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映画批評

「嫌われ松子の一生」中島哲也 動機と行動との逆転
 2006年6月17日

中島哲也という人は、テーマとは裏腹に非常に古典的な撮り方をする人で「下妻物語」(2004)では、宮川一夫風に徹底的にコーナーを取ってみたり(画面の両隅に襖とか木とかを取り込んで撮る)、厚田雄春風にナメものを置いてみたり(画面の手前に小道具を置く)、成瀬巳喜男風に人々を何度も振向かせてみたりしては楽しませてくれた。「下妻物語」を古典的デクパージュ(カッティング)で撮る、この面白さに私は見終わるとすぐ「この人は絶対に私より世代が上である」と確信し、何よりもまず中島哲也の年齢を確認したものだった。「下妻物語」は「行動の映画」であった。

「下妻物語」が「行動の映画」ならば、「嫌われ松子の一生」は「動機の映画」であり「説明の映画」である。そしてその根底の精神は「テレビ」にほかならない。

二呼吸目にはカメラを引き、その都度照明も修正するカッティング・イン・アクションのリズムは「映画」ではないのか、と聞かれれば、確かにそうなのかも知れないし、極端な広角レンズや窓の外を露出オーバーでオーバーに飛ばし続けた画面はこれもまた「映画」ではないのか、と尋ねられれば、「はい、そのような気もします」と答えないではない。今回もまた何度か中谷を振向かせたのものまた「映画」なのだろうし(役者を振り向かせる、という演出は、それ自体の映画的美しさと共に、役者を少しでも美しく見せたいと願う演出家の心の美しさでもある)、美術の頑張りもまた「映画」なのだろう。大掛かりなCGも「映画」であり、またジョルジュ・メリエスへのオマージュも「映画」と言えないことはない。それにもかかわらず私はこの「嫌われ松子の一生」を「テレビである」と断言したい。

「映画」は「映画」であって「テレビ」ではない。「映画館」で「テレビ」を見せられて喜ぶ映画ファンはいない。映画館ではまず「映画であること」が条件であり、仮になにがしかの面白さがあったとしても、それが「映画」でなければ我々はその作品を断固拒絶すべきは当然である。では「映画とは何か」、、、仮に映画館で「テレビ」を見せられて「これは映画ではない、テレビである」といえる映画ファンがいったい何人いるだろうか。当サイト発足の趣旨はまさにこの「映画とは何か」を追求することであるが、我々映画ファンが「映画とは何か」を哲学しない限り、非映画的な作品は益々増長し、我々を煙に巻こうとし続けるであろう。ではこの「嫌われ松子の一生」が何故「映画」ではなく「テレビ」なのか。

よくしゃべる、と言われるエリック・ロメールの映画の中での会話はほとんどがプロットの進行とは直接関係のないとりとめのない人間の会話から成っている。ロメールはそのとりとめのない人間の会話や仕草をアルメンドロスやレナード・ベルタといった素晴らしいカメラマンの画面で彩りながら、見事なエモーションで人間や運命を描き出す。一見画面が言語に従属していそうに見えていながら、その中で人間たちは、繰り広げられる会話からはまったく自由な行動を取り続けてゆくのである。

「嫌われ松子の一生」をもう一度良く「見て」そして「聞いて」頂きたい。この映画では、人々が行動するたびに、あるいはその前に、「なぜ動くか」がすべて言語で説明されている。謎めいているはずの中谷の心情はすべて本人のナレーションで説明し尽くされ(そもそもここにナレーションを入れること自体がよく理解できない)、謎めいているどころか、私のあらゆる友人の経歴よりも詳しく理解できてしまう。なぜ奇面をするのか、なぜ世を捨てたのか、すべて「言葉で」説明され尽くされている。作家の男は、何故、中谷の男に会いに来たかをすべて「言葉で」説明している。人物の行動すべてが「動機」という不可視の心理と論理的に結びついている。彼らは理由がなければ決して行動を始めようとはしないのである。

だが映画は可視的なメディアであり、その本質は行動(運動)であって、観念の通達ではない。この映画が描いたものは「運動」ではなく、最初から最後まで、行動することの「説明」に過ぎないのである。可視的な運動ではなく、不可視の動機で映画を作ろうとしている。動機が説明され、感動が説明され、映画を「読むこと」が強制される。すべての出来事が、動機でがんじがらめにされて運動が息切れしている。「動機息切れ」とはこのことである。

ここに「ALWAYS三丁目の夕日」という山崎貴監督の作品がある。これが「1980年以降の日本映画の最高傑作である」と宣言した某雑誌の極めて無知かつ不誠実な態度はここではひとまず脇に置くとして、この作品にはこんな象徴的なシーンがある。母が子供の袖の中にお金を縫いこんでおくシーンだ。それを山崎監督は、一度目は視覚で、二度目は回想の視覚で、そして最後に寝床の子供の言葉でと、都合三回「説明」してくれている。私はそれを見ながら思わず苦笑いしてしまった記憶があるのだが「見れば分かるもの」を何度も何度も説明するというのは「親切」を通り越して「バカにしているのではないか」と勘ぐりたくもなる。簡単な人間論としてそう感じるのだ。説明することがそれだけで悪いと言うつもりはない。しかし余りにも説明がしつこく露骨なのである。実家の母からの手紙の流れにしても、人物たちの行動はすべて泣かせるためのプロット(動機)と直結しているのである。

「有頂天ホテル」という作品がある。勿論当サイトはこうした作品を支持しないことをここではっきりと明言しておきたい。ルブチャンスキー(注Ⅰ)なりクリスチャン・マトラ(注Ⅱ)を気取った無意味なカメラワークを見せびらかし、回転扉、フロント、ロビー、階段、エレベーター、屋上、廊下といったホテル特有の「場所」に対する感性のカケラもないにも拘らず、「場所の映画」である「グランドホテル」(1932)にオマージュを「言葉」で捧げ、さらには「取り皿と灰皿を取り違えた客に恥をかかせないためにはどうしたらよいか?」などという実に気取った難題を、さて、どういう画面処理で解決するかと見ていると、これまたすべて「言葉で説明」し尽くしてしまうという極めて安直な「説明」映画である。画面はただの添え物に過ぎず、作品の根幹はすべて「奇面」「奇声」という、いつもながらの子供騙しと「説明」精神とで成り立っている。そもそも白い床の上に水を撒き、そこに光を当てると画面はどれほど見苦しくなるか、そんな感性すらこの人にはない。

これらの作品と「嫌われ松子の一生」、そのどれもが、テレビ局が、ないしはテレビ作家の製作した作品であるということはもちろん偶然ではないだろう。

「嫌われ松子の一生」にもさらにまたひとつ象徴的なシーンがある。映画内テレビのシーンである。テレビの画面には「ユリゲラー」「長島引退」「命綱なしの宇宙遊泳」などと言った歴史上の出来事がしばしば映し出されるが、これもまたすべてに画面にテロップが流され内容が言語的に「説明」されているのである。見れば分かるものを何故「説明」するのだろう。当然それは「分からない人が分かるように」、に決まっている。そうした説明精神自体が典型的に、情報伝達機関である「テレビ」の発想なのである。

こうした作品群は、映画を「テレビの視聴者」を想定して撮っている。誰にも判り易く、みんなが理解でき、そして泣けるように。しかしそのような「親切」は、映画の本質とはかけ離れたありがた迷惑以外の何物でもない。問題なのは、そうしたテレビ的説明精神が「良い映画を作りたい」という発想からではなく、非常に商業に偏った、ある意味では極めて映画を、そして映画ファンを、そして映画そのものをバカにした論理から来ている点にある。それは「いま会いにゆきます」(2004)などといった、折れたひまわりをファンタジックな画面の上に何十本も放置したままにしておくテレビ局の信じられない手抜き映画からも容易に伺えるのである。

キネマ旬報社出版の「映画プロデューサーの基礎知識」という本がある。これを読んでいると「良い映画を作りたい」という言葉が現在のプロデューサーたちの口からなかなか出て来ないので、むきになって最後まで読んでしまった経験があるのだが、昔のプロデューサーの伝記を見ていると、例えば森岩雄にしても、岡田茂にしても、永田ラッパ(雅一)にしても、ザナックにしても、二言目には「芸術映画を作りたい」という言葉が出て来たものである。この「芸術映画」という言葉自体の正当性は疑問であるし、また、彼らにも映画ファンを見下したような発言は山ほどしているが、しかし本当であれ嘘であれ、「良いものを作りたい」という発言がすぐに出てきたこともまた事実である。しかし最近は映画界の斜陽からさらに極端なヒット至上主義となり、そのために広く一般受けする映画を分かりやすく作るという、テレビ的で分かりやすい極めて言語的な「説明映画」が一部に氾濫して来ている。

ロッセリーニは「映画にたずさわって以来、映画というものは、12歳の子供の平均的な知能を持った大衆を相手に作らなければならないと言われてきた。映画は大人を白痴にし、子供をおませにする(現代のシネマ1094)」と述べているし、東宝のプロデューサーであった森岩雄は「我々は、十代から二十代までのあまり教養の高くない層を重点に映画を作ればもっとも安全な商売ができることを知っているのである」(映画製作の実際47)と述べている。映画とは商業から出発した唯一の芸術であることが、こうした発想を導いてしまう要因であったことは言うまでもない。しかし問題は、商業と作品とのバランスである。ロッセリーニの生涯作り続けた映画は周知の通り商業に偏ったものではないし、森岩雄にしても前述の言葉のすぐあとに「高く心をさとりて俗に帰るべし」と、芭蕉の言葉を座右の銘にし、俗のみへ走ることを自らに禁止している。映画が商売であることを否定するつもりはないが、しかし「商売だけ」ではないのもまた当然の事実である。現在氾濫する「説明映画」の根本的な精神の中に、果たして我々映画ファンを「馬鹿にした」ものがないと言えるであろうか。現在の一部のプロデューサーたちにとって重要なのは「いかに泣かせるか」であって、そのためには映画的才能を要する「運動による感動」という面倒くさい手段ではなく、手っ取り早く観念を言葉で伝達して泣かせてしまえばよいという安直の発想が確実に見え隠れしているのである。勿論、そのような傾向は、泣くことを強く要求する一部の映画ファンの需要と無関係ではない(映画プロデューサーの基礎知識82)

当サイトは、「泣くこと」よりも「映画であること」を優先する。まずは「映画」であるかどうかこそが重要なのだ。テレビはテレビで勝手にやって頂きたい。その範囲内であれば我々は黙ってもいようが、映画館で金を払ってテレビ的精神のものを読まされては、もはや黙っている訳には行かないのである。映画とは何か。我々は「映画」ファンであって「テレビ」ファンではない。映画が動機に近づくということは、映画からその本来の視覚的運動を奪うということでもある。だがそんな簡単な論理が実際の世界では完全に無視されているのが現状である。

さて、今回は「映画の限界」という主題に限定してのことであるから、その観点からもう一度、この「嫌われ松子の一生」が、いかに非映画的な「説明精神」によって作られているかを最後に検討してみよう。

「嫌われ松子の一生」には、「河内山宋俊」で指摘した「裸の声」の手法が取られている。終盤、タランティーノのように(キューブリックのように。最近では内田けんじのように、と言うべきかも知れない))視点を変えた回想シーンで、部屋の外へ出た中谷の会話を、部屋の中にいる男がOFFの声として密かに聞いたシーンである。この「裸の声」の効能は「河内山宋俊」の批評をご覧頂くとして、ここで中谷の「裸の声」を聞いた男は、裸の声の持つ真実味に感動し、ほだされ、改心する。だが次の瞬間、何を考えたか中谷は部屋の中へと舞い戻り、ドアの外で吐いたのと同じ台詞をすべてもう一度男に「説明し直して」しまうのだ。私はここで心底唖然としてしまったのだが、これは完全な自己破壊行為であって、折角の「裸の声」という演出をぶち壊しにしてしまっている。仮に「河内山宋俊」の「裸の声」のあの場面の後、河原崎長十郎が表へヒョイと出て来て「お静、お前は俺の女房だ、、なぜならば、、、」などと面と向かってやらかしてしまっていたらいったいどうなるのだろうか。すべてはぶち壊しになってしまうではないか。「裸の声」の技法の素晴らしさは、聞かれていることを知らないことと、聞いていることを知られていないことの醸し出す「説明しないことの美しさ」にあるのだから。それをわざわざここでもまた「説明」してしまうこの映画の根底が、「説明精神」によっていることは、最早「説明する」までもないであろう。自らが折角使った映画的技法の精神と真っ向から反する演出をしてまでも「説明」せずにはいられない、その根底にあるものこそが問題なのである。

注Ⅰウィリアム・ルブチャンスキー
ゴダール、トリュフォー、リベットといったヌーベルバーグ作家のカメラマンとして多数作品を手がけ、現在ではオタール・イオセリアーニのカメラマンとして有名。対象の人物をクルクル変化させながらのカメラワークが得意なカメラマンでもある。

注Ⅱクリスチャン・マトラ
  ★歴史的な名カメラマン。この人もまた、対象を変化させながらの流れるようなカメラークが美しい。


  映画研究塾 2006年6月17日