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2023年12月28日 誤字を二か所訂正しただけでそのまま再提出します。藤村隆史。
論文.監督成瀬巳喜男 最終回
『白バックへの40年闘争~「めし」≧「1953」≦「山の音」=「浮雲」≧「秋立ちぬ」』2011.2.26

1章 大転回

39「めし」(1951)

林芙美子の急逝で未完に終わった同名小説に基づくこの作品は、成瀬映画に決定的な転機をもたらした。千葉泰樹監督の急病のため、成瀬が代役で監督を務めたという逸話を聞くにつれ、何という運命のイタズラかと感慨を禁じえないこの監督の交代劇こそが、究極の大転回を成瀬映画にもたらしたのである。特別な作品ゆえ、ここにすべての「窃視」を並べてみたい。大阪の長屋に住む結婚5年目の倦怠期を迎えた原節子と上原謙の夫婦のもとへ、上原謙の姪である島崎雪子が東京から家出をしてやって来たことが夫婦間の軋轢を引き起こし、映画は始動してゆく。原節子の東京の実家には、母、杉村春子、妹の杉葉子、その夫の小林桂樹が住み、洋裁店を経営して暮らしている。原節子の従兄弟が二本柳寛である。

  会社から帰って来て長屋の前の路地を歩いている上原謙を、姪の島崎雪子が二階のから「窃視」する。80。「物語的窃視」

  二階で眠っている島崎雪子を、窓枠に移動しながら上原謙が「窃視」する。100。「裸の窃視」★。艶かしい寝姿の主観ショットで撮られており、「窃視」として強調されている。

  夜、酔って帰って来て眠っている上原謙の背広のポケットから出ているお札を見たあと(主観)、そのまま眠っている上原謙を、原節子が「窃視」する。70。「物語的窃視」。どうしてお金を持っているのかしら、という物語が露呈している。

  翌朝、茶の間の上原謙を、土間から原節子がチラリと「窃視」し、昨夜のお金のことを聞く。70。「物語的窃視」あるいは「負の窃視」。お金の話題が絡んでいる

  夜、帰りの遅い島崎雪子を探すために家を出る上原謙の後ろ姿を、押入れから蒲団を出しながら原節子が「窃視」する。90。「負の窃視」。主観ショットを交えて「窃視」と分かるように演出している。この時点で原節子は、夫の上原謙とその姪である島崎雪子の仲を疑っている。

  その後、二人で仲良く路地を歩いて帰宅してくる上原謙と島崎雪子の姿を、家の前で原節子が「窃視」し、怒って家の中へ入ってしまう。80。「負の窃視」。主観なし

  廊下で話している島崎雪子と大泉晃を、同窓会から帰って来た原節子が振り向きざまチラリと「窃視」する。70。「負の窃視」。遊びほうけている島崎雪子への否定的意味が込められている。

  原節子が東京の実家へ帰ることが決まったあと、土間で米を研いでいる原節子の横顔を、茶の間から上原謙が、チラリと「窃視」する。40。『「ラブストーリー」の起源』の「鶴八鶴次郎」(1938)のところで検討したように、怒っている原節子はしらばっくれおり、「無防備な身体」と化してはいない。

  原節子が東京の実家へ帰った時に、実家の洋品店で精を出して働いている妹の杉葉子とその夫、小林桂樹、そして奥の間にいる杉村春子を原節子が路地から順に「窃視」する。90。「裸の窃視」★。主観ショット。特に母の杉村春子の姿をまじまじと見つめている原節子の顔は、これが「裸の窃視」であると露呈させている。

  職業安定所に集まる人々を、道すがら原節子が「窃視」する。80。「物語的窃視」ないし「負の窃視」

  街角で子供の手を引いた中北千枝子と久々の再会を遂げたあと、夫婦もののチン問屋の姿を原節子と中北千枝子が「窃視」する。90。「欲望の窃視」。主観ショット。夫を残して家出した原節子と戦争未亡人の中北千枝子には、どちらも「夫」という存在が欠けており、それが欲望となって露呈している。

  大阪の家で、家の中に上がりこんで話している音羽久米子を、上原謙がネクタイを締めながら「窃視」する。80。「負の窃視」。主観ショットなし。図々しい女に辟易している。

  川べりを歩いているカップルの姿を、原節子が「窃視」する。70。「欲望の窃視」。ロングショットで主観なし。

  夫に先立たれ、子供を抱えて新聞売りをする中北千枝子の姿を原節子が「窃視」する。100。「負の窃視」。主観あり。戦争未亡人の中北千枝子の姿に、女ひとりで生きて行くことの困難さという「負の意味」が込められている。

  東京の実家の近くの商店街で原節子が上原謙と再会したあと、祭りの神輿を二人で「窃視」する。60。「物語的窃視」。

  その直後、神輿を見つめている(集中)上原謙の横顔を、原節子がチラリと「窃視」する。80。「裸の窃視」★

  その後食堂に入り、まず原節子がビールを飲んで「苦い」といった後、ビールを飲んでいる(集中)上原謙の姿を、原節子が「窃視」する。95。「裸の窃視」★

  その後、「僕だって君が苦労しているのは判ってるんだけど、、」とビールを見つめて呟いている上原謙を、窓際に立っている原節子が「窃視」する。100。「裸の窃視」★

  汽車の隣の席で眠っている上原謙の寝顔を、原節子が二、三度「窃視」する。120。「裸の窃視」★。主観

この映画のラストシーンは、原節子が上原謙を「裸の窃視」して映画は終わっている()。直前に撮られた●「舞姫」(1951)のラストシーンが「見つめあうこと」によって終わっていたのとは対照的に、視線が「ずれ」た状態のまま、映画が終わっているのである。なんと言う転回だろう。「めし」以降、人々が見つめ合って終わった映画がただの一本たりとも存在しないことからしても、この二つの作品の隔たりは余りにも大きい。何が成瀬をそうさせたのか。

★原作と「窃視」

林芙美子の原作を見て行くと、「めし」における19個の「窃視」の中で、原作にも存在する「窃視」は②しかない。そこには『初之輔は、みごとな腰の線を見せて、毛布にくるまって眠っている里子の、逞しい寝姿に、見とれていた』と書かれてある。しかしながら、残る18ヶ所の「窃視」はすべて映画のオリジナルであることからして、「視線」に関しては、林芙美子の原作が直接作用したわけではない。「めし」は、成瀬巳喜男独自の方法論で撮られているのである。

★「夫婦もの」

「めし」は「夫婦もの」である。「夫婦もの」とは、倦怠期である夫婦を撮った作品をいう。そうであるからして、少なくとも映画序盤から中盤を通じて「裸の窃視」が夫婦間で交わされることはない。倦怠期の夫婦の眼差しは、ひたすら相手を「マイナス」として見つめる「負の窃視」ないしは「意味」を読み取ろうとする「物語的窃視」でしか交わされることはなく、相手をただそのもの=目的として肯定する「裸の窃視」をなしうる「身体性」を有してはいないからである。事実「めし」において、東京で再会する以前までの夫婦のあいだを飛び交う視線はすべて「物語的窃視」か「負の窃視」であり、存在する「裸の窃視」は、上原謙が姪の島崎雪子の寝姿を「窃視」した②と、原節子が東京の実家に帰って来て、母である杉村春子をまじまじと見つめた⑨のみであって、夫婦間で交わされたものではない。「夫婦もの」とはひたすら倦怠期の夫婦が「物語的窃視」なり「負の窃視」を交し合うことによって消極的なコミュニケーションを交わして行く「負の映画」なのである。

★千葉早智子

映画は、中古智の、まさに「木と竹と紙」によって作られた軟質の開かれた長屋の二間続きの空間が「通風性」を発揮して、物売りの女を始め、音羽久米子、浦辺粂子、花井蘭子、大泉 滉などの面々が、鍵のかかっていない無防備な玄関から侵入しては、夫婦間の生活を掻き乱して行く。この大阪の長屋のみならず、東京の原節子の実家にしても、洋裁店という商売上の設計が、またしても島崎雪子というマクガフィンを飛び込ませるための「通風性」として作用している。同じ中古智の設計でありながら、オブジェクトとしての「密室」に閉じ篭った「主体的」な人間たちのメロドラマとして撮られた●「舞姫」(1951)の美術とは打って変わって、「めし」における水平に開かれた長屋空間は、「内的」な妻と「二枚目」の夫が「通風性」によって撹乱され、あるいは監視されることのために設計をされたとしか思えないマクガフィン的香りに支配されている。このようにして、あらゆる「夫婦もの」とは、「主体性」を喪失した夫婦の生活が監視下に置かれながら、プライベートを剥奪された夫婦が「通風性」によって平穏をかき乱されることで映画が始動してゆくことにおいて共通しており、その記憶を辿ってゆくならば、「夫婦もの」の走りとして撮られた●「女優と詩人」(1935)まで行き着くことができる。ここで千葉早智子と宇留木浩の「内的」な夫婦は、隣の家の柳家金語楼、戸田春子夫婦や、引っ越してきた若夫婦たちと比較され「監視」されることで翻弄されてゆく。このように、家の中に暮らしている人々が、がさつな隣人たち=「他者」たちの露骨な侵入に遭うという有り様の起源はまさにこの「女優と詩人」にあり、その主人公はのちに成瀬の妻となる千葉早智子が演じている。遺作である●68「乱れ雲」(1967)における司葉子の踏み出す一歩(「窃視」⑭)に、千葉早智子の面影が垣間見られたのと同じようにして、成瀬が決定的な「めし」を撮った時、ここにもまた妻であった千葉早智子の面影が思い浮かんでいたかも知れない。

★「窃視」

映画は、家の中に飛び込んできた姪の家出娘、島崎雪子が夫婦生活を撹乱するマクガフィンとして作動し始めたとき、一気に動き始める。嫉妬によって弾き出されるように(不可抗力)家出をしてしまった原節子は、東京の実家へと身を寄せることになる。だが一度「家を出て自立した」者が帰ってくることに対して無類の冷たさでもって応えることを常とする成瀬映画は、東京の実家に島崎雪子というマクガフィンを再度放り込み、原節子の居場所を消し去ってしまう。そこへ大阪から出張でやって来た夫の上原謙と原節子は街角で再会し、「窃視」の⑮を迎える。実家の近所の商店街での夕暮れ時、風呂上りの上原謙は、真っ白なシャツに白い手拭を下げている。そこへ祭りの神輿が通りかかり、二人はそれを見つめている()。この⑮は、「窃視」の欄に挙げたものの、実際には次なる「裸の窃視」⑯を引き起こすためのマクガフィンとして機能している。原節子をして⑯の「裸の窃視」をさせたいがゆえに、上原謙をして「集中」させる必要がある、そのために神輿は通過したのである。それはあたかも●40「お國と五平」(1952)の「窃視」⑯で、大谷友右衛門を「集中」させるためにわざわざ農道に花嫁を歩かせたあの演出と同じ性向である。こうして意味のない出来事が成瀬映画の中に出現し始めた時、映画はマクガフィンの無限連鎖の中へと一気に放り込まれる。風呂上りの上原謙を見て原節子は『ビールはどう?』、と尋ね、二人は小さな、ガラス張りの古ぼけた食堂へと入って行く。まずキャメラは、ビールを飲んで、『にがい!』と顔をしかめている原節子を捉える。次の瞬間、グラスを見つめていた原節子の瞳が左へ動いて画面の外部にいる上原謙を捉えると、キャメラは原節子の後方へと大きく切り返されて、ビールを飲んでいる(集中)上原謙をフレームに収める。ここで画面の左を見てみると、手前にややぼんやりと、だがしっかりと意図的な趣旨でもって収められた原節子の右の目元が、じっと上原謙を見つめている。ビールを飲むことに「集中」している上原謙の姿をその瞳はじっと見つめているのだ。だがキャメラは、この主観的な瞬間を一気に日常の時間へと引き戻すようにすぐフルショットへと客観的に引かれ、ビールを飲んでいた上原謙が、ここで初めて原節子の方へと視線を移すや否やの一瞬に、原節子は上原謙から目を逸らしている(⑰・「聖なる窃視」)。しばらくして原節子が、飼っている猫の話をしたあと、日も暮れ始めたのか、店の外の提灯がぱっと明るくなる。立ち上がり、ガラス窓の外を見ていた原節子が振り向くと、上原謙がグラスを見つめながら『僕だって君が苦労しているのは判ってるんだけど、、』と呟いた。キャメラはもう一度原節子へと切り返されると、原節子がまるで恋心に取り憑かれた少女のような潤んだ瞳で上原謙を見つめている(「窃視」⑱)。だが次の瞬間、⑰とまったく同じようにキャメラは二人を同時に捉えたフルショットへと客観的に引かれることでエモーションは一瞬で過ぎ去り、そこで上原謙が原節子の方を見上げたか見上げないかの瞬間、またしても原節子がサッと目を逸らしている(「聖なる窃視」)。私はこの⑰と⑱が「窃視」として演出されているのを理解したのは去年の一月、この作品を5度目に見返した時であり、それまではまさかこのシークエンスに「窃視」は存在しないはずだと妄信していた。近距離の二人という場所的関係、極めて微妙な視線のやり取り、だが今ならこの二つのシーンは、はっきりと「窃視」として撮られていると断言できる。その理由はこうである。

★合わせ技

まず⑰⑱の上原謙の、「ビールを飲む」「しんみりとしゃべりながらグラスを見つめている」という演出は、近距離の「集中」としてはやや弱い。これを「窃視」にするためには「合わせ技」が必要である。まず⑰においてキャメラは、上原謙をじっと見つめている原節子の目元(視線)を画面の左隅に捉えている。二次元という限界を秘めた映画の画面において、ギリギリの状態において手前の原節子の視線をキャメラは捉えているのだ。そこで原節子はまじまじと夫を見つめている。次の瞬間、キャメラはサッっとフルショットへと引かれ、原節子ははっと気付いたように慌てて目を逸らす。⑱の原節子はさらに大胆に上原謙を見つめている。もはやこのショットでは、⑰で画面の左隅に隠された眼差しの慎ましやかさはない。原節子は、まるで亭主を初めて見つめるような潤んだ瞳でもってまじまじと上原謙を見つめているのである。⑯から⑰、そして⑱へと移行するにつれて、原節子の見つめる視線は少しずつ大胆になってゆく。一切の停滞もなく静粛に流れて行くショットの連なりの中に、我々の眼差しがその物語への没頭の彼方に囚われる事でやり過ごされてしまう意匠が実に繊細な演出によって細部として露呈しているのだ。こうして成瀬は、一連の流れの中で「まじまじと」見つめる原節子の眼差しを撮りながら、さらにまた後発的に原節子が「目を逸らす」という行為を演出する事で、見ている我々に対しては「見ていたこと」が強調され、逆に上原謙に対しては、原節子が「見ていなかった」ことを確認させたので、上原謙の「見られていることを知らない者」性もまた強化される。これだけの「合わせ技」でもう十分すぎるほど、このシーンは紛れもなく「窃視」なのだが、それだけではない。成瀬は高揚する二度の「見つめる」シーンが終わったあと、二度ともすぐキャメラをロングショットへ引く事で、空間を主観的なものから客観的なものへと引き戻している。これは成瀬がヒッチコックを「知っている」という紛れもない証拠である。『大写しは空間と物質性から引き離された内的な世界となる』(映画の美学79)と言われるように、クローズアップないし近景とは主観的な世界であり、ロングショットは客観的な世界を露呈させる。成瀬はここで、原節子が高揚するシーンは近景で主観的に撮り、しかしすぐにサッっとキャメラを引く事で、そうした瞬間を一瞬で霧散させてしまっているのである。

★「密室」と「裸の窃視」

我々は第一回の成瀬論文で、成瀬映画の「密室」のエロスとは、常にそこに在るものとしての物理的なそれではなく、雨や発熱、夜汽車などの「不可抗力」によって出現する「密室」であり、一瞬にして霧散してしまうような儚いものであるからこそエロスを醸し出すことを検討した。「めし」の食堂でのシーンは、キャメラを近景へと近付けた瞬間に「密室」が出現し、キャメラを客観的なポジションへと引く事で、「密室」のエロスを一瞬のそれとして霧散させている。さらに⑱においては「日が暮れること」という不可抗力による自然現象がさらなる「合わせ技」として降りかかってくる。店の外の提灯が、夏の薄暮の生温い光線を包み込むようにしてぱっと明るくなることで、室内は対照的に薄暗くなってゆく。こうして二人の空間は、キャメラと照明の「合わせ技」によって「不可抗力の密室」へと導かれるのである。ビール、視線の強さ、目を逸らすこと、そしてショットのサイズ、照明、これらの「合わせ技」によって設定された舞台の中で、原節子は初めて上原謙を「裸の窃視」することができる。成瀬映画において大いなるエモーションを惹き起こす「裸の窃視」とは、「合わせ技」によって初めて創り出される究極の意匠なのだ。我々はこの論文において、これから幾つかの信じ難き「合わせ技」に立ち会うことになるだろう。

★「雨」があがること 

それだけではない。このシークエンスは、前日の暴風雨まで遡ってひとつのシークエンスとして成り立っている。前夜、原節子の泊まっている東京の実家には台風を伴った暴風雨が降り注ぎ、その雨と共に島崎雪子が飛び込んできて、実家に憂鬱な空気を持ち込んでくる。そこへ加えて、しっかりとした「立ち役」的なキャラクターを持った妹婿である小林桂樹に甘えをたしなめられた原節子は、長女でありながら居場所を失い、小さくなって寝床に就いている。辛気臭い空気、それを助長させて止まないじっとりとした雨、、、その雨が翌朝、ものの見事に晴れ渡るのだ。成瀬映画において「雨」とは、ひたすら上から下への重力として恋人たちを性的エロスの中へと引きずりこんでしまう方便として利用され、或いは恋人たちを「不可抗力の密室」へと導くところのマクガフィンとして機能していた。それと同時に「雨」は、「晴れるために」降り注ぐ。『成瀬巳喜男は通常の光とは別に、ポケットの中に「雨上がり専用の光」というものを持っていて、その両者を使い分けているのではないか、そう勘ぐってしまいたくなるほど、成瀬映画の「雨上がり」というのは、その光線の絶妙な清清しさによって何とも言えない開放感に包まれている。』と、第一回成瀬論文の終盤●「旅役者」(1940)の箇所で言及したが、●「春のめざめ」(1947)での、雨に濡れた屋根瓦に照りつけて乱反射する雨上がりの光、●「山の音」(1954)では、暴風雨による停電の翌朝、家の前の山へと続く坂道を登ってゆく女の姿を捉えた朝霧に包まれたロングショット、●「乱れ雲」(1968)では、加山雄三が熱から醒めた翌朝、旅館の和室の中に差し込んできた夏の光、そしてあのじめじめとした●「浮雲」(1955)においてすら、「月に35日は雨が降る」と言われる屋久島に雨の中到着した翌朝、お手伝いの千石規子をして『こんに良い日はめったにございません、気持ちが晴れ晴れ致しますですね。』と言わしめた一瞬の快晴が画面を包み込み、そこで高峰秀子と森雅之の二人の最後の瞬間が撮られていた。成瀬映画において雨は、「あがること」のためにもまた降り注ぐのである。雨の次の日は決まって晴れるのであり、その朝に降り注ぐ太陽光線の清清しさがそれまでのじっとりとしたエロスを瞬時にして忘れさせ、人々をして再び現実の生活の力強い息吹のなかへと引き込んでゆくのだ。「雨」は、決して物語として振るのではない。「雨」は、晴れるために降るのである。翌朝、屋根の上に登って修理をする小林桂樹の周囲を包み込む光線が際立って清清しいのは、この「雨」が、紛れもなく「晴れるために振った雨」だからにほかならない。さらにこうした思考回路は、上原謙の真っ白なシャツにもつながっている。成瀬映画にとって「白」とは、●「稲妻」(1952)の縁側に突如出現した香川京子の真っ白なブラウスがそうであったように、爽快さの露呈でもある。上原謙の白いシャツは、倦怠期に包まれていた夫婦に訪れた一瞬のエロスを、解放感によって引き立たせるためのマクガフィンとして我々の瞳を捉えるのだ。そうして映画は、あの食堂での「裸の窃視」(⑰⑱)から「雨」へと見事に逆流してゆく。原節子に上原謙を「裸の窃視」させる→上原謙にビールを飲ませて集中させる→上原謙の喉を乾かせる→上原謙を風呂上りにする→白いシャツを着せる→晴れ晴れとした光線→暴風雨、、、こうして「雨」は、あの再会のシークエンスを、夏の晴れ上がった雨上がりの清清しい光線によって包み込みたいがために降り注いだのであり、従ってあのビールのシークエンスは、前日の暴風雨へと逆流して撮られているのだ。さらにこの再会のシークエンスには「不可抗力における密室」を創り出すための光線、時刻、キャメラの位置などにおける様々なマクガフィンも込められている。そうした逆流のうねりが物語の①→②→③→④の流れと衝突し、相互に浸透し弾け合ったとき、映画はしなやかな曲線とともに柔らかくなり、運動性のふるえを微細化しながら質的な差異を露呈し続けるのである。そして映画は、列車の中の原節子の「裸の窃視」によって見事に幕を閉じている()。「見つめ合うこと」によって終わった「舞姫」が、①→②→③→④という物語的回路によってアメリカメロドラマ風に幕を閉じたのとは対照的に、「めし」のラストシーンは、「見つめ合わないこと」という④→③→②→①のマクガフィン的逆流によって終わっているのである。

★身体性と「裸の窃視」

今度は「身体性」の観点から「めし」を検討してみたい。まず原節子は15回「窃視」をしていながら一度も「窃視」をされておらず、上原謙は3度「窃視」し、9回「窃視」されていることからして、原節子の「防御する身体」と、上原謙の「無防備な身体」とを対比させた作品であることが見えて来る。ここにもまた「防御する身体」として成瀬映画の一時代を風靡した、千葉早智子の面影を見出すことができる。「夫婦もの」の流れとして、原節子は「物語的窃視」をし続け、上原謙はされ続けている。だが原節子の家出が契機となって、原節子の眼差しが微妙に変化してくる。原節子は東京の実家で歓待されたのも束の間、すぐに居心地が悪くなってしまい、夫と置いてひとりで東京に出て来た原節子の瞳には不安の光景が刻み付けられて行く。まずもって就職難の現実は()、女ひとりで自立して生きてゆくことの困難を原節子の瞳に脅迫し、道行くカップルを「窃視」し続ける原節子は、二人で生きてゆくことの欲望を募らせて行く(⑪⑬)。さらに子供をつれて一人で生きている戦争未亡人(中北千枝子)の苦しい生活の目撃が()、原節子に大いなる不安を抱かせる。そうして、それまでは、夫の存在を「意味」でしか見つめることのできなかった原節子の身体が少しずつ打ち砕かれてしなやかになって行ったとき、映画は急転直下、エモーショナルな瞬間を迎えることになる(⑰⑱⑲)。ここで変貌したのは上原謙の身体ではない。「二枚目」として飄々とした上原謙の身体は終始「無防備な身体」として貫かれている。変貌したのは原節子の「身体性」であり、それは「人間」ではなく「関係」の変化をもたらしている。身体性の変貌は、人間を変化させるのではなく、「関係」を変えてゆく。実家においての不遇、という現実は、「自立すること」という主題と大きく関わってきていることは第一回の論文で検討したが、ここにおいて東京の実家での出来事は、原節子の「身体性」を変貌させるためのマクガフィンとしても機能しているのだ。しかしそれは、「防御する身体」から「無防備な身体」への変換ではなく、●「おかあさん」(1952)の香川京子や、●「稲妻」(1952)の高峰秀子のような、「物語的身体」から「反物語的身体」への変貌として現れている。「おかあさん」の香川京子の場合は月日を通しての数々の経験が、「稲妻」の高峰秀子は「家を出る」ことによる自立の運動が、そして「めし」の原節子もまた「家を出る」ことが起点となって、それぞれの身体は、「物語的窃視」をすることしかできない「物語的身体」から、「裸の窃視」をすることのできる「反物語的身体」へと発展しているのである。そして「めし」以降の成瀬映画は、「ラブストーリー」である●「お國と五平」(1952)を挟んで●「おかあさん」、そして●「稲妻」と、立て続けに映画中途に置ける「身体性の変貌」を映画にしている。その中で「裸の窃視」は、「物語的窃視」→「裸の窃視」への転回を通じた人物の「身体性」との関係において決定的な役割を果たしているのである。

★「舞姫」から「めし」への転回

「舞姫」の知的な台詞を述べる硬質で「主体的」な人物は、「めし」においては長屋に住む小市民の「内的」な妻と「二枚目」の夫との無意味な会話に取って代わられ、「舞姫」における、人と人とが「見つめ合う」ことによってもたらされたドラマチックな「解決」は、「めし」においては眼差しと身体との「関係」によって少しずつ積み重ねられる「ずれ」たコミュニケーションへと変化している。「舞姫」における、そびえ立つ帝国劇場や、大きな鏡の壁に囲まれたバレエ練習所の硬質な美術は、「めし」においては「木と竹と紙」による「通風性」豊かな昔風の長屋の柔らかい装置に置き換えられる。そうすることで現象は、オブジェクトとしてではなく「関係」として露呈し始め、その空間は「他者」によって埋め尽くされてしまい、「内的」な妻は「家を出る」という運動を余儀なくされる。すべての細部が「不可抗力」とマクガフィンの坩堝の中へ放り込まれ、コミュニケーションはさらなるコミュニケーションを生み、さらなるコミュニケーションはさらなる細部を呼び寄せる。こうして映画は成瀬的な「過剰」に包まれながら運動を益々加速させてゆく。それこそが、なんとも平凡な物語であるところのこの「めし」なのである。

★倦怠期と社会問題

そこで主題として描かれたのが、夫婦間の倦怠期であるという事実も大きく作品の転換に影響している。「舞姫」を始めとした戦後「後退期」における作品の多くの作品は、性問題(「春のめざめ」(1947)、風俗問題(「怒りの街」(1950)「白い野獣」(1950)、労使問題(「俺もお前も」(1946)、女性の社会進出問題(「薔薇合戦」(1950)、貞操問題(「舞姫」(1951)、財閥問題(「浦島太郎の後裔」(1946)などの「社会問題」を扱った作品であったのに対して「めし」において描かれているのは倦怠期という夫婦間の情感のもつれであり、「社会問題」ではない。確かに精神医学などの観点からするならば倦怠期も検討の対象になるかも知れないが、それはあくまでプライベートなものであり、プラカードをもって「倦怠期はんた~い!」と行進したり国会で議論したりするものではない。倦怠期問題は「社会問題」としては存在しないのである。「二枚目」と「内的な」妻の日常生活における、あるかないかの些細な「関係」の揺れを描いた「夫婦もの」は、それまで「社会問題」の判りやすさの中で窒息していた成瀬映画に見事に「関係」の息吹を吹き込んだのだ。そうであるからこそ成瀬はその後、水を得た魚のようにして、●「夫婦」(1953)●「妻」(1953)●「山の音」(1954)●「女同士(くちづけ第三話)(1955)●「驟雨」(1956)●「妻の心」(1956)●「杏っ子」(1958)と、立て続けに「夫婦もの」=「関係もの」=「わかりにくい映画」を撮り続けたのである。その後成瀬は、農村「問題」を扱った●「鰯雲」(1958)に至るまで、一本たりとも「問題映画」を撮っていない。成瀬が再び「鰯雲」によって「問題の映画」を撮ったその時、成瀬映画には生涯二度目の「後退」の問題が降りかかり、同時にまた「夫婦もの」は二度と撮られることはなくなる。

★まじまじと見つめること

「めし」は成瀬映画に「関係の映画」の地位を確固として付与した。人物から「主体性」が剥奪されることで、人々は徹底して「不可抗力」によって流されることになる。「流されること」とは運動の動機や因果からの解放であり、映画の細部が物語の鎖から解き放たれてそれ自体で運動を始めることを意味する。成瀬映画のゆったりとした運動は、それ自体が解き放たれた細部であるからこそ弛緩せず、まったき持続としての張り詰めた運動を自己更新的に発展させてゆくのだ。その中でもラストシーンを「裸の窃視」で締めくくった「めし」における「過剰」性は大きく際立っている。それは既にここで検討したように、「めし」の撮られ方を見ることではっきりと確認することができる。●「舞姫」のラストシーンでは、「裸の窃視」⑯が「物語」に奉仕していた。あくまでも「舞姫」の「裸の窃視」は、そのものとしてではなく、その直後の「見つめ合うこと」を促進するための物語過程として作用していたに過ぎない。「裸の窃視」は目的ではなく、手段として使われているのだ。まず「舞姫」の「窃視」⑮と⑯を検討してみよう。⑮は、『劇場で踊っている岡田茉莉子の晴れ姿を、母の高峰三枝子が舞台の袖から「窃視」する』というものである。その時、高峰三枝子は夫の山村聡を棄てて、愛人の二本柳寛と駆け落ちするかどうかの岐路に立たされている。高峰三枝子のもとには客席の二本柳寛から「東京駅で待っている」という手紙が届き、さらに舞台の袖には何も知らない息子の片山明彦がやってきて、高峰三枝子は家族を取るか、愛人を取るかを迫られている。この瞬間に「窃視」⑮がなされ、その後、高峰三枝子は娘の岡田茉莉子を東京駅へ使いにやって二本柳寛に断りの手紙を渡している。その後高峰三枝子は鎌倉の家へ帰り、家の中にいる夫の山村聡を「窃視」し()、考え込み、高峰三枝子の存在に気づいた山村聡としばし見つめ合う。私は前回この⑮と⑯を「裸の窃視」であると書いたが、厳密には、限りなく「物語的窃視」に近い「裸の窃視」であるということができる。⑮の高峰三枝子はバレエを踊る岡田茉莉子の姿を見つめながら「顔をしかめて」何かを考えているし、⑯の高峰三枝子もまた、家の中を歩いている山村聡の姿にみとれるだけでなく、見つめた後、うなだれながら「顔をしかめて」何かを考え、そのあと山村聡と見つめあっている。この「顔をしかめる」という行為は「心理」の表明であり、極めて論理的な流れのなかから出てくる「ほんとうらしさ」であって、それはその後に続く「物語」を予感させ、促進させている。そうした「しかめっ面」の包含される⑮と⑯の「窃視」は、その後に成される「別れ」や「和解」といった「物語」へと論理的につながれる橋渡しの機能を果たしているのである。「だから」とか「ゆえに」といった出来事が「窃視」のあとからついてくるのだ。⑮のあと、高峰三枝子は二本柳寛に「別れ」を告げているし、⑯のあと、高峰三枝子は山村聡と「和解」している。⑮「ゆえに」高峰三枝子は二本柳寛と別れ、⑯「ゆえに」高峰三枝子は山村聡と「和解」するのである。⑮と⑯とが、ともに目的ではなく手段として撮られ「心理的ほんとうらしさ」の渦中にあるのだ。「舞姫」の構造は、前回検討したアメリカ的なメロドラマのそれであり、出来事は①→②→③→④と向けて論理的に流れてゆくのである。成瀬映画の歴史の中で、人と人とが見つめあって終わるのは、この「舞姫」を除くと、●「浦島太郎の後裔」(1946)と●「怒りの街」(1950)の二本しか存在せず、すべて「めし」以前の「後退期」に集中しているのは決して偶然ではない。「後退期」においては未だ④→③→②→①の「過剰」の流れが澄み切った状態で映画に現れることはなく、細部は常に①→②→③→④の流れの中に押し潰されて窒息していた。対して「めし」の「裸の窃視」⑲における原節子は、眠っている上原謙の寝顔を「まじまじと」見つめている。そこには「しかめっ面」や「心理」といった、その後の「物語」を促進する要素は微塵もなく、ただ夫の寝顔を「そのもの」として見つめる女の透き通った眼差しがあるに過ぎない。●20「まごゝろ」(1939)のあの縁側での「窃視」⑥、●40「お國と五平」(1952)の蚊帳の中での「窃視」⑪、●41「おかあさん」(1952)におけるあのラストシーンの香川京子の「窃視」23、●42「稲妻」(1952)で、世田谷の下宿の二階から根上淳を見つめた高峰秀子の「窃視」⑰、●46「山の音」(1954)の原節子による新宿御苑における信じ難き「窃視」29、●48「浮雲」(1955)のラストシーンの「窃視」28、●53「あらくれ」(1957)で、洗面所で髪をとかしている高峰秀子を廊下の影から見つめた森雅之の「窃視」⑧、●65「乱れる」(1964)の夜汽車で眠っている加山雄三を見つめて泣いた高峰秀子の「窃視」⑯、そして遺作●68「乱れ雲」(1967)でもまた、高熱にうなされて眠っている加山雄三を見つめた司葉子の「窃視」⑫、そのお返しとばかりに今度は山菜取りをしている司葉子を加山雄三が見つめた「窃視」⑬、、まさに映画史に残る多くの感動的な「裸の窃視」はすべて「まじまじと」見つめられているのだ。だからこそ映画はそれだけで完結し、終わることができる。原節子による「裸の窃視」がなされたあと、映画はそのまま終わってしまっている。「裸の窃視」は手段ではなく、目的として出現しているのだ。それによって行き場を失った物語は画面との葛藤を始め、反物語の渦の中を逆流することになる。①→②→③→④で終わった「舞姫」は、④→③→②→①によって終わった「めし」によって「否定」されたのである。以降、成瀬映画は「物語映画」から「反物語映画」へと決定的に転回する。成瀬映画は「裸の窃視」という「反物語」によって、長きに亘る「後退」を脱し、蘇生したのだ。

★ラストシーンにまじまじと

ラストシーン、ないしそれに準ずるシークエンスが「裸の窃視」で終わる作品をここで挙げてみたい。

「朝の並木道」(1936)「鶴八鶴次郎」(1938)「歌行燈」(1943)「芝居道」(1944)「白い野獣」(1950)「めし」(1951)「おかあさん」(1952)「山の音」(1954)「晩菊」(1954)「浮雲」(1955)「流れる」(1956)「娘・妻・母」(1960)

「めし」以降、特に違っているのは、見つめている者たちが「まじまじと」見つめていることである。その中でも決定的なのが、「めし」「おかあさん」「山の音」「浮雲」の4本であり、「山の音」と「浮雲」については後に検討するが、この4本のラストシーンの「裸の窃視」はすべて強烈に「まじまじと」見つめられている。「おかあさん」の香川京子は母である田中絹代の姿をわざわざ上り框から身を乗り出して見つめているし、「めし」の原節子にしても、横で眠っている夫の上原謙の寝顔を幾度も見直しては微笑んでいる。間違ってもそこには、「舞姫」の高峰三枝子のような「しかめっ面」は存在しない。「流れる」の田中絹代の場合、最後の「裸の窃視」で幾度か目を伏せるような仕草をしており、それが「舞姫」の高峰三枝子の「しかめっ面」と同じように見えなくもないが、これは田中絹代の演技の問題であって、ここは目を伏せるにしてももっとさり気なくクールに演技すべきだった。対して「舞姫」の高峰三枝子の「窃視」には、それを超えた「考え込む」という要素がありありと入っており、仮に田中絹代の演技を差し引いたとしても、両者のあいだには質的な差異がある。どちらにしても「めし」「おかあさん」「山の音」「浮雲」という、成瀬映画史のベスト4と言っても決して過言ではない見事な4本のラストシーンに「裸の窃視」が来て、なおかつそれが「まじまじと」なされているのは決して偶然ではない。「しかめっ面」は次なる物語を①→②→③→④と継起させるが、「まじまじと」見つめる瞳は④→③→②→①と逆流する。「めし」以前の作品は、未だ「反物語」の逆流の中に十分投げ込まれてはいなかった。だからこそ「裸の窃視」にしても、●20「まごゝろ」(1939)の「窃視」⑥や⑦のように、「まじまじと」見つめられたものもあれば、●25「歌行燈」(1943)のラストシーンの「窃視」⑨のように「見つめる」という運動を描写せずに撮られている作品もある。確かに「めし」以降においても●40「お國と五平」(1952)や●65「乱れる」(1964)のように、まるで速射砲のように「裸の窃視」が瞬時に為されてしまう作品も存在するが、それはあくまで「禁断のラブストーリー」としての主題が「まじまじと」見つめることを許さないのであり、それでも映画が佳境に入った時には、蚊帳に入ってしまった大谷友右衛門が木暮実千代の寝顔を盗み見した「お國と五平」の「窃視」⑪や、夜汽車で眠っている加山雄三を高峰秀子が盗み見した「乱れる」の「窃視」⑯のように、「まじまじと」見つめられているのである。

★「裸の窃視」

「裸の窃視」は、成瀬映画の「物語」から「反物語」への歴史の中で、「めし」を転機にひときわ大きな輝きとなって立ち現れ直した。④→③→②→①という映画の性質が「裸の窃視」を呼び寄せ、また「裸の窃視」が映画の性質を④→③→②→①へと加速させてゆく。成瀬はそれから●「お國と五平」(1952)、●「おかあさん」、そして●「稲妻」と、三本立て続けに「裸の窃視」をエモーショナルに出現させることで、「身体性」の変化としての「関係の映画」を完成させたばかりか、さらにまた●「お國と五平」(1952)●「乱れる」(1964)●「乱れ雲」(1967)といった「ラブストーリー」においては、エモーショナルな「裸の窃視」が人物の「身体性」の変貌に大きな役割を果たすことにもなる。そうした点からしてこの「めし」という作品の重要性は何度繰り返し述べても足りないほどの決定性を帯びている。何が成瀬をして「めし」を撮らせたのか。成瀬は「めし」を契機に台本の削除や書き換えに大きく関わるようになったと言われている。それに加えて林芙美子の原作との出会い、田中澄江という脚本家との出会い、さらにまた「めし」に必要とされた柔らかく開け放たれた装置・美術の態様が、美術家の中古智にはマッチしたこともある。事実、中古智が●「舞姫」(1951)以前に成瀬と組んだ作品の美術は、●「まごゝろ」(1939)、●「芝居道」(1944)、●「石中先生行状記」(1950)と、すべてみな、軟質で生き生きと開け放たれていた。さらにまた終戦から6年というほどよき時間。日本社会が戦争から高度経済成長へと移行するちょうどそのあいだの間隙を縫って「めし」は撮られたのである。

★黄金時代

「めし」(1951)から「杏っ子」(1958)に至る(短編「女同士(くちづけ第三話)(1955))を含む)16本の作品を「第三期」として検討を進めてゆきたい。「後退期」を「第二期」とし、それ以前が「第一期」、それ以降「めし」から「杏っ子」までが「第三期」である。そしてこの「第三期」こそ成瀬映画における「黄金期」というべき隆盛時代であり、全作品が所謂「傑作」のレベルに撮られている途方もない成熟期である。1950年代を日本映画の黄金期とするならば、成瀬映画は見事に日本映画の黄金期の風に乗っていたことになる。「めし」以降、●「杏っ子」までの16本は、幸福に包まれた最高期としての輝きを放っている。やることなすこと、すべてが上手くいったのがこの時期であり、何をやっても、何を撮っても「映画」になってしまう。「関係の映画」を彩るあらゆる細部がマクガフィンとして弾け合い、呼応し合って画面をさく裂させてしまう。美術家が変わっても「後退期」のように、その都度「通風性」が失われたり失われなかったりするという現象は影を潜め、映画は「晩菊」を例外として一貫して「通風性」を維持し続けている。人物の性格はこれまた「晩菊」の杉村春子を除いてすべて「内的」であり、したがって人々は面と向った対話ではなく「窃視」によって「関係」を紡いでいくことが可能となる。無駄のなさ、流れるような時間、主題と細部との見事な呼応において、この「第三期」の作品は他を圧倒している。そしてこの「第三期」は、大きく分けて「裸の窃視」がその身体性に大きく影響を及ぼしながら撮られてゆく作品と、そうでない作品とに二分される。前者は「めし」(1951)、「お國と五平」(1952)、「おかあさん」(1952)、「稲妻」(1952)、「山の音」(1954)、「浮雲」(1955)、「妻の心」(1956)、「流れる」(1956)、「あらくれ」(1957)、といった作品である。これらの作品において「裸の窃視」は、「身体性」「関係性」等、作品の構造を語る上で決定的な機能を果たしていた。

47「晩菊」(1954)

ここで「裸の窃視」に関連して、「第三期」における二つの作品を見て行きたい。まずは「晩菊」である。下町(本郷)を舞台に、満州から引き揚げてきた芸者上りの金貸しの女、杉村春子と、昔の芸者仲間(望月優子と細川ちか子)、そして杉村春子の昔の情夫であった見明凡太郎、杉村春子の憧れの人であった上原謙らの「戦後」を撮った、春から夏にかけての映画であり、杉村春子が初めて成瀬映画の主役を張った作品でもある。成瀬自身が「大変楽しくできた仕事ですね」と語るこの作品は、成瀬映画において「めし」以降、「外交的」な女性が主人公とされた数少ない作品の中の一本である。杉村春子の人物像は、「夫婦もの」や「水商売もの」、あるいは「庶民もの」を主とする成瀬映画の中にあって、中年の独身女、それも●「銀座化粧」(1951)や●「おかあさん」(1952)の田中絹代のように、周囲に気の置けない家族や仲間がいるわけでもなく、●「流れる」(1956)の山田五十鈴のように、終始好意的な人物として撮られているわけでもない。杉村春子はその容赦ない借金の取立てから周囲の人物たちからは悉く嫌われた孤立した女として撮られており、成瀬的には非常に珍しい人物であると言える。加えてこの杉村春子は「外交的」な人物であり、金貸しという物騒な仕事柄のせいか、成瀬映画の中では極めて珍くも一般的に「通風性」を拒絶している。「外交的」な人物であるが故に「通風性」を拒絶する、これが成瀬的細部のある種の逆説であることは第一回の論文で検討したが、このような八方塞がりの状況の中で杉村春子を「裸の窃視」する者など通常の流れにおいてはあるわけがなく、従ってこの作品における「窃視」のすべてが「物語的窃視」と「負の窃視」であったとしても驚きはない。⑩は、憧れの人であった上原謙が家へやって来たあと、化粧をするために引っ込んだ杉村春子の部屋の襖をいきなり上原謙が開けて、化粧をしている杉村春子の姿を「窃視」したシーンである。一見これは「裸の窃視」のようにも見受けられるが、上原謙の来訪の目的は杉村春子に会うことではなく、借金の相談(無心)であったことからするならば、この上原謙の瞳は「裸の窃視」に適した「身体性」を有しているとは言い難く、事実、酔った上原謙の眼差しは「まじまじ」というよりも無心の欲望を隠して媚を得る下心に充ちた瞳として撮られており、さらに加えて酔って行く上原謙は、まるで連射砲のように杉村春子の瞳にその醜態としての「無防備な身体」を晒して「負の窃視」を食らってゆくのである(⑪⑬⑭⑮)。どちらにしてもこの作品の杉村春子は、言わば嫌われていることが魅力の人物であり、「裸の窃視」によって賞賛さるべき人物ではない。

★しかし、、、

だが最後の「窃視」⑲を見てみたい。改札口で杉村春子が、切符がない、と、バッグの中を引っ掻き回し始めている。これは「おかしい」。いきなり物語とは何の関係も無いことをし始めているからである。そんな杉村春子を、加東大介が振り向き様、「窃視」し、にっこりと微笑んでいる(「窃視」⑲)。「財布を捜す」という行動は、それを見た者をして一定の社会的行動へと導くものではないことからして「物語」の文脈から隔たっており、これは「裸の窃視」に近い感覚で撮られている。だがこの作品における加東大介はブローカーのような男であり、杉村春子の家族でもなければ友人でもない。映画の最初と最後に、何の変哲もなく顔を出すだけの、言わばチョイ役である。そんなチョイ役が、唯一、この嫌われ続ける杉村春子という金貸し女を「窃視」し、そして微笑んでいる。確かに加東大介は「まじまじと」は見つめてはおらず、従ってこれを典型的な「裸の窃視」だと断言できるかどうかは微妙だとしても、杉村春子のような嫌われ者ですら、何の脈略もないような文脈において「裸の窃視」に近い行為をされてしまっているのである。「裸の窃視」はあくまでも「窃視」の一類型であり、「物語的窃視」と比して「過剰」の強度が高められた細部であるに過ぎない。それにも拘らず、成瀬映画の印象的瞬間の多くには「裸の窃視」が露呈し、「裸の窃視」のそぐわないこの「晩菊」にすら、ラストシーンに「裸の窃視」が撮られている。こうしたところに成瀬の「裸の窃視好き」が見て取れる。「裸の窃視」とはいわば諸刃の剣であり、「第二次後退期」としてこれから検討することになる「60年代」においては多くの「裸の窃視」が細部の流れの中から孤立してしまい、マクガフィン的運動を阻害している。「裸の窃視」とは、あくまでも④→③→②→①という「芯」があって初めて「過剰」として生きてくる細部なのである。

51「妻の心」(1956)

私がこの成瀬論文を書くきっかけとなった「裸の窃視」26の出現する「妻の心」を検討してみたい。●「女の座」(1962)と通底する「居座りもの」、別名「辛気臭さもの」の決定版である「妻の心」は、地方の薬局を継いだ結婚五年目の次男夫婦(小林桂樹と嫁の高峰秀子)における、秋の彼岸から花見の季節までの生活を描いた作品である。基本的に「夫婦もの」とは夫婦二人の関係だけに絞られて撮られていたのに対して、●「女の座」(1962)同様、親との「同居もの」であるこの作品は、そこに「居座り組み」が加わる事で「負の窃視」があらゆる人々の間に波及して、まさにマシンガン窃視となって露呈している。ABを見つめるとBはすぐに目を逸らし、そうかと思ってAが目を逸らすと今度はBAをチラリと見つめる。昔ながらの地方の大きな日本建築の商屋を「木と紙と竹」によって造り上げたこの作品の柔らかい装置は、疑念に満ち溢れた人々の視線のゲームを前提に設計されたかと思われるほどに入り組んでいる。26ヶ所の「窃視」を抽出してみたものの、私の動体視力ではここまでが限度である。このように細かく、かつ、相手との関係が求められる演技を役者が勝手にやってしまうことは考えられないことからして、成瀬はそれをいちいち演技指導をしてやらせていると見るべきである。結婚五年目の夫婦を主人公としたこの作品は、確かに「夫婦もの」としての体裁を具えてはいるものの、●「めし」(1951)や●「夫婦」(1953)、そして●「妻」(1953)などのように、映画開始当初から倦怠期の憂鬱な空気には包まれておらず、高峰秀子と小林桂樹の夫婦は、経営する薬局の裏に新しく喫茶店をオープンするという希望を抱いており、夫婦間にも笑みが溢れている。夫婦の関係がぎくしゃくし始めるのは、実家に帰って来た千秋実と中北千枝子の兄夫婦がそのまま居座るらしいことがジワジワと判ってきたあたりからである。そうした点でこの作品は、厳密には「夫婦もの」の範疇からはやや逸脱しており、倦怠期の萌芽を扱った作品であるといえるだろう。

★夫婦間の「ラブストーリー」

そうして「窃視」を見つめてみると、まず高峰秀子が最多の8度「窃視」をしながら6回「窃視」をされてもおり、小林桂樹もまた4回「窃視」しながら5回「窃視」されていることからして、この作品は高峰秀子や小林桂樹の「見つめる映画」としては撮られていない。また「夫婦もの」が「ラブストーリー」として撮られることもまたない。倦怠期ものである「夫婦もの」が、終盤になって倦怠期が克服され、お互いに「裸の窃視」をし合って、ということは事実としては考えられるが、実際の作品においては夫婦間の「ラブストーリー」は一本も存在しない。成瀬映画には『夫婦ものの「ラブストーリー」』は存在しないのである。この「妻の心」にしても、「窃視」26において高峰秀子から小林桂樹へと向けられた「裸の窃視」は存在するが(後に検討する)、小林桂樹から高峰秀子へと向けられた「裸の窃視」は存在しない。一見高峰秀子の「背中」という裸の部位を小林桂樹が「窃視」した25がそれにらしく見えなくもないが、しかしこの時点では未だ夫婦はぎくしゃくした関係を払拭できておらず、したがってそのような常態でなされた「窃視」が、そのものを「そのもの」として肯定する「裸の窃視」になるわけもなく、実際小林桂樹の眼差しも「まじまじ」とはほど遠くに曇っている。成瀬は、こういうところは徹底して細かい。

★「窃視」23

この作品で検討すべき「ラブストーリー」は高峰秀子と小林桂樹でなく、高峰秀子と、高峰秀子の親友の杉葉子の兄である三船敏郎との「禁断のラブストーリー」である。まず三船から高峰秀子に対する「裸の窃視」ははっきりと存在する(⑪と24)。⑪は、洋食屋で三船敏郎が高峰秀子に同僚を紹介し、店を出たあと、路地で別れて去って行く高峰秀子の後ろ姿を三船敏郎が「窃視」するというものである。三船敏郎は、一旦反対方向へ歩きかけて立ち止まり、わざわざ振り向いてから高峰秀子の後ろ姿を見つめており、路地の「ずれ」と時間の「ずれ」による完璧な「断絶」が演出されているばかりか、「後ろ姿(背中)」という、限りなく意味の剥ぎ取られた「過剰」を「まじまじと」主観ショットで見つめていることからして、これは「裸の窃視」であると断定してよいだろう。さらに「窃視」24は、二人が雨に降られて小憩所に入ったあと、三船敏郎の妹の杉葉子の結婚話になり、「うっかり結婚したら大変、、」と言ってうつむき、物思いに耽っている高峰秀子を、三船敏郎がこれまた「まじまじと」見つめている。その後、高峰秀子と目が合った三船敏郎が慌てて目をそらすという「エロス的身体」としての演出も加えて為されていることからも、この「窃視」もまた「裸の窃視」として撮られていると見る事ができる。検討を要するのはその直前の「窃視」23である。雨が降り、小憩所で高峰秀子と雨宿りをしている三船敏郎が、外を走ってゆく子供たちを「子供はいいなぁ、、」と「窃視」する(22)、そうして子供たちを見つめている三船敏郎を、高峰秀子が重ねて見つめるというシーンである(23)。キャメラは、外の子供たちから店の中の三船敏郎へとオフオフの視線によってチラリと視線を移したあと即座に目を逸らす高峰秀子を捉えてから、三船敏郎へと切り返され、そこで三船敏郎は、子供たちを見つめていた視線を高峰秀子の方へと向けて喋り出している。三船敏郎は高峰秀子に見られていたことを知らないので、仮にこれが「裸の窃視」だとすると、「聖なる窃視」ということになる。おそらくこれは、「裸の窃視」に近い趣旨として演出されている。三船敏郎の「集中」の状態が「子供を見ている」という「意味」の強さを感じるならば、これは「物語的窃視」ということにもなる。

★浮気をさせない

成瀬は「浮気をさせない」作家である。「浮気」とは、一人の人間が、複数の異性に対して「裸の窃視」をすることであり、前回の論文では「夜ごとの夢」(1933)「限りなき舗道」(1934)「桃中軒雲右衛門」(1936)「鶴八鶴次郎」(1938)「春のめざめ」(1947)「白い野獣」(1950)「お國と五平」(1952)「乱れる」(1964)「乱れ雲」(1967)「あらくれ」(1957)といった該当作品群について、「浮気」の存在しないことを確認している。「妻の心」の高峰秀子は26において夫の小林桂樹を「裸の窃視」しているので、「窃視」23が「裸の窃視」だとすると、高峰秀子は「浮気」をしていることになる。フリッツ・ラングとまでは言わないものの、非常に「道徳的な」作家であり、かつ、こうしたことに関して尋常ならざる細かい意匠を施す成瀬からして、「浮気」という出来事を無神経に演出してしまうということは基本的には考えられない。成瀬は敢えてボカしてこの「裸の窃視」23を撮ったように私には見える。我々に「浮気」を感じさせるのではなく、まるで潜在意識のショットのように、意識の下へそれとなく働きかけてくるように演出が為されている。それくらいのことは平気でしかねない作家であることを、我々はもう嫌というほど思い知らされているのだから。台詞の点から聞いてみると、高峰秀子はその後、親友の杉葉子に対して、「うちの亭主に三船敏郎との関係を誤解されたわ、、」と、「誤解」という言葉を使っており、その「誤解」というセリフをまともに受け取れば、「窃視」23は「裸の窃視」ではないとも見えそうだが、そもそも映画の登場人物が「真理」なるものを口にする保証などどこにもなく、また、「関係」の中で生きて行く成瀬映画の人々には確固たる意志も主体も無いのであり、従って成瀬映画の人物の台詞の中身を「思想」として判断することは二重の意味で誤っている。成瀬映画の人物の「心理」や「思想」なるものは、その時その時の外部における運動と細部の関係によってつぶさに見ていくほかない。そうしてよく見てみると「窃視」23は、「雨」という一瞬で消え去って行くマクガフィンによって与えられた小憩所という「不可抗力の密室」という「合わせ技」がはっきりと露呈しており、少なくとも成瀬はこのシークエンスを男と女のエロス的なものとして撮ろうとしていることを見て取ることができる。状況それ自体が雄弁に「浮気」を語り占めているのだ。

★「浮雲」と「舞姫」

それ以外で「浮気」という事態が生じたのは●48「浮雲」(1955)と●「舞姫」の二本である。「浮雲」の森雅之は「窃視」810によって岡田茉莉子を、「窃視」28によって高峰秀子を、それぞれ「裸の窃視」しており、「浮気」が生じている。但し「窃視」810は「まじまじと」は見つめられてはおらず、一瞬の眼差しとして極めて綿密にボカして撮られている。後に●「山の音」のところで詳細に検討をするが、成瀬は「禁断の関係」にある者同士における「裸の窃視」はすべて曖昧にボカしてとっている。「浮雲」の森雅之と岡田茉莉子の関係は、「浮気」としての「禁断の関係」にあることから、成瀬はわざとボカして撮っているのである。重要なのは「浮気」をする、しないではなく、「浮気」をいかにして撮るかである。そうした点からして●38「舞姫」(1951)の「浮気」は異質と言える。そこでは「窃視」⑤と⑩において高峰三枝子が二本柳寛を「裸の窃視」したあと、ラストシーンの「窃視」⑯において高峰三枝子が山村聡を「裸の窃視」して「浮気」が成立している。だがどの「窃視」も細微な点まで心が砕かれておらず、しっかりと「浮気」が成立してしまっている。「舞姫」の問題は、物語的な浮気そのものにではなく、映画の撮られ方それ自体にある。映画が①→②→③→④という物語的回路で撮られているために、「窃視」の在り方が物語に従属し、細部としての力を持ちえないのである。ラストシーンで夫婦が「和解」するならば、「浮気」を生じさせる「窃視」の⑤と⑩はより細微なものとして撮られなければならない。それを余りにも無防備に撮ってしまっているのは、映画が①→②→③→④の順序で撮られて細部が物語に負けて吸収されてしまったからである。ラストシーンの「窃視」⑯が、「裸の窃視」であるはずが、「物語的窃視」のように撮られてしまっていることは、この映画が主として①→②→③→④の流れによって撮られていることを指し示している。だからこそ「めし」への転回が余りにも際立って見える。「裸の窃視」とは「芯」があって初めて「過剰」たりうる細部なのであり、その「芯」とは④→③→②→①である。「浮気」についてはその他にも●57「女が階段を上がる時」(1960)において問題となるが、微妙な演出なので、独自、判断して頂きたい。さて、「妻の心」に戻るが、そもそもこの作品の「窃視」26は「裸の窃視」なのか、という、元も子もない問題がある。

★「窃視」26

映画はラストシーンの「窃視」26を迎える。この窃視26こそ、私が当論文を書くきっかけとなった「裸の窃視」である。それは、自転車を引きながら新装開店の薬屋を羨ましそうに見つめている小林桂樹の姿を、通りがかった高峰秀子が遠距離から「窃視」するというシーンである。手前に小林桂樹を、そして奥に高峰秀子の縦の構図で撮られたこの「窃視」は、画面の奥にロングショットでその姿を伺わせている高峰秀子が、「まじまじと」夫の小林桂樹を見つめ続けている。このひとつの「裸の窃視」によって、画面に充満していたそれまでの夫婦間のモヤモヤが一気に晴れ上がったたような爽快な空気に包まれてしまう。その後、T字路をこちらへ向って歩いて来る二人は、それぞれの視線を気にしながらも決して見つめ合うこともなく、横並びのずれた視線のまま、歩き続けている。このように「ずれ」たままの視線によって撮られてゆくショットの積み重ねこそ、私をしてこの論文へと走らせた最大の出来事にほかならない。

★しかし、、、

しかしながら、今回もう一度この作品を見直してみると、この「窃視」26は、「裸の窃視」ではないようにも見える。仮に「裸の窃視」であるとしても、非常に「物語的窃視」寄りの「裸の窃視」というべきだろう。●「おかあさん」(1952)の「窃視」23で相撲を取る田中絹代、●「めし」のラストシーンの「窃視」⑲、●「お國と五平」(1952)の蚊帳の中での「窃視」⑪、これから検討する●「山の音」(1954)の新宿御苑での完璧な「窃視」29などを一方に置いたとき、「妻の心」の「窃視」26には、どうしても『薬屋の新装開店』という物語が引っかかる。親から受け継いだ薬屋を経営する小林桂樹は実家から独立したがっており、そうした点からこの作品の小林桂樹は最後まで親と同居しているものの、「自立すること」という成瀬的主題から遠い人物ではないのだが、こうした小林桂樹の欲望が、たまたま通りがかった商店街の『薬屋の新装開店』という出来事に重ねられており、ちょうどそこを通りがかった高峰秀子の視線はロングショットで確認できないにしても、次に挿入された『薬屋の新装開店』のショットを見ると、何やらそれは高峰秀子の見た目のショットとして撮られているようにも見えるのであり、すると高峰秀子の瞳は「羨ましそうに何かを見つめる夫」のみならず、その夫の姿と「新装開店の店」とを交互に捉えたことになる。するとこの高峰秀子の「窃視」26はモンタージュとしての意味合いを深めて行き「新装開店の薬屋を羨ましそうに見つめている夫を見つめる妻」という「物語」が押し出されてくるのである。見つめる対象が「そのもの」から「物語」への強度を強めてゆくのだ。事実、夫の小林桂樹を「まじまじと」見つめているはずの高峰秀子のショットはロングショットで撮られており、「まじまじと」という点が実はちっとも強調されてはいない。そうしてもう一度「裸の窃視」についてよく見てよく検討してみると、こうした「裸の窃視」の使い方は、●38「舞姫」(1951)の「窃視」⑯でも検討したように、「めし」以前の作品にはよく見られているのである。

7「女優と詩人」(1935)

成瀬が将来の妻である千葉早智子を初めて撮った「女優と詩人」を通じて「裸の窃視」の具体的態様を検討し、成瀬映画における「物語」から「反物語」への歴史を視線の観点からもう一度辿ってみたい。或る郊外における正月の住宅を舞台に、妻である女優の千葉早智子の収入で暮らす夫、宇留木浩の「主婦」ぶりを可笑しく描いた、成瀬トーキー第二作目の作品であるこの「女優と詩人」は、所謂「夫婦もの」の走りであり、倦怠期に近い夫婦のドタバタを撮った喜劇である。「窃視」④や⑤において、夫婦が「物語的窃視」や「負の窃視」を続けて行く様は「めし」と同じであり、隣の家の夫婦や若いカップルと対比させながら夫婦が撮られてゆく様は●「驟雨」(1956)とも通底している。しかしこの作品が「驟雨」と違い、「めし」と接近しているのは、これが夫婦間の「和解もの」であるという点である。もっとも「和解」の強度においては、「めし」よりも遥かに強く、果たして「和解」なるものが存在するかどうかも疑わしい「めし」に対して「女優と詩人」は『優柔不断であった宇留木浩が、居候の頼みをきっぱり断れるような強い主人になる、』という因果性の強い出来事が夫婦の「和解」をもたらしている。加えて千葉早智子と宇留木浩の夫婦は「言葉」という、非常に強い媒体を使って「和解」を遂げており、「窃視」⑧は、その「和解」をするきっかけとして撮られている。これは、夫婦の家に居候をさせてくれという藤原釜足の頼みを、家の主人として断っている宇留木浩の姿を、奥の間から妻の千葉早智子が「窃視」する、というシーンである。この⑧における千葉早智子の「窃視」は、その引き込まれたかのような「まじまじと」とした眼差しからして「裸の窃視」のようにも見える。だが「窃視」⑧において見られた出来事は、『優柔不断であった宇留木浩が、居候の頼みをきっぱり断れるような強い主人になる、』という「物語」に支配されており、「物語的窃視」へとやや寄りかかっている。そしてこの「窃視」⑧が原因となり、その直後に夫婦は言葉によって「和解」を遂げている。

8「妻よ薔薇のやうに」(1935)

この作品では終盤、娘の千葉早智子が、父親の妾である英百合子と「和解」するシーンがある。その直前、千葉早智子は、英百合子を二度に亘って「裸の窃視」している(⑤⑥)。この「窃視」について第一回の論文でなされた検討は、それが「裸の窃視」であり、「過剰」性を帯びているという点についてであった。それは●39「めし」(1951)における「裸の窃視」⑲と変わることのない「なまもの」の露呈としての「過剰」性を露呈させており、特に⑥における英百合子の「背中」という部位は、通常「和解」という運動を引き起こす社会的な意味を有しておらず、●7「女優と詩人」(1935)の「窃視」⑧と比べても物語的要素は希薄である。だが「裸の窃視」を、物語の流れの中で観察してみた時、「妻よ薔薇のやうに」の「裸の窃視」⑤と⑥は、それ自身として「過剰」であると同時に、その後に継起する英百合子との「和解」という「物語」の鎖の中へと同時に収束されている。例えば「窃視」⑥は、『「窃視」をし、だから和解した』というように、「窃視」がそれ自身として「過剰」でありながら、すぐさま直後に惹起する「和解すること」という物語の中へ取り込まれてしまい、「過剰」性のエネルギーを少しばかり吸い取られてしまっている。「裸の窃視」が、「和解すること」という「物語」を継起させるきっかけとして使われているのである。こうした性向は先ほど検討した●38「舞姫」(1951)のラストシーンに似通っている。それに対して、「めし」の「裸の窃視」⑰⑱⑲、中でも特に⑲は、その後に継起する「物語」を持っていない。映画は「裸の窃視」⑲のあと、何らの「物語」を継起することなく、そのまま終わってしまっているのである。そのために「裸の窃視」⑲は、画面の中に突如浮かび上がった「終」の文字につんのめって逆流し、細部が四方八方へと拡散しながらその「過剰」性を遡及的に撒き散らすのである。

★「めし」以降に④→③→②→①

当論文は、成瀬映画の視線における「後退期」を、●「桃中軒雲右衛門」(1936)から●「舞姫」(1951)までと設定し検討をしてきたが、成瀬映画が「裸の窃視」をエモーショナルなものとしてしっかりと掌中にしたのは「桃中軒雲右衛門」以前ではなく、「めし」以降なのである。「桃中軒雲右衛門」以前の作品は、確かに「裸の窃視」を使った映画=なまの映画へと接近を遂げていたのだが、それでも物語の強度において「反物語」といえるまでの逆流は極めておらず、それは素晴らしいあの●「まごゝろ」(1939)でさえ、高田稔と村瀬幸子との「面と向った対話による和解」という部分においては極めて強い「物語」に支配されてもいたように、「物語を語ること」から自由になりきれてはいない。「人物の変貌」という観点から見ても、●「生さぬ仲」(1932)では、育ての親(筑波雪子)から実の娘を奪い取った生みの母(岡田嘉子)が改心し、●「君と別れて」(1933)においては不良の磯野秋雄が改心し、●「限りなき舗道」(1934)では気弱な嫁(忍節子)が姑と対決し、●「女優と詩人」(1935)においては気弱な夫(宇留木浩)がきっぱりと居候を断れる人間になるというように、「めし」以降においては決して見ることのできない、極めて強い「主体性」の中で映画は撮られている。ただ「後退期」と「第一期」との違いは、前者の「物語」が、面と向った対話によっていきなり成立してしまう傾向を持ち始めたのに対して、後者の「物語」には、それが成立する以前に「ずれ」が生じていたという点である。それについては前回の第二章のⅣにおいて、成瀬映画の基本的な性質として検討したが、そこに付け加えるならば、「めし」以降においては、それ以前の「第一期」に比してより「ずれ」の傾向が激しさを増し、「裸の窃視」がより強い強度によって「物語」から離脱して行ったという事実である。そうしたことの兆候が、ラストシーンに出現する「裸の窃視」として現れ、さらにまた、「まじまじと」人間を見つめる演出に現れている。ラストシーンに出現する「裸の窃視」は、映画の流れが反物語的であることを徴表し、「まじまじと」見つめられる瞳は、人間が「物語」ではなく「そのもの」として捉えられていることを露呈させている。そのどちらもが、映画の基底が④→③→②→①と流れていてこそ可能となる。重要なのはあくまでも映画の性向が④→③→②→①の流れを獲得したことであり、「裸の窃視」はそのひとつの象徴に過ぎない。逆に言うならば「裸の窃視」を観察すれば、その作品の物語的な強度が現れてくる。「めし」以前の作品は、基本的な映画の流れが未だ①→②→③→④と④→③→②→①とのあいだを彷徨っているが故に、●8「妻よ薔薇のやうに」や●38「舞姫」(1951)における「裸の窃視」のように、趣旨としては「裸の窃視」として撮っているつもりが、知らず知らずの内に次なる物語を契機させる手段として現れてしまうことが間々あるのだ。そうした点からして「妻の心」の「窃視」26は、確かに「めし」以前の名残らしきものを感じさせるものであり、よくよく見てみると、「物語」へと従属する度合いがやや強く、したがってまたそうしたことも、作品の強度に影響を与えているように見える。そもそも成瀬映画において、それまでは決して「裸の窃視」をなしうることのできなかった者が、映画の中途でそれを為し得るようになるためには、「瞳の成長物語」としての「身体性」の変貌が生じなければならない。●41「おかあさん」(1952)という作品が、香川京子の「瞳の成長物語」としてあり得るのは、香川京子が1年という年月のあいだに、父や兄の死、妹との別れなど、様々なことを体験し、見つめることによって、少しずつその瞳の力=「身体性」を変化させてゆく過程を丹念に描いたからであり、●42「稲妻」(1952)の高峰秀子が、映画の終盤になってやっと素直に「裸の窃視」によって人間を見つめることができるようになったのは、それまでの辛気臭い家を出て、世田谷の下宿へと自立をし、そこで突如まったき「白」に包まれた香川京子という爽やかな「他者」と巡り合い、異質の世界の人間たちを知ったことでその「身体性」を変貌させたからに他ならない。●39「めし」(1951)の場合、それまでは倦怠期の夫婦の「身体性」によって夫を「物語」でしか見つめることのできなかった原節子の瞳が、映画終盤、「裸の窃視」をなしうる瞳へと成長していったのは、家を出て、実家で冷遇され、道行くカップルや戦争未亡人の姿に不安を募らせ、そこへ突然の晴れ間が見事なマクガフィンとして差しこんできて、夫の上原謙が爽やかな「白」で立ち現れたことで原節子の「身体性」が変化したからに他ならず、後に検討する●48「浮雲」(1955)において、それまでは決して高峰秀子を「裸の窃視」せず、岡田茉莉子との「浮気」に走っていた森雅之が、最後の最後になって高峰秀子を「まじまじと」見つめることができたのは、森雅之の「身体性」からではなく、それまでは「防御する身体」としてあった高峰秀子の「身体性」が、病気という事態によって少しずつ「無防備な身体」へと変貌してゆき、その結果として「見つめること」を余儀なくされた森雅之の「身体性」が、連動して変化してゆくという見事な細部の流れがあったからである。これらの作品群の素晴らしさは、まったき細部の美的連動に依っているのである。それに対して「妻の心」の高峰秀子の場合、「身体性」の変貌の描き方が弱い。A小林桂樹の浮気がばれて、夜、裏庭で高峰秀子は小林桂樹をなじり、小林桂樹は謝罪する。B次の日、高峰秀子は実家に寄って母の顔を見て、Cその後、親友の杉葉子の家へ行って話をし、Dその帰り際に薬局の前で小林桂樹と出くわして「窃視」26を迎えることになる。成瀬としては、ACへの流れの中で、高峰秀子の「身体性」の変化を描こうとしたはずである。杉葉子の家へと入る時には、まるで●「稲妻」の世田谷の下宿に聞こえてきたような爽やかなピアノ曲が流れてくることから、成瀬としてはこの三船敏郎・杉葉子兄妹を、「稲妻」における香川京子と根上淳兄妹となぞられて撮ったようにも見える。だが「浮気」という禁断の関係が生じている三船敏郎を、およそあの世田谷の兄妹のような「爽やかさ」になぞらえることはできず、仮にこの兄妹を「稲妻」と同じように羨望の対象としての「他者」であると見てもまた、ACへの流れだけで高峰秀子の「身体性」が変化したというのは細部として弱すぎる。「裸の窃視」という細部が他の細部と連動せず、その場限りなのだ。この「細部がその場限り」という現象こそ、これから検討をする「60年代」の第二次「後退期」の作品に現れてくる典型的な事態であり、それはまさに④→③→②→①という画面の力が、①→②→③→④へと吸引されてゆく過程に起こった「後退」として立ち現われてくる。

★スター映画

そもそもこのこの「妻の心」という作品は、次に撮られた●52「流れる」(1956)を先取りした「スター映画」の萌芽としての要素を秘めている。詳しくは第二次「後退期」のところで検討をするが、「スター映画」に共通しているのは、「居座り組」が存在することで登場人物が多くなること、そうして家が辛気臭くなったにも拘わらず、主人公が家を出ないことである。「妻の心」の高峰秀子・小林桂樹夫婦は、兄夫婦(中北千枝子・千秋実)という「通風性」に翻弄されながら「家を出る」ことをしようとしない。逆にいたたまれなくなった兄夫婦の方が最後は「家を出て」しまうのであり、結果として主人公たちが「通風性」になってしまっている。この映画は良く見てみると、運動の構造が明らかに弛緩している。成瀬映画の細部の鼓動は、「通風性」→「家を出る」という「不可抗力」の運動から始まるのであり、「家を出ないこと」は致命的な運動の停滞をもたらしてしまう。そうした「後退」をもたらすものとは決まって映画の「外部」の事情である。戦争、左翼化、右翼化、そうした映画の「外部」の現象が成瀬映画の細部に与えてきた影響についてこれまで検討を続けてきたが、今度はここに「興業」という新たな「外部」=「俗」が侵入してくる。これが「60年代問題」である。「スター映画」は「興業」という「外部」の力が要請するジャンルであり、その萌芽的なものを秘めたこの「妻の心」の細部が、今一つ連動してゆかないのは、そうした「外部」の足音がジワリと聞こえてきたからという可能性を棄て去ることはできない。おそらく成瀬は「窃視」26を「裸の窃視」に近い感覚で演出したつもりなのだろう。だが「窃視」の態様は、物語の強度によって大きく影響される。作り手の意識が、環境が、「物語を語ること」=「外部」に傾くとき、「裸の窃視」すら「物語」の鎖の中へと取り込まれてしまう。本来「裸の窃視」であるべきシーンにおいて込められてしまった「新装開店の薬屋を羨ましそうに見ている」という物語は、その一見何の変哲もない出来事のようでありながら、何やら妖しい雲行きが成瀬映画に立ち込めているようでもある。

★「裸の窃視」がラスシーンに

ここでもう一度、ラストシーン、ないしそれに準ずるシークエンスが「裸の窃視」で終わる作品を挙げてみたい。

「朝の並木道」(1936)「鶴八鶴次郎」(1938)「歌行燈」(1943)「芝居道」(1944)「白い野獣」(1950)「めし」(1951)「おかあさん」(1952)「山の音」(1954)「晩菊」(1954)「浮雲」(1955)「流れる」(1956)「娘・妻・母」(1960)

やはりこれはただ事ではない。「めし」以前の作品においては、「裸の窃視」の趣旨が今一つ物語からの自由を束縛されているのに対して、「めし」以降の「第三期」におけるそれは、極めて抒情的であり、よりはっきりとした「裸の窃視」の形において「まじまじと」撮られている。「第二次後退期」において撮られた●「娘・妻・母」の「窃視」⑯が、ロングショットで撮られたオブジェクト色を拭いきれないのに対して、「黄金期」、その中でも「めし」、「おかあさん」、「流れる」、そして後に検討をすることになる「山の音」と「浮雲」の四本は、みごとな逆流の渦の中で「まじまじと」出現している。映画全体の人格が、「裸の窃視」をそれとして受け容れるしなやかさに満ち溢れたものへと変貌したとき、決して次なる物語を継起させないラストシーンに「裸の窃視」がふと画面の中に抒情的に入り込んでくる。「裸の窃視」は成瀬的「反物語」的映画人格④→③→②→①を追認する。それを得た作品こそ「めし」なのだ。

★「裸の窃視」の存在しない映画

だが、「めし」以降の成瀬映画には、「裸の窃視」の存在しない作品が幾つか存在する。「夫婦もの」として撮られた中での「夫婦」(1953) 「妻」(1953) 「驟雨」(1956) 「杏っ子」(1958)といった作品である。そもそも「夫婦もの」とは「倦怠期もの」であり、その生活は疑念と退廃に犯された偽善空間である。よって夫の目も妻の目も、相手の「物語を読むこと」に終始しており、決して相手を「そのもの」として見つめることのできる「身体性」を有してはいない。夫婦の眼差しには「物語」という先入観の色眼鏡が掛けられているのである。従って夫婦のあいだに飛び交う「窃視」もまた、「物語的窃視」なり「負の窃視」なりに支配され、倦怠期のあいだにおいては間違っても「裸の窃視」がなされることはない。「夫婦もの」に「裸の窃視」が存在しないのは異常ではなく、常態である。「めし」において夫婦のあいだに存在した4箇所も存在した⑯から⑲までの「裸の窃視」は、あくまでも倦怠期を脱する瞬間の例外的な事態としてあり(51「妻の心」(1956)の「窃視」26もまたこれが「裸の窃視」ならばそういうことになる)、「めし」以降に撮られた「夫婦もの」においては、倦怠期を脱する事態はなくなり、「裸の窃視」は撮られなくなってゆく。●「夫婦」(1953)●「妻」(1953)●「山の音」(1954)●「女同士(くちづけ第三話)(1955)●「驟雨」(1956)56「妻の心」(1956)●「杏っ子」(1958)と続く「夫婦もの」の中で、夫婦間に「裸の窃視」が存在するのは「妻の心」の「窃視」26しか存在せず、「山の音」もまた後述するようにその「裸の窃視」は夫婦間ではなく妻と義父との関係において現れる特異な作品であり、●54「杏っ子」においては序盤、木村功から香川京子への「裸の窃視」が存在するものの、それはあくまでも結婚前()か、新婚初夜()になされたものであって、二人の夫婦生活が始まって以降、夫婦のあいだには決して「裸の窃視」は存在していない。「めし」以降の「夫婦もの」において存在する「裸の窃視」は、基本的に夫婦の外部の者たちへ向けられたものであり、●43「夫婦」(1953)においては「裸の窃視」⑥と⑮によって下宿人の三國連太郎と彼を慕う田代百合子とのあいだに「ラブストーリー」が成立し、●「妻」(1953)においては、「窃視」⑤と⑪において、上原謙の浮気の相手である丹阿弥谷津子がそれぞれ上原謙を「裸の窃視」しているものの、主人公たる夫婦のあいだにはまったく「裸の窃視」は存在せず、短編の●49「女同士(くちづけ第三話)(1955)、そして●50「驟雨」(1956)に至っては「裸の窃視」は存在すらしていない。成瀬巳喜男が撮る夫婦生活とはイコール倦怠期であり、したがってそこには必然的に「裸の窃視」は不在となる。

44「妻」(1953)

「夫婦もの」のひとつ、「妻」をみていきたい。この作品は「めし」(1951)「夫婦」(1953)に続いて撮られた「夫婦もの」第三弾であり、結婚十年目の夫婦を描いた「倦怠期もの」である。まずもって「夫婦もの」の「窃視」は非常に見分けづらい。「夫婦もの」とは、倦怠期の夫婦の生活を描いた作品であるがゆえに、彼らは多くの場合「しらばっくれている」。これがやっかいである。例えば作品の冒頭、出勤のため玄関で靴を履き家を出て行く上原謙を高峰三枝子が廊下の奥から無言で見送るシーンがあるのだが、これが「窃視」かどうかは極めて微妙である。上原謙は、「見られている事を知らない者」ではなく、「見られていることを知っていながらしらばっくれている者」である可能性が高いのである。成瀬の「夫婦もの」とは倦怠期ものであり、何年も一緒に生活を共にしているところから映画は始まる。この「妻」はその中でも何と結婚十年目の倦怠期のプロであり、彼らは酸いも甘いも、互いに相手の行動パターンを知り尽くしている。そうなると、玄関を出て行く上原謙は、背後から高峰三枝子が見ていることくらい「お見通し=見られていることを知っている」ということくらい大いに有り得る。それでいながらしらばっくれているのだ。そうするとこれは「窃視」ではないことになる。だからこそ「夫婦もの」の「窃視」は、非常に見分けが難しい。そして成瀬は、そういうこともすべて計算して撮っているようなところがある。なかでも「夫婦もの」の中でも最長の、結婚10年目であるこの「妻」における「窃視」は、他の「夫婦もの」に比べても、①や⑰など、非常に微妙なものが多い。成瀬のことであるから、結婚年数によって「窃視」の強度を変化させていたとしても驚くには値しないだろう。

★なにも起こらない

夫の上原謙は4回「窃視」し、6回「窃視」されており、妻の高峰三枝子は6回「窃視」していながら1回しか「窃視」されていない。すると一見、高峰三枝子の「見つめる映画」のようにも見えるが、だがこの作品の高峰三枝子には、「見つめる映画」に特有の、「防御する身体」としての慎ましやかさがない。そもそもこの妻は、眠ろうとしている夫の傍でせんべいを「ボリボリ!」音を出して食べて睡眠を妨害してみたり、食後に夫の目の前で箸を爪楊枝代わりにして歯を掃除しそのあと湯飲みでぐちゅぐちゅ口の中をゆすいでしまうような無神経な、というよりも、まさに倦怠期の妻なのである。そうした妻の「無防備さ」が倦怠期を現し、またそうした姿を夫の上原謙は露骨に嫌な顔をして幾度も見つめてはいるものの、先に指摘したように、この場合、その妻をして「無防備な身体」とし、それを上原謙の「窃視」とするにも今ひとつ躊躇する。妻もまた見られていることを知りながらも「しらばっくれている」ことは大いにあり得るからである。どちらにせよこうした「身体性」とは、「防御する身体」と「無防備な身体」とに割り切れてしまうようなものではない。●「めし」(1951)以降、●「お國と五平」(1952)●「おかあさん」(1952)●「稲妻」(1952)と、四作続けて「身体性」の変化を「裸の窃視」をドラマチックに配備することで「わかりやすく」演出をしてきた成瀬が、ドラマチックな「裸の窃視」ではなく、「窃視」とも「窃視」でないともとれるような淡々とした「物語的窃視」をつないでゆくことで倦怠期の夫婦を撮っている。それでいながら映画には「通風性」「内的性格」「不可抗力」「窃視」といった成瀬的細部がしっかりと配備され、かといってひとつひとつの細部がそれだけで突出しないようなゆるやかな完成度を誇っている。「妻」には「夫婦」同様、夫婦間に「裸の窃視」はひとつも存在せず、「裸の窃視」は夫の上原謙の浮気相手である丹阿弥谷津子から上原謙へと向けられた⑤と⑪に限られている。従ってまた「防御する身体」から「無防備な身体」へという「身体性」の変貌というドラマも不在となり、当然ながら主人公のあいだには「ラブストーリー」のようなエモーションも存在せず、映画は平坦さを増してゆくことになる。こうして成瀬映画は「ないない映画」の度合いをさらに強めていき、細部はさらに繊細に不可視化されてゆくことになる。④→③→②→①の流れによって裏づけされた細部の数々がさり気なく露呈することで、映画は質的運動を芳醇にしたためながらも平坦さを装いしなやかに進んでゆくのである。「夫婦もの」ではないものの、「妻」の次の作品である●45「あにいもうと」(1953)における京マチ子の「防御する身体」から「無防備な身体」への「身体性」の変貌において決定的な「窃視」21が、「裸の窃視」ではなく「負の窃視」であったという点にもまた、まさに成瀬映画がこの時期において極限の「平坦さ」を獲得していたことを指し示している。あらゆる細部が④→③→②→①のゆるやかな逆流を極めるとき、「窃視」の一類型である「裸の窃視」は映画の流れのなかへと解消され消し去られてゆく。そうした点でこの「第三期」とは、「裸の窃視」をさらなる密度によって作品全体の流れのなかへとしなやかに放出させていった時期とも言える。

★はしっこへ

成瀬映画とは「関係」の映画である。「関係」の映画とは「主体的」な映画と対するものであり、「内的な」人物たちがそれぞれの「身体性」に依拠した眼差しによって相手を「窃視」しながら人間関係をそのものとして露呈させてゆくコミュニケーションの流れである。そこで繰り広げられる運動は、確固たる主体の意志運動による「解決」や「決定」ではなく、「不可抗力」による跳梁そのものであり、投げかけられる人々の眼差しは、空を見上げるローアングルや極端な俯瞰などの一神教的アングルではなく、ゆるやかな眼差しとして水平に向けられた多神教的アングルである。それに従って装置も確固として聳え立つオブジェクトではなく、水平に開かれた「通風性」へと解き放たれてゆく。環境としての細部は決してそれだけで突出せず、細部相互のしなやかな流動的関係によって人々に影響を与えてゆく。このようにして成瀬映画を「関係」の映画であるとしたとき、「夫婦もの」という物語の流れは、見事に「関係」の映画としての成瀬映画にマッチしている。「夫婦もの」は、結婚式、死別といったドラマチックな物語ではなく、いきなり倦怠期から始まる。ドラマチックな出来事など起こりそうもない倦怠期の夫婦のさりげない生活の描写で始まり、そのまま終わる。「めし」は結婚5年目、「夫婦」は結婚6年目、「妻」10年、「驟雨」4年、「妻の心」5年、「杏っ子」は映画が昭和22年から始まり、結婚式は省略され、結婚後はいきなり昭和25年になっているので結婚3年目、短編の「女同士(くちづけ第三話)(1955)は言明されていないもののも、少なくとも新婚期ではなく、最低でも3年ほどは経っていると見える。結婚式や葬式といったドラマチックな物語=「はしっこ」ではなく、「過程」=「なか」が撮られる、それが「夫婦もの」である。構造的細部としての「関係」の映画を突き詰めていったとき、物語もまた「はしっこ」ではなく「なか」に辿り着く。「なか」=「なにも起こらない物語」は、細部としての「内的」な人物像と見事に溶け合い、「不可抗力」「通風性」「窃視」といった成瀬的細部と戯れながら、有機的な運動を起動させるのだ。

★「心理的ほんとうらしさ」

私は第一回目の成瀬論文において

『成瀬が撮りたいものは、「結婚」という「制度」ではなく、「外部へ出ること」という剥き出しの出来事である。それが故に「家を出ること」さえ描いてしまえば、制度としての「結婚」というイベントを描く必要は無い。「結婚すること」はマクガフィンに過ぎないのである。成瀬映画における「結婚式の省略」という演出は、こうした成瀬映画の性質から見たならば、当然の演出と言える。逆に言うならば、成瀬映画で「結婚式」が儀式として撮られた作品=●「女の歴史」(1963)は、成瀬映画の「後退」の問題を提示することになるかも知れない。』と書いた。

ここで私は、成瀬映画の「結婚すること」という出来事が、「結婚をするために家を出る」のではなく「家を出るために結婚する」のであるというマクガフィン性を有することについて書いたのであるが、同時にそれは、成瀬映画において描かれている出来事とは「なか」であり「はしっこ」ではないことを意味している。この点について論文「心理的ほんとうらしさと映画史」において、黒沢清監督の作品における編集について検討したが、黒沢清の映画には行動の「動機」とか「理由」の部分がすべて編集でカットされてしまっており、映画の中には行動の「最中」しか出てこない。それを称して私は黒沢清の映画を「もなか(最中)」と名づけたのだが、黒沢清の映画には「動機」や「理由」=「心理的ほんとうらしさ」が存在しない。「意志=ほんとう」の部分が悉くカットされているのだ。その黒沢清が、数多くの「窃視」によって画面が埋め尽くされている●「トウキョウソナタ」(2008)という倦怠期の「夫婦もの」を撮ったというのもあながち偶然とは言えない映画史の魔であるが、黒沢清の映画に「心理的ほんとうらしさ」がないということはそれ自体、彼の映画がマクガフィン的回路によって撮られていることを指し示している。マクガフィンは運動を「起動させる」ための方便である、ということは、運動の「動機」や「理由」を排除して「不可抗力」による運動を惹起させることを意味しており、それはまさしく「心理的ほんとうらしさ」の排除と重なる「はしっこ」の不在となって現れる。「めし」以降、一気に「夫婦もの」が増えていったのは、成瀬映画が「後退期」における「はしっこ」から、「なか=過程」へと変化を遂げたひとつの証でもあり、以降、遺作の●「乱れ雲」(1967)に至るまで、その流れは基本的には変わってはいない。人物が「主体的」でないから物語は「なか」になるのか、それとも物語が「なか」だから、人物は「反主体的」なのか、そうした堂々巡りの問いかけを延々ともたらす成瀬映画は「過剰」であり「ナマモノ」であり、「はだか」となって、必然的に物語としての「夫婦もの」を呼び寄せてしまう。「めし」以降立て続けに撮られていった「夫婦もの」というひとつのジャンルは、成瀬映画の有様が④→③→②→①という、ある種の究極形へと接近していったことを意味している。細部としての「過剰」を、「物語」へのカウンターとして当てることをその性向とする成瀬巳喜男の映画が、「心理的ほんとうらしさ」を拒絶した「なか」の物語であるところの「夫婦もの」へと行き着いたことはある種の必然であり、それはまさに時代の間隙がもたらした一瞬のユートピアとしての許されざる物語なのだ。

1953

「めし」におけるラストシーンの「裸の窃視」で劇的な幕を開けた「第三期」において、短編の●「女同士(くちづけ第三話)(1955)を含めて●「夫婦」(1953)、●「妻」(1953)、●「あにいもうと」(1953)、●「晩菊」(1954)「驟雨」(1956)、●「妻の心」(1956)「杏っ子」(1958)と、主人公のあいだにおいて「裸の窃視」が存在しない作品が8本あり(「杏っ子」においては結婚後を軸とする場合。「妻の心」については「窃視」26を「裸の窃視」とは取らない場合)、そのうちの6本が「夫婦もの」であり、さらにその中の3本が1953年に撮られている(「夫婦」「妻」「あにいもうと」)。ただひたすら「なか」でありさえすれば、映画が「映画」として撮れてしまった幸福な時代=ユートピアが成瀬にとっての「1953」である。その中でも最初から最後まで「物語的窃視」によって貫かれ、映画の途中で「身体性」が変化するような劇的なエモーションの生じない「夫婦もの」はその象徴としてある。ここで「身体性」が変化しないことは「関係」の不在を意味しているのではない。「身体性が変化しない」ことそれ自体が「身体性」であり、そこには紛れもなく眼差しによって直撃される「身体」の凝縮された「関係」の在り方が存在している。「変化しないこと(あるいは「揺れ」そののものの強度が弱いこと)」が=「身体性」そのものとして露呈するのだ。さらにまた「夫婦もの」の「身体性」は、倦怠期による「しらばっくれ」によって「防御する身体」と「無防備な身体」とのあいだを不確かに彷徨い、曖昧な身体そのものが倦怠期という弛緩した空気を露呈させることに一役買っている。究極の不在と究極の不確かさによって細微に揺れる映画を撮り得た時代、「理由のないこと」「主体性のないこと」「解決しないこと」「意志しないこと」、、、極限まで研ぎ澄まされて過剰なものを濾過した「~ないこと」が、さらに加えて「身体の変貌しないこと」「裸の窃視のないこと」を得てとことんまで不可視化し、「~ないこと」であるからこそ産み出すことのできる自己生成的な、絶えず増殖しては変化を遂げ続ける回帰的運動としての「起源」=「過剰」を生成したのである。そしてまた、この「1953」を起点にして成瀬映画は、少しずつまたエモーショナルな運動へと波動してゆく。そうして生み出されたのが●39「めし」(1951)40「お國と五平」(1952)41「おかあさん」(1952)42「稲妻」(1952)といった「1953以前」の作品と、●46「山の音」(1954)48「浮雲」(1955)52「流れる」(1956)といった、「1953以降」の作品である。これらの作品こそ我々がまず成瀬映画において連想するところのエモーショナルな「傑作」であり、それは「裸の窃視」という「過剰」を④→③→②→①の逆流の坩堝で炸裂させながら「1953」というユートピアの周辺をくるくると回り続ける衛星であり「不純物」である。1953年といえば「映画の敵」であるテレビ放映が開始された年であり、その後テレビの寵児となって日本全国をテレビの前に釘付けにした力道山が「日本プロレスリング協会」を立ち上げた年でもある。その1953年前後をひとつの「ピーク」として、そこから少しずつ成瀬映画は「不純化」してゆく。「傑作」としての「めし」や「お國と五平」、「おかあさん」といった「ピーク」の直前に撮られた作品は、より初々しく画面を揺らし、「山の音」、「浮雲」、「流れる」、「あらくれ」といった「ピーク」を少し越えた時期に撮られた「傑作」は、洗練された完成度を隠そうとはない。「ピーク」とは、ある一定の範囲に波及する現象であり、すべての現象が厳密に「ピーク」期に露呈するものでもない。映画も人間や陶器、そして果実と同じように、熟れる直前の未完成の時期や、あるいは少し寝かせて枯れてきたあたりにいい味のものが出てくる。イチローが262本の年間最多安打を打ったのは31歳である。

★「第三期」とは

39「めし」(1951)から54「杏っ子」(1958)までの7年間における成瀬映画の「第三期」は、「1953」をひとつ「ピーク」とした、「ないない映画を」撮ることのできた完成期であり、それは「めし」という「夫婦もの」で始まり、「杏っ子」という「夫婦もの」で終っている。だが「杏っ子」は興業的に失敗に終わり、いよいよ成瀬映画に「1960年代」の風が吹き込んでくる。

第二章 第二次後退期

■Ⅰ社会映画に「逃げる」

55「鰯雲」(1958)

幸福な7年間を体験した成瀬映画は、「鰯雲」に至って再び細部の鼓動に変調が見られ始める。第一期の「後退期」に成瀬映画を苦しめていた硬直化が再びここで出現し始めるのである。成瀬巳喜男の初めてのカラー映画であり、初めてのワイドクリーン、初めて脚本家の橋本忍と組み、成瀬映画最長の129分という、初めてづくしの映画であるこの作品は、戦争未亡人、淡島千影と木村功との不倫関係を所々に挿入しながら、それまでの農家の因習を家長として受け容れてきた中村雁治郎が、少しずつ時代の変遷に流されて行く様を描いている。まず登場人物が多く且つ錯綜している。淡島千影、その姑が飯田蝶子、本家の兄、中村雁治郎、その妻、清川虹子、その息子が小林桂樹、太刀川洋一、大塚国夫。中村雁治郎の元妻が杉村春子、その娘で小林桂樹の嫁になるのが司葉子(その司葉子の名が同年ご成婚された美智子様の「ミチコ」というおまけつき)。分家に織田政雄と賀原夏子の夫婦、その娘に水野久美、淡島千影の恋人が木村功。淡島千影の親友で料理屋を経営しているのが新珠三千代、、、というように、とにかく登場人物が多く、かつ血縁関係が錯綜している。

★「ラブストーリー」、「古い者物語」、、、

「窃視」を見てみると、淡島千影が8回「窃視」していることから、淡島千影の「見つめる映画」に見えなくもない。だが淡島千影は2回「窃視」され、その中の④によって木村功との「相互窃視」が成立し、従ってこれは「ラブストーリー」としても成立している。「見つめる映画」とはひたすら「防御する身体」が孤独に見つめ続ける映画であることからするならば、簡単に「裸の窃視」をされてしまう淡島千影の身体は、孤独な身体としての「防御する身体」からは遠い。しかしまたこの作品では「古い者」である中村雁治郎が5回「窃視」され、その中の⑭と⑮が淡島千影による「裸の窃視」であることからして、「古い者」がひたすら見つめられる「古い者物語」とも言えそうである。のちに検討する「スター映画」としての人物過多の傾向を帯びたこの作品は、テーマを絞り込めずに猥雑化している。序盤の旅館から、淡島千影と木村功のあいだに頻発する「裸の窃視」は、それが余りにも無防備に過ぎ、●「娘・妻・母」(1960)の原節子と仲代達矢との相互関係のように、俗っぽく、その場限りの演出に終始している。「身体性」に微妙な揺れがなく、人々の関係にしなやかさが欠けている。さらにまた「娘・妻・母」の原節子と仲代達矢とのアパートでの情事と同じように、淡島千影と木村功の度重なる逢引がすべて「意志による密室」によって作られていることもまた、抒情的なるものから遠ざかってゆく。意識的にか無意識的にか、成瀬自身が人物に共感を抱いていないのである。

★社会問題

カラー、ワイドクリーン、129分という長尺、ここで初めて組んだ脚本家が「社会派」といわれる橋本忍であり、ここに農地改革後の戦後農家の生き様という「社会問題」が取り上げられている。画面の運動ではなく、画面の「背後」にある「本質」を要求する、それが「社会映画」の特質である。この映画が撮られた1958年は、映画人口が11億人(現在は16千万人)となって映画史上のピークを迎えた年であるが、逆に言えば映画界は下り坂に差し掛かっており、このあたりから東宝の、あるいは日本映画全体の興業優先の姿勢が加速して行くことになるのは当然といえば当然の流れでもあり、●「あらくれ」(1957)●「杏っ子」(1958)と続けて興行的な失敗に終わった成瀬に対する興業的なプレッシャーは大きかったと言われている。前作の「杏っ子」が、香川京子、木村功、山村聡の、ほぼ三人で進められていたのに対して、この作品における人物の果てしなき錯綜は、質よりも量を好むところの興業の圧力がいかに大きいものであったかを物語っている。戦前、戦後に、戦意高揚の観点から成瀬映画を苦しめた「社会性」の波が、ここへきて今度は「日本映画の斜陽」という新たな問題と共に再び成瀬映画を襲い始めている。終盤、淡島千影の小林桂樹に対するこうした台詞がある。

『でもね、兄さん(中村雁治郎)は、あんたたち(小林桂樹や太刀川洋一、大塚国夫等)に押しまくられても突き飛ばされてもしていないわ。今の時代のネ、一番強い風に向って立ってくのは、あんたたちより、むしろ兄さんかも知れないわ、、』

「第三期」の成瀬は基本的にこうした隠喩なり比喩めいた台詞を使っていない。「関係」の強度によってコミュニケーションを紡いでゆく成瀬映画において、こうした理屈っぽい台詞は人物たちに「主体性」を付与してしまい、運動を停滞させることになるからである。しゃべっている淡島千影もまた、セリフがまどろっこしくてスラリと口から出て来ず、思い出しながらしゃべっているようなところがある。セリフが「理屈」への力を強めているがために役者の「身体」のなかに運動として入って行かないのである。

嫁に来る司葉子が、嫁入り道具としてミシンを持って来るかどうについての淡島千影と中村雁治郎との会話において淡島千影はこう答えている。

『持って来るか来ないかなんて相手から聞かれると、誰だって持ってきてくれって請求されるような意味に取るんじゃない?』、、、

確かに淡島千影の台詞は聞いている我々としても大いに納得できる台詞であり、うんうん、と思わず相槌を打ちたくなってしまうほど共感できてしまう内容ではあるのだが、だからこそ、この台詞は我々の「外部」の体験との整合(辻褄合わせ)を要求しており、理屈っぽい。「社会派映画」というのは常時こうして映画の「外部」の出来事との融合=共感を求めてくる。我々は、我々の身の回りにある出来事を画面の中から読み込んでは共感し、納得する、それが「社会映画」の大きな特質である。淡島千影の一見何の変哲もない台詞だが、「第三期」の台詞の質とは決定的に違っている。成瀬が台本にキッチリ絡んでいたならば、まず間違いなくこうした言い回しは削除したと思われることからして、この時期になって成瀬の、台本への介入に対する何かしらの変化が生じてきたのではないかという推測が働いてくる。それまでの1ショット平均が●「驟雨」7.7秒●「流れる」8.4秒●「あらくれ」8.8秒●「杏っ子」7.2秒と来ていたのが、この「鰯雲」になって急に10秒になる、というのは、第一にはワイドスクリーンの影響かと思われるが(ワイドスクリーンが使われ始めた当時、ハリウッド映画ではショット数が急減するという現象が起きている)、台詞の増加もまた、こうした変化を助長している。社会的作品というものは、そもそもが「社会に向けられたメッセージ」という「思想の中身」が重視されがちとなり、従って人物たちにははっきりと意見を持った硬質なものとなり、映画は「分かりやすく」なり、「外部」の体験との共感が重視され、その結果、きめ細やかな「内部」の細部の運動が減退し、代わりに台詞が増加し、「言葉の中身」が重視されることとなる。それによって我々は画面を見ることではなく、「言葉の中身」を聞くことによって画面の「背後」にある「本質」を概念として感じ取り、それに対して共感をすることをして「映画を見た」とする傾向を強めていく。撮ることによっても見ることによっても細部は起動しなくなり、映画は「小説」に取って代わられる。批評もまた画面を「見ること」ではなく、「読むこと」によって「外部」との整合が重視されるようになる。すると「外部」の知識が豊富な知識人なりインテリが批評の読解権を独占することになるという流れである。

★出来すぎた「窃視」

この作品の中で唯一の抒情性を醸し出したといえる「窃視」は⑮である。長年守り通してきた先祖代々伝わる土地を売り渡すことになった中村雁治郎は、縁側に座りながら、加東大介の持って来た契約書をじっと見つめている。大切な土地売却の契約書を見つめる中村雁治郎に対して、契約書への「集中」が生じていることは言うまでもない。中村雁治郎は放心状態で契約書をじっと見ている。ここで妹である淡島千景は立ち上がり、部屋の奥の暗がりあたりへと場所を移し、わざわざ正座をして座り、兄の姿を「窃視」している。淡島千影がその瞳を中村雁治郎へ向けるショットが入り、次に淡島千影の主観のショットで契約書に集中している中村雁治郎のショットが入る、完璧な「窃視」のモンタージュである。だがこの「窃視」は、いかにも、さも、という流れで入ってくる。成瀬映画の抒情的な「裸の窃視」とは、香川京子が上り框で雑巾で足を拭いている最中になされた●41「おかあさん」(1952)の「窃視」23であれ、●39「めし」(1951)のラストシーンになされた原節子の「窃視」19であれ、●46「山の音」(1954)のラストシーンの原節子による「窃視」29であれ、物語の文脈とは何の関係もない状況において突如入って来る。あくまでも連動しているのは細部であって物語ではないからである。●48「浮雲」(1955)もラストシーンにおいて、一見「さも、」という感じで高峰秀子の顔を「まじまじと」盗み見する森雅之の「窃視」28ですら、わざわざ高峰秀子の「死」を認識するための「物語的窃視」27を経た後になされているのであり、それでも敢えてなされた「窃視」28は、「死」という「意味(物語)」から自由となってなされているということが細部として強調されている。ところが「鰯雲」の「窃視」⑮には、『「家」を守ってきた中村雁治郎が大切な土地を売り払う』という「意味」が込められており、それに対応するように淡島千影はいかにも、さも、といった感じでキチンと正座をし、中村雁治郎への敬意を込めて「窃視」している。見つめている淡島千影の表情もしかめっ面で心理的であり、見られている中村雁治郎の表情も過剰に「哀しみ」という「意味」を求めている。その場限りでいきなり重いショットを撮ろうとすると、どうしても「思想」を込めざるを得なくなり、ショットの流れが停滞する。仮に●41「おかあさん」(1952)のラストシーンが、正座をして、しかめっ面で母を見つめている香川京子で終わっていたとしたらどうだろう。考えただけでも寒気がする。重要なのは、この「鰯雲」の「窃視」⑮が、●51「妻の心」(1956)の「窃視」26と同じように、「裸の窃視」のつもりで撮られているにも関わらず、実際には多くの「意味」が込められてしまったという事実である。加えて言うならば、「鰯雲」の「窃視」⑮は、「妻の心」の「窃視」26に比して心理的な度合いが強まっている。映画の方向が、社会問題化、わかりやすさという、興業への力を強めて行ったとき、成瀬映画の「窃視」もまた①→②→③→④の流れの中に取り込まれ、わかりやすくその場限りのものとして孤立してゆくのである。

55「コタンの口笛」(1959)

アイヌと倭人との関係を描いたこの作品もまた、前作の●54「鰯雲」(1958)に続いてのワイドスクリーン、カラー映画であり、上映時間も127分と長く、脚本家は橋本忍であり、アイヌ人差別という「社会問題」を扱っている。「鰯雲」を起点にしてはっきりと成瀬映画は「夫婦もの」からの軌道修正を迫られている。さらにまたこの作品の主人公が幸田良子と山内賢という「子供」であるという点については●「妻として女として」(1961)のところで検討する。

★「窓」からの「窃視」

17個にも及ぶ「窃視」は、その数からするならば、この時期の「後退」を否定する論拠とも言えそうであり、父の死後、叔父の山茶花究の横暴に弾き出されるようにして家を出ることを余儀なくさせられた子供たちの様子から「人的通風性」によって「家を出る」という成瀬的構造もラストシーンにおいて見出されている。山内賢が足の怪我をしたのは、足を引きずりながら歩いて行く山内賢の姿でラストシーンを終わりたい、というマクガフィン的思考回路であり、それは●「まごゝろ」(1939)の悦ちゃん、●「なつかしの顔」(1941)の小高たかし、そして●「秋立ちぬ」(1960)の大沢健三郎へと綿々と続いて行く成瀬的記憶にほかならない。しかしながら前作の「鰯雲」に続く「社会問題」としてあるこの作品は、人間の「関係」を綴って行く成瀬映画としては撮り方の難しい題材であることに違いはない。『倭人だけが悪いのではない。アイヌの中にも悪い奴はいる。だから倭人とアイヌと区別せず、人と付き合うべきだ』という大塚国夫のセリフは、●「めし」(1951)から●「杏っ子」(1958)までに及ぶ「内的」な成瀬的人物の口からは決して吐かれなかったところの「思想」が込められており、そういう流れに呼応するかのようにアイヌの少年を演じる山内賢は目の周りを黒くメイクして怖ろしさを際立たせており、アイヌ差別をする同級生に対して、みずから自殺を覚悟しながら決闘を申し込むことのできるような強い「意志」を持った「主体的」な人物として撮られている。「窃視」の⑪を見てみたい。自殺の意志を固め、決闘するために家を出て行った山内賢が、赤いセーターを着て編み物をしている姉、幸田良子の姿を窓の外から「窃視」する、というシーンである。姉に対して無言の別れを告げる一見叙情的な「窃視」であるものの、この「窃視」は明らかにそれまでの成瀬映画の「窃視」とは異質である。前回検討したように、「窓ワク」というフレームを介在させて「窃視」することは、盗み見の相手を「オブジェクト=対象」として見ることにほかならず、そこには人と人との細微な「関係性=身体」は不在となる。だからこそ、そのひとつの徴表としてこの映画には縁側が存在しない。「関係」が描かれないから縁側が不在なのか、縁側が不在だから「関係」が描かれないのか。どちらにせよ、この映画が「アイヌ映画」であるから風俗的に縁側は存在しないのではなく、「社会映画」だからこそ縁側という「通風性」が不在になったと考えるべきである。同じく「社会映画」である●55「鰯雲」(1958)においては、淡島千影の農家には大きな縁側が存在してはいたものの、その縁側は「通風性」によって家の中の淡島千影を翻弄することは決してなく、また家の中の誰をも外へと弾き出す機能を果たしてはいなかった。人物の在り方が意志的、「主体的」になったとき、人と人とのあいだの「関係」が失われてゆき、それはまず「窃視」の在り方において人を「関係」ではなく「対象」として孤立させ、回り回って装置や美術の在り方としての「通風性」を不要にする。細部と細部は相互に孤立し、コミュニケーションとしての「窃視」は様々な細部の「合わせ技」として呼応することを必要としなくなり、その場限りのものとして完結することになる。映画は内部における細部の連動ではなく、「主体的」な人物たちによる「思想」が外部の「思想」と整合するかどうかに掛かってくる。見ることによって細部の呼応そのものが画面を身体的に振動させるのではなく、読むことによって「思想」の中身を外部の知性と共感させる制度となる。こうした傾向が「60年代」における大きな「後退」のひとつとなって現れ続ける。そうした点において、「コタンの口笛」の「窃視」⑪は重要である。

『成瀬さんは、1958年の「杏っ子」あたりまでは、彼の好みを反映できた作品を作ってきましたが、これが興行的に失敗すると、藤本氏の影がさして来たようです』

と美術の中古智が語っている(「成瀬巳喜男の設計」244)。ここには1955年、成瀬巳喜男の親友でもある藤本真澄が東宝の重役に就任し、その藤本の興行優先といわれた姿勢が成瀬にある種の影響を与えた、という趣旨のことが書かれているのであるが、しかしここでその因果関係を証明することはできない。できるのは、少なくとも●「鰯雲」(1958)とその次の「コタンの口笛」(1959)以降、成瀬の映画は、「社会派」と言われる橋本忍を脚本に採用した「社会的な」作品を撮り始め、そこから次第にショット数が減少の兆しを見せ、人物は硬質になって「通風性」が機能しなくなり、「窓ワク」を通した「窃視」が見られるようになり、コミュニケーションがしなやかさを欠き始め、「裸の窃視」が「物語化」するようになり、人々は「家を出る」という運動をしなくなり、そうしたことの萌芽は、既に1956年に撮られた●「妻の心」に見出されている、というように、それまでの「成瀬システム」が少しずつ弛緩してゆく過程を細部の提示によって検証することである。

■Ⅱスター映画へ「逃げる」

58「娘・妻・母」(1960)

興業の力がより強固に押し出され始めた成瀬映画は、60年代に入ると「社会問題」に続いて「スター映画」が撮られ始める。「スター映画」は文字通りスターが共演する豪華映画であり、この「娘・妻・母」においてはマキノ正博の●「アヘン戦争」(1942)以来の、原節子と高峰秀子という二大スター18年ぶりの共演という華やかな話題ばかりか、森雅之、仲代達矢、団令子、杉村春子、そしてニューフェイスの宝田明や「母ものスター」の三益愛子など、スターが勢ぞろいして撮られている。この作品については既に幾度か検討を加えているが、人物が錯綜し過ぎ「関係」の描写が甘くなる、という現象こそが「スター映画」における大きな「後退」の要因であり、そうした現象は既に●55「鰯雲」(1958)において現れていた。余りにも人物が錯綜し過ぎていて、すべての人物を撮ることだけで映画は終わってしまう。同じ「スター映画」でも「第三期」に撮られた●「流れる」(1956)の場合、あくまでも山田五十鈴という「古い者」がいて、そこに「見つめる者」としての田中絹代と高峰秀子という「関係」が絡むことで細部が見事に呼応していたのであるが、「娘・妻・母」の場合、そもそも主人公が原節子なのか高峰秀子なのか分からず、原節子と仲代達矢との「ラブストーリー」もそれだけで孤立し、周囲の者たちの「関係」として波及していない。この「細部の孤立化」という現象こそ「60年代」成瀬映画を襲い始めた新たな「後退」の要素である。こうして60年代の成瀬映画は「関係」に悩まされる。社会性、主体的人物像、登場人物過多という「外部」からの要請は、まずもって「関係」を細部のしなやかな揺れによって描くところの「内部」に致命的な出来事となって襲いかかるのである。

60年代問題

日本映画は1950年代、溝口健二、小津安二郎、黒澤明などによって趨勢を極めていたが、日本の社会は高度経済成長を予感させる「俗」の時代に突入しており、既に50年代の半ばにおいて成瀬映画は、●「夫婦」(1953)、●「妻」(1953)といった「何も起こらない映画」を商業的に撮ることのできない時代へと突入し、「居座りもの」としての●「妻の心」(1956)や、「スター映画」としての●「流れる」(1956)といった、人物過多の作品が撮られ始めた。それでもまだ50年代にはその「外部の俗性」を「内部」の力によって弾き返せていた成瀬映画が、60年代に入るといかんともし難い状況へと突入し、露骨に「俗=外部」を曝け出してしまうようになる。映画が興業という「外部」を強く優先したとき、映画の細部はどういう変貌を遂げてゆくのか、現代日本製シネコン映画の源流を、成瀬映画の変遷において見てゆくことも可能だろう。50年代末尾に撮られた●55「鰯雲」(1958)と「コタンの口笛」(1959)を含めての「60年代問題」は、成瀬映画の「第二次後退期」として露呈しているのである。

62「女の座」(1962)

井出俊郎、松山善三コンビによるオリジナル脚本、モノクロ・ワイドスクリーンで撮られた「スター映画」であるこの作品もまた、●58「娘・妻・母」(1960)同様、人物関係が錯綜している。荒物屋を営む石川家で父、笠知衆が倒れるの報を聞き、既に家を出て自立していた兄弟姉妹がわんさと帰ってきて、そのドサクサに紛れて、会社を首になっていた三橋達也と淡路恵子の夫婦が居座りを決め込むという、●「妻の心」(1956)と通底する「居座りもの」の一本である。荒物屋という、客の出入りの激しい「通風性」を舞台にして撮られたこの作品は、無神経な者たちを無防備に家の中へと招き入れてしまうことで家の中の「内的」な者たち(特に司葉子と高峰秀子)を翻弄しはするものの、彼女たちは「家を出ること」をしようとはしない。同じスター映画の「娘・妻・母」においてもそうであったように、家の中にいる者たちは決して「家を出て自立する」という運動を見せはしない。確かに司葉子は終盤「家を出ること」を決心するものの、それはあくまでも「決心」であり、「娘・妻・母」の原節子と同様、「家を出る」という運動を事実として露呈させてはいないのである。

★居座ることと「スター映画」

「家を出て自立すること」を運動の起点とする成瀬映画において、人々が「家へ帰ってくること」という運動はグロテスクさを露呈させる。一度「家を出た」者がその後「家へ帰ること」という運動に身を任せたとき、その後の展開は二つしかない。①居心地が悪くなって再び家を出てしまうか、それとも②そのまま居座るかである。

居心地が悪くなって再び家を出てしまうか、死んでしまう場合(芸道モノは家へ帰ることが目的ゆえに除く)

「夜ごとの夢」(1933)斎藤達雄が田中絹代のアパートへ。居座ったもののその後死ぬ。

「妻よ薔薇のやうに」(1935)丸山定夫が妻の家へ。

「めし」(1951)原節子が夫、上原謙との不和で実家へ。

「おかあさん」(1952)片山明彦が実家へ。片山は病死する

「稲妻」(1952)三浦光子と高峰秀子の姉妹が洋裁店を出て実家へ

「あにいもうと」(1953)京マチ子が妊娠して実家へ

「妻」(1953)高峰三枝子が夫の浮気を根にもって実家へ

「夫婦」(1953)杉葉子が夫の上原謙と喧嘩して実家へ

「山の音」(1954)中北千枝子が夫との不和で実家へ

「妻の心」(1956)千秋実と中北千枝子の夫婦が実家へ

「あらくれ」(1957)高峰秀子が上原謙に離縁されたあと実家へ

「杏っ子」(1958)香川京子が夫との不和で幾度も実家へ

「女が階段を上がる時」(1960)高峰秀子が病気をして佃島の実家へ

「放浪記」(1962)夫の宝田明と住む世田谷の貸家から家出した高峰秀子が、宝田明に請われて家に戻る

「乱れる」(1964)加山雄三が会社をやめて実家へ。家を出たあと死ぬ

②そのまま居座ってしまうケース

「薔薇合戦」(1950)桂木洋子が姉(三宅邦子)の住む実家へ帰る

「流れる」(1956)中北千枝子が子連れで

「娘・妻・母」(1960)夫に死に別れた原節子が実家へ

「女の座」(1962)三橋達也、淡路恵子夫婦が実家へ

一度家を出て自立した人物が再び家に帰る時、飛び切りの辛気臭さでもってこれを迎えるのが成瀬映画の流儀であり、帰って来た者たちの多くは嫌気がさしてすぐに再び家を出ることを余儀なくされるか、死んでしまう。成瀬映画において「居座ること」とはグロテスクの極致であり、自立することもなく居座り続ける者たちは、時として死をもって抹殺されることで映画の恒常性は維持されるのである。その中で②の異質性は際立っており、その4本中3本が「スター映画」である。「居座りもの」の草分けである●「妻の心」(1956)の千秋実と中北千枝子のあの夫婦ですら、しばらくしてから居辛くなり、結局家を出てしまうのに対して、60年代に撮られた「スター映画」の場合、家に帰ってきた者たちはそのまま最後まで居座っている。ここで驚くなかれ、その中に「原節子」の名前がくっきりと刻まれているのである。●「娘・妻・母」(1960)において、なんとあの麗しのヒロイン原節子がグロテスクにも「居座って」しまっているのだ。「出戻り」によって映画冒頭、実家に帰ってきた原節子は、終盤、上原謙と結婚するために「家を出る決心」をしてはいるものの、映画の中では実際「家を出る」ところまで撮られていない。原節子は最後まで「居座って」いるのである。同じ「出戻りもの」であっても●「あらくれ」(1957)の高峰秀子のように、実家に帰ってきた場面を一切描かれず、いきなり汽車の中に放り込まれて奉公先へと向かわされてしまうことが成瀬映画の「法則」であるとするならば、「出戻って」きてそのまま最後まで「居座って」しまう原節子の異質さは際立って見える。「居残り佐平次」は笑えるが「居残り原節子」はどうにも笑えない。

●「流れる」(1956)

「スター映画」が「スター映画」であるがためにはスターたちが一堂に会さなければならない。スターはずっとそこにいるからこそ「スター」なのである。だがそうすると彼らは「家を出ること」ができなくなる。そういった現象は、50年代に撮られた●「流れる」(1956)という「スター映画」に既に内包されていた。そこで宮内精二を始めとする様々な「通風性」によって翻弄された置屋の芸者たちは「将来家を出ること」を暗示されていたとしても、実際に家を出る運動は描かれてはおらず、せいぜいが警察署へ呼び出されたり、人に会いに行くくらいで、山田五十鈴、高峰秀子等のスターたちは、「家を出て自立すること」という運動を実際にはしていない。後半、山田五十鈴と喧嘩をした杉村春子が啖呵を切って「家=置屋を出る」という出来事が確かに存在しはするが、その場合、家を出た側の杉村春子の運動は一切撮られてはおらず、撮られているのは家の中に残ったスター達であり、その杉村春子もしばらくしてまた置屋に帰ってきてしまう。「スター映画」は全体としてあって初めて「スター映画」であり、彼らが集まれるのは「家の中」だけなのだから、あくまで中心は「家の中」であり、その中の特定の者だけが「家を出る」ことを仮に出来たとしても、描かれるのは「居残っているスターたち」であり、すべてのスターが一緒に家を出でもしない限り、家を出たあとの運動を描くことはできなくなる。成瀬映画の醍醐味は、「不可抗力」によって「流される」人物をひたすら追いかけて撮り続けることだとするならば、「流される」側の人物を撮ることのできない「スター映画」は本質的に成瀬的細部と呼応しづらく、そのために、機能しているはずの「通風性」が「物語化」してしまい、細部の連動がギクシャクし始める。「流れる」は、実は「流されて」はいないのである。

★「居残り」

「スター映画」についてならば、先ほど書いたように、そこに「居座る者」たち、すなわち●「流れる」(1956)の中北千枝子、●「娘・妻・母」(1960)の原節子、●「女の座」(1962)の三橋達也と淡路恵子夫婦は、ひとつの「通風性」として作用していると見ることができる。そもそも成瀬映画における「人的通風性」は、●「めし」(1951)の島崎雪子、●「稲妻」(1952)の中北千枝子と小沢栄太郎、●「山の音」(1954)の中北千枝子など、「主体的」で意志的な人物=「他者」によってなされるのが通常である。居座ったり内部の者たちを弾き出してしまう以上、当然彼らは多かれ少なかれ「他者」でなければならない。彼らは「他者」であるからこそ家の中に「辛気臭さ」を持ち込み、家の中にいた者たちとの闘争に勝ち抜き、家の中にいた者たちを「家を出る」という運動を余儀なくさせて弾き出してしまう。逆に●39「めし」(1951)の原節子、●45「あにいもうと」(1953)の京マチ子、●43「夫婦」(1953)の杉葉子、●44「妻」(1953)の高峰三枝子などの「内的」な者たちは、仮に「実家へ帰る」という運動を遂げたとしても、その実家の内部にいる者たちの「主体性」によって逆に弾き出されてしまい、すぐまた「家を出る」という逆運動を反覆せざるを得なくなってしまう。ここで弾き出す側は「主体的」であり、基本的に彼らは脇役であるのに対して、弾き出されてしまう方は「内的」であり、基本的に彼らは主役である。主役が「家に帰る」とき、彼らは内部(実家)の「主体的な」者たちによって弾き出されてしまうのであり、逆に脇役が家の中へ侵入してきたとき、「主体的」な彼らは「通風性」となって家の中にいる主役を外へと弾き出す。どちらにせよ、成瀬映画とは「弾き出された者」を追いかける運動であり、「弾き出す側」を撮る映画ではない。●「めし」の島崎雪子、同じく「めし」の東京の実家の義弟の小林桂樹、●「稲妻」の小沢栄太郎や中北千枝子、そして兄弟姉妹、●「夫婦」の三國連太郎、●「妻」の下宿人たち、●「あにいもうと」の森雅之、●46「山の音」(1954)の中北千枝子、●53「あらくれ」(1957)の上原謙や東野英治郎、等、、名立たる脇役たちが、「通風性」となって「内的」な主人公たちを外部へと弾き出し、映画は弾き出された者たちの「不可抗力」による運動をひたすら追いかけてゆくのだ。時として片山明彦のような「内的な脇役」が母恋しさの余りに「家へ帰ってくる」こともあるにはあるが、内部の者たちも「内的」であるが故に弾き出されることもできず、かといってそのような半端者を置いていたのでは映画にもならず、従って片山明彦はすぐに消されて死んでしまう。「死ぬ」のではなく「消される」のだ。これが「成瀬巳喜男の法則」である。だがこうした「法則」も「スター映画」においては通用しない。「スター映画」においては中心は「全体としてのスター」であり、だからこそスターが一堂に会する「家の中」が中心になせざるを得ない。従ってそれまで家の中にいたスターたちは決して「家を出る」という運動をしようとせず、また、家に帰って来たスターたちは「家を出る」ことも、また他のスターを弾き出すこともなく、従って家の中には鬱屈した半端な運動のカケラが大いなる辛気臭さとなって充満することになる。まず主題的な「居座り」があるのではない、まず「スター映画」があり、従って「居座ること」が惹き起こされるのである。「スター映画」は必然的に「主役の居座り」を惹き起こす。家の中のスターたちは、仮にそれが最初から住んでいた者であれ、帰って来た者であれ、「通風性」を拒絶して最後まで家の中に居残ってしまうのだ。ここに映画的細部の壊滅が生じる。特に「娘・妻・母」の原節子の場合、主役でもあり、かつその「内的」な人物像からして「出戻った」あと、家の中の辛気臭さから家を「弾き出されて」しまわなければならないにも関わらず、家の中には高峰秀子というスターが存在するがために、中心である家の中から逃れられず、結果として「居座る」ことになってしまう。人物として「内的」でありながら「通風性」を拒絶してしまい、またみずからが「通風性」でありながら「内的」であるという、まったくもってグシャグシャな細部として潰れてしまっているのである。成瀬映画において「通風性」を拒絶できたのが●47「晩菊」(1954)の杉村春子ただ一人であったのは、彼女が「外交的」な人物であったからであり、この外交性=密閉性、内向性=開放性という、一見矛盾した逆転現象こそが成瀬映画の肝であるにも関わらず、「スター映画」はそうした細部の微妙な運動を徹底的に破壊し、跡形もなく葬り去ってしまう。当然ながら細部が呼応しなくなり、「窃視」もまたその場限りのものとなる。その萌芽は●51「妻の心」(1956)に見られる。もし仮に、「妻の心」を見ていて何かがおかしいと感じたとするならば、この作品においては、「内的」であるはずの主人公たち(高峰秀子・小林桂樹)が最後まで家に居座り、「通風性」として機能していたはずの「主体的」な脇役たち(千秋実・中北千枝子)が家を出たことである。細部を精密に辿ってゆくと、「妻の心」の満たされなさのひとつは、こうした事実に行きつくことになる。

★身体性と主体性

「女の座」には28箇所もの「窃視」が存在しながら、「関係」として豊かなものは皆無である。まずもって司葉子は幾度も夏木陽介を「裸の窃視」している(④⑤⑩⑳)が、その夏木陽介は司葉子ではなくその妹の星由里子と結ばれることになる。司葉子の夏木陽介に対する「裸の窃視」は、両者の「身体性」=関係に働きかけようとはしないのだ。確かにこれらの「窃視」は、似たようなケースとして●6「乙女ごヽろ三人姉妹」(1935)において堤真佐子が、妹の恋人である大川平八郎をそうとは知らずに「裸の窃視」をしてしまうあの懐かしの「裸の窃視」①を想起させなくもない。しかしそれはほんの一瞬の、決して結ばれることのないことを背負ったところの慎ましやかな「裸の窃視」であり、ここでの司葉子の「窃視」のように大胆に反覆されたものではない。成瀬としては、別にどうでもいいという感じでこの司葉子の「裸の窃視」を撮っている。この作品では、そもそも「裸の窃視」をするに足りる「身体性」を有している「内的」な人物は司葉子しか存在せず、従って大半の「裸の窃視」を司葉子が占めている、という趣旨はそれとなくわかるのであるが、人物関係が錯綜しているために司葉子の「裸の窃視」に何らの「関係性」もついて来ず、孤立している。他の人物について、⑮では宝田明が高峰秀子を、⑱においては草笛光子が宝田明をそれぞれ「裸の窃視」をしているが、そもそも宝田明と草笛光子の二人は、極めて「主体的」な人物として描かれており、それはそれ自体として完結してしまう人格であって、「窃視」が「身体性」としての「関係」をもたらすことはない。終盤、高峰秀子が路地で杉村春子と笠知衆の夫婦を「裸の窃視」するというシーンも存在するが(「窃視」28)、この作品の高峰秀子もまた、嫌がる息子に断固として受験勉強を強要して自殺(ないし事故死)に追いやってしまう母親として描かれており、そのような「主体的」な人物の「裸の窃視」を叙情的なものとして成瀬が撮れるということもまたない。したがってまた、すべての「窃視」が取ってつけたようにその場限りで終始している。

★死

このあたりの作品から、やたらと人が死に始めている。特にこの「女の座」(1962)から遺作の●「乱れ雲」(1967)にかけては、●「放浪記」(1962)を除いてすべて「死」という出来事が映画を作動させる要因となっている。「60年代」とは、ただ生きていることそれだけでは映画は撮れない時代となり、最早時代は原節子や高峰秀子ですら、ただそこに佇むとことだけで抒情を醸し出すことのできない時代へと突入していたのである。

■Ⅲ子供映画に「逃げる」

60「秋立ちぬ」(1960)

成瀬巳喜男は「職人監督」である。作品の「芸術性」に拘泥し、会社やプロデューサと喧嘩をするようなタイプの監督ではなく、映画の題材は基本的には会社サイドの意向に従いながら、その中でみずからの存在を映画的細部へと刻みつけてゆくタイプの監督である。編集については成瀬が関わっていたという話が部分的には聞かれているが、すべてについて関わっていたかは定かではない。ただ言えるのは、必要不可欠なショットだけを現場で撮り、編集の余地は殆ど残されていなかったという事実である。そうすることが「職人監督」としての成瀬流の「抵抗」であり、流儀であった。そうしてこの第二次「後退期」をみたときに、基本的に成瀬は題材については殆ど争わず、ただその中で、自分に合った題材であれば積極的に脚本に関わり、そうでない場合には軽く受け流す、そういう姿勢で撮っていたように見受けられる。もちろん手を抜いて撮った作品など一本も存在しない。だが成瀬的な細部に呼応しない物語は、どう撮っても最上級の作品にはなり得ない。こうした厳しい流れの中で撮られたのが「秋立ちぬ」という、決定的な一本である。

★大人への不信

興業の観点から考えたとき、「スター映画」と並んで考えられるのは「子供映画」である。無垢な存在である子供は人々の外部的共感を呼び、興業の観点からも好ましい。細部の点からしてもまた、大人と大人とのとの「関係」に飢えた成瀬映画が、「子供映画」に「逃げて」みたとしても不思議なことではない。これまでに子供を扱った作品には●「おかあさん」(1952)、●「まごゝろ」(1939)、などがあるが、そこには必ずや田中絹代や入江たか子などの共感できる大人たちが存在していた。それがこの作品になると一気に大人たちの身勝手さだけが浮き彫りになり、共感できる者としての大人は一人として存在していない。大人たちは冷たく、子供たちは孤独である。それを映画的に言い直すならば、大人たちは「主体的」であり、子供たちは「内的」である。大沢健三郎の母である乙羽信子は、その「不可抗力」的な細部が十分に描かれないままに、みずからの「意志」によって旅館の客である加東大介と駆け落ちをしてしまっているし、一木若葉の母である藤間紫にしても、「不可抗力」の部分が十分に描かれないままに、河津清三郎の二号としての地位を「主体的」に守り続けている。そんな少年と少女(大沢健三郎と一木若葉)とがふとしたことからめぐりあい、ひと夏の淡い出来事をひたむきに綴って行くのがこの「秋立ちぬ」という映画である。成瀬が55歳で撮ったこの作品は、29歳のトリュフォーが撮った●「大人は判ってくれない」(1959)と見比べても、その瑞々しさにおいてまったく見劣りしていない。照明や装置との関係などについては50年代の成瀬映画と比して確かに劣りはするものの、成瀬自身のバイタリティはまったく衰えておらず、実際、甘ったるい感傷映画に陥ってしまいそうなこの「子供映画」の題材を、マクガフィン的思考によって画面を際立たせながら、かつ新境地ともいえる新しい手法で撮りあげている。

★転回

成瀬映画に大きな「転回」が生じたとするならば、一度目は「めし」であり、二度目はこの「秋立ちぬ」である。終盤、子供たちはみずからの「意志」によって海を見に行く。しかしそれは、身勝手な大人たちの「主体性」に翻弄された結果としての小さな選択であり、実際には居場所を失ってしまった子供たちは「不可抗力」に近いものとして海へと流されていっている。海では、辺りから少しずつ人影が消えてゆき、最後には子供たちが二人きりになる。この海をして成瀬は、ほんの一瞬で消え去ってしまう「不可抗力による密室」として描いたことは想像に難くない。成瀬にとって抒情的な「密室」とは決して物理的に隔たれた空間ではない。それは雨、風、雷、といった気象現象や、停電といった「不可抗力」性と一瞬性によってもたらされる時間的な空間であり、●45「あにいもうと」(1953)において久我美子と堀雄二が隠れた「トラックの陰」のように、一瞬で霧散してしまうところの相対的な空間である。のちに検討する●「山の音」(1954)のラストシーンの新宿御苑における最後の決定的な瞬間において、果たして原節子と山村聡以外の入園者がフレームの内部に映っていただろうか。成瀬は思いもよらない広大な空間を、ほんのちょっとした演出によって「密室」へと変貌させてしまう魔術師であることを忘れてはならない。「秋立ちぬ」の海は、時間が経つにつれ無人となる。大人たちの身勝手によって、押し出されるように「不可抗力」によって海へとやってきた少年と少女は、ほんの一瞬の「密室」として与えられた、まるでサイレント映画のような静か海で、思い出を画面の中に刻みつけてゆく。そうして映画は、成瀬映画史上において極めて特異で異質な瞬間を迎えることになる。海を見に行った二人がパトカーに乗せられて帰ってきて、ひとり旅館の中へ入っていく一木若葉が振り向く瞬間に、安本淳のキャメラが被写体に接近し、映し出された娘が「さよなら」と手を振る。キャメラはすぐにパトカーの中の少年へと切り返され、彼もまた「サヨナラ」と手を振って少女を見つめ返す。こうして二人は構図=逆構図の切り返しによって映画的に見つめあった後、別れる。映画の中には何の説明も存在しない。しかしこの瞬間が二人にとっての最後の瞬間であることがはっきりと画面の中に露呈している。たった一つの切り返しによって成瀬は「最後の一瞬」を完璧に描いて見せたのだ。私の見た限り、他の成瀬の67本の作品の中には、構図=逆構図の切り返しによってただ見つめ合うことだけで清々しいエモーションを醸し出した場面はただの一か所たりとも存在しない。見つめあう瞳と瞳が交叉することでメロドラマとしてのエモーションを露呈させるなどということが成瀬映画にあってはならないことくらい、我々はあらゆる状況から検討しつくしたはずである。「反メロドラマ」こそ成瀬巳喜男の性向であり、瞳と瞳とが見つめあうことによって醸し出されるメロドラマは「後退期」のものなのだ。それにも拘わらずここでの二人のメロドラマは、「後退」どころか、二人の最後の瞬間の決定的なエモーションとして画面を揺らしている。最近では、マイケル・マンの●「パブリック・エネミーズ」(2009)が同様の性向を示している。ジョニー・デップとマリオン・コティヤールとが道路を挟んで構図=逆構図の切り返しによって幾度も見つめあった時、見ている我々だけにはそれが二人の「最後の瞬間」であることがはっきりと分かってしまう。「ずれ」もせず、ただ純粋に見つめあう瞳と瞳とがただそれだけでエモーションを醸し出す、それがメロドラマなのだ。

★メロドラマ

「秋立ちぬ」は「見つめ合う映画=メロドラマ」として撮られている。それは成瀬的メロドラマとしての「エロス的身体」によるものではない。「エロス的身体」によるメロドラマとは、●「お國と五平」(1952)から始まり、●「娘・妻・母」(1960)●「乱れる」(1964)、●「乱れ雲」(1967)において繰り広げられた『「裸の窃視」をしたことを交互に知られてしまった者たちのラブストーリー』であり、それはあくまで『「裸の窃視」をしたあと相手と目が合ってしまい慌てて目を逸らす』という慎ましい運動の中で繰り広げられる「消極的な見つめ合い」に過ぎない。『見つめ合わないように見つめていたことを見られてしまって目と目が合った』という、何とも消極的で、だかろこそじっとりとしたエロス的な運動として露呈する極めて中性的なものであって、それは決して「秋立ちぬ」の子供たちの見つめ合いのような爽やかなものではない。そもそもメロドラマとは、人物たちが自らの意志によって見つめ合いながら事件を「解決」なり「和解」できてしまえるような硬質の①→②→③→④的運動であり、それは極めてアメリカ的、「主体的」な運動であって、だからこそメロドラマは取りも直さず成瀬映画にとっては「後退」を意味していたはずである。ところがこの「秋立ちぬ」の見つめ合いはちっとも画面を「後退」させていない。「後退」どころか、少年と少女の瞳が醸し出すメロドラマはちっとも弛緩せず、硬直もせず、柔らかい運動でもって80分にも満たないこの作品の中に呼応し続けている。

★「窃視」の急減

「秋立ちぬ」の子供たちは●「コタンの口笛」(1959)の子供たちとは似ていない。●「まごゝろ」(1939)の子供たちと良く似ている。どちらの子供たちも、主義や主張といった「主体的」なものではなく、大人たちに翻弄され、流され続けているその過程においてエモーションを醸し出している。ただ「まごゝろ」と違うのは、「まごゝろ」のコミュニケーションが子供と大人のあいだの「窃視」として繰り拡げられるのに対して、「秋立ちぬ」のコミュニケーションは主として子供同士の「見つめ合い」によっているという点である。こうしたことが原因だろうか、この「秋立ちぬ」の「窃視」の数は僅か8個まで激減している。短編の●49「女同士(くちづけ第三話)(1955)を別にすれば、「窃視」の数が10を割るのは●39「めし」(1951)よりも二本前の●37「銀座化粧」(1951)9個以来、何と9年ぶりの出来事である。そもそも「秋立ちぬ」の大沢健三郎と一木若葉の橋の上の出会いは、すれ違った一木若葉が振り向いて、大沢健三郎と見つめ合うことによって演出されている。ここで二人は、目と目とが合ったからと言って、恥ずかしげに眼を逸らしたりはしない。しっかりと相手の瞳を見つめ続けているのだ。これが決定的に「反成瀬的」である。さらに「窃視」⑤のあと、母の働いている一木若葉の旅館へ向う道すがら、大沢健三郎は何度も何度も振り向いて、自分のあとから付いてくる一木若葉と見つめ合っているのであるが、幾度目と目が合っても、二人は決して目を逸らしたりはしない。成瀬映画の「内的な」女たちが、目と目とが合った瞬間、まるで完全犯罪を知られてしまった下手人のようにオロオロと目を逸らして逃避するのと何たる違いだろうか。そもそも大沢健三郎と一木若葉の二人が「窃視」し合ったのは⑤と⑥の二つしかなく、⑤は「窃視」としては場所的に極めて弱く、また⑥においても見つめていた一木若葉は、その後大沢健三郎と目が合って見られていたことを知られてしまったとき、目を逸らして照れるどころか何と、舌を出して微笑みかけているのである。これがいかに決定的な転回なのか、この論文の読者なら反射的に理解できるはずである。仮に●68「乱れ雲」(1967)の十和田湖行きのバスの中の「窃視」⑪で、加山雄三に見ていたことを知られた司葉子が舌を出して笑ってしまったら映画はどうなっていたか、少なくともそれは「成瀬映画」ではなくなっていたはずである。だが、大人たちのメロドラマについてはあれだけ嫌っていた成瀬映画が、この「秋立ちぬ」においてはすべてが「見つめ合うこと」によって進行していくのである。この作品の「窃視」の数の激減にははっきりと意味があるのだ。

★内的な子供

「第三期」において決して撮られることのなかった「見つめ合う映画」=メロドラマを、成瀬は「子供映画」であるこの作品で復活させている。それも「第一次後退期」における「主体的」な人物たちの面と向かった対話によってではなく、ただひたすら「内的」な少年と少女が見つめあうことのみにおいてメロドラマは成就している。人物が「内的」であることによって「不可抗力」による運動のダイナミズムを保持しながら、瞳のコミュニケーションにおいては「ずれ」ではなく「見つめあうこと」によって貫かれている。この作品に僅か8つの「窃視」しか存在しないことは決して偶然ではない。大沢健三郎と一木若葉という子供たちにおける「ほんとう」とは、「見つめ合うこと」としてあるのだ。「内的」な子供たちの透き通った眼差しには、大人たちが見つめ合うことによって醸し出される空々しさ、嫌らしさのようなものがまったく感じられない。「差別」という強度の社会問題を扱った硬質な●「コタンの口笛」の「主体的」な子供たちと比べて、「秋立ちぬ」の子供たちは実に柔らかく、しなやかな成瀬的人物として撮られている。「内的」である彼らはひたすら大人たちに流され、海へとたどり着く。辺りから人気が消えたとき、海は「密室」と化して、見事な成瀬的抒情を醸し出しながら、その後、二人は決定的なシーンにおいて見つめ合う。私はここまで、成瀬映画における「窃視」をして、いわば成瀬映画の構造上の必然と捉えて検討をしてきたが、どうやら真理はもっと違ったところにあったらしい。成瀬映画がコミュニケーションにおいて「窃視」を選択し続けたのは、端的に「大人」の通常のコミュニケーション=見つめ合いながら会話で事件を解決する=を信じていなかったからである。成瀬は、「秋立ちぬ」の、あの子供同士がしたような清々しい見つめ合いを、大人同士においては決して撮ることができなかった。現にそのようなショットは皆無であり、実際に撮ったところで●「舞姫」(1951)のラストシーンのように、芝居がかったしかめ面の心理的なものになってしまう。これは成瀬がコミュニケーションにおいていかなる現象に「ほんとう」を見出していたかの帰結である。硬質で「主体的」な大人たちはもとより、仮に軟質の「内的」な大人であっても「見つめ合うこと」によるエモーション=「ほんとう」を成瀬映画は決して認めなかったのである。仮にそれが子供であっても、●「コタンの口笛」(1959)の子供たちのように「しっかり」とした子供たちには決してメロドラマによる抒情的なエモーションは与えられていない。唯一メロドラマが許されるのは、ひたすら流されてゆく「内的」な子供たちのみである。彼らだけが「見つめ合うこと」によるエモーションを露呈させることが許されるのだ。ここで成瀬的細部における人物の「内的」さこそ決定的なものであることがはっきりと確認できる。成瀬的運動とは「不可抗力」によって不意に惹起され、様々な細部の呼応によって自己増殖的に拡散してゆくことにその本質があり、人物の「内的さ」とは、理由不在のこのマクガフィン運動を惹起させるための決定的な細部なのである。さらに「秋立ちぬ」によって成瀬的運動はもう一段階純化される。「秋立ちぬ」の子供たちの「見つめ合い」は、決して会話を伴ったものではなく、かつまた「見つめ合うこと」によって何一つとして「解決」はしていない。ここがアメリカ的な「主体性」のメロドラマとは決定的に違う点である。ただひたすら彼らは見つめ合い、だが何も「解決」はしない。重要なのは「会話」ではなく、瞳を通じた身体的な運動そのものであり、最高度に純化されたコミュニケーション的振動である。それはこの映画が①→②→③→④ではなく、はっきりと④→③→②→①を基軸として撮られていることを意味している。「裸の窃視」のあと「和解」という物語が継起した●38「舞姫」(1951)は、その性向が①→②→③→④であるがために、さらなる物語の継起を必要としたのに対して、「見つめ合った」あと、何の物語も継起させない「秋立ちぬ」は、その性向が④→③→②→①であるがために、次なる物語を必要とはしなかったのである。「窃視」にはあくまでも「ずれ」という「過剰」が込められている。それに対して「見つめ合い」には「ずれ」は生じておらず、だからといってそれは「主体的」な「見つめ合い」とは異なり、「和解」や「解決」といった物語的動機によって運動が停滞させられることもない。極力「過剰」を廃しながら、それでも映画はゆるやかな④→③→②→①の逆流を遂げてゆくのである。そうした点で「秋立ちぬ」とは、「1953」をさらに濾過した最高純度の映画であり、ただひたすら見つめ合うだけで映画を終えることのできたクリント・イーストウッドの●「ヒア アフター」(2010)と何かしら通じるかもしれない。どちらにせよ成瀬巳喜男は何が何でも「窃視」でなければコミュニケーションを撮ることのできない「硬質な」作家ではなかった。まず高度に拡散する運動が前提とされ、それを実現するためにその状況に応じて様々な細部が用意されていたに過ぎない。ただ大部分の現存する成瀬映画は「大人」の映画であり、従ってコミュニケーションの方法として「窃視」が活用されたのである。この作品が●20「まごゝろ」と違うのは、「まごゝろ」の子供たちがどちらも女の子であるのに対して、「秋立ちぬ」の子供たちは、男と女であることである。そうすることでこの作品はラブストーリー(「ラブストーリー」ではない)としての要素をしたため、それがために子供同士が「見つめ合うこと」という初めての状況が可能となった。この作品が残っていたがために、成瀬はメロドラマを撮ることができると証明されたのである。それは「内的な」子供たちがひたすら「見つめ合う」ことでエモーションを惹き起こしてしまう純正なメロドラマである。デビューから31年かかってやっと成瀬は「純」へとたどり着いた。この映画を55歳で撮った成瀬は、みずからを未来の可能性の中へと投げ込んだのである。

61「妻として女として」(1961)

60「秋立ちぬ」(1960)の直後に撮られたのがこの「妻として女として」である。この作品もまた、「秋立ちぬ」に続いて星由里子、大沢健三郎という「子供」が出演しており、「窃視」は僅か7つしかない。●「めし」(1951)以降、「窃視」の数が10を切るのは●「秋立ちぬ」とこの作品の僅か二つしかなく、そのどちらもが「子供映画」であるというのは偶然なのだろうか。

★主体性

だがこの作品の主人公はあくまで高峰秀子や淡島千影といった「大人」たちであり、残念ながら「秋立ちぬ」からの発展は何一つ見出すことはできないばかりか、細部の不在によってそれ以前の「スター映画」をさらに「後退」させてしまっている。森雅之の愛人であり、彼のバーの雇われマダムである高峰秀子は、みずからの「意志」によって森雅之と浮気をし、みずからの「意志」によって温泉宿や自宅の「密室」の中へと逃避し、みずからの「意志」によって淡島千影との約束を破り、みずからの「意志」によって息子の大沢健三郎を勝手に連れ出して真相を暴露し、自らの「意志」によって愛人である森雅之宅に乗り込み、みずからの「意志」によって慰謝料を要求できるような、極めて「主体的」な人物として描かれている。確かにそれは、戦争によって「翻弄された」ことの結果だとしても、その「翻弄された」部分が過去の出来事としての回想によって僅かしか描かれておらず、その描き方も単調かつ心理的であって、現在の画面の細部を「不可抗力」によって振動させるに足りるものとして撮られていない。同じく戦争によって翻弄された●48「浮雲」(1955)の高峰秀子の場合、戦時中「意志」によって不倫をしながらも、その後の敗戦という「不可抗力」に翻弄され、遂には屋久島の密林の中まで流されていくまでを丹念に描かれていたのとは決定的に異なっている。確かに●「めし」以降の「第三期」の作品にも、夫の浮気相手である丹阿弥谷津子の住まいに単身乗り込み、対決をする●「妻」(1953)の高峰三枝子のような人物は存在するものの、そこにおいて高峰三枝子は、家を出ることの苦手な「内向的な」女であり、肝心の丹阿弥谷津子の住まいに乗り込むときですら、その道順をおまわりさんに聞いてしまうという「外部へ出ることに慣れていない」人物であることがことさら繊細な演出によって描かれている。ましてや高峰三枝子のこの行動は、みずからの「意志」によってというよりも、夫である上原謙の浮気、という「不可抗力」=「通風性」によって家を弾き出される様にして為されたものであり、「妻として女として」における高峰秀子のそれとは大いに違っている。「妻として女として」における高峰秀子のその硬質の人物像は、●「ひき逃げ」(1966)の高峰秀子に近い。そこで高峰秀子は、息子をひき殺したと思われる車のある邸宅に単身乗り込み、犯人を突き止め強迫するという極めて「意志的な」運動を続けている。さらに森雅之の本妻である淡島千影もまた、高峰秀子の慰謝料の要求を面と向った対話によって跳ねつけたりすることのできる「主体的」な存在である。同じく慰謝料の要求においてもまた、「主体的」な中北千枝子に呼び出され、なんだかんだと慰謝料を搾り取られてしまった●「稲妻」(1952)の三浦光子と高峰秀子の姉妹と比べたとき、面と向かった対話によってはっきりと慰謝料を拒絶できてしまう淡島千影の人物像もまた明らかに異質である。第一回の論文においては、『淡島千影は、確かに高峰秀子の申し出をキッパリ断ってしまう人物ではあるものの、妾の産んだ子供を育て、なおかつその秘密を守り通してきた「内向する」女性であり、成瀬的な人物からそう遠くに或る訳ではない。』として、彼女もまた「内的な人物」として検討を進めたが、矢張りこの『面と向かった対話によって慰謝料の申し出をきっぱりと断る』という淡島千影の人物像は、「第三期=黄金期」の作品における人物と比べると大きく「主体的」な方向へとかかっている。

★母との同居と主体性

この作品において「自立」への運動をしているのは子供たちであり、逆に高峰秀子を始めとする「主体的」な大人たちは子供たちから「子離れ」できていない状態にある。それは高峰秀子が、母である飯田蝶子と「同居している」という事実からも伺える。これは第一回の論文において検討された事実であったが、親と「同居している」者たちは通常、親そのものが「通風性」となることで「家を出る」という運動を余儀なくされるのであるが、この作品の飯田蝶子は非常に物分りの良い母として高峰秀子に寄り添っており、「通風性」として高峰秀子を弾き出すどころか、「子離れ」できない母として最後まで同居しており、「主体的」な高峰秀子もまた「親離れ」できずに「家を出ること」をしようとはしないばかりか、「子離れ」もできずに子供たちを振り回している。●47「晩菊」(1954)の杉村春子がそうであったように、成瀬映画においては「主体的」な人物は「家を出る」という運動から縁遠く、この作品の高峰秀子のように、最後まで親と同居し続けてしまうという転倒が見出される。「外部」の常識であれば、「主体的」な人物こそ家を出て自立すると考えるのが常識であるが、成瀬映画はまったく逆で、「主体的」であることとは「自立しないこと」であり、「内的」な者たちにのみ、「不可抗力」としての自律運動が起動する。こうした逆転こそが「映画」という運動するメディアのひとつの転倒であり、映画を「外部」の常識によってそのまま理解してはならないことのひとつの証しである。

★主役が「通風性」になること

こうして「主体的」となった「妻として女として」の主人公たちは、「通風性」に翻弄されて「家を出る」どころか、みずからが「通風性」となって、星由里子と大沢健三郎の姉弟を家の中から弾き出してしまっている。星由里子は身勝手な大人たちに翻弄されて家を出て寮生活を始めてしまい、まだ中学生の大沢健三郎もまた早く家を出て下宿したいと希望している。「主体的」な主人公が「通風性」となり、家の中にいた「内的」な人物を実際に家の外部に弾き出してしまったという現象は、この「妻として女として」が初めてである。それくらいこの作品の細部は弛緩している。成瀬映画において極めて重要なラストシーンが、高峰秀子や淡島千影という「スター」ではなく、星由里子と大沢健三郎という「子供たち」で終わっているという事実は、細部における「後退」を裏付けている。

★メロドラマ

「主体性」な大人たちを、「秋立ちぬ」のような「見つめ合う映画」=メロドラマとして撮ることは到底できないばかりか、「窃視」としての細微な関係として撮ることもまた成瀬的細部が許さない。「秋立ちぬ」によってその可能性を指し示した「見つめ合うメロドラマ」への希望は、ここに頓挫したのである。

■Ⅳ共同監督に「逃げる」

「逃げる」シリーズの番外編として、成瀬映画のフィルモグラフィーからは殆ど抹殺されていると言ってもよい、川島雄三と共同監督で撮った「夜の流れ」がある。

59「夜の流れ」(1960)

料亭の雇われマダム山田五十鈴とその娘、司葉子、そしてその料亭に芸者たちを派遣する置屋の女将、三益愛子と置屋に暮らす芸者たちの日常を、板前の三橋達也と山田五十鈴母子との三角関係を絡めながら撮られているこの作品には、随分と多くの「窃視」が存在している。「窃視表」には私の判断で、成瀬が撮ったと思われる「窃視」に●をつけておいたが、この作品は共同監督という事で、参考までに止めておくことにする。

★脚本家との相性

第二次「後退期」の作品の中でも、●「娘・妻・母」(1960)から●「夜の流れ」(1960)●「妻として女として」(1961)を経由して●62「女の座」(1962)に至るまですべて松山善三と井出俊郎の共同脚本であり、そのあいだで唯一「後退」を免れている●「秋立ちぬ」(1960)の脚本は笠原良三であるというのは決して偶然ではないだろう。「社会派」の橋本忍と同じように、松山善三と井出俊郎の共同脚本は成瀬映画の細部と呼応していない。彼らの脚本は、「外部」の思想や出来事から導かれており、それによって「内部」的に転倒していた成瀬映画の細部を再度「外部型」へと転倒させてしまっているのである。彼らと成瀬とは、まったくもって水と油の関係にある。こうして脚本家との相性にも恵まれず、袋小路に落ち込んだかに見えた成瀬映画であるが、それでもなおかつ成瀬は、こうした流れに身を任せたかのように見せながら、同時に「抵抗」をし続けてゆく。

■Ⅴ歴史ものに「逃げる」

63「放浪記」(1962)

62「女の座」(1962)の次に撮られた作品が、小説家、林芙美子の昭和の始めごろから25年頃(1950)までの半生を描いた「放浪記」である。ビッグネームである林芙美子の伝記を題材にすることで興業的に「逃げて」おきながら、少なくとも映画の内部の物語においては、昭和初期の人物を描くことで「主体性」を回避し、「1960年代問題」に抵抗することができるのではないか。

★「通風性」

映画序盤に高峰秀子の住んでいる本郷の家屋は下宿の二階であり、高峰秀子の小さな部屋には高峰秀子に思いを寄せる加東大介が幾度も出入りしたりという「通風性」に満ちた空間として描かれている(「窃視」⑦⑧)。一見さり気ない出来事に見えてしまうこの光景、すなわち、「木と紙と竹」によって創られた「下宿」という空間が成瀬映画に現れたのは実に●54「杏っ子」(1958)以来であるという事実は、この作品が「歴史もの」であるという事実を抜きにして考えることはできない。それによって60年代には硬質になり始めた空間を(第一回論文参照)、軟質なものとして復活させることができる。「下宿」だけではない。高峰秀子が仲谷昇と同棲していた「旅館」という空間もまた、「木と紙と竹」によって創られた柔らかな「盗み聞き」空間として露呈しており、さらにまた、高峰秀子と宝田明夫婦の新居である世田谷の貸家は、昼間から鍵が開きはなたれ、夫婦が留守の間に勝手に上り込んでしまった伊藤雄之助や草笛光子の陰口が元で高峰秀子と宝田明との夫婦関係を悪化させ、高峰秀子をして「家を出る」という運動を起動させている。こうした「通風性」の感覚は、まさに●54「杏っ子」(1958)以来の久々の香りと言うべきであり、意識的にか無意識的にか成瀬映画は、「通風性」を求めて「歴史もの」へと回帰したようにも見える。ここにきて脚本家が松山善三と井出俊郎の共同脚本から●60「秋立ちぬ」(1960)の笠原良三へとチェンジしていることは偶然ではないだろう。そもそも「通風性」に翻弄されることこそ「放浪すること」であることからするならば、成瀬はこの林芙美子の原作に「通風性」「不可抗力」「内的な人物」という細部の流れを期待したとみることが可能である。

★関係の不在

「窃視」を検討してみたい。「窃視」を検討すれば、細部の流れが見えてくる。まずもって高峰秀子は9回「窃視」をし、8回「窃視」をされている。その中で高峰秀子は母の田中絹代を二回(③⑤)、最初の男である仲谷昇を一回()、「裸の窃視」しており、母の田中絹代から二回(①④)、同僚の女給から一回()、そして小林桂樹から一回()、総計4回「裸の窃視」をされている。極貧の中、放浪し、作品を書き上げてゆく高峰秀子をして賞賛すべき「古い者」と仮定したとき、この作品は、●41「おかあさん」(1952)の田中絹代や●52「流れる」(1956)の山田五十鈴のように、「無防備な身体」であるところの「古い者」が、ひたすら「裸の窃視」によって片面的に「見つめられ続ける」という、「古い者物語」としてあるようにも見える。しかしながら、高峰秀子を「見つめる者」が存在しない。「見つめる者」とは、他者とのコミュニケーションによってその身体を微妙に反応させながら「関係」を紡いでゆくところの「身体性」を有した者であり、それ自体として存在する人間の高貴さや頭の良さといった属性ではない。「身体性」とは「関係」であり、「関係」なくして「身体性」はあり得ない。ところが「放浪記」の高峰秀子へと向けられた「裸の窃視」は、その場限りのものとしてその都度頓挫している。③⑤は高峰秀子の母である田中絹代による「裸の窃視」であるが、田中絹代は映画の中には一部分にしか出てこない脇役であり、高峰秀子と持続的に「関係」が描かれているわけではないばかりか、⑩の「裸の窃視」もまた、バーの二階の住み込みの部屋で、木箱を机にして小説を書いている高峰秀子の姿を同僚の女給が「裸の窃視」するというものであり、この「裸の窃視」は第一回目の論文において評価された「窃視」ではあるものの、この女給もまた部分的に出演するだけの端役に過ぎず、高峰秀子との「関係」を綴ってゆく人物ではない。⑰で高峰秀子を「裸の窃視」する小林桂樹は、林芙美子のその後の夫がモデルかと思われるが、映画の中では最後にチョイ役で出てくるに過ぎず、やはり高峰秀子との「関係」を描かれた者ではない。男から男へと遍歴を重ねつつ流されてゆくのが「放浪もの」であるとするならば、そもそも固定した者たちとの「関係」を築くことの方がおかしい、という見方もあるだろうが、同じ「放浪もの」であっても「黄金期」に撮られた●53「あらくれ」(1957)の場合、放浪する高峰秀子を最初から最後まで見つめてくれていた「森雅之」という「関係」が存在していた。一度別れた森雅之は、その後再び高峰秀子に合うために田舎からわざわざ上京し、その死後においては逆に高峰秀子が森雅之の墓にお参りをしている。そしてその「関係」は物語の中だけではなく、「窃視」の中に露呈していたのである。(「窃視」⑦~⑫)。「関係」を築いてゆくのは物語ではなく細部なのだ。そうした「細部」が、同じ「放浪もの」であっても60年代の「放浪記」においてはキレイに失われている。それまでの「60年代後退期」の作品と同じように、「窃視」がその場限りで頓挫し、他の細部と呼応しないという現象である。「時代劇=一代記」に「逃げる」ことで、60年代に失われた「不可抗力」によって流される者を画面の上に復活させたように見えたこの作品は、しかし肝心の、「見つめる者」を欠いたが故に「古い者物語」になり得ず、かといって「ラブストーリー」にもなり損ね、「見つめる映画」にも「瞳の成長物語」にもなり得てはいない。物語の体裁においてなら、古い者の物語やラブストーリー等として「読む」ことは可能だが、それを裏付けるコミュニケーションの細部は「古い者物語」としても「ラブストーリー」としても、はたまた「見つめる映画」としても「瞳の成長物語」としても成り立っていないのである。

★インテリ

「放浪記」の登場人物たちの多くは小説家、詩人であり、「主体的な意志」を持ったインテリである。その中でも高峰秀子扮する林芙美子は、貧困に流されながらも強い「決意」による上昇志向を終始持ち続けた「主体的」人物である。端的に●「めし」(1951)の原節子や●「稲妻」(1952)の高峰秀子と比較して見るとよい。殆ど終始「流されっぱなし」の彼女たちは人間としては極めて平凡であり、欲がなく、競争が苦手ですぐに先を譲ってしまうような「内的」な人物である。だからこそ彼女たちは、「不可抗力」とマクガフィンの自動連鎖の中へと躍動することができたのである。ところが「放浪記」の高峰秀子は、貧困という物理的要因に流されながらも確固たる強い出世欲を有し、いつか世間様を見返してやるという反骨精神に充たされている。「放浪記」の高峰秀子は実は「流されて」はおらず、「めし」の原節子は実は「流されて」いる。「放浪記」は物語的には放浪するが、映画的には放浪しておらず、「めし」は物語的には「意志」による家出だが、映画的には「不可抗力」による放浪である。「めし」こそが『放浪記』であり、「放浪記」は『放浪記』ではない。こうした転倒は、「主体的人物」→「家を出ない」、「内的人物」→「家を出る」という成瀬的細部に通底するところの、極めて映画的な=「内部」的な逆転であり、「外部」の常識をそのまま「内部」へと持ち込むことの不可能性を指し示している。ここで考慮すべきは、「放浪記」における高峰秀子の人物像への具体的な非難ではない。わざわざ時代を遡り、「歴史もの」へと「逃げた」にも拘わらず、まるで取り憑かれたようにして「主体的な人物」がついて回ってしまうという「60年代」の重圧である。

★盗み聞きと主体性

人物の「主体性」は、「盗み聞き」という現象にも現れている。この作品では、序盤、高峰秀子が、旅館の部屋で恋人の仲谷昇と草笛光子が自分の陰口を言っているのを廊下から「窃聴」し、また中盤の世田谷の自宅において、勝手に上り込んで噂話をしていた伊藤雄之助等の会話を宝田明が「窃聴」したことが、その後の映画の展開に影響を与えているのだが、ここでは音声の振動ではなく、明らかに「会話の内容」が重視されている。誹謗、中傷といった言葉の「意味」こそが焦点とされているのである。そこにあるのは、不確かな身体のうごめきを時間の中で刻々と「見ること」によって「関係」を紡いで行こうとする運動ではなく、既に話された言葉の意味という「確固たるもの=既にそこに完成してある意味の中身」を「そのまま聞くこと」という、「主体的」な態度であり、自分にとっては未知の存在である「他者」とのコミュニケーションにおける時間性は失われている。人物の「主体的」な性格ひとつが、他の細部へと硬直化して波及する、これが成瀬映画の繊細な細部における負の連動である。

64「女の歴史」(1963)

日中戦争から戦後にかけて生きた一人の女の「一代記」ものであるこの作品は、夫と子供に先立たれた女、高峰秀子が、男たちのあいだを遍歴しながら、姑の賀原夏子を養い、自活して生きて行く作品であり、「放浪記」と同じように「流される」という要素を物語的に見出しながら、お人好しで他人の頼みを断れず、ひたすら時代に流されながらも最後の一瞬にきらびやかな運動をして消えてゆく「古い者」をフィルムに刻み込もうとしている。前作の「放浪記」(1962)同様に、「一代記」という時代物の中に「人物」を求めようと苦心している様子が見受けられる。

★見つめる者の不在

だがここにおいても「見つめる人」が存在しない。高峰秀子は4回「窃視」されているものの「古い者物語」として見出されるべき高峰秀子に対する「裸の窃視」=賞賛の眼差しが、星由里子による「窃視」24ひとつしか存在しないのである。確かにこの「窃視」24は、そのあり方それ自体としては見るべきものをしたためているにしても、嫁である星由里子と高峰秀子の関係は映画の一部分においてしか描かれておらず、ここでもまた「窃視」がその場限りで分断され、「関係」を描けないという「60年問題」が露呈している。「関係」によって露呈すべき「古い者物語」が、その場限りの一発勝負で終結してしまうのである。では高峰秀子の「見つめる映画」として成り立っていないか。高峰秀子は4回「窃視」されているのに対して17回も「窃視」していることからして、高峰秀子の「見つめる映画」として成り立っているようにも見える。「見つめる映画」とは、「防御する身体」であるところの娘がひたすら見つめ続ける映画であり、●6「乙女ごヽろ三人姉妹」(1935)の堤真佐子や、●「妻よ薔薇のやうに」(1935)、●「噂の娘」(1935)、そして●「朝の並木道」(1936)の千葉早智子三部作によってその萌芽が見られていた「孤独」な女の物語であり、その後「見つめる映画」は、●「めし」(1951)、そして●41「おかあさん」(1952)、●「稲妻」(1952)といった50年代の傑作へ連なるにしたがって、ひたすら見つめ続ける映画から「瞳の成長物語」へと発展していっている。そうした中で共通しているのは、「瞳の成長物語」を含むこれら「見つめる映画」のどの作品においても主人公は「裸の窃視」をされていないという事実である。「裸の窃視」をされるということは、された者の存在が「そのもの」として露呈する現象を惹き起こし、画面の中で彼らは「孤独」という物語から引き離されることになる。ひとたび「裸の窃視」をされた人物は、その映画の中に密かに共鳴する人物を得たことになり、映画的には「孤独」から解放されてしまう。ひたすら黙って見つめ続けながら、誰にもその心情を理解されることのない「見つめる映画」の女たちに対して、「裸の窃視」をその全身に浴びながら進んでゆく「ラブストーリー」や「古い者物語」といった作品は、孤独な「見つめる映画」とはまったく異質の「見つめられる映画」であることによって差別化されているのだ。だからこそ、「見つめる映画」や「瞳の成長物語」において、見つめる者が「裸の窃視」をされてしまうという現象は、「孤独」さと「共感」とが中途半端に混ざってしまうことになり映画を弛緩させる。●43「夫婦」(1953)、●44「妻」(1953)、●50「驟雨」(1956)といった「倦怠期もの」における夫婦間に「裸の窃視」が存在しないのもまた、まさにそれが「倦怠期の孤独」という主題と直結しているからであり、50年代黄金期に撮られた●39「めし」(1951)41「おかあさん」(1952)という二本の「見つめる映画」において主人公は「裸の窃視」どころか、「物語的窃視」すらただの一度たりとも受けていないという事実もまた、ひたすら見つめ続ける者たちが「孤独」の中から見出してゆく「成長」の希望を描いたからに他ならない。だがそうした「孤独」な人間も「60年代」には消え去ってしまう。物語的に「孤独な女」を描くことは可能だが、主題と関連した細部において「孤独」を描くことができなくなる。「孤独」であるように見える高峰秀子は、最後に星由里子の「裸の窃視」されてしまい、「孤独」ではなくなってしまう。では「ラブストーリー」はどうだろう。高峰秀子は仲代達矢とは劇的にキスをしており、物語的にはこの作品はラブストーリーとしても読める。しかし細部として見れは、仲代達矢から高峰秀子に対する「裸の窃視」が存在せず、従って「ラブストーリー」としては成り立ってはいない。物語的には古い者を撮り、かつ、ひたすら見つめ続ける女を撮り、しかしもラブストーリーを撮っておきながら、主題的な細部としては「古い者物語」でもなく「見つめる孤独」でもなく、かつ「ラブストーリー」でもない。極めて明瞭な兆候として、成瀬映画から細部の連動が失われていっている。映画が複数の細部の振動によって細微に織り込まれてゆくのではなく、語ろうと思えばいくらでも語れてしまうところの「物語の内容」によって進行していく度合いを強めている。

★仲代達矢

この作品における「スター映画」に匹敵する人物の多さは「放浪記」にも見られた現象であり、また、流されているように見える女(高峰秀子)が、「放浪記」の高峰秀子と同じように、強い「意志」によって生き抜いているという点においてもまた「主体性」を見出すことができる。それを象徴するのが、亡き息子の嫁である星由里子が高峰秀子に会いに来て、懐妊を伝えたシーンである。ここで高峰秀子は星由里子を金目当ての女だと断定し、手切れ金として堕胎費用を渡し、嫁として扱うことを「きっぱりと」拒絶している。仮にこれが50年代の成瀬映画であるならば、そのやや「外交的な」性格からして「通風性」として機能してもよい星由里子にいたたまれず、やむなく高峰秀子は家を出て、、となるところが、ここではその「通風性」をきっぱりと追い返してしまうのである。相手になる男にしても、終始、高峰秀子に絡んでくる仲代達矢は「立ち役」に適した「主体的」人物であり、強い意志によって高峰秀子を助け、保護して続けている。その余りの硬質さは、同じ「放浪もの」の●「あらくれ」(1957)で、高峰秀子と絡んだ男たちと比べてみれば一目瞭然である。マザコンの田中春夫、起きてるんだか寝てるんだか分からない「二枚目」の上原謙、湯殿の脱衣所で髪をとかしている高峰秀子を廊下の影から盗み見して襲いかかったこれまた「二枚目」の森雅之、「このバカが、、いっちょ前にヒゲなんか生やしやがって、、」と妻の高峰秀子に罵倒されホースで水をぶっかけられた加東大介、、、これらに対して「女の歴史」の仲代達矢は同じ人間ではない。ほとんど「種」が違っている。余りにも「しっかり」し過ぎている。成瀬が「クロサワ」になってしまっているのだ。僅か数年の年月の経過が、こうまで人物の性格を変えてしまうものなのか。「60年問題」とはつくづく「関係」を描けない現象なのだ。

57「女が階段を上る時」(1960)

ここで「人物」という観点から60年代最初の一本である「女が階段を上がる時」を検討してみたい。●56「コタンの口笛」(1959)と●58「娘・妻・母」(1960)のあいだに撮られたこの作品は、キャメラの玉井正夫とコンビを組んだ最後の作品としても記憶にとどめて置くべき作品であり、黛敏郎のモダンな音楽に乗せて、みずからのナレーションと共に長い階段を上がってゆく高峰秀子が麗しい、銀座のバーの雇われマダムの物語である。第一回の論文で検討したように、60年代には、時勢を反映するように成瀬映画の東京から「物的通風性」が失われていった。そこで成瀬映画は

『時として「乱れる」や「乱れ雲」のように、通風性を求めて映画は舞台を地方都市へと求めてみたり、●「放浪記」(1962)や●「女の歴史」(1963)のような、自伝もの、時代物の中に通風性を求めざるを得なくなる。さらには●「女の中にいる他人」(1966)や●「ひき逃げ」(1966)のように、通風性それ自体を放棄して、「密室性」を売り物としたサスペンス映画に活路を見出すことにもなる。中略~成瀬映画は窒息しそうな空間の中で、新たな通風性を求めて行かざるを得なくなる。そんな時代に現われた東京発の通風性が、「水商売もの」と言われる、銀座の雇われマダムの物語である。』(第一回論文)

こうして「女が階段を上がる時」は、のちの●61「妻として女として」(1961)と同様に、「通風性」を求めるために雇われマダムものへ「逃げた」=「抵抗」と見ることもできる。

★道徳とは何か

この作品における高峰秀子は、顧客に電話をして店に来るように口説いたりということが出来ない律儀な女である。独立し、新しいバーを出して高峰秀子の顧客をかっさらっていったホステスの淡路恵子に対してすらある種の共感を感じているようなお人好しであり、顧客に電話をして「今日、店に来て」などとは言えない性質の女として男たちに利用され続けている。それは●「放浪記」(1962)や●「女の歴史」(1963)の高峰秀子に比べて「お人好し度」がより強調された人物であり、どちらかといえば●「おかあさん」(1952)の田中絹代や●「流れる」(1956)の山田五十鈴といった「古い者」に近い。そんな高峰秀子が8回「窃視」をしながら、7回も「窃視」をされているのは、そうした「古い者」を視線によって焼き付けてゆくという物語の露呈を裏付けていると見えなくもない。しかしここでもまた高峰秀子を「見つめる者」が存在しない。高峰秀子が密かに思いを寄せている森雅之から高峰秀子に対する「窃視」は、⑰の一つしかなく、それは森雅之が高峰秀子を強引に抱いた直後に切り出した別れ話の直後の「チラリ」であり、到底「裸の窃視」と呼べるものではない。もう一人、高峰秀子に絡んでくる男である加東大介は、⑫で高峰秀子に対してそれなりに清清しい「窃視」をしているが、その眼差しは●41「おかあさん」(1952)における香川京子による田中絹代に対する「窃視」23や、●52「流れる」(1956)における田中絹代による山田五十鈴への「窃視」20などのような抒情性を秘めた眼差しとは程遠いところの物語的要素が込められている。それは加東大介が「結婚詐欺の常習犯」だからではない。加東大介は、高峰秀子を透き通った眼差しで見つめることで「関係」を築いてゆくだけの「身体性」を欠いているのである。ここで描かれている男たちと言えば、結婚詐欺師の加東大介であったり、妻と子供を捨てられず高峰秀子の体だけを奪い手切れ金の株券を置いてさっさと大阪へと転勤して行ったしまった森雅之であったり、金に汚い成金の小沢栄太郎であったり、こせこせと金をせびってくる兄の織田政雄であったりと、ひたすら女たちを利用するだけで筋を通しはしないけち臭い存在として描かれている。だがそれが理由で彼らが「裸の窃視」を為し得る「身体性」を持ち合わせていないのではない。そもそも成瀬映画に出てくる男たちは、●48「浮雲」(1955)の森雅之や●39「めし」(1951)の上原謙に代表されるような「二枚目」であり、それは決して道徳的に「良いひと」でもなければ「信頼できる人」でも「守ってくれる人」でもない。現に「浮雲」の森雅之は温泉旅館の女将の岡田茉莉子と浮気をして高峰秀子を嘆かせているし、●39「めし」の上原謙もまた姪っ子の寝姿に思わず恍惚と「裸の窃視」をしてしまうような浮気者であり(「窃視」②)、決して道徳的な人物として描かれてはいない。成瀬映画における「道徳性」とは、人物が道徳的であることではない。人物が「内的であること」なのだ。

★団令子

ホステスの団令子は、●「銀座化粧」(1951)の香川京子にも似た高峰秀子の妹分であり、高峰秀子のマンションに泊まったり、留守番をしたりという、高峰秀子にもっとも近しい人物として描かれている。その団令子が高峰秀子に独立を申し出た時、マネージャーの仲代達矢は、わざわざ高峰秀子に断わってから独立した団令子をして『いいとこあるぜ』と褒めている。それは、わざわざマダムの高峰秀子に対して筋を通したという、道徳的な賞賛を意味している。それにも拘わらず団令子は、ただの一度も高峰秀子を「裸の窃視」できていない。団令子はマネージャーの仲代達矢と密かに肉体関係を持ち、なおかつ高峰秀子の旦那である中村雁治郎を誘惑してパトロンにしてしまう『反道徳的な』人物でもある。だが団令子が高峰秀子を「裸の窃視」できないのは彼女が反道徳的だからではない。仲代達矢との情事にしても、中村雁治郎の誘惑にしても、極めてスムーズに、そしてチャッカリと成し遂げてしまう「意志的」な人物だからである。バーを独立する時、わざわざ高峰秀子に断わってから出て行った団令子の行為は、物語的には道徳的だが、成瀬映画的には「反道徳的」なのである。ここでもまた物語と細部との転倒が生じている。それは団令子に限られてはいない。高峰秀子に思いを寄せるマネージャーの仲代達矢にしても、団令子との情事や高峰秀子への迫り方について「意志的」なのだ。かつまた高峰秀子を利用して去って行った森雅之にしても、同じく結婚詐欺で高峰秀子を騙して蒸発した加東大介にしても、彼らが「反道徳的」なのは、彼らの行動が嘘や詐欺によるものだからではない。それらが「意志された=計画された」からである。●「女の歴史」の仲代達矢はまさに道徳的な人物であった。だからこそ彼は「反道徳的」なのである。

★「裸の窃視」と道徳

ここでもまた物語と映画との転倒が生じている。成瀬映画において、細部を大きく起動させる「裸の窃視」をなしうる人物は、映画的に「道徳的」でなければならず、それは取りも直さず「内的」である、ということなのだ。「物語的窃視」はその内容が言語的であるが故に人物は「主体的」でも「内的」でも可能だが、「裸の窃視」は「そのもの」として見つめる運動であるが故に、人間を言語的に読んでしまう「主体的」な人物にはすることができない。仮にしたとしても、それは「関係」を揺さぶらず、成瀬的細部としての振動を惹起しないのである。1953」を典型とした「夫婦もの」は、人物が「内的」でありながら、主題の要請から「裸の窃視」がなされておらず、またその平坦さに耐えうるものとしての④→③→②→①の力を携えていたのだが、「60年代」の作品は、そもそも人物が「主体的」であるがために「裸の窃視」は撮られることができず、仮に撮られたとしても他の細部と呼応せず、④→③→②→①の渦の中へと巻き込まれて行かない。こうして成瀬映画の「60年代問題」とは、とことん「人物の主体性」へと行きついてゆく。人物の「主体性」は、「不可抗力」や「通風性」、「裸の窃視」といった細部の連動を起動不能に陥れ、凍結させてしまう。それまでは、結婚という人生の一大事すら「不可抗力」によって流されていた人物たちが「意志」を持ち始め、みずからの行動を自らの責任と意志によって支配するようになる。それが「60年代」であり、いざ映画の内に「意志的な」人物が侵入してきたとき、成瀬映画はそれを「通風性」によって翻弄することはできず、細部は停止し、弛緩してしまう。さらに加えて「主体的」な彼らは人間を「裸の窃視」することができず、「古い者物語」や「瞳の成長物語」ばかりか「ラブストーリー」すら不可能たらしめてしまう。「女が階段を上がる時」は、60年代の作品の中でも秀逸の部類に入る作品ではあるものの、人物の「主体化」は脇役たちにおいて顕在化し、それによって「細部の映画」ではなく「物語映画」へと接近している。

★物語映画

前回の論文では成瀬版と今井正によるリメイク版の●「あにいもうと」を比較検討した。成瀬版の京マチ子の「身体性」は、映画序盤の「防御する身体」から、映画終盤には「無防備な身体」へと変貌しており、それによって京マチ子が、神経質で臆病な娘から、大胆で開けっぴろげな娘へと変化していたことが「窃視」との関係で視覚的に露呈していた。それに対して今井正のリメイク版における秋吉久美子の「身体性」は、序盤の「無防備な身体」から終盤の「防御する身体」へと、成瀬版とはまったく逆の変化を遂げており、それについておそらく今井正は意識していないだろうと書いた。いうならば「60年代」の成瀬映画とは細部の力ではなく、今井正版の「あにいもうと」のように、物語の力によって映画を撮る傾向を強めた時期であったということができる。細部が連動しないのだから、物語によって画面を進めてゆくしかない。逆に言うなら「外部」の力が優勢になってきたために「内部」が機能しなくなったのである。興業、「社会問題」、「スター映画」、といった「外部」の力が、「内部」の細部を働かなくさせたのだ。但し、成瀬映画の「60年代」が違うのは、今井正の映画が主として①→②→③→④の順で撮られていくのに対して、成瀬映画の基本的な流れは未だ④→③→②→①を維持していたという事実である。確かに「60年代」の作品における細部のしなやかな呼応の連鎖は失われつつあったが、それでも成瀬は決して①→②→③→④という順序を主として映画を撮ることはなかった。例えば●58「娘・妻・母」(1960)の「窃視」⑫は、原節子が「見られていることを知らない者」である状態を作るがために、わざわざ原節子は唐突に掃除機に興味を持つというように、④→③→②→①の流れで撮られている。そもそも「窃視」という、成瀬映画を代表する細部それ自体が常に④→③→②→①という順序を包含しながら撮られてゆくものである以上、成瀬映画の「後退」の度合いもまた、反物語的映画の質における「後退」であり、一気に凡庸な「物語映画」のレベルまで映画の質が低下してしまうということではなかった。連動してはいないものの、孤立する細部それぞれは、④→③→②→①によって撮られているのである。

64「女の歴史」(1963)ふたたび

★出産

仮に私が制作者だとして、成瀬映画のどれかを「物語」としてリメイクするとしたならば、「女の歴史」を選ぶかも知れない。成瀬映画において、「成瀬的人物」=お人好しで他人の頼みを断れず、ひたすら流されて行く種=が、次の世代へと受け継がれて行く、という主題を撮った映画は、68本現存する成瀬映画の中で、この一本しか存在しないからである。「古い者」を扱った●「流れる」(1956)●「鶴八鶴次郎」(1938)●「おかあさん」(1952)、といった作品においては、滅びてゆく種の最後の瞬間が描かれているものの、そうした種が次の世代に受け継がれてゆくという要素については強調されていない。あるとすれば「おかあさん」であり、そこでは田中絹代の娘である香川京子が、「瞳の成長物語」を通じて次の世代の担い手となって生きて行くことが暗示されている。ところが「女の歴史」の場合、確かに高峰秀子や星由里子、そして子供の父親である山崎努の人物像は相当に「主体的」ではあるものの、星由里子の懐妊、出産という事実が描かれることによって「成瀬的人物(なるもの)」が次の世代へと受け継がれて行くことがはっきりと明示されている。そもそも成瀬映画において、懐妊、出産という出来事は極めて珍しい。子持ちの人物はいくらも存在しても、懐妊、出産という出来事は基本的に映画の画面から除外されているのである。出産にまで至ったものは、「女の歴史」以外には●「禍福・後編」(1937)の入江たか子一人しか存在せず、その入江たか子にしても、裏切られた男(高田稔)の子を身篭り出産したものであり、間違っても「次の世代に、、」という流れではない。その他懐妊した女たちは、●「夫婦」(1953)の杉葉子、●「あにいもうと」(1953)の京マチ子、●「山の音」(1954)の原節子、●「浮雲」(1955)の高峰秀子、●「あらくれ」(1957)高峰秀子、そして●「乱れ雲」(1967)の司葉子と存在するが、「夫婦」の杉葉子以外、揃ってみな流産しており、「夫婦」の杉葉子にしても出産までは描かれておらず、それどころか堕ろすの堕ろさないので夫の上原謙と揉め続けている。成瀬映画において「出産」という出来事は意図的に忌避されているといってよい。おそらくそれは「家を出て自立をする」という近代的(というより現代的)女性像を描き続けた成瀬映画の主題的な帰結であると思われるが、そうした中でこの「女の歴史」は、義母の高峰秀子に冷遇された星由里子がひとりでも子を産み、出産するという強い決意が描かれており、その後、高峰秀子と「和解」した星由里子は、高峰秀子と二人で子供を育てて行くことになる。「成瀬的人物」を「みんなで育てる」という面が強調されているのである。そうした点においてこの作品は、●「流れる」(1956)よりも、より『ジョン・フォード的』であると言えるかも知れない。脚本の笠原良三は●「秋立ちぬ」(1960)では「反成瀬的物語」を露呈させることで成瀬映画に新しい息吹を吹き込むことに寄与していたが、成瀬と二度目に組んだこの「女の歴史」においてもまた笠原良三は、「出産」という「反成瀬的物語」を成瀬映画に吹き込んでいる。現代において成瀬映画を仮にリメイクするとするならば、「成瀬的人物が、次の世代に受け継がれで行く」というこの「女の歴史」がそれとなく魅力的である。

■Ⅶ「ラブストーリー」に逃げる

60年代」になると成瀬映画は、●「めし」(1951)の原節子や●「稲妻」(1952)の高峰秀子のような「内的」な人物を得ることができなくなってしまった。ましてや●「まごゝろ」(1939)の入江たか子や●「乙女ごヽろ三人姉妹」(1935)の堤真佐子など、もう望むべくもない華であり、時代は高峰秀子ですら「主体的」にならざるを得ないほど変化していたのである。端的に言ってもう、孤独な女が一人誰かを見つめ続けたり、或いは「古い者」がひたすら誰かに見つめられ続けたりといった時代ではない。既に時代は高度経済成長時代へと突入し、人々は戦後民主主義の中で「成熟」を遂げてしまっていた。自信を持った人々は次第に「意志的」になり「主体的」になって行った。「古い者物語」であるはずの●「女が階段を上がる時」(1960)は既に「古い者物語」足り得ず、「社会映画」や「スター映画」は成瀬的細部を孤立せしめ、唯一「内的さ」によって成瀬的細部を示現したのが●「秋立ちぬ」(1960)という、「子供映画」であった。最早時代は大人たちの中に「内的な」人物を見出すことはできない。「古い者物語」や「見つめる映画」、そして「瞳の成長物語」といった見事な細部の連動は、決して普遍的なものとして成瀬映画には君臨し続けはしなかったのである。だがたったひとつだけ普遍的な物語がある。「60年代」の大人たちですら、利己的な欲望と道徳とのあいだに翻弄され、無意識的に運動の坩堝の中へと投げ込まれてしまう「不可抗力」の物語、それが男と女の「ラブストーリー」である。

65「乱れる」(1964)と●68「乱れ雲」(1967)

結局のところ、その「身体性」において、50年代の成瀬的細部がそのまま「60年代」に受け継がれた作品は●「乱れる」(1964)と●「乱れ雲」(1967)の二本しかない。「人物」という点から見て「ラブストーリー」は、賞賛されるべき「古い者」が主人公である必要はなく、孤独な娘も必要なく、男と女がいて、そこにエロスの葛藤が生じてしまえば「不可抗力」による運動を惹き起こすことができ、その普遍性からしても時代錯誤に陥らずにすむだろう。「社会映画」→「スター映画」という下降期を経て、「子供映画」→「歴史もの」、そして「ラブストーリー」へと至った過程を丁寧に見てゆくと、「60年代」の成瀬映画は決して興業一転張りによってのみ撮られていたのではないことが見えてくる。そこには意識的にか無意識的にか「成瀬的細部」へと向けられた葛藤の痕がはっきりと見られるのである。この二本については既に多くの検討をして来たが、●「お國と五平」(1952)における、主人と家来の「上下関係」と同じように、映画の開始時点において「義姉と義弟」「加害者と被害者」という禁断の葛藤から始まる二つの作品は、「防御する身体」から「無防備な身体」へと少しずつ移行してゆく男と女の身体的エロスが、視線の揺れを通じて見事なラブストーリーへと結晶されている。主人公を男と女の二人だけにはっきりと限定し、場所を東京から地方の町へと移すことで、「乱れる」の場合は飽き放たれた昔風の酒屋によって、「乱れ雲」の場合は「下宿」によって、それぞれ「通風性」を回復させ、ラブストーリーによるエロスによって人物の「内的」さを回復させる。そうすることで成瀬的細部が生き生きと解き放たれ、他の細部と呼応しながら弾け合ってゆくという、理想的な流れの中で映画は撮られている。「乱れる」の脚本は松山善三、「乱れ雲」は山田信夫の単独脚本となっているが、成瀬自身が大いに脚本に関わったことは間違いない。こうして成瀬映画は●54「杏っ子」(1958)以来、久しくはなればなれとなっていた成瀬的細部との全面的再会を果たしたのである。

★しかし、、、

「不可抗力」によって翻弄される「ラブストーリー」と来れば成瀬にとっては十八番であり、ここで撮られた「身体性」の微妙な揺れは、既に●40「お國と五平」(1952)によって完成された手法のまったき反覆に他ならず、●60「秋立ちぬ」(1960)のあの「純」な運動を進化させるものではない。仮にすぐれた作品であれ成瀬としては、「乱れる」と「乱れ雲」という、撮り慣れた「ラブストーリー」に満足していたようには見えないのだ。

■Ⅵミステリーに「逃げる」

ここまで「60年代」の成瀬映画をして「逃げる」「逃げる」と語ってきたが、それは一つの「逃げ」でもあり、同時にまた「抵抗」でもある。●65「乱れる」(1964)において見事な「ラブストーリー」を撮り上げた成瀬巳喜男は、しかしそれに飽き足らず、人生で最後の「逃げ」を打つ。それはかつて成瀬映画を決定的に悩まし続けた「真実」という主体的な物語が中心に押し出されるところの「ミステリー」という、まったく未知の分野である。

66「女の中にいる他人」(1966)

ハイコントラストのローキイという、漆黒の黒で全編撮られたこの作品は、いきなり雨上がりの歩道を歩いている小林桂樹の後ろ姿から意味あり気に映画が開始され、切返されたショットの背景には、いつもの成瀬映画の揚々と風になびく木々とは対照的に、逆光で真っ黒に染まった憂鬱な葉陰をしたためた街路樹が映し出されている。エドワード・アタイヤの推理小説を映画化したこの作品は、成瀬にとっては初めてのミステリー映画であり、●「鰯雲」(1958)のシネマスコープ以来、久方ぶりにスタンダードサイズに戻して撮られている。映画は犯人自身が中途で『犯人はアタイヤ』(原作のエドワード・アタイヤと『私』という意味での『あたい』を引っかけた私のダジャレである。失礼)と罪を告白してしまうことから、まるでヒッチコックの●「めまい」(1958)のように、映画の途中でミステリーからサスペンスへと移行している。

★「内的」な主人公

オープニングのショットからして(「窃視」①。ただしこれは「窃視」ではない)犯人である小林桂樹は、自分の背中を振り返り、他人に見られることを警戒しており、そうした小林桂樹の「身体性」は、ミステリー映画の犯人としての「防御する身体」であるように見える。だが「窃視」②⑤において早くも小林桂樹は「無防備な身体」を晒してしまい、とうとう「窃視」⑩によって唯一の目撃者である草笛光子に、「あの人どこかで見たことが、、」という眼差しによってその後ろ姿を「物語的窃視」されてしまっている。小林桂樹は、自己の犯罪を強靭な意志によって隠蔽する「防御する身体」としての完全犯罪者ではなく、事件発覚に恐れおののく小心者=「二枚目」として描かれているのだ。「窃視」⑤はそうした小林桂樹の小心者さをよく現している。自室の書斎で小林桂樹は物思いに耽ってしまい、ドアの音をさせながら部屋に入って来た妻の新珠三千代の存在に気付かずに「無防備な身体」を晒してしまい、その姿を「物語的窃視」されてしまっている。少ししてから新珠三千代の存在に気付いてびっくりしたように振り向く小林桂樹の様子が、小心者としての「無防備な身体」を際立たせている。ここで見えてくるのは、成瀬はこのミステリー映画を、「成瀬的二枚目」を主人公に撮り始めているという事実である。成瀬がみずからの映画を「成瀬的人物」によって撮るということは当然と言えば当然であるものの、それまでは「60年代問題」によって「主体的」な人物に苦労していた成瀬映画が、洋風の「主体的」な香りをしたためたミステリー映画を、「内的」な人物によって撮ってゆくという事実がまたある種の転倒を予感させている。

★真実の転倒

小林桂樹は、確固たる主体としての「立役」が、自由意志によってミステリーの真実を発見なり告白してゆくといった人物像ではなく、事件に怯える小心者で「内的」な「二枚目」として撮られ始めている。そうしたことからか、この作品には、●「裏窓」(1954)のジェームズ・スチュアートがしたような、決定的な瞬間をオブジェクトとして盗み見することで真実を暴露してしまうといった硬質な「窃視」はただのひとつも存在しない。仮にそれが論理に絡んでくる「物語的窃視」であったとしても、「内的」な人物の紡いでゆく「窃視」とは、あくまでも「関係」を築いてゆくためのものとしてあるのであり、だからこそ「女の中にいる他人」における「窃視」もまた、人が殴られたり、殺されたりする瞬間や、情事を演じている瞬間などの決定的な場面そのものではありえず、せいぜいが、義兄が知らない女と一緒にいるところをバスガイドの高峰秀子が「窃視」したり(「稲妻」「窃視」②)、夫が姪と腕を組んで歩いているところを妻の原節子が「窃視」したり(「めし」「窃視」⑦)というような、間接的に「関係」を推測させるような出来事を盗み見することにすぎない。事実この作品の「窃視」の中で事件の解明に関わるものは、草笛光子が小林桂樹の背中をただ見つめる「窃視」⑩や、草笛光子が以前、小林桂樹と殺された若林映子の二人がマンションから出て来る場面を「窃視」していたことを回想の画面を交えながら三橋達也に告白する「窃視」⑪くらいであり、どちらも犯罪の真実性と直結するものではない。さらにまた、この作品には「裸の窃視」が一度も成されていない。真実を探り出すミステリー映画に「ほんとう」を露呈させる「裸の窃視」が不在である、というのは一見奇妙である。だが成瀬映画の「裸の窃視」によって醸し出される「ほんとう」とは、限りなく物語性を削ぎ落とされたところの「なまもの」としての「ほんとう」であり、物語に沿って真実が展開されてゆくミステリー映画において、「裸の窃視」がひとつも存在しないというのはむしろ当然である。「裸の窃視」の「真実」とは「うごめき」そのものであり、ミステリー映画における真か偽という概念的なものとはまったく異質で相容れない現象だからである。そうすると成瀬は、ミステリー映画における真実を、どうやって撮れば良いのか。「主体的」な「立ち役」が、自らの意志によって対象をオブジェクトとして観察しながら真実を発見してゆく西洋型のミステリーならイザ知らず、「内的」な「二枚目」が「不可抗力」によって翻弄されながら、「物語的窃視」によって「関係」を綴ってゆく成瀬的細部においては、「和解」や「解決」といった硬質の真実が生じることはない。まさかミステリー映画という、何よりも真実に重きが置かれるジャンルを、真実を抜きに「関係」だけで撮れることはできないはずである。従って成瀬的細部は当然ながら修正を余儀なくされることになる。

★密室性

罪の意識に耐えられずに参ってしまった小林桂樹は中盤、家を出て山中の温泉へと逃避している。第一回の論文で検討したように、この作品は「密室性」を軸に撮られており、人物の「不可抗力」の運動を可能とする「通風性」の不在が画面のマクガフィン性にどういう影響を及ぼすかがまずもって検討されることになる。小林桂樹の「家を出る」という運動は、確かに被害者の夫である三橋達也が家に来訪したりという「通風性」によって起動された現象であると考えることもできるが、あくまでもこのミステリー映画の基軸は、ひたすら降り続ける梅雨の雨が象徴するように、人物を「内部」へと閉じ込め続ける「密室性」にあり、罪の意識に苛まれ続けて精神的に参ってしまっている小林桂樹の運動は、閉塞した「密室性」から逃れて自首をして楽になりたいという「外部」へと常に向けられている。こうして見ると、小林桂樹は、硬質の装置によって閉じられた家屋の「密室性」の閉塞感に耐えきれずに家を出た、という側面が強く存在している。この作品の特異性は、常に家全体が梅雨の雨によって「不可抗力の密室」と化すことで、通常ならば一瞬で霧散する抒情的空間となるべき「不可抗力の密室」が持続し続け、じめじめとした閉塞感となって襲いかかり、遂には「通風性」となって小林桂樹を家の外へ弾き出してしまうところにある。「密室性」が「不可抗力」の運動を起動するという、成瀬映画として非常に珍しい現象が惹き起こされたことになる。

★第一の告白

小林桂樹はそれ以前に一度、自宅の寝室で妻の新珠三千代に対して第一の「告白」をしている。それはまさに雷雨による停電という「不可抗力」によって起動した「密室」によってなされた「告白」であり、揺れるローソクの炎と雷光の中で行われた極めて成瀬的な「告白」であった。だがそうした成瀬的抒情とは裏腹に、ここで小林桂樹は、被害者の若林映子と面識があったことを妻に「面と向かって告白」している。小林桂樹の「内的」な人物像に、ミステリー映画に特有の「主体的」な亀裂が入ってくる。「告白」とはまさに真実という「主体的」な西洋風出来事の吐露であり、嘘と真の二項対立からなる硬質の一神教的アングルである。

★第二の告白

家を出た小林桂樹が逃避した温泉に妻の新珠三千代がやってきて、二人で渓流の河原や山道を散歩したあと、小林桂樹はひとりでどんどん暗いトンネルの中へと歩いて行き、『そちらに何かあるんですの?』と訝しがる妻に向かって振り向いて「第二の告白」を始める。ここでもまた暗いトンネルという「密室」が「告白」の場所として使われているが、「第一の告白」と違うのは、小林桂樹は「告白」することを「意志」してトンネルの中へと入って行った点である。暗さを増してゆくトンネルの中ほどで振り向いた小林桂樹の表情には、既に「告白」することの決心が込められており、振り向いた小林桂樹は迷うことなく「告白」を始めている。従ってこのトンネルの暗がりを利用して作られた「密室」は、「不可抗力」によるものではなく「意志による密室」ということになる。さらにまたこの「告白」は、新珠三千代と「面と向かって」行われている。「内的」な人物である小林桂樹の運動が、次第に「意志的」なものへと傾いてゆくのである。

★第三の告白

第二の「告白」で、みずからの殺人を妻に「告白」した小林桂樹は、さらにまた親友であり、被害者の夫である三橋達也のアパートで「第三の告白」をしている。この「告白」もまたアパートの中という二人だけの「意志的な密室」において、「面と向かって」行われている。「第一の告白」が、目を逸らし逸らし為されていたのに対して、ここでははっきりと三橋達也の目を見つめて「告白」している。向かいのアパートで踊っている若者たちとのコントラストにおいて「密室性」がカモフラージュされているものの、「不可抗力」の要素は完全に払拭されている。小林桂樹はその後、妻の反対を「きっぱりと」断わって自首を「決意」することになる。映画序盤の「内的」な人物像が、終盤にかけて「主体的」なものへと変化しているのである。

★評価 

前半と後半における小林桂樹の人格に齟齬を生じているという点においてこの作品は、「60年問題」のひとつの範疇の中に入ると言える。「内的」な人物で映画に入りながら、最後まで「内的」で撮り切れなかったところに、題材の不慣れさが現れており、それは明らかにマイナス材料として映画の細部を襲っている。しかし登場人物は小林桂樹と新珠三千代、そして三橋達也の三人にはっきりと限定され、また人物の「主体性」についても、映画の「社会性」や「興業性」、「スター性」といった、「外部」の影響から来るものではなく、あくまでも「内部」の主題を煮詰めて行った結果として出て来た「主体性」であり、また映画を通しての小林桂樹の主たる人物像は、そもそもの殺人行為が『女と首絞めゲームをしていて、「間違って」殺してしまった』ことであったように「内的」で貫かれているのであり、「内的」であるからこそ細部が起動し、映画が運動を始めたのであって、それは小林桂樹が最初に家を出て温泉へと逃避する運動が「不可抗力」によってなされていたことなどによって見ることができる。確かにこの作品には幾つかのギクシャクした細部を見出すことができるが、それはあくまでも映画の主題と細部との関係という「内部」の問題であり、「外部」からの力に細部が屈した結果ではない。こうしたことからしてこの作品は、「60年代」の「後退」作品からはっきりと一線を画した「内部」の力を有しており、●「女が階段を上がる時」(1960)、●「秋立ちぬ」(1960)、●「乱れる」(1964)、「乱れ雲」(1967)と並んで「60年代」のベスト5に入り得る作品である。

67「ひき逃げ」(1966)

続いて撮られたのがこの「ひき逃げ」であり、司葉子の運転する車に息子をひき逃げされて殺された高峰秀子が、司葉子の家に家政婦として単身乗り込み、司葉子の息子(平田郁人)を殺して復讐を試みるという、これまたミステリー映画である。

★「女の中にいる他人」(1966)との違い

主人公の高峰秀子が17度も「窃視」しているように、先ずこの作品は高峰秀子が「見つめる者」として成り立っており、犯人の司葉子は6度「窃視」されていても決してみずからは「窃視」をしていないことからして●「女の中にいる他人」(1966)の小林桂樹同様に、みずからの犯罪に怯える「無防備な身体」として撮られている。成瀬ミステリーにおける真犯人は、決して確固たる主体でもって犯罪を隠蔽する完全犯罪者ではなく、「内的」な性格によってひたすら「無防備な身体=怯える身体」を晒して「物語的窃視」をその身体に受け続け、ボロを出して苛まれる運命にある。だがこの映画の主人公はあくまでも高峰秀子であって司葉子ではない。「女の中にいる他人」の主人公は犯人の小林桂樹であり、彼は「内的」で、「二枚目」的な犯人として翻弄される立場にあったのに対して、「ひき逃げ」の主人公である高峰秀子は、まるで●「禍福」(1937)の入江たか子のように、確固たる復讐の「意志」を有した被害者であり、綿密な計画によって司葉子の心理を揺さぶり、その些細な動揺を見抜き、犯人として追い詰めてゆくという「主体性」を有している。主人公が「内的」ではなく、終始「主体的」であること、ここが●「女の中にいる他人」とは違っている。あくまでも基本としては「主体性」を欠いた「二枚目」が主人公である「女の中にいる他人」の場合、「物語的窃視」は「真実」ではなく「関係」を築いて行くためのものとして撮られており、そうしたしなやかな弾力性が、逆に「和製ミステリー」としての不確実性を醸し出して映画に力を与えていたのだが、「ひき逃げ」の「物語的窃視」には、人物の「強さ」がそのまま反映している。例えば「窃視」⑪は、犯人が付けていたと目撃者の浦辺粂子が証言していた白と黒の縞のスカーフを、司葉子が付けているのを高峰秀子が「窃視」するというものであり、ミステリー映画の「真実」を目撃する決定的な証拠物件として撮られている。人物の性質が変わると「窃視」の性質まで変化する。「意味」の強さが質的に増幅するのである。さらに「ひき逃げ」の高峰秀子は「自由意志」によって殺人未遂、という「主体的」な犯罪を試みており、これは、女と首絞めゲームをしていて、「間違って」殺してしまった「女の中にいる他人」の小林桂樹とは決定的に異なっている。

★「ラブストーリー」

しかし良く見ると高峰秀子は、「防御する身体」としての「見つめる者」としては描かれてはいない。なんと3度も「裸の窃視」をされているのである。「裸の窃視」とは、ミステリー映画の物語的な真実とは質的に異なる反物語的「ほんとう」を暴き出すコミュニケーションであり、●「女の中にいる他人」(1966)においてはただの一度も存在することのなかった反ミステリー的な眼差しである。それがここでは3回も存在している。その相手のすべてが、高峰秀子が復讐のために殺そうとした司葉子の息子、平田郁人なのだ(⑧⑨⑫)。そして高峰秀子の方もまた、ガス栓をひねって平田郁人を殺そうとした瞬間、ベッドで眠っている平田郁人の寝顔を「裸の窃視」し、犯行を躊躇してしまっている()。この作品ではあろうことか、犯人である司葉子の息子と高峰秀子とが「相互窃視」するところの「ラブストーリー」として撮られているのだ。高峰秀子があの子供を手にかけることができなかったのは、既に視線の流れによって予告されていたのである。もちろんこの作品を高峰秀子と少年との恋愛映画であるというつもりはない。しかし成瀬映画の「ラブストーリー」とは、「無防備な身体」を晒す者たちを相互に「裸の窃視」することで醸し出される「ほんとう」のエロスを共有することで築き上げられる「関係」であり、決してそれは、恋愛感情としてのみ噴出するものではない。●「乱れ雲」(1967)を典型とする恋愛型のラブストーリーは、「ラブストーリー」の一類型に過ぎないのである。

★評価

こうして60年代後半に撮られた2本のミステリー映画は、「内的な」人物で「関係」を撮った「女の中にいる他人」と、「主体的」な人物によって「ラブストーリー」を撮った「ひき逃げ」に大きく分けることができる。仮に後半、その人物性を「主体的」なものへと転回させていったとしても、成瀬映画の細部の在り方からして、前者はより充実している。対して成瀬は二本目のミステリー映画の「ひき逃げ」を、「内的」ではなく「主体的」な人物として撮り続けている。そうした「強い」人物たる高峰秀子を「ラブストーリー」へと繋げざるを得なかったところに、題材の困難さが見えている。硬質な「真実」の要求されるミステリー映画において、柔らかい「ほんとう」を撮ってしまったところに、「ひき逃げ」の苦しさがある。これは私の推測だが、「真実」しか存在しない映画を撮ることに成瀬は耐えられなかったのではないか。だからこそ、是が非でも「ほんとう」へと結びつける「裸の窃視」によって「ラブストーリー」を撮ってしまったのだと。

★社会性

松山善三の単独脚本によるこの作品のラストシーンは、交番の掲示板に書かれた「今日の交通事故者数」のショットで終わっている。このショットは、68本の成瀬映画の中で私が一番嫌いなショットである。50年代を象徴するあの●53「あらくれ」(1957)のラストシーンが、着物の裾をたくし上げながら、雨の中を番傘を差して歩いて行った高峰秀子の背中で麗しく終わったことを想起した時、交通事故を告発するという「思想」の表示によって終わった「ひき逃げ」のこのラストシーンとは隔世の感がある。高峰秀子の人物像が「主体的」であったのは、「ひき逃げ」という映画が「社会映画」だからに他ならない。「社会問題を告発する」という「外部」の意志が「内部」へと直接侵入して撮られているため、当然ながら人物は「主体的」となり、重要なのは軟質の「関係」ではなく硬質の「真実」となる。「ひき逃げ」は、あくまでも映画の「内部」の力によって撮られたミステリー映画としての●「女の中にいる他人」(1966)とは異なり、「外部」の力を「内部」へ借りてくるところの「社会映画」として撮られている。こうして60年代終盤の成瀬映画は、ミステリー映画の中に新天地を求めて「逃げて」みたものの、「関係」を撮る成瀬映画は、ミステリー映画の「真実」と相容れず、仮に強度の「真実」を描いた時、逆に人物が硬質になり「関係」の映画を撮りづらくなってしまうというジレンマに悩まされている。

60年代総括

60年代」を振り返って見たとき、「後退」という一言では到底片づけられない成瀬映画の葛藤と変遷を見ることができる。「外部」の力は、どれだけ抗っても「内部」へと波及して来ざるを得ない。それに真っ向から抗えば「時代錯誤」となり、なびき過ぎると「興業至上主義」となる。興業に揺すぶられ、その波に乗りながらも同時に「逃げて」見せるそのしたたかさこそ、成瀬巳喜男という作家が「60年代」を質的に生きたことの何よりの証しである。その中で何よりも重要な●60「秋立ちぬ」(1960)が撮られている。モノクロ、シネマスコープで広角レンズを主として撮られたこの作品の画質はややしなやかさを欠いてはいるものの、画面の中に溢れている活力は到底「後退」などという現象の中で埋もれてしまうことを良しとする妥協の画面から程遠い力を漲らせている。ここで成瀬は初めて「見つめ合うメロドラマ」をひとつのエモーションの完成として撮った。本来見つめ合わないことを良しとする成瀬的メロドラマが、数十年の歳月を得て、「見つめ合うメロドラマ」へと転倒したのである。そしてそれを可能としたものこそ、子供たちの極限までの純粋性=「内的さ」にほかならない。成瀬は大人たちの眼差しの中にある種の虚偽を読み取り、そのコミュニケーションを「窃視」というずれた眼差しに限定することで「関係」として炙り出した。「二枚目」であれ「お人好し」であれ、成瀬映画は大人たちの眼差しの中に、「見つめ合うメロドラマ」を許容するだけの純粋さを認めなかった。それが●「秋立ちぬ」において初めて「見つめ合うメロドラマ」を撮った。海から帰って来た一木若葉と大沢健三郎の二人が構図=逆構図の切り返しによって見つめあった時、成瀬映画の歴史の中に初めてメロドラマの楔が撃ち込まれ、だがそれは二度と撮られることのない一瞬の出来事として霧散していった。「60年代」という均質の時代に身を任せながらも成瀬巳喜男は、その中を思い切り質的に生きていたのである。


最後に50年代の、珠玉の二本について検討を加えながら、この論文を終わりたい。

第三章 白バックへの40年闘争

46「山の音」(1954)

この作品をわざわざラス前に持ってきたのには意味がある。いきなり論文の冒頭でこの作品を検討しても、私は読者を説得する自信がまったくなかったばかりか、私自身、どう書いていいか分からなかったからである。だが我々は既に60本以上の成瀬映画について検討を続けてきた。成瀬巳喜男という人間が、どういう風に映画を撮って、その細部はどうして存在し、どう運動を遂げてゆくのか、そういう検討を延々と続けてきて、初めてある種の説得力をもってこの作品を語り得る資格を我々は得たのである。「山の音」は、川端康成の原作を気に入った成瀬が、自分で会社に企画を出して撮ったとされる作品である。「窃視」を検討する前にまず家族構成を見ておこう。原節子と上原謙の夫婦は、上原謙の両親(山村聡、長岡輝子)と同居している。夫婦仲は酒癖の悪い夫の浮気で冷え込んでおり、貞淑な美人妻の唯一の相談相手は温厚で誠実な義父、山村聡しかいない。その山村聡は、恋していた美人の姉ではなく、不美人の妹である長岡輝子との結婚をしたがために、その思いは美人の嫁へと(無意識的に)重ねられている。そんなところへ、夫との不和で家出をして来た次女(上原謙の妹)、中北千枝子が子供の手を引いて帰ってくる。これだけで、これまでこの論文を読んできた読者なら大方のイメージが湧いてくるはずである。まずもって不貞の亭主(上原謙)は両親と同居しており、だからこそこの亭主は不貞である、という循環論法がここにある。対して、嫁である「内的」な原節子は、夫との不和によって精神的に疲れているところへ、中北千枝子という「通風性」に翻弄され、中絶をし、果ては家を出ることを余儀なくさせられる。

★「窃視」

私が確認できた範囲で29カ所もの「窃視」が存在し、かつその多くが実に微妙で掴みどころがない。原節子は12回「窃視」して8回「窃視」され、上原謙は3回「窃視」されただけでみずからの「窃視」はなく、山村聡は11回「窃視」し7回「窃視」されている。これだけを見てみると、「古い者」でもない上原謙は「見つめられること」によって味が出るわけでもなく、この映画の「視線ゲーム」から落ちこぼれている。「窃視」の数だけに着目する限り、この作品の主眼は原節子と上原謙の夫婦ではなく、嫁の原節子と義父の山村聡との関係に置かれている。

★「窃視」①

序盤、夜の食卓に、原節子が山村聡の土産であるあわびをお膳に持って入って来るシーンから「窃視」ゲームが開始される。そこで部屋の中に入って来る瞬間の原節子を、義父の山村聡がじっと見ている。だが「窃視」としての露骨な表現は取っていない。見られていることに気づいた原節子が、驚いて目を伏せたり、また、逆に山村聡が「見ていたこと」を知られて照れくさそうに目を伏せたりといった視線のエロス的描写は一切撮られていない。原節子は、まるで「見られていること」を知っていたように、山村聡の視線に対してにっこりと微笑を返している。するとこの①は「窃視」ではないことになる。だがそうではないかも知れない。原節子は「見られていること」を知らなかったのかも知れない。原節子の「集中」の演出が微妙なので、どちらとも取れてしまうのである。仮にこれが「窃視」だとすると、原節子は「見られていることを知らない者」であったにも拘わらず、義父の山村聡と目が合い「見られていたこと」を知った瞬間、照れもせずに義父に対して微笑み返したことになる。そうだとすると「窃視」①は、これまでに出現したことのない新たな「窃視」の態様ということになる。「窃視」された後、目が合っても照れずに微笑み返すというのは●65「乱れる」(1964)における若大将、加山雄三の幾つかの「窃視」にも見出されていたが、女性においてそういう反応をした人物はこれまでにはなく、平然と微笑みによって義父の「窃視」を受け流した原節子の「身体性」は、新たな部類に入り得るものかも知れない。そもそも①が「窃視」だとすると、そのさり気なさから「物語的窃視」と取るのが常識のように見えるものの、しかし「アワビを運んでくる」という原節子の運動からは限りなく「意味」が剥ぎ取られている。「ああ、嫁がアワビを運んで来たな、、」という「物語」は確かに可能性としてはあるにしても、実際原節子を見つめている山村聡の瞳はそのような「物語」を読み込んでいるようには見えないのである。するとこれは「裸の窃視」に接近してゆくのではないか。兎にも角にもこの作品における原節子と山村聡とのあいだに交わされる「窃視」の数々は、●39「めし」(1951)、●41「おかあさん」(1952)48「浮雲」(1955)のラストシーンなどで見ることのできるの分かりやすい「窃視」とは異なり、「窃視」がそうでないかの中間あたりを意図的にふらふらと浮遊しているものばかりである。こういう微妙な演出が意図的であることを信じるためには、多くの成瀬作品の信じ難い細かな演出に触れなければならない。そうして初めて我々はこうした演出を「ひょっとして、、」と感じる好奇心を持ちうるようになるのである。この作品の検討を「ラス前」に持ってきたのはこういうわけである。この作品の人々の視線は複雑怪奇であり、僅かな差異に反応し得る好奇心が必要となる。

★「窃視」⑤⑥

「窃視」⑤においては、日曜日の朝、「お前は子供だ」と上原謙に言われたあと、原節子は傷ついたように素振りで画面の外にいる山村聡に視線を投げかけ、廊下を去って行く。画面の外の山村聡の「集中」の度合いが確認できないこれまた曖昧な演出であり、仮に「窃視」なら、「物語的窃視」だろうか。続いて画面は切り替えされて、今度は座っている山村聡の視線が遅れて廊下を去って行く原節子の姿を成瀬目線で追いかけている(「窃視」⑥)。どちらについても「窃視」した相手は「画面の外」に存在し、その状態がしっかりと撮られていないので「窃視」ともそうでないとも言え、仮に「窃視」として「物語的窃視」とも「裸の窃視」とも取れる、これまた何とも言えない微妙な演出で撮られている。

★「窃視」⑦⑧⑨⑰⑱

「窃視」⑦では、タバコを持ってきて炬燵の横に座った原節子が、「お父さん(山村聡)は私が生まれたとき美人じゃなくてがっかりしたんですってね」と縁側の中北千枝子が愚痴をこぼすのを見た後、新聞を読んでいる山村聡をチラリと「窃視」し、すぐ目を逸らす。ほんの一瞬の「チラリ」だが、「窃視」⑤と異なり、「新聞を読む」という山村聡の「集中」が画面の中にしっかり撮られていることからして、「窃視」として見ることが可能である。しかし「物語的窃視」かと言うと、山村聡の「新聞を読む」という行為に「意味」が希薄であり、では「裸の窃視」かというと、余りにもサラリとし過ぎていて何とも言えない。続いて「窃視」⑧では、その直後、「菊子(原節子)だって苦労はあるさ」といって山村聡が原節子を見つめたあと、タバコの缶をいじっていた原節子が顔を上げ、山村聡に見られていたこと(「窃視」)を知って、さり気なく目を伏せる(「窃視」⑧)。初めてこの映画で、原節子と山村聡のあいだにおいて、目と目が合ってすぐ逸らすという行為が出現した瞬間であり、「窃視」としてのエロスが少しずつ強くなってきている。それと同時に、嫁と義父との関係が次第に妖しくなってきている。そもそもどうして嫁の原節子は、何かあるたびにこうして義父の山村聡へと視線を移し(⑤⑦)、その逆に義父の山村聡は、ことあるたびに嫁の原節子へと視線を向けるのか(①⑥⑧)。どうもこの二人は怪しい。その後、原節子に「亭主にだけは優しくないね」と言った上原謙を、座っていた原節子と山村聡が一斉に非難めいた眼差しで見上げるや否や、上原謙を見ることに「集中」している山村聡を原節子が間髪入れずにチラリと「窃視」する(「窃視」⑨)。増々妖しい。どうしてわざわざ山村聡を見つめる必要があるのか。ここで原節子は山村聡をチラリと見つめた後、山村聡が原節子に視線を移すか否かの瞬間に目を逸らし、「見つめていたこと」を隠している。一瞬の出来事だが、ここは明らかに「窃視」として演出されている。さらにまた、山村聡の「上原謙を見つめること」という「集中」の運動に「意味」が希薄であることから、これは「裸の窃視」であると見て取れなくはない。こうした微妙な「窃視」が⑰⑱、さらに続けて⑲⑳と延々と続いてゆくのである。そもそも「窃視」なのかそうでないのか、仮に「窃視」だとして「物語的窃視」なのか「裸の窃視」なのか、見ようによっては「窃視」⑤あたりの時点で既に嫁と義父とのあいだに「ラブストーリー」が成立してしまっていると見ることもできるが、成瀬はここのところを意図的に隠して撮り続けている。見せながら隠す。「隠すこと」とは「見せること」であるという美しき転倒が、ここに現れている。

★禁断の「窃視」

「隠された窃視」は、そのスピードからして、これまでの成瀬映画における「裸の窃視」とは明らかに異なっている。我々が想起し得る成瀬映画における「裸の窃視」の典型は、●20「まごゝろ」(1939)の娘による「窃視」であれ、●41「おかあさん」(1952)で相撲を取る田中絹代に対する香川京子のそれであれ、「まじまじと」相手を見つめる持続的なものであった。それに対して「山の音」の「窃視」は持続しない。「窃視」の多くは、ほんの一瞬の視線の投げ合いに終始している。現に画面において見つめておきながら、余りにも一瞬でなされてしまうために、見つめることは見つめていたことを隠してしまっている。その「窃視」のスピード感、不確実感さは、通常の「ラブストーリー」ではなく、●40「お國と五平」(1952)、●65「乱れる」(1964)、●68「乱れ雲」(1967)といった「禁断のラブストーリー」に近い。主人と家来、義姉と義弟、加害者と被害者といった「禁断の関係」にある者による「ラブストーリー」には極めて微妙な視線の葛藤が存在し、お互いが「まじまじと」見つめ合うことが許されない関係にあった。そうした「禁断の関係」にある作品の「窃視」のスピード感が、同じく嫁と義父という「禁断の関係」にあるこの「山の音」と非常に似通っているのである。だがそれでも「山の音」における「窃視」の不確実性は68本の成瀬映画の中でも際立っている。「1953」の不確実性を、名実ともに完成させた究極の不確実性がこの「山の音」なのだ。だが成瀬は決してそれだけでは終わらせない。必ず成瀬は「ラブストーリー」においては抒情的な瞬間を創ってくる。そうして「山の音」にもまた、●「お國と五平」の蚊帳の中でなされた「窃視」⑪や、●「乱れる」のあの夜行列車の中でなされた「窃視」⑯のように、相手を「まじまじと」持続的に見つめる「窃視」が登場することになる。

★「窃視」

さり気ない嫁と義父との「窃視」をその前後に挟みながら、映画はまず「窃視」⑯を迎える。早朝、湯殿で鼻血を出している原節子を、偶然居合わせた山村聡が介抱するシーンである。そこで、血が流れないように上を向いている原節子のクローズアップがまず入り、続いて原節子を見つめている山村聡のクローズアップが入るのだが、この山村聡の瞳が、原節子の顔を撫で回すように「まじまじと」見つめているのである。通常ならばこれが「窃視」かは微妙である。「鼻血」というエロスが、原節子をしてタオルを鼻に当て、上を向かせる、という「集中」のマクガフィンとして機能してはいるものの、それによって原節子が「見られていることを知らない者」へと即座に到達するということはない。介抱している山村聡は原節子を「見ている」に決まっており、当然原節子は「見られていること」を承知しているからだ。だがここで山村聡は原節子の横顔を「まじまじと」見つめている。それは最早「介抱」という治療行為における眼差しを超えた恍惚の眼差しであり、そうした異質の眼差しで山村聡が自分のことを見つめていることに関して原節子は「見られていることを知らない者」と言えなくもない。そうするとこれは「窃視」となる。そしてこの「窃視」⑯は、寒々とした早朝の光線が反射する廊下から脇にずれた湯殿という空間における「鼻血」という一瞬のマクガフィンをきっかけに創られた「不可抗力の密室」の中で繰り広げられた成瀬的「合わせ技」運動であることからするならば、「窃視」の中でも、「裸の窃視」の趣旨で撮られた可能性が高い。どちらにせよ成瀬は、ここで「裸の窃視」の典型である「まじまじと」見つめる視線によって撮りながら、紛れもない「裸の窃視」としては撮ろうとしていない。こういうことを成瀬は意図的にする人である。

★「窃視」22

映画はさらに進んで、原節子が夫との将来に悲観して中絶をした後のシーンへと入ってゆく。ここで老人夫婦の心中記事の載った新聞を、縁側で義母の長岡輝子が読んでいる時、長岡輝子と山村聡の中間に入って、畳に手を突いて放心している原節子の横顔を、山村聡が「まじまじと」見つめている(「窃視」22)。山村聡はそれ以前に会社のオフィスで、能面を被った秘書の杉葉子の顔を「まじまじと」見つめており(「窃視」⑭)、その能面のクローズアップの次のショットが鎌倉の家の玄関で上原謙を出迎える原節子に繋がれていることからして、映画的モンタージュとしてこの能面は原節子をイメージしていると見るべきなのだが、「窃視」22において、山村聡の主観ショットとして撮られた原節子の横側のクローズアップは、あの能面の面影に重ねられているようにも見える。この時の原節子は、子供を中絶した後という状況で肉体的にも精神的にも疲労状態であることから、それまで貫いてきた「防御する身体」から「無防備な身体」というエロス的領域へと陥る状況は既にお膳立てされており、その上で新聞の心中記事に放心したように聞き入ってしまう原節子の状態は、義父への想いと重ねられ、マクガフィンとしての「集中」として十分な状況として撮られており、それは次に「菊子はどうだい?」と山村聡に呼ばれ、「ハッ」と我に返る原節子のショットの挿入によって補強されている。見つめる強度においても原節子の見事なクローズアップが山村聡の主観ショットとして撮られることで「まじましと」見ることが強調されており、この「窃視」22はそれまでのボカされた「窃視」と違い、はっきりと「窃視」として、それも「裸の窃視」として撮られている。身体的精神的疲労、「集中」「見つめること」、そして場所的な「ずれ(原節子が山村聡の前で横向きになっている)」という「合わせ技」がしっかりと成されているのだ。川端康成の原作にもまた、心中した老夫婦の遺書の記事を義母が読んだあとに、義父から、「仮に修一(上原謙)と心中するとして、菊子は自分の遺書はいらないか」と聞かれ、中略-「菊子(原節子)は前にかがんで、泣き伏すのかと思うと、立って行った」と書かれている。だがそこには映画のように、この姿を義父が「窃視」したという記述は存在しない。成瀬は、そして脚本の水木洋子は、「中絶」→「疲労」という、原作における菊子の微妙な「身体性」の変貌を、「裸の窃視」という映画的な視線のエロスに醸成させたのである。「原作の映画化」とは、こういう作業を言うのだろう。こうして嫁と義父との「禁断の関係」を匂わせたこの作品は、初めてハッキリとした形で、義父から嫁に対する「裸の窃視」22が撮られたまま、ラスシーンの新宿御苑へと突入していく。もし仮にこの作品が、物語的にのみならず、映画的な「ラブストーリー」であるとするならば、この新宿御苑のシークエンスにおいて、原節子から山村聡へと向けられたハッキリとした「裸の窃視」が存在するはずである。果たしてそのようなショットが存在しただろうか。そもそもあの貞淑な嫁である原節子が、新宿御苑の公衆のなかで、あろうことか義父である山村聡の姿を「まじまじと」盗み見することなど果たして可能なのか。

★「窃視」29

夫との不和から一時家を出て実家へ帰った原節子は、電話で山村聡と連絡を取り、新宿御苑で落ち合うことになる。もちろんそれは「逢引き」なる出来事ではなく、今後の原節子の身の振り方を相談するといった類の再会であり、嫁と義父との関係は物語的には踏み越えられることなく進められてゆく。新宿御苑の原節子と山村聡の二人は、まずもって通りすがりの人々を「窃視」する。山村聡は恋人たちを「窃視」し(26)、原節子は仲睦まじき家族を「窃視」している(27)。二人の複雑な境遇が、「欲望の窃視」によって実にさり気なく画面に現れている。原節子は家を出て上原謙と別れる決心をしたことを山村聡に告げ、山村聡はまた原節子に、お前たちを自立させるべきだった、傍に置いたのは私の不徳だったと詫びると、原節子はさめざめと泣き始め、新宿御苑の日が次第に落ちてきて、人影が消えてくると、自分たち老夫婦は信州の田舎に帰るよと義父は原節子に告げながら、未だ泣き腫らしている嫁と並んで、二人は新宿御苑の並木道を画面手前に向かって歩きだし、そこでふと山村聡が前方を見渡し、呟く。

山村聡「のびのびするねぇ、、」

原節子「ヴィスタが苦心してあって、奥行きが深く見えるんですって」

山村聡「ヴィスタって何だい?」

原節子「見返し線って言うんですって、、」

山村聡は二三歩前へ前進し、原節子に背を向けながら、ヴィスタで作られた公園の奥行きを熱心に見入った。次の瞬間、

画面は原節子のクローズアップへと切返される。原節子の潤んだ瞳は「まじまじと」と何かを見つめている。原節子は一度白いハンカチで涙を拭く。キャメラはそのまま原節子のクローズアップを撮り続けている。原節子の瞳が、少しずつ左から右へと動いている。人影の消えた新宿御苑の空間において、原節子の瞳の動きが捉える対象となり得る運動は、義父である山村聡の動きしか有りえない。原節子は泣きながら「まじまじと」山村聡の背中を見つめたあと、画面はロングショットに引かれて、歩き去る二人の背中を映して映画は終わっている。

この原節子の最後の瞳の運動こそ、成瀬映画史上、否、映画史において、最も過激で、もっとも大胆に、そしてもっとも密かになされた「裸の窃視」である。涙で潤んだ大きな瞳は、「まじまじと」その対象を成瀬目線で追いかけている。それまでは密かに、さり気なく、慎ましやかに向けられ続けた嫁から義父への視線が、最後の最後でかくも大胆で持続した「裸の窃視」として存在している。それによって急転直下、映画は原節子と山村聡とがお互いを相互に「裸の窃視」し合った「ラブストーリー」として成立し、その余韻も冷めやらぬうちにそのまま終わっている。これこそまさに④→③→②→①の究極形である。④→③→②→①のマクガフィン的逆流とはまさにこういうのを言うのである。

山村聡から原節子に対する「裸の窃視」として検討した「窃視」1622は、あれだけ露骨に山村聡が「まじまじと」見つめていながら、実はその演出として山村聡の「窃視」は、原節子に知られていない。「窃視」1622においては、見られていたことを知られて原節子が照れたり、見つめていたことを知られて山村聡が目を伏せたり、という演出が成されていない。こうして「山の音」は、嫁と義父とが相互に「裸の窃視」をし合った「ラブストーリー」、それもお互いが「裸の窃視」をしたことを相手に知られていない「聖なるラブストーリー」として閉じられたのだ。

★見ること

この原節子の最後の動く瞳が「窃視である」という言説が、何かしらの確信と共に読者に伝わったとするならば、私のこの論文は成功である。これが「窃視である」ことに、共に驚くことができたとしたならば、望外の幸せである。これは「窃視」である。この作品は、嫁の原節子が、義父の山村聡を「盗み見」して終わるという、途方もなく過激な映画である。成瀬巳喜男は意図的にこれを「窃視」として撮っている。今もう一度この作品を見直した時、成瀬はこの原節子の瞳の流れを明らかに意志的で過剰な演出でもって「窃視」として撮っているのが分かる。それによって山村聡との「相互窃視」が成立し、それによってこの作品を「ラブストーリー」として完成させようという意志まで成瀬が有していたかまではわからない。だがこの演出が「窃視」であるという事実は紛れもなくそこにある。通常なら見落としてしまいそうな些細な細部は、「見ること」によって初めて発掘され、救出される。私がこの原節子の瞳の動きを「窃視」であることに気付いたのは実は最初の鑑賞時ではない。それどころかその後この作品をさらに二度ほど見直した時点において、原節子から山村聡へと向けられた「裸の窃視」は存在しない、と確信していたのである。だが他の作品を並行して見て行って、●40「お國と五平」(1952)や●65「乱れる」(1964)68「乱れ雲」(1967)といった作品において成瀬が実に繊細な演出によって「ラブストーリー」を露呈させているのを見た時、これはおかしい、ひょっとしてと、もう一度この「山の音」を見直し、そこで初めて、あろうことか最後の最後に決定的な「裸の窃視」を確認したのである。頭を抱えてそのまま後ろに倒れ込んだのを今でも思い出す。物語によって着色された画面を「見ること」が、かくも怪奇で困難なことなのかと自信を喪失し途方に暮れたのもこの時である。発見することとは、逆に言うならば、それまで見過ごしていたことの何よりもの証しであり、とても人様にストレートに誇ることなどできない過酷な体験である。

★マクガフィンは何か

ラストシーンの「窃視」29において、何故どうして、あれだけ慎ましやかで「内的」な嫁である原節子が、「まじまじと」義父を盗み見するなどという大胆な行為をすることができたのか。そこには必ずやそれに至るまでのマクガフィンが潜んでいるはすである。ここでこのシークエンスをもう一度よく見てみよう。新宿御苑に遅れて着いた山村聡は、原節子と共に並木の舗道を歩き始め、まず山村聡が通りすがりの恋人たちを「窃視」し(26)、続いてすぐ原節子が仲睦まじき家族を「窃視」する(27)。どちらにも足りないもの、欠如しているものがそれぞれの「欲望の窃視」によって求められることで映画はいよいよクライマックスへと突入している。二人の話が始まり、原節子は家を出て上原謙と別れる決心をしたことを義父の山村聡に告げ、山村聡はまた嫁の原節子に、お前たちを自立させるべきだった、傍に置いたのは私の不徳だったと詫びると、原節子はさめざめと泣き始め、次第に日が落ちてくると、それまで画面の背後に映し出されていた入園者たちの姿が突如見えなくなる。先に●「めし」(1951)の検討において『成瀬映画において大いなるエモーションを惹き起こす「裸の窃視」とは、状況との「合わせ技」によって初めて創り出される究極の意匠なのだ。』と私は書いた。そこではビール、視線の強さ、目を逸らすこと、そしてショットのサイズ、照明、これらの「合わせ技」によって創られた状況の中において原節子の「裸の窃視」が撮られていた。「山の音」においてもまた、日が落ちる→人影が消えるといった細部の「合わせ技」によって、あろうことか公共施設の新宿御苑を「不可抗力の密室」と化してしまっている。知らず知らずの内に舞台は既に整えられている。あとはもう、最後のマクガフィンを待つばかりとなる。

二人は新宿御苑の並木道を歩きだし、そこでふと山村聡が前方を見渡し、呟く。

山村聡「のびのびするねぇ、、」

原節子「ヴィスタが苦心してあって、奥行きが深く見えるんですって」

山村聡「ヴィスタって何だい?」

この点についてひ阿部嘉昭はこう書いている

『原のこのときの「ヴィスタ」の用語は何だろう。まずは作品がたどってきた性愛・情愛の魔力的な磁場が解除され、世界に透明な奥行きがもたらされた─これはこの点を告げる、勝利宣言の語といえるだろう。ここで原がもちいた「ヴイスタ」の語は美術の文脈に乗っているが、もちろん映画用語でもある。川端文学は、不安定な情動の脱分節的連続で、本質的に「ヴィスタ」を欠いている─そんな判断も成瀬─水木にあったのではないか。となれば、この「ヴィスタ」の語は、映画人たちが散々苦労してきた川端の世界への最終的な勝利宣言の含みももっていたといえる』(「成瀬巳喜男・映画の女性性」阿部嘉昭187)

映画の続きを見てみよう。

山村聡「ヴィスタって何だい?」

原節子「見返し線って言うんですって、、」

そう聞いた山村聡は二三歩と前へ前進し、原節子に背を向けながら、ヴィスタで作られた公園の奥行きを熱心に見入っている。その次の瞬間、原節子のあの「裸の窃視」が山村聡の背中に見事に炸裂したのである。「ラス前」までこの論文に付き合ってきた読者にはお分かりだろう。

ヴィスタとは、ただのマクガフィンである。

★ヴィスタ

④→③→②→①という、ヒッチコック=成瀬的回路でもう一度このラストシーンを見てみると単純にこうなる。

「裸の窃視」→「集中」→ヴィスタ

さらにこの「裸の窃視」を抒情的にするために

「不可抗力の密室」→御苑から人影が消える→日が落ちる

という綿密な演出がなされている。

この新宿御苑の場面は、川端康成の原作においてはラストではなく、中盤に設定されている。菊子がヴィスタの話をし、信吾が「ヴィスタってなんだ」と聞くくだりも同じである。しかし、その後信吾がヴィスタに「集中」する記述は何処にもなく、従って菊子による「窃視」もまた小説にはまったく書かれていない。映画のラストシーンの原節子による「窃視」は、成瀬巳喜男(成瀬組)の創作である。ヴィスタは、原節子による「窃視」29を用意するためのマクガフィンに過ぎない。山村聡をしてヴィスタに「集中」をさせ、「背中」という無防備な部分を原節子の前に露呈させるためのただの小道具であり、方便なのだ。阿部嘉昭は「マクガフィンの中身」について語ってしまうというミスを犯している。ヒッチコックとトリュフォーが「映画術」で語ったように、方便であるマクガフィンに意味はない。マクガフィンはただ映画の運動を起動させるための小道具に過ぎず、それ自体意味のあるものとしてあるわけではない。事実映画の中にはどこにも阿部嘉昭の言うような「勝利宣言」の画面など存在しない。①→②→③→④の順で「読まれる」映画批評は本質的に「マクガフィンの中身」という有りもしないものを「読むこと」を避けられず、当然ながらそれは批評というよりも感想文に近くなる。「山の音」という原作に書かれたヴィスタは映画の中ではマクガフィンへと転換される。成瀬が文学という原作を映画化する時、その多くは運動を起動させるためのマクガフィンを拾い集めることに集中している。ところが映画を文学に従属させて「読んで」しまう者たちは、映画が映画であることの細部を無視し、映画を「小説化」させてしまう。批評家自身が映画を殺してしまうのだ。それに対する映画的な抵抗のひとつは「見ること」である。「見ること」とは、画面の幼稚なうごめきをそのまま幼稚なものとして受け容れる態度であり、「意味」を求めずにはいられないインテリ的な①→②→③→④の「読み」から、映画を④→③→②→①のうごめきへと解放することである。「見ること」によって初めて映画はインテリの自己満足から解き放たれる。そこにある運動の起点には、実は何の理由もないのだと感じることは、決して幼稚なことでもなければ怠惰なことでもない。「見ること」とは、そこにある運動をそのものとして肯定する眼差しであり、豊かさなのである。

「山の音」を書くのに3年半かかってしまった。最後に「浮雲」を検討してこの論文を終わりにしたい。

●「浮雲」(1955)

ラストシーンで、森雅之の近付けたランプに照らされた高峰秀子は、見られている事を知っていただろうか(「窃視」28)

『「めし」あたりからやってきたことのいわば集大成を「浮雲」(1955)」でやってみたかった。人間を男と女の問題としてとりあげていって、その絶頂みたいなものをつきつめてみるのに興味をわかせました』 。成瀬巳喜男はそう語っている。

★浮気

仏印からボートで帰って来た高峰秀子を迎えたのは、かつての快活な森雅之ではなく、生活に疲れ、妻と暮らしている敗残者であった。高峰秀子のブラウスの際立つ「白」によって挿入される仏印の回想シーンの温かい陽光とは対象的に、冷え切った東京の二人はひたすらみずからの「意志」によって「密室」へと逃避し続け、過ぎ去った甘美な日々を羨むように「物語的窃視」を重ねて行く。この映画で初めて森雅之の「裸の窃視」が現われるのは高峰秀子に対してではなく、皮肉にも逃避行の伊香保温泉で出会った行きずりの女、岡田茉莉子に対してである(「窃視」⑧⑨⑩)。伊香保温泉のさびれた酒場で出会った森雅之と岡田茉莉子は、⑧から⑩までの、僅か1分少々のあいだに為された数回の「裸の窃視」のやり取りによって、いわば一目ぼれとしての「ラブストーリー」を一瞬にして完成させてしまっているのだ。まず「窃視」⑧では、加東大介の酒場で暖簾を分けて奥から出てきた岡田茉莉子を、森雅之がチラリと「窃視」している。ここをキャメラは以下の順で切り返している。1岡田茉莉子が暖簾を分けて入って来る。2入ってきた岡田茉莉子に気づいた森雅之が振り向いて岡田茉莉子を見つめる。3岡田茉莉子が画面の外部にいる加東大介から森雅之へとオフオフで視線を移し、森雅之に見られていることを知ってさり気なく目を逸らす。4見ていることを知られた森雅之も軽く目を逸らす。以上である。ほんの数秒に凝縮された4つのショットと視線の流れによって、森雅之から岡田茉莉子への「裸の窃視」が撮られている。その直後に為された「窃視」⑨では、奥からお銚子を持って入って来た岡田茉莉子が、加東大介と森雅之に酒を注ぎながら、チラチラと森雅之を「窃視」している。この瞬間「相互窃視」が完成し、映画的には「ラブストーリー」が成立してしまってるのである。初対面の二人がほんの数秒で「できてしまった」ことを成瀬は完璧に撮りあげてしまっているのだ。そのまた直後、奥へ消えて行く岡田茉莉子の後ろ姿をじっと森雅之が見つめている後姿が撮られている(「窃視」⑩)。森雅之は岡田茉莉子を「まじまじと」見つめており、いわば成瀬はダメを押したわけである。もちろんこれらの一連の「窃視」は微妙にボカして撮られている。「まじまじと」見つめられた「窃視」⑩ですら、見つめている森雅之の正面ではなく、後ろから曖昧に撮られている。高峰秀子という恋人のいる森雅之にとってこれは浮気であり、そのような「禁断の関係」にある男と女のあいだの「裸の窃視」はボカして撮られる、それを我々は肝に銘じているはずである。例えば「窃視」⑩は、実にさり気なく、何気ない岡田茉莉子の視線の「チラリ」によって撮られていて、普通に見ていれば簡単に見過ごされてしまう出来事に過ぎないが、成瀬映画において意味のない視線は存在せず、従ってこれは成瀬の指導によって流れた視線であると取るのが我々の常識である。「外部」の常識は「成瀬」の非常識なのだ。面白いのは、岡田茉莉子の亭主である加東大介の家のコタツに四人が入った「窃視」⑪のシーンである。ここで森雅之は、高峰秀子の目を盗んで「まじまじと」岡田茉莉子の横顔を見つめている。これは通常なら「窃視」であり、それも「裸の窃視」に近い艶かしさを持って撮られている。だが次の瞬間、「どうぞ」と森雅之に向き直り、酒を注ごうとする岡田茉莉子は、森雅之と目が合っても平然としている。見られていたことを知っても驚きもせず、慌てて目を逸らしもしない。まるで●46「山の音」(1954)の「窃視」①の原節子である。⑪の岡田茉莉子は、見られていることを知っていたか、或いは、見られていることを知らなかったが、動揺もせずすっとぼけているかのどちらかである。見られていることを知っていたとするならば、知っていたのに知らない素振りをしていたことになり、見られていることを知らなかったとするならば、その後見られていたことを知っても動揺せず平然と森雅之に酒を注いだことになる。この女、食わせ者である。こうしたさり気ない視線の差異が醸し出すのは、二人はもうとっくに「できている」というエロスである。それが●「山の音」の原節子ならば貞淑な香りを醸し出し、「浮雲」の岡田茉莉子は「食わせ者」として露呈する。こうしたところが人物設定やモンタージュの妙なのだが、成瀬はさり気ない視線の差異でいかようにも人と人との「関係」を変化させて見せてしまう。どちらにせよ、森雅之から岡田茉莉子に対する「裸の窃視」の存在によって森雅之は、のちに「窃視」29によって高峰秀子を「裸の窃視」することで、「浮気」をしていることになる(あるいはそう匂わせている)。それについては●51「妻の心」(1956)のところで検討したが、少なくとも「ラブストーリー」の中で「浮気」が生じているのはこの「浮雲」ただ一本であり、第一回の論文で検討したこの作品の「密室性」を含めて、この「浮雲」は成瀬映画の中でも特異な存在としてある。

★高峰秀子と森雅之の「ラブストーリー」

高峰秀子の愛人であった森雅之は、映画中盤にして別の女である岡田茉莉子と伊香保温泉で「ラブストーリー」の関係を作り上げてしまう。裏切られた高峰秀子は、加東大介の家の階段を下りてきて岡田茉莉子と話している森雅之を、流しから「窃視」したり()、その直後、去って行く岡田茉莉子の後ろ姿を見つめている森雅之を恨めしそうに見つめたり(「窃視」⑬)、岡田茉莉子によって風呂敷に包まれた自分の衣服を見つめている森雅之を風呂場の脱衣所の陰に隠れて「窃視」したりと(「窃視」⑭)、「負の窃視」を続けてゆくことになる。それでも森雅之と別れることのできない高峰秀子は、眼帯をして山形勲の屋敷に無心にやって来た森雅之と路地で別れる時、去って行く森雅之の後ろ姿を「窃視」している()。森雅之は高峰秀子と並んだ状態で歩き出しており、そのままでは「見られていることを知らない者」とは言えず、これが「窃視」になるためには「断絶」が生じなければならない。そこでこのシーンを見てみると、まず高峰秀子が森雅之の背中を「まじまじと」見つめているショットが撮られている。次に画面が切り返されると、高峰秀子の見た目のショットの体裁で歩き去って行く森雅之の後ろ姿が過剰なまでの長さにおいて撮られている。ここで時間の「断絶」が生じ、「見られていることを知らない者」となった森雅之の背中をもう一度、高峰秀子は「まじまじと」見つめている。時間にせよ、「まじまじと、」という演出にしても、ここを成瀬は趣旨として「裸の窃視」を撮っていると見るに十分な演出がなされている。こうして映画は、森雅之を「裸の窃視」した高峰秀子と、決して高峰秀子を「裸の窃視」しようとしない森雅之との片思い関係によって進んでゆく。意志的で解放的な恋愛に生きてきた二人の運命は戦争によって一変させられ、それでも「意志」の力によって幾度も「密室」へと逃れようとしてきた二人は、結局は「不可抗力」の渦に巻き込まれ、鹿児島のさらなる南、屋久島へと流されてゆく。

★高峰秀子を「裸の窃視」しない森雅之

屋久島へと到達する過程の中で、いよいよ成瀬の視線の魔が炸裂し始める。まずは「窃視」⑲において、九州へと向かう汽車の中で森雅之に寄りかかって眠っている高峰秀子を、森雅之が「窃視」する、というショットが入る。相手が眠っているという状況でこれが仮に「裸の窃視」で撮られた趣旨であるならば、それは●39「めし」(1951)の「窃視」⑲、●40「お國と五平」(1952)の「窃視」⑪、●65「乱れる」(1964)の「窃視」⑯、そして●68「乱れ雲」(1967)の「窃視」⑫にように、「まじまじと」見つめながら、「めし」の原節子のように微笑んだり、「お國と五平」の大谷友右衛門のように愕然としたり、「乱れる」の高峰秀子のように泣いたり、「乱れ雲」の司葉子のように恍惚としたり、というのが成瀬的抒情性の演出である。だがここで森雅之はすぐ目を逸らしてしまい、ちっとも見つめることに集中をしていない。そうした状態は「窃視」2122においても継続されている。「窃視」21は、鹿児島の旅館で、病気で眠っている高峰秀子を森雅之が「窃視」するというものである。ここで森雅之は直前に女中と屋久島へ出る船のダイヤの話をしており、その直後に森雅之の見た目のショットの体裁で撮られた高峰秀子は、眠りながらも咳をしており、ここは『病気がひどくて船に乗れない』というモンタージュ=「意味」が強調されている。さらにまた高峰秀子もすぐに起きてしまい、「まじまじと」見つめられてもいない。そもそもここには見つめている森雅之と見つめられていた高峰秀子の間に女中という「障害物」が挟まれており、ここは意図的に「裸の窃視」としての抒情を廃して撮っていると言うべきである。屋久島へと向けた船の船室で眠っている高峰秀子を、看病している森雅之が「窃視」するという22もまた、。森雅之は「まじまじと」見つめるどころかすぐに視線を船の丸窓の外に移してしまい「見ること」を放棄している。この過程で撮られているのは森雅之の視線の変化である。それまでは高峰秀子をただの一度も「裸の窃視」せず、高峰秀子を品定めするくらいの冷たい視線しか投げかけていなかった森雅之の瞳が(「窃視」②)、二人が屋久島へと流される運命の過程において、発病によって高峰秀子の「身体性」が弱まってきたことを契機として少しずつ高峰秀子に引き込まれてゆく。「発病」とは物語的にはまさに発病に過ぎないが、映画的には、それまでは「窃視」②や⑮における、些細な「物語的窃視」しか許してこなかった高峰秀子の「防御する身体」が、少しずつ「無防備な身体」へと変わってゆくマクガフィンであることを意味している。

★屋久島

雨の降り注ぐ屋久島に到着すると、自力で歩くことのできないほど弱っている高峰秀子は板の上に乗せられて、じめじめした小屋の中に運び込まれ、そのまま布団の中で寝たきりとなる。だが「月に35日は雨が降る」と言われる屋久島に着いた翌朝、お手伝いの千石規子をして『こんに良い日はめったにございません、気持ちが晴れ晴れ致しますですね。』と言わしめたほどの快晴が画面を包み込む。そこで為されたのが「窃視」25である。屋久島のあばら家で朝、二間続きの部屋で天気の話をしている森雅之と千石規子の二人の姿を、隣の部屋で横になっている高峰秀子が、オフからオフの視線で「窃視」している。これもまた「裸の窃視」と「物語的窃視」の中間くらいの微妙な撮られ方をしている。

★「窃視」26

ここから二人の眼差しは、美しい細部の呼応によってクライマックスへと突入してゆく(「窃視」26)。晴れた日の朝、山へ視察に行く森雅之が、小屋の外で千石規子と打ち合わせをしている姿を、蒲団の中から高峰秀子がガラス戸越しに「窃視」するシーンであり、これはその後息絶える高峰秀子と森雅之との最後の生の瞬間である。1布団の中で横になっている高峰秀子が外を見つめると、2切り返されたキャメラは、話している森雅之と千石規子の二人をロングショットでガラス戸越しに捉える。距離が離れていること(それによって見られていることを知らない可能性が高くなる)、話に「集中」していることからしてこれは「窃視」の体裁で撮られている。但し、ガラス戸の枠越しにロングショットで撮られたこのショットは、成瀬としては珍しく、「窃視」の相手をオブジェクトとして対象化している。3次にキャメラはもう一度伏せっている高峰秀子に切り返されると、高峰秀子は身を乗り出して「まじまじと」森雅之の姿を見つめ始める。4もう一度切り返されたキャメラは、今度はガラス越しではなく、フレームも枠も取り払って森雅之をミドルショットに寄って捉えており、5さらにもう一度キャメラは見つめている高峰秀子へと切り返され、6もう一度切り返されたキャメラは、最初のガラス越しに森雅之を捉えたロングショットへと戻され、7その次にさらにまたキャメラは切り返されて、見つめている高峰秀子の姿を映して終わっている。切返されること都合7回、布団の中の高峰秀子が身を乗り出して「まじまじと」森雅之を見つめるショットを殊更入れながら、映画は高峰秀子と森雅之との最後の生の瞬間を、静かな「裸の窃視」によって撮り終えている。森雅之は高峰秀子の死に目に会えなかったことからして、ここは二人の最後の瞬間として意図的に撮られている。ここで成瀬はどうして窓枠とロングショットという、対象をオブジェクト化するショットを入れたのか(2と6)。おそらくそれは、高峰秀子の瞳によって捉えられているこの出来事が、森雅之と千石規子とのあいだに交わされている言葉の「意味」を求めてのことではないことを強調してのことのように見える。成瀬はあくまで4を撮りたかった。4は高峰秀子と同一の地平に広がる「関係」の時空であり、高峰秀子の見た目のショットで撮られた瞳の世界である。しかしそれだけでは高峰秀子が森雅之を「見ていること」として露呈するかは不安であった。そのために成瀬はわざわざ「距離」と「窓」という二つの障害物を4の両脇(26)に置くことで、高峰秀子が二人の会話を「聞いている」のではなく、まさしく森雅之を「見ていること」を露呈させたかったのだ。それが真相のように私には見える。、成瀬巳喜男は、高峰秀子と森雅之との最後の瞬間に「裸の窃視」を入れた。成瀬ははっきりと「これが二人の最後の瞬間である」という撮り方をしている。それが成瀬巳喜男という作家のサガであり、それは「見ること」によって撮られている。このシーンは、「月に35日は雨が降る」と言われる屋久島で、お手伝いの千石規子をして『こんに良い日はめったにございません、気持ちが晴れ晴れ致しますですね。』と言わしめたほどの快晴の中で撮られている。『雨はあがるためにある』、まさに成瀬的抒情の集大成としての「合わせ技」をさり気なく込めながら、映画はラストシーンへと流れ込んでゆく。

★「窃視」28

こうして「浮雲」は、屋久島行き片道列車の最終地点である「窃視」28を迎えて、終わっている。その直前に為された「窃視」27の時点おいては未だ「死」という物語が森雅之の見つめる行為に露呈している。だが、そこから森雅之は人払いをし、高峰秀子の唇に口紅を施し、ランプを近づけてもう一度高峰秀子の顔を「まじまじと」見つめている。既に高峰秀子の「死」という意味を了解している森雅之にとって、この「窃視」28は、意味から解き放たれた「裸の顔」として露呈している。「人払い」によって二人きりになったこの空間は「意志による密室」だろうか。二人はみずからの「意志」によってこの一室にたどり着いたのだろうか。否、二人はこのようなあばら家の一室に二人きりになることなど微塵も「意志」していない。仕事で流れてきた森雅之にとっても、病気になって板の上に運ばれてきた高峰秀子にとっても、このじめじめとした小さなあばら家の一室が「意志による密室」であろうわけがない。ここは命の掛かった究極の「不可抗力の密室」である。外には雨が降り続け、日の落ちてランプの灯されたこの空間は、究極の「合わせ技」によって創られた「不可抗力の密室」であり、その中で成瀬はこの「窃視」28を、紛れもなく「裸の窃視」として撮っている。同時にこれは森雅之=富岡兼吉によって高峰秀子=雪子に対してなされた初めて為された「裸の窃視」であり、それによってによって映画の中には「ラブストーリー」が満ち溢れ、その余韻も消え去めやらぬうちに④→③→②→①が炸裂して画面が暗くなってしまう。これをどう受け止めてればよいのか。「浮雲」は「山の音」と同様に、お互いが「裸の窃視」をしたことを一度たりとも相手に知られていない「聖なるラブストーリー」としてあり、死者とのあいだに成立した唯一の「ラブストーリー」としてある。成瀬が初めて「ラブストーリー」を撮ったのは●35「白い野獣」(1950)であり、それもまた「聖なるラブストーリー」であった。あの中北千枝子と岡田英次とが運動場で相互に相手に知られず「窃視」し合ったとき(「窃視」⑫⑬)、成瀬映画の「ラブストーリー」の歴史が開花したのである。

『「めし」あたりからやってきたことのいわば集大成を「浮雲」でやってみたかった。人間を男と女の問題としてとりあげていって、その絶頂みたいなものをつきつめてみるのに興味をわかせました』。

『絶頂みたいなもの』とは何か。

それを物語的に「読む」ならば、「死」と言うことになるのかも知れない。確かに「死」は、「浮雲」という映画において1つの「絶頂みたいなもの」として露呈している。だが、我々が探求すべきは「死」とは、物語としての「死」ではない。映画的エモーションを極限まで高揚させるマクガフィンとしての「死」である。「死」すらマクガフィンの坩堝の中へと放り込むことのできる資質こそ、これまで我々が検討を重ね続けた成瀬的資質=映画的才能にほかならない。それは究極のマクガフィン運動の逆流であり、④→③→②→①の流れを極限まで加速させるところの映画的細部としての「死」である。ラストの高峰秀子のあの顔は、「見られている事を知らない者」としても、また「裸の顔」としても、まさにそれまでの成瀬映画の集大成ともいうべき『絶頂みたいなもの』としてそこにある。成瀬巳喜男の映画において、「死に顔」という、「見られている事を知らない顔」の中でも『絶頂みたいなもの』を、裸の対象としてまじまじと「窃視」した作品は、全成瀬作品の中でこの「浮雲」ただ一本しかないのだ。

★白バックへの40年闘争

愛情を決して相手に認識されないこと、悟られないこと、知らないこと、知られないこと、その極限まで濾過された「~ないこと」の『絶頂みたいなもの』としてあるものが「死」という、究極の「見られていることを知らない状態」である。「ラブストーリー」においてもその愛を相手に知られず、見ていたことを知られることすら封印し、ひたすら剥ぎ落した振動の中で愛を揺らしてゆく、そうして最後に残された『絶頂みたいなもの』こそ、成瀬巳喜男が生涯かけて追い求めた「~ないこと」の究極形にほかならない。成瀬は●「ひき逃げ」(1966)の撮影中、「白をバックに映画を撮りたい」と高峰秀子に話したという逸話が残っている。それは「装置も色もない、一枚の白バックだけの映画」であり、その出演を成瀬は、高峰秀子に頼んだという。それが成瀬の口からではなく、まるで●「パブリック・エネミーズ」(2009)の『バイバイ、ブラックバード』というセリフのように、「高峰秀子」という究極の「相棒」の口を媒介として間接的に証言されたという事実は幾恵にも増して感動的である。それにしても、まったき「白」だけを背景にした作品を撮ることなど、当時の商業的空気の中ではあり得る筈もなく、おそらくそれは成瀬巳喜男の夢として、女優の高峰秀子に対して密かに語られた言葉であると思われる。しかし、それでもなおかつ成瀬がふと高峰秀子の口を借りて「白バック」と呟いたとき、我々は大きな感動に包まれずにはいられない。この論文を通じて我々が辿って来た成瀬巳喜男の映画の軌跡は、まさに「白バック」という、究極の単純性へと向けられた闘争の歴史に他ならなかったからである。1929年●「チャンバラ夫婦」という、今となっては失われたフィルムでデビューを果たして以来、1969年に亡くなるまでの40年に亘る成瀬巳喜男の道のりを断片的ながら辿って見たとき、そこにあったのは「~ないこと」への限りなき欲望の過程であった。「和解」「解決」「動機」「心理」「らしさ」という無駄な細部をやっと濾過して●39「めし」(1951)に辿りついた成瀬巳喜男は、それを「1953」によって極限まで煮詰めて「~ないこと」の純粋形を撮りあげ、そこへマクガフィンの坩堝となって再度立ち現れた『絶頂みたいなもの』としての究極の「過剰」である「裸の窃視」を擁して●46「山の音」(1954)と●「浮雲」(1955)という怒涛の④→③→②→①を撮り、さらにまた「60年代」の風に晒されながらも●60「秋立ちぬ」(1960)という爽やかなメロドラマを撮り上げている。そこでは子供たちの純な眼差しが、「窃視」すらも不要なものとして取り去られ、彼らはただ見つめ合うことそれだけで画面は揺れていた。こうして成瀬は、アメリカ映画のような「主体的」な「立ち役」が見つめ合うメロドラマではなく、「内的」な「二枚目」が見つめ合うメロドラマを撮るのに31年かかっている。人と人とが見つめ合うことそれだけでエモーションを露呈させる映画を撮るまで31年かかっているのである。その過程がいかに壮絶な闘争の歴史であったかは、二度、三度に亘る彼の映画の細部の転回の事実にはっきりと現れている。これが「倫理」というなら成瀬はとてつもなく倫理的な作家であり、端的に才能と言うなら成瀬は超一流の映画作家である。些細に見える映画的な細部を31年間追い続けることのできるしなやかな感性が、「山の音」や「浮雲」といった、世界映画史上に残る傑作を撮り与えた。それでもなおかつ成瀬巳喜男は、死の床に就いた1969年の自宅において、見舞いにやってきた高峰秀子に対して再度「白バック」の念を押している。この40年に亘る闘争の過程において、成瀬巳喜男はみずからも知らないうちに「白バック」を撮っていた。それにも拘わらず彼は死の直前まで「白バック」への見果てぬ夢を抱きしめていた。『ほら、約束のあれも、やらなきゃね』と、見舞いにやって来た高峰秀子に真顔で語った成瀬の顔は、未来へと向けられていたのである。

■エピローグ~振り向くこと

●「サーカス五人組」(1935)のラストシーンの一本道の砂利道で、堤真佐子が振り向いて大川平八郎に手を振ったとき、止め処もなく涙がこぼれてくる。決して傑作とは言えない●「女の歴史」(1963)にしても、高峰秀子からの手切れ金を受け取らず、母子手帳を一人でそっと役所に取りに行った雨の帰り道、タクシーから降りてきた高峰秀子を無視して立ち去ったかに見えた星由里子が、傘を持ちながらふと振り向いたとき、とてつもないエモーショナルな感動が画面を包み込む。●「禍福・前編」(1937)において、祝福されない子供を身籠った入江たか子が、道すがら乳母車を押して歩いている見知らぬ女をやり過ごしてから、振り向いて、その後ろ姿をじっと見つめたとき、あるいは●「春のめざめ」(1947)の久我美子が、通りすがりのカップルをやり過ごしたあとで、振り向きざまにその後ろ姿を見つめたとき、そこに「内的」な女たちの恐ろしいまでの欲望が充満している。振り向くことでしか見つめることのできない女たち。●「山の音」(1954)では、子供を堕すために病院の建物へと向う原節子が、車を降り、しばらく歩いてから山村聡の乗っているタクシーへと振り向いて、そこで山村聡と目が合い、頭を下げている。まるで未だ山村聡が自分のことを見つめているのを知っていたかのように原節子の態度は粛々としている。そこには、内的な女たちの限りなき葛藤がある。彼女たちはいつも世間様の時間の速度からずれており、思い、考え、悩み、やっと何かを決めたとき、既に出来事は過ぎ去ってしまっている。そうした時、彼女たちは遅れた時間を取り戻そうとするかのようにみずから一歩を踏み出し、また振り向いてみる。●「秋立ちぬ」(1960)で、妾の娘として生まれた一人っ子の小さな娘が橋の上でふと振り向いたのは、背後に自分の背中を見つめている少年がいるかもしれないと思ったからにほかならない。そこには人間の限りない欲望が充満している。彼らのコミュニケーションは世間様のそれとはずれている。世間様の時間や空間からずれてしまい、振り向く事でしか見つめることのできない者たちの背中を、成瀬巳喜男はずっと見つめ続けていたのである。


映画研究塾.藤村隆史2011.2.26

参考文献(前回分を含む)

「成瀬巳喜男の設計」中古智・蓮實重彦
「成瀬巳喜男の世界へ」蓮實重彦・山根貞男編
「季刊リュミエール4・日本映画の黄金時代」蓮實重彦責任編集
「季刊リュミエール6DW・グリフィス」蓮實重彦責任編集
「映像の詩学」蓮實重彦
「映画読本・成瀬巳喜男」フィルムアート社
「東京人」200510月号
「映画狂人、小津の余白に」蓮實重彦
「ヒッチコック・トリュフォー映画術」山田宏一・蓮實重彦訳
「ヒッチコックを読む」フィルムアート社
「成瀬巳喜男・日常のひらめき」スザンネ・シェアマン
「二枚目の研究」佐藤忠男
「わたしの渡世日記・下」高峰秀子(朝日新聞社)
「成瀬巳喜男と映画の中の女たち」ぴあ
「日本映画俳優全史・女優編」猪俣勝人・田山力哉
「小津安二郎を読む」フィルムアート社
「映画監督 成瀬巳喜男レトロスペクティブ」コミュニケーションシネマ支援センター
「反時代的考察」ニーチェ(角川文庫)
「ニッポン」ブルーノ・タウト
「日本映画の時代」廣澤榮
「サーク・オン・サーク」ジョン・ハリデイ編
「めし」林芙美子(新潮文庫)
「山の音」川端康成(日本現代文学全集29)
「あらくれ」徳田秋声(日本現代文学全集11)
「日本映画史100年」四方田犬彦
「フロイト著作集①」フロイト(人文書院)
「菊と刀」ルース・ベネディクト(講談社学術文庫)
「破滅の美学」笠原和夫(幻冬舎アウトロー文庫)
「あにいもうと」室生犀星(日本現代文学全集27)
「舞姫」川端康成(新潮文庫)
「反オブジェクト」隈研吾(ちくま学芸文庫)
「今は昔のこんなこと」佐藤愛子(文春新書)
「ゴダール全発言Ⅱ」ゴダール(筑摩書房)
「映画史Ⅱ」ゴダール(筑摩書房)
「世論・上」リップマン(岩波文庫)
「オリエンタリズム・上」サイード(平凡社ライブラリー)
「日本人の法意識」川島武宜(岩波新書)

「映画の美学」アンリ・アジェル