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論文ヒッチコック談義~見ることの恐怖~藤村隆史
以下はヒッチコック論文を書き上げた直後に提出した後日談です。2023年9月7日 藤村隆史。
★困った事態
日誌を掘り起こして見てみると今回のヒッチコック論文を書くきっかけとなったのは2011年6月4日にヒッチコック●「白い恐怖」(1945)を見直した時であり、そこから現存するヒッチコックの全作品を2、3回ずつ程見直したもののその時点では今回の論文のテーマとはまったく違ったものが書かれており(それについては今後発表する)、2012年2月にD・W・グリフィスを、6月から7月にかけてキートンを見直したりもしているが、8月に父親が亡くなり、10月の中旬くらいまではヒッチコックも見ず宙ぶらりんの時期が続いている。ところが論文開始から1年半経過したこの時期辺りで初めて「すること」の映画と「であること」の映画との差異分析が始まることになる。そのきっかけになったのは論文開始から何度目かに見直した●「三十九夜」(1935)であり、そこで主人公でイングランドの国家機密漏えい事件に巻き込まれて追われることになるロバート・ドーナットがなぜ警官や諜報員でなく『カナダ人旅行者』なのか、これが決定的な疑問となってヒッチコック全作品の主人公の職業と実際になされた運動をノートに書き記して俯瞰した時、この論文は絶対に書けるという確信したのだが、そこからマイケル・マンを2012年10月から見直し始めたあと、11月からはヒッチコックを見直しながらここで初めて機能・運動連関表のテータを2013年の2月にかけて取り始め、3月にはもう一度マイケル・マンを見直して機能・運動連関表のデータの1回目を取り、キートンは2013年4月頃から、ホークスは2013年7月頃、イーストウッドを2013年10月から12月にかけて、そしてD・W・グリフィスとジョン・フォードを2013年の12月頃から14年の2月にかけて、そしてエイゼンシュテインを2014年の正月から見直し機能・運動連関表をデータ化するという作業を続けながら2014年の3月頃には論文は完成する予定だった。だがここで困った事態が到来する(以降、機能・運動連関表の題名の右横に書かれる日付で西暦の記載のないものはすべて「2014年」に取られたデータを差す)。ここからは機能・運動連関表の内容でなくその量だけに注目して見ていただきたい。論文を仮に2014年の3月頃に出すとすると、例えばジョン・フォードの●「捜索者」(1956)ならばこのデータを出すことになる↓
■「捜索者」(1956) ジョン・フォード 2013/12/15
椅子はその上に立つため。金のロケットは人物を特定させるため。金貨の袋は投げるため。金貨が発行したてなのはガンマンの犯罪を匂わせるため。椅子が道具箱に。ポーチは座るため。牛を盗むのは捜索隊をおびき寄せてその隙に一家を襲うため。牧師がテーブルの向こう側に座るのはガンマンに背を向けさせて再会を劇的にさせるため。テキサス警備隊の宣誓をさせるのは宣誓に集中させてガンマンの登場を劇的にさせるため。ドアは蹴飛ばして閉めるため。道具箱はその上に座るため。殺された牛は槍でコマンチと特定させるため。帽子は振られるため。ライフルは投げるため。尻は蹴飛ばすため、また怪我をして治療させるため。鳥が飛び立つのはコマンチの存在を指示するため。娘がランプを持ってくるのは注意してインディアンの存在を知らせるため。光が合図に。娘が叫ぶのは殴られるため。墓がかくれんぼに。窓は人が出入りするため。人形は人物を特定させるため。ガンマンが馬を休ませるのは馬を休ませない青年の未熟さを指示させるため、また青年の到着を遅らせて先にガンマンを家に到着させるため。家は燃えるため。ライフルは振るため。青年が家の中に入ろうとするのはガンマンに殴られるため。死体はその眼を打ち抜くため。墓はコマンチが追跡を恐れていないことを指示するため。水筒は投げられ、また投げ返すため。たき火は蹴散らすため。川は逃げるため。倒木が枕や盾に。青年が銃撃を躊躇するのは未熟さを指示させるため。牧師の銃の弾が尽きるのはガンマンに銃を投げさせ、また牧師に帽子を投げ返させるため。コマンチの負傷者を撃つのはガンマンの残酷さを際立たせるため。スカーフは叩きつけるため。水筒の水を飲ませるのは青年の未熟さを際立たせるため。コマンチを分隊させるのはガンマン一人に娘の死体を発見させるため。コートは死体を包み込むため。ライフルは投げつけるため。雪は時間の経過を指し示すため。娘が殺されるのはその恋人も殺すため。帽子と靴下は蹴り飛ばすため。青年が風呂に入るのは恋人に裸の状態で対峙させるため。ドアの音は出ていったことを偽装するため。水は人にぶっかけるため。ブーツは投げつけるため。キャラコのエプロンは人物を特定させるため。服は叩きつけるため。ベンチは人ごと倒すため。帽子は投げるため。ドレスは人を特定させるため。交易商はガンマンに撃たれてガンマンをお尋ね者にさせるため。青年を先に寝かせるのは交易商を待伏せるため。薪は投げるため。馬具が人間に。崖は人を落下させるため。帽子は撃たれるため。毛布がインディアン女に。青年がインディアンと結婚するのは恋人を苛立たせるため、また娘の所在を知らせるため。人は蹴飛ばして転がすため。コップは投げ棄てるため。インディアンの女に犯人のことを尋ねるのは女を逃がすため。石が矢印に。野牛は殺しつくすため。ライフルは叩きつけるため。テントは燃やすため。帽子は人を特定させるため。騎兵隊はコマンチを襲撃してガンマンに娘たちの面通しをさせ娘たちが白人でなくコマンチ化していることを指示させるため。捜索に時間がかかるのは娘をコマンチ化させるため、また青年の恋人をギター弾きと結婚させるため。窓枠は人がもたれるため。馬に帽子を被せるのは被せた人物を特定させるため。酒は燃やすため。槍に吊るされた人の頭の皮は娘の登場を劇的にさせるため。石は水を切るために。斜面は娘の登場を劇的にさせるため。ガンマが娘を撃とうとするのはインディアンに撃たれるため。洞窟は人が隠れるため。岩が蛇口に。遺書は叩きつけられるため、またガンマンが娘を身内ではないと思っていることを青年に知らせて怒らせるため。ナイフは叩きつけるため。拍車ははずすため。青年が恋人と抱き合うのはやってきたフィアンセと青年を殴り合わせるため。結婚式は乱闘させるため、またコマンチの襲来を知らせるため。薪は唾を吐きつけるため。暖炉が灰皿に。ガンマンに交易商たちの背中を撃たせたのはガンマンを疑わせるため。中尉が帽子を脱がないのはその未熟さを指示させるため。階段は座るため。指笛が合図に。サーベルは傍にいる者を恐怖させるため。テントは馬が入るため。馬は蹴散らすため。
これが2013/12/15という日付に撮ったジョン・フォード●「捜索者」(1956)の機能・運動連関表だが、論文を仮に2014年の3月頃に出すとすると、例えばヒッチコックの●「三十九夜」(1935)の機能・運動連関表はこれを出すことになる。
●「三十九夜」(1935) ヒッチコック2012/11/25
ミュージックホールはカナダ人旅行者にメロディを覚えさせるため、また女スパイと男を引き合わせるため。銃声は逃げるため。鏡は裏返すため。電話は鳴り響くため。窓とカーテンの揺れは人が出入りしたことを指示するため。殺人事件はカナダ人旅行者を巻き込むため。2人組の男はカナダ人旅行者をアパートに閉じ込めるため。牛乳屋はカナダ人旅行者をアパートの外へ逃がすために。アパートの管理人の悲鳴は汽笛に。下着のセールスマンはカナダ人旅行者に新聞を見せるため。追っ手はカナダ人旅行者と女にキスさせるために。キスは追っ手から逃れるために。女のメガネは知的で頑固なため。食堂車のボーイは皿の上のカップをこぼさないため。貨物車の犬は追っ手の追跡を遅らせるため。柱は隠れるため。棚はベッドに。食前のお祈りは農夫の妻に事件を知らせ、またその夫を嫉妬させるため。カナダ人旅行者の明るいジャケットは農夫の妻をしてカナダ人旅行者に讃美歌入りの黒いレインコートを着させるため。農夫が厳格なクリスチャンなのはコートの中に賛美歌の本を忍ばせるため。農夫の夫婦の年が離れ、かつ農家の場所が田舎なのは農夫の妻に都会から来たカナダ人旅行者に恋をさせ逃亡の手助けをさせるため。教授の娘の誕生パーティはカナダ人旅行者と判事を引き合わせるため。小指の不在は人物特定のため。讃美歌の本は銃弾を受け止めるために。判事が呼んだ警官はカナダ人旅行者の右手に手錠をはめるため。窓は人が逃げるために。救世軍のパレードは身を隠すために。政治集会は身を隠すために、また女と再会させ2人でスパイに捕まるため。口笛は記憶を呼び覚ますために。羊の群れは車を妨害し、かつカナダ人旅行者と女を手錠でつないで逃亡させるため。羊の鳴き声は逃亡する二人の足音を消すため。霧は2人の姿を見えにくくするため。滝はその裏に隠れるため、また女のストッキングを濡らして脱がせるため。寒さは2人を宿屋へ向かわせるため。手錠と寒さと暖炉は男と女をすり寄わせるため、また宿屋の夫婦に2人が駆け落ちのカップルに見えるようにするため。つめやすりは手錠を切るため。パイプはピストルを装うため。マントルピースはストッキングを吊るすため。宿屋は男の疑惑を解くため。ロンドン劇場の舞台劇が逮捕劇に。舞台のタップダンスが階段を上る警官の足音に。「39階段」が組織の名前に。暗記のアトラクションがスパイのスキルに。
■
2014年の3月頃に論文を出すとするとこういったデータを出すことになるのだが、確かにジョン・フォード、キートン、ホークスといった監督のマクガフィンはヒッチコックに比べて量的に多いという感触はこの時期既に得てはいたもののここまでの差異は実感としてなく、これはわずか一年余りの時間において私の「目が肥えた」ことから生ずる不可避の事件として到来している。データを取る時期が遅れると必ずやマクガフィンの量が増えていく。減ることは絶対にない。ここで全産品をもう一度見直してもそれはヒッチコックのみならずD・W・グリフィス、キートン、エイゼンシュテイン、ジョン・フォード、ハワード・ホークス、マイケル・マン、そして当初の予定ではイーストウッドも見直さなければならず、それは当然ながら1年程度はかかることからして再び「目が肥える事」という同じ事態が到来することくらい私のような数学音痴でもそれなりに予期することができる。だがある時期、あるレヴェルに到達すれば「目が肥える事」の速度も落ち着きを見せるだろうと予想され、またどうしてもこのヒッチコックのデータでは我慢できなかったという映画の虫の催促もあり、考える前に実行する●「麦秋」(1951)の原節子のように深く考えもせず見直すことを決定してし、それと同時に『不具合による論文の一年延期』を宣言、それまでに撮った全データを取り直す作業に突入する。2014年の3月からまずマイケル・マンとヒッチコックを、そこからそこからホークス、キートン、7月からエイゼンシュテインを、9月までにジョン・フォードを見直し「先」が見え始めて来たのも束の間、7月あたりになって3月頃と比べてまた「著しく目の肥えて」来ている自分を実感始め、2014年四月頃以前のデータ(ヒッチコック!!)は不完全ではないのか、、という疑念に再び襲われ始める。だがこの時期から再びヒッチコックの全作品のテータを撮り直す気力はもうなく(生命の危機を感じたこともあり)、恐る恐る作品数の少ないマイケル・マンの三回目のデータを取り直し始めたのが10/14の●「ALI アリ」(2001)からである。
■「ALI アリ」(2001)
1回目 2013/4/5
教会が暗殺場所に。妻が白人の格好をするのは夫と別れるため。服は匂いをかぐため。法廷の警備員はアリと握手するため。酒瓶は割るため。
2回目 3/19
ハンカチは振るため。車は人が寄りかかるため。活動家とボクサーがホテルの前で会うのは2人を対立させそのまま活動家を死なせるため。教会が暗殺場所に。妻が白人の格好をするのは夫と別れるため。服は匂いをかぐため。カツラは剥ぐため。徴兵拒否は戦わせなくさせたあと戦わせるため。机は人が座るため。クレイと呼ぶのはボクサーを怒らせるため。法廷の警備員はボクサーと握手するため。パン屋は女と再会するため。机は足を乗せるため。電車は通過するため。酒瓶は投げ割るため。階段は人が座るため。大勢の食事は無罪判決を知らせるため。娘が病気なのは妻を不在にさせてボクサーに浮気させるため。
3回目 10/14
人はシルエットを投射させるため。スポットライト、街灯、回転灯は光を投射させるため。パンチングボールは叩き振らせるため。バスに乗るのは新聞を見せられるため。机は人が座るため。縄跳びは縄を回転させるため。帽子は脱ぐため。フラッシュは光るため。耳はめん棒?を挟むため。拳、足、人は人をキャメラから遮るため。会場のライトは光るため(星のように)。椅子は蹴飛ばすため。足はジャンプするため(蝶のように舞う)。マウスピースは吐き出すため。地面は人が座るため。セリフは奪われるため。呼び方は間違えるため。宗派、名前は替えるため。布は振るため。旗、炎は風に揺られるため。ホテル前の再会は最後の会話になるため。ヘッドライトは光るため。口は挟めるため。銃は煙を吐き出すため、また光るため。椅子は人をぶつけて倒すため。教会が暗殺に。車を運転するのは友人の死を告げられるため。地面は鳴り響くため。メガネは光を反射させるため。涙はしたたり落ちるため。白人の服を着るのは夫と別れるため。取材は拒絶されるため。鍵は落とし置くため。服は匂いをかぐため。カツラはいじるため。砂糖は入れすぎるため。徴兵は拒否させて試合をできなくさせたあと無罪にさせるため(脚本に書いたような人生)。謝罪はしないため。名前は言わせるため。警備員は握手するため。ガラスが鏡に。パン屋は女と再会するため。回転オルゴールは回すため。机は足を乗せるため。銃声は鳴り響くため。電車は光って通過するため。火事は煙を吐き出すため。伝言は伝わらないため。破産は信仰を禁止された後禁止を解かれるため。カーテンは開けて光を投射するため。酒瓶は投げ割るため。線路は火花を撒き散らすため。返事はしないため。階段は人が座るため。照明は光るため(スタジアムの)。車は人が寄りかかるため。上着はけなされるため。援助は受けないため。ユダヤ教徒を首にするのは再雇用するため。大勢での食事は無罪判決を知らせるため。腕は掲げないため(試合後)。耳はくすぐるため。脇道は逸れるため。木々は風に揺られるため。頭は物を乗せるため(機能的か)。ラジオは担ぐため。木々は影を落とすため。壁がキャンバスに。カーテンは風に揺られるため。娘の病気は妻を不在にさせて浮気させるため。言語は言い間違えるため。言い方は正させるため。怪我は帰国させないため。壁、人は画面の手前にナメルため。話は聞かないため。ロープは背負うため。歓声は鳴り響くため。ラウンドガールはウインクさせてし返すため。雷は鳴り響くため。雨は降り注ぐため。
★恐怖
こういうデータを客観的に、あるいは量的にそこへポンと出して眺めて見た時の驚き、、死の危険すら実感する恐怖。「見ること」の驚愕を味わっている批評家は世界でも数人しかいないはずだ、、などと優越感に浸る暇すらなく、ふとこのマイケル・マンの二回目のショボイデータを取った日付のノートをふと見てみると、そこには3/19、とあり、、ふとまたその右横を見てみると●「暗殺者の家」⑤(五回目という印)、と汚い字で書いてある。ヒッチコックの「最新」のデータを取りはじめたのは3/19の●「暗殺者の家」(1934)からであり、それをマイケル・マンの●「ALI アリ」(2001)の2度目のしょぼくれたデータを取った日と同じ日なのだ!、、つまりこのまま論文を出すとなると、ヒッチコックについてまたまた●「ALI アリ」(2001)の二回目に相当するショボショボデータを出すハメになる!、、、だがここで再びマイケル・マンのデータを取り直すということは=ヒッチコックの全作品のデータを取り直すことへと必然的につながるべきこと)はなるべく考えないようにしながら(こういう時私は考えない)まずマイケル・マンの3回目のデータをそのまま取り直し(と言いつつ●「ジェリコ・マイル/獄中のランナー」(1979)●「ヒート」(1995)●「パブリック・エネミーズ」(2009)の残り三本になってどうしても見直す気力に恵まれず、この3本のデータは二度目のをそのまま提出している。マイケル・マンの機能・運動連関表の題名の青くないのがこの三本。一本一本見直すたびに題名を青に塗り替えることをモチベーションとしていたのだが力尽きた。今後また見直してデータを取り直す気力はない)、さらにそうした恐怖に逆らうように「では4月のデータならどうなるか、」、と4月頃に見た作品を見直すという危険な領域へ踏み込んで行ってしまうのだが、怖いもの見たさという元来有している性向に耐えられず、4月27に見た●「スター・ウォーズ」(1977)を10/13に見直したり、6月4日の●「ゲームの規則」(1939)、7日の●「ピアニストを撃て」(1960)をそれぞれ10/10、10/11に見直し、その余りの差異に驚くうちに絶望は広がって行き、それからというものの1月に見たD・W・グリフィスと3月から見直したヒッチコックをもう一度見直すかどうかの地獄の葛藤の日々に悩まされ酒の量が増える。
■「スター・ウォーズ」(1997)特別篇 ルーカス 118分 4/27
爆破は火花を撒き散らすため。設計図は運動を起動させるため。襲撃はロボットを脱出させ青年と老人を仲間にさせるため。銃は煙と光線を放つため。柱は人をぶつけるため。岩は落下するため。ロボットは火花を撒き散らすため。戦車は煙を撒き散らすため。白いロボットが故障しているのは青いロボットを買わせるため。ロボットが逃げるのは捜索に出た青年を砂の民に襲わせ老人に助けさせて仲間にさせるため。岩は人が座るため。壁は人が寄りかかるため。男がベーダーを侮辱するのはベーダーの力を誇示させるため。家は黒煙を撒き散らすため。叔父と叔母を殺すのは青年を旅立たせるため。埋葬は煙を撒き散らすため。銃は落とすため。検問は老人の能力を指し示すため。机は倒すため。酒場で因縁をつけられるのは老人にライトセーバーを使わせるため。借金取りの使いは船長の手腕を指し示すため、また煙を吐き出すため。コインは投げ渡すため。襲撃はファルコン号を出発させるため。惑星は爆破するため。机が鏡に。倉庫は人が隠れるため。基地に吸引されるのは姫を助けて脱出するため。机は足を乗せるため。反乱軍兵が帝国軍兵に。指令室は銃撃され煙を吐き出すため。階段は人が転げ落ちるため。ドアは撃ち破るため。銃は投げ渡すため。ゴミシューターは怪物に襲われ押し潰されるため。弾は反射するため。歓喜の叫びが断末魔の叫びに。人は吹き飛ぶため、また落下するため。師弟対決は見張りをいなくさせるため、また師を負けさせてアドバイザーにさせるため。師の敗北は青年を叫ばせて敵兵に見つけさせるため。戦闘機は爆破して煙を吐き出すため。
2回目 10/13
宇宙船は光を投射するため、また光線を発するため。爆破は煙と火花を撒き散らすため。銃は光線を発するため、また対象に煙を吐き出すため。息は鳴り響くため。人は持ち上げ壁にぶつけるため。襲撃はロボットを脱出させ青年と老人を仲間にさせるため。ロボットは鳴り響くため。雲は移動する影を地上に落とすため。遠くの物体は光るため。岩は人(宇宙人含めて「人」とする)が隠れるため、また落下するため。銃は煙を吐き出すため。ロボットは光線に包まれるため。戦車は煙を吐き出すため。ロボットは火花と煙を撒き散らすため。赤ロボットの故障は青ロボットを買わせるため。ロボットを掃除するのは映像を投射させるため。地面は人が座るため。お湯は煙を吐き出すため。雄叫びはこだまするため。シート?は投げ棄てるため。フードは顔を隠して出のショットを撮るため。ロボットが逃げるのは青年を砂の民に襲わせ老人に助けさせるため。岩は人が座るため。剣は光るため。柱は人が寄りかかるため。机が鏡に。侮辱するのは力を誇示させるため。火事、埋葬は煙を撒き散らすため。死体は落とし置くため。育ての親を殺すのは青年を旅立たせるため。銃は落とすため。ロボットは叩き落とすため。煙突は煙を吐き出すため。人は巨獣から振り落されるため。検問は老人の力を指し示すため。人はキャメラの前を横切るため。ロボットは酒場に入れないため。机はひっくり返すため。因縁をつけられるのは力を見せて警官に追われるため。腕は切り落とすため。机は足を乗せるため。借金取りは船長に殺されるため。コインは投げ渡すため。借金は船長を仲間にするため。襲撃は宇宙船を出発させるため。口は挟めないため。惑星は爆破して火花を撒き散らすため。倉庫は人が隠れるため。基地に吸引されるのは姫を助けて脱出するため。樽は人をぶつけるため。手錠は巻けないため。地面は光を反射させるため(弱いが)。指令室は銃撃され煙を吐き出すため。階段は人が転げ落ちるため。ドアは撃ち破るため。壁は人が隠れるため。格子は撃ち壊すため。銃は投げ渡すため。ゴミがクッションに。ゴミシューターは怪物に襲われ壁に押し潰されるため。弾は反射するため。歓喜の叫びが断末魔の叫びに。鍵は撃ち壊すため。人は落下するため。配管はワイヤーを引っかけるため。老人の別行動は弟子と2人で対決するため。師弟対決は見張りをいなくさせるため、また師を負けさせてアドバイザーにさせるため。悲鳴は敵兵に見つかるため。消火は煙を吐き出すため。宇宙船は爆破して煙を吐き出すため。配線はロボットに絡みつくため。木はキャメラの手前にナメるため(ショボイが)。壁は人が寄りかかるため。翼は人がくぐるため。ロボットは交換しないため。大砲は光線を発するため。避難はしないため。宇宙戦は揺れて人を倒すため。墜落は炎と煙を吐き出すため。自動照準装置は切るため。ロボットは撃たれて煙を吐き出すため。基地は爆破して輪っかと火花を撒き散らすため。
■「ゲームの規則」(1939) ジャン・ルノワール 108分 6/4
1回目
フラッシュは光るため。着陸ショーは女が迎えに来ないため。家具、彫像は人が寄りかかるため。地面は煙を撒き散らすため。車は事故を起こすため。蓋は投げ置くため。つまずくのはネジを落として探すため。床は人が滑るため。工具は投げ置くため。水面が鏡に。コートは自転車を隠すため。倒木は投げ置くため。木々は風に揺られるため。雷は鳴り響くため。手摺は人が寄りかかるため。鍋は煙を吐き出すため。密漁して捕まるのは召使いになるため。メイドの隣席の召使いが席を立つのは密猟者とメイドを同席させるため。手摺は影を投射させるため。枕は投げるため。お尻は叩くため。女の花は男たちの手に受け継がれるため。服、靴、枕は投げ置くため。ベッドは乗り越えるため。木は叩くため。獲物は投げ置くため。木の枝は影を投射させるため。銃声は鳴り響くため。リスを観察させるのは望遠鏡で浮気観察をさせるため。客の女が帰るのは帰らないため。値札は投げ棄てるため。靴は落とすため。メイドを抱くのは手を叩かれるため。机はその下を人がくぐり抜けるため。イチャつくのは亭主に目撃させるため。ピアノは人が寄りかかるため。スポットライトは照らし回るため。着ぐるみは脱げないため。人は人が隠れるため。帽子は投げ置くため。机は人が寄りかかるため。指は鳴らすため。人は人にぶつかるため。机は人が乗り上げるため。肘掛けは人が座るため。机は叩くため。お盆は落として居場所を知られるため。バケツは蹴り飛ばすため。ソファーは人をひっくり返すため。本は投げるため。グラスは叩き落とすため。階段は人が座るため。銃は煙を吐き出すため。お盆は叩き落とすため。服のホコリは払うため。森番と密猟者が追っかけっこをするのは首になるため。木は人が寄りかかるため。森番がメイドにフード付きのコートを贈るのはそれを女主人に着せて森番に人違いさせるため。女主人と男が外で散歩するのはメイドのコートを女主人に着せて森番に撃たせるため。キスをするのは森番に殺意を抱かせるため。帽子は投げ棄てるため。林は身を隠すため。男が女主人を飛行士に譲るのは飛行士を殺すため。男が自分のコートを飛行士に着せるのは人違いで飛行士を撃たせるため。人は影を投射させるため。
2回目 10/10
群衆は押し合うため。フラッシュは光るため。着陸ショーは女が迎えに来ないため。(召使いから渡された物は渡し返すため。家具、彫像は人が寄りかかるため。花はむしるため。地面は煙を撒き散らすため。車は事故を起こして男同士に口論させるため。帽子は脱ぐため。うぐいす人形は鳴き響くため。食事はしないため、布巾は投げ置くため。蓋は投げ置くため。つまずくのはネジを落として探すため。床は人が滑るため。工具は投げ置くため。水面が鏡に。柵は施設しないため、木の枝は人が通過して揺らすため。コートは自転車を隠すため。倒木は投げ置くため。銃声は鳴り響くため。紐は投げ棄てるため。口は挟めないため。密猟者は捕まって召使いになり小間使いに恋をして亭主を怒らせて発砲させ2人で首になるため。タバコは投げ棄てるため。木の枝は風に揺られるため。水溜りは車で水しぶきをあげるため。雷は鳴り響くため。雨は地面を打ち響かせるため。鍋は煙を吐き出すため。メイドの隣席の召使いが席を立つのは密猟者とメイドを同席させるため。時報は鳴り響くため。ドアは人が寄りかかるため。手摺は影を投射させるため。枕は投げるため。お尻は叩くため。女の花は男たちの手に受け継がれるため。タバコは煙を吐き出すため。服、靴、枕は投げ置くため。ベッドは人が乗り越えるため。木は叩くため(ひたすら叩いて獲物を追い込む)、また枝の下を人がくぐり抜けるため。獲物は逃げて撃たれるため、また投げ置くため。獲物を譲るのは譲らないため。木の枝は研ぐため。リスを観察させるのは望遠鏡で浮気観察をさせるため。木の枝は影を落とすため。ジガレットケースは放り上げてキャッチするため。ライターは点かないため。ラッパは鳴り響くため。双眼鏡は貸さないため。草は風に揺られるため。格子は影を投射させるため。ダンスは踊り間違えるため。帰るのは帰らないため。値札は剥がして投げ棄てるため。靴は落とすため。メイドを抱くのは手を叩かれるため。机はその下を人がくぐり抜けるため。イチャつくのは亭主に目撃させるため。ピアノは人が寄りかかるため。スポットライトは光を投射するため。着ぐるみは脱げないため。劇は男と女を逃避させるため。手袋、帽子は投げ置くため。机は人が寄りかかるため。ぬいぐるみは脱がせて人を引きずり倒すため。蝶ネクタイは結び継ぐため。指は鳴らすため。人は人にぶつかるため。お尻は蹴飛ばすため。机は人が乗り上げるため。肘掛けは人が座るため。カーテンは人に絡まるため。机は人が隠れるため。人がバリアに。机は叩いて驚かせるため。お盆は落として居場所を知らせるため。バケツは蹴り飛ばすため。ソファーは人をひっくり返すため。本は投げ舞わせるため。壁は人が寄りかかるため。グラスは叩き落とすため。玄関先が舞台に。階段は人が座るため。靴磨きがウエイターに。銃は煙を吐き出すため。椅子は人が隠れるため。殺人が余興に。お盆は叩きつけるため。銃声は女を驚かせて運ぶため。はく製は人が飛び越えるため。ボトルは人がつまずくため。群衆は人が紛れ込むため。足は足に引っかけて人を転ばせるため。女は失神して運ばれるため。鍵は落とすため。お盆は叩き落とすため。服のホコリは払うため。木は人が寄りかかるため。涙は光るため。カエルは鳴き響くため。森番がメイドにフード付きのマントを贈るのはそれを女主人に着せて顔を隠させ森番に人違いさせるため。キスをするのは森番に殺意を抱かせるため。帽子は投げ棄てるため。林は身を隠すため。男が女主人を飛行士に譲るのは飛行士に自分のコートを着せて森番に撃たせるため。帽子は叩きつけるため。人は影を投射させるため。
■「ピアニストを撃て」(1960)トリュフォー 78分 6/7
2人組は事件を起動させるため。ハンマーヘッドは打ち鳴らされるため。ヘッドライトは光るため。地面は鳴り響くため。柱は人がぶつかるため。通行人は助けて結婚の話をするため。椅子は逆さにされている。人は突き飛ばすため。ビール箱の山は崩すため。手は握れないため。壁は人が隠れるため。酒の誘いは伝わらないため。壁は人が隠れるため。ネオンは点滅するため。雑誌は投げ置くため。枕は投げつけるため。お尻は叩くため。牛乳はフロントガラスに浴びせるため。外出するのは拉致されるため。ガラスが鏡に。女が歩いて来るのは拉致されるため。人々は笑うため。拉致はされないため。呼び鈴は押さないため。バイオリンの女は男をピアニストにさせるため。ライトは輝くため。フラッシュは光るため。壁は人が寄りかかるため。妻を一人にさせるのは飛び降り自殺させるため。?は煙を吐き出すため。ピアノはモップを立て掛けるため。コンロがマッチに。末の弟を引き取るのは拉致させて兄弟全員を巻き込むため。テーブルは叩くため。受話器はひきちぎるため、また人を殴るため。サッカーゲームは人を隔てるため。包丁は投げ置くため。内緒話はヘッドロックをかけるため。人を刺すとき包丁は逆手で握られている。店主は殺されるため。街灯は光るため。マフラーが日本製でないのは母親を殺すため。車は押すため。車がエンコするのは男と女に追い越されるため。トンネルはライトを縦列させるため。夕陽は輝くため。時計の振り子は揺れるため。時計は鳴り響くため。斧は天井を叩くため。コーヒーは煙を吐き出すため。銃は投げ置くため。揺り椅子は揺られるため。木は人が寄りかかるため。橋は子供を逃がすため。銃は煙を吐き出すため。窓は割るため。斜面は人が転げ落ちるため。煙突は煙を吐き出すため。女が戻るのは殺されるため。
2回目 10/11
2人組は事件を起動させるため。ハンマーヘッドは打ち鳴らされるため。ヘッドライト、街灯は光るため(それだけで光源にしている)。地面は鳴り響くため。柱は人がぶつかるため。通行人は男を助けて結婚の話をするため。エンジンは鳴り響くため。椅子は逆さにされている。ピアノは灰皿を乗せるため。呼び方は間違えるため。女を殴るのは突き飛ばされるため。ビール箱の山は崩して人が乗り越えるため。手は握れないため。手は腰に回せないため。笑わないのは笑うため。壁は人が隠れるため。酒の誘いは伝わらないため。壁は人が隠れるため。ネオンは点滅するため。電気は点けるため。ハイヒールは脱ぐため。雑誌は投げ置くため。タバコは煙を吐き出すため。メトロノームは鳴り響くため。衝立は服と下着を掛けるため。枕は投げつけるため。女はおっぱいを見せるため。ライトは消すため。ジッパーは下げてもらうため。手は揉んで脇を叩くため(寒くて)。お尻は叩くため。牛乳はフロントガラスに浴びせてワイパーで拭き取るため。外出するのは拉致されるため。ガラスが鏡に。金はもらわないため。自転車は横切るため。女が歩いて来るのは拉致されるため。運転は文句をつけるため。人々は笑うため。アクセルとブレーキは踏み合いっこするため。帽子は脱ぐため(律儀なギャング)。拉致はされないため。階段は女の脚を見せるため。プリンは無いため。手摺は影を投射させるため(弱い影だが)。取っ手は回せないため、また呼び鈴は押せないため(ルビッチ調)。バイオリンの女は男をピアニストにさせるため、また男の才能を指示させるため。財布、手帳は落とし置くため。フラッシュは光るため。壁は人が寄りかかるため。怒鳴らないのは怒鳴るため。抱擁はさせないため。妻を一人にさせるのは飛び降り自殺させるため。たき火?は煙を吐き出すため。ピアノはモップを立て掛けるため。コンロがマッチに。椅子が洋服掛けに。半熟卵は食べないため。末の弟を引き取るのは拉致させて兄弟全員を巻き込むため。娼婦が客を取るのは弟を拉致させるため。皿はひっくり返すため。テーブルは叩くため。罵るのは殴られるため。受話器はひきちぎるため、また剣に。サッカーゲームは人を隔てるため。ハシゴがバリアに。包丁は投げ置くため。内緒話はヘッドロックをかけるため。包丁は逆手で握られている。ゴミ箱は人が寄りかかるため。店主は殺されて男を兄弟のアジトに逃がすため。ライトは頭にぶつけて揺らすため。犬は鳴き響くため。マフラーが日本製でないのは母親を殺すため。車は押すため。車がエンコするのはピアニストに追い越されるため。ラジオがBGMに。トンネルはライトを縦列させるため。朝日は輝くため。ボトルは投げ棄てるため。時計の振り子は揺れるため。時計は鳴り響くため。斧は天井を叩くため。スプーンは落とし置くため。コーヒーは煙を吐き出すため。揺り椅子は揺らすため。鏡は割れているため。銃は投げ置くため。煙突は煙を吐き出すため。窓の曇りは拭き取るため。木は人が寄りかかるため、またシルエットを投射させるため。木の枝は画面の手前に舐めて揺らすため。地面は影を投射させるため(斜面に落ちたマリー・デュボワの長い影)。橋は弟を逃がすため。銃は煙を吐き出すため。窓は割るため。銃は回すため。斜面は人が転げ落ちるため。女が戻るのは殺されるため。ピアニストが出発を兄弟に知らせに戻るのは女を一人にさせるため。雪は顔を拭くため。
★イタチごっこ
結局のところ、、今になって思い起こせば、私の「目が肥える事」がそれなりに落ち着き始めたのが2014年の7月頃のことであり、それ以前のヒッチコック、グリフィスについては映画的良心からもう一度データを取り直すべきなのは知りつつ未だ私は狂いたくない。唯一の「解決策」は論文を出す日付を決定することであり12月26日に出すと宣言することで「イタチごっこ」に終止符を打ちながら、そうすることでヒッチコックとD・W・グリフィスのデータは不完全のまま論文は公表されることになる。だが仮にこれを取り直したところで今度はキートン、ホークスのデータの不完全さが際立つことになり、それを取り直すと次はエイゼンシュテインとジョン・フォードが、、と永遠のいたちごっこが続けられることになる。「見ること」とは「意識的に見ること」であり、カッティング・イン・アクションであれ照明であれ何であれ、あらゆる細部は意図的に「見ること」をしなければ人は見ることをしない。映画の画面を見てふと「これは重要な細部である」と「発見」した瞬間、それまでの「見ること」はその「重要な発見」をすべて「見ないこと」によってなされた偽の体験であることが露呈する。これが「見ることの恐怖」であり、それまで見ていたはずの出来事がものの見事に見ていなかったとの証拠をみずからに突きつけられることの驚きは、進化と退化を重ねることでなされる生成であり、これがヘーゲル的絶対精神へと弁証法的に昇華されて行くかどうかは別として、少なくともこうした体験は「見ること」という「すること」の領域においてのみ過剰に生ずる「イタチごっこ」であり、そうした未確定の生成はその背後にある不動の「であること」の領域においては否定的現象として扱われることになり、そこでのみ批評を書く批評家にこうした恐ろしい体験が訪れることはない。彼らの無邪気なまでの「向こう側=超越」の領域における理性信仰は古田博司が「芸術分野はそもそも超越には不向きな分野である」(「ヨーロッパ思想を読み解く」129頁)と語るように「すること」の領域に集約される映画論には向いていない。
以下にはヒッチコックのデータを最後に取った2014年の3月から4月の同時期に見た作品のデータと、その作品のデータをもう一度後日取り直したデータを提示することで、仮にヒッチコックのデータを7月以降に取り直したならばこの程度の割合でマクガフィンは増加するだろうという目安にしていただきたい。
■「決断の3時10分」(1957) デルマー・デイヴィス 93分 3/9
地面は煙を撒き散らすため(幾度も派手に撒き散らしている)、また影を投射させるため。馬車はそこから人を落下させるため。牛は駅馬車強盗に紛らせて持ち主を事件に巻き込むため。また駅馬車を止めるため。御者が撃たれるのはその息子を復讐へと向かわせるため。カウンターはマッチを擦るため。手下がボスに敬意を払うのは逮捕されたボスを奪還する手下であることを指示させるため。タバコは煙を吐き出すため。柱は人がもたれるため。ボスが一人街に残るのは逮捕されて護送されるため。酒場の女はボスが『一箇所に長く居られない男』であることを指示させるため。帽子は投げ置くため。樽は人がその上に立つため。部隊が二手に分けるのはボスを農家へ連れて行き牛追いの妻に会わせるため。駅馬車が溝に落ちるのはボスを農家に護送し牛追いの妻に合わせるため。駅馬車は人が隠れるため。煙突は煙を吐き出すため。農家の外で何か動くのは酒好きに銃を撃たせて夫を外へ出しボスと妻に2人で話をさせるため。雨が3年降らないのは牛追い一家を貧困にさせて牛追いを保安官助手にさせるため。ボスをホテルの新婚用の部屋に監禁するのはボスに結婚を意識させるため。窓を開けるのは見通しを良くさせるため。窓の仕え棒がないのはボスに牛追いを襲わせるため。新聞が日よけに。ソファーがベッドに。ウィスキーは人の顔にぶっかけるため。ドアは人を跳ね飛ばすため。御者の息子にホテルの部屋に押し込ませるのは銃声をボスの仲間に聞かせるため、また仲間にならないかと駅馬車主に御者の息子を誘わせ断らせて牛追いを孤立させるため、また牛追いにボスを救わせボスに牛追いに対する借りをつくらせるため。。御者の息子が酒を飲むのは気を大きくさせてホテルへ踏み込ませた後冷静になったところで加勢を断らせて牛追いを孤立させるため。囚人を護送しに出て街に保安官が不在なのは牛追いを孤立させるため。マッチは投げ棄てるため。懐中時計は投げつけるため。助っ人にやって来た5人は助っ人を放棄するため。酒好きを見張りに就けるのは殺させてホテルに吊るさせるため。屋根は人を落下させるため。壁は影を投射させるため。雷は鳴り響くため。妻をホテルにやってこさせるのはボスに妻と牛追いの姿を「裸の窃視」させるため。牛追いがボスのいる部屋から出て行って妻に会うのは妻との抱擁をボスに見られていることを知らない状態にさせるため。汽笛は鳴り響くため。牛の群れは人を紛れ込ませるため。汽車は煙を撒き散らすため。樽、木箱、馬が盾に。汽笛は敵の気を逸らすため。蒸気は人を隠すため。雨は上から下へと降り注ぐため。
2回目 9/25
地面は煙を撒き散らすため(幾度も派手に撒き散らしている)、また影を投射させるため(地面にくっきりと多くの影が投射されている)。木々、人、馬車はシルエットを投射させるため。馬車はそこから人を落下させるため。帽子は落とすため。牛は駅馬車強盗に紛らせて持ち主を事件に巻き込むため、また駅馬車を止めるため。煙突は煙を吐き出すため。傍観するのは妻にたしなめさせ牛追いを駆り立てるため。御者が撃たれるのはボスの性向を指し示すため、また御者の息子に復讐させるため。カウンターはマッチを擦るため。手下がボスに敬意を払うのは逮捕されたボスを奪還する集団であることを指示するため。タバコは煙を吐き出すため。札は投げ置くため。柱は人が寄りかかるため。強盗を通報すること、また部隊を二手に分けるのはボスと女を2人きりにさせるため、またボスを逮捕させて牛追いに護送させるため、またボスを農家へ連れて行き牛追いの妻に会わせるため。馬にはなかなか乗れないため。ボトルの栓ははめるため。ビーズは揺らすため。帽子は投げ置くため。スイングドアは開閉させるため。壁は人が隠れるため。銃は煙を吐き出すため。任命は断ってから引き受けるため。同意はし過ぎるため。床がメモに。樽は人がその上に立つため。車輪は人がよじ登るため。スカートは風に揺られるため。木の枝はぶつかって揺らすため。馬車が溝に落ちるのはボスを農家に護送するため。馬車は人が隠れるため。酒は無いため。祈りの前に食べるのはたしなめられるため。肉を切ってやるのはボスの脂身嫌いを指示させるため。銃声は鳴り響くため。納屋で何か動くのは酒好きに銃を撃たせて夫を外へ出しボスと妻に2人で話をさせるため。3年の干ばつは牛追い一家を貧困にさせて牛追いを保安官助手にさせるため。馬の息は白を吐き出すため。ソファーがベッドに。新聞が日よけに。手摺、格子、カーテンは影を投射させるため。ボスをホテルの新婚用の部屋に監禁するのは結婚を意識させるため。帽子は落とし置くため。ベッドがトランポリンに。手は貸せないため。窓はずり落ちるため。窓の仕え棒がないのはボスに牛追いを襲わせるため。椅子は倒すため。窓を開けるのは見通しを良くさせるため。時計は鳴り響くため(チクタク)、また時報を鳴り響かせるため。ベッドの枠は影を落とすため。新聞は落とし置くため。コインは叩き置くため。銃は撫でるため。マッチは投げ棄てるため。帽子が日よけに。馬留めは足を掛けるため。太鼓は鳴り響くため。酒は人の顔にぶっかけるため。ドアは開けて人を突き飛ばすため。ライフルは落とすため。椅子は影を落とすため。御者の息子が酒を飲むのは気を大きくするため。御者の息子がホテルの部屋に押し込むのは銃声をボスの仲間に聞かせるため、また牛追いにボスを救わせボスに借りをつくらせるため。御者の息子は仲間にならないため(役割を終えれば消えるだけ)。保安官が不在なのは街の者たちを助っ人にしてから逃げ帰らせるため。歯は紐を締めるため。タバコは吸わないため。椅子、彫像、階段は人が隠れるため。馬はキャメラの前を横切るため。カーテンは風に揺られるため。懐中時計は投げつけて壊すため。屋根は人を落下させるため。窓は撃ち割るため。壁は影を投射させるため(人が吊るされた影)。酒好きは殺されて吊るされるため。雷は鳴り響くため。手摺はシルエットを投射させるため。妻をホテルにやってこさせるのはボスに妻と牛追いの姿を盗み見させるため。牛追いが部屋から出て妻に会うのは妻との抱擁をボスに見られていることを知らない状態にさせるため(盗み見という行為は見られていることを知らない状態を作り出すためのマクガフィンを必然的に伴う)。人が盾に。木々は影を落とすため、また風に揺られるため。汽笛は鳴り響くため。牛の群れは人を紛れ込ませるため。馬は人が飛び乗るため。柵は影を落とすため。木は人が隠れるため。汽車は煙を撒き散らすため(凄い)。樽、木箱、馬は盾に。汽笛は馬を驚かせため、また敵の気を逸らした隙に逃げるため。煙は揺れる影を落とすため。蒸気は人を隠すため。雨は上から下へと降り注ぐため。
■「夜の人々」(1949)ニコラス・レイ
1回目 4/6
服は投げ棄てるため。地面は煙を撒き散らすため。木々は風に揺られるため。パンクは男を歩かせて怪我をさせ女に迎えに行かせるため。柵は人がもたれるため。木々は影を落とすため。タバコは煙を吐き出すため。服は投げ置くため。椅子が帽子掛けに。新聞は突き落とすため。椅子は足を乗せるため。柱はマッチを擦るため。チェーンは触れて音を出し居場所を知らせるため。ヘッドライトは光を投射するため。車を樽にぶつけるのは男に車を修理させながら女と話をさせるため。車は人が座るため。樽は足を乗せるため。車、柱は人が寄りかかるため。服は投げ渡すため。マッチがくじに。運転は代わるため。窓ガラスが鏡に。宝石屋で時計を買うのは大きな札を出して銀行へ下見に行くため、また銀行強盗をしている時宝石商に邪魔をされるため。ソファーがベッドに。鏡は投げ壊すため。手が刀に。札は舞い落すため。車は燃やして煙を撒き散らすため。ズボン、車はマッチを擦るため。カーラジオは不協和音を出すため。車を買うのは事故を起こして駆けつけた警官を撃って追われるため。銃は煙を吐き出すため。男が背中を痛めるのは女に背中をマッサージさせるため。電線がサイレンに。女が父親に金を渡すのは父親を飲みに行かせて男と二人で逃げるため。バスが休憩するのは結婚所を2人に見せるため。エンジン音は決断を促すため。バスに乗るのは降りるため。キスはしないため。髪は風に揺られるため。カバンは投げ置くため。机は人が座るため。給水機が帽子掛けに。机は叩くため。暖炉は燃え盛るため、また光を点滅させるため。帽子、布巾は投げ置くため。飾り玉は弾き落とすため。包が届くのは女を外出させた隙に仲間を来訪させるため。みかんの皮が灰皿に。葉巻は人物を特定させるため。コートは脱ぎ捨てるため。銃は置物を叩き割るため。時計は合わせるため。カーラジオは蹴り壊すため。強盗は失敗して追われるため。ガラスは割るため。相棒が酒を飲みたがるのは車から降りるため。雑巾は投げ棄てるため。水道管が破裂するのは配管工に密告させて2人を移動させるため。揺り椅子は揺れるため。ケースは人物を特定させるため。水溜りはしぶきをあげるため。肩が枕に。雨は影を投射させるため。ティッシュは投げ棄てるため。車のシートがベッドに。壁は人がもたれるため。酔っぱらいがぶつかるのは2人を店から出すため。タバコを買うのはトイレで男に脅迫されるため。銃は返すため。モーテルの女の夫が刑務所にいるのは女に密告させるため。女を妊娠させるのは体調を崩させてモーテルへ行かせオーナーの女に密告させるため。結婚式場の強欲な男に金を受け取らせないのはボウイの希望を失わせるため。モーテルの女が男を妻に会いに行かせるのは男を殺させるため。汽笛は鳴り響くため。置手紙が遺書に。女の髪はバックライトで照らされるため。
2回目 9/26
服は投げ棄てるため。地面は煙を撒き散らすため(西部劇のように)、また鳴り響くため。口数が多いのは殴られるため。木々は風に揺られるため。パンクは男を歩かせて怪我をさせ女に迎えに来させるため。地面は人が座るため。柵は人が隠れるため、またくぐり抜けるため。エンジンはかからないため。トラックの格子は影を投射させるため。荷物は持たせないため。木々は影を落とすため。タバコは煙を吐き出すため。服は投げ置くため。タオルは叩き渡すため。椅子が帽子掛けに。服は叩き置くため。新聞は叩き落とすため。椅子は足を乗せるため。柱はマッチを擦るため。チェーンは触れて女を驚かせるため。ヘッドライトは光を投射するため。タバコはタバコを点けるため。車を樽にぶつけるのは油を流して人を滑らせるため、また男に車を修理させながら女と話をさせるため。車のステップは人が座るため。樽は足を乗せるため。酒を飲まないのは飲むため。車は人が寄りかかるため。タバコは無いため。タイヤは倒し置くため。壁は人が寄りかかるため。記事は読まないため。ジャッキは人が寄りかかるため。衣類は投げ渡すため。帽子はツバを下げるため。マッチがくじに。くじはしないため。運転は代わるため。ブラインドは上げて男を驚かすため。窓ガラスが鏡に。札は鳴り響くため(お札の音が心地良い)。宝石店に行くのは大きな札を出して両替させて銀行へ下見に行くため、また宝石商に見張りの邪魔をさせるため。ソファーがベッドに。帽子は投げ置くため。片目の指摘は男を怒らせるため。額は投げ割るため。ペンは落とし置くため。ソファーは地図を書けないため。鐘は鳴り響くため。窓枠に手を掛けて話しかけるのはチョップを浴びて突き飛ばされるため。ゴミ箱は人が寄りかかるため。札は舞い散らすため。車は燃やして炎と煙を撒き散らすため。ズボン、車はマッチを擦るため。カーラジオは消えるため。リボンは風に揺られるため。車を買うのは事故を起こして警官を撃つため。銃は光と煙を吐き出すため。金は取らせないため。風は鳴り響くため。男が背中を痛めるのは女に背中をさすらせるため。電線は風に揺られてサイレンに。時計を贈るのは時間を聞くため(グレンジャーはオドネルに2度時間を聞いている)。女が父親に金を渡すのは父親を町に飲みに行かせて言いふらさせ男と二人で逃げるため。隣の母親は赤ん坊を男にあやさせるため、またいなくなって女を男の隣に座らせるため。バスが休憩するのは結婚式場を2人に見せるため。エンジンは鳴り響くため(エンジン音がグレンジャーの決断のきっかけになっている)。バスに乗るのは降りるため。帽子は置き忘れて取りに戻るため(運転手に「早くしてくれ!」と言わせることで結婚式場へと向かう2人の存在が取るに足らないものであることを現している)。ネオンは光を点滅させるため。キスはしないため。ジュースを男に渡すのはハンドルを女が持つため(思い出をひとつひとつ積み重ねていく)。肩が枕に。髪は風に揺られるため。階段は折れかかっているため。カバンは落とし置くため。ドアを開けるのは光を差し入れるため。机は人が座るため。給水機が帽子掛けに。父親は密告するため。机は叩くため。暖炉は燃え盛るため、また揺れる光を投射するため。地面は人が寝そべるため。タオルは落とし置くため。酒は無いため。飾り玉は弾き落とすため。包が届くのは女を外出させた隙に仲間を来訪させるため。葉巻は人物を特定させるため。コートは脱ぎ捨てるため。ハンカチ?は落とし置くため。銃は置物を叩き割るため。クリスマスは女が男に時計を贈り返すため。時計は合わせるため(徹頭徹尾「時間」の映画)。強盗は失敗するため。カーラジオは蹴り壊すため、また男を主犯にさせて片目と喧嘩別れさせるため。窓ガラスは叩き割るため。スパナは落とし置くため。雑巾は投げ棄てるため。水道管が破裂するのは配管工に時計のケースを見せて密告させ2人を移動させるため(時計があだとなる)。揺り椅子は揺らすため。水溜りは車で水しぶきをあげるため。雨は揺れる影を投射させるため。ティッシュは投げ棄てるため。車のシートがベッドに。踏切は鳴り響くため。カーテンは開けて光を差し入れるため。木の玉?は揺らし遊ぶため。指は札を挟むため。酔っぱらいがぶつかるのは2人を店から追い出すため。タバコを買うのはトイレで男に脅迫されるため(ただいなくなればそれでいいという、警察に突き出されるより冷たい待遇。存在そのものを否定されている)。銃は返すため。女が妊娠するのはモーテルへ行きオーナーの女に密告させるため。モーテルの女の夫が刑務所にいるのは女に密告させるため。結婚式場の男は若者を一人で立ち去らせるため。若いカップルは結婚行進曲を鳴り響かせるため。ブラインドは下げて回るため。バッグが下敷に。木は人が隠れるため。汽笛は鳴り響くため。置手紙を置きに行くのは撃ち殺されて遺書にするため。女の髪はバックライトで照らされるため。
★供養
ヒッチコック、D・W・グリフィスのデータも今取り直せばそのマクガフィンの量は膨大なものになることが予想される(グリフィスは1月に取ってあの凄まじい量になる、)。今回の機能・運動連関表のデータは、そのヒッチコック、D・W・グリフィスを除けばその大部分はそれなりに目の肥え方も収まりつつある時期に見たか見直した作品であり、それ以外の、例えば3月や4月に見てデータの撮られたSF映画の多くは仮に今データを取り直したとしても絶対量が知れており、せいぜい増えても倍、くらいでしかなない。ここで提示したデータの時期その他から想像力を働かせて見て欲しい。またヒッチコック、D・W・グリフィス、キートン、ホークス、ジョン・フォード等、監督別のデータは大方同時期に連続して見て取られたデータであり、「目の肥え方」が同程度の時期に取られたデータであることから作品と作品との量的な比較においては未だに有効である。例えばヒッチコックの場合、巻き込まれ運動の作品に対して「であること」へと向けられた作品においてはマクガフィンが劇的に激減するという現象が見受けられており、それはそのまま作品のレヴェルを推し量る尺度としても有効である(すべて決まるわけではないが、)。
こうして今回の論文では取られていながら提示されなかったデータが極めて多くあり、ヒッチコック、キートン、エイゼンシュテイン、ジョン・フォード、ホークスの1回目に取られたデータもすべて日の目を見ることなく埋もれている。その中からせめてもの「供養」としてイーストウッドの機能・運動連関表をここに提示したい。2013年の10月から12月のあいだに撮られたこのデータは今となっては余りも漠然としすぎてデータとしては不十分だが、この時期に見たイーストウッドの作品は論文に大きく影響している。その後今回の論文までに幸運にも見直すことのできたイーストウッド作品は●「ペイルライダー」(1985)●「許されざる者」(1992)の二本だけであり、それを1回目のデータと見比べると大方3倍弱程度の量になっていることからして、みなさんの想像力で古いデータを補って見て頂ければ幸いである。→「イーストウッド機能・運動連関表」
また、レヴェルの低い作品であるほどマクガフィンの量が少ない、という一つの結論が先入観によって支配されていては決してならないことから「レヴェルの低い」と信じる作品についてはそうでないと信じる作品よりも見直すことを優先した。
■「真昼の決闘」(1952) フレッド・ジンネマン 84分
1回目 2013/7/11
3人組は運動を起動させるため。馬車は引き返すために。バーテンの陰口は殴られるため。妻がホテルで待機するのは夫の元恋人と会うため。馬小屋は乱闘や銃撃に。水は人の顔にかけるため。窓ガラスは割るため。街の者たちが保安官に協力を申し出るのはのちに協力を断るため。妻が列車に乗るのは降りるため。妻が悪漢を殺すのは人質になるため。女が盾に。バッヂは投げ捨てるため。
2回目 3/6
3人組は運動を起動させるため。タオルは投げ置くため。木箱は人が座るため。ブーケは投げ渡すため。地面は煙を撒き散らすため。馬車は引き返すために。瓶は投げ割るため。タバコは投げ棄てるため。教会で歌う男は歌うのをやめるため。保安官がホテルに昔の女に会いに行くのは居合わせた妻を嫉妬させるため。妻がホテルで待機するのは夫が昔の恋人の元へ行くのを目撃するため。帽子は叩き置くため。バーテンの陰口は殴られるため。タバコは煙を吐き出すため。子供はぶつかるため。保安官が逃げ出すのは逃げださないため、また助手と殴り合うため。水は人にかけるため。水桶は投げ置くため。木箱は足を乗せるため。コインは投げ渡すため。書置きは丸めて捨てるため。バッヂは振り落すため。街の者たちが保安官に協力を申し出るのはのちに協力を断るため。振り子は揺れるため。汽笛は鳴り響くため。汽車は煙を撒き散らすため。牢の酔っぱらいは釈放するため。妻が出発するのは引き返すため。ショーウインドウは割られるため、また割って居場所を気づかせるため。建物は人が隠れるため。銃は煙を吐き出すため。銃声は妻を引き返させるため。馬小屋は銃撃戦に。ランプは投げて藁を燃やすため。火事は煙を吐き出すため。馬を逃がすのはそれに紛れて脱出するため。ドアは蹴り閉めるため。椅子は転がすため。窓ガラスは撃ち抜くため。女が盾に。女を盾にするのは振り払われて撃ち殺されるため。バッヂは投げ棄てるため。
3回目 10/16
3人組は運動を起動させるため。岩は人が座るため。タバコは投げ棄てるため。鐘は鳴り響くため。雑巾は叩きつけるため。地面は煙を撒き散らすため。木箱は人が座るため。手摺は足を掛けるため、また影を落とすため。机は人が座るため。ガンベルトはバッヂを掛けるため。ブーケは投げ渡すため。帽子は振るため。街を出るのは引き返すため。柱は人が寄りかかるため。妻がクエーカーなのは夫と別れるため。旗は剥がして畳むため。天秤、本はカバンに入れるため。瓶は投げ割るため。判事は街を出るため。机は足を乗せるため。椅子は傾けるため。バッヂは落とし置くため。酒を飲むのは咎められるため。昔話は女を怒らせるため。時計は鳴り響くため。帽子は脱ぐため。歌うのは歌い止めるため。エンピツは落とし置くため。考えは変えないため。汽車の発車まで時間があるのは妻をホテルに行かせて夫が昔の女の元へ行くのを目撃させるため。帽子は落とし置くため。イヤリングは揺れるため。帽子、コインは叩き置くため。バーテンの陰口は殴られるため。タバコは煙を吐き出すため。援助は断られるため。訪問は居留守を使われるため。木々は影を落とすため。触るのは殴られるため。子供は外へ出すため。壁は叩くため。冊子?がうちわに。子供はぶつかるため。グラスは叩き置くため。店主は助手を怒らせるため。保安官が逃げ出すのは逃げださないため、また助手と殴り合って顔に怪我をし床屋へ行くため。馬小屋は格闘するため。袋は人が座るため。水は人にかけるため。桶は投げ置くため。棺桶は鳴り響くため。木箱は足を乗せるため。拍車は投げ置くため。コインは投げ渡すため。床屋は棺桶を作る音を聞かせるため。書置きは丸めて捨てるため。援助の申し出は撤回するため。バッヂは払い落すため。机は人がすがりつくため。子供の援助は断るため。服は投げ置くため。振り子は揺れるため。椅子は人物を指示するため。汽笛は鳴り響くため。汽車は煙を撒き散らすため。酔っぱらいは釈放されるため。ズボンは銃を挟むため。ガラスは銃で叩き割り居場所を知らせるため。帽子は盗まれるため。壁は人が隠れるため。銃は煙を吐き出すため。銃声は妻を汽車から降ろすため。ドアは人が寄りかかるため。柱は撃ち抜くため。袋の山は転がり越えるため。荷車は人が隠れるため。床は下から撃ち抜いて藁を撒き散らすため。馬小屋は銃撃戦に。ランプは投げて撃ち炎と煙を吐き出すため。馬は逃がして人を紛れさせ脱出させるため、また人を落馬させるため。地面は撃って煙を吐き出させるため。足はドアを閉めるため。椅子は蹴り倒すため。ガラスは撃ち割るため。脇の下は銃を挟むため。窓際に隠れるのは妻に背中から撃ち殺されるため。銃は落とすため。女が盾に、またボスを振り払って夫に撃ち殺させるため。バッヂは投げ棄てるため。
まさか●「真昼の決闘」(1952)を3度も見直すことになるとは思わなかったが、その他●「現金に体を張れ」(1956)●「スター・ウォーズ」(1977)●などの「レヴェルの低い」と信じる作品についても見直している。論文の機能・運動連関表にはすべて題名の横に鑑賞した日の日付が書いてあるのでそれを参考に暇な方は想像力を働かせて補って頂きたい。
■「現金に体を張れ」(1956)キューブリック 84分
1回目 ? 日付を喪失したがおそらく2014年に入ってから。
光が帯に。地面は影を投射させるため。コインは投げ置くため。肘はメモを隠すため。格子、窓枠、揺れるカーテンは影を投射させるため。ベルトは絞めるため。膝が椅子に。人は影を投射させるため。布、枕は投げ置くため。タバコは煙を吐き出すため。妻に秘密をばらすのは妻の情夫に計画を横取りさせて夫に殺させるため。妻が盗み聞きするのは捕まって夫が殴られるため、また夫にレイプされたと嘘をつくため。壁は人が寄りかかるため。マッチは投げ棄てるため。時計は鳴り響くため。屋根は影を投射させるため。音楽ケースはライフルケースに。花の箱はライフルを入れるため。同僚が花に水をやろうとするのは断られるため。旗は風に揺られるため、またマイクに影を投射させるため。殺人事件は無視されるため。服はひきちぎるため。瓶は頭を殴るため。カウンターは人が乗るため。乱闘は警備員室に入るため。タバコは投げ棄てるため。チップは警備員に狙撃犯を邪魔させて怒らせるため。蹄鉄は受け取らないため、また投げ棄てるため、またタイヤをパンクさせるため。ランプは揺らすため。銃がノッカーに。袋は投げ渡すため。銃は落とすため、また蹴り渡すため。箱は投げ置くため。窓は袋を放り出して落下させるため。窓枠は人が座るため。膝はタバコを打ちつけるため。スタンドは倒すため。ドアは撃ち抜くため。ソファーが死体置き場に。ガラスが鏡に。鳥かごは影を投射させるため、また倒すため。情夫は銃撃で仲間を皆殺しにさせてボスの取り分を莫大にさせ大きなカバンを飛行機に乗せられなくさせて滑走路で札をばら撒くため。網は影を投射させるため。飛行機は煙を吐き出すため。犬は運搬車をカーブさせてカバンを落下させるため。タクシーは止まらないため。
2回目 9/26
光が帯に。地面は影を投射させるため。紙、コインは落とし置くため。肘はメモを隠すため。格子は影を落とすため。壁は人が寄りかかるため。馬券がメモに。壁はキャメラを遮断するため。天井は影を投射させるため。ベルトは締めさせるため。膝が椅子に。カーテンは風に揺られるため、また影を落とすため。人は影を落とすため。話は聞かれないため。枕は叩き置くため。植木は影を落とすため。タバコは煙を吐き出すため。妻に秘密をばらすのは妻の情夫に計画を横取りさせるため。妻が盗み聞きするのはレイプされたと嘘をつくため、また夫を仲間に殴らせるため。枕は投げ置くため。時計は鳴り響くため(チクタク)。チェスは口を挟むため。マッチは投げ棄てるため。窓の文字は影を落とすため。音楽ケース、花の箱はライフルを入れるため。食事は食べないため。ライフルを花の箱に入れるのは同僚の水をやる申し出を断るため。旗は風に揺られるため、またマイクに影を投射させるため。殺人事件は警官に無視されるため。木々は風に揺られるため。酒瓶は叩き置くため。カウンターは人が飛び越えるため、またでんぐり返しするため、服はひきちぎるため。人は担ぎ投げるため。酒瓶は頭を殴るため。乱闘は警備員室に入るため。バッグは投げ置くため。タバコは投げ棄てるため。新聞は叩きつけるため。木々は影を落とすため。チップは駐車係に狙撃犯を邪魔させるため。蹄鉄は受け取らないため、また投げ棄てるため、またタイヤをパンクさせるため。馬は人を落馬させるため。ランプは頭をぶつけて揺らすため。袋、部品は叩き置くため。ライフルはドアを叩くため。袋は投げ渡すため。銃は落とすため、また蹴り渡すため。箱は投げ置くため。札は落とし入れるため。窓は袋を放り出して落下させるため。人はキャメラを人から遮断するため。窓枠は人が座るため。膝はタバコを打ちつけるため。ドアは撃ち抜くため。スタンドは倒すため。ソファーが死体置き場に。部屋は間違えるため。ガラスが鏡に。車は人が寄りかかるため。鍵の紐はひきちぎるため。鳥かごは影を投射させるため、また倒すため。オウムはしゃべるため。情夫は銃撃で仲間を皆殺しにさせてボスの取り分を莫大にさせ大きなカバンを飛行機に乗せられなくさせるため。ヘッドライト、照明は光るため。網は影を落とすため。飛行機は煙を吐き出すため。犬は運搬車を急旋回させてカバンを落下させ札をばら撒くため。タクシーは止まらないため。
★ヒッチコック的スリラー
ヒッチコックは途方もなくぷきっちょで真面目な人だというのが今回の論文のひとつの大きな結論であり、それは彼がカトリック教徒であることからくることかどうかは不明だが、映画の運動に「人間的なる」出来事が顔を出す途端ヒッチコックはカチンカチンの「道徳人」になってしまい運動を撮れなくなる。人間が「職業」的なるものをめがけていくとき必ずやそこには「人間的なる」出来事が顔を出し、それは道徳であったり理性であったり善悪であったりするのだが、それを遠ざけるためにホークス、マイケル・マンといった人々は(ドン・シーゲル、アンソニー・マン、ロバート・アルドリッチ、リチャード・フライシャー、サミュエル・フラーといった人々もおそらく同様に)「常習犯」を撮ることで「人間的なる」出来事から自由になることができるのだが、ヒッチコックにはどうしたわけがそれができず「初犯=道徳的」の映画ばかりを撮ってしまう。だからこそ彼が到達した巻き込まれ運動はいわばシステム的に「人間的なる」出来事から自由になれる夢(運動)の領域であり、システムがヒッチコックを道徳から自由にすることで初めて彼は思う存分運動を撮ることができたのであり、ここには人間の性向と運動とが密接に絡み合っている事実が露わになっている。彼が映画=運動を撮るためには巻き込まれ運動しかなく、だからこそヒッチコックは「ヒッチコックスリラーの神様」なのであって常日頃から常識的な「常習犯」的運動(大部分はメロドラマ)を撮っている監督たちが即そのまま「ヒッチコック的スリラー」が撮れると思うのは大きな思い上がりに過ぎない。ジョン・フォードにすら易々と撮れない「ヒッチコック的スリラー」をヒッチコックが何本も撮ることができたのは彼が「常習犯」の映画を撮ることができなかったからであり、他に生きる方法がなかったからである。だからこそ、常日頃から「常習犯」の映画を撮りつつふと●「赤ちゃん教育」(1938)●「丹下左膳・百万両の壺」(1935)といった、運動論的には「ヒッチコック的スリラー」と同質の「すること」映画を撮れてしまうホークス、山中貞雄といった者たちの才能は常軌を逸しているというべきなのだが、ホークス●「赤ちゃん教育」(1938)は『ホークスは凝りに凝った演出で、スケジュールは大幅に超過した。「赤ちゃん教育」が映画としていかに優れていようと、商業的にはRKO史上最大級の失敗だった』(「市民ケーン」すべて真実69)と伝えられているように極めて贅沢な映画であり、論文では『ほとんどラストシーンから逆算して撮られているような流れになっている。』と書いたが、まさに「凝りに凝った」=「練りに練られた」脚本をもとに撮られているし●「丹下左膳・百万両の壺」(1935)にしても山中と脚本の三村伸太郎に加えて助監督の萩原遼という「鳴滝組」の三人衆によってこれまたラストシーンから撮られたような「練りに練られた」脚本をもとに撮られているのであり、こうした贅沢なことが可能であって初めて「ヒッチコック的スリラー」もまた可能となるのだが、こうしてまったく考え方の違う者たちが複数集まることによって知性から運動への流れが促進される「練りに練られた」脚本は極めて贅沢な出来事である反面、作者の「背後」=「思想」が透明化して埋没することから「背後」にすがりつくことで映画を「読むこと」に徹する「か弱い」批評家には「背後」の薄められた「練りに練られた」運動を感得することはできずそれをして「贅沢」ではなく「幼稚」であると勘違いしてしまう。その結果映画誌には惨憺たるベストテンが出現し続けることになる。
★運動
キートンの映画がいきなりキートンが任務を遂行している過程から始まることは「絶対に」想像できない。キートンは「モノ」なのだから「モノ」が自らの内的な力で運動を自動的に開始させることはあり得ない。それはヒッチコックについても同様であり、それは多大なマクガフィンによって動かされていく成瀬巳喜男作品の論文を書く時にも検討したテーマではあるものの、ホークス、マイケル・マンといった「常習犯」の運動と比べることで一層明確にすることができる。ヒッチコックは主人公の意志に依らずに運動を起動させること=巻き込むこと=の天才であり、それなしに自動的に運動の起動する「常習犯」的運動を撮ることはできない。
★「裏窓」(1954)~シャッター
映画批評は未だフロンティアに到達したばかりであり未開である。遥か彼方で一人で畑でも耕しているであろう蓮實重彦の姿は私の視界の中に存在するはずもなく、その他の批評家はよその国の作った蒸気船を横取りして海を渡り、オリエントの島国に「開港しろ!」と迫っている。目の前に在る広大なフロンティアを「見ること」ができずその背後にある見慣れた光景を読むこと、それが「か弱さ」の批評あり、その状態で何十年ヒッチコックを研究したところで報道キャメラマンが向かいのアパートで殺人事件らしき出来事を目撃しているにもかかわらずキャメラのシャッターを一度も押さないという「異常な」出来事に気づくことは決してなく、また「パイプ男」が一度もパイプをふかさないという「あり得ない」日常に不思議を発見することもなく、仮に偶然気づいたとしてもそれは「すること」の領域においてのみ出現する出来事ゆえに「であること」を読むことしかできない彼らには何故そうなるのかは永遠に分からない→わからない出来事は見ない→と廻っていく。彼らの批評は書かれる以前に既にそのレヴェルの上限が「読むこと」という分節化された量的限界によって「システム的に」決定されているのであり、こうした「リミッター」文化の下に書かれるテクストは「であること」に依存しているがために均質化され「匿名化」されている。彼らが「個性」と呼んでいる出来事は「肩書き」でありテクストではない。だからこそ彼らは神経症的に駆り立てられるように肩書きを更新し続けることでテクストを「背後」から裏付けてゆくのだがその反動として日々テクストの力を低下させ続けている。彼らはアウトバーンで50キロしか出ていない自分の車の速度に気づいていない(周囲がみんな50キロだから)。
★今後、、、
今はメモを取らずに映画を見る楽しさに埋没している。と言いつつ●「アダム氏とマダム」(1949)●「スリ」(1959)●「拳銃貸します」(1942)などについて凝りもせずデータを取ってしまったので機能・運動連関表に更新しておく。できれば今月中にヒッチコック論文のその2=撮影論について出したいが、これは極めて断片的で終わりのない論文になる。今度の論文のように「まとめる」論文は終わりなきイタチごっこになる可能性に満たされており、そろそろ私も「まとめる」ことへの「か弱い」誘惑から自由になりたい。人は誰しも国民国家的道徳教育を受けて「か弱く」なり、そのような「か弱い」道徳的人間こそが国民国家には必要な人材であり、実際我々の生活は道徳抜きにしてあり得ず、実生活において善悪を超越えつして「強く」なることは殆ど不可能に等しい(死を伴う)。だが思想、批評、あるいは芸術の分野において「か弱い」ことはそれもまたそれらの領域の死を意味するのであり、ここで人は道徳的「であること」の領域から自由でなければならないのだが、ほぼ100%の批評家は「であること」を指針としてそこに芸術を当てはめていく(跪かせる)こと=知識で芸術を解くこと=を常としている。知識では解けないから芸術であるはずのところを知識で解く、これがシステムであり、国民国家教育において頑張ったインテリたちに飯を食わせていくためのフェイクとして彼らには批評家適性が与えられ、その反動として映画は常に死を宣告されている。批評家にならないこと。これが映画を殺さない第一歩である。