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映画批評、映画評論

映画祭「フランス映画の秘宝」 縦と横の饗宴について 2008.9.25

9月の12日から15日まで田舎町を脱出して東京有楽町朝日ホールで開催された「フランス映画の秘宝」へと向かい、「パリ横断」以外の未見作品12本を鑑賞する。

その中の4本を代表として映画研究塾2008年度のベストテンに追加する。すべての作品を入れたい気持ちを抑えながらの厳選された4本を入れたが、順位にさしたる意味はない。
映画研究塾は公開の形態には無頓着であり、また、現に初公開されたものを「見てみぬフリ」をするのも馬鹿げているので、当然のようにベストテンに追加した。。今回は、そのベストテンに入れた4本を中心に批評を書いていきたい。

会場前方の座席は極めて鑑賞の環境が悪く、二回見た「曳き船」に至っては、一回目がスクリーンの右半分、二回目が左半分しか見ることができず、両方合わせて初めて全部を見る事ができたといった具合であったのだが、確かに「見ること」とは過酷な体験であり、こうした作品を見られるだけでも在りがたく思うべき、という考えも判らないではないが、仮に私が主催者ならば、ああいう環境で映画を見せることはしない。ちょっとした機転や思いやりによっていくらでも解決できるはずである。

会場では偶然にも友人のY氏に必然的にお会いして、三日続けて飲みに行ってしまうという「禁じ手」を遺憾なく発揮したのであるが、蓮實重彦の話を前置き無しで語ることのできる友人などそうめったにいるものではなく、この三日間は、私の溜まりに溜まったストレスを見事に解放してくれた素晴らしい三日間であった。それ以外でも、A氏ご夫妻とは「崖の上のポニョ」論で盛り上がり、G氏からは「強制連行はあったかのか」に関して暑い議論をお聞かせいただいたことを感謝したい。

「最後の切り札」(1942)ジャック・ベッケル。

ジャック・ベッケルの長編デビュー作であるこの「最後の切り札」は、間違いなく今回の映画祭の超目玉である。それをもはや「傑作」などという陳腐な言葉で形容するよりも、ひたすら「速く、振動し、瑞々しい」と吐露してみたくなる。

25発の銃声でいきなり始まるこの「最後の切り札」は、そのスピード感やカッティングにおいて紛れもない「アメリカ製」でありながら、その「アメリカ」とは、紛れもなく「B」としてのアメリカであり、間違っても「A」としてのアメリカ映画でないことは、決して「A」では許されない暗闇の中での「見えにくい」追跡シーンや、ラストシーンにおける、「女の不在」という、アメリカ「A」の文法に真っ向から反逆したシーンに露呈している。それにしても、あの鈴木清順ですら「暗黒街の美女」(1957)におけるラストシーンの水島道太郎の病室には、キッチリと白木マリを配置したように、まさにミレーユ・バランを病院へと配置し、男と女のツーショットにおいて終結することこそが、「アメリカ映画」の揺るがぬ鉄則であるとするならば、ジャック・ベッケルは処女作において既に堂々とその規則を無視し、「男同士の見つめ合い」という、信じられない結末によって映画を終わらせている。

さらにこの映画の「女」について言うならば、ガストン・モドの情婦を演じたカトリーヌ・カイルの役割は、せいぜい盗んだネックレスを、宝石商に売りに行き、それを刑事たちが追跡するサスペンスを惹起するための「マクガフィン」でしかなく、通常のアメリカ映画における文法からするならば、彼女は「死ぬこと」という大きな映画的特権を与えられるような人物ではない。仮に「死」という役割が付与されることがあるとしても、些細なシーンに終わることをもって良しとされるような小さな役柄であるだろう。だがジャック・ベッケルは、この「マクガフィンの女」の死に様を、路上におけるオフ空間における被弾と、その後、路上に生々しく倒れた彼女の姿とを、とろけるように美しいカットとクローズアップで処理しているのである。

こうした「女はひたすら『女であること』によって、美化される特権を有している、、」とでも言いたげなジャック・ベッケルの性向こそ「ハワード・ホークス的美学」以外の何ものでもなく、既にジャック・ベッケルは、この1942年と言う時代において、ハワード・ホークスと何かしらの形で接近遭遇していたとしか思えないのである。

そうして見て行くと、この映画では、機械によってワンクッション挟まれた人間の声という声たちがスピーカーの中から鳴り響き、それに対して刑事や電話交換手たちがひたすら耳をそばだてるという、「ハワード・ホークス的ショット」が随所に見受けられるし、意味も無いセリフをリズム良く連呼するこの映画のテンポ自体が「ハワード・ホークス的」ということになりもするのだ。

もちろん人物の無邪気な生々しさはジャン・ルノワール譲りであるだろうし、ノエル・ロックヴェールを使ったコメディの数々は、フランス流なのかも知れない。従ってまたジャック・ベッケルがホークスを見ていたと言い張るつもりも無い。だが、それにしても、この南米の架空都市を舞台にして撮られた「アメリカギャング映画」は、紛れもなくアメリカ的でありながら、アメリカの文法に真っ向から反して撮られた「無国籍映画」としての香りを画面そのもので呈示している、そうした意味を含めて「ハワード・ホークス的」だというのだ。

「無国籍映画」とは、設定としての舞台をしてそう言われるのではない。アメリカでもフランスでもなく、ひたすら「映画の文法」に忠実な「マクガフィンの映画」をして、敬意を込めて「無国籍映画である」と、呟かれるのである。

「モンパルナスの灯」(1958)において、決して「絵画ファン」を喜ばせるところのショットを1ショットも挿入しなかったジャック・ベッケルの性向は、「最後の切り札」のオープニングの射撃練習において、被弾した「的」を決して見せなかった性向と通じているだろうし、最後の傑作「穴」(1960)において、地下室で看守が蜘蛛の巣にエサとして昆虫を投げた時、決して蜘蛛が昆虫を襲うシーンを撮らなかった性向とも一致するだろう。蜘蛛が獲物を糸で巻きつけるシーンは誰が撮っても「物語」になる。射撃練習の「的」を描写すれば、それだけで我々は「何発当たったか」という「物語」へと流される。有名な絵を何枚か見せれば、絵画ファンはたちどころにして「絵画批評家」と化してそれらの絵について語り始め、我々は「絵画の物語」へと終結される。「スノッブ受けする映画」とはそういう映画を言うのである。だがそれらの「物語」は、限りなく「映画の力」とは関係のない我々の「記憶」によって導かれる「映画の外部の物語の力」に寄りかかった物語なのだ。ところがジャック・ベッケルはそうしたショットを入れようとしない。それこそが「映画は映画の内部において始まり終結すべき」という、ジャック・ベッケルの本能的性向なのだ。

そうした点から見た時に「三十三間堂通し屋物語」(1945)で、仮に1ショットであれ、「的」を見せてしまった成瀬巳喜男との性向の違いもそこに見出されるだろう。

「誰でもかまわない」(2007)ジャック・ドワイヨン
ジャック・ドワイヨンの
「誰でもかまわない」は、作家をして「うかうかしていられない」と焦らせるところのコワイ映画である。

映画はいきなり男と女がしゃべっている所から開始され、その「いきなり開始される」という異種「B」としての感覚にロメールを感じたりする暇も無く、映画は瞬間の相貌を刻々と変化させながら持続してゆく。人間には「人格」も「主体」も「自我」もなく、ただひたすら「知覚の束」があるに過ぎない、そう感じさせるジェラルド・トマサンの気まぐれにルノワール「ゲームの規則」のラストシーンを束ねてはみるものの、四日間の時間という時間を、まったく同じ服装で現われてはポケットに両手を突っ込みながら、アラン・ドロンのように肩を怒らせて歩く背の高い娘、カミーユの変わらない様が、曇天に包まれた映画の世界を「心理的ほんとうらしさ」から隔離してしまう。

パンフレットには「自分の人生に物足りなさを感じていたカミーユは、誰かに愛情を捧げる決心をする」と書いてあるが、そのような「ほんとうらしい」瞬間が果たしてこの映画に露呈していただろうか。露呈しているのは、ひたすら娘が男から「離れない」という現象である。

カミーユの髪は次第に水分を失って行き、四日目になるとパサパサになる。この娘は、風呂に入っていない。露呈するものとは、そういうものだ。そしてまた、干潟を歩く男と女の100メートルくらいの背後に、一人の男が画面を横切る性向は「曳き船」の白い砂浜のトラッキングと、縦の関係において呼応している。終盤、川辺で、男とその妻が、カミーユに向って同時に振り向く、その運動の弛まない感動に身を震わせる。

映画とは、物語の再現ではない。物語を語ることを通じて物語を語りつつある「主体」としての「私」を、その瞬間に露呈させてゆくことの積み重ねなのだ。

1942年から2007年へと瞬時に縦へと転換されたこの二つの作品は、「心理的ほんとうらしさの拒絶」という点で見事に呼応しあっている。


モーリス・ピアラの「刑事物語」
(1985)における、ジェラール・ドパリュデュー扮する暴力刑事もまた「誰でもかまわない」のジェラルド・トマサンのように「心理的ほんとうらしさ」からかけ離れた存在である。彼は誰とでも寝るし、かつて自分が殴った容疑者からバーのカウンターでウイスキーを奢られることを断ろうとはしない。ひょっとすると「誰でもかまわない」や「刑事物語」の男たちの行動のほうが、よっぽど「ほんとうらしい」のではないだろうか。

『映画には秘密などはなにひとつもなく、解明すべきものなどなにひとつなく、ただ生きさえすればいい、そして撮影しさえすればいい』ゴダール(ゴダール全発言569)

「海の沈黙」(1947)ほど雄弁な映画はない、などという紋切り型のセリフを吐く勇気も時には必要であると自分に言い聞かせては見たものの、こんな凄い映画を見ずに映画を語ってきた自分はいったい何なのだと、問わずにはいられない。そしてこの底なしの「未見の映画史」という魔物に対して、この「海の沈黙」が、ロベール・ブレッソン「田舎司祭の日記」(1950)を先取りしているのではないか、などという剽窃の映画史についても、私は口をつぐまざるを得ない。映画史とはチャップリンからヌーベルヴァーグを経てスピルバーグに至るまで、正真正銘の「泥棒史」なのだから。

それにしても、ジャック・ベッケルの「最後の切り札」が超高速の「B」だとするならば、この「海の沈黙」はいったい何なのだろう。まず台詞がこれから起こるアクションをすべて「説明」し、その台詞の後に、その台詞の内容をなぞるようにアクションが反復されてゆくこの「説明的な」画面に我々は何故こうまで轢きつけられるのだろう。仮に我々が、映画の「すじ」のみに興味を指し示している者たちならば、この映画は「ネタばれ」という犯罪を繰り返しながら進行していくとんでもない映画だということになる。現に殆どの批評家諸氏は、この「ネタバレ」という現象を常に恐怖しながら批評を書いている。だが映画の「ネタ」とは「画面」ではないのか。

「海の沈黙」は「ネタ」ではなく「画面」の映画であることを、堂々と露呈させながら進んでゆく決意の映画である。「物語上のサスペンス」を予め放棄し、「画面のサスペンス」で我々を轢きつけて行く、極めて挑発的であり、冒険的であり、そして何よりも新しい。この作品は「画面を見ること」そのものを我々に要求し、達成している。

「燈台守」(1929)や「愛欲」(1937)において、スタジオ撮影とロケーションとを巧みに織り交ぜ取っていたグレミヨンの「曳き船」1941)は、アレクサンドル・トローネの装置によって舟の揺れを信じられない躍動感で現した高度なスタジオ撮影を駆使しながらも、しかしこの映画の素晴らしさは、ジャン・ルノワールの「素晴らしき放浪者」(1932)と同様に、ロケーションの瑞々しさにある。砂浜を歩くギャバンとモルガン、そのバックに荷馬車をひいた男が画面右へと消えて行き、しばらくするとまた画面の中へと立ち戻る、まさに「誰でもかまわない」の干潟のトラッキングと縦で呼応するかのような持続の不思議と、おそらく計算によって配置されたであろうところの砂浜の藻草やロープの配置、モノクロームの画面を包み込む砂浜の「白」とその上をまるでホークスの「赤い河」(1948)のように流れる雲、、そして背景やオブジェたちの「黒」とが、見事な働きによって露呈している。船と船との間に投げ放たれたロープのしなりと、それを支える縦の構図の「巨大さ」は、現代映画では決して露呈させることのではない大きさであるだろう。

「愛欲」で、運命の女としてのミレーユ・バランを衝動的に殺してしまったジャン・ギャバンは、「曳き船」においても運命の女であるミシェル・モルガンを突如捨て去り、妻の下へと走ることで、人間とはそもそも「ほんとうらしい」動物ではないことを反復して露呈させている。

占領下のフランスで、ドイツ軍を巧みに操り続けたサシャ・ギトリの「あなたの目になりたい」(1943)は、有楽町朝日ホールの観客を何度も大きな笑いに導いた作品であり、題材から言うならば、チャップリンやマッケリーと密かに横で通じていながらも、しかし、盲目の中へと転落してゆく男の姿はひたすら悲観的ですらある。

「偶然の出会い・身分違いの恋・一目惚れ・突然の別れと別離・再会・協力者の存在」という点で、「メロドラマ」として完璧な要素を備えているこの「あなたの目になりたい」は、フランソワ・ブレッセルという主人公の芸術家が、決して画家でもなければ小説家でもなく、映画監督でもなければ書家でもない、ひたすら「かたち」を作り上げるところの「彫刻家」であるという事実が、視力を失った男をして「さわること」というエモーションとしての運動へとマクガフィン的に連動し、また、その名が「フランソワ」であるという事実が「さわること」の映画史を「縦へ縦へ」と繋げてゆく。

舞台上で繰り広げらける、ルイ・ジューベだの、ミシェル・シモンだののモノマネは、ただそれだけで我々を揺らすに十分の面白さであるのだが、このキャバレーの舞台シーンの唐突の恍惚は私を不意打ちにして止まない。
舞台の上で歌う歌手モナ・ゴヤを、ギトリの愛人と誤解したジュヌヴィエーヌ・ギトリが客席から冷やかし、ゴヤがギトリを舞台裏へ呼び出して、誤解を解くシーンにおいて、監督としてのギトリはここで主人公のジュヌヴィエーヌ・ギトリではなく、「協力者」のモナ・ゴヤの後ろ髪を、見事なバックライトで輝かせている。この性向こそ、ひたすら女を「女」として賞賛すべきという「最後の切り札」のジャック・ベッケルと密かに横で通じながら、ここで敢えて私生活上の妻であり主役であるジュヌヴィエーヌ・ギトリではなく、一脇役に過ぎないモナ・ゴヤをして「輝かせる」性向は、物語上重要でもなんでもない洞口依子を、ひたすら美しく振り向かせねば気のすまない黒沢清の性向と縦で通じている。こういう部分が「映画」なのだ。


「マイエルリンクからサラエヴォへ」(1939)は、ハイキーの画面をオイゲン・シュフタンが見事な陰影で撮りあげたメロドラマであり、マックス・オフュルスがアメリカで撮った大傑作「忘れじの面影」(1948)や、フランス帰国後に撮りあげたこれまた傑作「歴史は女で作られる」(1955)に呼応するところの「歴史」の映画である。

もちろん「歴史の映画」とは、間違っても「歴史モノ」などという凡庸な「A」級映画の範疇に属するものではなく、時間の中で生きてゆく女たちを、生々しい現在性で露呈させた作品であるという意味に過ぎない。「忘れじの面影」で、使用人と笑顔で握手を交わした後、想い出の戸口でジョーン・フォンテーンの「面影」に見送られながら、当然のように決闘へと向ってゆくルイ・ジュールダンの夢のように美しいシーンのようにして、二人は躊躇することなくサラエヴォの「歴史」の中へと向ってゆく、その姿は、「歴史」という「必然」へと向うその姿であるがゆえに、たたそれだけでひたすらに美しいのだ。

映画祭のあと、DVDで
クロード・シャブロルの「石の微笑」(2004)を見た私は、「肉屋」(1969)と比べて、何と透明な映画なのだ、と思わず唸ってしまったのだが、敢えて素人っぽく、サスペンスを「事件」と結び付けていた「肉屋」に対して「石の微笑」は透明であり、余分なものがそぎ落とされ、「サスペンス」というものが、ただひたすら「恋のサスペンス」として成り立っているのである。「石の微笑」には殺人シーンや恐怖シーン、そして時間を用いたサスペンス(例えば犯人の帰宅が迫っている家を捜索する、というカットバック)は一切なく、あるのはひたすら「女」という存在そのもののサスペンスなのだ。もちろんここで終わってしまったら、「フランス映画の秘宝」特集の言説として相応しくないかも知れないが、そのようなことはどうでもよろしい。

フィリップ・アゴスティーニの陰影が冴え渡る
ロベール・ブレッソンの処女作「罪なき天使たち」(1943)は、その後のブレッソン作品に見られる(聞かれる)ような「音」の凄さというものは際立ってはいないものの、女が拳銃を買うシーンで渡された札の音の生々しさは、大傑作「ラルジャン」(1983)と、そしてラストシーンの「手」のクローズアップもまた、多数の方の指摘されるように、その後のブレッソンと縦において通じているだろう。映画は極めて反心理的で「ほんとうらしさ」を欠き、ひたすら画面の上での運動のみを露呈している。

フランス映画といえば「窓」を思い出さずにはいられない私としては、子供たちが「窓」から屋敷へと侵入してきた「最後の休暇」(1947)は、性向としての私を驚かさずにはいられない。監督であり批評家でもあるロジェ・レーナルトは、どうやら聞いたところによると、批評家のアンドレ・バザンに対して「ジョン・フォードを否定し、ワイラーを支持せよ」と唆した人物であるらしいのだが、そうした「前科」を感じさせるような、ややもったいぶった演出は在るにしても、ラストシーンの美しさには愕然としてしまうばかりである。教室で始まり、教室で終わるこの子供の映画は、「大人は判ってくれない」(1959)と縦で通じている、などという、書いていて少々恥ずかしくなってしまう言説を最後にして、終わりにしたい。

■おわりに
一気に書き下ろした批評を見直してみた時に、今回選ばれた作品のどれもが「ほんとうらしさ」から乖離し、ただひたすら「映画」というものの内側を志向している点で共通していることをつくづく痛感する。そうした作品や作家たちは、時空を超えて縦や横で通じ合い、語り合っている。特にドワイヨン「誰でもかまない」のメッセージ性は、画面そのものをして横の作家たちに対して突きつけられた強烈な一撃であり、これを見た作家たちはさぞショックを受けると同時に、映画への愛を強めたことだろうと想像して止まない。「誰でもかまわない」は、そう思わせてしまうような凄い映画なのだ。「三重スパイ」におけるカラー画面の肌触りの素晴らしさや、「野蛮な遊戯」における、家庭教師の娘がホットパンツ姿で石の上をジャンプするシーンなどの驚きもまた、最後に付け加えておきたい。
このような、一見何の繋がりもないように見える映画たちが、見事に呼応し合い、力を投げ合っている様を体験できたことについて、今回、映画を選択された方々、そして主催者に感謝したい。

映画研究塾2008.9.25