■評 「その人」の結果としての『分断』だけではなく『分断』のための『分断』も入っている。成瀬的には「物語窃視」。

⑦男の家で娘と男との結婚を知らされ寝室から出て来た未亡人と娘とのあいだは、6ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。

⑧やって来た青年に『結婚のお相手は誰?』と娘が尋ねた時の2人のあいだは、『正常な同一画面』に挟まれた6ショットが内側から切り返されている。2人だけの心理的空間の創出。

⑨その後、娘の手の指輪を見た青年と娘とのあいだは、8ショット目に『正常な同一画面』に収められるまで内側から切り返されている。

⑩ベッドに座ってタバコをふかしているマリー・プレヴォーの出のショットは、ドアを開けた男に振り向いてたばこの煙を吐き出す、この1ショットのために3ショットを費やし内側から切り返されている。

⑪レストランのテーブルに就いた青年と女たち+離れたテーブルのマリー・プレヴォーとのあいだは、最初のショットで『正常な同一画面』に収められた後9ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

⑫洗面所の戸棚を見ていた青年と彼を医者と知らずに呼びかけた娘とのあいだは、5ショット目で『正常な同一画面』に収められるまで内側から切り返されている。ほぼ正面から別々に撮られている。

⑬未亡人からのラブレターを見せる男と未亡人とのあいだは、『正常な同一画面』に挟まれた13ショットすべて内側から切り返されている。途中から男は正面を見ている。

⑭男が運び出された後、娘と未亡人とのあいだは、12ショット目で『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。別々に撮られている。

■評 70分の作品だが内側からの切り返しが非常に多くこれら以外にも『分断』は見出せるだろう。
外側からの切り返しは1ショットも撮られていない
  禁断の楽園Forbidden Paradise ちらちらがあるかないか。 12箇所。

①群衆と彼らを二階の窓から見ている者たちとのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。テラス空間の『分断』。

②群衆とそれを二階の窓から見ている警備隊長(ロッド・ラ・ロック)とのあいだは、4ショット内側から切り返されそのまま終わっている。『窓空間』。

③その後、二階の窓の奥で乾杯をしている兵士たちと彼らを下から見上げる警備隊長とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。下からの『窓空間』。

④皇帝(ポーラ・ネグリ)+隊長の2人と彼らを鍵穴から覗いている首相(アドルフ・マンジュー)とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。
■評 鍵穴は小さくて見られている者と見ている者とが同一画面に収まる可能性がないのであれば『分断』も生じないかも知れないが、ここでの鍵穴は大きくてアドルフ・マンジューの後頭部の一部でも同一画面に収まり得ることからそれを敢えて撮らなかった場合『分断』することも可能であるしそれ以前に「ずれ」を生じていればそれは『分断』のひとつと言える。

⑤路上の車とそれを二階の窓から見ている大使(フレッド・マラテスタ)+首相とのあいだは、7ショット内側から切り返されそのまま終わっている。『窓空間』。

⑥銃を担いで歩いている兵隊のシルエットとそれを見ている隊長+皇帝とのあいだは、4ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

⑦皇帝とキスをした後、ドアを開けた隊長と外のベンチに座っている侍女(ポーリーン・スターク)とのあいだは、4ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

⑧その後、皇帝を避けて部屋を出て行こうとする隊長と彼の背中を見ている皇帝とのあいだは、14ショット目で『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。ずれている。

⑨担架で運ばれる負傷兵とそれを二階の窓から見ている隊長+皇帝とのあいだは、4ショット内側から切り返されそのまま終わっている。『窓空間』。

⑩騎馬隊と彼らを二階の窓から見ている皇帝とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。『窓空間』。

⑪逮捕される隊長と彼を見ている皇帝とのあいだは、12ショット目で同一画面に収められているが皇帝は後ろ姿で「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)13ショット目で『正常な同一画面』に収められるまで12ショット内側から切り返されている。■評 12ショット目は珍しい
外側からの切り返しによる『奇妙な同一画面』。会話で主導されたショットではなく大きく外側から引いて視点を変えたショット。

⑫馬車から降りてくる兵隊たちとそれを二階の窓から見ている皇帝とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。『窓空間』。
1925 ウィンダミア夫人の扇
Lady Windermere's Fan
ちらちらが1ショット。 7箇所。

①競馬場の通路に立っているアイリーン・リッチと観客席の夫(バート・ライテル)、その妻(メイ・マカヴォイ)、老卿(エドワード・マーティンデル)、青年ロナルド・コールマンとのあいだは、19ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。遠距離間同士の切り返しにも拘らず近景によって切り返され続けることで距離感が無化されている

②家を出てタクシーに乗り込む夫(バート・ライテル)と彼を二階の窓から見ている妻(メイ・マカヴォイ)と青年(ロナルド・コールマン)とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。窓の内と外。主観ショット。

③招待されていないパーティにやって来たアイリーン・ダンと妻メイ・マカヴォイとのあいだは、17ショット目で同一画面に収められているもののアイリーン・ダンが後ろ姿で「その人」と特定できず(『奇妙な同一画面』)、その次のショットで『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。

④その直後、アイリーン・ダンとメイ・マカヴォイが握手をしたあと、アイリーン・ダンと女性招待客とのあいだは、大勢が取り囲んでいるので『奇妙な同一画面』は抜きにすると、27ショット目で『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。■評 アイリーン・ダンはこのあと、ゴシップを垂れ流す女たちのボスを懐柔する。その前提としての分断である。

⑤木の影の老卿と話しているアイリーン・ダンを遠くから見ているメイ・マカヴォイとのあいだは、10ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。遠距離間の切り返しだが、撮られたショットは最後を除いて近景であり同一画面を撮らないことで場所的不明確性を醸し出している。

⑥家を出てタクシーに乗り込むメイ・マカヴォイとそれを二階の窓から見ているアイリーン・ダンとのあいだは、4ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。窓の内と外が②と同じような主観ショットで撮られている。

⑦車から降りて来る男たちとそれを二階の窓から見ているアイリーン・ダンとメイ・マカヴォイの2人とのあいだは、12ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。窓の内と外とは内側から切り返されそのまま終わらなければならない、そんな法則があるようである

■評 内側からの切り返しは多いが多くは会話によって主導される斜めからの物語的切り返しが多い。例えば⑥の直前、アイリーン・ダンが『私を母親だと思って私の言ことを聞いてください』とメイ・マカヴォイに懇願するシーンでは『正常な同一画面』に挟まれてクローズアップで15ショット続けて内側から切り返されているものの、会話を主軸に斜めから切り返された「同じ写真」の切り返しのため分断の性向の奇妙さを醸し出してはいない。内側からの切り返しによる分断は必ずしも多くのショットによって達成されるものではないのである。
1926 陽気な巴里っ子SO THIS IS PARIS 6ショット。医者が監獄に入ることを想像するシーンのバスト・ショットで2ショットはっきり。あとはちらちら。 10箇所。

①向かいのアパートの役者(ジョージ・ベランジャー)と彼をアパートの窓から見ている医者の妻(パッツィ・ルース・ミラー)とのあいだは、11ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。

②その直後、裸になった向かいのアパートの役者と彼を窓から見ている医者(モンテ・ブルー)とのあいだは、3ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

③さらにその直後、向かいのアパートの役者と彼を窓から見ている医者の妻とのあいだは、3ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

④その後、向かいのアパートに抗議に行った医者と彼を向かいのアパートの窓から見ている医者の妻とのあいだは、4ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

⑤その直後、髪をぼさぼさにした医者と彼を向かいのアパートの窓から見ている医者の妻とのあいだは、6ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

⑥車で出て行く医者と彼を2階の窓から見ている役者とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

⑦スピード違反をした医者を追いかけて来た警官と医者とのあいだは、『正常な同一画面』に挟まれた22ショット(手帳を含む)が続けて内側から切り返されている。

⑧向かいのアパートの役者の妻と彼を窓から見ている医者とのあいだは、4ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

⑨妻と抱き合っている医者と彼を向かいのアパートの窓から見ている役者の妻(
リリアン・タッシュマン)とのあいだは、3ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

⑩役者が医者の妻に花を投げつけるシーンにおける2人のあいだは、『正常な同一画面』に挟まれた12ショットが内側から切り返されている。切り返されたショットが各々別々に撮られたと見えるこのシーンだけがこのシークエンスでは分断の性向によって撮られている。

■評 内側からの切り返しの非常に多い作品でありこれら以外にも分断の性向を見出すことはできる。あらゆるルビッチと同じように、窓の内と外との関係は徹底的に分断されている。
1929 山の王者ETERNAL LOVE)  8ショット。それなりに見ている。 7箇所。そのうち6箇所が『窓空間』かテラス空間。

①握手をしている山の男(ジョン・バリモア)と神父の姪(カルミラ・ホルン)2人を窓から見ている男(ヴィクター・ヴァルコニ)とのあいだは、3ショット内側から切り返されそのまま終わっている(2ショットかも)

②テラスに出て来て『占領は終わった!』と告げる男と群衆とのあいだは、1ショット内側から切り返されそのまま終わっている。テラス空間。別々に撮られている。

③馬車の外を歩いている仮面をした女(モナ・リコ)とそれを馬車の中から見ている神父の姪とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。『窓空間』。

④窓の外の女の母親(エヴェリン・セルビー)と山の男とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。『窓空間』。

⑤結婚式の教会から出て来た2(山の男と女)とそれを窓から見ている神父の姪とのあいだは、4ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

⑥山の男の遭難をその妻が伝えに来たとき新婦の姪とその夫とのあいだは、9ショット内側から切り返されそのまま終わっている。⑦外を歩いてゆく山の男と彼を窓から見ている男とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。『窓空間』。
ラヴ・パレイドTHE LOVE PARADE
ルビッチ初トーキー
13ショット。ちらちらが基本。はっきりは以下。●夫婦喧嘩をした後、庭の木のベンチの前で歌う伯爵がフルショットでキャメラを正面から見据えている。●ラストシーンではモーリス・シュヴァリエがロングショットながらキャメラを正面から見据えながらカーテンを閉めている。その前にもベッドに座りながら見ている。 8箇所。

①テラスで歌う伯爵(モーリス・シュヴァリエ)と向かいのアパートのテラスや窓の女たち、執事(ルピノ・レイン)、犬、とのあいだは、18ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。別々に撮られている。

②空を飛ぶ飛行機とそれを窓から見ている侍女とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。『窓空間』。別々に撮られている。

③初夜の夜、祝砲がうるさいと文句を言いに出て来た伯爵とカーテンを開けて彼を呼ぶ女王(ジャネット・マクドナルド)とのあいだは、5ショット目に『正常な同一画面』に収められるまで内側から切り返されている。3ショット目のジャネット・マクドナルドのショットが「ずれ」ている。

④馬に乗って敬礼する王女と彼女を二階の窓から見ている伯爵とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。『窓空間』。別々に撮られている。

⑤窓の向こうで食事をしている兵隊たち+庭の犬と木のベンチに座っている伯爵のあいだは、10ショット内側から切り返されそのまま終わっている。別々に撮られている。演技をする動物と人間とは基本的に内側から切り返される。

⑥劇場のボックス席に入って来た女王と観客たちとのあいだは、6ショット内側から切り返されそのまま終わっている。別々に撮られている。

⑦そのあとに入って来た伯爵と観客席とのあいだは、6ショット内側から切り返されそのまま終わっている。別々に撮られている。

⑧舞台のダンスと王女・伯爵とのあいだは、9ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。もちろん別々に撮られている。


■評 ルビッチ初のトーキーは多くの内側からの切り返しが会話主導で撮られ「ずれ」を生じていない。そのような状況でもこれだけの「ずれ」を撮っている。
1930 モンテ・カルロMONTE CARLO ちらちら3ショット程度。ラストシーンで歌っているジャネット・マクドナルドがキャメラを見ているようにも見える。
①新郎の公爵(クロード・アリスター)が招待客に結婚式の中止の説明をするシーンにおける両者のあいだは、ロングショットで招待客が後ろ姿の『奇妙な同一画面』に挟まれた18ショットがすべて内側から切り返されている。

②汽車の個室の伯爵令嬢
(ジャネット・マクドナルド。以下令嬢)と入って来た車掌(ビリー・ビーヴァン)とのあいだは、12ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。

③畑で手を振る農夫たちと汽車の窓辺で歌っている令嬢とのあいだは、
4ショット内側から切り返されそのまま終わっている。ずれている。

④カジノのテーブルの輪に入って来た伯爵
(ジャック・ブキャナン)とテーブルで賭けている令嬢とのあいだは、他の者たちショットを含めて35ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。別々に撮られている。

⑤お供を引き連れて日傘をさして散歩をしている令嬢と彼女をベンチで見ている伯爵と美容師
(ジョン・ローチ)とのあいだは、8ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。大きくずれている。別々に撮られている。

⑥劇場の舞台とボックス席でそれを見ている令嬢、伯爵とのあいだは、
32ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。舞台空間の分断。

⑦その直後、舞台とそれを見ている令嬢+伯爵とのあいだは、
9ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。舞台空間の分断。⑧畑で手を振る農夫たちと汽車の窓辺で歌っている令嬢+伯爵とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。すれている『窓空間』。

■評 ドイツ時代に比べるとおとなしいが『分断』の傾向は依然として存在している。

■落下 キスをした瞬間持っていた札束を床に落とす時、手から札束が滑り落ちるショットは撮られず落ちて地面に落下するショットだけが分断して撮られている。
1931 陽気な中尉さんThe Smiling Lieutenant 7ショットくらい。最初の歌と最後の歌でモーリス・シュヴァリエがキャメラを正面から見据えながら歌っているウエスト・ショットが撮られているが、はっきりはそれだけ。あとはちらちら。 12箇所。

①あくびをしてベッドに座っている中尉(モーリス・シュヴァリエ)と執事(ヒュー・オコンネル)とのあいだは、7ショット内側から切り返されそのまま終わっている。それなりに『分断』している。

②バイオリンを弾いている女(クローデット・コルベール)とそれをテーブル席で見ている中尉とその友人(チャーリー・ラグルス)とのあいだは、17ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

▲汽車の中で電報を読んでいる王様(ジョージ・バービア)と王女(ミリアム・ホプキンス)とのあいだは、15ショット内側から切り返されそのまま終わっている。ショット数は多いが「同じ写真」で撮られている。

③日傘を持って歩いているコルベールと二階の窓から彼女に手を振る中尉とのあいだは、最初のショットで同一画面に収められているように見えるが中尉が画面に収まった時にはコルベールは画面の外に消えており(『持続による同一存在の錯覚』)、その後の2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。『窓空間』における強い『分断』の傾向。④沿道のコルベール、さらに馬車で通過する王女(ミリアム・ホプキンス)と王女にウインクする中尉とのあいだは、15ショット内側から切り返されそのまま終わっている。ずれている。

⑤初めて王の間に入って来た中尉と王様+王女とのあいだは、8ショット目に王様と『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。別々に撮られている。

⑥その直後、小国の綴りを答える中尉とそれを見ている女たちとは、7ショット内側から切り返されている。別々に撮られている。

⑦その直後、笑った理由について答える中尉と女王、女たちとのあいだは、10ショット目に『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。

⑧その直後、ドアを開けて顔を出す王様と座っている中尉とのあいだは、8ショット内側から切り返されている。やや弱いが。

⑨馬車でやって来た中尉(と副官ロバート・ストレンジ)とそれを二階のテラスから見ているコルベールとのあいだは、4ショット内側から切り返されそのまま終わっている。テラス空間。

⑩その直後、階段を上って来る中尉と階段の陰からそれを見ているコルベールとのあいだは、12ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。大いにずれている。別々に撮られている。

⑪初夜のベッドで1人泣いている王女とドアの陰から顔を見せる王様とのあいだは、5ショット目で『正常な同一画面』に収められるまで内側から切り返されている。少しだけずれている。

⑫黒いガウンに煙草をふかしてピアノを弾いている王女とドアを開けてそれを見ている中尉とのあいだは、6ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。別々に撮られている。ずれている。

⑬脱いだガウンを鳥籠にかぶせている王女とドアを開けてそれを見ている中尉とのあいだは、4ショット内側から切り返されそのまま終わっている。完全にずれている。

■評 ヘイズ・コードの足音が聞こえる中で、明るい画面が殆どながら⑩⑫⑬で陰影を踏まえた『分断』を実現させている。
外側からの切り返しは1ショットしか撮られていない。
  私の殺した男BROKEN LULLABY
(THE MAN I KILLED)
2ショット。回想に入る時、キャメラを正面から見据えているフランス人(フィリップス・ホームズ)の眼のクローズアップまでキャプラは接近する。 6箇所。

▲結婚の許可を得るためにやって来た男(ルシアン・リトルフィールド)と医者(ライオネル・バリモア)とのあいだは、『正常な同一画面』に挟まれた21ショットが内側から切り返されている。しかしこれはすべて「同じ写真」であり『分断』ではない。

▲フランス人が初めて医者のオフィスにやって来たシーンにおける2人のあいだは、医者の息子の写真のショットを含めて15ショット目でフランス人と医者の「手だけ」が同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)16ショット目に『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。■評 斜めから素直な光で撮られていて『分断』の奇妙さは現れてはいない。

①娘(ナンシー・キャロル)と挨拶をしているフランス人と二階の窓から顔を出している夫婦(医者とルイーズ・カーターとのあいだは、4ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

②医者の家のメイド(ザス・ピッツ)が入った店から女たちが出て来たあと、娘とフランス人との噂が街中に広まるシーンが撮られている。ここで女たちは窓から窓へ、あるいは二階の窓から下の窓へ、といった具合で噂を伝えているのだが、これらの『窓空間』が果たして同一画面に収められているかが問題となる、まず最初に手前の二階の窓の女から向かいのアパートの二階の窓の女へキャプラはパンとズームで寄っていくのだが向かいの窓の女が画面に収まった時には手前の窓の女は画面の外へ消えており(『持続による同一存在の錯覚』)、次にパン屋の中の女が窓外を歩いている2(フランス人と娘)を窓から盗み見するのだが2ショット内側から切り返されて終わっており、次にその女から二階の窓の女へキャメラはパンアップするのだが、二階の窓の女が画面に収まった時には下の女は画面の外へ消えており(『持続による同一存在の錯覚』)そこからさらに一階の窓から顔を出す女へと内側から切り返され、次に街を歩いている2人と手前の人物の「足だけ」が同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』。これは窓関係ではないが参考までに入れておく)、そこからさらに二階の窓の女から二階の窓の女へと内側から切り返され、さらに地上の女へ内側から切り返されたところで終わっている。二階の窓と窓、あるいは二階の窓と地上、地上の窓と外、といった『窓空間』の関係はすべて内側から切り返されて分断されていて1ショットの『奇妙な同一画面』すら撮られていない。

③路地で話をしているフランス人と娘を二階の窓枠に座布団を敷いて見ている女とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

④箱を抱えて路地を歩いている娘と彼女を二階の窓から見ているフランス人とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

⑤娘が亡き婚約者からの手紙を読む時のフランス人とのあいだは、『正常な同一画面』に挟まれた10ショット内側から切り返されている。

⑥医者がフランス人にバイオリンを渡したシーンでのフランス人と医者夫婦とのあいだは、最初のショットで『正常な同一画面』におさめられてから17ショット目にも同一画面に収められているが医者が画面に入った時にはフランス人は画面の外へ出ており(『持続による同一存在の錯覚』)、そのまま映画はTHE END

■窓 切り返しの傾向はおとなしく『分断』の傾向が見られるのは『窓空間』①②③④、特に②に集中している。ルビッチは『窓空間』においては『奇妙な同一画面』すら撮ろうとしない。
1932 君とひととき    
極楽特急Trouble in Paradise なし。 10箇所。厳密にはそれ以上あり。

①遊覧するゴンドラの中から手を振る女泥棒(ミリアム・ホプキンス)と二階のテラスから彼女に手を振り返す泥棒(ハーバート・マーシャル)とのあいだは、4ショット内側から切り返されそのまま終わっている。二階と地上との分断。

②会社の会議で役員(C・オーブリー・スミス)と女社長(ケイ・フランシス)とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

③その直後、宝石商と女社長とのあいだは、5ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

■評 この直後、洋服屋、靴屋、配車係、執事、メイド、庭師は話をしている相手の女社長に切り返されることはなく『内側からの切り返し』どころか『切り返し無き内側だけ』によって空間が分断されている。

④その後、富豪(エドワード・エヴェレット・ホートン)と彼との結婚を断る女社長とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

⑤その直後、少佐(チャーリー・ラグルス)と彼との結婚を断る女社長とのあいだは、1ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

⑥減給に抗議をする役員と泥棒とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

⑦その直後、保険屋と泥棒とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

⑧その直後、メイドと泥棒とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

■評 ③の直後もそうだが、執事、配車係、メイドは、話をしている相手の泥棒(ハーバート・マーシャル)に切り返されることはなく『切り返し無き内側だけ』によって空間が分断されている。これは「ボリシェヴィキの国におけるウェスト氏の異常な冒険」(1924)の①でも見られた出来事であり、極めて強い分断の性向を持つ作品における傾向の現れと見ることができる。

⑨その直後、体操をする女社長と泥棒とのあいだは、1ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

⑩その直後、二階の泥棒と、階段の下から泥棒をダンスに誘う女社長とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

■評 終盤、金庫を開けている女社長と泥棒とのあいだは、『正常な同一画面』に挟まれて20ショット内側から切り返されている。これは「ウィンダミア夫人の扇Lady Windermere's Fan)((1925)の「■評」でも紹介したシーンと同じように、会話を軸にした斜めからの切り返しであり、分断の性向の醸し出す奇妙さをもたらす切り返しではない。それに対してここで紹介した①から⑩までの内側からの切り返しは、ショット数こそ少ないものの切り返されている者同士が同じ場所に居合わせていないような感覚をもたらす切り返しであり『分断の映画史・第一部』の最後の予告編で検討したゴダール「勝手にしやがれ(À bout de souffle)(1959)におけるジャン=ポール・ベルモンドとジーン・セバーグとのあいだの内側からの切り返しと同じような奇妙な切り返しとして撮られている。
1933 生活の設計DESIGN FOR LIVING 1ショットちらちら。65分頃に左側のフレデリック・マーチがウエスト・ショットて一瞬ちらちら。 1箇所。

①汽車の三等室で眠っている劇作家(フレデリック・マーチ)と画家(ゲーリー・クーパー)2人と向かいの席に座ったデザイナー(ミリアム・ホプキンス)とのあいだは、最初のショットで『正常な同一画面』に収められた後、46810ショット目に劇作家と画家の「足だけ」がデザイナーと同一画面に収められ(『奇妙な同一画面』)13ショット目で3人の「足だけ」が同一画面に収められ(『世にも奇妙な同一画面』)1517ショット目では画家の「手と足だけ」とデザイナーの「足だけ」が同一画面に収められ(これまた『世にも奇妙な同一画面』)、スケッチの風刺画を含めて33ショット目に画家とデザイナーが『正常な同一画面』に収められるまですべて内側から切り返されている。

■評 分断の性向の極めて強いシーンから映画は始まるが、以降は『正常な同一画面』に収まることが基軸となり切り返されてもその後切り返された相手に歩み寄って『正常な同一画面』に収められるように撮られている。会話の内容と小道具、装置の妙によって撮られた物語映画であり前年に撮られた「極楽特急(Trouble in Paradise)(1932)とは異質の撮られ方をしている。
1934 メリィ・ウィドウMerry Widow ほんのちらちらが2ショットほど。 7箇所。

①オープニング、歌いながら行進する大尉(モーリス・シュヴァリエ)と、二階の窓やテラスから彼に手を振る女たち+馬車の喪服姿の未亡人(ジャネット・マクドナルド)とのあいだは、16ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。

②その直後、中で演奏をしている人々と窓の外を散歩している未亡人とのあいだは、最初のショットで同一画面に収められているように見えるが持続した画面の中のパンニングによって未亡人が映し出された時には演奏している者たちは画面の外に消えており(『持続による同一存在の錯覚』)、その後4ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。

③二階のテラスで歌う未亡人と下でバイオリンを弾いたり歌ったり聞いたりしている者たちとのあいだは、10ショット目で同一画面に収められているが手前の未亡人は後ろ姿、下の者たちはロングショットで「その人」と特定することはできず(『奇妙な同一画面』)、次の最後のショットもまた同一画面に収められているが今度は二階の未亡人がロングショットで「その人」と特定することはできず(『奇妙な同一画面』。このショットはパンフォーカスで撮られている)、それ以外の9ショットはすべて内側から切り返されている。■評 二階の窓やテラスから顔を出した女と下の者たちとのあいだは分断されなければならないという「カルメン(Carmen)(1918) 「寵姫ズムルン(Sumurun)(1920)以来脈々と続いてきたサイレント時代からのルビッチ的法則が思い出されたように撮られている。

④その直後、ベッドの未亡人と伯爵の住所を聞かれたメイドたちとのあいだは、最初のショットで『正常な同一画面』に収められているが、そこから6ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。

⑤パリで歌いながら路地を歩いている大尉とそれをホテルの二階の窓から彼を見ている未亡人とのあいだは、1ショット内側から切り返されそのまま終わっている。■評 わずか1ショットだが、未亡人の主観ショットの体裁で撮られていながら切り返された大尉のショットとは大きくずれている。

⑥ダンスホールのテーブル席に座っている未亡人と離れたテーブル席に就いている男たちのあいだは、8ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

⑦馬車の中で大尉に別れを告げる歌を唄っている未亡人と二階の窓から彼女を見ている大尉とのあいだは、4ショットすべて内側から切り返されそのまま終わっている。主観ショットの体裁だが大きくずれている。

■評 中盤以降は内側からの切り返しによる分断は撮られなくなる。
1938 青髭八人目の妻
Bluebeard's Eighth Wife
なし。キャメラを見る気配がない。 1箇所

①タクシーで帰宅した夫(ゲーリー・クーパー)とそれを二階の窓から見ている妻(クローデット・コルベール)とのあいだはね2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。『窓空間』。

■評 俳優たちが全員同じ場所に集まって撮られているので「ずれ」は『窓空間』の①以外生じていない。『正常な同一画面』が基本であり内側から切り返されても切り返された相手が切り返された元の人物に歩み寄り『正常な同一画面』に収まることが多い。外側からの切り返しが多い。
1939 ニノチカNINOTCHKA 1ショットガルボがちらちら(51分ごろ、3人組と窓から外を見ている時のクローズアップで) 3箇所。

①メイド姿のルームサービス3人娘とガルボ+3人組とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

②友人たちとレストランのテーブルに就いている大公女と化粧室から出て来たガルボとのあいだは。4ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

③ドレスのままベッドに横になっているガルボと動き出すレーニンの写真のあいだは、3ショット内側から切り返されそのまま終わっている。


■評 殆どが『正常な同一画面』で撮られていて切り返し自体が少なくあっても外側からの切り返しが多い。①~③も奇妙さは醸し出されていない。5分と98分頃に人々は窓の外を見ているが外へと切り返されない。ルビッチのとってこれはある種の「異常事態」である。
1942 生きるべきか死ぬべきか
To Be or Not to Be
1ショット。
映画開始直後「ヒトラー」に扮して町に出たトム・デュガンがバスト・ショットでキャメラをちらりと見ている。この1ショットのみ。ひょっとするとラストシーンのジャック・ペニーがちらりと。はっきりは無し。
3箇所。

①終盤、劇場から出て行く車の中の「ヒトラー」に扮したトム・デュガンとジャック・ペニーの
2人と、爆破された劇場とのあいだは、3ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

②ナチの大佐シグ・ルーマンがキャロル・ロンバードを口説いている部屋に「ヒトラー」に扮した役者が入って来た時の3人のあいだは、
2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

③ラストシーンで舞台の上のジャック・ペニックと途中で退席する男たちとのあいだは、
7ショットはすべて内側から切り返されそのまま映画はTHE END

■評 切り返しは殆どすべて外側からの切り返しと『正常な同一画面』が基本に撮られている。
1943 天国は待ってくれる
Heaven Can Wait)
なし。キャメラを見るタイプの映画ではない。しかし終盤、ベッドで看護師に夢の話をしている時のドン・アメチーがちらちらキャメラを見ているようにも見える。 5箇所。

①階下の従弟と二階から彼にコップの水をかける祖父チャールズ・コバーンとのあいだは、3ショット内側から切り返されそのまま終わっている。■落下 コバーンの手から「分離」して落下する水は分断されて撮られている。

パーティへやって来た従弟の婚約者ジーン・ティアニーと彼女を見たドン・アメチーとのあいだは、彼女を見て顔色が変わってゆくアメチーの1ショットでそのまま終わっている(『切り返し無き内側だけ』)

③その直後、今度はドン・アメチーと彼を見たジーン・ティアニーとのあいだは、『正常な同一画面』に挟まれた1ショットが内側から切り返されそのまま終わっている。これもまた②に続いて1ショットの『切り返し無き内側だけ』が撮られている。「極楽特急(1932)、「駅馬車」(1939)、「ボリシェヴィキの国におけるウェスト氏の異常な冒険」(1924)にも見られた強い『分断』の傾向である。

④窓の外のドン・アメチー+祖父と暖炉の前に座っている従弟アンリ・ジョスリンとのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。『窓空間』はここでも内側から切り返されている。

⑤嫁の実家から逃げ出す嫁+夫+祖父の3人とソファーで眠っている嫁の父親(ユージン・パレット)とのあいだは、5ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

■評 外側からの切り返しが内側からの切り返しと同じくらい撮られているこの作品は会話によって切り返しが主導されてゆく「物語映画」であり、
フローレンス・ベイツが地獄へ落ちたり、女の子とのカブトムシの話、フランス人の女性家庭教師とのやり取り。本屋での店員に成りすまし、ティアニーのくしゃみ。ティアニーの実家の両親の長いテーブルを挟んでの新聞漫画のやり取り、ティアニーを実家から連れ帰る時の父親の居眠り、息子の恋人への手切れ金、ティアニーとの最後のダンス、等、思い出のシーンがたくさん撮られており、この時期にルビッチはそれまでの『分断』の映画から『物語映画』への転換を果たしている。

1946 小間使
CLUNY BROWN
なし。見る気配がない。 2箇所。

①作家(シャルル・ボワイエ)と窓の外の雛鳥とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

②自転車のサドルに乗っているメイド(ジェニファー・ジョーンズ)と彼女を店の前から見ている薬屋(リチャード・ヘイドン)とのあいだは、2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

■評 会話を軸に場を照らす照明で『正常な同一画面』へと導かれる。外側からの切り返しが非常に多い

1948 あのアーミン毛皮の貴婦人That Lady In Ermine 1ショット。ダグラス・フェアバンクス・ジュニアが。 撮影中にルビッチが急死しあとをオットー・プレミンジャーが引き継いで撮る。

4箇所。

①逃げてくる騎兵たちとそれを二階の窓から見ている伯爵夫人(ベティ・グレイブル)と男爵(シーザー・ロメロ)とのあいだはね2ショット内側から切り返されそのまま終わっている。『窓空間』。

②行進する騎兵たちとそれを望遠鏡で見ている伯爵夫人とのあいだは、4ショット内側から切り返されそのまま終わっている。■評 望遠鏡と『分断』。これも「ずれ」ていれば『分断』となる。

③ドアを開けて顔を見せる伯爵夫人と階段を上って来た大佐(ダグラス・フェアバンクス・ジュニア)とのあいだは、4ショット内側から切り返されそのまま終わっている。

④撤収する敵軍とそれを二階のテラスから見ている伯爵夫人とのあいだは、6ショット内側から切り返されそのまま終わっている。テラス空間。ずれていない。


■評 テラス空間と窓空間の縦の構図が2箇所撮られていてこれはルビッチが撮ったものではない。①42分過ぎ、二階のテラスの伯爵夫人と下の大佐とが縦の構図で撮られている。②終盤、曇った窓を手で拭う手前のダグラス・フェアバンクス・ジュニアと中で眠っているベティ・グレイブルとが縦の構図で撮られている。