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藤村隆史論文ヒッチコック・ホークス主義
最終章
■サイレント
商業化に対して否定的であったリュミエール兄弟の初期映画の時代から映画はパテ、ゴーモン、メリエス、そしてニューヨークからハリウッドへと商業化=撮影所システムへの流れを加速させてゆく。人間は物語的な生物であり何よりもまず因果的で分かり易い映画を撮らなければならない。ジョルジュ・メリエスの●「月世界旅行」(1902)などによって意図的に物語がかぶせられるようになった商業映画の映画史はエドウィン・S・ポーター●「大列車強盗」●「 アメリカ消防夫の生活」(1903)等によって考案されたクローズアップ、クロスカッティングによってさらなる分節化がもたらされ、映画の父D・W・グリフィスの●「國民の創生」(1915)●「イントレランス」(1916)によって語りのシステムとしてのクローズアップとモンタージュがひとつの完成を見ることになり、映画は「物語ること」へとシフトしてゆく。ヒッチコックはサイレント映画について『映画のもっとも純粋な形式だと思う。~中略~映画としてほとんど完璧な形式に達していた』(映画術49~50頁)と語っているが、ヒッチコックの最後のサイレント映画である●「マンクスマン」(1928)を見ればわかるように、仮に「純粋な形式」であれ「完璧な形式」であれ、それはあくまで物語つきのそれであって純粋映画や絶対映画のような物語不在の映画ではない。だがサイレント映画はその名の通り音を持っていなかったことから、物語に包まれながらも運動が正面切って優位する余地は大いに残されており、言葉を字幕でしか語ることのできなかったサイレント期の物語映画は物語を運動で語ることがシステム的に許されていた時代であり「であること」に対して運動=「すること」の優位が制度的に許されていたシステムであった。
★グラデーション
サイレント映画の大きなシステム的特徴として音声の不在とモノクロフィルムがあり、撮影する者たちはまずもってフィルムが真っ黒になってしまわぬようフィルムに白と黒の明暗(グラデーション)を付けることに頭を悩ませることになる。カラー映画と違って白と黒の二色しかない画面に陰影と潤いをもたらすこと、それがまず映画を撮るための大きな前提となり、物語的要請はフィルム的要請の後に後退することになる。そのためにまず考案されるのが明暗を作出しやすい動きの多い物語であり、動きが多ければその都度陰影がもたらされることからまずアクション性の豊かな活劇が要請されることになり、それがスラップスティックコメディ等のドタバタ劇、ダグラス・フェアバンクス等のアクション活劇を要請することになる。それと同時に映画は無数の粒子が舞うことでモノクロフィルムにグラデーションをもたらしてくれる「煙(霧、砂塵)」という現象が席巻するようになり、それに加えて水しぶき、影(陰影)、そして「投げること」という現象を発見し、そうすることで仮に「銃を撃つ」という出来事にしても、それは「銃を撃つ」という物語的要請よりも「煙を出す」というフィルム的要請が重要になり、また木にしても葉を風に揺らしたり風に揺れる木の葉の影を人物、壁、地面に投射させることが重要になってくるのであり、ジョン・フォードの川や海は人が飛び込んだり馬車で駆け抜けたりして水しぶきをあげるため「だけ」に存在するように見えてしまうほどグラデーションに対する感覚は研ぎ澄まされている。そうしたことからサイレント映画を撮るにあたっての思考の流れは「敵を倒すために銃を撃つ」のではなく「銃を撃って煙を出すために敵を倒す」という流れとなり、それが音不在による運動の優位性と相俟ってサイレント映画における運動の優位性をさらに後押しすることになる。そうするとまず題材からしてグラデーションを出しやすいテーマが選択されやすくなり、物を投げ人が走って飛び跳ねるドタバタのスラップスティックコメディ、地面を駆けることで煙を撒き散らす馬と、発砲することで煙を出し続ける銃を使った西部劇、銃、爆弾によって煙、水しぶきを撒き散らす戦争映画、あらゆる物を吹き飛ばしたり撒き散らしたりするパニック映画などがジャンルを構成し、それ以外のテーマを撮るにしてもエイゼンシュテインのサイレント映画のようにあらゆる地点に煙を撒き散らしながら幾何学模様のステレオタイプ的な人物たちを強烈なバックライトの陰影でもって照らし出す動物的映画へと接近してゆくことになる。今回提示した機能・運動連関表においてあらゆる映画に共通する出来事として
銃は煙を吐き出すため。地面は煙を撒き散らすため。タバコは煙を吐き出すため。汽車は煙を撒き散らすため。船は煙を吐き出すため。木々は風に揺られるため。旗は風に揺られるため。木々は影を落とすため。格子は影を落とすため。ブラインドは影を投射させるため。服、帽子は投げ置くため。帽子は振るため。霧は立ち込めるため。海、川に人や馬が飛び込んだり渡ったりするのは水しぶきをあげるため、また波紋を生じさせるため、また光を反射させるため。
等の現象はサイレント映画のみならずトーキー映画においてもD・W・グリフィス、キートン、ジョン・フォード、ハワード・ホークス、ヒッチコック等に見受けられる必須の現象として出現することになるのであり、それはトーキー以降においてもサイレント映画の記憶=運動の優位の映画史をひそかに反復しようともくろむ映画史にほかならない。宇宙へ飛び出すSF映画には煙、水しぶき、影、、という出来事が不足することになるばかりか無重力が加わることで「投げること」もまた不能となりフィルム的要請が基本的に後退するジャンルとなる。
★「一スジ、二ヌケ、三ドウサ」
サイレント映画期におけるモノクロ映画とはまずもって「煙」から入ってくるべきものであり、物語は「あと」から作られることになる。サイレントの創成期から映画を撮っているマキノ省三の有名な「一スジ、二ヌケ、三ドウサ」(マキノ雅弘「映画渡世・天の巻」100頁。スジは物語、ヌケはモノクロフィルムのグラデーション、ドウサは演技)という言葉におけるスジとは、ヌケとドウサに資することにおいての「一スジ」であり、決して物語の論理的整合性を確保することにおける「筋」が「一」ではなく、サイレント映画は「一ドウサ、二ヌケ、三スジ」という逆転の思考回路をモーションピクチャーに定着させた奇形の時代であり、ロベール・ブレッソンの『原因は結果のあとに来る』という言葉もこうしたサイレント映画におけるシステム的限界が可能にした運動の優位をなぞった言説としてある。ヒッチコックのみならずジョン・フォード、ホークス、そしてマイケル・マンすら「雨が降ったから傘を差す」という機能的回路を主人公が示そうとすらしないのはサイレント時代の映画的思考回路の名残としてある。
★西部劇
「前科6犯」のハワード・ホークスは●「リオ・ブラボー」を始め何本かの西部劇を撮っている。サイレント映画から始まる西部劇は純粋に運動の要請から撮られたジャンルかどうかは別にしても(西部劇には案外メロドラマが多い)、頻繁に撮られる「銃を撃つ」という運動ひとつをとっても、サイレント映画は音が出ないために銃口から白い煙をもうもうと吹き上げたり、片手で銃を思い切り上から下へ振りかざしながら「今、弾が出たこと」を運動によって観客に分からせるという、多分に機能性からかけ離れた運動の優位性によって成立しており、モンタージュによって組み立てられた銃撃シーンは命中するにせよ狙いをはずすにせよ極めて非現実的な運動の流れによって組み合わされ、ガンベルトから瞬時に抜かれた銃によって発せられる銃弾が相手の帽子を吹き飛ばしたり空き缶を撃ち続けて空中ダンスさせたりする時、その荒唐無稽さは運動論的頂点に達している。こうした西部劇の傾向はラオール・ウォルシュ、アーヴィング・カミングス共同監督によって撮られた●「懐しのアリゾナ」(1928)によってトーキーに移行し「歌う西部劇」の要素を取り入れた以降においても基本的に変わることはなく、出自そのものが運動優位のシステムに依拠する西部劇はミュージカルと同じようにシステムそのものが「すること」へと極端に傾倒して現実離れしている。クリント・イーストウッドの監督歴はトーキー映画に始まるが、彼の銃の撃ち方は彼の撮る西部劇においても現代劇においても片手で持って上から下へ大きく振りかざす西部劇型シューティングであり、同じ●「ダーティハリー」シリーズでもドン・シーゲルの撮った●「ダーティハリー」でイーストウッドは序盤の銀行強盗との銃撃戦等ではマイケル・マン的コンバット・シューティング・スタイルではないもののマグナムを両手で握ったり左手で右手の手首を握って撃っているのに対してイーストウッド自身で監督した●「ダーティハリー4」(1983)ではイーストウッドはすべての射撃を右手一本で振りかざすように実行し、また現代劇で刑事ものの●「ルーキー」では相棒のチャーリー・シーンはじめ刑事、ギャングは基本的にコンバット・シューティング・スタイルで撃っているのに対してイーストウッドただひとりだけが最初から最後まで片手一本でふりかざして撃ち続けている。一方でマイケル・マンは現代劇の●「ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー」で泥棒のジェームズ・カーンに銃を両手で持たせるコンバット・シューティング・スタイルを確立させており、どちらもトーキー映画の監督でありながら機能におけるこうした銃撃のあり方の相違は両者の出自の時代的差異を反映しており、マイケル・マン的両手持ちでの銃撃はナイフに例えると機能面からして「順手」であり、イーストウッド的片手撃ちは「逆手」に相当する。ホークスが西部劇を撮ることができるのは彼の映画の運動の「であること」へと向けられた禁欲的職業人間の運動面がマイケル・マンほどには「常習犯」化されておらず、西部劇一般においてもまたその「常習性」は「前科6犯」あたりを浮遊していることからある程度機能面に対する遊びが可能になるのに対して「起源」を遥か彼方へ喪失することで職業的禁欲性が反動的に高まっているマイケル・マン的「前科10犯」においてはガンベルトから銃を抜いて相手の帽子を吹き飛ばす等の荒唐無稽な運動は想像することができない。1933年に時代を移し、ギャングのデリンジャーを主人公に撮った●「パブリック・エネミーズ」においては主人公のジョニー・デップと彼の仲間や警官たちはただの一度も銃を両手で握ることはなく、二度目の銀行強盗でのジョニー・デップはまるで西部劇のガンマンのように2つの銃をそれぞれ片手で持つ「二挺拳銃」で襲撃しているし、1757年のフレンチ・インディアン戦争を舞台にした●「ラスト・オブ・モヒカン」 ではイギリスの兵士スティーヴン・ウォディントンと指揮官の娘マデリーン・ストーが銃を片手で持ち、ラストの谷ではモヒカン族のダニエル・デイ=ルイスがライフルをそれぞれ片手に持った「二挺ライフル」で撃ちまくっているが、それは第二章で検討したようにこの2つの作品が時代と時代の「あいだ」における「古い者」を撮ることで「常習性」を下降させた作品だからであり、だがマイケル・マン的機能人間にあってはここまでが限度であり、西部劇というべき●「ラスト・オブ・モヒカン」の主人公は主にライフルを使うインディアンでありガンマンは登場していないという事実は決して偶然ではなく、ガンベルトを腰に巻き片手でバンバンと上から銃を振りかざして撃つ人物までもをマイケル・マン的運動として想像することはできず、マイケル・マンにギャング映画やノワールは撮れたとしても西部劇やミュージカルを撮るのは困難に見える。よく巷で言われるところの「もう映画は西部劇を撮れないだろう」という言説は銃を振りかざしたり早撃ちで帽子を吹き飛ばしたりするような荒唐無稽な運動を現代社会は受け止めることができないという運動論的文脈において考察されるべきであり現代劇であるものの●「ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー」においてジェームズ・カーンに両手で銃を機能的に握らせたマイケル・マン的運動性は西部劇に大いなる打撃を与えたように見える。
■バスター・キートン
★職業
キートン映画における職業と運動の関係について検討する。●「キートンの探偵学入門」(1924)では映画の映写技師が夢の中で詐欺師に間違われて真犯人を追跡し、●「海底王キートン」(1924)では富豪の息子が巡洋船をめぐる国家的陰謀に巻き込まれ、●「キートンのセブン・チャンス」(1925)では傾きかけた商事会社の共同経営者が結婚の相手を探すために走り回り、●「拳闘屋キートン」(1926)では大富豪が同名のボクサーに間違われてボクシングをし、●「キートンの決死隊」(1930)ではサラリーマンが戦争に行き、●「キートンの結婚狂」(1932)ではクリーニング屋が船員や船長になり、というように、彼の職業はヒッチコック的巻き込まれ映画同様にスキルを喪失したキートンによる動物的な「すること」を撮ることで共通している。●「キートンの大列車追跡」(1926)のように「機関士が機関車の操縦をする」という職業と運動が一致しているように見える作品にしてもキートンに機関士としての職業的スキルはまったく有しておらず、そこでなされている実際の運動は汽車を操縦しているキートンが前を走行する敵の列車を狙うために汽車の荷台に設定した大砲が間違って自分の方に向いてしまい必死になって汽車の上を逃げ回っている時ちょうど線路がカーブに差し掛かり角度を変えて発射された砲弾が敵の機関車に炸裂したり、サーベルを振り回していると柄が取れて飛んで行った刀の先が敵兵に突き刺さったりと、職業的スキルとは無関係の偶然的・受動的・超人的運動によってなされているのであり、だからこそキートンはラストシーンではいとも簡単に職業を機関士から軍人へと鞍替えしてしまうのであり、そこには「であること」へと向けられた人間的な職業意識が決定的に欠落している。●「キートンのカメラマン」(1928)は「報道カメラマンのキートンがスクープ写真を撮る」のだがキートンにキャメラマンとしての職業的スキルはまったくなく、決定的なシーンを撮ったのはキートンではなく猿であるというバカバカしさに包み込まれているのであり、キートンにとって職業はあくまでもマクガフィンに過ぎず、それは大学生がクラブ活動に励む●「キートンの大学生」(1927)であれ、蒸気船の社長の息子が船を操縦する●「キートンの蒸気船」(1928)であれ変わることはなくキートンは常に職業的不適格者として登場し、任務は非人間的・動物的・超人的運動によって達成されることになる。
★モノ化
職業的不適格者のキートンは●「キートンの恋愛三代記」(1923)では棒にしがみついているところを「てこの原理」で山頂まで弾き飛ばされ●「荒武者キートン」(1923)では馬車に揺られて川に流され●「キートンの探偵学入門」でバイクのハンドルに座ったキートンは背後の運転手が振り落されたことに気づかないままギャングの追跡から逃走し●「キートンの蒸気船」では大木に掴まったまま暴風に吹き飛ばされ●「キートンの大学生」ではハンマー投げでハンマーに振り回され終盤のボートレースではボートの「かじ(舵)」そのものになり●「海底王キートン」ではあろうことかキートンが「いかだ」になる。空気を含んだ潜水服を着込んで海面に仰向けに浮かんでいるキートンの上に女が跨りオールで「キートンを漕(こ)ぐ」のだ。チャップリンも●「黄金狂時代」(1925)の雪山で凍結人間を真似て「棒」になったり●「サーカス」(1928)で機械人形のまねをしたり●「モダン・タイムス」(1936)で歯車のあいだに挟まったりしているが「いかだ」のような「モノ」それ自体になったことはおそらくなく、動物的ヒッチコック映画でもケーリー・グラントが「いかだ」になる姿は想像できない(ホークスならやるかも知れない)。
→「キートンのセブン・チャンス」(1925)
この作品で新聞広告を見た無数の女たちが集まる教会のシーンではキートンの近くに座っている女たちは全員ステレオタイプとして撮られていて、そんな女たちがウエディングドレスをはためかせて街中キートンを追いかけて疾走するや否やキャメラは大きく引かれた俯瞰系のロングショットとなり、もはや女たちは「人間」としてではなく集団の幾何学的なうごめきとして撮られ始める。●「キートンの恋愛三代記」のラストシーンではキートン夫婦のあとをついて歩く幾人もの子供たちが「人間」ではなく「子沢山」という人間の「数」そのものとして撮られているように、ステレオタイプ、群衆、極端なロングショット、幾何学的運動、受動性、不可抗力、偶然性、超人性、といった動物的・モノ的質的現象に囲まれてキートンは運動するのであり、これらの要素の幾つかが組み合されてゆくことでキートンは「モノ」として動き回る(回される)ことになる。
★キートンを起動させる
●「キートンのセブン・チャンス」は誕生日の夜7時までに結婚することを条件に遺産を相続させるという祖母の遺言を契機にキートンが7人の女たちにアタックするが断られ、最後は新聞広告を見てやってきた数百人の女たちに追い掛け回されるのだが「誕生日の夜7時までに結婚することを条件に遺産を相続させる」という遺言を契機にキートンが数百人の女たちに追い掛け回されるのではなく、キートンが数百人の女たちに追い掛け回されるために遺言が存在するのであり、この遺言がマクガフィンとなってキートン的運動を起動させることになる。●「荒武者キートン」では父親の死による遺産の相続が●「キートンの探偵学入門」では居眠りすること、詐欺師にでっち上げられることが●「キートンの大列車追跡」では恋人の誘拐●「キートンの蒸気船」では父親の逮捕と暴風雨がマクガフィンとしてキートンの運動を起動させている。
★マクガフィン
『バスター・キートン機能・運動連関表』を提示する(今回の検討対象は「機能・連関表」に書かれた作品に限定される)を提示する。キートン映画の上映時間の短さからしてもマクガフィンの多さが際立っている。
『我々の二巻モノの出演者はいつも少人数だった。普通は主な人物は三人だけ。悪人、私、それに女の子で、どっちにしろ彼女はまるで重要ではない。彼女がそこにいるのは、悪人と私が何か喧嘩を始める理由が必要だったと言うだけのことだ』~バスター・キートン(バスター・キートン自伝140)
「すること」の究極としての「モノ化」を帯びたキートン的主人公には「であること」という仮想=めがけること=がまったく存在しないことからその運動を起動させるためにはマクガフィンが必要になり、キートンの作品はヒッチコック的「動物化」した人間の巻き込まれ運動と同じように映画が始まった後にマクガフィンによって初めて運動が起動することになる。第二章で『仮に●「三十九夜」でロバート・ドーナットが警官から逃げている場面から映画が始まることも有り得るが、それでも彼の「逃げる」という運動は「国家機密」というマクガフィンによって起動したことに変わりはなく、ただそれが映画の中で省略されているに過ぎないのであり、どちらにしたところでヒッチコック的巻き込まれ運動は、マクガフィンによって弾かれた主人公の運動であることに変わりはない。』と書いたがキートンについても同様で、例えば●「キートンのセブン・チャンス」(1925)でいきなりキートンが大勢の女たちから逃げているところから映画を始めることは物理的には可能だが、それが「常習犯」なら運動の起動因は内部に存在するのだから運動を進めることで自然と運動は継続してゆくのに対して、そもそもゼロの運動が外部のマクガフィンによって初めて起動する巻き込まれ運動の場合、どこかで運動の理由(マクガフィン)を遡って説明する必要に駆られることになり運動論として非常に困難を極めることになる(有り得なくはないが)。このように映画開始後にマクガフィンによって起動するキートン的運動は、ヒッチコック的「動物」をさらに推し進めた「モノ化」を極め「モノ」は自分で動くことができないことからヒッチコック的運動以上にマクガフィンによって弾かれることになる。こうしてとことん機能から引き剥がされ「モノ化」したキートン的運動はマック・セネット、チャップリン、ロスコー・アーバックルなどと並んでジャンルとしてのスラップスティックコメディを形成し、一般にそれは「体を張った運動」あるいは「社会に協調不可能な者たちの運動」という言われ方をすることもあるものの運動論としては機能から運動を取り出すことの究極系としてあり、ケーキを投げて人の顔にぶちまけてみたり、バナナの顔で滑って転んだりといった、道具や出来事の機能的な使い方や接し方のできない者たちの剥き出しの「すること」をフィルムに収めたのがスラップスティックコメディであり、時期的には「すること」の優位が許されていたサイレント映画時代に全盛を迎えることになる。
★傘
落下する水滴から身体を防御するにしても●「荒武者キートン」では雨ではなく崩壊したダムによってもたらさせた洪水を滝の下で傘をさして凌いでおり、●「キートンの大学生」で傘は雨をしのぐためではなくパラシュートとして使われ●「キートンの蒸気船」ではキートンが暴風雨で傘をさすものの傘は強風でオチョコになって傘ごと吹き飛ばされ最後はオチョコの傘にたまった水を保安官にぶちまけるという反機能的運動へと流れているのであって、これまで検討したヒッチコック、ホークス等と同じようにキートン的運動において雨を傘でしのぐという出来事はあり得ない。
★逆手
キートンはナイフや包丁を使うことのほとんどないものの、珍しくナイフを使った●「キートンのカメラマン」ではあろうことかキートンに同行している小猿がナイフを逆手に握って中国マフィアの背中を刺しているが、ここで子猿は最初のショットでは順手で握っていたナイフを次のショットでわざわざ逆手に持ち替えて突き刺していることから見てもキートン的運動における逆手に対する意図的な演出を見出すことができる。キートンに襲い掛かってくるマフィアにしても、キートンに接近してこないマフィアたちはナイフを順手に握り、キートンに接近して切りかかってくるマフィアはナイフを逆手に握っており、ここという場面で順手のナイフをわざわざ逆手に持ち替えて切りかかるという性向は「すること」の映画を撮る者たちに共通して見られる機能不全の映画史として露呈している。
★回想
ヒッチコック以上に「すること」の渦中へ放り込まれ「モノ化」するキートン的運動においては回想などという人間的な出来事が起こる事態はシステム的にあり得ず、私が見た長編の中で回想が入るのは●「キートンの結婚狂」(1932) の一本だけであり、舞台の上の南軍兵がドロシー・セバスチャンにキスをするシーンを観客席で見ていたキートンが後にそのキスシーンを想起するというシーンだが、それは一瞬でかつ映画内の出来事の反復であって映画以前の過去の出来事の想起ではなく、また●「荒武者キートン」で成人後のキートンが子供の頃に住んでいた屋敷をイメージするショットが入って来るにしても、屋敷に住んでいた当時キートンは赤ん坊なのでそれは本物の過去ではなく想像上のショットであり、帰郷して実際に行った屋敷はイメージとはまったくかけ離れたあばら家であるというように「起源」の記憶などまったく存在しないキートンの作品に回想が入らないのはまったくもって自然である。
★退出の映画史
キートンは「モノ」なのだからヒッチコック的主人公同様に身に染みついた運動などあるわけもなく、従ってキートンに「退出の映画史」は存在しない。あるわけがない。
★帽子とキートン
キートンは「モノ」なのだから「モノ」が女性の前などで敬意を払って帽子を脱ぐことなどあるわけもなくしたがってキートン映画史に「帽子を脱ぐこと」は存在しない、、、と書きたいところだがキートンは非常に多くの場合女性の前で帽子を脱いでいる。しかしキートンの機能・運動連関表を見てみると、帽子は投げたり放り上げたりお尻で踏み潰したり(●「海底王キートン」)、また帽子屋で延々と帽子をかぶったり脱いだりして試着しながらやっと決めて外へ出た瞬間帽子を風で吹き飛ばされて失くしてしまったりというように(●「キートンの蒸気船」)、帽子は基本的にスラップスティックコメディの小道具として使われ、仮に帽子を人間的な身に染みついた運動として使う場合でも●「キートンの大列車追跡」では映画開始直後。通行人に帽子を脱いで挨拶をするキートンを後からついてきた子供たちが真似をして帽子を脱ぎ、そのままキートンの真似をして恋人の家の中まで付いてきてしまうのでキートンは一旦脱いで机においてあった帽子をかぶって帰るふりをしてそれを真似た子供たちをそのままドアから外へ出してしまったり、●「キートンの結婚狂」では初対面の男と握手する時、相手が手を差し出すとキートンが帽子を脱ぎ、キートンが手を差し出すと相手が帽子を脱ぐことを繰り返して延々と握手ができなかったり、あるいは●「キートンのセブン・チャンス」では序盤、エレベーターの前でキートンが帽子をかぶると扉が開いたので中の人々に挨拶するため再びキートンが帽子を脱ぐというシーンが撮られているが(これは「帽子をかぶるのは帽子を脱ぐため」というマクガフィン的ギャグ)、これは「紳士が人の前で帽子を脱ぐ」という身に染みついた運動を機械的に反復させてギャグにしているのであり、それはジョン・フォード●「わが谷は緑なりき」で病気から快復したサラ・オールグッドの前で労働者たちがそろって帽子を脱いだ時に露呈する人間的エモーションとは明らかに異質のモノ的運動性に支配されている。
★横
ここで横移動によるトラッキングについて検討する。横移動とは例えば走っている人物を真横からキャメラを動かしながらずっと真横のまま撮り続ける移動撮影である。●「キートンのセブン・チャンス」において街中で女たちから逃げ回るキートンをまるでリレーのバトンタッチのように先回りして走りながら待っている親友(ロイ・バーンズ)に画面の左から入ってきたキートンが追いつき一気に加速していく姿を横からのトラッキングで捉えた横移動撮影は運動をあますところなく画面に収めている。●「キートンの探偵学入門」で初めてキャメラが動いたのはキートンが探偵を開始した直後の右から左への横移動であり●「海底王キートン」における最初の移動撮影は海でボートを漕ぐキートンと甲板でキートンを追いかけて走り出すキャサリン・マクガイアとを交互に横から捉えた横移動で撮られている。●「荒武者キートン」の最初の移動撮影ではヘンテコな自転車をこぐキートンを斜め前から捉えたキャメラがすぐに真横からの移動撮影に移行しており●「キートンの大列車追跡」における最初のトラッキングでは恋人の家に子供たちと連れ立って歩いてゆくキートンがやや斜めの横から捉えられ、その後繰り広げられる列車の移動撮影も大部分は横からの移動撮影で捉えられている。●「キートンのカメラマン」の最初の移動撮影は新聞社の秘書をしているマルセリーヌ・デイに『キャメラを買ってきたら雇ってもらえるわ』と言われてカメラ屋へ行ってみたものの値段が高くて買えずにとぼとぼと歩道を歩いて帰るキートンを捉えた真横からの横移動であり、その後プールサイドを歩くマルセリーヌ・デイを真横からの横移動で捉えた運動もまた尋常ではなく、最初の移動撮影ではないものの●「キートンの大学生」においてキートンがボート部の艇長になったあと部長と歩道を歩くときの左から右への横移動がガールフレンドのアン・コーンウォールを起点に右から左への横移動へ転換されるときの運動感もまた驚き以外の何物でもなく、その後キートンが彼女を救出するために街中を疾走する時の横移動もまったき驚きの渦中にある。●「キートンの探偵学入門」では工事中の橋の未完成部分を偶然通りかかった二台のトラックの屋根に補完された一瞬をバイクで通過する疾走シーン、あるいは踏切に猛スピードで突進してくる汽車を運転手不在のバイクに乗せられたキートンが間一髪でやりすごすシーンといった、ここというシーンでの移動撮影でキャメラは横へとポジションが転換されている。キートン的「モノ」運動は「横」と連動した時、加速度を増すのだ。
★マイブリッジ
映画が発明される前、疾走する馬の四本の脚が同時に地面から離れる瞬間があるかどうかを賭けた人間がいた。そこで写真家のマイブリッジは数十台のキャメラを据えて馬の疾走をキャメラに収めたが、マイブリッジが選択したポジションは「横」である。運動を余すことなく画面に収める「横」というポジションは運動を余すところなく露呈させるがために動物的で恐ろしい。ヴィム・ベンダース●「パリ、テキサス」(1984)におけるハリー・ディーン・スタントンの横移動は運動を露呈させるがために恐ろしく、当時ベンダースの助手をしていたジム・ジャームッシュ●「ストレンジャー・ザン・パラダイス」(1984)における序盤の娘(エスター・バリント)の横移動には運動を余すところなく収めてしまう横というポジションの魔が露呈している。山中貞雄の●「河内山宗俊」(1937)でキャメラの軸が動くのは終盤、どぶ川を逃げてゆく河原崎長十郎と市川扇升をまったき横から捉えた右から左への2ショットの横移動だけであり●「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」で初めてキャメラの軸が動くのは序盤、窮屈な屋敷から飛び出した沢村国太郎が悠々と路地を歩き出すシーンをまったき横から捉えた左から右へのトラッキングであり、その後大河内伝次郎の初めての移動撮影と沢村国太郎の2度目の移動撮影もまったき横から撮られており、全部で8ショットの移動撮影の内半分の4ショットが横から撮られている(●「人情紙風船」(1937)に移動撮影は存在しない)。サイレント映画の場合、初期ヒッチコック映画では●「下宿人」でアイヴァ・ノヴェロが群衆に追われるシーンでの前進移動、●「下り坂」では校長室で校長へ向かって歩いてゆくアイヴァ・ノヴェロとロビン・アーヴィンを捉えた後退移動が2ショットと、その後2人へ向かって歩いて来る雑貨屋の娘アネット・ベンソンの後退移動、さらに●「リング」では結婚式のシーンで歩いて来る花嫁のリリアン・ホール=デイヴィスと介添人のハリー・テリーを捉えた後退移動などそれなりにキャメラの動くシーンは存在するもののほんの一瞬の出来事であり、移動する人物をフルショットで捉えた本格的なトラッキングが撮られたのは●「シャンパン」(1928)が最初でありそこでは富豪の娘ベティ・ボルファーが仕事の面接を受けに行くときの左から右への歩行運動がまったき横から撮られている。ハワード・ホークスの現存する最初の作品であるサイレント映画の●「無花果の葉」(1926)の移動撮影はファッション・ショーの楽屋で右から左へと歩いてゆくオリーヴ・ボーデンを横移動で捉えた2ショットだけである。機能的な物語映画へと移行するトーキー以降、運動を余すことなく露呈させる横移動はその恐ろしさゆえに自然淘汰され消えてゆくことになる。
★ハワード・ホークスの二面性
ここでキートンとハワード・ホークスについて考察する。職業運動を基本的に撮り続けたホークスは●「赤ちゃん教育」●「僕は戦争花嫁」●「男性の好きなスポーツ」の3本で巻き込まれ運動を撮っている。●「赤ちゃん教育」は考古学者のケーリー・グラントがゴルフをする、弁護士を探す、女の破れたドレスを自分の体で隠しながら店を出る、骨を埋めた犬を追いかける、ヒョウを椅子で追い込んで牢屋に入れる、、というようにケーリー・グラントの運動は考古学者という職業運動とはかけ離れたスキル喪失運動に巻き込まれており、考古学者として恐竜の骨組みを完成させるという任務は何一つなされておらず、キャサリン・ヘプバーンのアパートで『もうこれ以上僕を巻き込まないでくれ!』とケーリー・グラントが叫んだようにひたすら人間的なるものを削ぎ剥がされた動物的人間が膨大なマクガフィンによって弾き飛ばされてゆく巻き込まれ運動の典型としてある。●「僕は戦争花嫁」(1949)は「レンズ職人を探す」という任務が軍人のケーリー・グラントに与えられてはいるもののそれはまったきマクガフィンに過ぎず、実際は軍人の彼がマッサージをしたり女装させられたりとおよそ軍人としてのスキルとは関係のないスキル喪失運動の渦中に巻き込まれてゆくのであり、踏切にしがみついたまま持ち上げられたり、ボートを漕いで滝に落ちそうになったり、小間使いのモップで二階から鳥小屋へ突き落されたりするその運動はスラップスティックコメディそのものであり、運転手不在のバイクのサイドカーに乗せられたケーリー・グラントが干し草に突っ込むに至っては●「キートンの探偵学入門」で運転手不在のバイクに乗せられたキートンがそのままギャングから見事に逃げ続ける「モノ」運動そのものであり、ホークス的巻き込まれ運動はヒッチコック的巻き込まれ運動よりもキートン的巻き込まれ運動に接近している。
→「男性の好きなスポーツ」(1963)
釣りの入門書を書いたことのある釣り道具屋の店員ロック・ハドソンが釣りの大会に出場するのだが、実は彼は釣りをしたことがなく、それを告白できずに大会に出る羽目に陥るという映画であり、これもまた●「赤ちゃん教育」●「僕は戦争花嫁」と同じくスキル喪失運動へ主人公が巻き込まれてゆくことになる。この大会でロック・ハドソンは3回大物のマスを釣り上げている。その内の2回は
① 釣竿を肩に掛けたまま自分の書いた本を読んで勉強している時、背後に垂れている釣り糸に大物が食いついて竿ごと真っ逆さまに湖に落下し、流されている竿を拾ってリールを巻くと魚がかかっていた
② 投げた釣り糸が木の枝に引っかかりほどこうとしているところへ枝から垂れている餌に大物がジャンプして食いつき釣れてしまう
こうした運動はその偶然性、不可抗力性においてキートンのスラップスティックコメディそのものであり●「海底王キートン」で『動物的ヒッチコック映画でもケーリー・グラントが「いかだ」になる姿は想像できない(ホークスならやるかも知れない)。』と書いたのは、ホークスは巻き込まれ運動においてはヒッチコック的「動物」を超えキートン的「モノ」的運動へ接近していることを意味している。
ジョン・フォード唯一の巻き込まれ映画は●「俺は善人だ」(1935)であり、鉄工会社の勤勉なサラリーマンエドワード・G・ロビンソンが指名手配中のギャング(一人二役)と顔が瓜二つであることからギャングに利用されるというこの作品は、サラリーマンとしてのスキルとは何の関係もない環境に放り込まれたスキル喪失型の巻き込まれ運動でありながら、エドワード・G・ロビンソンは終始警察とギャングに囚われていて運動することが出来ず事件も非常に知的で回りくどい流れで解決しているのであり、ハワード・ホークスが職業的運動と反職業的運動とをまったく違った質の運動として撮るのに対して「職業」を基軸に映画を撮るジョン・フォードにはめがける先のない巻き込まれ型の運動は勝手が違ったように見える。まったく違った質の運動を使い分けて撮ることのできるハワード・ホークスは映画史上でも稀有な出来事としてある。
このハワード・ホークスの作品は製薬会社の博士が若返りの薬を飲んで青年や子供になってしまいドタバタ運動をするコメディであり、先の三作と同じようなスラップスティックコメディに見えるが、ここで主人公のケーリー・グラントは映画が始まると新薬のことが頭から離れずに夢遊病のように家から出たり入ったりし、その後も薬の調合をしたり、自分で新薬を飲んでみたり、娘時代に若返った妻を観察し続けたり、またチンパンジーの調合した薬を飲んで青年時代に若返ると、今度は青年としてスケートをしたり高飛び込みをしたりマリリン・モンローとデートをしたり、あるいは子供になった時には子供のイタズラ運動をするというように、この作品は博士は実験をする、若者は若者をする、子供は子供をする、という「であること」へと向けられた「職業」運動にほかならずホークスの巻き込まれ運動の3作とは運動の質がまったく違っている。だからこそ最後は博士のケーリー・グラントが『愛の薬を開発した』という人間的エモーションによって妻のジンジャー・ロジャースとキスをするのであり、運動の質からすれば巻き込まれ運動で動物的な●「赤ちゃん教育」等よりも夫婦喧嘩を繰り返しながら夫婦の仲を修復させてゆく●「新婚道中記」に接近している。
■D・W・グリフィス
映画の父D・W・グリフィスはジョン・フォード的な「人間」へと接近した運動を撮り続けており、貴族が貴族を、紳士が紳士を、孤児が孤児を、恋人たちが恋を、母が母を、そして父が父をすることにおいて主人公たちの遂行する運動は「であること」へと向けられた「人間」のそれであって決してキートン的「モノ」、ヒッチコック的「動物」の「すること」オンリーのそれではない。既にサイレント映画の初期の時代から「であること」へと向けられた人間的運動を撮り続けたのがD・W・グリフィスであり、D・W・グリフィスが発見ないし完成したとされるクローズアップ、モンタージュ等はこうした環境の中で撮られたと見なければならない。人間を遠くから撮るロングショットは人間の表情が見えないために人間が動くことで物語を語るしか方法がないが、クローズアップは近景から人間を撮るために人間の心理を読むことで物語を語ることが可能となる。さらにその心理をモンタージュで組織することで観客に画面の連鎖によって心理を読ませることが可能になる、というように、こういった語りのシステムとしての映画を完成させたのがD・W・グリフィスであり、そうした点で彼はトーキー以降の物語映画を準備したことになる。だがシステム的に運動の優位が保証されているサイレント映画において実際に撮られたD・W・グリフィスは決して人物の心理を読ませる「初犯」的運動を撮っているのではない。
「起源」については●「散り往く花」(1919)では「ドナルド・クリスプの女の一人が赤ん坊(リリアン・ギッシュ)をボロに包んで押し付けた」と語られはいるもののグリフィスの多くの作品において「起源」は言及されることも撮られることもない。罪の意識についても●「イントレランス」では自分の身代わりとなってロバート・ハーロンが絞首刑に処せられることについてミリアム・クーパーは罪の意識を有し、そのロバート・ハーロンにしても映画途中でギャング団から足を洗うという改心をしており、●「東への道」(1920) では結婚詐欺師のローウェル・シャーマンが終盤、罪の意識から改心してリリアン・ギッシュに謝罪をし、リリアン・ギッシュを追放したリチャード・バーセルメスの父親も後悔して改心しており、●「アメリカ」(1924)では王党派貴族のアーヴィル・アルダーソンが改心して娘の恋人でアメリカ側の青年ニール・ハミルトンを受け容れ、●「苦闘」(1931) ではアルコール中毒のハル・スケリーが家庭を崩壊させた罪の意識に打ちひしがれている等、確かにグリフィス的主人公はホークス的「前科6犯」に比して「起源」への接近性は強いにしても●「エルダーブッシュ峡谷の戦い」(1913)●「ホーム・スイート・ホーム」(1914)●「國民の創生」●「世界の心」(1918)●「散り往く花」●「イントレランス」等、グリフィスの撮る作品の大部分の主人公は「起源」も罪の意識も微塵もない「常習犯」的人物が撮られている。
★特殊な回想
それを裏付けるように●「エルダーブッシュ峡谷の戦い」●「東への道」(1920) ●「世界の英雄」(1930)●「苦闘」といった作品には回想は存在せず、仮に入ってくるとしてもほんの一瞬の極めて短い回想が大部分であり、なおかつその多くは映画開始以前の出来事ではなく、映画が開始した後の時間における出来事の反復であり、●「スージーの真心」(1919)●「大疑問」(1919)●「アメリカ」●「曲馬団のサリー」(1925)においてなされる回想はすべて映画開始後の出来事の想起として撮られている。さらに回想は一度流されたシーンを別に撮り直して流されることが殆どであり●「ホーム・スイート・ホーム」の第四話では結婚式でバイオリンの民謡が流れてきた瞬間をブランチ・スウィートが想起するが最初に流れたショットとは別のショットで撮られているし●「國民の創生」 ではミリアム・クーパーが兄(次男)の死を一瞬思い出すがこのショットも前のショットと同じではないように見え、●「イントレランス」では①ミリアム・クーパーがロバート・ハーロンとの出会いを思い出し、②ギャングだったロバート・ハーロンが足を洗いボスに銃を返すシーンが裁判で想起されるが二つとも同じシーンを別に撮り直して流しており、●「世界の心」では①リリアン・ギッシュが戦場で倒れているロバート・ハーロンに抱きつくシーンを思い出し、②ロバート・ハーロンがアヒルをあやしているリリアン・ギッシュの姿を想起し、③同じくロバート・ハーロンがレンガの塀の木戸越しにリリアン・ギッシュと抱擁するシーンを想起しているが、すべて同じシーンが別に撮られて流されており、●「散り往く花」 ではクリスプの子分がベッドで眠るリリアン・ギッシュの姿を想起するがこれも別に撮られたショットであり、●「嵐の孤児」(1921)においても9回回想シーンが撮られているが1つを除いてすべて別のショットに置き換えられて流されている(その一つはパン屋の前で男が物乞いをしているシーンで短くて判別しづらいがこれも撮り直されている可能性がある)。それ以外でも映画開始以降に起きた出来事でありながら撮られていなかったシーンをあとから回想するシーンがあり●「散り往く花」では路地の壁に寄りかかったリチャード・バーセルメスによってみずからのロンドンでのすさんだアヘンとギャンブルの日々が思い出され●「大疑問」においては「リリアン・ギッシュがロバート・ハーロンと記念写真を撮る」というシーンが後にリリアン・ギッシュによって思い出されたりしているが、どちらも映画開始後の時間でありながら撮られていなかったシーンの回想であり、それを「回想」と定義してよいかは疑問が残る。今回の機能・運動連関表に表示した全作品の中で映画開始以前の時間帯へと遡った回想は●「散り往く花」における①ドナルド・クリスプのボクシングシーンと②川べりの綱に座ったリリアン・ギッシュによって子だくさんの家庭と娼婦との会話が想起されるショットの2か所しか存在せずそのどちらもがヒッチコックの●「私は告白する」●「マーニー」のような「起源」へと遡ってゆく出来事を撮ったものではない。グリフィスの回想は基本的に映画開始以降の出来事であり、なおかつそれは①同じ出来事を別のショットで撮り直すか②そもそも撮られていなかった出来事を新しく撮ることに集中していることからしてグリフィス的回想とは過去の反復ではなくその都度更新されてゆく現在の新しい体験であることがはっきりと示されている。
★「常習犯」
「起源」への言及、罪の意識、改心、回想等によってグリフィス的運動について検討をしてきたが、(『D・W・グリフィス機能・運動連関表』)の指し示すようにグリフィスの運動には極めて多くのマクガフィンが配置されており、マクガフィンとは運動の起点から理由を排除することで運動を「起源」から引き離し現在へと飛躍させる方便であることからしてD・W・グリフィス的運動は、それなりに罪の意識を有したり「起源」を有したりしてはいるものの、ジョン・フォード、ハワード・ホークスと同じように「すること」へと引き裂かれた「常習犯」を撮っているのであり、だからこそグリフィスは●「國民の創生」で身に染みついた運動によって崖から身を投げたメエ・マヘーシュを撮り、あるいは●「エルダーブッシュ峡谷の戦い」●「嵐の孤児」等における「退出の映画史」を撮り、それがその後職業的「常習犯」を撮ることになるジョン・フォード、ハワード・ホークス、クリント・イーストウッド、そしてマイケル・マンへと引き継がれてゆくのであり、彼が「映画の父」と呼ばれるのもそのような継承を加味されなければならない。
グリフィスにおける反心理的傾向はクローズアップの撮り方においてもそのまま露呈している。●「國民の創生」では負傷して軍の病院で眠っているヘンリー・B・ウォルソールの枕元に座りマンドリンを奏で始めたリリアン・ギッシュのアイリスに包まれたクローズアッが唐突に入ってくるが、このショットは●「裸の拍車」のあのジャネット・リーのクローズアップのように直前のショットとは顔の向きが「ずれ」ていて物語の連続からまったき解き放たれている。●「イントレランス」においても可愛い娘・メエ・マーシュ、カナの花嫁・ベッシー・ラヴ、鳶色の瞳・マージェリー・ウィルソン、山の・コンスタンス・タルマッジ等、映画を彩る女たちを捉えた多くのクローズアップは物語の心理的な流れとは無関係に人物を紹介するような体裁で思い切り「ずれ」て入ってくる。強烈なバックライトでクローズアップを撮ることを発見したキャメラマン、ヘンドリック・サートフとグリフィスが初めて組んだ●「東への道」 においてはリリアン・ギッシュが叔母の屋敷へ行ってプレイボーイのローウェル・シャーマンと出会う時の切り返しの会話においてバックライトに照らされたリリアン・ギッシュの最初のクローズアップが入って来るが、そのショットとその次にキャメラが引かれて撮られた明るい光のフルショットとは画質においてまったくつながっておらず、薄暗い光の中で当てられたバックライトの空間そのものが物語の連続性を遮断しており、ここでクローズアップが手段ではなく目的として撮られていることを目撃することになる。D・W・グリフィスの発明(完成)した平行モンタージュ(2つ以上の空間を交互に挿入する手法)にしても、初期短編時代には単純にふたつの場所を交互にゆっくりと挿入することで観客に対比という物語を意識させるに過ぎなかったものが、次第に時間と運動を加速させながら物語からの乖離を強めてゆき、クローズアップもモンタージュも存在しないデビュー作●「ドリーの冒険」(1908)は12分を13ショット、一時間に換算すると65ショットのペースで撮られていたものが、2つの場所を交互にリンクさせてゆく並行モンタージュの手法が取られ始めた短編●「不変の海」(1910)では1時間に換算して198ショットになり、大きなクローズアップが画面に入り始めた中編●「マサカー」(1912)では一時間324ショット、●「エルダーブッシュ峡谷の戦い」で490ショット、●「ホーム・スイート・ホーム」の492ショットを経て●「國民の創生」では一時間634 ショット、●「イントレランス」で980ショットと加速を強めてゆき●「スージーの真心」では679、●「散り往く花」と●「大疑問」では1時間580ショット前後に落ち着いたものの●「東への道」で再び747ショットと加速化し、とうとう●「嵐の孤児」で1時間1057ショット、1ショット3.6秒の世界へ到達する。これは高速を極めたピーター・ジャクソン●「ロード・オブ・ザ・リング」(2001)とほぼ同じスピードだが●「ロード・オブ・ザ・リング」のように「画面を隠す」ために採られた手法ではなく(論文『「M:i:Ⅲ」(2006) その危険性と「ピータージャクソン方式」について』)、奥行きのある画面と静止したキャメラによって「常習犯」の現在の運動が超高速で連鎖してゆくその画面は最早二つの空間の対比、比較といった「読むこと」ではなく「見ること」のリズムそのものとして露呈し続けており、D・W・グリフィスはステレオタイプ、群衆(子沢山)、極端なロングショット、幾何学的運動、受動性といったキートン的細部のどれにも該当することなしに人間的「常習犯」の「すること」運動を撮ることでその後数多く撮られることになる「常習犯的職業運動」への道を開いている。ホークスほど職業的運動に特化されることなく、紳士、淑女、愛すること、助けることといった人間一般の身に染みついた運動を撮り続ける一方で心理を排除し現在と高速のモンタージュによって「すること」へと向かっていくグリフィス的運動はフォード的葛藤に支配される一歩手前の「前科5犯」前後の運動によって成り立っている。
■エイゼンシュテイン
D・W・グリフィスのモンタージュから多大な影響を受けたソ連のエイゼンシュテインのサイレント映画の運動は、労働者が労働やストライキや革命をし、ブルジョアはひたすら浪費をし、という「職業的」運動であり●「ストライキ」(1924)では身の潔白を証明するために自殺した労働者の亡骸の前で他の労働者たちが一斉に帽子を脱いだように、また●「戦艦ポチョムキン」(1925)で殺された水兵の埋葬に労働者たちがこぞって帽子を脱いだように、エイゼンシュテインの作品には身に染みついた運動によって「起源」も回想も罪の意識も存在しない「常習犯」的主人公が撮られており、ただの一度たりとも回想の入ることのないエイゼンシュテイン的サイレント映画はホークス以上の「常習性」に包まれており、それがホークスと同じように非常に多くのマクガフィンによって「すること」へと引き裂かれる(『エイゼンシュテイン機能・運動連関表』)ことで心理的リアリズムからまったき遠いところにある。だがそこでは仮に人間が撮られるとしても●「ストライキ」●「十月」(1928)のように労働者はみなやせ細りブルジョアは必ず太っているというように、撮られているのは具体的な「人間」ではなくその抽象化としてのステレオタイプであり、さらに進んで●「ストライキ」では屠殺される牛が制圧される労働者にイメージされ、さらにはブルジョア側のスパイたちがそれぞれ猿や犬といった動物によって例えられ、あるいは●「全線」(1929)では牛の結婚式が擬人化されて撮られているように、人間が動物そのものに置き換えられている。●「戦艦ポチョムキン」のオデッサの階段を下ってくる皇帝の兵士たちの顔がまるでスピルバーグ●「激突!」の一度も顔を撮られることのないタンクローリーの運転手のように一度も近景から映し出されることのないまったき「列」としての幾何学的運動に集約されているようにそもそも主人公の存在しないエイゼンシュテイン的サイレント映画の人間は名前を持つことも禁じられ、極端な俯瞰やロングショットにおける「群れ」そのものとして撮られるか、そうでなければ顔、足、腕、手、髪、かかとといった部分によって切り取られ、顔はステレオタイプに、足は踏み鳴らされるリズムそのものに、腕は振り回させるために、拍手はまるでカスタネットのようにリズム化されて機械化され、髪は風になびくために存在するというようにあらゆる出来事が機能からかけ離れた部分として露呈され、それは道具類についても同様に、部分としてのタービン、モーター、車輪等の円運動そのものへと転化され、さらにモノクロームのフィルムに陰影を焼き付けるために皺、髭、ニキビ、そばかす、シミといった凹凸が、また骨格も凹凸に富み画面にグラデーションをもたらし易い顔が選ばれることになり、それを極端なアングル・ポジションやバックライトによって撮ることで「顔」という機能は「陰影」という運動の中へと消されており、加えてタバコ、たき火、汽笛、煙突、大砲、車、砂を含んだ地面、霧、雲といった出来事は「煙」というグラデーションに富んだ出来事へと解消されてひたすら煙を吐くためだけに存在している。中でも●「十月」におけるマクガフィン的亀裂は常軌を逸しており殆どすべてのショットが強烈な照明と視点によって機能から引き剥がされて運動へと転化されている。キートンであれエイゼンシュテインであれ重要なのはそれが「人間」なのか「動物」なのか「モノ」なのかではなく機能から切り離された「運動」であることであり、その過程においては人間であれ動物であれ道具であれすべてが同等に機能的=「であること」を禁じられ、フィルム的=運動論的観点からの修正を施されることになるのがエイゼンシュテインでありエイゼンシュテインのサイレント映画におけるあらゆるショットは運動から逆算して撮られており、エイゼンシュテイン自身が人間を含んだあらゆる対象を「細胞」と語っているように機能を=「細胞」へ引き裂きながら「細胞」をモンタージュで連鎖させることで過剰を生じさせる手法を見出している(照明とは運動を生成するためのものであることを忘れてはならない)。こうしてエイゼンシュテインのサイレント映画は「ありもしないであること」へと向けられた運動を志向しておきながらそれを遂行する当の主人公が「人間」ではなく「細胞」であるという、ヒッチコックともホークスともキートンとも違った非常に奇形的なあり方をしている。そうした過程においてエイゼンシュテインのサイレント映画のモンタージュはD・W・グリフィスと同じように加速化を極めてゆき●「ストライキ」で既に1時間1350ショット1ショット2.7秒の高速化を極め、●「戦艦ポチョムキン」で1時間1200ショット、●「十月」では一時間1600、1ショット2.2秒の超高速世界に突入し●「全線」(1929)でも1500ショットを維持している(エイゼンシュテインが編集に携わっていない●「メキシコ万歳」(1932)は1時間約800ショットと減少している)。個人よりも群衆を、ステレオタイプの「細胞」を、強烈な陰影に乗せて1時間1000ショット以上の高速モンタージュで幾何学的に流れてゆくエイゼンシュテインの映画は見ていて「泣ける」わけもなく、1932年前後からソビエトで主流となる社会主義リアリズムの陣営から物語の不在、人間の不在、心理の不在を批判され(「細胞」に心理などあるはずもない)、エイゼンシュテインは危うくスターリンに粛清されそうになる。わかりやすい物語によって大衆を革命へと導くことを良しとする社会主義リアリズムにとって「人間」を撮らないエイゼンシュテインの作品は大衆には理解されないインテリのひとりよがりに見えたのである。
■トーキー
1927年に出現したワーナーの●「ジャズ・シンガー」を嚆矢とするトーキー映画の出現によって運動は言葉に取って代わられる。本来が物語的動物である人間が言葉を得てしまった以上、サイレント時代にはあくまで制度的に許容されてきたに過ぎない運動優位の「すること」は次第に淘汰されてゆくことになる。そこに追い打ちをかけるように1934年にヘイズコードが完成し(オハイオ州カンザス州では1913年に既に検閲法が成立していて検閲の歴史自体は古い)、新婚初夜の描写の禁止等、多くの中産階級的な道徳が映画の運動に分節化を加えることになる。道徳とは「であること」の領域であり「すること」の領域で生息する「モノ」や「動物」を「人間」の運動へとシフトさせてゆく制度が道徳にほかならず、そうした過程においてノワール、ミュージカルといった道徳から逃避するシステムをまとったジャンル映画が加速的に増えてゆくことになる。さらに大衆化、道徳化を加速させた社会は「初犯」的なメロドラマを欲するようになり、それに呼応するように、あるいはその先を突き走りながらハリウッドはメロドラマを撮り続けてゆく。その手法のひとつが古典的デクパージュと言われる映画の撮り方であり、それは登場人物の行動を心理的に分析し、それを分かり易く分断して提示する編集方法によって提示することで観客に「納得」という安心をその都度プレゼントするところの心理映画の手法である。異質なものではなく均質なものを、不平等ではなく平等を、Aが話している時はAを撮り、Bがしゃべり出すとキャメラはBへと切り返されることで画面が物語的に連鎖してゆく古典的デクパージュは最後にカッティング・イン・アクションでキャメラを引いて全体像が映し出されると、見ている者たちは過不足なく言語的分説化に包まれた「読める」画面に癒されることになる。映像が会話を主導するのではなく会話が映像を従えて進んでゆく。運動の優位から物語の優位へ、「すること」から「であること」へ、「見ること」から「読むこと」へ。ハリウッド映画という範疇には倫理規定のみならず、あるいはそれ以上に商業的成功を見越した大衆の支持が大きく要求されることから、観客の見たくないもの、不快なもの、理解できないこと等、観客を不愉快にする出来事=「すること」は極力回避しなければならない。
★ショット数
サイレントからトーキーへ移行する過程で露呈した事実にショット数の減少がある。エイゼンシュテインの映画は最後のサイレント映画の●「アレクサンドル・ネフスキー」(1938)が1時間533ショット、●「イワン雷帝」(1944)で1時間487と、トーキー映画になってからショットが急激に減少しており、同じロシアのボリス・バルネットにしてもサイレント映画の●「帽子箱を持った少女」(1927)では1時間950前後の超高速なのがトーキー映画の●「青い青い海」(1935)になると530まで激減し、D・W・グリフィスについても●「嵐の孤児」では1時間1050にも到達していたショットが同じくサイレント映画の●「アメリカ」では既に474ショットまで減少し、●「素晴らしい哉人生」(1924)で580、スラップスティックコメディ的な●「曲馬団のサリー」(1925)では800ショットまで回復したものの初のトーキーであり遺作の●「苦闘」(1931)では260ショットにまで激減している。キートンは●「キートンの大列車追跡」482、●「キートンの大学生 542、●「キートンの蒸気船」505、●「キートンのカメラマン」672 、●「キートンの結婚狂」638 ときていたのが最初のトーキーの●「キートンのエキストラ」では253にまで激減し、以降●「キートンの決死隊」351、 ●「キートンの恋愛指南番」389、●「紐育の歩道」(1931)443、●「キートンの決闘狂」(1932)354、●「キートンの歌劇王」(1932)339、●「キートンの麦酒王」(1933)444 とサイレント映画時代のスピードは取り戻せていない。成瀬巳喜男を見てみると、現存する成瀬の最初のサイレント映画である●「腰弁頑張れ」(1931)が1時間に換算して925ショット、そこから●「生さぬ仲」(1932)1062ショット、●3「君と別れて」(1933)975、●「夜ごとの夢」(1933) 1022、●「限りなき舗道」(1934)950と超高速で続きながら初のトーキーである●「乙女ごヽろ三人姉妹」(1935) で1時間440ショットへ激減している。ちなみにトーキー成熟期の●「めし」(1951)は445、●「おかあさん」(1952)は371である。小津安二郎はサイレント映画では●「大学は出たけれど」(1929)が1時間861ショット、●「朗かに歩め」(1930)で683ショット、●「生まれてはみたけれど」(1932)が1時間823、 ●「青春の夢いまいずこ」(1932)821、●「非常線の女」(1933)698 、●「出来ごころ」(1933)で882、●「浮草物語」(1934)775と続いていたのが、初のトーキー●「一人息子」(1936)で1時間390ショットへ半減している。ヒッチコックはサイレント映画の●「農夫の妻」(1928)629、●「シャンパン」(1928)613、●「マンクスマン」(1928)593と来て、初のトーキーである●「ゆすり」で一気に331まで減少し●「ジュノーと孔雀」(1930)143、●「殺人!」272、●「スキンゲーム」(1931) では199ショットまで減少している。ホークスの場合サイレントの●「無花果の葉」(1926)が756.●「港々に女あり」(1928)で690ショット●「ファジル」(1928)670ショットであったのがトーキーに入ると●「暁の偵察」(1930)で470、●「光に叛く者」で380、●「暗黒街の顔役」でも390ショットにまで減少しその後ショットは300~500のあいだで落ち着いている。トーキー映画を撮るために音を遮断する必要からキャメラの動きが鈍ったので固定キャメラの長回しが増えショット数も減ったということも原因としてあるだろうが、これらの作家のショット数はキャメラの動きが円滑になってからもサイレント時代の1時間1000前後のショット数まで回復することはなかったことからするならば、ショットの数の減少は単なる技術的な理由だけではなく、映画が物語化を強めてゆく過程において生じた現象として見ることができる。映画が「すること」の動物性から「であること」の人間性へとシフトする時ショットの減少が惹き起こされている。
→「四十二番街」(1933)
1933年にロイド・ベーコンの監督したトーキーのミュージカル映画である●「四十二番街」には大勢の踊り子たちが舞台の上でラインダンスを踊るシーンがある。ここで真上の俯瞰のロングショットに引かれたキャメラは踊り子たちの運動をまるで万華鏡のような幾何学的運動としてキャメラに収めたり、また踊り子たちの股間を潜り抜けたりしている。踊り子たちはステレオタイプ、群衆、ロングショット、幾何学的運動という極限まで人間性の剥ぎ取られた「モノ」的運動に接近している。
★ミッキー・マウス
ディズニーの映画版アニメである●「ミッキー・マウス」を見ると初期サイレントの時代においてはミッキーの家には「子沢山」という現象が日常的に描かれている。以前私が「オススメ映画」のコメントで書いた文章をここに引用したい。
★今回、ディズニーアニメのミッキーマウス1928~1934年までの初期短編を幾つか見た中で、「蒸気船ウィリー」を入れておきます。この当時のミッキー・マウスの印象を羅列すると、、音、リズム、運動、視覚、物語の不在、奇声、叫び声、、といった、まさに「ナマモノ」の露呈によって撮られていまして、決して「人間」(ネズミ)を撮ろうとはしていません。子供は常に「子沢山」であり、一人一人の子供の微笑ましさを撮るのではなく、沢山の子供たちが幾何学的運動を繰り返す事でリズムを作っています。初めてクローズアップが入るのは、今回私が見た8本の短編の中では、●「ミッキーの空の英雄」という、ハワード・ホークスの●「無限の蒼空」(1935)や●「コンドル」(1939)のような航空郵便屋を扱った1933年の短編です。飛行機を運転しているミッキーのクローズアップがサッっと入ります。ディズニーが「運動」から「人間」を撮り始めたのです。同時にこの短編辺りから映画が物語性を帯び始めています。悪漢をやっつけたミッキーが最後、ミリーと結ばれて終わるという典型的なハッピーエンドです。これは1928年の●「蒸気船ウィリー」が、船室の窓にいるオウムに食べ物を投げつけて海へ落とすシーンでいきなり終わるのとは大きな違いです。1933年の●「ミッキーの空の英雄」は、運動ではなく物語によって終わっているのです。「オススメ映画」1/30更新の●「美の祭典」について私は『1933年前後から、世界は「人間」を「分かり易く」描くような時代に変化してきたのです。』と書きました。そもそもこういうことを言い始めたのは蓮實重彦だと思うのですが、1933年前後、世界は共通してある動きの中にあったというのが、映画の画面を見ていると何かしら伝わってくるのです。例えばロバート・スクラーもまた、「アメリカ映画の文化史」という本の中で、「1932年頃、ディズニー漫画は変化し始め、1933年にはまったく新しい世界観があらわれた」と書き、その変化とは、「無秩序」から「道徳的な物語」への変化であるとしています(「アメリカ映画の文化史(講談社学術文庫・下84~)。1933年を前後して、世界の映画は「反物語」から「物語映画」へと変化し始めるのです。それはアニメにおいても変わらないということでしょうか。」
初のトーキー作品としての地位を得ている●「ジャズ・シンガー」(1927)から既に6年余り経った以降にも●「四十二番街」(1933)、そしてミッキー・マウスなどの運動優位の幾何学的運動や「子沢山」が撮られていたことになる。だがこれが最後のひと花でもあり、アンドレ・バザンが●「戦艦ポチョムキン」(1925)の立ち上がる獅子のモンタージュを例にとり『1932年以降の映画では考えられもしない』と語るように(「映画とは何かⅡ」190頁)、この1932年~33年前後、アメリカでは検閲システムとしてのヘイズコードが完成し、またルーズベルトが大統領となってニューディール政策を打ち出した時代、ソ連では社会主義リアリズムが主流となりエイゼンシュテインが粛清されそうになった時代、日本では山中貞雄がデビューした頃、そうした出来事と前後して映画の世界から人間を「モノ」的に捉えた映画は消えてゆき、映画はここで名実共に「人間の誕生」を見ることになる。
1932年当時キートンはチャップリンより6つ若い37歳、エイゼンシュテインは34歳であり、年齢的に消えていく年ではなく、映画の世界が「人間」の映画へと移行することによって即キートンが映画界から取り残され、エイゼンシュテインも消えて行ったという簡単な話ではない。事実キートン初のトーキー映画●「キートンのエキストラ」(1930)は大ヒットし、その後もキートンはMGMを辞めて短編映画の世界へと舞い戻り「モノ」としてのキートンに固執し続けてそれなりに息の長い活躍をしており、エイゼンシュテインにしてもトーキー映画である●「アレクサンドル・ネフスキー」(1938)●「イワン雷帝」(1944)は大きく取り上げられ、D・W・グリフィスにしても一般的評価として彼はトーキー期には時代遅れの人間のように評されてはいるものの、サイレント期からそもそも「人間」を撮り続けていたD・W・グリフィスが1932以降にフィットできない法はなく、事実D・W・グリフィス遺作のトーキー映画●「苦闘」(1931)は確かに言語が優先した物語映画ではありつつも、アルコール中毒という現代的テーマを撮りながら、最後は小さなアパートの部屋でみすぼらしい椅子に腰かけた夫が、床に座っている妻に向かって未来の夢をとうとうと語り続けているまさにその過程の瞬間で終わっている。D・W・グリフィスが32年を迎えたのは57歳当時であり、彼がその後映画界から消えていったのは多分にフィルム以外の年齢的要素等も複雑に絡み合ってのことかも知れない。どちらにしても1932年以降もキートンは「モノ」であり続けようとし、エイゼンシュテインは「動物」から「人間」へとシフトをし、D・W・グリフィスは「人間」を撮り続けている。
ミスコンで優勝しハリウッド映画にデビューすることになった女、アニタ・ペイジのマネージャを務めるキートンがその職業的スキルとは何の関係もなく舞台の上で歌ったり踊ったりするこの作品は、マクガフィンの数がサイレント期に比べて大いに減少しているもののサイレント映画時代と同じようなドタバタのスラップスティックコメディを志向しており、キートンが操り人形となって舞台の上で「踊らされ」たり、大女たちにもみくちゃなされて引きずり回されたりするシーン等からして基本的にサイレント映画期における「モノ」としての「すること」運動を引き継いでいる。だがそれと同時にラストシーンでは別の男に恋をしたアニタ・ペイジに振られたキートンの極めて心理的=人間的なショットで終わっており、決してサイレント期には見られなかったこうした表情は、操り人形が心を持って「人間」になった、、というほど練られたものではなく、最後になっていきなり「人間」になってしまったキートンの悲哀として現れている。物語的動物である人間がトーキーによって言葉を得てしまった以上運動の領域は「すること」から「であること」へと接近していくのが必然であり、しかしながらまったき「であること」へと接近してしまえば心理によって運動は死滅するのだから映画は「ありもしないであること」を仮装の領域へ設定する「常習犯」を撮ることに軌道修正してゆくことになり「すること」オンリーの映画はヒッチコック・ホークスといった偉人(変人)たちにのみ撮られる秘伝として受け継がれてゆく。「すること」の運動を撮るとしてもトーキーによって観客は「であること」を要求する以上「すること」には「人間」を仮想してゆくフェイクが必要となり、フリッツ・ラングのフィルム・ノワール●「飾窓の女」(1944)にしても犯罪心理学の教授のエドワード・G・ロビンソンはジョーン・ベネットという美女(ファムファタール)に入れあげた挙句そのスキルを超えた殺人事件へと巻き込まれていながらもそれなりにみずからの職業的スキルを活用し、また彼は非常にまじめな大学教授で最後には自殺を図るような道徳的「人間」として撮られているのであり、またビリー・ワイルダーのフィルム・ノワール●「深夜の告白」(1944)にしても主人公のフレッド・マクマレイはファムファタールのバーバラ・スタンウィックによる陰謀に巻き込まれていながらも保険会社のセールスマンとしての肩書きとスキルを利用して計画を立てながら『良心と闘ったが負けた』と自ら語りエドワード・G・ロビンソンへ向けたテープレコーダーで「自白」をするような道徳的「人間」であり、どちらの映画も巻き込まれ運動でありながら初めての犯罪を犯した「初犯」として道徳と向き合わされるという、運動論的にはやや中途半端な撮られ方をしていて、まったき「すること」へと動物化(モノ化)した非職業的運動を撮ることの困難さを露呈させている。ホークスの3本の巻き込まれ運動はフリッツ・ラングやワイルダーのそれに比べると「モノ」的=「すること」運動が醸し出す圧倒的な居心地の悪さが秘められており、それをケーリー・グラントという「大スター」がギリギリのところで「人間」に見せているのであるが、無表情の能面のようなキートンにこうした芸当などできるはずもなく、またキートンは「モノ」なのだから「であること」へと向けて涙を流したり抒情的なメロドラマを演じることもできず、かといってトーキー以降の「人間」の要求にも逆らえず、トーキー以降のキートン映画には「モノが人間化する」という奇妙な現象が幾度も出現することになる。キートン的「モノ」運動とはそれが「モノ」である以上みずから人間的に行動することのできない不可抗力の坩堝であり●「荒武者キートン」における最後の救出シーンでは命綱に使われたロープがキートンの意志によらずに偶然キートンに巻き付いてしまったように見せるための綿密なマクガフィンが練られているように、また●「キートンのカメラマン」においてはキートンがみずから女を救出した手柄を主体的に誇示しないでフィルムを会社に提出させるように途方もなく練られた脚本が志向されるというように、キートン的「モノ」運動の生命線は運動起動における不可抗力性にあるにも拘わらず、サイレントの●「キートンのセブン・チャンス」で転げ落ちて来る巨大な岩の数々から逃げ回るキートンの運動の偶然的な逃走はトーキーの●「キートンの麦酒王」(1933)で坂道を転げ落ちて来る無数の小さな樽から逃げるキートンの「人間的な」運動に貶められてゆくことになり、トーキー以降●「キートンの恋愛指南番」(1931) では偽装とはいえ女たちを何度も人間的に抱きしめてキスをしたり●「紐育の歩道」(1931)のラストシーンではギャングを柔道技で何度も投げ飛ばして終わるというシーンが撮られることになる。だが既にサイレント期においても最後のサイレント映画●「キートンの結婚狂」(1929)ではキートンが不可抗力によらずにギャングを殴り倒してKOしており、これもまたサイレント映画である●「拳闘屋キートン」(1926)でもまたラストシーンでキートンが強豪ボクサーを不可抗力によらずにKOしその後も強引に立ち上がらせて何度も叩きのめすというキートンらしからぬ能動的なシーンが撮られており、もともと人間であるキートンを「モノ」にして撮るキートン的運動はサイレント映画のシステムによってかろうじて促進されうる精密体であって決して何時でも誰にでも演じうるという運動ではなく現にサイレント期であれグリフィスの抒情劇、ダグラス・フェアバンクスの活劇、チャップリンのスラップスティックコメディ等はみな「であること」へと向けられた人間的運動として撮られており、キートン的運動はサイレント期ですら「であること」へと向けられた主体的運動へと接近する危険に常に晒されていたのであり、それがトーキーによってシステム的擁護を丸ごと失ってしまったことによってキートン的運動は1932年を待つまでもなく一気に崩壊し、運動の性質上それまで「モノ」であるはずのキートンが突如「人間」になることが要請されることで「人間」にも「モノ」にもなれず宙づりになっているキートンを幾度も見ることになる。キートンのトーキー映画ではまずセットが小さくなり、ロケーションが圧倒的に減少し、●「キートンの決闘狂」(1932)では車で疾走するシーンがスクリーンプロセスで撮られるようになり、また横移動が完全に消失し、走ることすら稀になったキートンの走行はあろうことかキャメラの軸の動かないパンによって追われることになる。●「キートンの決死隊」(1930)では横移動はあっても足が画面の外に出てしまう中途半端なショットであったりまたすぐに斜めからの撮影に移行したりしており、幾何学的運動にしても●「キートンのエキストラ」(1930)●「キートンの歌劇王」(1932)ではラインダンスが撮られているがどちらもが人間的な横からのショットであり(移動する人間を横からのトラッキングで追いかける横移動のことではない)、大きな俯瞰から人間を「モノ」のように撮ってしまう幾何学的ショットもまた横移動と共に消えている。こうした傾向は至る所へ波及し●「キートンの歌劇王」(1932)ではキートンのとても褒められモノではないドタバタ舞台をみんなで笑って褒めるという、第三章で検討したあの「うまい歌」に相当する分節化をもたらすショットが撮られており、それに呼応するようにこの作品のラストシーンはまるでヒッチコックの●「舞台恐怖症」のように実際の舞台の幕が下りて映画が終わるという「外部」=「であること」へと向けられた細部が露呈している。さらに劇団のパトロンとなった大学教授のキートンがみずからのスキルを利用してギリシア風の踊りを伝授し、最後も女を口で言い負かしてハッピーエンドになるという、サイレント時代には決してありえない主体性に満たされたキートンはその後、再び2巻ものの短編の世界へと舞い戻ってスラップスティックコメディを撮りつづけることになる。
★エイゼンシュテイン
「細胞」の映画をサイレント期に撮り続けたエイゼンシュテインはトーキーという「人間」の時代の到来のみならず、ソ連における社会主義リアリズムという物語映画への傾倒運動によってもまた「粛清」され「人間」の映画へとシフトしてゆくことを余儀なくされている。彼が撮った最初のトーキー映画の●「アレクサンドル・ネフスキー」(1938)では実名を持った主人公が登場し●「イワン雷帝・第一部」(1944)においても実在する皇帝を主人公にした「人間」が撮られている。群衆シーンはなくはないものの名前が与えられた多くの者たちは動物にイメージされたり幾何学的に撮られたりすることはなく、激減するショット数に呼応するように人々の動作はゆったりと人間的になり、人々は歌ったり踊ったり恋をしたりジョークを飛ばしたりするようになる。それでもまだ●「アレクサンドル・ネフスキー」において人々は未だ「常習犯」としての運動を志向していたのに対して●「イワン雷帝・第一部」では皇帝の意見に側近たちが『陛下は賢明だ』『要点を見ている』といちいち運動を説明するという、ヒッチコック●「パラダイン夫人の恋」の法廷の傍聴席でジョーン・テッツェルがしたのと同じような「読まれる」現象が垣間見られるようになり、●「イワン雷帝・第二部」(1946)に至ると主人公等の「常習性」は完全に消え失せ、孤独に思い悩みみずからの決定をその都度変化させ続けていく「初犯」的皇帝が舞台調のもったいぶった心理的な演技によって役柄を表現する傾向が顕著となりそれに呼応するように母親が毒殺されみずからは貴族たちの傀儡として利用されていたという主人公の「起源」がエイゼンシュテイン映画史上初めての回想によって2度延々と撮られることになり、それにまた連動するようにトーキー以降マクガフィンの数は劇的に減少している(『エイゼンシュテイン機能・運動連関表』)。映画がトーキーへと移行する時、ジョン・フォード、ハワード・ホークス等既にサイレント期から「人間」の映画を撮っていた者たちがトーキー移行後もそのままマクガフィンの映画を撮り続けているのに対してサイレント期に究極のマクガフィンの映画によって「動物」を撮っていたエイゼンシュテインはトーキー以降「人間」の運動を撮ろうとしたが、その時マイケル・マン的「常習犯」ではなくヒッチコック的「初犯」寄りの映画を撮ってしまい、それに呼応するようにマクガフィンの減少という出来事がヒッチコック的「初犯」映画と同じようにここにも起こり、その結果として運動は過去へと遡りセリフは演劇調の持って回った言い回しになり心理化するという現象が惹き起こされている。エイゼンシュテインはトーキーと社会リアリズムによって「粛清」されたのである。
パラマウントに招かれアメリカへ渡ったものの悉く企画を拒絶されたエイゼンシュテインは小説家アプトン・シンクレア等の出資によってメキシコで彼自身最後のサイレント映画となるオムニバス映画を撮る。結局完成にはいたらなかったもののプロの俳優もセットも使わずに撮ったこの作品は素人の俳優が露呈させる瑞々しい「人間」を、「起源」も罪の意識もまるでないメキシコ伝統に基づく身に染みついた運動によって綴った「常習犯」の映画であり、さらにそれを多くのマクガフィンによって「すること」へと引き裂かれたこの作品は、第四話におけるサボテン農園のまるで西部劇(マカロニウェスタン)のようなタッチが指し示すようにエイゼンシュテイン作品の中では唯一、その運動性においてハリウッド映画に接近した作品として君臨している。エイゼンシュテインのサイレント映画において「名前」と「主人公」という出来事は既に●「全線(1929)」において登場し、そこではマルファ・ラプキナという名前を持った主人公の農民の女性が時として瑞々しい表情を浮かべながら集団農場を建設してゆく様が撮られているものの未だ映し出されているのは「人間」ではなく「動物(細胞)」であり、ステレオタイプ化された人間たちが幾何学的なショットによって撮られていたのであるが、ソ連を離れて撮られた●「メキシコ万歳」においては確かに最終話の農場主たちの顔つきなどはステレオタイプで撮られており、エピローグにおける仮面の乱舞、そして多くの円形運動、強烈な陰影等に幾何学的運動の要素があり、恋人たちをオウムのつがいに例え、髪をとかす女をペリカンの毛づくろいに例えるなどの動物的傾向が残されてはいるものの名前を持った主人公たちの運動は全編瑞々しい人間性に満たされており「動物」の「常習犯」を撮ったサイレント期と「人間」の「初犯」を撮ることになるトーキー時代に挟まれたこの作品は、1931年までに大部分が撮影されているように「1932」という時代を微妙に逃避しながらサイレント期におけるステレオタイプ、幾何学的運動、「動物」と、トーキーにおける「人間」との「あいだ」に撮られた作品として遺されている。
■ヒッチコック
サイレント期に既にヒッチコックは職業と運動の一致しない作品を多く撮り、それによって巻き込まれ型の運動を用意しつつも未だその主体性を払拭するまでには至らずそうする内にも時代はトーキーになってショット数は激減しサイレント映画特有のスピードや視覚的効果が失われ●「ジュノーと孔雀」(1930)のようなまるで舞台劇のような会話劇が撮られるようになり「見ること」から「聞くこと」の映画へと推移したたかのように見えたものの●「リッチ・アンド・ストレンジ」(1932)あたりから傘の使い方に顕著に表れたようなマクガフィン的「すること」への傾向が再び見え始め●「暗殺者の家」(1934)でそうした傾向は決定的となり●「三十九夜」(1935)でひとつの完成を見る。ヒッチコックが「すること」の映画へと本格的にシフトしたのはサイレント映画への移行期ではなくトーキーになってしばらく経って撮られた●「リッチ・アンド・ストレンジ」の1932年頃であり、世界中で映画が「すること」に「であること」を被せる時代へと向かい始めたときヒッチコックは「すること」オンリーの世界へと逆行を始めている。サイレントからトーキーへの移行において「モノ」の映画を撮り続けたキートンとも「人間」の映画を撮り続けたD・W・グリフィスとも「動物」から「人間」の映画へとシフトしたエイゼンシュテインとも違い、ヒッチコックはあろうことか映画が「であること」へと本格的に向かい始めたとき「であること」の映画から「すること」の世界へと逆行してゆくのである。本来剥き出しの「すること」の映画が許されたのは音のないサイレント映画とモノクロフィルムによるものであり通常ならトーキーになりまたフィルムの性能が上昇すれば撮れなくなってゆくはずの「すること」の映画をヒッチコックはトーキーになってから少しずつ助走をつけながら撮り始めている。ヒッチコックの「すること」はサイレント仕立てのキートン的「すること」と異なりトーキー仕立ての「すること」として始まっている。
ヒッチコックは処女作である●「快楽の園」のオープニングで踊り子たちによるラインダンスを撮っている。ロンドンのナイトクラブの踊り子ヴァージニア・ヴァリは、田舎から出てきた娘カメリータ・ゲラーティの世話をするものの彼女の人気が出ると裏切られ、傷心の中結婚をした夫マイルズ・マンダーが南国の熱病に犯されて発狂し危うく夫に殺されそうになるというこの作品は、暗い中に浮き上がるように照らし出されたらせん階段を次々と降りてくる踊り子たちをややローアングルから捉えたダイナミックなショットで始まる。次のショットで舞台の中二階あたりにキャメラを据えた斜め俯瞰からのロングショットが撮られたあと、すぐキャメラは舞台の袖へと移行して、踊り子たちのラインダンスを横から撮り始め、以降のショットはずっと横から撮られている(横移動ではない)。見事なショットのリズムで始まるこの作品には、ステレオタイプ、群衆、ロングショット、幾何学的運動というキートン的特徴を見出すことはできず、俯瞰から捉えられたオープニングのラインダンスにしてもそれは斜め俯瞰からゆるやかに撮られたグリフィス的「人間」のショットであり、決して幾何学的な運動として撮られているものではなく、同じくヒッチコックがラインダンスを撮った●「下り坂」(1927・アイヴァ・ノヴェロがウエイター役で出演している舞台で)●「リッチ・アンド・ストレンジ」のパリのレビュー、そして●「三十九夜」のラストシーン(ミスターメモリーのバックで踊っている)にしても、ヒッチコックがキャメラを向けるのはダンサーたちの前からや横からであり真上からの俯瞰や超ロングショットであり、集団を幾何学的に撮ったり列になったダンサーたちの股間をキャメラが滑り抜けてゆくようなショットはまったく存在しない(●「リッチ・アンド・ストレンジ」におけるパリのレビューで一列になって脚を大きく上げてダンサーたちの股間を下から撮ったショットはあるがこれは幾何学的と言うよりもエロチックというべきショットである)。中には●「間諜最後の日」のチョコレート工場におけるファンに挟まれた奇妙な通路のように幾何学的(ルネ・クレール的)とも言えるショットもあるが、むしろ彼がそうしたショットを撮るのは●「北北西に進路を取れ」で国連ビルを逃げ出すケーリー・グラントを撮った俯瞰からの超ロングショットであったり●「サイコ」で私立探偵のマーティン・バルサムが階段付近で襲われる瞬間を真上の俯瞰から撮ったショットであったりというように、群衆ではなく一人か二人の人物を1ショットに限って撮られた限定的なショットであり、ヒッチコック自身●「サイコ」のシーンについては『もし母親を背後から撮ったら、きっと顔を見せないためのわざとらしいやりかたにみえて観客にうさんくさく思われる』から、『これを俯瞰で撮れば、顔をかくすというような印象はあたえない』だろうとし、さらに『階段の全景のロングショットと出刃包丁で切りつけられた瞬間の男の顔のクローズアップとのコントラストを強調するため』に真上から撮ったのだと語っていて、運動の幾何学性に関する言及はなされていない(「映画術」284)。さらに●「海外特派員」には幾つもの雨傘を俯瞰から捉えた幾何学的なロングショットが存在するが、その対象は傘であって人間ではなく●「鳥」の大きな俯瞰から撮られた鳥の群れとガソリンスタンドのショットにおいてもまた撮られたのは鳥やガソリンスタンドであっても人間の幾何学的運動ではない。ヒッチコックが撮る人間と、人間を幾何学的対象として撮る作品とはその強度が大きく異なっている。ヒッチコックは観客の物語的欲求に対して非常に気を使う監督であり、既にサイレント時代の1925年に撮られた処女作においてから幾何学的なショットで観客を怖ろしい目に遭わすような演出はしておらず、ショット数にしても一番高速で撮られているのがこの●「快楽の園」で一時間740ショット、その他で1時間700を超えるのは●「下宿人」(1926)の710、●「ふしだらな女」(1927)の720、●「リング」(1927)の730と初期サイレント映画に限られており、トーキーになって以降は●「ロープ」(1948)、●「山羊座のもとに」(1949)などの長回し映画を除けば1時間400~600ショットのあいだのゆったりとしたスピードで落ち着いている。人間を「モノ」に見立てて始まり終わったキートンとは違いヒッチコック的スリラーはあくまで「人間」から始まりそこから少しずつスキル、土地勘等の不在によって主体性を引き剥がすことで運動から「心理的ほんとうらしさ」を駆逐し「すること」オンリーの運動に相応しい動物的身体性を作り上げてゆくのであり、時としてオーヴァーラップを重ねたり過激な色彩などを提示したりと視覚的なショットはあっても決してそれは「人間の不在」として撮られたものではない。アメリカのスター、ヴァージニア・ヴァリを主演に撮られた処女作●「快楽の園」はスター映画であり、そもそもスターを使って映画を撮っているヒッチコック、D・W・グリフィスの映画に「人間の不在」などという出来事が許されるはずがなく、ヒッチコックにおける動物的主人公は常にスターという「人間」のオブラートに包まれて撮られている。
■山中貞雄
ここで山中貞雄の現存する作品三本について検討する。以下の細部は相互が複雑に絡み合っているがここでは敢えて分類して細部を検討する。
①スキル運動か巻き込まれ運動か
スキル運動とは『密告者は密告をし、強盗は強盗をし、人殺しは人を殺し、恋人は恋をする』のところの『密告者』『強盗』『人殺し』『恋人』といったことへと「めがけている」運動のことであり、それが具体的な職業ならば『刑事は刑事をする』等になるのであるが、必ずしもそれは職業である必要はなく『女』ならば『女は女をする』となり、さらに広く『人間』ならば『人間は人間をする』となるのに対して、巻き込まれ運動とはめがけることの存在しない運動であり、マクガフィンによって初めて起動する「はじかれる運動」である。ポン!と背中を押されてむち打ちのように走り出すイメージ、それが巻き込まれ運動である。
★検討
●「人情紙風船」がスキル運動なのかスキル喪失運動なのかを検討する。浪人の河原崎長十郎はやくざたちに袋叩きにされたり、中村翫右衛門が誘拐した娘を匿ったりと、およそ武士というスキルからはほど遠いこともしているが、浪人の彼が終始行っていることは大名に使えるという、武士にとって極めて重要な「仕官すること」という運動であり、それをしつこいまでにやり続けている彼のしていることは武士という「であること」へと「めがけること」をしているスキル運動にほかならない。またやくざの中村翫右衛門は大家の切れた鼻緒を直したり、長屋で自殺した浪人の通夜を仕切ったりもしているが、彼のしていることは終始「やくざをすること」であり、賭場を開帳し、娘を誘拐し、親分と決闘をすることでひたすらやくざという「であること」を「めがけて」いるのであり、彼のしていることもまたスキル運動にほかならない。そのほかにもこの作品では敵対するやくざの組員たちはひたすらやくざとして敵対し続け、大家は大家をし、店子は店子を、金魚売りは金魚を売り、二枚目の番頭は二枚目の番頭を、女は女を、そして武士の妻は武士の妻として夫を刺し殺して自らも命を絶ち、、というように、彼らの運動はひたすら「起源」=「であること」へと「めがけられた」運動を反復し続ける「職業」的スキル運動として撮られている。
②メロドラマか「常習犯」か
「職業」へと向けられたスキル運動は「初犯」と「常習犯」とに分けられる。メロドラマとは「初犯」であり「起源」と重なっているために道徳的、知的であり、その領域においては「起源」への言及、回想、罪の意識などが顕著に現れることになる。そうした細部を喪失するにつれて「起源」から遠ざかり「常習犯」としての身に染みついた運動が現れてくる。
★検討
「起源」について河原崎長十郎は『あの人(士官を頼んでいる相手の毛利)が出世したのは死んだおやじのお陰だからな』と語るだけでその『お陰』が何なのかは最後まで語られることもなく、またそれ以外の人物に関しては一切「起源」が語られず、回想もなく、罪の意識も心理的な表情も垣間見せない彼等にとって「起源」は遠い過去のこととして忘れ去られている。
③ 前科4犯か前科6犯か
「常習犯」だとして、起動面において既に運動が始まっているか、遂行面においてそれが反復されるか、職務に対する不満、停滞等が「常習犯」の質を見分けるために重要となる。
★起動面
やくざ者の中村翫右衛門は、開始早々敵対するやくざの子分たちが中村翫右衛門の長屋に押しかけてくるように、映画が開始している時点で既に敵対するやくざとの因縁は始まっている。浪人の河原崎長十郎にしても、路地で橘小三郎(毛利)と出くわし士官を試みるのであるが、河原崎長十郎によると既に何度か橘小三郎の屋敷に出向いているとのことで、これについても映画が開始する以前に既に士官という任務は始まっていることが示唆されている。映画が始まった時点での彼らの運動は「一回目(初犯)」ではなく「二回目以降」=「常習犯」のそれとして撮られているのであり、こうした細部は人物の「常習性」を強める細部として存在しており、見ている者たちは既に始まっている物語に戸惑うことにもなるのだが、こうした運動の流れは後に検討する●「丹下左膳・百万両の壺」とは全く異なっている。
★遂行面
こうして既に起動している運動を、河原崎長十郎は相手の事情など一切考慮せずまるで自動人形のように何度も士官を繰り返し、中村翫右衛門もまたやくざをすることを反復させ続けており、そこには一切の心理的ほんとうらしさもなければ改悛も疑念も停滞もなく、身に染みついた運動の極致として撮られている。「起源」を遠い過去に葬り去った彼らの運動は、失われた「起源」を求めて禁欲的に反復されるのであり、彼らの身に染みついた運動は「常習犯」の中でも禁欲的「常習犯(前科6犯)」のそれにほかならない。
④ ドスは順手で握られる
ドス、ナイフなどは、巻き込まれ運動では逆手になりやすく、スキル運動では順手になりやすい。
●「人情紙風船」でドスや短刀で人を刺したり脅したりするシーンは①白子屋から叩き出された河原崎長十郎を助けた中村翫右衛門を塀に追い詰めた加東大介(当時は市川莚司)がドスを突きつける時、②白子屋の娘を誘拐した中村翫右衛門の長屋に押し入って来た加東大介がしゃがみながらドスを見せて脅す時、③ラストシーンの橋の上の決闘で中村翫右衛門がドスを出す時、④山岸しづ江が夫を短刀で刺そうとする時、の4か所だが、これらではドスや短刀がすべて順手で握られている。逆手でドスが握られたのは娘を誘拐した後の長屋で中村翫右衛門が親分に『頭を丸めろ』と迫ったあと戸口に立っている2人の子分が『なにお!』と懐からドスを出す時のほんの1秒にも満たない一瞬に過ぎない。山中貞雄は「常習犯」における機能的な運動においてドスを順手で握らせている。
★「河内山宋俊」(1936)~山中貞雄27歳。
①スキル運動か巻き込まれ運動か
お尋ね者の3人のガンマンが襲撃した幌馬車の中にいた美しい娘(オリーヴ・ボーデン)の虜になってしまい彼女の手下になって彼女を助け、最後は彼女とその恋人(ジョージ・オブライエン)を守るために悪漢たちと戦って消えてゆくという、ジョン・フォードの●「三悪人」(1926)を翻案したとされるこの作品は、河内山宗俊こと河原崎長十郎は坊主と言われているが実際には賭場を開帳し、賭け将棋をしているやくざであり、原節子助けるために坊主になって大名を騙し大金を巻き上げたり、原節子の弟の市川扇升の姉弟を助けて果てるというその有り様は、やくざ、特に任侠(仁義を重んじ困っていたり苦しんでいたりする人を見ると放っておけず、彼らを助けるために体を張る自己犠牲的精神や人の性質を指す語)であり河原崎長十郎の運動は「任侠であること」へとめがけられたスキル運動として撮られている。やくざの用心棒をしている中村翫右衛門は出店のショバ代を取って回っているものの原節子からはショバ代を取らなかったり、河原崎長十郎との決闘も止めに入った原節子が怪我をするとすぐに中止してしまったり、また朝まで酒を飲んで出勤せずに親分に『ただ飯ぐらい』と言われたりで『ただ何となく生きている』『ほかにすることがないから』と本人が語るように、彼の運動は用心棒「であること」へとめがけられてはいない。だが終盤、河原崎長十郎に協力して市川扇升を助けるとき『わたしはな、これで人間になった気がするよ』と語るように中村翫右衛門の運動は用心棒という職業を離れ「人間であること」へと向けられたスキル運動として撮られている。
②メロドラマが「常習犯」か
河原崎長十郎について「起源」はまったく提示されず、中村翫右衛門については清川荘司との会話の断片から藩を首になり浪人となったことが暗示されているだけで、そのほかでは市川扇升と衣笠淳子とが幼馴染であることがこれまた会話で暗示されるだけで他の人物については一切「起源」が存在せず、回想もなく(山中貞雄の現存する三作品に回想は入らない)罪の意識も垣間見せることもない運動は「常習犯」のそれとして撮られている。
③前科4犯か前科6犯か
★起動面
この作品はガマの油を売っているテキヤに中村翫右衛門がショバ代を取りに行くシーンから始まる。また河原崎長十郎の最初のショットは既に賭け将棋をしているところから始まっている。既に職務が遂行されている最中から運動が始まっている細部は「常習性」を強める細部として存在している。
★遂行面
河原崎長十郎と敵対するやくざの板東調右衛門はおいらんの衣笠淳子を金の力で見受けしたり借金のカタに原節子を売り飛ばしたりする「新興やくざ」であるのに対して河原崎長十郎は賭け将棋をしたり、決闘をした中村翫右衛門と仲良くなって飲み明かし「鬼のふんどしより長い」勘定書きをもらったりする任侠やくざ=「古い者」であり、だからこそ彼の運動は●「人情紙風船」のひたすら「士官すること」という同一の職業運動を禁欲的に反復させる河原崎長十郎とは異なり賭場を開帳し、賭け将棋をし、大名を騙し大金を巻き上げ、人助けをする「任侠であること」へと向けられているために個々の「職業」を超えた人間的に身に染みついた行動としてのエモーション(葛藤)が顕在化するのであり、また『わたしはな、これで人間になった気がするよ』と語る中村翫右衛門にしても禁欲的職業人よりも「常習性」を弱めた人間的運動であるからこそそこには●「人情紙風船」の中村翫右衛門とは打って変わった人間味、弱さなどによる葛藤が漂うことになり、こうした両者の「古い者」としての在り方は●「駅馬車」で一度だけ医者を「すること」をした以外はひたすら酒を飲み続けている飲んだくれの「前科4犯」の医者トーマス・ミッチェと通底している。●「人情紙風船」に対して●「河内山宗俊」では「常習性」を「前科4犯」程度に下げているからこそ『わたしはな、これで人間になった気がするよ』という言葉が出てくるのであって、彼らの人間的な「職業」運動は原節子、市川扇升等「新しい者」たちを次の時代に送り出す「古い者」のエモーションを顕在化させている。
④ドスは順手で握られる
●「河内山宋俊」におけるドスについては、市川扇升はやくざの親分を殺す時や終盤のアクションで2度ともドスを順手で握り、山岸しづ江が身を挺して塞いでいる戸口で『ひろ(市川扇升)を出せ』と叫んでいるやくざもドスは順手で握っている。河原崎長十郎には終盤ドスを握ったショットが多く撮られているがすべてそれらは順手で握られ、敵味方の入り乱れてのアクションシーンではどぶで河原崎長十郎や中村翫右衛門を追い詰めてくる上半身裸のやくざが一人だけドスを逆手で握っているほかは肉眼で見える限りみなドスを順手で握っている。この作品は「であること」へと向けられた機能的な側面に力のかかった映画であり、従ってドスは●「人情紙風船」のように順手で握られることになり、ここでもまた山中貞雄は運動における微妙な質的差異をドスの握り方において反映させている。
★「丹下左膳・百万両の壺」(1935)~山中貞雄25歳
①スキル運動か巻き込まれ運動か
値打ちのある壺をそうとは知らない人の手から手へ転々と移動させてゆくこの作品において大河内伝次郎は矢場の用心棒としてやくざたちを追い払い、清川荘司の護衛をし、道場破りをしたり、というように、武士「であること」へとめがけられたスキル運動をしているように見える。しかしやくざたちを追い払うのは夜道に逃げたやくざたちに清川荘司を襲わせて殺させるためであり、それによって清川荘司の息子の持っている壺を子供ごと引き取るためにやくざを追い払ったのであり「やくざを追い払うこと」という運動は武士「であること」へとめがけられたものではなく清川荘司を殺させその息子を引き取るためのマクガフィンに過ぎない。さらに清川荘司を護衛するという任務は清川を家まで護衛せずに引き返したところを清川がやくざに刺されあとから駆けつけてきた大河内伝次郎が瀕死の清川を家に引き取りその遺言を聞いて壺を持っている子供を探し出して引き取るためにあるのであって「護衛すること」という武士の任務にめがけられているのではない。その後の道場破りにしても武士「であること」をめがけてしたのではなく子供の借金を返すためになされた(起動した)ことであり、それによって壺が実は自分の家にあるあの壺だと沢村国太郎から告げられるために道場破りが起動したのであって武士としての任務へめがけられたことではない。一連の運動はすべてマクガフィンという外部の力によって「はじかれて」起動しているのであり「常習犯」としての内的な衝動によって「めがけられた」ことではない。大河内伝次郎の情婦で矢場の女将をしている喜代三にしてもスキルは三味線を弾いて歌うくらいで矢場の仕事は娘たちに任せっきりで何もしてはおらず、あとは子供と遊んだりするだけで「めがけること」が存在していない。道場の婿養子で恐妻家の沢村国太郎は「壺を探すこと」という任務を口実にして家を出て口やかまし屋の妻(花井蘭子)から自由になり昼間から矢場にしけこみ矢場の娘の深水藤子と弓で遊んでばかりいるのであり、武術のスキルにしても門下の者たちに泥棒と間違われて袋叩きにされる有り様で、道場破りにやって来た大河内伝次郎には袖の下を渡して八百長をするといったように、武士をめがける運動は何一つなされておらず、一見、矢場の娘の深水藤子を「めがけている」ようでありながら彼が矢場へ行くのは矢場の用心棒の大河内伝次郎と知り合うためであり深水藤子はそのためのマクガフィンであって「めがける」相手ではなく、そもそも沢村国太郎の存在それ自体が大河内伝次郎との接点を持つためのマクガフィン的要素が強く、だからこそ彼は壺のありかが分かった後も壺を持ち帰ろうとはせずに深水藤子との逢引きを続けるのであり彼にとって「壺を探すこと」という任務それ自体かマクガフィンとして現れてくるこの作品は「であること」へと向けられた「職業的(人間的)」な運動ではなく「すること」へと向けられた動物的巻き込まれ運動であることを指し示している。終盤、自分のせいで大河内伝次郎と喜代三が喧嘩をしているのを盗み見聞きした子供が家出をしそれを二人で探すシーンは抒情的で「人間であること」へとめがけられているように見えるが、この「家出をすること」は家出をした子供が「壺を持って」家を出ることが重要であり、それによって壺を巡るサスペンスを醸成するためにあるのであり「子供が家を出ること」あるいは「親として家を出た子供を探すこと」は仮にそれが抒情的であったとしても運動論的にはマクガフィンに過ぎず(ホークスならこうまで抒情的には撮らないだろう)、だからこそ子供はすぐに家に引き返すのであって、この作品は壺という大マクガフィンを基軸に他の小マクガフィンが人物たちの運動を起動させてゆくのであり、そのための脚本がまるでハワード・ホークス●「赤ちゃん教育」(1938)のようにマクガフィン的逆流を極めて練られており●「人情紙風船」●「河内山宋俊」のような内的に発動する人間的運動とは質的にまったく違った運動によって撮られている。
②起源、罪の意識
この作品は動物的巻き込まれ運動なのだから人物に「起源」や「罪の意識」のあることはなく、仮に子供が書いた「ぼくのことで喧嘩をしないでください」という置手紙を見て大河内伝次郎と喜代三が子供を探すとき罪の意識のようなものを想像することは可能だが殆どがロングショットで撮られたこの一連の運動の中に罪の意識という心理的なるものが露呈することはない。
③起動面
巻き込まれ運動はマクガフィンに弾かれて初めて運動が起動することからその起動面が重要になる。
★検討
沢村国太郎は最初のショットでは花をむしりながら妻(花井蘭子)の愚痴を聞いているだけで、その後も横になって寝そべってしまい、郷里から使者がやってきて初めて彼の運動が起動するのであり、大河内伝次郎もまた最初のショットでは横になって寝そべっていて、喜代三からお呼びがかかって初めて用心棒の運動が起動している。マクガフィンによってはじかれて初めて起動する彼らの運動は典型的な巻き込まれ運動のそれにほかならない。
④ 遂行面~「柔らかい」身体性
内からの衝動で何かへめがけられる「常習犯」とは違い、マクガフィンによってはじかれて初めて起動する巻き込まれ運動の「動物」は、はじかれやすい「柔らかい」身体でなければならない。
★検討
この作品の主人公たちは『護衛なんて絶対しない』『子供にご飯なんか食べさせない』『子供は家に置かない』『竹馬なんか絶対買わない』『子供は寺小屋でなく道場へ行かせろ』などと硬く決意をしたはずが次のシーンではコロリと態度を変えてまったく正反対の行動を取っているという、当時「逆手の話術」といわれたこの手法は(山本喜久男「日本映画における外国映画の影響」528頁)コメディの一手法として紹介されているが、重要なのは物語論的な「話術」ではなく映画論的「運動術」であり「逆手の話法」が指し示しているのはこの作品の主人公たちには「めがけること」が存在しない=主体的がまったくなく優柔不断=ことであり、だからこそ沢村国太郎は「軽薄な女たらし」という巻き込まれ運動特有の特性を有するのであり、大河内伝次郎にしてもまるで一貫した人格などないかのようにその都度態度を変えてゆくこの作品は現存する山中貞雄の3作の中で最多のマクガフィンを擁して主人公=「動物」たちの運動をその都度起動させてゆかなければならず(『溝口健二・小津安二郎・山中貞雄機能・運動連関表』)、そうしてマクガフィンによって弾かれてゆくその運動は●「三十九夜」●「赤ちゃん教育」のようにまるでラストシーンから脚本が書かれて撮られたような荒唐無稽な逆流を極めている(登場人物で職業的に禁欲なのは悪役のやくざだけであり山中作品の悪役は3作ともみな怖ろしいほど禁欲的な「常習犯」として撮られている)。●「三十九夜」が日本に公開されたのは36年3月であることからして両者は互いの作品を見ないでそれぞれの巻き込まれ運動を撮っていることになる。
⑤ドスは逆手で握られる
この作品では①大河内伝次郎に送ってもらった清川荘司が夜道で斬られるシーン②子供連れの大河内伝次郎が夜道でやくざを斬る時の二つのシーンでドスがやくざの手に握られているが、①では清川荘司を追いかけて行くヤクザは2人ともドスを逆手で握り②でもやくざが大河内伝次郎に斬りかかる時、懐から逆手に握ったドスを出して振りかざしており、確かに①で清川荘司を殺し終わって路地から出てきたやくざたちは2人ともドスを順手で握っているがそれは肉眼で確認できるギリギリのロングショットであり、斬りつけるシーンではすべてドスが逆手で握られているこの作品は、運動の質的相違によってドスの握り方を変換させている山中貞雄の性向がはっきりと現れている。
■山中貞雄とは、、
山中はヒッチコックですら36歳になってやっと撮った「すること」オンリーのマクガフィン映画を25歳の●「丹下左膳・百万両の壺」(1935)で撮り、ヒッチコックが決して撮ることのできない「常習犯」の「古い者」を27歳の●「河内山宋俊」(1936)で撮り、禁欲的「常習犯」の●「人情紙風船」(1937)を28歳で撮ったあと『これが遺作ではチト淋しい』と遺して29歳で亡くなっている。26本中23本のフィルムが失われている山中貞雄の遺した三本のうち●「河内山宋俊」はジョン・フォードに、●「人情紙風船」はハワード・ホークスに、●「丹下左膳・百万両の壺」はヒッチコックに似ている。運動論的にまったく異質の3本が、ウソとしか思えない3本として遺っている。このような異質の3種類の運動をその生涯で撮ることのできた人物は私の知る限りハワード・ホークスしかいない。●「赤ちゃん教育」●「僕は戦争花嫁」●「男性の好きなスポーツ」といった極めて動物的な「すること」オンリーの巻き込まれ映画を撮りながら、その他の大部分の作品では罪の意識など微塵も見せない禁欲的な職業人たちの運動をひたすら反復させて撮り続けたホークスは●「無限の青空」では『今やパイロットは技術屋だ。大学を出ていなければだめだ(ギャグニーは大学を出ていない)』と自分は最早「古い者」であると悟りながら規則破りの飛行を繰り返して免許を取り上げられてしまうジェームズ・ギャグニーが「新しい者」の身代わりとなって死んでゆく映画を撮り●「暁の偵察」●「永遠の戦場」でもみずからの任務に対する葛藤に悩む者たちをフィルムに収めているもののこれらの作品の主人公たちは職業運動を反復させているようにホークスはマイケル・マンと同様に職業的禁欲人を運動させることで「古い者」を撮るのに対して山中貞雄の●「河内山宋俊」はジョン・フォードのように職業的運動を停滞させながら「人間的常習犯」=「前科4犯」の葛藤によって「古い者」を撮っており、私の見た限りのホークス作品にこうしたエモーションを生じさせる作品は存在していない。
■機能・運動連関表
ハリウッドの物語映画においてはマクガフィンの量が作品の価値を決している。第二章で『生命とはそれに反抗する運動であり、あらゆる瞬間に襲ってくる死への誘導=「運動が物語に収束されてゆく働き」=に対抗する反発力であり、マクガフィンとはまさに運動に理由を付着させることなく始動させることのできる生命力の発露である。』と書いたように放っておけばあらゆる瞬間に運動を侵食していく物語的回路をその都度はじき返していくのがマクガフィンでありマクガフィンは物語映画の全編にわたってくまなく配置される必要がある。ハリウッド映画とはあらゆる細部にマクガフィン的思考回路を浸透させた運動空間でありそうした回路のない作品は「起源」へと接近しメロドラマになる。「初犯」の映画でありながらマクガフィンの少ないキューブリック●「現金に体を張れ」は運動論的に弱さを露呈させている。しかし運動を極限まで「起源」から遠ざけて「常習化」を徹底させた時、運動の自己回帰性が強化されマクガフィンは不要となる。マイケル・マンの夢はここにある。ヒッチコック的巻き込まれ運動は絶対的にマクガフィンを必要とする。ヒッチコックの絶望はここにある。物語を語る映画はハリウッド映画に限らず基本的にマクガフィンによって起動する(「監督別機能・運動連関表」参照)。カール・ドライヤーを除いては、、、
→「汚名」(1946)~「めまい」(1958)
★起源
●「汚名」のイングリッド・バーグマンには父親がドイツのスパイとして有罪になったという「起源」が重くのしかかり、FBIのケーリー・グラントもまた『昔から女が怖かった』とみずからの「起源」について語り、●「めまい」ではジェームズ・スチュワートが刑事時代に犯人を屋根の上に追い詰めた時に屋根から落下しそうになって発症しためまい症が現在のスチュワートにのしかかる「起源」であり、「起源」があるのは「人間」であって「動物」ではなく、●「汚名」と●「めまい」は「であること」へ向けられた人間的スキル運動として撮られている。スチュワートが映画の前半、教会の階段をのぼりつめてめまい症で動けなくなってしまい、その後入院して廃人のようになって運動を停止させるのは「起源」を想起した者の運動が停止するというオーソン・ウェルズ●「市民ケーン」と同様の構造で撮られている。
★「常習犯」
第二章で●「汚名」はスキル運動を巻き込まれるように撮っていることを検討したが、「巻き込まれるように撮る」とは運動の発端から「心理的ほんとうらしさ」を排除することであり、そうすることでスキル運動は「初犯」的メロドラマから逃れ「常習犯」へと接近することになる。既に多くの細部で検討したように●「めまい」もまたジェームズ・スチュワートがキム・ノヴァクに巻き込まれてゆくように撮られており、ヒッチコック映画の中でも珍しく濃厚なキスシーンの撮られたのはこの2つの作品は(●「白い恐怖」のキスシーンはグレゴリー・ペックがバーグマンのローブの白い線を見て「起源」を想起するためのマクガフィンでありここには含めない)、「愛する者たちは愛し合う」という「人間的」ラブストーリーを巻き込まれるように撮ることでヒッチコックは苦手なスキル運動を「常習犯」として撮っているのであり、職務を遂行することに葛藤を有しながら遂行してゆく●「汚名」と「起源」に苛まれる●「めまい」とはその「常習性」においてジョン・フォード的「前科4犯」に接近している。ヒッチコックは西部劇を撮ることはできないが、ラブストーリーに限ってはスキル運動を「常習犯」として撮ることができている。
■映画賞
これまで検討した監督たちのアカデミー賞における主要部門における受賞歴を見ていきたい(名誉賞等のちに受賞したものは除く)。
■キートン 受賞なし。
■ヒッチコック
受賞2回。
作品賞「レベッカ」(1940)
主演女優賞「断崖」(1941)ジョーン・フォンテーン。
候補 14回
作品賞3「海外特派員」(1940)「断崖」「白い恐怖」(1945)
監督賞4「救命艇」(1943)「白い恐怖」「裏窓」(1954)「サイコ」(1960)
主演男優賞 1「レベッカ」ローレンス・オリヴィエ
助演男優賞 3「海外特派員」アルバート・バッサーマン。「白い恐怖」マイケル・チェーホフ。「汚名」(1946)クロード・レインズ。
主演女優賞 1「レベッカ」ジョーン・フォンテーン。
助演女優賞 2「レベッカ」ジュディス・アンダーソン。「サイコ」ジャネット・リー
■ジョン・フォード
受賞10回
作品賞1 「わが谷は緑なりき」(1941)
監督賞 4「男の敵」(1935)「怒りの葡萄」(1940)「わが谷は緑なりき」「静かなる男」(1952)
主演男優賞1「男の敵」ヴィクター・マクラグレン。
助演男優賞3 「駅馬車」(1939)トーマス・ミッチェル「わが谷は緑なりき」ドナルド・クリスプ。「ミスタア・ロバーツ」(1955)ジャック・レモン。
助演女優賞1「怒りの葡萄」ジェーン・ダーウェル。
候補 10回
作品賞 4「男の敵」「駅馬車」「怒りの葡萄」「果てなき船路」(1940)
主演男優賞1「怒りの葡萄」ヘンリー・フォンダ
主演女優賞1 「モガンボ」(1953)エヴァ・ガードナー
助演男優賞2「ハリケーン」(1937)トーマス・ミッチェル「静かなる男」ヴィクター・マクラグレン。
助演女優賞候補2「わが谷は緑なりき」サラ・オールグッド。「モガンボ」グレース・ケリー。
■ハワード・ホークス
受賞2回
主演男優賞1「ヨーク軍曹」(1941)ゲーリー・クーパー
助演男優賞1「大自然の凱歌」(1936)ウォルター・ブレナン。
候補 7回
作品賞 「奇傑パンチョ」(1934)「ヨーク軍曹」
監督賞 1「ヨーク軍曹」
主演女優賞 1「教授と美女」(1942)バーバラ・スタンウィック。
助演男優賞2「ヨーク軍曹」ウォルター・ブレナン。「果てしなき蒼空」(1952)アーサー・ハニカット
助演女優賞1「ヨーク軍曹」マーガレット・ウィッチャーリー。
■クリント・イーストウッド
受賞7回。
作品賞2 「許されざる者」(1992) 「ミリオンダラー・ベイビー」(2004)
主演男優賞1「ミスティック・リバー」(2003)ショーン・ペン。
主演女優賞1「ミリオンダラー・ベイビー」ヒラリー・スワンク。
助演男優賞3「許されざる者」ジーン・ハックマン。「ミスティック・リバー」ティム・ロビンス「ミリオンダラー・ベイビー」モーガン・フリーマン
候補 12回
作品賞2「ミスティック・リバー」「硫黄島からの手紙」(2006)
監督賞2 「ミスティック・リバー」「硫黄島からの手紙」
主演男優賞 3「許されざる者」イーストウッド「ミリオンダラー・ベイビー」イーストウッド。「インビクタス/負けざる者たち」(2009)モーガン・フリーマン。
主演女優賞2「マディソン郡の橋」(1995)メリル・ストリープ。「チェンジリング」(2008)アンジェリーナ・ジョリー
助演男優賞1「インビクタス/負けざる者たち」マット・デイモン
助演女優賞2「ミスティック・リバー」 マーシャ・ゲイ・ハーデ
■マイケル・マン
受賞ゼロ
候補 4回
作品賞 1候補「インサイダー」(1999)
監督賞 1候補「インサイダー」
男優賞 1候補「ALI アリ」(2001)ウィル・スミス
助演男優賞 1候補「ALI アリ」ジョン・ヴォイト
「前科4犯」のジョン・フォードが10回受賞しているのに対して「前科6犯」のホークスは2回、そして「前科10犯」のマイケル・マンはゼロというように「常習犯」の映画は「常習性」=「すること性」が強まるにつれ受賞回数が減少し「すること」オンリーのヒッチコックはホークスと同様2回しか受賞していない。そのホークスの2回にしても●「ヨーク軍曹」は実在する人物による実話という「外部」=「であること」にかかった作品であり、かつ荒くれ者の主人公が映画途中で雷に打たれキリスト教に「改心」するという「初犯」的運動を特徴としており、それを裏付けるようにハワード・ホークス映画では極めて珍しい回想という出来事が、裏山の崖で上官スタンリー・リッジスや牧師ウォルター・ブレナンの声として入ったりしている。サミュエル・ゴールドウィンがプロデュースし終盤以降はウィリアム・ワイラーがホークスからバトンタッチして撮った●「大自然の凱歌」にしても、主演のエドワート・アーノルドの職業である木こりの運動は少ししか撮られず、その多くは「過去に愛した女に瓜二つの娘(フランシス・ファーマー一人二役)に恋をする」という、ハワード・ホークスにしては極めて珍しい過去=「であること」へとめがけられたメロドラマであり、同じ一人二役でも過去の女ではなく現在の女を愛するヒッチコック●「めまい」が賞にかすりもしないのとは異なっている。「弱さ」とは参照すべき領域への逃避であり過去という参照領域が広ければ広いほど「弱さ」は満たされることになる。そのヒッチコックにしても唯一の作品賞を受賞した●「レベッカ」はローレンス・オリヴィエの過去へと遡る映画であり、作品、監督、助演男優賞含めて6部門でノミネートされた●「白い恐怖」はシェークスピア、フロイト、サルバドール・ダリといった「外部」の有名人を引用しながら精神分析によって「起源」へと遡り、●「海外特派員」では第二次大戦前夜、空襲警報の鳴り響くロンドンからラジオ放送でジョエル・マックリーがアメリカに参戦を呼びかける(と聞こえる)という「外部=おおやけ」へと傾倒している。ジョン・フォードにしたところで監督賞の●「怒りの葡萄」●「わが谷は緑なりき」にはストライキという「常習性」を阻止するところの左翼的・社会的な「外部(メッセージ)」が撮られており、だからこそ●「怒りの葡萄」は第三章で検討したように「善悪」が全面に押し出され、●「わが谷は緑なりき」におけるモーリン・オハラとウォルター・ピジョンの恋愛もまた道徳という「初犯」的領域によって断念されている。●「男の敵」は親友を密告した主人公が罪の意識に苛まれながら死んでゆく道徳的映画であり、●「静かなる男」にしても主人公のボクサージョン・ウェインは昔、試合中に相手のボクサーを殺してしまったことに罪の意識感じそれを牧師のアーサー・シールズに告白しており、●「ミスタア・ロバーツ」で助演男優賞のジャック・レモンはジョン・フォード的俳優とは似ても似つかぬ過剰な演技によって受賞している反面●「周遊する蒸気船」●「アパッチ砦」●「捜索者」●「馬上の二人」●「ドノバン珊瑚礁」●「荒野の女たち」といった罪の意識をまったく示さない「常習性」の強い作品はノミネートすらされていない。マイケル・マンの●「ALI アリ」はモハメッド・アリという「外部」の領域を題材にした実話であることがノミネートの大きな要因になりながら、一方でそのアリは浮気をして妻に非難されても罪の意識をまったく有さず兵役拒否でボクサーの資格停止に追い込まれても自らのボクシングという職務行為においては一片の躊躇もためらいも見せないマイケル・マン的「前科10犯」であることが受賞を阻止させる要因であり、●「インサイダー」はたばこ業界の不正を暴くという社会的テーマであり且つ情報をリークする科学者のラッセル・クロウは安定した生活を望む妻との葛藤に悩みつつける人物であることが作品賞、監督賞というマイケル・マン唯一の大きな賞のノミネートを可能にしたというべきだが、それでもそのラッセル・クロウは委員会で証言するかの決断を迫られた時『決める基準がない、、まず自分が納得したい』という彼にテレビプロデューサのアル・パチーノが『状況が変わったか?』と尋ねたところ、ラッセル・クロウは海を見て、警備員を見て『何か変わったかって?』パチーノ『今朝からか?』クロウ『大昔からだ、、くそったれ、法廷へ行こう』と証人席へと直行するのであり、そこにあるのは●ヒート」のロバート・デニーロのUターンと同質の内から突き上げられる理由なき衝動にほかならす、そのアル・パチーノに至っては職務妨害に苦しみ休職に追い込まれつつもみずからの職務については葛藤したり停滞させたりすることの一切ないマイケル・マン的「前科10犯」の典型的「常習犯」であることが受賞を阻止するのであり、仮にパチーノが職務の遂行に思い悩む「前科4犯」程度の「人間的常習犯」であったならばまた違った事態になっていたかもしれないがマイケル・マンはそうした職務停滞型の人物を撮ることができない。イーストウッド映画で作品賞を受賞した●「許されざる者」は罪の意識を有するガンマンが職務の停滞を経てゆくことが多分に強調された作品であり、作品賞に加えて主演男優賞を受賞した●「ミスティック・リバー」においては終盤、間違った男(ティム・ロビンス)を殺してしまったショーン・ペンが妻のローラ・リニーに対して罪の意識を告白し、主演女優賞の●「ミリオンダラー・ベイビー」においてもボクシングのトレーナーのイーストウッドはヒラリー・スワンクの世話をしたこと、モーガン・フリーマンの試合を止めなかったことの罪の意識に苛まれて泣いており、また終盤イーストウッドが戸口に置かれた娘からの手紙を見つめるとき等に極めて心理的な表情で演技をしており、主演女優賞を受賞したヒラリー・スワンクにしても全身不随・介護・片足切断・安楽死といった社会的=「外部」=のテーマが押し出されているというように、イーストウッドが賞をもらい映画誌のベストテンを飾り始めたのは運動を「起源」寄りへとシフトさせ罪の意識、職務停滞といった出来事を撮り始めた作品以降であり、監督デビュー作●「恐怖のメロディ」のようにディスクジョッキーのイーストウッドがストーカー女(ジェシカ・ウォルター)に付きまとわれ殺されそうになるという、ディスクジョッキーとしての職業的スキルのまったく通用しないヒッチコック的巻き込まれ運動は批評家にバカにされ●「荒野のストレンジャー」●「ガントレット」●「ブロンコ・ビリー」●「ペイルライダー」といった罪の意識のカケラもないホークス的「常習犯」を撮った作品もまた批評家に無視されている。
ハリウッドの古典的映画の撮り方にはメロドラマを除くと大きく3つある。①「起源」から距離を置くこと②マクガフィン的思考回路で映画を撮ること。①はさらにA「常習犯」の映画とB「すること」オンリーの巻き込まれ運動からなり、さらにAはA-1「前科4犯」とA-2「前科6犯」に分けられ、②はあらゆる①に共通する資質としてある。ただハリウッドの古典的映画には余りにも運動を「すること」へと接近させてはならないという暗黙の了解がありそこから逸脱したA-2とBが無視されることになる。これが映画賞の歴史である。
★難解
●「市民ケーン」が難解だとする批評家がいるがそれは多分に●「市民ケーン」が「常習犯」の映画であることに起因している。批評家は運動が「起源」から遠ざかり「常習犯」化すればするほど作品を読み解く手掛かりを失いそれを「難解だ」とする傾向を常習犯的に有している。彼らは「起源」の領域における心理的ほんとうらしさ、動機、理性、善悪、道徳、実話性等によって映画を読み解くことを常としていることから運動という透明な「すること」の領域に関してはまったく無力であり、映画が「起源」から遠ざかり映画的になればなるほど彼らにとってそれは「難解」になり作品が評価できないということを日常的に反復させている。批評家はみずからの知識によって解ける出来事を映画の中から抽出する。批評家は常に映画に「背後」を要求しそこで語られた人間の「起源」、道徳観、善悪といった出来事を「読むこと」を通じて審査し映画の優劣を定めていく。大部分の映画賞、映画誌のベストテンがバカでも撮れる作品から順番に埋まっていくのは、か弱い批評家が映画とは何の関係もない「外部」の出来事を「読むこと」によって映画ではなくみずからを癒し続けているからにほかならない。彼らは映画が映画であった時そこにみずからの知識では参照不能な居心地の悪さを感じとりそれを作品の弱さとして見下す傾向を顕著に有している。それは自分の理解できない出来事は否定するという参考文献文化に依って立つ彼らの制度的な限界である。
■ヒッチコック・ホークス主義
ヒッチコックはサイレント時代から既に人間の映画を撮っていた。キートンが人間を剥き出しのモノとして撮っていたのに対してヒッチコックはまず人間から出発し、そこから少しずつ主体性を剥ぎ取ることで「すること」オンリーの運動に適した動物的身体を抽出した。キートンとヒッチコックは同じように人間を動物化させておきながら、ヒッチコックはそれをオブラートに包み込み商業映画に適した巻き込まれ運動を完成させた。それでもそれは「動物」であることに変わりなくヒッチコックの映画のどこかに幼稚さやそれに伴う居心地の悪さが付きまとうとするならばそれはオブラートによって無意識化されたはずの動物がふとした拍子に画面に顔を出してしまったからにほかならない。ヒッチコックが撮るのは巻き込まれ運動でありそれをキートンはドタバタのスラップスティックコメディとして撮りヒッチコックはサスペンスへと発展させたに過ぎず、運動論的にヒッチコックはバスター・キートンの継承者として存在している。ヒッチコック=キートン的動物(モノ)は一コマ一コマ丹念なマクガフィンによって作動させてゆく壊れやすい操り人形であり繊細な細部と演出によって「であること」を削ぎ落とされた動物(モノ)的人間たちがひたすら「すること」の運動をし続けるスリラー(ドタバタ)がスクリーンに投影された瞬間、我々は映画の夢に遭遇することになる。トーキーの到来によってキートンの夢は潰え、キートンの後継者のヒッチコックは夢を人間のオブラートに包んでハリウッドへ乗り込んでゆく。だが映画の世界が「すること」から「であること」へと移行した物語映画全盛のハリウッドに「すること」オンリーの映画を引っ提げてハリウッドへ乗り込んで行った彼のもとには●「私は告白する」●「トパーズ」といった「であること」オンリーの脚本や原作がひっきりなしに届けられそれを撮ると決まって「初犯」の映画を撮ってしまうヒッチコックはその大部分を失敗作にしている。マイケル・マンには失敗作がなくヒッチコックが失敗作だらけなのはトーキーの時代に「すること」オンリーの映画を撮ることがいかに困難かを暴露している。「であること」へと向けられた映画を撮りながらふと●「赤ちゃん教育」●「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」といった「すること」オンリーの映画を涼しげに撮りあげてしまうホークス、山中貞雄といった者たちの才能にはひたすら驚くしかないが「すること」オンリーの映画しか撮ることのできないヒッチコックの失敗作はたまらなく愛おしい。失敗作なくしてこの論文はあり得ず、成瀬巳喜男の論文も失敗作なくして書けてはいない。26本中23本のフィルムが失われ失敗作の遺されていない山中貞雄の批評は困難を極めるだろう。かつて「であること」を仮想しながらそれとは極限まで遠いところにある「すること」の常習犯を撮り続けたホークスと「であること」をすっぽりそぎ落とし「すること」オンリーの映画しか撮ることのできないヒッチコックをピンポイントで肯定するという信じられない運動があった。『ヒッチコック・ホークス主義』といわれるこの現象は、人間の理性にとって居心地の悪い運動という「すること」を両極端から撮り続け、批評家たちから見放されたヒッチコックとホークスをそのまま肯定するという信じ難くも強い批評としてあり、善悪も道徳も外部も過去も真実もない運動といううごめきに素直に向き合うことのできる者のみに許された特権的事件として今もあり続けている。ヒッチコックとホークスがフィルムに刻んだ映画の夢は、言葉にした瞬間逃げ去ってしまう夢だからこそ批評家は囲い込まなければならない。批評家が見ることの不確実性に身をゆだね、その都度何かがあとから出てくるのをひたすら待ち続ける強さを身につけたとき、夢の扉が開かれてくる。