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2023年9月8日再提出。加筆、修正せずそのまま再提出します。

論文・藤村隆史

監督成瀬己喜男 第二部 2010年5月10日

第一章 細部と反物語 

■Ⅰはじめに

第一部で検証した成瀬巳喜男映画の物語とは、主人公たちが「家を出ること」をひとつの典型とした「自立すること」の運動であった。そうした構造は、現存する初期のサイレント作品から既に見出され、ほぼ成瀬映画の全域に亘って貫徹されていた★(今回もまた前回と同じように、現に見ることのできたフィルムを「全作品」とする)。ここに「家を出る」という運動自体を取り出してみると、それだけでは取り立てて過剰なものではなく、それらはいつでも親しみやすい物語(あらすじ)へと吸収されうる出来事として、始まりから終わりまでのひとつの物語を構成するために必要とされる運動の連鎖の中へと容易に解消されうるものである。

■Ⅱ背中と「ずれ」

しかしながら、彼らの「家を出る」という行為が、しばしば、彼らの「背中」という部位によって描かれていることを見たとき、それは「過剰」なものとして、物語からはみ出してくる。「過剰」とは、物語の枠からはみ出されたうごめきである。成瀬映画における「背中」の露出頻度については多くの論者達によってすでに指摘されているので、ここでひとつひとつ作品を列挙して挙げることはしない。だがラストシーンに限定しただけでも「サーカス五人組」(1935) 「禍福・後編」(1937)「なつかしの顔」(1941)「石中先生行状記第三話」(1950)「三十三間堂通し屋物語」(1945)「銀座化粧」(1951)「稲妻」(1952)「あにいもうと」(1953)「山の音」(1954)「晩菊」(1954)「浮雲」(1955)(森雅之の背中)「あらくれ」(1957)「杏っ子」(1958)「コタンの口笛」(1959)「妻として女として」(1961)(大沢健三郎)「放浪記」(1962)「女の歴史」(1963)「女の中にいる他人」(1966)「乱れ雲」(1968)といった多くの作品の「背中」が瞬時に思い出されるのは、「背中」という部位が、いかに成瀬映画の「過剰」を規定しているかを指し示している。そしてその「過剰」とは、出現頻度における量的なそれとしてあるばかりでなく、「ずれること」の主題を露呈させてやまない細部の「質的な過剰」として出現している。多くの成瀬映画の開始のショットやラストシーンが「背中」というずれた部位によって呈示されているのは、それが●「アバター」(2009)に代表される「奥から前へ」という均質的で大衆的な運動ではなく、「前から奥へ」という運動によって映画が開始され、そして終わって行くことを意味している。そもそも映画の歴史は1895年パリのグランカフェで上映されたリュミエール兄弟の●「列車の到着」と●「工場の出口」において、汽車や人々が「奥から前へ」という運動をすることによって開始され、以来、クローズアップの発見や3Dの開発などによって、映画の画面は「前へ」という運動によって貫徹されてきた。それは取りも直さず、高度化した資本主義社会において大衆が、「前」という領域に均質化されて固定されてゆく現象を、そのまま映画という大衆芸術の画面が反映しているからにほかならない。高度に大衆化された社会において我々は、徹底して「前」という領域に均質化されることで取り込まれ、均質化に逆らおうとする者たちは「他者」として「奥へ」と排除される。オーソン・ウェルズの●「市民ケーン」(1941)が、それが実際の価値は別として、映画史上の最高傑作と評価される原因のひとつには、この作品が「奥」という「他者の領域」と、「前」という「大衆の領域」の両者に、パンフォーカスと呼ばれる手法で同時にピントを合わせることで、「前と奥」という異質な領域を、同一の画面の中に同時に露呈させてしまったからにほかならない。そうすることで、「他者」を均質な空間の中へと埋没させ、隠す役割を果たしていた遠近法という「物語」が破壊され、「ずれ」が生じてしまう。「他者」が異質な「他者」そのものとして画面の奥で浮き上がり、露呈してしまったのである。成瀬の「背中」という部位は、それが「背中」である以上、そのまま歩き出せば間違っても「奥から前へ」という運動をもたらすものではなく、どうあったところで「前から奥へ」という、「他者」空間へと流れる運動へとつながる部位として露呈している。「ずれ」ること、それはまさに、あらゆるものを均質なものの中へと取り込もうとする資本主義社会の中に露呈した「狂気」であり、「過剰」である。

成瀬が助監督として松竹蒲田の撮影所に入社した1920年は、アメリカで商業ラジオ放送開始され、高度大衆消費社会に突入した年でもある。そのあとを追うようにして、日本もまた近代化へと突き進み、その間、恐慌や戦争に突入したとしても、それが大衆化としての均質的な運動を促進させることはあっても妨げたことはなかった。その中で成瀬は、そうした流れから逆流するように、ひたすら「背中」という「過剰」な部位によって「前から奥へ」という「ずれ」た運動を露呈させ続けたのである。こうして成瀬映画の「家を出る」という主題としての運動の多くが「背中」という部位によって描写されたとき、もはや画面は「家を出る」という物語の継起から解き放たれ、自由になり、「そのもの=過剰」として浮き立ってくる。背中そのものが質的な過剰としてあることによって、物語には吸収されないところの視覚的細部として、画面をして意識的な言語的物語へと回収せしめるのを防ぎながら、むき出しのそれとして振動させているのである。振動とは「過剰」である。

■Ⅲ外部で内部を読まないこと

質としての「過剰」は、成瀬映画の形容においてしばしばつきまとってきた「背中という影の部分のやるせなさ」であるとか、「人生の表でなく裏街道を歩き続けた成瀬巳喜男の実生活から来る切なさの現われ」であるとかの言説に収まりきるものではない。確かに『成瀬は15歳で父を亡くし、家計の窮乏から進学を断念し、その年、小道具係として松竹に入社している。その二年後母を亡くし、翌年、生まれ育った四谷を離れ、長い間「下宿」生活をしている。』と前回の論文で書いたように、少年から青年へと移行する青春期の成瀬に起こった様々な出来事を垣間見た時、裏街道を描く作家としての成瀬巳喜男の肖像がそれとなく出来上がったことは想像にかたくない。さらにまた、32歳で結婚した女優の千葉早智子との結婚生活も僅か3年足らずで破綻し、一人飲み屋で酒を飲む成瀬の姿から「やるせなきお」と呼ばれたという、うそともほんとうともつかない伝説からして、成瀬巳喜男の作品を「裏街道=背中」の作家の観点から説いてゆこうとする誘惑が一般的な批評の中に顕著に現われてくるのも無理からぬことなのかもしれない。だが映画監督としての成瀬巳喜男の作品を検討するに当たり、外部の成瀬巳喜男を内部へと即、直結させることは慎まなければならない。こうした解釈の行き着く先は「人殺しは人殺しの映画を撮り、映画監督は映画監督の映画を撮り、男は男の映画を撮り、、、、」という安易な連想へとつながりかねない危険を孕んでいるばかりか、映画を批評する者たちが外部の情報に満足し、内部の情報から目を背けるという安易な傾向へと至りやすいからである。

確かに成瀬巳喜男の映画には、外部における成瀬巳喜男の人生観なり人格なりが反映していることは十分にありうることである。だがそれはあくまで映画を撮る、という特別の作用によって制約された人格なり人生観であり、そこには共同作用であり、商業でもある映画特有の映画的な制約が課せられることで、当然ながら成瀬巳喜男の人格も映画的な歪曲を経た映画的な人格として現れるはずである。そうであるならば、私たちはまずもって映画の内部を見ることから始めなければならない。外部の知識によって内部を読み解いた時、内部は死に絶え、「過剰」は物語の中へと吸収されて跡形もなく消え去ってしまう。内部の「過剰」が、外部の物語に取って代わられる。私たちは内部を見つめることで「過剰」としての細部を、物語の鎖から解放するのだ。今回の論文は、そうした試みである。

■Ⅳ見ること

成瀬映画にとっての「背中」は、見ることで物語への吸収を免れ、不可視の意味作用から解き放たれることによって初めて「過剰な細部=裸性」として我々の前に視覚的に露呈する。「過剰」とは裸性である。それは「あらすじ」として映画を外部から「読む」ときには完全に抹殺されるであろうところの視覚的な「過剰」として我々を驚かせる「なまもの」である。人は「あらすじ」を書くとき、「歩いて立ち去った」とか「走り去って行った」とか書くが、決して「背中を向けて去って行った」とか書かない。「あらすじ」にとって重要なのは、言語という均質化された遠近法で説明されるところの物語の継起であり、「去ること」という「意味」であって、決して「背中」という「なまもの=無意味」ではないからである。「なまもの」とは、物語からの「過剰」であり、「無意味」であり、したがってそれは「読むこと」という論理の連鎖では露呈しないところの「ずれ」であり、「見ること」によって初めて露呈する視覚的(聴覚的)細部である。しかし世界の内部ではなく、世界の外部の知識で画面を読み始める時、人はあらゆる「過剰」を「あらすじ」という物語の論理の中へと回収してしまい、「過剰」を物語の中へと埋没させてしまう。そうする事で人は、「見ること」を減退させてゆくのである。

★ゴダール~サイード~リップマン

ゴダール『人がまず最初に見るものは二番目に来るもの(テクスト)であり、映像ではない。映像は最初にやって来てはいるが、いつも代弁されてしまい、目に見えないものとなったり、融けた原子のようなものになってしまう(ゴダール全発言Ⅱ392)』『人々は自分の目を、見ることではなく読むことに使っている。人々は今に見ることができなくなるだろう(映画史Ⅱ326)

こういうことを言っているのはなにも映画人ばかりではない。

サイード『人間的なものと直接に遭遇して方向を見失うよりも、むしろ書物の図式的な権威によりかかろうとするのは、人間に通有の欠点であるように見受けられる(「オリエンタリズム上」平凡社ライブラリー221)』

リップマン『われわれはたいていの場合、見てから定義しないで、定義してから見る。外界の、大きくて盛んで、騒がしい混沌状態の中から、すでにわれわれの文化がわれわれのために定義してくれているものを拾い上げる。そしてこうして拾い上げたものを、われわれの文化によってステレオタイプ化されたかたちのままで知覚しがちである。』(「世論()」岩波文庫111

二人はまったく同じことを語っている。『オリエンタリズム』と『世論』という、人類史における『二大ステレオタイプ』が共通に指し示す態度とは、事象を「見ること」ではなく、「読むこと」なのである。

そうした中で「背中」という過剰な部位をこれでもかと露呈させ続ける成瀬映画は「読むこと」ではなく「見ること」を我々に突きつけてやまない「過剰」である。われわれは「見ること」によって、これまでのステレオタイプの「読む批評」によって埋もれていた成瀬映画の「過剰」をこれから救出する。ここからは具体的に、成瀬映画にはいかなる細部が、どのようにして画面の上に露呈しているのかを「見ること」によって検討してみたい。

■Ⅴ細部と反物語

成瀬映画の内部は、後期小津映画のように、外界から遮断するように聳え立つ中庭の壁()によって仕切られた閉鎖的な空間ではない。中古智と成瀬が初めて組んだ●「まごゝろ」(1939)のあの縁側のように、建具は大きく開け放たれ、内部は外部と直接通底し、いつでも外部からの侵入に対して無防備な場所として呈示されている。こうした「通風性」は、まさにルース・ベネディクトが「菊と刀」において書いている通りである。

『日本の社会の中では、私生活の秘密を守ることはほとんど不可能であるからして、「世間」が彼のすることなすことをほとんど逐一知っており、もし不可と認めれば彼らを排斥する可能性があるということは、けっして妄想ではない。第一、日本の家屋の構造-音響がつつ抜けになる、また昼間は明け放たれる薄い壁(戸障子)-からして、塀と庭とを設けるだけの余裕のない人々の場合には、私生活をはなはだしくあけっぱなしのものにする。』(講談社学術文庫353)

佐藤愛子も言っている。

『その頃は今のようにピチンと鍵のかかるドアつき玄関などなかった。たいてい格子戸をカラカラと開けて出入りするだけであることは、テレビでサザエさん漫画を見ている人はおわかりだろう。留守にする時だけ、錠前というもので戸を柱に固定したが、家に誰かが一人でもいる時は鍵などかけない。人は誰でもカラカラと開けて入ってくる。隣りの奥さんも子供の友達もカラカラと入ってカラカラと出て行く。』(「今は昔のこんなこと」文春新書26)

開け放たれた縁側、二階から小さなレンズで俯瞰から撮られた圧縮された階段、主人公の家屋の隣に配置されたもう一組の夫婦の住宅、そして襖一枚によって隣室と隔てられた旅館(時として木賃宿)といった紙的装置の数々、さらには客商売という経済的な出来事や大きく庭の外へと引かれるキャメラによるカッティング、「盗聴」、さらには人物の「内向性」という人的要素までもが、成瀬映画の「通風性」として配置され、それによって内部に異質な外部を侵入させることで、成瀬映画の人々をして「家を出る」という物語的な運動を余儀なくさせているのである。

ここで「通風性」とは、「家を出ること」ための軌道装置(きっかけ)として作動している。例えば●「めし」(1951)以降、多くの成瀬映画の装置を彩る「商売をすること」という出来事は、そこに客がやって来て、内部の者たちが商品を売り、家計を潤す、といった「物語」としての商売というよりも、店舗という開放的な空間が異質な人間たちの侵入を容易に許容することで、内気な成瀬映画の人々たちを翻弄し、外部へと弾き出し「家を出ること」の物語を起動させるための「方便」として使われていたのである。●「稲妻」(1952)において高峰秀子は、まずもって洋裁店に子連れの中北千枝子がやって来たことによって姉の三浦光子ともども家を出ることを余儀なくされたのであり、さらに引越し先の実家においても、兄弟姉妹や小沢栄太郎のぶしつけな来訪に業を煮やし、高峰秀子は弾き出されるようにして世田谷の下宿へと単身引っ越すことを余儀なくされている。そしてその下宿先で突如、純白の衣服に包まれた香川京子が裏木戸から縁側へと直通して姿を現したとき、高峰秀子の前にはそれまで彼女が見たこともない爽快な世界が露出し始め、自立への道を呈示することになる。ここで高峰秀子に「家を出ること」や「自立すること」という物語を起動させているものこそ、洋品店や下宿の縁側という開け放たれた装置と、それによって招き入れられる「他者」としての来訪者、そして彼らの侵入に翻弄されてしまう高峰秀子や三浦光子とった人物たちの内向的な性格にほかならない。そうすることで「通風性」は、人々が商売や家を出ることのためにただ通過するための装置(風景)=物語であることから解き放たれ、あるいは人物の性格という、物語への心理的共感からも解放される。映画は「商売をしている人間が家を出る」という、①→②→③→④と繋がれて行く物語の継起ではなく、「家を出るために商売をする」あるいは「家を弾き出されるために人物の性格は内的である」という④→③→②→①の回路へと逆流して行くのである。すると装置は、あるいは人物の性格は、物語の継起という鎖から解き放たれ、細部としての装置そのものとして、あるいは人間そのものとして露呈する=「過剰」となる。決して物語の添え物や飾り物として吸収されることのない細部として露呈し始めるのだ。装置やその配置、人物の性格、商売の種類、その他もろもろの「通風性」に寄与するところの細部は、物語を語ると同時に、主題を始動させる方便としても在ることで、物語という鎖から解放され、我々の瞳の前に反物語的に「細部そのもの=はだか」として独立して運動し始め、物語をより豊かで厚みの或る出来事として語り始めるのである。それが「細部」というものであり、細部の露呈する映画とは、本質的に「過剰」であり、したがって「反物語的」である。視覚的な細部の豊かな作品は、映画を物語の奴隷から解き放ち、細部に細部としての命を吹き込むことで物語をしなやかな曲線へと誘い、優美な運動へと発展させてゆく。こうした細部は、そもそもが「反物語的」であるからこそ、「物語を読むこと」によっては決して現われず、そのままでは永遠に物語の鎖の狭間に囚われの身となって隠され続けるしかない。それを解放する態度とは、「読むこと」ではなく「見ること」なのだ。「見ること」とは、物語の誘惑から絶えず身を逸らして行くところの過酷な体験である。物語とは「継起」するものであり、それは刻々と積み重ねられてゆくものである以上、本来的に暴力的な既成事実として我々の眼差しを盲目に捕らえ続けながら反復されて行く誘惑である。物語は瞳を馴致し、萎えさせる。物語の間隙から細部を救い出すためには、物語の鎖によって囚われその存在を埋没させられている細部を「見ること」しかない。「見ること」とは、物語という既成事実を掘り返し、その中に埋め込まれた無名の叫びを掘り起こし、歴史のなかへと回復させる救出行為なのだ。

ここまで検討してきたのは「背中」「通風性」「人物の性格」といった細部である。ここで「通風性」について、さらに掘り下げて検討してみたい。

■Ⅵ「他者」との遭遇~「通風性」の機能

成瀬映画において、人々を外部へと追いやらずにはいられない来訪者とは、小津映画における●「東京物語」(1953)の笠知衆と東山千栄子のような、少なくとも表面上は歓待される同質の来訪者ではない。●「稲妻」の小沢栄太郎や●「流れる」の宮内精二のように、あるいは●「杏っ子」(1958)の沢村貞子や●「晩菊」(1954)の杉村春子のように、内的で無防備な主人公たちを、その外交的な粗暴さによって翻弄し続ける者たち=決して話が通じ合うことのない異質な来訪者=「他者」である。ここでもまた「背中」に次いで「他者」という現象が露呈している。「背中」という部位が、我々の慣れ親しんだ遠近法から「他者」を露呈させるための空間的な細部だとするならば、「通風性」は、それによって「他者」との関係を余儀なくされてしまうところの時間的な装置である。内部という点的で安定した無時間的ポジションに安住していた人々は、「通風性」によって、家の中に居ながらにして世界内存在へと放り込まれ、時間の中で翻弄されることになってしまう。こうして異質なものが違和感なく日常生活の空間に現前するその有り様は、ナンセンスとしてのシュルレアリスムに近くもあり、それは見ている者たちをして恐怖ではなく脅威を、驚きではなく不思議を感じさせずにはいられない。

●「お國と五平」(1952)の木暮実千代は、襖一枚という紙によって隔てられた薄っぺらな装置の「通風性」によって、「夫の仇」という、異質の中の異質の「他者」に、なんと家来との情事を盗み聞きされてしまう。それによって木暮実千代は、怒りや敵討ちといった物語的な動機ではなく、脅威としての反射運動によって翻弄されることになる。それは「通風性」という現象が、本来あるべき外部と内部との質的差異を無化してしまうことからくるきょとんとした不思議な反応にほかならない。異質な者たちの余りにも容易な侵入行為は、内部の者たちをして、物語の進行から宙吊りにさせ、いわば自動筆記のような反射運動をなさしめることで反心理的に「露呈」させてしまうのだ。だからこそ成瀬映画の装置は、●「まごゝろ」(1939)で初めて成瀬と組み、●「舞姫」(1951)以降、殆どの成瀬作品の美術を担当した美術監督の中古智が語るように『外気とつながっていなきゃならん』(「成瀬巳喜男の設計」61228)のである。

★小津との違い

成瀬映画の装置は、外部との通底性を大きな特徴としている。もちろんそこには、ロケーションとスタジオ、外部と内部とが、地面の土質や建築物の質感、光線の質や強弱によって違和感なくつながっていなければならないという、美術家の技術的な拘りや誇りが介在するだろう。だがそうした事情も、外部と内部の質感が異質性を保ち続けている小津映画の装置と比較した時、明らかに、成瀬映画の「通風性」における意図的な作為が感じられるのである。例えば●「東京物語」の尾道の装置において、近所の住人である高橋トヨが、老夫婦の家の窓口からひょいと顔を出して挨拶をするようなシーンがある。しかしそれはあくまでもオブジェクトとしての窓であり、ヒッチコックのように窓の機能を無化してしまうような演出でもしない限り、間違っても高橋トヨの巨体が窓のあいだを潜り抜けて家屋の中に侵入することはない。あくまでも小津映画の内部の空間は、外部との質的な差異を維持しながら撮られているのである。特に後期小津映画の多くの縁側は、標準レンズで迫ってくるような垣によって仕切られ、外部からの侵入を頑なまでに拒絶している。これは何も、小津映画の美術家が、外部と内部の通底性を露呈させることを失敗したからではない。小津映画の装置は、意図的に外部と通底しないように作られているのである。内部と外部とが質的な差異によって通底しないこととは、外部から内部へと入ってくる人物は「他者」ではないことを意味している。小津映画において「侵入」してくる人物たちは、基本的に内部の人々と同質の人々なのだ。そうすることで小津映画の娘たちは、成瀬映画の娘たちとは異なり、ひたすら守られる。成瀬映画の「通風性」と同じように、小津映画の「反通風性」もまた、主題としての細部であり、マクガフィンなのである。(蓮實重彦「監督小津安二郎」増補決定版119参照)あらゆる成瀬映画に露呈し続けている、鍵のかかっていない扉、開け放たれた窓や縁側、その床に差し込む朝露の光線、盗み聞きされる空間としての階段、こうした装置の数々は、言わば侵入者の共犯として確固としてそこに在り、そうしてなされた「通風性」は、本来在るべき外部と内部との質的差異がもたらすところの常識的な物語を無効化し、人物たちをして心理的動機や因果的パターンから説明不可能な反射的運動へと駆り出してしまう。それは決して物語の中に善良に織り込まれることない脅威であり、ピンボールのように弾け合うところの跳梁にほかならない。

★「通風性」と不可抗力

外気とつながる装置にさらされた内的な人々は、異質な「他者」の来訪によって、時として弾き出されるように家を出る。「通風性」は、人々が家を出ることを起動させるだけに止まらず、家を出ることを「余儀なくさせる」=人々を「不可抗力」によって外部へと弾き出すための細部としても機能しているのである。「家を出ること」という行為は、●「朝の並木道」(1936)において、田舎から就職を求めて上京する千葉早智子や、●「愉しき哉人生」(1944)の、風のように去って行った不思議な一家のような僅かな場合を除いては、確固たる目的や意志によってなされることはない。多くの成瀬映画の人物たちは「通風性」によって弾き出されるようにして家を出ている。「家を出ること」の究極形である「結婚すること」の映画において主人公の女性たちは、『「この人でなければ絶対にイヤです」、というような、熱烈な恋愛でもって結婚することは決してない』と前回の論文で書いたように、結婚への動機を明確に示した作品は一本も存在しない。成瀬映画の人々は、「家を出る」という行為においてのみならず「結婚すること」という人生の重大事についてさえ、●「限りなき舗道」(1934)の忍節子や、●「女人哀愁」(1937)の入江たか子、そして●「杏っ子」(1958)の香川京子のように、極めて意志薄弱な要素によって弾き出されるように結婚へと向って行くのである。そうした娘たちの心理というものは、人生の一大事においてさえ、明確な意志や決意を示そうとはしない。

それによって映画は、意志や目的といった、物語との因果的鎖から自由に解き放たれ、硬質の論理的ドラマツルギーから自由となり、ダイナミックで不確実な運動の中へと放り込まれる。●「サーカス五人組」(1935)や●「旅役者」(1940)のように、芸人たちが地方から地方へと巡ってゆくドサ回りものを典型とするだけでなく、●「お國と五平」(1952)の木暮実千代、●「浮雲」(1955)の高峰秀子と森雅之、●「あらくれ」(1957)や●「放浪記」(1962)、そして●「女の歴史」(1963)の高峰秀子のように、主人公が転々と世間を渡り歩きながら、ひたすら外部に流され放浪する作品群に、目的や動機の不確定性によって解き放たれた出来事そのものとしての「裸性」が露呈している。ここでもまた「反心理」という「反物語」性=「過剰」が、物語という硬質の継起を逆流させ、かき混ぜているのである。

そもそも物理的因果関係に支配された我々人間に自由意志なるものが存在するのか、仮に精神的な自由意志が存在するにしても、それが物理的因果関係に支配された身体によってそのまま実現されるかについて等、多くの問題がある。だがそうした哲学的ないし生物学的議論はここでは脇に置き、ここで検討している「意志」とは「心理的ほんとうらしさ」としての、行動の動機としてのそれであり、それは出来事を①→②→③→④という順番で継起させるところの因果であり、理由である、と理解して頂きたい。「不可抗力」とは、そうした「心理的ほんとうらしさ」を突き破り、映画における人々の運動を決定する「理由」という因果の鎖を解き放ち、「裸性」そのものとして露呈させるマクガフィンである。

★密室

成瀬映画が「不可抗力」によって起動していることは、意志によって「通風性」を拒絶し「密室」の中へと逃避した多くの恋人たちに、否定的な結果がもたらされることを検証する事で逆説的に確認することができた。その典型として検討した●「銀座化粧」(1951)においては、意志によって密室に逃避した田中絹代ではなく、「不可抗力」によって密室へと余儀なくさせられた香川京子が堀雄二と結ばれるという結末が見事にもたらされていたのである。同じようにして、●「春のめざめ」(1947)、●「乱れ雲」(1967)●「お國と五平」(1952)●「妻の心」(1956)そして●「山の音」(1954)に代表される「密室」は、「雨」や「発熱」「雷」「停電」という自然現象(不可抗力)によって生じたものであったからこそ、いつ消えてしまうかもわからない一瞬の密室が、抒情となり、エロスとなって画面を振動させていた。ここで重要なのは、「雨」「発熱」「雷」「停電」などといった現象もまた、すべてが細部であるという事実である。細部である以上、それは「過剰」として物語を④→③→②→①と逆流する「雨」は物語の流れに沿って降るのではなく、「密室」を作出するために降るところの上から下への運動そのものとして物語を攻撃するのだ。当論文の以降の展開は、すべてがこの細部を炙り出すことに費やされる。細部を抉り出す作業とは、反物語的態度である「見ること」によってのみ可能であり、そうして露呈した細部とは、心理の鎖から解き放たれたところの「過剰」である。その中でも「窃視」という細部こそ、今回の論文の白眉を成すところの決定的な「過剰」である

■Ⅶ窃視

★コミュニケーション

成瀬映画の内部には、異質な「他者」が次から次へと侵入し、内的な主人公たちを翻弄し、「不可抗力」によって外部へと弾き出してしまう。そうした時に、内的な彼らは、いったいどのようにして「他者」たちとコミュニケーションを築いて行くのだろう。彼らは内的であり、『面と向った者同士の対話』によって堂々と自己の意見を述べて相手を説き伏せられるような器用な者たちではない。しかし社会的動物としての人間は、コミュニケーションなくして生きて行くことは出来ない。そこには必ずや「内的な人物」たちに特有の、コミュニケーションの方法が存在するはずである。そこで見出されたのが「窃視」という、「ずれ」た視線であった。

★マクガフィンとして

●「妻の心」(1956)の終盤、新装開店の薬屋を羨ましそうに見つめる小林桂樹を、たまたま通りがかった妻の高峰秀子が遠巻きに「窃視」した、あの盗み見をきっかけとしてこの論文は始まっている。そうして成瀬映画の「窃視」を検討し始めたとき、「窃視」の余りの多さに愕然としたばかりか、「盗み見る」という細部には、必ずや盗み見るための状況が意図的に作られていたことが見えてきたのである。人が人を「窃視」するとき、そこには「窃視」されるところの人々が眠ったり顔を洗ったり家事をしたり他の人と話したり、、、何かに「集中する」状況が決まって併置されている。ということは、その「集中すること」という現象は、「窃視」のための「方便」として撮られていることになる。「眠っていたから盗み見た」のではなく「盗み見るために眠った」というように。そうすると、ここでもまた、眠ったり顔を洗ったり家事をしたり人と話していたり、という行為(集中すること)が物語から解き放たれるという現象が露出してくる。これらは「方便=マクガフィン」として物語の連鎖から解放され、ナマモノ(裸性=細部)として露呈し始めるのだ。

ここでは、ひとたび言語を習得した人類が、果たして主観/客観分裂以前の「ナマモノ」を見る事ができるのか、という哲学的な論考に深入りすることはしない。そうすると様々な哲学的、言語学的論争へと踏み込まざるを得なくなるが、それは私の能力の限界を遥か超えているからである。したがってここでいう「ナマモノ」とは、あくまで「物語」という因果の連鎖からより解き放たれた細部の露呈としてのそれを思い浮かべて頂ければ結構である。そのものを「そのもの」として露呈させること、顔なら顔を、その背後の人格を「読む」ものとしての心理の顔ではなく、顔そのものとして「映画的に」露呈させること。「窃視」は(特に「裸の窃視」は)、共同体の一員としての化粧を施されたステレオタイプの顔を読み込むのではなく、共同体の外部へと飛翔する「他者」そのものの、読み取り不可能な顔そのものを露呈させるのである。そうすることで「他者」は、手段(物語)としてではなく、目的(そのもの)としてそこに出現することになる。

成瀬映画の基本を貫く「窃視」という演出は、成瀬映画の思考の流れが、物語の進行そのものを「基本的に」逆流していることを我々に提示している。前回主として●65(この数字は、『窃視表』の当該箇所を探しやすいようにふられたものであり、現存する成瀬映画の65本目、という意味である)「乱れる」(1964)における、加山雄三の高峰秀子に対する「窃視」⑥をもとに検討したように、成瀬映画の「窃視」の演出は心理的、物語的順序としての①→②→③→④ではなく、反物語的な逆行であるところの④→③→②→①によって撮られている。そうすることで、① ② ③ ④という四つのそれぞれの出来事が、意味という同一方向へと向けた鎖()から解放され、① ② ③ ④ そのもの「なまもの」として露呈し始める。②は、①と③に挟まれる事で初めて意義のある出来事となるのではなく、②は①を反物語的に起動させながら、同時に①と③からの鎖()を解き放つことによって、ただ「②」として、決して物語に手段として吸収されることの無い「過剰」となって我々の前に目的として露呈する。物語という順序だてられた鎖に直線的につながれ、その奴隷として扱われて決して露呈することのない細部が、「見ること」を通じて物語の鎖()から解き放たれるや否や「過剰」として露呈をはじめ、それが他の①や③や④とまったく新しい関係や葛藤や衝突の相互浸透のなかで多方向へと拡散した予測不能な運動を起動させ、画面は決して「あらすじ」では捉えることのできない芳醇で曲線的しなやかさでもって充満されてゆくのである。

★「裸の窃視」

そうした「裸性」を、より強度に露呈させるものこそ「裸の窃視」にほかならない。前回の論文によって「窃視」とは、「ほんとう」という真実を露呈させることを検討した。●41「おかあさん」(1952)で子供と相撲を取る田中絹代(「窃視」23)、●8「妻よ薔薇のやうに」(1935)で、土間で仕事をしている英百合子の背中()、また●65「乱れる」(1964)において、加山雄三のレインコートを脱がしている高峰秀子の姿なり運動なりというものは、「意味」を極限まで剥ぎ取られていたが故に、物語という論理の連鎖から限りなく解き放たれ、ひたすら「そのもの」として露呈する「過剰」となって振動したのである。そうした「無意味な」ものを盗み見ること=「裸の窃視」こそ、成瀬映画を急転直下に逆流するところの、大いなるエモーションの源流である。

■Ⅷ反物語

映画史において成瀬映画は善良で分かりやすい物語映画として語られてきた。だがこうして多くの細部に目を凝らしてみたとき、成瀬映画を善良な物語映画と断ずる眼差しは最早成立しないことは明らかである。成瀬映画のあり方とは物語映画まったくその逆の、物語からの解放運動にほかならない。成瀬映画をただの物語映画であると断ずる映画史は、視覚的な細部から完全に目を背けた「読み」の映画史によってのみ成立する。これまで検討してきたあらゆる細部=装置・美術、人物たちの性格、出来事としての商売、家を出ること、「窃視」等は、それぞれが物語的な鎖から独立し、反物語的流れによって複雑に絡み合っている「過剰」な細部として露呈しているのだ。成瀬映画には、あらゆる細部が相互に浸透し合いながら反物語的な流れの中でピンボールのように弾け続けている。こうした細部を浮き立たせることこそ「見ること」にほかならない。「読むこと」という物語的経路によっては決して細部は露呈しては来ないのである。

仮に「通風性」を、「読む=外部の知識で解く」とするならば、それは当時の時代における開放的な風土や文化の問題として、た易く回収されてしまうだろう。当時の日本建築の多くにおいて玄関には鍵がかかっておらず、したがって人々は容易に内部へと侵入できたのであり、成瀬映画の「通風性」は、そうした外部の事実をそのまま内部へ反映したにすぎないのだと。特に知識のある者は、こういう読みをしたがるものである。だがそれでは小津も成瀬も同じことになってしまう。小津も成瀬もほぼ同時代において映画を撮り続けながら、小津の映画は外部を拒絶し、成瀬の映画は外部へと解放されている。確かに、小津は後期に主として中流の上あたりの生活を描いたのに対し、成瀬は中流よりやや下の庶民層を描いていることからして、その戸締りについても階級差があったのだという言い方も在り得るかも知れない。だが成瀬の場合、室生犀星をモデルにした、中流よりやや上を撮った●「杏っ子」(1958)の疎開先においても、縁側には異質な存在であるところの沢村貞子が突如顔を覗かせており、●「妻として女として」(1961)における、ブルジョアの森雅之と淡島千影夫婦の西洋風の邸宅には、夜であっても玄関には鍵がかかっておらず、それによって高峰秀子の粗暴な侵入を許してしまった事実について前回触れたはずである。そこには共通する文化や時代=外部を超えた内部の「過剰」が散りばめられており、それは外部の教養だけでは決して収まりきることのない、内部の揺らめきである。成瀬映画の「反物語」を露呈させるものは細部であり、それは「見ること」によって現われてくる。これから成瀬映画に露呈する細部発見の旅=実践に出かけることにしよう。

第二章 実践編

■Ⅰはじめに

まずは成瀬の四本のサイレント映画の中の一本であり、現存する最初の成瀬映画でもある「腰弁頑張れ」(1931)の「窃視」について見て行きたい。

1「腰弁頑張れ」(1931)

この作品における「窃視」は以下の通りである。「窃視」欄の余白には、「窃視」の強度としてのパーセンテージその他、鑑賞時の感想をメモ風に書き記しておく。例えば「60」と書いてあれば、それは最高峰の「窃視」と比した時の完成度の割合といったところである。場所的関係やショットの質、視線の強度や「集中」のあり方など、あくまで総合的な判断であり、メモのようなものとして、気軽な気持ちで見て頂きたい。「裸の窃視」にはその右横に「★」マークをつけて分かりやすく表示する。映画の人物は、父、山口勇、母、浪花友子、ライバルセールスマン関時雄である。

    うちの息子がお宅の息子に飛行機のおもちゃを壊された、と苦情を言いに来た近所の母親を、山内勇が「窃視」して家の陰に隠れる。80。「物語的窃視」

    ライバル会社の保険セールスマン関時雄が、加入を競っているブルジョアの家の妻、明山静江に、山内勇の会社の悪口を言っている姿を、山内勇が「窃視」する。80。「物語的窃視」

    その直後、みずから馬になってブルジョア家庭の子供たちに馬飛びをさせてご機嫌をとっている山内勇を、関時雄が「窃視」する。80。「物語的窃視」

    その後、女中を懐柔している関時雄を、山内勇が何度か「窃視」する。80。「物語的窃視」

    空き地で息子と話しながら、息子と喧嘩をして泣かされた子供たちを、山口勇が何度か「窃視」する。60。「物語的窃視」

    その直後、去って行く子供たちの後ろ姿を、山口勇が「窃視」する。70。「物語的窃視」

    ブルジョアの家の息子を肩車で担いで帰って来た山口勇が、庭で遊んでいるブルジョアの子供たちを「窃視」したあと、明山静江に保険加入の件を切り出す。70。「物語的窃視」

    その後、道端に立っている子供を山口勇が自分の子供と間違えて「窃視」する。70。「物語的窃視」

    電車に轢かれて病院のベッドで眠っている息子の寝顔を、夫婦そろって「窃視」する。85。「物語的窃視」。「病状」という物語が問題となっている。

★「物語的窃視」の多用

既にこの初々しい28分の短編で9つの「窃視」が使われている。「9つ」という数字は、「めし」以降の作品における「窃視」の数と比べた時には見劣りするが、それ以前の作品としては決して少ない数ではない。しかし良く見てみると、これらの「窃視」は、「裸の窃視」とはやや違っている。その多くに強い意味が見出されるのである。①には「自分の会社の悪口を言っているライバル会社のセールスマン」という意味が込められ、②や③では「ライバルがお得意先の子供たちや女中のご機嫌をとっている」という意味が込められている。そこには●8「妻よ薔薇のやうに」(1935)における英百合子の「背中」()や、●41「おかあさん」(1952)で田中絹代の「相撲を取る」という行為(23)に比べて、物語的な意味が強く込められているのである。

4「夜ごとの夢」(1933)

続けてサイレント映画を検討する。「夜ごとの夢」は、自分を棄てて出て行った男、斎藤達雄とのあいだにできた息子を女一人で育てながら、港町の小さなアパートに暮らす女給、栗島すみ子の生き様を描いた作品である。今後は基本的に、検討を加える「窃視」だけを見ることにし、すべての「窃視」については「窃視表」に譲ることにする(成瀬己喜男窃視表)。検討する作品の題名の左側には番号が振ってあるので(この作品なら●4「夜ごとの夢」(1933)となり、現存する作品の中で四番目の作品ということ)、「窃視表」の中から当該作品を探すときの手掛かりとして頂きたい。

非常に多くの「窃視」が存在するこの作品は、4回ほど鑑賞した今でこそ「22」という数の「窃視」をここに挙げることが出来たものの、「窃視」というものに注目してこの作品を最初に見直した時(2006.3.2)に抽出できた「窃視」の数は、僅か4箇所に過ぎなかった。それをさらにもう3回見直して、初めてこの「22」という数字が出て来たのである。私の今回のこの成瀬映画における「窃視」に対する執着は、「見ること」の過酷な困難性を嫌というほど思い知らされた体験であり、「見ること」に自信を持ちつつあった私が、まったく「見ていない」という、唖然とする自己喪失の体験を、成瀬は私に向けて何度も突き刺し続けたのである。

★読める「窃視」

「夜ごとの夢」の「窃視」については、極めて微妙なものが多く、●「めし」(1951)以降の成瀬であれば、はっきりと我々に判るようなかたちで場所的、人物的配置を踏まえながら露呈させていたのを、この時期の「窃視」は、未だ完成する前の、だからこそ逆に自然に近い、さり気ないものとして撮られている。そうした中で、はっきりと「窃視」として露呈しているのは①⑤⑦⑧⑬⑮⑰2122などである(パソコン技術の不足から、「21」以降の番号を○で囲めないのでご了承願いたい)。①⑤は、成瀬映画に多く見出すことのできる「欲望の窃視」であり、外で働く栗島すみ子をして、家に置いてきたわが子を想起させるところの機能を有している。重要なのは⑦であり、勝手に部屋に上がりこみ、テーブルの椅子に眠りこけている斎藤達雄を、仕事を終えてアパートに帰って来た栗島すみ子が「窃視」するというシーンである。ここで画面は、栗島すみ子の主観ショットの体裁で、1眠っている斎藤達雄→2新聞の求人欄→3穴の開いた靴下へと、次々に移行するのだが、この画面の連鎖は「読める」のである。『この男は失業中であり(求人欄)、職を求めて歩き回り(穴の開いた靴)、疲れ果て眠ってしまった(寝顔)』と、読めてしまうのだ。

★「裸の窃視」も読める

人間は言語的動物である以上、好むと好まざるとに関わらず、意味を完全に喪失した「裸の対象」というものに遭遇することはできない。仮に我々が「窃視」によって「裸の顔=ナマモノ」を感じたとしても、実際には意味としての物語が混然一体となって露呈している。従って「物語的窃視」と「裸の窃視」とを完全に分離して検討することは不可能である。この論文で「裸の窃視」として検討したものであっても、読もうと思えば読めないものはない。例えば●41「おかあさん」(1952)のラストシーンで相撲を取っている田中絹代にしても(23)、「夜、仕事が終わって疲れているにも拘らず、子供と相撲を取って遊んであげている優しいお母さん」と読むことも可能であり、●8「妻よ薔薇のやうに」(1935)における、丸山定夫と英百合子のマッサージの「窃視⑤」にしても「仲睦まじい男と女」という物語を読み取ることは可能である。そもそも意味のない画面は存在しない。あらゆる画面には意味がある。「裸の窃視」とは、偶然、無意味なものとして撮れたのではなく、無意味なように撮った結果、無意味に見えるという「意味」作用である。重要なのは、成瀬映画が意図的に「物語的窃視」と「裸の窃視」とを使い分けているという事実であり、そうした差異を、「見ること」によって細部を検討して行くことである。

■Ⅱ「物語的窃視」

検討を容易にするために、ここで典型的な「物語的窃視」の例をあげながら、「裸の窃視」との差異を見て行きたい。「物語的窃視」の典型は、「目撃型」である。

14「女人哀愁」(1937) 

路地で話している入江たか子と大川平八郎の二人を、入江たか子の嫁ぎ先の小姑が「窃視」する()。これは、「二人が路地で話をしていることそのもの」という「裸の顔」の露呈というよりも、「二人が人の目を忍んでこっそりと会っている」という物語が重要になっており、そうした物語が「窃視=目撃」されている。その結果として、嫁としての入江たか子の立場が悪化するという「物語的な」影響が生じている。

42「稲妻」(1952)

バスガイドの高峰秀子が映画開始後まもなく、義兄が、情婦の中北千枝子と逢引しているところをバスの中から「窃視」する()。この「窃視」は、見られている二人の姿を「なまもの」として捉えたというよりも、「義兄が浮気をしている」という物語の力によって大きく支配されている。そこに露呈するのは、人間がただ在ること、それのみによって露呈する驚き、と言った類のものではなく、主として「読める」ところの物語の呈示であり、それによって映画は中北千枝子が三浦光子の店へとやってきて、生まれた子供の養育費を正妻のへ三浦光子に要求することへと「因果的に」つながってゆく。「物語的窃視」は、物語を「論理的に」始動せしめるのである。

54「杏っ子」(1958)

軽井沢の疎開先で、自転車に乗ってやって来る香川京子と、その見合い相手である土屋嘉男を、自転車ですれ違った木村功が振り向き様に「窃視」する()。これもまた「なまもの」として二人の背中そのものに何かが露呈するというよりも、木村功が「窃視」した対象である土屋嘉男が戦争中、従軍慰安婦と遊んでいたことを木村功が知っていて、そんな土屋嘉男を「窃視」したという事実が、「目撃」という物語として香川京子と土屋嘉男との結婚を破綻へと導き、逆に木村功が香川京子と結婚をするための大きな原因となっている。ここでも「窃視」は「論理」として、次にやってくる物語を起動させている。

45「あにいもうと」(1953)

久我美子が二度目に帰郷した春、路地で恋人の堀雄二が知らない娘との結納を終え挨拶をしている姿を、久我美子が「窃視」する()。これもまた「窃視」された堀雄二の「ナマの姿」ではなく、「久我美子の恋人である堀雄二が裏切って外の女と結婚をしてしまう」という物語として露呈しており、この「窃視」が、二人の仲が亀裂する論理的なきっかけとして呈示されている。

62「女の座」(1962)

団令子とその友人の娘が、渋谷の路上で宝田明を「窃視」する(22)。これもまた、過去にその娘を宝田明が弄んだという物語として読まれるものであり、その後その事実は娘の親友の団令子から姉の高峰秀子へと明かされ、宝田明は追放されるという、新たな物語を始動させるきっかけとなっている。

39「めし」(1951)

夫の上原謙と、夫の姪の島崎雪子が深夜、家の前の路地を腕を組んで仲睦まじく帰ってくるところを、玄関先で妻の原節子が「窃視」し、怒って家の中へ入ってしまう()。ここで原節子に「窃視」された二人の状態は、「二人が深夜、仲睦まじく歩いている」という物語によって大きく支配されている。もちろん二人の楽しそうな姿そのものが「なまもの」として原節子を打ちのめした面もありはするかもしれない。だがその「なまもの」もまた、夫の上原謙と島崎雪子が腕を組み、男と女が夜遅く、仲睦まじく帰って来たという「浮気の物語」によって大きく支配されている。この「物語的窃視」は、その後、原節子をして「家出をする」というさらなる物語を継起させるきっかけとなっている。

このようにして、「物語的窃視」として典型的なものは、あらすじに「論理的に」引っ掛かってくる。あらすじからの自由性において考えてみると、●41「おかあさん」において、田中絹代が相撲を取ること(23)は、映画の進行上、論理的に必要はない。「相撲を取る」という行動は、それを見た人々が、経験上、あるいは映画的物語の進行上、特定のある行動を引き起こすであろう現象とはいえないからである。対して●「めし」(1951)の上原謙と島崎雪子の二人揃っての帰宅の「窃視」は、経験上、妻を嫉妬させるものであり、それが「妻の家出」という、物語を惹き起こす原因となりうるものである。あるいは●「あにいもうと」(1953)における久我美子の「窃視」もまた、経験上、久我美子を嫉妬させ、二人の関係に物語上の影響を与えるに足る出来事であるし、●「稲妻」(1952)の高峰秀子の「窃視」にしても、それによって義兄の浮気が発覚し、社会的に、浮気相手との交渉、という物語的な発展を促すものである。それに対して●「妻よ薔薇のやうに」(1935)の英百合子の「背中」や、●「乱れる」(1964)でレインコートを脱がしている高峰秀子の姿などは、所謂「社会的な意味」=それらを「窃視」した者たちが、ある一定の行動へと走る可能性=を有していない。社会における物語的、イデオロギー的空間から限りなく自由に解き放たれた「過剰」そのものなのである。(★注・ちなみに「物語的窃視」とはあくまで「見ること」であって「聞くこと」ではない。「物語的窃視」の大部分においては「会話」は聞こえて来ず、従ってここでいう「物語」や「意味」とは、あくまで「身体」という、うごめきを「見ること」によって読み取る「意味」であることを忘れないで頂きたい)

★「負の窃視」と「欲望の窃視」

「物語的窃視」の中には、「負の窃視」とも言うべきものが存在する。●39「めし」においては、終盤の東京のシークエンスで、夫に先立たれ、子供を抱えて新聞売りをしている中北千枝子の姿を原節子が「窃視」するシーンがある()。この中北千枝子は「母子家庭で、子供を育てながら生活することの困難さ」という「負の意味」を強く露呈させている。そうしたものが、大阪の夫をほったらかしにして東京の実家へ家出をした原節子を動揺させ、夫と一緒に大阪へ帰るという、さらなる物語の継起のひとつの要因として機能している。さらに「負の窃視」には、●41「おかあさん」(1952)の「窃視」⑫のように、酒を飲んでいる男を女が「窃視」するようなものもある。成瀬映画において、人物が酒を飲むとき、そこには大抵「マイナス=負の意味」が込められており、こうした「窃視」は多く場合、物語を論理的に起動されるために不可欠な「窃視」ではないものの、『だらしなく酒を飲む』といった「意味」が読み取れるという点で、「裸の窃視」とは異なる性質を有している。今後、こうした負の意味を露呈させる「窃視」を「負の窃視」として検討を進めてゆくことにする。

さらに「物語的窃視」には、他者と自分とを比較しながら、自分に足りないものを欲望する「欲望の窃視」とでもいうべきものが数多く存在する。●3「君と別れて」(1933)の「窃視」⑩における、『水久保澄子が実家のある漁村で、石段ですれ違った花嫁の後ろ姿を「窃視」する』などはその典型で、ここには貧しい芸者娘としての水久保澄子の満たされぬ欲望が、花嫁との比較において意味として露呈している。これもまた、物語を論理的に起動されるために不可欠な「窃視」ではないものの、『花嫁になることに対する水久保澄子の欲望の露呈』といった「意味」が読み取れるという点で、「裸の窃視」とは異なる性質を有している。今後こうした「窃視」を「欲望の窃視」として検討を進めてゆくことにしたい。

43「夫婦」(1953)

「物語的窃視」には、「負の窃視」や「欲望の窃視」を含めて、社会的な意味の強度の強いものから弱いものまで千差万別あり、どちらかといえば、殆どの「物語的窃視」は、必ずしも次なる物語を社会的に引き起こすとは言えないような微妙な意味の露呈の上に成り立っている。それを以下の「夫婦」によって検討してみたい。

「めし」以降に撮られたこの作品は、倦怠期の夫婦を撮った所謂「夫婦もの」の一本であり、終盤には、妊娠した妻、杉葉子と、堕胎を迫る夫、上原謙との葛藤が撮られている。子供を堕ろすのは嫌だと産婦人科の病院から逃げ帰る杉葉子を、上原謙が追いかけて行って、二人はとある公園のベンチに腰を下ろす。ふと上原謙が前を見ると、見知らぬ子供たちが、滑り台だのブランコだので無邪気に遊んでいる。その姿を上原謙が「窃視」する()。「窃視」した上原謙は、妻に堕胎を迫ることを諦め、立ち上がり「帰ろう」と杉葉子を促し、二人は帰ってゆく。

この「窃視」⑰の性質は何だろう。「裸の窃視」だろうか、「物語的窃視」だろうか。「遊んでいる子供」という状態は、社会生活上、夫をして妻への堕胎の強制を躊躇させる行動をもたらす性質の出来事ではない。するとこれは「裸の窃視」だろうか。しかし上原謙は、子供たちの遊ぶ姿を見て、「それによって」、堕胎の強制を諦めているようにも見える。そこには、遊んでいる子供と生まれてくる子供という連想が働いており、両者のあいだには因果関係が認められる。この「窃視」は、次の行動を、因果的に促している。これは「物語的窃視」である。既に検討した●4「夜ごとの夢」(1933)の場合においても、その殆どの「物語的窃視」は、⑬⑲21などを除けば、その「窃視」された対象の出来事が特定の社会的行動を引き起こす強い意味までは有していない。しかし「裸の窃視」と比べた場合、「窃視」②の場合なら「抱擁し合う母子」という強い意味が込められているし、③や④の場合においても、栗島すみ子の「そのもの」を見つめるのではなく、栗島すみ子が自分ではなく他の客を接待していることを面白く思わないという意味が込められている。非常に微妙な差異ではあり、取りようによってはどちらとも取れる微妙な画面ではあるものの、成瀬はこうした差異を、殆ど意図的に使い分けながら映画を撮っているというのが当論文の仮定である。それは、ひたすら見ることを通じてその差異を炙り出してゆくしかない細微な差異の連なりであり、だからこそ、その差異を見極めて行くチャレンジには意義がある。今後我々は、数え切れないほどの「窃視」を検討しながら、細微な差異を実践によって炙り出してゆくことになるだろう。

★マクガフィンとは

「裸の窃視」は物語を急転直下に逆流すると書いたが、では、「物語的窃視」における「集中」の演出は、マクガフィンと言えるだろうか。マクガフィンとは、ヒッチコック的に言うと『サスペンスを引き起こすためのきっかけ』であり、それ自体には意味はない。「意味はない」というところに意味がある。例えばある男が汽車の中で、他の客のカバンを取り違えて持ってきてしまい、それがために組織から命を狙われる、というストーリーがあるとする。これを物語として読むとすると、「男は~の入っているカバンを間違って持ってきてしまったがゆえに、組織に狙われる」ということになる。そこには「カバンの中身」という物語が重要になり、その中身がある「ために(意味)」、組織から命を狙われるという①→②→③→④の流れが生じてくる。ところがヒッチコックの場合、重要なのはカバンの中身でなく「サスペンスを引き起こすこと」であるから、カバンの中身に意味ない。それは別にカバンでも靴でも帽子でも、サスペンスさえ引き起こしてくれれば何でもよいのである。確かにカバンは「次なるサスペンスを引き起こす」のであるから、その回路は一見①→②→③→④に見えないこともない。しかしカバンというマクガフィンが引き起こすのは、あくまでも「サスペンス」という映画的出来事に過ぎず、物語ではない。「カバン」と「サスペンス」とは、社会的な意味においては何ら因果の関係で結ばれてはおらず、従って「カバン」→「サスペンス」という流れはそもそも物語的な次元として継起していないのである。あくまでも起点は「サスペンス」という映画的出来事であり、ヒッチコックの演出の回路は「サスペンス」→「カバン」へと逆流して行く。思考回路は「カバン」→「サスペンス」ではなく、「サスペンス」→「カバン」であり、画面は④→③→②→①となって逆流するのである。ここでは、マクガフィンというものが「無意味」であることが決定的に重要な意味を持っている。無意味であるからこそ、それは決して社会的に意味のある行動を引き起こしはしない。引き起こすのは、あくまで「サスペンス」という素っ頓狂な映画的感動であり、社会的な関連を有する物語ではないのである。しだかってカバンは「過剰」な細部として露呈するのだ。こうしたマクガフィンの性格は、「裸の窃視」に代表される成瀬映画の「過剰」な細部と非常に良く似ている。そもそも細部における「過剰」さとは、マクガフィン(カバン)と同じように、物語の鎖から解き放たれた状態によって初めて露呈するからである。「裸の窃視」は、「集中すること」それ自体に意味はなく、それゆえに、次なる物語を因果的に継起させることはない。眠ったABが「窃視」する、という時、『Aが眠ったのでBはそのスキに「窃視」をした』と解釈すれば、「眠る」→「窃視」と映画の流れは①→②となるようにも見えるが、それは何度も言うように、映画を「読むこと」によってなされる物語的解釈であって、前回の●65「乱れる」(1964)の雨のレインコートの「裸の窃視」()において検討したように、まず最初にあるのは『「なまもの」を盗み見させたい』という映画的情動であり、そこから遡って「集中すること」という状態を作り出してゆくのであって、映画の流れは①→②→③→④ではなく、④→③→②→①となる。

★おかしい、、

映画を見ていて、どうしても「おかしい、、」と感じられる瞬間がある。どうもへんてこだなと。我々はそれを、マクガフィンに対して感じるのである。後に詳しく検討するが、例えば●68「乱れ雲」(1967)の「窃視」⑪において、バスの中で加山雄三がパンを食っているシーンがある。これが「おかしい」のである。それまでの映画の物語の流れからして、あそこで加山雄三がわざわざパンなどというものを立ち食いに近い形でいきなり食う必然性は何処にもない。加山雄三は、物語とは何の関係もないところでいきなりパンを食い始めたのである。こうした瞬間、我々は「おかしい、、」と感じ、そうした時、大抵それはマクガフィンなのである。事実、加山雄三の「パンを食う」という運動は、バスの中にいた司葉子が、加山雄三の姿を「裸の窃視」するためのマクガフィン(「集中すること」)として利用されている。「裸の窃視」に限ることなく、我々が検討する細部は、すべて「おかしい、、」のであり、「おかしい、、」とは、「物語と関係ない、、」というバカバカしさでもあり、だからこそそれは検討に値するところの細部として物語の枠から自由であり、マクガフィン的に逆流をする、だからこそ「過剰」として露呈するのだ。

★「物語的窃視」はマクガフィンか

では「物語的窃視」はマクガフィンと言えるだろうか。『成瀬映画の基本を貫く「窃視」という演出は、成瀬映画の思考の流れが、物語の進行そのものを「基本的に」逆流していることを我々に提示している。』と第一章のⅣで書いたように、「窃視」という演出は、仮にそれが「裸の窃視」であれ「物語的窃視」であれ、第一に「窃視」という「ずれ」たコミュニケーションの方法が前提とされている。なぜ成瀬映画のコミュニケーションの方法が「窃視」でなければならないのかは、これから多くの「窃視」を検討して行く過程において明らかにして行きたいが、まず「窃視」ありきである以上、そこには必ずや「窃視」→「集中」という、④→③→②→①という運動の流れが多かれ少なかれ内包されている。「窃視」という演出それ自体がすでにマクガフィンとしての性質を有しているのである。しかしながら、それでもなお「物語的窃視」のマクガフィン性については別途の検討が必要である。「窃視」というコミュニケーションの性質が基本的にはマクガフィン的であったとしても、「物語的窃視」には、「集中すること」に意味がある以上、それは次なる物語を継起するところの因果性を内包しているからである。特に因果性の強い●42「稲妻」(1952)の「窃視」②のような「目撃型」の場合、義兄の「浮気をしている姿」は、「情婦(中北千枝子)による慰謝料請求」というような、社会的に連鎖する物語を引き起こしている。意味に支配された「物語的窃視」は、次なる意味としての物語を順次引き起こして行くのであり、④→③→②→①と物語の逆流を始動させていくところのマクガフィン的運動性とは逆の機能を有しているのである。これをもっと簡単に言うと、「おかしい、、」と感じられないということである。「裸の窃視」の場合、「集中すること」に意味が無いことから、それが画面の中に突如出現したとき、我々は物語から宙吊りにされてしまい、思わず「おかしい、、」と感じてしまうのだが、例えば●「稲妻」の「窃視」①の場合、見られている者たちに意味があることから、見ている我々は、それをして「おかしい、、」とは感じない。我々は、物語の流れの中に没入しているからである。確かに「物語的窃視」における物語の強度は多種多様であり、それによってまた逆流の強度もまた違ってくるだろうが、しかし「物語的窃視」は、無意味によって物語を逆流してゆく「裸の窃視」と比べた場合、その強度において、物語を促進させて行くのである。

●「ウルトラミラクルラブストーリー」(2009)

先程、「裸の窃視」の無意味さとは、無意味なように見せるところの意味だと書いた。そうすると、それは演出のあり方にも大きく関わってくるだろうと。それはこういうことである。「裸の窃視」とは実際、作り手の心理状態として裏付けられるのだ。映画のスタッフが物語の誘惑に無防備となり、継起してゆく因果の先、先、へと興味を奪われてしまうとき、彼らは現在のショットを精魂込めて撮ろうとするだろうか。横浜聡子監督●「ウルトラミラクルラブストーリー」の、あの照明を落とした後の倉庫の中のビニール袋をうっすらと反射したあの照明は、果たして「物語の順番」で撮っていて果たせるだろうか。決して有り得ないとは言えないが、私の見たところでは、まず最初に①暗い部屋の照明を決めて、次に②電気をつけて演技を開始し、最後に③電気を消したように見える。すると、電気を消した瞬間のうっすらと当たる光線が異常に目立って見えるのだ。物語は②→③へと進んでいくが、実際の撮影の順序は①→②→①へと回帰している。物語的に読んでしまえば何ということもない②→③への凡庸な流れが、画面を「見ること」によって①→②→①へと回帰するのだ。その時、どうしてこれが回帰している=マクガフィン的回路で撮られている=かと感じるかというと、③の照明が、③として「過剰=おかしい、、」からである。あれは③ではない、①のはずだ、という驚きこそが、「見ること」により「過剰」を発掘した瞬間である。①無しに、②から③へといきなり撮っていたのでは到底成し遂げられないような光線の世界がいきなり出現する、その驚きこそが、「おかしい、、」であり、豊かさを感じたときのエモーションにほかならない。①を撮る時、スタッフは物語の因果から解放されていたはずである。そうすることで画面は「過剰」なものとして露呈する。「過剰」とは、「見ること」によって初めて現われ出る「おかしい、、」なのである。

★ポストモダンの陥穽。大きな物語と小さな物語

物語の希薄化という現象を指摘されて久しい。「大きな物語」に支配されていた近代は、「小さな物語」としてのポストモダンに取って代わられ、現代の映画の物語もまた希薄化しているというのである。そもそも物語とは、それが大きかろうが、小さかろうが「継起」するものであり、「継起」するならば、それは物語であることに変わりはない。どんなに物語が希薄化しようとも、「継起」する以上、それは物語であって「反物語」ではない。「継起するもの」と「継起しないもの」ではなく、「継起するもの」を二つに大きく分けて、「継起」しているにも拘らず、物語の大小でもって小さなほうを仮に「反物語」であるとするならば、それはミステークである。映像を「読む」とき、発見することができるのは「物語の大小」にすぎず、決して「反物語」ではない。

■Ⅲ「物語的窃視」から「裸の窃視」へ

41「おかあさん」(1952)

ここまで「裸の窃視」と「物語的窃視」について大まかな部分について検討してきたが、ここで●「めし」(1951)以降の作品である「おかあさん」を見ながら、具体的に検討して行くことにする。この映画は、東京の東部を舞台に、戦災で焼け出された家族が助け合いながら生きてゆくところの、とある春から夏、そして秋を経て、次の年の春までの生活を撮った作品である。

★「窃視」を観察

「めし」以降の、特に50年代の成瀬映画の「窃視」は、実に洗練され、かつ、主題と対応している。まずもって「窃視」をする人物として、母である田中絹代が7回、娘の香川京子が12回とずば抜けている。そうすることでこの映画は「母が子を見つめ、その母をまた娘が見つめる映画」であると言えそうである。それを裏付ける「窃視」が⑲⑳である。養子にもらわれるために家を出て行く小さな娘を母、田中絹代が「窃視」し()、その母を香川京子が重ねて「窃視」している()。成瀬映画の中で「窃視している者をさらに窃視する」という演出は実は少ないのであるが、こうした視線の方向性が、この「おかあさん」という映画の主題をさりげなく語りしめている。その映画で撮られた「窃視」をすべて並べて観察してみると、だいたい成瀬がその映画をどういう映画として撮りたかったのかが良く判るようにできている。

★「裸の窃視」の見分け方

その殆どが「物語的な意味」に従属されていた●「腰弁頑張れ」(1931)の「窃視」に対し、「おかあさん」の「窃視」には、「裸の窃視」が数多く見られている。ここでこの作品を見ながら、もう一度「裸の窃視」の「物語的窃視」との差異について見て行くことにしたい。「物語的窃視」と「裸の窃視」とは、完全に分断されているわけではない。相対的に意味の強度の強いものが「物語的窃視」であり、弱いものが「裸の窃視」である。④を見てみたい。映画が始まってすぐの食卓で、好物のいり豆を食べている父、三島雅夫の姿を、香川京子が「窃視」しているシーンである。確かにここには、好物のいり豆を食べている父、という物語が込められている。しかしそれを見つめている香川京子はとても良い顔をしている。「裸の窃視」とは、見られている者の無意味さと、見つめている者の眼差しとの相関的な関係によって演出されるエモーションにほかならない。人の無意味な何かに引き込まれた者たちは、その無意味さに呆然とするか、泣くか、訳もなく笑ってしまう。人の無意味さに恍惚と引き込まれてしまうのである。それは、人を手段としてのみならず、目的として見ることのできる者のみに与えられるエモーションにほかならない。④の香川京子は、好物のいり豆を食べている父の姿を、何とも形容しがたい清清しい顔でもって見つめ続けている。そこには、顔の意味を読み取ろうとする「邪心」は露呈していない。あるのはひたすら、「そのもの」としての父の姿を見つめている娘としての情動である。対して⑧を見て頂きたい。そこでは、家にやって来た中北千枝子が、病気で臥せっている三島雅夫の姿をチラリと「窃視」してはいるものの、中北千枝子の顔や身体には、何らの情動も生じていない。中北千枝子の身体に露呈しているのは、三島雅夫が「臥せっている」という意味であり、エモーションではない。確かにこの⑧の中北千枝子による「窃視」は、映画のあらすじに直接関わってくるような決定的な「目撃型」ではない。しかしながら、仮に強度において「目撃型」のような強さはなくとも、この「窃視」は物語を継起させることへと向けられた運動の流れに外ならず、「物語的窃視」として考えるべきものである。こうした微妙な差異については、これから成瀬映画において現れた無数の「窃視」を検討するに当たり、次第に感じられると思われるので、すべてをこの時点で決定することは止めて、多くの作品の「窃視」を見て行くことにしたい。

★瞳の成長物語

「おかあさん」は、「物語的な窃視」と、「裸の窃視」とが使い分けられながら撮られている。母の田中絹代は夫や子供たちをひたすら「窃視」し、そうした母の生き様を、娘の香川京子が「窃視」してゆく。そうした「窃視」の投げあいの中で興味深いのは「⑫⑭」と「2223」との関係である。⑫と⑭の「窃視」には、娘である香川京子が、父の死後、クリーニング屋を切り回している職人の加東大介と、母の田中絹代との仲を疑うという「意味」が込められている。⑫では加東大介が、亡き父、三島雅夫の好物であった入り豆を食べ、焼酎を飲んでいるという「意味」が、香川京子をして、大好きだった父親のイメージに重ねられ、この人が新しい父親になるのではという不快感を抱かせており、さらには加東大介の「酒を飲む」という行為が、成瀬映画においては●「めし」(1951)「妻」(1953)「晩菊」(1954)の上原謙であれ、●「稲妻」(1952)の植村謙二郎であれ、●「杏っ子」(1958)の木村功であれ、女にとって決して居心地のよい出来事として露呈してはおらず、却って醜さという「意味(物語)」を露呈させる演出として強調されていることから見ても、この香川京子の「窃視」の瞳には、加東大介を、新しい父として認めたくない、という否定の意味が込められている。⑭の、クリーニング屋の店舗の中で談笑している母の田中絹代と職人の加東大介とを、帰りがけの香川京子が「窃視」したという出来事ついても、それは「談笑している姿そのもの」ではなく、二人が仲睦まじく並んで話しているという意味が不快感と共に香川京子によって目撃されている。それを見た香川京子の表情には、④における清清しいそれとは似ても似てつかぬ不快感が現われている。

これに対して⑳と21において、「意味」は限りなく剥ぎ取られている。幾つかの季節を亘りながら数々の経験を積んでいった香川京子の瞳は最早意味ではなく「裸性」を見つめている。⑭の「窃視」からしばらくすると、田中絹代と加東大介との関係は、香川京子の独りよがりの誤解であったことが判る。だがそんな誤解を謝罪する間もなく、加東大介は香川京子に爽やかな別れを告げて立ち去ってしまう。振り向いた香川京子の瞳には、加東大介の背中が包み込まれている(22)。香川京子はその後、子供と相撲を取る母の姿そのものを「窃視」している(23)2223には、さらなる物語を社会的に作動させる意味が不在である。それはただひたすらの背中であり母に過ぎない。22においては、加東大介の背中すら画面の中に映し出されることはなく、それは、去って行く加東大介を見つめる香川京子の眼差しを我々が見つめることによって間接的に想像されるに過ぎない。2223の香川京子の瞳=顔に存在するのは、母と職人とのあいだにあらぬ誤解を生じさせてしまったそれまでの未熟な瞳「⑫⑭」ではない。父と兄の死、そして妹との別れといった、幾多もの試練を乗り越えた娘の瞳は、意味という手段ではなく、人をただ人として、目的として見つめる瞳へと成長していたのである。この映画の物語が、とある春から夏、そして秋を経て、次の年の春までという、非常に長い期間に亘って撮られているのは、香川京子の「瞳の成長」という物語を我々に感じさせんがためにほかならない。父の死のショックによって、意味を読むことに逃避してきた香川京子の身体()が、幾多の経験によって成長し、ひたすら見つめる眼差しとして成長したとき、そこには、去って行く加東大介の背中がしなやかに想像上の画面を揺らし、相撲を取っている母の姿が静かに映し出されている。人を手段ではなく、目的として見つめ続ける香川京子の身体性こそ、●8「妻よ薔薇のやうに」(1935)において、土間で仕事をする英百合子の背中をただ「背中」そのものとして見つめた千葉早智子のあの透き通った眼差しの記憶にほかならない()。上がり框で汚れた足を雑巾で拭きながら、香川京子がふと従兄弟と相撲を取っている母の姿を遠巻きに見つめたとき、母を、ただひたすら「母」として肯定する娘の透き通った眼差しに飾られながら、映画は終わりを告げる。香川京子の眼差しは最早●4「夜ごとの夢」(1933)の「窃視」⑦にあったような、理屈っぽくモンタージュ化された視線ではない。そのものを「そのもの」として見つめていくことのできる「反物語的身体」なのである。

42「稲妻」(1952)

「おかあさん」に続いて撮られた作品であるこの「稲妻」もまた、視線において、「おかあさん」と同じようなあり方を見出すことができる。成瀬が大映で初めて撮った作品であるこの「稲妻」は、すべて父親の違う兄弟姉妹に囲まれた高峰秀子が、暑苦しい家から自立をして、世田谷の下宿へ引っ越すまでの出来事を描いたこの作品であり、●「めし」(1951)に続いて林芙美子の原作である。暑苦しい兄弟姉妹や、言い寄ってくる小沢栄に嫌気が差した高峰秀子は、「負の窃視」によって彼らを嫌悪し続けている。(⑤⑥⑦⑬⑭)。酒を煽り続ける兄たちを「負の窃視」しては閉口し(⑤⑬)、耳障りなバイクの音を響かせながら、断りもなく玄関の戸を開けて入ってくる小沢栄の暑苦しさを嫌悪する(⑥⑭)。小沢栄太郎との初対面のとき、玄関で暑苦しそうに汗をぬぐう小沢栄の姿を、高峰秀子が襖の陰に隠れながら「窃視」する「負の窃視⑥」は、成瀬映画史上の中でも極めて叙情的な(グロテスクな)「負の窃視」として記憶に留めておくべきものである。高峰秀子が家を出たのは、ちょうどこの⑭の「負の窃視」のあとである。襲い掛かってくる「通風性」にたまらず家を出た高峰秀子の前に現われた世田谷の下宿の空間は、真っ白なブラウスに包まれた香川京子が驚愕の「通風性」によって縁側に顔を出し、彼女の兄である根上淳が爽やかな笑顔を振り撒いてくる異質な世界であった。下宿の二階からは、隣の兄妹の爽やかなピアノのメロディが差し込めてくる。そこから⑮⑯⑰と、高峰秀子の眼差しは、一気に「裸の窃視」へと弾けて行くのである。⑮では、荷物を取りに実家に帰って来た高峰秀子が、仏壇で拝んでいる母の浦辺粂子を「裸の窃視」し、⑯では、路地で再会した根上淳と別れたあと、高峰秀子は門の中に入ろうとして立ち止まり、ふと、去って行く根上淳の背中を「裸の窃視」している。さらに⑰においてもまた、世田谷の下宿の二階から、隣の家の庭で洗濯物を干している根上淳の姿を見た目のショットで「裸の窃視」している。それまでの「意味」に支配されていた高峰秀子の功利的な眼差しが、「仏壇を拝むこと」「背中」「洗濯物を取り込むこと」という「無意味」へと惹かれて行く。確かに序盤にも、「これ、お前の父さんにもらったんだよ」とルビーの指輪を見つめている母、浦辺粂子を高峰秀子がチラリと「裸の窃視」をするようなシーンがあるが()、それは極めて微妙な感覚で撮られており、⑯や⑰のように、はっきりとした演出で撮られてはいない。すべては「家を出たあと」なのである。辛気臭い家に生まれた高峰秀子の瞳は、家を出て、自立をする事で、「負の窃視」から「裸の窃視」をすることの出来る瞳へと成長している。人を「意味」によって手段的に格付けする「物語的身体」から、人そのものを「目的」として見つめることのできる「反物語的身体」へと変貌を遂げて行くのである。こうして●「おかあさん」の直後に撮られたこの作品もまた「瞳の成長物語」として撮られている。成瀬映画にとって「裸の窃視」とは、「物語的窃視」との対比において、瞳(身体)の「成長」という出来事と関係しているのだ。●「おかあさん」は、月日の経過が香川京子の瞳の「成長」を促し、「稲妻」は「家を出ること」が高峰秀子の瞳を「成長」させている。そこで決定的な働きをしているのが「物語的窃視」から「裸の窃視」への移行という、「反物語」への逆流である。

3「君と別れて」(1933)

「裸性」としての「反物語」を露呈させるところの「裸の窃視」が、成瀬映画に最初に登場したのは●2「生さぬ仲」(1932)であり、そこでは⑥⑧⑯など、「裸の窃視」と判断してよいものが幾つか見られている。だがそれらはどれも趣旨として曖昧で、「裸性」が殊更強調されているわけではない。「裸の窃視」が初めて叙情的に登場した作品は、水久保澄子主演の「君と別れて」にほかならない。ここには●「めし」(1951)以降の洗練された成瀬映画の原型の殆どすべてが込められており、前期成瀬映画のひとつの完成形と言える作品となっている。身売り同然に芸者に出された娘、水久保澄子を主人公に、彼女が姉のように慕う芸者の吉川満子とその息子、磯野秋雄を絡めながら映画は進んで行く。ここで注目すべきは③の「窃視」である。

★「裸の窃視」の萌芽

吉川満子のアパートへやって来た妹分の水久保澄子が、吉川満子に頼まれて白髪を抜いてやったあと、さり気なく吉川満子の背後へ移動し、出窓に座ると、火鉢を突付いている吉川満子の後ろ姿をチラっと「窃視」し、すぐに目を逸らす()。ここにおいて、背中という、物語との何らの論理的関係にない部位に対する「裸の窃視」が見事に紡がれている。さり気なく吉川満子の背後の窓枠に腰掛ける水久保澄子の眼差しは●「おかあさん」(1952)の終盤の香川京子の瞳のように澄んでおり、決して「物語」を求めていない。求めていないからこそ逆に吉川満子の「背中」が剥き出しになってしまう。加えて②⑤⑧もまた「裸の窃視」であり、そのすべては女たちによって独占されている。また、⑩のような、成瀬映画の象徴とも言える「欲望の窃視」もまた素晴らしい抒情でもって描かれている。この傾斜に包まれた漁村の光景は、後年●「浮雲」(1955)のあの伊香保温泉の、中古智の見事な装置へとつながっていくだろう。この作品には、●「おかあさん」(1952)や●「稲妻」(1952)のように、「物語的窃視」から「裸の窃視」へのはっきりとした移行が演出されているわけではない。しかしながら、現存する作品の中で、両者をはじめて叙情的に使い分けたのはこの作品であることを留意しておくべきである。

■Ⅳ「めし」(1951)以降と物語性の喪失

こうして大まかに成瀬映画を鳥瞰して見た時に、サイレント期に、「物語的窃視」と「裸の窃視」との使い分けがおぼろげながらも存在することが見えてきた。そして●「めし」以降に撮られた「おかあさん」(1952)と「稲妻」(1952)には、初期サイレント映画においては見ることのできなかった、「物語」から「反物語」への移行が、「年月」や「家を出ること」を契機に洗練されたかたちで演出されていた。「物語的窃視」と「裸の窃視」とを主題論的に見事に関係させながら、映画の最後のここという場面で「裸の窃視」を用いる事で、大きなエモーションを築き上げていたのである。これを大きく見ると、「物語を剥いで行く」という、成瀬映画の変遷の軌跡と重ね合わせることができる。ここでは、サイレントの初期からトーキーへと流れる中期、そして●「めし」以降の後期にかけての、成瀬映画の「物語史」について検討して行きたい。ここで検討されるのは、「物語の強度」である。それを検証するためにまず、「主人公が映画の途中でその性格を劇的に変貌させる」作品の有無について見て行くことにする。

★人間が劇的に変化した映画

「生さぬ仲」(1932) 育ての親(筑波雪子)から実の娘を奪い取った生みの母(岡田嘉子)が改心し、娘を育ての親に返す

「君と別れて」(1933) 不良の磯野秋雄が改心する

「限りなき舗道」(1934) 気弱な嫁(忍節子)が姑と対決し、家を出て自立に立ち上がる。

「女優と詩人」(1935) 気弱な夫(宇留木浩)が、きっぱりと居候を断れる人間になる

「女人哀愁」(1937) 気弱な嫁(入江たか子)が夫に反旗を翻し、家を出て自立に立ち上がる。

「雪崩」(1937) 無理心中の偽装で妻(霧立のぼる)を殺そうとしていた夫(佐伯秀男)が改心し、優しい男になる

「禍福・前編」(1937) 内的な女(入江たか子)が、男(高田稔)に捨てられ、復讐の鬼と化す

「まごゝろ」(1939) 女を捨てた卑怯な男(高田稔)が立派になり、悪妻であった男の妻(村瀬幸子)も高田稔に説教されて良妻となる

「母は死なず」(1942) 父親(菅井一郎)に諭された放蕩息子が改心する

「歌行燈」(1943) 傲慢な能の歌い手(長谷川一夫)が謙虚になる

「芝居道」(1944) 傲慢な役者(長谷川一夫)が謙虚になる

「三十三間堂通し屋物語」(1945) 気弱な男(市川扇升)が強くなって長谷川一夫との戦いを勝ち抜く

「浦島太郎の後裔」(1946) 財閥の政治に利用された復員兵、藤田進が改心し、新しく生まれ変わる

「俺もお前も」(1946) 気弱なサラリーマン(エンタツ・アチャコ)が奮起し、社長(鳥羽陽之助)に反抗し勝利を勝ち取る

「怒りの街」(1950) 女を騙して金を巻き上げていた大学生の宇野重吉が改心する

「白い野獣」(1950) 気の強い娼婦(三浦光子)が、穢れた心を克服し正しき心を取り戻す

「薔薇合戦」(1950) 勝気な姉(三宅邦子)が終盤、急に優しい姉になる

「銀座化粧」(1951) 世話になった男(三島雅夫)の無心を断り切れないお人良し(田中絹代)が、断ることの出来る強い女となる

「舞姫」(1951) 仲の悪かった夫婦(高峰三枝子と山村聡)が、ラストシーンで劇的に見つめ合う

すべて●「めし」(1951)以前に集中している。対して成瀬映画にはもう一つ、主人公が「成長する」という作品が存在する。

★主人公が「成長」する映画

●「めし」(1951)以前の作品

「妻よ薔薇のやうに」(1935) 千葉早智子の成長

「はたらく一家」(1939) 子供たちの成長

「まごゝろ」(1939) 子供たちの成長

「春のめざめ」(1947) 思春期の少女の成長

●「めし」(1951)以降の作品

「おかあさん」(1952) 香川京子の成長

「稲妻」(1952) 高峰秀子の成長

「あにいもうと」(1953) しおらしい娘(京マチ子)が大胆な女になる

「変化」と「成長」とは厳密には区別し難いが、「変化すること」とは、いわば人間人格や性格が変化(断絶)することであって、あくまで同一人格の過程における「成長」に比べてドラマチックであり、メロドラマ的であり、物語としての強度が強く、ちょっとうそっぽい。それに対して「成長すること」とは、それ以前の人格と断絶しておらず、よりゆるやかな曲線において持続している人間の有様のさり気ない変化とでもいったものである。後者についてここで7つの作品をあげたが、それ以外のおそらくすべての作品に、なにかしてらの主人公の「成長」の痕跡が見出されるだろう。しかしながらそれはあくまでもゆるやかな持続のうちに引き起こされたものであり、●「めし」(1951)以降、主人公が作品中途において劇的に「変化」する作品はまったく存在しないと言ってよい。たとえば「めし」の主人公たちは、原節子にしても上原謙にしても、何かが劇的に変化したということにはなってはいない。それは●「おかあさん」(1952)や●「稲妻」(1952)にしても同様で、香川京子なり高峰秀子は、仮に何かが変わったように見えたとしても、それは持続的な「成長」であって、決してそこには劇的な人格の断絶を生じてはいなかった。既に検討したように、映画はそれを「物語的窃視」から「裸の窃視」への転換という、さり気ない眼差しの変化によって描いており、決して決定的な人格の変化としては描いてはいないのである。対して「変化型」を見てみると、性格の変貌が余りにも顕著である。子供を連れ去った悪女が改心するとか、弱々しかった嫁がいきなり強くなって姑等に反抗して家を出るとか、卑劣な男が急に優しくなったりとか、およそ●「めし」以降の作品では見ることのできない悪から善、弱から強、という対極への劇的な性格の変更が数多く見られている。対して●「めし」以降の作品を良く見て頂きたい。そうした極端に性格の変化する作品は一本たりとも存在しないはずである。

★「流れる」(1956)と「銀座化粧」(1951)の差異

「めし」(1951)以降に撮られた「流れる」と、「めし」の2本前に撮られた「銀座化粧」とは、そのどちらもが、時代に取り残されつつあるお人好しの古い女を主人公として描いていながら、人物の変化の有無、という点においては大きな差異を露呈させている。「流れる」の山田五十鈴は、厳しい芸者の世界から取り残された古い者であり、彼女は夜の見回りの巡査にまでわざわざ出前の蕎麦を振舞ってしまうようなバカが付くほどのお人よしであり、時代の流れにもついて行けず、近い将来、置屋を手放す運命にあるだろう。これに対して「銀座化粧」の田中絹代もまた「流れる」の山田五十鈴と同じように、貢いだ男には子供が出来たとたんに捨てられてしまい、子供の出産の時に世話になった三島雅夫が落ちぶれたあとも彼への義理からその無心を断ることもできず、密かに思いを寄せる男(堀雄二)を、妹のように可愛がっていた同僚の女給(香川京子)に奪われてしまっても何もいえない、お人よしの古い者にほかならない。だが、「銀座化粧」の脚本に手を加えたと言われている成瀬は最後、その田中絹代をして『心を入れ直してしっかり働くわ』と言わせしめ、映画の終盤においては、世話になった三島雅夫の無心をきっぱりと断らせている。「銀座化粧」の田中絹代は「流れて」はゆかず、自分の意志で新しい人生を選択していくことを決めたのである。「内的」であり「他人の頼みごとを断ることができない」というのが、成瀬映画の人物の最大の特徴であることを前回の論文で検討したが、「銀座化粧」の田中絹代はそのような「内的」な人物から、「他人の頼みごとを断れる外的」な人物へと変化している。これは最早「成長」としての持続ではなく、人間人格の劇的な「断絶」であると言うしかない。対して「流れる」の山田五十鈴は、最後までお人よしとしての人格を変化させることなく、ひたすら時代の変化に流されている。山田五十鈴に限らず、ここで同じようなお人よしとして描かれている杉村春子、田中絹代、高峰秀子といった人物たちは、最後までお人よしとしての人物像を変化させてはいない。一見同じように見える人物像でありながら、「めし」(1951)を挟んだ両者の性格は、劇的に異なっているのである。

★「二枚目」の映画へ

こうした主人公の傾向を捉えるならば、●「めし」(1951)以降の成瀬映画は、「立役」の映画から「二枚目」の映画への変遷史であるということができる。成瀬映画の主人公は、1937年頃を起点として女性から男性へ、そして男性が「二枚目」から「立役」への転回を見せていたが、戦後最初の作品である●「浦島太郎の後裔」(1946)の藤田進を最後にふたたび「立役」が消える。そして●「めし」に至って「当代切っての二枚目」と称される上原謙を得てからと言うもの、成瀬映画は決定的に「二枚目」の映画へとその様相を変えて行く。「二枚目」とは恋するヤサ男であり、優柔不断で弱々しく、決闘よりも駆け落ちを、強盗やストーカーよりも背任や心中を得意とするような男たちにほかならない。したがって彼らの性格は、その多くはアクションスターによって演じられる「立役」の爽快無比な勧善懲悪の物語に比べて、善と悪の対立が不透明で起伏に乏しく、確固たる動機や結末によってハッピーエンドを迎えることもなく、ひたすら「流されて行く」という物語(反物語)に適している。●「めし」以降の成瀬映画を特徴付ける上原謙、山村聡、森雅之、小林桂樹、木村功、宝田明、そして上原謙の息子である加山雄三へと続く「二枚目」の系列は、1937年頃から「立役」の起承転結の物語へと転回した成瀬映画を再度、「二枚目」の優柔不断な「反物語映画」へと転回させて行ったことを示唆している。

★演技論

成瀬映画の「反ドラマ」「反物語」的な人物の特質は、演技論からも窺い知ることができる。『僕は成瀬さんの映画だけは、説明的な演技というか、わかりやすい芝居はしなかったんです。楽しい時は楽しんでるとか、怒っている時には怒っている顔をしているとかいう芝居はまずしなかった』 (成瀬巳喜男演出術120)という小林桂樹の証言がよく語るように、あるいは『「いかにも」「さも」という演技は許されなかった』、という高峰秀子の証言によるように、成瀬巳喜男は内面の心理を外面の表情に露呈させることをひたすら嫌い、運動の力によって映画を撮ることをよしとしている。そうすることで、心理を追う物語上の画面の連鎖①→②→③→④と、運動を追う視覚的細部としての画面の連鎖④→③→②→①とが共存と矛盾の中で交錯しながら発展を遂げ、見ている者達をして物語のみに回収されることのない、画面による映画的感動へと導いてゆくのだ。これは成瀬映画が、徹底して「心理的ほんとうらしさ=物語」から乖離している事実を指し示している。成瀬映画は人物の内的性格、「通風性」→「不可抗力」による運動、抑制された演技、劇的なドラマの排除などによって「心理的なもの=ほんとうらしさ」を徹底的に駆逐するのである。

★中抜き

それは撮影上のプランによっても裏付けることができる。私は論文「心理的ほんとうらしさと映画史第二部」の中で、「中抜き」という手法が「心理的ほんとうらしさ」を排除するための有効な方法のひとつであることを検討した。①→②→③→④と物語の順番どおりに映画を撮影して行くのではなく、たとえば会話の切返しのシーンのまず一方のみを先に全部撮ってしまうような手法が「中抜き」であり、それは量産体制にあった撮影所黄金期に重宝された早撮りのための手法であるとされる。それによって俳優たちは自分が今、物語の連鎖の中のいったいどこを演じているのか分からなくなり、「心理」を表現できなくなってしまうのだ。これを「心理的ほんとうらしさ」を排除するために意図的に使うとするならば、いわば強制的に「心理」を演じさせない荒療治ともいうべき手法となるのだが、我々がこれまで検討していた成瀬映画の特徴からするならば、成瀬がこの「中抜き」で撮っていたとしてもちっとも不思議ではなく、むしろそれは「成瀬らしい」撮り方ともいえる。スタッフや役者の証言をみてみると、まず50年代以降の成瀬映画を支えた玉井正夫のインタビューが蓮實重彦によってなされている。そこで玉井正夫は蓮實重彦の質問に、『必ず順番通りに撮るわけです。』(季刊リュミエール⑥186)と答えており、意外にも「中抜き」をきっぱりと否定している。同じく成瀬の●「舞姫」(1951)で映画デビューをした岡田茉莉子は『成瀬さんは、だいたい脚本の順番通りに撮っておられましたから』とこれまた蓮實重彦のインタビューに答えている(「成瀬巳喜男の世界へ」202)。だがまったく逆の証言も残されている。成瀬作品の助監督を務めていた須川栄三は、成瀬は『中ヌキの名人だったよ』と答えており(映画読本・成瀬巳喜男71)、同じく成瀬の助監督に就いていた石田勝心は、『「女が階段を上る時」(1960)のセットのロングショットで、なんと19カットの中抜きをしました』と証言している。 (成瀬巳喜男を観る96)。ここでは「19ショット」という非常に具体的な証言がなされていることから、証言の信憑性は高いといえる。ちなみに「女が階段を上る時」のキャメラは玉井正夫である。さらに山村聡もまたインタビューで『成瀬さんは、よく中抜きをしますね』と答え、今、自分がどのシーンを演じているかわからず『私も困っちゃうんです』と告白をしている(成瀬巳喜男演出術105)。そして高峰秀子は『飛ばして撮っていきますよね。一の次に二が来て、二の次に三って撮っていくわけじゃないんです』と語り『私は慣れてたからなんでもないですけどね。十何カット飛ばして、その時の顔をしろと言われてもね。』と、ここでもまた「演じにくさ」について語っている。役者は心理的でほんとうらしい演技ができない、ということを高峰秀子は言っているのである。

おそらく「中抜き」はあったのだろう。先日連載されていた日本経済新聞の「私の履歴書」においても、香川京子ははっきりと、成瀬は「中抜き」で撮っていましたと証言している(2009.3.9日付)。岡田茉莉子は『だいたい脚本の順番通りに』と『だいたい』であるし、玉井正夫については、推測に過ぎないが、「中抜き」という早撮りの手法に対するマイナスのイメージから成瀬を守りたかったのではないだろうか。面白いのは高峰秀子の『一の次に二が来て、二の次に三って撮っていくわけじゃないんです』というコメントである。成瀬は物語としてのみならず、実際の撮影の順序においてもまた、決して①→②→③→④という「物語の順序」を尊重して撮っていたわけではないのである。

★解決しない物語

以上は、登場人物の性格や演技に関しての考察であるが、成瀬映画の「反物語性」は「解決」や「和解」といった現象の有無によっても指し示すことができる。それまでは未解決であった出来事や、反目し合っていた人物たちが、誰の目にも明らかに「解決」されたり「和解」したりするドラマチックな現象は、「物語を剥ぐ」ことを旨とする成瀬映画の歴史において、いかなる変遷を遂げてきただろうか。以下では先ず、劇的な「解決」なり「和解」がなされた作品を列挙したい。

「生さぬ仲」(1932) 岡田嘉子が改心することで事件が「解決」する。

「限りなき舗道」(1934) 忍節子が姑への宣言によって離婚の「決着」がつく★

「女優と詩人」(1935) 宇留木浩と藤原釜足とが縁側で居候の件について「和解」する。千葉早智子と宇留木浩の夫婦が「和解」する

「妻よ薔薇のやうに」(1935) 信州の家の土間で千葉早智子と英百合子が「和解」する。

「女人哀愁」(1937) 嫁の入江たか子が、舅たちに決裂宣言をして家を出て「解決」する★

「雪崩」(1937) 佐伯秀男が、偽装心中で殺してしまおうとしていた妻、霧立のぼると「和解」する★

「禍福・後編」(1937) 入江たか子が、高田稔、竹久千恵子夫婦と「和解」する

「まごゝろ」(1939) 高田稔が、妻の村瀬幸子と「和解」する★

「なつかしの顔」(1941) 農道で、花井蘭子と義弟の小高たかしが、「和解」する。

「母は死なず」(1942) 菅井一郎が無き妻(入江たか子)の手紙を息子に見せて、息子を説き伏せ「和解」する★

「歌行燈」(1943)花柳章太郎が、柳永二郎と「和解」する。花柳章太郎が、義父の大矢市次郎と「和解」する。

「芝居道」(1944)長谷川一夫が師匠の古川緑波と「和解」する。

「三十三間堂通し屋物語」(1945) 試合の中盤、抜き出てきた長谷川一夫が、旅館の前で、市川扇升の治療法について田中絹代に教え、「和解」する★

「浦島太郎の後裔」(1946) 演説で、藤田進が改心し、民衆と「和解」する★

「俺もお前も」(1946) エンタツとアチャコが社長へ談判し、事件が「解決」する★

「石中先生行状記」(1950)第一話 りんご園で堀雄二が木匠マユリに真実を「告白」して「和解」する。第二話 宮田家で、池部良と杉葉子が「和解」する。藤原釜足と中村是好が「和解」する。

「薔薇合戦」(1950)若山セツ子が北海道行きの件を持ち出した場面で、姉の三宅邦子と若山セツ子とが「和解」する★

「舞姫」ラストで高峰三枝子と山村聡が見つめ合い、「和解」する★

●「めし」(1951)以降の作品

「稲妻」(1952)アパートで喧嘩をしていた母(浦辺粂子)と娘(高峰秀子)が「和解」する

「夫婦」(1953)公園で上原謙と杉葉子の夫婦が、堕胎について「和解」する

「女同士(くちづけ第三話)(1955) 夫(上原謙)に対する浮気の疑念が解ける

「妻の心」(1956) 商店街で、高峰秀子と小林桂樹の夫婦が「和解」する

「女の歴史」(1963) 高峰秀子と星由里子が「和解」する。

「乱れ雲」(1968) 旅館で中盤、加害者の加山雄三と、被害者の妻の司葉子が「和解」する

多くの場合が●「めし」(1951)以前に集中している。●「めし」の原節子と上原謙は、二人で汽車に乗って大阪へ帰るだけで、「和解」と言えるようなドラマチックな出来事はまったくなされていないし、●「お國と五平」(1952)では、仇討という「解決」がされたように見えながら、事件はより「未解決」の泥沼の禁断の恋へと流れて行っている。●「稲妻」(1952)においてもまた同様で、終盤、下宿にやって来た母、浦辺粂子と、娘の高峰秀子が喧嘩をし、その後「和解」したかのような印象を受けはするが、それはあくまで印象にすぎず、物語的に決定的な「和解」など何も為されてはいない。高峰秀子の憧れの人々たちの住んでいる隣の家からピアノの音が聞こえてくると、見事な俯瞰でキャメラは隣家の庭とバルコニーとをアパートの二階から収め、それまで泣きながら母をなじっていた高峰秀子が涙をふき、雷が光り、サぁ、もう泣くのはやめて、帰りましょうと母を送って行く、ただそれだけの出来事が起こったにすぎない。先に検討した●43「夫婦」(1953)ラストシーンにおいては、公園で、子供を堕ろせと妻に迫っていた上原謙が、妻の杉葉子と「和解」しており、それは決して劇的なものではないものの、子供を堕ろすことを拒絶していた杉葉子とのあいだにおいて、それはひとつの「解決」であるということができるだろう。だが仮にこれをひとつの「解決」であるとしても、先に検討したように、その直前、上原謙は公園で遊んでいる見知らぬ子供たちを「窃視」している()。公園のベンチに妻と横並びに座っている上原謙は、公園の滑り台などて遊んでいる見知らぬ子供たちを「窃視」したあと、「帰ろう、、」と、ただひと言だけ呟いて、妻に堕胎を強制することを諦め、妻と二人で公園を出て行くのだ。ここでの解決は、「面と向った者同士による会話」によって、0のものがいきなり100となって「解決」されたものでない。「窃視」という「ずれ」た運動を媒介としてさり気なく成されているのである。運動の方向に「ずれ」が生じているのだ。前回の論文の最初に紹介した●51「妻の心」(1956)の問題のシーンについても同様である。自転車を引きながら新装開店の薬屋を見つめている小林桂樹の姿を、通りがかった高峰秀子が「窃視」する(27)。これによって夫婦間の問題が「解決」したような雰囲気に満たされるだけであって、実際為された行動は、ただ妻が夫を盗み見しただけに過ぎない。仮にあのシーンを夫婦間の「和解」と捉えるとしても、その運動は妻の高峰秀子による「窃視」が媒介として存在しており、いきなり「面と向った者同士による会話」によって0のものが100となって「解決」したものではない。さらにその後夫婦は見つめ合おうとせず「横並び」の位置を最後まで維持し続けている。●64「女の歴史」(1963)においても同様で、高峰秀子と星由里子の雨の中の「和解」は、その直前に、号泣している高峰秀子を星由里子が「裸の窃視」する、という「ずれ」が存在している(「窃視24)。構図=逆構図による切返しによる見つめ合いや、それに基づく甘い対話による「解決」がメロドラマだとするならば、成瀬映画の「和解」は、明らかにメロドラマ的なものから「ずれ」ている。そして、そうした傾向は●「めし」以降顕著になってゆくのである。では「めし」以前はどうであったか。

まず●「生さぬ仲」(1932)であるが、産みの親の岡田嘉子は育ての親である筑波雪子へ娘を返す事で事件は「解決」している。しかしこの場合、前回も検討したように、この「解決」とは、面と向った者同士の会話によってなされたものではないばかりか、その直前、岡田嘉子が筑波雪子と娘との悲鳴を隣室から「盗み聞き」しているという演出がなされている。岡田嘉子が娘を返すという決意をしたのは、「盗み聞き」という「ずれ」た運動がなされた直後なのだ。サイレント映画でありながら「盗み聞く」という「音」を演出してまで成瀬は「ずれ」に拘っているのである。●7「女優と詩人」(1935)において家主の宇留木浩が、藤原釜足に対して居候を断るという「解決」については、面と向った会話によってなされている。しかしその直後、宇留木浩は妻の千葉早智子と「和解」するのだが、こちらの「和解」についてはその直前、妻の千葉早智子が、それまでは優柔不断であった夫の宇留木浩が、家の主として藤原釜足の居候をきっぱりと断っている横顔を奥の間から「窃視」しているという演出がなされている(「窃視」⑧)。前者の「解決」には「窃視」も「盗み聞き」も不在だが、後者の夫婦の「和解」には、しっかりと「窃視」という「ずれ」が介在しているのである。●8「妻よ薔薇のやうに」(1935)における千葉早智子と英百合子との「和解」においてもまた前回検討したように、二人が面と向った対話によって「和解」をするまえに、千葉早智子による幾つもの「窃視」がなされている(⑤⑥)。●「禍福・後編」(1937)における入江たか子と高田稔・竹久千恵子夫婦との「和解」についてもまた、面と向った会話によってなされているものの、その直前に、逢初夢子に対してみずからの罪を告白している高田稔の声を、廊下から入江たか子が「盗み聞き」している。確かにここでなされている『面と向った会話による「解決」なり「和解」』という現象は、それだけでも成瀬「らしからぬ」出来事ではあるものの、戦前のある時期までの作品には、多くの場合、その影には「窃視」と「盗み聞き」という「ずれ」が介在していたのである。●30分チョイの短編である●「なつかしの顔」(1941)では、農道で泣いている義弟、小高たかしを、義姉の花井蘭子が「言葉で諭す」という「面と向った者同士の会話による解決」が成されている。しかし小高たかしは、夫が出ている戦地の記録映画を花井蘭子が見てきたといって、実はその入場料でおもちゃのヒコーキを自分に買ってくれたのだという優しい嘘を、この時点で既に友達から「間接的に」聞いており、そうした義姉の優しい心を子供心にどう受け取って良いか判らず思わず泣き出してしまったのであって、その状況自体が既に「和解」を遂げているともいえるのであって、少なくとも花井蘭子の言葉だけによってドラマが0100へと突然解決されたのではない。小高たかしが友達から花井蘭子のうそを間接的に聞いた時点ですでに和解度は80くらいにはなっていたのである。●「歌行燈」(1943)において、流しのショバのことで揉めた花柳章太郎と柳永二郎はその後「和解」しているが、そこには花柳章太郎が料理屋の外へ出て歌うことという「ずれ」た運動が介在してなされている。その後の花柳章太郎と養父、大矢市次郎の「和解」についても同じように、面と向った対話によって為されたのではなく、花柳章太郎が育てた山田五十鈴の舞を大矢市次郎が見ることという「ずれ」た運動が挟まれているのである。●「芝居道」(1944)における長谷川一夫と古川緑波の「和解」もまた、長谷川一夫が古川緑波の隠された手紙を見たことが、二人を「和解」へと導く大きな「ずれ」として機能しており、決して面と向った対話によっていきなり「和解」が生じたのではない。「物語を剥ぐ」という運動で紡いで行かれる成瀬映画においては、劇的な「解決」なり「和解」などという出来事はそもそも有り得ず、仮に存在していたとしてもその多くは●「めし」(1951)以前に集中し、さらにそこには「窃視」なり「盗み聞き」という「ずれ」た運動が媒介として挿入されていたのである。

★「ずれ」の喪失

そうした「ずれ」が、次第に生じなくなってくるのが1937年の●「女人哀愁」あたりからである。成瀬映画の「窃視」については、1937年以降も多く生じており、したがって私がここで指摘したいのは「窃視の不在」ではない。多くの場合、物語からの「ずれ」によって映画をつむいで行く成瀬映画において、まったく「ずれ」を生じることなく、いきなり「解決」なり「和解」なりが生じてしまっている作品についてである。そうして見てゆくと、特に★のついた作品において、「ずれ」の不在が顕著になって来ている。

●「女人哀愁」(1937)においては、内的な嫁である入江たか子が、嫁ぎ先での姑や小姑たちのいじめに怒り心頭、面と向った別離宣言によって家を出て、離婚し、自立してしまうし、●「雪崩」(1937)においては、心中に見せかけて妻を殺そうとしていた男が突如改心して、面と向った対話でもって妻と「和解」を遂げている。特にそうした傾向が顕著なのは●「まごゝろ」(1939)における高田稔と村瀬幸子夫婦の「和解」である。それが何故顕著な違和感をもたらすかと言えば、ここでなされた「和解」という出来事が、この一つのシークエスの面と向った対話だけでいきなり生じているからである。「ずれた運動」による伏線がなく、いわば0100へと対話だけで一気に解決してしまっているのである。●「薔薇合戦」(1950)における終盤の若山セツ子と三宅邦子との「和解」についても同様なことがいえる。二人は「ずれ」による伏線も無く、面と向った会話でもって一気に「和解」してしまうのである。1937年前後あたりから、「解決」なり「和解」なりに「ずれ」が生じなくなり、それが●「舞姫」(1951)まで基本的に続いて行く。そして●「めし」(1951)以降になると事態は一変し、「解決」や「和解」における「ずれ」どころか、そもそも「解決」や「和解」そのものが成瀬映画の中から姿を消す。もう一度「めし」以降の作品を思い浮かべて頂きたい。面と向った対話によって達成された劇的な「解決」なり「和解」を我々はイメージできないはずである。

★「めし」(1951)以降の成瀬映画とは

成瀬映画が「人間性質の変化」=「人は変われる」、という思想に関して楽天的であった時期は、1937年前後から1951年の●「舞姫」までであり、林芙美子の「めし」との出会いによって決定的な転機を迎えた。同じようにして、成瀬映画において「解決」なり「和解」なりといったドラマチックな出来事が顕著になってゆくのもまた、1937年前後から●「舞姫」(1951)まであり、●「めし」(1951)以降には「解決」や「和解」というドラマは基本的に姿を消している。●「めし」以降の成瀬映画とは「人は劇的には変わらず、和解もせず、事件もまた解決しない」という映画なのである。これは一見ないないずくしのようでもあり、「解決」の否定、「和解」の否定、「変化」の否定という「否定の映画」のようにも見えてしまう。だがそうすることで「めし」以降の成瀬映画は、安易に人間人格が改変されるドラマチックな物語から一線を引き、人間を、より人間そのものとして見つめる肯定の眼差しを獲得したのである。

戦争中は戦意高揚に見合った結論が要求され、結論は映画にわかり易い善悪の二元性を要求するだろう。左展開した戦後は、主題の濃密化の次代となり、反財閥や労働争議、性の解放、女性の自立といった、社会性の強い作品を要求される時代となる。社会性が要求されるようなると、映画にはメッセージ性が不可欠とされ、それによって映画は「言いたいこと」を台詞にせずには成り立たないようになり、思想的で理屈っぽい映画が数多く作られることになるだろう。そういった傾向は成瀬に限らず、溝口健二の●「女性の勝利」(1946)●「夜の女たち」(1948)●「我が恋は燃えぬ」(1949)といった一連の女性の自立を描いた作品群にも露呈している。戦争、そして傾向映画そのどちらもが映画に「わかりやすさ」を求めた時、「人は劇的には変わらず、和解もせず、事件もまた解決しない」という、物語からの「ずれ」によって映画を紡いで行く成瀬映画は撮る術を失うことになる。こうした閉塞状況の中で成瀬映画が出会ったのが林芙美子の●「めし」(1951)である。「解決」や「和解」という「結論」ではなく、倦怠期の夫婦のさり気ない日常そのものを描いた「めし」の中には、成瀬映画にとっては宝の山とも言うべき細部に彩られている。それによって成瀬映画の画面は再び「内部」へと、画面そのものの力を獲得してゆくことになる。それと同時に主題と視線とが心地よいメロディを奏で始める。「めし」の直後に撮られた●「おかあさん」(1952)と●「稲妻」(1952)における、香川京子と高峰秀子の瞳の成長物語は、まさに「物語」から「反物語」への主題論的移行が、「物語的窃視」から「裸の窃視」への移行となって見事に反映しているのだ。「めし」を契機にして成瀬映画は、「物語映画」から「反物語映画」へと急転回したのである。

★「他者」と「窃視」

映画に「和解」や「解決」が存在しなくなるということは、『面と向った者同士の対話による解決』もまた、存在しなくなることを意味する。どれだけ彼らが対話しようと務めても、事件は一向に解決せず、かえってややこしくなってゆくばかりである。そうした点からして●「めし」(1951)以降の作品は、「他者性」をより強めて行った歴史だといえる。いくら話し合っても「他者」には通じない。そのために、それに代替するコミュニケーションの手段が「めし」以降の作品においてはより強い強度でもって必要となってくる。それが「窃視」という「ずれ」た視線である。「窃視表」を一覧すれば一目瞭然だが、「めし」以降の作品に、「窃視」というコミュニケーション手段が一気に増えてきたのは、映画が「他者性」を強めたからにほかならない。

■Ⅴ「めし」(1951)以降における「和解」と「成長」

68「乱れ雲」(1967)と「和解」

ここでは、「めし」以降の作品の中でも珍しい「和解する映画」としての「乱れ雲」を検討してみたい。この作品では物語の中盤、加山雄三と司葉子との「和解」という出来事が生じている。物語性が希薄になった「めし」移行の作品において、何故ここには「和解」という、ドラマチックな出来事が出現したのだろうか。この作品の前半部分は、司葉子の夫(土屋嘉男)を車で轢いた加害者である加山雄三と、彼を憎みながらも、少しずつ彼の魅力に惹かれてゆく被害者の妻、司葉子との視線の投げ合いによって進んで行く。窃視表をご覧頂きたい。⑩と⑪とのあいだあたりで、加山雄三と司葉子とのあいだに「和解」が生じている。「あたり」と書いたのは、それが●「まごゝろ」(1939)の高田稔と村瀬幸子や●「薔薇合戦」(1950)の若山セツ子と三宅邦子とのあいだの「和解」のような、決定的な出来事ではなく、それまでには数々の伏線が描かれ、幾つかのシークエンスに跨ってゆるやかに為されたものだからである。しかしそれでも成瀬映画において、それまで反目し合っていた者同士が「和解」というわかり易い物語に身を委ねることは、少なくとも●「めし」以降においては極めて希少な現象である。それがこの「乱れ雲」という遺作で突如顔を出しているのは何故か。

★身体の変貌

「乱れ雲」の視線をもう一度良く見てみると、面白いことが見え始めてくる。「和解」以前にはまったく存在しなかった加山雄三から司葉子へ、あるいは司葉子から加山雄三への「窃視」が、「和解」以降、突如はっきりとしたかたちで現われ始めるのである。「和解」以前の加山雄三と司葉子とのあいだに交わされた視線を見てみると、そこには加山雄三から司葉子への、あるいはまた司葉子から加山雄三へと向う方向のはっきりとした「窃視」は、ただの一度も生じていない。右側に◆をつけた「窃視」④と⑥を見てみたい。これらは一見、司葉子から加山雄三に対する「窃視」にも見えるのだが、良く見ると、見られている加山雄三には「集中」の演出がなされていない。それどころか加山雄三は、背後に司葉子の視線を感じ、怯えているのである。④において加山雄三には、玄関で靴をはくことに「集中する」というような、何かに「気をとられる」という演出は一切成されていない。ぴりぴりと張り詰めた緊張感に包まれた葬式の空気は到底、加山雄三が何かに「気をとられる」ような素振りを許すものではなく、それどころか加山雄三の身体をして硬直させ、びくつかせ、「見られること」に対して過敏に鋭敏な身体へと防御させているのだ。加山雄三は、背後の司葉子の視線を感じて振り向くのだが、見られていたことを知ってびっくりすることもなく、逆に見られていたことを予期していたかのように司葉子の視線を受け止めたあと、目を逸らして帰ってしまう。⑥においてもまた、レストランで司葉子に背中を向けて座っている加山雄三は、決して何物にも「集中」していない。ただひたすら、背後に現れるであろう司葉子の視線を、今か今かと怯えた身体でもって受け止めているだけである。成瀬は「窃視」を撮る場合、必ずや「集中」という演出を役者にさせる。「集中」の演出がされていないのは、成瀬がここを「窃視」として撮ろうとしていないことの紛れもない証左である。前半の加山雄三は、司葉子の刺すような冷たい視線に苛まれ続け、決して「集中すること」によって「無防備な身体」となることを許されていないのである。加山雄三は耐えられず、酒の力を借りて、旅館の一室において司葉子にこう言ってしまう『なぜ、いつもそんな目で僕を見るんです!』『あなたのその目がある限り、僕はどこへ行っても赦されません!』。

前半の二人は被害者と加害者という「関係」に支配され、どちらもが相手の視線に対して無防備であることを許さない「防御する身体」として露呈している。加害者の加山雄三は、常に背中に司葉子の視線をヒリヒリと感じ、「見られること」に怯えながら、ただその視線を痛みとして受け止めることしかできず、また被害者の妻である司葉子にしても、流産したあとの病室で、決して「寝顔」を加山雄三に見せることをせず、それどころかすぐに目を覚まして「帰って!」と加山雄三の視線を強く突き返しているように、間違っても「無防備な身体(集中すること)」を、加害者である加山雄三に対して晒そうとはしていないのである。だが少しずつ二人は打ち解けて行き、二人の身体からは、頑なな防御の鎧が剥ぎ取られてゆく。その前兆は、司葉子が酒を飲んで酔っ払った直後になされた⑩の視線に現われている。成瀬はこのシークエンスの始まりを、酔って廊下をふらふらと歩いていく司葉子の後方からのトラッキングによって捉えている。●「めし」(1951)以降、基本的に家屋の中では使われることのなかった大きなトラッキングを成瀬は敢えてここで大胆に使うことで、この作品の中で初めて司葉子の視線に「揺れ」をもたらしている。それまでは、確固たる眼差しによって加山雄三を刺すように見つめ続けていた司葉子の眼差しが、酔うことで「揺れる」のである。司葉子はそのままバーのカウンターにつんのめるように身体を預けてしまい、その司葉子を、同じカウンターの奥の隅から加山雄三が見つめている()。本来これを、はっきりとした「窃視」として撮るのであれば、司葉子を見つめている加山雄三のバストショットあたりへと一度カットを割って寄り、もう一度、今度は加山雄三の主観ショットのような体裁で司葉子へと切り返すような演出をしたはずである。だが成瀬はここではそうしたはっきりとした演出をせず、どちらとも取れるような微妙な演出をしている。この時点の司葉子の身体は未だ防御の鎧を剥ぎ取ってはおらず、かと言って「酔うこと」によってそれまでの完全な「防御する身体」は揺れを生じる。そうした撮られた「窃視」の⑩は、揺れ動く司葉子の身体性を細微な演出で捉えた見事な演出と言えるだろう。酔っている司葉子は加山雄三に絡み、面と向かって罵倒する。この時点での二人のコミュニケーションはあくまでも面と向った対話であり、「窃視」ではない。

幾日か経ったある日、今度は会社の接待で旅館を訪れていた加山雄三が酔っ払い、「揺れた」眼差しでもって司葉子に絡んで行く。『なぜ、いつもそんな目で僕を見るんです!』『あなたのその目がある限り、僕はどこへ行っても赦されません!』。この言葉が加山雄三の口から吐かれたのはこの時点である。こうして二人の強固な身体が少しずつ弛んで行く。酔った加山雄三は旅館にライターを忘れてしまい、それを後日、司葉子が食堂に届けに往く。ここで初めて二人は「和解」を遂げるのである。二人が「和解」を遂げたのは、「酔うこと」によって互いが言いたいことを言い合ったからではない。酔うことを通じて相互の身体が軟化したことにある。この点については、●「乱れる」(1964)のところでもう一度検討してみたい。

さて、酔ったことで忘れられた加山雄三のライターが二人を結び付け、「和解」を遂げた二人の身体はしなやかに解放され、「無防備の身体」のエロスの中へと陥っていく。司葉子が映画の中で初めて加山雄三を「窃視」し()、二人で十和田湖のボートに乗ると、それまでの防御によって疲れきっていた加山雄三の身体を「発熱」というマクガフィンが襲い、加山雄三をしてさらなる「無防備な身体」へと引き込んで行く。するとにわかに「雨」というマクガフィンが降り始め、映画は「不可抗力への密室」へと二人を誘い、熱を出して眠っている加山雄三の「無防備な身体」を司葉子が密かに「窃視」するという、急転直下、見事な映画的振動に包まれて行く()。「裸の窃視」→「密室」→「雨」→「発熱」→「十和田湖」→「和解」という④→③→②→①の見事な逆流が映画をしなやかに揺らしていくのだ。さらに⑪を見てみよう。十和田湖行きのバスの中に入ってきた加山雄三は、座席に座るとパンを食い始める。これがひと目「おかしい」のである。何故わざわざここでパンなるシロモノを食う必要があったのか。そう感じた時、大抵そこには「マクガフィン」が潜んでいる。前半の加山雄三には、決してそのような「気をとられる」という演出を赦されてはいなかった。司葉子の厳しい視線に常に晒され、怯えていた加山雄三には、葬式でもレストランでも、「集中する」という演出を成瀬はしていない。だがここで成瀬はいきなり加山雄三にパンを食わせた。これは完全にマクガフィンである。「和解」によって加山雄三の身体は「無防備な身体」へと変貌した、その身体性を視覚的に露呈させるために、パンは方便として食べられたのである。そしてその直後、司葉子は、パンを食べることに「気をとられている」加山雄三をこっそりと「窃視」するのだ()

★「和解」とマクガフィン

成瀬は、視線と、視線を受け止める身体とを一つの「関係」に例えて映画を撮っている。視線は、ただそれだけのものとして独立してあるのではなく、視線の対象である身体との「関係」によって悉くその意味合いを変化させて行くのである。「乱れ雲」における加山雄三と司葉子の加害者と被害者という「関係」は、相互の「防御する身体」によって反映されている。しかし「防御する身体」は、男と女の「関係」によって少しずつ解体されてゆき、いよいよ二人の身体が「無防備な身体」と化したとき、映画は「見られている事を知らない者」の醸し出す淫らな「無防備な身体」のエロスに包まれ、それをお互いが「盗み見る」ことでラブストーリーとなる。成瀬が、いつもなら当然使って然るべき「窃視」という「ずれ」の演出を、「和解」に至るまで決して使わなかったのは、「和解」前の二人を「防御する身体」として撮り、その身体が少しずつ解体されてゆく過程のエロスを描きたかったからにほかならない。「和解」は、「和解すること」という物語のために必要であったのではなく、「和解」によって二人が打ち解けて行き、次第に「見られている事を知らない者」という「無防備な身体」へと移行してゆくための「方便」として必要とされたのである。●「めし」(1951)以来、絶えて撮ることの無かった「和解」の物語を、「乱れ雲」という遺作において敢えて撮った成瀬のその背景には、紛れも無く『マクガフィン』としての反物語的な思考回路が働いている。「めし」以前には、目的として求められていた「和解」という出来事が、ここではマクガフィンという「手段」として使われているがゆえに、出来事は、分節化されながら一方的に継起してゆく硬直した物語世界から解放され、眼差しや身体を伴ったしなやかな曲線となって綴られて行くのである。

45「あにいもうと」(1953)

「めし」(1951)以降の作品の中で、数少ない「和解すること」の物語を提示した「乱れ雲」は、「防御する身体」から「無防備な身体」への移行を、「和解すること」というマクガフィンが起動させていた。ここでは同じように「めし」移行の作品の中で人物が「成長すること」という、変化を感じることのできる「あにいもうと」について検討して行きたい。「めし」から数えて6本目に撮られたこの作品は、●「稲妻」に続いて大映へと出向して撮られている。この作品は、未だ因習に支配された東京近郊、多摩川べりの或る村において、石職人のあに(森雅之)と、東京で水商売をして行きずりの男(船越英二)の子を身ごもって帰って来た未婚のいもうと(京マチ子)との関係を、次女(久我美子)、母(浦辺粂子)、父(山本礼三郎)を絡めながら、夏から春、そしてまた次の夏にかけて撮られている。

★身体性の変貌

ここで検討するのは京マチ子の身体性である。序盤、夏のある日、多摩川べりの実家に帰って来た京マチ子は、戸が大きく開け放たれ外光の差し込む居間に寝そべりながら、眠っているようにも見える。だが、兄である森雅之がずかずかと家の中に入ってくるや、京マチ子の身体は硬直をはじめ、森雅之の冷たい視線から身を防御しながら、必死に知らないふりを装っている。京マチ子の身体は、森雅之に「窃視」をされてしまうような「無防備な身体」性を晒してはおらず、ひたすら神経質に防御をし、やり過ごそうとする硬直した、「防御する身体」において貫かれている。東京の男とのあいだに子供を身籠って帰って来た京マチ子は、散々森雅之の罵倒を浴び続け、とうとう泣き出して家を出て行ってしまう。

夏が過ぎ、京マチ子は流産をし、春が来て、また夏が来て、ふたたび京マチ子が実家へ帰ってくる。彼女は真っ白な日傘をさし、すれっからしの身のこなしでもって、冷やかして通り過ぎるトラックの労働者たちをからかいながらやり過ごしている。バスを降り、タバコ屋でタバコを買っている京マチ子は、その後ろ姿をうどん屋の女将、本間文子に「窃視」される()。映画の中で、京マチ子が「窃視される」のは、意外や意外、このシーンが初めてである。ここから京マチ子は一気に、⑬⑮⑯⑱⑲2122と、機関銃のように立て続けに「窃視」されてゆく。⑲においては妹の久我美子に『お姉ちゃん、ほんとうに眠ってしまったわ、、』と、言わせしめて、京マチ子の「無防備な身体」を強調させながら、決して「眠ること」の中へと没入することのなかった一度目の夏の神経質な身体との違いを台詞によってはっきりと際立たせている。もはや京マチ子の身体は、一度目の帰省時の、物音ひとつにびくついていた身体ではなく、ちょっとしたスキにでもぐっすりと眠れてしまう大胆さを身に着けていたのである。そうした趣旨は、その後、森雅之が大きな声を出してやってきた時にも、まさにほんとうの眠りから醒めたかのような気だるそうな欠伸をして起き上がる京マチ子の演出にも込められている。ここで京マチ子はひと目も憚らず大きな口を開けておはぎを食い、なんとおはぎの残りがこびりついた箸を一本一本丁寧に舐めはじめるのだ。それを「窃視」した森雅之は愕然とする(2122)。森雅之の驚きは、京マチ子のこの下品な動作それ自体に向けられたものではない。そうではなく、こうした下品な動作を、あられもなく兄の自分に晒した挙げ句に盗み見されてしまう(2122)、娘としての無神経さ=「無防備な身体」そのものへと向けられた怒りなのだ。僅か一年のあいだに妹はこんなに変わってしまった。映画の前半部分においては、喧嘩をしながらも未だ、妹が「防御する身体」を貫いていたことから保たれていたあにいもうとの「関係」が、妹のあられもない「無防備な身体」を「窃視」したとたんに打ち砕かれ(室生犀星の原作には、この二つの「窃視」は存在していない)、二人は映画史上類を見ない大喧嘩へと突入してしまう。言葉で説明する前に、身体と眼差しでもって「関係」の変化を露呈させてしまう、あとは運動あるのみ、それが成瀬巳喜男の方法である。この映画の物語が、香川京子の「成長物語」を綴った●「おかあさん」(1952)と同じように、一年という、長い期間に亘って撮られているのは、しなやかな時間の流れが、京マチ子の「身体性」の変貌=成長を、フィルムに反映させるためにほかならない。

こうした「めし」(1951)以降の一連の「変化もの」作品において忘れてはならないのは、そこにおいて引き起こされた「和解」なり「成長」なりといった出来事を、成瀬は決して言葉や大袈裟な演技によって演出をしているのではなく、視覚的な細部によって現しているという事実である。「乱れ雲」と「あにいもうと」は、「身体性」の変化によって人間同士の「関係」を劇的に変化させ、「おかあさん」と「稲妻」は、「物語的窃視」でしか人を見つめることのできなかった身体=「物語的身体」から「裸の窃視」によって人を見つめることの出来る身体=「反物語的身体」への変貌によって人間の「成長」を現している。成瀬映画において、人間同士の「関係」を左右するのは、言葉ではなく、身体とそれを見つめる視線との微妙なゆらめきなのだ。それは「あにいもうと」の次の作品である●46「晩菊」(1954)にも見出すことができる。ここで杉村春子の憧れの人である上原謙は、「酔うこと」によって醜態=「無防備な身体」を晒してしまい、その一瞬の身体性の変化を捉えて杉村春子に執拗に「負の窃視」をされてしまう(⑪⑬⑭⑮)。それによって上原謙は、翌朝、「防御する身体」に回復したものの、前夜さらした一瞬の「無防備な身体」がアダとなり、杉村春子との「関係」を取り返しのつかないものとしてしまうのだ。「関係」を悪化させたのは「酔うこと」それ自体ではない。「酔うこと」によって生じた「無防備な身体」を眼差しに刻み付けられてしまうことである。酔うことで生じた「無防備な身体」=醜態が、相手の瞳に刻み付けられてはじめて「関係」は、破壊されるのである。

★今井正のリメイク版との差異

のちに同じ水木洋子の脚本でリメイクされた今井正監督の●「あにいもうと」(1976)には、「窃視」を含めて、身体性の変貌について伺えるような演出は一切ない。一度目の夏の秋吉久美子は、熟睡しているところを兄の草刈正雄に叩き起こされるほどの「無防備な身体」を晒しており、二度目の帰省時の秋吉久美子の方はしっかりと眠っていない。「身体性」が成瀬版とは逆になっているのである。前半が「無防備な身体」、後半が「防御する身体」になってしまっている。それについて映画は、今井正が意識的であったようには撮られていない。社会的な映画を好んで撮る今井正の演出は、言葉というメッセージによって結論へと主導することを主としており、過程としての映画的な細部については希薄である。

★関係が変化する

この章では、成瀬映画の「反物語」への移行について、人間の変化や成長と関連づけて検討してきた。そこで顕わになったのは、「めし」以前においては多くの場合、「人間」そのものが変化を遂げることで撮られていた物語が、「めし」以降においては、「関係」の変化に代えられているという事実である。「めし」ならば、最後のシークエンスで、原節子と上原謙とのあいだに何かが変化したような感覚を憶えるが、ここで変化したのは人間ではない。夫婦間の「関係」である。「めし」以降の作品における「変化(和解・成長)」とは、決して「人物の改心」なる劇的なものではなく、「身体性」の変貌がそれを見つめる視線を通じてもたらされるゆるやかな「関係」の変化にほかならない。成瀬映画における「物語映画」から「反物語」への歴史とは、「人間」の変化から「関係」の変化への歴史であったといえる。「防御する身体」によって相手を拒み続ける「加害者と被害者の関係」は、「和解」という出来事によって「無防備な身体」へと変貌し、男と女の関係へと軟化して行く(●「乱れ雲」)。人々の眼差しは、数々の「関係」を積み重ねた身体によって、「物語的窃視」から「裸の窃視」へと変化して行く(●「おかあさん」●「稲妻」)。妹の身体が「防御する身体」から「無防備な身体」へと軟化したとき、あにといもうととの「関係」は、決定的な亀裂を生じてしまう(●「あにいもうと」)。すべては「身体」と「眼差し」との「関係」として撮られている。その「関係」を抉り出すものこそ「窃視」という、眼差しの態様なのだ。「窃視」は、そのものに絶対的、孤立的な意味があるのではなく、眼差しと身体との相対的な「関係」によってその都度変化をしている。従ってまた「窃視」は、見ることと見られることとの「関係」において、千差万別、あらゆる差異に満ち溢れているということになる。「物語的窃視」から「裸の窃視」へ、「防御する身体」から「無防備な身体」へ、良好な関係とそうでない関係、見つめる人と見つめられる人、あらゆる関係を、成瀬映画の視線は駆け巡っているのである。

第三章

Ⅰ身体と法則

41「おかあさん」(1952)

もう一度「おかあさん」の「窃視」を見てみたい。ここで「窃視」をしている人間は、母である田中絹代と長女の香川京子に大きく分けることができる。田中絹代は全部で7回「窃視」をし、香川京子は12回「窃視」をしている。だがそこに大きな違いがある。田中絹代が8回「窃視」をされているのに対し、香川京子はただの一回も「窃視」をされていないという事実である。ここでの香川京子は、「見つめる身体=「防御する身体」」において貫かれており、決して「見つめられる身体」としては撮られていない。ここで香川京子が「見つめる身体」としてあることは、香川京子という思春期の娘の独立した特性のみならず、献身的な母や妹、そして他の人々との「関係」によるのである。そこに見つめるに足る人々がいた時、一人の娘は彼らを「対象」としてではなく「関係」として在ろうとするのだ。

私は多くの成瀬映画の「窃視」を見ていって、時にそれを紙に書いて羅列し、鳥瞰するように眺めて見たのだが、余りにも細かい部分に拘りが見えてきて驚愕する、ということを何度も繰り返してきた。すべてを計算してやっている、とまで言い切ることはできないが、「めし」以降の成瀬の「窃視」は明らかにその「関係」においてある種の性向に支配されている。もっと大胆に言うならば、「法則」のようなものが見えてくるのである。ただ「窃視」を独立してするのではなく、誰が「窃視」をし、誰が「窃視」をしないのか、あるいは誰が「窃視」をされ、誰が「窃視」をされないかについて、その「関係」についてのある種の「法則」のようなものが存在するのである。

★岡田英次の眼差し

「おかあさん」には、香川京子が「窃視された」のではないかと思われる場面が三箇所ある。一つ目は露天の床机に岡田英次と並んで座り、岡田英次の小説の朗読にうっとりと恍惚に浸っている香川京子を横の岡田がさっと見るシーンである。そして二つ目は、ピクニックへ行くバスの中で、嬉しそうに窓の外を見ている香川京子を横に座っている岡田英次が見つめるシーンである。だがこれら二つの岡田英二はすぐに香川京子から目を逸らしてしまい、香川京子をしっかりと見つめていない。そのどちらにおいても、香川京子は「集中すること」によって「無防備な身体」を晒しているにも拘らずである。⑩においては香川京子が岡田英次をはっきりと見つめているのとは対照的に、岡田英次から香川京子へと向けられた眼差しは明らかに弱いのである。さらにもう一つは「窃視⑬」のあと、岡田英二のパン屋の店の中に、怒って入ってきた香川京子を岡田英次が見つめるシーンである。だが、成瀬映画において「怒ること」とは、のちに●「鶴八鶴次郎」(1938)で詳しく検討するように、決して「集中すること」ではなく、「しらばっくれること」であり、「無視すること」にほかならない。ここで香川京子は、岡田英次の存在を知りながら無視しているのであり、「見られている事を知らない者」としての「集中」と言うには甚だ不十分な状態にいるのである。私は最初、どうして成瀬は主観のショットを使ったりしながら岡田英次に香川京子をはっきりと「窃視」させないのかと、疑問に感じていた。この作品の中で二人は、恋人とは行かないまでも、その一歩手前のような関係にあるのだから、岡田英次から香川京子へと向けられた「窃視」、特に「裸の窃視」があっても良いのではないか、という疑問である。それにも拘らず、岡田英次から香川京子へと向けられた眼差しは、香川京子のそれに比べて明らかに弱く演出されている。④⑩⑳「22」「23」の香川京子は、「じっと見入っている」のに対して、岡田英次はちっとも「見入って」はいないのだ。だが他の多くの作品の「窃視」を見ていって、もう一度この作品の岡田英次の視線を見てみると、その弱さは、意図的に演出されていたのだということが見えてくる。ここでは『香川京子が岡田英次に「裸の窃視」をされていない』、という事実が、非常に重要な意味を持つのである。成瀬はこの映画を「ラブストーリー」として撮ってはいないのだ。それについては後述する。

42「稲妻」(1952)

「稲妻」をもう一度見てみたい。ここで、高峰秀子は12回「窃視」をし、僅か2回しか「窃視」されていない。その2回はすべて「物語的窃視」か「負の窃視」であることからしても(⑨⑪)、この作品は、誰かが高峰秀子を見つめる映画ではなく、高峰秀子が回りの人物たちをひたすら見つめて行く映画であることが見えてくる。そうした点においてこの「稲妻」は、「防御する身体」という身体性においても「おかあさん」と通底している。高峰秀子の身体はひたすら、見られることを「防御」しているのである。

こうして見てゆくと、●「おかあさん」(1952)と●「稲妻」(1952)という、「めし」以降の「典型的な」二つの作品には、物語と眼差しの観点からは、「物語的窃視」をできるに過ぎない「物語的身体」から、「裸の窃視」をなしうる「反物語的身体」への変貌が、さらに「窃視をされるか否か」という観点からは、決して「窃視」をされない「防御する身体」が見出されたことになる。

1「腰弁頑張れ」(1931)

では、このような「無防備な身体」や、「物語的身体」から「反物語的身体」への変貌の起源はどこに求められるだろうか。ここでもう一度「腰弁頑張れ」を見てみたい。ここで成された9つの「窃視」のうち、8つが主人公のサラリーマン、宇留木浩によって為されている。その多くの「窃視」は、「物語的窃視」ではあるものの、映画の中で誰が「見つめる主体」なのかは、はっきりしている。

2「生さぬ仲」(1932)

猪飼助太郎の照明設計が素晴らしい「生さぬ仲」は、ブルジョアの家庭に後妻として入り、前妻の産んた娘(小島寿子)を育てている内的な妻、筑波雪子が、アメリカ帰りの女優で生みの親、岡田嘉子に娘をさらわれてしまう、という物語である。実に多くの「窃視」が存在し、また、見つめていた者たちが「窃視」をしたあと、目を伏せる、という成瀬「らしい」演出が、早くもこの時点で随所に見られている。人物が立ち上がる瞬間キャメラを大きく窓の外へ引くカッティング・イン・アクション、内的な女が「通風性」に翻弄されるという成瀬的主題、そして引っ越した小川べりの小さな家の「紙」のような装置によって作られた縁側から入って来る人々、など、●「めし」(1951)以降の成瀬映画の雛形のようなものが、既に現存する二番目のこの作品で垣間見られている。ちなみに子役の小島寿子という少女の顔つきは、●「おかあさん」(1952)の子役、チャコと良く似ている。年代からして両者が同一人物であるということは考えられず、したがって別人と考えるしかないのだが、成瀬の映画に出てくる女の子は、●「春のめざめ」(1947)で久我美子の妹を演じた女の子にしても、この小島寿子にしても、みな同じ顔をしている。よく見つけてくるものである。

さて、「窃視」であるが、ここでは主人公の筑波雪子が7回「窃視」をしているものの、他にも岡田嘉子6回、姑の葛城文子4回と、●「おかあさん」(1952)や「稲妻」(1952)と比べると、見つめる主体に統一性を欠いており「めし」以降に見られる眼差しと身体との関係を、ここに見出すことはできない。

3「君と別れて」(1933)

★「裸の窃視」をなしうる身体

「窃視」という演出が、初めて「身体性」と関連し始めたのは●「君と別れて」においてである。そこではさきに指摘した③の見事な「裸の窃視」を含めて水久保澄子が9回も「窃視」をしていながら、ただの一度も「窃視」されてはいない。「見つめる身体」としての水久保澄子の趣旨が貫徹されているのである。逆に言うならば、この「見つめる身体」とは、「無防備な身体」とは正反対の身体性であり、ひたすら見つめ続けるところの孤独な身体であるとも言える。それは「君と別れて」の磯野秋雄のような、母の苦労も知らずに不良になってしまうような人物には決して許されることのない、強い瞳を持つ身体のみに許された眼差しであるだろう。磯野秋雄は⑫においても、また水久保澄子の病室においても、眠っている女たちを「窃視」するチャンスはいくらでも有りながら、ソッポを向いてしまっていて決して「窃視」をしていない。させてもらえないというべきだろう。「窃視」、特に「裸の窃視」をするに値する身体とは「見るに値する身体」に限られるのである。●「めし」以降で言うならば、●「稲妻」(1952)の小沢栄太郎、●「あにいもうと」(1953)の森雅之、●「山の音」(1954)の上原謙、●「女が階段を上る時」(1960)の森雅之、●「妻として女として」(1961)の主人公たち、●「女の座」(1962)の金にうるさい兄弟姉妹たちなど、我々の印象に残る「共感の持てない人物」は、決して「裸の窃視」をさせてもらえない身体として撮られている。「めし」以降、脇役の主役とも言うべき地位を飾り続けた中北千枝子ですら、●35「白い野獣」(1950)における「裸の窃視」以来()、ただの一度たりとも「裸の窃視」をしていないのである。役柄からして当然とはいえ、そうした点については、はっきりと区別して演出されている。しかし60年代になると、そうした「法則」も少しずつほころびを見せ始め、●62「女の座」(1962)の宝田明と()草笛光子()、●63「放浪記」(1962)では、端役の女給が「裸の窃視」をする資格を与えられており()、そうした点からも60年代の「後退」の議論が出ては来るものの、50年代の「めし」以降「杏っ子」(1958)までの16作品に限るならば、そうした場面は一箇所も存在しない。オールスター映画の●52「流れる」(1956)においても、「裸の窃視」をなしうる資格を与えられているのは、数あるスターの中でも田中絹代、高峰秀子の二人に限られているのである。成瀬映画において「窃視」をなしうること、特に「裸の窃視」をなしうるには、それを成しうるに足りる「身体性」が要求されるのだ。

★断絶

話は逸れるが、重要なので、ここで「君と別れて」の「窃視」⑤を見ておきたい。そこでは、橋の上で、「私のことを息子に話してね」と頼んだあと去ってゆく吉川満子の背中を、水久保澄子が「窃視」している。時間空間の「断絶」については●「朝の並木道」(1936)において再度検討するが、水久保澄子と別れを告げたあと、橋の上を二人で同じ方向へ歩いていって、そのまままっすぐ道を歩いて行く吉川満子は、水久保澄子が道を右へ曲がると思っている。ところが水久保澄子は急に立ち止まって吉川満子の後ろ姿を見つめている。すると、水久保澄子が右へ曲がると思っている吉川満子は、精神の内部において空間的な「ずれ」を生じており、「見られている事を知らない者」となっているはずである。従ってこれは「窃視」ということになる。後年成瀬は、「乙女ごヽろ三人姉妹」(1935)「朝の並木道」(1936)「鶴八鶴次郎」(1938)「あらくれ」(1957)などにおいて、同じように時間空間の「断絶」を生じさせる事で「見られている事を知らない者」を創設するという演出を反復しているが、この⑤は、その萌芽的なものといえる。

■Ⅱ千葉早智子と「防御する身体」

8「妻よ薔薇のやうに」(1935)

Ⅰにおいては、「見つめること」には、それに値する身体性が求められることを検討したが、ここで30年代成瀬映画のヒロインを演じ続け、のちに成瀬巳喜男の妻となる女優、千葉早智子の「身体性」について検討をしてみたい。日本のトーキー映画としては初めて海外で公開された映画である「妻よ薔薇のやうに」は、母(伊藤智子)と娘(千葉早智子)を棄てて信州で愛人(英百合子)と暮らしている父、丸山定夫を、娘の千葉早智子が単身、連れ戻しに行く、という物語である。

9つの「窃視」のうち、6つが千葉早智子の瞳によってなされている。その内の⑤⑥⑦は「裸の窃視」であり、特に⑤と⑥とについては前回の論文で詳細に検討を加えた極めて叙情的な「裸の窃視」である。「身体性」について見てみると、千葉早智子はみずから6回「窃視」をしているものの、一度しか「窃視」をされていない。加えてその一度である④については、千葉早智子の「集中」が弱く「窃視」としてはやや弱く撮られていることからしても、この作品は、千葉早智子が「見つめる映画」として撮られていることが伺える。

★瞳の成長物語

それまで「物語的窃視」をしていた千葉早智子が、信州にいる父、丸山定夫と妾の英百合子に会ってから以降、⑤⑥⑦と一気に「裸の窃視」をし始めるというあり方は、●「君と別れて」(1933)の水久保澄子とは違っている。「君と別れて」の水久保澄子の場合、映画開始当初から既に「裸の窃視」をなしうるだけの強い「身体性」を有していたのに対して、「妻よ薔薇のやうに」の千葉早智子は、それまでは不信感を抱いていた父とその妾に対して、信州行き、という「経験」によって初めて「裸の窃視」をなしうる「反物語的身体」を獲得しているのである。こうした「身体性」の変貌というものは、●「おかあさん」(1952)や●「稲妻」(1952)における、「瞳の成長物語」=「物語的身体」から「反物語的身体」への転回と通底している。

10「噂の娘」(1935)

続けて千葉早智子主演作を見てみたい。この作品は、経営の傾きかけた下町の造り酒屋における生活を、主人(橘橋公)と二人の娘(千葉早智子と梅園龍子)、祖父(汐見洋)、そして主人の妾(伊藤智子)の出来事を絡めて撮られた秋の映画である。二年後に成瀬と結婚する千葉早智子に対するクローズアップだけが「過剰」気味に撮られている(物語の文脈からして、不要なほど美しく撮れている、ということ)

ここでもまた10箇所の「窃視」のうち、7つが千葉早智子によってなされている。ここで注目すべきは、●「妻よ薔薇のやうに」(1935)とこの作品を通じて、千葉早智子は一度しか「窃視」されていないという事実である。千葉早智子はひたすら「見つめる身体」として「窃視」し続けている。そこには決して「見つめ、見つめ返される」という関係は露呈してはいない。この千葉早智子の「身体」は、難なく「集中すること」に身を投じてしまう事で無防備さを曝け出し「見られている事を知らない者」となってしまう「無防備な身体」ではない。ひたすら孤独に、あるいは注意深く見つめ続けることで、見つめられている者たちの「ほんとう」を抉り出してしまうような強い身体なのである。したがってそれはメロドラマやラブストーリーに適した身体ではないだろう。常に緊張しながら周囲を眼差し、決して「無防備な身体」に陥ることの無い千葉早智子の「防御する身体」は、男女関係のエロスの中へは決して落ち込むことの無い観察者としての硬質の身体だからである。

13「朝の並木道」(1936)

「防御する身体」としての主人公が露呈している作品として、同じく千葉早智子の「朝の並木道」がある。田舎娘の千葉早智子が、親友のオフィスガール、赤木蘭子を頼って上京したところ、赤木蘭子もまた就職難でオフィスガールの仕事にありつけずに女給をしていることが判明し、千葉早智子も結局、赤木蘭子が働く酒場の女給となり、そこで出会った客のサラリーマン、大川平八郎と恋に落ちるという物語である。翌年成瀬と結婚する千葉早智子が主演するこの作品は、●「噂の娘」(1935)同様、ロケーションを含めて千葉早智子に対してだけ特権的とも言うべき素晴らしい光が当てられている。

「窃視」を並べてみると、『ルポ!田舎娘は見た、都会の風俗!』といった感じの映画である。主人公の千葉早智子がまずもって東京の大きなビル街を主観ショットで見回しながら、酔っ払いや子供の物売り、女給たちといった都会の風俗というものを徹底的に「窃視」する (②④⑤⑧⑩等)。そうした過程で千葉早智子は、客の大川平八郎に対してほのかな恋愛感情を生じ、酔って帰ってゆく大川平八郎の後ろ姿をそれとなく「裸の窃視」をしている(⑨⑱)。こうして見てゆくとこの作品もまた、千葉早智子の「防御する身体」としての関係性を撮ったものだと見られる。確かに大川平八郎からの「窃視」も存在するが、しかし大川平八郎からの視線については実に微妙に撮られており、その点については「ラブストーリー」の起源のところで改めて検討することにしたい。

★千葉早智子三部作と「瞳の成長物語」

こうして千葉早智子の三作には、「防御する身体」の萌芽をしっかりと見る事ができる。さらにまた●「妻よ薔薇のやうに」においては、はっきりとした形ではないものの、千葉早智子の「瞳の成長物語」を見る事ができ、さらにまたこの「朝の並木道」においてもまた、東京へ出て来た田舎娘の千葉早智子が、初めて大川平八郎の背中を「裸の窃視」していることから(⑨⑱)、これもまた「経験」による「瞳の成長物語」=「物語的身体」から「反物語的身体」への変貌=の萌芽のようなものとして見ることも可能だろう。「めし」以降の、「おかあさん」(1952)や「稲妻」(1952)におけるあの洗練された「無防備な身体」や「瞳の成長物語」の描写の原型を、成瀬と連れ添った女優である千葉早智子の、30年代の初々しい作品群に見出すことができるというのは、何にも代えがたい感動である。

★空間の「ずれ」と時間の「ずれ」

ここで⑨と⑱の「窃視」について検討してみたい。まず⑱である。これは、ラストシーンで、路地の陰へと消えて行った大川平八郎の後ろ姿を、一歩、二歩、前へと踏み出しながら千葉早智子が「窃視」するという「裸の窃視」である。ここで大川平八郎の立場になって考えてみよう。仮に大川平八郎が、路地で千葉早智子と別れて去って行くとする。背中を向けて去って行くとしても、男の心情として、千葉早智子はなお自分の背中を見つめていると考えるのが普通だろう。仮に事実はどうであれ、主観的にはそう思っているはずである。したがって、この場合、仮に千葉早智子が去ってゆく大川平八郎の後ろ姿を見つめ続けていたとしても、それだけでは「窃視」は成立しない。大川平八郎は「見られている事を知っている者」だからである。だが大川平八郎がその後、路地を曲がったとしたらどうだろう。それでもなおかつ千葉早智子が自分の後ろ姿を見つめるために、路地を曲がってついてくると考える者は、よっぽどの自信家でありナルシストである。バカとも言える。路地を曲がった時点で大川平八郎は「見られている事を知らない者」となると考えるのが一般常識である。路地を曲がることで空間が「断絶」することになり、大川平八郎には精神的にも「断絶=ずれ」が生じ、「見られている事を知らない者」となる。そこで大川平八郎の後ろ姿を千葉早智子が「窃視」するためには、大川平八郎の「精神的なずれ」をそのままにして、空間の「断絶」だけを埋める必要がある。この⑱のシーンの千葉早智子を見てみよう。千葉早智子は「一、二歩、前へと踏み出す」という運動を遂行している。一、二歩、前に出る事で、見えなかったものが見えるようになる。「空間の遮断」が埋められたのだ。大川平八郎は、千葉早智子の視界から消えた時点で「見られている事を知らない者」となっている。それによって「断絶」した空間を、千葉早智子は敢えて「一、二歩、前に出る」ことで埋め直し、「見られている事を知らない者」としての「精神的断絶」を維持している大川平八郎の後ろ姿を、じっと見つめたのである。成瀬の演出は信じられないほど細かい。このシーンは明らかに趣旨として「窃視」として撮られているのである。

⑨は少し違っている。⑨は、しばらく会話をしたあと、酔って橋の上を歩いて帰ってゆく大川平八郎の後ろ姿を、千葉早智子が見つめるというものである。ここで大川平八郎は、路地を曲がるでもなく、千葉早智子の見ている視線の前をそのまま真っ直ぐに歩き去っており、「空間の断絶」は生じていない。従って、そのまま千葉早智子がその後ろ姿を見つめたとしても、それだけでは「窃視」にはならないはずである。「窃視」になるためには、空間のほかの何かを「断絶」させる必要がある。ここでもう一度、大川平八郎の気持ちになって考えてみよう。彼は今度は、路地を曲がることなく、自分を見送っていると思われる女の視界の中を、そのまま背中に感じて歩き去っている。すると大部分の男たちは、10秒くらいは女が自分の背中を見つめ続けてくれていると思いたいだろう。男たちが草食化し、女たちが肉食化した現代においては、それは余りに無理な夢想であったとしても、この映画が撮られた1935年あたりならば、それはまだまっとうな男心として通じたはずである。だが仮に30秒ならどうだろう。いくらなんでも、日本の男たちはそこまで馬鹿ではあるまい。そんな娘は仮に昭和初期段階であれ、とうの昔に化石になって固まってしまっていることくらいみんなが知っていたはずである。従って映画を撮る人間としては、その「30秒」を、「映画的な」演出によって作出すればよいのである。ここで千葉早智子はどうしたかというと、まず一度、大川平八郎とは反対の方向へと歩き出してから、振り向き、大川平八郎の後ろ姿をもう一度見つめ直している。千葉早智子が反対方向へと歩き出した時点で、今度は空間ではなく、時間に「断絶」が生じることになる。「30秒」を、映画的に短縮して見せたのがこの「反対方向へと歩いてゆく」という演出である。それによって流石の大川平八郎も、精神的に=映画的に「見られている事を知らない者」となる。そのあと千葉早智子が「振り向くこと」によって、大川平八郎の「精神的なずれ」をそのままにして、時間の「断絶」だけが埋められる。それを見つめた千葉早智子の眼差しは「窃視」となるのである。すべては「見られている事を知らない者」を映画的に作出するためのマクガフィンをどうするか、という演出の問題に還元できるのであり、空間の場合「装置のずれ」がマクガフィンとなり、それによって人物たちは「窃視」→「見られている事を知らない者」→「曲がった装置」という逆流のマクガフィンの中へと突入していく。それと同じように、時間の場合は装置ではなく、役者の運動そのものが「ずれ」となり、マクガフィンとなる。この「窃視」⑨の場合。千葉早智子の「反対方向に向く」という運動そのものが「時間的なずれ」となり、見られている大川平八郎を「見られている事を知らない者」へと変貌させるばかりか、見ている我々をしても同様に、大川平八郎が「見られている事を知らない者」へと変貌したと感じさせるに足るマクガフィン足りえているのである。あと千葉早智子は、振り向いて大川平八郎の後ろ姿を見つめさえすれば、少なくとも「映画的には」、「窃視」が成立するのである。映画が「映画的である」とは、ひとつにはこういうことである。さらにここで千葉早智子は念入りに、一度、目を伏せて時間的な「断絶」を殊更強調してから、もう一度大川平八郎の後ろ姿を見つめている。「窃視」として撮られていることが強調されているのである。加えてまた大川平八郎が「酔っている」という事実も、「30秒」を短縮する出来事としてここに加味されるべきだろう。

こうした演出は既に検討した●68「乱れ雲」(1967)の「窃視」⑭でも見られている。加山雄三と「和解」した司葉子は、その後、緑と風に囲まれた森林の中で加山雄三と接吻を交わすが、すぐに喧嘩別れをしてしまう。加山雄三は司葉子に背を向け、山道を走り去って行くのだが、その山道が、やや右方向へ「ずれ」ている。従って走り去った加山雄三の姿は司葉子からは「死角」となり、見えなくなるのだ。それによって空間の「断絶」が生じ、加山雄三は精神的にも「ずれ」を生じ「見られている事を知らない者」となる。だが次の瞬間、司葉子は一歩左へと踏み出す。司葉子はみずからの一歩で空間的な「断絶(ずれ)」を埋めてから、加山雄三の後ろ姿を見つめ(窃視)、そして泣き崩れるのである。何気なく見ていたのでは気がつかない演出だが、何度か他の作品の同じような「断絶」の演出を見てからもう一度この「乱れ雲」の装置の「ずれ」を見てみると、はっきりと意図的にずらしていることが分かる。これは●「朝の並木道」(1936)のラストシーンの自己反復にほかならない。この山道は、「窃視」を生じさせるために右へとカーブしているのである。装置・美術そのものがマクガフィンとして機能していることは既に我々は「通風性」の箇所で検討をしている。成瀬がいかに「ずれ」とその「修正」によって映画を撮っているかの紛れもない証左が、千葉早智子と司葉子の「踏み出すこと」という運動に露呈しているのだ。内気な娘たちが振り向いたり、一歩を踏み出したとき、それを単なる気まぐれと看過してはならない。そこには、人と人との「関係」を欲望する大いなるエロスがうごめいているのである。遺作である「乱れ雲」(1967)の司葉子の一歩には、成瀬の別れた妻、千葉早智子の踏み出した、30年前の「一歩」への想いが重ねられているのだ。

6「乙女ごヽろ三人姉妹」(1935)

こうして『千葉早智子三部作』に見出される「見つめる女」としての「防御する身体」がはっきりとした演出でもって最初に成瀬映画に登場したのは、千葉早智子の三作に先立つこの「乙女ごヽろ三人姉妹」である。浅草で、門づけ芸人として三味線を弾きながら繁華街を渡り歩く女たちを描いた冬の映画である「乙女ごヽろ三人姉妹」は、成瀬巳喜男が松竹からPCL(のちの東宝)へと移籍した後の最初の作品であり、成瀬巳喜男の初めてのトーキー作品である。『小津は二人要らない』と松竹の城戸四郎に言われたことがきっかけで成瀬は松竹を出た、という話が有名であるが、成瀬自身の『トーキーを早く撮りたかったから』、という談話が示すように、トーキー設備の充実しているPCLという、音のプロの会社へ移転してトーキーを撮りたかったというのがどうやら本当のところであるらしい。実際にこの映画を見てみても、成瀬巳喜男の音に対する好奇心と拘りがはっきりと見て取れる。同時にこの映画は、サイレント映画で発展していた視線に基づく主題の露呈の傾向が、果たして音という要素の加入によって「後退」したのか否かという点を含めて非常に重要となる。

★「ずれ」とトーキー

『これあげよう』、と、鼻緒が切れて往生している堤真佐子に、通りがかりの大川平八郎が白いハンカチを差し出したとき、そのセリフが、成瀬巳喜男のトーキー映画における最初のセリフとなる。加えてその『これあげよう』という大川平八郎の鼻にかかったようなあの独特の声は、画面の外から聞こえてくる。これに感動せずにいられようか。成瀬のトーキー最初のセリフの音声は、「ずれ」ているのである。成瀬の映画は、スタッフが変わり、会社が変わり、サイレントからトーキーへと時代が変化しても、常に「ずれ」を基調に撮られているのだ。それは●「半魚人の逆襲」(1954)でスクリーンデビューしたクリント・イーストウッドの最初のショットが、画面の外から聞こえてくる、あの独特の「声」であった映画的な記憶と通底している。第一のショットが運命を決するかのようにして、イーストウッドは今になってもなお「ずれ」た映画を撮り続けているのである(詳しくは「グラン・トリノ」の批評を見よ)

成瀬はトーキーになったからといって、決して視覚的な細部をおろそかにしてはいない。それどころか実に20回前後もの「窃視」を駆使しながら、視線と身体との「関係」を露呈させているのである。「窃視」の中で、13回が堤真佐子の「窃視」であり、その堤真佐子はただの一度たりとも「窃視」をされてはいないことからして、この映画はひたすら「防御する身体」としての「堤真佐子は見た、、」の映画として撮られている。堤真佐子は妹、梅園龍子とその恋人、大川平八郎との仲を取り持ち、母にいじめられる門づけの娘たちを励まし見つめ続けながら、最後は駅の待合室で密かにひとりで消えて行くという孤独な運命を全うしている。その身体は、愛する男の前で無防備と化してしまうようなエロス的身体ではない。切なく、孤独でありながら、大人の愛を秘めた聖なる女の身体である。

★空間の「ずれ」と時間の「ずれ」

その堤真佐子がほのかな欲望をのぞかせたのが①の「窃視」である。そこで堤真佐子は、鼻緒が切れた自分に『これあげよう!』と白いハンカチを差し出してくれた大川平八郎が立ち去って行く後ろ姿をじっと見つめている。それまで一緒にいた人間が立ち去った時、その背中を「窃視」したといえるためには●「朝の並木道」(1936)で検討したように「断絶」が生じている必要がある。ここで成瀬は、大川平八郎をして、堤真佐子の顔の向きとは反対の方向へと立ち去らせている。「朝の並木道」の「窃視」⑨の大川平八郎が、千葉早智子の見ている視線の前をそのまま真っ直ぐに歩き去って行ったのに対して、この作品の大川平八郎は、堤真佐子の視線とは逆方向へと歩き出している。大川平八郎の進んで行った空間は、堤真佐子の視線の範囲には属さない空間であることからして、その時点で空間的な「断絶」が生じ、大川平八郎は精神的に「見られている事を知らない者」となるのである。その空間的な「断絶」を、堤真佐子は「振り向くこと」で修復し、精神的には未だ「見られている事を知らない者」である大川平八郎の後ろ姿をこっそりと「窃視」している。実に簡単でありながら、抒情に満ち溢れた映画的な演出である。堤真佐子の「裸の窃視」は①④⑪⑬などに見られるが、異性の対象に向けられたものはこの①しか存在しない。ひたすら献身的な娘として描かれた堤真佐子が、ただ一度だけ「窃視」を、それも「裸の窃視」をした対象は、妹の恋人である大川平八郎なのである。そして堤真佐子はこの二人の幸せのために身を投げ打つことになる。

⑫は、埠頭で弁当を食べている堤真佐子の元へ見知らぬ男がやってきて、写真を撮らせて下さいというシーンである。堤真佐子は一生懸命ポーズをとって写真のモデルになり、男は礼を言って立ち去る。堤真佐子は、懐から手鏡を取り出し、自分のほっぺたにご飯粒がついていたことを発見し、慌てて、立ち去った男の後ろ姿を見つめて(窃視)、自嘲気味に微笑む、というシーンである。男は●13「朝の並木道」の「窃視」⑨の大川平八郎のように、堤真佐子の視線の中を立ち去っており、装置としての「ずれ」は生じていないので、男が「見られている事を知らない者」となるためには、時間的な「断絶」が必要となってくる。ここで堤真佐子は『懐から手鏡を取り出し、自分のほっぺたにご飯粒がついていたことを発見し、慌てて、立ち去った男の後ろ姿を見つめて』という運動によって時間的な「断絶」を演出している。事実、堤真佐子が男の方向を見つめた時、男は随分と遠くまで歩き去っており、余所見をしながら、堤真佐子にはまったく気をとられていないように歩いている。

★「防御する身体」は独立した身体ではない

成瀬にとって、初めてのトーキー映画として撮られたこの作品は、成瀬映画に「防御する身体」という、決定的な「関係性」をもたらした最初の映画である。確かにその萌芽はサイレント映画の●「君と別れて」(1933)に既に現われてはいたものの、はっきりとした趣旨として感じられる最初の作品はこの映画であり、このあと成瀬は、将来の妻、千葉早智子によって●「妻よ薔薇のやうに」(1935)●「噂の娘」(1935)●「朝の並木道」(1936)という『防御する身体三部作』を撮ることになる。「防御する身体」とは、常に緊張しながら周囲を眼差し、決して「無防備な身体」に陥ることの無い硬質の身体であり、男女関係のエロスの中へは決して落ち込むことの無い観察者としての身体である。だがそれは、決して独立した主体としての身体ではない。それはあくまで「他者」との「関係」において初めてその都度形づくられるところの身体である。この作品の堤真佐子が「防御する身体」として振舞い続けているのは、彼女が決して誰にも「窃視」をされていないという事実からではない。それはあくまでも結果に過ぎない。堤真佐子が「防御する身体」を貫いているのは、彼女が「防御する身体」を貫いて行かなければならない「関係」があるからである。その「関係」こそが、映画に葛藤を与え、エモーションを発散している。堤真佐子は、他の門付けの娘たちの姉貴分であり、相談相手として、意地の悪い母親から彼女たちを守り、さらには妹の梅園龍子どころか姉の細川ちか子の自立までもを援助している。それが「関係」であり、その「関係」が、堤真佐子をして「防御する身体」たらしめるのである。

68「乱れ雲」(1967)、ふたたび

ここで再び「乱れ雲」における「窃視」を検討する。ここまでの検討によって成瀬映画は、映画の主題によってそれぞれの主人公に異なる身体を想定していることが見えてきた。それが視覚的にはっきりと露呈している作品こそ、この「乱れ雲」であり、この作品においては主人公の身体が前半の「防御する身体」から、後半の「無防備な身体」へと変化している。そのために「和解すること」というマクガフィンが必要であった。成瀬は映画中盤で二人を「和解」させることによって、それまでは頑ななまでに「見られること」を拒絶していた身体をしなやかに「油断」というエロスの中へと放り込み「無防備な身体」へと移行させているのである。そうした「無防備な身体」を、男と女が交互に「窃視」し始めた時、映画は極上のエロスに包まる。「乱れ雲」の、加山雄三と司葉子とが「和解」したあとの視線をもう一度見てみよう。

  十和田湖行きのバスの中で、前の方の座席に座ってパンを食べている加山雄三の後ろ姿を、後部座席に座っている司葉子が「窃視」する。「裸の窃視」★

  熱を出して旅館で眠っている加山雄三の寝顔を、看病をしている司葉子が「窃視」する。「裸の窃視」★

  山菜取りをしている司葉子を、背後から加山雄三が「窃視」する。「裸の窃視」★

  その後、去って行く加山雄三の背中を、司葉子が「窃視」する。100。「裸の窃視」と「物語的窃視」との中間くらい

最後の⑭は「加山雄三が怒って去ってしまった」という物語にかかっているとしても、他のすべては「裸の窃視」であり、「パンを食べている加山雄三」「眠っている加山雄三」「山菜取りをしている司葉子」という、極めて意味を剥ぎ取られたナマの姿がまじまじと「窃視」されている。さらにそれらは、どちらか一方的にではなく、相互になされている。⑪⑫⑭では司葉子が加山雄三を「窃視」し、⑬においては逆に加山雄三が司葉子を「窃視」している。一人でなく、お互いの身体が共に「無防備な身体」と化しているのである。⑬を見てみたい。晴れやかな夏の光線に包まれた畑のシーンで、加山雄三が花摘みに精を出す司葉子の背後にこっそりと忍び寄り、しばらくそのまま自らの存在を隠して司葉子の姿をじっと見つめている。しばらくしてから見られていることに気付いた司葉子がのけぞるようにびっくりし、加山雄三が「脅かしてごめんなさい」と頭を下げる。ここでは、司葉子を畑仕事に「集中」させたあと、司葉子の背後に配置した加山雄三に声を掛けさせて「びっくりさせる」ことで、それまで司葉子が「見られている事を知らなかった」ことを殊更、演出で強調している。⑪と⑫において、司葉子から加山雄三へと向けられた「窃視」を描いたあと、殊更に強調しながら、今度は加山雄三からの「窃視」を演出しているのである。さらにここで重要なのは、これらの「窃視」が「裸の窃視」であることだ。限りなく意味を剥ぎ取られた「裸の窃視」とは、人を「意味」ではなく、ただ「ひと」であることそのものとして見つめようとする眼差しである。見つめる者の瞳は、相手を手段として利用したり、物語という「意味」によって価値付けるような打算的な瞳ではなく、ただ、人がそこに在ることのみに突き動かされ、翻弄されて行く恍惚の眼差しである男と女が相互に「裸の窃視」した時、映画は「無防備な身体」としてのエロスを相互に露呈させた「ラブストーリー」として輝き始める。孤独な関係としての「見つめる映画」ではなく、エロス的関係としての「ラブストーリー」として振動し始めるのだ。二人の身体は、「和解」という人間関係によって「防御する身体」から「無防備な身体」へと劇的に変化をし、一気に燃え上がり、そこへ「裸の窃視」というエモーションによって逆流するマクガフィンの中へと放り込まれたとき、二人は「ラブストーリー」としての関係の渦の中へと放逐され、ひたすら振動するのである。そういうわけでこれ以降、『男と女が相互に「裸の窃視」をし合う作品』をして「ラブストーリー」と定義し、進めて行きたい。

■Ⅲ「ラブストーリー」の起源

ここまでをまとめてみよう。我々は「物語的窃視」と「裸の窃視」の異同にチャレンジするために、まずもって●「めし」以降の「典型的な」作品である●「おかあさん」(1952)と●「稲妻」(1952)を検討し、そこに「物語的窃視」から「裸の窃視」へと成長する「瞳の成長物語」を発見した。そこに立ち現われたのは、「物語」から「反物語」へと移行するしなやかな曲線であった。そこで次に、成瀬映画全体の物語を俯瞰しながら、成瀬映画の物語の歴史が「物語」から「反物語」への変遷であることを、「二枚目」としての人物論や「中抜き」としての演出論を踏まえて検討した。そしてさらに●「乱れ雲」(1967)と●「あにいもうと」(1953)を検討する事で、「めし」以降の作品に立ち現われた「変化」とは、「人間」の変化ではなく、「関係」の変化であることを具体的に確認したのである。そうしてその「関係」の変化をもたらすものの大きな要因が「身体性」の変化であることを確認した我々は、成瀬映画の「身体性」から改めて検討をし、「見つめる身体」としての「防御する身体」としての萌芽を戦前の千葉早智子三部作や●「乙女ごヽろ三人姉妹」(1935)に発見し、さらにまた「物語的窃視」から「反物語的身体」への移行を描いた「瞳の成長物語」の原型を、千葉早智子の●「妻よ薔薇のやうに」(1935)や●「朝の並木道」(1936)において発見をした。平行しながらまた我々は、「相互に無防備な身体」の醸し出す「ラブストーリー」としてのエロス的身体の関係を、遺作である●「乱れ雲」(1967)に見たのである。ここからは、戦前の作品に「ラブストーリー」を見出すことはできるだろうかについて検討して行きたい。「ラブストーリー」とは極めて「身体性」と関係した現象であり、男と女、双方の身体が「無防備な身体」となって初めて成立する極限の「関係の映画」であるといえる。●「乱れ雲」(1967)の場合、映画前半の「被害者と加害者」という、相互に「防御する身体」であった「関係」を、「無防備な身体」へと移行させるための繊細な演出が幾重にも散りばめられていた。それは一発逆転の大立ち回りによる「解決」によってもたらされるものではなく、細微な細部の積み重ねによるしなやかな曲線的な流れが映画に立ち現われてくる瞬間にほかならない。そうした画面が、成瀬映画に見出されるようになる時期は果たして何時なのか、これから探って行くことにする。

5「限りなき舗道」(1934)

貧しい女給、忍節子が恋人、結城一郎とのすれ違いから富豪の山内光と結婚をし、姑たちにいじめ抜かれて決別宣言をするというこの「限りなき舗道」は、前作の●4「夜ごとの夢」(1933)同様に「窃視」の数は非常に多いが、味のあるものは少ない。忍節子と山内光とが、一応は愛し合って結婚するという、物語的にはラブストーリーの体裁だが、山内光がブルジョアの情けない男であり、見つめる主体としても見つめられる主体としても弱いというのが、叙情的な「窃視」を少なくさせている原因でもあるだろう。そのためか、「裸の窃視」と言えるものがひとつもない。「ラブストーリー」としての「窃視」とは、「無防備な身体」とそれをひたすら見つめ合う関係の醸し出すエロスであり、従ってそこでなされる「窃視」とは、「物語的窃視」であってはならず、「裸の窃視」でなければならないと定義したことからすれば、この時点でこの作品は「ラブストーリー」ではないこととなる。③と⑱によって、忍節子と結城一郎とが微妙な接近をしているが、しかしこれらの「窃視」には物語的意味が大きく込められている。ここに●「乱れ雲」(1967)の「相互窃視」の原型を見ることはできない。

9「サーカス五人組」(1935)

強い風がのぼりやしだれ柳や着物を揺らし続ける「サーカス五人組」は、地方回りの楽団の男たち(大川平八郎、藤原釜足、橘橋公等)と、そこで出会った曲馬団の娘たち(堤真佐子、梅園龍子等)との、片時の出会いと別れを撮った夏の映画である。

成瀬映画における「ラブストーリー」の萌芽はこの作品である。②で堤真佐子が大川平八郎を「裸の窃視」し、直後に③で、今度は大川平八郎が堤真佐子を「裸の窃視」している。②では、地方周りをしている楽団員の大川平八郎が川で洗濯をしているところを、背後にいる堤真佐子がじっと見つめており、③の海岸の砂浜では逆に大川平八郎が、浜辺にしゃがみ込んだ瞬間の堤真佐子をまじまじと見つめている。そのどちらにも「水」というメロドラマ的要素が背景にしたためられており、演出としてもエモーショナルに撮られている。とかく無視されがちな作品だが、この作品は成瀬映画最初の「放浪もの」であり、「家を出る」ことで映画を撮って行く成瀬映画の方向性という点で非常に重要な位置にある。ただ「ラブストーリー」という点からするならば、遺作の●「乱れ雲」(1967)のように、はっきりとした「相互窃視」の意図で撮られていたかどうかは微妙である。

12「君と行く路」(1936)

妾の息子として生まれた二枚目の男、大川平八郎が、金持ちの娘、山県直代との結婚を周囲から反対され、どちらも命を絶って果てて行く心中ものの作品であり、現存する成瀬映画の中では、最初の本格的なラブストーリーである。しかしこの作品の「窃視」は僅か2箇所しか存在しない。その原因についてはのちに「後退」のところで検討するが、主人公である大川平八郎と山県直代とのあいだには、ただの一度の「窃視」も交わされてはいないのである。砕ける波のクローズアップが何度も入るこの作品は、「スーベニール」という甘いメロディに乗せながら、恋人たちが「ずれ」た視線ではなく、ひたすら正面から「見つめ合う映画」=メロドラマとして撮られている。

13「朝の並木道」(1936)

「君と行く路」(1936)では閉塞感に包まれていた成瀬映画が、未来の妻、千葉早智子がいるだけで生き生きと変貌してしまっている。千葉早智子から大川平八郎に対する「裸の窃視」については『千葉早智子の「防御する身体」』の箇所で既に検討しており、そこで千葉早智子は二度、大川平八郎の背中を「裸の窃視」していた(⑨⑱)。従って大川平八郎からの「裸の窃視」が存在すれば、この映画は「ラブストーリー」ということになる。問題となるのは「裸の窃視」の可能性のある⑪と⑫であり、他の4回はすべて「物語的窃視」なので割愛する。

⑪だが、これはオフィス街で就職活動をしている千葉早智子が、偶然街角で大川平八郎と鉢合わせするシーンである。歩道で千葉早智子の左側を通り過ぎた大川平八郎は、振り向き様に、はたと千葉早智子を見て呼び止めている。一見「裸の窃視」に見えなくもないが、しかしここには「意外な場所に千葉早智子が存在する」という物語的な意味が露呈している。この時点で未だ一度しか千葉早智子と会ったことのない大川平八郎の視線は、「見つめること」というよりも「相手を特定する」眼差しであり、ここには存在特定としての「物語」が込められている。従ってこれは「裸の窃視」ではない。

⑫は、橋でしゃがみ込みながら、地面に『小川、、』と、大川平八郎の名前を指で書いている千葉早智子を、偶然通りかかった大川平八郎が「窃視」するシーンである。ここは、しゃがんでいる千葉早智子を主としたローポジションで撮られており、そこへやって来た大川平八郎が画面の手前に下半身だけ入ってくる。すると奥の千葉早智子が気付いて立ち上がるのであるが、「気付いて立ち上がる」という演出は、それまで見られていたことの裏づけのようにも見え、少なくとも⑪よりは「窃視」として撮られている可能性が高い。だが、肝腎の見つめている大川平八郎の眼差しの方は省略されており、何とも微妙な演出で撮られている。それが果たして意図的なのか、それとも無意識なのか。これが「裸の窃視」のなら、この作品もまた「ラブストーリー」の萌芽として見ることができる。

18「鶴八鶴次郎」(1938)

男の太夫(長谷川一夫)と女の三味線(山田五十鈴)という組み合わせで人気を馳せる芸人コンビの物語であるこの「鶴八鶴次郎」は、「芸道もの」ではあるものの、物語としては喧嘩別れをし続ける長谷川一夫と山田五十鈴とのラブストーリーと見えない事もない。作品は、頑固な長谷川一夫と勝気な山田五十鈴との幾度も繰り返される喧嘩シーンを見所としながら、番頭の藤原釜足と、タニマチである大川平八郎との関係を散りばめて撮られている。長谷川一夫は、山田五十鈴と仲の良い大川平八郎を嫌っており、そうした人物関係の下、映画は撮られてゆく。

★刑事の眼差し

⑮を見て判るように、「窃視」とはそもそもモンタージュの複雑な組み合わせによって成り立っており、特にこの作品の⑭と⑮は、非常に微妙な演出で撮られている。しかし成瀬映画の「窃視」における、「集中すること」というマクガフィン作出における演出についてつぶさに健闘してきた我々としては、⑭と⑮における、それぞれ「三味線に耳を傾ける(キャメラが寄る)」、或いは「注がれた酒がこぼれないように注意しながらコップを見つめる」という演出が、「窃視」へと向けられた「集中すること」というマクガフィンであることに、さしたる疑念を挟まずに済むであろう。また⑮については、わざわざ長谷川一夫がコップの方へ視線を「集中」しているショットへと切返していることもそれを補強している。成瀬映画における「窃視」とは、前回検討した「眠ること」や「酔うこと」などの典型的なものばかりでなく、こうしてほんの些細な相手の一瞬の「スキ」を狙って速射砲の如くに撃ち放たれるスピーディなものが多い。こうした「盗み見る」という行為について、脚本家の笠松和夫はこのように述べている。

『刑事は事件の関係者と対面するときは、あまり正面から相手の顔を見ないものだ。質問だけをビシビシ浴びせながら、目は絶えず周囲に散らして、相手の視線がこちらから外れたときだけ、ピカリ、と表情を盗み見る。「虚」の一瞬を狙って、心理を読みとろうとするからである』「破滅の美学」幻冬舎アウトロー文庫87

これはあくまで実際の刑事について書かれたものであり、映画の「窃視」について書かれたものではない。しかしこれは成瀬映画における「窃視」の実態を実によく言い表している。藤原釜足の「窃視」こそ、まさに「刑事の眼差し」というべき、一瞬の虚をついた「成瀬的窃視」なのである。

★同一の空間で

そうした特徴は、「窃視」⑩などに見出すことができる。ここでもまた微妙な演出がなされている。まず楽屋を出て行く山田五十鈴が、出口のところで一度、座っている長谷川一夫の方へ振り向き、長谷川一夫が自分のことを見つめていないことを確認している。ここで山田五十鈴の身体は、時間的な「断絶」を生じ、精神的に「見られていないと思っている身体」=「無防備な身体」と化している。山田五十鈴は長谷川一夫に見られていないことを確認し、楽屋を出て行く、その山田五十鈴が顔を出口の方へと顔を向けた瞬間、今度は長谷川一夫が即座に振り向き、出て行く瞬間の山田五十鈴の姿の一瞬を見つめているのである。このようにして「ピカリ」と為される成瀬映画の「窃視」とは、ヒッチコックの●「裏窓」(1954)でジェームズ・スチュワートがしたような、向かいのアパートという安全地帯としての超越的なポジションから、離れた空間の対象を望遠レンズで無時間的に見つめるようなそれではない。多くは、開け放たれた同一の空間に身を置く者同士が、一瞬のスキを縫って「ピカリ」と他者を盗み見、また盗み見られる「関係」の中での「時間的な」出来事なのである。「刑事の眼差し」とは、「同一の空間内」であることが、重要な前提条件となっている。成瀬映画の「窃視」、特に「裸の窃視」の態様として私は、『恍惚と見入ること』といった条件を先に挙げたが(第二章Ⅲ)、それもまた「同一の空間内」での出来事であることには変わりはなく、さらにまた「裸の窃視」を含めた「窃視」全般としてみた時には、『恍惚と見入ること』と同時にこの「刑事の眼差し」のように、まさに「虚」の一瞬を狙って「ピカリ」と表情を盗み見て心理を読み取ろうとする「窃視」の出現頻度もまた非常に多いのである。「窃視」の場所的関係については、のちに美術と「窃視」との関係として、詳しく検討することになるだろう。

★知ら~ん顔

「窃視」についてもう少し検討してみたい。作品には中盤、こんなシーンがある。それは名人会の初日の舞台後、楽屋に大川平八郎がやって来たシーンである(④の直後)。大川平八郎を嫌っている長谷川一夫は、壁際に横を向いて立って帯を直したりしている。それを山田五十鈴が「ちらっ」と見ている。これは「窃視」だろうか。しかしこの場合、長谷川一夫は帯締め等に「集中」しているのではなく、嫌いな大川平八郎に対して「しら~ん顔」しているに過ぎない。「しら~ん顔」とは、「見られているのを知らないフリ」をいうのだから、「フリ」である以上、結局の所、「見られていることを知っている」のであり、少なくとも映画的には、このシーンは「窃視」ではない。このようにして、瞬間瞬間に移り行く人間同士の「関係」が、「見られている事を知らない者」を作り出したり作り出さなかったりする、それが成瀬映画の「窃視」の大いなる特徴である。そうした「関係」の積み重ねがあって「身体」もまた微妙に硬直したりまた、しなやかになったりと変化してゆき、それが「窃視」を招き、さらには「裸の窃視」の関係にまで発展する時、映画は「ラブストーリー」となるのである。

★「ラブストーリー」

大きく話が逸れてしまったが、この作品が「ラブストーリー」として成り立っているかという点について、まず①によって長谷川一夫から山田五十鈴へと向けられた「裸の窃視」を認めることができる。神社の境内で手を合わせてお祈りをしている山田五十鈴の姿は、限りなく意味を剥ぎ取られた「裸の顔」と言いうるものだからである。問題は⑤である。⑤は、結婚を控えた二人が寄席を建てることになり、その名前を長谷川一夫が考えているというシーンである。二間続きの部屋のこちらの側の部屋で、長谷川一夫が寄席の名前を考えていることに「集中」しており、奥の部屋(場所的ずれ)からその長谷川一夫の方向を、山田五十鈴がキセルを吹かしながら見つめている。多くの場合成瀬は、キャメラを見つめる者から見つめられる者へと切り返す事で「窃視」を演出するのだが、このショットは手前長谷川一夫、奥山田五十鈴という、縦の構図のワンショットによって撮られている。さらに奥の山田五十鈴の姿が、ソフトフォーカスによってぼやけていて、そのぼやけ具合がまた見事な抒情を醸し出しているのであるが、「窃視」ということに限定して見た場合、このショットは、山田五十鈴の視線が不確実で断定しにくい。果たしてこれは「窃視」の趣旨として撮られているのか。仮にこのシーンが「窃視」だとすると、それはその叙情性からも紛れも無く「裸の窃視」ということになり、この作品は「ラブストーリー」の萌芽であることになる。

27「芝居道」(1944)

「鶴八鶴次郎」(1938)に続いて長谷川一夫と山田五十鈴のコンビで撮られたこの「芝居道」は、芸に生きる長谷川一夫と、それを陰で支える山田五十鈴の関係を、長谷川一夫の師匠、古川ロッパとその娘、花井蘭子の支援などを絡めつつ、冬から春にかけての大阪道頓堀を、中古智の見事なセットを舞台に撮られた「芸道もの」である。

まず①で長谷川一夫が、⑩で山田五十鈴が交互に「窃視」し合っているように見える。しかし①については検討が必要である。①は、山田五十鈴の舞台を、客席から長谷川一夫が「窃視」する、というものであるが、そもそも舞台とは、客に「見られていることを知っている」空間であり、また、二人は恋仲で、長谷川一夫が舞台を見に来ていることを山田五十鈴は知っていると思われるので、これは「窃視」ではない。ちなみに⑨は、夜の狭い路地の地面に見事に反射した光線の中、一旦路地を通り過ぎた人力車が、ロングショットの持続した流れの中でバックして戻って来て、中の長谷川一夫が山田五十鈴の後ろ姿を「窃視」するという、実に美しい演出で撮られている。これを是非とも「裸の窃視」としたいところだが、しかし見つめている長谷川一夫自身が、山田五十鈴の献身性についてこの時点では未だ知っておらず、自分を棄てて出て行った女であると思っている状態でなされた「窃視」であるがゆえに、これは裸性をそのものとして見つめる「裸の窃視」としてはやや弱く、人物の特定という「物語」の要素が多分に含まれた「物語的窃視」としての側面を無視することはできない。⑩は、すべて円満に事が運んだ後の和気藹々とした空気の中で、師匠の古川緑波の話に聞き入っている(集中)長谷川一夫の横顔を、横に座っている山田五十鈴がチラリと見つめるシーンである。これは●「鶴八鶴次郎」(1938)で引用した笠原和夫の「刑事の眼差し」の比喩に似た、一瞬のスキをついた「窃視」であり、そうした「窃視」を「チラリと」という言葉で今後表してゆくことにするが、場所的関係がやや弱いものの、おそらくこれは趣旨からして、そして見つめる山田五十鈴の恍惚とした眼差しからして「裸の窃視」として演出されていると思われる。そうするとこの作品は、仮に⑨が「裸の窃視」であるとするならば、映画の最後の最後になって、長谷川一夫と山田五十鈴とが「相互窃視」することになり、「ラブストーリー」であるといえる。だがどちらにしても、この時期においては未だ、●「乱れ雲」(1967)のようなはっきりとした「ラブストーリー」を撮っているという意志を映画に見出すことはできない。

28「三十三間堂通し屋物語」(1945)

戦前最後の作品であり、成瀬最初の時代劇でもあるこの作品の主人公、長谷川一夫は、いつもの「二枚目」ではなく「立役」として登場しており、「恋する者」としては相応しくない人物像であるにも拘らず、田中絹代とのあいだに「ラブストーリー」ととれなくもない演出が成されている。物語の内容については「窃視表」に譲るとして、この作品の「窃視」は4つしかない。だが、僅か4つの「窃視」でありながら、③と④で、田中絹代と長谷川一夫とが「相互窃視」しているようにも見える。ただ、どちらもロングショットのみによって撮られており、「窃視」としては甚だ微妙に撮られているばかりか。③についてはさらに微妙であり、さらにそれが「裸の窃視」かということになると、二重の意味で微妙となる。

★戦前の身体性

こうして戦前の「ラブストーリー」候補の作品を振り返ってみると、●「乱れ雲」(1967)のような、意図的に、相互に「裸の窃視」をさせた作品は存在しない。仮にあったとしても、それは「法則」としての確かさよりも、性向からなされた「無意識的」な演出であり、未だ戦前の成瀬には、「ラブストーリー」という意識は存在していないのである。こうして「法則」というような言葉を映画に適用することに違和感を感じるのは私もまた同じだが、そうとしか思えない演出が、これからの作品の検討を通じて暴露され続けるであろうことをここに予告しておきたい。戦前の「身体性」について言うならば、「ラブストーリー」よりも、千葉早智子を典型とした「防御する身体」こそが機軸を成していたといえる。これまで検討した作品の中には、「ラブストーリー」の萌芽と見られる作品はあったとしても、エロスを露呈させた作品は存在しない。そこにあるのは極めて健全で、健康的な恋であり、エロではないのである。

■Ⅳ戦後「ラブストーリー」~「めし」以前

「ラブストーリー」=エロスが成瀬映画に最初に現われてくるのは戦後4作目に撮られた「春のめざめ」である。

32「春のめざめ」(1947)

思春期の少年少女たちを撮った作品は、成瀬映画において「不可抗力」による「密室」が撮られた最初の映画である。思春期の只中にある久我美子の周囲はどこもかしこも恋人たちで埋め尽くされ、「赤ちゃんはどうして生まれるの?」と聞いてくる妹だとか、近所の家の女の出産だとか、同級生の妊娠騒動や校内における猥褻物発見という性的事件が次々と久我美子に襲い掛かってきては悶々とさせる。そうして、これでもかと性的な香りを発散させ続ける周囲の諸々を久我美子は「欲望の窃視」によって見つめ続けてゆく(①③⑬)。その中でも、農道ですれ違った若いカップルを、久我美子が振り向きながら「窃視」する③の「欲望の窃視」は、背後で風に揺れている木々が望遠系のレンズによって恐ろしいほどのエロスでもって迫ってくる。しかしこの映画の久我美子は、ひたすら「見つめる身体」として撮られているというわけでもない。⑩⑮⑱などによって「窃視」をされ続けている久我美子は決して「防御する身体」としての硬質な身体ではなく、思春期の「無防備な身体」を晒し続けるエロス的身体として撮られているのである。そんな久我美子は、⑧⑨において、密かに思いを寄せている青年、杉裕之の顔を「裸の窃視」している。どれもが「窃視」として微妙だが、⑨は、その形として●65「乱れる」(1964)における、雨にずぶ濡れになった加山雄三のレインコートを急いで脱がそうとしている目の前の高峰秀子の顔を加山雄三が「窃視」した、あの「窃視」⑥の、近距離のエロスの構図と酷似している。「乱れる」には「大雨」というマクガフィンが潜んでいたが、ここでのマクガフィンは「棘」である。久我美子の手に刺さった棘を取ることに「集中」している杉裕之の顔をさっと盗み見る久我美子の視線こそ、エロスに包まれた欲望の眼差しであり、これを「窃視」として認めると、この作品は、⑫の杉裕之からの「裸の窃視」とあわせて、久我美子と杉裕之とが「相互窃視」をした「ラブストーリー」ということになる。ただ、これらの「窃視」はどれも微妙に撮られており、思春期の男女を扱ったこの作品を、確固たる「ラブストーリー」として撮ろうという意志まで見出すことはできない。

★重力とエロス

この映画には「雨」が降る。映画中盤から、娘たちを家屋の中へと閉じ込める梅雨の「雨」は、ただひたすら上から下へと下降する重力として襲い掛かるがゆえに、じめじめとした雫の重みが思春期の娘たちの身体に絡みつき、その軽快で快活な身体を、悶々と鬱積した性そのものの身体性へと変貌させてしまう。例えば宮崎駿の●「魔女の宅急便」において途中、主人公の娘が飛べなくなるという事態が発生するが、それはまさに思春期を迎えた娘に性の重力が振り掛かってきたからにほかならない。身体がほてり、だるくなり、落ち着かなくなる、それらを映画的に引き起こすものが「春のめざめ」においては「雨」という、上から下への軌跡の「重力」なのだ。「雨」は、物語として振ることの雨ではなく、久我美子の身体を重力で包み込むために降り注ぐエロスである。そうであるからこそ「雨」は、「エロス」→「重力」→「雨」という回路で撮られているがゆえに①→②→③→という物語の鎖から解き放たれ、あるいはその流れと相互に浸透しながら③→②→①と逆流し露呈するのである。成瀬映画の歴史を初めてエロスで包み込んだ出来事こそ「雨」という「過剰」であったのだ。成瀬映画は徹頭徹尾、「過剰」によって転回を遂げて行くのである。こうした点が、同じメロドラマの作家でも、情景として雪や落ち葉を降らせ続けた木下恵介とは決定的に違うところである。木下恵介の雪や落ち葉は、「重力」ではなく「物語」として振り、そうすることで人々の共感を呼ぶことになる。だが成瀬の「雨」は決して「共感」を呼ぶために落ちてくるのではない。露呈するために降り注ぐのだ。

★「不可抗力」による「密室」

「春のめざめ」における「雨」は、少年少女たちを重力のエロスによって包み込むだけではなく、戦前の「ラブストーリー」には見ることのできなかった「不可抗力」による「密室」を作り出している。「雨」によって家の中に閉じ込められた近藤宏と国井綾子とのあいだにおいて、この映画の中でもっともエロスに充ちた時間が訪れているのである。それはほんの一瞬見つめあうだけの儚いものであったが故に、メロドラマ的思い出として我々を打つ。遺作●「乱れ雲」(1967)において、「雨」によって閉じ込められた十和田湖の旅館における加山雄三と司葉子のエロスを、「春のめざめ」におけるこの「不可抗力」による「密室」は予感させている。「雨」→「不可抗力」という「過剰」が訪れたとき、そこには決まって「密室」が用意され、恋人たちは一瞬のエロスに包まれで行く。こうして戦後成瀬映画の「ラブストーリー」の系譜は、「春のめざめ」によって始まる。エロスが初めて画面を揺らしたこの作品こそ、成瀬が「エロ」を初めて撮った歴史的瞬間である。さらにそれから三本挟んで撮られた●「白い野獣」(1950)においては、「ラブストーリー」の最大の要素である「相互窃視」がはっきりとした形で現われてくる。

35「白い野獣」(1950)

戦後の風俗問題を、売春婦の三浦光子を主人公に、厚生施設の寮長の山村聡と女医の飯野公子、そして中北千枝子とその恋人の岡田英次との関係を絡ませながら撮られた春から秋にかけての作品である。

★「聖なる窃視」

意外なことに、成瀬映画において初めての本格的「ラブストーリー」の先陣を飾るのは中北千枝子である。この作品で売春婦上がりの純情な娘を演じる中北千枝子は、外出許可が出た日に恋人の岡田英次のアパートへ行き、そこで岡田英次に犯されてしまうという性的な存在として描かれており、その後、くたびれた姿で子供の手をとって出現してはいきなり敷居を跨いで入って来て成瀬映画の内的な人々たちを恐怖のどん底に突き落とすことになるあの中北千枝子とはまったく違った女として撮られている。ここで検討されるのは、施設にいる中北千枝子に岡田英次が面会に来たシークエンスである。岡田英次は、園長の山村聡に対し、自分の道筋が決まるまでは中北千枝子に会うのを自粛すると言って立ち去る帰り際、校庭でバレーボールをしている中北千枝子の姿をふと目にする。バレーボールとはもちろん中北千枝子を「見られている事を知らない者」に仕立て上げるところのマクガフィンであるが、それによって「集中」している中北千枝子の姿を岡田英次は「裸の窃視」したあと()、前に一歩踏み出してそばへ駆け寄ろうとしながら、躊躇し、方向を転換し、歩き去る。次の瞬間、中北千枝子が岡田英次の存在に気づき、去って行く岡田の後ろ姿を遠巻きに「裸の窃視」し()、微笑む。これは明らかに意図的な「相互窃視」として演出がなされている。成瀬映画において、男と女の双方を「無防備な身体」としてはっきりと「集中」によって露呈させ、交互に「裸の窃視」をさせたのはこの瞬間が最初である。ここでは「自分が窃視していたことを相手に知られる」という行為を双方が固く禁じられている。岡田英次は一歩踏み出し、わざわざ引き返して帰って行くし、中北千枝子もそんな岡田を呼び止めようとはしない。岡田は背中を向けて去って行くことで、中北千枝子が岡田に気付いたことを「知らない」ことを強調している。従って、この作品の「ラブストーリー」は、●「乱れ雲」のような、双方が「窃視」されていたことを知っているような甘い香りのエロスではなく、「聖なる身体」として慎ましやかに露呈していると言えるだろう。この点については●「お國と五平」(1952)の箇所で詳しく検討するが、今後、恋愛感情が込められた「裸の窃視」をした時に、それを「刑事の眼差し」の如くに相手に気付かれずに成就したものを「聖なる窃視」乃至「聖なる身体」とし、また、恍惚と見入ってしまったが故に「裸の窃視」をしていたことを相手に気づかれてしまったものを「エロス的窃視」乃至「エロス的身体」として検討を進めることにしたい(詳しくは「窃視表」を参照されたい)

★同性愛

この作品にはもうひとつの興味深い「ラブストーリー」が露呈している。それはおそらく成瀬映画において唯一の出来事である「同性愛」である。①③④において三浦光子は執拗に飯野公子を「裸の窃視」をし、⑮においては逆に飯野公子が三浦光子を「裸の窃視」している。③などは、あの●65「乱れる」(1964)で、高峰秀子が加山雄三のレインコートを脱がすシーン()と同様の近距離のエロスを想起させる性的なショットであり、そこで三浦光子は、自分の手に包帯を巻いている飯野公子の姿にうっとりと見とれている。そもそも飯野公子という大柄の女優がショートカットにスーツとネクタイ姿というボーイッシュな格好で出演しているこの作品は、同性愛的な香りに強く包まれており、そこには何かしらフランス映画の女学園もの(「制服の処女」(1931)「格子なき牢獄」(1937))などのイメージが重ねられているのかも知れないが、三浦光子から飯野公子へとなされる「裸の窃視」という視線こそが、そうした主題を隠すことなく視覚的に露呈させている。しかしながら、この場合、三浦光子の飯野公子に対する視線には同性愛の傾向を認めることができるものの、飯野公子から三浦光子に対しては、同性愛的な視線を認めることはできない。⑭や⑮における、飯野公子の三浦光子に対する「窃視」には、多分に教育的な眼差しが露呈しており、そこには⑤における三浦光子から飯野公子に対する、相手に見とれて恍惚としてしまうような要素は込められてはいないのである。この二人の関係は三浦光子から飯野公子に対する一方的な者(片想い)であり、「ラブストーリー」としては撮られていないと見るべきだろう。さらにこの作品では、山村聡と飯野公子とのあいだにも「相互窃視」の関係が存在しているようにも見える。⑩で山村聡が飯野公子を、⑤と⑪では逆に飯野公子が山村聡を「裸の窃視」しているのである。但し、そのどれもがはっきりと「裸の窃視」の趣旨で撮られたかについては微妙であり、こうした点に未完成であやふやな演出の痕が見えている。

■Ⅴ「めし」(1951)以降の「ラブストーリー」

40「お國と五平」(1952)

いよいよ成瀬は決定的な●「めし」(1951)を撮った後、この「お國と五平」を撮る。この作品は、「めし」以前の「窃視」とはまるで比較にならないほどの圧倒的な細部を誇り、成瀬映画に「ラブストーリー」の歴史を決定的に刻み込んだとてつもない作品である。山村聡に夫を闇討ちにされた武家の妻、木暮実千代が家来の大谷友右衛門を伴い、夫の敵討ちの旅に出かける道行の物語であり、成瀬最後の時代劇でもあるこの作品は、道行く人々の視線を避けながら、密室と監視の中で旅を続けてゆく男と女の、梅の春からススキの秋までの有様がフィルムに収められている。この作品は4回見たが、まるでお化けである。余りにも細部が豊富すぎ、一、二回見たくらいでは雲を掴むが如くでまったく把握することが出来ない。よくぞここまで考えて映画を撮っているものだと、今回成瀬映画を見直し、また論文を書きながら私は何度もそうした驚愕の坩堝へと放り込まれたのだが、この作品の視線の演出は信じられないほど繊細でありかつ映画的である。混乱しそうなので、細部を最初から追うことにしたい。木暮実千代と大谷友右衛門の二人は、仇の山村聡を探しながら旅を続けている。それまでは、二人のあいだに何かしらの恋心が芽生えたとしても、それは「窃視」としての「関係」としては露呈しておらず、二人は主人とその家来という立場に見合った「防御する身体」をそれぞれ保ちながら、旅を続けて行く。そんな二人の身体をまずもって責め立ててくるのは「配置」である。

★場所的関係と身体

まずその身体を攻撃されるのは木暮実千代である。木暮実千代の身体は「配置」によって、大谷友右衛門の視線に責め立てられる。この映画の成り立ちを考えてみると、木暮実千代と大谷友右衛門との関係は、主人と家来という関係であり、この関係を物語ではなく映画的に見た時には、『主人の木暮実千代は前に、家来の大谷友右衛門は後ろに位置する』という配置関係となる。街道その他多くの場所で大谷友右衛門は、主人の木暮実千代から一歩引いたポジションに身を置いている。④と⑤を見てみると、家来の大谷友右衛門は、主人である木暮実千代から一歩引いた場所的関係に位置している。⑤の、心中ものの人形浄瑠璃を見物するシーンを見てみたい。ここでは主人の木暮実千代が前に座り、家来の大谷友右衛門はその後方に座っている。木暮実千代は背後の大谷友右衛門の視線を背中に感じ、チラチラと後ろを気にかけている。木暮実千代は人形浄瑠璃に「集中」することで「見られている事を知らない者」と化したのではなく、あたかも●「乱れ雲」(1967)の前半の加山雄三と同じように、「防御する身体」としてのジレンマに悩まされている。背後からの、見られているともいないとも知れない視線を常に意識しながら旅を続けなければならない木暮実千代は、「主人と家来の人物配置」そのものによってその身体(「防御する身体」)を苛まれ続けるのである。だがここで攻撃をされるのは木暮実千代の「見つめられる身体」ばかりではない。家来の大谷友右衛門にとってもまた、「後方」という場所的関係は、妖艶な木暮実千代の後ろ姿を誰憚れることなく見つめることのできる特権的な場所的誘惑として立ち現われている。それが家来としての大谷友右衛門の「見つめる身体」を知らず知らずに苛んでゆき、遂に家来が主人を「盗み見」せんという、あるまじき暴挙へと走らせてしまうのである(④⑤)。この④と⑤は、木暮実千代の「集中」の度合いが弱く「窃視」としては成就してはいない。だがこの二つの大谷友右衛門の眼差しが「窃視ではない」という事実こそが、作品の優秀性を紛れもなく語りしめている。主人と家来の場所的関係は、二人の身体に誘惑のきっかけを仕掛けながら、それだけでは未だエロスを一気に放出させようとはしない。少しずつ、少しずつ、解体されてゆくのである。

★雨

主人と家来の関係に、さらなる攻撃を仕掛けてくるのは「雨」である。幾日も降り続く春の雨によって宿の中へと閉じ込められた二人は、「不可抗力」による「密室」のエロスの中へと放り込まれる。木暮実千代は旅館の二階から、自由な庶民たちの行き交う様子を幾度も「欲望の窃視」しながら、みずからの「敵討ち」という不自由な境遇に悶々とし(①③⑩)、大谷友右衛門は「防御する身体」である木暮実千代の身体を必死に「窃視」で貫こうとして果たせず(④⑤)、高尚な任務の中での葛藤にこれまた悶々とした日々を送っていく。「雨」はまた、二人の路銀(旅費)をも容赦なく責め立ててくる。それまでは別の部屋に泊まっていた大谷友右衛門は、「雨」によって足止めさせられることで生じた路銀の窮迫から、木暮実千代とは二間続きの隣の部屋へと移ることを「余儀なく」させられる(不可抗力)。「雨」という「不可抗力」が、二人を少しずつ「密室」へと急き立てることで、その身体にさらなるダメージを与えにかかる。見事な映画的構成である。ここまでを「物語」として語ってみると、『幾日も降り続いた雨のお陰で二人は旅館に足止めされたばかりか路銀に余裕がなくなり、それまでは別の部屋に泊まっていた大谷友右衛門が仕方なく木暮実千代の部屋へと越してきた』となるが、「雨」を起点に映画を語ると、『大谷友右衛門を不可抗力によって木暮実千代に近づけるために「雨」を降らせた』というマクガフィン的回路となる。こうして「雨」は、その上から下へと下降する「重力」としてのエロスによって二人を「不可抗力」によって「密室」へと閉じ込め、接近させるためのマクガフィンとして機能することになる。

★初めての「窃視」

こうして少しずつ二人の身体は、「配置」や「雨」といったマクガフィンによって解体されながら、いよいよ⑥が出現する。大谷友右衛門が越してきた二間続きの部屋の奥で、鏡をしまっている木暮実千代がふと視線を上げると、それまでじっと自分を見つめていた大谷友右衛門と目が合ってしまい、慌てて大谷友右衛門が目を逸らすというシーンである。ここで初めて木暮実千代は、大谷友右衛門の前で「無防備な身体」を晒してしまうことになる。それは木暮実千代が「鏡をしまう」、という極めて微妙な行為として露呈している。それをキャメラは、縦の構図のワンショットで大谷友右衛門の後方から画面に収めており、⑭⑮とは違って、サイズ、構図、「集中」その他から明らかに「窃視」として分かり易く撮られたものではなく、ここは敢えて「窃視」をぼかして撮られている。⑨も同様である。二件目の旅館に着き、だるくなった木暮実千代が薬をのんだあと、下げていた視線を少しずつ上げてゆくと、それまでじっと自分を見つめていた大谷友右衛門と目が合ってしまい、大谷友右衛門が慌てて目を逸らす、というシーンである。ここで木暮実千代のさらした「無防備な身体」とは、薬を飲み終わり、ぼんやりとうつむいていた、というものであり、これもまた終始二人を同時に画面の中に入れたフルショットとして撮られていて、切り返しも主観ショットもクローズアップも存在せず、視線のやり取りはぼかされて撮られている。しかし⑥と同様に、見つめていた大谷友右衛門が木暮実千代と目が合うと慌てて目を逸らす、という演出がなされている点が④や⑤とは明らかに違っており、これは大谷友右衛門が「見つめていたこと」をあとから補強して強調するところの映画的演出であり、これが「窃視」であることをはっきりと裏から語りしめている。それと同時にこの「見ていたことを知られて慌てて目を逸らす」という大谷友右衛門の身体は、最早「刑事の眼差し」としての「聖なる身体(見ていたことを知られまいとする慎ましやかな身体)」を一足飛びに逸脱し、「裸の窃視」をしていたことを相手に知られてしまうまでに「見ること」に没入してしまう「エロス的身体」へと一気に雪崩れ込んで行ってしまったことを露呈させている。「雨」は、木暮実千代の身体を「防御する身体」から「無防備な身体」へと解体し、さらにまた家来である大谷友右衛門の見つめる身体をも、「聖なる身体」を一気に通り越した「エロス的身体」へと解体してしまったのである。それだけではない。「雨」は、大谷友右衛門の「見つめられる身体」についても、「無防備な身体」へと引きずり込んで行く。今度は逆に大谷友右衛門の方が、木暮実千代に「窃視」されてしまうのである()

★聖なる窃視

山林を登り、木暮実千代の痛めた右足の甲に大谷友右衛門が触れた瞬間、木暮実千代がチラリと大谷友右衛門を「窃視」する()。同じく近距離の「窃視」として撮られた⑮と比べた場合、見つめていた木暮実千代は大谷友右衛門と目が合う前に我に返り、慌てて目を逸らすことで、かろうじて見つめていたことを大谷友右衛門に知られることまでは免れている。見つめていたことを大谷友右衛門に知られてしまった⑭や⑮説比べると、この時点の木暮実千代はギリギリながらも「聖なる身体」を保つことで最後の一線を防御している。だからこそ、さらにその「最後の一線」を決定的に破壊せしめる「⑪」が、決定的なエロチシズムとして炸裂するのである。

★発熱

「雨」によって攻撃され続けた木暮実千代の「防御する身体」を、完全に打ち砕いてしまったのは「発熱」である。長旅が祟ったのか、木暮実千代はとうとう熱に倒れ床に伏してしまう。そんな主人の木暮実千代を、蚊帳の外から家来の大谷友右衛門が看病している。木暮実千代の頭上に位置する大谷友右衛門の位置からは、木暮実千代の寝顔を「窃視」することはできない。そこへふと眠っている木暮実千代のおでこに乗っていた手拭が滑り落ちる(マクガフィン)。それを見た大谷友右衛門は「慌てて」蚊帳の中へと入るのだが(不可抗力)、そこは禁断の「密室」であることに気付いた大谷友右衛門は「奥方様、、」と必死に声を出し、その「密室性」を打ち消そうとあがきながら手拭いを拾い、水に絞って木暮実千代のおでこに乗せる。そこで映し出された木暮実千代の寝顔のエロチックさは、その照明、微妙な影の落ち方、そしてメーキャップの艶かしさからしてまさに、大谷友右衛門の身体を打ち砕くためにのみ存在する技術の結晶以外の何物でも無く、大谷友右衛門は引きずり込まれるようにしてその寝顔を、主観ショットでまじまじと「裸の窃視」してしまうのである()。まるで自分が「窃視」してしまったことを自己否定するかのように大谷友右衛門は、またしても「奥方様、、」と中途半端な声を出し、禁断の「密室性」を打ち消そうとするのだが、時、既に遅し、大谷友右衛門の身体は完全に打ち砕かれてしまい、彼は禁断の「ラブストーリー」の彼方へと引きずり込まれてしまうことになる。その後二人は当然のように結ばれ、以降、その身体性において決定的な変貌を遂げて行く。

「窃視」⑪によって、主人としての威厳ある身体を木っ端微塵に解体されてしまった木暮実千代は、家来としての身体を解体されてしまった大谷友右衛門を大胆に「窃視」し始める。まず⑭において木暮実千代は、街道を馬に揺られて行く花嫁に見とれている大谷友右衛門を「裸の窃視」し、さらに⑮においては、木暮実千代の足袋を修理している大谷友右衛門をまじまじと「裸の窃視」してしまう。⑭においては、見られていることを知った大谷友右衛門が慌てて目を逸らし、⑮では、大谷と目が合って初めて我に返った木暮実千代がおおっと身体を仰け反らせて驚いてしまっている。その木暮実千代のどちらもが、恍惚と見つめたがために大谷友右衛門に見つめていたことを知られてしまうという、「エロス的窃視」として強く露呈しているのである。「裸の窃視」は、時として見つめていた者が思わず「裸性」に引き込まれてしまう恍惚の眼差しとなる。そこで相手を見つめ続けるには、相手方に「眠ること」や「酔うこと」といった、大きな意味での「集中」があれば、見つめる方はまじまじと「裸の窃視」をして恍惚に浸ることができ、またそうしても見つめていたことを相手に知られることはない。●39「めし」(1951)のラストシーンで、眠っている上原謙を「裸の窃視」した原節子にしても()、●41「おかあさん」(1952)で、相撲を取っている田中絹代を「裸の窃視」した香川京子にしても(23)、相手方の「集中」の度合いが強いが故に、まじまじと見つめることができたのである。ところが禁断の愛であるこの作品の二人には、見つめる者にそのような余裕の状況は与えられてはいない。⑭と⑮における「集中」は、それぞれ『馬の上に乗ってゆく花嫁を見つめること』『木暮実千代の足袋を直すこと』という、一瞬で過ぎ去ってしまう時間的なものに過ぎないのである。それを「窃視」する眼差しとは、さきほど引用した「刑事の眼差し」のような、犯人がちょっと目を離したスキに成されるごときの、まさに生き馬の目を抜く一瞬の状況で試みられる闘争の眼差しでなければならないはずである。⑧の時点での木暮実千代は、まさにそうした「刑事の眼差し」よろしく、一瞬の相手のスキを見て大谷友右衛門を「窃視」するや否や、すぐにまた目を逸らし、首尾よく「見つめていたこと」を相手に悟られずに済ませている(「聖なる窃視」)。しかし⑪を経由し、もはや完全に「防御する身体」を破壊されてしまった⑭と⑮の時点における木暮実千代は、一瞬の「集中」に耽る大谷友右衛門を恍惚と見つめてしまうことで視線を逸らすことを忘れてしまい、その視線を大谷友右衛門に気付かれてしまう。その視線はもはや「刑事の眼差し」と呼べるような計算された眼差しではなく、我を忘却の彼方に置き去りにした「エロス的窃視」であり、二人を永遠に結び付けてしまう運命の眼差しである。⑥と⑨では大谷友右衛門の「窃視」が木暮実千代に知られ、⑭⑮になって初めて木暮実千代からの「窃視」が大谷友右衛門に知られている。こうしてお國と五平は、少しずつ、決定的に、泥沼の「ラブストーリー」の渦中へと引きずり込またのである。相互が「裸の窃視」について知られてしまったこの映画は、●35「白い野獣」(1950)における中北千枝子と岡田英次のあいだで交わされた「窃視」⑫⑬のように「お互いが『窃視』されたことを知らない相互窃視」=『聖なる相互窃視』よりも、よりエロスの度合いを増し、「ラブストーリー」性を強めることになる。その瞬間、映画は「敵討ち」から「逃避行」へと転換してしまうという見事な構造で幕を閉じている。

序盤から間断なく降り続く「雨」や「人物の配置」「発熱」という出来事が、少しずつ二人の身体に重力としてのエロスを加えながら、蚊帳という「密室」によって成された「裸の窃視」⑪を境に、二人をして決して後戻りのできない「ラブストーリー」へと放り込んでいる。「和解」という出来事を境にして、男と女がそれまでの「防御する身体」から「無防備な身体」へと一気に高揚する●「乱れ雲」(1967)を撮った成瀬の脳裏には、間違いなくこの「お國と五平」があったはずである。二つの作品に共通するのは、「人間」ではなく「関係」を変化させるための数々の細部の「過剰」である。言葉によってではなく、「身体性」の微妙な移り変わりによって少しずつ「関係」を揺れ動かすことによって映画は、細微な差異の戯れとなって画面を揺らすのである。

細部という観点から、あの蚊帳のシーンを元にしてもう少し細かく検討してみよう。そうするとまず、蚊帳の中の二人の「密室」は、木暮実千代のおでこに当てられた手拭が落ちるという「不可抗力」によって実現していることが分かる。一見些細な演出が、成瀬映画においては決定的な意味を持っている。ここは断じて大谷友右衛門の「自由意志」による侵入であってはならないのだ。そうして一連の演出は、蚊帳の中での「裸の窃視」⑪を支点にして「窃視」→「不可抗力による密室の作成」→「手拭が落ちる」→「眠る」→「発熱」→「雨」、、、へと優美に逆流している。④→③→②→①と細部が「逆流すること」とは、それぞれの細部が「心理的ほんとうらしさ」から解き放たれた「不可抗力」の渦の中へと巻き込まれることにほかならない。「不可抗力」という反物語的細部がさらなる細部を呼び寄せ、弾きあいながら、画面は「過剰」なものとして露呈するのである。

さて、木暮実千代と大谷友右衛門の情事は、あろうことか旅館の「通風性」によって仇の山村聡に盗み聞きされてしまい、そこから「仇討ち」は「口封じ」へ、さらには「逃避行」へと転換されてしまう。そして、死んだはずの山村聡の尺八の音に怯えて取り乱し(集中)、街道を逃げて行く大谷友右衛門を、木暮実千代が「窃視」してこの映画は幕を閉じる。あれほど「裸の窃視」によって見つめ合った「ラブストーリー」は皮肉なことに「負の窃視」によって幕を閉じたのである。

成瀬は演技指導をしなかったというのは常識的な話として伝わっているが、しかしこのような微妙な視線の流れやからだの動きを、役者が勝手に考えてできるわけがない。間違いなく視線は成瀬が指導していたはずである。ああ、どうして昔の批評家はこういうことを成瀬にインタビューして聞いてくれなかったのかと恨めしいが、画面は紛れも無く私のインタビューに答えてくれている。

65「乱れる」(1964)

「ラブストーリー」は、戦前にはその萌芽がかすかに垣間見られ、戦後●「春のめざめ」(1947)から●「白い野獣」(1950)を通じて試行錯誤的にエロスの芽を出しながら、●「お國と五平」(1952)において決定的な完成を見ている。この「お國と五平」こそ、成瀬映画における「ラブストーリー」の最高峰であり、それに匹敵しうる構造を有した作品は、●「浮雲」(1955)、●「山の音」(1954)など、日本映画最盛期の50年代に撮られた数作に過ぎない。60年代に入ると成瀬映画も商業主義から来る俗化の波に逆らえず、その身体的構造についても少しずつ面白味を失ってゆく。そうした波に逆らうようにして撮られた作品が、上原謙の息子である加山雄三という「二枚目」を初めて起用して撮られた「乱れる」である。静岡県清水市に店を構える酒屋の嫁である高峰秀子と、高峰秀子の亡き夫の弟である加山雄三と禁断の恋を描いたこの「乱れる」は、60年代以降の成瀬作品において、遺作の●「乱れ雲」(1967)と双璧の「ラブストーリー」である。

独立した「窃視」としては既に前回の論文で幾つか検討したが、ここでは「関係」としての「窃視」に絞って検討する。まず⑥⑨⑩⑬が加山雄三から高峰秀子への「窃視」であり、④⑦⑪⑫⑮⑯が高峰秀子から加山雄三へと向けた「窃視」である。その中で、⑥⑦⑫⑬⑮⑯が「裸の窃視」といいうるものである。

★布石

高峰秀子が初めて加山雄三に「窃視」されたのは、前回詳細に検討したあのびしょ濡れのレインコートを高峰秀子が脱がせるシーンの⑥である。だがここではその前にまず②を検討したい。バーで酒に酔った加山雄三が、居合わせたスーパーマーケットの社員、藤木悠たちと喧嘩をし、警察でお灸を据えられたあとの帰り道、迎えに来た高峰秀子としばらく歩きながら話をしたあと、去って行く高峰秀子の後ろ姿を加山雄三が見つめる、というシーンである。ここにおいて成瀬は、実に微妙な演出でもって、あるようでないような「裸の窃視」を演出している。ここを仮に成瀬が「(裸の)窃視」として撮るつもりであったならば、加山雄三をして、自分に小遣いをくれて去って行く高峰秀子の背中に向けて「ごっちゃんです」などという声を掛けさせはしなかったであろうし(声を掛ければ高峰秀子の身体が硬直して見られていることを知っている身体へと強度を強めてしまうから)、また加山雄三をして、高峰秀子の後ろ姿をまじまじと見つめさせるような演出をさせていたはずである。だが加山雄三は、ちょっと高峰秀子の背中を見つめたあと、向きを変え、反対方向へと歩き出してしまう。既に幾度か「時間空間の断絶」について検討をしてきた我々にしてみれば、ここの演出が弱いことは一瞬にして理解できるはずである。もし仮にこれを「窃視」として演出するのなら、反対方向に歩き出した加山雄三をして、振り向かせてからもう一度高峰秀子の後ろ姿を見つめさせるなりの「断絶」の演出を成瀬はさせているはずである。しかしここではそうしていない。ここは敢えて弱く演出していると見るべきである。●40「お國と五平」(1952)の「窃視」④⑤のように、「窃視」と、その一歩手前とを、微妙に使い分けて撮っているのだ。こうした微妙な演出を何度も確認して初めて、第二章のⅤにおいて保留した、●68「乱れ雲」(1967)における「窃視」⑩の演出の「弱さ」を理解できるはずである。この「乱れ雲」の⑩が、「窃視」として弱く撮られていたのは、徐々に身体が解体されてゆく「過程」にこそ、成瀬がエロスを見出していたからにほかならない。先を続けよう。

★告白とマクガフィン

加山雄三の義姉として、それまで頑ななまでに「防御する身体」を貫いて来た高峰秀子が、⑥において初めて義弟の加山雄三に「窃視」されてしまう。配達帰りに大雨に降られて帰って来た加山雄三のびしょ濡れのレインコートを、加山雄三の体に身を寄せるようにして脱がしている高峰秀子の顔を、加山雄三が近距離から「窃視」するのである。こうして高峰秀子の「身体性」を、「防御する身体」から「無防備な身体」へと変貌させたものは、⑥の直前に起こった、加山雄三から高峰秀子に対する「告白」である。そこで加山雄三は、微妙に照明の落とされた二間続きの部屋の明暗の「密室」の空間で、自分は義姉の高峰秀子が好きであり、そのために東京の会社を退職して国へ戻ってきたことを「告白」している。この「告白」とは、それによって即二人の関係を●「乱れ雲」(1967)の「和解」のように一気に進展させるようなものではないものの、人物の「身体性」を変貌させたという点において両者は通底している。「告白」によって高峰秀子の身体は、少しずつ「無防備な身体」へと化してゆくのである。「ラブストーリー」には決まって、「告白」「和解」「雨」「発熱」、、、といった、「身体性」を変貌させてしまうところのマクガフィンが配置されている。「乱れる」においては「告白」というマクガフィンに、さらに「雨」という上から下への重力のエロスがマクガフィンの連鎖攻撃として高峰秀子の義姉としての「無防備な身体」を打ち砕いてしまい、その「雨」が降りしきるジメジメとした重い空間の中で高峰秀子は、映画の中で初めて加山雄三に「窃視」されてしまうのだ()(「裸の窃視」)

★身体解体への過程

⑥において高峰秀子は加山雄三に「窃視」されたことに気付いて慌てて目を逸らし身を離している。加山雄三の「窃視」は、仮に周囲の者たちに高峰秀子を見ていることを悟られても構わないという強い眼差しによる「エロス的窃視」として常に露呈しており、そんな加山雄三の欲望に圧倒されてか、⑥ばかりでなく⑨や⑬においてもまた、見られていた側の高峰秀子が、加山雄三に「窃視」されていたことに気付いて慌てて目を逸らしてしまっている。そこにあるのは、愛によって盲目と化した男の強い欲望の眼差しにほかならない。加山雄三は求め続け、義姉の高峰秀子は拒み続ける。だがその「防御」とはあくまで表向きなバリアに過ぎないことは、既に高峰秀子は、⑦において密かに加山雄三を「裸の窃視」していたことが伺わせている。⑥によって遂にその「無防備な身体」を加山雄三に「窃視」されたことを知ってしまった高峰秀子は、その直後、レインコートを着て自転車で配達に出かけた加山雄三の後ろ姿(背中)を、店の奥から外へ出て「窃視」するのである(「裸の窃視」)。それでも未だ高峰秀子は、●「お國と五平」(1952)の序盤における木暮実千代と同じように、みずからの「窃視」を加山雄三に対して隠し続けることで、最後の一線である「聖なる身体」を防御している。④⑦⑪までの高峰秀子は、仮にそれが「物語的窃視」であろうと「裸の窃視」であろうと、みずからの「窃視」を加山雄三に知られてはいない。「義姉の身体」としての「聖なる身体」を、表向きではあるものの、守り続けているのである。それが遂に打ち破られてしまうのが⑫である。

血のつながりがないことで家の者たちから疎まれた高峰秀子は、みずから家を出て夜行列車に身を任せる。そこへ思いがけなく加山雄三がデッキから高峰秀子のいる車両に入ってくる。ここで高峰秀子は、列車のドアを開け、車両に入って来た加山雄三の姿を「窃視」するのだが()、加山雄三に「窃視」を気付かれる前にサッと目を逸らしている。だがしばらくして高峰秀子は、夜行列車の通路に立って新聞を読んでいる加山雄三に引き込まれるようにして「裸の窃視」をしてしまい、振り向いた加山雄三に「窃視」していたことをとうとう知られてしまうのだ。それはあたかも●40「お國と五平」(1952)の「窃視」⑮における木暮実千代の身体のように、「裸の窃視」によって恍惚と「ほんとう」に引き込まれてしまった者の「エロス的身体」にほかならない。目が合ってしまった高峰秀子はうろたえ、手元にあった週刊誌へと慌てて目を落とす。義姉の「聖なる身体」が解体された瞬間である。その後、今度は加山雄三が高峰秀子を「窃視」するのだが()、見られていたことを知った高峰秀子は、加山雄三の微笑みにつられて思わず笑い返してしまう。高峰秀子の身体がほぐれてゆく感覚が実に繊細な演出の流れによって撮られているのである。その直後に、ホームで見送りをされている新婚旅行のカップルを高峰秀子が「窃視」するという「欲望の窃視」が撮られている。()。この「欲望の窃視」の入るタイミングも、高峰秀子の軟化した身体の状態に呼応して挿入されている。さらにホームで立ち食い蕎麦を食べている(マクガフィン)加山雄三の姿を列車の中から高峰秀子が「窃視」する()。この「窃視」もまた加山雄三に知られてしまうのだが、最早高峰秀子は⑫のように慌てて目を逸らすこともなく、「窃視」に気付いた加山雄三の微笑返しに対してつられて笑ってしまうのだ。夜行列車の中で二人は、何度も視線を交し合う事で、高峰秀子の「最後の距離」が溶解して行く。こうして二人は、「無防備な身体」と「エロス的身体」を相互に曝け出した「ラブストーリー」の渦の中へと巻き込まれたそのとき、高峰秀子は眠っている加山雄三の姿をまじまじと見つめ、そして、泣くのである(⑯「裸の窃視」)

★「エロス的ラブストーリー」と「聖なるラブストーリー」

これを●68「乱れ雲」(1967)の「窃視」⑪と比べてみると面白い。加山雄三と司葉子とが「和解」を遂げ、二人の身体が「無防備な身体」へと変貌した後、二人は十和田湖へピクニックに出かける。まず加山雄三が十和田湖行きのバスの中へ入って来る。キャメラは後部座席の司葉子がじっとその加山雄三の姿を追っているミドルショットへと切り返され、再びキャメラは中部座席でパンを食べている加山雄三を背後から捉えたロングショットへと切り返される。おそらくこのショットは司葉子の主観ショットとして撮られているだろう。どちらにせよ、ここで「裸の窃視」が成立している。後頭部という「無防備な身体」を晒しながらパンを食っている(集中)加山雄三の姿は、明らかに意味を喪失した「はだか」の状態だからである。だがさらにショットは続いて行く。パンを食べている加山雄三がふと振り向き、後部座席に座っている司葉子の姿を瞳に捉えて微笑む。ここでキャメラは司葉子のクローズアップへと切り返され、「窃視」していたことを知られてしまった司葉子は照れくさそうにお辞儀をするのだ。当然「窃視」された加山雄三も「窃視」の存在を知っていることになる。その後⑫の司葉子の「窃視」は加山雄三に悟られてはいないものの、⑬では、山菜取りをしていた司葉子が、自分を「窃視」していた加山雄三の存在にびっくりして身を逸らす、という演出がなされている。ここでもまた「窃視」する側、される側双方が「窃視」の存在について知る(相互了解)、という演出が殊更なされている。「乱れ雲」の転機は映画中盤の「和解」という劇的なドラマであり、そこから映画は一気に解き放たれ、「無防備な身体」と「エロス的身体」を相互に晒す究極の「ラブストーリー」へと突き進んで行くのである。今後こうした「究極のラブストーリー」をして「エロス的ラブストーリー」と名づけ、未だ「聖なる身体」を保ち続けている「ラブストーリー」を「聖なるラブストーリー」として検討を進めることにする。

★身体と関係

さて、「乱れる」においては、まず高峰秀子の「見つめられる身体」が「無防備な身体」となり、その時点でお互いが「無防備な身体」をさらすことで「ラブストーリー」になる。だが高峰秀子からの「窃視」は、未だ加山雄三に知られてはおらず、この時点においては未だ「聖なる身体」を保ち続けている。ここが「乱れ雲」とは違う。「乱れ雲」では、「和解」を契機に「聖なるラブストーリー」を飛び越して一気に「エロス的ラブストーリー」へ突入するからである(⑪⑬)。しかし「乱れる」には、さらに高峰秀子の「窃視」が加山雄三に知られてしまうまでの、「聖なる身体」解体のさらなるプロセスが細微に描かれている。「対等な関係」である「乱れ雲」においては、「和解」を契機に一気に「エロス的ラブストーリー」の関係へと突入してゆくのに対して、義姉と義弟という「上下の関係」にあるこの「乱れる」は、「告白」を契機に、まず「ラブストーリー」が成立し、そこからさらに高峰秀子の身体が「聖なる身体」から「エロス的身体」へと少しずつ解体されてゆくことで「エロス的ラブストーリー」へと発展して行くのである。そうした点からはこの「乱れる」は、同じく「上下の関係」を撮った●「お國と五平」(1952)における身体解体の過程と通底している。同じ「ラブストーリー」であっても、上下か平等かという「関係性」によってその「身体性」の推移が微妙に違ってくるのである。義姉と義弟という上下における禁断のラブストーリーは、これだけ細微でしなやかな流れによってようやく「エロス的ラブストーリー」として赦されるのだ。加山雄三の身体性や瞳の強弱は首尾一貫している。変化するのは高峰秀子の身体と瞳の強度である。成瀬はこの禁断のラブストーリーを、少しずつ解体されてゆく義姉の身体性のエロスとして描いているのだ。

★若大将

この作品の加山雄三は、●「乱れ雲」(1967)の加山雄三とまったく同じように、「窃視」していたことを相手に知られても、あるいは「窃視」されていたことを知ったとしても、決して驚きも照れも慌てもせず、にっこりと微笑み返し続けるという「エロス的身体」で一貫している。⑫と⑮の加山雄三は、見られていたことに気付いても動揺せず、にっこりと微笑み返しているし、さきほど検討した●「乱れ雲」の⑪の司葉子のバスの中での「窃視」に対してもまた、見られていることに気付いた加山雄三は取り乱しもせず、平然と微笑み返しているのである。ここに「窃視」における強度の違いが存在している。「乱れ雲」や「乱れる」の加山雄三の欲望は極めて強いものであり、愛に対する「照れ」が存在しない。爽やかなのだ。おそらく加山雄三を撮るにあたって成瀬は、こうした加山雄三の「若大将」としてのキャラクターというものを、視線との関係において予め計算して撮っていたのではないだろうか。

★密室と夜行列車

この夜行列車のシークエンスは、乗客が一人去り、二人去り、という、夜行列車特有の時間的推移と共に、次第に二人が打ち解けていって、遂には列車の空間は静けさとに包まれ、二人きりで向かい合うという「密室」へと時間的に転化されている。この「夜行列車」という乗り物こそ、「不可抗力の密室」を作り出すためのマクガフィンにほかならない。そのほんの束の間の「密室」の中で、この映画で最後のもっとも崇高な「窃視」がなされ()、高峰秀子が声を殺して泣いている。●40「お國と五平」(1952)の「蚊帳の密室」のシークエンスが、「窃視」⑪を起点に逆流して撮られていたのと同じように、この「乱れる」の「夜行列車の密室」のシークエンスもまた、「窃視」⑮を起点にして逆流している。「お國と五平」の「雨」と「蚊帳」は、「乱れる」の「夜行列車」に相当する。「雨」とは時間であり、「蚊帳」とは空間である。これを成瀬は、「列車」という空間に「夜行」という時間を加える事で、二人の禁断の情事を一瞬の「不可抗力の密室」として導いているのである。「雨」や「夜行列車」といった日常的な出来事や事物に対する細やかな観察力と感受性なくして、こうした演出はできないだろう。

成瀬映画に「不可抗力による密室」が初めて作成されたのは「ラブストーリー」の萌芽とも言える●「春のめざめ」(1947)であり、●「お國と五平」(1952)●「乱れる」(1964)、そして遺作である●「乱れ雲」(1967)という「(エロス的)ラブストーリー」の系譜に脈脈と受け継がれている。そしてそれは、これから我々が検討することになる●「山の音」(1954)や●「浮雲」(1955)といった作品においてもまた受け継がれるだろう。同じ「ラブストーリー」としての身体性を有しておきながら、●「娘・妻・母」(1960)の、「自由意志による密室」における原節子と仲代達矢の接吻が、まったくもって抒情を欠いてしまったのは、成瀬映画の「法則」からするならば当然なのかもしれない。こうした点からも、60年代のある種の成瀬映画における「後退」の問題を検討することも出来るだろう。「不可抗力による密室」は男と女の関係を促進させ、「自由意志による密室」は、男と女を破綻させる。そうして見たとき、「乱れる」で、みずからの「自由意志」によって夜行列車を途中下車し、銀山の温泉の「密室」の中へと逃避した二人の運命は、既に決まっていたのかもしれない。

★見つめ合わずに「見つめ合う」こと

「乱れる」の夜行列車において成瀬は、見つめ合う二人を構図=逆構図による切返しによって切り返すようなことはしていない。二人の視線は常に「窃視」という「ずれ」を生じており、場所的にもすべて「ずれ」ている。そしていよいよ最後、加山雄三が高峰秀子の「正面」に座ったとき、加山雄三が「眠ること」によって、再び二人の視線は「ずれ」ている。仮に二人が見つめ合ったというメロドラマ的言説をここで行うのであれば、二人は「ずれた視線によって見つめ合う」というおかしな感じになる。成瀬映画における「メロドラマ」とは、まさにこうした「ずれ」の中で慎ましやかに遂行されて行く聖なる儀式なのだ。

★浮気をしない法則

この「乱れる」において、加山雄三は高峰秀子だけを「裸の窃視」し、高峰秀子は加山雄三だけを「裸の窃視」していて、決してそれ以外の異性を「裸の窃視」していない。男と女の映画であり、かつ、主人公に対して二人以上の異性が絡む作品において成瀬は、決して一人の者に二人の異性を「裸の窃視」させないのである。これまで検討してきた作品の中で、『男と女の映画であり、かつ、主人公に対して二人以上の異性が絡む作品』という条件にあてはまる作品は以下のようにある。

「夜ごとの夢」(1933)「限りなき舗道」(1934)「桃中軒雲右衛門」(1936)「鶴八鶴次郎」(1938)「春のめざめ」(1947)「白い野獣」(1950)「お國と五平」(1952)「乱れる」(1964)「乱れ雲」(1967)

これらの中で、一人が二人の異性を「裸の窃視」した作品は一本も存在しない。さきほど検討した●「春のめざめ」においては、久我美子は杉裕之を「裸の窃視」しているが、星野和正を「裸の窃視」していない。星野和正から久我美子への「裸の窃視」はあるが、久我美子からの「裸の窃視」は存在しないのである。成瀬は「窃視」において、浮気を許さない。何気なく見過ごしてしまいそうになるこうした事実も、実は成瀬は計算してやっているとしか思えないということを、我々はこれからさらなる検討によって明らかにすることになるだろう。●「白い野獣」については格別の検討が必要である。この作品は「同性愛」という異質な要素が込められた作品であり、『男と女の映画であり、かつ、主人公に対して二人以上の異性が絡む作品においては、決して一人の者は二人の異性を「裸の窃視」しない』という法則はそのままあてはならない。この場合、三浦光子と飯野公子との関係を「異性」と見立てて検討をする必要がある。そうすると、飯野公子は⑤や⑪で山村聡を、そして⑮では三浦光子をそれぞれ「裸の窃視」しており、「浮気をしない法則」に反することになる。しかしこの「同性愛」は既に検討したように、三浦光子から飯野公子に対する一方的なものであり、飯野公子から三浦光子に対する眼差しは、決して「ラブストーリー」としての「裸の窃視」ではない。飯野公子にとって⑮の「裸の窃視」は、「異性」に対するものではないのである。したがってこの作品もまた「浮気をしない法則」に反していないことになる。さらに三浦光子もまた「浮気」をしていない。⑨においては一見、三浦光子が山村聡を「窃視」しているように見えるが、三浦光子が「窃視」したのは飯野公子と山村聡が「二人でいる」という「物語」であって、「裸性」ではない。この「窃視」のあと三浦光子は嫉妬にかられ、山村聡から飯野公子へプレゼントされたハンドバッグを盗むという「物語的行動」に出るのであり、従って⑨は「嫉妬」→「盗み」へと社会的につながるところの「物語的窃視」である。三浦光子は山村聡を露骨に誘惑しておきながら、一度も「裸の窃視」をしていないのだ。

58「娘・妻・母」(1960)

こうした視線の微妙なふれあいも、60年代のオールスター映画となると微妙に変化してゆく。この時期の成瀬映画が、興業のために少しずつ俗化していったことは前回、「ラストシーン」などの観点から検討したが、視線論からしても、「ラブストーリー」は俗化していく。「娘・妻・母」は、●「くちづけ」でコンビを組んだ松山善三と本格的にコンビを組んで臨んだ第一作であり(井出俊郎との共同脚本)、所謂オールスター映画である。この作品の錯綜した人物関係については「窃視表」をご覧頂きたい。

★共感できる主人公の不在

何とも抒情を欠いた「裸の窃視」で映画を終わっている()。『ラストシーンの公園で、笠知衆にあやされている赤ん坊の姿を遠くから「窃視」した三益愛子が、駆け寄って子供を抱き上げてあやす。』というものであるが、笠知衆は見知らぬ近所の老人であり、三益愛子も決して主人公ではなく、オールスター映画の中の一人に過ぎない。同じオールスター映画でも、山田五十鈴と杉村春子を、田中絹代が「裸の窃視」して見事に終わった●52「流れる」(1956)のラストシーン」(27)とは雲泥の開きがある。僅か4年の年月で、映画はここまで俗化するのかという驚きを禁じえないが、日本映画が斜陽を迎え、興行優先の題材が多く撮られるようになったこの時期に至って成瀬映画は共感できる主人公を欠き始めていることは、前回の論文の、「ラストシーン」の箇所において検討した。主人公として映画のタイトルを飾っている原節子や高峰秀子の人物像に今ひとつ共感を欠くために、ラストシーンでは老人役の三益愛子を持って来ざるを得ないような状況に追い込まれているのである。●「コタンの口笛」(1959)、●「秋立ちぬ」(1960)、●「妻として女として」(1961)、においては、子供たちがラストシーンを飾り、大勢のスターが共演した●「女の座」(1962)においては、とうとう人間不在とも言える寒々としたラストシーンで終わっている。「家を出ること」を主題とする成瀬映画において、それまでのスターたちではなく、子供たちや老人たちが「家を出る(自立)」ことをし始めたのである。

60年代問題

それに伴って、視線を通じて細微に織り成されていた「身体性」もまた「後退」をし始める。作品の中で、キスをして一旦は結ばれる原節子と仲代達矢とは、余りにも「無防備な身体」を露骨に晒し続けている。仲代達矢は⑥⑪⑫において、原節子は⑧においてそれぞれを「裸の窃視」しており、したがってこの作品における原節子と仲代達矢との関係は「相互窃視」による「ラブストーリー」として見る事が出来るのだが、そこにおける「集中」というマクガフィンの演出が、同じ60年代の映画でも、●「乱れ雲」(1967)、や●「乱れる」(1964)におけるような細微な「身体性」の描写がまったくなされておらず、その場限りの「集中」が、映画の構造を味気ないものとしている。「窃視」⑦では、とってつけたように原節子がいきなり家事に「集中」し、⑧に至っては、あろうことか、突如原節子が電気掃除機に「興味を示す」といったことがマクガフィンとして利用されている。確かにマクガフィンとは方便に過ぎず、それ自体に意味はないのだから、⑥や⑦の「家事」や「電気掃除機」といった出来事は、その際立つ無意味性からしてマクガフィンとして優良ではないかという考えもなくはないが、しかしマクガフィンの「無意味性」とは、あくまでも「映画的に意味のある無意味性」であり、そうであって初めて抒情としての「無意味」となって画面を力づけるのであるが、ここにおける「家事をする」「電気掃除機に興味を示す」というマクガフィンには何一つ映画的抒情が施されていない。映画の流れと関係のない挿話として突如発生しているのである。そもそも二人の間で初めての「窃視」が交わされたのは⑥であり、それは、『ダンスホールで踊っている団玲子や宝田明夫婦を見ている原節子を、仲代達矢が「窃視」する。』というものである。その後原節子と目が合い、見ていたことを知られた仲代達矢が慌てて目をそらし、また原節子へ切返され、原節子も見られていた事を知って照れる、という典型的な「エロス的身体」としての「裸の窃視」として撮られている。そして今度は逆に原節子が、『ぶどう酒製造法の話に熱中している仲代達矢の後ろ姿を、原節子が「窃視」する。』という「窃視」⑧において仲代達矢を「窃視」し、これまた仲代達矢と目が合ってしまい、見ていたことを知られた原節子が照れくさそうに笑うという、「エロス的身体」を晒している。二人は⑥と⑧の「相互窃視」によっていきなり「ラブストーリー」を完成させたばかりか、それぞれが初回の「窃視」において、「窃視」していたことを相手に知られてしまうという「エロス的身体」までもを一気に晒してしまい、⑧の時点において早くも究極の「エロス的ラブストーリー」を完成させてしまっているのである。余りにも早すぎる。二人の身体の解体の「過程」は一切描かれず、「結果」だけが描かれているのだ。こうのを「俗っぽい」というのだが、こうしたところに、成瀬が映画の全過程の脚本に絡んでいないことが間接的に伺えてしまう。これが成瀬映画の「60年代問題」である。

★接吻

原節子と仲代達矢は、掃除機のあと、見つめ合い、接吻をする。成瀬映画に「接吻」という現象が視覚的に現われるのは、現存する作品では●「春のめざめ」(1947)が最初であり、しかしそれも、久我美子が、山の上で星野和正に軽くキスされる程度であり、その後●「怒りの街」(1950)においては三度のキスシーンが撮られているがすべて画面の外へ省略され、次の●「白い野獣」(1950)においては中北千枝子が岡田英次のアパートで乱暴されるシーンがあるがこれもまた省略されている。省略なしにはっきりとキスシーンが撮られたのは●「浮雲」が最初であり、そこでは回想シーンで高峰秀子と森雅之とのキスシーンが現在の安宿へとオーヴァーラップして重ねられている。続いて●「あらくれ」(1957)では高峰秀子と加東大介のラブシーンが撮られてはいるものの、唇の描写は隠されている。しかし60年代に入ると●「夜の流れ」(1960)において宝田明と草笛光子、●「女の歴史」(1963)では星由里子と山崎務がアパートで、高峰秀子と仲代達矢が焼け跡の東京で、そして●「ひき逃げ」(1966)では司葉子と中山仁が車の中で、●「乱れ雲」(1967)では山菜取りのシーンと旅館のシーンで二度キスシーンが撮られているように、キスシーンが氾濫し始める。おそらくそれは、斜陽を迎えた60年代日本映画に課せられた過度の興業優先主義から来る力関係から来ているようにも思えるが、この「娘・妻・母」にしてもまた、スター映画であり、かつ、原節子と仲代達矢というスターがキスをするという見せ場を作るという興行事情が物語や主題から独立してしまっているために、映画的な視線の流れを作りえていない。これまでに検討した●「お國と五平」(1952)、そして同じ60年代に撮られた●「乱れる」(1964)そして●「乱れ雲」(1967)といった「(エロス的)ラブストーリー」が、葛藤の中で解体されてゆく身体のエロスを見事に描き切っていたのに対して、雲泥の開きがある。60年代の波の中において成瀬は、主題や物語との関係の中で、自分に合ったものと、そうでないものとの狭間で揺れ動いていたのである。

●「おかあさん」(1952)

ここまで「ラブストーリー」を検討してきたが、それによって「第三章・Ⅰ身体と法則」における「おかあさん」の検討の最後に『成瀬はこの映画を「ラブストーリー」として撮ってはいないのだ。』と書いた意味がお解かり頂けただろう。成瀬にとって「ラブストーリー」とは「解体されてゆく身体」としてのエロスであり、「めし」以降の絶好調時に撮られたこの作品において、うら若き「見つめる娘」である香川京子の「解体される身体」を撮る、ということは、成瀬の考えにはなかったように思われるのである。そうして初めて岡田英次の視線の弱さが理解できる。非常に細かな神経で演出をしていることがここにもまた露呈しているのだ。ほんとうに成瀬は、ここまで意識して演出をしていたのだろうか。

4章 関係と身体

■Ⅰはじめに

成瀬映画は、「見る身体」と「見られる身体」とにおける「関係」というものに極めて繊細な神経を注いでいることをここまで見てきた。眼の逸らし方ひとつで、それが「ラブ」になったり「聖」になったりするのである。そうした「関係性」が、非常に興味深く見出される作品として、徳田秋声原作の「あらくれ」を見ていきたい。

53「あらくれ」(1957)~義理堅い身体

「あらくれ」は、缶詰屋の嫁にやってきた農家の娘が、夫(上原謙)に離縁され、その後男たち(森雅之、加東大介)の間を転々と遍歴して歩く物語である。

★「ラブストーリー」ではない

高峰秀子が11回「窃視」しており、この作品は高峰秀子が遍歴を重ねた男たちの姿を「見つめる映画」の部類に入るだろう。そして高峰秀子の「窃視」が露呈させる多くのものは、彼女の周りを過ぎ去って行った男たちの醜さとも言うべき「負の窃視」であり、②④⑤⑯⑳21などの「窃視」がそれである。だがそんな高峰秀子も7回「窃視」されており、あながち「防御する身体」としてのみ撮られたものでもない。そのうち4回が森雅之によるものである。多くの遍歴を重ねた男たちの中で、高峰秀子を「裸の窃視」してくれたのは森雅之ただ一人であり、他の男たちとは綺麗サッパリ別れた高峰秀子も、森雅之に対してだけはその死後、墓参りをして筋を通している。そればかりか高峰秀子は、森雅之の旅館の番頭(横山運平)に、不相応なまでの金をくれてやっている。ここでもう一度「窃視」を見直してみたい。この映画で高峰秀子を「窃視」した(してくれた)男は、森雅之ただ一人しかいない(⑦⑧⑩⑫)。その中でも⑦と⑧は「裸の窃視」であり、特に⑧は、ひたすら高峰秀子のナマの姿を凝視する「裸の窃視」としてのエロスを醸し出している。ここで森雅之は、温泉の風呂場の脱衣所の鏡の前で髪をとかしている高峰秀子の姿を、少し離れた薄暗い廊下の陰からひっそりと「窃視」している。しばらくして森雅之は脱衣所に入っていくのだが、この「窃視」は高峰秀子には知られていない。●「乱れ雲」(1967)や●「乱れる」(1964)、●「お國と五平」(1952)などの「ラブストーリー」においては多くの場合、「窃視」された側が「窃視」の存在に気付き、動揺する、というシーンが「エロス的身体」として散りばめていたが、それに対してこの森雅之の「裸の窃視」は、高峰秀子に知られていない秘められた「聖なる窃視」であり、この「あらくれ」は、お互いがお互いの視線を「エロス的身体」によって交し合うようなタイプの甘い映画ではないのである。それを裏付けるように、高峰秀子から森雅之に対する「裸の窃視」はひとつも存在しない。中盤、高峰秀子が酔いつぶれて旅館の屏風を壊し、酔いから醒めた高峰秀子に対して森雅之が「みっともない、、」というシーンがある。もし、この作品に高峰秀子から森雅之に対する「裸の窃視」が存在するとすればここしかない()。壊れた襖を見つめて二人は立っており、「みっともない、、」と言った森雅之が高峰秀子に背中を向けて、やや左耳を掻くような仕草をしながら廊下の方向へと歩いて行く、その時、高峰秀子が森雅之の背中をチラリと一瞬見てすぐ眼を伏せるのである。これが「裸の窃視」ならこの映画は「ラブストーリー」ということになるだろう。しかしこのように、場所的断絶を欠く近い空間にある者を「窃視」する時には、酒を注がせたり(18「鶴八鶴次郎」(1938))⑮、手の怪我の治療をさせたり(32「春のめざめ」(1947)⑨、●35「白い野獣」(1950)④、酔い潰したり(47「晩菊」(1954)⑪、レインコートを脱がせたり(65「乱れる」(1964)⑥等、殊更何かに「集中」させる演出をすることを我々は検討して来た。たとえばこの映画の⑧の「窃視」は、高峰秀子が「髪をとかす」という行為に「集中」しているばかりか、それほど遠くない二人の距離が、脱衣場と、そこへ斜め後方から脱衣場へと向ってくる廊下という場所的な「ずれ」によって既に空間的に「断絶」されており、高峰秀子の「見られている事を知らない者」としての精神的な強度を高めている。従って廊下の森雅之は、近くにいながら高峰秀子を「窃視」できてしまうのだ。多くの成瀬映画の叙情的な「窃視」とは、装置、美術、そして演出によって、「(場所的に)近くて(精神的に)遠い」関係にある者を盗み見することによるエロスを露呈させるのであり、それはヒッチコックの●「裏窓」(1954)のような、場所的に遠い対象を安全地帯から盗み見することで醸し出されるサスペンスとは質的に異なるのである。せいぜいが「二間続きの部屋」程度の近しい距離によってひっそりと、あるいは時として「刑事の眼差し」のようにピカリと織り成されてゆくのだ。従って美術や演出もまた、それに沿うように綿密に計算されて作られて行くのである。

だがこの⑪の場合、ひとつの日本間という近接した空間に二人は同居しており、美術の上での「ずれ」を欠くことから、「窃視」という演出をするためには「集中」という演出がより強く必要となってくる。だがこの場合、森雅之に「集中」といえる現象があるとすればそれは「左耳を掻く」くらいにしか見出せない。しかし「耳を掻く」という行為が映画的に見て「集中」となるには、まさに「耳を掻く」という行為に没頭しなければならないはずだが、そんな行為が映画になるわけもなく、実際ここでの森雅之は、たださり気なく耳を掻いているだけで決して「集中」してはいない。また、「みっともない、、」といって場所を変えた森雅之は、仮に高峰秀子に背中を向けたとしても、「みっともない、」という自分のきつい言葉に高峰秀子が反応して自分の後ろ姿を見つめることは、十分に予想がつくはずである。どんなに高峰秀子が「チラリと」見つめたところで、見られる主体に「集中」という演出がしっかりなされていない視線は、成瀬映画においては決して「窃視」の趣旨では撮られていないと見るべきである。従ってこの⑪は「窃視」ではない。仮にこれが「窃視」だとしても、「みっともない、、」と言われた直後の高峰秀子の「窃視」が「裸の窃視」であるわけもなく、事実高峰秀子は困ったような眼差しで見つめており、従ってそれは「物語的窃視」なり「負の窃視」なりとして見られるべきものであって、二人のあいだには、少なくとも視線論的には「ラブストーリー」としての「関係性」は存在しない。私がこの「窃視」⑪を詳細に検討するのは、この作品が、「ラブストーリー」のような、相互窃視の「甘さ」を秘めた作品ではない、ということを確認したいがためである。この作品には「ラブストーリー」とは違った、どちらかといえば男っぽい女の生き様が露呈している。それを「窃視=視線」の関係が補強しているのでは、ということを検討したかったのである。

★浮気をしない

この作品でもまた「浮気をしない法則(主人公に対して二人以上の異性が絡む映画において、主人公は決して二人の異性に対して裸の窃視をしない)」は貫かれている。 (仮に加東大介の⑲が「裸の窃視」だとするとこの映画は⑱と相まって、高峰秀子と加東大介との「ラブストーリー」ということになる。みなさんが自分の眼で見て判断して欲しい)。他の男たちとは中途半端な別れ方に終始した高峰秀子は、「裸の窃視」をしてくれた森雅之に対してだけは、墓参りをし、義理を通している。成瀬巳喜男の映画をじっくりと見つめてゆくと、成瀬巳喜男という人間は、こういうことに関して実に丁寧に、そして考えられないほどの細かい配慮でもって演出をしていた事が見えてくる。成瀬にとって「裸の窃視」とは、欲望やエロスであると同時に、それを受け止めた身体にとっての恩義であり、礼なのだ。

■Ⅱ犯罪と「関係」

成瀬映画の「後退」には二つの時期があり、第一期は1936年の●「桃中軒雲右衛門」前後から●1951年の「舞姫」まで、第二期は●1958年の「鰯雲」(1958)以降である。成瀬が映画を撮っていたのは1929年から67年までのあいだであり、日本が資本主義社会への流れを強めた時期と一致している。それまでは村落共同体の中での「対面コミュニケーション」によって人間同士の関係を築くことのできた「内的な」者たちは、労働力として都市の中へと引きずりこまれた結果、彼らの周囲は「他者」ばかりとなる。当然ながらコミュニケーションの方法も、村落共同体型の「対面型コミュニケーション」から、都会型の「匿名型コミュニケーション」へと変化して行くことになるだろう。そうした大きな流れを取り込んでいったのが成瀬映画であり、その中で「窃視」というコミュニケーションの方法は、まさに「他者」と「他者」との「関係」を築くための、「匿名型コミュニケーション」のひとつの方法として現われていた。地方の農村から単身一人で上京したものの、就職難でオフィスガールになれずにカフェの女給になった「内的」な娘である千葉早智子が、ひたすら「窃視」によって都会の風俗を盗み見てゆく●「朝の並木道」(1936)こそ、成瀬的なるものを描いた典型といえるだろう。

だがそうしたコミュニケーションの方法が、映画的に制約され得る出来事が成瀬映画に二度訪れる。一度目は、日中戦争から第二次大戦へと流れて行く戦争とそれに連なる戦後の左翼化であり、二度目は、映画界が斜陽になった60年代における商業化の波である。二度目の「後退」については後の検討に譲ることとして、ここではまず戦争が、成瀬映画に影響を及ぼしたかを推測してみたい。

まず、一番影響を与えたと思われるのが人物のあり方である。戦争は、自国内に「他者」を認めない。挙国一致で敵に立ち向かっている兵隊たちや銃後の国民たちが、お互いに「他者」であっては困るのである。緊急時においてチョロチョロ「窃視」をしながら連絡を取り合うような国民は、国を滅ぼしかねない危険分子なのだ。それに代わって登場するのが、「対面型コミュニケーション」という、村落共同体型のコミュニケーションにほかならない。本来的に「他者」でしか有り得ない資本主義的都会人たちは、戦争によって一時的に「他者」であることを禁止され、そのコミュニケーションの方法は、「主体的」で親しい人物たちが、お互い腹を割って話し合えば必ず分かり合える、という「同質」の者たちによる「農村型コミュニケーション」へと急転回させられたのである。

「和の精神」を謳った『国体の本義』が、日本政府によって出されたのが1937年であり、その二年後には、既に解体され始めていた家的共同体内部(特に出征軍人の遺家族)における法的紛争の顕在化に対処し、「銃後における人心の安定」「出征兵士の士気の高揚」を図るために大急ぎで『人事調停法』が新たに制定され、「和の精神」による「解決」が家族法の分野において半ば強制されることとなった(川島武宜「日本人の法意識」171以下。)

ここにあるのは、既に「家的共同体」が崩壊し、法的な解決によらざるを得なくなった家族間の紛争を、無理矢理「家的共同体の和」によって解決しようとする国家の意志である。

それまでは内的な女性映画であった成瀬映画が、1936年前後から外交的な男性映画へと転回し、人物の性質もまた「二枚目」から「立役」へと転回したのは、時代が「和の精神」による「解決」をするに相応しい「主体的」人物を必要としたからではないだろうか。戦争は、成瀬映画の人物を、「主体」へと変貌させたのである。

こうした現象は、戦後の「左転回」についても同じようにあてはまる。メッセージの伝達を重視する傾向映画は、「主体的」な人物たちの面と向った対話の中身によって「解決=説明」される必要があるのである。

以上は、戦争と戦後の左転回という外部が、成瀬映画の細部にいかなる影響を及ぼしたかに関する大雑把な推測であり、確証はどこにもない。ここで大切なのは、成瀬映画のコミュニケーションの性質が「窃視」から「面と向った対話」へと変化したことそれ自体ではない。人物のあり方が変化した事で、映画の「過剰」が一気に失われてしまったという事実である。ここでもう一度、成瀬映画の「過剰」について考えてみよう。成瀬映画の「過剰」とは、コミュニケーションを不断に再生産する成瀬映画の世界におけるマクガフィンとして見出すことができた。「通風性」の場合、成瀬映画の美術は「開け放たれているから人が家を出る」のではなく、「人を家から出すために開け放たれている」のであり、内部の人間を外部へと放り出しコミュニケーションを促進させるためにある。そのためにも人物は「内的」でなければならない。「主体的な」人物であれば、家を出ることを「余儀なく」されないからである。ここでもまた「気が弱いから家を弾き出された」という①→②ではなく「家から弾き出されるために気が弱い」という②→①として細部は逆流している。そうして家を出された「内的」な人物たちがめぐり合う人々とは同種の人間たちではなく「他者」である。彼らは家を出たところ「他者」とめぐり合ってびっくりしたのではない。「他者」とめぐり合ってびっくりするために家を出たのである。ではどうしてそのような「他者」たちを成瀬映画の人々は「窃視」するかといえば、それは「他者」とは面と向った対話が通じないからではない。「窃視」というコミュニケーションの方法を選択したからこそ、彼らは「他者」なのである。そんな「他者」が、物事に「集中」していたから、人は「他者」を「窃視」するのではない。「他者」たちが「窃視」をされるために、「他者」は物事に「集中」するのである。細部は①→②→③→④ではなく、或いはそれと同時に、それよりも強く④→③→②→①と逆流して行く。逆流するが故に細部は「過剰」となり、その運動は「不可抗力」に支配されることになる。物語の鎖から解放された細部はあらゆる方向に拡散し、弾け合いながらさらなる細部を呼び寄せ、不断にコミュニケーションを再生産し続けて行くのである。

そうした中で、成瀬映画の人物が「主体的」になったとしたらどうなるだろう。すべてはオジャンである。「内的」であることとは、成瀬映画の決定的なマクガフィンだからだ。人物が「主体的」になったとき、「過剰」な細部は一気に機能不全に陥り「物語」の網の目へと絡め取られる。コミュニケーションは「窃視」ではなく「意志」による「面と向った対話」へと「後退」して「ずれ」を喪失し、「主体的」な人々は、わざわざ外部へ出て「他者」と出会い「関係」を築く必要がなくなるので「通風性」も「後退」し、確固たる「主体」によって為される運動は「不可抗力」から「自由意志」へと「後退」する。そして行動は「理由」に支配されるようになり、人々は「他者」の身体を「見ること」によって、「無意味」をそのまま目的として受け止めることのできる人間ではなく、同質の人間たちの声を「聞くこと」によって、「既にある確固たる意味」を読み取る功利的で硬質な主体となる。細部は「意志」と「心理」に絡め取られ、「物語」の網の中へと絡め取られて行く。こうして「過剰」な細部は「見ること」の④→③→②→①から、「読むこと」の①→②→③→④へと回収されてしまう。②は、①と③とのあいだにあることでのみ存在意義を有することになり、手段化され、②そのものとしての輝きを失い、「物語=制度」へと回収されてしまう。それがこれまでの「見ること」の検討によって露呈した「後退」という出来事の意味である。

 

戦争や戦後の左転回がどれだけ成瀬映画に影響を及ぼしたのか、以上の検討だけでは、断言することはできない。だが「後退」という事実を、細部を「見ること」によって検討をした時、物語的な変化を検討すること=読むこと=によっては決して現われ出てこない『「過剰」の喪失』という事実に出くわしたことには意味がある。戦争どころか啓蒙すら、実は、知らないうちに「過剰」さを押し隠し、我々をして凡庸で制度的な「物語」の中へと取り込むことを助けているのではないか、どちらにせよ、「見ること」は、『啓蒙』から身を逸らし、みずから世界を思考することの第一歩である。

★「スランプ」

多くの場合、作家がある時期に「スランプ」に陥ったという言説は、実は「批評家のスランプ」にすぎない。成瀬映画の「後退」とは、少なくとも映画の細部を検討したところでは、「スランプ」という能力的なものではなく、あるいはそれ以上に、時代のもたらす環境の変化がそのまま内部の細部を直撃したというべきものである。どちらにしても重要なのは、「後退」の原因が戦争や映画の社会化にあるやもしれないということではなく、たったひとつの細部が変化しただけで、映画はまったく違ったものになってしまうという、映画の恐怖である。そしてその細部を「救出」することができるのは、我々の瞳なのだ。

 

つづく

 

映画研究塾2010.5.10

 

参考文献(前回分を含む)

「成瀬巳喜男の設計」中古智・蓮實重彦

「成瀬巳喜男の世界へ」蓮實重彦・山根貞男編

「季刊リュミエール4・日本映画の黄金時代」蓮實重彦責任編集

「季刊リュミエール6DW・グリフィス」蓮實重彦責任編集

「映像の詩学」蓮實重彦

「映画読本・成瀬巳喜男」フィルムアート社

「東京人」200510月号

「映画狂人、小津の余白に」蓮實重彦

「ヒッチコック・トリュフォー映画術」山田宏一・蓮實重彦訳

「ヒッチコックを読む」フィルムアート社

「成瀬巳喜男・日常のひらめき」スザンネ・シェアマン

「二枚目の研究」佐藤忠男

「わたしの渡世日記・下」高峰秀子(朝日新聞社)

「成瀬巳喜男と映画の中の女たち」ぴあ

「日本映画俳優全史・女優編」猪俣勝人・田山力哉

「小津安二郎を読む」フィルムアート社

「映画監督 成瀬巳喜男レトロスペクティブ」コミュニケーションシネマ支援センター

「反時代的考察」ニーチェ(角川文庫)

「ニッポン」ブルーノ・タウト

「日本映画の時代」廣澤榮

「サーク・オン・サーク」ジョン・ハリデイ編

「めし」林芙美子(新潮文庫)

「山の音」川端康成(日本現代文学全集29)

「あらくれ」徳田秋声(日本現代文学全集11)

「日本映画史100年」四方田犬彦

「フロイト著作集①」フロイト(人文書院)

「菊と刀」ルース・ベネディクト(講談社学術文庫)

「破滅の美学」笠原和夫(幻冬舎アウトロー文庫)

「あにいもうと」室生犀星(日本現代文学全集27)

「舞姫」川端康成(新潮文庫)

「反オブジェクト」隈研吾(ちくま学芸文庫)

「今は昔のこんなこと」佐藤愛子(文春新書)

「ゴダール全発言Ⅱ」ゴダール(筑摩書房)

「映画史Ⅱ」ゴダール(筑摩書房)

「世論・上」リップマン(岩波文庫)

「オリエンタリズム・上」サイード(平凡社ライブラリー)

「日本人の法意識」川島武宜(岩波新書)

「成瀬巳喜男 映画の女性性」阿部嘉昭


成瀬映画の「身体性」が、人と人とのあいだの「関係」によって多種多様に露呈することを見てきたが、ここでは成瀬映画において引き起こされた犯罪について検討してみたい。成瀬の映画には、多くの犯罪が引き起こされている。

●「女優と詩人」(1935)においては、隣の家に引っ越してきた佐伯秀男が会社の金を横領し、女と心中未遂を図っているし、●「朝の並木道」(1937)ではまずもって、会社の金を横領した男が女給と無理心中した新聞記事が女給の千葉早智子を驚かせ、まもなくすると、同様の事件が千葉早智子の身に降りかかってくる。●「女人哀愁」(1937)の大川平八郎は会社の金を持ち逃げしており、●「薔薇合戦」(1950)においては、三宅邦子の夫が会社の金を横領した場面から映画は始まっている。●「妻の心」(1956)においては、弟から借金をした千秋実がそのまま姿を消してしまっているし、●「娘・妻・母」(1960)の森雅之は、兄弟の共有に属する屋敷を無断で抵当に入れてしまって兄弟たちにつるし上げられ、加東大介は森雅之から借りた金を踏み倒して失踪している。●「女が階段を上る時」(1960)の加東大介は、結婚詐欺のような真似をして高峰秀子との信頼関係を破壊しているし、●「女の中にいる他人」では、殺人という、成瀬映画としては珍しい生命犯が描かれているものの、小林桂樹の同僚の藤木悠は、会社の金を持ち逃げしている。●「浮雲」(1955)の高峰秀子は、インチキ宗教の教祖となった山形勲の経理をして金を持ち逃げしているし、●「女の歴史」(1963)においてもまた、高峰秀子の息子である山崎努は、星由利子との結婚生活を維持するために会社の金を横領している。

こうして成瀬映画の犯罪を並べてみると、「窃盗」とか「強盗」といった暴力的な犯罪ではなく、人間同士の「関係」を破壊する犯罪で占められていることがわかる。それは「持ち逃げ」であるとか「背信」であるとかの、刑法上の罪質としては「信頼関係を破壊する罪」としての「横領罪」なり「背任罪」であり、決して同じ財産罪であるところの「窃盗罪」や「強盗罪」のように、相手の「意思に反して」強引に奪い取るものではない。●「サーカス五人組」(1935)においては、義理の母が病気であると嘘をついた娘(三条正子)に同情した橘橋公がお金をあげる事件があり、これは厳密には詐欺罪であって横領罪ではないが、しかし「信頼」を破壊した点においては同様の趣旨が見出される。逆に窃盗罪なり強盗罪なりを探し出すとなると、想起されるのは僅かにサイレント期の●「夜ごとの夢」(1933)において深夜、事務所に盗みに入った斎藤達雄であったり、●「白い野獣」(1950)において、飯野公子のハンドバッグを盗んだ三浦光子くらいなものであって、その「白い野獣」においてすら、学園の職員である長浜藤夫のピンハネという横領罪が問題とされている。(もちろんミステリー映画としての●「女の中にいる他人」(1966)の殺人であるとか、●「ひき逃げ」(1966)や●「乱れ雲」(1967)の交通事故のような犯罪も例外的には存在する。)

こうした犯罪像は、成瀬映画の「内向性」、「二枚目」といった人物像と非常にマッチしている。彼らは恋愛においては決闘ではなく駆け落ちを、コミュニケーションにおいては対話でなく盗み見を、そして犯罪においてもまた、窃盗や強盗ではなく、横領や背任を選択する人々である。「サーカス五人組」(1935)で、面と向った対話で橘橋公を見事に騙して見せた三条正子はあくまでも例外的な人物であり、その大部分は、人様に堂々と金を借りることもできず、こっそりと持ち逃げしてドロンしてしまうような「内的な」人々なのだ。ここでもまた細部が呼応し始めている。内的な人物像、コミュニケーションの方法、犯罪の種類が相互に響き合っているのである。映画を「外部」から読んでゆくと、『横領や背任といった犯罪が多発する背景には、公私の区別のできない日本人特有の犯罪感がある』といった解釈へとつなががる可能性があるのだが、いかなる犯罪を「選択」するかはその監督の映画の「内部」が決めるのであり、「外部」が直接決めることではない。

★人物の性格がコミュニケーションのあり方へ影響を及ぼす

結局のところ、成瀬映画の細部は、その殆どすべてが「関係」というコミュニケーションに結び付いている。そしてまた、人々が「関係」によって生きて行くということは、裏を返せば確固たる「主体」を持ち合わせていないことを意味している。人が確固たる「主体」を有していれば、仮に世の中がどうであれ、相手との「関係」などお構いなしに、まるで時代劇の立役としてのヒーローのように、孤立無援の中、一気に事件を解決することもできるだろう。面と向った対話で相手を説き伏せることも可能であり、わざわざ「窃視」などというまどろっこしいことをしないでもすむ。仮に「窃視」をするにしても、ヒッチコックの●「裏窓」(1954)のジェームズ・スチュワートのようにして、安全地帯から、まるで神の視線のような超越的な眼差しでもって対象を盗み見て超然としていればよろしいのであって、開け放たれた空間にひしめき合う人間同士が「刑事の眼差し」でもってチラリチラリと盗み見る危険性の中に身を晒す必要はない。金が欲しければわざわざ横領などせずともしっかりと持ち主に事情を説明して借りることも可能であるし、それでもだめなら殺して金を奪い取ってしまえばよい。愛が欲しければ、こっそり二人で密室に隠れるようなチマチマしたマネをせず、堂々とお天道様の下で決闘でもしてライバルを殺してしまえばよいのである。しかし彼らにはそれができない、、、いじらしいまでにできないのだ。それができないからこそ成瀬は映画を撮るのである。

★暴力沙汰

確かに成瀬映画にも、●「あにいもうと」(1953)における、兄妹間の殴り合いの大喧嘩のような暴力的な実力行使は存在する。●「女優と詩人」(1935)●「あらくれ」(1957)●「杏っ子」(1958)における夫婦のあいだにおいてもまた、時として凄まじい殴り合いが生じることもある。●「限りなき舗道」(1934)においては山内光が姉の若葉信子を、●「薔薇合戦」(1950)では鶴田浩二が桂木洋子を、●「女が階段を上る時」(1960)においては仲代達矢が高峰秀子を、●「女の中にいる他人」(1966)では三橋達也が小林桂樹を、●「女の座」(1962)においては草笛光子が高峰秀子を、●「ひき逃げ」(1966)では司葉子が賀原夏子を、それぞれ殴っている。だがそのすべては親族間ないしは親密な関係にある者たちのあいだで引き起こされた私的なものであり、きっちりと犯罪として立件されるようなものではない。「法律は過程に立ち入らず」という私的な領域において成されたものであり、それによって致命傷を負わせたり、傷害を与えたりという暴力沙汰は、ミステリー映画としての殺人事件や過失犯としての交通事故を除いては一件たりとも存在しないのである。さらにまた「家の外部で殴る」という現象は、初期においては●「君と別れて」(1933)で、磯野秋雄が不良仲間に路上で殴られたり、●「あにいもうと」(1953)では森雅之が、パチンコ屋の前で父の山本礼三郎に殴られたりというものはあるものの、基本的態様としては存在せず、また、●「白い野獣」(1950)で三浦光子と谷林初栄の大喧嘩、●「稲妻」(1952)では植村謙二郎と小沢栄太郎の殴り合い、●「放浪記」(1962)における、草笛光子が高峰秀子を殴ること、などに見出される、必ずしも親しいとは言えない者同士によって引き起こされた暴力沙汰しても、すべては施設なり店舗なり自宅なりという「内部」によって惹き起こされた私的なものなのである。一件これらの粗暴でかつ大胆に見える暴力沙汰も実は、面と向った対話によってコミュニケーションによって「解決」をすることのできない「内的な」人物たちの典型的なふるまいとして現われている。それは「理性」によって相手を説き伏せようとする運動ではなく、極めて動物的な自動運動として繰り転げられているのである。「内的」であり、確固たる「主体」を有していない彼らは「関係」の中での微妙な強度としてしか生きて行けない。「窃視」という「ずれ」た視線によって少しずつ「関係」を構築して行くことで、その都度「主体」を更新し続けてゆくしかないのである。

★「他者」とシステム

しかし彼らが「関係」を試みる者たちとは、常に異質な「他者」である。成瀬映画のコミュニケーションとは、紛れもなく「他者」を前提としている。相手が「他者」であるからこそ、面と向った対話によってはまったく意味が通じず、彼らのあいだには何らの「解決」も「和解」も生じることはない。一人一人の人間の心を「共感」や「想像力」によって察知し合うことで相手の思考内容を分け持つことができるという、楽観的なコミュニケーション概念は成瀬映画には存在しないのである。「通風性」によって飛び込んできた「他者」たちと、成瀬映画の「内的な」人物たちは決して分かり合えず、理解もし合えない。そんな相手とのあいだに、時として暴力沙汰が生じてしまうのは、まさに相手が「他者」であるからにほかならず、話の通じないことに途方に暮れた人々は、家を出ることを余儀なくされる。しかしそもそも「内部」は「外部」と通底している以上、「内部」とは実は「外部」であり、家を出たところでそこに現われてくるのはまたしても異質な「他者」にほかならない。あらゆる地平が「内部」であり、それはすなはち「外部」なのだ。開かれた地平において人々たちは、世界内存在として、そこに同じく生活をしている人々=「他者」たちの「ほんとう」を垣間見ること、ただそれのみが、成瀬映画の「真実」を構成してゆくあり方である。だからこそ、主人公たちは「内的な二枚目」であり、人との「関係」を築くために家屋は「通風性」によって解放され、コミュニケーションは「主体」としての面と向った対話ではなく、「関係」としての「窃視」という「ずれ」た視線によって成されて行く。彼らには確固たる「主体」としての「自由意志」は存在しないがゆえに、それをわきまえず、「通風性」を拒絶してみずからの「自由意志=主体」を過信して「密室」へと逃れた者達には天罰が下る。それとは裏腹に、「不可抗力」という他の力を素直に受け入れ、「流れる」者たちには、時として「不可抗力による密室」という形で叙情的な瞬間が与えられる。成瀬映画のあらゆる細部は、人と人との「関係性」というコミュニケーションを支点にピンボールのように弾けあい、浸透しながら呼応し合い、物語を逆流しながら広がって行く。成瀬映画の世界とは、自己回帰的にコミュニケーションを再生産し続けてゆくダイナミックな社会システムなのだ。

■Ⅲ見つめられる身体

18「鶴八鶴次郎」(1938)

ここまで成瀬映画の「身体性」について見てきたが、混乱した方々は「窃視表」の冒頭に簡単にまとめてある「身体の種類」をご覧頂きたい。さて、ここでもう一度「鶴八鶴次郎」を検討してみたい。この作品は、先ほど①と⑤の「裸の窃視」によって、長谷川一夫と山田五十鈴の二人は「ラブストーリー」の関係に在るのではないか、ということを検討したが、ここでは「誰が見つめているか」ということを見ていくことにする。そうすると、長谷川一夫5回、藤原釜足7回、山田五十鈴1回となっていて、「山田五十鈴が見つめる映画」としては撮られていないことが見えて来る。それどころか脇役である藤原釜足の「見つめる映画」として撮られている。この時期の成瀬映画は、●「女優と詩人」(1935)における藤原釜足のように、第三者的脇役をして「見つめる人」として想定して撮っている作品が見られる。そういった構造は、同じく「郊外夫婦もの」であるところの●「驟雨」(1956)における、小林桂樹と根岸明美夫婦という第三者による「窃視」の活用などに受け継がれているものの●「めし」(1951)以降は基本的には存在しない。この「鶴八鶴次郎」の時期の成瀬は、仮に脇役という存在であれ、見つめるに足る身体性を有してさえいたならば、「見つめること」の特権を付与していたのである。

さて、今度は、「誰が見られているのか」を見てみたい。すると長谷川一夫10回、山田五十鈴5回、そして大川平八郎1回となっていて、ひとり長谷川一夫が突出している。するとこの作品は、「見る側」からは藤原釜足がひたすら見つめ、「見られる側」からは長谷川一夫が見つめられる映画であるということがそれとなく見えて来る。この作品は、同じ長谷川一夫と山田五十鈴を主役に撮られた芸道ものである●「歌行燈」(1943)が、山田五十鈴の心理に共感して撮られていたのとは逆に、長谷川一夫の心理を主に撮られており、長谷川一夫は「みずからだまって身を引く男」として賞賛気味に撮られている。その人物像は、「鶴八鶴次郎」(1938)以前の作品と比べた時、●「女優と詩人」(1935)●「妻よ薔薇のやうに」(1935)●「朝の並木道」(1936)において主役を演じた若々しい千葉早智子、あるいは●「桃中軒雲右衛門」(1936)や●「君と行く路」(1936)、その他あらゆる作品の人物たちとも違っており、また、●「生さぬ仲」(1932)においてひたすら女たちに見つめられ続けた少女とも違う。どちらかといえば●「君と別れて」(1933)の吉川満子や●「乙女ごヽろ三人姉妹」(1935)の堤真佐子、そして同じ千葉早智子でも●「噂の娘」(1935)の千葉早智子と、あるいは●「妻よ薔薇のやうに」(1935)の英百合子に接近している。そこに共通しているのは、人物がひたすら献身的である、という事実である。

ラストシーンにおける藤原釜足から長谷川一夫に対する二つの「窃視」は明らかに意図的に「窃視」として撮られている。⑭の「三味線に耳を傾ける(キャメラが寄る)」、⑮の「注がれた酒がこぼれないように注意してコップを見つめる」という演出は、まさに「窃視」へと向けられた「集中」というマクガフィンにほかならず、また⑮については前にも触れたように、わざわざ長谷川一夫がコップの方へ視線を「集中」しているショットへと切返していることがそれを補強している。山田五十鈴の幸せのために密かに身を引いた長谷川一夫、おそらくは落ちぶれてゆく運命にあるだろう。そんな長谷川一夫を、ここでは藤原釜足と言う脇役的人物が、二度に亘って「過剰」なまでに「窃視」している。ここにおける長谷川一夫の運動は、限りなく意味を剥ぎ取られた無意味としての「過剰」であり、それを意図的な演出によってまじまじと見つめている藤原釜足の二つの「窃視」は、紛れもなく「裸の窃視」である。確かに成瀬映画における「身体性」を決定付けるのは「裸の窃視」だけではないが、●8「妻よ薔薇のやうに」(1935)における英百合子の背中を見つめる眼差しのように()、意味を喪失した「裸の窃視」が一方的に「献身的」な人物を捉えたとき、成瀬映画は「賞賛すること」という主題を露呈させる。この作品は「ラブストーリー」としてのそれではなく、ひたすら献身的な長谷川一夫が賞賛されるところの「見つめられる映画」として撮られているのである。

ここまで、「窃視」される側の身体を中心にして、大きく分けると、「防御する身体」であるところの「見つめる映画」と、相互に「無防備な身体」であることのエロスを露呈させるところの「ラブストーリー」について検討をしてきたが、ただ一つの「無防備な身体」が、エロスでもラブでもなく、ひたすら片面的に「見つめられ続ける」という第三の範疇の物語がここに見出されるのである。

●「まごゝろ」(1939)

続いて「見つめられる身体」について検討する。「まごゝろ」は、かつての恋人同士(入江たか子と高田稔)の娘たち(加藤照子と悦ちゃん)が、ひょんなことから親たちの過去を知ってしまい思い悩む、ある地方都市の夏を舞台に撮られた作品である。

入江たか子の娘である加藤照子は、全部で7回「窃視」をしており、この映画が、まずもって加藤照子が「見つめる映画」であることが見て取れる。娘がふと知ってしまった母、入江たか子の秘密に胸を痛めながら成長を遂げて行く、そんな物語を、視線が先導してゆくのである。加藤照子はひたすら走り、その汗ばんだ頬でじっと母である入江たか子の姿を見つめるクローズアップの生々しさは()、モノクロ映画であるフィルムが「赤く」染まったとしか思えない肌のほてりを劇的に浮き立たせた奇跡的瞬間である。娘たちはひたすら、「無防備な身体」を露呈させている親たちを見つめ続けている。そもそもこの映画の事件の発端は、高田稔と村瀬幸子夫婦が内密の会話を無神経にも(無防備にも)大きな声で話してしまったばかりに、娘である悦ちゃんに「窃視」(盗み聞き)されてしまったことが発端となっており()、映画は親たちがひたすら「無防備な身体」を露呈させ、それを娘たちが「窃視」する、という「知らぬは親ばかりなり」といった構造で綴られていっている。その中で入江たか子は7回も「窃視」をされている。そして●「鶴八鶴次郎」(1938)の長谷川一夫と同じように、⑥⑦⑪などは見事な「裸の窃視」として入江たか子は見つめられている。前回の論文でも検討した⑥は、母、入江たか子と高田稔との昔の関係について親友の悦ちゃんから聞いてしまった加藤照子が学校から帰って来た時、玄関ではなく、直接裏木戸から庭へ入ってきて、裁縫をしている母、入江たか子を縁側越しに「窃視」するというものであり、⑦はその後、縁側での母、入江たか子との食事を早々に切り上げたあと、加藤照子がわざわざ場所を移動し、うちわで自分の右目を隠しながら左目で、食事をしている母、入江たか子を「窃視」するというものである。そのどちらもが、大きく開け放たれた縁側を通して撮られた瑞々しいショットであり、加藤照子の肌のほてりに胸が締め付けられそうなエモーションに包まれている。こうして母、入江たか子は、娘の初々しい眼差しに晒されてゆくのであるが、成瀬映画においてある特定の身体がひたすら「裸の窃視」をされる、という現象は、まずもって●「君と別れて」(1933)の吉川満子が想起される。そこで吉川満子は、ひたすらみずからの弟である磯野秋雄に対して献身的な母親代わりを演じており、そんな吉川満子は③⑤において妹分の水久保澄子にひたすら「裸の窃視」をされている。さらに前回検討した●「妻よ薔薇のやうに」(1935)において、千葉早智子の視線によって幾度か「裸の窃視」をされていた英百合子もまた、情夫の丸山定夫とその家族たちに献身的に尽くしてきた女であり、また●「鶴八鶴次郎」(1938)の長谷川一夫もまた、山田五十鈴のために密かに身を引き、みずからは朽ち果てて行く運命を進んで受け容れるような献身的な男であった。そこに共通しているのは、献身的であることと同時にある種の「古さ」である。彼らは今という時代に取り残されてしまった「古い者たち」なのだ。いわばその最後の種の絶滅のその瞬間に立会い、それをひたすら瞳に焼き付けて行く、それが成瀬映画の「無防備な身体」としての「見つめられる身体」の一形態である。「まごゝろ」の入江たか子もまた、密かに恋心を抱いていた高田稔の幸せを願ってみずから身を引き、条件の悪い結婚へと進んで身を委ねるような「古い女」であった。

41「おかあさん」(1952)

そうした身体性が●「めし」(1951)以降になって、初めて露呈した作品が●「おかあさん」である。既に何度か検討をしているこの作品で、母の田中絹代は6回「窃視」していると同時に7回も「窃視」されており、そのなかでも⑯と⑲は見事な「裸の窃視」として撮られている。この作品の田中絹代もまた、自分の娘を養子に出してまで、妹(中北千枝子)の息子を世話してしまうような「お人好し」であり、それはまさしく滅び去って行く「古い者」にほかならない。対して「見つめる娘」であった香川京子は12回も「窃視」しておきながら、ただの一度すら「窃視」されていない。これを偶然というひと言で片付けてしまうのはもはや無謀である。この映画で香川京子は、ひたすら「見つめる身体」として露呈しているのに対して、田中絹代は「見つめる身体」としてのみならず、「見つめられる身体」として撮られている。人物たちの「身体性の差異」が、ここでもまた視線において露呈しているのである。

★「古い者」

同じように献身的な人物であった●「乙女ごヽろ三人姉妹」(1935)の堤真佐子はひたすら「見つめる身体」の孤独の中に生きており、決して「見つめられる身体」として生きてはいなかったことは、13回「窃視」していた彼女が、「物語的窃視」を含めて映画の中でたったの一度たりとも「窃視」されていない事実からうかがい知ることが出来る。同じく献身的な人物を演じた●「噂の娘」(1935)の千葉早智子にしてもまた、みずから積極的に「窃視」はしていても、決して「窃視」されてはいない人物であった。「おかあさん」の香川京子を含めて、この3人に共通するのは、「若い」という事実である。決して彼女たちは「古い者」ではない。彼女たちは、これから消えて行く最後の種ではなく、未来なのだ。戦前の成瀬に「古い者」→「見つめられる身体」。「新しい者」→「見つめる身体」といった、確固たる意志が存在したかまでは明らかではないが、「古い者」たちがひたすら見つめられる身体性を露呈させて行くというモチーフは、その後の成瀬映画に確かに受け継がれている。最後の種の絶滅のその瞬間に立会い、彼らの生き様をひたすら瞳に焼き付けて行く、それは、成瀬巳喜男という「メロドラマの作家」には思いも拠らない西部劇的記憶であり、それはアメリカで西部劇を撮り続けたある作家へとつながる映画的記憶にほかならない。

52「流れる」(1956)~ジョン・フォードのまなざしについて

夏の柳橋界隈の置屋における芸者たちの人間模様を、往年の大スター、栗島すみ子をゲストに迎えてオールスターキャストで撮られた幸田文原作の映画がこの「流れる」である。これは●「おかあさん」(1952)同様、●「めし」(1951)以降の作品であることを注意して頂きたい。「めし」以降、特に50年代の成瀬映画は、視線と身体との「関係」が、鮮烈に露呈し続けた歴史だからである。物語は、置屋に新しく女中として田中絹代がやって来たところから始まる。そこでは女将の山田五十鈴と高峰秀子の母子を中心に、亭主(加東大介)に捨てられ小さな娘と転がり込んできた妹、中北千枝子、芸者の杉村春子、岡田茉莉子といった一流の女優陣が見事な競演を披露しながら、映画はハイキーのトーンに夏の清清しい光線に包まれ展開されていく。

今回の論文用にこの作品を四回見直し、やっとこれだけの「窃視」を抽出することができた。まず三回見直して、よし、これですべての「窃視」を把握した、だがもう一度最後に念のため、とこの12月に見直したときに、新たに8箇所もの「窃視」の候補が出てきたときの絶望感、喪失感というものは、おそらく理解してはもらえないだろう。余りの面白さについ物語に引き込まれてしまう作品を「見ること」とは極めて困難な作業なのだ。今回の論文の最大の収穫とはおそらくこの喪失感である。

中古智の複雑な装置の造作によって造られた深川の置屋を撮ったこの作品は、視線や音声が四方八方、前後左右上下に飛び交うとんでもない「通風性」を露呈させた作品であり、さらに「窃視」の関係が極めて錯綜していて、その繊細な視線の織りなしは到底「オールスター映画」なる商業主義へと偏った作品に見られがちなそれではなく、●「山の音」(1954)などと双璧の、しなやかな芳醇さをしたためている。女たちが主役を占めるこの映画には、恋愛の対象となる男は仲谷昇くらいしか存在せず、その仲谷も「窃視」の主体や対象としては撮られてはいない。この映画は「ラブストーリー」ではなく、女たちの「見つめる映画」ないしは「見つめられる映画」として撮られているのだ。高峰秀子7回、田中絹代6回、山田五十鈴6回、杉村春子2回と、見つめる人物は山田五十鈴、田中絹代、高峰秀子の三人に大きく分散されているが、その中で「裸の窃視」を見てみると、高峰秀子が3(⑧⑨⑫)、田中絹代は4回「裸の窃視」をしているのに対して(②⑳2627)、山田五十鈴と杉村春子は一度もしていない。次に「窃視」された回数を見てみると、高峰秀子2回、田中絹代3回なのに対して、山田五十鈴だけがひとり、8回も「窃視」されている。その次に「窃視」される回数の多いのは杉村春子の5回である。その中で山田五十鈴が5回、杉村春子が2回、そして高峰秀子と田中絹代が1回ずつ「裸の窃視」をされている。こうして見てみると、基本的にこの映画は、高峰秀子と田中絹代が「見つめる映画」であり、山田五十鈴と杉村春子が「見つめられる映画」であることが見えてくる。それを象徴するようにしてラストシーンは、三味線を弾いている山田五十鈴と杉村春子の二人が、台所の田中絹代に「裸の窃視」されるシーンで見事に終わっている(27)。このシーンは、故意に田中絹代を、山田五十鈴・杉村春子のふたりから場所的に近くありながらも「ずれ」ている、台所という空間に配置させ直していることからして、成瀬はこれを「窃視」として演出していることは疑うまでもない。芸者の杉村春子は、借金に追われ、酒癖も悪く、ずけずけと文句の多い女ではあるものの、仕事と芸に対する好奇心は旺盛であり、家政婦の田中絹代とも妙に気が合い、買って来させたコロッケを分け合って食べてしまうようなさっぱりとした女でもある。そんな杉村春子が、ふと蝦蟇の神様に向ってお祈りをしているところを、田中絹代がまじまじと「窃視」している()。同じ置屋の、要領の良い芸者仲間である岡田茉莉子が、ただの一度たりとも「裸の窃視」をされていないことは決して偶然ではないだろう。「古い者」は見つめられ、要領の良い者は決して見つめられない。⑨は、廊下の電話で賀原夏子に前日の無作法の言い訳に苦慮している母、山田五十鈴の姿を、日本間の襖に寄りかかって立っている高峰秀子が遠巻きに「窃視」するというシーンである。これをして、他人の頼みを断れない山田五十鈴を、娘の高峰秀子が「負の窃視」として見つめている視線と取れなくもないが、成瀬はこうした「頼みを断れない」人種を決して否定的には捉えていないことを我々は前回の論文で徹底的に検討している。山田五十鈴と杉村春子は古典的な芸者であり、現代風な器用さを欠いた「失われて行く種」である。そうした彼女たちが、「古さ」を晒した瞬間の「窃視」とは、決して否定的なものではなく、肯定的なものとして撮られているのであり、事実、困りながら電話に向って話しをしている母の姿を「窃視」したあとの高峰秀子は、何ともいえない表情で身をくねらせている。さらに叙情的なのは20である。タクシーを拾ってくるように岡田茉莉子に頼まれた女中の田中絹代が外へ出る、その路地の向うから歩いて来る山田五十鈴と偶然に鉢合わせをする、というシーンである。ここでエプロン姿の田中絹代は、自分の脇を思いつめたように通り過ぎて歩き去ってゆく山田五十鈴に挨拶をしてから歩き出し、ふと思い出したように振り向いて、歩き去ってゆく山田五十鈴の後ろ姿を見つめている。ここに時間の「断絶」が生じていることは言うまでも無いが、そもそもこの映画の舞台である置屋には多くの人の出入りがあって、確かに宮内精二が帰るときに人力車を呼んだりということをあったものの、基本的に人の出入りはその前後を省略されて撮られている。そこをわざわざ田中絹代がタクシーを拾いに出るシーンを撮る必要など物語上「まったく」存在しない。これは●68「乱れ雲」(1967)の「窃視」⑪における加山雄三の「パン」と同じように、ひと目「おかしい」のである。それにも拘らず田中絹代は外に出て、タクシーを拾いにいく。これは、タクシーを拾いに行出たところ偶然すれ違った山田五十鈴を「窃視」したのではない。山田五十鈴の後ろ姿を「窃視」するためにタクシーを拾いに出たのである。あらゆる成瀬映画の「裸の窃視」にはマクガフィンが潜んでいる。しかしそのマクガフィンが「物語」から離れて行けば行くほど、その「裸の窃視」は抒情度を増し、露呈の強度を強めて行く。どうしていきなりそんな関係の無いことをするんだろう、、と直感した時、大抵そのシークエンスには、飛び切りのエモーションが隠されている。「タクシーを拾いに出る」という、物語的には何の関係も無い運動をさせてまで、成瀬は「古い者」の背中を見つめてさせてやりたかったのである。

ここで「古い者」は山田五十鈴と杉村春子の二人だけではない。娘の高峰秀子もまた半分玄人、半分素人で、普通の結婚ができず、結婚適齢期を逃した今は、ミシンの練習をしながらひとり自立の道を模索している「古い種」である。お手伝いさんとして映画序盤に置屋にやって来た田中絹代は、そんな「失われて行く種」をひたすら「窃視」しながら、みずからも山田五十鈴に対する義理から、条件の良い就職を断ってしまうような「古い種」としての側面を共有している。そしてこの二人の「古い者たち」もまた、⑫と26において、叙情的な「裸の窃視」をされている。⑫は、注射を嫌がる子供を家政婦の田中絹代があやしているところを、向かいに座っている高峰秀子が「窃視」するシーンである。その瞬間キャメラがサッと田中絹代に寄って、それが高峰秀子の主観ショットの体裁で撮られているので、まるで高峰秀子が田中絹代に引き込まれてゆくような、恍惚とした感じで撮られている。27は、今度は逆に田中絹代が高峰秀子を「窃視」するシーンである。まずミシンをしている高峰秀子の「背中」がじっと画面に映し出されると、二階へやってきた田中絹代はその「背中」を見て微笑んでいる。みずから自立の道を歩むためにミシンを練習しているこの高峰秀子の「背中」こそ、成瀬が一番大切に撮りたい被写体にほかならず、これは紛れもなく「裸の窃視」として強調されている。「古い種」がいて、そうした種が、この「流れる」においてはひたすら「裸の窃視」によって見つめられ続けている。古くなり、失われつつある種である彼女たちは、移り行く時代に抗わず、ただひたすら「流れて」消えてゆく。その流れては消えて行く最後の瞬間を肯定的な眼差しによって賞賛し続けるこの映画こそ、成瀬巳喜男が、アメリカ西部劇において、ひたすら失われて行く種を撮り続けた不世出の大作家、『ジョン・フォード』と通底していたことを、紛れも無く語りしめている。

★「窃視」が印象と一致する

成瀬映画における「身体性」は、●「乙女ごヽろ三人姉妹」(1935)の堤真佐子のように「防御する身体」がひたすら見つめ続けるところの「見つめる映画」と、●「乱れ雲」(1967)のような「無防備な身体」が相互に見つめられ続けるところの「ラブストーリー」だけでなく、「無防備な身体」であるところの「古い者」がひたすら片面的に「見つめられ続ける」という第三の範疇であるところの「古い者物語」がここに見出された。同じひとつの「無防備な身体」でありながら、それを見つめる者たちとの「関係」によって、映画は「ラブストーリー」となったり「古い者物語」になったりしているのである。

成瀬の映画を見ていって、「窃視」を抜き出して見てみると、映画を見た時の印象とほぼ一致するような法則において「窃視」の関係が見出されている。映画に受けた印象からまったく離れた素っ頓狂な「窃視」の関係が見出されるというケースは殆ど無いのである。例えば●「あらくれ」(1957)を見た時に、何となくこの映画はラブストーリーというよりも、潔い女の生き様を描いた映画に見える、、、と感じた後に「窃視」を抜き出してみると、なるほどそういう感じで「窃視」が撮られているのである。もちろんここで私はその「法則」なるものを厳密な正しさとして示そうとはしていない。ただ我々は、「窃視」を感じているのだ。

5章 後退」

■Ⅰ関係性の喪失

★細部の関係

「めし」(1951)以降の典型的な作品をひとつの「らしさ」として大きく分類した時、そこにはまず、「身体」の関係から「防御する身体」と「無防備な身体」が、そこにさらなる「関係」が加わった時、映画は「防御する身体」としての「見つめる映画」、相互に「無防備な身体」を晒しあう「ラブストーリー」、そして「無防備な身体」がひたすら見つめられる「古い者物語」という、3つの物語を見出すことができた。そしてまた、「見つめる映画」の中にもまた、彼らの為した「窃視」が「物語的窃視」から「裸の窃視」へと変貌して行く「瞳の成長物語」、あるいは身体そのものだけが「防御する身体」から「無防備な身体」へと変貌する「あにいもうと」(1953)など、あらゆるバリエーションに満たされていた。もちろんその狭間には「あらくれ」のような、はっきりとした範疇に収まりきらない作品もあり、すべてを完全な「法則」によって規定することは不可能である。しかしながら「めし」以降、「杏っ子」(1958)に至る16本のあいだにかけては、「主題」と「身体」との「関係性」が、「視線」を通じて見出すことのできる実に幸福な時期であった。こうした「関係性」をもたらしたものこそ、前回の論文からこれまで我々が検討してきたところの「細部」の集積にほかならない。「細部」とは、「過剰」として物語を④→③→②→①と逆流されるためのマクガフィンとして働くのみならず、それぞれが相互に浸透する事で「関係の映画」を起動させ、生成させて行く起爆剤であり、そのひとつが失われただけでも、他のすべての細部に影響を及ぼしてしまうような中心であり、同時にまた周辺である。そうであるならば、「過剰」が失われた時、成瀬映画はどういう変化を見せて行くのだろうか。ここからは、成瀬映画の「後退」を検討することで、成瀬映画の「細部=過剰」の持つ意義を、違った角度から炙り出してみたい。

成瀬映画において、初めて「関係性」がおぼろげながら見出されたのは、現存する最初の作品である●1「腰弁頑張れ」(1931)であり、そこでは主人公のセールスマンである山口勇が、「見つめる身体」として見出されていた。さらに●3「君と別れて」(1933)1939年においては、水久保澄子の「見つめる身体」と、吉川満子の「古い者物語」が初めて叙情的なかたちで見出され、●「乙女ごヽろ三人姉妹」(1935)の堤真佐子の身体には、「見つめる身体」としての完成形を早くも見出すことができた。それは●「妻よ薔薇のやうに」(1935)●「噂の娘」(1935)●「朝の並木道」(1936) へと続く「千葉早智子三部作」において確かに受け継がれ、既に30年代において成瀬映画は「防御する身体」としての「見つめる映画」が一つの類型として定着したかに見えた。だがこうした「関係性」が、●「まごゝろ」(1939)あたりを境に急激に姿を消すことになる。それ以前の●「桃中軒雲右衛門」(1936)あたりから既に人と人との関係は少しずつ「成瀬らしからぬ」ものとなり、それが●「まごゝろ」では一瞬の劇的な復活を遂げたものの、それ以降、「後退」は決定的なものとなる。もちろんその★「成瀬らしからぬ」や「後退」というのは、映画の良し悪しを意味するものではなく、あくまで●「めし」(1951)以降の作品、特に50年代の作品をひとつの「成瀬らしさ」として擬制する当論文の前提の中での「らしくなさ」であることをここに断っておきたい。まずはその「桃中軒雲右衛門」を見てみたい。

11「桃中軒雲右衛門」(1936)

「二枚目」が主役を努める成瀬映画にして「立役」である月形龍之介が浪曲師として主人公を務めた、成瀬「らしからぬ」作品である。芸道のために女も子供もすべて犠牲にしてしまう浪曲師、月形龍之介とその妻、細川ちか子との関係を、パトロンの三島雅夫、芸人の藤原釜足などを絡めながら撮られている。

①と⑨で月形龍之介が、②③で細川ちか子がそれぞれ「窃視」しており、従ってこの作品は男と女が相互に「裸の窃視」をしあった映画としての「ラブストーリー」として成立しているようにも見える。しかしそのどれもが中途半端な演出に終始しており、それが敢えて微妙にぼかして撮られたというものでもなく、ひたすら叙情を欠くことに終始している。「集中すること」というマクガフィンにおいて豊かさを欠いているのである。

★「立役」と美術との関係

それまで「身体性」によって「関係」を綴ってきた成瀬映画が、「立役」という、成瀬「らしからぬ」主人公が顔を出し始めた途端、「後退」し始めている。前作●「噂の娘」(1935)までのしなやかな「窃視」がここでは硬質なものと化し、叙情性を失わせている。「窃視」が意味を(あるいは意味なき意味を)喪失しているのである。それは装置・美術の硬質さとも相まって、映画を固いものとしている。ここまで論文は、現存する最初の作品である●「腰弁頑張れ」(1931)からその「窃視」について検討を加えてきたが、それらの作品の装置、美術を見たときに、この「桃中軒雲右衛門」で一気にガクンとその「通風性」が退化するのである。たとえば●「限りなき舗道」(1934)の場合、確かにその主たる舞台はブルジョアの家屋は西欧風の硬質であり、装置としての「通風性」はまったく感じられなかったものの、忍節子の小さなアパートには、隣の画家、日守新一が、まるでエルンスト・ルビッチの映画のように何度もドアを開けて入って来ており、人間の運動としての「人的通風性」は保たれていた。それがこの「桃中軒雲右衛門」においては、物的な面においても、人的な面でも、「通風性」をもたらすようには配慮されていない。「通風性」とは、まずもって家屋に人が住むことを通じてもたらされる現象であるところ、この作品の月形龍之介は多くの時間を料亭や旅館、舞台や汽車において費やしており、「家屋に住むこと」という要素が希薄なのである。

★「他者」の不在

さらにまた、訪れる人物たちは三島雅夫や藤原釜足をはじめ、月形龍之介の気心の知れた仲間たちばかりであり、まったく異質の「他者」ではない。確かにパトロンの三島雅夫と月形龍之介とは取っ組み合いの大喧嘩を始めてはいるものの、その喧嘩とは、理路整然と言葉によって物事を「解決」できると信じている三島雅夫が、分からず屋の月形龍之介に制裁を加え、改心させる、という「面と向った対話による解決」を期待しての、確固たる意志に基づいてなされた理性的なものであり、●「あにいもうと」(1953)の京マチ子VS森雅之や、あるいは●「あらくれ」(1957)における高峰秀子VS加東大介の大乱闘のような、言葉のまったく通じない(口の下手な)者同士によってなされた動物的な引っ掻き合いではない。人物がそれまでの軟質から硬質の「立役」になり「主体」へと変化した途端に、装置としての「通風性」と、来訪者としての「他者性」が失われている。

12「君と行く路」(1936)

★コミュニケーションの方法と美術との関係

現存する作品の中で、「窃視」の数が一番少ないのがこの作品であり、2箇所しか存在しない。その「窃視」もまた、主人公である大川平八郎と恋人の山県直代とのあいだには、ただの一度も交わされてはいない。恋人たちの「ずれ」た視線ではなく、ひたすら正面から見つめ合う映画=メロドラマとして撮られているのである。人物の性格は「内的」であるものの、コミュニケーションの方法が「窃視」から、見つめ合うことへと変わるとき、映画はメロドラマとしての甘さをしたため、舞台となる鎌倉の海岸の家屋の装置もまた、ドアの壁によって外界と隔てられた硬質の西欧風となり、「通風性」を欠くことになる。

13「朝の並木道」(1936)

ところがその後、妻になる千葉早智子が主演した次の「朝の並木道」においては一気に18箇所もの「窃視」が復活し、ラストシーンは「見つめる身体」としての千葉早智子が恋人の大川平八郎の背中を「裸の窃視」して見事に終わっている。前作の●「君と行く路」(1936)の「窃視」が2箇所であるのと比べた時、この差異というものは何なのだろう。邪推をすれば、千葉早智子という未来の妻の主演作による成瀬の一大奮起、などという俗っぽい解釈にもなるのかも知れないが、矢張りそれと同時に、千葉早智子の持っている人物としての軟質さと、主人公の内的性格=題材が、「関係の映画」としての「成瀬的なるもの」にマッチしていたというべきであり、それに呼応するようにして「カフェ」や「下宿」という「通風性」が、映画に息を吹き込んでいる。だが次の入江たか子主演●「女人哀愁」(1937)において、再び「後退」を始めている。

14「女人哀愁」(1937)

軟弱なブルジョア男、北沢彪の邸宅へ嫁に行った入江たか子が、嫁入り先の家族から女中のように扱われ、いじめられ、たまらず決別宣言をして家を出るという物語である。

★「主体」と「音声」について

「窃視」の数は●「朝の並木道」(1936)から半減し、また叙情的な「窃視」も存在せず、すべてが「物語的窃視」の系統で撮られている。そもそも成瀬映画における「結婚もの」とはイコール「倦怠期もの」であり、そこでは結婚式や新婚期はすべて省略され、いきなり「他者」としての倦怠期へと移行されることを常としている。その中で「内的な」夫婦のあいだに生じている疑念や不信を「物語的窃視」によって探りながら進んで行く、というのが成瀬映画の「結婚もの」の常道であることからするならば、ひたすら「物語的窃視」が続いて行くこの作品に、別段「後退」はないとも言える。それでありながらこの作品は、最終的には入江たか子の決別宣言という「主体的な」行動が大きく作用している。「主体的な」要素が入ってくる以上、コミュニケーションは「窃視」という「ずれ」ではなく、面と向った対話という「正面」によって成されがちとなる。それを反映したかのように、この作品は、視線における「ずれること」を必要不可欠として欲してはいない。それよりもこの作品は、視線の「ずれ」ではなく、音声の「ずれ」によって撮られている。「窃視」⑥にしても次男は、まずオフ空間から聞こえて来た北沢彪の「声」に反応してから「窃視」しており、「音声のずれ」が優先されている。そうしてこの作品を「聞いて」みると、姑たちが麻雀をしている時の噂話を、隣室の入江たか子が「盗聴」するという音の分離が、入江たか子に決定的な不信をもたらす演出として効いているばかりか、何度もオフの空間から「弘子さん!」と、嫁の入江たか子を呼びつける演出が、まるで嫁が女中のように呼びつけられるという音声として反復され、それが入江たか子の決別宣言への布石として大きく作用しているのである。●「桃中軒雲右衛門」(1936)では浪花節という「音声」が、●「君と行く路」(1936)においてはオフ空間から聞こえて来る「スーベニール」という音楽が、極めて大きな役割を果たしていたように、この時期の成瀬は、視線よりも音声の「ずれ」の方へと流れていったようなところがある。

15「雪崩」(1937)

成瀬がキャメラに紗をかけながらナレーションを活用して話題となった、梅雨から初夏にかけての在るブルジョア家庭を描いたこの「雪崩」は、日本的で従順で、義父の汐見洋に言わせると「無抵抗で弱虫な女」である嫁、霧立のぼるに不満を持ち、西洋的で自立した女、江戸川蘭子への愛を募らせた夫、佐伯秀男が、妻との偽装心中を企む作品である。

★人物の性格とコミュニケーションのあり方

人物の点においては、主人公の霧立のぼるが「内的」でありながら、彼女を取り巻く人物=夫の佐伯秀男、義父の汐見洋、夫の恋人である江戸川蘭子=がみな、非常に芯の強い外交的=主体的な人物であるため、「窃視」によってコミュニケーションを紡いで行く必要は乏しくなり、必然的に「窃視」には意味がなくなる。映画は父と子の対話やラストシーンの「和解」などに見られるように、映画は「窃視」ではなく、面と向った対話が主流となって撮られてゆく。

★「通風性」の欠如とメロドラマ

装置の点においてもまた、西欧風の壁に囲まれた邸宅、ドアによって密閉されたホテルが舞台となっており、「通風性」を欠いている。外交的な人物、硬質な装置、こうした「らしからぬもの」が、成瀬的細部の饗宴を妨げている。台詞においても、隠喩の散りばめられた理屈っぽいものが多く、また砕け散る波のクローズアップが幾度か入るこの作品は、視線の「ずれ」によってコミュニケーションを積み重ねて行く「関係の映画」ではなく、「見つめ合うこと」でエモーションを醸し出すところのメロドラマ(ズレない映画)として成り立っている。

★話すことを聞くこと

さらに前作の●「女人哀愁」(1937)と同じように、オフ空間から聞こえて来る音声が使われている。

1序盤、実家へ帰ってきた霧立のぼるが玄関で、居間から聞こえて来る父、丸山定夫と三島雅夫の霧立のぼるに関する噂話を「盗聴」する。「物語的盗聴」

2屋敷で、電話をしている義父、汐見洋の「なに、鎌倉?」という声を、霧立のぼるがドア越しに「盗聴」する。「物語的盗聴」

上から下へと画面を下がって来る紗とともに、人物のナレーション(独白)が何度も入るこの作品は、趣旨として「見ること」ではなく「話すこと=聞くこと」によって貫かれている。現にラストシーンは、佐伯秀男が「みずからの声を自分で聞くこと(独白)」によって出来事が「解決」しているのだ。「主体的」な人物たちは、既に存在する確固たる内面を「話すこと=聞くこと」によって事件を「解決」できてしまうのであり、装置や美術においてわざわざ「通風性」を起動させて「外部」へと放り出し、「窃視」によって「関係」を積み上げて行かずとも、コミュニケーションを達成できてしまうのである。

1617「禍福・前編・後編」(1937)

肉体関係をもった許婚の高田稔に裏切られた入江たか子が、隠れて高田稔の子供を産みながら、ブルジョアの女と結婚した高田稔に復讐を果たして行くドラマである。高田稔の妻(竹久千恵子)、入江たか子の友人(逢初夢子)などを交えながら、前編、後編に分けて撮られている。

高田稔から竹久千恵子に対する「裸の窃視」は存在するが()、高田稔から入江たか子に対する「裸の窃視」はひとつも存在しないのは、この作品の物語をそのまま露呈させており、また、入江たか子の「裸の窃視」は、自分を裏切った高田稔に対してはただのひとつも存在せず、逆に自分に優しく接してくれた竹久千恵子に対して存在する()というのもまた、「関係」を身体的に露呈させており、そうした点からすればこの作品における「身体性」はさほど「後退」してはいないとも見える。だがそもそも⑪は、普通に見ていたのでは見逃してしまうような細かな演出であり、④にしても、去って行く竹久千恵子をそのまま高田稔が見送っているのであるから、そこには細微な「断絶」の演出が必要であるにも拘らず、画面はオーヴァーラップによる二重写しという大袈裟な視覚効果によって「窃視」を強調しており、既に検討している●13「朝の並木道」(1936)の⑱や、●「乱れ雲」(1967)の⑭における「一歩」と比較すると、映画的な演出として明らかに「後退」していると言わざるを得ない。

★美術家との関係

装置の点では、どうも美術の北猛夫と成瀬との相性は良くないようである。成瀬映画にとって必要なのは、人と人との「関係性」をもたらすところの、時間的に開け放たれた「木と竹と紙」の装置であり、壁ではなく床、ドアでなく縁側、という、重心が上ではなく下へと置かれた空間である。それによって初めて映画は「関係」という時間を得ることができるのであるが、この「禍福」において、確かに前回の論文で指摘した、清川虹子の今川焼き屋の二階の下宿は「通風性」においてそれなりの役割を果たしているにしても、北猛夫による西欧風の邸宅は、その硬質性ゆえに「内的」な者たちには使いこなせず、映画を西欧的な固い映画へと変貌させてしまっている。ここまで順に「後退」を検討してきた作品の中で●「桃中軒雲右衛門」(1936)から●「禍福・後編」(1937)までの七本中、●「女人哀愁」(1937)を除く6本が、北猛夫によって設計されている。そしてその「女人哀愁」については、少なくとも設計上は「襖」という紙の素材が大きく活用されており、それによって映画は音声における「通風性」を獲得していたことは既に検討している。しかしその他の作品の多くは西欧風建築によって固く閉ざされ、●「朝の並木道」(1936)にしても、カフェの装置それ自体は「人的通風性」に満たされていたとしても、「物的通風性」に満たされていたわけではない。

★「関係の映画」における美術のあり方~隈研吾の建築論から

では、「関係の映画」における美術とは、具体的にはどのようにあるべきだろう。玄関のドアが開けっ放しであったり、窓が開いていたり、鍵が開いてさえすれば、「他者」は侵入してきてくれるのだろうか。建築家の隈研吾はこういっている。

『建築とは主体と離れて立つオブジェクトではない。建築とは主体と世界の間に介在する媒介装置である。』(ちくま学芸文庫「反オブシェクト」82)

多くの建築は、見つめる対象=オブジェクトとしてそびえ立っている。対象である以上、その中にわれわれ人間は入って行くことができない。もちろん建築物の中に入って生活することは物理的には可能だが、オブジェクトとしての建築は、常に確固たる対象として微動だにせず、我々が働きかけようともその存在を変化させることはない。オブジェクトは我々の身体に反応しないからである。従って我々とオブジェクトとは「関係」を築きあげることはできない。ただひたすら我々は、距離を保ってオブジェクトを外部から見つめることしかできない。ここには見つめる主体と見つめられる客体との分裂が生じている。見つめる主体は超越的なポジションから対象である建築をオブジェクトとして見つめるだけで、その中に入って身体ごと時間を体験することはできないのである。だが桂離宮などの庭園を歩いている自分の姿を想像してみよう。庭園は、確固たるオブジェクトとしてそびえ立ってはいない。人がその中を歩いたり、振り向いたり、見上げたりする度に、庭園は様相を変化させる。世界が我々の身体にその都度反応することで「時間」が生まれ、人と世界との「関係」が生まれる。庭園における世界はオブジェクトとしての客体でなく、我々の身体的時間とともに相対的に変化を遂げて行く。建築はでしゃばらず、ひたすら人と世界とのあいだを媒介するのである。隈研吾は続けている。

『日本人は内部と外部を隔てる壁という存在を、極力回避しようとつとめてきた。柱と梁だけがあって、そのあいだは、開閉可能な建具でふさがれる。当然そこには、パンチド・ウィンドウ(小窓)は存在しない。空間を規定するのは窓というフレームではなく、床である。床が空間認識の形式を支配しているのである。主体が具体的な身体を所有している限り、主体は必ず何らかのフロアに帰属し、その上に立っている。』(反オブシェクト84

ここで私は●「まごゝろ」(1939)の中古智の設計による、あの開け放たれた縁側を想起せずにはいられない。入江たか子がせっせと裁縫に励み続ける縁側の開かれた日本間の空間こそ、まさに時間と関係に包まれた「床(フロア)」空間」であり、決して小窓(フレーム)が外部の風景を限定する「壁空間」ではなかったはずである。床空間は、外部へと線的に拡がっているがゆえに、内部と外部との質的差異を無化せしめ、通底させ、「他者」を招き入れる。

さらに続けて隈研吾はこう書いている。

『ゆえに世界と主体との間に存在することが可能なあらゆる関係性は、フロア()形式の変奏に過ぎない。それほどにフロア形式はおおらかであり、開かれている。一方、フレーム()形式とは、フレームという単一の限定された形式による、世界の支配である。そこでは、まずフレームがあり、主体も、そしてオブジェクトも、その形式に従属している。フレームがそこに介在する限り、世界と主体とを、それ以外の関係性で接続することは、不可能である。もし仮に、主体が世界に向って歩みより、身体を媒介にして触覚的に接触しようとしても、両者の間に介在するフレームが、その運動を、運動によって発生するであろう関係を阻止するのである(反オブシェクト85)』。そして『すべてのボーダー(境目)は、物質を縁どって、物質をオブジェクトへと転落させて行くのである。ゆえに、日本の伝統的木造建築における縁側も、ボーダーを持たない。縁側の板は突然に切断され、切りっぱなしのままに放置されるのである。その縁側のエッジが室内と庭園とを接続し、主体と世界とを繋結するのである(反オブシェクト91)』。さらに続けて『~壁は空間的エレメントであり、床は空間と時間の双方に所属するエレメントだからである。壁の存在は遠方からも容易に認識され、固定された視点(非時間的視点)からも容易に認識される。ゆえに壁は空間的である。一方床は、主体の移動によって次々と現前に展開する。その全貌は次々に、すなわち時間的にのみ展開される。ゆえに床は空間的のみならず、時間的なのである(反オブシェクト100)

★美術と「立役」との関係

成瀬映画の開かれた床と縁側の空間は、異質な「他者」を内部へと招き入れることによって、内的な人物と、外部の世界とを時間によって通底させ、その「関係」を築き上げることを可能とさせるのだ。それは「外部」においても同様である。●13「朝の並木道」(1936)における水久保澄子の踏み出す一歩()、●68「乱れ雲」(1967)における司葉子の踏み出す一歩は()、世界の中に生きている人間の時間的な一歩であり、世界はその都度様相を変えながら、その一歩を踏み出した者たちの前に立ち現われては消えて行く、その一瞬の時間において彼らは「断絶」を埋めながら、「窃視」というコミュニケーションにおいて「関係」を築いてゆくのである。だが装置が「壁」というオブジェクトによって遮断される時、人々は「関係」する術を失い、映画は硬質なものとなる。オブジェクト型の装置とは、確固たる「主体」をもった者たちにこそ相応しい「立役」の装置なのだ。みずからの「主体」を確立している「立役」のコミュニケーションは、一歩を踏み出したり踏み出さなかったりすることによっていちいち変化をしてしまうような相対的、時間的なものではない。例え相手がいつ、どこで、どう居ようとお構いなしに、バッサリやってしまえば「正義」は達成され事件は解決してしまう、それが「立役」のコミュニケーションである。●「立役」の月形龍之介の主演した●「桃中軒雲右衛門」(1936)における北猛夫の美術が硬質であったのには、理由があるのである。

★距離の問題

さらにまた、「床空間」とは水平な空間を意味し、そこで織りなされる人と人との「関係」は、どちらか一人が超越的なポジションに在ってなされるものではなく、どちらからでも相手を見渡すことのできる対等な空間で為されることを意味している。従って成瀬映画のコミュニケーションは、基本的には、日本間という狭い空間に向き合った状態において「刑事の眼差し」の如くにチラリと為されるか、せいぜい離れていても二間続きの部屋、台所と茶の間、裏庭と縁側、廊下と湯殿、といった近距離からなされるのが常となる。何十メートルも離れた場所から、望遠鏡を覘いて相手を「窃視」するような演出は、現存する68本の作品の中でただの一箇所たりとも存在していないのは、成瀬映画におけるあらゆる細部は、常に呼応していることを意味している。「関係」を築く映画を撮るからこそ、空間は近距離において水平に開かれて行くのだ。そうした点から言うと、多摩川べりで踊っている三橋達也を、遠く離れた料理屋の二階という超越的なポジションから淡路恵子らが「窃視」した●62「女の座」(1962)の「窃視」⑬の演出は、極めて「成瀬らしからぬ」演出であるといわなければならない。それ以外にも遠距離からの「窃視」は、●6「乙女ごヽろ三人姉妹」(1935)の「窃視」⑰⑱⑲、●47「浮雲」(1955)の⑰⑱、●50「驟雨」(1956)の「窃視」⑭など、あるにはあるが、膨大な数を誇る成瀬映画の「窃視」の中では微々たるものに過ぎない。「窃視」させる人間から絶対的に気付かれない遠距離からの「窃視」は、「関係」を紡いで行く成瀬映画の本質に決定的に反するからである。成瀬映画における「距離」は、決して物理的で絶対的なそれではなく、美術と人間との「関係」によって相対的に、かつ時間的に創出されるのであり、その「距離」を「踏み出される一歩」という運動によって時間的に埋めながら、人と人とは「関係」を構築して行くのである。成瀬映画のあらゆる細部は、すべてが「関係の映画」へと向けて、呼応し、共鳴している。

★段差の問題

さらにまた成瀬映画からは、上下の段差からの「窃視」も極力排除され、せいぜいが●「お國と五平」(1952)の木暮実千代のように、旅の宿の二階から、道行く旅の者たちを「窃視」するくらいの高低差が限度であり、ヒッチコック映画のように、極端な俯瞰において超越的に見下ろしての「窃視」などは存在しない。段差が大きくなければなるほど、相手が「見られている事を知らない者」となる度合いは大きくなる。それは相手のオブジェクト化が増してくることを意味している。「お國と五平」の木暮実千代は、●「裏窓」(1954)のジェームズ・スチュアートのように、部屋の奥の影の部分に隠れて下を見ているのではなく、みずからの身を外部に大きく晒しながら見つめており、それは見られている者たちがふと見上げ返せば、木暮実千代もまた相手から見られてしまうポジションにほかならず、成瀬映画の「窃視」の段差の限度は、この、相手から見返される範囲=相手がオブジェクト化しない範囲によって制御されている。これ以上高くなっても、また木暮実千代がこれ以上奥へ入っても、相手はオブジェクト化してしまう。オブジェクト化した相手とは時間を共有できず、従って「関係」を築くことはできない。●42「稲妻」(1952)の高峰秀子は、世田谷の下宿において、二階という段差のある場所から憧れの根上淳を見下ろしながら「窃視」しているが()、すぐに気付いた根上淳に見つめ返されてしまい、高峰秀子は慌てて恥かしげに目を逸らす、という状況に陥っている。これが成瀬的コミュニケーションの典型である。成瀬映画に極端なロングショットも俯瞰も段差も存在しないというのは、こういうことなのだ。

★フレームの問題

さらにまた、「稲妻」の「窃視」⑰で高峰秀子の見つめていた場所は「窓空間」ではなく、物干しのようにみずからの姿を外部に晒した空間であり、決して「窓」によって切り取られオブジェクト化した対象として根上淳を見つめていたのではない。成瀬映画の装置美術は、人物が一歩動けば相手との「関係」が即変化をしてしまう、時間的サスペンスを演出するために存在するのであり、そこに「窓」は不在である。「窓=フレーム」は、そうした「関係」をたった一つの平面に絶対的に切り取ってしまって動きを封じ込め、相手との生きた時間と関係とを切断してしまうからである。望遠鏡という「フレーム」に対象をオブジェクトとして切り取り、安全地帯に身を隠しながら「窃視」をしてゆくヒッチコックの●「裏窓」(1954)は、まさに西洋型、オブジェクト型の「窃視」の典型である。だがその「裏窓」に、人と人との「関係」がもたらされたのは、オブジェクト化した対象が、ジェームズ・スチュアートの部屋の中(床空間)へ侵入してきてからであることを忘れてはならない。ヒッチコックは、オブジェクトと「関係」とを巧みに使い分けながらサスペンスを醸し出しているのである。それに対して成瀬の場合、●13「朝の並木道」(1936)の大川平八郎による「窃視」⑰は一見、警察の動きを二階から盗み見る点で同じように見えるが、そこには窓枠というフレームが不在であるし、●65「乱れる」(1964)で、列車の外へ出て、そばを食べている加山雄三を、列車の中から高峰秀子が「窃視」するシーンにしても()、窓枠は画面の中に取り込まれてはおらず、実際、高峰秀子は、すぐに見ていたことを加山雄三に気付かれてしまっていて、加山雄三はオブジェクト化されていない。存在するのは●24「母は死なず」(1942)の「窃視」⑭と、●56「コタンの口笛」の「窃視」⑪くらいであり、後者は、自殺の意志を固め、家を出て行った山内賢が、家の窓の外から、赤いセーターを着て編み物をしている姉、幸田良子の姿を「窃視」するというシーンで撮られている。主観ショットの体裁で撮られたこの「窃視」には、窓ガラスと窓枠が周囲を切り取り、姉の幸田良子をオブジェクトとして対象化している。一見叙情的に見えるこの「窃視」は、実は「成瀬らしからぬ」ものであるという驚きに、映画の恐ろしさを感じざるを得ない。

★「浮雲」(1955)の異常性

異端なところでは●47「浮雲」(1955)の「窃視」23がある。鹿児島の港を出港する時、見送りに来ている医者の大川平八郎の姿を、船室の窓から高峰秀子が「窃視」する、というシーンであり、ここには「段差」と「フレーム」というオブジェクト現象が二重に施されている。大きな船の客室は、見送りの大川平八郎の空間とは、通常の家屋における一階と二階ほどの段差において隔てられており、さらに船独特の硬質の窓ガラスと窓枠によって区切られている。病気で動くことのできない高峰秀子は、やや奥まった場所に設置されているベッドに横たえたまま、窓を通して見送りに来ている大川平八郎を「窃視」しており、大川平八郎の方からは、高峰秀子を見返すことは不可能な位置にある。大川平八郎は高峰秀子にとって「段差」と「フレーム」によって二重にオブジェクト化しているのである。私はこのシーンが良く判らない。そもそもどうして、通りすがりのチョイ役の医者である大川平八郎が、わざわざ船の見送りに来ているのかが判らないし、その大川平八郎を「ほたるの光」に乗せながら、森雅之と高峰秀子の二人がまじまじと見送り続けているのもまったく判らない。さらにその大川平八郎を、オブジェクト化して「窃視」しているのもまったく成瀬「らしくない」。ひと目ここは「おかしい」のである。かと言って何かマクガフィンが潜んでいるようにも見えない。摩訶不思議、まったく判らないのがこのシーンである。従って前回の論文で書いたように、ここは30年代の成瀬映画を支え続けた「二枚目」である大川平八郎に対するオマージュである、と断言する以外に私には浮かばない。どちらにせよ、大きな段差と窓枠による「二重のオブジェクト化窃視」というものは、成瀬映画においてはこの場面と●4「夜ごとの夢」(1933)21しか存在しない、極めて異質な現象である。先ほど指摘したように、「浮雲」ではさらにまた、⑰⑱という、ロングショットによる「窃視」が撮られている。前回検討した「密室性」を含めて、この「浮雲」という作品は、成瀬映画において明らかに異端に属している。

18「鶴八鶴次郎」(1938)

「禍福」(1937)の次に撮られたのがこの「鶴八鶴次郎」である。戦時中、題材の乏しくなった者たちは、「芸道ものに逃げる」などという言われ方をよくされたそうであるが、実際逃げたのか逃げてないのかは別にして、長谷川一夫があくまで「二枚目」として主役を張り、やや勝気なものの「内的」な娘である山田五十鈴とのあいだの「関係」を描いたこの作品は、成瀬「らしさ」に包まれている。

★美術家の影響力

美術が北猛夫から久保一雄に代わっている。久保一雄と成瀬が初めて組んだのは●「乙女ごヽろ三人姉妹」(1935)であり、その後立て続けに久保一雄は、●「女優と詩人」(1935)、●「妻よ薔薇のやうに」(1935)という「内的な」主人公演じる作品の美術を設計している。それらの作品の装置については、まさに「木と紙と竹」による薄い軟質であり、●「乙女ごヽろ三人姉妹」においては、梅園龍子の歌声や門づけの三味線の音声を所狭しと木霊させ、●「女優と詩人」においては二階から夫を呼びつける妻の呼び声に夫をして階段を駆け上がらせ、さらには夫婦喧嘩を縁側から隣人に覗き見される、という「通風性」を露呈させていた。●「妻よ薔薇のやうに」においては、いきなり玄関から家の中へ入って来た大川平八郎が千葉早智子を驚かせ、さらには開放的な地方都市(信州)の農家の縁側や土間における抒情的空間が、千葉早智子をして決定的な「裸の窃視」をもたらしていた。そしてこの「鶴八鶴次郎」においてもまた、久保一雄による開け放たれた軟質で時間的な「木と竹と紙」の空間が、長谷川一夫をしていきなり山田五十鈴の家の玄関を駆け上がらせて大喧嘩を演じさせ、地方のドサ周りで落ちぶれた長谷川一夫をして、木賃宿の寒々とした薄い襖の空間から聞こえて来る泊り客の大きな罵声が安眠を妨げ、大喧嘩のきっかけを引き起こしている。この時期の成瀬は、自己の作品における一貫した主題について未だ確立されておらず、美術家が交代する度に、作品の質もまたそれに伴って大きく変化することを反復している。●「めし」(1951)以降においては、仮に客人として大映などで撮って美術家が交代したとしても、映画の構成に大きな変更はなかったことと比べたとき、この時期の成瀬映画における、美術家の影響力は際立っている。こうして「後退」の問題は、題材や人物像や「窃視」の在り方のみならず、美術の在り方とも大きく関わっている。人物が美術を決めるのか、美術が人物を決するのか。

19「はたらく一家」(1939)

貧困労働者の家族に生まれた子供たちの自立への葛藤を描いたこの「はたらく一家」では、徳川夢声が父親役として出演している。

★「男性映画」

「窃視」のあり方からして、父である徳川夢声が息子たちを「見つめる映画」であるようにも見られるが (②⑤⑥⑧)、逆に徳川夢声が「見つめられる映画」のようでもある(⑨⑩⑬⑭)。「防御する身体」なのか、「無防備な身体」なのか、はっきりしない。仮に徳川夢声の「古い者物語」であるならば、●「鶴八鶴次郎」(1938)の長谷川一夫や●「まごゝろ」(1939)の入江たか子、そして●「流れる」(1956)の「古き者」たちがそうされたように、徳川夢声は「裸の窃視」をされてもよさそうなものだが、ここで徳川夢声に対する「裸の窃視」と見られるものは存在しない。この作品の主人公、徳川夢声は、「立役」とは言えないまでも、「父親」という権威の存在であり、その息子たちもまた、みずからの「意志」によって自立を志し、それを父親に面と向った対話によって談判することのできる「主体的」な人物として撮られている。成瀬自身が後年「たいへん気持ちよく撮れた。好きな作品です」と回想している割には、題材として適してはいない。映画の中で、「成瀬的」と呼べる人物は、密かに長男の生方明に思いを寄せる女給、椿澄枝ただ一人であり、事実「裸の窃視」と言い得るものは、その椿澄枝が生方明を「窃視」した④⑪⑫しか存在しない。唯一の「裸の窃視」をしている人物が、主人公の男性たちではなく、椿澄枝という端役の女性である、というところに、題材の息苦しさと、「成瀬的なるもの」が無意識的に混在している。「主体的」な人物たちによって為される「窃視」は、コミュニケーションを紡いで行くものではなく、ただ「物語」を促進させるものでしかないのである。

20「まごゝろ」(1939)については既に検討した。少なくとも身体と「関係性」という観点からは、この「まごゝろ」が戦前最後の輝きとなる。戦後、成瀬映画の美術の多くを担当することとなる中古智と初めて組んだこの作品では、母、入江たか子と高田稔の恋愛の噂について聞かされた娘、加藤照子が、玄関からではなく、庭を通って縁側のある裏庭へと直接姿を現し、母である入江たか子が裁縫をしている姿をじっと見つめている(窃視⑥)。この決定的な「窃視」こそ、「木と竹と紙」という薄い材質と、縁側という開かれた時間空間の中でなされた「他者」との遭遇であり、それまで知らなかった母についての噂を聞かされた娘が、母を初めて「他者」として見つめた「関係」の眼差しである。そこで眼差しの対象としての母の行為が「裁縫をすること」という、物語的に限りなく意味を喪失した出来事であったがゆえに、それは娘の瞳に「過剰」なものとして跳ね返り、娘はそれによって人と人との「関係」を作りあげてゆくことを体験しながら、少しずつその瞳を時間の中で成長させてゆくのである。そうした「関係」を「時間」の中で可能にしているものこそ、中古智によって設計された、外部へと開かれた縁側の「通風性」にほかならない。それはまた、この作品の人物が「内的」であることとも、遡って大きく関係しているだろう。

21「旅役者」(1940)

この前後に、千葉早智子との離婚が成立、対中戦争も架橋に入り、苦しかろう状況においては、このような当たり障りのない題材に「逃げた」との捉え方もできるが、実はこの映画は、二作後の●「秀子の車掌さん」(1941)同様、恐ろしい映画である。それについては「秀子の車掌さん」のところで言及するとして、これは地方周りの劇団で、馬の足を演じる二人組み(前脚の藤原鶏太(釜足)と後ろ脚の柳谷寛)が、ひょんなことから役を失い、失業するという物語である。

★「男性映画」

劇的な「後退」といえる。前回の論文の終盤に書いたように、この作品にはサイレント映画風の叙情的なシーンが込められており、間違っても駄作などという意味において「後退」などという言葉を使ってはいない。だか、少なくとも「窃視」を見てみると、成瀬がどういう気持ちでこの頃の映画を撮っていたのか、推し量ることもできそうである。例えば②の山根寿子は、ただの通りすがりのカキ氷屋の娘に過ぎず、それにも拘らず、その娘を「裸の窃視」してしまう行為には、何の意味も、否、無意味すら見出せない。否、仮にあるとするならば、この山根寿子という女優が●「はたらく一家」(1939) の椿澄枝と同じように、極めて「成瀬的な」香りをしたためていたからかもしれない。確かに主役の藤原鶏太(釜足)と柳谷寛の二人は「立役」ではない。しかしどうあっても成瀬映画とは「女性映画」であって、それが「男性映画」へと移行して行くこの時期の作品には、その息苦しさが「窃視」の現われ方にちゃんと露呈している。この映画に足りないのは「女性」なのだ。ちなみに①と⑤と⑦は、実は見つめられた対象は「馬」であって人様ではなく、したがって「窃視」ではない。余りにも「窃視」が少ないので入れてみただけである。そうすると「窃視」の数は4つということになる。ただ成瀬は⑦で、馬に見返された藤原釜足が「目を伏せる」という、まるで人間に見返されたような演出をしている。これは本気なのかギャグなのか、今ひとつ理解できない「過剰」なショットである。

22「なつかしの顔」(1941)

戦時中のとある農家の嫁、花井蘭子は、姑の馬野都留子と義弟の小高たかし、そして赤ん坊の3人で、戦地へ赴いた夫不在の家を守っている。そこへ、出征した夫が映っているというニュース映画が亀岡で上映しているとの噂を聞き、歩いたり、バスに乗ったり荷車に揺られたりしながら、隣町までせっせとカツドウを見に行く、、、「なつかしの顔」という映画はそんな短編映画である。

あの●「君と別れて」(1933)において、妹を養うために静かに去っていった水久保澄子の生き様を瞳に焼き付けた不良の磯野秋雄は、生涯その姿をみずからの人生に刻み付けて生きて行くに違いないと確信できるように、この「なつかしの顔」において、義姉のふるまいを瞳に焼き付けた義弟の小高たかしもまた、その義姉の姿を死ぬまで背負い続けてゆくに違いない。そう思わずにはいられない叙情性をしたためた作品である。映画館の前で花井蘭子が逡巡するシークエンスなどは、サイレント映画を撮った者にのみ醸し出すことのできる凛とした運動感に包まれている。このような叙情的を可能にすることこそ、花井蘭子という女優の醸し出す「内的」さにほかならない。主人公が女性で、かつ「内的」であるとき、成瀬映画は風通しが良くなり、眠っていた細部が活動を始める。確かにそれぞれの「窃視」には面白味を欠いているものの、開け放たれた装置と「内的」な人物とが呼応し合っている。ひとつ足りないものがあるとすれば、それは「他者」である。花井蘭子を翻弄する「他者」がいない。

23「秀子の車掌さん」(1941)

成瀬が初めて高峰秀子と組んだこの作品は、甲州街道を走るバスのガイドをする高峰秀子が、井伏鱒二をイメージしたと思われる夏川大二郎からガイドの指南を受けながら、経営の悪化したバス運営を、運転手の藤原釜足(鶏太)と共に立て直そうと奮闘する物語である。

荷物を何も持たず、大きく腕を振って歩く高峰秀子の姿が開放感を醸し出し、物語よりも細部において際立っているこの作品は、まるでブニュエル「昇天峠」の運ちゃんのように、「ちょっと家へ寄ってくから」と客を乗せたバスを待たせて実家へ寄ってしまうゆるやかな地方の時間運動に乗せながら、実家で穴の開いた靴を下駄に履き替え戻ってきた高峰秀子が、走っているバスを追いかけてくる弟に向ってバスの中から菓子を投げてやるロングショットまでの流れは、成瀬巳喜男という作家の豊かさが、反物語的に露呈した驚くべき瞬間である。そしてまた、バスの事故の後、道端でふと井戸から水を汲み、ただその運動だけを決意の契機として「会社をやめてもかまわない」と藤原釜足(鶏太)に言わしめたその性向こそ、成瀬巳喜男の豊かさを決定的なものとしている。高峰秀子と藤原鶏太が、東京へ帰る列車の夏川大二郎に向って踏切から手を振るその運動は、高速の列車をカメラのパンが捉えきれず、夏川大二郎の姿もまったくカメラの中に収めることがではなかったとしても、ただ一回限りの別れの瞬間が、激しい運動として画面を揺らしている。4回見たが、3回目で初めて泣けた作品である。

★「場所」の不在

だがこと「窃視」に関するならば、歌を忘れたカナリアのごときに「後退」している。確かに高峰秀子の「見つめる身体」を見出せなくも無いが、ひとつひとつの「窃視」の演出を見たときに、「集中すること」へと向けられたマクガフィンに面白味を欠いている。人々は「内的」でありながら、コミュニケーションを促進していない。足りないのは「場所」である。成瀬映画の「場所」は、コミュニケーションを発動するための決定的なマクガフィンとしてある。成瀬映画の世界とは、自己回帰的にコミュニケーションを再生産し続けてゆくダイナミックなシステムとしてある以上、装置もまた、成瀬的コミュニケーションへと向けて常に開かれているのであり、決して「物語」へと向けて存在するのではない。その点については、「装置と踏み出す一歩との関係」等について既に幾度か検討をしているので詳しく繰り返さないが、●「君と別れて」(1933)における漁村と海、●「妻よ薔薇のやうに」(1935)の信州の農道や土間、●「まごゝろ」(1939)の縁側、●「鶴八鶴次郎」(1938)の芝居小屋、湖のベンチ、●「めし」(1951)の長屋の路地と二間続きの部屋、●「お國と五平」(1952)の宿屋、●「おかあさん」(1952)のクリーニング店兼自宅、●「稲妻」(1952)の世田谷の下宿、●「あにいもうと」(1953)の開け放たれた居間や浦辺粂子の出店、●「山の音」(1954)の鎌倉の路地や縁側、●「浮雲」(1955)の物置小屋や伊香保温泉の階段、加東大介のコタツの部屋、混浴風呂、●「あらくれ」(1957)の山の旅館やラストシーンの雑貨屋、●「乱れる」(1964)の夜行列車、●「乱れ雲」(1967)の愛想の悪い女給のいる喫茶店や十和田湖の旅館、、、こうした印象に刻まれる「場所」はすべて、コミュニケーションを前提として設計されているがゆえに「過剰」となり、④→③→②→①によって露呈をするのである。だがこの「秀子の車掌さん」には、「場所」が存在しない。確かに高峰秀子の住む下宿が描かれてはいるものの、それはほんの僅かな瞬間であり、バスを除いて大部分は家の外部の不特定的な空間において撮られている。「場所」が不在なら、成瀬映画のコミュニケーションが発動しない。それは●「サーカス五人組」(1935)や●「旅役者」(1940)などの「放浪もの」においても同様であり、余りにも広すぎる空間は逆に「場所」の描写が甘くなり、繊細な「一歩」の演出が消されてしまうというジレンマに襲われるのである。

★怖ろしさ

●映画は最後、バス会社が悪徳社長、勝見庸太郎の陰謀で売却され、バスもまた処分されることになる。それを知らない高峰秀子と藤原釜足(鶏太)の二人を乗せたバスは、実に楽しい音楽に乗せながら、街道を走って行って終わる。音楽的にはどう聞いてもハッピーエンドでありながら、視覚的には「ブルジョアの横暴による労働者の失業」で終わっているのだ。「旅役者」についてもまた、失業した二人が怒りに任せて、自分たちの仕事を奪ったほんものの馬を蹴散らして終わるのだが、そこでもまた実にユーモラスな音楽がかかっているものの、描かれているのは「失業」である。既に1935年に共産党は壊滅状態となり、37年の盧溝橋事件によってナショナリズムの国民的熱狂に包まれた日本において、成瀬は失業問題を「馬」と「少女」と「音楽」という、オブラートに包んで撮っていたのである。

24「母は死なず」(1942)

いよいよ大東亜戦争へ突入し、巻頭に「忠魂へ、遺族援護の捧げ銃」という一枚タイトルが挿入されたこの「母は死なず」は、武家の女である入江たか子が重病となり、子供の重荷になってはとみずから命を絶ち、残された夫(菅井一郎)が、妻の想いを胸に息子(小高まさる)を一人前に育て上げてゆくという物語である。

非常に多くのシーンを二間続きの部屋や縁側を大きく取り込んで撮られているこの作品は、手紙に書かれた母の遺言の文字を、服部正のメロディと入江たか子のナレーションに乗せながら、瞳で捉えてゆくエクリチュールの振動が、●「君と別れて」(1933)の海における水久保澄子の「義雄さん、一緒に行ってくれる?」と書かれた浮立つ文字のエモーションに重なって、何時見ても泣かされてしまう。

★「他者」の不在

菅井一郎からの「窃視」が8つあり、菅井一郎の「見つめる映画」としての感じが出てはいる。その中で「裸の窃視」について見ると、②は「窃視」された対象が通りすがりの藤原鶏太であって、「裸の窃視」をする意味に乏しく、⑥はロングショットでかろうじて菅井一郎の視線が確認できるくらいで、これまたはっきりしていない。これまで検討してきた作品の「窃視」の中で、「身体性」を際立たせる「窃視」の多くは「見た目のショット」としてモンタージュされている場合が多かった。●8「妻よ薔薇のやうに」(1935)における、英百合子が丸山定夫の肩をもむところを「窃視」するショット()、土間で仕事をしている英百合子の背中を「窃視」するショット()、●41「おかあさん」(1952)の相撲の場面(23)、●53「あらくれ」(1957)で髪をとかしている高峰秀子を森雅之が盗み見るシーンなど()、多くの叙情的「窃視」には「見た目のショット」が挟まれている。そしてそこには決まって「肩を揉む」「相撲を取る」「髪をとかす」などといった、印象に残る「マクガフィン」が存在していた。成瀬映画において「残るシーン」の多くはこうした「マクガフィンショット」によって撮られている。ところがこの「母は死なず」の場合、まず見た目のショットによる「窃視」は④と⑭くらいしか存在せず、「マクガフィン」としての「集中すること」を見ても、場所的、時間的にまったくもって叙情性を欠いている。北川恵笥の美術は、それ自体としては「通風性」に包まれて入るものの、入ってくるのは近所の気の置けない隣人たちや、医者や親友たちといった「同質の」人間達だけであり、異質の人物たち=「他者」は誰も押しかけてきてはくれず、「通風性」を発揮するにもしようがない。そもそも主人公の菅井一郎は、はっきりとした「主体」を有した「外向的」な人物であることから、「通風性」→家を出る、といった出来事によって翻弄される人物ではなく、そのコミュニケーションは、例えば特許料の申し出を断るシーンについても、息子を諭すシーンについても、面と向った対話によって難なく達成できてしまうので、わざわざ「窃視」などという回りくどい方法を使う必要はなく、従ってまた「通風性」は空振りするということになる。成瀬映画の細部はすべて連動しており、ひとつが欠けただけですべての細部に機能不全を及ぼすのである。

25「歌行燈」(1943)

いよいよ戦渦も高まり、「一億で背負へ、譽の家と人」というタイトルが入るこの作品は、ひょんなことから破門された能の歌い手、花柳章太郎と、売られた芸者、山田五十鈴との運命的なロマンスを描いた作品である。

この作品は基本的に「窃視」という視線の関係を「身体性」として映画を撮ろうとはしていない。同じ「芸道もの」でありながら、16ヶ所の「窃視」によって「関係の映画」として撮られていた●「鶴八鶴次郎」(1938)と比べた時、9つの「窃視」によって撮られたこの「歌行燈」は、「関係の映画」としてではなく「主体の映画」として撮られている。両者の映画の質はまったく異なる。まず④と⑥は「窃視」として弱く、①はロングショットで撮られていて視線の趣旨として脆弱であり、⑧においては時間と空間の「断絶」が生じておらず、従って花柳章太郎が「見られている事を知らない者」と化していない。そして⑨もまた、「窃視」という「密かに盗み見る」という行為にしては大胆に過ぎ、成瀬はこれを「窃視」としては撮ってはいないように思える。みずからの主観ショットで「窃視」したのは②と③⑦くらいしか存在せず、それらの「窃視」も「身体性」との関係において趣旨が貫徹していない。花柳章太郎は三回「窃視」して二度「窃視」されており、山田五十鈴は一度も「窃視」しておらず、ただ柳永二郎の回想の中で一度「窃視」されているだけである。視線との関係での「防御する身体」と「無防備な身体」との交錯によって映画を撮っていこうとする意志はここにはまったく存在していない。それよりも、森の中での舞いの稽古を始め、クレーンを多用しており、何かしら溝口的持続への傾向が見受けられる。特に序盤、伊志井寛が立ち上がって襖を開けて新聞記者たちが出現するシーンなどは、本来であれば伊志井寛が立ち上がる瞬間、カッティング・イン・アクションによってキャメラを引くことをこの時期に既に常道としていたはずの成瀬が、ここではクレーンによってキャメラを上昇させ、そのまま伊志井寛を追いかけてゆくという、成瀬映画にしては極めて珍しい溝口的演出によってショットを持続させている。「窃視」における「集中すること」への演出が弱いことなどからしても成瀬は、この作品においてもまた、「窃視」によって紡いで行くコミュニケーションをはっはりと放棄している。

★美術

●「白い野獣」(1950)においても成瀬映画の美術を担当した平川透徹の装置は、同じ芸道ものの●「鶴八鶴次郎」(1938)の久保一雄や●「芝居道」(1944)の中古智の装置が、縁側や玄関、廊下、さらには二間続きの部屋という空間を、あるいは襖という装置を、実に開放的に使っていたのと比べると、やや硬さに包まれている。ラストシーンでは、料亭の庭園へと大きく開かれた縁側に、花柳章太郎と柳永二郎が直接入って来るという「通風性」に叶った演出がされてはいるものの、庭園の人工的な作りからして外気との通底性には乏しく、「内的」な人間が時間の中で関係を紡いで行く開放感ではなく、「立役」が織り成す時代劇の空間のように硬く露呈している。そこで繰り広げられる山田五十鈴の舞を、庭から長谷川一夫が「盗み見」する演出についても()、場所的な「ずれ」に乏しく、少なくとも長谷川一夫の眼差しは「窃視」というには堂々とし過ぎており、「刑事の眼差し」によってこっそりと「窃視」を積み重ねてゆく事で「関係」を重ねてゆく成瀬映画「らしからぬ」硬質のものとなっている。おそらく⑨を、成瀬は「窃視」の趣旨で撮ってはいない。この作品は「関係の映画」ではないのである。

★視線ではなく音が「ずれ」る

視線の「ずれ」よりもこの作品は、音の「ずれ」が際立っている。その中でも多用された「オフから聞こえてくる音」について挙げてみたい。

  ショバのことで難癖をつけてきた柳永二郎に、花柳章太郎が歌って聞かせるシーン

  山田の春木屋で山田五十鈴と清川玉枝が、外から聞こえてくる花柳章太郎の三味線の音色に聞き惚れるシーン

  桑名のうどん屋で、外から聞こえて来る按摩の笛におびえる花柳章太郎

  その直後、遠くから聞こえて来る伊志井寛の鼓の音に、うどん屋を飛び出す花柳章太郎

そもそもこの作品の主人公の花柳章太郎は能の歌い手であり、当然ながら音が前面に押し出される題材ではあるものの、同じく義太夫という歌い手を扱った●「鶴八鶴次郎」(1938)の場合には未だ視線の関係によって映画が撮られていたことからすれば、両者の差は余りにも大きいと言わなければならない。「鶴八鶴次郎」と「歌行燈」とは、全然違う映画なのである。まず①であるが、ここは流しの柳永二郎が、自分のショバを荒らした花柳章太郎に「歌ってみろ!」と酒場で迫る映画の大きな見せ場である。ここで花柳章太郎は柳永二郎の目の前で歌わず、わざわざ酒場の外へ出てから歌っている。音声と「ずれ」については前回少し検討した。成瀬は視線において「面と向かってのメロドラマ」を拒絶し、「窃視」という「ズレ」によって人間同士の「関係」を紡いで行くのだが、音においても、面と(耳と?)向かっての甘い掛け合いを拒絶する傾向がある。ここは同業者の鋭い耳によって花柳章太郎の歌が試される場面である。それは人間同士の「関係」として信頼を築けるかどうかの重要なシーンと言える。そういうシーンで成瀬は、音声において場所的な「ずれ」を生じさせることで、花柳章太郎の名人芸をして柳永二郎の面前で「これみよがしに」歌わせるのではなく、花柳章太郎を外へ出して声を「分離」させておいたうえで、慎ましやかに聞かせている。成瀬巳喜男の「ほんとう」とは「ずれ」によって露呈する。確かにこの場面の花柳章太郎は、「聞かれていることを知らない者」ではない。だがこうした細部において、わざわざ声を「分離」させるというのは、いかにも成瀬らしいと言えば確かに成瀬らしい演出であるものの、「関係」を築いて行くための決定的な演出が、視線の「ずれ」ではなく音の「ずれ」であった、という事実は極めて重要である。

26「愉しき哉人生」(1944)

馬車の荷台に揺られながら日傘を差して、とある町にどこからともなくやって来た柳家金語楼一家が、町の者たちに節約法を教えて去ってゆくという、戦争末期における物資不足に対する啓蒙を描いたともとれる作品であり、「撃ちてし止まむ」という勇ましいタイトルの入る作品でもある。

★「他者」の不在

「窃視」の質と量がどんどん「後退」してゆく。どの「窃視」にも叙情性がなく、少なくとも「視線」という面に関しては、●「まごゝろ」(1939)と同じ監督の撮った作品とは到底思えない。主人公の柳家金語楼、山根寿子、そして子役の中村メイ子でさえ、みな確固たる「意志」や「主体」を持っており、内的な人物が「関係」によってその都度紡ぎあげてゆく細部は当然のように不要となり、消えていってしまう。人々のコミュニケーションはそれに呼応するようにして、面と向った対話によってなされて行き、画面の中から「他者」は消えて行く。そうすることで装置もまた、コミュニケーションにおいて凝る必要性を失い、印象の薄いものへと流されて行く。

★音声

女たちの井戸端会議を早回しの音声で聞かせたり、山根寿子や子役の中村メイ子が歌ったりという、「音声」へと流れる傾向がここでもはっきりと見受けられる。

27「芝居道」(1944)

この作品の「窃視」については前に「ラブストーリー」の起源のところで検討した。ここでは「身体性」という観点から見てみたい。

長谷川一夫は1「窃視」し、2度「窃視」されており、山田五十鈴は2度「窃視」し、2度「窃視」されている。どちらも少なく、「ラブストーリー」を含めて、趣旨としての「身体性」ははっきりとしていない。同じ長谷川一夫と山田五十鈴によって演じられた芸道ものである●「鶴八鶴次郎」(1938)の場合、「黙って身を引いた」長谷川一夫を「無防備な身体」として撮る事でその「献身性」を際立たせていたのに対して、この作品では逆に「黙って身を引いた」のは山田五十鈴の方であり、そうであるならば、視線からしても山田五十鈴の「窃視される」回数がもう少し多くならなければならないはずだが、山田五十鈴が「窃視」されたのは③と⑨の2回に過ぎず、さらに⑨は「裸の窃視」ではなく、「物語的窃視」であることを先に検討した。

もう一度こうした検討についてここで釘をさしておくが、この映画が「窃視」の少なさささから即「駄作」であるという類の議論をここでしているのではない。『成瀬映画は「窃視」によって人と人との関係性を築いていく映画である』という仮説を、ここでひとつひとつ検証しているのである。そのためにまず30年代と●「めし」(1951)以降の作品を検討し、その中から「身体性」というものを見出した。もちろんそれは、確固たる法則としてそこにあるものではなく、成瀬自身、常に意識的に計算してそのように撮っていたという確証もない。今我々がここでしている単純作業は、ひとまず立てた仮説を、検証することに過ぎないのであり、作品の価値論へと直結するものではない。

さて、しかしこの作品では、⑨という、全成瀬映画の「窃視」の中でも、飛び切り抒情に満ち溢れた「窃視」が撮られていることをどうしても看過することはできない。そしてそれが、長谷川一夫から「献身的な」山田五十鈴に対する「窃視」であったことには、大きな意味があるだろう。詳しく検討すると、これは「裸の窃視」ではないにしても、成瀬としては、これを「裸の窃視」のつもりで撮っていた、という可能性は拭いきれない。ただし、仮にこの映画が撮られていたのが●「めし」(1951)以降の、特に50年代であったならば、おそらく成瀬はもっと多くて多彩な、山田五十鈴の「無防備な身体」を、我々の瞳に焼き付けたに違いない。

★花井蘭子

この作品についての「身体性」を見出すのなら、何よりも花井蘭子の「見つめる映画」としての身体性に注目すべきである。ともすれば、「男性映画」としてのメロドラマに陥りそうな芸道ものの硬質な題材を、中古智によって設計された二間続きの部屋の奥に一歩引いた花井蘭子の視線が溶解させ(②は三間続きの部屋である)、場所的な関係においていつも背後に身を引きながら、主役たちをさり気なく「裸の窃視」をする(③⑥⑦)花井蘭子の身体性こそ、「主体的」とも言える主役たちの硬直した関係に「ずれ」を生じさせ、情動へと導いている。この作品で、大きなエモーションを引き起こす瞬間は、決まってこの花井蘭子が関係している。「主体」としての「男性映画」をしなやかにさせるのは、決まって一歩下がった「内的な」女性たちの視線である。

★音声について

この作品でもまた「音声」に関する演出が際立っている。

  通りで、長谷川一夫も山田五十鈴も今にだめになるさ、と噂している二人連れの客を、古川緑波が「盗聴」する。古川緑波は目を下に向けていて、二人連れを見ていない。聞いている。

  通りで、古川緑波一座の心配をしている二人連れを、古川緑波が「盗聴」している。確かに見てはいるが、話の内容を聞くほうが優先している。

  通りで古川緑波一座を褒めている二人連れを、古川緑波と志村喬が「盗聴」する。聞くこと、のほうが、見ることより強い

これらの「盗み聞き」の演出では、「見ること」ではなく「聞くこと」が優先されている。古川緑波は、話している相手の身体の様子を見ているのではなく、顔を下に向けて耳を済まし「聞くこと」に集中しているのである。言葉を発する「身体」そのものの強度ではなく、「言葉の中身」が重視されている。古川緑波が確固たる「主体」を持った硬質な人物であり、さらには長谷川一夫が「改心」するという人物像における「主体的(意志的)」転回がある。そうすると、「窃視」は不要になり、その質と量は「後退」し、細やかな「関係」の映画がアメリカ的な硬質なものとなってゆく。そうした「硬さ」を、「内的」な娘である花井蘭子が、やっとのことで、和らげているのである。

28「三十三間堂通し屋物語」(1945)

「ラブストーリー」の起源のところで検討したように、「窃視」は全部で4箇所しか存在せず、それは身体性との関連においても、集中することの叙情性においても、劇的なまでに「後退」を生じている。

★音の「ずれ」

ここでもまた「音のずれ」によって決定的なシーンが撮られている。クライマックスの弓の試合において、弓が的に当たれば太鼓の音、当たらなければ鐘の音、というように、オフの空間から聞こえて来る太鼓と鐘の音だけで、遠方の田中絹代に試合の経過を伝えているのだ。そればかりか、長谷川一夫が、茶屋や旅館の隣室でなされている密談を「盗み聞き」するという演出も幾つかなされており、この時期に差し掛かり、映画は「視線のずれ」から「音声のずれ」へと傾いてきていることを決定的に露呈させている。

★「立役」としての身体

この作品の長谷川一夫は「立役」としての硬質な身体として撮られており、仮に長谷川一夫が「窃視」されたシーンがあったとするならば「窃視」の②しか存在せず、この「窃視」もまた極めて微妙なニュアンスで撮られている。戦後撮られた●「お國と五平」(1952)が、時代劇でありながら大谷友右衛門という「二枚目」を起用した事で、木暮実千代と交互に「無防備な身体」を曝け出すエロスを醸し出すことに成功していたことと対比すれば、「立役」としての身体は、まさに「武士の身体」であり、「気を抜かない身体」であって、「防御する身体」と「無防備な身体」とで映画を紡いで行く成瀬からするならば、撮りにくい題材であったことは容易に想像できる。そういうこととも平行して、映画が「視線」から「音声」へと流れていったとも考えられるだろう。

■Ⅱ戦前から戦後へ

以上、戦前の映画に関する「窃視」を見て来た。前回、成瀬映画の主人公から●「禍福・後編」(1937)あたりを境として「二枚目」が消えたことを検討した。そして今回においては、『成瀬映画が「人間性質の変化」=「人は変われる」、という思想に関して楽天的であった時期は、1937年前後から1951年の●「舞姫」までであり、林芙美子の●「めし」によって決定的な転機を迎えた。同じようにして、成瀬映画において「解決」なり「和解」なりといったドラマチックな出来事が顕著になってゆくのもまた、1937年前後から●「舞姫」(1951)まであり、●「めし」(1951)以降には「解決」や「和解」というドラマは成瀬映画から基本的に姿を消している。』という検討を序盤に検討している。だがすべてを「戦争」という要素に還元してはならない。成瀬映画に劇的な変化を生じさせるのは、終戦ではなく、戦後6年経過した●「めし」(1951)だからである。従ってここでは、そのまま戦後作品の検討へと続けて行く。

29「浦島太郎の後裔」(1946)

★社会性

戦後民主主義を陰で利用して台頭する保守勢力に利用された復員兵、藤田進を主人公にして、新聞記者(高峰秀子)とその叔母(杉村春子)、財界の大物の娘(山根寿子)等を絡めて撮られたこの「浦島太郎の後裔」は、成瀬巳喜男の戦後第一作である。ヒゲぼうぼうの復員兵「うらしま」が、ラジオから「あーあ、お~」と不幸の叫びを暴露して民衆に呼びかける。彼を英雄に仕立て上げようとする新聞記者の高峰秀子がそれに応じて上野公園の森で「あーあ、お~」と呼ぶと、何処からか「あーあ、お~」が呼応する、といった寸法である。

成瀬映画に唯一「家」が出てこない作品であり、「家を出ること」によって映画を撮る成瀬にすれば、撮りようのない題材であるともいえる。視線については、「裸の窃視」の大安売りで締りがなく、「身体性」に見るべきものは何もない。また「集中すること」においてもまったく叙情性を欠いている。財閥打破、という「社会性」を帯びた題材と、自らの「意志」によって「改心」することのできる硬質の主人公は、映画をして「関係」ではなく「解決」へと導く「主体」の映画たらしめている。

★音の「ずれ」

オフの空間から聞こえて来る「あ~あ、お~!」という音声だけが、唯一映画に「ずれ」を与えており、音声に対する拘りは終戦を経ても続いている。しかし安倍輝明の装置は硬質の西欧風で、藤田進の声質は「通風性」をもたらす前に遮断され、マクガフィン的波動でもって映画を起動させてはくれない。

30「俺もお前も」(1946)

ワンマン社長、鳥羽陽之助の私用にこき使われるサラリーマン、横山エンタツと花菱アチャコの奮闘と悲哀を描いたコメディである。

この作品は、内的な山根寿子が「家を出る」という運動へと向けられた「成瀬らしい」作品であることを前回検討した。のちに●「あらくれ」(1957)の見事な美術を担当することになる美術家、河東安英によるエンタツ、アチャコの両家の装置は、まさに「木と竹と紙」のような「通風性」に満ち溢れた空間として撮られており、成瀬映画にこうした解放的空間が現われたのは、中古智の設計した●「芝居道」(1944)以来、久々の出来事である。しかし映画が労働問題を扱った「社会性」に支配されているため、「分かりやすさ」が要求され、エンタツ、アチャコの「内的」なコンビは最後に「突如」社長をやりこめる「主体的な」人物へと変貌するという無理な展開を余儀なくされている。当然そうした「主体的」な人物像は視線へと反映され、ここでもまた視線の「ずれ」によって映画を撮っていこうとする意志は完全に放棄されている。

★音声と「他者」についての考察

「窃視」⑥を検討する。⑥では、社長の鳥羽陽之助宅の私的なパーティに余興として借り出された社員のアチャコが、社長から説教をされているところを、同じように手伝いとして借り出されていたエンタツの娘、山根寿子が廊下から「窃視」するというシーンである。ここで山根寿子は、場所的には「窃視」できる関係にありながら、鳥羽陽之助がアチャコに「君とエンタツとは二人で一人前のゲタだ!」と説教しているところを、目を伏せて聞き入っている。「見る」のではなく「聞いて」いるのである。こういうシーンは●「めし」(1951)以降には殆ど見ることができず、だからこそこれは、この時期の成瀬の傾向を知るために非常に重要な演出であるのだが、山根寿子は場所的に「見ること」ができるにも拘らず、敢えて会話の中身を「聞くこと」を演出として選択したという点が大きなポイントである。私は第二章のⅡにおいて『★(ちなみに「物語的窃視」とはあくまで「見ること」であって「聞くこと」ではない。「物語的窃視」の大部分においては「会話」は聞こえて来ず、従ってここでいう「物語」や「意味」とは、あくまで「身体」という、うごめきを「見ること」によって読み取る「意味」であることを忘れないで頂きたい)』と注意書きをした。「物語的窃視」における「意味」とは、声による会話の内容を「聞くこと」によるのではなく、あくまでも顔や表情や仕草といったナマの身体的な強度を「見ること」によって現われ出てくる「意味」なのである。「物語的窃視」には、否が応でも「他者」の身体という「なまもの」の不可解なうごめきが露呈しているのだ。だが「声を聞く」場合、そこには「声質」という震えや響きが混入していると同時に、「会話の内容」という、極度に分節化され主体化された「意味」が入り込んできてしまっている。「話されたこと」を聞く者たちは、声そのものの「震え」ではなく、「既にある会話の中身」を読み取ろうとする。事実この山根寿子の盗み聞きのシーンは、声そのものについて際立たせるような演出はなく、ひたすら「会話の内容」としての「意味」を「そのまま聞くこと」が重視されている。映画の人格そのものが「身体」ではなく「意味」へと傾いているのだ。そこにあるのは、不確かな身体を時間の中で刻々と「見ること」によって「関係」を紡いで行こうとする細微な運動ではなく、既に話された言葉の意味という「確固たるもの=既にそこに完成してある意味の中身」を「そのまま聞くこと」という、硬直した態度に外ならず、自分にとっては未知の存在である「他者」とのコミュニケーションにおける時間性は消えてしまっている。この作品は、戦後第一作として撮られた●「浦島太郎の後裔」(1946)に続いて、労使問題という「社会性」を帯びた映画であり、従ってそこには「意味」という判りやすさが求められる。戦争が終わり、自由な世界が訪れたかと思ったのも束の間、その自由が社会問題を要求したとき、映画は「身体性」や「窃視」といった細微な細部ではなく、音声というわかり易い「意味」によって、支配されたのである。

31「別れも愉し(四つの恋の物語第二話)(1947)

東宝の第二次争議によってスターたちが大量に脱退して新東宝として分裂後、東宝に残った者たちによって撮られたオムニバス映画の一遍である。

  バーにやって来た新聞売りの娘、竹久千恵子を、店の者たちが「窃視」する。70。「物語的窃視」

  次のシークエンスの開始時、窓際に立っている木暮実千代が振り向き様に沼崎勲を「窃視」する。75。「物語的窃視」

「窃視」はこの二つしかない。25分前後の短編映画であり、木暮実千代の洋風の狭い硬質のアパートと、通りを挟んだ小林十九二のバーという「密室(意志による)」に近い二つの空間を並行してカットバックさせて描くという手法で撮られているこの作品は、場所的にも「ずれ」を生じにくく、「窃視」によって物語を紡いでいくには狭すぎる。ラストシーンが木暮実千代のクローズアップで終わっているが、顔のクローズアップないしバストショットで終わる成瀬映画は以下の通りである。

●「限りなき舗道」(1934)忍節子のクローズアップの後、銀座の空ショットで終わる

●「妻よ薔薇のやうに」(1935)千葉早智子

●「女人哀愁」(1937)入江たか子

●「春のめざめ」(1947)久我美子

●「女が階段を上る時」(1960)高峰秀子

●「夜の流れ」(1960)司葉子

6本しかない。●「めし」(1951)以降、興業主義の傾向が強くなり始める60年代のあいだにはただの一本も存在していない。その時期こそ、成瀬映画が「正面」というポジションではなく、「斜め」なり「後方」という「ずれた」ポジションから映画を撮っていた最盛期ということになるだろう。

32「春のめざめ」(1947)

ところが次の作品となると、「窃視」は一気に18箇所まで増加する(②は「窃視」ではないと判定した)。いったいこの間に成瀬になにが起こったのか。もし私が成瀬にたった1つだけ質問が許されるとするならば、ここを聞いてみたい。この時期に何か起こりましたかと。トルーマンの反共宣言による右展開により社会的な傾向映画を撮る足枷がはずれた、というのはいくらなんでもわかり易すぎる説明だろう。それにこの作品は、「性」という、社会問題を撮ったものであって、決して●「めし」(1951)以降の題材のように、映画から社会性や傾向性が綺麗サッパリ拭い去られたというわけではない。それにも拘らず、この作品で、●「まごゝろ」(1939)以降封印されていた「成瀬的」要素が一気に弾けているのである。

まだひとつひとつの「窃視」における「集中すること」の演出はシャキっとはしていないものの、「裸の窃視」が身体性との関係において露呈し始め、戦後の「ラブストーリー」の萌芽が見られている。ピクニックで、自分の手に刺さった棘をとろうとしている杉裕之の顔を、久我美子が間近から「窃視」するシーンは()、まさに「刑事の眼差し」の如き細微な時間性に包まれているし、橋の上で別れて去って行く杉裕之の後ろ姿を、振り向き様に久我美子が「窃視」するシーンもまた()、久しく叙情的に撮られることのなかった「断絶」の演出が、いよいよ復活を遂げようとしている。「聞くこと」ではなく「見ること」の映画が撮られているのである。人々は「内的」な少年少女たちであることが成瀬を生き返らせたのだろうか、北川恵笥の美術は解放感に満ち、木匠久美子の家の縁側を取り込んだ広い構図は、雨によって一瞬閉じられる事で「密室」としての抒情を際立たせている。

33「石中先生行状記」(1950)

若山セツ子と進藤英太郎が、ひたすら笑うだけで楽しい「石中先生行状記」は、製作の藤本真澄と原作の石坂洋次郎の「青い山脈」コンビによる作品であり、多分に「青い山脈」大ヒットに便乗したオムニバスとなってはいるものの、三つの短編すべてに味わいがあり、開放的な時間に包まれている。

だが「窃視」については、量的には増えてきているものの、それぞれが視線としての「身体性」を帯びるまでには至っておらず、●「春のめざめ」(1947)からは再び「後退」をしている。

★音声と視線

第一話の②は、堀雄二が木匠久美子に「真実を告白する」という「解決」が、面と向った会話の中で行われ、さらにそれを石中先生役の宮田重雄が「盗み聞き」している。第二話では、喧嘩の仲裁に入った宮田重雄、渡辺篤の二人と中村是好の会話を、隣の部屋に隠れていた藤原釜足が「盗聴」し、今度は池部良と杉葉子が宮田重雄の家にやってくると、中村是好が隣の部屋に隠れてそこで藤原釜足と鉢合わせをし、隣室の杉葉子と池部良たちの会話を、藤原釜足と中村是好が「盗聴」し、池部良と杉葉子が「和解」するという、非常に手の込んだ演出が為されている。第一話と第二話にはそれぞれ「面と向かった者同士の和解や告白」という成瀬「らしからぬ」行為がなされているが、それを「盗聴」している者たちがいて、さらに第二話では、盗聴していた藤原釜足と中村是好もまた「和解」してしまうのである。こうしたところに●「めし」(1951)以前の成瀬映画の「後退期」における、ある種の傾向が見出される。まずもって「めし」以前には、面と向った者同士の対話によって事件が「解決」するという出来事を成瀬映画ははっきりとは拒絶していないことは「第二章のⅣ■解決しない物語」のところで検討した。しかしそこで「解決」という出来事は、まったく「ずれ」ていないのかといえばそうでもなく、多くの場合、「窃視」や「盗聴」という「ずれ」た運動が「解決」の直前に併発していた。その「ずれ」において、当作品は、「視線」ではなく、「音声」が選択されている。第一話の②は、見つめていた宮田重雄が、堀雄二に近づいていき「私は君の鼻と違って耳が利くんだ」と述べているように、ここでは「見ること」ではなく「聞くこと」が重視されている。さらに第二話における藤原釜足と中村是好との「和解」についても、杉葉子と池部良たちの「会話の中身」を、隣の部屋に隠れていた藤原釜足と中村是好の二人が「盗み聞き」したことが大きく寄与している。ここあるのは●「俺もお前も」(1946)の山根寿子の「盗み聞き」において検討したように、「見つめられる身体」という不確かなうごめきを「見ること」ではなく、「語られる言葉の中身」という確固たる主体的真実をそのまま「聞くこと」という硬質の態度である。●「春のめざめ」(1947)において一気に弾けた「身体」への好奇心はここでまた一歩「後退」し、「意味」への揺り戻しが生じている。

★美術について~広さと「通風性」

「第一話・隠退蔵物資の巻」における地方都市の広々とした解放感は、まさに崇高ともいうべき大きさによって開かれはいるものの、コミュニケーションにおける「場所」としては余りにも広すぎる。例えば「窃視」①は、周囲が広すぎて、場所的な繊細さが発揮できていない。それが「第二話・仲たがいの巻」になってやや緩和され、橋、裸踊りの小屋、杉葉子の古本屋などの場所が印象に残り始めるのは、「内的」な人物たちが、コミュニケーションの場所を街中へと移行したからにほかならない。「第三話・干草ぐるまの巻」は、農村と街中との道行きとなり、荷馬車や三船敏郎の農家の囲炉裏の大広間、そしてラストシーンの一本道の街道などの、印象深き開放的空間が画面を活気づけているものの、しかしそれが本来の成瀬「らしい」空間であるかといえば、やはり広すぎると見える。成瀬映画のコミュニケーションの基本は、「一歩」によってその都度様相をガラリと変化させてしまうような時間性に満ち溢れた空間において「刑事の眼差し」の如くにチラリと一瞬のスキを狙い済まして放たれる速射砲であり、それは決して雄大なサバンナにおいて獲物を追い回すライオンではなく、密林の中で近距離の獲物に襲いかかる虎である。「通風性」について言うならば、それはあくまでも内部があって、それが「床」によって開かれた通底性によって外部と時間的に関係することであり、広さそのものとは関係がない。却って、ある程度狭いことが、「一歩」の重みを醸し出す繊細な演出をもたらすのであり、余りにも広すぎる空間は、繊細な関係を綴って行くには相応しくないのである。

★隠れること

裸踊りを見て出て来た町の有力者たちの姿を、杉葉子と池部良が、隠れて「窃視」するという⑤は、その「隠れる」という運動が、相手の「見られている事を知らない状態」を強化し、オブジェクト化させている。「隠れてから窃視する」という現象は、既に●「禍福(1937)の美術論において検討したように、みずからを相手の視線から遠ざける超越的なポジションに置くものであり、それは「関係」を撮ることの成瀬映画の本質に反することになる。ただこの「窃視」⑤の場合、二人が隠れている場所は段差からも距離からも、まったくの「安全地帯」というところまで奥まったポジションではないことを付け加えておく。

34「怒りの街」(1950)

女を騙して金を巻き上げる大学生の生態を描いた作品であり、この作品もまた「社会性」の強い作品である。前回の論文執筆時には、この「怒りの街」は現存する成瀬映画の中で唯一見ることのできていなかった作品であったが、今回幸いにも見る事ができたので、ここに掲載、検討することが出来た。

宇野重吉は10回「窃視」をするが一度も「窃視」されはせず、原保美は11回「窃視」されてはいるが一度も「窃視」をしてはいない、というように、見事に「防御する身体」と「無防備な身体」とが分断されている。このようにしてはっきりと「見つめる身体」が撮られた作品は●「乙女ごヽろ三人姉妹」(1935)の堤真佐子以来であり、また、ここまで徹底して「見つめられ続ける身体」を描いていた作品はこれまで存在しない。大学生の原保美は没落華族の次男であり、そのハンサムな美貌から女たちを騙し、金を貢がせては棄ててゆくといった男であり、ひたすら唾棄すべき男として「窃視」され続けている。これまで検討した「無防備な身体」として露呈する「見つめられ続ける映画」の人物像とは、●「流れる」(1956)の山田五十鈴を典型とした「献身的な身体」であったが、この作品ではひたすら否定的な人物が「無防備な身体」としての身体性を露呈させている。宇野重吉の「見つめる身体」と相まって、いよいよ成瀬映画に「身体性」としての「関係」が甦りつつある。

★社会性と「立役」

こうして「窃視」の量的な側面は満たされたが、質的には未だ「集中すること」における叙情性は満たされてはおらず、殆ど記憶に残ることのないような「窃視」が続いて行く。映画のテーマが社会的で理屈っぽく、省略の手法によってはいるもののキスシーンが三回、セックスを暗示させるシーンが二箇所存在し、性的な風俗という「社会問題」を強く感じさせる映画となっている。そうした映画は「結論」を強く求める傾向があり、「分かり易く」あることが必須の条件とされる。主人公の宇野重吉は、「二枚目」というよりは「立役」に近く、確固たる信念の持ち主として、映画途中でしっかりとみずからの「意志」でもって「改心」してしまい、人物は「善と悪」という二元論によって分け隔てられている。そうした硬質な人物像が、「窃視」による繊細なコミュニケーションを不要とし、成された「窃視」は結局のところ、量だけのもとしてか響いては来ず、質的には乏しいものとなる。「窃視」の①と③などは、安全地帯からの盗み見に近く、身を隠しながら対象を見張り、時を見計らい、行動に移す前提としての「窃視」であり、少なくとも相手との「関係」を築いて行くようなものではない。また⑧⑨⑩にしても、ひたすら相手を「特定する」という「窃視」であり、「物語的窃視」の中でも非常に「意味」の度合いの強いものとして撮られている。こうした硬質性に伴うようにして、原保美の実家、宇野重吉のアパートなどの美術は硬質となり、映画を硬いものとさせている。

★親との同居

ちなみにこれは前回検討した主題論の部類に入るが、改心し、更正することになる宇野重吉は、最初から既に家を出て「自立」しているのに対して、最後まで改心しない原保美は、親と同居していることを付け加えておきたい。成瀬映画において「親との同居」とは、自立していない人間の見苦しさを表す記号なのである。

35「白い野獣」(1950)

この作品こそ、「ラブストーリー」としての新しい身体性を成瀬映画が獲得した歴史的作品である。キャメラの玉井正夫と照明の島百味の光に包まれた三浦光子のベッドの上での大胆な誘惑や同性愛の眼差しは直接的に性の香りを炸裂させており、こうしたエロスは成瀬映画のフィルモグラフィーの中でも異質のものとして際立っている。

★「裸の窃視」の復活

しかしながらこの作品の④⑫⑬などは、はっきりとした「裸の窃視」として撮られており、ここで成瀬映画は●20「まごゝろ」(1939)の「窃視」⑥⑦以来、実に11年ぶりに、叙情的な「裸の窃視」を映画の中に取り戻したことになる。いったい何が成瀬映画に「裸の窃視」を禁じていたのか、それについては改めて検討することにすることにして、ここでは11年という途方も無い歳月を挟んで撮られた「裸の窃視」をひたすら瞳に焼き付ける事で感慨に浸ることとしたい。そしてその歴史的なシーンを刻んだ一人が『中北千枝子』であったという事実こそ、なんとも言い尽くせぬエモーションを惹き起こすのである。厚生施設の中で繰り広げられる「窃視」の数々は、性的な欲望に満ち溢れた情念の発露であり、ふと気づいた時、映画を見ている者たちはそこが厚生施設であることをすっかり忘れている。

★美術

だが現実に立ち戻ったとき、映画の舞台は厚生施設という閉ざされた空間であり、それは「通風性」を拒絶することに意義のある硬質な場所として、息を吹き返しつつある視線のゲームに硬質の「主体」を持ち込んでしまう。三浦光子は映画終盤「穢れた心」を克服し「正しい心」を取り戻すという、極めてわかり易い人格変化を生じているのは、この映画のコミュニケーションが、厚生施設という閉ざされた空間の中で繰り広げられる閉じられたコミュニケーションであることと関係している。ひとつの細部が機能を停止すると、それがあらゆる細部に波及して、映画の流動をストップさせてしまう。あちらを立てればこちらが立たず、●「めし」(1951)以前のこの「後退」時期の作品はみな、何かが抜け落ちている。まずもってテーマの「社会性」という「分かり易さ」の要求は、決まって成瀬映画の力を奪い去っている。●「浦島太郎の後裔」(1946)から●「舞姫」(1951)までの戦後作品の中で、テーマの「社会性」が希薄なのは●「銀座化粧」(1951)と●「石中先生行状記」(1950)の二本しかない。その他の作品はどれもが財閥打倒(「浦島太郎の後裔」(1946)性風俗(「春のめざめ」(1947)「白い野獣」(1950)、学生の犯罪(「怒りの街」(1950)、資本家への反逆(「俺もお前も」(1946)、というような、社会問題が際立って描かれている。

★浮気をしない

三浦光子は山村聡を「窃視」していない。三浦光子は、山村聡を露骨に誘惑するシーンがあるが、それはまさに「露骨にする」のであって、それは「窃視」という、隠れた眼差しとは正反対の行為である。「主人公に対して二人以上の異性が絡む映画において、主人公は決して二人の異性の裸の窃視をしない」という「浮気をさせない法則」からするならば、この作品は、同性愛的要素が絡んでそのままそれを適用はできないとしても、三浦光子は飯野公子だけを「裸の窃視」し、決して山村聡を「裸の窃視」していない。趣旨として「浮気をさせない法則」は見事に妥当しているのである。ちなみに、ここまで検討してきたすべての作品に、この「浮気をしない法則」は貫かれている。

36「薔薇合戦」(1950)

「限りなき舗道」(1934)以来、久々に松竹で撮ったこの「薔薇合戦」は、自由恋愛の思想が強く打ち立てられており、これまた「社会性」が前面に押し出された作品である。会社社長の三宅邦子と社員の若山セツ子、桂木洋子の三姉妹を軸として、社員の鶴田浩二、若山セツ子の夫となる永田光男、桂木洋子の恋人の大阪志郎などが絡んで撮られている。

★反復される「後退」

前作の「白い野獣」で息を吹き返したかに見えた眼差しと身体との関係が、ここでまた木っ端微塵に打ち砕かれている。「窃視」の数は激減し、コミュニケーションとの関係において何の意味も無意味も現していない。主人公の三宅邦子は「外交的」な女性として映画終盤にて「主体的に」改心し、面と向った対話によって妹たちと「和解」を遂げている。従ってまた美術は硬質となり、「通風性」は不要となり、「細部」は「過剰」であることを放棄し、映画は物語的回路によって①→②→③→④とおとなしく継起してゆくことになる。●「めし」以降の成瀬映画が、仮に題材の息苦しさから「後退」することはあったとしても、それはあくまでも「めし」との同一性を常に保ちながらの模索であったのに対して、「めし」以前の「後退」は、「成瀬映画」との同一性を逸脱しながらの揺り戻しを反復させてゆく。この作品は、そうと知らされていない者が見たならば、おそらく成瀬が撮ったとは分からないはずである。

37「銀座化粧」(1951)

銀座のバーに勤める子持ちの女給(田中絹代)と、彼女が妹のように可愛がっている同僚の娘(香川京子)を軸にしながら、男たちのあいだを生き抜く銀座の女給たちの戦後の風俗の、とある冬から春にかけてを描いたこの「銀座化粧」は、成瀬自身が岸松雄の脚本に手を加え、林芙美子の「堕落した女」を借用したとされる作品である。

田中絹代は7回「窃視」し、一度チラリと「窃視」されている()。香川京子は一度しか「窃視」をしていないことから見ても、この作品は田中絹代の「防御する身体」=「見つめる映画」として撮られていると言ってよいだろう。そしてまた、堀雄二は香川京子を「窃視」しているが()、決して田中絹代を「窃視」していない。それは、堀雄二が、彼を密かに思っていた田中絹代ではなく、その妹分の香川京子と結ばれるという物語の展開とも一致している。かと言ってこの作品が視線論においてそれほど魅せてくれるかといえばそうではなく、⑦⑧⑨に見られる「裸の窃視」も、●「めし」(1951)以降の大胆なマクガフィン性を有してはおらず、一見「古い者」である田中絹代が「裸の窃視」をされる⑨にしても、見落としてしまうような小さな演出で撮られている。

だがこの作品は、これまでの「社会的」なメッセージ映画から一線を引き、「内的」な人物たちが水商売や下宿という「通風性」に翻弄されながら「自立をする」という、極めて「成瀬らしい」題材として撮られている。河野鷹思の設計した美術もまた、「下宿」という「通風性」をしっとりと柔らかい感じでしたためており、いよいよ二本後に迫った●「めし」(1951)を予感させるに足りる柔らかい作品となっている。そのどちらにも「林芙美子」という作家が絡んでいることは、決して偶然ではない。だがそういう映画に限って、田中絹代が最後、三島雅夫の無心をきっぱりと断ってしまうような「主体性」を発揮してしまう。こうした点が、何とも上手くできているというのか、この時期の成瀬映画は、まさに弁証法的発展という言葉がビタリと妥当するような、否定に否定を重ねながら、少しずつ前進してゆくのである。

38「舞姫」(1951)

成瀬映画に決定的な転機をもたらした●「めし」(1951)をいよいよ次に控えたこの「舞姫」こそ、「めし」以前における「成瀬らしからぬもの」をすべて集積させて別れを告げたような決定的な作品である。私は幾度もこの作品を見ているが、この作品が「めし」の直前の作品であるという事実がどうしても信じられない。余りにも作品の構造が違い過ぎるのである。川端康成の原作を新藤兼人が脚色した、春から夏にかけての映画であるこの「舞姫」は、ある裕福なバレリーナ(高峰三枝子)と、その家の書生をしていた男(山村聡)との結婚が、戦争によって頽廃し、子供たち(岡田茉莉子、片山明彦)を巻き込んで家族全体が引き裂かれてゆく有様を撮った作品であり、女の貞操帯であるとか戦争の傷跡であるとかの「社会性」を押し出した作品でもある。高峰三枝子の成瀬映画初出演、そして岡田茉莉子の映画デビュー作である。

兎にも角にもまず、この映画のラストシーンを見てみよう。

門から入ってきた高峰三枝子が、ゆっくりと母屋に近づいてゆく。家の中には山村聡がいる。庭先で立ち止まった高峰三枝子は山村聡の姿をじっと見つめている。山村聡は高峰三枝子の存在に気づいていない。するとこれは「窃視」である()。加えて山村聡は、ただ家の中を歩いているだけで「意味」を喪失しており、見つめる高峰三枝子の恍惚とした眼差しからしてもこれは「裸の窃視」でもある。だが次の瞬間、山村聡は、高峰三枝子の存在に気付き、二人は見つめ合っている。背中で終わることを常道とする成瀬映画において、男と女が見つめ合ったままで終わる作品は、この「舞姫」と、●「浦島太郎の後裔」(1946)、●「怒りの街」(1950)の三本しか存在しない。そのどれもが●「めし」以前に集中している。「めし」以降の作品には、人と人とが見つめ合って終わる作品などただの一本たりとも存在しないのである。画面は山村聡のクローズアップへと切り返され、もう一度高峰三枝子のクローズアップへと切り返されることで「見つめ合うこと」が強調されている。余りにも「めし」と違いすぎる。成瀬が台本の削除、書き換えの主導権を握るようになったのは次の●「めし」以降であり、この「舞姫」は、新藤兼人の脚本に忠実に撮られたとされている。そして川端康成の原作には、この見つめ合うシーンは書かれていない。新藤兼人が加えたのか、他の誰かが書いたのか、少なくとも成瀬の発案ではないはずである。

■Ⅲメロドラマ

ここで私は、メロドラマについて考えてみたい。成瀬は「メロドラマの巨匠」という言い方をされるが、わたしはどうもこのメロドラマというのが良く判らない。

●「哀愁」(1940)

メロドラマを考えるに当たり、まずもって、映画史上に残るメロドラマの傑作と謳われているマービン・ルロイの「哀愁」における「窃視」を見てみたい。

  雨の中、バレエ宿舎の外で待つロバート・テイラーを、二階の窓から、ビビアン・リーが「窃視」する。90。「物語的窃視」。ロバート・テイラーが「やって来て待っていること」という「物語」が撮られている。その後リーはテイラーのところまで下りていって、二人は見つめ合い、結婚の約束をする。

  教会で、神父に結婚式の申し込みをしているテイラーを、ビビアン・リーが「窃視」する。70。「物語的窃視」。結婚式の成否という「物語」が問題となっている。

  娼婦に身を落としたビビアン・リーが、ウォータルー駅で客を探している時、戦死したと知らされていたロバート・テイラーの姿を瞳が捉え、「窃視」する。90。「物語的窃視」。その直後テイラーはリーを発見し、二人は見つめ合う

  その後、二人で入ったレストランのテーブルから、歩いて来る見知らぬ娼婦と将校の二人をビビアン・リーが「窃視」する。90。「負の窃視」。娼婦というみずからの境遇に、見知らぬカップルを重ね合わせている。

  ロバート・テイラーの邸宅で、ビビアン・リーがテイラーの母にみずからの境遇を告白して部屋を出た後、階段を上ってくるロバート・テイラーをビビアン・リーが「窃視」して逃げるように歩き去る。80。「物語的窃視」。「テイラーがやって来た」という「物語」を「窃視」している。その後テイラーはリーに追いつき、二人は見つめ合う

  終盤、ウォータルー橋で、去り行く名もなき娼婦の背中をビビアン・リーが「窃視」する。90。「物語的窃視」か「負の窃視」

成瀬流にいうならば、「窃視」している人物がすべてビビアン・リーであることからして、ビビアン・リーの「見つめる映画」ということになりそうである。「窃視」の種類にしてもまた、④などは、娼婦としての自分を思い出させるような「負の窃視」ともいうべきショットであり、成瀬映画にもよく見受けられる光景である。すると成瀬映画の「窃視」とは、取り立てて珍しいものではないのではないか、という疑問が湧いてくる。

まず基本的に異なるのは、①~⑤の「窃視」はすべて、その直後、二人はすぐに抱き合うなりキスをするなりという「見つめ合う」状態へと入っている点である。あくまでも基本は「見つめ合うこと」であり、決して●「めし」以降の成瀬映画のように、「窃視」をしたあと、そのまま相手に知られず立ち去る、という性向=「ずれ」を基本としてはいない。二人が結婚の約束をするシーンも、ビビアン・リーがみずからの「過ち」を義母へ告白するときも、『面と向った者同士の対話』によって成されていることに象徴されるように、「哀愁」における視線の方向はあくまで「正面」が基本であり、その直前になされた「窃視」は、「見つめ合うこと」へと向けられた前菜のようなものとして機能している。従って「窃視」は、「集中すること」を叙情的に露呈させる事で物語を④→③→②→①と逆行させる起点となるのではなく、却って①→②→③→④と円滑に物語を契機させる潤滑油として用いられていることになる。「窃視」の大部分が「物語的窃視」であるという事実は、それを間接的に証左してもいる。そしてまたその構造は「舞姫」のラストシーンと非常に良く似ている。「舞姫」の主眼はあくまでも「窃視」の次に継起する「見つめ合うこと」に置かれているからである。そうした点で「舞姫」は、「めし」以降の成瀬映画との質的な差異を露呈させている。●39「めし」のラストシーンは、汽車の横の座席で眠っている夫の上原謙を、原節子が「窃視」し、そのまま見つめ合うこともなく終わっているのである(「窃視⑲」)

★メロドラマとは

メロドラマについては一度●「乱れる」(1964)のところで少しだけ触れてみたが、メロドラマの定義は非常に難しく、未だによくわからない。基本的に日本映画のメロドラマとは、日本演劇の新派と、欧米のメロドラマの混血であって、その特徴としては、「身分違いの恋、男の立身出世と女の自己犠牲、生き別れの家族との再会、母子の別れ、貞操を失った少女の転落」、「実母と養母、倒産と貧困、拘留と釈放、アメリカ帰りの有名女優、誘拐、家族の再会」(以上(佐藤忠男「二枚目の研究」13、四方田犬彦「日本映画史100年」2650、「成瀬巳喜男・日常のきらめき」48)などであると言われている。私はここに、『偶然による運命の転換、誤解による別離、再会の情動、思い出の場所、仲介者の存在、海(ないしは波、泉、川という水関係)』、といった要素を付け加えてみたい。これらは人々が所謂メロドラマと定義した映画の多くに共通して見受けられる特徴だからである。こうしたメロドラマの物語的要素で言うならば、この「哀愁」は、「身分違いの恋、男の立身出世と女の自己犠牲、生き別れの家族との再会、貞操を失った少女の転落、偶然による運命の転換、誤解による別離、再会の情動、思い出の場所、仲介者の存在、水、」といった、メロドラマ的な要素を存分にしたためた作品ということになる。

しかし『映画におけるメロドラマの問題は、視線をめぐる技術の問題である(「季刊リュミエール4・日本映画の黄金時代」48)』と蓮實重彦が語るように、私もまたメロドラマを不可視の主題ではなく、視覚的に露呈した視線の問題として感じている。メロドラマとはまずもって視線が引き起こすものであり、クローズアップやそれに基づく映画的な構図=逆構図による切返しが惹起させるところのエモーションの集積にほかならない。従ってそれは限定された主題によってのみ引き起こされる現象ではなく、物語の体裁として、ラブストーリーであれ、フィルムノワールであれ、西部劇であれ、SFであれホラーであれ、視線が情動を引き起こすとき、映画はメロドラマとしての資格を備えることになる。視線と視線とが映画的擬制によって交錯し、見つめる瞳が同時に見つめられる瞳となる事で相互に瞳という対象を喪失し、視線と眼差しによって結ばれたとき、メロドラマが生まれる。そこにあるのは、幾たびもの試練を潜り抜けながらも、最後は『面と向った正面の対話』によって、事件を「解決」できてしまう「主体」的なコミュニケーションにほかならない。今回、メロドラマの巨匠といわれるダグラス・サークの作品もまた幾つか見直してみた。詳しくは「窃視表」に譲ることとして、アメリカ型のメロドラマには、確かに戦争や階級、貧困や犯罪などによって流されて行くような「内的な」主人公たちが多く描かれ、部分部分で「窃視」や「盗み聞き」を挿入したりしながら映画を進めもしている。しかし最後には「見つめ合う」という「主体的」な運動によって事件を「解決」してゆくことを常としているのだ。●「心のともしび」(1953)を見てみるならば、まず放蕩成金のロック・ハドソンは、映画中途で主体的に「改心」し、献身的な人間へと主体的に「変化」している。さらにまた、ジェーン・ワイマンは盲目であり、従って「窃視」され易い状況にありながら、ロック・ハドソンがみずからの正体をジェーン・ワイマンに明かすシーン、結婚を申し込むシーンなどの「事件の解決」のシーンが『面と向った者同士の対話』と甘い台詞とメロディによって達成されている。ジェーン・ワイマンは「盲目」という設定ゆえに、これらは正確には「見つめ合いによる対話」とはいえないものの、わざわざ盲目のジェーン・ワイマンにみずからの存在を知らしめた上で、堂々と告白をするロック・ハドソンのあり方とはまさに「主体的」であり、ここには「見られている事を知らない者」を密かに盗み見しようという「内的」な匿名性は微塵も露呈してはいない。これは●「めし」以前の成瀬映画に良く見られた傾向であり、そこには「自由意志による主体的な解決」というアメリカンドリームが秘められているのだ。成瀬は●「限りなき舗道」(1934)において、エルンスト・ルビッチの●「陽気な中尉さん」(1931)を挿入しているように、小津同様、シネフィルとしてハリウッド映画の影響を強く受けていたと思われ、それが高じて初期成瀬映画が、ハリウッド的な「見つめ合うこと」によるメロドラマへと傾倒していったとしても不思議ではない。アメリカンドリームとは「主体のドリーム」であり、みずからの「意志」によって困難を「解決」してゆくことでハッピーエンドを勝ち取る映画なのである。

 ここで、メロドラマとは、『見られている事を知っている者同士が、面と向った対話によって、事件を解決する映画』である、と定義したとき、「めし」以前の「後退期」の成瀬映画は、紆余曲折がありながらも、基本的にはメロドラマであったということができる。

 ★美術

それは「舞姫」の美術のあり方一つに如実に反映している。同じ中古智の設計でありながら、「舞姫」の美術と、「めし」のそれとは余りにも違いすぎる。帝国劇場という巨大なオブジェクトの看板()を大写しにしたあと、中で繰り広げられるバレエの舞台を、観客席という超越的なポジションから俯瞰で捉えて始まる「舞姫」の美術は、四方八方を「壁」によって囲まれたバレエ教室に据えられた大きな鏡や、鎌倉の実家の壁に包まれた硬質の建築によってオブジェクト化している。唯一、「木と竹と紙」によって作られた旅館の一室において、見明凡太郎が高峰三枝子を襲うシーンでは、片山明彦がいきなり襖を開けて入ってきて見明凡太郎を撃退するという、束の間の「通風性」をもたらしたものの、その外において映画は一貫して欧米風のオブジェクト型建築によって貫かれている。それはまさに「面と向った対話」によって事件を「解決」できてしまう「主体的な」人物たちに相応しい、無時間的で硬質の美術にほかならない。

★脚本

メロドラマとしての特徴は、台詞の内容にも反映してくる。成瀬が台本の削除、書き換えをするようになるのは「めし」以降であり、「舞姫」は、新藤兼人の脚本に忠実に撮られたとされている。たとえば「舞姫」にはこんなセリフがある。

高峰三枝子

『一人の自分は八木(山村聡)と暮らしていて、一人の自分は(バレリーナとして)踊っていて、一人の自分は竹原(二本柳寛)を想って、、、わたし、一人になりたいの。何人もの自分を一人にしてやりたいんです、、、』

片山明彦

『うちはお父さんのおっしゃる通り、一家バラバラなんです。沈んで行く船の中で、めいめがもがいているんです、、』

これらの台詞は原作にも存在している。しかしこのような「隠喩」が入った台詞は、成瀬が積極的に脚本に絡んでいた時期である「めし」以降であったならば、おそらく削られていたであろう。そもそも比喩というものは、例えるものを知らないと比喩にはならず、当然ながらそこには「知っている」という知識の部分がでしゃばってくる。それが高じると、この「舞姫」の台詞のように、もったいぶったものになってしまうばかりか、役者たちが、セリフを思い出すようにしゃべるという「論理の顔」をし始めてしまい、映画は「言いたいことの内容」なる心理的なステレオタイプへと流れてゆく危険を内包することになる。「言いたいことの内容」が重視される世界とは、「主体」の世界であり、「面と向った対話」によって事件を「解決」できる世界でもある。それは身体のうごめきを「見ること」によってコミュニケーションを図る世界ではなく、既に確固としてそこに現前する意味の内容を「聞くこと」によってコミュニケーションを図ろうとする硬質の世界でもあるだろう。こうした傾向が「めし」以降再び現われたのが●「鰯雲」(1958)という、これもまた社会派と言われる橋本忍脚本の作品である。そこには終盤、淡島千影が小林桂樹に向って言ったこんな台詞がある。

『でもね、兄さん(中村雁治郎)は、あんたたちに押しまくられても突き飛ばされてもしていないわ。今の時代のね、一番強い風に向って立ってくのは、あんたたちより、むしろ兄さんかも知れないわ、、』

ここでもまた、隠喩なり比喩によった台詞が使われている。また、しゃべっている淡島千は、セリフがまどろっこしくてスラリと口から出て来ず、「論理の顔」をしている。セリフが理屈っぽく、役者の「身体」のなかに入っていない。同じ橋本忍の脚本であるアイヌ差別問題を扱った●「コタンの口笛」(1959)においてもまた、大塚国夫の『倭人だけが悪いのではない。アイヌの中にも悪い奴はいる。だから倭人とアイヌと区別せず、人と付き合うべきだ』というセリフなどに「思想」が露呈している。「関係」によって撮られてゆく成瀬映画において強度な「思想」の持ち主ほど「らしからぬ」人物はいない。このように「社会的作品」というものは、そもそもが社会に向けられたメッセージという「会話の中身」が重視されがちとなり、その結果、映画は説明調で理屈っぽくなる反面、運動を減退させ、画面は停滞する危険と隣り合わせとなる映画が社会的になるということは、今回の論文で既に幾度も検討したように、映画が判りやすくなり、善悪がはっきりし、人物は「二枚目」から「立役」に近付いて行く。そうして物語が①→②→③→④と流れて行く傾向を強めることになり、それに伴ってコミュニケーションの方法も「窃視」から、「主体的」な人間による面と向った対話=メロドラマへと変化して行くのである。もちろん「社会派」の映画に、細部に「過剰」をしたためた作品がないというのではない。あくまでも傾向の問題である。「メッセージの内容」に心が先走ったとき、得てして人というものは、画面の細部に工夫を凝らす情熱を忘れ、みずからは「告発」をしたと思って、知らず知らずのうちに「制度」に取り込まれた素直で凡庸な物語映画を撮ってしまう危険に晒されることを映画史は語り続けている、ということである。。

★メロドラマと成瀬

では成瀬映画におけるメロドラマとは、いわば「後退期」にのみ現われる否定的な現象なのだろうか。おそらくそうではなく、成瀬は「めし」(1951)以降の全盛期においても、「成瀬的な」メロドラマを撮っていたというべきである。それは●「お國と五平」(1952)から始まり、●「娘・妻・母」(1960)●「乱れる」(1964)、●「乱れ雲」(1967)へと続いて行く「エロス的身体」を撮った作品群にほかならない。「裸の窃視」をして、ふと目を逸らすことを忘れて相手の身体に見入って没入してしまった、その時、その一瞬の眼差しを捕らえられ、目と目とが合ってしまった、その「不可抗力の見つめ合い」の一瞬の時間の中に、メロドラマとしてのエロスが生まれる。ハタと我に返ったときメロドラマは既に霧散していて、あとはひたすらその瞬間に立ち会った者たちの思い出として、愛する者の眼差しのみが永遠に木霊するのだ。帰ってこなくなったビビアン・リーの眼差しを求めて想い出のウォータルー橋でその視線を彷徨わせる●「哀愁」(1940)のロバート・テイラーのように、●「乱れる」(1964)の高峰秀子は、夜行列車で刻み続けた加山雄三のあの失われた眼差しを求めて銀山の温泉街を走り続けたのである。

■Ⅳおわりに

成瀬映画の「後退」には二つの時期があり、第一期は1936年の●「桃中軒雲右衛門」前後から●1951年の「舞姫」まで、第二期は●1958年の「鰯雲」(1958)以降である。成瀬が映画を撮っていたのは1929年から67年までのあいだであり、日本が資本主義社会への流れを強めた時期と一致している。それまでは村落共同体の中での「対面コミュニケーション」によって人間同士の関係を築くことのできた「内的な」者たちは、労働力として都市の中へと引きずりこまれた結果、彼らの周囲は「他者」ばかりとなる。当然ながらコミュニケーションの方法も、村落共同体型の「対面型コミュニケーション」から、都会型の「匿名型コミュニケーション」へと変化して行くことになるだろう。そうした大きな流れを取り込んでいったのが成瀬映画であり、その中で「窃視」というコミュニケーションの方法は、まさに「他者」と「他者」との「関係」を築くための、「匿名型コミュニケーション」のひとつの方法として現われていた。地方の農村から単身一人で上京したものの、就職難でオフィスガールになれずにカフェの女給になった「内的」な娘である千葉早智子が、ひたすら「窃視」によって都会の風俗を盗み見てゆく●「朝の並木道」(1936)こそ、成瀬的なるものを描いた典型といえるだろう。

だがそうしたコミュニケーションの方法が、映画的に制約され得る出来事が成瀬映画に二度訪れる。一度目は、日中戦争から第二次大戦へと流れて行く戦争とそれに連なる戦後の左翼化であり、二度目は、映画界が斜陽になった60年代における商業化の波である。二度目の「後退」については後の検討に譲ることとして、ここではまず戦争が、成瀬映画に影響を及ぼしたかを推測してみたい。

まず、一番影響を与えたと思われるのが人物のあり方である。戦争は、自国内に「他者」を認めない。挙国一致で敵に立ち向かっている兵隊たちや銃後の国民たちが、お互いに「他者」であっては困るのである。緊急時においてチョロチョロ「窃視」をしながら連絡を取り合うような国民は、国を滅ぼしかねない危険分子なのだ。それに代わって登場するのが、「対面型コミュニケーション」という、村落共同体型のコミュニケーションにほかならない。本来的に「他者」でしか有り得ない資本主義的都会人たちは、戦争によって一時的に「他者」であることを禁止され、そのコミュニケーションの方法は、「主体的」で親しい人物たちが、お互い腹を割って話し合えば必ず分かり合える、という「同質」の者たちによる「農村型コミュニケーション」へと急転回させられたのである。

「和の精神」を謳った『国体の本義』が、日本政府によって出されたのが1937年であり、その二年後には、既に解体され始めていた家的共同体内部(特に出征軍人の遺家族)における法的紛争の顕在化に対処し、「銃後における人心の安定」「出征兵士の士気の高揚」を図るために大急ぎで『人事調停法』が新たに制定され、「和の精神」による「解決」が家族法の分野において半ば強制されることとなった(川島武宜「日本人の法意識」171以下。)

ここにあるのは、既に「家的共同体」が崩壊し、法的な解決によらざるを得なくなった家族間の紛争を、無理矢理「家的共同体の和」によって解決しようとする国家の意志である。

それまでは内的な女性映画であった成瀬映画が、1936年前後から外交的な男性映画へと転回し、人物の性質もまた「二枚目」から「立役」へと転回したのは、時代が「和の精神」による「解決」をするに相応しい「主体的」人物を必要としたからではないだろうか。戦争は、成瀬映画の人物を、「主体」へと変貌させたのである。

こうした現象は、戦後の「左転回」についても同じようにあてはまる。メッセージの伝達を重視する傾向映画は、「主体的」な人物たちの面と向った対話の中身によって「解決=説明」される必要があるのである。

以上は、戦争と戦後の左転回という外部が、成瀬映画の細部にいかなる影響を及ぼしたかに関する大雑把な推測であり、確証はどこにもない。ここで大切なのは、成瀬映画のコミュニケーションの性質が「窃視」から「面と向った対話」へと変化したことそれ自体ではない。人物のあり方が変化した事で、映画の「過剰」が一気に失われてしまったという事実である。ここでもう一度、成瀬映画の「過剰」について考えてみよう。成瀬映画の「過剰」とは、コミュニケーションを不断に再生産する成瀬映画の世界におけるマクガフィンとして見出すことができた。「通風性」の場合、成瀬映画の美術は「開け放たれているから人が家を出る」のではなく、「人を家から出すために開け放たれている」のであり、内部の人間を外部へと放り出しコミュニケーションを促進させるためにある。そのためにも人物は「内的」でなければならない。「主体的な」人物であれば、家を出ることを「余儀なく」されないからである。ここでもまた「気が弱いから家を弾き出された」という①→②ではなく「家から弾き出されるために気が弱い」という②→①として細部は逆流している。そうして家を出された「内的」な人物たちがめぐり合う人々とは同種の人間たちではなく「他者」である。彼らは家を出たところ「他者」とめぐり合ってびっくりしたのではない。「他者」とめぐり合ってびっくりするために家を出たのである。ではどうしてそのような「他者」たちを成瀬映画の人々は「窃視」するかといえば、それは「他者」とは面と向った対話が通じないからではない。「窃視」というコミュニケーションの方法を選択したからこそ、彼らは「他者」なのである。そんな「他者」が、物事に「集中」していたから、人は「他者」を「窃視」するのではない。「他者」たちが「窃視」をされるために、「他者」は物事に「集中」するのである。細部は①→②→③→④ではなく、或いはそれと同時に、それよりも強く④→③→②→①と逆流して行く。逆流するが故に細部は「過剰」となり、その運動は「不可抗力」に支配されることになる。物語の鎖から解放された細部はあらゆる方向に拡散し、弾け合いながらさらなる細部を呼び寄せ、不断にコミュニケーションを再生産し続けて行くのである。

そうした中で、成瀬映画の人物が「主体的」になったとしたらどうなるだろう。すべてはオジャンである。「内的」であることとは、成瀬映画の決定的なマクガフィンだからだ。人物が「主体的」になったとき、「過剰」な細部は一気に機能不全に陥り「物語」の網の目へと絡め取られる。コミュニケーションは「窃視」ではなく「意志」による「面と向った対話」へと「後退」して「ずれ」を喪失し、「主体的」な人々は、わざわざ外部へ出て「他者」と出会い「関係」を築く必要がなくなるので「通風性」も「後退」し、確固たる「主体」によって為される運動は「不可抗力」から「自由意志」へと「後退」する。そして行動は「理由」に支配されるようになり、人々は「他者」の身体を「見ること」によって、「無意味」をそのまま目的として受け止めることのできる人間ではなく、同質の人間たちの声を「聞くこと」によって、「既にある確固たる意味」を読み取る功利的で硬質な主体となる。細部は「意志」と「心理」に絡め取られ、「物語」の網の中へと絡め取られて行く。こうして「過剰」な細部は「見ること」の④→③→②→①から、「読むこと」の①→②→③→④へと回収されてしまう。②は、①と③とのあいだにあることでのみ存在意義を有することになり、手段化され、②そのものとしての輝きを失い、「物語=制度」へと回収されてしまう。それがこれまでの「見ること」の検討によって露呈した「後退」という出来事の意味である。

戦争や戦後の左転回がどれだけ成瀬映画に影響を及ぼしたのか、以上の検討だけでは、断言することはできない。だが「後退」という事実を、細部を「見ること」によって検討をした時、物語的な変化を検討すること=読むこと=によっては決して現われ出てこない『「過剰」の喪失』という事実に出くわしたことには意味がある。戦争どころか啓蒙すら、実は、知らないうちに「過剰」さを押し隠し、我々をして凡庸で制度的な「物語」の中へと取り込むことを助けているのではないか、どちらにせよ、「見ること」は、『啓蒙』から身を逸らし、みずから世界を思考することの第一歩である。

★「スランプ」

多くの場合、作家がある時期に「スランプ」に陥ったという言説は、実は「批評家のスランプ」にすぎない。成瀬映画の「後退」とは、少なくとも映画の細部を検討したところでは、「スランプ」という能力的なものではなく、あるいはそれ以上に、時代のもたらす環境の変化がそのまま内部の細部を直撃したというべきものである。どちらにしても重要なのは、「後退」の原因が戦争や映画の社会化にあるやもしれないということではなく、たったひとつの細部が変化しただけで、映画はまったく違ったものになってしまうという、映画の恐怖である。そしてその細部を「救出」することができるのは、我々の瞳なのだ。

つづく

映画研究塾2010.5.10

参考文献(前回分を含む)

「成瀬巳喜男の設計」中古智・蓮實重彦

「成瀬巳喜男の世界へ」蓮實重彦・山根貞男編

「季刊リュミエール4・日本映画の黄金時代」蓮實重彦責任編集

「季刊リュミエール6DW・グリフィス」蓮實重彦責任編集

「映像の詩学」蓮實重彦

「映画読本・成瀬巳喜男」フィルムアート社

「東京人」200510月号

「映画狂人、小津の余白に」蓮實重彦

「ヒッチコック・トリュフォー映画術」山田宏一・蓮實重彦訳

「ヒッチコックを読む」フィルムアート社

「成瀬巳喜男・日常のひらめき」スザンネ・シェアマン

「二枚目の研究」佐藤忠男

「わたしの渡世日記・下」高峰秀子(朝日新聞社)

「成瀬巳喜男と映画の中の女たち」ぴあ

「日本映画俳優全史・女優編」猪俣勝人・田山力哉

「小津安二郎を読む」フィルムアート社

「映画監督 成瀬巳喜男レトロスペクティブ」コミュニケーションシネマ支援センター

「反時代的考察」ニーチェ(角川文庫)

「ニッポン」ブルーノ・タウト

「日本映画の時代」廣澤榮

「サーク・オン・サーク」ジョン・ハリデイ編

「めし」林芙美子(新潮文庫)

「山の音」川端康成(日本現代文学全集29)

「あらくれ」徳田秋声(日本現代文学全集11)

「日本映画史100年」四方田犬彦

「フロイト著作集①」フロイト(人文書院)

「菊と刀」ルース・ベネディクト(講談社学術文庫)

「破滅の美学」笠原和夫(幻冬舎アウトロー文庫)

「あにいもうと」室生犀星(日本現代文学全集27)

「舞姫」川端康成(新潮文庫)

「反オブジェクト」隈研吾(ちくま学芸文庫)

「今は昔のこんなこと」佐藤愛子(文春新書)

「ゴダール全発言Ⅱ」ゴダール(筑摩書房)

「映画史Ⅱ」ゴダール(筑摩書房)

「世論・上」リップマン(岩波文庫)

「オリエンタリズム・上」サイード(平凡社ライブラリー)

「日本人の法意識」川島武宜(岩波新書)

「成瀬巳喜男 映画の女性性」阿部嘉昭